青光列車

元ネタは、新美南吉が残した以下のメモです。
「僕は終電車のあとで青い火をともして真夜に走る幽霊電車のことを書こうと思っていた。それにある夜酒に酔った男が知らずに乗ってしまうのである。(昭16.12.12)」

よかったら感想などいただけると今後の参考になります。
それでは、どうぞ。

 死は、青い光を放つのだそうだ。
 先ほどまで駅前の呑み屋で盃を交わしていた親友ユウタはそう言った。タツロウは、お前、ずいぶんロマンチックなことを言うなあ。体が青く光るのかい?それじゃあまるで青海月だなと冷やかして、二人で笑った。しかしタツロウの前で、暗い海に漂う青海月が、いつまでも揺らめいていた。
 店を出てユウタと別れたタツロウは、終電車が通り過ぎた後の線路を、自宅に向かってひとり歩いていた。夜になって湿気を帯びた四月の風が、酒で火照った彼の肌を拭った。タツロウは黒いネクタイを緩めながら、月のない星空を見上げた。今日は陽子の四十九日を終え、その足でユウタと居酒屋ののれんをくぐったのだった。
 陽子とは結納を終えたばかりで、まだ一緒に暮らしてはいなかった。彼女は胸の病で亡くなった。発病してからあっという間だった。タツロウは覚悟なく死に別れてしまった。
 それから、彼は毎日酒を呷った。勤め先では何とか取り繕ったが、日が暮れてからは正気でいられなかった。彼女が最後に病室で見せた淋しげな顔が、彼の脳裏に焼きついて離れないのだ。
 タツロウは今もその顔を振り払おうとして線路につまずき、敷石に手をついた。するとズン、と突き上げるような強い振動が手に伝わり、汽笛が鳴り響いた。振り返ると、汽車が白いライトを向けて、まっしぐらに走ってくる。速い。特急列車だ!
 彼は瞬時に身を翻して線路脇に逃れた。列車は速度をゆるめることなく、すさまじい勢いで通り過ぎていった。酔ったタツロウには、それが白い炎の塊に見えた。ライトに目を焼かれたのかもしれなかった。
 タツロウは起き上がろうとして尻餅をついた。どうやら足をくじいたようだ。仕方なく座り込むと、またすぐ次の列車が来た。終電車はとうに過ぎたはずなのに、今日はどうしたことだろう、と彼は訝った。けれども幸い今度の列車はのんびり向かってくる。タツロウはその場で列車を見送ることにした。
 運転席の車掌が、彼の姿を見つけて何か怒鳴っている。まもなくブレーキの擦れる音がして、列車は速度を落とし始めた。タツロウは車窓に映る人々の顔が、走馬灯のようにゆっくりと巡っては消えゆくのを、ただぼんやりと眺めていた。
 彼はその中に、陽子の姿を見た。
 確かに陽子だった。彼女は白い襟のついた服を着て、伏し目がちに誰かに微笑んでいた。その優美な横顔に、タツロウの胸は高鳴り、深くざわついた。
 ほどなく列車は停止したが、タツロウはへたりこんだまま動けなかった。まもなく最終車両から車掌が出てきて、彼を担いで列車に乗せた。車掌は彼を座席に寝かせて、熱心に何か話しかけたが、タツロウはこの時だけ耳がつまって聞こえない。とにかく礼だけ言うと、車掌は諦めた様子で戻っていった。
 やがて列車は静かに動き出した。
 陽子を探そう。タツロウは立ち上がり、足を引きずりながら通路を歩きだした。
 車内は真夜中にも関わらず、ほとんどの席が埋まっていた。一人客はおらず、みなそれぞれが家族や連れ合いと向き合って座り、親密な様子で語らっていた。なかには子供連れもいたが、騒ぐ者はなく、車内には穏やかな空気が流れていた。タツロウは心が急くのを抑え、乗客の顔をひとりずつ確認して進んでいった。
 彼は陽子をみつけた。だが彼女の傍らには、見知らぬ二人の子供がいた。もしそうでなければ、タツロウは陽子と叫んでその場で抱きしめていただろう。彼は子供らの所在に戸惑った。赤く潤んだ目で陽子の顔を見つめたまま、しばし声もかけずに立ち尽くした。
 陽子はその様子をみて優しく彼に微笑みかけ、こう語り出した。
「よくぞ私たちを見つけて来て下さいました。足は大丈夫ですか?どうぞこちらにおかけになって。よかったわ、あなたが倒れているように見えたものですから、もうお話できないのではと案じておりました。私は一言、あなたにお礼が言いたかったのです。その節は本当にありがとうございました。私はあなたのおかげであの時期を生きて過ごせました。あなたがいなかったら、私の人生はどんなに侘しいものだったでしょう。それが今は、こうして二人の子供に恵まれました。この子たちが私の元に生まれついてくれて、私は本当にしあわせです。主人とは長いこと遠く離れて暮らしておりましたが、こうして彼の元に呼び寄せてくれました。これからは家族四人、水入らずで幸せに暮らせます。それもこれも、みんなあなたのおかげです。本当にありがとうございます。」
 タツロウは胸を詰まらせながら答えた。
「僕も、君のこのように幸せな姿を見られて本当に嬉しい。よかった。君の新たな幸せを、心から祝福するよ。この子たちは君によく似て、とても可愛らしい。でもどこか僕にも似ている気がする。そうか。この子らはあの時見た僕らの子供だね。ずいぶん大きくなったから、気がつかなかったよ。これからは、そう、これからは、四人で幸せに暮らそう。」
 タツロウは夢見る想いで陽子の手を取った。その瞬間、列車の灯りが消えた。タツロウが辺りを見回すと、星明かりが、真っ暗な誰もいない車内を薄く照らしていた。
 ふいに耳元でぼうっと小さな音がして、陽子がいた座席から青い炎があがった。その後、子供たちの座席からも、他の座席からも、次次に青い炎がたちのぼり、宙を舞った。
 車内はそうして無数の青い炎で満ちた。それはタツロウに、暗闇に漂う青海月を思い出させた。
 彼は深い海の底にいる。辺りは見渡す限りどこまでも闇だ。彼の身体は青く透け、今にも闇に溶けてしまいそうだ。陽子が足元で、彼の手を引いている。もっと深いところに行こう、と誘っている。
 タツロウはハッと我に返り、そら恐ろしくなった。目前に青い炎が迫って、彼の目を焼いた。彼は無我夢中で炎をかき分け、わななく足で懸命に通路を駆けた。そして車両のドアを目一杯押し開くと、そこから一気に飛び降りた。
 列車は青く燃えながら、星空の中を音もなく走り去っていった。水田に映った青い光が、タツロウの瞳の中で、いつまでも消えずに揺らめいていた。
 死は、たしかに青く光っていた。

青光列車

青光列車

ーーー死は、青い光を放つのだそうだ。 青にまみれた、銀河鉄道の夜。

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更新日
登録日
2014-01-12

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