薄桜鬼(改想録≠メモワール) 藤堂平助編8
生きざまと哀の詞
ここを出ていく決断をするのは、思ったほど簡単じゃなかった。
佐之さん達の顔が何度も頭をよぎって、裏切るのか平助、って責められるんじゃないかって思って、相談すらできなかった。
それに、言ったらきっとひきとめられる。そして、説得されたら絶対に折れてしまう気がした。俺は本当はどうしたいのか、それがわからなくなってしまう気がした。
それで俺は、伊東さんに話を聞きにいくことにした。
羅刹の一件でここを出ていく覚悟を決めた彼に、俺はついて行こうと考えた。
だがその前に、彼が今なにを考えているのか知りたかった。
新選組を離れることは、死を覚悟することだ。
土方さんは今回、表向きは友好的な分離としているけど、妙な動きがあればすぐに分離派を潰しにかかるだろう。決して、容易な決断ではなかったはずだ。
伊東さんを新選組に誘ったのは俺だし、本当に羅刹のことで出ていくのか、それとも他に真意があるのか、一度ちゃんと話をする必要があったのだ。
「伊東さん…いま、大丈夫ですか?」
「藤堂くんですか…いいですよ。どうぞ。」
俺が伊東さんの自室に入ると、彼はこちらへ背を向けて、書類や物品の整理をしているようだった。
「伊東さん…本当に出ていくんですね。」
俺がそう声をかけると、彼はため息をひとつつき、
「…ええ。さっき近藤さん達の前でお話しした通り、わたくしは、あの羅刹とかいう兵隊を使うのには反対です。」
彼はこちらを見ずに、淡々と片付けを続けながら話す。
「幕府の密命だかなんだか知りませんが…
あんなもので国を守ろうとは、わたくしは思いません。まぁ、近藤さん達が守ろうとしているのは、この国ではなく、単に幕府だけなのかもしれませんが。
その点でも、彼らとはもう意見が平行線なのですよ。だから、わたくしはここを出ていくのです。」
いつも、ゆったりとしている伊東さんには似つかわしくない早口で、一気にそこまで言うと、部屋に沈黙が降りる。
「…そっ…か。
なんか、すみません。
俺が伊東さんを新選組に誘ったばっかりに…こんなことになっちまって。」
俺がそう言うと、彼は手を止めて顔をあげ、
「いいえ。
京に参るきっかけを与えてくれた君には、むしろ感謝しています。
それに…今回、わたくしを慕ってついてきてくれる隊士も何人かいます。ですから、君が気に病むことはありませんわ。」
と、言ってくれた。
彼の目は、心からそう言ってくれている感じだった。
「……」
俺が、言うべきことをどう切り出そうか悩んでいると、また伊東さんが口を開いた。
「君は、あの薬の実験に賛成なのですか?」
「えっ…」
「もし、そうではないのなら早めにここを出ていくことを勧めます。
あれは、人を狂わせる。」
…それはそうだ。あの薬を飲んだ人間は、徐々に血を求め理性を失う。それは山南さんが伊東さんにも説明したはずだ。
当たり前の事実を思案げに話す伊東さんを訝しむ顔をしていると、
「…それは、なにも薬を飲んだ人間だけではありませんわ。周りの人間も、あの薬の存在に影響を受けてしまう、という意味です。」
それってどういう…
「…山南さんが、羅刹とやらになった理由を聞きました。」
「え…」
「彼は、腕の傷のために相当追い詰められていたそうですね。」
確かに…山南さんは、隊務で負った傷が治らないと悟ってから、人が変わった。
顔を合わせれば、自虐的な物言いと、動ける隊士への嫌みばかり。優しい俺たちの兄貴分だった山南さんはもうそこにはいなかった。
「しかし彼には剣を失っても論孝の才があった。
ですが、わたくしが参謀として加入したことで、今まで新選組の頭脳としての役割を担ってきた彼は、完全に居場所を失った…」
伊東さんの目に物悲しい光が宿っているのを見て、俺は驚く。
「わたくしは、彼の才能をとても評価していました。ですから、彼が亡くなったと知って、とても悲しかったのです。」
「……」
「でも、彼は死んだのではなかったのですね。苦悩のあまり死ぬことすらできず、あのような薬に頼り、生きるよりほかなかったのですね…」
伊東さんがここに来たとき、みんなはあんまりいい顔しなかったんだ。
だけど彼は一向に意に介さぬ様子で、自分の論説を披露するものだから、皆ますます顔をしかめた。
そんなだから、てっきり伊東さんは俺達のことを嫌っているか、興味がないのだと思っていた。でも、そうじゃなかった。
「あの人を追い詰めたのは、わたくしの責任でもあります。」
「伊東さん…それは…」
「それなのに、ここに居続けられるはずないじゃございませんか。」
にこりと微笑んでそう言う彼に、俺はもう、なにも言えなくなってしまう。
「それに、わたくしはあの薬に関わりたくはないのです。
不必要にその身を生き長らえるより、時が来て世を去るその日まで、限りある命を全うする…、それがわたくしの生きざまだと心に決めているのですから。」
ーー生きざま。
その言葉に、俺は強く心を揺さぶられた。
そうだ、俺は、羅刹にはならないと誓った。もし求められても、決してあの薬を口にしないと。
最後まで、自分を見失わずに死にたい。それは、俺の決意にも似た願いだった。
「伊東さん…
俺…、俺も、伊東さんについてこの新選組をでます。」
気づいたときには、そう口にしていた。
山南さんの死を悼み、その無念を理解していた伊東さんは、危険を承知で離隊を申し出た。
山南さんを止められなかったのは、俺達の責任でもあるのに、彼はなにも言わなかった。全部胸ひとつにしまい、黙って出ていく。
それなのに、自分だけ新選組でのうのうとしているなんてできないと思ったんだ。
伊東さんについていくという意向を、土方さんと近藤さんに告げたとき、土方さんはいつもの感情の見えない冷徹な表情で俺を見つめていた。
一方、近藤さんは、岩みたいな顔をますます堅くしかめて、うーむと唸った。
「…平助。」
俺はうつむいたまま、返事をした。
「はい。」
「お前、本当にそれでいいのか。
ここには、お前を慕う者や、お前を信頼する仲間がいる。だが、あちらには誰もおらんぞ。伊東さんだって、お前をどこまで信頼してるかはわからん。」
伊東さんに裏切られた苦渋を思ってか、近藤さんは眉根に深い影をつくる。
「俺たちは、日の本のために、この先も命を懸けて闘わねばならん。それはここにいても、伊東さんのところへ行っても変わらんだろう。
そのとき、俺たちならば、闘いのなかである程度お前を助けてやることができる。
お前はかけがえのない剣客だ。」
近藤さんはきっと、俺を引き留めたいのだと思った。その気持ちは嬉しかったけど、もはや考えを改めるつもりはなかった。
「それは、わかっています。
でも、俺は…やっぱりここにはいれません。」
きっぱりとそう言って、近藤さんの目をまっすぐに見つめた。
「…そうか。
お前がそこまで言うなら…仕方あるまい。」
近藤さんはずっと険しい顔だったけど、その眼差しは寂しそうだった。その目を見ていると気がとめる思いがしたが、俺はそれを振り切るように部屋を出た。
でも、ちょうどそのとき。
「あっ…平助くん!!」
ぱたぱたと、男たちよりずいぶんと軽い足音が背後から近づいてきた。
千鶴だ。
「…蒼。」
俺はあえて千鶴を男名で呼ぶ。
「平助くん…ここを出ていくって…本当?」
困惑した表情でいきなりそう聞いてくる彼女に、俺はちょっとうろたえた。
「あ…ああ、うん。そうなんだ。」
「そんな…」
千鶴は、唖然として口をわずかに開け、瞳を不安げに揺らす。
ああだめだ。俺、お前にそういう顔をされるとすごく胸が苦しくなるんだ。
「どうして…って、訊いてもいいかな。」
千鶴が遠慮がちにそう言うので、
「そう…だな。うん。
お前には話しとかないとって思ってたし。
じゃあ、とりあえず中庭へ行かないか?」
俺たちは中庭へ出て、縁側に腰かけた。
「先に言っとくけどさ、俺は別にみんなのことが嫌いになったわけじゃないんだ。」
「うん…」
「ただ…なんていうか、このままじゃいけないってずっと思っててさ。いつかはここを出なきゃっていうのは、前から思ってたんだ。」
若変水と羅刹のこと、俺は反対だからとは言わなかった。だって、あれをつくったのは千鶴の父親だから。そんなことを言ったら、彼女が傷つくって、それくらい俺にもわかる。
「でも…原田さんや永倉さんは…?
私が…こんなこと言うのもおかしいかもしれないけど、みんなずっと一緒に闘ってきた仲間なのでしょう?」
「それは…そうだけど。でも今まで一緒だったから、これからも一緒かどうかなんてわからないだろ?こんな時世だし…俺がそうじゃなくても、他の誰かが離れるかもしんないし。」
「……」
「俺は、この国の行く末がどうなるか見てみたいんだ。それは、同じところにいたらダメなんだって思った。だから、今回は伊東さんについていくんだ。」
千鶴はずっと黙って俺の話を聞いていたけど、やがてふっと寂しげに微笑んで、
「うん…そっか。そうだよね。
私は思想とか、政治のことはよくわからないけど…平助くんがきちんと考えて決めたことだものね。」
と、言った。
それからうつむいて、自分のつま先をじっと見つめた。
「でも、寂しく…なるな…」
「っはは…蒼、どうしてお前がそんな顔するんだよ!!俺なんかのことより、綱道さんの捜索の方が大事だろ!?
…ていうか俺、最後まで力になれなくて、ごめんな…」
「ううん。そんなことない。
平助くんは、一生懸命父様を探してくれた。私はそれだけで十分だよ…」
「……」
続く言葉が見つからず、微妙な沈黙が流れる。
俺だって、千鶴と離れたくなかった。
本当は、もっとずっと一緒にいたかった。
でも、それは俺の生きざまじゃないんだ。
俺はきっと、闘いのなかで死ぬ。
いや、そのくらいの覚悟で今まで剣をふるってきた。
常に真っ先に敵に向かい、絶対に背は向けないと決めてた。
…なぜなら、俺は本当は臆病だから。
怯えたら、迷ったら、敵に斬り込まれて終わりだと知っていたから。だから、あえて危険な状況に自分を追い込む闘い方しかできなかった。
少しでもさしちがえたら、きっと死んでた…隊務でそんな日も少なくない。そういう日常を送っているのに、千鶴みたいな普通の女の子の傍にずっといたいなんて、どう考えてもおかしいだろ?
「なぁ…蒼。
綱道さんが見つかったら、すぐにここを離れろよ?」
「…えっ?」
彼女は、予想もしていなかった言葉だったからか、大きく目を丸くする。
「お前はさ…こんなとこにいるべきじゃないって俺思うんだ。ここは人が死にすぎる…。」
「平助くん…?」
「俺のことも、もう構わないでくれ。俺は…剣客だ。…この先は関わらない方がいいと思う。」
自分でも…驚いた。
吃驚するくらい冷たい、突き放すような言い方をしてたから。
千鶴の顔を見るのが怖くて、俺は顔をそらしたまま腰を上げた。そして、そのまま立ち去ろうとすると、
「…どうしてっ…」
悲痛な声が響いて、振り返ると、彼女の途方に暮れた顔が目に入る。俺の心臓はまたドクンと嫌な音で揺れる。
「どうして、そんなこと言うの…?
確かに…私は新選組の仲間でもなんでもない。
だけど、今まで一緒に暮らしてきて、生意気かもしれないけど、最近は少しだけ認められてるのかなって思ってて…」
千鶴は、心にあるがままの思いを、吐き出すように言葉を紡ぐ。
「私なんて邪魔になるだけで、ここにいてもなにもできないっていうのもわかってる。
だけど、私も皆と別れるのは…
平助くんと別れるのは…すごく悲しいんだよ。」
違う。
そうじゃないんだ、千鶴。
俺はお前のことが邪魔だとかそういうんじゃなくて…ただ、ただもう危ない目に合ってほしくないだけなんだ。
人が死ぬところを…斬り合いを見せたくないし、闘いに巻き込みたくない。
そう言いたいのに、なぜか素直な言葉が出てこない。それどころか、つい責めるような言い方をしてしまう。
「だけど…俺たちは人を斬る集団なんだ!!
人を斬るためには羅刹にだってなる。
普通に暮らしてるひと達とは違うんだ…!!
お前とは…生きてる世界が違うんだよ。
だから…!!」
「わたしだって…!!」
そのとき、千鶴が俺につられて大きな声で叫んだ。
「ひとじゃ…ないかも、しれないもの…!!」
彼女は、確かにそう言った。
「……えっ?」
ひとじゃない?千鶴が?
俺には、言ってる意味が全くわからなかった。でも彼女は珍しく取り乱し、顔を真っ赤にしてうつむいている。
「……」
俺はそっと千鶴に近づいた。
言わないようにした彼女の名前が唇からこぼれる。
「千鶴…ごめん。
俺…。」
そして、手を伸ばして彼女の肩に触れようとした。でも、千鶴はうつむいたままだから、俺はためらって、その手を中途半端に宙にさまよわせる。
すると、千鶴がゆっくりとその顔をあげた。
今にも泣きそうで、黒目がちな瞳が濡れている。
俺は、はっと息をのんでじっと彼女を見つめた。
「ちづ…」
再び名前を口にしようとしたとき、
すっと…彼女が俺に近づいて、結い上げた髪が一筋、頬に触れた。気づくと彼女は、俺の右肩のあたりに額を押し当てていた。
「……!」
「…ごめんなさい。」
「ち、千鶴…?」
「す…少しだけ、こうしててもいい…?」
まるで、涙をこらえてるみたいな声だった。
ここからだと千鶴の顔が見えないから、泣いているかどうかはわからない。
泣いているのだとしたら、きっと俺のせいだ…でも、なぜかそのときだけは違うような気がした。
彼女は彼女で、誰にも知りえぬところで、なにか葛藤しているように思えたのだ。
千鶴の細い肩が小刻みに震えている。
思わず抱き締めてやりたくなったけど、できなかった。本当は、なにがあったか聞いて、相談にのって、そして、その不安を除いてやりたい。
でも、ここを去る俺には、それは許されないんだ。彼女の傍にいてやれない俺には。
しばらくすると、彼女は触れていた額をゆっくりと離した。
「お…落ち着いたか…?」
「うん。」
「千鶴…ごめんな。」
俺は謝ることしかできなくて…でも千鶴は、
「あ…私こそ、ごめんなさい。
変なこと言って…
その…今のは忘れて。」
そう言って明らかに無理しているような笑顔をつくった。俺は…息苦しさを覚えるくらい、胸が締め付けられた。
「平助くんの言うことわかるよ…
私はここにいちゃいけないって、自分でもそう思う。
だけど、いまはまだ離れることはできないから…せめて私にも、皆と同じように平助くんを見送らせて。」
「千鶴…」
俺はそのとき、自分が本当に情けない男だと思ったんだ。
生きざまとか志とか、偉そうなことを言ってるけど、目の前の大切な女の子に手を差し伸べてやることさえできない。
彼女が、ひとりでなにかを抱えて悩んでるって分かってたのに、なにも言えなかった。
新選組自体に未練はない、と思えた。
心の底では違ったのかもしれないけど、少なくともそう思うことはできた。
でも、千鶴のことは何故か割りきることができなくて、伊東さんと共に御陵衛士として活動し始めたあとも、俺は彼女のことを何度も思い出していた。
千鶴は別れるの日の朝、外に見送りに出てきてくれて、俺に、
「また会えるよね?」
って訊いた。俺は、そうだな、会えるといいな、ってはぐらかしたんだけど、彼女は、
「また平助くんに会いたい。」
って、そう言ってくれた。
俺も、できることならもう一度、千鶴に会いたかった。
そして、彼女のあの柔らかい笑顔に触れたかった。闇を割る白い光のような、屈託のない笑顔に。
今さらもう遅いってわかっても、忘れることができなかった。
俺は、千鶴が好き…だったんだ。
薄桜鬼(改想録≠メモワール) 藤堂平助編8