高校見聞録
高校見聞録 辻 泉水
1
朝の8時少し前、快晴、今日も暑くなりそうだ。たけしは少し離れて母親の後からついていく。タルい。この頃は9時前に高校に行くことなんかない。 なんで母親っていうのは、学校へいくのにオシャレしていくんだ。
今日は口紅をきちっと引いてメイクもばっちり決めてやがる。パートへ行くときはほとんどスッピンでジーパンで行くくせに、今日はヒラヒラのフレアースカートときた。母ちゃんも独り身だから、センコーに色目でも使うのかな。
「たけし、早く歩きなさいよ。遅刻するでしょ」
「わかったよ。るせえなあー」
高校の正門が見えてくる。そこへたけしと同じクラスの滝本浩市が自転車に乗ってやってくる。
「おや、糸井君、君も朝(あさ)レン(部活の早朝練習)ですか」
たけしは苦笑いしながら、
「部活に入ってないの知ってんだろ、なめやがって。俺が捕まったのみんな知っているんか」
「きのうの放課後、隣の小学校の校庭の柵の外でタバコすってるの小学生に通報されてつかまったことですか?ほとんどの奴は知っていると思いますよ」
「チッ、むかつくんだよなあー。もういいよ、向こう行けよ」
たけしは滝本にはかまわず母親の後を追おうとする。
滝本が自転車から身を乗り出して声を潜めてささやく、
「おい、お前の面白い話はどうでもいいんだけどさ、クラスの佐藤が隣のクラスの秋山にパー券さばけって言われているの知ってるか」
「え、佐藤が?知らねえよ」
「たけし、校長先生が待っているんだから、遅刻すると謹慎が長くなるよ」
「わかってるよ、もう3回目なんだから。母ちゃんも応接室の場所はわかってるだろ、先に行っててよ」
「まったく、何回親不孝したら気が済むんだろ。父ちゃんがいたらなんていうだろうねー」
溜息をつきながら母親は一人で正門に入っていく。
2
校長室の隣の応接室に長テーブルを挟んで糸井親子と担任の石倉が、そして反対側には生徒指導部長の泉谷と教頭と校長が座っている。部屋の壁には歴代のPTA会長の写真が掛けてある。長テーブルとイス以外には何もない部屋。泉谷がたけしに立つよう命じる。泉谷は体育の教師でハンドボール部の顧問をしている。スポーツ刈りで顔は日に焼け体はがっしりしていて、面と向かうと威圧感がある。泉谷はたけしの罪状を読み上げる。
「このとおりでまちがいないか」
「まちがいありません」
まさか、これで退学っていうことはないよなあー。
今度は校長の番である。校長はガリガリにやせ細って背は高い。
なんとなく神社の神主を思わせる雰囲気がある。
「君は喫煙で捕まるのは2回目だろ、そして前回は教員にも暴言をはいている。まだ高校に入学してから四ヶ月目なのに多すぎるだろう。いったい今どう思っているのかね」
しつこい野郎だ、この校長は。
入学式終わってもおれだけ校長室に呼び出して
ネチネチ中学校の時の事とか、
少年院に入ったこととか聞き出しやがって
そんなに心配だったら入学させなきゃいいのに。
「中学の頃は一日一箱吸っていました。タバコは体に悪いからやめようと思って止めましたが、時々どうしても吸いたくなることがあるんで。今度は絶対やめます」
ヤメラレネーヨ、ゼッテーニ。
大人だって禁煙するのに四苦八苦している
いいよなあー、センコーはただ言うだけだから
「君は入学試験の成績は学年で3番目で入ってきた。それがまだこんなことを続けて生活態度が治っていない。
今回できちんとした生活に戻れなければもう学校にはいられないと思いなさい。
次はないんだぞ、わかってるな!
お母さん、担任から聞きましたが、遅刻欠席も増えています。
高校では出席時数が一教科でも足りないと留年ということになります。
どうか家でも十分なご指導をお願いします。
では、糸井たけし、今日から2週間の謹慎を命じます」
泉谷が、
「一同起立!」「礼!」「着席」
校長が部屋から出て行く。
続いて小柄で波平(なみへい)頭の教頭が
「お父さんがいないという事でお母さんもご苦労が多いと思います。
糸井君もそういう事はわかるでしょう。きちんと高校を卒業してお母さんを楽にさせないとだめだよ」
と話して泉谷といっしょに部屋を出る。
たけしと母親と石倉が部屋に残る。
「また二週間かよ!あれっ、ということは、謹慎があけるのは夏休み中ということ。ねえ、倉(くら)ちゃん、みんなが遊んでいる時に家にいなくちゃいけないの」
「また先生にタメ口きいて、だめでしょ。
全部、自分が悪いんでしょ」
石倉が謹慎期間中にやらなければならない課題や日誌をたけしのほうに押しやりながら
「3回目だからわかってるな。
謹慎期間中は電話やメールもしない。
自宅から一歩もでないで宿題をやり、反省日誌を毎日かく。
そのうち家庭訪問に行くからな、おとなしくしていろよ。
お母さん、お姉さんに謹慎の監督をしていただくと言うことになるんでしょうか」
「はい、私は勤めがあるものですから。3歳上の姉が監督できます」
3
トゥルルー、トゥルルー、トゥルルー、トゥルルー、トゥルルー、居間にある電話が鳴っている。外は日が傾いているが気持ちのいい青空、市営住宅の6畳の居間のソファーにたけしが鼻の頭に汗をかきながら寝ている。ソファーの前のテーブルには即席ラーメンの汁の残りがたまっているドンブリが置いてある。
姉の美貴が隣のキッチンから居間にきて受話器をとる。
「もしもし、どちらさまですか。あ、はい、お待ちください」
「たけし、電話」
美貴は受話器を寝ているたけしの頭に押しつけて、キッチンに戻っていく。
「ふぁーい、誰?」
「いつまで寝てやがんだ、ボケ。もう夕方だろ」
「コーサクかあ、寝てるしかしょうがねえんだよ。
暇だからよー、なんか用かよ」
「隣のクラスの秋山がどうやら全部のクラスにパー券配っているらしいぞ。秋山は秋山で3年に押しつけられたって言ってるそうだ」
「3年に押しつけられたって言ったって、
結局3年をバックにしてこの学年を仕切ろうってハラだろ。
あんな玉無し野郎に好き勝手にさせておけるかよ」
「うん、その調子だぜ。で、どうするよ」
「おれが秋山と話しつける」
「おい、ちょっと待てよ。お前今、謹慎じゃねえの、ノコノコ家から出て行ってセンコーにでも見つかったらやばいだろ。
おまえの家は学校から一キロも離れていないからなあー。
しょうがねえなあ、おれが行ってやるよ。やっぱり頼りになるのは俺しかいないか」
「なに勘違いしてるんだよ、謹慎なんかめじゃねーよ。
だいたい三年がかんでるなら、もしかしたら、ヤー公もな。
コーサク一人でできるなんて考えんなよ」
「それもそうだな、でも黙って見過ごすわけにはいかねーな」
「アタリメーダ、秋山は俺がシメル。この学年で勝手なマネはさせない。
まず佐藤に俺が電話してみるから、コーサクは南中の奴を集めろよ」
「わかった」
4
4階建ての築15年の古いマンション。四畳半の佐藤はじめの部屋に加藤亮と岸信輔の3人がいる。3人とも一メーター八十を超える身長がある。佐藤は色白で女の子っぽい顔立ちで性格も柔和だ。
岸は3人のリーダー格で好奇心が強くなんにでもちょっかいだしたがる。
加藤はいたずら好きでしばしば脱線して周囲に迷惑をかける。
ここで佐藤の所に回ってきたパーティ券のことで作戦会議を開いている。
リビングの電話が鳴る。佐藤、自分の部屋から出て受話器を取る。
「もしもし、佐藤君のおたくですか」
「はい、佐藤ですけど、どちらさまでしょうか」
「同じクラスの糸井です」
「ああ、糸井君、どうしたの」
「どうしたのってことはねーだろう
秋山からパー券買わされたんだって
他のクラスの俺の友達も買わされたらしくて迷惑してるんだよ」
「ああ、ほんとだよ
いらないって言うのに秋山がパーティ券おいてくんだ
最初は上級生に言われてんだとか泣き落としで
それでも言うこときかないと脅しながら勝手にパーティ券
置いてっちゃったんだ」
「佐藤はさ、秋山と知り合いなの」
「冗談いうなよ、あんな奴全然知らないよ。
2,3日前、休み時間に教室に来てたまたまいた僕のところに来て
一枚2千円でそのうち百円は自分の取り分でいいから
十枚さばいてくれよって言われたんだ。一週間後に金をもってこいって」
いつの間にか岸が佐藤の横に来ていて、佐藤の受話器をひったっくって
「もしもし、お電話代わりました。岸君でーす。
糸井君もパー券のセールスやってるの、
僕たち、つまり、岸と佐藤君と加藤君は
絶対そういう事にはのらないからね!」
「ちょっと待てよ、誤解するなよ。
おれは秋山のやってる事にむかついてるんだよ。
だから、おれが秋山と話しつけてやめさせようと思ってるから
佐藤から詳しいこと聞こうと思っただけだぜ」
「へー、そうなの。なんか糸井君も秋山と似たような雰囲気
もってるから、そう思っただけ。でも、だいじょうぶだよ。
俺たち三人で秋山にパー券を突き返そうということになったところ
なんだ」
「おいおい、それはちょっと無謀ってものだぜ
秋山は北中の仲間を連れてくるだろうし、上級生もいるだろうし
町のヤンキーも一枚かんでるかもしれねーからな
オメー達だけじゃあ、やべーだろ」
「平気さ、いくら脅かされてもだいじょうぶだよ。
僕たち強いから」
「ちぇ、マジで言ってるのかよ、痛い目に遇うだけだぜ、
俺たちにまかせとけよ」
「糸井君はさ、さっき秋山と話つけるって言ってたよね。
だったらぼくらもそこに行きたいな。
秋山の目の前でパー券をたたき返したいな」
「へー、そこまで言うならいっしょにきなよ。止めねーよ。
好きにしたら」
「じゃ、時間と場所が決まったら教えてよね、バイバイ」
二人とも佐藤の部屋にもどる。
「ねえ、岸君、糸井ってどんな奴?信用できるの」
「うーん、小学校の時はクラスが同じだったけどあんまり目立たなくてまじめな奴だったよ。ちょっと今からは想像もできないけどね。ああ、そうそう小6の時ちょっとした事件をおこしたんだよね」
「あー、岸君、おれも覚えているよ。クラスの奴を椅子でなぐってケガさせたんでしょ」
「え、小学校の時からそんなことやってたの。信じられない。加藤君つくってない?」
「あ、むかつく。佐藤君、いいよ僕の言うことが信じられないのなら、ここで大きいおならこいて、少し実もだしちゃおうかなー」
「ひぇー、やめてくれ。お母さんがご飯つくってくれなくなるよ」
「加藤君の言うの本当だよ。今でもつるんでる島本コーサクっているでしょ。そいつがクラスのいじめっ子2,3人に囲まれていじめられてたんだ。それを助けようとしてやっちゃったんだ」
「じゃ、正義の味方でしょ。良い奴じゃない」
「うん、でも担任のミラーマンがケガさせた相手に治療費も払えないような貧乏人ならこんな事やるんじゃないって言ったんでミラーマンとの関係がおかしくなったんだよ。それ以来、糸井って学校不信になったらしい」
「ミラーマンね、あいつ嫌な奴だったね。極端にえこひいきしたでしょ。おれなんかしょっちゅう教室の後に立たされていたもんね」
「それは加藤君が授業中、先生の頭がまぶしくて黒板が見えません、なんて言うからでしょ」
「面目アリマセーン」
「へー、加藤君って小学校の時から全然変わってないんだね」
「すいませんねー、進歩がなくって」
「佐藤君は中2の2学期に転校してきたでしょ。でも、その時はもう糸井は少年院に入っていたんだよね。糸井は中学生になったら大化けしてさ。
やたらケンカを売りまくるは教員にも殴りかかるで周囲がもてあましてたんだ。っで結局街でシンナー吸ってる所を警察に見つかって少年院行きさ。
帰ってきたのは3年生の3学期の入試直前」
「どうりで同じ南中出身なのに記憶がないわけだ」
「糸井の中学校時代は一匹オオカミでむちゃくちゃだったけどさ、弱い者イジメしたわけじゃないし、全部がそうじゃないけど筋が通っていた部分もあったと思うよ。
ところでウチの担任の石倉、あいつどう?なんかおかしくない。俺たちといっしょの空手道場になんか通って」
「あれはクラス全員の自己紹介の時、岸君が俺たち3人は空手やってますから俺たちにケンカ売らないでくださいって言ったからだよ」
「確かにそう言ったけど、他の生徒に向かって言ったんで、まさか担任がやってくるとは想像もできなかったよ。道場に担任が入門しにきた時はどうしていいかわからなかったよ」
「ホント、ぼくもびっくりしたよ。ウチの道場ってフルコンタクトだからさ、実際に蹴ったり、殴ったりして練習するわけだからさ、道場とはいえ担任を殴ってだいじょうぶかなって思っちゃったよ」
「ハハハ、そうそう師範代もなんか困っていたよ。僕ん所へ来て、お前ら何かやったのかって訊くし、結局、倉ちゃんは空手やってるっていう俺の言葉にビビッたんだろ」
「でもさあー、岸君、あいつ生徒にタメ口きかれても何にも怒らないよ。全然、生徒と教師の間にケジメつけようとしないよ、駄目教師だろ。教師としての威厳がないよ」
「でも、加藤君はそういう威厳のある教師嫌いでしょ」
「そうっすね。大っきらいさ!
なんか僕ってすぐ支離滅裂になるから話題かえようよ。
そうそう、問題は秋山と対決するんだろ。まず秋山のこと考えなきゃ」
「秋山はさ、隣のクラスだけど体育の時間でいっしょになるくらいで話したこともないよ。一回だけ、北中出身の上級生の後をダニのフンみたいに得意そうに歩いてるのを見たよ。なんか虎の威を借るキツネって感じかな」
「岸君が糸井と話してた時、秋山と話し付けるって言ってたけど、どうせ秋山は北中の仲間を連れてくるんでしょ。ケンカになるよ」
「佐藤君さあ、僕たちケンカしにいくわけじゃなくてあくまでパー券を断るためにいくんだからさ。きちんと断れなければあいつらいつまでも俺たちをカモにできると思っちゃうよ。断っても向こうが聞き入れなければケンカになってもしょうがないんじゃない」
「そうだよ、佐藤君、あんな弱っちい奴なんかすぐやっつけられるよ」
「糸井といっしょに行けば、多分、北中のワルと南中のワルの勢力争いに巻き込まれるんだろうけど、そして表面上は糸井の助太刀をするってことになるかもしれないけど、脅して金を巻き上げることは絶対に許さないっていうのが僕たちの原則だろ。そこをはっきりさせれば、ワルたちはぼくたちにもう手を出しては来ないよ。逆に佐藤君がはっきり断らなければクラスの他にも犠牲者が出ると思うよ」
「うん、そうだね。僕のところへパー券を秋山がもってきたんだから、ちゃんと自分でことわらなけりゃいけないよね」
「そうだよ、佐藤君、押(お)忍(す)の精神だよ」
「加藤君、押(お)忍(す)の精神って何?」
「知らない」
5
「起立、礼」パチパチパチと誰かが手を叩いている。前任校での石倉の失敗談が受けた。今日の石倉の授業をほめているつもりらしい。
前の席の2,3人の女の子がクスクス笑っている。
まあいい、2時間目の授業が終わった。
やっぱりというか、糸井がクラスにいないとなごやかな雰囲気になる。
石倉が脱線気味に授業を進めるせいもあるが、石倉の授業はいつも少し騒がしい。
この学校に来る生徒はだいたいは中学で置いてきぼりにされた連中なので授業に集中させるのがむずかしい。
「ジリリリリリリリーーーー」
おっと1回目だ。
事務室の職員が階段を駆け上ってきて4階の火災報知器をさがしている
一罰百戒だと思ってみても、犯人はなかなかつかまるものではない。火災報知器を鳴らす奴は趣味でやっているけれど、これが阿吽の呼吸で下の学年に引き継がれていく。結果、この学校では毎日火災報知器は鳴る。
こんな毎日騒がしい職場で満足しているのかって訊かれると「そうだ」って言ってしまう自分が恐い。
職員室にもどる。しかし、チョークケースを教室に忘れてきた。2階の職員室から4階の教室までもどってみると教室の廊下に変な人物がいるのに気が付いた。そいつは廊下から廊下側の席に座っている山田和香子に何か熱心に話しかけている。そのまわりの生徒は4,5メートル離れて遠巻きにして見ている。人だかりができている。髪の毛は金髪、高級そうな洋服でバチッと決めている。近づいて見るともっと変だ。両耳にピアス、アイシャドウを濃いめに塗って、ほお紅までつけて化粧をしている。そいつは俺が近づいてきたのに気が付いてあわてて挨拶した
「先生、こんにちは」
「え、えーっと、君は?」
「伊志田です」
伊志田?ああ、想い出した。6月に退学した生徒だ。でもあいつは坊主頭でジャガイモが制服を着ているような素朴な顔をした生徒だったはずだ。入学してから2ヶ月も経ってないのに自分にはこの学校が合わないと退学を申し出た生徒だ。
この学校は入学してから卒業するまで30人から40人位、つまり一クラス分の生徒が退学していくのが普通なので退学すること自体は驚かない。
しかし、それにしても早すぎるので退学理由を聞こうとしたが学校があわないの一点張りでラチがあかない。
すごく内気で弱々しい生徒の印象だったのでこんなに強硬に主張するのにも驚いた。
少し頭を冷やせと家に帰して、出身中学に連絡をとったところ中学時代はずっといじめられていたと中学の担任が話してくれた。翌日、伊志田を呼んでいじめについて聞いたが、いじめられていないとはっきり否定した。
そして結局は退学してしまった。
今目の前にいる伊志田は全然別人のようだ。山田和香子はいつのまにか姿を消している。
「だいぶ様子が変わっているみたいだけど、今何をしてるんだい」
伊志田は得意そうに名刺入れをとりだして名刺をくれた。
「クラブ蜜の味、らん丸。え、クラブに勤めているんだ」
伊志田はニヤッと笑って、なんのおまじないか知らないが俺の目をじっとのぞきこんで
「新宿のクラブでホストやってます。売り上げも新人としてはダントツにいいほうで店長にもほめられてます」と胸をはって答えた。
まわりの輪の中にいたコーサクが
「先生、こいつ、ホストはホストでも男専用のおかまのホストだよ。笑っちゃうぜ」
伊志田はコーサクの方をにらみつけて
「俺は親に食わせてもらってんじゃねえ。自分の体をはって生きてんだ。文句あんなら自分で稼いでみろよ」
と大声で言い返し、自分の周りにいる生徒達をぐるっと見渡した。
こんな挑戦的な伊志田も初めてだった。
「伊志田、こういう業務用のハデな格好で学校くるとみんなびっくりするからきょうの所は帰れ。それからな、お前も社会に出たんだから、一番大事なのは自分の体だ。体だけは注意しないといかん。元気でやれよ」と石倉はポンと肩をたたいた。
一瞬、伊志田の顔がゆがんで泣きそうな顔になったが、すぐに立て直して
「はい、ありがとうございました。では失礼いたします」
きちんとお辞儀をして帰って行った。
6
たけしの家の6畳の居間、謹慎中は友人が訪ねてきたりしてはいけないのだが、島本コーサクがソファーに座ってコーラを飲んでいる。ガラス製の丸テーブルで隔てた向かい側のソファーにたけしは寝ころんで電話の受話器を耳に当てている。
「秋山はさ、これでいくらもらえるの」
「そんな、おれの取り分なんて無いよ。ただ飯野先輩の言うとおりやっているだけだよ。二十万円分回収しないと怒られるんだ」
たけしはムックリとソファーから起きあがり、受話器を持ち直して
「そういう事なら北中の中だけで回したらいいんだろ、南中の奴の所までもってくるなよ」
「でも、そうもいかねえんだ。金額が金額だからさ。糸井もさ、今回は無理だけど次回になったらかせげるからさ、今回は黙っててくれねえか」
「へえー、じゃ次回はおれも秋山さんの手下として働けるんだ。
おい、ふざけてるんじゃねーぞ!秋山。
つまんねえもの学年中にばらまくんじゃねーよ。電話じゃらちあかないから明日の夜9時に錦(にしき)町公園にこいよ。
そこで話をつけようぜ」
「え、明日の夜!わかったよ。おれはさあー、別に糸井にケンカを売るつもりはないんだからさ。友好的に話をしようぜ」
たけしは受話器を置く。
「コーサク、他の奴らは来るの」
「なんかガックリくるな、みんなこねーよ。高校入ったばっかしで騒ぎおこしたくないんだろ」
「コーサク、滝本には連絡したの」
「ああ、あいつはハンドボール部の顧問が怖いんだと」
「泉谷だろ、生徒指導部の部長もやってんだよ、おれの謹慎申し渡しの時も校長といっしょにいたよ。じゃあ、いっしょに来るのはあのオトボケトリオだけなんだ」
「なんだい、そのオトボケトリオって」
「岸、佐藤、加藤の三人だよ」
「え、あいつら来てどうしようっての」
「パー券、秋山に叩き返すっていきまいてるよ」
「おれ、あいつら気にくわない、いつも、なんか斜に構えて相手を見下しているような感じがして」
「でも、いっしょに行く奴はあいつら三人と俺たち二人の計五人さ」
7
錦(にしき)町公園は旧中山道と錦(にしき)町用水路が交差するところを用水路ぞいに200m位はいったところにある。
約50m四方の公園でブランコ2台、砂場、小さなすべり台などがある。周りを丈の高い木がとりかこんでいて、正面入り口は用水路に面していてその反対側の公園の奥には神社がある。
それ以外の公園の周りの空間は畑だ。農家からレンタルしてやっている個人菜園が多い。色々な野菜が栽培されている。
夏の暑い盛りには周りの木々がちょうど心地よい木陰を公園に提供するので若いお母さん達が子供をつれて遊びにきているのがよく見かけられる。
昼間は平和で牧歌的な空間だ。
ただし、夜は別空間になる。
たしかに4本の常夜灯が灯っていて公園内は明るいが、そのまわりの闇は一層、暗くなっている。
夜の9時過ぎ、公園のすべり台の前で秋山が一人でぽつんと立っている。
1m70ぐらいの身長で一昔前のグリコ・森永事件のキツネ目の男に似ている。
しばらくして南中の5人がたけしを先頭に公園の中に入ってくる。たけしも秋山と同じ背格好をしているが顔はサル顔で目がキラキラしている。その後の島本コーサクは少年隊の薬丸に似ていてやさ男。この二人をガードするように岸、佐藤、加藤の3人がいるが、3人とも1m80はゆうにこす身長。やせ形だが筋肉はしっかりとついている。
秋山が公園の中央に進み出る。
「やあ、糸井、お前一人でくるのかと思ったぜ。おう、その後にいるのは佐藤か。そっちが5人で来たんだから、こっちもそれなりに出迎えないとな。オーイ、出てこいよ」
木々の後からバットや木刀、メリケンサックで武装した10人が出てきた。
たけし達を囲んだ。そのうちの坊主頭で朝青龍似のデブッチョがバットを秋山に渡して自分はメリケンサックを指にはめた。
「ずいぶんと歓迎してくれるじゃねーか、秋山。つまり、俺たちの言うことはハナから聞く耳もたねーっていうことか」
圧倒的に優勢な状況をバックにして秋山が
「あったりめーだよ、上から来た命令を途中でやめられるわけねーだろ。お前、頭おかしいんじゃねーの」
まわりを取り囲んだ連中が笑う。
そこへ後にいた岸が二人の間に割ってはいった。佐藤も加藤も岸の後に続いたのでたけしとコーサクは3人の後に押し出されたかっこうになった。
「やあー、ぼく岸君です。君が秋山かい」
急に背の高い3人が目の前にあらわれたので秋山は少し後に下がった。
「なんだ、テメー達は!」
「あのさあー、君たちのやってることは犯罪行為だよ。ケーサツに言っちゃってもいいのかな、
ほら、佐藤君ここで言った方がいいよ」
佐藤が一歩前に出て
「いらないよ、こんなもの」
とパーティ券を秋山に投げつける。パーティ券が秋山の足元に散らばる。
「おい、てめー!」
秋山が佐藤にバットで殴りかかろうとしたが、
一瞬早く、岸が間に飛び込んで秋山の顔を左手の掌底で突き離す、
うしろにのけぞってバランスを崩す秋山、
岸、踏み込んで右のパンチを秋山のボディに
少し前のめりになる秋山の左足、右足の内股にキック
かがみ込む秋山の左側頭部を十分にひねりをきかせた岸の右足の回し蹴りが深くヒット
秋山はそのまま地面に倒れ込んだ。
その間5秒もかからなかった。
ほぼ同時に朝青龍が佐藤に飛びかかろうとしたが、
佐藤は前蹴りで突き放す
踏み込んで前蹴りをもう一発朝青龍の腹にかます
怒った朝青龍が体勢を立て直して飛びかかって来るところを
クルッと後ろ向きになりながら後(うしろ)蹴りで右足のかかとを朝青龍のみぞおちにいれた
カウンターではいったので朝青龍は前のめりになってよろめいた。
そこで佐藤は思いっきり体重をのせた右足の回し蹴りですねを朝青龍の左太腿の裏にぶち込んだ。
朝青龍は膝をガックリと屈したまま地面から立ち上がれなくなった。
加藤も負けじと近くにいた木刀を持った奴に顔とボディに五六発パンチをいれたので口と鼻から血を流しながら昏倒した。
「貴様ら、まだやるのか」
岸が吠えた
岸が吠えるまでもなく他の連中は逃げ出していた。
あ然として心ならずもこのファイトを見させられていたたけしは岸のほうに歩み寄ってきた
「すげーな、おまえらホントに強いんだな」
岸はまだ立ち上がれずうめき声をあげている3人の方を見て
「ああ、いつも道場で稽古しているからね。日頃の練習のおかげかな。
あの3人なら意識もあるし、もう少し経ったら自分で帰って行くよ。だいじょうぶさ、あの程度はいつも道場でみているから」
佐藤と加藤そしてコーサクも二人のまわりに寄ってくる
「これなら秋山にパー券を売らせようとした奴らもやっつけられるぜ」
あきれた顔をしながらコーサクが叫んだ。
岸がこれをたしなめるように
「俺たち降りかかってくる火の粉ははらうけど、自らすすんで騒ぎを起こそうとはおもわないね。しょせん、違う世界の出来事だしね」
たけしが岸に
「同じようなことがまたクラスで起こったらどうするの」
「そりゃあ、俺たちの目の前で同じようなことが起こったら、それは止めるさ、でも俺たちは他に色んな事をしなくちゃならないだろ。ちゃんと学校は卒業しなけりゃいけないし、女の子ともデートしなけりゃいけない、学校当局に目をつけられてもいけない。忙しいんだよ」
加藤がニヤニヤ笑いながら、
「道場じゃ俺たちぐらいのヤツはざらにいるよ。俺たちはあくまで美容と健康のためにやっているだけだよ。ママにもそう言ってやらしてもらっているから。月謝が毎月一万円でちょっと高いけど、おたくら興味があるんならやってみたら。俺たちが教えてやるよ」
たけしも苦笑いを浮かべながら、
「おれたちバイトしなけりゃ生活が成り立たないんだよ、そんなことしている暇はないんだなー」
岸が出口のほうに向かいながら、
「じゃ、これでお終いだよね、じゃあね」
たけしとコーサクが三人を見送るかたちで
「ありがとうね、助かったよ」
とたけしが後から声をかける。
8
連絡事項を伝え帰りのショートホームルーム(SHR)は終わった。「起立」、「礼」。クラスの生徒に自分たちの机を教室の後に下げさせる。掃除の係の生徒以外のほとんどの生徒は帰る。
石倉が教室掃除を当番の生徒とやっていると
「先生、先生ってば」
後から塩崎結子の声に石倉は振り返る。
「ちょっと、話があるんだけど」
なんかいやな予感がする。小柄でちょっと小泉今日子似の塩崎が石倉を教室の隅に連れて行く
「あのさー、まどかのことなんだけど。先生知ってる?」
「な、なんだよ。関がどうかしたのか」
「もう、ちゃんと生徒のこと把握してなきゃだめじゃない。まどかの顔色真っ青だよ。どうなってんだかわかってるの」
「え、そういえばさっき関が教室を出て行くとき顔色はわるそうだったな、風邪でも引いたのかな」
「バーカ、まどかはね子供堕ろしちゃったんだよ。ウソだと思うなら本人に聞いてみたら、じゃあね」
塩崎は石倉のもとをするりとすり抜けて、廊下に出て行った。
石倉はあ然としてポニーテイルの塩崎の後ろ姿を見送った。
こんどはセックスか!
16歳から18歳までの男女40名が一つ教室の中で一日中過ごすんだからそういうことのない方がおかしい。
9
翌日の昼休み、教室の廊下を通りかかると、関まどかが一人で憂鬱そうに窓から外を眺めている。
色白、おでこが広い。成績も中位でごく普通のめだたなくておとなしい生徒。
いつもは塩崎と同じグループで遊んでいる。
それが今見ると顔色は尋常ではない。授業中、俯いていたので気が付かなかったが、日の光を浴びて正面から見るとまるで死んで数日たったヘビのような顔色だ。
「おい、関、なんか顔色が悪そうだけどどうかしたんか」
関は石倉の声に気が付くと急に涙をボロボロ流し、顔を手でおおって、
「ごめんなさい、先生。今は何も訊かないで」
と泣きながら教室のほうへ走り去っていった。
オット、シマッタ、逃ゲラレタ。
教室まで追いかけていって問いつめるなんて最悪の選択だろう。
他の女子生徒があとでどんなしっぺ返しをするかわかったもんじゃないからな。
セックスがらみの問題が公になると学校はすぐに生徒を退学させたがる。 くさいものに蓋(ふた)。
別に教育上、本人のためになるから退学させるわけではない。
学校は世間の評判を気にする。
こういう問題をどういうふうに処理すればいいのか、
きちんとした内部的な手続きなど学校の中には存在しない。
その都度担任の判断にまかせるということになるんだろう。
これは微妙すぎる問題だ。
オー、ノー、万事休す、俺の手には負えない。
石倉は窓際でしばらくボーッとしていたが、気を取り直して1階の保健室へと向かった。
「コッコッ」
「はあーい、どうぞ」
石倉がドアを開けて保健室に入る。養護教諭の小田静代が机に向かって書類を書いている。30代前半でロングヘアー、目がぱっちりしていて美人の範疇にはいる。
こちらを振り返って
「あ、石倉先生、ちょっとお待ちください。すぐ済みますので」
部屋の中にはベッドが3台置かれている。
それぞれにカーテンがついていて中は見えないようになっている。
真ん中のベッドには生徒が寝ているらしくベッドの下に上履きが置いてある。
手前のベッドのわきにある丸椅子に石倉は腰を掛けて待った。
「〇〇さん、気分はどうですか」
小田がベッドの中をカーテン越しに覗き込んでいる。
「あ、もうだいじょうぶです、先生。帰ります」
女子生徒がベッドから出てきてチラッと石倉の方を見て会釈をして帰っていった。
小田が石倉の方に近づいてきて
「すいません、お待たせして。暑くなってくると体調不良の子が多くなってまだ今日はすくないほうなんですよ。あ、それでどうなさいました」
石倉、丸椅子から立ち上がって
「いや、ぼくのことじゃないんで、実はわたしのクラスの女の子が子供を堕ろしたといううわさを耳にしたもんで、もしもほんとうだったらどうしたもんかと思いまして」
小田、うつむいて少し考え込んで
「実は、わたしの所にも1年の女子が堕胎したという未確認情報が入っておりまして、それがどこのクラスかはわからなかったんです。それでそれはどんなうわさなんでしょうか」
「えーっとですね、それは・・・」
校内放送がはいる
「石倉先生、石倉先生、お電話が入っております。事務室までご連絡ください。石倉先生、石倉先生・・・・」
ちょっと失礼しますと石倉は小田に言って同じ1階にある事務室に小走りで向かう。
石倉、事務室のドアを開けてはいる。
「あ、石倉先生、海道産婦人科病院の田中さんという看護婦さんから電話なんですけど、ちょっとおかしい気もするんですけど出ますか、出なくてもいいような気もするんですけど」
事務員が迷ってる。変だ。
「はぁ?でも海道病院ってありますよね。まあ、名前も名乗っているんですから」
事務員は石倉に受話器を渡す。
「もしもし、お電話かわりました。石倉です」
「あ、わたし海道病院の看護婦、田中と申します。
戸口高校の1年7組の担任、石倉先生ですか」
なんかどこかで聞き覚えのある声だ。電話の後で笑い声が聞こえたような気もする。
「はい、そうですが」
「アノーですね、おたくの高校の教育方針というのは一体どうなっているんでしょうか?先生のクラスに関まどかという生徒がいますね。その関さんはうちの病院で2回も赤ちゃんを堕ろしているんですよ。相手は2回とも同じ人で会社勤めのサラリーマンという事だそうです。うちの病院としてもこれ以上こういう事が続くと困るんですよねー。こういう事がおこらないように学校のほうでも生徒にきちんと指導していただけますか」
なんか塩崎結子の声に似ているような気もするのだが、
「関のことはほんとうなんでしょうか」
いらついた声の調子で
「絶対にほんとうです。先生がですね、きちんと関さんに話を訊いてください。問いつめれば本当の話をすると思います。ところで、こういうことが高校にわかってしまったら、関さんは退学になるんでしょうか」
関の退学を期待しているように聞こえるのだが
「それは関に話を訊いて見た上でないとなんとも言えません」
「そうですか、学校の名誉のためにも関さんには正しい教育指導をお願いします。ガチャン!」
電話は一方的に切れた。
石倉はまた保健室に戻ってきた。
そして小田に電話の事と関の事を話した。
「やっぱり、その電話おかしいですよ。イタズラ電話じゃないですか」
「はあ、ぼくもそう思うんです。ま、念のため海道産婦人科病院にその看護婦がいるかいないかだけ確認します」
と言って、石倉はまた事務室に行った。
「もしもし、海道産婦人科病院ですか。私、戸口高校の石倉と申します。
そちらに田中さんという看護婦さんはいらっしゃるでしょうか」
「田中という看護婦はうちにはいないですけど、どういったご用件でしょう」
「はあ、実は田中さんと名乗る看護婦さんから私に、おたくの生徒が2回も堕胎したので困っているという電話がありまして、その確認のために電話しました」
「ちょっとお待ちください」
電話の向こうでごそごそ話している様子、ずいぶんと経ってから
「もしもし、お電話替わりました。医師の吉田と申します。なにか看護婦のことで電話と聞きましたが、あなたは失礼ですがどちらの方ですか」
「S県立戸口高校の教員、石倉と申します」
「えーっとですね、まず申し上げたいことはですね、田中という看護婦は当病院にはおりません。そしてですね、看護婦というのは患者のプライバシーを第3者に漏らすということはありえません。
いいですか、ですから、あなたに電話をした田中という人は恐らく看護婦じゃないんではないでしょうか。つまり、イタズラ電話ということです。
ここまでいいですか。
えーっとですね、実はですね。前々からですね戸口高校さんにはお話ししなくてはと考えていたのですが、今回は良い機会なのでお話をさせてもらいたいんですがよろしいでしょうか」
なんかえらいことになりそうだ
「はあ、」
「あのーですね、ちょっと申し上げにくいことではありますが、その田中っていう自称看護婦さんが言っていた女子高校生の堕胎のことですが、本院に堕胎を希望していらっしゃる女子高生の中ではダントツに戸口高校の生徒さんが多いんですよ。つまり、県南では戸口高校の生徒さんが一番多いんです。これは残念ですが本当のことです。
えーっとですね、恐らく県内でも一番じゃないかと思います。堕胎というのはご存じのとおり体を傷つけることですから本来あってはならないことなのです。
ですからですね、病院側といたしましてもこれ以上こういった事例がですね増えないように、高校の先生方にもなにか対策を講じていただきたいと思っておるのですが。
やっぱりですねー、こういう堕胎っていうことになりますと、高校生ですと付随して色んなトラブルも発生しますので病院側も困ってしまうことが多いんですよ。
一方的にしゃべってしまってまことに申し訳ありませんが当方の意のあるところを汲み取っていただきよろしくお願いしたいと思うのですが」
「あ、はい、貴重な情報ありがとうございました。こちらでもよく検討いたしまして対策を講じたいとおもっております。
失礼しました」
石倉は疲れた顔をして事務室を出て保健室に戻っていった。
10
トゥルルー、トゥルルー、トゥルルー、トゥルルー、居間にある電話が鳴っている。ソファーで寝ていたたけしが手をのばして受話器をとる。
「もしもし、え、誰!」
「あたし、まどか」
「あー、久しぶりだね、声きくの」
「そうね、高校で同じクラスになったけど話しないもんね。あ、とにかくお金ありがとう。ごめんなさい」
「え、ああ、金のことか。別にいいんだよ。困っているときはお互いさまだろ。それで体のほうはだいじょうぶなの」
「うん、ありがとう。たけしもあんまり無茶しないでね」
「え?ああ、無茶ね。だいじょうぶだよ。ハハ、」
電話は関まどかから塩崎結子に替わる
「もしもし、お電話かわりました。結子です。ゴメンネ、せっかくの楽しい会話じゃまをして。でもまどかの病院にかかったお金まだ足りないのよ。だからさあー、たけし、もうちょっとカンパしてくれない」
「え、ちょっと待てよ。このまえ手術費用として2万円カンパしたよ。それでもまだ足りないの」
「手術代って全部で17万かかったの。もちろん、あのサラリーマンに全額払わせようとしたんだけど、なんだかんだ言って5万だけ払ってそのまま、ドロンしちゃったの。しょうがないから残りの10万は藤森先生に立て替えてもらって。クラスの女の子に呼びかけて8万までは集まったけどあと2万どうしても足りないわけ」
「え、藤森ってあの変なセンコー?」
「変じゃないわ、立派な先生よ。自分のボーナスはたいて、立て替えてくれたわ。頭の固い自分のことしか考えないご立派な先生に相談でもしたら、カンパどころか職員会議に掛けられちゃうわ」
「えー、でもマジにあと2万かよ」
もう、いいわとまどかの声、いいから、あんたは黙っててという塩崎の声が聞こえてくる。
「なに言ってんのよ、もともと、たけしが中学の時まどかを振ったからこうなったんでしょ。二股かけてまどかを捨てたから、まどかは変なサラリーマンに走ったんでしょ。責任ないって言うの」
「わかったよ、わかったよ。あと2万払うよ。でも、今は無理だからさ、一週間待ってくれ」
「いいわ、ありがとう。じゃあね。ガチャリ」
たけしはがっくりしてソファーに倒れ込む。
チクショー、ツイテネェー。ナンデコーナルンダヨ。
11
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン
「はあーい」
姉の美貴が玄関に出て行く
「失礼します。担任の石倉ですがたけし君は?」
ノーネクタイ、ジャケットの胸ポケットに4本もボールペンをさして右袖の先は白いチョークで汚れている。
「あ、はい。どうぞ、こちらへ」
石倉は居間に案内される。
たけしは居間のソファーで寝ている。
「たけし、起きなさい」
「ふぁーい」
たけし、寝惚けまなこで起きあがる。ソファーの前のテーブルにはやりかけの国語の宿題がのっかっている。
美貴、台所へさがる。
「おい、どうだ。ちゃんと宿題はやっているか。日誌はつけているだろうな」
「えーっと、宿題はだいたい終わっているけど、日誌は半分くらい」
「謹慎は明日まで、明後日は8時に学校に来て校長に会って謹慎を解除してもらわなければならない。日誌もきちんと完成させてもってこいよ」
ふと石倉が目を上げると、たけしが座っているソファーの後のテレビの横に10センチ四方の古い写真立てがあるのに気が付いた。
五人家族が写っている写真だ。父親が赤ん坊を抱いてそのとなりに妻がいて二人の前に小さな兄妹が立っている。石倉が
「あの写真はご家族の写真かな?」
「そう、赤ん坊が俺、父ちゃんは10年前マグロ船に乗って出て行ったきり帰ってこねー。だから、失踪人ということになってるの」
とたけしが答える。
「じゃあ、お父さんのことなんか覚えてないだろ」
「いや、おれが5歳の時にマグロ船にのったんだから記憶はあるよ。マグロ船に乗って半年後スペインの港町から絵はがきも送ってきた、でもそれっきりだったけど」
たけしが写真立てのところに行って裏から一枚の葉書をとりだして石倉のところへ持ってきた。葉書の裏は写真になっていて壮麗な宮殿の中と思われるところでポーズを取っている30代半ばの一人の日本人がいる。
「へぇー、お父さん、なかなかカッコイイね。糸井も将来、船乗りかなんかになるの?」
「なるわけないじゃん。父ちゃんはもともとダンプの運ちゃんでダンプのローンが払えなくなったんで、マグロ船にのったんだよ。父ちゃんみたいにはなりたくないよ」
「じゃあ、何になりたいんだ」
「わかんねえよ、でも、今バイトでトビやってるんだけど、それよりはましな仕事につきてえなあ」
石倉、たけしの言葉にいちいちうなずいて
「そうだよな、そのためには高校卒業しなくっちゃな」
12
夏休みが開けて、最初の日、始業式が終わって生徒は自分のクラスに戻ってくる。体育館から自分の教室まで生徒はぞろぞろ群れをなして廊下を歩いていく。たけしもその中にまじっていた。
二階への階段を上ろうとしたとき、たけしは後から肩を叩かれた。振り向くと校長がいた。
「帰りのショートホームルーム(SHR)が終わったら校長室に来なさい」
SHR後、たけしは校長室に向かった。
「謹慎期間が終わってからもきちんとした生活を送っていたかね」
「はい、」
「君がいた少年院では仲間が君のことを応援しているんだよ。だから、がんばって来年は進級しないといけない。わかっているね」
「はい、」
「少年院の大石教官も君のことを心配しておられる」
「はい、」
「だから、明日、君の様子を見にこの学校に来る」
「え、大石教官が!なんでですか」
「そんなこと君の胸に手を当てて考えてみればわかることだろ。
入学してからこれまでの君の行動を話したら大石教官も非常に心配しておられた。
少年院では来年も君に続いて、本校を受験する生徒がいるようだ。
だから、君もがんばって進級してほしい。君は彼らの希望の星なんだ。
君が先頭にたって実績をつくってくれれば、少年院のほうでも本校に生徒を送りやすくなる」
「クッ、クッ、クッ、クッ、クッ、クッ、ク」
「何がおかしい」
「いや、別に、」
「何だ!いいから言ってみろ」
「今、少年院にいる連中がこの高校に入るなんて無理!」
「なぜだ、糸井だって入学できたじゃないか、しかも、良い成績で」
「あいつらは壊れているからさ、普通の生活はできない。
薬物中毒や強姦常習者みたいのばっかしなんだぜ。
それがわかったから長いこと少年院にいるとおれまでだめになると思った。死にものぐるいで勉強したのさ、普通の生活にもどるために。
でも、あいつらにはできっこない。なぜなら、もともと壊れているから」
「でも、そんな中でも糸井みたいに入学してくるやつだっていないとは言えないだろう。
更正するには何か具体的な目標がないとだめなんだ。
だから本校は彼らに社会にでるチャンスを与えようとしているんだ。
これは新しい試みなんだ。今までの教育界では考えてもみなかった画期的なことなんだ。これが成功すれば我が校も注目される」
「へぇー、そうなんだ。
でも、満々が一あいつらが合格してこの高校に入ってきたらどうすんの。
あいつらは檻の中に24時間放り込まれて監視されてやっと人並みの生活ができるんだぜ。
それがなんでもやりたい放題できる所にきたら何をしだすかだいたい想像できるぜ。
先生方は大変になるし、だいいち、普通の生徒が怖がってこの高校にこなくなるぜ。バカだぜそんなことするのは」
「校長に向かってバカとはなんだ!バカとは!
まだ、生活態度がよくなっていないな。今度なんか引き起こしたらただでは済まないぞ。そこをよく考えて自分の言動に注意するように。
それから糸井、今ここで私が言ったことは他言無用だ。わかったか」
「はい、」
「帰ってよろしい」
校長室を出て、自分の教室に戻ってくる。
なんだ、俺はあの校長のモルモットだったのかよ。
世間じゃ高校の校長っていったら常識のある人間だと思われてるだろうが、あの校長はまともじゃねーな。
教室では石倉が掃除当番の生徒といっしょに教室を清掃していた。
たけしは石倉の所へ近づき、
「倉ちゃん、校長がなんかたくらんでるよ。気をつけな」
と言ってスタスタ帰って行った。
石倉は何を言われたのかわからず、いつもどうり、ただボーッとしていた。
13
たけしが教室から玄関に回って自分の下駄箱から靴をだそうとしているところに後から声がかかった。
「ねぇ、たけし。暇なんだけど、お茶しない」
たけしが振り返ると塩崎結子が立っていた。
「けっ、四万円もむしりとられちゃお茶する金だってねえよ」
「だってしょうがないじゃん。
じゃあ、今週の土曜日は暇?
わたしさ、ディズニーのペアチケット持ってんだ。
お金は心配しないで、わたし持ってるから」
「土曜日は仕事」
「え、たけしってどんな所でバイトしてんの?
マックとかそういうお店」
「トビだよ」
「え、トビって何?」
「家建てるときまわりに足場を組むだろ、その足場を専門に組む奴をとび職って言うんだ。とび職やっている兄ちゃんから土曜日は人足がたらねえから、おれが呼ばれて仕事しなくちゃならねえの。じゃあねー」
たけしは帰っていった。
14
たけし、居間から電話している。8回コールしてやっと相手が電話口にでた。
「もしもし、関さんのお宅ですか。わたし糸井というものですがまどかさんをお願いします」
「なぁーんだ、たけし、どうしたの」
「いや、今日、学校休んだからどうしたのかなって思って」
「ああ、朝、体がだるくて熱もあったからお休みしたの。
たぶん、風邪だと思う。ありがとう。あ、お金のことまた心配かけてごめんなさい」
「良いって事よ、金なんかどうにかなるからさ」
「やさしいのね、ねえー、たけしこそ、この頃あまり学校に来てないけどだいじょうぶ?」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。今、兄貴の仕事、人手が足りないから頼まれてやってるだけ。やばくなったら、ちゃんと学校でるよ」
「え、まだあんな危ない仕事やってるの。トビ職って落ちたら大けがするんでしょ?」
「え、まあーね、保険にも入ってないからやばいだろうね。ま、そんときはそんとき」
「おばさんは心配してない」
「え、かあちゃんが? いつもの小言。ちゃんと学校へ行け、夜遊びするなとか言ってるけど」
「そう、うちの親はもう私に対して無関心みたい。もともと父と母は仲がよくなかったし、私があんな事2回もしちゃったからね。中学の時、病院に行ったときは両親とも大騒ぎしたけど、今回はなんにも言わない」
「相手の男はどうしたの?」
「ああ、音信不通ってやつね。あの人のことはもう忘れたの、でも死んじゃった赤ちゃんには申し訳なくて。家で独りでいるとどうしても死んだ赤ちゃんのことを考えちゃうの。あ、ごめん、こんな話聞かせちゃって」
「ああ、でも起きちゃったことはどうしようもないんだし、気持ちを切り替えて早く元気になってよ」
「ええ、ありがとう。たけしから電話もらってうれしいわ。明日は学校へ行くわ」
「そう、じゃあね」
15
翌日の四時間目、世界史で十字軍のところをやっている。どこから話が脱線したのかよくわからないが田中は日本の平和憲法について話している。
相変わらす、教室はザワザワしていた。
その中でたけしがそんなに小さな声でもなく2列離れた席にいるコーサクに向けて話している、
「T駅の駅前のパチンコ店ぱーらーHは今日新装開店だぜ」
「おい、糸井、何をはなしてるんだ。雑談してんじゃない」
「コーサク、学校終わったら行こうぜ」
田中が教壇を降りて、たけしの隣まで注意しにやってきた。
「話をするなっていうのがわからないのか」
「ああ、わかってるよ。うるせーなー」
「うるせー、とはなんだ」
「そっちだって授業じゃなくて雑談してんだろ、だったらこっちだって雑談したってなんでわるいんだよ」
「この国の憲法の話をしてんだ、大事な話だ」
「ああ、だからわかってるよ」
「どう、わかってるんだ」
「中学んときからおなじことを聞かされてんだ。くだらねーことをよ」
「どうくだらないんだ」
「日本は軍隊もたないでめでたしめでたしってやつだろ。でも実際はよ、他の国の軍隊に占領されてやりたい放題になってるだけだろ」
「だから、選挙で選んだ我々の代表を通じてアメリカと交渉しなければいけないんだ」
「こっちの言うことなんかきかねーよ。昔からアメリカの言うとおりやってるだけだろこの国は。そんなの世の中のジョーシキ、あんたジョーシキないあるね」
教室中がドット笑った。
「さあー、たけしが田中先生から一本とりました」
コーサクがはやしたてる。
少し中年太りして腹が出ている田中はゆでだこに、やっと自分を抑えて
「じゃあ、糸井はどうしたらいいと思うんだ」
「平和憲法なんかいらねえだろ、軍隊持って他の国になめられないようにすればいいだけの話だろ」
「じゃあ、その軍隊が戦争起こしたら、糸井は戦争に行かなきゃならないんだぞ」
「そりゃあ、そんときはそんときさ」
「日本はな戦後、平和憲法があったから戦争に巻き込まれずにきたんだぞ。そして豊かな社会をつくることができたんだぞ」
「へぇー、そうかい。平和憲法っていう紙ッペラ一枚で日本が守れるのかよ。アメリカの軍隊がいたから他の国が手出しできなかっただけだろ。ほとんど狂ってるぜ、目をさましな、オッサン。
それに豊かで平和な社会がそんなにいいのかい。
ほんとに良いおもいしているのは上の方で世の中牛耳っている偉そうなやつだけだろ。
おれたちゃ、規則、規則でがんじがらめにされて、あちこち小突き回されているだけじゃねえの。ちょっとHしてセンコーに見つかったら、不純異性交遊とやらで退学だろ。俺たち20歳までセックスしちゃいけねえんだろ。なんか人権問題じゃねえの。そして金のあるオヤジは女子高生を買いにくるんだろ。だからこの社会、ウソくせえんだよ。だから、オヤジ狩りがはやるんだよ。オッサンも気をつけな」
ちょうどそのとき終業のベルがなった。田中が何か言い返そうとした時、クラス委員の滝本が大声で田中をさえぎるように、
「起立、礼」
と言ったので授業はそこで終わってしまった。
たけしはスルッと教室から抜け出す。
昼休みは食堂へ、
1年生の教室は4階にあるので食堂に行くには1階まで降りて廊下を伝って行かねばならない。たけしが他の生徒とまじって1階の廊下を歩いていると
教師に呼び止められた。
「おい、糸井、まだ学校にいるのか。面倒ばっかし起こしやがって、
テメーなんか早く学校やめちゃえよ、三回も謹慎食らって、そんなに謹慎がしてえのか」
生物の斉藤だ。食事を終えて食堂からもどる途中らしい。1年7組を担当している。
教員に採用され戸口高校にきて2年目の24歳。
体は大きくがっしりしていて毛深いクマみたいだ。それがたけしに迫ってきている。
たけしは何か言い返そうと思ったがやめた。
今日の放課後少年院の大石教官がくるから。
騒ぎを起こして大石教官のメンツを潰すことはさけなきゃならねえ。
あの教官は俺と本音でつきあってくれた数少ない大人のひとりだからな。
斉藤は言うだけ言うと職員室に去っていった。
16
5時間目と6時間目の間の休み時間、職員室のある1号棟と2号棟の渡り廊下で石倉は斉藤に捕まった。
「ちょっと石倉先生、お話があるんですけど」
「はあ、」
「前々から思っていたことなんですけど」
「はあ、」
「あのーですね、教員2年目の自分が10年以上やっておられる石倉先生にこういうのもなんですが、先生は生徒に甘くありませんか。生徒にタメ語使われてもなぜ注意しないんですか。授業も騒がしいし、生徒にケジメをしっかりつけさせなきゃだめじゃないですか。それから、糸井みたいな生徒は早く辞めさせたほうがいいと思います。ほんとに申し訳ない言い方ですが」
「あ、ぼくも斉藤先生のおっしゃる通りだと思っていますし、そうしなければいけないとは思っているんです。ええ、ただ力不足なせいかなかなか思っているようにはいかないんですねー。ま、これからも努力したいと思っております。斉藤先生のアドバイスなどいただければがんばっていけると思います、ハイ」
「そうですよね、がんばってください」
斉藤は使命を果たしたと言わんばかりに、上機嫌で職員室のほうに歩いていった。
斉藤は順番からいくと来年の新一年の担任を初めて持つことになる。もしもたけしが時間数不足で留年などになったら、自分がたけしの担任になるかもしれないという不安を持っているのだろう。直接担任とはならなくても自分達の学年にたけしが降りてくれば当然学年全体が大きく影響されるのはわかりきっていることだ。
「石倉さーん、」
今度は反対側の職員室のほうから社会の田中が小走りにやってくる。石倉の隣のクラスの担任でもある。大きな地図帳を持っているから、社会科教室へ行く途中らしい。
「学年主任から転校生の中村のこと聞きましたか」
国税局の役人を父に持つ中村は父親の転任に伴って大阪の高校から転入してきた生徒である。国税局の役人は全国各地を転々とするらしく、中村は小さい頃からいくつもの学校の転出、転入を繰り返してきた。隣の田中のクラスに入った。
「え、中村が何かしでかしたの」
「まさか、ちがいますよ。学年主任とこの前話したんですが、主任が言うにはこの学校をよくするためには一人でもいいから有名大学に入らせることだ。だから、見込みのありそうなヤツをマンツーマンで今から、放課後や土日に特別授業でしごいて入試を受けさせることだって言うんですよ。中村は大阪の中堅クラスの高校にいたそうだから見込みがある。今から英語と数学だけはビッチリやらせよう。まず英語は石倉さんにやってもらおうという話になったんですけど。主任から聞いてません?」
石倉が苦笑いしながら
「いや、聞いてません。それって1年の今から3年の入試までってことですか」
「いや、数学の担当も決まってないし、細かいことはこれからなんですよ。また学年会でも話題になると思いますので考えておいてください」
田中はそれだけ言うとまた小走りに社会科室の方へ走っていった。
たけしは2学期に入って少し落ち着いてきたようだ。
たけしがクラスにいることでクラスの雰囲気が悪くなることも少なくなった(石倉の主観的見方ではあるが)。
もっとも気にくわない教員とは小競り合いを続けていたが、お互い相手が少しづつわかってきたので大事には至らない。
大事件も勃発しなかった。
このまま2年生になれば、他の教員は面倒なことは極力避けたいし、取り扱い注意の生徒が他にもたくさんいるのでたけしの担任はそのまま石倉で決まりっていうのが他の教員すべての希望である。
17
帰りのSHR(ショートホームルーム)が終わって石倉はたけしを呼び止めた。
「少年院の大石教官が君に会いに来るから応接室に行ってくれ」
「わかった」
大石教官は事務室前の職員用玄関で靴を脱いでいる。
石倉のほうから挨拶する
「あ、あのー、失礼ですが大石教官ですか。私は糸井の担任の石倉と申します」
たけしは石倉の後でかしこまっている。
大石教官は後のたけしをチラッと見てから石倉に深々と頭を下げた
「本当に今回は糸井のことでご迷惑をおかけしてもうしわけないです」
石倉はあわてて大石教官の頭をあげてもらった
大石教官は意外に若く、30歳前後に見える。
応接室で校長も交えて情報交換をした。
それが終わると大石教官はたけしとふたりだけで少し話をしたいというのでたけしと大石教官を応接室に残して石倉は応接室の外で待った。
応接室のドアは厚くはないので怒声やギャッという声、ドスンというモノが倒れる音まで聞こえてきた。
そして静かになった。
それからけっこう長い時間がたって二人は出てきた。
驚いたことに二人ともうっすらと涙を浮かべていた。
たけしが涙を浮かべていることにも驚いたが大石教官まで涙を浮かべているのにはもっと驚いた。
大石教官は照れくさそうに、しかし、きっぱりと
「石倉先生、糸井はもうだいじょうぶです。しかし、なにかあればご連絡願います」
と、また深々と頭を下げて帰って行った。
糸井は顔が少しデコボコしているように見えたが、表情は清々しく、すっきりしていた。
いままで見たことのないような素直な顔になっていた。
「糸井、だいじょうぶか」
「ああ、なんてことないよ」
たけしも照れくさそうに答えた。
石倉は二人の間の絆に少しジェラシーを感じた。
大石教官は少年院の中で暮らしており、いわゆる寝食を共にして院生の面倒をみている。
当然といえば当然か。
18
埼京線の赤羽駅のプラットフォーム、夜の9時過ぎ、石倉は久しぶりに会った大学時代の同窓生と飲んでほろ酔い気分。
石倉が都内に出て行くのは仕事で出張にいくにしろ、遊びでいくにしろ年に数回しかない。
たまの息抜きである。
もう10月だ。
夜風が気持ちいい。
遅い時間にもかかわらずプラットフォームには人があふれていた
ふとベンチのそばの自動販売機を見ると見覚えのある人がコーヒー缶を手にこちらのほうを見ていた。
先週学校で会ったばかりだ。石倉が大石教官のほうに近づいていくと、向こうもこちらに歩み寄ってきた。
「いやー、こんな所でお会いするなんて奇遇ですな、石倉先生。先日は失礼しました」
「いや、こちらこそびっくりしました。これからお帰りですか」
「今日千駄ヶ谷で会議がありましてその帰りです。あのー、糸井はどうですか」
「あ、だいじょうぶです。おとなしくしています」
「そうですか、うちの院長とそちらの校長さんは大学のサッカー部の同窓生だとかで。いやー、去年そちらの校長さんが何回か本院にきていただいて打ち合わせをしていた時は本当に実現するとは思ってもみませんでしたよ」
「え、何のことですか」
「いや、ご存じだと思いますが、少年院の生徒に未来の希望を持たせるために高校進学への道を積極的に開いていく計画ですよ」
「ええ、なんですかそれは」
石倉は大石が何を言っているのかわからなかった。
「え、おかしいなあ。校長さんから聞いていませんか。そちらの校長さんは少年院を出所した生徒を積極的に受け入れていくと学校のほうは全体で了承しているから大丈夫だっていう話をしていたんですが。あのー、本当に知らないんですか。困ったなあー」
大石はしばらく黙って考えていたが、顔をあげて
「われわれ少年院の方としては出所者を受け入れてくれる所があれば無条件にうれしいのですが、受け入れる方はそれなりの覚悟と準備が必要になると思います。なんの準備もなければ受け入れたあとでひどいことになるのは目に見えています」
「いや、校長からはそんな話しは一度もないし、あれば大騒ぎになってますよ。うちはご存じのとおり、県内でも底辺校に位置づけられてますし、授業を成立させることだけで精一杯なんですから。それ以外の事に時間を割く余裕はありません」
石倉はふっーと溜息をついた。三月の入試選考会議のことを想い出していた。選考会議では全受験生をAからDまでの領域に振り分ける。糸井はA領域に入っていた。A領域は文句なく合格を意味する。だいたい選考はB領域に入っている者とC領域に入っている者の間で議論される。最後のDは文句なく不合格。だから糸井は文句なしの合格のはずだった。なにしろ入試の点が上から3番目だったから。しかし、石倉は奇妙な事を見つけ出した。欠席日数である。1、2年生で各々30日以上の欠席がある。遅刻、早退も多い。しかし、3年生は欠席も遅刻、早退も0である。石倉はそこで糸井は3年時には少年院に収監されていたことを知る。少年院に入っていれば欠席も遅刻も早退もあるわけがない。石倉は糸井をA領域からC領域に移すよう要求した。
校長は言った。このことは私にまかしてほしい。少年院の院長と話したが、人物は保証するとのことだった。一生懸命勉強して更正したのだから今回だけは特別に彼にチャンスを与えて欲しいといわれた。だれがこの生徒の担任になるかは今わからないが、力のある先生にお願いするから石倉先生は心配しなくて大丈夫ですよと言った。
そして4月になって糸井の担任が石倉になることが発表された。
同じ学年の担任団の先生方は石倉に同情したが、一様にホットした顔をしていた。
誰も少年院帰りの少年を自分のクラスに持つことなど経験がないから、反応は当然といえば当然なものであった。
大石はちょっとためらったが、
「もう、糸井が入学していますが、来年は2、3人受験させたいと思っています。しかし、そちらの高校の先生方の準備が精神的なものも含めてなにもないという事になれば困ってしまいます。
校長先生はなぜ職員会議で提案しないんでしょうか。なぜ、教職員の協力を得ようとしないのですか。問題が起これば自分の責任になるのではないですか」
「校長は3年ごとに転勤します。今の校長は今年で3年目ですから来年は別の高校に転勤します。校長の考えでは少年院を出所した少年を普通高校に受け入れたという実績さえつくればいいんでしょう」
大石は苦笑いを浮かべながら
「でも、糸井はもう先生のクラスにおりますし、まず糸井をなんとかするということで共通認識をもてないでしょうか。また、糸井がなにかやりだしたら
私をいつでも呼んでください、お願いします」
「はい、そのことはわかっております。こちらのほうこそお願いします」
19
昼休み、近くの中華料理屋で昼食をすませて歩いて校門のところまで来た石倉に声がかかる。
「先生、石倉先生」
後を振り返ると関まどかが立っていた。
「よー、どうした。だいぶ遅いじゃないか、学校くるの」
「えーと、色々準備してたから」
「え、準備?」
「先生、まだ十二月になったばかしで1年にもなってないけどさ、色々とありがとうございました。まどかは退学します」
「え、」
「先生も知ってると思うけど、いろいろ有りすぎてちょっとここにいるのが辛くなったから、どこか別な所に行こうと思うの」
「学校どうするんだ。途中で辞めないほうがいいぞ。まさか、おい、男を追っていくんじゃないだろうな」
石倉のその言葉で関は一瞬ポカンとしたが、すぐに笑い出した。
「先生、私を置いて姿くらましたヤツのことなんかもうどうでもいいの、気にしていないわ」
「え、でもご両親とは話したんだろな」
「お母さんはあなたのしたいようにすればって言ってたわ」
「じゃあ、お父さんは?」
「お父さんは仕事が忙しくてほとんど家で見たことないわ。話したって、そうかで終わりでしょ。私に関心ないのよ」
「そんなことないだろ、家族なんだから」
「お父さんは仕事中毒、お母さんはパート先のスーパーの店長と不倫してるわ。だから、家では形だけの夫婦よ。そんな家にいつまでも居たくないわ」
石倉、言葉に詰まる。地面を見ながら必死に言葉をさがす。
「そーかー、おまえん所も大変なんだなー」
関、ニコッと笑って、
「でも先生は好きだよ」
その言葉に石倉、少しイラッとして
「おい、こういう時に冗談いうなよ」
関、ケラケラ笑って、
「先生、いいこと教えてあげる。結子と小百合と和香子は渋谷のセンター街で援交してるよ」
まためんどうな事がふりかかってきそうだ。確かに、塩崎と井口と山田は毎月一回やる服装検査でいつも化粧やマニキュアを落とさせられているし、男のおれにはよくわからないが、なんとなく他の生徒にくらべてオシャレな感じがする。
「援交って売春のことか。それって不純異性交遊よりも悪いだろ。法律にひっっかるんじゃないか」
「だからつかまえちゃって」
「え、あいつらお前の友達じゃないのか」
「はじめはそうだったかもしれないけど、途中からはイジメられてたかも」
「うーん、お前らの関係は複雑すぎてよくわからないけれど、一応高校では純血教育っていう建前でやっているからなあ」
関、それを聞いてゲラゲラ笑い出す。
「なにそれ、純潔教育って。中学校でクラスの半分以上の子が経験済みよ。その中の4,5人が援交やってたよ」
石倉、ウーンとうなるのが精一杯。
「それが現実か。どうも現実について行けそうもないな」
「だって、女の子は16歳で結婚できるって法律にかいてあんでしょ。だったらそれまでにセックスってどんなものか知ってないとまずいじゃん。それとも結婚までバージンでいなくちゃってこと。いまどきそんなこと言うのはヘンタイのオヤジしかいないよ。バージンの好きなオヤジはいくらでもお金だしてくれるけど、そいつの部屋に行くと女子高生の使用済みパンティとか制服とかいっぱいあるんだ。あんなのビョーキだよ」
石倉は頭をかかえて
「わかった、わかった、もう、目まいがしそうだ。まずお前の退学のことはもう一回よく考えてそれでも退学するんだったらお母さんといっしょに学校に来てくれ」
「わかった」
関は胸をはって校門から去って行った。
石倉は自分の高校時代のことを思い起こしてみた。男子高校のせいもあって自分もギラギラしていたのを想い出した。
駅から高校まで約一キロ、片側一車線の狭い道路の歩道の上を一列になってその片側をアリみたいに学生服が並んで登校していた。
だいたい地方の男子校にはそのペアとなる女子校が存在した。
石倉たちのペアになる女子校は隣駅にあった。当然入ったばかりの一年生の石倉にもペアになるその女子校は特別に意識された存在だった。
毎朝8時10分ごろ、高校の正門から約100m位の所に来ると、反対側の歩道を駅に向かって歩いていくペアの女子校の生徒が一人、石倉の視角に入ってくる。
色白でおっぱいの大きな女で白いブラウスから乳の匂いがしてくるようであった。それを感じた瞬間、石倉の主砲は勃起した。だから石倉にとって登校前の1分ほどの時間が、歩きにくくなったり、他の生徒に覚られてはならなかったが、その日唯一の至福の時だった。
そんなことを二週間も続けたころ、気のせいか石倉の視線に彼女が視線をあわせてくるような気がした。翌朝、彼女は歩かずこちらの方を指さしながら中年の男と話している。
「ヤバイ!!」
本能的に危険を察知した石倉は視線を前に戻した。
その翌朝、彼女は前と変わらず反対側の歩道を歩いている。
それで石倉の主砲がムクッと起きあがった時、
「コラーッ、何をやっているんだ、バカ者!」
と怒声が石倉の頭の上で鳴り響いた。
行進はストップした。石倉の斜めうしろ乾物屋の入り口にある少し小高い所に昨日彼女と話しをしていた中年男が立っていた。石倉の高校の教員だった。
「朝っぱらからズボンの前をふくらませやがって、お前らちょっとこい」
と石倉から数えて、後の2番目と3番目の生徒が列からつまみだされた。
二人とも眼鏡をかけ、やせ型で背が高く、ズボンの前をおさえていた。
「お前らがあんまりギラギラ睨んでズボンの前をふくらませるから、かわいそうに女の子が怖がって家から学校に苦情がきたんだ。馬鹿野郎!」
行進は再スタートしはじめた、3人を置き去りにして。
石倉は校門に入ると他の生徒と同様小走りに下駄箱をめざした。両サイドを走っている生徒のズボンを見るとふたりとも前が膨らんでいた。
瞬間、彼女が駅に向かって歩いていくにつれ、道の反対側の学生服達の主砲が次々にかま首をもちあげるシーンを妄想する。
そして、ブラジャーもパンティも脱がされた白い肌に群がる何百もの学生服を妄想してしまった。
コラッ、だめだ!と思ってももう遅い、
石倉の主砲は今までに無いほどソソリ立ッテしまった。
当然、石倉も前を押さえて走らねばならなかった。
こんなことしか石倉は想い出せなかった。生徒に性教育なんて俺には無理だろ、次元が違いすぎる。そういう自分が本当に情けなかった。
20
12月で寒くはなったが、ストーブを炊いていると4時間目の授業は眠くなる。
たけしの席は列の一番最後だが、前から2番目のヤツの鼾(いびき)で目が覚めた。せっかく気持ち良く寝ていたのに。教師はこの比較的静かな環境を利用して授業をできるだけ進めてしまおうと黒板と格闘している。たけしの隣の滝本も目が覚めてしまった。
滝本は大きな欠伸をした。そして、隣のたけしに合図をよこした。四時間目終了のベルが鳴る。
弁当を持ってこない生徒は食堂で昼食を食べる。滝本とたけしは食堂で急いでランチを食べた。
格技場は食堂の隣で校舎全体の西南の角に位置している。1階が柔道場で2階が剣道場になっていて、柔道の授業がたまにおこなわれる程度で、職員室からは遠く人気(ひとけ)がない。その格技場の裏、高さ2mくらいある学校の塀と格技場の壁との間の1m幅ほどのスペースで2人はタバコを吸っていた。
足元に古いタバコの吸い殻が二つ、三つ落ちていた。
滝本がたけしにもらったキャメルに自分のライターで火をつけながら
「オイ、今日の新聞見たか。コーサクの事が載ってるぞ。いったいどうなってんだ」
ホラっと学生服のポケットから新聞の切り抜きをたけしに渡す。
たけし、それを読んで滝本に返す。
「少年A(16歳)が昨夜10時頃、酒を飲んで寝ていた自分の父親を殴る蹴るの暴行を加え入院させた。全治2ヶ月の重傷って書いてあるぜ。この少年Aってコーサクのことだろ」
たけし、格技場の壁に寄りかかり、不機嫌そうにタバコを吸いながら
「ああ、そうだよ」
「俺、先月急にコーサクが学校辞めたんで、どうしたんだろって思ってたんだけど」
「コーサクのオヤジが内装業やってんの知ってるだろ。ここ1,2年はビルやマンションがバンバン建ってコーサクのオヤジんところにも仕事がわんさか来て絶好調だったんだ。それで人手が足りなくて手っ取り早くコーサクを自分のウチで働かせるために退学させたんだ」
「ああ、たしかにコーサクは金回りがよかったよな」
「倉ちゃんが退学を思いとどまらせようとしたけど、母親が学校へ来てウチの息子が働き始めたら月60万は軽くいけます、公務員の給料はどのくらいです、なんて言ったから倉ちゃんもあきらめたのさ。そいでコーサクが退学したとたん、金融引き締めとかなんとかで大手の建設会社がドンドンつぶれ始めたんだ。そーなれば当然仕事なんか無くなるよ。オヤジも仕事が無いから職人を全部クビにしたんだ。それでコーサクも学校へ行ってるならいいけどタダ飯食っているなら家から出て行けってオヤジに言われたんだ。
だから、先週、学校へきて倉ちゃんに泣きついたんだ。でも、どうしようもないよな、正式にやめてんだから」
「それでこうなった」
「ああ、」
「で、コーサクはこの後どうなるんだ」
「家裁ヘ行って、まあ、事情を考慮してくれりゃ、保護観察かなあ、前科がないから少年院にはいかないだろ」
たけしはキャメルを深く吸い込んで、鼻から煙をだした。
滝本はヤンキー座りして
「なんか暗い話ばっかだな、俺も女に振られたし、」
たけしニヤリと笑って
「部活に恋はつきもの、漫画のスラムダンクみてえに青春してるじゃねえか。おれに話してみろよ」
滝本は舌打ちして
「ちぇ、思わず言ってしまった。他のヤツに言うなよ。実は塩崎にコクッたのさ、でもあっさり、タイプじゃないわごめんなさいって言われちまった」
たけしが壁によりかかりながらクスクス笑った。滝本はムッとして、
「少しもおかしかないぞ」
たけし、笑いを抑えて、
「でもなあ、結子みたいな女と付き合うには金がかかるんじゃねえの。それこそ部活をやめてバイト一本にしぼらなくちゃならなくなるぜ」
「俺はさ、見映えのいい女とデートしたいんだよ。まわりのみんなにうらやましがられるようなさ。それでそいつと結婚してネクタイしめて会社に通勤してみたいんだ。マンション買ってさ。可愛い奥さんに見送られて駅まで歩いていくんだ。オヤジみたいにペンキだらけの作業着で他人の家の壁塗りしてみたり、屋根に登ってみたり、コンビニでトイレ借りたりするんじゃなくってさ。たけしだってそう思っているだろ」
今度は塀の上の方にたけしは煙を吐く。塀の外はネギ畑、そしてそれにそって4車線の道路が駅に向かって走っている。
「そんなことも考えなくはないけどさ、なんか学校へ来るとイラつくんだよ。
みんな体育館に集められて、頭髪検査だ、服装検査だって言われて、頭や体を小突かれ、ピアスを取り上げられてよー、こんなことがずーっと続くんだろ。
浩市、高校を卒業して、大学を卒業していけば未来が開けていくんだみたいな事をセンコーは言ってるけど、それって逆のような気がする。夢も希望もみみっちくなってだんだん、未来がなくなっていくような気がしねえか」
ヤンキー座りしている滝本が驚いたような顔をして
「おいおい、そんなことを言っちゃあ可哀想だろ。だって部活推薦で大学に入れるんだから」
たけしがうんざりして
「浩市は顧問のお気に入りだからな」
「それを言うなよ、毎日しごかれて帰るときはフラフラなんだから。バイトする気もおきないよ」
たけし、塀にもたれかかって一つ、大きく息を吸いこんで吐いた。
「浩市んところはオヤジさんがいて、それで反発してるんだろ。俺んところはオヤジは10年間行方不明だからさ、生きているのか死んでるのかそれすらわかんねえ。それでもヒョコッと帰ってくるかもしれねえからオヤジのものは出て行った時のまんまにしてある」
滝本が立ち上がって、もう一本キャメルに火をつける
「家族っていうのはやっかいだよな。居ればいるで面倒おこすし、居なければいないでまたたいへんだ」
浩市が足元の吸い殻をけとばす。
「オーイ、」
ふいに格技場の北側の入り口から社会の田中が姿を現した。アッと思って2人は南の入り口へ逃げようとするが、そこには理科の斉藤が待ちかまえていた。
「2人とも、動くな、持ってるものを全部だせ」
と斉藤が怒鳴る。そして小走りに2人のほうにやってくる。その時、たけしは何を思ったか塀の上に飛びついて、塀の上から顔を出した。そして塀の向こう側をみわたす。いつもと変わらないネギ畑とその向こうの道路をクルマが何台か走っているのが見える。
「同じか」
とつぶやいた。
「糸井、降りろ。逃げようとたって無駄だ」
と理科の斉藤が下から怒鳴る。
「逃げやしねえよ。ただ、少年院の中から見たのと同じ景色だなと思っただけだよ」
たけし、素直に塀から降りる。斉藤が下に落ちている吸い殻を集めながらたけしに
「これで今週の俺の授業は受けられないな。という事は、糸井わかってるな。物理の単位は授業時間不足のためこの時点で認定できない、つまり、留年が決定ということだ。あとは留年するか退学するかはお前の自由だけどな」
たけしは黙って下を向いて聞いていた。
21
たけしが深夜にべろんべろんに酔っぱらって家に帰ってきた。
ソファーにどたりと座り込むと
「あ、母ちゃん、水ちょうだい」
母親が持ってきた水をうまそうに飲みほす。
「兄ちゃんと兄ちゃんの仕事仲間といっしょに飲んだんだけど、飲まされちゃってさ、フラフラだよ」
母親もたけしの隣に座る。
「せっかく高校に入ったのにねえー。一生懸命勉強したのに。もう一回考え直して留年してやり直すことはできないの」
たけしはソファーにもたれかかり大きな息を一つついた。
「もう決めたことだし、母ちゃんには悪いと思ってるけど。下の学年で3年間いるのは正直いってきついぜ」
母親も溜息をついて
「母さんも難しいことはわからないけど1時間か2時間の欠課時数オーバーぐらいなんとかならないのかしらねー」
たけしきっぱりと
「なんともならねえよー」
「じゃ、これからどうするのさ」
「兄ちゃんが、オヤジの実家、岩手の水沢のほうで仕事があるみたいだから、しばらくは兄ちゃんについていくことにしたよ」
「そう、お兄ちゃんといっしょに行くのね」
母親は立ち上がって、それでも何か口の中でブツブツ言いながら、自分の部屋に引き揚げて行った。
22
放課後いつもはリラックスしてなごやかな雰囲気がただよってくるのだが、2階にある職員室には少し緊張感がただよっていた。20分前、たけしから連絡があって石倉に会いに来ることになっているからだ。
「来たぜ、」
たけしが石倉の机の横に立っていた。坊主頭にして上下そろいのジーパンをはいていた。少し酒の匂いがする。石倉、たけしに椅子をすすめてかけさせる。
「で、結論は出たのか。よーく考えてだせよ、お前の将来にとって大事なことだからな。退学するか、留年して頑張るか。留年して残る場合はこの前の喫煙のことで職員会議にかけられなくちゃならないが、その場合お前はこれで4回目だから、退学処分が出るかもしれない、そこんところは先生にもわからないけど」
「いいよ、もう面倒だよ。退学するよ」
「そーかー、」
と石倉一瞬沈黙する。たけし、それを見てニヤリとしながら、
「倉ちゃん、俺がやめてホットしただろ」
「そんなことはないだろ、でもお前は色々と面倒なことをやってくれたからなあ。そういった面ではさびしい気もするよ」
石倉も苦笑いを浮かべる。
「でもよう、この戸口高校って、ほんとに必要な高校なのかっておもうんだよね。だってそうだろ、県で一番頭のいい高校と県で一番頭の悪い戸口高校じゃ行ってる価値が違うだろう。まわりから軽く見られて行く価値がないだろうってことだよ」
「でも、中卒よりは高卒のほうが将来的にも有利だろ」
「それはそうかもしれねえけど、毎月頭髪検査をしてちょっと行儀よくして、将来役に立ちそうもない英語とか数学をちょっと勉強しておとなしく卒業していくだけだろ。だってまともに大学受験するヤツなんかこの学校にいやしねーだろ。だから、この学校での勉強は意味がないっていってるんだよ」
「いや、でもまともに大学受験しようとするヤツもでてくるかもしれない。その可能性はあるよ」
「ま、いいさ、どうせやめるんだから。先生も元気でね。
色々と面倒かけましたが、ありがとうございました」
たけしは退学願を石倉に手渡してピョコンと頭を下げて、職員室から出て行った。
校門を出るとき一度校舎を振り返ったが、すぐに向き直って歩いていった。校門を出て50m直進すると信号のある大きな道路にでる。その角にあるコンビニの前で関まどかは待っていた。
「まどか、」
「きっと来るんじゃないかと思ってたわ。石倉先生に今日たけしが学校に来るって聞いていたから。さ、行きましょう」
まどかはたけしの手を取って歩き出した。そこから左へ道沿いに5分程歩くとJRの駅に着く。新幹線もいっしょに走っているので高架になっている。高架下にはスーパーやスターバックスの店などがあって、その隣に公園があった。そこでたけしは足を止めた。
「俺が退学願だしに来るの知っていた」
「うん、石倉先生に聞いた」
公園の中には人はいなかった。たけしは公園の中に入ってブランコに座った。
まどかも隣のブランコに座った。
「これからどうするの、たけし」
たけしは少しブランコを揺らしながら、
「兄ちゃんが岩手の水沢っていう所で仕事見つけたから、とりあえず兄ちゃんの所で一緒に働こうって思ってる。だから、残念だけどまどかとはここでお別れかな」
「残念じゃないわ。わたしも水沢へ行くわ。いっしょに行きましょう」
思わずたけしはブランコから立ち上がった。
「え、でも学校はどうするんだ」
「だいじょうぶよ、退学願は石倉先生に出したから」
たけしはまたブランコに腰を下ろした。
「ほんとかよ。めちゃくちゃ言うなよ。なんでお前がやめなくちゃなんねえんだよ。子供を堕ろしたからか、そんなのお前が言わなきゃ学校だってどうしようもないはずだろ」
「違うの、ただ学校にいるのがいやんなっただけ。ね、お願い。絶対迷惑はかけないわ。むこうへ行ったら、ちゃんと仕事見つけるし、お料理もつくるから。好きな人といっしょに居たいだけ」
たけしがふーっと溜息をついて
「父ちゃんや母ちゃんは了解してるの」
まどかはたけしにニコッと微笑んで
「お母さんはお前の好きなようにしたらって言ってくれたわ」
たけしは慎重に言葉を選びながら、
「向こうへ行って夫婦生活始めるとなると、頼りになるのはチョンガーの兄貴だけだけど、大丈夫かな」
まどかはたけしの言ったことがわからなくてキョトンとしていたが、次の瞬間大笑いした。
「あっはっはっは、たけし、違うよ。結婚してくれっていってるんじゃないのよ。好きだからいっしょに居たいだけ、お互い重荷になったら別れればいい。
赤ちゃんがお腹の中にいる時はほんとに結婚したいって思ってたけど今はもういいの。それにうちのお父さんとお母さんは仲が悪くてほとんど口もきかないわ。結婚したって、ああなっちゃったら意味ないと思うの。愛してるからいっしょにいるだけ、つまり、お互いに愛人関係になるのよ。それでいいでしょ」
まどか、ブランコから立ち上がってたけしのほうへ手を差し出す。たけし、照れくさそうにその手をつかんでたけしも立ち上がる。
「愛人関係か、ま、いいかもな」
二人は手をつないで公園から道路に向かって歩き出す。
終
高校見聞録