たらればの神

勝ち組といわれる男が次に望むものは。

たらればの神

夢の中に不思議な老人が現れた。いかにも自分は全てを理解した解脱者のような風貌で、長い顎鬚をたくわえている。
「あなたは誰ですか?」
私は尋ねた。
「わしか、わしは、たらればの神じゃ」
たられば?とおり名にしても変な名前だ。でもきっとなにかの神様なのだろう。
「お前の望みを一つだけ叶えてあげよう。とはいっても私はたらればの神じゃ。叶えられるのは、もしも自分の何かが、他の物に変えられれば、という願いだけじゃ」
なにかややこしい気持ちもしたが、理由はともかく自分の前に現れてくれたことに感謝した。
「質問なのですが、換える物とは、人間でもいいのですか?」
私には、ある欲望が芽生えてきていた。
「もちろん、人間でもかまわんぞ」
たらればの神は、そう回答した。
「ではお願いが一つだけあります。私の奥さんは優しいし、愛しているのですが、なにぶん普通の女性なのです。私みたいに成功した男は、やはりモデルやアイドルを嫁にもらうのが相応しいでしょう。ぜひ奥さんをアイドルのKちゃんに変えてください!」
まったくばかげたお願いである。でも夢の中だから、まあいいかと思った。

朝目を覚ますと、ベットルームからわずかに臨めるキッチンでは、妻が朝食の支度をしていた。なぜか妻が一回り小さくなったように思えた。
しばらくすると、目覚めで少しぼやけた視界の向こうに、妻がこちらを振り返り、優しく微笑む姿を見てとれた。
目をこすりながら、私はその妻の顔を見ると、「あっ!」と声を出さずにはいられなかった。
そこにはあのアイドルのKちゃんが立っていたのである。
「おはよう。目が覚めましたか」
Kちゃんは少女マンガのような甘ったるい声で、私に話しかけてきた。
私は、慌てて布団を頭からかぶり、頭をフル回転させ、今おきていることを整理しようと努力した。
確かにあこがれのアイドルのKちゃんが、目の前にいる。そして、私は間違いなく私である。
そうだ、昨晩夢の中にたらればの神が現れ、妻をアイドルのKちゃんに換えてくれるように頼んだのだ。
本当に私の願いが叶えられ、妻がアイドルのKちゃんに換わったのだ。
私は、少しだけ妻に悪いと思いながらも、この現実を喜んだ。
ついに、最高の成功をつかんのだと。

私は、大学を卒業するとシステム開発会社に就職した。企業から、業務システム開発を受託する事業部と、汎用のパッケージソフトを開発する事業部に分かれていた。
私は、汎用システムを開発する部署で、プログラマーとして社会人生活をスタートさせた。
IT業界の成長に合わせて、会社も成長を続けており、社員も順調に増えていった。
この業界は、ある程度の期間社員として働いた後に、ノウハウを持つと、独立する人材が多い。私も5年ほど働いた時点で、会社の同僚を誘うかたちで独立し、小さなシステム開発会社を設立し、代表取締役に就任した。
最初は、大手システム開発会社の下請け業務がメインであったが、数年後に新しく参入した独自のゲームソフト開発が大成功をおさめ、今では社員数も100名を超え、上場を目指せるまでの会社になった。
私は、IT企業の社長として、誰からも羨ましがられ、「勝ち組」と言われる存在になっていた。
無論年収も、同年代に比べれば、倍近い額をもらっている。それに加え、上場を果たした際の、保有株の時価総額は数十億円になると予想されている。
そんな成功を収めた私も、一点だけ普通のところがある。それは、奥さんが普通の女性なのである。

妻とは高校時代から付き合っている。人生で初めて付き合った女性とそのまま結婚したパターンであった。
若すぎると、双方の両親をはじめ、周りからは反対されたが、私が社会人になった年に妻とは結婚している。その辺りは一途な性格だったのかもしれない。
仕事で成功してくると、急に女性にもてるようになる。お金が目当てだろうとは思いながらも、まんざら悪い気持ちはしない。
子供がいいないことをいいことに、最近の私は、近づく女性達を誘っては飲みに行く機会が増えた。今まで妻としか付き合ったことのない私は、遅咲きの恋愛ゲームを楽しんでいた。
芸能人の知り合いが増えた私は、「もし独身だったらあのアイドルを狙うのに」そのようなことも、たびたび考えるようになっていた。
芸能人が有名になると、下積み時代をさせてくれた彼女を捨てて、ドラマで共演した女優と結婚する。
このような話を良く聞くが、そのような気持ちになっていたのかもしれない。
妻は、付き合い始めた高校時代から何一つ変わることなく、普通の女性のままで、私のそばにいた。

私は洗面所で顔を洗い、妻以外の他の環境がなんら今までと変わっていないことを確認しながら、身支度を整えた。
でも、確かに姿形はアイドルのKちゃんに妻は換わっているようだが、この女性は、アイドルではなく、少し可愛い普通の女性のKちゃんなのではないだろうか?
そんなことを考えていた。せっかく見た眼が換わっても、アイドルでなければ意味がないのだ。
ダイニングに入ると、Kちゃんが声をかけてきた。
「もうすぐマネージャーさんが迎えに来るの。でも今日は、バラエティー番組の収録が一本だけだから、早く家に帰ってきますね」
・・・やった。本物のアイドルだ。Kちゃんはやはり現役のアイドルだったのである。
私はふつふつとこみあげてくる欲望を抑えられなくなった。
そのまま、Kちゃんの腕をつかむと、強引に寝室まで連れて行き、ベッドに押し倒した。
「信也さん、やめて、マネージャーさんがもうじき来てしまいます」
そんな言葉が聞こえたが、まんざらではないようだ。マネージャーなど待たしておけばいい。

それから毎日楽しい日々が続いた。仕事は順調であったし、なんといっても家に帰れば、可愛いKちゃんが自分を迎えてくれる。
私は、アイドルを妻に持つ若手実業家として、雑誌にもよく取り上げられた。
顔は十人並みで、不細工でもなければ、特段美男子というわけでもなかったが、もうここまでくれば、そんなことは関係ないようであった。
今日発売の週刊誌にも、私が自宅である高層マンションからスポーツカーに乗って会社にむかう姿が掲載されていると、友人からメールが届いている。
公私ともに、自分も有名人になったようだ。周りからの羨望の眼差しが、痛いほど胸に突き刺さる。
そんな生活にも慣れてきた、そんな晩である。またあのたらればの神が枕元に現れた。
今回は夢の中というよりも、現実の肉体をもった人間のように、私のベッドの横に立っていた。
そして、たらればの神は私に難題を投げかけてきた。
「今回は、君にお願いがあってやってきた。
実は昨晩、君と同じように望みを叶えてあげようと思っていた男性に、換えたいと思う物を聞いたら、なんと君と自分を換えてほしいというのだ。
君は今では、すっかり有名になっているようだ。仕事も成功し、私の力によってだが、奥さんも可愛いアイドルなのだからね。普通の生活をする男性が君と換わりたいと言っても、おかしくないだろう。
でもそうはいっても、君も私のお客様であることには変わりがない。
そこで、1月だけ君とその男性を取り換えることにしたのだが、協力してくれるね」
突然に、なんとも無理なお願いをしてくることか。
「その男性はどんな人なのですか?そのようなことをおこなって、なにか不都合はないのですか?」
私は、不安を隠さずに質問をした。
「心配はいらないぞ、君の意識は残しておくから。それからその男性は、君と同じ年齢だ。仕事は地方公務員で、妻と子供二人の平均的な家庭を築いている」
選択の余地はないのだろう。今の生活もたらればの神のおかげなのだから。
私は、必ずひと月後には、元に戻してくれることを念押し、しぶしぶ承諾した。

目を覚ますと、ベッドではなく、布団で寝ていた。
6畳ほどの和室を出ると、リビングでは幼稚園位の男の子が二人でTVを見ていた。
二人とも同じ顔をしている。そうか、双子の父親なのだな。
そこへ、妻が入ってきた。決して美人とはいえない、普通の女性である。
私も、すぐに鏡を覗きこみ、自分の顔を見てみる。やはり決して二枚目とは言えない、地味な顔立ちであった。
本当に自分とは違い、平凡で質素な生活をしているのだな。住まいは一軒家ではあったが、窓の外に見える数件も同じような作りをした、典型的な立て売り住宅のようだ。
きっと、ここにいる奥さんも、旦那が私のような生活をしたいと望んでいたとは、夢にも思っていなのだろう。
たらればの神が言っていたとおり、私の意識は残っている。その意識だけが、別の肉体を支配している、そんな不思議な感覚である。
不思議なことに、きちんとこの男性に刻まれている知識はそのままの状態であるため、通常の生活や仕事も問題なくこなされていった。
私の意識が知るはずもない、会社へも無事に行くことができ、支障なく仕事もできた。
せっかくなので、三日目にその男の奥さんを抱いてみた。久しぶりだったらしく、驚いていたのが面白かった。ちなみに痛みや快感は同じように感じていた。
今頃は、あいつもKちゃんと楽しんでいるだろう。たったひと月の我慢だ、やきもちをやかずに、辛抱しなくては、自分に言い聞かせた。
土日は、双子を連れて、近所の公園まで行き、遊んだ。本当の生活では、ありえないことに戸惑いを感じながらも、少しの期間ならこんな生活を経験することも、人生の勉強としては、良いことかなと思ったりもしていた。
しかし、半月もすぎると、すでにこの単調な生活に飽きてきたしまった。
ただただ、あと後半月の辛抱と、自分に言い聞かせていた。
明日も6:30には起床して、7:30には満員電車に乗っているのか。そんなことを思いながら、規則正しく11:00に寝床についた、その時である。
急に胸に激痛を感じた。手足も痺れて、動きが取れない。私は、うめき声をあげると、気を失った。

気づくと、病院のベッドの上のようであった。
妻がベッドの横で、心配そうな顔をしている。といってもあの男の妻のことであるが。
私の意識は、冷静に今の状況を確認してみた。この男も意識はあるようだが、肉体の機能が停止しているようだ。体中に管が通り、心電図も取り付けられている。
そこへ、医師が入ってきて、その男の妻に告げた。
「一命は取り留めましたが、持病の心臓病が悪化しています。今晩がやまです」
その男の妻は、その話を聞いて泣き崩れた。
「ちょっとまて、これはどういうことだ。この男は死んでしまうのか。
この男が死んでしまったら、自分の意識はどこに行くのだ?
さらに、今自分と入れ替わっている、この男の意識はどうなるのだ?」
まったく予測不可能だった。本当の自分に戻れるのなら、良いのだが。
刻一刻と男の心臓の鼓動は弱くなっていく。それに伴うように、私の意識も薄れてきた。
嫌な予感だ。このままこの男の死と一緒に自分の意識も消滅してしまいそうだ。
私は叫んだ。
「たらればの神、どうなっているのだ。今すぐ現れて、元の肉体に戻してくれ!」
たらればの神は現れなかった。もう一度叫ぶ。
「たらればの神、助けてくれ!」
ますます意識は朦朧としてきた。
その時、かすかに遠くからたらればの神の声が聞こえてきた。
「手違いがあったようじゃ。君と換わった男は、君の生活を存分に楽しんでおるぞ。
しかし、この男が病だったとはな。本当に君にはすまない・・・」

私の意識も、この男の肉体と供に消滅したようである。

たらればの神

完璧は難しい。でも普通の妻ってどんなのだろう。

たらればの神

IT企業を立ち上げ、勝ち組と言われる男性。その夢に突然あらわれた「たらればの神」。その神様に望むのは普通の妻をアイドルに換えてほしいこことだった。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-10-18

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