かわりばんこ

かわりばんこ

私、吹奏楽部に入る。先にそう口にしたのは、千佳だ。
フルートが吹きたい。先にそう口にしたのは、私。
真似しないでよ、と言ったのは千佳。あんたこそ真似しないで、と言ったのは私。
兎にも角にもそんなわけで、私たちは揃って吹奏楽部のフルートパートに入ったのだった。
二年前、中学一年生の春のことだ。

思えば、幼稚園のころからそうだった。

千佳ちゃん、お姫さまごっこしようよ。
いいよ。じゃあ千佳がお姫さまで、花純ちゃんは召使ね。
えー、ずるいよ。花純だってお姫さまがいいよ。花純が先にやろうって言ったんだから、花純がお姫さまだよ。
だって千佳の方が先に、お姫さまごっこしたいって思ったもん。心の中で言ったもん。花純ちゃんの方がずるいよ。
お姫さまごっこもお花屋さんごっこもケーキ屋さんごっこも、結局ケンカになって大泣きして、「かわりばんこにしなさい」と先生に怒られるのだ。


かわりばんこ。

いつしかそれは、私たちの合言葉となっていた。
ブランコに乗るのも、お人形で遊ぶのも、絵本を読むのも。


「ねえ、花純ちゃん。コンクールの曲のソロ、どっちが吹く?」
「この前の演奏会は千佳だったから、今回は私の番だよ。」
だってこの前千佳が吹いた曲より今回の方がカッコイイじゃん。千佳、吹きたいな。ね、ね、花純ちゃん。順番、取り換えっこしない?次とその次のソロは花純ちゃんでいいから。
いやよ。私だって今回の曲、好きだもん。かわりばんこ。
チェ。わかったよー、だ。でもじゃあ、秋の文化祭は私がソロね。絶対ね、かわりばんこね。

きっと後輩たちの目には、私より千佳の方が幼く映っていたのだろう。
「花純先輩、千佳先輩と幼稚園から一緒なんですよね?よく続きますね。千佳先輩って、なんていうか・・・ワガママだし。」
私も、そう思っていた。
ワガママでお喋りで自分勝手で、いつまでも子供っぽい千佳。よく笑いよく泣き、気分でものをいう千佳。

しかし、私にとっての千佳はそればかりではなかったのだと思い知ったのは、棺の中の彼女を見た時だ。

いつも通りの帰り道。七時十六分のバス。境通りの交差点で左からトラックが突っ込んでくるのが見えた。そこから記憶は途切れて、気が付いたら私は病院のベッドに座っていた。ほどなくして駆けつけた父と母、弟が、私を抱きしめて泣いた。
同じバスの、隣同士の席に座った。
千佳は死に、私は生きている。

棺の中の千佳の口は真一文字に閉じられていた。あんなにお喋りだったのに、もう、この口はワガママを言わない。
「何でウチの子なの?」
通夜に参ったら、千佳のおばさんは私の顔を見るなりそう叫んだ。おじさんはおばさんをなだめて、私に謝ってくれた。なんの気持ちも起きなかった。悲しすぎて感じなくなったのか、それとも本当に何も感じなかったのかすらわからなかった。涙は出なかった。
葬儀には参列しなかった。

幼稚園の頃から一緒だった。
いつも、ふたりだった。
何かにつけて「花純ちゃん、花純ちゃん」と擦り寄ってくる千佳をウザったいと思ったことは何度もあった。
だけど、寂しいと思ったことはなかった。いつも千佳がいてくれたから。
きっと千佳だって、分別臭くて融通の利かない私を苦々しく思うこともあっただろう。
しかし、そんな気持ちを抱えながらも、私たちは一緒に十五年を歩んできたのだ。
先んじたり足を引っ張ったり、かわりばんこに、かわりばんこに成長してきたのだ。

部活だってそうだ。
千佳の練習はいつだってお喋りばかりで片手間だった。
なのに、毎日毎日時間も手間もかけてコツコツ真面目に練習をしている私よりも華のある音を奏でるので、私はいつも悔しかった。そうやってライバル視しながらも私は、彼女を頼りながら音楽を作っていた。
ソリストを経験したことがある人なら、わかるだろう。合奏は孤独だ。
昏い森に裸で放り出されるようなものだ。森にはたくさんの獣が息をひそめている。懐柔してくる者もいれば、虎視眈々と喉元を食いちぎろうと狙っている者もいる。
道標はタクトしかない。
そんな中で耳が千佳の音を捉えたとき、やっぱり私は思い出すのだ。
私は一人じゃない、と。


しかしもう、千佳はいない。


「天国の千佳の分も。」
それが合言葉となったコンクールは、大成功だった。
去年の地区大会敗退から、県大会6位の大躍進だった。

「頑張ったよ。」
そう墓前に花を手向けるころには、千佳の不在を受け入れることが出来るようになっていた。
昏い森に一人ぼっち。
だけど、目を閉じて耳を澄ませば、胸の中に千佳の音が見つけられるようになっていた。
千佳はここにいる。胸の中にいる。
だから、千佳の分も頑張る。
「文化祭のソロ、私が吹くことになったよ。もう、かわりばんこは出来ないから・・・私、頑張るよ。見守ってね。」
ずるい、と聞こえた気がしたけれど、空耳だと思うことにした。

おかしなことが起こり始めたのは、そのころだ。

最初は些細なことだった。
スコアが入れ替わっていたのだ。
ソロパートの譜面を用意していたはずの私の譜面台に、休憩を終えて戻ってくるとセカンド譜が乗っていた。
最初は、自分が間違えたのだと思った。
二度目は誰かの嫌がらせかと思った。
三度目になると、後輩が怯えた顔で言った。
「千佳先輩なんじゃ・・・」

練習が進むにしたがって、私は不思議な感覚に苛まれることとなった。
合奏中、指が勝手に動くのだ。
同じ楽譜をなぞっている。間違えてはいない。ただ、間が違う。呼吸が違う。音が違う。
「フルート。勝手に歌わない。もっと楽譜に忠実に。」
先生のその注意は、かつて千佳専用だった。飛んだり跳ねたり、表情豊かな千佳の音。しかし時として、周りを置いてけぼりにする千佳の演奏。
花純先輩の吹き方、千佳先輩に似てきたよね。
うん、なんか、のりうつられてるみたいで気持ち悪くない?
呪い・・・みたいな。
そんな後輩の噂話が耳についた。
そんなバカなことがあるはずはない。
千佳は亡くなったのだ。

呪いなんて、信じない。

階段から落ちそうになったり、美術の時間に彫刻刀で指を切りそうになったり。
でもそんなのって、誰でもある事故でしょう?

かわりばんこだよ。

千佳の声が、耳の奥で聞こえる。

かわりばんこ。


そういえばあの日のバスも、かわりばんこだった。
傘を閉じてバスに乗り込みながら、私はふと思い出した。
事故後はバスの利用について私よりも母が非常に神経質になっていて、毎日車で学校まで迎えに来てくれている。しかし今日は弟が急に熱を出してしまったため、事故後初めてバスを利用して帰ることとなった。
私も千佳も、窓側の席が好きだった。
だから、窓側はいつもかわりばんこ。

あの日は千佳が窓側の番、私が通路側の番だった。
その結果、千佳は死に私は生きている。

かわりばんこ、か。

事故の際の記憶が定かでないためか、私はバスに乗ること自体に抵抗はなかった。
ただ、さすがに窓際の席に座ることにはいい気持ちがしなかったため、二人掛けの通路側に座り窓側に荷物を置いた。
家の近くの停留所までは十五分ほどだ。
練習の疲れからか、私は少しうとうとしていた。

が、十分ほどたったところで急にイヤホンから音楽が途切れた。電池切れだろうか?しかし、電源の横の赤いランプは正常通りついたままだ。

「かわりばんこだよ、花純ちゃん。」

え・・・

「文化祭は、千佳がソロを吹く番でしょ。」

・・・千佳?

私はそのねっとりと耳の奥に広がる冷たい声にぞっとして、引きちぎるようにイヤホンを耳から外した。しかし、耳元で囁くかのように千佳の声は続いた。

かわりばんこだよ、花純ちゃん。
この前は千佳が窓側の席に座ったでしょ。だから今日は花純ちゃんが窓側。

何者かに肩を押され、私の体は窓側に傾いた。
窓の外が、目に入った。

かわりばんこだよ、花純ちゃん。
この前は千佳が死んじゃったでしょ。だから今日は・・・


境通りの交差点。左側から、トラックが


かわりばんこ

かわりばんこ

幼馴染の私と千佳。小さい頃から、おもちゃも遊びもいつもかわりばんこだった。 中学生になり吹奏楽部のフルートパートに入ってからも、ソロパートはずっとかわりばんこに吹いてきた。 コンクールのソロは私。文化祭は千佳。 なのに・・・ 突然の事故で千佳は死んでしまった。千佳が吹くはずだった文化祭のソロパートは、私が吹くことになったのだけれど・・・

  • 小説
  • 掌編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-10-15

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