オリオンの夜
登場人物
・紀之(のりゆき)
・和人(かずと)
ともに大学生
いつもと同じ帰りみち。ちょっとだけ違うのは、君の頬と、それから。
「うっす」
暗がりの中、こちらに向けて片手を上げる影があった。
「うす」
同じように片手を上げて返事をするとさっきの影は途端に吹き出して笑った。
「真似すんなよ!」
快活な声が辺りにこだまする。
すっかり人気のなくなった校門は、俺たち以外の人は見受けられない。まだ6時だというのに夜が訪れ、街灯が今夜の仕事を始める。暗闇に目が順応していない俺は、ちょうど街灯の陰にいるそいつをまだきちんと目視できていない。
「お疲れ、かず!」
そう言いながら一歩だけこちらに歩み寄った彼は、真っ赤になった頬を緩ませていた。
「お待たせ、のり」
ようやく捉えたのりの姿に、少しだけ安心した自分がいた。
何も変わっていない、いつも通りののりだと。
今朝会ったばかりで、どこか変わるはずもないというのに。
マフラーを何重にも巻いたのりにやっと並んだ。
街灯の陰を抜け、オレンジ色の光に照らされながら歩く俺は、隣の顔を覗いた。
よく見れば鼻のてっぺんも真っ赤だ。
「悪い、結構待たした?」
「待った待った! すげー待った!」
凍るかと思った!
そう怒るのりに申し訳なさを感じながらも、誇張した表現に上がる口角を抑えられない。
凍るわけがないだろ……と。
笑いを堪えきれずにいる俺を察してか、のりが真っ赤な頬を膨らます。
「俺が寒かったって言ってんのに、何笑ってんのさ!」
「悪かったって、怒るな怒るな」
「っていいながら笑ってるしー!」
俺がイメージしたそのままの反応を返してくるのりに、愛しさを感じずにはいられない。
持ち上がったままの口角が下がる兆しはない。
「いいよもう、これで許すから」
「ちょっ、のり……っ!」
つけていた手袋を突然外したのりは、無防備だった俺の手を鷲掴みにした。
手を繋ぐでもなく、指を絡めるでもない。
一方的な鷲掴み……。
「手繋ぐならもっと家近くなってからって……」
「繋いでないでしょ? 俺が握ってるだけ」
「なんつー屁理屈……」
手袋をはめていたはずの手は指先から手のひらまで冷え切っていて、大学から出てきたばかりの俺の手の体温を奪う。
だけど、そんな冷たい手が愛しくて、俺の手まで冷えていくのが嬉しくて、行き交う体温を感じていたくて少しだけ目をつむった。
雪を踏みしめる音が寒さを助長する。高く鳴る雪が今夜の冷え込みを物語る。
「かず」
「ん?」
「やっぱふつうに繋ぎたい」
俺の一歩だけ前を行くのりは、りんご色の頬をこちらに向け呟いた。
もう、何でのりの頬が紅くなっているのかなんてわからない。
理由なんてどうでもよかった。
どんな理由であっても嬉しかった。
「しかたないな」
「ん。ありがと」
ぎゅっと握り返したのりの手は、さっきよりも少し暖かくて、胸が詰まった。
手を繋いだことで縮まった二人の距離。 当たり前のことすぎて、途切れてしまった会話。
言葉の代わりに、のりが軽く自分の方へ俺を引き寄せる。
もっと寄れの合図。
だから俺も、今度は俺の方へ繋いだ手を引っ張る。
こっちに来い。
いや、こっちに来い。
そんなやり取りは徐々に力を増して、ついに俺が力一杯引き寄せられてしまった。
にへへと笑うのりにつられ、俺も笑顔になって悪態をついた。
「ばか力」
「いーよなんて言われようと! 今こうやって役に立ったしね」
ぎゅうっとさらに強く握られた手は、痛いくせに俺の鼓動を速くする。
確かにのりがここにいる。それを実感できた。だからかもしれない。
泣きたいくらいに幸せで、思わず見上げた夜空。
雲一つない晴れ渡った夜空は、この寒さの理由を俺たちに教えているようだった。
「のり、見てみ」
俺にならって首を反らすのりは、すぐさま感嘆の声を漏らした。
「きれーだなー……。あっ、あれさ、オリオンじゃない? オリオン!」
「……どれ?」
「あれ! あそこ! あの砂時計みたいなやつ!」
星座なんて、見えるようになってしまえばすぐ見つかるものだけど、最初に見つけるのは案外大変だ。
砂時計に見えるのはオリオン座を認識しているからで、そうじゃない人にはどの星をつなげれば砂時計に見えるのかなんて分かるわけがない。
「あの斜めに三つならんでる星わかる?」
そう言って、俺の顔のすぐ横で説明を始めるのり。
頬が微かに触れて、あんなに真っ赤だった頬は、手よりも冷たかったんだと知る。
赤いんだから、熱いんだと思った。
稚拙な発想だと自分でも笑ってしまいそうになる。
だけど、そんなことは気にならないくらい、俺は星座を伝えようと必死なのりに夢中だった。
「だから、その三つの星を囲んでる……え、なに?」
空を見上げているはずの俺の視線が自分に向いていることに気付いたのりは、怪訝そうに眉を下げた。
「いや。近いなって思って」
「や、これはっ、説明するにはなるべく近いところから見上げた方がいいと思って、だからッ」
「うん、だから説明続けて」
「ッー……」
すっかり紅潮としてしまったのりは、ぼそぼそと説明を続けて俺にオリオン座の位置を教えてくれた。
「そんでね、左上の明るいやつが、ベテルギウス」
俺が星座を見つけた後も同じ距離を保つのり。
恥ずかしさは口調から伝わってくるのに、離れようとしない。
言葉を紡ぐたびに白く濁る視界。
のりの声が甘く感じてしまうのは気のせいなんだろうか。
「もう無理っ。かず、はやく帰ろ」
ようやく見つけた星座をぼんやりと眺めていた俺の手を握り直したのりが、切羽詰った様子でその手を引く。
「どした?」
「無理。今すぐにでもかずのこと抱きしめたい」
「なに、どうした……?」
「なんでもいいから!」
強引に俺の手を引くのりは、本当に余裕がなさそうで、顔はもうさっきとは比にならないくらい真っ赤だった。
今は分かる。寒さで赤くなっているんじゃないことが。
だから、今度こそのりの頬は熱いんじゃないかと思って。
「のり」
「なに、かず……っ!」
振り向いたのりの頬を指先でそっと触れた。
だけどやっぱりその頬は冷たくて。
俺の行為に困惑しながらこれ以上染まらない頬を染めるのりは、眉尻を下げて言った。
「い、言っとくけど、外で手繋いだりするの嫌だって言ったの、かずの方だからね……!」
俺が我慢してるのわかってる?
そう言いたげなのりの瞳は、いつも以上に大きくて俺を惑わす。
わかってる。
でも、なんだか今日はそんなの気にしていられない。
本当に余裕がなかったのは俺の方かもしれない。
目を潤ませるのりのマフラーを掴んだ俺は、最短距離で無防備なのりの唇にキスをした。
「っ……反則、じゃん……」
「ごちそーさま」
一回のキスがかえって起爆剤になったのりは、悶々としながら俺の手を引きながら先を行く。
もう歩いているなんて言えない。
駆け足だった。
誰かに見られるかもしれないなんてこと、考えもしなかった。
雪道で時折足を滑らすのりが、それでも何も言わずに俺の手を引いて走り続ける。
たまらなかった。
握られた手が痛かった。
今ののりの頭には俺のことしかないのかなって、そんなことを考えてまた少し嬉しくなった。
切羽詰まって息を切らすのりの後ろで、たまらない幸福を感じて頬を緩める俺をのりは、余裕ありすぎって困ったように笑うんだろうか。いつものように。
そうしたら俺は、そういうわけじゃないんだけどって言い訳をするんだろう。
きっと。
……いつものように。
オリオンの夜
こちらのサイトには初投稿でした。
プロットも無しに書き始めた駄作で、何がしたいのか分からない作品です。
お目汚し失礼いたしました。
それにしても、どっちがネコなのっていう感じのカップリング、最近のマイブームです。