practice(36)
三十六
もうひとまわりと広げた前掛けには浅く浅くを教えてから石に鳴るサンダルには揃っていてねのカコン,それからタタンを裸足と踏んでチクチクはやっぱり冷んやりとした。道の端,これをまた真ん中に向かっても一昨日から続く晴れ渡りは変わらない,だからまだなのだと思って,習った通りにその場で少し跳ねた。着く,それから暫く動かないで覚えたばかりのマジックをタネを隠して思い出してみる。こうして,ああして,それからこうして,ああまたここで,というところまで上手くいった。残りの手順は少ない,見てもらう前に私たちの一方にでも見て貰えれば良いから思うボールを描いて,動かしてから鼻に乗せた。首をふりふり,そのまま上を向いても下を向いても落っこちない,また手にするには勿体無く,今日は一日中そのままにしようと決めた。これも密かに,も言わないでおいた。
もたつくのは器用さがまだ硬いからだと言われるのは双子揃ってのこと,抜け駆けを密かに狙っているのも双子揃ってのことだろう。リトライを今日する回数まで同じになりそうなのはそれぞれの負けず嫌いに由来するのだから,先生の部屋の前で会う時に合わす一眼は雄弁な双子の報告,自慢と悔しさも混ぜ合わせる。その差は,しかし嫌じゃない,向こうはどう思っているのかは分からないけれど,この点に関しては『私たち』で無くていいと思える。辿り着くべきは観客が前にする舞台であって,それは隣り合う必要がないと団長が帽子を手入れしながら言っていた。別々でもいい,というより一座としてはどっちでもいいのだろう,先生を始め実力者が揃っているのだから演目はどうとでも組める,『双子』を必ず売りにする必要はサーカス団にはない。競い合わせる要素,ライオンに背中から凭れる団員が言うぐらいだから,それが『私たち』に対する今のところの概ねの共通理解だろう。
けれど,先生である彼女は違うかもしれない。
嫌がっても連れ回すし,騙してまでこき使う,特に面倒なことに関してそうするのだから二倍に便利なもんだと彼女が『私たち』をそう思っているのは間違いない,けれど後進を育てるということ以上に私たちのことを思って接してくれているのもまた本当だと思う。
育ての親,でも拾っていない。彼女は私たちを見つけたといつも言う。
先生の朝は遅い。自分で起きたことがない(という点については団員の一人もライオンに凭れながら,きっと横から賛同してくれるはず。),今では私たちのどちらか一方がこうして早起きして朝の準備をしてから起こす,髪の手入れも私たちにお任せにするし,その日の服と靴の組み合わせに関しても丸投げにする(この点に関しては私たちも興味あり,なので喜んでしてるけれど),今日の予定を聞かせてといつも私たちに聞く。間違えたら私たちのせいにもする。忘れ物もする。背が高いから住む部屋のドア枠上部に頭上付近のどこかをぶつける,なのに転けない。足元は確かにしっかりしている(ずっと続く下り坂が,急になっても大玉に乗れると言って街中で本当に乗って見せて,見物料やら何やらを貰っていた。)。手は長い,手先も器用でナイフ投げに外れもない。だから能力の配分はこうして偏っていくらしい,ということも私たちは先生から学んだ。先生が気紛れに何かを買って来るのもしょっちゅうで,部屋の中にはそれぞれの楽器を咥えた犬が楽隊を組める日を今か今かと待っている。仙人掌はもう要らないと言っているのに聞きもしない,私たちがそれぞれが団員や食材調達に向かう先で配っている。それに乗じてまた買って来るから,私たちがその先を悩んでいる。先生である彼女はそれを笑って楽しんでいる。珍しく装飾品を買って来くれば私たちの部屋に丸投げにして,あとは知らないふり。くたびれた道具を使ったことがない私たちには,ご苦労様を一日の終わりに一回は言う。特に難しい,と私たちが感じたことについて。大袈裟に,手を広げて。
「あんたたちにだったら,舞台の上で,刺されても良いよ。」
なんて笑って言うから,先生は,きっとそうなのだ。
先代,つまり先生の先生に会いに行くのに付き合わされた時,私たちは先代が開いたマナー教室の生徒の前で余興をさせられた。失敗はなく,無事に即席の舞台を降りた後で私たちは先生とテーブに着いてから,先代の手によるフルコースを味わった。トマト嫌いな先生のお皿から二人で平等にそれを私たちのお皿に分け合ってから,ひと段落した先代もそこに加わって昔の話も聞けた。私の運命は,この人に決められたという先生である彼女に同じく先代は運命を決められたという。メインディッシュの美味しい肉料理を頬張りながら,そんな運命の押し付け合いを目の前で繰り広げられて,私たちは羨ましかった。確認したわけで無いけれど,二人してきっとそうだった。
手作りのアップルパイに,先代のところから彼女が借りたという名目で貰って来たマグカップを(先代のあの人はきっと気付いていると,彼女も思っているようで),深夜の帰り道にまた持たせれながら,先生である彼女は月を目指して歩こうとワインに出来上がりながら言っていた。それを阻止しながら,私たちが思い出したのは彼女が借りて来た本の中にあった一項目,『月の出処』というタイトルであった。
『鍛冶屋がそこで言う,当たり前にあるものに投げかけるのは再構築の一歩だと。』
『そこで返す,ではあの月の出処は?』
そうして他方の猫は旅をしながらそれを探す,というものだったけれど,いつも思うのはその猫が幼くなっていく,という部分だった。終いには消えたような記憶している。それから人の子が産まれたはず。それで話は終わっていた。
読み聞かせてもらって,自分でも読んで,だからだとは思いたくない,自分でも,自分たちでもそうでないと思うのに先生である彼女も含めて私たちは,そうでなかった。そうだったのだ。
練習用の,林檎を盗んで食べたこともある私たちなのに。
跳ねて,また着く。
春先の始まりは地中から起こる,それが先人たちから聞き伝わっていることでもあるから,という暖かさはきっとある。それを心から知る,とはとても言えない,先生は今日もまだ起きて来ない。私たちのうち,こうして早起きしている私が今から起こしにいかなければいけない。食事の準備も今からだ,身なりの整えも,これからだ。
けれどもう一度思い返して,またここで,というところまで上手くいって,足の指から握り直す。先生である彼女の目線の高さまで,私が,私たちが揃っていくのか分からないけれど,そこまで大きくなれたなら,それから小さくなってでもまた成ればいいのだから,一方の猫として,出処を伝えることが夢だから。
名前を呼ばれる,思わず鼻から見上げれば,ひかり輝く青に白と私と変わらない顔が窓から手を振ってる。まだ寝てていいのに,という質問には目が覚めたからと朝によくとおる声が返事と返ってきた。じゃあ,お願い,と簡潔に言っても通じ合う,分かったとする返事は頷きになって窓の向こうに見えなくなって,消えていった。きっと部屋のドアが開いて,階段は下りられて,水が汲まれて,それから,それから。向けて。
裸足からサンダルへ,タタン,カコンと。
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