蜜
電話越しの遠くて近い距離で彼女が言った。
「ばかばかしい」
投げつける声。
「もっとまじめに生きたらどうなの」
「まじめにって」
例えば、どんな?
言いかけて僕は口をつぐんだ。たくさんの言いたいことはつまってしまう。
ナイフのような彼女の言葉に、僕は負ける。
「あんな女なんかのために」
あんな女。
赤い椅子。読みかけの本。カフェオレボウル。
全部彼女の言う「あんな女」がそろえたものだ。
赤は好きじゃないし、恋愛小説にはほこりがかぶるし
(本を読む、という行為は僕にとって退屈でしかない)、
カフェオレをいれてくれるひとは、もういない。
女は死んだ。
同じ夏の日、プラットホームで。僕もそこにいた。
きれいな赤だった。
「あんまりじゃない、ふたりとも」
その声は今にも泣き出しそうだけど。
驚くほどはっきりと、凛として僕に突き刺さった。
「生きてよ。生きて」
もう二度と恋はしないのに。
あの女だけを愛して死のうと決めたのに。
どうしよう。
君の蜜で、息が苦しい。
蜜