梶浦の死
「会えなくなる」ということと「死ぬ」ということは、同じ意味だと思っていた。
だから三か月前、梶浦が死んだというニュースにショックを受けた自分に、少なからず私は動揺した。
白髪が混じり始めた男性のアナウンサーは、どことも知れない異国の地で梶浦が事故に巻き込まれて死亡したと告げた。
梶浦のことはカメラマンと紹介していた。
「嘘でしょ。」
私の呟きが、彼に聞こえるわけもない。
梶浦 渉。ハタチから二十二までの二年間を、私は彼のそばで過ごした。
彼は大学の同期だったけれど、高校を卒業して三年ほど放浪していたのでその分私よりも年上だった。
放浪というのは文字通り放浪で、彼はバックパック一つで世界中を渡り歩いていた。私は彼の思い出語りを聞くのがとても好きだった。
ただ耳を傾けていれば、行ったこともないシチリアの風の匂いを嗅げそうだったし、目を閉じればあったこともない砂漠の少年の白い歯が見えるようだった。
思い出の引き出しを開ける時、彼の目は湖で魚が跳ねた瞬間の水しぶきのように煌めいていた。
出会ったころは、彼のその目がただただ好きだった。
好きになれば好きになるほど、彼と同じものが見たいと願うようになった。
そして次第に、それは出来ないのだと悟った。
すると今度は、彼に、私と同じものを見てほしいと願うようになった。
そしてそれは、その逆より遥に難しいのだと思い知った。
大学四年の春。
私の就職が決まった日の夜、彼は私を呼び出した。
町はずれのイタリアンレストランで、私たちは高いワインを開けた。
それが最後の夜になるだろうという予感はあった。
あの頃の日本は小学生までもが「最近はフキョーだからさ。」なんて大人の真似事をする始末で、就職活動は、私たちのような十把一絡げの学生たちの心に重くのしかかる大問題だった。
日に日にやつれていく私を放り出すには、彼は優しすぎた。そのことを、私も彼もよく知っていた。
あの日、食事の終わりに梶浦交わした会話は、十年たった今でも正確に覚えている。
「俺、行くわ。」
「それってさ。」
「うん。」
「別れようって、こと?」
「うん。でも、少し違う。」
「分数の『分』の方。漢字で書いたら。」
なるほどな、と思った。私たちが立っていたまさにそこは、分岐点だったのだ。梶浦は右へ、私は左へ。梶浦は西へ、私は東へ。
「会えなくなるってことと死ぬってことは、一緒だと思うんだよね。」
私は言った。
「だから明日から私、渉のことは死んだもんだって思うことにする。で、もし次に会えた時は『生き返った』ってゾンビ渉の誕生をお祝いする。」
私らしい、と梶浦は笑った。
梶浦の死から三か月。
私が勤めるデパートで梶浦の写真展を開催することになったのは、何かの因果だろうか。
公開を明日に控え、すべての展示を終えた会場を一人で歩いてみる。
銃を背負ったまま、屈託ない笑顔を向ける少年。
膨らんだ腹に掌を当てて微笑む妊婦。
幼い子を肩に担いだ老人。
左足が義足と思われる少女の、はにかんだ笑窪。
梶浦が見たもの。
私は、一枚の写真の前で足を止めた。
梶浦の遺品のカメラとSDカードには数千枚の写真のデータが残っており、そのほとんどが人物にフォーカスしたものだったという。
例外はただ一枚。それが、今私の目の前にある写真。
梶浦のカメラの、一番最新のデータ。つまり、梶浦が死ぬ直前に最後に撮った写真だ。
真っ青な、空。
「俺はさ、世界中と繋がってられたほうが安心する。
ニューヨークにはホームレス仲間のジョーイがいて、タイには像乗りのナッターがいて、日本にはデパガの美和ちゃんがいて。
俺は、お前が日本の空の下で泣いたり笑ったりしてると思うと、なんか幸せな気分になるんだよ。」
その空の下に、梶浦は誰の姿を見ていたのだろう。
もしあのニュースを聞かなければ、十年前のあの日から梶浦は私の中で死んだままだったはずだ。
今までも、これからも。ニュースを聞いた瞬間、梶浦は生き返ったわけじゃない。
いや、むしろ本当に死んだのだ。
なのに、不思議なものだ。
梶浦の死を知る前より、私の中で梶浦の思い出が鮮明になっていく。
梶浦の存在が、或いは不在が、確かなものとなっていく。
十年も前に円満に分かれて送り出した男の死に涙できるほど、私はお綺麗にはできていない。
だけど。
だけど今はもう少し、梶浦が最後に見た空に思いをはせていたい。
終
梶浦の死