黄金色の愛

夫婦の愛とは?そのあり方を問います。

黄金色の愛

裏山にある獣道のような坂道を登りつめると、眼前に広がる街並みの向こうに小さな入り江が見える。江戸時代からあるというその小さな漁港には、夏の晴れた日、朝6時頃に朝日が差し込み、水面に反射したその光は四方を黄金色に輝かす。
私はその風景が大好きで、夏の晴れた日には必ずこの坂道を登っている。朝食前の散歩には丁度良い距離で、60歳を過ぎ、体が衰え始めてきた私には唯一の運動である。
私がこの地に引っ越してきたのは、長年務めた家電メーカーの早期退職制度を利用し、皆よりも少し早くリタイヤした3年前の初夏のことである。
一人娘のサチは23歳のときに大学時代から交際のあった男性のもとへ嫁ぎ、いまではしっかり者の母親として家庭を守っている。嫁ぎ先が遠方ということもあり、会うのは年に2回程度、まさに盆暮れという感じだ。孫は可愛いと思うが、世間一般で良く聞くような、孫を溺愛するタイプではない。
仕事一筋だった私は、これといった趣味もなく、年に1度行く家族旅行が唯一の家族とのコミュニケーションの場であった。そんな私がこの地に移り住むことにしたのは、妻との時間を大切にしたいと思ったからである。妻は私と同じ年齢で、同じ会社に勤めていた。27歳の年に結婚したわけだから、もうかれこれ30年以上も同じ時を過ごしてきたことになる。このような言葉があるのかは知らないが、妻孝行などした覚えがなかった。
ただ海が好きな妻のことを想い、この半島の先に飛び出た小さな町を終の棲家に選んだのである。二人とも東京の下町出身なので、この地には縁もゆかりもないはずなのだが、
初めてここを訪れたとき、なぜか懐かしい気持ちになった。きっと妻の26歳の誕生日に二人きりで泊まった旅館、そこの窓からみた街並みが、ここに似ていたからかもしれない。

年をとったせいか最近自分の人生を振り返る機会が多くなった。特に思い出すのは、妻と出会って交際を始めた頃の出来事である。妻はキャリアウーマンとして働く男性からも一目おかれる女性であった。行動力があり、自分の意見をしっかりと主張できたため、気の弱い男性を手玉に取っている場面を何度も見た記憶がある。
かくいう自分もその気の弱い男性の一人で、役職は同じながらも、たびたび命令されていた。私は彼女に対して憧れや羨望の気持ちはあったものの、恋愛の感情はなかった。当然彼女の方も、自分より弱い男性に興味を持っているはずはないと思っていた。
そんな二人が急接近したのは、社員旅行で行った避暑地でのことであった。妻と同僚数名で近くの飲み屋に行き、ちょうど妻がステージに立って流行りの曲を歌っているときである。同僚の一人が突然私にむかい「お前は彼女のことが好きなのだろう。彼女を見つめる目つきはただものではないぞ、隠しても俺にはわかる」そのような言葉を浴びせてきた。
その言葉に同調するように、他の同僚からも「俺もあやしいと思っていた」だの「やはりそうか」などの言葉が飛び交った。
極めつけはこの一言である。
「この前、彼女と仲の良い山本が言っていたけど、彼女もお前のことまんざらじゃないみたいだぞ」
自分の耳を疑った。どうしてこのような展開になるのだ。
そして私は、自分の心に自問自答してみた。
「私は、彼女のことを好きなのか?」
「私がいつも好きになる女性は年上ばかりだっただろう、同じ年は対象外のはずだ!」

閉店が近づくと、彼女はすでに酔いつぶれ、分厚い歌詞本を枕にソファーに寝そべっていた。私はその彼女の姿をチラチラと見ながら、スカートのすその乱れを気にしていた記憶がある。
同僚たちに囃したてられるかたちで、私はすでに一人では歩くことのできなくなった彼女をホテルの部屋まで連れて帰ることになった。本当に下心があれば、こんなチャンスはめったにない。でもまったくそのような気持ちはおこらなかった。やはりこの時点では彼女に対し、恋愛感情はなかったようだ。
部屋のカギを開け、中に入ると部屋は思ったより整然としていて、荷物もきちんとまとめられていた。「結構女性らしく、几帳面な部分もあるのだな」そんな独り言をつぶやき、彼女をベッドに横たわらせた。
安心した私は洗面台にいき、勢いよく水を出すと、水を一杯飲みほし、乱暴に顔を洗った。
そして自分の部屋に戻ろうと、改めて彼女の姿を見たときである。彼女の突き刺すような視線を感じたのは。
彼女はしっかりと両目を開け私を見つめていた。
「あなたの気持はわかっているの。私もあなたのことが好き、きちんと気持を伝えてほしい」
そのような言葉がアルコールと香水の匂いが混じりあう部屋に、静かに、しかし強い意志を持って響き渡った。
その後の私の行動は記憶がない。都合良く私の脳は記憶を抹消してくれたようだ。
気がつくと、彼女のベッドで朝を迎えていた。

私は妻と一緒に過ごした時間を逆戻り、本当に妻を愛していたのか振り返ってみることがある。
妻を嫌だと思ったことはない。いつも私を支えてくれて、家庭をしっかりと守ってくれた。娘も妻の愛情をいっぱい受けて、近所でも評判の優しく親思いの女性に育った。
いつも妻には感謝の気持ちでいっぱいだった。でもその気持ちがイコール愛情だったのであろうか。周りから言われ、私は妻を愛しているような気持ちになっていたのではないのか。
この年になり今更男女の愛情を云々いうことは気恥ずかしいが、この土地に引越し、港に差し込む黄金色の光を見ていると、改めて人を愛する気持ちの意味を考えてしまう。
確かに、今も妻を愛している。矛盾しているようであるが、私の今の妻に対する愛情は家族を愛するという気持ちである。娘が生まれたころからであろう、明らかに私の気持ちは男女のそれではなく、家族愛になっていた。

裏山に続く小さな手作りの木戸を通り、柿の木の生える庭をぬけて、家に戻った。
あの木戸は作ってまだ数年なのに、締り具合が悪いな。やはり日曜大工では長持ちしないか。そのようなことを考えながら食堂にある引き戸のサッシを開けた。
「おや、妻がいない。いつもこの時間は、あたたかいお味噌汁を作っているはずだが」
私は、昨日から妻が体調を崩していたことを思い出し、寝室へと向かった。
あんなに、快活だった妻もここ数年はすっかりおとなしくなってしまった。最近は外出する姿も見かけなくなった。屈託のない笑顔は相変わらず、私に安らぎを与えてくれているのだが。
妻のことが心配になり、明日にでも病院に連れて行こうと誓った。

TVのドラマをきちんと見た記憶がない。物理的に毎週きまった時間に見ることが不可能だったからであるが、あの現実にはあり得ない、男女のドロドロした恋愛話しが嫌いだったからかもしれない。それが、最近やることが無くなったせいか、そのようなドラマを見ていることが多くなった。そこに出てくる主人公と自分を重ね合わせ、楽しんでいることすらある。妻は昔からこのようなドラマが好きで、私に見ることを求めてきた。
私と妻の恋愛をドラマにしたらどうだろうか。きっと単調すぎて視聴者がすぐ飽きてしまいそうだ。でもそんな夫婦がほとんどだろう。
妻への愛情をもう一度考えてみよう。そんな気持ちになった。

それは友情に近いものだったのかもしれない。
退職間近に同僚たちと会社近くの居酒屋に飲みにいった際、その中でも特に親交の深かった北山が言っていた。
「お前は、酒がまわると、いつも奥さんの自慢話をしていたな。お前たちは夫婦というか友達みたいだな」
無論、羨ましいとの感情であるが、不思議なもので、自分には妻の自慢を他人に話した記憶がほとんどない。
近頃は、毎日このような妻への愛情が堂々巡りし、頭の中でらせんを描くように回っている。
結局は、無事にこの年まで生きてきたことを妻のおかげと感謝し、愛情の質は問わないことにしようと思うことで、終了をむかえるのである。

今日は妻を誘って裏山を登った。朝から夏の終わるのを恐れる蝉達が一斉にそのありったけの声で鳴いていた。夏日を予感させる日差しであった。
妻は静かに私の後ろをついてくる。私はたびたび振り返っては、妻が転ばないかと気をつかっていた。
山と言っても丘のようなものだが、坂道を登るのが辛いらしく、妻もときどき「はーはー」と息を漏らす。その声が蝉の鳴き声に混ざるその音色が、なんとも私の心を弾ませるのである。
やっと、港が見下ろせる場所までやってきた。二人は横に並ぶと、その美しい風景を心ゆくまで堪能した。今日もいつもと変わらない黄金色の光が小さな町を、まるで地中海を描いた油絵のように輝かせていた。
「ほらあれを見てごらん。珍しくヨットが入港しているね」
私は、妻に語りかける。妻はいつもと変わらない優しい笑顔で小さく頷く。
このような状況で言葉はいらないと気がついた。二人はその後会話することなく、ただ美しい輝きを見つめていた。
ふと春風のような優しい風が、二人のほほを通り抜けていった。
私はその時、愛情とはそのようなものかもしれない。そのように感じた。

「サチさん、朝早くからご苦労様です」
後ろから白衣を着た、顔なじみのヘルパーさんが声をかけてきた。
「父はどこにいますか?」
そのヘルパーさんに父の居所を聞いたサチは、庭を通り抜け、小さな木戸を開け、裏山の小道を登っていった。
「お父様は本当に奥様を愛していたのですね。いつも奥様の話をされていますよ」
ヘルパーさんはそのように言っていた。サチはそのような話を聞くと、本当なのだろうかと思ってしまう。一人娘である彼女は、両親の間にある微妙な愛情の不調和を感じ取っていた。
4年前に母が心臓病で突然亡くなってからというもの、父の痴呆が急速に進み、3年前にこの介護施設にやっかいになるようになった。海が好きだった父が喜ぶと考え、海に近い、この施設を選んだのである。
まだ50代後半で定年退職まで数年残っていた父も、母の死を機に進行した病気を苦に早期退職してしまった。
その際も、親戚の伯父さんや、会社の方々からも、父の母に対する愛情の深さを感じるような逸話をいくつも聞いた。父の痴呆は母の死からくるショックが原因であると断定していた。
また医者からも若年性の痴呆は進行が早いとのことで、回復の望みは断ち切られた。
サチ自身もこの年になるまで独身でいる。それも両親の夫婦としての愛情に不調和を感じ、恋愛に対して臆病になっていたからなのかもしれない。

腰のあたりまで伸びた雑草を、かき分けながら、サチは丘の頂上まで登ってきた。
視線の先には父が一人たたずみ、遠くの海を見つめていた。
黄金色に輝く太陽の光はすでに力をおび、父の体を突き抜けるように照らしていた。
そのときである、父の左手がかすかに横に動き、優しくその手のひらを閉じた。
黄金色の光を全身に浴び、あたかも新しい生命が生まれ出るような神々しさを放つ目の前の輝きの中に、サチにははっきりと見えていた。
父の横には母が同じように優しくたたずみ、遠くの海を見つめていたのである。
そして、二人の手はしっかりと握り合っていたのである。
その黄金色の光は、いつのまにか絹で作った織物のように二人を優しく包み込んでいた。
サチは二人の後ろ姿を、しばらく、そして声もなく見つめていた。

サチは二人の愛情がどのようなものであったのかが、わかったような気がした。
すると不思議な勇気が心の底から湧き上がり、自然と涙があふれ出てきた。
そして彼女は、二人に気付かれないように、静かに今来た道を戻っていった。

黄金色の愛

人生の最後は、夫婦の絆がその人生の素晴らしさを引き立てます。最後の瞬間も側にいて、相手を思っていたい。

黄金色の愛

終の棲家として、定年後の夫婦は海の見える小さな街に引っ越してきた。 人生を振り返るテーマはいつも妻への愛情の深さであった。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-10-18

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