薄桜鬼(改想録≠メモワール) 藤堂平助編7
花嵐
山南敬助という人がいました。
新選組の総長を務めていた男です。
かつては、ですが。
私が初めて彼に出会ったとき、彼はすでに変わってしまっていました。だから、私は本当の彼を知りません。
しかし、隊士達の心のなかをのぞくと、かつての彼を慕っていた者は多いように思いました。きっと相応の人格者だったのでしょう。しかし、彼は変わってしまった。
当たり前の日常の輪のなかに、彼の姿はありませんでした。
私達のもとに新選組が来てから、坊主達は寺の奥に追いやられ、ずいぶんと小さくなっていました。
新選組は、彼らにとっては完全に招かれざる客でした。
殺生や暴力を禁じる仏教寺の境内で、剣戟や大砲の練習をするから、というのもありますが、恐らく坊主達が嫌悪するものはそれだけではありません。
私はある日、とある「薬」の存在を知ります。
「まさか…総長はご切腹なされたと聞いたが。」
「いや…でも、俺見たんだ…。夜中、境内のすみに山南総長が立っているのを。」
「…馬鹿やめろよ。こんな真っ昼間からそんな話…そんなわけねぇだろ。」
「だ、だけどよ…他にも見たってやつがいるんだ。総長、ここから脱走しようとして、副長達に切腹させられちまったんだろ?本当に化けて出てるのかも…」
そんな平隊士の噂話を聞いてから間もなく。
山南は私の前に現れました。
皆が寝静まった宵の頃です。
「あぁ…美しい桜ですね。
できれば、陽の光の下で愛でたかったものですが…」
そう言って、私の花咲く枝を褒めました。
彼は、生きていました。
一部の幹部を除き、表向きは切腹して果てたことになっていたのです。
「山南さん。」
そんな彼に声をかけたのは、あの女の子です。
「こんなところにいらしたんですか。
皆が山南さんのこと、呼んでいますよ。」
「雪村くんですか…」
彼が振り返ったとき。
「ちっげーよお前、だからー…」
「おめーこそ、なに言ってんだよ、俺はなー」
向こうから平隊士が話しながらやってくるのが見えました。
「……!
山南さんっ、早くっ…こちらへ…!!」
彼女は慌てて山南を私の幹の陰へと押しやり、隠すようにその前に立ちました。
隊士達が私達の横を通りすぎ、
「お…お疲れさまです。」
千鶴はおじきをして、何気ない風にやり過ごします。
「おう、お疲れ!!」
「なんだお前、こんな時間にうろちょろしてると、副長に叱られるぞ?」
「ははは、っつーかそれ、俺らもだろ。」
隊士達が見えなくなるのを確認して、千鶴が山南に告げます。
「もう、大丈夫です。」
「…手間をかけましたね。」
「…いえ。」
「しかし、思ったより不便なものですね…
腕が治ったとはいえ、陽の光を浴びることも、堂々と人前に出ることもできないというのは…」
「……」
「変若水の代償は、決して軽くはありませんね。」
そう言って穏やかに微笑む彼は、昔の面影を残しているのかもしれません。ですが、傍らにいる千鶴の顔は浮きません。
「山南さん、私は…」
「雪村くん。
君があのとき、私を止められなかったことを悔やむ必要はありません。」
「…!」
ふいに彼は口調を変え、語気を強めて彼女に告げました。
「なぜなら、私は本当に後悔などしていないのですから。」
月の光にさらされた彼の姿は、まるで影をまとった夜叉のように見えました。
不気味な闘志を秘めた目をこちらに向け、話し続けます。
「変若水は素晴らしい。
例え太陽の下を歩けなくとも、人目をはばかるようにしか生活できずとも、私は普通の人間だった頃より、今の方が遥かに生きている実感がある。」
「山南さん…」
「だから、私を哀れむような目で見るのはよしてください。
正直、あのまま死んだように生きる方が、
私には、それこそ気が狂うほどに酷だったのですから。」
最後に、自嘲的な笑みを浮かべて話を結ぶと、
「さぁ、戻りますよ。」
と言って、すたすたと歩いて行ってしまいました。
私がそのとき、ふたりの心のなかに見た光景は、とてもおぞましいものでした。
なにやら赤い液体の入った小瓶を持つ山南…
そして、悲鳴をあげて必死に彼を止めようとする千鶴…
彼はその赤い液体を一息にあおると、うめき声をあげて人外の者へと姿を変えました。
私は、あのようなものを見たことがありません。似た姿の生き物は知っていますが、その生き物は生まれつきその姿でしたし、鳥や獣や、草木のように自然で、人ではないですが美しい生き物でした。
でも、彼は違います。
彼は、剣を握れなくなった腕を治すために、変若水という薬を飲み、その生き物に似せた化け物になり果てたのです。
そして、この化け物と同じ種の者たちが、この建物の一郭に何人も隠されていることに、私は気づき始めていました。
きっと、寺の坊主達も勘づいていたことでしょう。新選組を受け入れることを決めた住職でさえも、彼らに対する不信感を日に日に強めていました。
なぜ、そんなものが新選組にあるのかまではわかりません。いずれにせよ、良いものだとはとても思えません。
私はあの青年が心配でした。
そしてついに、事件が起こります。
「きゃぁぁあ!!」
夜も更けた子の刻、うたた寝をしていた私は、鋭い悲鳴で目を覚ましました。
この声は、あの女の子のものです。
バサバサ…と、私の枝で休んでいた小鳥たちが数羽、驚いて羽ばたきました。
私は注意深く、建物のなかの様子を伺います。
「おい…生きてるか!?」
「はいっ!!」
彼女は無事のようです。
しかし、どす、という無機質な音と共に、その傍らのなにかが息絶えるのを感じました。
「千鶴、大丈夫か!?腕…怪我してるじゃん!!」
「だ、大丈夫。」
「まぁ…こんな夜更けにいったいなんの騒ぎです?これは?」
「い…伊東さん…」
「…ちっ。」
「なっ…!
これは、どういうことなんですか!?
皆でよってたかって隊士を殺したりして…!
だ、だれか、なにが起きたのか、説明を…」
「…みんな。
申し訳ありません。
私の監督不行き届きです。」
「…!」
「…山南さん…!!どうして…」
「さっ…山南さん!?あなた…生きてらしたんですか!?」
「…はい。」
「そんな…わ、わたくしは、あなたは亡くなったときいて…
なぜ、黙っていたりしたんです!?」
「それは…」
「あぁ!!ごちゃごちゃうるせぇんだよ、てめーは!!」
「なんっ…土方くん!?わたくしは、ただどういうことなのかと問うてるだけではありませんか…!!」
建物のなかからは、絶えず言い争う声が聞こえてきます。
「…山南さん。伊東さんに全部話そうぜ…
隠そうとすれば、余計に誤解されちまう…」
うつむきながらそう言うのは、あの青年…藤堂平助でした。
千鶴を襲って、その場で殺された隊士は、あの化け物だったんでしょう。でも、伊東というその人だけ、事情を知らぬような雰囲気でした。
「いったい…どういうことなんですか?参謀のわたくしに黙ってなにか謀り事を…?」
「……」
「伊東さん、ごめん。
…みんな、話すよ。」
平助が、困惑する彼をいさめるようにそう言いました。
この事件がきっかけで、新選組内に明らかな亀裂が生じてしまいました。
あの伊東という人は、もともと後から加入した面子でしたが、この一件でますます古参の幹部との溝が深まり、ついには組織を出る羽目となりました。
山南はあの妙な薬や化け物の研究を強く推し薦めましたが、伊東はそれに賛同しなかったようです。
私には、伊東の方が正しいことを言っているように思えましたが、出ていくのは彼の方でした。
彼ら人間達の複雑な事情、とやらなのでしょう。
人間というのは、私たちと違い、ずいぶんややこしい生き物です。たいていの場合、彼らのすることは私たちには理解できません。
そして、平助はというと、その伊東と共にここを去る決心をしたようです。非常に悩んだ様子でしたが、彼は自分の正しいと思う道を、危険を承知で勇敢にも選びとったのです。
彼がここを去ることは寂しかったのですが、あの妙な薬や化け物から遠ざかってくれたことには、少なからず安堵しました。
私は物言えぬ木ですが、巡る幾世もの時代を見る度、思うことがありました。
それは、この世のすべては必然でできている、ということです。
つまり、為るべくして為る。という意味です。
私たち動植物は、その定められた運命のすべてを受け入れ、自然の流れに身を任せて生きています。ですが、人間達は常にそれに抗おうとします。
世の中には、変える必要があるものもあれば、無いものもあります。
為るべくして為るはずのものを、不用意に動かせば、必ずどこかにしわ寄せがでます。
しかし人間達はいつの時代も、天の定めた運命を変えようとしつづけてきました。
自らの運命を受け入れることができなかった山南も、そんな人間のひとりでしょう。
私は彼や、あの薬を使って命を繋いだ者達の行く末が、明るいものだとは思いません。
でも、自らの運命を受け入れることしかできない私は、ただ静かに大地に根を下ろし、彼らを見守り続けるしかありません。
初春(はつはる)の嵐のような風が、私の花を散らせてどこかへ運んでゆきます。
私は少しだけ、あの花びらとなって遥か彼方へと飛んでゆきたいと思ったのでした。
薄桜鬼(改想録≠メモワール) 藤堂平助編7