爪跡探偵ジル〜太陽の村〜
主な人物紹介
「ジル」
本作の主人公。23歳。爪跡探偵と名乗り、華やかな街から辺境の村、高い山から激流の川へと、場所を問わずに各地を飛び回る。その目的は伝説に語り継がれる「人狼」を探すこと。その爪跡を追い、今日も助手のアルトと戦っている。165センチ、90キロとふくよかな体格で、それに見合った大食漢でもある。また、怖がりで、わりと臆病。尚、普段は猫探しやドブ掃除、子どもの遊び相手など、何でも屋のような仕事を生業にして生活している。黒いコートを身につけ、口と鼻の間で整えている髭がチャームポイント。茶髪はオールバックにしており、わりと短めを好むがカットに行くのを面倒くさがり、たまに肩につくほど伸びることも。(アルトに身だしなみについて怒られ、そのままアルトに髪を切ってもらうという展開が最近では定番となっている。)
「アルト」
ジルの助手。どこか頼りないジルを、助手の文字通りいつも助けている。150センチと小柄で、中性的な顔立ちの少年。15歳。冷静沈着で、怖いもの知らず。ジルが驚いて腰を抜かしている中、状況をしっかりと見極めて証拠を見逃さない優れた助手として、ジルにとても重宝されている。そんなアルトの苦手なものは「人間関係」で、仕事と割り切った関係以外の対人は苦手意識を持っている。同年代の異性となると尚更で、雑談をするのが得意ではない。青いデニム生地のオーバーオールと、大切にしている茶色のチェック柄ワークキャップがトレードマーク。猫好きであることはジルも最近まで知らなかった。
「ミレイユ」
街でも有名な凄腕の賞金稼ぎ。懸賞金がかかっている話ならなんでもこなし、「金に綺麗も汚いもない」が口癖。その言葉通り、どんな手段を使ってもお金を最優先して手に入れようとする。ただし守銭奴というわけではなく、散財を好む。多くの金を手に入れ、多く遊びたい、そんな単純な「遊び人」でもある。ひょんな事がきっかけで、ジルとアルトと行動を共にすることに。出るところは出ている女性らしい体つきをしており、胸元や脚などの露出も多め。皮で作られた胸当てと、太もものほとんどを露出しているショートパンツを身につけ、右足に巻かれたベルトナイフが仕込まれている。性格は至って子どもっぽく、良く言えば素直で、悪く言えば空気が読めない。
「人狼」
ジルが追っている伝説上の存在。実際に存在しているかどうか、誰も知らない。人の姿に化けることができ、人に紛れて生活することも可能らしく、人の姿から突然、狼の姿になって人を襲うという恐ろしい魔物。ジル曰く「猟奇的凶悪殺人鬼」であり、ジルはこの「人狼」を追いかけている。しかし、目撃例もほとんどなく、文献にも「昔話」という程度の情報しか載っていないため、多くの人が「人狼は架空の生き物だ」と言っている。それでもジルが人狼を追う理由とは……?
<第一章・太陽の村>
誰も信じてはくれないのはわかっている……
人に化けて猟奇的殺人を繰り返す…恐ろしい魔物……“人狼”のことなんて。
だが僕は、誰も信じてくれなくても、人狼を追跡している。
いや…追跡しなければならない。
頼れる助手、アルトと共に。
今は馬車に揺られている。
語り継がれる噂の真偽を確かめるために、いま「太陽の村」へと向かっている。
それにしても寒い。
早く暖炉に当たりたい。
--睦月十四ノ日、ジルの手帳より
睦月十四ノ日
-*-*-*-プロローグ-*-*-*-
雨音
馬車は、雨の降る山道を進んでいた。悪天候にも関わらず速度を落とさないのは、この馬車が鈍行馬車よりも運賃が高い急行馬車だからだろうか。これまでも仕事の都合上、急行馬車は何度も利用しているが、悪天候でも到着予定時刻を狂わせないそのプロ意識にはいつも感動させられる。馬に引かれる客席は屋根がついており、座席が三つずつ向かい合っている。街を出た時は他にも居た乗客も、今は僕と助手のアルトの二人だけで、一番後ろの席に隣同士で座っていた。懐中時計は夜の八時を告げていた。そろそろ予定時刻だ。
外をぼんやり眺めるのは、僕にとって移動中の楽しみのひとつでもあった。
「--…ル先生…ジル先生、ちょっと聞いてるんですか?」
ノスタルジックな雨音に酔いしれるように外を見ていたが、助手の声で現実に引き戻された。いつもそうだ、こういう時は決まって助手の声が耳に刺さり、辛い現実へと戻される。
「ん、ん。いや、完全に”あちら”に行っていた。……何だったかな?」
「そろそろ到着するそうです。荷物を纏めましょう。二日に渡る馬車生活も終わりますよ。」
中性的な顔立ち、マッシュヘアで金髪、歳は十五ほどの少年アルトが、蒼く鋭い目つきでこちらを見てくる。百五十センチほどしかない小柄な少年は、見かたによって女性に間違われることもしばしば。青のデニム生地オーバーオールに、茶色チェック柄のワークキャップが彼のトレードマークだ。
名乗るのが遅れてしまったね。僕の名前はジル、爪跡探偵ジルと名乗っている。ある街で探偵業をしていたが、騎士団に守られている街ではなかなか仕事も無く、今は「とある人物」を追いながら旅をしている。行く先々で、探偵業に限らず様々な仕事を請け負って生活している、いわば何でも屋のような存在だ。年齢は今年で二十三歳、身長は百六十五センチ、体重は……
「お客さん、到着したよ。……乗るときのように足場は要るかい?」
「い、いや問題ない。こんな体格だが、わりと運動神経は…うわぁあ!?」
九十キロのふくよかな身体はそのまま、客席からぬかるむ地面へと転落した。アルトが手を差し出してくるが、僕はそれを頼らずに立ち上がる。大柄な体格を隠すように身に着けた真っ黒のコート、その尻あたりについた土を簡単に払おうとしてみるが、パンツまで染み込んで濡れている状態では、もうどうしようもない。
「……さて、運賃だ。」
心配そうに見てくるおやじさんに運賃を払うと、アルトと共に足早に到着した村の中へと入っていく。
村は、一言で表すならばとても寂れていた。雨が降っていることも相俟って、誰一人として姿が見えなかった。見ただけでわかるほど村はとても小規模で、住民も五十と居ないだろう。ぬかるんでいたとはいえ、九十キロの体重がかかった腰の痛みに手をさすりながら、村の入口に立つ。
「……大丈夫ですか、ジル先生。」
「大した問題ではない。それより、ここが本当に“太陽の村”なのか?」
そう。この村は地図に載っていない幻の村で、太陽の落ちる場所であり、昇る場所と伝えられる地でもある。そんなことは実際にはありえない話しだが、そう言われるにも何か理由があると思うと興味深い。さらに興味深い伝説は他にも語り継がれている。その一つが、僕にとって重要なキーワードを含んでいたので、わざわざ二日もの時間をかけて高い運賃を支払ってでも訪れたのである。
「どうやら、間違いないようです。三つの山の谷間にあり、地図に無い村……“太陽の村”のようですよ。早速、調査を開始しましょう。」
「いや待て。今日は宿に泊まり、明日から調査を開始しよう。馬車での睡眠では疲れも取れていないはずだからね。」
アルトは素直に頷いて、雨に濡れながら宿の看板を探した。間も無く、アルトは戻ってきて、営業中の宿を見つけたことを報告してきた。実に優秀な助手だ。二人でその宿へと、転ばないように気をつけながら駆け足で向かう。
蝋燭
宿は営業中の札を雨風に晒しながら、本当に営業しているのか怪しい空気を放っていた。時間はとっくに夜を告げており、さらに雨雲により増す暗さに、対して室内から全く明かりが見えてこない。窓も全てカーテンが締め切られており、一筋の光も漏れていないのである。
「これは……営業しているのか……?」
「しかし、村の広場にあった案内図によると村に宿はここだけのようです。あとはこの奥に商店が一軒、他は全て民家のようです。軒数から察するに、おそらくこの村には二十人ほどしか居ないと思います。」
「とりあえず……入るとしようか……。」
軋むドアは、力を入れなくても勝手に、まるで室内へ引っ張られるように開いた。風が差し込むと開くほど、木製のドアは金具やドア本体が削れて緩んでいた。室内には、細く橙色の光を放つ蝋燭に照らされた受付カウンターと、その向こう側に座っている老婆がすぐに確認できた。それにしても暗い。まるで営業を放棄された廃墟のように。
ドアをゆっくりと閉めて、二歩ほど中へと歩み入る。が、宿主らしき老婆はこちらに気付いていないのか、見ることもせずに編み物をしていた。小柄で、真っ白い毛がまるで焼きそばのようにパーマかかっており、長く手入れされていない様子も見てすぐにわかった。見るよりも先に、明らかに老婆から発される異臭に、僕は鼻が曲がる思いだ。
「あの、すみません。一泊させていただきたいのですが。」
魔女のような概観や、鼻を突く異臭にも臆することなく老婆に声をかけるアルトは、本当に勇敢だと思う。だが、アルトの声は左側に広がる客室への廊下らしき暗闇に飲み込まれていくだけで、老婆はこちらを見ることも無い。本当に聞こえていないのか、それとも余所者には返事をしない主義なのか。だとしたらどうして宿などを経営しているか疑問も出てくる。聞こえていない方がよほど自然だ。なにせ、老婆はそろそろ年齢も三桁に突入しそうな外見をしている。もしかしたら、もう三桁に乗っている可能性も否定できない。
「一番奥の右側。」
突然のことだった。老婆は編み物を続けたまま、虫の足音ほどの微々たる声量でそう告げた。アルトは、さきほどより少し大きな声で「ありがとうございます。」と告げると、僕へと振り向く。今ので受付が完了したとは、不気味だったがこの雰囲気ではそれでも納得できてしまう。鍵は、と尋ねようとしたが、この調子では部屋に鍵がついているほどの気遣いがあるとは思えない。
途中、何度か老婆を振り向きながら、アルトに続いて一番奥の部屋へと向かった。予想通り、鍵穴さえ存在しないドアは入口の時と同じように、特に力を入れなくても簡単に開いた。部屋は簡素な構成だった。入口に立つと正面に丸いテーブルが一つ、チェアが二つ。右側にベッドが二つ。ベッドとベッドの間にある小さな台に、花の入っていない花瓶と、火の灯っていない蝋燭の入ったカンテラが置いてある。たったそれだけだ。入ってすぐ右側には荷物を置くためらしき棚があるが、何年も掃除されていないのか埃が積もっている。時刻は八時を過ぎ、部屋は暗闇に包まれていた。アルトがゆっくりと部屋の中を歩いて、カンテラにマッチで火を灯す。ようやく、部屋の全貌がそれで明らかになる。
「荷物、置きましょうか。掃除してからになりますけど……」
「あ、ああ。そうだね……まあ、地図にも載っていないしこの村にお客さんが来ることもないだろうし、仕方が無いところではあるかな。」
無理矢理、こうして納得するしかなさそうだ。贅沢も言っていられない。
「……それにしても、ここでの調査は一筋縄ではいきそうにありませんね。」
僕がこの村に来た本当の目的。それは“狼伝説の噂”を確かめるためだ。僕が爪跡探偵と名乗っているのは、狼……それもただの狼ではなく、人の姿に化けて殺人を繰り返す凶悪な殺人鬼「人狼」を追っているからである。先日、街の酒場で呑んでいた時のことだ。情報屋から聞いた話では『地図に載っていない「太陽の村」という場所は狼を神として奉っているらしい』とのことだった。それだけなら、地方の名も無い村や部族によくある話でもある。だが、この話について調べていくとどうやら、その噂には続きがあるようだった。『狼へ捧げる生贄』という表記が、ある文献に記されているのを発見したのが、ここに来ようと思ったきっかけとなる。
「確かにそうだね。だけど、ここの老婆だけが変わっているのかもしれないし、明日にならないとわからないことだ……。」
「だァれが偏屈ババアだって?ぜェんぶ筒抜けだよ、あァんたら、まァさか蒼の調査団の輩じゃァなかろうねェ?」
ベッドに座った途端、入口から声がした。さっきと違って、少し大きな声で。そう、受付にいた老婆が、部屋の入口に立っていた。
「うわぁあ?!い、いつから聞いていたんですかっ…!?」
「……失礼しました。それと、私たちは違います、ただの探偵です。……あの、その“蒼の調査団”について詳しくお話を聞かせてもらってもいいですか?」
アルトの冷静な切り返しに、数秒の沈黙。雨脚が強まったことがはっきりと音で聞き分けられるほどの静寂は、わずか数秒を数時間にも感じさせた。だが、老婆は何も答えないまま、ドアを閉めて軋む廊下をゆっくりと歩いて受付のほうへと戻っていった。
一体、何だったのだろうか。アルトは困ったようにため息をつくと頭を掻きながらベッドに座り、手帳に“蒼の調査団”と記す。僕もベッドに横になりながら、記憶の中で思い当たるキーワードを探した。だが、何度考えても初めて聞いたキーワードだ。“紅騎士団”といえば、僕の街を守る騎士団の名称だが。それとは違うだろう。“蒼”に関連する組織には覚えが無かった。
「…私たち以外にも、この村に調査に来た人……それも個人ではなく組織が、いたようですね。」
小さな声でそういうと、アルトは自分にだけわかるような書き方で手帳に記していく。まだ眠気はないが、この様子では宿から出ても何も得ることはなさそうだと判断し、今夜はもう休むことにした。全ての調査は明日から、行う予定として。
睦月十五ノ日
-*-*-*-1日目-*-*-*-
雪風
朝の訪れを知らせてくれたのは、アルトの声だった。枕元に置いた懐中時計を、ぼんやりと霞む視界が数秒遅れて捉えると、時刻は六時を示している。相変わらず、アルトは早起きだ。
「ジル先生おはようございます……起きてください。」
「あ、ああ……おはよう。どうしたんだい、そんな、声を潜めて。」
小さく抑えられた声で、アルトが僕を揺さぶる。もうとっくに起きているが、二度寝る習性を知る彼は僕が身体を起こすまで「起きた」と認識してくれない。ゆっくりと身体を起こし、大きく伸びをしながら質問を繰り出した。アルトは部屋の入口のほうを見ながら、また小さな声で言葉を放つ。
「……僕たちは、どうやら歓迎されていないようです。廊下で先ほど、昨夜の老婆が村の人と思しき若い男性と会話をしているところを、ドア越しに聞きました。」
「ど、どういうことだい?」
アルトは、ドアをゆっくりと開き廊下へ視線を向けた。廊下には誰も居ない。それを確認すると音をたてないようにドアを閉めて、僕の元へと戻ってきた。ベッドに座り、僕に届くギリギリの声量で、今朝盗み聞いた内容を僕に話し始める。
話によると、宿主の老婆と村人らしい青年とが宿の廊下でまだ日も昇っていない早朝から会話をしていたらしい。声を潜めていたが早朝の静寂はその声をアルトの耳まで届けていた。内容を簡単に要約すると、こうだ。老婆が青年へ『“蒼の調査団”が“探偵”に扮して村にやってきた。あいつらを早く“粛清”しなければ村は滅びてしまう。』という旨の話をし、青年はそれについて『寝ている間に俺が“粛清”してきます。』と老婆に話していたらしいが、老婆は『今は行くべきではない。“蒼の調査団”ならどんな罠をしかけていても不思議ではないからね。』と答えていたというのだ。
「昨夜、老婆が話していた“蒼の調査団”が、この村にどのような影響を及ぼす存在なのか……どうやら、良い影響を与える組織ではないようですね。粛清とは、きっと暗殺のことでしょうから。」
「……僕たちが蒼の調査団ではないということを証明しておかなければ、命を狙われるということか……」
「いえ、どういう手段を講じてもきっと信じてはもらえないと思います。この村で何が起こっているのか、いや何が起ころうとしているのか、それを先回りして調べることが肝心かもしれませんね。……先生。」
目を合わせ、頷き合う。この話から察するに、老婆と青年は“蒼の調査団”を排除しようとしていることが伺える。だが、ここで僕が得体の知れない組織の盾として排除されるわけにはいかない。なんとしても、人狼についてのヒントを探し当てなければならないのだから。まずは荷物を整理し、今日一日の行動をアルトと話し合う。
「ジル先生。ここでは、緊急時のために合言葉を決めておきましょう。『逃げよう』は『良い天気だなぁ』、『離れてくれ』は『そういえば……いや、なんでもない』でいきましょう。下手に村の人たちに勘ぐられると危険です。」
アルトの提案に加え、いくつか二人だけの合言葉を決めてそれぞれの手帳に記していく。カーテンを開くと、外は睦月の寒さも増して、深夜から降り出したらしい雪で一面を白く染めていた。なるほど寒いわけだ。
まずは、宿から出て外の様子を見に行くことにした。雪が積もっているので昨夜に引き続いて人は外に出ていないかもしれないが、少なくとも今朝未明に男性が宿まで来ていたのだ。他の村民から何か、人狼についてヒントが得られるかもしれない。
――そう思った、その時だった。
「きゃぁあああ!!!」
外だ。宿からは少し離れた位置、昨夜アルトが村の見取り図を見に行った中央の広場の方から、若い女性の叫び声が聞こえた。明らかに非日常的な悲鳴は、僕とアルトの次に向かう場所を決定付けた。事件の香りが、うんざりするほど濃厚に鼻を、脳を、刺激していた。
事件
広場に到着した僕たちは、口と首から大量に流れ出た血溜まりの中に倒れて死んでいる男性を目の当たりにした。円を描くように村人たちが集まっており、男性の死体の手前で気を失っている女性は先ほどの悲鳴の主だろうか。村には小さな診察所があるようだったが、そこから来た医者は医者と言うには不安なほどの老人。老いた医者は男性の生死を-確認するまでもなく死んでいるが-確認していた。
「……もう…イード君は……」
老いた医者の言葉はそこまでで区切られたが、首を左右に振ることで確定した青年イードの死に村人たちは深刻な顔つきでその亡骸を見つめていた。だが、少し離れた位置から見ているだけでも、その死体は不自然な点をいくつか持っていた。それは……
「……あァんたらが、殺ォしたんだろォ?」
背中から聞こえたその言葉は、僕とアルトに向けられている気がした。その声の主は、他ならぬ宿主の老婆だったのだ。
「なっ…」
「”蒼の調査団”どもが、イードを殺ォしたんだろォう?災いィを齎す者どもめ……去れェい!この村から去れェえ!」
樫の木で作られた杖を振り上げ、明らかに僕たちへ言い放った老婆。村人たちがざわめきはじめた。これは下手したら人狼調査どころではなくなる。村人たちは口々に「蒼の調査団ですって…」などと口にしていた。村人にとって、蒼の調査団という組織はよからぬ存在だということが共通しているようだった。
「待ってください、私たちは何もしていません。それは、昨夜から泊めてもらっている宿の主である貴女が一番よく知っているはずです。僕たちは昨夜から今まで、外に出ていませんよ。」
アルトの冷静な反論。だが、さすがのアルトも多少の焦りを感じているのか、気持ち早口になっている。冷や汗が滲んだ。
「あんたらァ、今朝から二人して出掛けェてただろォ?そうさね、マーサちゃんが叫び声をあげる十分ほど前ェになァ?」
--濡れ衣。老婆は僕たちを容疑者に仕立て上げようとしている。僕とアルトは、本当に外出などしていない。何としても、その容疑を晴らさなければ、本当にどうにかされてしまいそうだ。
「僕たちはずっと部屋に--」
「ちょっと待ってやんなよ。そこの二人はアタシの知り合いさ!」
反論を始めると同時に、老婆のさらに後ろから女性の声がした。軽装の戦士の服装で、リンゴを齧りながら歩み寄ってくる若い女性。その女性がそう言うと、村人たちのざわめきも止まった。誰なのだろう。
「ごめんよ、二人とも。アタシ寝坊しちゃってさ。みんな!二人はアタシの仲間なんだ。というわけで、その死体には関係ないよ。」
老婆と僕の間に割って入ってきた女性は、リンゴを袋に入れて僕に向き直る。「ね?」と聞いてくるこの女性とはもちろん、知り合いどころか初対面だ。だが、何らかの意図があって助け舟を出してくれたのだろう。僕はこの助け舟に乗るべきだと感じた。
「あ、あぁ。危うく容疑者になってしまうところだった。寝坊だなんて、しっかりしてくれよ……」
「ごめんごめん。さて、犯人を探さないとね。」
犯人探し。そう、明らかに青年イードは『殺害』されていた。まず、死因は失血死だと推測できる。外傷を調べてみないとわからないが、見たところ首に深い傷を負っており、それが致命傷となったように見える。詳しく調べたいが、今はそんなことよりも助け舟に乗る方が先決だ。
「ミレイユさんがそういうなら、お二人さんは味方のようだね。」
村人の一人がそう言うと、周囲の僕たちへの目つきが急変した。僕たちが犯人だと決めてかかり、剰え敵意さえも感じた疑念の視線は、たちどころに犯人像を失った不安の表情に変わっていく。
「……ミレイユ、本当に二人がァ仲間なのかァね?」
「うん!ちょっと二人と話して、イード君の死について調べたいから、二人とも借りて行くね。」
ミレイユと呼ばれる女性は、そう言うと僕の手を引いて少し離れた場所へと僕たちを連れていく。一体、彼女は何者なのだろうか。
青色
村のはずれにある小さな小屋。外に馬が一頭繋ぎとめられていて、小屋の向こう側は森に面している。近くに川が流れており、その水の音が聞こえるほど、静かな朝の時間はたしかに流れていた。ミレイユに連れられてこの小屋に入ると、アルトがふと、足を止めた。
「あの……先ほどは助けていただき、ありがとうございました。危ないところでした……あの、いったいなぜ助けてくれたのですか。」
「え?ああ、なんだかあんたら二人、蒼の調査団じゃないと思ってさ。別に礼には及ばないよ。」
茶色いテーブルに、椅子が二つ。そのうち一つは四足の一本が折れて、ガタガタと揺れそうになっているが、なんとか椅子としては使えそうだった。ミレイユはアルトに向かって顎でその足の折れた椅子を勧め、次に僕に向かって足の折れていない椅子を勧めてきた。当のミレイユは、乱雑に詰まれた木箱に座り、足を組む。
「挨拶が遅れましたが、僕は探偵をしているジル。こっちは助手のアルトです。よろしく。早速、その蒼の調査団についてなんだが……いったい、どのような組織なのか、聞いても構いませんか。」
「さっき呼ばれたのを聞いたとは思うけどアタシの名前はミレイユ。賞金稼ぎとしては、わりと有名だけど聞いたことないかな。それより、蒼の調査団についてだったね。……ちょっとこれ見て。」
足を組んで座ったばかりなのに、ミレイユは立ち上がって自分の荷物らしいカバンから二枚の書類を取り出し、テーブルの上にぱさりと置いた。紙はボロボロになっており、何か飲み物をこぼした様な染みも残っていたが、なんとか文字を読むことは可能だった。
一枚目の紙には、表題に「蒼の調査団について」と書かれている。そこから下まで、縦幅三十センチほど、横幅二十センチほどの正方形の紙にびっしり、文字が書かれていた。内容はこうだ。
この国の、小さなある領地を治めていた貴族たちがいた。その貴族たちは三人兄弟で、兄弟仲もよく、三人で分担して統治していたらしい。だがある日、三人の住む屋敷に長年仕えた三人のお手伝いたちが流行り病で次々と倒れていった。とはいえ、領地を治める上で、寝る間も惜しむ膨大な執務に追われる三人は、どうしてもお手伝いを必要としていた。そこに、倒れたお手伝いたちと同じくらいの背格好、同じくらいの年齢の、同じような三人がお手伝いとして雇って欲しいと申し出てきた。三人の貴族は喜んでお手伝いを迎え入れた。
それから数ヵ月後の事。三男が行方不明になるという事件が発生した。だが、三男は見るも無残な死体となって、四日後に領地の最南端の川辺で発見された。大切な兄弟を失った貴族二人は、夜間、お手伝いの三人に交代しながら屋敷の門番をするように命じた。だが、それから間も無く、今度は長男が殺されたのだった。死体は見つかっていないが、刺青の入った右腕が玄関に供えられているのをお手伝いが発見したことで長男は死んだのだと判断されるに至った。
唯一残された次男は、お手伝いとは別に探偵を数名、お手伝いの三人にさえ秘密にしたまま雇い入れた。密かに、屋敷の周囲や、時には潜入して、お手伝い三人を含む、屋敷に出入りする全ての人物の監視と調査が続く中、探偵の一人がナイフを手にして次男の部屋へ向かうお手伝いの姿を発見した。探偵は他の探偵と連絡を取り、そのお手伝いを包囲した。ドアに手をかけるお手伝い。その時、探偵たちは確かに見たのだ。
「……“お手伝いの口からは鋭い牙、そして手は狼のそれに変わった、その瞬間を。”……?せ、先生……これ…ッ!」
「アルト、続きを読もう。」
探偵全員が飛び掛っても、その人間だった狼を止めることはできなかった。狼はどこからかあと二匹、探偵たちに襲い掛かる。恐らく、三人のお手伝いは全員、最初から狼だったのだ。その事実を伝えようと、探偵は一人、命がけでその場から逃走した。翌日、次男の死体が十字架にかけられて屋敷の外に立てかけられていたことで、領内は過去に例を見ない混乱に陥った。それ以来、お手伝いたちの姿を見た者はおらず、逃げ帰ってきた探偵が殺人鬼だと誤判され、地下牢獄に投獄されたことで、この騒動は幕を閉じる。
「読み終えた?」
ミレイユの声で、現実に戻ってきた。だが、この一枚目の紙には蒼の調査団について書かれていなかった。その代わりに、はっきりと人狼についての記載が見受けられた。それだけで、僕は自分への大きなヒントを得た気になっていた。
「これは……?」
「それが蒼の調査団の種、と言われてる。最後に囚われた探偵さんが、そのあと何らかのカタチで脱獄して、その狼とやらを追ってるんだってさ。それが、蒼の調査団の正体。」
話を聞くだけなら、その探偵は僕にとても近い存在。だが、調査団というからには、一人では成り立たない。何人か、いるのだろうか。
陰影
二枚目の紙には、同じように文字がびっしりと敷き詰められていた。一枚目に人狼のキーワードがはっきりと出ていたため、自然と二枚目の長文も読み進めて行く。
ここで、ついに蒼の調査団について具体的な説明が入った。二枚目の内容によると、領主を殺したとされて投獄されたあと、脱獄した「人狼を見た探偵」はその後、狼だったお手伝い三人の行方を探しはじめたとのことだった。探偵が人狼を探し始めてすぐ、狼に家族を殺され自分の腕にも傷を負ったと主張したものの家族を殺害した罪に処されたある女性と出会い、なんとか脱獄に成功させたあと、二人で人狼の追跡を始めたと記されている。その後、全国各地で人狼の被害者を水面下で集め、現在では国さえ管理できない影の存在として各地に無数の「蒼の調査団員」がいると、二枚目の紙には書かれていた。
「……蒼の調査団とは、人狼の被害者の集まりだったんですね。確かに、架空の生き物とされている人狼のせいだと主張すれば、人狼を信じない人から見れば自分の罪を打ち消したい土壇場の嘘だと思われても仕方がないのかもしれません。」
「ふむ。なるほど。だが、なぜこの村は人狼を追跡している組織を敵視しているのだろうか。」
「答えは簡単さ。蒼の調査団は、人狼を追跡してる。つまり、蒼の調査団が現れた場所には、限りなく人狼の影が近づいてるってことがわかるワケさ。火のないところにはナントヤラってことでしょ?」
つまり、僕とアルトが調査団だったなら、この村に人狼が関わっている可能性が高いと判断できるわけか。ならば、裏返して考えれば蒼の調査団の登場が、人狼の登場を遠回しに予感させるということ。だとしたら、災いを齎す者、と言うのは理解できなくもない。しかし、調査団に粛清を、という今朝の宿主の会話は理解できない。人狼を調査しにきた蒼の調査団が、遠回しに災いを予感させる存在だとしても、その調査団員を殺すことになんの価値があるのだろう。殺したところで、人狼がいなくなるわけでもない。
とはいえ、蒼の調査団でこそなかったが、僕とアルトは確かに人狼について調べに来ていた。やはり、何らかの形で宿主とその青年には、僕たちの目的が見えていたということだろうか。それとも、偶然に来村者を片っ端から蒼の調査団だと疑ってかかる風習でもあるのだろうか。分からないことが増えるばかりだ。
爪痕
睦月、十五ノ日。僕とアルトは、朝一番に村の広場で殺害された青年イードの容疑者に仕立て上げられそうになったところを、凄腕の賞金稼ぎを名乗るミレイユという女性に助けられた。勘違いされていた“蒼の調査団”の正体に二枚の紙が触れることで、僕の中で人狼がこの村に関わっている可能性を大いに見出すことができていた。ミレイユは「これ以上の情報はないけどね。」と笑いながらその二枚の紙を僕たちから取り戻す。
僕は、村に関わる噂を思い出す。そう、この村は「人狼を神と崇め、人間を生贄と捧げる」という噂があった。それを聞いて、僕はこの地に足を踏み入れることとなったのだ。そして、もう一つ。
「あの犠牲者、イードという青年の死体には、明らかに不思議な点があったのだよ。首につけられた傷跡は、刃物のような鋭いもので斬りつけられたような跡だったが、その傷跡が三本平行に残っていた。少し離れた位置からでもわかるほどに、深く。」
「それが、どうしたってんだい?」
「……なるほど。先生、もしかして、今回の犯行、【爪痕】がカギとなりそうですね。」
アルトは察した。イードの傷は、離れた位置から見てもわかるほどの深い傷を、平行に三本、首につけられていた。これは僕の追っている人狼の殺害手口に限りなく近い。人狼の爪痕は、特徴としてこのように三本の爪痕として残る場合が多い。やはりこの村、何かがおかしい。
「何度も同じ刃物で切りつけたっていう可能性だって、あるじゃないか。」
「いや、その可能性もゼロではないが、そうなるとやはり不自然だ。まず、首を一度斬り付けて死に至った場合はあと二回斬りつける理由がないし、一度の切傷で致命傷に至らなかった場合はイードも逃げ出すはずで、同じ位置に平行して傷がつくとは思えない。その場合、逃げ出そうとしたその背中に切傷があるほうが自然といえる。」
「ははーん……なるほど、ね。首に同じくらいに深さの傷が三本、綺麗に平行して残っているのは不自然ってことか……。」
蒼の調査団に“粛清”を下すつもりだった宿主と青年。その理由が、調査団の登場により人狼が関わるから、だけではなく人狼を本当に神と崇めているためだとしたら。それならば、人狼を「殺人鬼」として追跡している蒼の調査団が必然的にこの村と敵対関係にあることは理解できる。
では、まずイードについて調べる必要がありそうだ。また、朝の時間帯にアリバイの無い村人を調査することも重要となるだろう。
「ミレイユは、この村に来てしばらく経つのかい。」
「え、アタシ?まあ、一週間ほど前からここにいるよ。そうそう、言い忘れていたけどアタシは今ここに仕事で来ているんだ。仕事の内容は人狼の討伐なんだけど……ギルド※1から、この村の人に仕事内容を明かさないようにと言われていてね。この小屋を借りて、用心棒をしているということになっているんだ。」
「人狼の討伐?ギルドが人狼を公に認めているということかい?」
「ううん、違う違う。ギルドは認めていないし、非公式の依頼なのさ。だからアタシをよこしたんだと思う。他の仕事仲間にも一切、この情報を公開することを禁じられているからね。」
だから、蒼の調査団についての書類を有していたというなら、納得だ。また、人狼を探して討伐することを目的としていることを秘密裏にしていることも、僕たちに利となるだろう。
※1ギルド…傭兵や賞金稼ぎ、探偵など幅広いフリーランスが所属する組織。貴族や王族をはじめ、一般の民衆からも舞い込む幅広い仕事を斡旋し、適切な人材に仕事を紹介する完全中立の仲介機関。ギルドは依頼主からの依頼料の半額を紹介料として収益とし、残る半分の依頼料を仕事完遂の報酬として手渡すシステムを採用している。各都市にギルドの支所があり、本部は王都にある。世界最大の組織。
商人
だんだん話が繋がってきた。ミレイユの狙いは存在するかどうかもわからない人狼の討伐で、用心棒として村に迎え入れられていて信頼を得ているということ。宿主の老婆をはじめとする村人は本当に人狼を神として崇めており、人狼を探し出そうとする蒼の調査団という謎の組織と敵対しているということ。そして殺害された青年イードの首に残る三本の切傷が、人狼の爪による傷跡である可能性が高いという推測。
「そういえば、イード君ってあの犠牲者、この数ヶ月以内に両親と妹の三人の家族を失ってるのよね。今は独り身だったはず。」
「家族を?」
ミレイユの話によると、イードの家族も殺害されたとのことだった。三人とも同じ日に、同じように首を斬られて殺されたのだという。最初、ミレイユはイードの家族の住む家に住み込みで用心棒をする予定だった。だがミレイユに知らされていたよりもギルド側の手配が手間取っていたことを気にしたミレイユからギルドへ状況を確認したとき、ギルドは「住み込みの手配先の家族が連続殺人に遭ったため急遽宿泊先を変更することになり、その手配に時間がかかっている」と説明されたそうだ。
「なるほど。同じような殺され方、ですか。先生、これは同一犯の可能性が高いと考えていいのではないでしょうか。」
「そうだな。もう一度、イードの亡骸を調べたいのだが……今は無理だろうな。」
爪痕を見たい。その爪痕を見て、僕は早く確信を得たいのだ。
【そこに、人狼がいたという、確信を。】
「あ、そうそう。イードが殺されたと思われる時間についてなんだけど。隣町から馬車で鮮魚を運んできていた商人が村のはずれに来ていて、そこに村人たちも集まっていたと思うわ。かなり犯人が絞れるはずよ。」
これは重要な手がかりだ。鮮魚を買いにきていた村人は少なくとも容疑者から外れる。いまはイードの亡骸の周りに人が集まっているはずなので、まずはその商人に話を聞きに行く方がよさそうだ。そこに居た人を、一人でも覚えていれば容疑者を狭くすることが出来る。
「行きましょう、先生。ミレイユさん、場所を教えてもらえますか。」
焦点
村のはずれに来ていた商人に話を聞いてきた。その結論から言おう。村の外れで商いをしていた商人は、お客さんの顔をはっきり覚えてはいなかった。故に、アリバイを成立させうる根拠は得られなかったというのが今回の結論だ。
お客さんが買った品を持ってきたら、或いは犯行時間あたり売買取引をしていたことは証明できるかもしれないとは言われたが、それが確実に犯行時間である確証もない。
「……先生、ダメでしたね。」
「調べられないこともなさそうだが、切りが無いな。仕方が無い、こうなったら地道に聞き込みをするしかないようだね。」
「んー、たいしたヒントにならなくて、悪かったね……」
話を聞き終えた三人は、青年イードが殺害されたのを最初に発見した第一発見者に話を聞こうと思い、騒ぎの収まった広場へと向かい始める。
広場は既に死体を撤去され、騒ぎも収まっていた。第一発見者の少女もこの場には残っていないようだ。
「先生、第一発見者とコンタクトを取ることを優先しますか?それとも、収容された死体を先に調べますか。」
アルトの提案は、今まさにどうしようか考えていた僕の思考を言葉にしていた。死体の調査を優先すべきか。
「……死体からいこう。」
広場から、死体が安置されているであろう教会へと向かうことにした。青年イードの首に残る傷が、人狼を確信させるなら、この事件は僕にとって人生を大きく変える事件との遭遇、ということになるだろう。
組織
驚いた。青年イードの死体は確かに撤去されていたのに、教会にはその死体が運び込まれていないと、シスターが話すのだ。
「で、では、この村で死者が出た時はどこに死体を安置するのですか。」
「ですから、普段はこの教会の地下に運ばれるのです。しかし、今回のイード様の亡骸につきましては、当教会は関与していないのです。」
「関与していない?では、教会や村の関係者が死体を撤去したわけではない、というのですね?」
純白のローブに身を包む小柄なシスターが、涙目になりながら必死に答えてくれる。どうやら、嘘をついているようではなさそうだ。では、イードの死体はどこにいってしまったのだろうか。
「お困りのようデスね、迷える子羊チャンたちよ。お前らの悩みを、申し上げるデスよ。」
入口のドアが開き、この教会の神父らしき法衣に身を包む男性が不自然な口調で話しかけてきた。
「おかえりなさいませ神父様。あの……この方々があの事件の被害者イード様について、調べたいと……。」
「シスターリン、なるほどデスね、事情はわかりました。では、奥の部屋へお通ししてやりなさい。……ということデスので、奥の部屋へどうぞ。」
明らかに口調が怪しい、小太りの神父に言われるままに、リンと呼ばれたシスターに案内されて奥の部屋へと向かうこととなった。
奥の部屋。石造りの小さな部屋には、テーブルと、椅子が手前に三つ、奥に一つ。それくらいしか物がなかった。手前にはちょうど三つの椅子があったので、僕を真ん中にして左側にアルト、右側にミレイユとして座る。
「さて、ハジめまして、デスね。ようこそ太陽の村へ。私はこの教会で神父をしているプッチといいマスよ。アナタがたは?」
「僕は探偵をしているジル、こっちは助手のアルト、そして……」
「私はプッチ神父とは面識あるからね、用心棒のミレイユよ。」
ふと、神父が目を細めたのが気になったが、自己紹介を終えて神父は小さく咳払いをして、口を開く。
「イード君の死体について、デシたね。彼の死体は先ほど、賢人機関が引き取っていきましたヨ。」
「け、賢人機関が?賢人機関って、あの、王都直轄の国政組織のあの賢人機関か?」
「なぜ、ですか?」
アルトの質問が、石造りの無機質な室内で静かに伝わる。賢人機関とは、王都に設置されている政治組織の一部で、主に国家の機密事項を取り扱う水面下の組織であることが知られている。しかし、賢人機関がどれほどの人数で、どのような人たちにより構成されているのかは明かされておらず、ぼんやりと「国の裏側を支配している組織」という程度の認識しかされていないのが一般だ。
「なぜ?それはこちらが知りたいところデスね。通常なら、シスターリンからも話があったとは思いマスが、この教会の地下に一度安置したあと、墓場へと埋葬するのが決まりなのです。」
何が起こっているのだろう。想像を絶する規模で、何かが動いている気がする。そんな、悪い予感しか、しなかった。そんなことを考えているあいだも、神父の話は続く。
「今回は、どこで嗅ぎつけタノか、いえどこからイード君の死が伝わったのか、賢人機関の連中が来てすぐに連れていってしまいマシた。」
「いったい、何が……。」
疲労
青年イードの亡骸を調べることは叶わなかった。国家組織・賢人機関が動いていることも気になるが、それよりも僕が思うのは「いよいよ人狼の気配を感じる」ということだ。早く会いたいという感情とは違う、だが近い感情を抱いている。証明したいのか、それともまた別の感情なのか、僕の中でもはっきりとしない、強い欲望なのか、この感情をはっきりと定義することは現段階では不可能だ。
この村には人狼が潜んでいる、それが明確になってきただけで、来た甲斐もあった。同時に、「猟奇的殺人鬼」である人狼はここでも青年イードという尊い人間の命を奪った。やはり、許すことはできない。
「何としても、追い詰めてみせる。」
「ん?なんか言った?」
覗き込んでくるのはミレイユ。いや、なんでもないと首をゆるく振りながら、教会を後にする。一度、宿に戻ろうという結論になったが、ミレイユは自身の寝泊まりしている小屋に戻ると言って、ここで別れた。
宿に戻ると、驚くほどの疲労感に負け、気づけばベッドに座っていた。
「先生、お疲れ様です。しかし、ボクたちがこの村に来てすぐに事件が起こるなんて、変な偶然ですね。」
「それはずっと思っていたよ。だけど、現実としてイード君は死んでしまった。あきらかに他殺で、ね。あの爪痕は遠目に見ても狼のそれだったと思うんだ、この事件……突き詰めれば人狼の尻尾をつかめるかもしれない。」
ベッドに座っていてもなんの情報も得られない。
そう思った僕は第一発見者である村娘とのコンタクトを図ろうと立ち上がった。
宿を出たところで宿主の老婆とすれ違う。
「あァんたら、どォこ行くんだァい?」
「先ほどのイードさんの死体を発見した女性はいま、どちらにいらっしゃいますか?」
老婆は不機嫌そうに、いや元々そういう顔つきだったかもしれないが、視線を外して宿の中へ入っていく。壊れかけた古いドアがそよ風に靡いて軋む音と、同じくらいの声量
で背中越しに声を発してきた。「今頃、マーサは神父と話をしているだろうよ。」とだけ残して、ドアを勢いよく閉めた。
容疑
再び教会へ向かう。入れ違いに、第一発見者だった村娘マーサが教会を訪れていたらしい。他の村民も集まっていた。
「そレデ、朝の広場を歩いてイタところ、マダ誰もイない広場で倒レテいるイード君を発見し、悲鳴をアゲた、と。」
「はい……間違いありません……。」
教会のドアを開くと、手前の椅子には他の村民が座り、奥の十字架の下に立つ神父が、その手前で跪く村娘に問いかけていた。
「その時、イード君に息はアリましたカ?」
「冷静じゃなかったんです、そこまで確認できませんでした。……で、でも……たぶん、息はしていなかったと、思います…。」
「なるホど。……それより、そこの探偵君と助手君、こっチまで来てクダさい。」
呼ばれると僕とアルトは視線を合わせてうなずいた後、ゆっくりと歩き出した。石造りの教会の床に、革靴が乾いた音を響かせる。村民がざわめく中、神父と村娘の方へと歩みよっていく。跪いていた村娘は立ち上がり、泣きそうな顔でこちらを見てきた。まるで、助けてくれと言わんばかりに。
「あの、私……見て、しまったんです。」
ある程度の距離で立ち止まったあと訪れたこの静寂を崩したのは、神父の少し離れた横に立っていたシスターだった。
「見たって、何をですかシスター……。」
青ざめた顔で村娘マーサがシスターリンへと問いかける。傍聴している村民のざわめきも一時的にやみ、完全な静寂が支配した。
僕とアルトさえ、シスターが何を見たと言い出すのか、予想さえできなかった。もし、青年イード君を殺害した人物がわかっているのなら、それはこの事件の終幕を意味する可能性もある。ここにいる全ての人が、神父さえも、シスターへと意識を集中させた。
「……マーサさん、もう、やめましょう。"自分が殺した"と正直にいえば、神もせめての慈悲をかけてくださいます。」
「シスター……ち、違います!みなさん、私は殺していません!!本当です、シスター、変なことを言うのはやめてください!!」
金切り声が教会に響いた。冷静を失った村娘へ向けられる村民の視線は冷たい。ざわめきが起こるより先に、シスターの発言の意図を感じ取ったマーサが、大声で否定しながらシスターへと駆け寄る。神父プッチがその二人の間に割って入り、互いの体を手で押して掴みかかろうとするマーサを止める。
「落ち着いテクださい、マーサさん、ソれにシスターも、詳しく話を聞かセろ下さイ!」
十秒程度の沈黙が訪れたあと、シスターはゆっくりと口を開いた。申し訳ないことを報告するような、辛そうな表情で、俯きがちになりながらだ。
「今朝、教会の裏にある井戸水を汲みに外に出た時……遠目に、広場で二人が揉めているのを見つけました。」
「嘘よ!!みんな、聞いちゃダメ!!この女、私をハメようとしてるわ!!」
「遠かったので、何で揉めているのか、何を言っているのかはわかりませんでした。しかし、イードさんに掴まれた彼女は、近くにあった農業用のカマで……。」
「やめなさいよ!!あんたでしょ、本当はシスターが殺したんでしょ!?私に濡れ衣を着せるのはやめて!!みんな信じちゃダメ、私を信じて!」
神父に止められているにも関わらず、それでもシスターに掴みかかろうとする村娘。シスターリンはマーサの必死の言論に怖れ、数歩下がって壁に背をあてた。
椅子に座っていた村民たちが各々立ち上がり、ざわめきを漏らす。僕とアルトも、正直に言って驚きが隠せなかった。殺害した人物が第一発見者として名乗り出るケースは少なくない。犯人は現場に戻るともいう。だが、彼女が青年を殺す動機は何かあるのだろうか。ただ、揉めただけで殺すような暴力性は彼女から感じられない。
疑惑
「マーサさん。……今の話は、真実デスか?」
「事実無根の虚言です神父様!あの女が、私をハメようとしているに違いないわ!」
「ちょっと待ちなァ、あァんた……おい小娘、あんたイードや村のみんなに対して恨みがあっただろォが!」
いつの間にか教会の入口に、宿の老婆が立っていた。マーサを指差し、鋭い口調で場を制する。再び静寂が訪れた。
「……最近、村に越してきた小娘、あんたは部外者だって、イードや他の村人から冷たく接されていたねェ?」
「そ、それは……。し、しかしそんなことで殺したりしません!」
マーサは必死だった。それでも老婆は続ける。
「あたしャ、殺した現場は見てないがァねェ。シスターがァそういうなァら、今朝もイードからバカにされたか、余所者扱いされてェ、逆上して殺したんだろう?」
「狂ってるわ……みんな、どうかしてる。私じゃない、私が殺すには理由が無さすぎる……。信じてよ、私じゃない、私じゃないの!!」
「村の決まりを教えてやァるよ、小娘!この村じゃ村民を裏切った者は、死刑に処される決まりがあるんだァよ!!」
老婆が細く、それでいて場の全員の耳に届くはっきりした声で、高らかに言い放つ。
村民のざわめきはどんどん加速していく。マーサは絶望に満ちた表情でその場に崩れ落ちた。謂れのない罪に問われた事による絶望か、真実を告発された事による絶望か、本人のみが知るところではあったが。僕とアルトはただただその様子を見つめることしかできなかった。
ただ、彼女が村の総意という誘導により殺されようとしている可能性については感じていた。何かが、彼女を強引に殺そうとしている、そんな気が少しだけしていた。
もしも村娘マーサを嵌めて殺そうとしている人がいるとすれば、単純に考えてシスターリンが怪しいところではある。彼女しかマーサの殺害現場を見ていないわけだから。
泣き出す村娘マーサ。シスターリンは目を閉じ、神父プッチは両手を合わせ神に祈り始めた。老婆は振り向き村民へ大声を繰り返した。
「死刑の執行を!罪深き者に粛清を!」
「死刑の執行を!罪深き者に粛清を!」
村民が次々に立ち上がり、片手を挙げて老婆に続く。気づけば、この場にいる村民全員が、老婆に続いて大声で処刑を訴えていた。
頭を抱えて泣き喚くマーサ。絶望の色が濃くなると同時に、シスターへの殺意に近いオーラを纏い、ゆっくりと立ち上がった。
「許さない……。」
どちらの意味なのだろう。
シスターに殺人現場を見られたことに対してか、それとも本当に濡れ衣だったことに対してなのか。しかし、シスターが殺したわけでもない限り、ここでマーサに濡れ衣を着せる理由が見当たらない。本当にシスターが殺したとしたら、それこそ理由がわからない。とはいえ、それはマーサも同じことではある。
ただし老婆曰く、外から村に越してきたらしい村娘マーサは"余所者扱い"に苦しめられていたようなことを言っていた。そこについては、マーサからの否定もなかった。
その点については事実なのだろう。とすると、シスターよりもマーサの方が殺害に至る動機は少し触れるようにも感じる。だが、殺人に至るほどの嫌がらせを受けていたという確証はどこにもない。目撃例があったとしても、余所者に対して厳しいらしいこの村の村民が口を割るとも思えない。
ここでマーサを庇うようなことを言えば、たちまち共犯者とも裏切り者とも、どう呼ばれて断罪されるかわかったものではない。そういった点も加味すれば、ここではこれ以上の情報は出てこないだろうと思う。
身代
「村の決まりって託けてるけど、それも単なる殺人よ!シスターも宿屋さんも、みんなして部外者の私を殺したいだけじゃない!!」
「人殺しィが私たちをいくら人殺しって叫んでェも!もう後の祭りィだよ小娘ェ!」
老婆の言い放つ言葉で、どんどんマーサは崩れていった。僕の方を見て、マーサは最後の希望を見出したように、すがってくる。
「……信じてください、あなた方、探偵の方でしょう?……私じゃないんです、撤回できるだけの証拠は何もないけど、私じゃないんです……!
アルトがこちらを見たあと、マーサを見た。この場で彼女を助けるのはほぼ不可能だと判断できた結果、僕とアルトは恐らく同時に同じ結論に辿り着いた。
「みなさん、僕は探偵をしていますジルと申します。そしてこっちは助手のアルト。」
「まァた、あんたらかァ!?邪魔しないでおくれ、これはァ、この村の事なァんだ!!」
そうだそうだ、と聞こえてくる。村人からの強い反感を買ったようだが、職業柄、どうしても確定していない犯罪で処刑されるのをみすみす見過ごすわけにもいかない。調べたところで、何が変わるのかもわからないが、とにかくこの場でこのまま何も提案しなければ即刻の処刑が執行されるだろうと思えて仕方がなかった。
「いえ宿主さんの仰ることは大変納得がいきます。それに村の決まりとなれば、裏切り者が処刑されるということについても問題はないと思います。」
「だァったら、なんだい?この小娘をかばってあァんたが処刑されてくれるっていィうのかい?ふんッ、馬鹿馬鹿しい!!」
「そうではありません。彼女が殺したという証拠はシスターであるリンさんの目撃証言のみです。少しだけ時間をくれませんか。彼女が殺害を実行した証拠などを調べさせていただきたい。」
村人たちは口々に罵詈雑言を飛ばす。僕を否定したり、マーサに暴言を飛ばしたり、様々だ。
この場では、完全に宿主の老婆側についている方が安全だ、妥当な判断だと思う。思っていても、いなくても、僕たちとマーサを否定する方が身の安全という判断に至るのは至極当然。もし、調べた結果としてどうしてもマーサの処刑を覆すことができなければ、本当に処刑にしそうな勢いだ。
そのあたり、この村の人達にまったく抵抗はないのだろうか。一部の発展途上国や、未だ文化の整っていない民族のように、捜査などを行わずに状況のみを見て誰かを処刑にすることができるとは、俄かに信じ難い。処刑と言えども人を殺すのだ、そんなに簡単に決めていいとは思えない。だが、この村はそれを簡単に決定してしまった。
状況だけで見れば、村娘マーサは圧倒的に不利だ。聖職者たるシスターリンの目撃証言は村民にとって疑う必要が無く、もしシスターリンが青年イードを殺害していたとしても元々この村の生まれではない"部外者"であるマーサはスケープゴート(=「身代り」の意)にしやすい立場でもある。その上、シスターと老婆に何か反論すれば今度は自分に矛先が向かう可能性も十分考えられるため、村人の総意はマーサの処刑で堅い。
つまり、村娘マーサが青年イードを殺したのかどうかを見極めるために村人に聞き込みを行うことはできない。死体を調べようにも賢人機関が引き取っていて見ることもできない。第一発見者ということは、それ以前の目撃情報も得られそうにない。調査するには最低の状況といえる。
村の総意を得るには、老婆を動かすのが最も早いだろう。老婆が納得すれば全ての村民も納得するに違いない。
見たところ村長不在のこの村は、恐らく最年長たる宿主老婆が全ての実権を掌握しているはずだからだ。
「いいだろォう!では、この村の夜を告げる八時の鐘がァ鳴る刻まで時間をくれてやァる。それまでに村人全員が納得できる証拠を見つけたらァ……小娘の処刑は無しだ!」
「ありがたい。では、さっそく調査を開始します。伴って、彼女……マーサさんとお話をしたいので、夜の八時にこの教会集合ということで……よろしいですかな?」
崇拝
涙も枯れたマーサを連れ、三人で教会の外へ出る。村民と老婆の冷たい視線を浴びながら。
人間は絶望するとこんなにも表情を"無"にできるのかと痛感する、そんな表情をしているマーサ。アルトも声をかけようとしたが、何度も口を開きかけては、噤んだ。
外は雪が降り始めていた。積りそうだ。
「マーサさん。確認させてください、あなたの口からもう一度。あなたは、彼を殺していないのだね?」
「はい。私は殺していません。助けてくれてありがとうございます、探偵さん……でも、殺していないという証拠は、なにも思いつきません……。」
「絶望しないでください。なんとか、方法を考えたいと思っています。なんでも結構です、些細なことでも、何か証明できそうなことはありませんか?」
こういったケースは、ほんのわずかな情報がひとつ確定するだけで、大きく状況を動かすことができる場合が多い。
今回の場合だと、マーサが殺していない場合、殺害している人は他にいることになり、マーサは濡れ衣を着せられていることとなる。つまり、ひとつでも彼女に有益な確定情報があるか、ないか、それだけで他の人を容疑者として引き立てることができるか、できないかが分かれるところだ。
たとえば朝、シスターが水を汲みに行った時間が確定し、その時間に他の誰かとマーサが会話していた、などということがわかればアリバイが成立する。そんなに上手くいくとは思っていないが、たとえばそういうことである。
今、考えられるケースは……。
村娘マーサが殺害したケース。シスターリンが殺害して村娘マーサに濡れ衣を着せているケース。老婆が殺して村娘マーサに濡れ衣を着せているケース。
他には神父が殺したのを見たシスターリンが村娘マーサに濡れ衣を着せようとしているケースか。これだと、シスターは殺していないが神父の容疑を逸らすためなら納得がいく。とはいえ、神父もシスターも青年を殺す動機が見当たらない。そして宿主は殺害される少し前に、アルトが宿の廊下で会話している様子を聞いている相手だ。会話の内容から考えて、青年を殺すことは考えにくいだろう。"蒼の調査団"に粛清とやらを下そうとして、それを宿主が止めていたわけだ。その"粛清"はおそらく殺害のことだろうが、粛清するかどうかを相談しあうような関係の相手を殺すだろうか。それとも、青年が勝手に"粛清"する前に宿主自らが処分した、とも考えられないわけではないか。
「あの。」
マーサが小さな声で口を開いた。宿の近くまで来ていたので、話の続きは部屋でと促し、宿へと戻る。
部屋に戻ると、隙間風で部屋は冷え切っていた。古びた暖炉に木材を投じ、アルトがライターで火をつける。
「……それで、何か思い出したのかな。」
「思い出したわけではないのですが。この村、狼を崇拝しているんです。狼を崇め、定期的に生贄を捧げなければならないって、話を聞いたことがあります。」
「生贄……。」
この村を訪れたきっかけでもあるキーワード。狼に捧ぐ生贄。
どんどん血生臭くなってきた。人狼の尻尾が掴めそうな距離までやってきたような気がした。
「もしかして……その「定期的に」が今で、誰かを強制的に生贄にしなければならなかった、のではないでしょうか。それなら私が殺したことにして、処刑にすれば……。」
「なるほど。いきなりマーサさんを生贄にするには理由がないので、村人全員でグルになってマーサさんを死刑に追いやり、生贄に捧げるための作戦かもしれない、と。」
「でもそれなら、イードさんを直接生贄にすればよかったのではないですか?」
アルトが久しぶりに口を開き、指摘してきた。確かに死者を二人だす必要はあったのだろうか。
そういう意味では、生贄のためにマーサを挙げる必要はなかったのかもしれない。生贄に捧げるというその方法にもよるが。例えば死体を捧げるのと、生きたまま捧げるのでは意味が違ってくる。老婆の言う「処刑」は生きたまま狼に捧ぐことにより処刑と定義しているのか、殺してからどこかに奉納するのか、それによって考え方も変わる。
爪跡探偵ジル〜太陽の村〜