溺れる花

3年前、ハルに出会ったときから、
わたしはわたしを取り戻し始めた。
ハルがいない灰色の空をもう思い出せないくらいに、
わたしの世界はハルで染まった。


誕生日、ハルにガーベラの花束をもらった。

タタンタタン

電車がわたしと花の香りを乗せて走っていく。
ハルの部屋を出て、わたしの部屋へ向かうまでのほんの少しの時間、
泣きそうになりながら窓の外を見た。



―そんなに寂しそうにしないでよ。

ハルは帰り際にいつもそう言う。

―だってハルが消えてしまいそうで、こわい

わたしはいつもそう答える。

ハルは本当に春風のように自由で、やさしくて、
桜が散るみたいにどこか遠くへ行ってしまうような
いつもどこかでそんな不安があった。
わたしの思い過ごしかもしれないけれど。

ハルにもらった花のにおいと、
ハルが吸う煙草のにおい、コーヒーのにおいを振り切って
わたしは自分の部屋に帰ってお風呂に入る。
ハルに会った日の夜はなぜだか泣きたくなる。
バスタブのお湯をぶくぶく言わせて
わたしはその日ぶんの涙を流すことに決めている。

中学生のころと何も変わらない。
わたしはあのころのまま、
泣いてばかりの寂しい子どもだ。

寂しい、という感情が
いつから続いているのかはわからない。
だけど、もうずいぶんと長い間、
わたしは寂しい。
ハルに出会ってからもずっと。
いつだって泣きながら歩いてきた。
そしていつの間にか、
寂しい、を口にすることが
恥ずかしい年齢になっていた。

22歳。
わたしは今日、22歳の子どもになった。


このバスタブを花で埋めて
いっそ消えてしまえたらいいのに。


わたしはハルにもらった花束を
お風呂のなかで掲げて考える。

「…寂しい」

ハルがいても、誰がいても、
寂しい気持ちがずっと続くなら
はじめから出会わないほうがよかった。

終わりとはじまり。
ものごとにはきちんとそれとそれがある。
ハルとの毎日が終わるのはいつだろう。
わたしはそんなことを考えてかなしくなった。
やさしいハルも、いつかきっといなくなる。
そう考えてまた泣いた。

ガーベラの花を一本一本、
バスタブのお湯に浮かべていった。


22歳の誕生日、わたしが産み落とされた日。

ひさしぶりに腕を切った。
悪いこととは思わなかった。
ただ生きていることが、少しハルに申し訳なかった。

お湯が真っ赤に染まる。
わたしはハルに染まっている。
その上に散らばる絵の具のような花々。
ハルと会う日の上に散らばる寂しいという感情。


こんなことをしても
わたしはハルに勝てないのに。


次に会う日、腕に包帯を巻いていったら
きっとハルはすごく怒る。
わたしは怒ったハルの顔を思い描いて楽しくなった。
もっともっともっと構ってほしいと思った。
わたしだけを見ていてほしかった。
わたしだけが寂しいというのは
不公平なことだから。



来週ハルに会うときは、
どんな服を着ていこう。
ガーベラの花束をもらったのだから、
花柄のワンピースを着よう。


灰色の空を青く見せてくれたハル。
どんなに寂しくても
世界が美しくさえあれば
わたしは溺れたっていい。
そう思った。

溺れる花

溺れる花

好きになると、ゆがんでいく。純粋であればあるほど、恋は汚い。5年前の作品。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-01-13

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