雲は遠くて(パート2)

雲は遠くて(パート2)

26章 TOP 5入り・祝賀パーティー (6)

ーーー ☆賀正。発表がおくれてすみません。☆ ーーー

26章 TOP 5入り・祝賀パーティー (6)

2013年、12月1日の日曜日の正午(しょうご)ころ。

晴(は)れた 空からの 日の光が、ライブ・レストラン・ビートの
外壁(がいへき)の 赤レンガに、
暖(あたた)かく 降(ふ)り 注(そそ)いでいる。

祝賀 パーティーの 開演まで、あと 5分であった。

フロントで 受付をすませた、美樹(みき)と 陽斗(はると)、
真央(まお)と 翼(つばさ)は、ホールへと 向(む)かう。

ホールの1階と 2階の、合(あ)わせて 280席は、
全席、指定席で、ほぼ、満席(まんせき)だった。

美樹は、ホールの入り口で、陽斗(はると)と、
驚(おどろ)いたような表情で、目を合わせる。

「すごい、人でいっぱいだわ!」と 美樹。

「うん、ステージの前のテーブルにいる人たちは、
テレビ局とか雑誌社の人たちみたいだよね。
一般の お客(きゃく)さんは若い人たちが多いよね」

そういって、微笑(ほほ)む、陽斗(はると)を、
まぶしそうに見る、美樹。

きょうは、挨拶(あいさつ)をするときだけで、
歌ったり、演奏しなくてもいいって、いうから、
気も楽だわ!
お酒も飲んで、いっぱい、楽しんじゃおう!
・・・と美樹は思う。

美樹(みき)たち4人は、ステージからは 後方(こうほう)の、
クラッシュ・ビートやグレイス・ガールズのメンバーたちや、
モリカワの社長、副社長、ほかの社員たちや、
早瀬田(わせだ)大学で、いつも会っている、
ミュージック・ファン・クラブの 仲間たちのいる、
テーブルに着席した。
1番、遅(おく)れた、美樹たち4人を、
みんな、笑顔で 迎(むか)えてくれる。

華(はな)やかな、充実(じゅうじつ)した 照明(しょうめい)の、
ステージに近い、1階の フロアのテーブルでは、
雑誌社、新聞社、テレビ局、ラジオ局など マスコミの、
招待(しょうたい)した客(きゃく)たちが、
ウエイトレスや ウエイターに 料理や飲み物を
注文したりして、
ゆったりとした ムードで、開演を待っている。

祝賀パーティーの、ステージの演奏は、いまをときめく、
音楽家の 沢秀人(さわひでと)と、
彼の 率(ひき)いる、総勢(そうぜい) 30名以上による、
ビッグ・バンドが、メイン (中心)ということもあって、
会場は、特別な、盛り上がりを見せている。

ギターリストでもある 沢秀人(さわひでと)は、ここ数年、
映画音楽や テレビ・ドラマなどの作曲家としても、
活躍していて、レコード大賞の作曲賞も受賞している。

インプレッション( impression = 感動 )という名(な)の
会社を設立して、この ライブ・レストラン・ビートを
経営していた、沢秀人(さわひでと)だった。

しかし、沢(さわ)は、人気とともに、多忙(たぼう)となり、
音楽活動だけに 専念(せんねん)したいと
考えるようになっていた。

そこで、旧知の仲(きゅうちのなか)でもある、
森川学(まなぶ)が 副社長をしている、
芸能 プロダクションの、モリカワ・ミュージックに、
自分の会社、インプレッション( impression )と、
ライブ・レストラン・ビート の すべてを、
任(まか)せることにしたのであった。

それと、同時に、沢秀人(さわひでと)自身も、
モリカワ・ミュージックに 所属の アーティストとなった。

そんなことを、迷(まよ)わずに、実現できるほどに、
森川学と、沢秀人とは、
価値観にも 共通点も 多く、正義感も 強く、
おたがいの情熱 や 資質も 理解し合(あ)い、
信頼し 合っているという、無二(むに)の親友であった。

「みなさま、お待たせしました!
これより、クラッシュ・ビート、そして、
グレイス・ガールズの、ヒット・チャート、
トップ・ファイブ(5)入りの、
祝賀(しゅくが)パーティーを 開催(かいさい)いたします!」

店長の佐野幸夫(さのゆきお)が、開会の言葉をいった。

「本日は、お忙(いそが)しいなかを、誠にありがとうございます。
楽しいひとときを、過ごしていただくために、
美味(おい)しい、お料理やお飲物もご用意いたしました。
そして、
日本のトップ・ミュージシャンによる すばらしい ステージも
ご用意いたしました!
本日は、まさに、五感で、楽しめるライブ・ショーですので、
お楽しみください!」

≪つづく≫

26章 TOP 5入り・祝賀パーティー (7)

26章 TOP 5入り・祝賀パーティー (7)

「みなさまの、ご祝辞(しゅくじ)や ご挨拶(あいさつ)は
また、のちほどということです。
それと、本日は、
クラッシュ・ビートと、グレイス・ガールズの、歌と演奏は、
ないという、プログラム(催しの予定)なんですけれど、
お酒でも入って、いい気分になれば、
きっと、歌いたくなるはずですから、そうしたら、
ぼくのほうから、
なんとか、交渉して、このステージで、歌ってもらいますから、
それも、ご期待ください!」

そういう、佐野幸夫に、会場から、わらい声と拍手がおこる。

「はっはっは、およそ、3時間の ひとときですけど、
みなさま、ごゆっくりと、お楽しみください!
それでは、
いまをときめく、沢秀人(さわひでと)さんと、
彼の 率(ひき)いる、総勢(そうぜい)30名以上による、
ビッグ・バンド、ニュー・ドリーム・オーケストラのみなさんです!」

佐野幸夫(さのゆきお)の、そんなMC(進行)に、また、
大きな拍手と 歓声が 沸(わ)く。

「みなさん、こんにちは。沢秀人(さわひでと)です。
クラッシュ・ビートのみなさん、
グレイス・ガールズのみなさん、ヒット・チャート、
トップ・ファイブ(5)入り、
ほんとうに、おめでとうございます。
こんなことって、前例もないでしょうから、
こうして、多くの方が、心からよろこんで、
お祝(いわ)いに、駆(か)けつけてくださっているんだと
思います。ぼくも、自分のことのように、うれしいです!」

会場からは、また、拍手や歓声が、わきおこる。

1973年8月生まれの、40歳になる、沢秀人(さわひでと)が、
少年のように、目を輝かせて、ちょっと、はにかんでわらった。

沢の、無二(むに)の親友の、モリカワの 副社長の 森川学は、
1970年12月生まれで、森川は、沢の、3つ年上になる。

「えーと、本日は、ぼくと、ニュー・ドリーム・オーケストラで、
クラッシュ・ビートと、
グレイス・ガールズのヒット・ナンバーとかを、たっぷり、
みなさんに楽しんでもらいたいと思います。
歌は、ドリーム合唱団のみなさんです!」

また、割(わ)れんばかりの、拍手と歓声。

「では、1曲目ですが、
グレイス・ガールズの最新のヒット・ナンバーの、
Angel of love (愛の天使) を、お楽しみください!」

沢秀人(さわひでと)は、ギターの担当(たんとう)で、
総勢(そうぜい)30名以上による、
ビッグ・バンドは、指揮者はいないのだが、
ニュー・ドリーム・オーケストラという名にふさわしい、
弦楽器、管楽器、打楽器、鍵盤楽器など、
さまざまな楽器と、合唱の、楽しい合奏団であった。

---

Angel of love (愛の天使)  作詞 作曲 清原 美樹

出会いは いつも 偶然(ぐうぜん)
偶然から 人生は 運命的に 
進展して ゆくもの かしら?

あなたとの 出会いの
事(こと)の 始(はじ)まりも
小さな勇気と 愛だった

ときどき 感じてしまうことは
きっと 愛の 天使が
いつも 見守っていること

愛の 天使なんて お話は
いつも 夢見る 少女のようで
みんなに 笑われるけど

でも そんな天使が いないなんて
やっぱり 信じられないわ だって
世界には 愛が 必要なんだから

ah ah!Angel of love!
(ああ、愛の天使)
I can't live without love
(愛なしでは 生きられないわ)
Love is always miraculous
(愛は いつも 奇跡的)
Love is always miraculous
(愛は いつも 奇跡的)

お気に入りの お店で
大好きな 友だちと
ほおばる アップルパイ

甘酸(あまず)っぱい りんごの味!
こんなにも おいしいなんて
やっぱり 奇跡! 天使の愛だわ!

どんな時にも どんな場合にも
愛があるから うまくいくんだわ
乗(の)り越(こ)えて ゆけるんだ

もしも 困ったことがあったとき
愛のかけらもない そんなときは
何もかも 信じられない わけだけど

いつも 大切にしたいと思うの!
天使は 気まぐれだけれど
愛を 感じて 生きてゆこうと・・・

ah ah!Angel of love!
(ああ、愛の天使)
I can't live without love
(愛なしでは 生きられないわ)
Love is always miraculous
(愛は いつも 奇跡的)
Love is always miraculous
(愛は いつも 奇跡的)

≪つづく≫
ーーー 26章 おわり ☆次回は1月19日の予定です☆ ーーー

27章 モリカワの 新春 パーティー (1)

27章 モリカワの 新春 パーティー (1)

2014年1月5日の日曜日。
陽(ひ)の光の少ない、曇り空。肌寒(はだざむ)い。

株式会社 モリカワの、新春パーティーが、
下北沢駅、南口から、歩いて 約3分の、
ライブ・レストラン・ビートで、
正午の12時から 始まるところであった。

1階 フロアと、2階 フロアの、あわせて、280席は、
モリカワの社員や招待客で、満席(まんせき)だった。

清原美樹たち、グレイスガールズや、早瀬田大学の
音楽サークルのミュージック・ファン・クラブの学生も、
ほとんど 出席している。

学生たちのためにもと、この新春パーティーの会費は、
無料で、飲み放題、食べ放題であった。

モリカワっていう会社、みんな、いい人ばかりで、
わたしも、この会社に、就職させてもらっちゃおうかな。
きょうの、会場の、なごやかな雰囲気(ふんいき)の中で、
ふと、清原美樹は、そんなことを 空想する。

美樹たちの グレイスガールズ、クラッシュ・ビートのメンバー、
モリカワの社員でもある川口信也たち、 それに、
モリカワの社長の森川誠や、副社長の森川学、
会社の本部のメンバーは、
ステージからは 後方(こうほう)のテーブルに集まっている。

会社の社長ともなれば、ステージ寄りの、特等席に座(すわ)る
ものだろうが、ここの社長たちは、いつも、謙虚(けんきょ)である。

モリカワという会社では、経営理念を、明文化(めいぶんか)して、
仕事上で 必ず 守るべき、
信念(しんねん)や 誓約(せいやく)を 明記(めいき)している。

そのひとつに、
「管理する思考ではなく、支援をする思考で、社員が安心して働ける
職場や、新たな顧客価値の創造のできる 経営を 目指そう!」
がある。

モリカワの 従業員たちは、相手に、自分の考えや行動を 批判される
こともなく、自分の意見や質問を、自由に発言(はつげん)できた。

モリカワの自由で平等な、階層や部門にとらわれないフラットな関係の、
社風や気風は、そんな経営理念によって、しっかりと 守られて、
今日(こんいち)の 飛躍的な発展の原動力となっている。

社長をはじめとする 経営トップたちは、そのように、顧客(こきゃく)の
ニーズや、現場で働く 社員の待遇や安全を、第一 に 考えていた。

いまや、世間では、ブラック 企業といわれる会社の不祥事(ふしょうじ)
とは、正反対な、ホワイトな優良 企業と 評価される 会社であった。

「みなさま、あけまして、おめでとうございます!
それでは、これより、株式会社 モリカワが主催(しゅさい)の
新春パーティー を とり行(おこ)ないます!」

ライブ・レストラン・ビートの店長の、
身長179センチの佐野幸夫が、間口(まぐち)、約14メートルの
ステージに立って、そんな、司会の言葉を述(の)べると、
高さが 8メートルの、吹(ふ)き抜(ぬ)けのホールは、
歓声(かんせい)と、拍手(はくしゅ)につつまれた。

「進行役の店長の佐野幸夫でございます!
まあ、本日は、女性のみなさまが、お美しいといいますか、
かわいらしいといいますか、格別に、華(はな)やかですよね。
ぼくも、つい、見とれてしまって、
進行役を忘れてしまいそうです。
そんな、女性に弱い、佐野ですが、よろしくお願いします!」 

会場は、大きな拍手と、わらいにつつまれた。

「本日は、おいしい料理とスイーツ、お飲み物は たっぷり
ご用意しました。そして、すばらしい ライヴ 演奏も、
たくさん、お楽しみいただきたいと思います。
それでは、森川社長から、新年の ご挨拶を 頂(いただ)きます!」

「みなさん、あけましておめでとうございます。森川誠(まこと)です。
いま、佐野さんのお話にもあったように、
本日は女性のみなさんが、たくさん、ご参加くださっていて、
わたしも、新年から、たいへんうれしいしです。元気が出ます!」

わずかな白いものが混(ま)じる、髭(ひげ)のよく似合う、
森川誠の そんな 挨拶と、笑顔に、会場は沸(わ)く。
1954年生まれ、今年の8月5日で、60歳の、森川誠である。

≪つづく≫

27章 モリカワの 新春 パーティー (2)

27章 モリカワの 新春 パーティー (2)

「まあ、わたしは、女性の笑顔も好きですけど、男性の笑顔も
大好きです。もちろん、子どもたちの笑顔は、最高ですけどね。
わたしもね、
どうしたら、みなさんの、そんな素敵(すてき)な笑顔に、
毎日出会えるかと、考えながら、いままで、仕事をやってきたと、
いっても、いい過ぎではないのです。
おかげさまで、モリカワも、ここまで大きくなりました。
本当に、みなさん、ひとりひとりの努力が、1つになってこその、
この成果(せいか)だと、実感しています。
今年も、これからも、おたがいに、がんばりましょう!」

「森川誠(もりかわまこと)社長、ありがとうございました。
では、
森川学(もりかわまなぶ)副社長、乾杯の音頭をお願いします!」

「それでは、新しい年を お祝(いわ)いして、モリカワの発展と、
みなさまの健康と幸福を祈って、乾杯をいたします。
新年、おめでとうございます!乾杯(かんぱい)!」

森川学が、笑顔で、心持、ゆっくりとした ペースで、そういった。
1970年12月7日生まれ、43歳になったばかりの森川学である。

会場は、1階フロアも、2階フロアも、おいしい食事と、飲み物、
下北沢地元の、いくつものバンドによる、ライヴ演奏で、
みんなの会話も、楽しく弾(はず)んで、熱気にあふれている。

「そうなんですか。美樹ちゃんたちも、川口さんたちも、
大学のお勉強や、会社のお仕事をつづけながら、
音楽活動をやっていくんですね。
それが、最良の選択かも知れませんよ。
ぼくも、芸能活動というか、この世界に入ったのが、
ちょうど、20歳(はたち)のときで、
あっという間に、20年が過ぎていますが、
最近、ようやく、 生活が安定してきたって感じですからね。
ぼくの場合は、音楽で食べていけるまで、
10年、かかったもの。あせらずに、あきらめずに、
自分を信じて、努力してやっていけば、あとは・・・、
才能と 運とかで、なんとか、楽しくやっていけるものですよ」

そんな話をしたのは、沢秀人(さわひでと)であった。
沢の右隣(みぎどなり)には、清原美樹がいて、
左隣(ひだりどなり)には、川口信也が着席していた。

一昨年の2012年には、テレビドラマの音楽を制作して、
それが、レコード大賞の作品賞を受賞するなどで、
芸能界では、いまをときめく、沢秀人(さわひでと)だった。

1973年8月生まれの、40歳になる、沢秀人(さわひでと)は、
総勢(そうぜい)30名以上による、ビッグ・バンド、
ニュー・ドリーム・オーケストラの指揮(しき)をとったりと、
ユニークな 音楽活動をしているが、1013年の春までは、
この ライブ・レストラン・ビート の経営者でもあった。

「芸能界っていうか、音楽界っていうか、
なんか騒々(そうぞう)しくって、派手過(はです)ぎるっていうか、
ちょっと、ついてゆけないぜってもんを感じるんですよね。
音楽やったり、ライヴやったりするのは、
純粋に、楽しくって、最高なんですけどね!」

川口信也がそういった。

「わたしも、川口さんたちのクラッシュ・ビートの人たちや、
グレイス・ガールズのバンドのメンバーと、
よく 話し合ったんですけど、人気者になるのはいいけれど、
それと引き換(ひきか)えみたいに、芸能界の荒波の中で、
自分たちのペースが、乱されることとかは、最悪だなって
いう結論になったんです。
いままのまま、現状のまま、大学や、会社勤めをしながら、
つまり普通の生活をしながら、
音楽活動もできたらいいなってことに、落ち着いたんです」

清原美樹は、そういって、ほほえむと、沢秀人(さわひでと)と、
川口信也を見た。

「モリカワ・ミュージックに入っていれば、居心地良(いごこちよ)く、
音楽活動はできると思うよ。おれも、森川学さんや森川誠さん
たちを、すげぇ、信頼してるから、事務所を、ここに移籍したり、
このライブハウスを、モリカワに任(まか)せたんだから!
はっははっ」

沢秀人(さわひでと)は、頼りになる兄貴という風格で、
豪快にわらった。

「沢さん、これからもよろしくお願いします。この前は、
わたしたちの祝賀パーティーで、たくさん、演奏してくださって、
ありがとうございました。とても、すばらしい演奏でした。
ずーっと、始めから、終わりまで、感動でした!」 と美樹。

「はっはっは。きみたちの曲や詞が、よかったんだよ!
よし!きみたちと、おれたち、みんなの 音楽活動の
サクセス(成功)を、祈願(きがん)して、乾杯(かんぱい)だ!」

そういって、また、沢秀人(さわひでと)は わらった。

「乾杯!」

美樹と、川口と、沢の、3人が、グラスを合わせて、
乾杯をすると、それを見て、まわりの テーブルの みんなも、
乾杯をして、それが、森川純たちにも、次々と つづいて、
森川 誠 社長たちまでが、愉快(ゆかい)そうに、
「乾杯!」と 声を上げた。

≪つづく≫  ーーー 27章は おわりです ーーー

28章 モリカワに、M&A(合併、買収)の危機!(1)

28章 モリカワに、M&A(合併、買収)の危機!(1)

2014年 1月20日 月曜日。
風は東に向かって、そよいでいて、
よく晴れているが、気温は10度ほどだった。

下北沢駅南口から、すぐそばにある
マクドナルドの角(かど)を、左折して、
東に 5分も歩くと、モリカワの本社がある。

モリカワの会議室は、10坪(つぼ)33平方メートルほどで、
畳(たたみ)にすると、20畳(じょう)ほどである。

会議用のテーブルが、コの字に配置されて、
正面(しょうめん)の南の窓側には、
横幅、2メートルの大型ディスプレイがあった。

午前10時。モリカワの社内会議が始まるところであった。

「 おはようございます。ただいまから、社内会議を
はじめさせていただきます。よろしくお願いいたします」

そういって、微笑(ほほえ)むのは、本部(ヘッド・クオーター)
の主任で、司会(しかい)の 市川真帆(いちかわまほ)である。
真帆(まほ)は、1988年生まれで、4月5日で、26歳になる。

この会議の席上にいる 本部・部長の村上隼人
(むらかみはやと)と真帆(まほ)は、社内のみんなに
祝福されるような、さわやかな 交際をしている。
村上隼人は、1982年生まれ、10月6日で、32歳である。

幅2メートルの 大型ディスプレイには、会社の目標や
企業理念が、映(うつ)っている。

会議の出席者は、社長の森川誠(まこと)、
その弟の副社長の森川学(まなぶ)、
社長の長男で、課長の森川良(りょう)、
良(りょう)の弟の課長の森川純(じゅん)、
森川純の大学からの友人で、ロックバンド・クラッシュ・ビートの、
課長の、川口信也、岡村明、高田翔太たち、
全店の統括(とうかつ)・シェフ(料理長)の宮田俊介(しゅんすけ)、
副統括・シェフの北沢奏人(かなと)、
いかに、IT(情報技術)の活用や、そのプログラミング、
その保守・運用・メンテナンスなどをする
コンサルティング・ファーム・部長の岩崎健太、
本部・部長の村上隼人(はやと)、
そして、本部・主任の市川真帆(まほ)の、12人であった。

「それでは、社長、お願いいたします」と、森川誠を見て、
ほほえむと、真帆(まほ)は 着席する。

「みなさんの、日ごろのみなさんのがんばりと努力で、
会社の業績も順調に伸びていまして、
このディスプレイのグラフのとおりであります。
ほんとうに、ありがとうございます」

といって、満面の笑顔で、森川誠(まこと)が話を始めた。

「2013年 12月の本決算は、売上高 365億30百万円、
営業利益 70億4500万円、純利益 25億9900万円、
純資産 167億7700万円、総資産 551億500万円、
従業員数 755人、であります。

このように、前年度と比べても、売上高だけでも、
30%を超える、順調な業績の推移でありまして、
今年の2014年度の本決算に向けては、
大いなる躍進が期待できそうな状況です。

特にですね。わが社の経営理念に基礎(きそ)をおいた、
いわば、会社本来の理想の姿を追求した形の、
経営理念をよりどころにして、みんなでがんばってきた、
その結果が、このような立派な数字になって
表(あらわ)れているのだと思ってます」

そこまで、森川誠が話をすると、みんなからは、
自然と拍手がわきおこる。

「わたしの若い時からの持論は、機会のあるたびに、
お話してますが、働くばかりでは、
ダメだということなんです。ちゃんとした休養が
取れてこそ、人間らしい生活だし人生だってことなんです。
質のいい仕事も、質のいいサービスも、
そして質のいい商品も、ちゃんとした休養をとって、
社員のみんなが、いつも元気で、
仕事に情熱をかたむけて、がんばれる状態で、
初めて実現できるのです。

≪つづく≫

28章 モリカワに、M&A(合併、買収)の危機!(2)

28章 モリカワに、M&A(合併、買収)の危機!(2)

わが社は、みなさんもよくご存じのように、
昨年からは、ブラック企業ではない、ホワイト企業という
イメージで、世間やマスコミの注目されています。
わが社の主体は、サービス業です。
そして、この業界は、1日の労働時間が、15、16時間
なんていうことが、現実には、とても多いんです。
業界全体が、ブラック企業化しているような現状なんです。

わたしは子供のころから、この下北沢の商店街で、
いまは天国ですが、働き者のおばあちゃんが、
小さな喫茶店を、ひとりでやっているのを見てましたから、
商売人は、起きてから寝るときまで、働きつづけるのが、
あたりまえにくらいに思っていたのですけどね。

しかし、15歳くらいになった時には、人間らしい生活って
いうものは、しっかりと休んで、遊んで、英気を養(やしな)って、
それで、勉強や仕事をするもんだっていう、
信念に変わっていったんです。

わたしも、高校を卒業して、洋菓子の店に
修行(しゅぎょう)に行っていたころの3年くらいは、
毎日が15時間労働くらいをしてました。
そのあと、おばあちゃんの店を継いで、
そこを改装して、洋菓子と喫茶の店を始めて、
現在のモリカワに至(いた)るんですけどね。

まあ、ですから、わたしにいわせれば、長時間労働を
してもらうということは、お金だけで解決できる問題
ではないのですよね。会社が、健康を害するような、
長時間労働を要求するようなことは、まるで、
牛から乳をしぼりとるように、必要労働時間以上に働かせ、
そこから発生する剰余(じょうよ)労働の生産物を、
無償(むしょう)で取得するようなもので、
労働搾取(ろうどうさくしゅ)というべきものなんです。

資本家は、ちゃかっりと、労働者に払うべきものを、
ちゃんと、払(はら)わないで、やっぱり、結果としては、
その対価を、全部、資本家が蓄(たくわ)えてしまう
ということなんですよね。
労働者に支払われたものが、
労働の対価といえるのかどうかの判断は、実際には、
なかなか難(むずか)しいものがありますけどね。

早い話が、長時間労働をやめればいいんですよ。

わたしは、この胸が苦しくなって、つらくなるばかりなので、
わが社からは、長時間労働や、残業を、
全面的に廃止する方針でいます。

もちろん、みなさんにとっては、残業による収入には、
それなりの魅力があることもわかっていますから、
残業などしなくても、
残業代となるべき、その余(あま)ったお金は、
ちゃんと、ボーナスで、お支払するのです。

昨年度は、経営方針どおり、ほぼ100%の、
有給休暇・消化率が達成できました。
今年も、有給休暇の完全消化の体制でまいります。

この、お給料がもらえる休みの、有給休暇もですね、
調査した24か国で最下位なんです、日本が。
情(なさ)けない、お話ですよね」

社長の、しょげた顔に、みんなはわらった。

横幅、2メートルの大型ディスプレイには、
世界の有給休暇・消化率のランキングが表(あらわ)れる。

ブラジル 100% フランス 100% ドイツ 97% 
スペイン 87% オランダ 84% オーストラリア 75%
インド 75% アメリカ 71% 日本 39%

2013年エクスペディア調べ。Expedia(エクスペディア)は、
世界24カ国でサイトを開設する世界最大の旅行予約サイト。

「わが社では、まだ、完全週休2日制ですが、
完全週休3日制を、目標にして、その達成に向かって
ゆきます。

この目標の達成には、このイラストにあるように、
各現場の業務量と、人手を、
常に把握(はあく)すること、そのための
各部門の責任者が、常に業務に関する情報を
共有することなどが、基本となるわけです。

≪つづく≫

28章 モリカワに、M&A(合併、買収)の危機!(3)

28章 モリカワに、M&A(合併、買収)の危機!(3)

会社は、休むことに対して、全面支援してゆきます。
社員のみなさんには、いっぱい休んでいただいて、
そして、仕事も、がんばっていただいて、
仕事の効率や質を高めるための、改善案なども、
どんどん、出していただくという形で、
好循環を、サイクルとしていく!
そこに、わが社の発展とみなさんの幸福もあると、
確信しています。

それに、労働時間の短縮と、休みの増加は、
少子化対策、過労死やうつ病の対策、
女性の進出やわが社の全社員の正社員化、
業績の躍進に、高価があると確信しています。

休みは、社員にとっては、自己研さんだし、会社には、
イノベーション(革新)の源泉(げんせん)なんですよ。

休む力で、社員も会社もハッピーで、チーム力もアップ!
みなさんのご協力とご理解をお願いします!」

社長の森川誠がそういうと、副社長の森川学を
はじめとして、みんなからの、
笑顔と拍手に、会議室はつつまれた。

「それと、このお話もしておかなければならないのですが。
みなさんも、すでにご存じかと思いますが、
わが社と、全面的な合併をしたいという話が、
昨年の12月に、東証1部上場の会社の
エターナル(eternal)からあったのですが、
このお話は完全にお断(ことわりしました。

エターナルっていう英語は、永遠の、とか、
不滅の、てっいう、形容詞ですから、
これで、合併すれば、モリカワも、不滅で、
永遠に存続できるのかなと、わたしも、
ちょっと、心が揺れましたけどね」

そういう社長に、みんながわらった。

「合併といいましても、モリカワノの株式を、
全部買い付けるという、好意的な形の買収なのですが、
はじめは、総額600億で、話は進んでいたのですが、
次に、700億になったんですよ。でも、お断りしました。

エターナルさんと、モリカワでは、経営の仕方というか、
経営方針でも、おたがいに、かなり違いますから、あとあと、
問題多発で、うまくいかないだろうなと判断したんです。

わたしも、大金に、目がくらんで、夜は寝つけない日々が
つづきましたけどね。一生、遊んで暮らせるお金が、
転(ころ)がりこんでくいる、めったにないお話ですからね」

そういうと、社長は、いつもの大笑いを、はじめてする。

ロックバンド・クラッシュ・ビートの、課長の、
川口信也、岡村明、高田翔太たちは、愉快そうに
大笑いをする。ほかのみんなもわらった。

「エターナルさんの社長の御曹司(おんぞうし)の、
新井幸平(あらいこうへい)くんは、エターナルの
M&A事業部の担当で、去年、大学を卒業したばかりで、
新井幸平(あらいこうへい)くんと、M&A事業部のベテランの
男性とのお二人と、3回の、合併の交渉(こうしょう)を
したわけですが、新井幸平(あらいこうへい)くんは、
なかなかの好男子で、人の心をつかむのが上手(じょうず)で、
ついつい、彼のペースで、合併話が成立する一歩手前まで
いったんですよ。しかし、初心の起業家精神とかをですね、
忘れてはいけないとか、思い直(なお)して、お断りしたんです」

「危(あぶ)ないところだったんだな・・・」と、社長の話を聞きながら、
川口信也は、ちょっと、冷や汗のようなものを感じた。

社長の髭(ひげ)に、ぼんやり目をやりながら、信也は、
頭の中に、次のような、思いがめぐっては 消えていく。

・・・うちの社長が、現代稀(まれ)に見る正義の味方なら、
エターナルって会社は、マスコミやインターネットでも、
長時間労働をさせるブラック企業という汚名を
つけられているのに、巨大な企業ということもあって、
そんなことは、痛(いた)くも、かゆくもないんだからな・・・。

・・・そういえば、エターナルのたぶん二代目になる、
御曹司(おんぞうし)の新井幸平(あらいこうへい)は、
1991年生まれで、去年、慶応を卒業して、
おれより1つ年下だけど、社交性はあるヤツで、
悪くいえば、口八丁 手八丁(くちはっちょうてはっちょう)で、
12月にあった、TOP 5入り・祝賀パーティーや、
この1月の、モリカワの 新春 パーティーにも来ていて、
それも合併の仕事のためだったのだろうけど、
おれたちの クラッシュ・ビートやグレイス・ガールズの
大ファンとかいって、おれにも話しかけてきたりして、
にくめないヤツだけど、調子もいいよな。
まあ、今回の合併の話は、失敗して良かった!
アイツがおれの上司になったりしったら、最悪だぁ・・・

≪つづく≫  --- 28章は、おわりです ーーー

29章 清原美咲 と 新井幸平 の デート (1)

29章 清原美咲 と 新井幸平 の デート (1)

2014年、1月26日、日曜日のちょうど、正午。

風向(かざむき)は、北北西、
気温は15度くらいの、よく晴れた空である。

清原美咲(きよはらみさき) と
新井幸平(あらいこうへい)は、
自家焙煎珈琲屋(じかばいせんコーヒーや)の
カフェ・ユーズ(cafe use)で、待ち合わせをした。

カフェ・ユーズ(cafe use)は、下北沢駅・北口を降(お)りて、
歩いて 5分、コンビニのローソンの 十字路を
左に曲(ま)がった、一番街 商店街内にある カフェで、
世田谷区 北沢の 3丁目にある。

店の幅1メートルほどのドアには、濃い青の、
無地の暖簾(のれん)が かかっている。
店の両隣(りょうどなりには、時計店と 酒店がある。

店内には、オーナー、自(みずか)ら、買い付けた
古木(ふるき)が使かわれている。

そんな古木のぬくもりに包まれた、
温(あたた)かみのある、禁煙の店内の
カウンター席とテーブル席では、
静かに、ゆっくりと、世界トップレベルのコーヒーや、
評判(ひょうばん)の おいしい自家製スイーツを楽しめる。

新井幸平(あらいこうへい)は、テーブル席で、ラフな
テラード・ジャケットにジーンズという服装で、
清原美咲(きよはらみさき) を待っている。

「幸(こう)くん、おひさしぶり!」

キャメル(camel=ラクダ色)の ウールの ロングコート、
ワインカラーのプリーツ(ひだつき)・ロング・スカート、
そんなファッションで、清原美咲は 現(あらわ)れる。

店内のカウンターにいる、20歳(はたち)くらいの
男女2組のカップルが、人目を引く、美咲(みさき)の姿に、
ちょっと振(ふ)り向(む)く。

「美咲(みさき)さんも、お元気ですか?」

「うん、元気よ。幸くんも、お元気そうね!」

「ええ、絶好調ですよ」

清原美咲と 新井幸平は、テーブル席で
向かい合うと、声を出してわらう。

ふたりは、慶応大学の学生だったときの、
合唱サークルの仲間であった。

合唱サークルは、混声合唱団・楽友会という名称で、
合唱音楽を愛好する学生たちの交流の場であった。

戦後、間(ま)もない頃に創立されて、60年の歴史もあり、
入学式などの大学行事で歌ったり、
毎年12月に行われる、定期演奏会に向(むけ)て、日々、
練習をしていた。

団員(メンバー)の半分以上が、合唱の初心者として、
入団している。清原美咲も 新井幸平も、
入団当時は、合唱の経験のない、初心者であった。

清原美咲(きよはらみさき)は、1989年6月6日生まれ、
24歳。身長、164センチ。妹の美樹より、6センチ髙い。
法学部の卒業で、司法試験にも、2013年に合格して、
現在は、弁護士として、父の 法律 事務所に勤めている。

新井幸平(あらいこうへい)は、1991年3月16日生まれで、
22歳。身長、176センチ。
商学部の卒業で、現在は、東証1部上場の、父の経営する会社、
エターナル(eternal)の、M&A事業部で、企業の合併、買収 の
仕事をしている。

最近まで、幸平(こうへい)は、サービス業が主体という、
事業の形態(けいたい)が似ている、株式会社・モリカワとの、
M&A(買収、合併)の、プロジェクト(事業計画)を 進めていた。

その成約に向けての、モリカワとの ディール
(deal=交渉、取引)は、新井幸平と、M&A事業部の
ベテランのふたりが中心となっていた。

しかし、エターナル(eternal)の社長たちの描(えが)いていた
当初のシナリオどおりに、M&Aは 実現できなかったのだ。

≪つづく≫

29章 清原美咲 と 新井幸平 の デート (2)

29章 清原美咲 と 新井幸平 の デート (2)

「美咲さんも、ご存じのように、モリカワさんとの今回の件は、
ぼくも、ちょっと、参(まい)りましたよ。ギブアップでした。
あっはっは」

幸平(こうへい)は、そう いい終(おわ)ると、
ファイヤーキングのグリーン色のマグカップに入っている、
この店、カフェ・ユーズ(cafe use)自慢の、
スペシャリティ・コーヒーを、おいしそうに飲む。
ファイヤーキングとは、耐熱ガラス容器の有名ブランドだ。

「私の立場からは、何と言って、幸(こう)くんを、
励(はげ)ますことができるのかしら。わからないわ」

「いいんです。こうやって、ぼくにお会いしてくれるだけで。
美咲さんと、二人でいられる、貴重なこの時間だけで、
ぼくは、十分(じゅうぶん)に、励(はげ)まされますし、
元気が出ますから」

「幸(こう)くんってば、まだ、わたしなんかのことを、
そんなに思っていてくれているの?」

「ぼくにとっては、美咲さんは、永遠の理想の女性
なんですから・・・」

「またまた、そんなことをいって・・・。
幸(こう)くんが、いろんな女の子と 噂(うわさ)が
あったりするのは、もう十分すぎるほど、
わたしも知っているわよ。
わたし以外の女の子にも、永遠の理想の女性なんて、
きっといっているだろうなって、つい、想像しちゃうわ」

「ぼくは そんな 軽い男じゃないですよ。あっはは・・・」

「そうかな。まあ、幸くんは、かっこよくて、イケメンだし、
女性からの支持率が高いのは、
わたしも十分に理解できるけどね。慶応大学でも、
女の子たちは、口に出さないけれど、こっそりと、
あなたをマークしていることが多かったもの・・・」

「あっはっは。ぼくがモテたのも、おやじが、大会社の
社長で、金持ちだったからという、そんな欲望が
混(ま)じった、不純な、それだけの魅力なんですよ。
ぼくは、いまでも、一応、不純は嫌(きら)いです。
純粋に生きたいと思っています。
これも、美咲さんに教(おそ)わった 生き方ですけど」

「うふふ。幸(こう)くんも、ロマンチスト(夢想家・理想主義者)
なんだわ。わたしもだけど。
わたしの場合は、天然ボケの入っている、ロマンチストだけど、
あなたは・・・、常識にとらわれない、芸術家タイプの、
ロマンチストなんだわ、きっと。うふふ・・・」

「あっはっは。そのとおりかも、ですね。たぶん、ぼくって、
変わっているんですよ」

「そんなことはないわよ。わたしは、幸くんのそんな性格は、
好きだし。いつも、応援(おうえん)しているんだから・・・」

「ありがとうございます。美咲さんとは、最良のパートナーに
なれると、信じていたんですけどね。
いまも、ぼくは、それを信じているんですよ。美咲さん」

「よく、恋は盲目(もうもく)っていうよね。1度、好きなると、
好きな人の欠点も、美点というか、長所というか、
その好きな人の魅力に見えちゃうのよ。
それって、ある意味では、怖(こわ)いことよね。
わたしって、そんなふうに、恋愛については、
悪(わる)いほうに考える、マイナス思考をするから、
くじけやすいし、行動の前に、尻込(しりご)み
してしまうんだわ。
だから、いつも、好きな気持ちは強くても、
最初の一歩が、なかなか踏み出せないのよ・・・」

≪つづく≫

29章 清原美咲 と 新井幸平 の デート (3)

29章 清原美咲 と 新井幸平 の デート (3)

「そうなんだ。ぼくには、美咲さんのような、
ネガティブ(否定的 ・ 消極的)な気持ちって、
ほとんどないなあ。それが勇(いさ)み足となって、
失敗したりするんだろうけど。ははは」

「あなたは、何事にも、ポジティブ(積極的)なんだし、
オプティミズム(楽天的)なんだから、
どんな失敗をしても、それを教訓にできるし、
きっと、なんでも乗り越えてゆけるわよ」

「美咲さんに、そういわれると、すごくうれしいです。
元気が出ます」

「そうなんだ。わたしって、そんな、存在感あるのかな?
幸平くんには、わたしなんかよりも、
元気にしてくれる女の子が、いっぱいいても、
おかしくないのにね!」

「ははは。そうかもしれないですけどね。
ぼくには、自分でもよくわかりませんけど、
美咲さんに対する特別な思いがあるんですよ。
そんなわけで、ほかのどんな女の子でも、
ぼくの心の中にいる、美咲さんの代役というか、
美咲さんの代(か)わりを、務(つと)めることが
できないんですよ。
いまのところ、どんなに仲良くなっている
女の子でもね。あっはは」

「そうなんだ。幸くんも、はやく、そんな
叶(かな)わない恋なんかからは、
目が覚(さ)めることを、私は願っているわ。
このままじゃ、まるで、哀(かな)しい恋の、
歌の世界みたいじゃないの!」

「それもそうですよね。そういえば、
美咲さんが おつきあいしているって
いっていた、清原法律事務所の、
岩田圭吾(いわたけいご)さんにお会いしましたよ。
とても思いやりのある、やさしい、すてきな方でした。
今回のモリカワさんとのM&A(買収、合併)では、
モリカワの顧問弁護士の清原法律事務所にも、
ご協力いただいて、交渉を進めてきたのですが、
何度も、岩田圭吾(いわたけいご)さんには
お世話いただいたんです。
岩田さん、ぼくよりもちょっと背も高いんですね」

「そうね、幸平くんより、2センチくらい高かったかしら」

美咲は、店の自家製の、しっとりとした チーズケーキを
おいしそうに味(あじ)わいながら、
そういって、微笑(ほほえ)む。

「コーヒーも おいしいけど。チーズケーキの、
やわらかさとか、甘味って、絶品(ぜっぴん)よね」

「うん、すげー、うまいよね。そうか、2センチかあ・・・。
あと、ぼくも2センチ、欲(ほ)しかったな!
あと2センチあったら、美咲さんと、うまくいっていたかも!」

そのあと、ちょっと 会話に 間(ま)があいて、なぜか、
それが、とても おかしくなって、ふたりは声を出してわらった。

美咲と交際している、岩田圭吾(いわたけいご)は、
1984年2月5日生まれ。29歳。
美咲の父の、清原法律事務所に所属している
弁護士(べんごし)であった。

店のカウンター内では、ちょっと 硬派で タフな感じのマスターが
丁寧(ていねい)に コーヒーを 一杯ずつ、淹(い)れている。
店内には、ゆたかな風味の コーヒーの 香りが 漂(ただよ)う。

壁(かべ)には、いくつもの、ランタンと呼ばれる手提(てさ)げの
ランプの、電気の明(あ)かりが 灯(とも)っている。

「美咲さん、おれ、クルマを買ったんです。フォルクスワーゲン
(VW)の新型車のゴルフなんですけどね」

「すごいじゃない。サザンの桑田さんが、CMしているのでしょ。
色は何色なの?」

「ブルーです。・・・美咲さん、ちょっと、いっしょに
ドライブしてくれませんか?ちょっとだけでいいんですけど。
クルマは、近くの駐車場にあるんですけど・・・」

「いいわよ」

清原美咲 と 新井幸平は、誰が見ても 羨(うらや)む
カップルのような雰囲気(ふんいき)で 店を出た。

≪つづく≫--- 29章 終わりです ---

30章 エタナールの兄弟、竜太郎と幸平 (1)

30章 エタナールの兄弟、竜太郎と幸平 (1)

2014年、2月1日、土曜日の正午。

モリカワとエターナル、この2社の
交流(こうりゅう)パーティーが、
青山 エリュシオン・ハウスで 始まるところである。

東京、青山の閑静(かんせい)な住宅街の、
正統派 イタリアン・レストラン、
青山エリュシオン・ハウスは、
季節の味覚の食材に こだわった、
上品な 一軒家である。
地下鉄、青山一丁目駅から歩いて 5分だった。

交流(こうりゅう)パーティーの主催(しゅさい)は、
東証1部上場の会社、エターナル(eternal) である。

昨年(2013年)の12月の初(はじ)めに
エターナルは、モリカワに対して、
丁重(ていちょう)に、M&A(合併、買収)を
申(もう)し出ていた。

その交渉(こうしょう)は、友好的に、
今年(2014年)の1月の 上旬(じょうじゅん)までの
約1か月間 行(おこな)われた。

しかし、結局、両社は、同意には 至(いた)らず、
M&A(合併、買収)は 成立しなかった。

エターナルは、事業の多角化や強化のために、
数多くの、同業他社や異業種の会社などを、
積極的に M&A(合併、買収)するという
経営戦略で、急成長を続けている
グローバル(世界的規模)な巨大 会社であった。

エターナルの、2013年の売り上げは およそ
3000億円で、日本 マクドナルドの 売り上げに 等しい。
モリカワの、2013年の売上高は、およそ365億円である。

そのエタナールの 社長、新井 俊平(あらいしゅんぺい)の
長男の竜太郎(りゅうたろう)と次男の幸平(こうへい)が、
ここの店長との、パーティーの進行などの打ち合わせを
終えて、白いカウンターの脚(あし)の長い椅子(いす)に
腰をおろして、くつろいでいる。

長男の竜太郎は、1982年11月5日生まれ、
身長、178センチ。31歳の独身で、優(すぐ)れた頭脳と
スキル(技能)で、若くして、エタナールの副社長である。

竜太郎は、IT (情報技術)や、IT プロジェクト管理に
社内の誰よりも 精通(せいつう)して、IT に 関することなら、
常に 問題なく、解決する力量を持っている。

そんなわけで、エタナールの、IT システム 構築や、
IT プロジェクト 戦略の 陣頭指揮(じんとうしき)をとっている。

竜太郎は、経営戦略のリーダとして、
IT(情報技術)を駆使(くし)して、最も 効率よく働ける
働きやすい 職場の環境つくりもしている。

また、エタナールの組織が、競合他社に対しても、
常に有利となるための、他社に勝(まさ)るための、
IT(情報技術)環境つくりやその準備もしている。

そんな竜太郎は、1982年11月5日生まれ、
弱冠、31歳ながら、エタナールの副社長であり、
最高情報責任者、CIO(シー・アイ・オー)である。

弟の幸平(あらいこうへい)は、1991年3月16日生まれで、
22歳。身長、176センチ。
エターナルの M&A事業部で、企業の合併や買収 を
おもな仕事としている。

エターナルは、1982年、いまの社長が21歳のころ、
小さな弁当屋から興(おこ)した会社であったが、
数多くの M&A(合併や買収 )を繰り返すことによって、
急成長を続ける、グローバル(世界規模の)会社である。

「うちのおやじ、どうも、モリカワの社長に、感化(かんか)
されっぱなしじゃないの?」 と 兄の竜太郎。

「おやじも、もともとは、正義感の強いタイプなんだろうけど。
モリカワの社長は、坂本龍馬を尊敬するくらいの、
正義の味方っぽい人ですからね。
モリカワはホワイトで、エタナールは、ブラック企業なんて、
さわがれもするけれど、
でも、エタナールだって、グローバル企業らしく、
社会貢献活動として、難民支援や災害支援も、
ちゃんとやっているわけだしね」 と弟の幸平。

≪つつく≫

30章 エタナールの兄弟、竜太郎と幸平 (2)

30章 エタナールの兄弟、竜太郎と幸平 (2)

「言いたいヤツには、言わしておけばいいのさ。
それにしても、
おやじ、モリカワの経営理念を見習(みなら)って、
本気で、社員の待遇改善(たいぐうかいぜん)を
考えてゆくつもりなのかな?
モリカワのように、有給休暇の完全消化の体制や、
完全週休3日制なんてのを、目標にしたら、
経営の体制を、抜本的に変えないと無理だってば!
なあ、幸平。
おやじは、人が良すぎるよな。
モリカワなんて、エタナールの、10分の1(じゅうぶんのいち)
の 売り上げなんだぜ。
そんな小さな会社に、ペコペコするのは、どうかと思う」

「ははは。でも、おれさまは、大企業なんだって、
偉(えら)ぶって、独裁的な社長や、裸の王さまよりも、
ああして、腰が低い方が、おれは好きだけど。はははっ」

「まあな。はははっ。それはそうと、きょうのパーティーには、
最近、タレントを始めた、おれの好きな、
小川真央(おがわまお)が来てくれるんだ。
おれ、彼女と、絶対に、つきあってみせるから・・・」

「兄さんは、ほんと、女好きで、プレイボーイだよね。ははっは」

「そう、あきれたように、笑うなって!
だって、幸平は、なんのために、仕事して、
がんばってるの?人生を楽しむためだろう?
世のため人のためもいいけれど、
それは、仕事で決めればいいことだろう。
個人的には、迷惑かけない範囲で、楽しむべきなのさ」

「まあ、そうだね」

「幸平だって、美咲さんを諦(あきら)めることはないぞ。
恋愛は、基本的にバトルのようなもの、
勝つか負けるかのゲームのようなものじゃん」

「ああ、そうだね」

周囲も、イケメンと認める、兄弟は、
ちらっと 眼を 見合わせた。

イタリアン・レストラン、青山エリュシオン・ハウスの、
メイン・ダイニングからは、緑の豊かな庭が 眺(なが)められる。
その広い窓からは陽光がふりそそいでいる。
天井には いくつもの シャンデリアが 煌(きらめ)く。

白いテーブルクロスの四角いテーブルには、
肘掛(ひじか)けのついた 紅(あか)い椅子が、
四脚(よんきゃく)の置かれてある。

モリカワとエターナルの社長や社員たちや、
グレイス・ガールズや クラッシュ・ビートのメンバーたち、
およそ 80名が、エレガントな ダイニングで 着席している。

「ただいまより、株式会社 モリカワさまと、
弊社(へいしゃ) エターナルの、交流パーティー
を開催いたします。
司会の吉田知美(ともみ)と申します。
よろしく お願い致します」

さわやかな 明るい笑顔で、25歳になる
司会の女性が、開会の 挨拶(あいさつ)を始めた。

くつろげるパーティーの雰囲気(ふんいき)を
出すために、主催側のエターナルの社員は、
司会の女性など、ほとんどが、
アットホームな ラフな 服装をしている。

招待状にも 『ぜひ、ラフな服装で、どうぞ!』と
記(き)されてあった。

「お店のシェフが 自信を持って作りました
本格 イタリア料理を 充分(じゅうぶん)に
召(め)しあがっていただきたいと
存(ぞん)じます。
お楽しみいただくために、
ゲームや生演奏なども ご用意しております!」

はっきりとした 口調(くちょう)で、
司会の女性が、おだやかに、そういうと、
会場から、拍手がわきおこる。

「主催者を 代表いたしまして、弊社エタナールの
新井 俊平(あらいしゅんぺい)社長から
ご挨拶(あいさつ)がございます。
社長、よろしく お願いいたします」

≪つづく≫

30章 エタナールの兄弟、竜太郎と幸平 (3)

30章 エタナールの兄弟、竜太郎と幸平 (3)

「株式会社 モリカワのみなさま、そのほかの、
ご参加のみなさま、本日は、お集まりいただきまして、
誠(まこと)に ありがとうございます。
モリカワさんとの、M&A(合併)は、
成立できなかったわけですが、
モリカワさんには、この交渉(こうしょう)を、
検討させていただきながら、数多くの経営に関する
ノウハウ(know-how)を、弊社は学ばせていただきました」

スーツを きちんと 着こなしている
新井俊平(あらいしゅんぺい)社長が、そう語ると、
会場からは割れんばかりの拍手がおこった。

「弊社の沿革(えんかく)と申しますか、成り立ちは、もともと、
わたくしども家族がやっていた、小さな弁当屋(べんとうや)が
始まりでした。
モリカワさんも、始まりが、洋菓子と喫茶のお店ということなので、
とても、親近感のようなものを感じているんです」

そういって、微笑(ほほえ)む、
新井俊平(あらいしゅんぺい)社長に、拍手がわく。
新井俊平は、1961年5月2日生まれ、53歳である。

「今回のM&A(合併)のご相談をさせていただきながら、
つくづく感じたことを、簡単にお話しさせていただきますと、
モリカワさんでは、経営理念が、 従業員 思いなんですよね。

モリカワさんが 掲(かか)げる、経営理念では、
社員の幸福を追求しながら、仕事をしていこうという考え方が、
明記されているわけで、そんな理想に向かっていゆく、
勇気のある、積極性や行動に、
わたくしは、驚きとともに、いたく 感心させられているんです。

わたくしにも、若いころには、仕事は、世のため人のため、
そんな思いが強かったんですよね。
それが、忙(いそ)しさのせいにはできないのですが、
会社を大きくすることばかりに、集中していって、
企業家としての精神の基本といいますか、
そんな初心や正義が薄れていていたわけなんです。
モリカワさんは、そんな、初心を 思い出させてくれたんです。

モリカワさんは、有給休暇の完全消化の体制があることや、
完全週休3日制を、目標にしているところなど、
やはり、モリカワという会社の、すごさを感じています。
正直なところ、弊社では、なかなか、そこまでの、
実現は 難(むずか)しいのが 現実ですが。

しかし、弊社も、そういう、社員を大切にするの考え方を、
見習わないといけないなと、痛切に感じています。

まあ、会社の躍進(やくしん)は、社員の幸福と共にあることを、
モリカワさんに、あらためて教えられた感じがしています。

社員の幸福と共に、さらなる躍進と成長に向かって、
弊社も、全社をあげて取り組んでまいる所存であります。

本日の 交流パーティーは、そんな、わたくしの個人的な、
感謝をこめて、開催(かいさい)させていただきました。
ごゆっくりと、ご歓談などで、楽しいひとときを
過ごしていただければ、わたくしの歓びでございます」

エタナールの 新井 俊平(あらいしゅんぺい)社長の、
飾(かざ)らない 挨拶(あいさつ)に、
ダイニング会場のみんなから、熱い拍手がわいた。

モリカワ・ミュージック所属の人気 ピアニストの
松下陽斗(まつしたはると)や、ポップス・シンガーの
白石愛美(しらいしまなみ)も招待されている。

清原美樹 の父親で、清原法律事務所の清原和幸や
美樹の姉の美咲(みさき)や岩田圭吾(いわたけいご)も
招(まね)かれている。

早瀬田(わせだ)大学のミュージック・ファン・クラブ(MFC)の
幹事長の矢野拓海(やのたくみ)や副幹事長の
谷村将也(たにむらしょうや)、会計の担当の
岡昇(おかのぼる)たちも来ている。

美樹の親友の 小川真央(おがわまお)もいた。
小川真央(おがわまお)は、アルバイト程度だが、
モリカワ・ミュージックに所属してテレビタレントの
仕事を始めている。

「では、株式会社モリカワの森川誠(まこと)社長に、
乾杯(かんぱい)の音頭を頂戴(ちょうだい)したいと思います。
みなさま、お手元(てもと)のグラスに、
お飲物をご用意ください。それでは森川社長、
よろしくお願いします!」

愛くるしい笑顔で、司会の 吉田知美(ともみ)が、そういう。

「わたしと、新井(あらい)社長とでは、7つくらい、
わたしのほうが 歳(とし)をとっているんですが、
このわれわれの外食産業の業界では、
新井(あらい)社長は、大先輩なんです。
その新井(あらい)社長からは、お褒めの言葉を
頂戴(ちょだい)しまして、大変に、うれしく、
光栄に思っております。
では、みなさま、ご唱和(しょうわ) お願いいたします。
みなさまのますますのご繁栄(はんえい)、
ご健勝(けんしょう)を祈念(きねん)いたしまして、
カンパーイ!」

髭(ひげ)の似(にあ)合う 森川 誠が、満面の笑顔でそういうと、
みんなも、笑顔で、「カンパーイ!」といって、
手に持ったグラスを 寄(よ)せたり、合(あ)わせた。

≪つづく≫ ーーー 30章のおわり ーーー

31章 美女 と 野獣 (1)

31章 美女 と 野獣 (1)

2014年3月2日の日曜日。
東京の六本木は、曇り、時々、雨と、肌寒い、
どんよりとした灰色の上空である。

小川真央(おがわまお)と、真央の兄の蒼希(あおき) 、
新井竜太郎(りゅうたろう)と、竜太郎の弟の
幸平(こうへい)の 4人は、六本木にオープンしたばかりの、
ピーターパン・ステーキハウスで、
蒼希(あおき)の 誕生パーティーの、 ランチをとっている。

竜太郎が、副社長を務める、外食産業のエタナールが、
アメリカの ピーターパン・ステーキハウスを買収して、
この 3月1の土曜日に、アメリカ国外、初出店の、
東京・六本木 店がオープンしたのであった。

ピーターパン・ステーキハウスは、ニューヨークや、
ワイキキ、マイアミ、ビバリーヒルズ などで 大評判の、
最強 レベルの ステーキハウスである。

真央(まお)は、表面の焦(こ)げている ステーキを、
右手のナイフで、ひとくち食べれる大きさに切ると、
それを 左手のフォークで 口元(くちもと)へ 運(はこ)ぶ。

白い歯を見せて、ステーキを 頬張(ほおば)ると、
真央(まお)は、目を細(ほそ)めて、ちょっと 舌(した)を出す。

「おいしー い!幸(しあわ)せー!」

そういって、フォークと ナイフを 持ったまま、
真央は、かわいらしい仕草(しぐさ)で、少し首を振(ふ)ると、
真央の 右側にいる兄の 蒼希(あおき) を見る。

「うまい!最高!」

蒼希(あおき) も、少し 興奮ぎみに、そういう。

小川蒼希(おがわあおき)は、1991年3月4日生まれ、
身長 174センチ。あと2日で、誕生日である。

蒼希(あおき)は、理科系の大学の コンピュータ・
サイエンス学部で、専門知識や技術を学び、
2013年4月からは、システムエンジニアとして、
IT 関連の会社に勤(つと)めている。

蒼希(あおき)は、きょうのランチを
誘(さそ)ってくれた、エタナールの新井(あらい)兄弟の
弟、幸平(こうへい)と同じ、22歳だった。

妹の真央は、1992年12月7日生まれ、
身長160センチ。
早瀬田大学、教育学部の3年で、
最近は、モリカワミュージックの専属 タレントとして、
人気も出てきていて、テレビや雑誌の仕事もしている。
同じ歳で、同じ教育学部の、清原美樹とは、親友である。

兄の蒼希と、妹の真央の歳(とし)の差は、
およそ、1歳と11か月だったけど、
しっかりしている性格の 真央ほうが、年上の
姉に見られることが、度々(たびたび)あった。

「厚(あつ)い ステーキだから、食べると
固(かた)いのかなと思うけど、そんなことなくて、すごく、
やわらかいですね。中の、レアな 赤身(あかみ)も、
ほどよくって、ほんと、うまい!」

そういって、蒼希(あおき)は、白いテーブルクロスの
4人がけの四角いテーブルの正面の、
竜太郎(りゅうたろう)と、右隣(みぎどなり)の、
幸平(こうへい)に ほほえむ。

「味付けも シンプルで、バターと 塩だけかしら ?
お肉、そのものの 旨(うま)みが、おいしいわ!」

真央は、みんなを見て、長い睫(まつげ)の 瞳(ひとみ)を
輝(かがや)かせる。

「あっはは。よかった、よかった。真央さんと 蒼希(あおき)さんに、
こんなに 喜(よろこ)んでもらえて」

そういうと、竜太郎は、うれしそうに、わらった。

竜太郎の笑顔を、ちらっと 見ると、
弟の幸平(こうへい)は、極上のワインを飲みながら、
ほろ酔いのいい気分で、ふと、こんなことを思う。

・・・ 竜(りゅう)さんも、今度ばかりは、真央さんのことが、
たまらなく 好きになっているんだな、きっと。

仕事に対しては、いつも冷静で、落ち着いている兄だけど、
これまで、たくさんの女性と、噂(うわさ)もあったなあ。
それでも、女性を 泣かせるということもせずに、
まあ、華麗(かれい)といえば、華麗な 女性遍歴へんれき)で、
おれや、並(な)みの男にはできない、離(はな)れ技(わざ)
というか、特技で、それは。
兄の才能のようなものなんだろうなあ。

そんなわけで、よく、以前は、美女と野獣のようだなんて、
よく思った、おれだけど。
美女と野獣というのは、18世紀のころの、ヨーロッパの
どこかの国の、寓話というか、民話というか、小話で、
それを、ディズニーが、脚色して、アニメ映画化して、
大ヒットした物語なんだけど。
美女と野獣という言葉が、妙(みょう)に、頭の中に残る。
大学2年のとき、女の子と、美女と野獣を 映画館で、
観(み)たっけ。

兄は、ちょっと前までは、軽薄なプレイボーイぽかったし、
仕事では、 頼(たよ)りがいのある ボスという感じで、
そんなアンバランスで、釣(つ)り合(あ)いがとれていない、
二面性がある気がした。誰にでもあるんだろうけど。
そんな兄が、こんなふうに、一途(いちず)に、
恋に落ちているようなのは、見たことないよなあ。

頭に来(く)れば、どんな怖(こわ)そうな相手にも、
立ち向かっていく、そんな、周囲を ハラハラと
心配させる、男っぽい、度胸(どきょう)あるの兄。

そんな性格をそのまま表(あわら)している、
硬派(こうは)な顔つきの、 竜(りゅう)さん。

だけど、妙に、最近は、やさしい表情をしているなあ。
これも、真央ちゃんのせいなのだろなあ。

恋というものは、真剣というか、本気ですると、
確かに、その人間を、根底から変える、
神秘的な力を持っているもんだよね。

おれがそうじゃん。片思いだけど、清原美咲(みさき)ちゃんに
恋して、美咲ちゃんの存在は、おれの人間的な成長に、
深く 影響を与(あた)えているもん。
おれも、美咲ちゃんに出会う前は、かなり自分勝手で、
思いやりも、優(やさ)しさもない、男だった気がする。
恋することは、人間的な成長のために、大切な経験なんだろうなあ ・・・

≪つづく≫

31章 美女 と 野獣 (2)

31章 美女 と 野獣 (2)

「竜太郎さん、幸平さん、わたし、ステーキのお皿(さら)が、
こんなに、いつまでも、ぐつぐつ、沸騰(ふっとう)しているのって、
初めて見みるわ。
さすが、アメリカの本格的なステーキですよね!」

そんな真央の言葉に、幸平は、物思いから、我に返る。

「ははは。真央ちゃん。この、ぐつぐつは、お皿(さら)が
高温だから、脂(あぶら)が、沸騰(ふっとう)してるんだけどね。

このお店を アメリカで始めた オーナ (経営者)は、
ステーキ店に40年勤務していた人で、お肉を
おいしく食べる方法を、知り尽(つく)くした人なんですよ。
それで、お店をオープンさせると、
瞬(またたく)く間(ま)に、大人気の超有名店になったんです」

幸平(こうへい)は、笑顔で、真央と蒼希(あおき) に、そういった。

「このピーターパン・ステーキハウスを、今回、買収できたことは、
ぼくも、正直なところ、非常に うれしいんです。
幸平(こうへい)も、この件では、ほんと、がんばってくれました。
エタナールも、幸平には、高い評価をしています。
この前のモリカワの買収の不成立もあったりしたけどね。
今回の成功で、逆転のサヨナラ、ホームランかな。
いつも、通算で、高打率をキープしている、イチローのような、
最優秀選手ってところだよな、幸平は。 あっはっは。
ほんとうに、ご苦労さまでした」

そういうと、竜太郎は、幸平を見て、
優(やさ)しい 眼差(まなざ)しで、わらう。

幸平(あらいこうへい)は、1991年3月16日生まれ、
22歳。身長、176センチ。
エターナルの M&A事業部で、企業の合併や買収 を
おもな仕事としている。

わらったりと、ゆったりとした気分で、4人が ランチを楽しむ、
そのダイニングルームには、4人がけの四角いテーブルが
35卓(たく)もあり、その140席は、すべて 満席で、
客たちの活気にあふれている。

店内は、18席のバー・カウンターや、10名収容の2つの個室、
総数178席・総面積約194坪と、広々(ひろびろ)として、
格調の高い、華やかさと落ち着きのある空間だ。

案内係の女性スタッフは、好感のもてる フォーマルな服装で
丁寧(ていねい)な接客をしている。

ウェイターや ウェイトレスも、いつも笑顔で、
暖(あたた)かな 堅苦(かたくる)しくない
雰囲気(ふんいき)で、客をもてなしている。

まだ 31歳の青年の竜太郎が、この店を経営する、
株式会社 エタナールの 副社長であることを、
店員たちも 知っている。

店長たちは、礼儀(れいぎ)に 外(はず)れることのないように、
竜太郎(りゅうたろう)たちに 挨拶(あいさつ)をしている。

エタナールの、53歳の社長、新井 俊平(あらいしゅんぺい)の、
長男の竜太郎は、1982年11月5日生まれ、身長、178センチ。
31歳の独身で、優(すぐ)れた頭脳と スキル(技能)で、
エタナールの 副社長の地位に 上(のぼ)り詰(つ)めている。

「蒼希(あおき)さんと、幸平さんと、同じ歳とはね。
これも何かの縁(えん)かもしれないですね。あっはは。
蒼希(あおき) さんが、エアナールに来てくれるのなら、
ぼくらも大歓迎ですよ。待遇もご満足いただけるようにします。

ぼくは、いちおう、エタナールの最高情報責任者(CIO)
なんですけど、蒼希(あおき) さんのような、モバイル・テクノロジーに
精通(せいつう)した 優秀な方(かた)は、人材の不足なんです。

会社の経営戦略や成長においも、モバイルの分野は、
今後、もっとも、重要なポイント なんです。
ぜひ、よろしく お願いします」

「こちらこそ、よろしく お願いします」

「蒼(あお)くん、すてきなで、お話で良(よ)かったわね。
就職状況も、まだまだ、きびしいんだから。

わたしなんか、一応、教員、目指(めざ)しているんだけど、
ちょっと無理かなって思っているから、
それで、モリカワ・ミュージックで、タレント活動を
始めたんだもの」

≪つづく≫

31章 美女 と 野獣 (3)

31章 美女 と 野獣 (3)

「真央ちゃんは、タレントでも、じゅうぶん、やっていけるって、
感じじゃん。真央ちゃんの、その、みんなにうける、
おれも 羨(うらや)ましくなる、美貌(びぼう)も 性格も、
才能なのかなあ」

「わたしだって、努力してるもん!」

蒼希(あおき)と真央の、言葉に、みんなでわらった。

「おれも、まあ、そんな真央ちゃんのお蔭(かげ)で、
新井さんたちと、こうして、お近(ちか)づきができたんだし、
運が開けてきたかもね。真央ちゃん、様様(さまさま)かな?」

4人は、目を見合わせると、声を上げて、わらった。

「楽しすぎて、わたし、酔ってきちゃったわ。
あまりお酒も、強くないのかしら」

真央の頬(ほほ)は、いくぶん、紅(あか)い。

店では、ステーキだけでなく、酒のつまみともなる、食欲の
増(ま)す、軽い料理のオードブル(前菜)も 充実している。
4人は、そんな料理で、ビールやワインを 味(あじ)わう。

「そんなこというけど、真央ちゃんは、おれより、お酒
強そうだもんなあ。あっはっは」 と 蒼希(あおき)は わらう。

「真央さんは、芸能界のお仕事は楽しいですか?」

「はい。モリカワ・ミュージックは、とても良心的な
芸能プロダクションで、過度な仕事やスケジュールに
ならないように、いつも気を配ってくださっていて、
疲労とかで、体調を崩(くず)こともないんですよ。

所属のタレントやミュージシャンには、ちゃんと、
労働基準法を適用してくれているんです。
労働時間規制とかの保護を受けられているんです。
わたしも、モリカワさんとこだから、
楽しくやっていけているんだと思います」

「そうですか。うちの、エアナールも、モリカワさんから、
学ばなければいけないことが、いっぱいありそうですね。
うちの会社の10分の1くらいの売り上げだったもので、
ぼくは、最初、モリカワさんを、ちょっと、軽く
見ていたんです。ぼくの、思い上がりだったんですよね」

「そうなんですか。竜太郎さんって、素直なんですね!
大会社の副社長でいらっしゃるのに、
全然、フレンドリーで、親しみやすいですし。うふふ」

「そうですか。真央さんに、そんなふうに褒(ほ)められると、
すごい、うれしいですよ。あっはっは。

でも、おれも、ちょっと前 までは、簡単に、
偉(えら)ぶったりする、悪いヤツだったんですよ。
悪い癖(くせ)で、天狗(てんぐ)になるところがあるんです。

でも最近は、よく思うんですよ。おれみたいな、わがままな
人間ばかりがい多いから、地球の環境も悪くなるばかり
なんだろうって。あっはっは。
生き方や考え方とか、みんなして、変えないと、地球の
温暖化も 加速の 一途(いっと)で、
このままじゃ、人類の未来も、どうなることやらってね。

先日の 関東平野の大雪にしても、あれは、地球の温暖化の
影響が原因で、大気中の水蒸気の量(りょう)が増(ふ)えて、
それが大雪や大雨となって、災害につながっているそうです。

テレビ見てたら、国立(こくりつ)環境研究所とかの人が
解説してたんですけどね」

といって、竜太郎は、グラスのビールを飲み干(ほ)した。

「地球や自然の環境を、これから先、みんなで、
よくしていくためには、みんな、それぞれに、
誰かに恋をして、誰かを愛して、いい恋愛を
していくことが大切なのかもしれませんよ」

幸平がそういうと、みんなは、わらった。

「恋愛か。確かに、幸平のいうように、恋愛は、
その人間の修行(しゅぎょう )になるかもしれない。
失恋しても、ストーカーになるヤツもいるけど」

「狂っているヤツは、いつの世も、きっと、いますよ。
恋愛力とは、その人の総合的な人間力のことだって、
いってますけどね、脳科学者の茂木健一郎さんは」

「幸平さんって、恋愛について、詳(くわ)しいんですね。
わたしも、恋愛がヘタな人って、苦手(にがて)です。
そういう人と、コミュニケーションとるの
難(むずか)しい気がするもの」

「じゃあ、おれたちって、こうして、真央(まお)ちゃんと、
蒼希(あおき)さんと、ランチを楽しめているってことで、
恋愛力とか人間力とか、合格点なのかなあ」

「もちろんですよ。竜太郎さん!100点満点です!」

真央は、まぶしそうに、微笑(ほほえ)む。

4人は、声をだして 楽しそうにわらった。

≪つづく≫ ーーー 31章 おわり ---

32章 美樹と真央、恋愛を語りあう (1)

32章 美樹と真央、恋愛を語りあう (1)

 3月9日の日曜日の正午ころ。下北沢の空、朝から晴れている。

 昨夜、小川真央は 清原美樹に メールをする。

<お元気?美樹ちゃん。明日(あした)下北(しもきた)の どこかのお店で お茶しない?>

<いいわよ。じゃあ、南口のモアカフェはどうかしら?時間は12時はどうかしら?>

<OK!じゃあ、12時にモアカフェね♪ ありがとう、美樹ちゃん♪>

 下北沢駅 南口から歩いて2分、住宅街の裏路地にある モアカフェ(moiscafe)は、高い天井(てんじょう)の、ゆったり 寛(くつろ)げる 、客席数も40席の カフェである。

 2004年5月、解体が決まっていた築40年の民家を改装した 一軒家で、昼の12時から23時まで営業する カフェだった。玄関左手には 赤松の木がそびえている。

 清原美樹と小川真央のふたりは、階段をあがった2階の、窓からの陽の光がたっぷりと射し込んでいる広々とした部屋のテーブルで寛(くつろ)いでいる。

 美樹は ミントグリーンのラッフルギャザー・ワンピースに、ブラウンの透かし編み・ニットカーディガンを、真央は フラワープリント・ワンピースに、デニムジャケットというファッションだった。

 家具メーカー大手のカリモクのクッションのきいた黒いソファー は、客にも人気で、背(せ)をもたれて座(すわ)って、目を閉(と)じていれば、しんとした明るい昼下がりには、時間が静止したようなゆったりとした心地よい気分になる。モアカフェは下北沢の若い人々にも人気があった。

「真央ちゃんと モアカフェに来たのって久(ひさ)しぶりよね!」

 美樹は 天井(てんじょう)のむきだしの梁(はり)を少し眺(なが)めると、目を輝かせて、真央にほほえむ。太くて丸い 横木(よこぎ)の梁(はり)は 屋根の重みを支(ささ)えている。

「そうよね。美樹ちゃんと前にお店に来たときから、わたしも今日まで来てなかったの。美樹はつきあいがいいから、大好きよ」

「ありがとう。わたしだって、真央が大切な友達だもの。精いっぱい、おつきあいするわよ」

 そんな会話にふたりはわらった。

 真央も、テレビとかで、タレント活動をするようになって、美女がいっそう美女になったなあ・・・と美樹は思う。そして、自分のことのように、胸が弾(はず)む感じに、うれしくなるのであった。

 清原美樹は、1992年10月13日生まれ、21歳。早瀬田(わせだ)大学、教育学部、3年生。
芸能プロダクションのモリカワ・ミュージックに所属する グレイス・ガールズのリーダーで、キーボード、
ヴォーカルを担当していて、2013年10月20日、デヴュー・アルバムの Runaway girl (逃亡する少女)と、その中から シングルカットされた Blowing in the sea breeze (海風に吹かれて)が、同時に ヒットチャート入りをしている。

 小川真央は、1992年12月7日生まれ、21歳。早瀬田(わせだ)大学、教育学部、3年生。ふたりは下北沢で育った、幼馴染(おさななじ)みの親友である。美樹は身長158センチ、真央は160センチ。モリカワ・ミュージックに所属して、アルバイト感覚ではあるが、タレント活動をして、人気上昇中でもあった。

 美樹と真央は、クラシック・ショコラと紅茶のセットを注文する。あと1時間もすると、美樹の交際相手の 松下陽斗(まつしたはると)と、真央の交際相手の野口翼(のぐちつばさ)が、店に来ることになっている。そしたら、みんなで食事をすることにしている。

「どうしたの真央ちゃん、何かあった?」

「うふふ。三角関係よ」

≪つづく≫

32章 美樹と真央、恋愛を語りあう (2)

32章 美樹と真央、恋愛を語りあう (2)

「ああ ・・・・。そんなこと。三角関係もいろいろと大変よね。わたしも 川口信也(かわぐちしんや)さんと、
松下陽斗(まつしたはると)さんのことで、三角関係だったし。やっぱり悩んだもの。そして心の整理をして、信也さんに、ごめんなさいって、謝(あやま)ったのよね、わたし」

「美樹ちゃんも大変だったわよね、あの時は。わたしの場合は、まだ、誰かに謝ったりするほど、深刻じゃないのよ。まだ、三角関係っていっても、まだ何も始まってはいなんだもの。自分ひとりの中で、迷っている贅沢(ぜいたく)な 悩みなんだから」

「わかったわ。真央が話していた、エタナールの新井竜太郎(あらいりゅうたろう)さんのことでしょう」

「うん、そうなの。わたしのことを気に入ってくれていて、つきあいたいっていってくれてるのよ」

「真央はモテるからな。エターナルって、 売り上げが3000億円で、マクドナルドと同じくらいの大会社なのよ。その副社長なんでしょう、新井竜太郎(あらいりゅうたろう)さんは。すごいお話よね」

「そうなの。そんなふうに考えると、ふらっと、竜太郎(りゅうたろう)さんと、おつきあいしてみようかしらって、思っちゃうのよね。わたしって、ひょっとして、小悪魔的なオンナなのかしらって思ったりもして。だって、竜太郎(りゅうたろう)さんのこと、何も知らないし、まだ愛してもいないのに、心が揺れ動いちゃうんだから、わたしって、小悪魔どころか、悪魔的なところがあるのかもしれないわ」

「真央ちゃん、そんなふうに、自分を責(せ)めてはいけないわ。誰にだって、小悪魔的なものは、絶対にあるんだから。精神分析学者のフロイトがいっていることなんだけど、わたしたちの心や精神には、イドと呼ばれる本能と、エゴと呼ばれる自我(じが)と、スーパー・エゴと呼ばれる 超自我があるんだって。姉の美咲ちゃんから教わった話なんだけど。フロイトのこの説をあてはめれば、現代人の心理や行動とか、犯罪者の心理とかが、わたしにも、よく理解できるのよね」

「わたしもそれは何かで読んだことある。フロイトは、イドを暴(あば)れる馬に例(たと)えるのよね、美樹ちゃん」

「そうそう。そして、エゴを、暴(あば)れる馬をなだめたり、調教したりする 騎手(きしゅ)に例えてね。わかりやすいわよね」

「うん。その馬と騎手の例えは、印象に残るわよね。そんな部分だけは頭に残っているわ」

 真央がそういうと、ふたりはわらった。

「暴(あば)れ馬と、それを操(あやつ)る 騎手の他(ほか)に、3つめの、スーパーエゴという 超自我があるんだけど、それって、道徳心とか良心とかそんな感じの心の働きのことよね。そのスーパーエゴは3歳ころから
親の影響によって現れはじめて、中学生ぐらいまでの間に完全なものとなるらしいの」

「なんだか、きょうの美樹って、心理学の先生みたいね」

 ふたりはまた楽しそうにわらった。

「陽斗(はると)くんは、1時には来るんでしょう?」

「陽(はる)くんは、1時だっていっていたわ。翼(つばさ)くんも、1時ころには来るんでしょ?」

「うん。そしたら、みんなで楽しく食事しましょう」といって、真央はいたずらっぽい目でほほえむ。

「真央ちゃんには、翼(つばさ)くんという、すてきな男の子がいるんじゃないの。新井竜太郎(あらいりゅうたろう)さんも魅力的だけれど」

「そうなの。翼(つばさ)くんのことは大好きなんだけどね。だから、わたしって、小悪魔的なのよ」

「そんなことないって、真央。真央のように、誰でも 迷(まよ)うと思うわ」

「ありがと、美樹。美樹はいつも優(やさ)しいよね」

 ふたりはまたわらう。

≪つづく≫

33章 新井幸平の誕生パ-ティー (1)

33章 新井幸平の誕生パ-ティー (1)

 3月16日の日曜日。空のよく晴れわたる、穏(おだ)やかな昼である。

 新井幸平(あらいこうへい)の誕生パ-ティーが、ふんわりとしたモチモチのピッツァもおいしい、ナポリ(NAPOLI)下北沢で、店内を借り切りにして、開かれている。

 下北沢駅から歩いて3分の、ナポリ(NAPOLI)下北沢は、セントラルビルの1階にあり、居心地のよいカウンターやテーブルで、総席数、30席であった。

 幸平(こうへい)は、1991年3月16日生まれで、きょうから23歳になる。幸平は、外食産業の会社エタナールのM&A事業部で、企業の合併や買収の仕事をしている。

 エターナルは年商3000億円で、ハンバーガーショップのマクドナルドに匹敵(ひってき)する大会社であった。

 エタナールの社長、新井俊平(あらいしゅんぺい)は、幸平の父であり、副社長の竜太郎は兄である。

 エタナールから合併の話があったばかりの、モリカワの2013年の年商は約365億円であった。

 きょうの幸平の誕生パーティーは、慶応(けいおう)大学の合唱サークルの仲間でもあった、清原美咲(きよはらみさき)が幹事をしている。

 弁護士の美咲の勤めている、美咲の父の経営する清原法律事務所では、モリカワの法務的顧問(アドバイザー)をしていた。

 今回のエアナールからの合併(がっぺい)の検討の過程で、美咲と幸平は何度も会っていた。

 美咲の呼びかけで、人の男女が、ナポリ(NAPOLI)下北沢に集まっている。

 美咲と交際中の弁護士の岩田圭吾や、幸平の兄の新井竜太郎、ロックバンド、クラッシュ・ビートのメンバーの4人、川口信也、森川純、岡林明、高田翔太、ロックバンド、グレイス・ガールズのメンバーの5人、清原美樹、大沢詩織、水島麻衣、菊山香織、平沢奈美、それから、美樹と交際中の松下陽斗(まつしたはると)、小川真央と、真央と交際中の野口翼(のぐちつばさ)、小川真央の兄の蒼希(あおき)、水島麻衣と交際中の早瀬田(わせだ)大学3年で、ミュージック・ファン・クラブ(MFC)の幹事長の矢野拓海(やのたくみ)、高田翔太と交際中のMFC部員の森田麻由美、岡林明と交際中のMFC部員の山下尚美、岡昇と岡と交際中の南野美菜(みなみのみな)、谷村将也と谷村と交際中の南野美穂(みなみのみほ)、森川良、モリカワの本部に勤めている市川真帆(まほ)と村上隼人、北沢奏人(かなと)と北沢の交際中の天野陽菜(あまのひな)たちである。

「その荒馬(あらうま)と、その馬に乗る騎手(きしゅ)の話ってさあ、フロイトのが有名だけどね、脳の生理学者のマクーリンっていう学者も、たとえ話で使っているんだよね」

 6人がけのテーブルの席にいる美咲に、そういうと、ピッツァを頬張(ほおば)るのは、モリカワミュージックの課長、30歳の森川良(りょう)である。美咲と良は、木目の美しい板塀のそばテーブルの、向かいあう席である。

≪つづく≫

33章 新井幸平の誕生パ-ティー (2)

33章 新井幸平の誕生パ-ティー (2)

「良さん、そうなんですか。個人の中に、馬と騎手がいるという比喩(ひゆ)って、仏教の開祖の釈迦(しゃか)もいっていますものね。釈迦(しゃか)は、騎手が馬をよく馴(な)らして、よく手なずけるように、己(おのれ)の神経や感覚器官を静めて、高ぶりを捨て、汚れの無くなった人、このような人は神々でも羨(うらや)むっていう言葉を残しているそうです。わたしもそんなブッダの言葉はとてもよくわかる気がするんです。仕事に追われたりして、感情的に興奮したり、取り乱した状態って、心にも体にもストレスとなって、良くないですもの。いつも楽しい気持ちや、晴れやかな気持ちでいるように努めることって大切ですよね」

「そうですよね、美咲さん。楽しい気持ちや晴れやかな気持ちかあ。ぼくも大切にしたいと思います。心が乱れていては、仕事の出来もいいわけがありませんよね。心にも体にも害になるだけでしょうし。脳の生理学者のマクーリンは、こんなことをいっているんです」

 そういって、両手を使って説明を始める森川良に、同じテーブル席にいる、美咲の左隣の清原美樹と小川真央と、森川良の右隣の松下陽斗(はると)と野口翼(のぐちつばさ)の5人は、聞き耳を立てるように集中する。

 先日の3月9日の日曜日に、住宅街にある一軒家のモアカフェ(moiscafe)で、フロイトの心や精神の話をした美樹と真央は、その日、店に遅(おく)れてやって来たきた陽斗(はると)や翼(つばさ)たちとも、その話で大笑いしたりしながら盛り上がったのだったが、きょうはその話に詳(くわ)しい美樹の姉の美咲に会えるのだから、もっと詳(くわ)しいフロイトの話を、直接聞いてみたいものだと、4人はなんとなく思っていたのであった。

「マクリーン博士は、人間の脳は進化しながら、3つの層に分かれているっていってますよね。片手で、握(にぎ)りこぶしを作ってみます。そして、もう一方の手で、その上から握りこぶしを包みこみます。これが脳の三層のモデルです。下になっているほうの手の手首が、原始的な脳の脳幹(のうかん)を表します。
脳幹は、生命維持に重要な機能の中枢部であります。脳幹は感覚神経や運動神経の通路にもなっています。いわゆる本能的な反応を司(つかさど)ります。具体的には、呼吸や心臓の鼓動などを維持したり、危険をすばやく察知したりする、原始的な本能をコントロールしています。誰かにあまりにも近寄(ちかよ)られると怒りや不快感を覚えるのは、この爬虫類脳によるものなんです」

 そういって、テーブルのみんなを、森川良は微笑みながら見わたす。

「良さんって、学校の先生みたいですよね」と、思わず美樹がいうと、みんなで声を出してわらった。

「ははは。美樹ちゃんにそういわれると、照れちゃうな。さて、そして、その握りこぶしが、大脳辺縁系(だい のうへんえんけい)といって、大脳皮質のうちの、旧皮質、古皮質からなる部分を表します。大脳辺縁系は、本能的行動や情動や自律機能や嗅覚を司(つかさど)っています。いいかえれば、ホルモンのシステムや、免疫システムや、セックスとか、感情とか、それと長期記憶などの重要な部分を担っています」

「フロイトの説の、イドと呼ばれる本能と、エゴと呼ばれる自我(じが)と、スーパー・エゴと呼ばれる 超自我があるいう、3つの分類に似ているお話ですよね」

 そういう美咲に、良(りょう)も、やさしく目を輝かせながら、微笑(ほほえ)むと頷(うなず)いた。

「そしてですね、この脳幹と大脳辺縁系の握りこぶしを包んでいるこの手が、大脳新皮質を表しています。この大脳新皮質は、大脳皮質のうちで、哺乳類(ほにゅうるい)で出現する部分です。カメとかワニとかトカゲやヘビなどの爬虫類(はちゅうるい)にはありません。大脳新皮質は、人間の知的活動に関与していると考えられている部分です。大脳新皮質はとても人間的な脳なわけでして、論理的思考や数学的思考や哲学的な思考などの、いわゆる知性を、人間の知的能力を司ります」

 そんな話をしながら、熱心に聞き入っているみんなを見わたすと、森川良は、ひと息入れた。

≪つづく≫

33章 新井幸平の誕生パ-ティー (3)

33章 新井幸平の誕生パ-ティー (3)

「マクリーンは、こんなふうに、脳を3つに分けて、三位一体(さん みいったい)脳論を展開したわけです。この説は、脳の三層構造ともいわれています。まあ、この説は1973年ころのもので、現代の最新脳科学から見れば、正確性はありません。しかし、脳の構造と進化の大まかな理解や認識を得るのには便利な仮説ですよね。以上が、マクリーンさんの三位一体(さん みいったい)脳論でした。はははっ」

「良さん、このマクリーンさんも、脳幹と大脳辺縁系の、古い皮質といういのかしら、いま包まれている握りこぶしの部分を、暴れ馬に例(たと)えているということなのかしら?」と美咲は楽しそうな笑顔でいう。

「そうです、美咲さん。暴(あば)れ馬でもいいですが、それじゃあ、お馬さんがかわいそうなので、若くて力強い精悍(せいかん)なお馬さんとでもいっておきましょう」

「良さんは、ほんとうに優しくて紳士なんだから!」と美樹はいった。

 テーブルの6人、みんなで大笑いをした。

「そういえば、良さん、きょうは白石愛美(しらいしまなみ)さんがご一緒でないのがさびしいですわ」と、ほろ酔い気分で、つい、美咲はいってしまった。

「愛美(まなみ)さんは、きょうは、たまたま、テレビのお仕事が重(かさ)なってしまったんですよ。ぼくも残念なんですけどね。あっはは」

「良さんの心中をお察し申し上げます。ほんと、良さんって、お優しくて紳士で、知性もあふれていらして、すばらしいんですもの!」と美咲は、赤ワインに酔った、ほろ酔い気分でそういう。

「あの・・・、おれは、マクリーンの話の続きが気になるんですけど。マクリーンは、新しい皮質の大脳新皮質でしたっけ、それを馬に乗る騎手に例(たと)えているんですよね。ということは、フロイトの説の、イドを暴(あば)れる馬に例(たと)えて、エゴを馬を調教する 騎手(きしゅ)に例える説に、共通するといいますか、ほとんど同じことをいっているようですよね」

 そういう陽斗(はると)に、良はわらいながら、「そうですよね」と答える。

「ぼくは思うんですけど、マクリーンの説でいえば、脳の古い皮質と新しい皮質ですが・・・。フロイトの説でいえば、周(まわ)りの社会との調和をめざそうという、現実的に動くエゴと、本能の赴(おもむ)くままに動こうとするイドですよね。そんな精悍(せいかん)な馬のイドと、その馬をなだめながら乗っている騎手のエゴという、そんな2極的な関係なんでしょうけど。世の中におかしな事件が多いのも、この2極が、どうも上手(じょうず)に、バランスよく、コントロールできていないからじゃないのかなんて、思うんですよ」

 陽斗(はると)は、森川良にそんな話をした。

「ぼくも、陽斗さんと同じようなことを思いますね。そんな2極のバランス、調和がとれないと、健全じゃないし、何かの病気になったり、人間の何かが、おかしくなったり、ノイローゼになったりするると思いますよ」
 
 野口翼(のぐちつばさ)が、そういった。

「人格は、哺乳類的な脳の大脳辺縁系と、人間的な脳の大脳新皮質との、調和のとれた姿こそが、健全な、オトナの心身の状態だろうといわれていますからね。最近の人は、目先の損得とかで、動きすぎるのかもしれませんよね。そのため、自己研鑽(けんさん)というか、自分自身の力量や技術などの能力を鍛(きた)えたり磨(みが)きをかけることもしなくなっているんだろうし、そんな悪循環になってしまっていて、社会には、夢も希望も無くなってしまっていて、明るい未来も描けなくなっているんじゃないのかな?」

「なんか、本当の意味でオトナになるって、むずかしそうだわよね、そんな本当のオトナが少ない気がするわよね。そこへいくと、良さんは、すてきなオトナですよ。ねえ、みなさん」

 美咲がそういうと、美樹や真央や陽斗や翼も、「そうですよね、良さんは、すてきなオトナって感じ!」といった。「ははは。まいったな」といって、森川良は照(て)れわらいをしながら頭をかいた。

 そんなふうに歓談している美樹や美咲や真央たちを、エタナールの兄弟、竜太郎と幸平が、カウンターの席から、なんとなく眺めている。

「どうやら、真央ちゃんのことは諦(あきら)めたほうがよさそうだな・・・」と、竜太郎は、めずらしく元気のない表情で竜太郎がそういった。

「真央さんには、翼くんがいますからね。美咲さんには岩田圭吾さんがいるんだし。竜さんもおれも、哀しき片思いってわけですかね。われらの恋愛騒動の収穫といえば、真央さんの兄の蒼希(あおき)さんが、エタナールに来てくれたことってことですよね。それだけでも、よかったんですよね。彼は優秀だから。まあ、そんなところで決着として、きょうからは、気分を一新して、また新たな恋でも見つけましょうか、竜さん?」

「そうだな。そうしようか。しかし、恋というものは、ままならないもんだよな、幸平」

 竜太郎がそういうと、珍(めずら)しく弱気な兄に、幸平はわらった。竜太郎もわらった。
それから、ふたりは、「まあ、飲もうぜ」とかいって、グラスに、ビールを酌(く)み交(か)わした。

≪つづく≫ --- 33章 おわり ---

34章 神か悪魔か、新井竜太郎の野心 (1)

34章 神か悪魔か、新井竜太郎の野心 (1)

 3月23日の日曜日。よい天気で 気温も18度ほどで、
吹き渡る風は まだ肌寒いが、早春のドライブ日和(びより)である。

 川口信也と大沢詩織のふたりは、朝の9時から、買ったばかりの
新車に乗って、東京スカイツリー へ遊びに行くところである。

 大沢詩織は、父の営(いとな)む 大沢工務店(こうむてん)の
駐車場で、信也のクルマを待っている。工務店の隣(となり)は
大沢家の洋風の住まいがある。小田急線の 代々木上原
(よよぎうえはら)駅南口から、歩いて5分であった。

 代々木上原駅は、下北沢駅から新宿方面へ向かって、
東北沢(ひがしきたざわ)駅を経(へ)た、次の駅である。

 信也のマンションは、下北沢駅からは、歩いて8分ほどだから、
信也と詩織の家までは、電車では、最短で20分ほどだった。

 詩織は、裏地がヒョウ柄のハーフコート、ゆるめのニットセーター、
ブルーのデニムパンツ、小さいショルダーバッグというファッションだ。

 この4月から消費税が 5%から8%に上がることもあって、
信也は、大学1年のときにバイトをして買った中古の軽(けい)の
スズキ・ワゴンRを手放すことにした。そして、トヨタの人気車、
スポーツタイプの、新型ハリアーに乗り換えた。

 グレードは、ハイブリッド・エレガンスで、値引きしてもらって400万円
ほどである。4月前に買うから、12万円ほど安くすんだことになる。

 昨年の10月21日に リリース(発売)された クラッシュ・ビートの
アルバムやシングルが、どちらも15万枚ほど売れた。
その印税として、クラッシュ・ビートのメンバーに 1人当(あ)たり、
約2000万円の現金が、口座に振り込まれたのだった。

 同じ時期に、大沢詩織たち、グレイスガールズのメンバーにも、
印税による収入が 口座に振り込まれていた。

 グレイスガールズの場合、アルバムやシングル、どちらも
17万枚ほど売れていて、メンバーの5人とパーカッションの
岡昇(おかのぼる)の6人で、その印税を分配したのだった。
9100万円の6等分、1人当たり約1500万円の収入である。

 みんな、若くして、驚くほどの、思わぬ大金を手にしたわけだ。

 「お金は大切に使おうね!」と、笑顔満面に、みんなは、
よく同じことをいった。

 信也が買ったトヨタのハリアーは、ボディカラーが ホワイトパールの
2.5リットルのエンジンで、燃費は、リッター、14キロほど走る。
4WD、4輪駆動で、雪道に強そうだ。前輪駆動状態と
4輪駆動状態を、自動的に電子制御するシステムである。

 駐車場に、信也の乗るハリアーが静かに入ってきて、止まった。

「わあ、信(しん)ちゃん、すてきなクルマだわ!かっこいい!
しんちゃんに、ぴったしって感じ!」

 そういって、詩織は、きょう初めて乗せてもらう トヨタのハリアーに、
胸を躍(おど)らせて、大歓(おおよろこ)びである。

「高いクルマだけのことはあるよ。このクルマなら、大切すれば、
20年くらいはつきあえそうな気がするよ。あっはは」

 信也はクルマから降りて、そういうと、まるで可愛(かわい)いペットを
撫(な)でるように、エンジンを収容されている白いボンネットをさする。

「信ちゃんは、クルマを大切にするからね。前のスズキ・ワゴンRも、
すっごく、大切にしていたじゃない。わたし、そんな、信(しん)ちゃんを
見ていて、すごっく思いやりのある人!って思ったんだから!」

「あっはは。そうだったんだ。よく、おれを、観察していたんだね」

「まあ、そうね。だって、わたしの大切な人のことだもの」

「さあ、きょうは天気もいいし。東京スカイツリー見たり、おいしい
もの食べたりして、ドライブを楽しもうね、詩織ちゃん」

「うん」
 
 身長175センチの信也と163センチの詩織は、軽く抱きしめあうと、
楽しそうに 微笑(ほほえ)みながら、クルマに乗(の)った。

≪つづく≫

34章 神か悪魔か、新井竜太郎の野心 (2)

34章 神か悪魔か、新井竜太郎の野心 (2)

「わあ、飛行機のコックピットみたいなのね、運転席が。
シートも快適そう。いい匂(にお)いもするわ!
これって、新車特有の匂いよね!」

「オプションで、シートは本革(ほんがわ)にしたんだ。
その皮の匂いがいいんだよ」

「ああ。皮の匂いよね、これって」

 クルマは、市街地を走り抜け、高速道路へと向かう。

「この前さあ、テレビで スマップ・スマップ(SMAP×SMAP)の
録画を見てたんだけど。それに、レディー・ガガが出ててさ」

「ああ、あれね、美女だらけ スペシャルっていうのでしょう。
わたしも見てた」

「ガガって、素顔って、すごく チャーミングだよね、それに、
美人だよね。知性が顔に現れている、まるで少女のように
美しい女性だよね。つくづくそう思いながら見てたんだ」

「そうよね。笑顔がとてもかわいいのよね。天使みたい。
わたしも、テレビ見て、ガガのこと、大好きになったわ」

「木村拓哉(きむらたくや)が、ガガに質問してたじゃない。
ほんとうに、何にもない無人島へ、CD、レコード、
1枚だけ 持って行っていいっていわれたら、
誰の持っていきますか?って」

「それで、ビートルズのアビィ・ロードをかけてるんだ、信ちゃん」

「うん」

 ふたりはわらった。

「ガガは、無人島には、ビートルズの アビィ・ロードとか、
レッド・ツェッペリンのレッド・ツェッペリンⅡとかが
いいって、答えたのよね。わたしもあれ見ていて、
なんか信ちゃんの好きなのと、そっくり同じって思ったもの」

「ガガはいっていたじゃない。 クラシック・ロックがきっかけで、
音楽に夢中になったんですって。それ聞いていて、そうなんだ、
おれと同だと思って、ガガに親しみ感じたもんね。あっはは」

「素顔のガガを知った感じの番組だったわね。わたしたちも、
まだまだ、がんばれるって気持ちになれる番組だったわ。
ガガったら、無人島に、スマップのCDも持って行くっていって、
やさしく気を使ったりして、やっぱり、一流の気配りもあったりね」

 クルマのハンドルを握(にぎ)りながら、信也は、ガガの大ファンだと
いっていた、エタナールの副社長の新井竜太郎を思い出している。

 新井竜太郎は、1982年11月5日生まれ、身長、178センチ。
31歳の独身で、エタナールの、IT システム 構築や、
IT プロジェクト 戦略の指揮(しき)をとる、IT の屈指のプロだった。

「ガガといえば、エタナールの竜太郎さんのことを、詩織ちゃんは
どんなふうに思っているのかな」

「どんなふうにっていわれてもね。ITに詳(くわ)しいだけあって、
どことなく、アップルの創業者のスティーブ・ジョブスに
なんとなく似ているじゃん!なんて思ったこともあったわ」

「あっはは。スティーブ・ジョブスかぁ。なるほどね。
そういわれると、どことなく似ている気もするけどね。
スティーブ・ジョブスは神か悪魔かなんていわれたくらいに、
仕事には厳(きび)しい男だったらしいけど。竜太郎さんも、
そんなタイプなのかなぁ」

「どうしたの信ちゃん。竜太郎さんが気になるみたいじゃない」

「まあね。竜太郎さんは、モリカワの買収の提案者だったしね」

≪つづく≫

34章 神か悪魔か、新井竜太郎の野心 (3)

34章 神か悪魔か、新井竜太郎の野心 (3)

「うん、そうよね。今回のM&Aっていうんだっけ、
モリカワの買収の騒動では、真央ちゃんに竜太郎さんは
ふられたり、真央ちゃんの兄の蒼希(あおき) さんが、
エタナールに入社しちゃったりって、いろいろあったわよね」

「ははは。そうだよね。モリカワが買収されなかったのは
良かったけどね。でも、竜太郎さんは、モリカワの経営手法を
参考にして、エタナールをもっと大きくするらしいからね。
モリカワミュージックのマネをして、芸能プロダクションも
立ち上げたからね。これから先は、モリカワの競合他社と
なっていきそうな感じなんだよ。そうはいっても、この社会じゃ、
誰が競争相手でも同じようなもので、それを避(さ)けては、
やっていけないんだけどね」

「この世の中、競争ばかりが先行していて、チャップリンの
モダンタイムズみたいに、人間なんか歯車みたいな扱(あつか)いに
なっているって感じることあるもん。チャップリンて、100年近くも前に、
人間の尊厳が失われて、機械のいち部分のようになっている世の中を、
喜劇映画にしたんだから、その先見性って、やっぱりすごいわ」

「まったくだよね。まあ、竜太郎さんは、この前、バーのカウンターで、
いっしょにカクテルとか飲みながら、おれに話してくれたんだけどね。
会社を大きくして、その力で、世の中をいい方向に変えたいんだってさ」

「そうなんだ。志が高くって、すてきじゃないの。竜太郎さんって」

「そうなんだけどね。でも、彼の場合、いっていることと、やっていることに
矛盾があると思うんだ。エタナールをブラック企業と噂(うわさ)される会社
にしたのも、竜太郎さんたちなわけだからね。
おれって、黙っておけないタイプだから、竜太郎さんにその点について
聞いてみたんだ。そしたら、まずは、会社を大きくして、高収益を上げる
企業にしなければ、そして社会的に優位に立つ強者にならなければ、
世の中をよい方向に動かす力を持つこともできないっていたけどね」

「それも、正論かも。ブラック企業って、どんな企業のことをいうのかしら」

「サービス残業とかをさせたり、社員に過度な心身の負担をさせたり、
極端な長時間の労働をさせたりするなどで、劣悪(れつあく)な
労働環境で勤務をさせる会社のことだよね。そして、それを
改善しない会社のことだよね」

「そうなんだ。エタナールって、会社はモリカワの10倍も大きいのにね。
でも、モリカワをモデルに、ホワイト企業を目指して、改善しているんでしょう」

「まあね、竜太郎さんもそんなことを、おれに話してくれていたけどね。

「それならば、よかったじゃない」

「まあね。でも竜太郎さんは、野心が大きいからか、よくわからない人だよ」

「そこが、スティーブ・ジョブスみたいに、神か悪魔かなんていわれるのね」

「いい意味でも、悪い意味でも、天才肌なのだろうね、竜太郎さんは。
彼がいたから、エタナールもあんなに大きくなったのは確かだしね」

「弟さんの幸平さんは、いい人よね」

「そうだね。幸平くんは、おれの1つ歳下(としした)で、
おれを慕(した)ってくれるし、性格もわかりやすくって、
気持ちのいいヤツだよ」

「幸平さんも、美樹ちゃんのお姉さんの美咲さんのことが、
大好きなのよね」

「兄弟が、ふたりして、片思をしていたってことかぁ」

「わたしたちは、両想いで、よかったわよね」

「まったくだよ」

 そういって、信也と詩織はわらった。

 カー・オーディオからは、ビートルズの アビィ・ロードが終わると、
ジミーペイジのリフが軽快で始まる、レッド・ツェッペリンⅡが流れる。

 ロックのリズムとともに、ホワイトパールのトヨタのハリアーは、
安定した運転で、東京スカイツリーに向かう 。バイクのときも、
クルマのときも、信也の運転は、巧(たく)みなアクセルやブレーキの
操作で、安全運転のマナーを守る、的確さであった。詩織は、そんな
信也の日常の仕草(しぐさ)に、男らしさを感じている。

 運転に集中する信也の横顔に、うっとりと見とれる、詩織であった。

≪つづく≫ ーーー 34章 おわり ーーー

35章 竜太郎、竹下通りで、デートとスカウト (1)

35章 竜太郎、竹下通りで、デートとスカウト (1)

 2014年4月6日。空は晴れている。風が少し冷たい日曜日である。
商店街の竹下通(たけしたどお)りには、週末の春休みということで、
多くの人たちで賑(にぎ)わっている。

 新井竜太郎と、モデルのようにスタイルのいい長身の若い女性、
秋川麻由美(まゆみ)の二人が、ショッピングがてら、仲も良さそうに
竹下通りをぶらついている。

 竜太郎の腕に 甘(あま)えるように しっかりと抱きつく 麻由美の姿は、
ボブ・ディランの1960年代の傑作アルバム、フリーホイーリンのジャケット
の、若きディランと可愛い彼女を連想させる。

 竜太郎は身長178センチの31歳、秋川麻由美は身長167センチの21歳。

「竜さん、アモスタイル(amos-style)に連れてって!」

「アモスタイルって、天使のブラの店だろ?」

「うん、かわいいブラやショーツのお店よ。テレビのCMで、
篠原涼子さんが、トリンプのかわいい下着をつけてたのよ。
わたしも、そんなかわいいを下着をつけて、竜太郎さんに
脱がしてもらおうかなって……」

「あっはは。天使のブラ、極上の谷間っていう キャッチコピーの
CMね、はいはい、おれも見たことある。彼女って、色っぽいよね、
あっはは」

「そうなの、わたしも篠原さんみたいに、いつまでも、色っぽい
女性でいたいのよ」

「篠原涼子って、何歳になるんだっけ?旦那(だんな)さんが俳優の
市村正親(いちむらまさちか)だよね。子どもも2人くらい
いるんだろうけど、そんな生活感を感じさせないよね、
さすが芸能界の第一線で活躍するプロだと思うよ」

「わたしも、芸能界に入ったばかりだけど、篠原を大先輩として
見習いながら、がんばろうと思って……」

「それで、まずは、天使のブラからってことだね」

「うん、まあね」といって、麻由美は竜太郎を眩(まぶ)しそうに見る。

 二人は声を出してわらう。

 今年の1月から、竜太郎が副社長を務める 外食産業大手の
エターナルでは、総力を挙げて、芸能事務所を立ち上げている。

 秋川麻由美は、商業高校卒業後、この竹下通りの衣料品店、
Gapフラッグシップ原宿に勤めていたのが、今年の1月に、
この店に買い物に来た竜太郎にスカウトされたのであった。

 現在、麻由美は エターナルの芸能事務所のクリエーションで、
バラエティ番組などに出演するタレントとして 活動を始めている。

 1月に事業を開始したばかりのクリエーションであるが、すでに
所属するタレントやアティーストやモデルは30名以上である。

 竜太郎が先頭に立って立ち上げた芸能事務所のビジョン
(未来像)は、壮大なものである。世界に通用するアーティストや
エンターテイメント(娯楽)を創造していくこと、そして、
そんな芸能活動を志す仲間を、経済的にも支援する、
国際的な企業に、クリエーションを育て上げることであった。

 竜太郎は15歳のころに読んだ北村透谷(きたむらとうこく)の言葉に
強烈な衝撃を受けている。

その言葉とは、「恋愛は人生の秘鑰(ひやく)なり、
恋愛ありて後(のち)人世(じんせい)あり、
恋愛を抽(ぬ)き去りたらむには人世何の色味(いろみ)かあらむ」
という書き出しで始まる『厭世詩家(えんせいしか)と女性』という評論の
書き出しの言葉であった。
 
 秘鑰(ひやく)とは、貴重な錠前(じょうまえ)の意味である。
つまり、人生の扉を開け閉めする錠前が恋愛ならば、
恋愛を通(とお)らなければ、人生には入れないということであり、
恋愛があって、初めて、その後(のち)に本当の人生があるという
ことを、透谷はいっている。恋愛を引き去ったときは、
つまり恋愛のない人生には何の色味(いろみ)、色合いもない、
そんなことが、この透谷に短い文章には記(しる)されている。

 15歳の感受性ゆたかな竜太郎には、衝撃的な言葉であった。

……これこそ、人生と戦う文学者、詩人の言葉だよな!
北村透谷こそは、世界に誇れる日本の文学者さ!……
竜太郎は思って、透谷に心酔したのだが、当時の高校の
国語の女性の教師は、鼻で笑いながら、「竜太郎くんも、
若いんだから、恋愛しないとね」といって、透谷のその言葉に
共感もせずに、微笑(ほほえ)むだけであった。

≪つづく≫

35章 竜太郎、竹下通りで、デートとスカウト (2)

35章 竜太郎、竹下通りで、デートとスカウト (2)

 竜太郎は、それ以来、オトナと、オトナ社会に、深い不信感を
持つようになった。こんなオトナばかりだから、世の中は
悪い方向へ進むばかりなんだ……と。

 そんなわけで、竜太郎の仕事へ向ける情熱や、何か現状を変革して
いこうという気持ちの原動力は、人には話さないが、この北村透谷の
言葉であった。

 『厭世詩家(えんせいしか)と女性』という評論が発表されたのは、
明治25年、1892年であるが、当時においても、現代においても、
衝撃的なものであろう。「電気にでもふれるような身震い、大砲を
ぶちこまれたよう、」などと、島崎藤村たちも書き記(しる)している。

 竜太郎は、結婚はまったく興味がなかった。結婚すれば、
恋愛は不可能になるだろうという、単純な理由からであった。

……透谷が詩的に語るように、恋愛によってしか、本当の人生は
わからないのだろう。それならば、生涯(しょうがい)をかけて、
すてきな恋愛をして、楽しくいきたいものだ……。

 しかし、そんな考え方が、反社会的でもあって、とてつもなく
淫(みだ)らな気もするのであったが、とにかく今は、
透谷に触発される、恋愛を人生において最高のものとする考え方が、
つまり恋愛至上主義が、竜太郎の哲学であり、確信であった。

 竜太郎と麻由美は、竹下通りの商店街の中ほどにある
ランジェリー専門店のアモスタイルで、『谷間くっきり』という
キャッチコピーのブラとショーツのセットを買って、店を出る。

「竜さんって、あんな、ブラやショーツのいっぱいのお店に
入っても、全然平気なのね。恥ずかしがる男のひとって多いのに!」

「あはは。おれは、女性の下着ってみるの好きだもの。全然、平気」

「わたし、そんな竜さんが、また好きなんだなあ」

「おれって、エッチなこと大好きな、好色なんだよな」

「それでいいんじゃない。エッチや好色って、健康な証拠よ。
健康な体と心でないとできないことだから」

「あぁそうだね、麻由美ちゃんのいうとおりだね。エッチや好色って、
異性に対して、セックスしたいなんていう気持ちを抱くことだよね。
でもね、昔は、好色って、いい意味で使われていた言葉なんだよね。
好色って、男と女が情を通わす、美しいこと考えられていたんだよ。
西暦900年頃に始まった平安時代のころの話だけどね。
そのころは、女性の顔かたちの美しさや美女のことも
好色といっていたんだってさ」

「じゃあ、美男美女の、竜さんとわたしは好色ね!」

「ああ、そうだな」

 二人はわらった。

「まあ、昔の人は、大(おお)らかでいいよな。それに比べて、
現代人は、エッチなことがほんとうは大好きなのに、
それをひた隠しにして、表向きには、エッチな人間のことを、
卑下(ひげ)したり、劣(おと)った人間のように見るんだから」

「そうよね。なぜかしら、本音と建て前って、なぜあるなのかしら」

「最近わかったことだけど。完璧(かんぺき)を求めようとするから、
本音と建て前というか、理想と現実が違ってきて、矛盾(むじゅん)
することをやってしまっていることがあるんだよね。
おれもこれまで、仕事にも、ついつい完全を求めちゃって、
それをできない人間に、無理な要求をしてきた気がするよ」

「すごいわ。竜さんって。竜さんのお仕事や完璧を求めるところ、
わたしから見ると尊敬しちゃうんだけど。そうやって、素直に
反省しているところなんて、わたし、大好きな竜さんのことを、
きのうよりも、きょう、きょうよりも明日っていう感じに、
もっと、もっと、好きになっていくそうだわ!」

「いやいや、褒めてくれて、ありがとう、麻由美ちゃん。
おっと、あそこを歩いている女の子、すごくいい感じだよね。
ねえ、麻由美ちゃん、どう思う?」

「そうね。すらっとして、歩く姿やかわいい笑顔(えがお)に
いっぱいオーラが出ている感じがする」

「そうだよね。よし、ちょっと、スカウトしてみるよ。
麻由美ちゃんも、一緒に来てくれる」

「うん」

 店のショーウインドーの前で、ガラス張りの中の、トレンドな
ファッションを眺めながら、楽しそうに会話をしている、
高校生のような 3人の女の子たちのいるところに向かって、
竜太郎と麻由美は、手をつなぎながら、ゆっくりと歩いた。

≪つづく≫--- 35章 おわり ---

36章 信也と竜太郎たち、バー(bar)で飲む (1)

36章  信也と竜太郎たち、バー(bar)で飲む (1)

 「信(しん)ちゃん、たまには一緒に飲もうよ。12日の土曜の
夜はどうかな?」

 金曜日の夕方、下北沢のモリカワの本社から帰宅しようとしていた
川口信也のスマホに、新井竜太郎がそんな電話をかけてきた。

 モリカワに対するM&A以来、エタナールの副社長、31歳の
新井竜太郎と、24歳の川口信也は親しく付き合うようになっていた。
ふたりとも酒が強くて好きで、酒飲み友達といってもよい仲である。

 「いいですよ、竜さん。男だけだとおもしろみないですよね。
彼女でも連れて、4人くらいで飲みませんか?」

「そうだね、じゃあ、そうしよう。場所は、新宿3丁目の池林坊
(ちりんぼう)はどうかな?日時は明日(あした)の4時半はどう?」

「池林坊(ちりんぼう)に、明日の4半時ですね。あそこは4時半の
開店ですもんね。わかりました、竜さん。楽しくやりましょう!」

「あっはは。お互いにじゃあ、池林坊(ちりんぼう)の常連客で
開店時はよく知っているよね。じゃあ、店に予約しておくから」

「お願いします。それじゃあ、竜さん、池林坊で、また」

 バー(bar)の池林坊(ちりんぼう)は地下鉄3丁目駅から
歩いて1分、吉川ビルの地下1階にある。

 電話を切った後で、信也はふと思う。

 竜さんの会社のエタナール、モリカワのM&Aに失敗したばかりで、
今度は、フォレストとのM&Aに失敗してんだからなあ。しかし、
そのせいで、モリカワがフォレストと合併することになったんだからなあ。
まったく、先の展開が読めない、忙(いそが)しい世の中だ……。

 信也の大学の後輩で、ミュージック・ファン・クラブの部員の
森隼人(もりはやと)の父親が経営する株式会社フォレストは、
2013年の売り上げが1000億円の、CD、DVD、ゲームや
本のレンタル、ネット販売の店や美容室を全国展開する会社だ。

 2014年4月1日付(づ)けで、外食産業やライブハウス、
芸能事務所を経営するモリカワは、株式会社フォレスト
(Forest)を吸収合併して、連結会社化とした。

 売り上げの規模からすれば、2013年度では、モリカワが365億円、
フォレストが1000億円という、事業規模が小さい会社を
存続会社とする、いわゆる逆(さか)さ合併であった。

 この合併の結果、2014年度のモリカワの連結決算は、
単純計算では、1365億円以上ということになって、
モリカワは、大躍進、急成長していることになる。

 その買収金額は、フォレストの2013年の売上(うりあげ)、
1000億円と同じの1000億円である。この金額は、割安とも
割高ともとれる微妙さで、レンタルビデオ業界の低迷期入りを
計算に入れると、妥当な金額ではないかと
経済新聞などではいわれる。

 しかし、モリカワが買収金額の元を取り返すためには、
1000億円で買収しているので、モリカワ単独の年間利益約26億円と
フォレストの年間利益56億円、合わせて82億円で、単純計算しても、
1000÷82で、12年はかかることになる。

 社会状況から見ると、フォレストが経営するレンタルビデオ業界は、
ブロードバンドの普及によって、無料で手軽に動画を視聴できること、
急成長する動画のネット配信に押されるなどで、需要の減少にも
歯止めがかからずに、市場規模が縮小する一途(いっと)である。

≪つづく≫

36章  信也と竜太郎たち、バー(bar)で飲む (2)

36章  信也と竜太郎たち、バー(bar)で飲む (2)

 新井竜太郎と川口信也、大沢詩織、秋川麻由美の4人は、
池林坊(ちりんぼう)の開店時刻の4時半から、
四角いテーブルに座ると、4人とも、氷点ハイボールを注文した。

 つまみは、生ハムのクレソン添え、牛タンの塩漬け、野菜スティック、
サンドウィッチ風のアメリカンクラブハウスやアップルパイとかを注文した。

 「美味(おい)しい、このハイボール!ねえ、麻由美さん」

 「ほんと、美味しいわ、詩織ちゃん、極上のハイボールよね!」 

 と、大沢詩織(おおさわしおり)と秋川麻由美(まゆみ)は、
男心をそそるような甘く可愛(かわい)い声で、池林坊(ちりんぼう)の
凍らせたタンブラーに入った氷点ハイボールに上機嫌である。

「ハイボールはウィスキーのソーダ割りというシンプルさがいいよね。
シンプル・イズ・ベスト、単純素朴が最良だってことかな、あっはは」

 そういって、わらうと、新井竜太郎は氷点ハイボールの凍った
タンブラーを持って、美味しそうに飲む。

 タンブラーを持つ竜太郎の姿に、上品な趣(おもむ)きがあるなぁと、
信也は感じて、……この人は不思議な人だと思わず、微笑(ほほえ)む。

「竜さん、フォレストとの合併の失敗の原因は何だったと思いますか?」

 信也は素直に、思うまま竜太郎に聞いてみた。

「合併の失敗の最大の要因は、フォレストの経営陣を説得出来なかった
ことだよね。エタナールの経営方針に従ってくれなかったんだよ」

「合併交渉というものは、役員人事とかの人間関係が難しいですよね」

「まあ、そういうことだね。信(しん)ちゃん。男女の恋愛と同じさ。あっはは」

「人は、愛する対象や、愛する人だけからしか、学べないものだって、
あのドイツの文豪のゲーテもいってますけどね」

「そうなんだ、あのゲーテがね。おれも文学者の言葉では、日本の
北村透谷(きたむらとうこく)の言葉に衝撃を受けたよ、
15歳のころにね。恋愛は人生の秘鑰(ひやく)なり、恋愛ありて
後(のち)人世(じんせい)あり、恋愛を抽(ぬ)き去りたらむには
人世何の色味(いろみ)かあらむ、という透谷が書いた評論の
書き出しだけどね」

「ああ、その透谷の言葉は、ぼくも知ってますよ。 秘鑰(ひやく)は、
錠前(じょうまえ)のことですよね。人生の扉を開け閉めするための
錠前が恋愛であって、そんな恋愛を通過しないと、本当の人生には
入れないのだってことですよね。恋愛があって、初めて、
その後(のち)に本当の人生があるなんていうことは、透谷が
はじめていったんじゃないかな?すごいですよね、透谷って人は」

「信ちゃんも、よく知っていますよね。ラブや愛かな?
人生のポイントは。あっはっは」

「スゴすぎ!ふたりのお話し。でも恋愛や愛って、すごく大切なのね。
すばらしいことなのね、ねえ、麻由美さん」

 大沢詩織はそういって、麻由美に微笑む。詩織は19歳、
身長163センチ。

「竜さんも信ちゃんも、愛や恋愛について、真剣に考えているから、
そんなところが、とてもすてきだと思うわ!」

 食べていたアップルパイを皿において、麻由美はそういうと、
女性的な魅力のあふれる笑顔で、竜太郎と信也と詩織を見る。
麻由美は21歳、身長、167センチ。

≪つづく≫

36章 信也と竜太郎たち、バー(bar)で飲む (3)

36章  信也と竜太郎たち、バー(bar)で飲む (3)

「まあさ、エタナールの失敗もあってか、モリカワさんは、
何倍もの大企業になったんだし。めでたし、めでたしってことで、
また、がんばってやっていきましょう!あっはっは」

 そういって笑って、竜太郎は、なぜか上機嫌である。たまたま
撃(う)った鉄砲玉が外(はず)れたくらいに考えているので、また
新たなM&Aで会社を大きくしていくことを考えているのであろう。

 モリカワとフォレストの友好的なM&Aの実現の、
1番の大きなきっかけは、竜太郎がいうように、
東証1部上場のエターナルがその豊富な資金力によって、
買収金額を2000億円、提示して、フォレストに
敵対的買収を仕掛けてきたことであった。

 新井竜太郎たちエタナールは、フォレストの役員たちの
同意や協力を得ることなく、支配権の異動を図(はか)る
企業買収を計画したのであった。

 しかし、フォレスト(Forest)の社長、49歳、森昭夫や妻の44歳、裕子、
長男、19歳の隼人(はやと)、隼人の姉、21歳の留美(るみ)たち
家族は、これまで築(きず)きあげてきた会社が消滅してしまうような
エタナールからの一方的なM&Aを、初めから全(まった)く拒絶した。

 そんな状況の中、日ごろから親交の厚いモリカワの社長、59歳、
森川誠と、フォレスト(Forest)の社長、森昭夫は、新宿にある
料亭の高瀬(たかせ)で、ふぐ料理を食べながら歓談をする。

 その料亭で、モリカワとフォレストの友好的な合併が実現した
のであった。フォレストの社名もそのままで、経営権や支配権や
営業方針なども従来のままという、フォレストにとっては
極めて好条件の合併契約、友好的な対等合併であった。

「竜さんは、会社をどんどんの大きくして、グローバル企業にして、
その先の未来ではどうしようと思っているんですか?」

 酔っている信也は、竜太郎にそんなことを聞いてみた。

「信ちゃんなら、わかってもれえると思っていうけどさ。おれの考えは、
信ちゃんがやっているバンド活動にかける気持ちと同じようなものさ。
おれはバンドとかできないけど、プロデュース的な立場で、
芸能事務所を世界的に展開してさ、そんな芸術作品や芸術家たちの
活動を通じてさ、世界中の人に、愛や恋愛の大切さを広めたりしてさ、
そんなビジネスで、世界の平和や人々の意識改革に貢献したいなって、
思っているのさ。そんな青臭い話、世間の現実を知らないような
未熟な若者のいうような話は、ここだけの話だけどね。
人生なんて、長くないし、短い人生で、どこまでできるかって感じで、
やっているだけなんだよね、おれは」

 目をキラキラさせて、笑顔で竜太郎はそう話した。

「そうなんだ。竜さんって、すごいな、志が高くって。おれも
がんばらないとと思っちゃうよね。あっはは」

 信也は思わず、そういってわらいながら、竜太郎に、
天才性と狂気のような2つの相反するものを感じる。

「竜さんも信ちゃんもかっこいいわ。中身もルックスもすべてが!」

 そういうと麻由美は、長い睫毛(まつげ)の可愛い目で、
竜太郎と信也を見つめる。

「麻由美ちゃんと詩織ちゃんも、美しいプロポーションしていて、
もう、こうして眺めているだけで、エッチな気分になってくるよな。
あっはは」

 そういって竜太郎は、陽気にわらう。

「竜さんたら、そんなこといって。じゃあ、今夜は、お酒も適量を
キープしてもらいましょうね。そのあとの、男女のオトナの時間を
優先してもらいましょうね!ねえ、詩織ちゃん」と麻由美はいう。

「そうですよね、麻由美さん」と詩織も、少し恥ずかしそうにそういう。

 4人が声を出してわらうと、バーテンダーやスタッフが、
ちらっと見てさわやかな笑みを浮かべた。

≪つづく≫ --- 36章 おわり ---

37章  川口信也の妹の美結(みゆ)、やって来る (1)

37章  川口信也の妹の美結(みゆ)、やって来る (1)

 4月19日。東京の渋谷は曇り空で、冬の寒さに戻ったようだ。

「美結(みゆ)さん、お誕生日おめでとうございます。
それと、大学のご卒業、おめでとうございます。
それでは、カンパーイ(乾杯)!」

 新井竜太郎の乾杯の挨拶(あいさつ)で、川口信也と妹の美結、
信也の恋人の大沢詩織、竜太郎の恋人の秋川麻由美の5人は、
黄金色(こ がねいろ)の輝(かがや)きを放(はな)つ シャンパンの
グラスを持つと、お互いの目を見ながら微笑(ほほえ)んだ。

「竜太郎さん、みなさん、ありがとうございます」

 少し頬(ほお)を紅(あか)くして感謝を込めてそういうと、
美結(みゆ)は、弾(はじ)けるような笑顔で瞳を輝かせる。

 こうやって、やっと初めて、お会いするわけだけど、
美結(みゆ)ちゃんは、やっぱり、磨(みが)けば宝石のような女性だ。
兄の信(しん)ちゃんも、おれとしては、俳優にしたいような、抜群な
いい男だけど、妹の美結(みゆ)ちゃんも、すばらしいモデルにだって、
女優だってなれる、いい女だ。おれの目に狂いはなかった。

 竜太郎は、ベージュのロングジャケットに、グレーのフロントタック
ジャージーワンピースが似あう、21歳になったばかりなのにセクシーな
長い黒髪も色っぽい、プロポーションもルックスも稀有(けう)な美しさの、
身長171センチの美結(みゆ)に、そう思う。

 つい今さっき、竜太郎は初めて美結(みゆ)と対面したのだったが、
たくさんの美人を見ることに慣(な)れていて、それが竜太郎の
仕事でもあるわけなのだが、美結(みゆ)の美貌には、ちょっと緊張して
心拍数も上がり、冷や汗が出る、そんな興奮を覚えた。

 5人は、煌(きら)びやかな 摩天楼(まてんろう)を望(のぞ)める
渋谷の夜景レストラン、ザ・レギャン・トーキョーに来ている。

 渋谷駅を降りて徒歩で3分、12階ビルの最上階にある、
寛(くつろ)いだ気分で楽しめる フランス料理店である。

 先週の4月12日の土曜に、新宿の池林坊(ちりんぼう)で、
楽しく過ごしたとき、以前から竜太郎が、ぜひ会いたいといっていた、
信也の美結(みゆ)のことが、話題となった。

 4月16日が誕生日で21歳になる美結(みゆ)が、19日、20日の
土日に、信也のマンションに泊(と)まりで遊びに来るというのだ。

「それじゃあ、ぜひ、ささやかながら、美結(みゆ)さんの誕生パーティーを
やらせてください」と竜太郎がいい出したのである。

 美結(みゆ)は、この4月に山梨県の短期大学の食物栄養科
(栄養士コース)を卒業したばかりであった。

 少し前、竜太郎は信也に、美結(みゆ)の写真を見せてもらう。
そして仰天(ぎょうてん)したのだった。予想もしていなかった、
とびきりに美しい魅力のあふれる女性が、その写真の中で、
竜太郎に微笑(ほほえ)みかけていたのだから。

 竜太郎はその場で、信也を説得し始める。

 「美結(みゆ)さんほどの、人の心を引きつける力のある女性は、
100万人に1人いるか、いないかの、すばらしい女性ですよ。
信じられないくらいだけど、これは確かなことです。
そんなオーラ(雰囲気)を美結(みゆ)さんは確実に出している。
もしできることならば、うちのエターナルで働いていただきながら
でもいいですから、ぜひ、うちの芸能プロダクションのクリエーション
に入っていただきたいのです。つまり、美結(みゆ)さんは、
いますぐにでも芸能活動を始めるべきだと、おれは感じています。
美結(みゆ)さんは、そんなすぐれた逸材(いつざい)です。
抜きん出ています。すばらしい美貌(びぼう)の持ち主なんです。
おれとしては、このまま、放(ほう)っておけないのですよ」

 信也は最初、笑うだけで、その話に本気にはならなかったが、
情熱をこめて語る竜太郎の言葉が、真剣そのもの本気なので、
「じゃあ、美結(みゆ)に話してみます」と竜太郎に返事したのだった。

 美結にこの話をしたら、美結は「わたしもお兄ちゃんみたいに、
本当は自分の夢を追いかけてみたいの。だから、この機会に、
ぜひ竜太郎さんには、1度お会いしたいわ!」
という返事で、きょうのパーティーが実現したのであった。

≪つづく≫ --- この章の続きは、4月30日ころの予定です ---

37章  川口信也の妹の美結(みゆ)、やって来る (2)

37章  川口信也の妹の美結(みゆ)、やって来る (2)

 4月19日、土曜日。夕暮(ゆうぐ)れどきの6時を過ぎている。

 新宿の高層ビルが、パノラマのように遠くまで見渡せる、
12階ビルの最上階のレギャン・トーキョーのメインダイニングは、
男女のカップル、夫婦、女性同士の客たちで華(はな)やいでいる。

 信也や竜太郎たちが寛(くつろ)ぐテーブルには、ライトアップされた
ガーデンテラスとプールが隣接している。プールの水が幻想的に揺れる。

「どうも、みなさん、遅(おそ)くなっちゃいまして……」
 
 竜太郎の弟の幸平が、シャンパンを楽しみながら盛り上がる、竜太郎、
信也、詩織、麻由美、美結(みゆ)たちのテーブルに現(あらわ)れる。

 仕事も順調なのだろう、若者らしい涼しげな眼差(まなざ)しの幸平は、
グレイの縦のストライプ(縞模様)のスーツがよく似あう。身長176センチ、
1991年3月16日生まれ、23歳。

「こう(幸)ちゃん、久(ひさ)しぶり!元気そうだね」

「しん(信)ちゃんも、相変わらず、お元気そうで」

 すうっと、信也は立ち上がって、幸平と握手をする。信也は、
新井(あらい)兄弟とは妙なくらいに気が合う。兄の竜太郎は
信也と同じ早瀬田大学の卒業生で先輩でもあった。弟の幸平は
慶応大学の出身であった。

 仲(なか)のよい三人には、酒道楽(さけどうらく)とでもいえそうな
共通の趣味がある。3人とも、楽しく酒を飲みながら、気の合う同士で、
いろいろと語り合う、コミュニケーション(意思疎通)が好きなのである。
三人は、どんな話題も、音楽でも芸術でもビジネスでも、自由気ままに、
気も遣(つか)わず、心の思うまま、語り合(あ)える。

 信也は、1990年2月23日生まれ、24歳、身長175センチ。
モリカワの本部の課長をしながら、モリカワの事業部の1つの
モリカワミュージックからメジャーデヴューしたロックバンド、
クラッシュ・ビートのギターリスト、ヴォーカリストをやっている。
現在、アルバムやシングル、合わせて30万枚以上売れて、
その印税の収入によって、急に金持ちになっている。

 新井竜太郎(あらいりゅうたろう)は、1982年11月5日生まれ、
31歳、身長178センチ。東証1部上場の企業エタナールの、
IT システムの構築や、IT プロジェクト 戦略の指揮(しき)をとる、
IT の屈指のプロであり、エタナールの副社長である。

 弟の幸平(こうへい)は、1991年3月16日生まれで、
22歳。身長、176センチ。エターナルの M&A事業部で、
企業の合併や買収の仕事を主(おも)にしている。

「えーと、美結(みゆ)さん、初めまして。新井幸平です。
お誕生日、大学のご卒業、おめでとうございます!」

 そういって、幸平は、美結(みゆ)の美貌に、ちょっと照(て)れて
頭をかきながら、赤や白、イエローやオレンジのバラの花束を、
差し出した。

「わぁ、きれいなバラですね、ありがとうございます、幸平さん!」

 美しい姿勢にも色気を感じさせる美結(みゆ)は、長めの前髪に
隠れそうな澄(す)んだ瞳を輝かせて、幸平に微笑(ほほえ)む。

「バラって、本当(ほんとう)、いい香りですよね」

 美結(みゆ)はバラの花束に顔を近づけて、目を閉じる。

「こんなにきれいなバラを自分ひとりだけのものにしては
いけないわ。詩織ちゃんと麻由美ちゃん、あとで、
バラの花束は分(わ)けましょうね!」

 美結(みゆ)は隣の椅子に、バラの花束をおいた。バラの花束が
竜太郎から贈られた真紅(しんく)のバラとで、2つになった。

 美結(みゆ)は,4月16日に21歳になったばかり。19歳の詩織
や同じ21歳の麻由美とは、2時間ほど前に会ったばかりなのに、
たちまち仲良くなって、幼な馴染(おさななじ)みの友のようである。

「うれしいわ、美結(みゆ)ちゃん」と、喜(よろこ)ぶ 詩織。
黒のワンピースがよく似あい、胸のあたりもふっくらと女性らしい。

「わたし、バラが大好きなの」と、シャンパングラスを片手に
少し酔って陽気な麻由美。軽く柔らかなジャージー素材の
ピンクのワンピースが、胸やウエストや腰まわりのラインを
はっきりとさせていて、ふんわりとした上品な色気を感じさせる。

 川口信也と交際している大沢詩織は、1994年6月3日生まれ、
早瀬田(わせだ)大学、文化構想学部、2年生。詩織は、モリカワ
ミュージックからメジャーデヴューしたロックバンド、グレイス・ガールズの、
ギターリスト、ヴォーカリストでもある。そのアルバムやシングルは、
40万枚近く売れて、詩織の銀行口座には、大金が振り込まれてくる。

 秋川麻由美は、1993年3月6日生まれ、身長167センチ。
東京都渋谷区の、多くの客で賑わう商店街の、竹下通りの衣料品店、
Gapフラッグシップ原宿に勤めているところを、今年の1月、その店へ
買い物に寄った竜太郎に、スカウトされた。現在、麻由美はエターナルの
芸能事務所のクリエーションで、バラエティ番組などに出演するタレントとして
順調に仕事をしている。

 2014年1月に、竜太郎は、エタナールの事業部の1つとして、
芸能事務所・クリエーションを設立したのであった。それは、
モリカワとのM&A(合併、買収)は不成立がきっかけとなっていた。

 竜太郎は、モリカワの事業部のモリカワ・ミュージックのような、
俳優、歌手、モデルなど、ジャンルにとらわれない、マルチな
タレントの育成をする芸能事務所を始めたいと思ったのである。

 タレントへの給与の支払い方法は、モリカワ・ミュージックの
システムをモデルとした。いつでも自由に、歩合制か給料制を、
個人が選べるという、働く側を本位としたシステムだった。

 売れないときは、生活を保障してくれる給与制を選べて、
売れてくれば、その出演料などを、芸能事務所と決める割合で
分配するという、歩合制を選べる、そんな良心的なシステムである。

 雑誌やテレビなどのマスコミやインターネットなどの口コミで、
エターナルの設立した良心的な芸能事務所として人気も広まって、
現在、クリエーションに所属するタレントやアティーストやモデルは
60名を超えていて順調である。

≪つづく≫

37章  川口信也の妹の美結(みゆ)、やって来る (3)

37章  川口信也の妹の美結(みゆ)、やって来る (3)

「こう(幸)ちゃんも、飲もうぜ!」

 信也はそういうと、隣の席の幸平のグラスに、黄金色(こがねいろ)
の輝きのシャンパンを注(そそ)ぐ。

「こう(幸)ちゃん、いつもお仕事ご苦労さん」といって、竜太郎は
兄らしく微笑(ほほえ)む。

 ……入社当時の幸平は、性格もいいばかりのお坊(ぼ)ちゃま
って感じで、よくいって、純真でありのままで、夏目漱石の三四郎の
ような青年っていう感じだったよなぁ。でも最近は、仕事にもまれたり、
世間(せけん)の機微(きび)もわかってきて、オトナの風格も出てきた。

 身内だからって、肩をもったり、依怙贔屓(えこひいき)は
しないつもりだけど。もともと幸平は優秀なんだから、これからは
おれの片腕くらいにはなってもらって、兄弟で協力し合って、
エターナルをさらに世界的な大企業にしていきたいもんだ。
それが、世のため、人のためになると信じていることだしな。

 これまで、おれは、悪役を買ってでも、会社を大きくしてきた
んだし。まったく、あるときは、味方はゼロといった状況だった。
いままでは、会社が大きくなるんだったらと、ブラック企業と
呼ばれても、全然気にならなかったんだ。人間なんて、
しょせん完全じゃないんだし。言いたいヤツには言わせておけば
いいじゃないかって、おれはおれを許してきたってわけさ……

 竜太郎は、美女が3人、気の合う仲間と、極上のシャンパンと
旨(うま)みの凝縮(ぎょうしゅく)している牛ヒレなどの料理に
満足しながら、至福の時間の中、頭の片隅でそんなことを思う。

「ねえ、しん(信)ちゃん、しんちゃんならわかると思うけど。
人間って、孤独な自分だけの時間って必要だよね。特に、
クリエイティブ(創造的)なことをしようと思えば。アーティスト
でも企業家でも、ときには孤独になる必要があるよね」

「あっはは。そうですよね、竜さん。クリエイティブなものを
作ろうとすれば、だれかを頼(たよ)りにしてはいられないですからね。
最終的に、自分で考えて、決断して、行動するしかないでしょうからね。
でもだから、コミュニケーションが、こうやって、みんなで楽しく、
お酒を飲んだりできる、時間や友だちとか、女性とかも大切なんですよね」

「そういうことだね。しんちゃん。おれには女性が特に必要だ」

 そういって、信也と竜太郎はわらい、シャンパンや料理を楽しむ。

「それじゃあ、しばらくのあいだは、美結(みゆ)さんの住まいは、
しん(信)ちゃんのマンションでいいですよね。渋谷のクリエーションの
事務所までは15分くらいですからね。交通の便もいいですよね。
美結(みゆ)さんのお仕事も、すでにご用意してありますから。
でも始めたばかりですから、お時間のあるときは、クリエーション、
付属の養成所がありますから、そこで、いろいろなレッスンを
受けられたらいいかとも思います」

 満面の笑顔で、竜太郎は美結(みゆ)にそういった。

 少し前の竜太郎の表情には、隠しようもなく、人を威圧するような
怖(こわ)さがチラチラと見られたものだが、信也たちと付き合って
いるうちに、それが消えていった。竜太郎はそのことを自覚していて、
自分をそんなふうに変えていってくれている信也たちを、
高く評価して、いつのまにか、親友として信頼するようになっていた。

「竜太郎さん、よろしくお願いします。あ、エターナルの副社長さん
のことを竜太郎さんなんて、お呼びしていいのかしら?」

 美結(みゆ)は、いろいろと親身になってくれている竜太郎に、
そういうと、素直に嬉(うれ)しそうに 微笑(ほほえ)んだ。

「おれのことは、竜さんでも竜でもいいですから。気軽に
呼んでください。あっはは。おれも、しん(信)ちゃんには、
いろいろと良くしてもらっていますから。美結(みゆ)さんも、
しんちゃんも、みんな家族のような感じがしてます。
これからも、美結(みゆ)さんのことは、しっかりと
サポート(支援)させていただきますから。こちらこそ、
よろしくお願いします。あっはは」

 そういってわらいながら、竜太郎は、美結(みゆ)の笑顔に、
特別に魅力的なオーラを感じていた。

 ……美結(みゆ)ちゃんは、立ち上げたばかりのクリエーションを
代表する、素晴(すば)らしいタレントや女優やミュージシャンに
なるだろう、きっと……

 女性を見ることに自信のある竜太郎は、気分よく酔いながらそう思う。

「竜さん、おれは特別に何も良いことなんかしてないじゃないですか、
おれなんか、7歳も年上の竜さんから見れば、生意気なだけの、
世間知らずのただの若僧ですよ。あはは」

 信也がそういって、ちょっと照れながら、シャンパンを飲み干す。

≪つづく≫

37章  川口信也の妹の美結(みゆ)、やって来る (4)

37章  川口信也の妹の美結(みゆ)、やって来る (4)

「しんちゃんは、ゴマするわけでもなく、言いたいことをいってくれるから、
それがいいんだよ。おれもこれまで、まわりがイエスマンばかりで、
まあ、人のせいにはできないのだけど、天狗(てんぐ)というか、
裸の王様になっていたんだから。あっはは。人生って、いくら歳とったって、
わかっているつもりで、わからないことはあるんだし、気づかないことは
あるんだよね。最近では、もっと自己変革させて、変えていこうかって思うよ。
お金や地位があるからって、偉そうにしてはいられないよね。あっはは」

「それはそうかもしれないけど。自己変革ですかあ。おれもしなくちゃ」

 そういうと、信也は、竜太郎と初めて会ったころの、自分を優れていると
思って人を軽く見るような、高慢(こうまん)さがなくなっていることを、
嬉(うれ)しく思う。

「わたしがいうのも、生意気でしょうけど、竜さんも幸平さん信ちゃんも、
なかなかいない紳士で、素敵な男性よね」

 大沢詩織(おおさわしおり)が、独り言のようにそういう。

「え、詩織ちゃん、紳士って、上品だったり、教養があったり、礼儀正しかったり
する、いわゆるジェントルマンってことですよね。ありがとうございます!」

 新井幸平は、素直に、そういって喜(よろこ)んだ。

 そんなテンポのいい会話に、みんなはわらった。

「しかし、紳士なんていわれると、嬉(うれ)しいですよね。つい、
かっこつけて、自己変革なんていってしまったけど。
でも、本音(ほんね)をいえば、ただ、好きなことやって、
快楽を追求しているっていうのが、おれなんだけどね。あはは。
ただ、交通違反はめんどうなだけで、ルール(規則)や
マナー(礼儀)を守っているというだけですよ」

 竜太郎は、詩織(しおり)や美結(みゆ)や麻由美(まゆみ)と
目を合わせながら、上機嫌でそういた。

「でも、竜さんの会社のお仕事って、ひとことでいえば、お客さまに
快楽を提供するお仕事ですよね!わたしのモデルやタレントの
仕事にしても、快楽を提供する、エンターテイメント(娯楽)のお仕事
ですものね。わたしって、あたりまえのことをいって、おかしいわよね」

 秋川麻由美はそういって、わらう。みんなもわらった。

「おかしくないですよ。麻由美ちゃん。そういわれてみると、
世の中の会社っていうか、仕事って、快楽を提供する
仕事が多いかな?生きることの本質は快楽の追求なのかな?
そういえば、おれの何より好きなエッチなことも快楽だしね」

 竜太郎のそんな軽い会話に、みんなはわらった。

「でも、竜さんのよくいっているように、単純に考えれば、
みんなが快楽を満足させてゆけば、心も身体(からだ)も
満(み)たされて、世界の平和にもつながるかもしれないですよね。
そのためには、地球環境を壊(こわ)さないことや、他者の迷惑に
ならないこととかの倫理や道徳も欠かせないでしょうけど」

 信也がそういう。

「そうですよね。快楽的に生きることは、正しいと、ぼくも思います」

 幸平もそういった。

「そうよね。エッチなことって、すぐ不真面目とか不道徳とか、
タブー視されちゃうわけですけど、地球環境は壊さないもんね。
それに、ふたりの合意でするものですよね。ひとりでするときも
ありますけど。あっはは。でも、他人の迷惑にならないんだから、
とても平和なことよね、エッチって」

 シャンパンに酔っている麻由美は、生ハムをつまみながら、そう語る。

「性的なことを低俗的に扱うのって、なぜなんだろうね」と幸平。

「そうだよね。人生や幸福や不幸を、性的なことが、左右したりすることも
多いのにね。それをタブー視して、隠すのって、不思議なとこあるね」
と信也。

「まあ、どこかの世界的な宗教の教えとかで、エッチな行為を禁止していたりね、
そういった権力的なものが、エッチを悪い行為として、隠蔽(いんぺい)したり
禁止したりするんだろうね。でも仏教の理趣経なんて、エッチは清浄
(せいじょう)な行為で、悟りの極致というか、悟りの境地といっているから、
おおらかでいいよね。もっとも、エッチな欲望を自(みずか)らコントロールできる
境地に達するにはそれなりの努力や経験とか必要なんだよね。
ただ簡単に知識的な理解をしたところで、それだけでは、悟りの境地にまで
達するということが無理なのは、当たり前だろうけどね。しかし、
エッチな行為を清浄といってのけているとは、画期的だよね!あっはは」

 そういって、高層ビルの立ち並ぶ夜景を眺めながら、竜太郎はわらった。

「理趣経ですか。空海が中国から持って帰ったという極秘の経典ですよね。
あれは、いいですよね、おれも好きです。その極秘の経典が簡単に
読めるんだから、現代人は幸せかもしれないですよね」

 そういって信也は明るくわらうと、みんなも声を出してわらった。

 店のスタッフの女性が、たっぷりの華(はな)やかな苺(いちご)、
しっとりしたスポンジと、濃厚なクリームの、パティシエ特性の
ケーキを運んできた。

「かわいいケーキ!」

「おいしそう!」

 ケーキの白い板チョコには、チョコレートで、Happy Birthday
(ハッピー・バースデー)とメッセージが書かれてある。

 スタッフの女性は、気持ちをゆったりとしてくれる笑顔で、
手際よくケーキを人数分に、小皿にとって、みんなに分(わ)けた。

≪つづく≫ --- 37章 おわり ---

38章  信也と美結、いっしょに暮らし始める (1)

38章  信也と美結、いっしょに暮らし始める (1)

 5月4日の、よく晴れて暖かな日曜日。下北沢の信也の
マンションに、妹の美結(みゆ)が山梨から引っ越してきて、
2人で暮らし始めて、2週間が過ぎている。

「お兄ちゃん、ピザトーストができたわ!」

「おいしそうな匂いがするなぁ!美結(みゆ)の
ピザトーストはいつも最高!」

 信也は寝転んで、NHKの日曜討論『どう向き合う、
少子化・人口減少』を見ている。

 高さ25センチのTVボードの上に、40型のテレビがある。

 9.5畳のリビングは、冬は暖かく夏は涼しいウールのカーペットを
敷いて、ひのきのローリビングテーブル(座卓)にして、テレビを
見ながらでも寝転がれる床座(とこざ)にしている。

 入居したころは、この部屋はキッチンとして、普通のテーブルと
椅子(いす)を置いていたのだが、落ち着かないので、
テーブルと椅子は売ってしまい、いつでも寝転がれる床座(とこざ)の
リビングルームに変えたのである。そのほうが部屋も広く感じられた。

「どうしたの?お兄ちゃん、朝から、むずかしそうな番組を見て」

 美結(みゆ)が、ダイニングの北側の引き戸(ひきど)越(ご)しの
システム・キッチンにいる。システム・キッチンの窓の外は通路である。

「はっはは。いつもは、こんな番組は見ないけど。
日本の少子化や人口の減少って、深刻な課題なんだろうな。
でも、それよりか、きれいな女性が出ているんだ」

「そうなんだ。きれいな女性が出ているの。誰なのかしら?」

「小室淑恵(こむろよしえ)っていう女性で、ワーク・ライフバランス
とかいう会社の社長さんなんだってさ。まだ若いのに、すごいよね。
育児休業者の職場復帰をサポートしたり、職場の労働条件の改善の
サポートしている会社の社長さんだってさ。女性が活躍する時代かな?
こんなきれいな人がいたら、おれだったら、マジメに議論なんかできない
だろうね。ハイヒール履(は)いている、足元なんかが、映っていて、
それがまたセクシーに見える。これって、カメラマンのサービス精神っぽいな」

「やだーぁ、お兄ちゃんってば!」

 美結(みゆ)は、料理の先生のように、手際(てぎわ)もよく、
ピザトーストを作る。食パンに、粒マスタードやケチャップ、
おろしニンニクを塗ると、とろけるチーズをのせて、きざんだ玉ねぎ、
ベーコンとパセリをのせる。そしてオーブントースターで、
信也と美結の二人分をこんがりと焼きあげた。

「お兄ちゃん、お味はどう?おいしい?」

「うん、美結のピザトーストは最高」

 信也はピザトーストを両手に、口の中いっぱいに頬(ほお)ばる。

「よかった。もう1枚焼いておくからね」

「うん。ありがとう」

 信也は、2012年の10月からこの下北沢のマンションに住んでいる。

 リビングの西側には、洗面所とバスルームがあり、南側には、
6.5畳の洋間が2つあった。その2つの洋間の南側には、
掃出(はきだ)しの窓があって、外はベランダで、洗濯ものが干(ほ)せる。

 青緑色系のグレーのカーテンからは、五月のおだやかな陽の光が
差し込んでいる。

 東側の6.5畳の洋間は、信也の部屋である。こたつテーブル、ノートパソコン、
フェンダーのテレキャスターというエレキギターと、ギブソンのアコースティック・
ギターの2本が、ギタースタンドに立てかけてあり、小型のアンプがある。
そしてベッドがある。金持ちになっても、それ以前と、まったく変わらなかった。

 西側の6畳の部屋は、美結(みゆ)の部屋になっている。愛用のベッドがあり、
気分の落ち着ける、よく整理整頓されている明るい感じの部屋である。

「お兄ちゃん私が来ちゃったから、詩織ちゃんも、ここに来づらくなったかな?」

「そんなことないって。美結は、そんなことは気を使わなくていいんだから」

「わたしね、詩織ちゃんとは、とても気が合うのよ。それは安心したわ」

「詩織ちゃんは、美結(みゆ)の1つ年下だよね。詩織ちゃんは、好き嫌いが
はっきりしている子だから、美結とは、どうだろうかって、ちょっと心配して
いたんだけどね。でも、美結とは仲よくしているから、おれもすっかり安心だよ」

≪つづく≫

38章  信也と美結、いっしょに暮らし始める (2)

38章  信也と美結、いっしょに暮らし始める (2)

「詩織ちゃんは性格も容姿も可愛(かわい)いから、みんなから慕(した)われる
のよ。わたしなんかより、芸能界でも、よっぽど、アイドルにふさわしい気がするわ。
わたしは、ただ派手好きで、新しいもの好きで、流行が好きなだけって感じだけど、
詩織ちゃんは現実をよく見ていて、リアリスト(Realistic)なんだわ。そういうところ、
わたしも見習いたいもの」

「詩織ちゃんは、あれで、けっこう、空想家なんだよ。まあ、現実的で、空想的で、
そんな両方があるから、作詞や作曲なんていうことができるんだけどね。
おれなんかも、そんなところは似ているな。あっはは」

「そうか、お兄ちゃんと詩織ちゃんって、そんなところが似た者同士なのね」

「そうそう、何か、共感することがなければ、仲良くなんかなれないって」

「そうよね、共感よね。わたしと詩織ちゃんも、失敗を失敗と思わないところが、
似ているのよ」

「あああ、そうか、そうだよね。そんな性格はふたりともそっくりだよ。あはは」

 そういって信也がわらうと、美結(みゆ)も、人間界に降りてきたばかりの
可愛(かわ)い天使のような笑顔でわらった。

「ところで、美結は、こうやって東京に来ちゃったけど、特に付き合っている
彼氏とかは、だいじょうぶだったのかな?」

「それが、お兄ちゃん聞いてくれる。わたしって、彼氏がいない歴(れき)が、
ずーと続いているのよ」

「なんでまた、美結ほどの、美人が」

「美人過ぎるのよ!」

「ああ、なるほど。そういうのって、よくあるよな。この前にネットで見た、
あるデータによると、男って、7割がかわいい女性がいいんだってさ、
あとの3割が美人の女性を好むんだって。かわいいほうが
癒(いや)されるんだってさ」

「どーせ、わたしなんか、かわいくないですよ━━」

「ごめん、ごめん。美結は、美人だけど、かわいいよ。そうそう、
あれだ、ほら、さっき話に出たじゃん。共感っていうやつ。
詩織ちゃんと美結だって、失敗を失敗と思わないってことで、
共感し合ったっていってたじゃない。男女もね、突き詰めれば、
その共感が大事なんだよ!価値観の共感とかさ、精神的な
共感とかさ、あとは、肉体的な共感もあるけどね」

「そうなんだ。やっぱり、共感かもね。肉体的な共感って、
エッチなことでしょう。いいな、お兄ちゃんと詩織ちゃん、
エッチなことでも共感し合っているのよね。ごちそうさま!」

「あっはっは。まあ、さあ、この世の中、共感というか、
コミュニケーションというか、それが大切だし、快感だしね。
まあ、さあ、近頃の男は、消極的というか、ちょっと幼稚なのが
多いんだよきっと。同年代だと、精神年齢は男が断然に下だしね。
まあね、この東京には、美結にふさわしい立派な男がいっぱいいる
はずさ。おれも、美結のためには、なんでもしてあげるから」

「ありがとう、お兄ちゃん。わたしって、背も高いでしょう。それで、
損(そん)をしているところもあるんだと思うの」

「美結の背の高さは全然(ぜんぜん)高くないさ。モデルや女優の
仕事やるのには最適だしね。でも美結の身になって考えれば、
平均身長とかは、女性が159センチ、男が171センチくらいで、
どちらも、171の美結より低いんだから、困るときも出てくる
のかなぁ。おれなんか、175で、ちょうどいいって思ってるけど。
でもさぁ、そんなこと、ちっちゃなことじゃん。身長が低くって、
悩んでいる子もいっぱいいるんから。美結は、プロポ-ションは
(体の均整)抜群なんだし。神さまからの贈り物って感じの女性
なんだからさ。いつもの明るくて陽気な美結でいればいいのさ」

「ありがとう。お兄ちゃんのお話で、わたし元気になれたわ!」

 美結は、ちょっと目を潤(うる)ませたような、やさしい表情で
微笑(ほほえ)んで、信也を見つめた。

 信也も微笑(ほほえ)んだ。そんな二人が、ひのきのローリビング
テーブル(座卓)で向かい合う姿には、兄と妹というよりは、
恋人同士のような、とても仲がよい親密さが漂っている。

「お兄ちゃん、きょうは午後から渋谷のクリエーションの事務所へ行ってくるわ。
わたしのファースト写真集の打ち合わせをするんだって。でも芸能界に入ったばかりで、
ちょっと早すぎないかしら?」

「早すぎるってことはないさ。善は急げ、よいことは機会を逃さず急いでせよって
いうじゃない。美結の写真集かぁ。きっと売れるぞ!もちろんおれも買うけどね」

「やだぁ。お兄ちゃんってば、恥ずかしいわ!わたしの写真を見られるなんて」

 ……竜太郎さんには、エロ過ぎる写真集だけは、絶対にダメだからといって
あるから、その点は、だいじょうぶ、安心していいだろう、。しかし、芸能活動を
始めたばかりで、もうファースト写真集とは!竜太郎さんもよっぽど、美結に
期待してるし、力を入れたいんだな……

「ははは。まあ、美結、がんばろう。竜太郎さんに任せておけば、
安心していいからね。おれも、きょうは一日、家で、歌作りをするんだ。
夢を追いかけて、楽しくやっていこうね、美結。人生って、一瞬一瞬の
積み重ねだから。いつも毎日というか、今という時が大切な気がするんだよ」

「うん。そうだね、お兄ちゃん」

 信也と美結は、恋人同士のように、見つめ合って、微笑んだ。

≪つづく≫ --- 38章 おわり 次章は5月18日ころの予定です ーーー

39章 女性に人気の松下トリオ (1)

39章  女性に人気の松下トリオ (1)

 5月18日。空はよく晴れわたり、風もさわやかな日曜の朝。

 リビングの窓のカーテンからは、まぶしい陽の光が感じられる。

 7時頃に目覚めた清原美樹は、毎朝の犬との散歩を終えると、
家族が寛(くつろ)いでいるリビングのソファに座った。

「お早(はよ)う、美樹ちゃん」と姉の美咲がいうと、家族のみんなも
「お早う」という。

 リビングのソファには、父の和幸(かずゆき)や母の美穂子(みほこ)や
祖母の美佐子(みさこ)がいる。

「お早う」といって美樹も微笑(ほほえ)む。

 テレビでは、チャゲ&飛鳥のASUKAが、5月17日に、覚せい剤取締法違反
(所持)の疑いで逮捕されたというショッキングなニュースをやっている。

「飛鳥(あすか)さんが、大変なことになってしまったわね」

 そういって、美樹は、ポメラニアンのラムを抱いて美咲の隣のソファに座った。

 しっぽをふっているラムは、白に、薄(うす)い茶(ちゃ)の毛並(けなみ)の、
8歳になる雌(めす)であった。夏向きに、毛をきれいに短くカットしている。

「才能に恵まれて、世の中で成功して、輝(かがや)かしい栄光を手にした人の心情
とちうものは、平凡な生活しか知らないものにはわからないものがあるのだろうね。
特に、そんな華(はな)やかな栄光の座から降りるとなったら、その落差がどれほどの
その人の悩みやストレスとなってしまうものなのか?」

 うすめのアメリカンコーヒーを飲みながら、父の和幸(かずゆき)がそうつぶやく。 

「そんなものかしら?じゃあ、美樹も気をつけないと!」と美咲が隣の美樹にいう。

「わたしなんか、まだまだ、成功なんていう状態じゃないわよ。ちょっとアルバムが
売れて、現役の女子大生のロックバンドなんていう興味本位で、マスコミとかで
騒(さわ)がれているだけだもの。わたしはだいじょうぶ、楽天家だから!」

「そうよね、美樹ちゃんは楽天的だから、だいじょうぶね。わたしもとても
うれしいのよ。美樹のがんばったことが世の中から認めれれているんだから。
これは、とてもすばらしいことだわよ。さあ、朝の支度(したく)をしてくるわね」

 そういって、美樹を見て微笑むと、母の美穂子(みほこ)はキッチンへ行く。

「そうよね。美樹は確かにバンドで、がんばっているんだものね。わたしも
うれしいわよ、美樹の成功は。でも、姉のわたしよりもお金持ちになっちゃった
とはね。ちょっとショックだわ」

「そんなぁ、お金持ちだなんて。でも美咲ちゃん、わたし、お金なんて、本当は
どうでもいいのよ。お金で幸せになんてなれないって信じているから」

「そうよね。美樹はそこがよくわかっているから、また、偉いのよ。確かにお金が
あっても、心が荒(すざ)ぶ人もいるわ。人としての道を踏み外(はず)したり、
人生の重大な失敗のきっ かけが、お金とかの欲望に始まることは多いんだから。
弁護士のお仕事をやってみて、つくづく、心に芽生(めば)える欲望ってこわいと思う」

「お金より、何が大切かって、やっぱり愛じゃないかと思うもの。美咲ちゃん」

「そうよね、美樹ちゃん。愛が1番だわよね。陽斗(はると)君もうまくいっている
んでしょ!そうそう、今日は陽斗くんのコンサートがあるんじゃない!美樹は
真央ちゃんとふたりで行くんでしょう?」

「うん。今日のコンサートは、客席が限定85名で、チケットも即完売だったの。
お姉さんには、岩田(いわた)さんとご一緒に来てもらいたかったけど、この次は
ご招待させていただくわ」

「楽しみにしているわ、美樹ちゃん」と美咲。

「美樹、おれたち家族全員も、招待してほしいな」と父の和幸(かずゆき)もいう。

「はーい、わかりました」というと、美樹は無邪気なあどけない表情でわらった。

「美樹ちゃんは、いつも幸せそうよね!陽斗(はると)がいるからよね!」

「お姉さんだって、岩田さんがいるから、いつも幸せそうよ!」

「まあ、そうだけどね」と美咲。

「なるほど、男って、そんなにいいものかな」と、ふと、父の和幸(かずゆき)がいう。

「やだーあ、お父さんたら」とって、美樹はわらう。

「もう、お父さんってば」と、美咲もわらった。

 リビングは、明るい笑い声であふれた。

≪つづく≫

39章 女性に人気の松下トリオ (2)

39章  女性に人気の松下トリオ (2)

 アート・カフェ・フレンズでは、松下陽斗(まつしたはると)の
コンサートが、ランチタイムの1時30分から始まった。

 アート・カフェ・フレンズは、JR線の恵比寿(えびす)駅から3分である。

 美樹と真央は、陽斗の気配りで、コンサートには最適な、
ふたり用のテーブルに座れた。

「陽斗くんって、女の子に、すごい人気よね」と真央が小さな声で、
美樹にささやく。

「女の子に人気なのって、ちょっと心配。でもしょうがないわね。
わたしも、男の子に人気あるみたいだし。お互いに旬(しゅん)だから」

「まあ、美樹ったら。でも確かに、あたしたちって、いまが1番美味(おい)しい
食べごろなのよね。だから大切に生きないとね!」

 そういって、真央と美樹は、おたがいに目を合わせてわらった。

  テレビや雑誌、インターネットなどのメディアでも注目の集まる、
21歳の陽斗は、ピアノ、ギター、ベースの編成による、松下トリオを
結成して、ライブやアルバム作りを精力的にしている。

 陽斗の父は、ジャズ評論家であった。また下北沢にあるジャズ喫茶の
オーナーでもある。また、母は、私立(しりつ)の音楽大学のピアノの
准教授(じゅんきょうじゅ)である。

 そんな家庭環境の中で、陽斗はクラシックピアノを2歳から始めた。
子供のころから、心の琴線(きんせん)に触れるメロディにあふれた
メロディアスなショパンが特に好きであった。そんな影響もあって、
陽斗のオリジナルの曲はメロディアスであり、それが好評であった。

 2012年3月、19歳の陽斗は、全日本ピアノコンクールで、ショパンの
エチュード(練習曲)を、ほぼ完ぺきに弾きこなし、2位に入賞している。
東京・芸術・大学の音楽学部、ピアノ専攻の大学の4年である。

 アート・カフェ・フレンズの限定85名の客席は、若いカップルや
ジャズの好きな中高齢者たちで満席である。特に若い女性が多かった。

 陽斗のすらりとした175センチの長身、気品のある端正な容姿(ようし)は、
ジャズやクラシックの貴公子と賞賛されて、若い女性たちを夢中にさせた。

 陽斗たちは、セロニアス・モンクのブルー・モンク(Blue Monk )や、
ビル・エヴァンスのワルツ・フォー・デビイ(Waltz for Debby)などの
優雅で甘美なスタンダードな曲や、陽斗のオリジナル曲を熱演した。

 リズムを確実にキープする、気品と落ち着きのある、陽斗のピアノであった。
そのピアノを、ドラムとウッドベースは、きちんとバッキング(backing)していた。

「わたし、ドラムの、サーッ、サーッっていうブラッシングが好きなの」と美樹はいう。

「そうよね。なんか、とてもセクシーよね。はる(陽)くんのピアノもセクシーだわ。
ウッドベースの低音も、なんか、エッチな気分になってきそうなほどに、セクシー。
松下トリオの3人って、みんなかっこいんだもの。美樹ちゃん」

「いまの若い子たちって、ビジュアルが優先という感じだもの、ねえ、真央ちゃん」

「そうそう、若い女の子、わたしもだけど、ジャズって、よくわからないもの!」

「はる(陽)くんは、魂で演奏したり、聴くものさっていって、よくわらっているわ!」

「そうなの、魂かぁ。わたしは、音楽は、魂でもいいけど、心のコミュニケーション
だと思うけど、エッチすることと、似ている感じ。うふふ……」

 美樹と真央は、オレンジジュースやチーズケーキを楽しみながら、そんな会話もする。

 午後の4時。オープニングの曲からアンコール曲まで、聴衆を飽きさせない演奏を
終えると、陽斗たち3人は、拍手喝采(はくしゅかっさい)の中を、満面の笑顔で
こたえながらステージを降りた。

≪つづく≫--- 39章 おわり ---

40章 As The Same Life (同じ生命として) (1)

40章  As The Same Life (同じ生命として) (1)

 6月1日の日曜日。晴れて、気温も30度ほど、南風が吹いている。

 クラッシュ・ビートのシングル曲、『生命として (As Life) 』の
発売記念パーティが、ライブ・レストラン・ビートで午後の1時からの
開演であった。

 ライブ・レストラン・ビートは下北沢駅 南口から、歩いて3分である。

 『As The Same Life (同じ生命として)』は、順調な売れ行きで、
発売と同時にトップ10入りして、急上昇中である。

 会場には正午前から、モリカワミュージックが招待した客や
一般の客が来場(らいじょう)して、ゆったりとランチをとったりしている。

 1階フロア、2階フロア、あわせて、280席は、満席(まんせき)であった。

「みなさま、本日はクラッシュ・ビートの『As The Same Life (同じ生命として) 』
の発売記念パーティに、ご来場いただきまして、ありがとうござます!
司会を務めさせていただきます、佐野幸夫(さのゆきお)でございます。
本日は、クラッシュ・ビートのライブやお祝いに駆けつけてくださっている
ミュージシャンの方々のライブとか、盛りだくさんのプログラム(program)を
ご用意させていただいております。ごゆっくりと、お楽しみください!」

 割れんばかりの拍手がわきおこり、佐野幸夫も笑顔で両手を挙げて、手を振る。

「では、オープニングは、人気絶頂の、沢秀人(さわひでと)と、
ビッグ・バンド、ニュー・ドリーム・オーケストラの、豪華な演奏です!」

 沢秀人(さわひでと)は、1973年8月生まれの40歳。
一昨年の2012年に、NHKドラマの音楽を制作して、
レコード大賞の作品賞も受賞する。芸能界で、いまをときめいている。

 1973年8月生まれ40歳の沢秀人(さわひでと)は、総勢(そうぜい)
30名以上による、ビッグ・バンド、ニュー・ドリーム・オーケストラの
指揮(しき)をとり、ユニークな活動をしているが、2013年の春までは
このライブ・レストラン・ビート の経営者だった。仕事を音楽活動に
専念するためもあって、モリカワに譲(ゆず)ったのであった。

「いつ聴いても、沢さんのビッグバンドはいいね。夢心地(ゆめごこち)
とでもいうのか、幸せな気分にさせてくれるよ。しん(信)ちゃん」

「おれも、沢さんの音楽には感動してしまうんです。ジャンル的は、
おれはロックで、沢さんはジャズなんでしょうけどね。でも芸術というものは
、聴衆というかリスナーというかファンというか、人々をいかに感させて、
人々の記憶に残る作品を提供できるかが、大事なことですからね。
一流の沢さんから学んだことは、心優しくなければ、いい音楽は作れないって
ことですよね。沢さんの影響で、10年くらい早くオトナになれた気がしています」

「そうなんだ。しんちゃんの活躍には、沢さんの影響があったのか。あっはは」

 わらいながら、そんな会話をして、ビールを酌(く)み交(か)わしているのは、
エタナールの副社長、新井竜太郎(りゅうたろうと、ロックバンド、
クラッシュ・ビートの川口信也である。

 ロック界で異色の新人として注目の川口信也と、エタナールの副社長の
新井竜太郎の、酒飲み仲間としての交流は、マスコミでも取材されていた。

「しんちゃん、今回の新曲は、痛烈な人間社会への警鐘(けいしょう)というか、
現代文明への批評があるような気がするんだけど。でも、すごく、
ロックとしての反骨精神があって、おれも、とても好きなんだけどね」

「ありがとうございます。社会への批判なんていう、生意気なことを詩にする
つもりはなかったんですけどね。出来上がってみれば、人間への批判みたいに
なっちゃってますかね、竜さん。あっはっは」

「ロックとか芸術っていうものは、社会の既成の枠組みからはずれる、
アウトサイダーなんだから、正統派でいいんじゃないかな。
おれは大衆に媚(こ)びて、ヒットを狙う作品よりは、しんちゃんの
ロックのほうが好きだけどね。それにしても、作品つくりの秘訣っていうか、
うまい方法って何かあるのかな?」

「そんな方法があれば、おれが知りたいですけどね。あんな詩が書きたいとかの
目標ならありますけどね。今回の『As The Same Life (同じ生命として)』は、
ボブ・ディランのライク・ア・ローリング・ストーン(Like a Rolling Stone)が目標でした」

「そうかぁ。ライク・ア・ローリング・ストーンね、あれはロックの最高の名作だよね」

 ライク・ア・ローリング・ストーンは、ディランの最大のヒット・シングルであり、
60年代のロックを象徴する曲として、ディランの名を神話的レベルにまで高めた。

≪つづく≫ 

40章 As The Same Life (同じ生命として) (2)

40章  As The Same Life (同じ生命として) (2)

「しんちゃんは、わたしに、詞の作り方について、こんなふうに言ってくれるんです。
心の琴線(きんせん)に触れることを、言葉にするのがベストじゃないかなって」

 信也の右隣にいる大沢詩織が、向かいのテーブルの竜太郎にそういって微笑む。

 信也の左隣には信也の妹の美結(みゆ)もいて、竜太郎の隣には、
竜太郎と交際中の秋川麻由美(まゆみ)もいる。とびきりの美女たちに
囲まれて、竜太郎も心地良い。

「心の琴線なんていえば、漠然として、抽象的ですけど、人間なんて、
生きて生活していれば、身体(からだ)も疲れたり傷(きず)ついたりするように、
心にも、疲労や傷とかができると感じるわけですよ。それらを癒(いや)したり、
完治させたりすることが、言葉でできないものかなって、おれは思うんです。
それが、おれの場合、具体的な、詩作の動機なんですよね」と信也は語る。

「なるほど。わかりやすいね。しんちゃん」と竜太郎は、信也の話に感心する。

「お兄ちゃん、そろそろ、クラッシュ・ビートの演奏の時間だわ」

 妹の美結(みゆ)が腕時計を見て、信也に囁(ささ)いた。

「じゃあ、竜さん、ちょっと、ライブをやってきます。1曲目から、
As The Same Life(同じ生命として)をやりますから……」

 そういうと、信也は、クラッシュ・ビートのメンバーたちと共に、
ステージに向かった。

 大きな拍手の中、信也のテレキャスターの、シャープでありながら、
太い音のリフで、『As The Same Life (同じ生命として)』は始まる。

As The Same Life (同じ生命として) 作詞作曲 川口信也

吹く風も 気持ちいい朝 きみとふたりで 散歩をしたら
街路樹のハナミズキが 青い空に向かって咲いていた
「ハナミズキは 気持ち良さそうね」 ときみは言う
「生き方が上手だね ハナミズキって」 とおれは言う

Oh,生きる 術(すべ)を 知っているみたいな ハナミズキ
植物や動物より 人が偉いというのは 人がつくった論理
生命として見れば 植物や動物のほうが 優れているかもね
Oh,As The Same Life (同じ生命として)
Oh,As The Same Life (同じ生命として)

「子どものころは 自由に生きていた気がする」 ときみは言う
「オトナになると 勉強や仕事に 追われるからね」 とおれ 
それじゃあ どんな生き方をすれば 楽しいのだろう?
やっぱり 子供のころの 自由な感覚 忘れたくないよね

Oh,生きる 術(すべ)を 知っているみたいな ハナミズキ
植物や動物より 人が偉いというのは 人がつくった論理
生命として見れば 植物や動物のほうが 優れているかもね
Oh,As The Same Life (同じ生命として)
Oh,As The Same Life (同じ生命として)

「歳(とし)はとっても 老(ふ)けこみたくないな」 ときみは言う
「そうだね 気持ちだけでも 若くいたいよね」 とおれ
地位や名誉やお金が目標なんて つまらないものさ
そのために あくせくするのは 何か忘れている気がするね

Oh,生きる 術(すべ)を 知っているみたいな ハナミズキ
植物や動物より 人が偉いというのは 人がつくった論理
生命として見れば 植物や動物のほうが 優れているかもね
Oh,As The Same Life (同じ生命として)
Oh,As The Same Life (同じ生命として)

「子どものような遊び心って 無くしたくないよね」 と君は言う
「遊び心って 生命力の基(もと)で セクシーだしね 」 とおれ
人生はゲームのようなもの 楽しめれば それで十分かもね
青春は 心の持ち方だって サムエル・ウルマンも言っている 

Oh,生きる 術(すべ)を 知っているみたいな ハナミズキ
植物や動物より 人が偉いというのは 人がつくった論理
生命として見れば 植物や動物のほうが 優れているかもね
Oh,As The Same Life (同じ生命として)
Oh,As The Same Life (同じ生命として)

Oh,Baby! もしも きみのいない 人生になってしまったら
おれは きっと 希望も 戦意も 失った 年老いた 兵士さ

Oh,Baby! だから ハナミズキのように きれいに 着飾って
いつも おれの そばに いておくれ そばに いておくれ 

Oh,生きる 術(すべ)を 知っているみたいな ハナミズキ
植物や動物より 人が偉いというのは 人がつくった論理
生命として見れば 植物や動物のほうが 優れているかもね
Oh,As The Same Life (同じ生命として)
Oh,As The Same Life (同じ生命として)

≪つづく≫  --- 40章 おわり ---

41章  イエスタデイを羽(は)ばたいて

41章 イエスタデイを羽(は)ばたいて

 6月8日、日曜日。東京も梅雨(つゆ)入りして、灰色の空からは
断続的に雨がぱらついている。

 午後2時から、清原美樹たち、グレイス・ガールズのライブが、
渋谷のイエスタデイで始まろうとしている。

 イエスタデイは、株式会社モリカワが、2012年の9月にオープンした、
ライブとダイニング(食事)のクラブスタイルの店である。

 グレイス・ガールズのCDシングル、『イエスタデイ(Yesterday)を羽ばたいて』は、
5月に発売されて、推定売上も順調に3万枚を超えている。

 この歌詞は、このライブハウス、イエスタデイのことを歌った内容であった。

 イエスタデイは、渋谷駅・ハチ公口の、忠犬ハチ公の銅像のある広場から、
スクランブル交差点を渡って約3分、タワービルの2階にある。

 イエスタデイでは、グレイス・ガールズのメンバー全員が、各個人、
メジャーデヴューする前の、まったく無名のころから世話になっていた。

 早瀬田大学のミュージック・ファン・クラブ(MFC)の先輩である、
ロックバンド、クラッシュ・ビートの森川純や川口信也たちの会社、
モリカワがオープンしたライブハウスということで、MFCの部員たちは
気軽に、ライブ演奏の実践の場として利用できたのであった。

 グレイス・ガールズが正式に結成されたのは、2013年の7月のことであり、
イエスタデイでライブ活動を始めたのは、その翌月の8月からであった。

「みなさま、これより、グレイス・ガールズのスペシャル・ライブを開催いたします!」

 26歳の店長、水木守(みずきまもる)が挨拶をすると、会場からは拍手が沸いた。
ホールのキャパシティは100席であるが、すべて満席であった。

 テーブルの客席には、クラッシュ・ビートのメンバーや、信也の妹の美結(みゆ)、
美樹の彼氏の松下陽斗(まつしたはると)や美樹の親友の真央や、
ミュージック・ファン・クラブの部員たち、エタナールの兄弟、竜太郎と幸平も来ていた。

「1年前までは、全くの無名だった少女たちが、ヒットチャートをにぎわしている、
この現実が、わたしにはいまだに夢見ているようです」

 そういって、ちょっと頭をかく水木店長に、会場のみんなはわらった。

「そのグレイス・ガールズのみなさんが、このイエスタデイのことを歌ってくれたんです。
そのCDシングルが、またまた大ヒットで、当店もおかげさまで有名になっちゃいまして、
連日、満員御礼なんです。わたしとしては、感謝しても感謝しきれない、
グレイス・ガールズのみなさんなんです!ごゆっくりとお楽しみ下さい!」

「みなさま、こんにちは。本日はお忙しいなか、ご来店いただいて、
ありがとうございます。それに、ご支援とかも、ありがとうございます。
グレイス・ガールズのリーダーをさせていただいている清原美樹です。
ほんとうに、こちらのお店、イエスタデイにはお世話になっていまして、
感謝すべきなのは、わたしたちの方だと、日々思っているんです。
それで、そんな感謝の気持を伝えたくて、この歌をつくったんです。
本日は、わたしたちのロックをたっぷりとお楽しみいただければ、
わたしたち、グレイス・ガールズも最高に幸せです!
それではオープニングは『イエスタデイ(Yesterday)を羽ばたいて』です!」

 美樹の合図で、水島麻衣(みずしままい)が優雅に微笑みながら、
レッド・ツッペリンの『胸いっぱいの愛を』を思わすような、
強烈なインパクトのギター・リフを開始した。


イエスタデイ(Yesterday)を羽ばたいて 作詞作曲 清原美樹

人生の悲しみを 生きてゆく 元気に変える ラブソング
そんなラブソング つくろうって 歌おうって
いつしか 集まって バンドを始めた わたしたち

はじめは 演奏 ヘタだったし お金もなかったし
突然 キレたりして ケンカしたこともあったよね
勉強ばかりで ギターに さわれない 日もあった

でもみんな 音楽が好きで ロックが好きで
ビートルズが 好きな人たちばかりだから
いつも 信じあって なかよく やってこれたんだ

そんな わたしたちを いつも 見守って
気さくに ステージを用意してくれる イエスタデイ
やさしい人ばかり みんなが大好き イエスタデイ

いつ食べても おいしい お店の たらこスパゲッティ
いつも おいしい 春の香りの オレンジジュース
でも注文 するのも しないのも 自由な イエスタデイ

イエスタデイの スポットライト 浴(あ)びた日から
わたしたちも 少しずつでも 成長もできたかな?
いろんな所で アイドルのように 歌うようになったわ

小鳥たちが 親の愛から 離れて 巣立つように 
わたしたちも 大空に 羽ばたいていくのよね
でも 忘れないわ イエスタデイを 愛の日々を

人生の悲しみを 生きてゆく 元気に変える ラブソング
そんなラブソング つくろうって…… 歌おうって……
いつしか 集まって バンドを始めた わたしたち

小鳥たちが 親の愛から 離れて 巣立つように 
わたしたちも 大空に 羽ばたいていくのよね
でも 忘れないわ イエスタデイを 愛の日々を

≪つづく≫ --- 41章 おわり ---

42章 信也の妹、美結に恋人できる

42章 信也の妹、美結に恋人できる

 6月15日、日曜日の午前7時半ころ。

 よく降っていた雨もなくなって、気温も30度前後の、
よく晴れた日がつづいている。

 美結は、食パンに、バターをぬって、とろけるチーズと
イチゴジャムをのせると、こんがり薄茶色になるまで
オーブントースターで焼いて、はちみつをかける。

「お兄ちゃん、イチゴジャム・ハニー・チーズ・トーストパンのできあがり!」

「おおっ、おいしそう!ありがとう、美結(みゆ)ちゃん」

 妹と兄は、ゆったりとした気分で、ひのきのロー・リビングテーブル(座卓)に
向かいあって、朝食をとる。

「このジュース、うまい!」

 テレビを見ている信也は、美結を見てほほえむ。休日なので、
きのうから髭(ひげ)をそっていない信也だ。

 24歳にしては濃(こ)い無精髭(ぶしょうひげ)も、男っぽさと、
頼(たの)もしさを感じさせる。

「おいしいでしょう、フルーツがいっぱい入っているからね。
アボカドでしょう、リンゴとバナナにレモン、牛乳とヨーグルトで
つくってあるから」

 そういって、4月に21歳になったばかりの美結は、
感受性に富んでいる少女のように目を輝かせて、わらう。
長かった髪を、シルエットもきれいな、ふんわりとした自然な、
夏向きのショートにしている。

 テレビは、午前10時から始まる、サッカーのワールドカップ・ブラジル大会の、
日本代表とコートジボワールの試合の特集をしている。

「美結は、沢口くんと、このサッカーをどこかで観るんだよね?」

「うん、明大前のカフェバー・リバー(Cafe Bar LIVRE)で観るの」

「ああ、あそこね。駅から2分くらいで便利だよね。おれも行ったことあるけど。
でも、きょうなんか、よく予約がとれたじゃん」

「沢口くんは、店の常連だもん」

「そうかぁ。沢口くんは、あそこの常連かぁ。彼は、高校では、
サッカー選手だったからね」

「うん。だから、サッカー、大好きなんだよね。だから、わたしも
サッカーファンになっちゃったわ。うっふふ」

 そういって無邪気に微笑(ほほえ)む、美結の表情には、
始まったばかりのタレントの仕事も、始まったばかりの恋愛も、
うまくいっていて、幸せな気分であることが、そのまま素直にあらわれている。

「沢口涼太(りょうた)くんは、いいヤツだ。彼はなかなか誠実だよ」

「よかった。お兄ちゃんにそういって、褒(ほ)めてもらえて、うっふふ。
沢口くんと仲よくなるきっかけも、お兄ちゃんのクラッシュ・ビートのことだったんだもの。
お兄ちゃんは、わたしたちの愛のキューピットって感じよ。うふふ」

「まさか、美結の愛のキューピットになれるとはね。兄として光栄だよ。
あっはは。そういえば、涼太くんは、俳優やりながらでいいから、
できるなら、ロックバンドをやりたいって、歌もうたいたいって、
この前、会ったときにいっていたからね」

「だって、涼太くん、ロックやっているお兄ちゃんに憧(あこが)れてるんだもん」

「そうなんだよな。おれみたいに、作詞や作曲もやってみたいっていってたよ。
彼なら、それも可能だと思うよ。神経も繊細な芸術家タイプだからね」

「涼太くんには、いろいろと相談に乗ってあげてね、お兄ちゃん」

「もちろんだよ」

 美結は、ちょっと落ち込んでマイナーな気分のときに、
『いっしょに、がんばってゆこうよ』とやさしく話しかけてくれた
涼太の言葉を、なぜか、ふと思いだして、一瞬、胸を熱くする。

「じゃぁ、わたし、そろそろ出かけるわ。お兄ちゃんも、きょうは、
詩織ちゃんとデートするんでしょ?」

「まあね」と信也。

「Have a good time! (楽しく過ごしましょう!)」と美結。

 美結は、水色の無地ワンピース、花がらのスカートのファッションで、
マンションを出た。 

 下北沢駅から、明大前駅までは、京王井の頭線で1.9キロメートルである。
その区間の、新代田駅(しんだいたえき)と東松原駅(ひがしまつばらえき)を
止まらずに通過する急行に乗れば、3分であった。

 明大前駅の改札口で、沢口涼太(りょうた)は、美結を待っていた。

 沢口涼太は、エターナルの副社長の新井竜太郎が、この1月に立ち上げた
芸能事務所のクリエーションに所属して、人気を集めてきている新人の俳優である。

 2013年に、涼太は、京王線の明大前駅から7つめの仙川駅近くの、
名門の桐宝(どうほう)学園芸術短期大学の演劇専攻を卒業して、
順調に都内の会社に就職しながら、俳優としての道を模索していた。

 そして、運がいいのか、今年の1月、たまたま、渋谷を歩いていたら、
数多い芸能事務所の中の、クリエーションの担当者にスカウトされたのである。

この4月下旬、クリエーションで仕事を始めたばかりの美結に、いろいろと親切に
アドバイスとかをしてくれるのが、沢口涼太であった。身長は184センチと、
171センチの美結よりも、13センチ髙いことも、美結にはうれしいことだった。

 現在22歳で、1992年、10月8日生まれの涼太は、21歳になったばかりの、
1993年、4月16日生まれの美結の、1.5歳ほど年上である。

「よっ、美結ちゃん!」

 涼太は、ちょっと恥(は)ずかしそうな表情で、長い睫の奥の、
キラキラしている涼しげな瞳を細めると、美結を見てわらった。

「涼太さん、お元気そうね!」

 自分では制御(せいぎょ)できないくらいに、うれしさに胸がはずむ美結であった。

≪つづく≫ --- 42章 おわり ---

43章 短くても美しく燃えること

43章 短くても 美しく 燃えること

 6月22日の日曜日。朝の10時。
雨がぱらつく曇り空で、気温も23度と涼(すず)しい。

 下北沢駅南口から歩いて3分の、ライブ・レストラン・ビートでは、
『クラッシュ・ビートとグレイス・ガールズの親睦(しんぼく)パーティ』が、
モリカワ・ミュージックの主催で始まっている。

 雑誌やテレビなどのメディアの関係者や、早瀬田(わせだ)大学の
学生たちの音楽サークル、ミュージック・ファン・クラブ (MFC)の部員も
全員が招待されていて、会場は華(はな)やいだ熱気に包まれていた。

 高さ8メートルの吹き抜けのホールの1階と2階の280席は満席だ。
1階フロアの後方の、バー・カウンターにも空席はなかった。

 店長の佐野幸夫が、間口が約14メートルのステージの左に立って、
マイクを片手に挨拶を始める。

「みなさま!本日は、お忙しい中を、お越(こ)しいただきまして、
ありがとうございます。ライブ・レストラン・ビートの店長の佐野でございます。
日ごろからのみなさまの温(あたた)かい応援のおかげで、
クラッシュ・ビート(Crash・Beat)とグレイス・ガールズ(Grace・Girls)は、
デヴューして、半年ほどですが、ヒットチャートをにぎわす、活躍を
続けて来(こ)れました!これからも、初心を忘れずに、謙虚な姿勢で、
慢心することもなく、果敢に新しい目標にチャレンジしていくと、いっています!
まあ、わたしなんかですと、ちょっと成功すれば、すぐ自慢したり、いい気になって、
遊びほけるんですけどね。クラッシュ・ビートとグレイス・ガールズのみなさんは、
美女とイケメン揃(ぞろ)いで、空気も読めて、わたしとは大違いです。あっははは」

 そういって、わらいながら頭をかいて、一礼をする佐野に、
会場からは、わらいと拍手と沸(わ)き起きる。

「それでは、みなさま、クラッシュ・ビートとグレイス・ガールズのライブや、
そのほかのミュージシャンの方々のライブなどの、たくさんのプログラムを
ごゆっくりと、お楽しみください!」

 そういって、まるい目でわらいながら、一礼すると、身長179センチの
佐野はステージの裾(すそ)へ消えた。

「モリカワミュージックも、すごいじゃん!きょうの、この会場にいるお客さまは、
すべて、無料の招待なんだからね!それだけ、重要な大物のお客ばかりだけど」

 そういって、席を立ちあがると、岡昇(おかのぼる)が、グレイス・ガールズの
メンバー全員と、「乾杯!」と、オレンジジュースの入ったグラスを、
胸の高さまで持ち上げて、回った。

 切れ長で細い目だけど、優しい輝きある瞳の、岡は、1994年12月5日生まれで、
まだ19歳だから、飲酒ができなかった。

 グレイス・ガールズのメンバーでは、べーシストの平沢奈美が、1994年10月2日
生まれで、まだ19歳である。

 岡昇は、グレイス・ガールズのパーカッション(打楽器)の担当をしっかりと確保していて、
メンバーと同じギャラ(報酬)をもらっているのだから、超ラッキー!と岡自身も感じている。

「詩織ちゃんは、やっと、ビールも解禁ね!」といって、清原美樹は、大沢詩織と
ビールのグラスを乾杯する。

 大沢詩織は、1994年6月3日生まれで、20歳になったばかりである。

「美樹さんみたいな、お酒が上手に飲める女性を目標にして、お酒を楽しみます!」

「まあ、詩織ちゃんにそういわれるって、とても光栄だわ」

 その詩織と美樹の会話に、みんなもわらった。

「それにしても、おれには不思議でしょうがないことがあるんですよ」と岡昇はいう。

「岡ちゃん、何なの?その不思議なことって」とグレイス・ガールズのドラム担当の、
菊山香織が、聞き返す。菊島は1993年7月26日生まれ。

「たとえば、香織ちゃんは、森川純さんという、いい人がいるじゃないですか!
美樹ちゃんには、松下陽斗(まつしたはると)さんがいるし、
詩織ちゃんには、川口信也(かわぐちしんや)さんがいて、
麻衣ちゃんには、矢野拓海(やのたくみ)さんがいるし、
奈美(なみ)ちゃんんは、上田優斗(うえだゆうと)さんがいるでしょう」

「岡くんにだって、南野美菜(みなみのみな)さんていう、ステキなヒトが
いるじゃないの。でも、それで、何が不思議なの?」

 グレイス・ガールズのギターリストの、水島麻衣はそういった。
麻衣は1993年3月7日生まれ。

「グレイス・ガールズのみなさんが、日に日に、キラキラと輝くような、
オーラ(雰囲気)を発しているというか、フェロモンを発散している女性に
なっていくので、それが不思議なんですよ!」

「まあ、岡くんって、正直なんだから!わたしたちが、美しくなっているって
ことが、不思議なのね!うふふ、ありがとう!」

 と美樹は、色っぽく、いたずらっぽく、岡に微笑(ほほえ)む。

「そういわれてみれば、わたしたち、ちょっとの間に、やけに、
女っぽくなって、お色気も出てきたのかもね!これも恋したり、
愛しあっているからかしら?」

 菊山香織がそういうと、みんな、声を出してわらった。

「さあ、そろそろ、わたしたちのライブの時間よ。
初めは、新曲の 『短くても美しく燃えること』やりましょうね!」

 美樹がみんなにそういった。

 グレイス・ガールズのメンバーと岡昇は、拍手につつまれる中、
ゆっくりとステージに上がった。

 『短くても美しく燃えること』は、美しいメロディの8ビートの
心地よいバラードであった。
 

 短くても美しく燃えること   作詞作曲 清原美樹 

人と人は 信じ合えるとき
本当の愛を 育てることができるんだって
あなたと出会えて 初めて知った気がするわ

生きてゆくことは むずかしいのね
信じ合うことも メチャクチャに難しいのね
愛が育つなんて 奇跡に近い この世界なのよ

でもね この広い 世界の中で
あなたと 出会えたことの 幸せは
いつも あなたと 感じあっていたい わたしなの

でもね この世界の 美しさの中で
本当の愛を 感じられている 幸せを
いつも あなたと 感じあっていたい わたしなの

Ah Important for me now.
(あぁ、今、私に大切なこと)
Ah I burns beautifully even if short.
( あぁ、短くても 美しく 燃えること )

世界に 戦争は 絶えることはなく
世界に 差別は 絶えることはなく
バカなことばかりの 憂鬱(ゆううつ)な この世界

社会は 人をだまして 平気な人 多く
社会は 人を傷つけて 平気な人 多く
古今東西(ここんとうざい) バカげたことの 繰り返し

でもね この広い 世界の中で
あなたと 出会えたことの 幸せは
いつも あなたと 感じあっていたい わたしなの

でもね この世界の 美しさの中で
本当の愛を 感じられている 幸せを
いつも あなたと 感じあっていたい わたしなの

Ah Important for me now.
(あぁ、今、私に大切なこと)
Ah I burns beautifully even if short.
( あぁ、短くても 美しく 燃えること )

≪つづく≫ --- 43章 おわり ---

44章  愛と酒と歌の日々

44章 愛と酒と歌の日々

 6月28日の土曜日の午後3時を過ぎたころ。
空はどんよりと灰色に曇っていた。

 ヴォーン、ヴォーン、フォン、フォーンと、軽快な金属音を
路上や空気中に響かせて、川口信也の愛車のイタリアン・レッドの
ホンダ・CB400・スーパー・フォアが、下北沢のマンションの地下の
駐車場に入って来る。

 バイクの後部シートには、その細い両腕を、しっかりと信也にまわして、
シルバーのジェットヘルメもかわいい大沢詩織が乗っている。

 ある日、信也はよく腹筋を鍛えているから、その硬(かた)い感触に、
詩織が、「しんちゃんのお腹って、金属みたいに硬い」といったら、
「ははは、おれ、半分、ロボットのサイボーグなんだ、実は」
といって、信也がわらった。

「いやだ、それじゃ、しんちゃんは、009みたいなサイボーグ戦士なのね?」
詩織はそういうと、「まあね、戦士なら、かっこいいんだけどね」といって信也は
照(て)れた。そして、ふたりは声を出して明るくわらった。

 信也のマンションの部屋やキッチンやリビングは、信也の妹の美結が
掃除上手なものだから、いつも綺麗(きれい)にしてある。

「しんちゃん、このウールのカーペット、最高に気持ちいいわ!」

 9.5畳のリビングの、気楽に寝転がれる床座(とこざ)の、
ひのきのローリビングテーブル(座卓)で、信也と向かい合う詩織は、
そういって、微笑(ほほえ)む。

「ははは。ありがと、詩織ちゃん。買うときは、ちょっと高かったけれどね。
夏は涼しく、冬は暖かいっていうのを買ったんだぁ」

「そうなんだ。いいものはいいわよね。しんちゃんも、美結さんが来てくれたから、
お部屋はいつもきれいでしょう、お食事はおいしいでしょう。
だから、わたしも安心しているし、うれしいわ。わたしにとっても、美結さんは、
1つ上のお姉さんなんだけど、わたしなんかより、10倍くらい、しっかりしていてる感じ。
もう、わたしの先生みたいよ。だから、美結さんのことはとても尊敬しているの」

「詩織ちゃんと美結が、仲いいのが、おれとしては、何よりだよ。今夜も、みんなで、
楽しいひとときを過ごそうね。美結も来るから」

「うん、楽しみだわ。わたしもやっとお酒が飲めるんだもの」

 大沢詩織は、1994年6月3日生まれで20歳になったばかり。
早瀬田(わせだ)大学、文化構想学部の2年生である。

 今夜は、下北沢の料理も評判のカフェバーで、クラッシュ・ビートと
グレイス・ガールズのみんななどの気の合う仲間たちと楽しむことになっている。
エタナールの副社長の新井竜太郎やその弟の幸平も参加する。

「そうそう、約束していた、おれの新しい歌、詩織ちゃんに聴いてもらおうかな」

「うん、聴かせて!うれしいわ。わたしが、1番最初のリスナーよね。
タイトルも詩の内容も、すごい感じよね。しんちゃんらしいけど」

 詩織は、目を輝かせて、かわいらしく微笑む。

「あっはは。まあね。おれの生活をそのまま歌にしちゃった感じだからね。
あはは。じゃあ、まあ、聴いてね」

 そういって、信也はちょっと照れながら、わらうと、ギブソンの
アコースティック・ギターを手にする。

 信也は、カポタストをギターの3フレットに装着すると、手書きの簡単な
譜面を見ながら、1小節を16に分割したリズムの16ビートの、
軽快で爽(さわ)やかなイントロで、透明感のある声で歌い始めた。


愛と酒と歌の日々   作詞作曲 川口信也

インターネットのせいなのか 世の中 グローバル化
世界中が 競争相手のようで 忙(いそが)しさ MAX(マックス) 
環境破壊も 貧困も 戦争も 地球的問題で
頭の中も グローバルにしないと ダメみたい

仕事終われば 気の合う仲間と 気のむくままに 
馴染(なじみ)の店で 酒を飲めば 上機嫌(じょうきげん)
楽しいね 気持ちいいよね 明日への英気だね
アルちゅう(中毒)や 糖尿にも 注意するけどね

Ah,Days of love and sake and songs.
(あぁ、愛と酒と歌の日々よ)
Oh,Baby.I do not forget to protect you.
(おぉ、ベイビー、きみを 守ることを 忘れない)

かわいいあの娘(こ)がくれた 秘密の愛のプレゼント
世間の冷たい風に その愛も 吹き飛ばされそう
あの娘(こ)の愛のプレゼント なしじゃ 生きてはゆけないよ 
だから しっかり守って生きるのさ 秘密の愛のプレゼント

あぁぁ この人生 100年足(た)らずということは
花の短い生涯(しょうがい)と あまり 変わらない感じ
でも 憂(うれ)うことなく 楽しく酒を飲める 幸せよ!
あなたにも あの娘にも みんなにも いつも幸多かれ!

Ah,Days of love and sake and songs.
(あぁ、愛と酒と歌の日々よ)
Oh,Baby.I do not forget to protect you.
(おぉ、ベイビー、きみを 守ることを 忘れない)

歌作って 歌えば 楽しいことを 教えてくれたのは
ボブ・ディランだったか? ビートルズだったのか? 
でもそうだよね 誰でも アーティスト(芸術家)になれる
そんな時代が来たんだよ!その気にさえなればね!

誰かが言ってるよ!世界中の すべての人たちが
アート(芸術)を楽しんだり アーティスト(芸術家)になれば
環境破壊も 貧困も 戦争も なくなるだろうってね
なぜなら アート(芸術)って 愛について考えてみることだから

Ah,Days of love and sake and songs.
(あぁ、愛と酒と歌の日々よ)
Oh,Baby.I do not forget to protect you.
(おぉ、ベイビー、きみを 守ることを 忘れない)

アートの中でも 歌が大好きな おれたちさ
イカした ロックの ビートや リズムや ハーモニー
憂鬱(ゆううつ)も 悲しいことも 吹き飛んでしまうのさ
平和のために 勇気ある戦士にだってなれそうなのさ!

「人って 進歩してるのかな?」 って 誰でも考えることあるよね? 
みんなが アートを楽しんだり アーティストになったりすれば
人は もっと 愛や優(やさ)しさに 溢(あふ)れるのかもしれない
どうか そんな愛や優しさで 世界が いっぱいになりますように

Ah,Days of love and sake and songs.
(あぁ、愛と酒と歌の日々よ)
Oh,Baby.I do not forget to protect you.
(おぉ、ベイビー、きみを 守ることを 忘れない)


≪つづく≫ ---44章 おわり--- 次章は7月13日の予定です。

45章 尾崎豊を彷彿とさせる水谷友巳

45章 尾崎豊を彷彿とさせる水谷友巳

 7月12日の土曜の午後4時を過ぎたころ。

 台風一過で、よく晴れた青空だが、30度を超す暑さである。

 川口信也と大沢詩織と、信也の妹の美結(みゆ)と、もうひとり、
水谷友巳(みずたにともみ)という名の若者が、楽しそうに語らいながら、
新宿西口駅を出ると、新宿3丁目へ向かって歩いている。

 水谷友巳は、大沢詩織と同じ1994年生まれの20歳(はたち)である。
といっても、7月11日が誕生日で、20歳になったばかりであった。

「とも(友)ちゃんも、やっと、お酒も堂々とも飲めるってわけか!
ともかく、めでたいことだ。あっはっは」

信也は、並んで歩いている友巳の肩を、ポンと叩(たた)く。

「わたしなんかは、マジメというか、ちゃんと20歳になるまでは、
お酒は飲まなかったんだから。やっぱり、ドマジメなのよね」

「詩織ちゃん、わたしだって、ドマジメで、20歳までお酒なんて、
飲みたいとも思わなかったわ」

 詩織と美結は、信也たちのあとを歩きながら、そんな会話をする。

「詩織さんも美結さんも、普通なんですよ。おれは生まれつきの
不良なだけなんですよ。あっはっは」

「そんなことないわよ!ともちゃん。あなたは、若い時から、
苦労することが多かったのよ、きっと。だから、お酒でも、
飲みたくなっっちゃうんだわ」

 そういって、21歳の美結は、友巳(ともみ)をかばう。

「今から行く池林坊(ちりんぼう)っていう店は、料理もうまいんだ。
きょうは、ともちゃんの誕生祝(いわい)ってことで、楽しく飲もうや!
今から池林坊(ちりんぼう)で会う、エタナールの竜さんは、
すごい大物だから、ともちゃんのミュージシャンとしての才能を
買ってくれるかもしれないぞ。そしたら、即(そく)、メジャー・デヴューだ!」

 そういって、また、信也は水谷友巳の肩をポンと軽く叩いた。

「そんなふうに、うまくいけば、うれしいっす!」

 友巳は、伸也を見ながら、うれしそうにわらうと、頭をかいた。

 新宿3丁目の池林坊は、土曜日の場合、夕方の4時30分オープンで、
明けがたの5時まで営業している。

 エタナールの副社長の新井竜太郎と、彼女の秋川麻由美(まゆみ)が、
池林坊(ちりんぼう)の、風情のある屋台風のテーブルで待っていた。

「竜さん、お忙しいところを、きょうはお付き合いくださって、
ありがとうございます」

 そんな挨拶を、信也が竜太郎にする。

「あっはっは。そんなに気を使わないでよ。おれと信ちゃんの仲じゃない。
信ちゃんから、誘われれば、どこだって歓んで行きたくなりますよ。
信ちゃんのまわりには、いつも美女が一緒だしね。あっはは。
それに、きょうは、美青年がご一緒とはね。最高ですよ。あっはは」

「あ、竜さん、ご紹介します。彼は、水谷友巳(みずたにともみ)くんです。
本人、おれに憧れているなんていって、突然、おれのマンションで
待ち伏せしていて、おれは捕まっちゃったんですけど、
彼の話をよく聞いてみると、おれなんかよりも、あの尾崎豊の大ファンというか、
尾崎に100%心酔しているロックンローラーなんです。
ご覧(らん)のように、ルックスもファッションも、尾崎豊を彷彿(ほうふつ)
とさせるヤツなんです。あっはっは。まあ、しかし、才能あるやつなんで、
おれもなんとかして、かれのミュージシャンとしての才能を開花させてやりたいと
真剣に思っているんですよ。ただ、いくら、尾崎豊の歌がうまくても、
オリジナル性をどのように育てるかが、課題ですけどね。
おれ自身も、尾崎豊には心酔していましたから、コピーやマネから、
オリジナルの道への厳(きび)しさはわかっているんですけどね。
ともちゃんを見ていると、自分の若いころを見ているようで、
ほっとけないんですよ。はっはは。まあ、竜さん、よろしくお願いします」

 そういって、頭を下げる信也だった。

「ううん。ホント、尾崎豊を思わせるような、イケメンの青年ですね。
今夜は、楽しく飲んだあとで、カラオケでもいって、ともさんの歌を
ぜひ聴かせてもらいたいなあ」

「ホントですか?ありがとうございます。ぜひ、歌わせて下さい!」

 そういって、清々しい笑顔で、水谷友巳は、対面している竜太郎に頭を下げた。

 「ともちゃんの20歳をお祝いして、乾杯(かんぱーい)!」

 風情のある屋根つきの屋台風のテーブルで、信也が音頭(おんど)をとる。

 「ともちゃんって、やっぱり、尾崎豊に似ているわ!声もルックスも」
 
 竜太郎の隣の秋川麻由美が、生ビールをおいしそうに飲みながらそういう。

 大沢詩織も、「ともちゃんって、ホント、尾崎みたいに、かっこいいわ」といえば、
川口美結も、「うんうん、尾崎とはちょっと違ったタイプの、でもイケメンよね。
彼女がいないなんて、信じられないわ」といった。

 「おれ、最近、フラれたばかりなんですよ。でも、それで、歌を1つ、作ったし。
あっはっは」

 そういうと、水谷友巳は、わらって、頭をかいた。そのシャイな仕草(しぐさ)や、
瞳の澄んでいて、鋭い輝きが、あの尾崎豊に、どことなく似ていた。

≪つづく≫ --- 45章 おわり ---

46章 Love is harmony(ラヴ・イズ・ハーモニー)

46章 Love is harmony(ラヴ・イズ・ハーモニー)

「とも(友)ちんの彼女って、すごい、かわいい子じゃん!」

「そうですかぁ。まだ、結(ゆう)は、15歳で高 1 なんですよ。
おれと 5歳も違っちゃっていて。あっははは」

「初めましてー。木村結愛(ゆうあ)です」

「あ、どうも。おれ、川口信也です。しんちゃんって
気軽に呼んでください。あっはっは」

「初めまして、結愛(ゆうあ)さん。大沢詩織です!」

 7月20日の日曜日、午前11時40分。
下北沢駅南口の改札口付近で、川口信也と水谷友巳(ともみ)たちは
待ち合わせをした。

 駅から歩いて5分のライブハウス EASY(イージー)で、
クラッシュ・ビートや、グレイス・ガールズや、早瀬田大学の
ミュージック・ファン・クラブ(MFC)の部員たちや
松下陽斗(はると)とそのトリオのメンバーたちも集まって、
親睦(しんぼく)のパーティを行うところだった。

 EASY(イージー)は、キャパシティが、着席で60人、
スタンディングで90人で、川口信也が課長をしている
モリカワが経営する店であった。

 川口たち4人が、EASYの店内に入ったころには、
顔馴染(かおなじ)みのみんなが、すでに集まっている。

「そろそろ、みなさん、お揃(そろ)いになりましたので、
親睦パーティを開催いたします!」

 モリカワの課長で、クラッシュビートの、森川純が挨拶を始めた。

「本日は、お忙しい中、お集まりいただきまして、ありがとうございます!
このような親睦パーティを開催しますのも、月並みですが、
みなさんに、楽しいお時間を過ごしていただいて、さらなる英気を
養(やしな)っていただきたい、そんな考えからであります。
ええと、閉会は夜の9時を予定しています。
ライブ演奏も遠慮なさらずに、ご気分が乗った方から、
ご自由にやっていただければ、幸いです。
それでは、ごゆっくり、くつろいで、親睦パーティをお過ごしください!」

 拍手と歓声がわきおこる。

 60人近い人数のみんなは、バー・カウンターやテーブルに落ち着くと、
店のスタッフに注文したりしながら、心地よい気分で、昼食を取りはじめる。

「とも(友)ちん、まあ、フラれた彼女と、また仲良くなれて、良かったじゃない」

 そっと、小さな声で、川口信也が、水谷友巳(ともみ)の耳もとに囁(ささ)く。

「ええ、よかったですよ。新しく作った歌を、結愛(ゆうあ)が気に入ってくれて、
また、仲良くなれたんです」

「ああ、なるほど。おれにも似たような経験が確かあったかな?
恋愛のトラブルって、それがきっかけで、いい詩が作れるんだよね。
あっはっは」

「そうですよね。信也さん。あっはっは」

「まあ、ビールで乾杯しようや」

「昼間っからですか。あっはは。そうそう、きょうは、その歌を
歌わせていただきますから。尾崎の『17歳の地図』のような
16ビートのロックンロールで、おれの代表曲にしようと
思っているんですよ。ギターの弾き語りでやります。
信也さん、これがその歌なんですよ」

「そうか・・・・。なかなか、いい詞じゃない。尾崎の影響も、
全然ないし、とも(友)ちんの、完全なオリジナルだね。
曲も、すごい、よさそうじゃん。楽しみにしているよ!
『17歳の地図』は、尾崎の歌の中でも、
おれは大好きなロックンロールでさ。
とも(友)ちんも、結愛(ゆうあ)ちゃんがいるから、
大きく成長してきたのかもしれないね。
オンナは男を成長させるものだからね。
特に、芸術家の場合は、女性の存在が大きいよ」

「やっぱり、そんなもんですかね。あっはは」

 信也と友巳が目を見合わせて、愉快そうにわらった。

 同じテーブルの向かい側の、大沢詩織と木村結愛(ゆうあ)も
目を見合わせると、楽しそうに微笑んだ。

 木村結愛(ゆうあ)は、15歳らしい無邪気な可愛(かわ)いらしさと、
オトナの女性っぽい雰囲気を持ている、個性的な少女である。

 午後の3時を過ぎたころ。

 リーゼントぽいヘアスタイルの水谷友巳(ともみ)が、スポットライトのあたる
ステージのマイクの前に、ギターをかかえて、立っている。

「水谷友巳です。みなさん、お聴きください。作ったばかりの、ロックンロール、
『Love is harmony(ラヴ イズ ハーモニー)』です!」

 拍手と歓声が鳴りやんだあと、16ビートの、切れのいいカッティングの
ギターのイントロで、水谷は歌い始めた。


Love is harmony (ラヴ・イズ・ハーモニー)  作詞作曲 水谷友巳

いつでも どんなときでも 大切なものだった
きみへの愛は 変わることのない
燃え盛る 熱い炎のようなものだと
この愛を失ってから 初めて 気づく
愚(おろ)かな このオレ 未熟な このオレ!

どうして こんなにも 悲しいのだろう?
日は昇り 風は吹いて 日は沈む
おだやかな 生活に 変わりはないのに
気がつけば きみを失った この寂(さび)しさに
おれの心 影も形も 無くなっちまっているよ!

Harmony is love. (ハーモニー(調和、和音)は、愛)
Love is harmony. (愛は、ハーモニー)
Harmony is beauty. (ハーモニーは美)
Beauty is harmony. (美は、ハーモニー)
Harmony is truth.  (ハーモニーは、真実)
Truth is harmony. (真実は、ハーモニー)

ナイーブ(naive)なほうだけど 鈍感だった
正直 愛なんて 考えたことなかった!
愛を 空気のように 胸いっぱいに
きみからも もらって 生きてきた オレだった!
きみの愛は いまもオレの命を 支(ささ)えている!

人は 何のために 生きているのだろう!? 
そんな問いは 永遠にわからないだろう
オレたちは 永(なが)くはない 人生を
メロディ ハーモニー 奏(かな)でる 音楽のように
楽しく 生きてゆけるならいいと 願うばかり!

Harmony is love. (ハーモニーは、愛)
Love is harmony. (愛は、ハーモニー)
Harmony is beauty. (ハーモニーは美)
Beauty is harmony. (美は、ハーモニー)
Harmony is truth.  (ハーモニーは、真実)
Truth is harmony. (真実は、ハーモニー)

きみの 青い空のように 澄(す)んだ瞳(ひとみ)
きみの 青い海のような 微笑(ほほえ)み
空のような 海のような 君への オレの思い
だから きっと 街(まち)の どこかで きみも
オレのことを 思って いてくれるのだろう

無(な)くしちまった 愛かもしれないけれど
また きみと二人で やりなおしたい
きみは いつも かわいい 少女のようだけど
情感 豊かな ステキな オトナの女
きみは オレにとって 音楽 そのもの!

Harmony is love. (ハーモニーは、愛)
Love is harmony. (愛は、ハーモニー)
Harmony is beauty. (ハーモニーは美)
Beauty is harmony. (美は、ハーモニー)
Harmony is truth.  (ハーモニーは、真実)
Truth is harmony. (真実は、ハーモニー)

≪つづく≫ --- 46章おわり ---

47章 目標は、ラルク・アン・シエル!?

47章 目標は、ラルク・アン・シエル!?

 7月27日。空も晴れた、正午。気温も35度に達している。

「きょうはスゴイ暑いよね!とも(友)ちゃん」

「こんなに暑ければ、気をつけないと熱中症にもなるよ」

 木村結愛(ゆあい)と水谷友巳(ともみ)が、下北沢駅南口を出ると
南口商店街へ向かっている。

 木村結愛は、15歳の高校1年、水谷友巳は20歳(はたち)になったばかり。

 高校を卒業したあと、大学には行かずに、ロック・ミュージシャンの道を究めようと、
ヴォーカルやギターの練習をして、様々なバンドのセッションにも参加したりしながら、
ミスター・ドーナッツやモス・バーガーとかのアルバイトで、生活費を稼いでいる、
水谷友巳である。

 そのミスター・ドーナッツの近くにある中学や高校に通っている木村結愛が、よく放課後に、
店に行くと、水谷友巳が笑顔で売り子をしていた。

 そんなわけで、笑顔の似合う二人は、自然な感じで、親しくなったのである。
「今度、どこかに遊びに行きませんか?」と最初に声をかけたのは、水谷友巳であった。

 木村結愛が、ロックバンドのラルク・アン・シエル(L'Arc~en~Ciel)が大好きで、
この2014年3月22日の土曜日には、新宿区霞ヶ丘の国立競技場で行われた、
ライブ・コンサートには、水谷友巳と木村結愛は、仲よく観に行くことができた。
21日、22日、2日間合わせて、16万人分のチケットは、即日完売であった。

 尾崎豊に心酔してロックミュージシャンに憧(あこが)れた水谷友巳だったが、
木村結愛と出会ってからは、ラルク・アン・シエルを大好きになっていた。

 下北沢南口商店街の中ほどの北沢ビル1階にあるカフェ・バー・アップルに、
ふたりは入る。アップルパイやチーズケーキのおいしい、モリカワの経営する店である。

 店内には、川口信也、信也の彼女の大沢詩織、いつも仲睦(なかむつ)まじいカップルの、
清原美樹と松下陽斗(はると)、森川純と菊山香織、森川良(りょう)と白石愛美(まなみ)、
の8人が、低めのゆったりしたソファーのテーブルで寛(くつろ)いでいる。

「よく来てくれました。実は、きょうは、うちの会社、モリカワ・ミュージックの
森川良さんが、来てるんだ。とも(友)ちんの才能に期待してくれていて、
メジャー・デヴューに向けて、総力を挙げて取り組もうと言ってくれているんですよ」

 信也の隣のソファに座(すわ)る、水谷友巳(ともみ)と木村結愛(ゆあい)に、
信也は微笑(ほほえ)みながらそういった。

「え、本当ですか。うれしいです」と水谷友巳は白い歯を見せて微笑む。

「やったじゃん。とも(友)ちん。ラルク・アン・シエルみたいな、ビッグなロックバンド
目指して、がんばろうね!」

 無邪気に、木村結愛がそういうと、みんなは明るくわらった。

「しかし、ともちんの目標とするミュージシャンが、尾崎豊からラルク・アン・シエルに
軌道修正した感じだね。これも結愛(ゆあい)ちゃんの影響かな?
でもね、いい音楽の影響を受けながら成長するのが、アーチストってもんだからね。
とてもいい傾向だと、おれは思うよ」と信也はいった。

「はじめまして。モリカワ・ミュージックの課長の森川良です。
水谷友巳さんのオリジナル曲とか、デモテープを聴かせていただいて、
モリカワ・ミュージックとしては、水谷さんのメジャー・デヴューの
プロジェクト(企画)を立ち上げたいと考えているんです。
これから、水谷さんと気の合うバンドメンバーも決めるわけですけどね。
どうか、よろしくお願いいたします」

 水谷友巳のテーブルの向かい側にいる森川良はそういった。

「こちらこそ、よろしくお願いします。バンドの結成はぼくも楽しみです。
気の合うヤツなら、友だちにもいるんですけどね。
ぼくは、人生をロック・ミュージシャンに賭けてみたいんです。
それには、努力と才能と運が必要なんでしょうけど。
でも、運も、川口信也さんに出会えて、拓(ひら)けてきた気がしています」

 そういう水谷友巳の言葉に、みんなは、わらった。

「そうですか。それでは、おたがいに、ベストを尽(つ)くしてゆきましょう!
きょうは、友巳さんも、結愛さんも、楽しんでください。きょう、お集まりのみなさんは、
モリカワ・ミュージックで、メジャー・デヴューして、成功している方々ばかりですので、
音楽談義とかで、お話しも楽しく弾むと思います」

 見るからに、ソフトな紳士、思いやりのある印象の森川良が、そういって微笑む。

 ・・・ともちんの、デヴューの話はうまく進展して、良かったけれど、おれは、
先日、エタナールの副社長の竜さんに、ともちんを、よろしくお願いしますと、
紹介しているしなぁ・・・、しょうがないか、今回は、竜さんには謝(あやま)って
おくしか、方法はなさそうだ・・・

 みんなと、歓談しながらも、信也はそんなことを、ふと思っていた。

≪つづく≫ --- 47章 おわり ---

48章 バンドの名前は、ドルチェ! 

48章 バンドの名前は、ドルチェ!

 8月2日の土曜日、午後3時ころ。雨もぱらつく、
晴れたり曇ったりの天気である。

 下北沢駅南口から歩いて5分の、ライブハウス EASY(イージー)に、
モリカワ・ミュージックの課長の森川良(りょう)と、
モリカワ本社の課長の川口信也たちが集まっている。

 20歳になったばかりの水谷友巳(ともみ)をメイン・ヴォーカルとする、
新しいロックバンドの結成とデビューのための、
最終的な話し合いを、バンドのメンバー全員としている。

 バンドのメンバーは、水谷友巳以外の4人は、どんなジャンルの曲でも演奏できる、
いわゆるスタジオミュージシャンであった。レコーディングやライブなどに参加する
仕事をしていて、モリカワ・ニュージックの仕事もしてた。

 野口大輝(のぐちだいき)、志村潤(しむらじゅん)、黒田悠斗(ゆうと)と、
ひとり、女性の吉行あおい、の4人であった。

 ライブハウス、EASY(イージー)は、キャパシティが、着席で60人、
スタンディングで90人の、モリカワの直営店である。椅子やテーブルや
カウンターは、自然の木を使っていて、木目も美しい。

「おれたちは、スタジオだけの単調な仕事に、あきあきしていたところ
なんですよ。友巳(ともみ)さんは、才能ありますし。きっと、いいバンド活動が
できるだろうって、すごく期待しているんです。なぁ、みんな!」

 ベースギター担当で、すでに、このバンドのリーダーと決まっている、
25歳の野口大輝(のぐちだいき)が、落ち着いた表情でわらいながら、
みんなを見わたす。

「そうなんですよ。楽しみなんです。この頃は、また、しょっちゅう、バンドでも
やって、ライブとかもやりたいよねって、話していたんですよ。あっはは」

 ギター担当の22歳の、志村潤(しむらじゅん)が、いたずら盛りの少年ように、
瞳を輝かせながら、そういって、微笑む。

「友巳(ともみ)さんとなら、最高のバンドができると思います!わたしたちで、
バンドを組んで、デヴューできたらいいわよね、なんて、ちょうど、
話したりしていたんですもんね!ねえ、悠斗(ゆうと)さん」

 キーボード担当の22歳、すらっとしたモデルのような容姿で、顔立ちも美しい、
吉行あおいが、森川良を眩(まぶ)しそうに見て、微笑(ほほえ)む。

「そうなんですよ、偶然なんでしょけど。そうしたら、良(りょう)さんから、
今度新しくバンド結成するから、そのメンバーを探しているって、
お誘いがあったんですからね。世の中って、いつどこで、
幸運が舞い込んでくるのかなんて、わかりませんよね。あっはは」

 そういって、ちょっと、人見知りの性格で、照れながらわらうのは、
ドラム担当の24歳、黒田悠斗(ゆうと)であった。

「よかったですよ。みなさんが、バンドの結成と加入に、快(こころよ)く
賛成(さんせい)してくださって。本当にありがとうございます。
こんなにスムーズに短い期間で、メンバーが決まるとは、
わたしたちは、考えていなかったんです。ねえ、とも(友)ちゃん」

 そういって、森川良は、隣にいる水谷友巳を見る。水谷の隣には
高校1年、15歳の木村結愛(ゆあい)もいる。

「まったくですよね、良さん。きっと、バンド結成までの道のりは、
険(けわ)しく、難(むずか)しいだろうなあと、考えていたんです。
実は、最初は、おれの高校のときの、バンドの仲間たちで結成しようと
考えたんですよ。ところが、やっぱり、プロとしてやっていくのには、
実力が不足でした。頓挫(とんざ)して、ダメになってしまいました」

 水谷は、そういったあと、一緒にやっていけなくなった高校からの
仲間たちのことが、頭の中を過(よぎ)った。

「でも、とも(友)ちんたちのバンド演奏は、かなり良かったんだよね。
息も合っているから、リズムの乗りもいいし、グルーブ感っていうのかな、
聴いていて、とても楽しめたからね。粗削(あらけず)りだけど、
それも魅力的だしね。しかし、プロとしてやってゆくのには、
あと最短でも、1年くらいの時間が必要な感じなんだよね」
あと1年くらい待ってみようかなって、考えたいたわけだけど」

 川口信也が水谷友巳の心情を察しながらそういった。

「でも、友ちゃんは、友情をいつも大切にしているんだから、高校のお友だちも
わかってくれているわよ!大丈夫よ、友ちゃん!」 

 木村結愛(ゆあい)は、水谷が沈んでちょっと暗い表情するものだから、
身体を寄せて、耳もとで、そういって励(はげ)ます。

 この新しいバンド名の『ドルチェ』は、結愛(ゆあい)の提案した名前だった。
それが採用されて決まったものだから、結愛(ゆあい)も嬉(うれ)しかった。

 ドルチェ(dolce)は、イタリア語で、甘いの意味や、音楽の用語として、
柔和に、甘美に、優しく、などの意味があり、また、イタリア料理で、
菓子やケーキやデザートについてもいい、また、イタリア産のワインで
甘口のものも意味する。

「おれ、作ったばかりの歌で、バラードですが、ちょっと歌ってきます!」

 水谷友巳は、スポットライトの当たるステージのマイクの前に、
ギターをかかえて立つと、歯切れのいい、リズミカルな、8ビートの
カッティングのイントロで、歌い始めた。

Good luck to my friend. 作詞作曲 水谷友巳

仲間と いつも歩いた 学校の並木道 
きみと 何度も歩いた 学校の並木道 
青春の 日々は 毎日 輝いていたね

夢を見たり 追うことが 青春ならば
夢を見たり 追うことを 忘れないことさ
人生は いつも 輝く 青春であるべきだから 

時の流れのなか 自分を 見失わないように
時の流れのなか 愛を 見失わないように
時の流れのなか 優しさを 無くさないように
Good luck to my friend.(友だちに、幸運あれ)
Good luck to my friend.(友だちに、幸運あれ)

人の痛みが 自分の痛みと同じように
感じられることが オトナになることなのかって
想像を 巡(めぐら)らすことも あったけど

でも オトナの世界は そんなに綺麗(きれい)じゃなかった
なぜ 生きることは こんなに難しいことなのか?
欲望があるからか?生きることが 過酷だからか?

時の流れのなか 自分を 見失わないように
時の流れのなか 愛を 見失わないように
時の流れのなか 優しさを 無くさないように
Good luck to my friend.(友だちに、幸運あれ)
Good luck to my friend.(友だちに、幸運あれ)

汚(よご)れのない 澄(す)んだ心や 日々の 一瞬
一瞬とか 大切なことは いっぱいあるけれど
真実の世界を 生きてゆければいいと 切に思う

時の流れのなか 自分を 見失わないように
時の流れのなか 愛を 見失わないように
時の流れのなか 優しさを 無くさないように
Good luck to my friend.(友だちに、幸運あれ)
Good luck to my friend.(友だちに、幸運あれ)

≪つづく≫ --- 48章 おわり ---

49章 きみなしではいられない

49章 きみなしではいられない ( I Can not do without you )
 
 8月10日、日曜日。台風第11号が、西日本を北上する影響で、
東京は強い雨や風に荒れた天気である。

 こんな悪天候であったが、渋谷では地元の話題にもなっていた、
ライブハウス、サニー(sunny)のオープニング・パーティーが始まっている。

 サニーは、渋谷駅ハチ公口から徒歩で5分、センター・ビルの5階の
ワンフロアにある。

 キャパシティ(収容能力)が、スタンディングで1000人、座席数は250という、
都内最大級のライブハウスであった。

 サニーは、弱冠31歳の新井竜太郎(あらいりゅうたろう)が副社長の、
外食産業大手のエターナルの事業のひとつであった。

 多彩な音楽やコンテンツ、飲み物や食事、ダンスも踊れる広いワンフロア、
サニーでは、上質なエンターテインメントの提供をコンセプト(テーマ)に、
新しいライブハウスの形を実現している。

「しかし、男女の仲っていうのは、いつ壊(こわ)れてしまうのかって、
わからないものですよね。信也さん」

 岡昇は小さな声で、隣の席の川口信也にそう囁(ささや)いた。
岡昇は早瀬田(わせだ)大学、商学部、1年、19歳。大学公認の
サークル、ミュージック・ファン・クラブ(MFC)の会計でもある。

「ちょっとしたケンカで、すぐに仲直りってこともあるけどね。
竜さんと麻由美ちゃんの場合は、どうなんだろうなぁ。
おれには、竜さん、麻由美ちゃんにフラれちゃったよなんて、
言っていたけど、真相はわかんないよなぁ」

 そういうと信也は、生ビールをうまそうに飲むと、
岡と目を合わせて、ちょっと困った顔をして、わらう。

「わたしたちの場合は、ケンカしてもすぐに仲直りよね。
ねっ、岡ちゃん!きっと相性がいいのかしら!?うっふふっ」

 岡の右隣には、岡と交際している南野美菜(みなみのみな)がいた。
美菜は、早瀬田(わせだ)大学、商学部、4年、22歳。
ミュージック・ファン・クラブ(MFC)の部員である。

「岡ちゃんと美菜ちゃんのカップルって、いつも楽しそうでいいな!
わたしと信(しん)ちゃんの場合だと、ケンカになったりしたら、
きっと、1週間くらいは、仲直りできそうもないもん!」

 向かいのテーブルの岡と美菜に、そういって微笑む、大沢詩織だった。

「あっはっは。そういえば、この前の、あんときの、1週間は、きつかったなぁ、
あっはは」と信也はわらった。

「しんちゃんと詩織ちゃんって、ケンカなんかしそうもないように見えるけど、
ケンカすることあるんだぁ」

 詩織の隣にいる清原美樹が、詩織と信也を見ながら、いたずらっぽく微笑んだ。
美樹の隣には松下陽斗(まつしたはると)も来ている。

「おれも、美樹ちゃんとは、絶対にケンカなんかしたくないですよ」と陽斗がいう。

「美樹ちゃんって、怒(おこ)ると、コワいからね!陽(はる)くん!?」という詩織。

「あら、わたしって、怒(おこ)ったって、全然、コワくないと思うけど、詩織ちゃん」

「そうそう。美樹ちゃんも詩織ちゃんも、全然、コワいなんて思ったことはないよ。
いつも、可憐な花のように、かわいい女の子だって、おれは思っているもの」

 信也が生ビールに酔って、上機嫌でそういうと、みんなは、おおわらいをする。

「しん(信)ちゃん、みなさん、楽しんでいただけてますね。どうですか、
このライブハウス、サニーは?かなりガンバって作ったんですよ。あっはは」

 新井竜太郎が、満面の笑顔で、弟の幸平と、スーツをビシッと決めてやって来る。

「竜さん、この度(たび)は、こんなに、すばらしいライブハウスに招待していただいて、
ありがとうございます。ぜひ、おれたちも、ここでライブをやりたいですよ!」

 信也がそういうと、清原美樹やみんなも、「サニーは、ホント、ステキなお店です」
「ぜひ、ライブ、やらせてください!」などと、竜太郎や弟の幸平にいう。

「そうそう、竜さん、水谷友巳(ともみ)くんの件では、ホントに失礼しました。
あれよという間に、モリカワ・ミュージックが、水谷くんには、すごい力の入れようで、
バンド結成して、メジャーデヴューへ向けてやっていくことになっちゃったんですよ」

「そんなこともあるよ。しんちゃん。おれは何も気にしていないから。
むしろ、水谷くんのバンド結成と、メジャーデヴューを祝福したいですよ。
今日(きょう)も、水谷くんや、そのバンドのドルチェのみなさんも来てくれているし。
その彼らが、新曲を披露してくれるっていうから、嬉(うれ)しくってしょうが
ないくらいなんだよ。しんちゃん」

 午後の2時を過ぎたころ。ワンフロアの広い店内にある、スポットトライに
彩(いろど)られたステージでは、水谷友巳たちのバンド、ドルチェが、
ライブハウス、サニーの開店を祝福の気持ちを込めて、
5曲ほどのライブを始めようとしていた。1曲目は、軽快な8ビート、
甘美なメロディの 『きみなしではいられない』である。

 ステージの近くのテーブルでは、バンド名のドルチェを考えた、
水谷友巳の恋人の、15歳の高校1年、木村結愛(ゆあい)が、
ドルチェの熱い演奏を見つめている。

きみなしではいられない ( Can not do without you )
         
 作詞作曲 水谷友巳(ともみ)

黄昏(たそがれ)の深まりゆく いつもの散歩道
君の手のぬくもり きみの弾む笑い声
きみはぼくの宝物 ぼくの心の支(ささ)え

世界に生まれてきて きみと出会えたこと
きみと話せたこと きみと触れ合えたこと
きみと感じ合えたこと きみと歓びあえたこと

そんな ステキな きみさえ いてくれたなら 
冷たいばかりの この世界 だとしても
おれには 心残りはない 悔(く)いはないさ 

I can not do without you
I can not do without you
そうさ おれは きみなしではいられない
いつも どこでも きみなしではいられない

きみがいてくれるなら なんでもできるだろう
きみがそばに いてくれるなら おれは
この命さえも そんなに 欲しくはないのさ

愛なんて 誰も 教えてくれなかったのさ
愛なんて 幻想かと 思っていたんだ
でも きみが 愛を 教えてくれたんだ

だから おれは 強く 生きようと 思うのさ
ロックン ロールで 戦って やるのさ
この世界が この愛に あふれるまでね!

I can not do without you
I can not do without you
そうさ おれは きみなしではいられない
いつも どこでも きみなしではいられない

≪つづく≫ --- 49章 おわり ---

50章 美結と真央と涼太、CMに出演

50章 美結と真央と涼太、CMに出演

 8月16日、土曜日、2時30分を過ぎたころ。曇り空である。

 下北沢駅北口から歩いて約3分、大きな赤いハイヒールが
店の前に飾ってある、ヘイト・アンド・アシュバリー (HAIGHT&ASHBURY)へ、
川口信也と妹の美結(みゆ)、大沢詩織、清原美樹、松下陽斗、
小川真央、沢口涼太、の7人で行くところである。

  ヘイト・アンド・アシュバリーは、古着屋の超老舗で、プロのバイヤーがアメリカや
ヨーロッパを中心に、世界中から集めた貴重なアイテム(服の種類)が揃(そろ)っている。
取扱っているジャンルも幅広く、各コーナーは、MEN'S、LADY'S、ANTIQUEに分かれていた。

 良質で手頃なヴィンテージ・ファッションから、本物のアンティークまで揃っているので、
ヘイト・アンド・アシュバリーには、芸能界やファッション界にもファンも多く、
全国からやって来るファンもいる。

 「美結ちゃん、真央ちゃん、今度のテレビのCMのこと、
わたし、すごく楽しみにしているのよ!」

 美樹は、1つ年下の美結と、同じ歳の真央と、3人で並んで歩きながら、
そういって微笑む。

 「うん。エタナールのイメージ・キャラクターにしてくれたのよ。
副社長の新井竜太郎さんたちが・・・・。わたしと、真央ちゃんと、
涼太さんの3人が、これからのエタナールのイメージ・キャラクター
なんだって。わたしたち3人って、まだ新人で、駆け出しの若手だけど、
そんな新鮮なイメージが、エタナールの新しいイメージ・キャラクター
に相応(ふさわ)しいっていってくれてるの。ね、真央さん!」

 美結は、そういうと、美樹と真央に微笑んだ。

「最近よくある、物語仕立(じた)てといいますか、ストーリーのあるCM
なんですよ。おれは正義感が強くて、人情に篤(あつ)いけど、
そそっかしくって、失敗ばかりしているウエイターや売り子をやっている
店員の役なんです。美結ちゃんは、敏腕(びんわん)なエタナールの社員で、
真央ちゃんは、おれの店長だもんね。あっはははっ」

 美樹と美結と真央の後(うし)ろを歩く、身長184センチの沢口涼太は、
爽(さわ)やかな笑顔でわらった。涼太は松下陽斗と歩いていて、
音楽や芸能界の話で盛り上がっていた。

 「涼太さんは若い女の子に圧倒的な人気があるから、このCMは、
大ヒット間違いないですよ」

 1番前を歩いている川口信也がふり返ってそういった。信也の横には
大沢詩織がいる。

・・・・竜太郎さん、真央ちゃんを、エタナールの新しいイメージ・キャラクター
に起用したものだから、仲良くいっていた秋川麻由美(まゆみ)ちゃんと
ケンカしちゃったらしいからな。女性のヤキモチって、コワいからなぁ。
そういえば、竜さん、おれにこんなことを聞いたっけ・・・・

 ふと、信也は、行(い)きつけの渋谷のバーでの、先日の竜太郎との会話を思い出す。

「しんちゃんは、前に、つきあっていた、清原美樹ちゃんには、今では、恋心
とでもいうのかな、そんな恋愛感情は、自然と消えちゃったのかな?」

 竜太郎からそんなことを聞かれた信也は、思わず声を出してわらった。

 竜太郎は1982年生まれの31歳。信也は1990生まれの24歳。
なぜか話の合う、酒飲み友だちの二人には、歳の差など関係なかった。

「おれは、美樹ちゃんのことは、本当に、好きだったんですよ。
いまでも好きかと聞かれたら、詩織ちゃんのことがあるから、
はっきりと言えないし、うまく言えませんけれどね。まあ、
美樹ちゃんは、おれに、愛というもんが、どんなものかを
教えてくれたっていうことは、確かな気がします。
男は女でもって成長するもんだって、あの文芸評論家の
小林秀雄も言ってますよね。おれも美樹ちゃんとの恋愛で、
かなり成長したんだって、実感しています。まあ、結果的には、
フラれたわけですけどね。あっはっは」

「なるほど・・・・。恋愛って、楽しかったり、辛(つら)かったりの、
一種の修行(しゅぎょう)のようなところがあるよね。あっはっは。
おれはね、しんちゃん。お互いが、本当に好きならば、
恋愛することは、基本的に自由だと思っているんだけどね。
だから、おれみたいな、いわゆる恋愛至上主義の考えの男は、
独身でいたほうがいいって思っているのさ」

「それはそれで、いいんじゃないですか。竜さんはモテるんだし」

「いやいや、しんちゃんほど、おれはモテないよ」

 ふたりは声を出してわらった。

「・・・・恋愛って、竜さん、基本的に、1対1、じゃないですか。
相手がNO(ノー)といえば、そこまでですもんね。誰かを傷つけてまで、
するもんじゃないでしょう。ストーカーとか、人間として最低ですよね。
でも、そこが、むずかしいところですよね。竜さんの考え方もよくわかるんですよ。
竜さんと同じように、おれも恋愛至上主義かもしれないんですよ。
1度誰かを好きになったという事実は、消し去ることはできませんからね。
過去に好きになったヒトのことを、あえて、打ち消すこともないと思います。
かといって、現実的には、何人もの女性と付き合うことは不可能なだけですよね」

「何が大事かって、恋愛に耽っているばかりじゃダメなのは当たり前だよね。
やっぱり、おれたち男には、仕事や趣味が1番なのかな?しんちゃん!」

「そんなとこじゃないですか。竜さん!欲望を恋愛以外に向けるとかですかね!」

 ふたりは、意気投合したように、目を合わせると、声を出してわらった。

 その行(い)きつけのバーとは、JR渋谷駅東口から歩いて3分の、
Bar 石の華(いしのはな)だった。

 客席数は19席の、カウンターの落ち着いた雰囲気のお店である。
種類豊富なお酒、オリジナルが評判のバーで、オーナーの
バーテンダーは、技能競技会で総合優勝もした名人であった。

 そんな会話をしたその夜は、ふたりは、オリジナル・カクテルの
クラウディアを楽しんだ。クラウディアは、パイナップルジュースと
キャラメルシロップを加えたマティーニである。

≪つづく≫ --- 50章 おわり ---

51章 2014年、たまがわ花火大会

51章 2014年、たまがわ花火大会

 8月23日。午後4時過ぎ。曇り空で、雨に降られることもなく、
夏の風物詩、世田谷区たまがわ花火大会が始まろうとしている。

 5時45分から、ステージ・イベント、オープニング・セレモニーの、
都立深沢高校、和太鼓部の演奏や、地区の合唱団による合唱がある。

 そのあと、花火打ち上げ直前の、みんなとのカウント・ダウンが、
夜空を見上げながらの、恒例(こうれい)となっている。

 今年も、世田谷区の下北沢に本社のあるモリカワでは、約300名分の
テーブル席やイス席やシート席の、有料席のチケットを確保していた。

 モリカワの社員や仕事の関係者や顧客に、多摩川の水辺での、花火という、
壮大な音と光の芸術を、楽しんでもらいたい、そんな思いから、毎年企画している、
モリカワの行事であった。

「モリカワも、おれたちを花火大会に招待してくれるって、なかなかイイとこ
あるよな、ともちん」

 草口翔(くさぐちしょう)が、水谷友巳(ともみ)に、そういってわらった。
水谷の隣を、高校1年、15歳の木村結愛(ゆあい)が寄り添うように歩いている。

「モリカワ・ミュージックの森川良さんが気を利かせてくれたんだよ。
翔や正志(まさし)や元樹(もとき)には気の毒なことをしたって、
良さんは思っているらしくって」

 水谷は草口をちらっと横目で見ると、わらった。

「まぁさぁ、おれたち、ドン・マイの実力が、イマイチだってことで、
それはそれで、しょうがないことだからな。誰のせいってわけでもないんだし。
なあ、正志!元樹!」

 そういって、草口は、うしろを歩いている、正志と元樹を見る。

 草口翔と山村正志と下田元樹は、水谷友巳の高校の同級生で、
4人は、ロックバンド、ドント・マインド(don`t mind)のメンバーだった。

 草口翔は、リーダーで、ベースギターをやっていた。山村正志はドラム、
下田元樹はリードギターだった。水谷友巳はヴォーカル。

 水谷友巳のメジャー・デヴューの話が出たときには、ドン・マイのみんなで、
デヴューできるものと、早合点し、飛び跳ねて歓(よろこ)んだのだった。

 しかし、ドン・マイは、モリカワ・ミュージックのオーディション(選考の審査)に、
落とされてしまったのだった。

そんな5人は、小田急線の成城学園駅南口を出て、花火の打ち上げ場所で、
会場の玉川緑地運動場へ向かって歩いている。会場まで、徒歩で約30分かかる。

「おれたち、ドン・マイなんだから、その名のとおり、気にしない、気にしない!」

 下田元樹は、わざと、ふざけた裏声でそういうと、大声でわらった。

 みんなも、声を出して、高らかにわらった。

「まあ、森川良さんも、ドン・マイのデヴューも考えてくれているんだし、
おれたちも、やっていくしかないだろう!なあ、みんな」

「そう、そう、ドン・マイでいくしかないね!」

 どちらかというと無口な山村正志がそういった。

「なにがあっても、気にしないのが、ドン・マイ精神さ。しかし、いい名前の
バンド名だよな。ロックンロールバンドらしくって。あっはっは」

 水谷友巳が、曇り空に向かって、高らかにわらった。

「しかし、ともちんに代(か)わる、ヴォーカル探すのがちょっと大変そうだぜ」

 草口翔がそういった。

「ヴォーカルなんて、たくさんいるって。だいじょうぶ、ドン・マイだよ。
たとえば、女性ヴォーカルとしたら、ゆあ(結愛)ちゃんだって、
かなりなもんだよ。ちょっとボイトレしたら、完璧さあ」

 水谷友巳は、そういいながら、木村結愛(ゆあい)の手を握る。

「わたしでよかったら、いつでも、ヴォーカル、オーケイです!」

 結愛(ゆあい)は、マジメな顔をして、そういいながら、草口や
みんなを見わたして、微笑んだ。

「ゆあ(結愛)ちゃんか、頼もしい、ヴォーカルだな。あっはっは」

 草口翔がそういって、わらうと、みんなもわらった。

 水谷友巳たちが会場に着くと、すでに、多摩川(たまがわ)の水辺(みずべ)の、
緑地運動場は、人々(ひとびと)であふれいる。

 しかし、水谷友巳たちが、川口信也や森川良や森川純たちを見つけることは、
打ち上げ場所付近に向かって歩くだけなので、簡単であった。

 カメラを持つ雑誌の記者や、テレビ局の取材の記者たちも、招待されていた。

 浴衣姿(ゆかたすがた)の清原美樹と大沢詩織が、とびきりの笑顔で、
20歳になったばかりの水谷友巳たちのテーブルに、
缶ビールやつまみものを用意してくれた。木村結愛は、コカコーラをもらった。

 5時45分。オープニング・セレモニーの、高校生たちによる和太鼓が、
雄大な河川敷や、夕暮れの空に、響きわたる。

 みんなは、独特の高揚感(こうようかん)の中で、自由気ままな会話を
楽しんでは、わらい合った。

 『みんなの夢』がテーマでのある、この花火大会にふさわしく、
みんなは、いつしか、それぞれの夢や希望を語り合ったりしている。

 そして、カウントダウン・コールのあとの、7時。

 オープニングを飾(かざ)る、1発目は、華やかな、芸術性の高い花火、
10号特玉が、夜空に向かって打ち上げられた。

 そして、連発仕掛(しか)け花火の、何十発もの、スターマインが、
テンポよく打ち上げられて、夜空に、つぎつぎと、色鮮(いろあざ)やかな、
花が咲き、消えてゆく。

 ドン、ドドドーンと、炸裂する、その心地よい音は、からだの奥や、腹にもしみた。

・・・・ 最近の大雨の、土石流で亡くなったりする人もいるのに、おれたちは、
こんなふうに、花火も楽しめて、幸せだよな、ゆあ(結愛)ちゃん ・・・・

 打ちあがる花火の明かりが、木村結愛の横顔を照らすのを見ながら、
そんなことをふと思い、水谷友巳は、結愛の小さな手を握りしめる。

≪つづく≫ --- 51章おわり ---

52章 南野美菜、ドン・マイに、加入か?!

52章 南野美菜、ドン・マイに、加入か?!

 8月29日、金曜日の正午ころ。東京は曇り空で、
湿度は68%、気温は25度ほどで、秋の気配が感じられる。

 岡昇(おかのぼる)と南野美菜(みなみのみな)は、地下鉄・東京メトロの
早瀬田(わせだ)駅を出ると、そこから歩いて5分ほどの、
緑の樹木や植木が生い茂る戸山キャンパスの中の学生会館に向かった。

 学生会館は、サークル活動の拠点なので、早瀬田(わせだ)は
夏休みであったが、学生たちで賑(にぎ)わっている。

 大学の夏休みは、8月2日(土)から9月20日(土)まである。

 学生会館の西棟(にしとう)2階の大ラウンジに、
ミュージック・ファン・クラブ(MFC)の部員たちが集まっている。

 MFCは、大学公認の音楽サークルである。ギターやトランペットなどの
楽器演奏や、歌うことが好きな学生たちが集まって、
ロックやブルースやソウルやファンクやジャズなどを楽しんでいる。

 学生会館の大ラウンジには、セブンイレブンがある。3階には、
モスバーガーもあった。

 広いラウンジは、大きな1枚ガラスから差し込む陽の光で、開放的で明るい。
ゆったりと寛(くつろ)げるイスやテーブルが置いてある、学生たちの
憩(いこ)いのスペース(空間)であった。

 岡昇と南野美菜は、学生会館の西棟(にしとう)2階の、エントランス(玄関)に
つながる西棟の外の広い階段を上(あ)がる。岡は173センチ、美菜は170センチ、
そんな身長のお似合いのカップルである。

 ふたりが、2階のラウンジに入ると、MFCのメンバーたちは、昼食を取ったりしていた。

 11月の『学祭・ライブ・2014』に向けての練習に、みんなは集まっていた。

 岡と美菜は、MFCの幹事長の矢野拓海(やのたくみ)と、副幹事長の谷村将也がいる
テーブルのイスに座った。岡は、MFCの会計である。

 矢野拓海は、理工学部、3年、21歳。谷村将也は、商学部の3年、21歳。
岡昇は、商学部、2年、19歳。

「よぉ!岡ちゃん!ふたり、いつも一緒で、仲いいじゃん!ところで、美菜ちゃんの、
モリカワ・ミュージックからの、メジャー・デヴューの話は、うまくいっているって?」

 トマトのスライスが入ったモスバーガーを頬張(ほおば)りながら、
谷村将也(しょうや)が、岡昇(のぼる)に、そういった。

「そうなんですよ、将(しょう)さん、拓(たく)さん。まったく、夢みたいな話で、
うまくいきそうなんですよ。美菜ちゃんのヴォーカルを、モリカワの信也さんや
純さんや良さんたち、みなさんが、高く評価してくれているんですよ。
たぶん、順調に、美菜ちゃんは、メジャー・デヴューできそうです!」と、岡。

「スゴイじゃん!あはは」と、将也。

「このMFCからは、クラッシュ・ビートやグレイス・ガールズでしょう、
メジャー・デヴューが続出なんだから、すごいことだよね。
このMFCも、世間じゃ、かなり有名になっているよ。ははは」と、拓海。

 4人は、互(たが)いに目を合わせて、声を出してわらった。

 そんな4人の会話は、たちまち、周囲のメンバーにも伝わった。
みんなは、美菜のメジャー・デヴューの話題で盛りあがった

 美菜は、商学部、4年、シンガー・ソング・ライターになることが夢だった。
22歳の美菜は、2歳近く年下の岡とは、音楽や価値観なども、よく合う。

 そんな美菜の姉の、美穂(みほ)は、谷村将也と交際している。

 23歳の美穂は、会社勤めの社会人、谷村将也は、21歳の学生。

 1年ほど前に、岡昇が、美穂と将也とを引き合わせたのだった。
そうした経緯で、美穂と将也は仲良くなれたのだから、将也は岡に感謝している。

「それはそうと、ちょっと心配があるんだけど。美菜ちゃんが一緒にやる、
ドント・マインド(don`t mind)っていう、ロックバンドは、ちょっと前に、
モリカワ・ミュージックのメジャー・デヴューのオーディション(審査)に
落ちたんだよね。そのドン・マイのヴォーカルの水谷・・・・、
水谷友巳(みずたにともみ)っていったっけ、彼だけが、新たに結成した、
スタジオ・ミュージシャン出身のメンバーの、ドルチェというバンドで、
デヴューすることになったんだよね。おれが心配なのは、
その、オーディション(審査)に落ちたバンドのメンバーたちの、
ドン・マイで、美菜ちゃんが、これから一緒にやるのってが、
大丈夫なのかなっていうことなんだけど?」

 矢野拓海が、美菜に、ちょっと心配そうな顔をして、そういった。

「拓(たく)ちゃん、ご心配、ありがとうございます。でもその点は、
大丈夫なんです。ドン・マイのみなさん、実力は、プロ級なんでよ。
誰に聴かせても、恥(は)ずかしくないものだったわ。
リズムも正確だし、技術的にもフィーリングも、すばらしかったんです。
それに、なによりも、音楽の好みとか、気が合う人たちだったから、
わたしには、ロックバンドとして最高のメンバーって感じだったんですよ!」

 美菜は、最高に幸せ!といった笑顔で、拓海にそう語った。

「はっはは。それはよかった。美菜ちゃん、きょうは格別に輝いて、
見えるよ。あっはっは!そうだよね、音楽をやるには、まずは、
気が合うことが、1番だものね!
そのほかの細(こま)かいことは、まさに、ドン・マイだね。あっははは」

 そういって、矢野拓海はわらった。

「拓(たく)さん、将(しょう)さん。実は、おれは、美菜ちゃんが、
なんでそこまで、ジャニス・ジョップリンが好きだったり、尊敬しているのか、
正直なところ、最初はわからなかったんですよ。若い子は、普通、AKB48とかに
夢中じゃないですか!?まあ、あるとき、『大人のロック』という雑誌で、
『史上最強のボーカリストは誰だ?』という特集だったので、読んだんですよ。
日本のロック・ファンによるアンケートの実施の結果なんですけど、
総合1位が、ミック・ジャガーで、2位が、ジャニス・ジョップリンだったんですよ。
それで、ヘエー!って、ジャニスを尊敬する美菜ちゃんのことが、
やっと理解できたんです。今じゃ、美菜ちゃんを尊敬しています!」

 そういう岡昇は、美菜と目を合わすと、わらいながら頭をかいた。

「岡ちゃん、美菜ちゃんはお似合いのカップルだよ。ごちそうさま!あっはっは」

 そういって、拓海がわらった。

 いつのまには、4人の周(まわ)りには、グレイスガールズの
清原美樹、大沢詩織、菊山香織、水島麻衣、平沢奈美の5人も
詰め寄っていた。小川真央、野口翼、上田優斗、森隼人、山沢美紗、
山下尚美、森田麻由美もいた。

「美菜ちゃん、おめでとう!よかったわね!」といって、清原美樹は微笑む。

「美菜ちゃんの歌う、ジャニス・ジョップリンの『ムーヴ・オーヴァー(Move Over)』
なんか、いつ聴いても、感動するもの!美菜ちゃん、おめでとう!」

 大沢詩織もそういって、自分のことのように、歓(よろこ)ぶ。

「みなさん、ありがとうございます!ジャニスの『ムーヴ・オーヴァー』って、
ジャニス自身が作詞作曲した名曲なんですよね。
わたしは、ただひたすら、ジャニスのように歌いたいって、思ってきました。
これからは、自分の個性、オリジナルを大切にしたいですけど。
ジャニスは、『自分の心の声に誠実にあろうとしただけ』と言っていたんです。
そんなジャニスって、普通の女の子と変わらないと、わたしは感じるですけど、
ロックの歴史に偉業を残した、数少ない女性のロック・シンガーだったと思うんです。
そんなジャニスには、いつも、いつまでも、わたしは、憧(あこが)れてしまうんです。
わたしも、尊敬するジャニスのような、ステキなロック・シンガーになれたらいいな!
って、いつも思うんです。これからも、がんばりまーす!」

 みんなから、温かな、応援の声と拍手が沸き起こった。

≪つづく≫ --- 52章 おわり ---

53章 竜太郎と真央、恋の行方は?

53章 竜太郎と真央、恋の行方(ゆくえ)は?

 2014年9月6日。午後4時。また夏が戻(もど)ったような天気で、
日中は30度をこえる暑さであった。

 小川真央と新井竜太郎は、渋谷駅ハチ公口の、忠犬ハチ公の前で
待ち合わせをした。ハチ公像のまわりは、待ち合わせの若い人男女で、
にぎやかである。

 ふたりは、渋谷駅から歩いて5分ほどの、渋谷区文化総合センター、
大和田(おわだ)さくらホールへ、バッハのコンサートを聴きに行くところだ。

 演奏曲目は、『ロ短調ミサ曲』で、オーケストラと混声合唱との、巨大建築を
想わすような構造の、バッハの作品の中でも、崇高な楽曲いわれている。

「すみません!竜さん、お待ちになりましたぁ?」
 
 ハチ公改札を出た真央は、肩にかからない長さのボブの髪を
風にそよがせて、竜太郎に駆け寄る。

 ベージュ・ピンクの、薄手の半そでのジャージ・ワンピースが、女性らしい。
 
「おれも、今来たばかりだよ。ちょっと、この近くで、仕事の用事があってね、
待ち合わせしてるからって言って、抜け出してきちゃったよ。あっははは」

 竜太郎は、頭をちょっとかいて、少年のような瞳でわらった。真央もわらった。

 ネイビーのポロシャツ、ブラックデニムで、とても外食産業最大手の
エタナールの副社長とは思えないファッションだ。

 竜太郎の身長は、178センチ。真央は、160センチ。

「きょうは暑かったですよね」と真央。

「暑かったね。雨降って、寒いくらいだったり、急に暑くなったり。
四季の変化が、こんなにはっきりある国も世界じゃ珍しいんだけど、
最近じゃ、大雨や大雪もあったりで、変化が激しいよね。
これも温暖化の影響らしいけどね。しかし、まあ、
ビジネス的には、こんな変化も、ビジネス・チャンスなのかも知れないなぁ」

「やっぱり、竜さんは、副社長さんらしいわ。変化をビジネスにつなげるんですもん」

「あっはは。頭の中が、仕事のことから離れなくって困るんですよ。
真央ちゃん。あっはは」

「竜さんって、音楽の趣味も、レディ・ガガが大好きだったり、
バッハが好きだったりって、趣味の幅が広くって、尊敬しちゃいます!」

「ガガも、無名のころは苦労しいたしね、バッハも、10歳のころに両親を
失っていて、大学に進学する余裕もなかったんだよね。そんな苦境の中で、
貪欲(どんよく)に自分のやりたい道を歩いたんだよね。大きな仕事をしたしね。
恵まれて育った、お坊ちゃん育ちの、おれとは大違いなんですよ。あっはは。
だから、おれは、つい、尊敬というか、感動してしまうんです。
まあ、ガガやバッハからは、インスピレーションというか、ひらめきのような、
やる気や元気をもらえるんですよ。おれも前人未到の仕事をやってやるんだ!
ってね。あっははは」

「竜さんが、いつも元気にがんばってくれると、わたしもうれしいです。
そうなんですか。ガガもバッハも、苦労しているんですね。わたしとも
大違いなので、わたしも尊敬しちゃいます。竜さんのこともスゴク尊敬しちゃいます!」

 そういうと、真央は輝くような美しい笑顔で、竜太郎と目を合わせた。

 ビジネス界では、カリスマと呼ばれることもある竜太郎に、
この一瞬とはいえ、胸がキュンとしている自分に、真央は、
・・・ダメよ、竜さんに恋なんかしたら、わたしには、大好きな
翼(つばさ)くんがいるんだから。竜さんには、わたしなんかよりも、
ステキな相手がたくさんいるはずなんだから・・・と思う。

 真央の彼氏の野口翼(のぐちつばさ)は、1993年4月3日生まれ、
21歳。早瀬田(わせだ)大学、理工学部、3年である。早瀬田大学の
音楽サークル、ミュージック・ファン・クラブ(MFC)で、翼からギターを
教わったりしていて、仲よくなった。

 小川真央は、1992年12月7日生まれ、21歳。早瀬田大学、教育学部、4年生である。
モリカワ・ミュージックに所属して、アルバイト感覚で始めた、タレントの仕事であったが、
竜太郎のエタナールのCMにも最近では出演して、人気上昇中である。

 新井竜太郎は、1982年11月5日生まれ、31歳の独身。IT (情報技術)に精通する、
優れた頭脳とスキル(技能)で、エタナールの副社長である。父親の新井俊平は、
エタナールの社長である。

 真央は、1991年3月4日生まれの兄の蒼希(あおき)が、
竜太郎の直属の IT(情報技術)部門に勤めていたり、
今回、真央がエタナールのCMに出演していることもあって、
このところ、竜太郎と会うことが多い。

「真央ちゃんに、尊敬しているなんて言われて、おれも
嬉(うれ)しいですよ。おれ、男らしくハッキリと言いますけど、
真央ちゃんが好きなんです。でも真央ちゃんには、
ステキな翼さんがいますからね。あっはは。
だから、おれの真央ちゃんへの思いは、片思いなんです。
あっはっはは」

「竜さんには、わたしなんかよりも、もっと、ステキな女性がいるはずですから。
でも、とても、うれしいです」

 真央は、また、胸がキュンとした。目頭が熱くなって、涙がこぼれそうになった。

「真央ちゃんには、いろいろと、おれは感謝しているんですよ。今回の
エタナールのCMも、気持ちよく引き受けてくれました。そうそう、CMは、
大ヒットで、エタナールの売り上げも伸びているんですよ。
新人だけど、人気上昇中の沢口涼太くんと川口美結(みゆ)ちゃん、
そして、真央ちゃんとの3人がイメージ・キャラクターというCMは、
若い女性の間でも人気沸騰(ふっとう)ですし、週刊誌とかでも
頻繁(ひんぱん)に特集が組まれていて、ブームとなっていますよ!」

「わたしも、CMの成功は、とてもうれしいです。竜さん」

 真央は、純真な心、そのままに、竜太郎と目を合わせると、微笑(ほほえ)んだ。

 沢口涼太と川口美結(みゆ)は、竜太郎のエターナルの、芸能事務所の
クリエーションに所属してる。小川真央は、モリカワのモリカワ・ミュージックに
所属している。3人とも、芸能界も注目の新人のタレントである。

 ふたりは、開演の6時30分まで、1時間ほどあるので、
大和田(おわだ)さくらホールまでの途中にある、カフェに入った。

≪つづく≫ --- 53章 おわり ---

54章 歳をとることの楽しみ、きっとある!

54章 歳をとることの楽しみ、きっとある!

 9月15日の月曜日、気温は26度、曇り空である。

 下北沢駅南口から歩いて3分の、ライブ・レストラン・ビートでは、
敬老の日に因(ちな)んで、13日、14日、15日の3日間、
チケット(ミュージック・チャージ)が無料という、
65歳以上の観覧者を対象とする、キャンペーンを実施している。

 店の、1階フロア、2階フロアの、280席は、満席(まんせき)である。

 高さ 8メートルの吹き抜けのホールの、2階フロアからは、
寛(くつろ)いで、ステージを見おろせる。

 グループで楽しめる1階のフロア席の後方には、
ひとりでも楽しめるバー・カウンターがある。

 ステージは、間口、約14メートル、奥行き、7メートル、天井高、8メートル、
舞台床高、0.8メートルである。舞台の左側に、グランド・ピアノがあった。

 『敬老・特別・ライブ』の開演時刻、午後1時30分が過ぎる。

「本日は、ライブ・レストラン・ビートに、お越(こ)しいただきまして、
誠(まこと)にありがとうございま~す!
きょうは、この3日間やってまいりました、敬老・特別・ライブの、
最終日ということで、モリカワ・ミュージックのミュージシャンの、
総力を挙げたライブを、みなさまに楽しんでいただけたらと思います!」

 店長で MC(進行)の 佐野幸夫が、ステージの左袖(そで)に立って、挨拶を始める。

「まあ、歳をとるなんて、当たり前すぎることですよね。誰だって、
一日一日、一刻一刻、歳とっているわけですからね。
そんな国民の休日なんですから、みんなで歳とる、お祝いするのも
いいものですよね。まあ、イヤんなっちゃう!なんて言っても、しょうがないんですから。
楽しんで、歳とっていきたいものですよね。あっははは」

 会場からも、わらい声がもれる。

「あっ、そうそう、わたしも、あしたの16日が誕生日で、またひとつ、
歳とっちゃうんですよ!えっ、どなたか、いま、ウソだろっておっしゃいましたか?
本当なんです!わたくし、1982年9月16日生まれ、あしたで、32歳で~す!
敬老の日の次の日が、誕生日なんていうのは、なんと言いましょうか、
だから、性格もおめでたいんでしょうかね!?あっはは。
それでは、特別・ライブ、お楽しみください!
華(はな)やかなオープニングは、いまをときめく、白石愛美(しらいしまなみ)!
そして、沢秀人(さわひでと)とニュー・ドリーム・オーケストラのみなさんです!」

 白石愛美は、21歳の人気上昇中のポップス・シンガーで、
モリカワ・ミュージックの課長の森川良(30歳)と交際していた。

 ニュー・ドリーム・オーケストラの指揮(しき)をとる、41歳の沢秀人は、
2012年には、テレビドラマの音楽の制作で、レコード大賞の作品賞を
受賞するなどの活躍をしている。

 沢は、1013年の春までは、このライブ・レストラン・ビートの
オーナー(経営者)でもあった。

「詩織ちゃんと美樹ちゃんのコラボ(共作)で、きょうの敬老の日に
相応(ふさわ)しい歌を作ったんでしょう。楽しみだな!」

 生ビールをおいしそうに飲んで上機嫌(じょうきげん)の川口信也は、
テーブルの向かいに座っているグレイス・ガールズのメンバー全員の中ほどの、
真向いにいる大沢詩織と清原美樹に話しかけた。

「うん。しん(信)ちゃんも、びっくりの名曲の完成よ。きょう、初公開させていただきます!」

 清原美樹が信也にそういうと、「それは、楽しみですね!」と信也の隣の、
クラッシュ・ビートのベースギター担当の、高田翔太(しょうた)がいって、微笑んだ。

「ありがとうございます、翔太さん。翔太さん、そのお髭(ひげ)、お似合いですね」

 大沢詩織がそういって微笑む。

「ありがとう、詩織ちゃん、髭って、手入れが大変だけど、詩織ちゃんに褒められたら、
ちょっと、このまま、髭残しておこうかな。あっはっは」

 声を出してわらうと、高田翔太は、うっすらとはやしている髭を、ちょっとさわった。

 川口信也のいるテーブルにはクラッシュ・ビートのメンバーが勢ぞろいである。

 1階フロアのステージ側ではなく、奥のバー・カウンター寄りのテーブルに、
モリカワ・ミュージックのミュージシャンたちや、雑誌記者たちは、席をとっている。

 3時を過ぎたころ、拍手に包まれて、グレイス・ガールズのライブが始まった。
最初に、この日のために作ったばかりの、
『歳をとることの楽しみ、きっとある!』を披露した。
曲は、フュージョンっぽい、軽快な8ビートのバラードに仕上がっていた。

 歳をとることの楽しみ、きっとある!  作詞 清原 美樹
                         作曲 大沢 詩織

秋の夕暮 稲穂(いなほ)の垂(た)れる 田んぼの畦道(あぜみち)
いつもの 日課の 愛犬との 散歩道(さんぽみち)
美しい景色の中で 思ったの 年取ることの意味

きっと 誰もが 心のどこかで 思っていること
人生は 短く 儚(はかな)く 永(なが)くないこと・・・
だから きっと 「恋愛は 人生の花」と 坂口安吾は言ったのね・・・

歳をとること そして いつかは どこかへ旅立っていくこと
それは 人生にとって 悲しいことでしか ないのだろうか?
誰にとっても 若いこと 美しいことは 大好きなことだけど

Ah Ah ・・・わたしの 信じられるもの わたしの変わらないもの
Ah Ah ・・・それって わたしの愛と 呼ぶべき ものかもしない
Ah Ah ・・・それって わたしの心 そのもの なのかもしれないわ

仏教は この世界を 諸行無常(しょぎょうむじょう)と言っていて
それは 世の中の あらゆるものが 変化して とどまらないということ
でも わたしは 変わらない 何かがあることを いつも信じたいわ

仏教は この世界は 輪廻転生(りんねてんしょう)とも 言っていて
それは あの世に 還(かえ)った魂が この世に 何度も生まれ変わること
Ah Ah ・・・ 何を 信じたらいいのかしら? でも何かを 信じていたいわ!

わたしたちは どこから来たのかも わからないまま 生まれてきて
どこへいくのかも わからないまま 生きてゆくしかないのかしら
謎解きのような人生! でも 何かを信じて 生きてゆきたいよね!

Ah Ah ・・・わたしの 信じられるもの わたしの変わらないもの
Ah Ah ・・・それって わたしの愛と 呼ぶべき ものかもしない
Ah Ah ・・・それって わたしの心 そのもの なのかもしれないわ

ケンタッキー大学の ケビン・ネルソン教授が テレビで言ってたわ
「なぜか?という 問いへの答えは それぞれの人の 信念に
委(ゆだ)ねるしかないのです」ですって すごい名言だと思う!

わたしも 自分の信じることしか 信じられませんから!
でも いくらも 考えても 私にわかることは 知れている
でも ケビン教授のいうとおり 信念が大切だと思うの!

信じられることは たぶん 自分で見つけるしかないけれど
それは きっと 宝探しのような 人生の楽しみなのよ!
そうよ いつも 悲しみも 乗りこえて 人生は 楽しみましょう!

Ah Ah ・・・わたしの 信じられるもの わたしの変わらないもの
Ah Ah ・・・それって わたしの愛と 呼ぶべき ものかもしない!
Ah Ah ・・・それって わたしの心 そのもの なのかもしれない!

≪つづく≫ --- 54章 おわり ---

55章 マイ・シンプル・ラバー

55章 マイ・シンプル・ラバー

 9月21日の日曜日。空はよく晴れていて、気温は24度ほど。

 渋谷のイエスタデイでは、午後1時30分から、水谷友巳(ともみ)たちのドルチェと、
南野美菜がメイン・ヴォーカルのドン・マイのライヴが始まっている。

「みなさま、きょうは、ドルチェとドン・マイの夢のコラボです!
もう、みなさんもご存じのように、ドルチェとドン・マイは、
メジャーデヴューも決まっています。近日中には、アルバム制作に入ります。
まぁ、きょうはその祝賀パーティです。きょう、お集まりのお客さまも、
ドルチェとドン・マイの、ご家族や、親しいお友だちばかりですので、
みなさま、ぜひとも、楽しいひとときをお過ごしください!」

 26歳の店長、水木守(みずきまもる)の挨拶が終わるとを、
会場から大きな拍手が沸いた。水木守は身長177センチ、
肩幅はあったが、ほっそりとしていて、優しい顔立ちと物腰で、
みんなから慕われている。

 ホールのキャパシティは100席あるが、満席であった。

 イエスタデイは、株式会社モリカワが、2012年の9月にオープンした、
ライヴとダイニング(食事)のクラブスタイルの店で、渋谷駅・ハチ公口から、
スクランブル交差点を渡って約3分、タワービルの2階にある。

「しかし、なんというのか、南野美菜ちゃんと、ドン・マイとは、
息もぴったしで、昔からやっているバンドみたいだよね。
おれも、びっくりしてんだよ」

 ドン・マイのリーダーの草口翔に、そう語る、ドン・マイの
元ヴォーカルの水谷友巳である。

「友ちゃん、おれたちも、びっくりなんだよ。美菜ちゃんの歌唱力が
圧倒的なもんだから、彼女につられて、おれたちも実力以上の
プレイができているっていうのが正直のところさ!あっはは」

 草口はわらった。

「翔さん、そんなことないですよ。わたしなんか、まだまだ、
未熟な歌い手ですから。でも、褒(ほ)めていただいて、うれしいです!」

 ステージに近いテーブルに座る、ドン・マイとドルチェのメンバーの中で、
華やいだ姿の南野美菜は、そういった。

 南野美菜は、同じテーブルの、水谷友巳の高校生の彼女、
木村結愛(ゆあい)や、ドルチェのキーボード担当の22歳、
モデルのような美貌の吉行あおいと、音楽やファッションや
スイーツの話とかで、すっかり、仲良くなっている。

「おれも、美菜ちゃんに負けないように、やってゆきますよ。でもよかった、
ドン・マイに、こんなに素晴らしい歌姫が見つかって!
ドン・マイとドルチェ、おたがいに、切磋琢磨してゆきましょう!」

 そういって、水谷友巳は、心の底から、無邪気に歓んだ。

 ステージから、ちょっと離れたテーブルに、川口信也たちもいる。

「岡ちゃん、あの詞は、岡ちゃんのことを書いてるのかな。
よっぽど、美菜ちゃんは、岡ちゃんのこと、好きなんだな。
岡ちゃんは幸せだ。あっはは」

 そういって、わらいながら、岡の肩を軽く叩(たた)いたのは、川口信也だった。

「しんちゃん、あれは、フィクションですよ。虚構の世界です」といって、岡昇が頭をかく。

「なるほど。どこまでが、フィクションで、どっこからが、現実なのかって、
よくわからないのが、この世界だからね。はははは」

 生ビールで、ほろ酔い気分の信也は、そういうと声を出してわらった。

「それにしても、南野美菜ちゃんは歌はうまいし、いい曲作るし、
音楽界でやっていけるよ、きっと。きょうだって、水谷友巳くんも、
南野美菜ちゃんも注目されてるから、テレビと雑誌の取材の
スタッフさんも来てるしね!」

 そういって、岡や信也に微笑むのは、テーブルの向かいの、
モリカワ・ミュージックの森川良であった。

「ぼくも、美菜さんの歌唱力は、日本でも世界でも屈指なものだと
感心しているんですよ」

 そういったのは、清原美樹と交際している、松下陽斗(はると)だった。

 きょう、このイエスタデイには、早瀬田大学のミュージック・ファン・クラブ(MFC)の
部員たちも、清原美樹の親友の小川真央や、
クラッシュ・ビートやグレイス・ガールズのメンバーも揃っていた。

「ひとって、恋をすれば、大抵は、詩を書きたくなるんだわ」

 信也の隣の席に座る大沢詩織が、微笑みながら、そういう。

「そうそう、恋すると、詩人になっちゃうわよね」

 詩織の隣の、清原美樹がいう。

「わたし、恋の詩書こうとして、書けなかったわ。
でも、恋しているあいだは、心の中は、詩人でいられるわよね。うっふふ」

 そういって、いたずらっぽく微笑んで、美樹と目を合わせる、小川真央である。

「わたしも、恋しても、詩は書かないわ。書けないし」

 そういったのは、詩織と美樹と真央の向かいに座る、
川口信也の妹の美結(みゆ)だった。

「美結ちゃんには、おれが詩を今度書いて、プレゼントしてあげようかな!」

 生ビールに酔いながら、そういったのは、美結(みゆ)の隣に座る、
美結の彼氏のタレントで、人気上昇中の沢口涼太だった。

「やったわ!だから、涼(りょう)ちゃんは、大好きなの!」と美結は歓ぶ。

 「あっはっはは」と、みんなは、声を出して、わらった。

 和(なご)んだ雰囲気の中、ドン・マイのメンバーは、ステージに立った。 

 リーダーで、ベースギターの、草口翔。ドラムスの、山村正志。
リードギターの下田元樹。ヴォーカルの南野美菜。
みんな。晴れやかな、明るい表情をしている。

 拍手の中、オープニングを飾ったのは、南野美菜が作詞作曲をした、
あっさりと、明るい、ポップな、8ビートの歌
『マイ・シンプル・ラバー (my simple lover)』だった。

マイ・シンプル・ラバー (my simple lover)

ファッション雑誌 見るよりも 音楽雑誌 見る あなた
あまり かっこう 気にしない マイ・シンプル・ラバー 
カジュアルな かっこう 好きなのさって 笑うけど
本当は そんな 飾らない あなたが 大好きなの

I love you ... I love you ... my simple lover

何にでも いいわ 何かに 夢中になって いてね 
でも いつも わたしのこと 1番に 愛していてね
スニーカー ジーンズ Tシャツ 好きな あなた
そんな トレンドに 流されない あなたが 大好き!

I love you ... I love you ... my simple lover

あなたは いつも 余裕の 笑顔で いてくれて
それは あなたの優しさ カジュアル・スタイルね
シンプルで ゆったりとした 精神や 着こなしは
私を いつも リラックス させて くれているわ 

I love you ... I love you ... my simple lover

いつまでも 変わらない あなたで いてほしい
わたしも 変わらない わたしで いるからね
雨が 降っても 嵐が 来ても 変わらない
永久(とわ)の 恋人感覚で いつも いたいから

I love you ... I love you ... my simple lover

≪つづく≫ --- 55章 おわり ----

56章 芸術の目的は人間を幸せにすることにある

56章 芸術の目的は人間を幸せにすることにある

 9月28日の日曜日。まだまだ、日差しは暑いが、
景色はすっかり秋めいている。

 午前11時ころ。新宿駅・東口の3丁目にある、カフェ・ド・フローラ
(Cafe de Flora)に、川口信也や清原美樹たち、16人ほどが集まっている。

 店の名前の「フローラ」には、ローマ神話の、花と豊穣(ほうじょう)、
春の女神(めがみ)などの意味が含(ふく)まれている。

 カフェ・ド・フローラは、知的な雰囲気の店で人気があり、
料理とカフェとバーと、音楽や本を融合した、
新しい本や音楽に出会える現代的な総合飲食店であった。

 新宿・東口店は、2013年10月のオープン、新宿西口店は、
2013年1月のオープンで、キャパシティーが、150席、170席と、
この新宿では両店ともに広かった。株式会社・モリカワの経営である。

 ゆったり広めの店内には、カウンター席もあるが、
4人がけのテーブルが、数多く並んでいる。

 今回、集まった人たちの席順は、テーブルの壁側には8人、右から、
もうすぐの10月7日で22歳になる早瀬田(わせだ)大学、
理工学部、3年生、ミュージック・ファン・クラブ(MFC)の幹事長の、
矢野拓海(たくみ)。矢野と交際中のグレイス・ガールズの、
ギターリスト、水島麻衣。次に、グレイス・ガールズのドラマー、
菊山香織。その隣が、菊島と交際中の、クラッシュビートのドラマーで、
リーダー、モリカワの課長の森川純。次が、東京・芸術・大学の音楽学部、
ピアノ専攻の4年生で、人気上昇中の松下トリオとしてプロの音楽活動もしている、
松下陽斗(はると)。その隣が、陽斗と交際中の、グレイス・ガールズの
リーダーの清原美樹。その次は、グレイス・ガールズ、ギターリストで、
川口信也と交際中の大沢詩織。1番左は、グレイス・ガールズのべーシスト、
平沢奈美である。

 テーブルのホール側には8人、左から、クラッシュビートのベーシストで、
モリカワの課長の高田翔太、次に翔太と交際中の森田麻由美、
その隣が、クラッシュ・ビートの、ギターリスト、モリカワ本部の課長、
岡林明。その隣は岡林と交際中の山下尚美。次が、早瀬田大学、
商学部、2年生、ミュージック・ファン・クラブの会計を担当、
パーカッションが得意の岡昇。次が、岡と交際中で、レコーディング中で、
メジャーデヴューも近い、南野美菜。その次が、クラッシュビートの
ヴォーカルで、モリカワ本部の課長の川口信也。1番右には、
早瀬田大学、商学部、4年生で、テーブルの向かいの席に座る
平沢奈美と交際中の、ミュージック・ファン・クラブのメンバー、
22歳の上田優斗(うえだゆうと)が着席している。

「しん(信)ちゃんたちって、よく、モリカワさんのお仕事と、
バンドの活動と、そのふたつを両立させてやってゆけますよね」

 岡昇が、香ばしいビーフパティにレタス、トマト、オニオンが挟まった
ハンバーガーを頬張りながら、川口信也にそういった。

「あっはっは。おれも、社会人になる前は、就職をしたら、趣味なんかには、
熱中なんてしてられないと思っていたんだけどね。まあ、そんなことは
なかったってことかな。一般的にも、プライベートが充実すれば、
仕事にも良い影響が出るってことも、いえるんだと思うけど。
純ちゃんは、どう思う?」

 そういって、信也は、テーブルの向かいにいる森川純を見た。

「社会人になって、限度いっぱいまで働いて、家に帰って、疲れきって、
あとはクタクタだっていう生活って、間違っているっていうのが、
おれのオヤジの、モリカワの社長の考え方だからね。
オヤジは、仕事でもプライベートでも、全力投球して、
魅力的な人間に成長して、生きいてゆけ!が口癖ですからね。あっはは」

 森川純は、頭をちょっとかいて、声を出してわらった。

「社長は、坂本龍馬が好きだからね。社会を変革しようっていう意思を、
龍馬から受け継いでるんだよね、きっと。すげえ、社長だと思うよ。
あと、業界的には、CD作っても、なかなか売れてない時代になってきたしね。
バンドだけでやってゆくのには、条件が悪くなってきたのかもね」

 クラッシュビートのギターリストで、モリカワの本部の課長の、
岡林明がそういって、隣の山下尚美(なおみ)に微笑んだ。

 山下尚美は、20歳、早瀬田(わせだ)大学、商学部3年生、
ミュージック・ファン・クラブ(MFC)の部員で、グレイスガールズの
森田麻由美(まゆみ)とは、特に仲がよい。

 その森田麻由美は、クラッシュビートのベーシストで、
モリカワの本部の課長をしている、高田翔太と交際している。

「翔ちゃんは、どう思う?仕事とバンドの両立とかについて。
あっはっは」

 岡林明は、わらいながら、高田翔太に話をふる。

「社長は。おれに、こんなことを言ってくれましたよ。
『会社の仕事とバンドは、両立できるはずだ、会社としても、
社員の収入と余暇を充実させる、この2本柱で、がんばって行く』
ってね。まあ、純ちゃんのお父さんだからって、褒めるわけじゃないけど、
スゴすぎの社長さんだよね。あっはっはは。
それにしても、バンドが継続できるかっていうのは、
仕事とかの環境要因よりも、バンドメンバー同士が気が合うか
合わないかが、重要だよね。ね、美樹ちゃん!」

 翔太が、テーブルの向かいの清原美樹に、人なつっこそうにわらう。

「翔ちゃんの言うとおりですね。バンドは、メンバーの人柄というのか、
個々の個性というのか、気が合うかの相性が、第一なのかしら?
ねえ、詩織ちゃん」

 モッツァレラとトマトソースたっぷりのパスタを、おいしそうに食べる美樹が、
隣の席のグレイスガールズの大沢詩織に、そういって微笑んだ。

 正面のテーブルの向かい側に、揃(そろ)って座っている、美樹と詩織を
川口信也は、ぼんやりと眺めては、微笑んで、カクテルでほろ酔い気分になっている。

 そのカクテルは、ドミニカンココ(Dominican Coco)という。
店のオリジナルで、薫り高い、カリビアンラムにココナッツミルク、
マンゴージュースの入ったトロピカルなカクテルで、特に女性に人気がある。

 美樹や、20歳になったばかりの詩織、グレイスガールズのメンバーも、
オーダーして、ドミニカンココを楽しんでいる。
 
「大天才なら、音楽だけに専念して、人生を送るものいいのだろうけど、
おれも、普通に仕事しながら、プライベートでバンドやってゆく道を、
選んじゃうよね。おれのような少しくらいの才能で、がんばったって、
創造できる音楽は、知れている気がするんだよ。美樹ちゃん、詩織ちゃんは、
どう思うのかな?こんなおれの考えなんだけど」

 そういうと、信也は、ドミニカンココを飲み干すと、店のスタッフを呼んで、
生ビールをオーダーする。

「しんちゃんの言うことは、よくわかるわ。未知な自分の才能に、賭けてみたり、
過信し過ぎるのも、病気な感じよね。場合には狂気のようなことだわ。
でも、しんちゃんは、すごい才能あるわよ。
自惚(うぬぼ)れないなんて、立派だと思うわ、わたし」

 美樹はテーブルの向かいの信也に、優しい眼差しで微笑んだ。

・・・美樹ちゃんは、いつ見ても、かわいいし、きれいだな。おっとっと、
おれには、詩織ちゃんというステキな女性がいるんだ。
美樹ちゃんも、陽斗(はると)くんは、お似合いだぜ。陽斗くんも、いいヤツだし・・・

「しんちゃん、19世紀イギリスの詩人、ウィリアム・モリスが、『芸術の目的は、
人間をより幸せにすることにある』っていってますよね」

 美樹の隣の松下陽斗が、テーブルの向かいの信也にそういった。

「ああ、ウィリアム・モリスね。おれも彼の考えは、共鳴にはするよ。
彼は、生活を芸術化するためには、根本的に社会を変えることが必要と
主張しているんだよね。それで、マルクス主義に傾倒し、
熱烈に信奉したらしいけど。おれは、マルクス主義とかで、世の中がよくなるとは、
どうも信じられないんだよね。マルクス主義を掲げている国って、
言論の自由もなくて、独裁国みたいだしね。他人のことも他国のことも、
悪くは言いたくないけどね。あっはは」

 そういって、信也はわらった。

「でも、しんちゃんの言う通りかもね。権力を握ると、人って、ろくなこと考えないじゃない。
それって、人間性っていうのかな。初心は、世直しとか正義の使者みたいなことを
考えていても、権力を握った途端、オオカミのように、変貌するのが常じゃないかな。
マイケル・ジャクソンのスリラーじゃないけどね。なんと言ったらいいのか、
堕落する自由もあるのが、人間の自由なのかも知れないよね。あっはっは」

 森川純がそういって、わらうと、みんなで大爆笑となった。

「さすが、純ちゃん、こんな楽しくない話で、わらわせてくれて、ありがとう。
マイケル・ジャクソンのスリラーかぁ、やっぱり、マイケルは、いいよね、
最高のレベルのアーティストだったよね」

 信也は、テーブルの向かいの、純と目が合う。

「しんちゃん、ぼくも、人を幸せにする方法というのでしょうか、
世の中を良くしていく方法としては、芸術的なことを実践することが
最も有効な気がしますよ。いわゆる、哲学や宗教では、ダメな気がします。
哲学や宗教では、平和になるどころか、かえって、争いの元になるような気がします」

 そういったのは、岡昇だった。

「そうだよね、岡ちゃん!たぶん、芸術的なことが、人類の幸福な未来のための、
最後の砦って、そんな気がしているんだけどね。おれは」

 信也が、隣の南野美菜に微笑んで、それから美菜の隣にいる岡を見る。

「わたしは、マルクス主義の思想なんて、まるっきし、知らないけれど、どんなに、
人々の平等や労働者の自由を目標に掲げて、説いてみても、そういった論理というか、
言葉だけでは、社会も世の中も良くならないと思います!
ねっ、みんなも、きっと同じことを感じているわよね!」

 信也と目の合った南野美菜は、そういった。

「そうそう、美菜ちゃんと、みんなも、同じこと、感じているわ!」

 大沢詩織がそういうと、「そうそう」といったりしながら、声を出してわらった。

「どんなに美しい言葉を並べても、哀しいけれど、行動や実践が伴わないのが、
人間なんだわ、きっと」

 菊山香織が、そう呟(つぶや)くようにいった。

 「そうなのよね、権力を握った人間は、汚職とか、自分がかわいくて、
自分の利益や優位を第一に考えたくてしょうがないんだもの。
社会体制を変えることよりも、人間性というか、個人の意識とか、価値観を
変えていかなければ、ダメじゃないのかしら?」

 水島麻衣がそういって、隣の矢野拓海を見る。

「麻衣ちゃんの言うとおりだろうね。おれたちが、微力でもいいから、
コツコツと、音楽とかの芸術的なこととかで、人に感動を与えたり、
人とともに楽しんだりしながら、少しずつ、みんなで変わっていくしか
ないんじゃないのかな。よく考えたら、ミュージック・ファン・クラブの
幹事長だって、そんな志があったから、やっていられるんだよ!」

 矢野拓海がそういったら、みんなから拍手と歓声がわきおこった。

「あっはっは、おれ、酔っちゃったみたいで、マジメすぎる話をしちゃったけど、
みんなをシラケさせないで、盛りあがったみたいで、良かったよ。
みんな、ありがとうね!こんな話で、盛り上げてくれて!あっははは」

「さすが、しんちゃん!最高だわ!」と誰か、女の子がいうと、みんなで、大爆笑となった。

≪つづく≫ --- 56章 おわり ---

57章 竜太郎、若い人向け慈善事業を始める

57章 竜太郎、若い人向け慈善事業を始める

 10月4日、土曜日の午後2時。台風18号の接近による曇り空であった。

 新宿駅東口から、徒歩3分、新宿ビル2階にある、サウンド・クラブでは、
スポットライトが当たるステージに、新井竜太郎が立っている。

 サウンド・クラブは、2014年9月に、エタナールがオープンした、
ジャズ、クラシック、ロックやフォークまで、幅広いジャンルの
音楽を楽しめる、180席数の、本格的なライヴハウスである。

「わたくしたち、エタナールの外食事業は、おかげさまで、今年も好調に
売り上げを伸ばしています。みなさまのご支援に深く感謝いたします。
そして、今年新たにスタートさせました、
芸能や音楽、芸術などの文化事業も、順調に推移しています」

 竜太郎は、マスコミの関係者や招待客に、嬉しそうな表情でそう語った。

「新しい音楽や文化などの、新しい芸術の創出のためには、
今ある、壁(かべ)とでもいいましょうか、今進路をさえぎるように、
立ちはだかるあるものを、越(こ)えようとする、
限りない意志や努力が必要なのだと、感じています。
まあ、障害や困難なことを乗り越えて、
何か新しいものが生まれないことには、活性化しませんし、
それは、事業でも何事でも同じことなのだと思います」

 そう話しながら、ホールのみんなを見わたす竜太郎だ。
身長178センチ、32歳、ネイビーのビジネス・スーツもよく似合う。

「今の日本には、携帯電話、インターネットなど、いろいろな物が手に入いる、
便利で豊かな生活の反面、経済的に苦しい家庭の子どもが多くいます。
この経済的格差に苦しめられている、いわゆる相対的貧困の子どもが、
今、増え続けているのが、現実なのです」

 適度にゆっくりとそう語る、竜太郎には、余裕の微笑みがあった。

「こんな現状を変えることはできないものだろうか、そう思って、
考えた結果が、この新しい事業、ユニオン・ロックだったのです。
ユニオン・ロックでは、全国展開を目標にして、日本の新しい時代の
担い手である子どもたちや青少年が、心身ともに健やかに成長できるように、
家庭や学校は、もちろん、その地域や行政ともしっかり連携させていただいて、
子どもと青少年を取り巻く環境を、少しでも健全なものにしてゆくことを、
第1の目的に、全国展開してゆきます!」

 ホールのみんなからは、盛大な拍手と歓声が起こった。

「子どもたち、若者たちに、夢や明るい未来を約束できる社会の実現のためには、
ぜひとも、その若い人たちに、まず、元気になってもらわなければいけません。
そんな願いを込めて、新しい事業、ユニオン・ロックを立ち上げました!
きょうは、そのオープニング・セレモニーです。ごゆっくりと、音楽や料理を
お楽しみください!」

 そういって、笑顔でステージを降りる竜太郎に、拍手は鳴り止まない。

「竜さん、なかなか、いいスピーチでしたよ」

 川口信也は、テーブルに戻ってきた竜太郎に、そう話しかけた。
そのテーブルには、信也の彼女の大沢詩織や清原美樹と
美樹の姉の美咲がいる。美樹の親友で、竜太郎が恋心を寄せている
小川真央もいる。竜太郎の弟、23歳の幸平や、
北沢奏人(かなと)と北沢と交際中の天野陽菜(あまのひな)がいた。

 25歳の北沢奏人は、モリカワの本部で、副統括シェフをしている。
モリカワの全店舗の料理、飲み物、スイーツなどすべてを品質管理し、
新製品の開発や企画を実施したり、その指揮をとっている。

 長めの髪がよく似合う23歳の天野陽菜は、料理の腕もまあまあだけど、
ショッピングのほうが趣味という、モリカワ本社の社員であった。

 北沢奏人は、エタナールのモリカワ買収騒動で、新井幸平に出会って、
それ以来、新井幸平とは親友の付き合いであり、きょうは招待されている。
 
「竜さんの子どもたちや若者への熱意には、感動しますよ!」

 北沢が、隣の幸平の左側に座る竜太郎に、そう話しかけた。

「子どもの貧困とかは、子どもの責任ではないしね。誰かが、
援助とかで、守ってあげないといけないんだろうね」と竜太郎はいう。

「ユニオン・ロックという事業では、インターネットも使って、
音楽や芸能の好きな子どもや若者に、
学べる場所や表現できる場所や、楽器の提供などの、
無償のサポートしてあげながら、時間をかけながら、
できれば、彼らの好きな音楽や芸能の仕事を、一緒にしてゆこうという
システムなんです。できれば、そんな彼らの夢の後押しをしながら、
われわれも、夢を追ってゆこうという、長期的展望のビジネスなんです。
才能のあるアーティストやタレントの育成には、時間がかかりますからね。
まあ、企業としての利益の社会への還元でもありますし、倫理的な義務感から、
始めたことなんですよ。ははは」

 そういって、幸平が北沢奏人を見て、わらった。

「わたしたちも、ユニオン・ロックという慈善事業には、感動しちゃいます!
このグローバルな社会って、会社も個人も競争が激しいから、
経済格差とかは広がるばかりですもんね。そんな中で、
子どもたちや若い人たちには、何も、責任や罪はないのですから、
誰かが守ってあげなければいけないんだと思います!」

 弁護士をしている、25歳の清原美咲は、テーブルの向かいに座る
竜太郎と幸平にそう話した。

「ユニオン・ロックが、全国展開して、うまくいってくれることを、
私たちも願っています」

 清原美樹がそういった。

「ユニオン・ロックの事業で、困っている子どもたちが、
少しでも元気で明るくなってくれたら、わたしも嬉しいわ!」

 大沢詩織もそういった。

「ありがとう、みなさん。おれも、いい歳の、32歳だけど、
いつまでたっても、実は、ワルガキみたいなことばかり
考えているんですよ。そんなダメ男だから、罪滅(ほろ)ぼしにと、
善(よ)いことも、やってみようとしているだけなんですよ。
あっはっは」

 竜太郎が、そういって、声を出してわらう。

「竜さんがワルガキだなんて・・・、そんなことないわよ。
竜さんは、いつもカッコよくって、紳士だと、わたしは思うもん!」

 小川真央がそういった。
 
 竜太郎は、「いやあ、どうも、真央ちゃん。あはは」といって、
ちょっと頭をかいて、わらった。

 「竜さんは、いい人だよ。あっはっは」

 信也がそういってわらう。みんなも、わらった。

≪つづく≫ --- 57章 おわり ---

58章 信也、バーチャルな下北音楽学校の講師をする

58章 信也、バーチャルな下北音楽学校の講師をする
 
 秋も深まる10月の日曜日。
株式会社・モリカワは、外食産業最大手、エターナル(eternal)が
興(おこ)した慈善事業、ユニオン・ロックと、業務提携を実現する。

 先日の10月4日、新宿のサウンド・クラブで行われたユニオン・ロックの
オープニング・セレモニーに招(まね)かれたモリカワの社長、
森川誠は、エターナルの副社長、新井竜太郎に語った。

「竜さん、この事業は、すばらしいと思いますよ。わたしも、
日本の未来を担(にな)う、子どもたちの環境を良くしてゆく、
何か良い方法はないものかと、いつも考えているんです。
竜さんは、広い視野を持っていらっしゃる。
会社も、健全な社会があってこその会社ですからね。
社会に貢献できてこそ、会社も存在意義があるというものです。
モリカワも、ユニオン・ロックに参加したいくらいですよ。
わっはっはは」

 森川誠は、カウンター バーで、カクテルを飲みながら、
愉快そうにわらった。

「社長さん、お褒めいただいて、ありがとうございます。
ぼくの方こそ、社長のビジネスに対する高い視点や
会社の経営哲学などに影響を受けているんです。
森川社長、この際どうでしょう?ユニオン・ロックを、
ご一緒にやってまいりましょうよ、この慈善事業には、
みんなの力を結集させるしかないって思っているんです!」

 バーテンダーにすすめられたカクテルを楽しむ
竜太郎は、言葉を選びながらそういうと、森川誠に微笑む。

「そうだね。竜さん。ユニオン・ロック、一緒にやってゆきましょう。
これはまるで、坂本龍馬が、日本のためにと実現させた、
薩長同盟みたいな感じですよ。爽快ですね。
利益ばかりを追いかけて、競争し合っている場合じゃない、
わっはっは。竜さん、乾杯しましょう!あっはっは」

「ええ、おっしゃる通りだと思います、森川社長、よろしくお願いします。
みんなの力を結集するユニオン・ロックが成功して、
社会に大いに貢献できますように!森川社長、乾杯!」

 そういって、森川誠と目を合わせると、竜太郎は微笑む。

 ふたりが交わした、ユニオン・ロックの業務提携のニュースは、
瞬 く 間(またたくあいだ)に、サウンド・クラブに集まったみんなに広まって、
新聞や雑誌などのマスコミから世間にも知れ渡る。

 それから数週間後、インターネットのソーシャル・メディア(SNS)の、
ユニオン・ロックで、川口信也たちが講師をする、下北(しもきた)音楽学校の、
中学生以上を対象とする、参加無料の特別公開授業が行われる。

 インターネット上の、バーチャルな下北音楽学校の校長は、
映画音楽、テレビ・ドラマの作曲家として活躍中の、
レコード大賞の作曲賞も受賞者で、ギターリストの沢秀人(さわひでと)である。

 その特別公開授業の会場は、下北沢南口から歩いて4分の、
北沢ホールの3階にある定員72名のミーティングルームであった。

 ミーティングルームは、女子中学生や女子高生、10代から20代の男子たちや、
大学生や社会人の男女と、幅広い層で、満席となった。モリカワの森川誠や
エターナルの新井竜太郎の姿もある。清原美樹たち、グレイス・ガールズや
信也のバンドのクラッシュ・ビートのメンバーも後ろの席に集まっている。

「きょうは、下北音楽学校の記念すべき第1回目の公開授業ということで、
ぼく自身、かなり、緊張しているんですけど。あっはは」

 自らの緊張をときほぐそうとして、信也は、わらって、少し間を開けた。

「きょうは、こんなにおおぜいの中学生、高校生、大学生や社会人の方が
集まってくれるとは思っていませんでした。
ソーシャル・メディアというか、インターネットの威力ってスゴイですよね。
また、きょうの授業は、生中継で、いま、動画で公開しいるわけです。
まあ、ね、楽しく、みんなで、音楽を学んで行こうよ!
そして、楽しく音楽をやっていこうよ!っていうのが、
下北音楽学校の目的なんですから。高い志を持って、楽しくやってゆきましょう!」

 演台(えんだい)に立つ川口信也は、深呼吸して落ち着くと、
最前列に座っている女子高生とかを、余裕の笑みで眺めながら、
ワイヤレスマイクを持って、そんな話をする。

「きょうの、ぼくの話は、世界一の楽器についてのお話です。
世界一の楽器って、なんだと思います?」

「人の声だと思います!」

 信也にそう問われた、最前列の女子高生が、ちょっと高いかわいい声で、
そう答える。その子はどこかオトナびていて、パープル系のポップカラーの
アイメークをしていて、微笑んで、信也を見つめる。

「そうなんです、正解です。きょうの授業のタイトルが、『高い声を出す方法』
なんですから、世界一の楽器って、人の声だってことは、わかりやすいですよね!」

 会場は、わらい声につつまれる。

「歌が上手(じょうず)に歌えないっていうことで、悩んでいる人って、
たくさんいるんですよね。ぼく自身がそうだったんですから」

 信也がそういうと、「ウソだぁ」と前列の女子中学生がいったり、彼女たちの
わらい声で、会場はざわつく。

「流行(はや)っているポップスやロックのほとんどは、みーんな音域が高いですから、
それらを歌いたくても、歌えないというのは、非常に絶望的なくらい、辛いものです。
このことって、歌うことが大好きな、みなさんや、ぼくにとっては、大問題ですよね」

「大問題でーす」と、前列の女子中高生たちが、さわいだ。

「そうなんですよ。歌いたいのに歌えないって、心が沈む、哀しいことなんですよね。
あっはは。わらって、ごまかしていられないくらいに。
まあ、今日(こんにち)のように、ぼくが3オクターブは、出せて、歌えるのも、
自己流ですが、ヴォイス・トレーニングをしてきたからなんです。
しかし、不思議なんですよね。なんで、好きな歌が、音程が高すぎて、
歌えないなんていう状況が、現代人の前に出現してしまっているのかってね。
人間の声帯というか、声を出すメカニズム(仕組み)に、もともと欠陥があるとしか
思えないくらいに、普通の、一般の人には高い声が出しにくいのですからね」

 会場のみんなは、静かに、信也の話に聞き入っている。

「最初にお話ししましたように、人間は声というものは、言葉でもって
意味も伝えられる、世界一の楽器だと思うんです。
言葉も伝えられる最高の楽器だって、おれに教えてくれたのは、
高校のときの音楽の先生だったですけどね。あっはっは。
おれはその話に、無性に、本当になぜか感心したんです。あっはっは」

 会場からも、わらいがおこる。信也のファンでもあるらしい、特に女の子たちのわらい声が、
飾(かざ)りけがないミーティングルームを華(はな)やかにする。

「それで、きょうの授業のタイトルの、『高い声を出す方法』の、ぼくの結論なんです。
誰にでも、ふだん出している地声から、声がひっくり返って、裏声になるという、
換声点(かんせいてん)とか呼ばれている音域の区分があるんですよね。
その声の変わり目を、上手にクリアして歌えるようにするのには、
トレーニングしかないだろうというのが、ぼくの結論なんです。
要するに、歌うための筋肉があると言われているのですが、それを鍛えていくしかないと。
筋力トレーニングを、日々続けられるかどうかが、3オクターブの音域を
獲得できるかどうかの分かれ道なんだと思うんです。
最初はうまく行かないにしても、歌が好きならば、
楽しんでやって行けることだと思うんです。そんな努力をしなくても、
最初から、3オクターブを歌える身体(からだ)に、自然界はなんで
してくれなかったのかな!?と、今でもぼくは思いますよ、まったく。
しかし、人間がサルから枝分かれした、パンツをはいたサルのようなものだとすれば、
進化の途中なのだから、高度な芸術的な楽しみが、そう簡単に手に入らないのも、
仕方ないのかな!?とか思ったりもしますけどね。あっはは」

 信也がわらって、頭をかくと、会場は、また、明るいわらい声につつまれる。

「しかし、まあ、ぼくの自由勝手な仮説といってしまえば、それまでですが、
歌や音楽とかの、芸術的なことが、ぼくたちが、
このかけがえのない美しい地球で、平和に仲良く暮らしてゆくための、
差後の切り札かも知れないと思うのが、ぼくの実感なんです。
さて、3オクターブの歌声を手に入れたいと思う人のためには、
ぼくも、下北(しもきた)音楽学校も、できるかぎりのことをして、
サポートしてまいります。
われわれが興(おこ)したユニオン・ロックという慈善事業は、
音楽や芸能を愛する人たちの力になってゆきたい、
そんなことが目的の事業なんです」

 そういうと、会場から、拍手と熱い歓声がわきおこる。

「歌うコツや理論は、インターネットで調べても、
けっこう詳しくわかりますが、高い声で歌うための、基本は、
肩の力を抜いたり、のどや舌も緊張させないようにして、
全身をリラックスさせることがあったりします。
または、腹式呼吸をするように心がけて、お腹に意識を持っていって、
のどの緊張をほぐすこととかもあります。
さらには、響きのよい声、高い声を出すためには、
鼻腔(びくう)や口腔(こうくう)などの、共鳴腔をフル活用するなどがあるわけです。
これは、ギターやバイオリンの音が胴体の部分で拡大されるのと同じ原理です。
まあ、声を出すメカニズムが、しっかりできるようになるってことは、
クルマやオートバイの運転に似ていて、いかにスムーズに、
ぎこちなくないように、ギア・チェンジがしっかりできるかってことだと思います。
ですから、簡単ではありませんが、楽しみながらやってゆく、
そんな価値のあることだと感じています。
歌の練習なら、クルマやバイクのように、運転ミスで、事故って、
ケガするとか、命を落とす、そんな心配も無用なんですから、みなさん、
ヴォイス・トレーニングは、気軽に楽しみながら、がんばりましょう!」

 会場からは、大きな拍手と、女子学生たちの明るい歓声がわいた。

≪つづく≫ --- 58章 おわり ---

59章 音楽をする理由について、清原美樹は語る

59章 音楽をする理由について、清原美樹は語る

 10月26日、晴れわたった暖かな日曜日の正午(しょうご)。

 さわやかな秋の風が、囁(ささや)きかけるように肌に触れて、
下北沢の街を流れる。

下北沢は、新宿や渋谷からすぐそばで、楽器やギターバッグ(ギグバッグ)とかを、
肩にかけた若者が多く集まる音楽の街として、東京都でも有名だ。

 清原美樹と松下陽斗(はると)は、南口商店街の入り口にある、
総席数151席の、マクドナルドヘ向かって歩いている。

 美樹は、ふんわりとした肌ざわりのピンクベージュのカシミアのワンピース。
陽斗は、サックスブルーのショールカーディガン、オリーブのカラーのチノパンツ。

 商店街の入口の左にマクドナルド、右には、みずほ銀行がある。
その銀行側の横で、若い男性の二人組が、アコースティックギターで、
ヒット曲のコピーを歌って、ストリート・ライヴをしている。

 この商店街には、現在、400メートルほどのあいだに、
ライヴ演奏ができる店が、11軒もあった。

「はる(陽)くん、下北って、なんでこんなに、音楽好きな若者が
集まったり、ライヴハウスがたくさんあったりするんだろうね!?」

 美樹はそういって、陽斗に、無心な少女のように微笑んだ。
美樹は身長158センチ、陽斗は175センチ。

「そうだよね、なぜなのかなぁ、美樹ちゃん。下北には、下北沢音楽祭とか、
毎年あるし、そんな音楽を楽しもうっていう気持ちの人が多いし、
町の人や商店街や学校とか、みんなで協力し合っているよね。
だから、ここへ来れば、ひとりじゃないって心強さとかもあるしね。
こんな下北みたいな町が、ここだけじゃなくて、日本中、世界中に、
いっぱいあってほしいよね!美樹ちゃん!あっはっは」

 陽斗は明るい声でわらった。

「いらっしゃいませ!」

 マックの赤い帽子がよく似合う、女性スタッフが微笑む。

 美樹と陽斗は、同じ、フィレオフィッシュと、ローストコーヒーと、
フライポテトを1つだけ注文する。

「わたし、きょうの下北音楽学校の授業で、何をお話ししていいのか、
ほとんど考えていないのよ、はるくん!どうしよう!?」

 そういって、陽斗を見つめる美樹だったが、余裕の微笑みである。

「あっはっは。美樹ちゃんなら、大丈夫だよ。お金もらってする仕事じゃないんだし。
いつもの美樹ちゃんらしく、何か世間話でもして、終わりにすればいいじゃない」

「そうよね。でも、一応、ノートに話す内容はまとめたんだ。次の土日には、
早瀬田祭(わせだまつり)もあるから、いろいろ忙しくって」

「おれんとこでも、次の土日は、芸術祭だもんね。なんで、大学の学園祭って、
同じ日にやるんだろうね。ちょっとずらしてくれれば、ゆっくり楽しめるのにね」

「そうよね・・・。はるくん、久石譲(じょう)メドレーを編曲したんでしょう!
すごいわ!日曜日の2時が開演よね。わたし絶対に、はるくんのピアノ演奏を
聴きに行くわ!トトロとか、宮崎駿(はやお)大好きだもの!」

「うん、美樹ちゃんが来てくれないと、おれ、たぶん、哀しくって
演奏できないからね、きっと来てね。あっはは」

「まあ、はるくんってば!わたしなんかいなくても、ガンバッちゃうんでしょう!うっふふ」

 美樹は早瀬田大学・教育学部4年生、10月13日に22歳になったばかり。
陽斗は東京芸術大学の音楽学部、ピアノ専攻の4年生、21歳、
来年の2月1日が誕生日である。

 清原美樹が講師を務める、第2回目の下北音楽学校の公開授業は、
午後2時に始まった。

 場所は、下北沢南口から歩いて4分の、北沢ホールの3階の、
定員72名のミーティングルームである。今回も超満員であった。

 美樹が立つ演台の横には、幅2メートルほどの大型ディスプレイがあって、
美樹の話の進行に合わせて、イラストや文字が映し出される。

 このバーチャルな下北音楽学校を開校している、ソーシャルメディア(SNS)の
若者向け慈善事業、ユニオン・ロックの利用者は、わずか3週間で、
その使い勝手の良さから、パソコンとスマートフォンを合わせて、
200万人を超えた。このユーザー数の増加は世間も注目させた。
本日の授業も、インターネットで生中継されている。

「みなさん、きょうも、お忙しい中、2回目の公開授業にお集まりいただいて、
本当にありがとうございます!きょうの授業は、『わたしが音楽をする理由』
というタイトルです!」

 ワイヤレスマイクを軽く握って、清原美樹が、余裕の笑顔で、語り始める。
ミーティングルームには、最前列に女子中高生や男子高校生たちがいる。
そして、10代から20代の男子たち、大学生や社会人の男女で、満席である。

 美樹のバンドのグレイス・ガールズのメンバーや、美樹の親友の小川真央も来ている。
松下陽斗や川口信也たちクラッシュ・ビートのメンバーたちが後ろの席に集まっている。
美樹の姉で、弁護士をしている美咲も、弁護士の岩田圭吾と仲よく来ていた。

「わたし、すごく緊張するかと、きのうの夜から心配だったんです。
すぐに寝つけなかったらどうしようと思ったり。でも、ぐっすりと眠れました!」

 会場からは、明るいわらい声。

「そして、いまは、そんなに緊張してないんです!そんなわたしって、
おかしいですよね、きっと、性格が鈍感なんです」

「そんなことないです!」
「美樹さんは、敏感で、センス、抜群にいいでーす!」

 会場の最前列にいる女子高生や男子高校生たちがそういう。
会場のみんなは声を出してわらう。

「みなさんは、夏目漱石は、『坊(ぼ)っちゃん』や『吾輩は猫である』とかで、
よくご存じだと思います。でも、彼が、なぜ、ノイローゼといいますか、
神経衰弱になったのかは、ご存じないかと思います。
彼は、1893年、帝国大学を卒業して、高等師範学校の英語教師になるんですけど、
日本人が英文学を学ぶことに違和感を覚え始めるんです。
そんな漱石に、1900年5月、文部省から英語研究のためにと、英国留学を命じられるんです。
でも、これは、実は、正しくは英文学の研究ではないようなんです。
わたしも文学の研究とばかり、最近まで思ってましたけど・・・。
さて、漱石は、イギリス人が考えている文学というものと、
自分の頭で考えている文学というものとは、まったく別なものであることに気づくのです。
それである以上、自分は、もう、英文学研究に何の貢献できない、
そういう状態に追い込まれちゃうんですよね。漱石はその結果、ノイローゼになるんです。
いままでは国のために英文学を研究するという目標があったんですけどね。
その目標を見失うし、自分が何のために生きているのかもわからない状態になるんです。
そんなノイローゼ状態の中で。漱石が最も深刻に考えたことは何だと思います?」

 最前列の女子高生に、笑顔で、そう尋(たず)ねる美樹。

「わかんなーいです。美樹先生!」

 そういって女子高生たちは、明るい声でわらった。

「そんなノイローゼ、神経衰弱の時に、漱石が、最も痛切に感じたことは、
人間の自我といいますか、自己といいますか、つまり、意識や行為をつかさどる主体としての、
私(わたくし)の問題だと言われています。
こんな自我意識に悩む体験というものは、人間という存在の認識の問題でもあるわけです。
漱石という作家のすごいところは、そんな悩みや苦労を、まるでおいしいお酒やワインのように、
発酵させてしまうとでもいいますか、それを原動力にして、小説の創造に向けて、
前人未到の大文豪になってしまうという、特別な才能といいますか、
能力があったというとことなんだと、わたしは思っています。
といいましても、わたしって、学校の教科書で『坊ちゃん』を少し読んだくらいで、
本当は漱石の作品って、ほとんど、まったく、読んでいないんです!
好きな音楽ばかりやっている、ダメなわたしなんです!」

「美樹先生、ダメなんかじゃないよ。わたし尊敬してまーす!」

 最前列の女子高生がそういうと、会場は拍手とわらい声に包まれた。

「自我意識を問題にした漱石が、いかにスゴイかということは、1901年から始まる、
20世紀になって、特に第二次大戦のあとに、ヨーロッパで、
実存主義という思想が展開されることでも、わかるかと思います。
実存主義とは、人間の実存について考えることを中心におく、
思想的立場、哲学的立場の、文学や芸術を含む思想運動のことです。
漱石は、1916年に満49歳で亡くなっているんですから、
世界的に見ても、すごい先見性のある作家だったことがわかる気がします。ね、みなさん!」

「うん、うん」と、最前列の女子高生たちが、笑顔で頷(うなず)く。

「きょうの授業のタイトルは『わたしが音楽をする理由』ですので、そのお話しに入るため、
ここからは、漱石はやめにしまして、ニーチェのお話しなんです。
なぜならば、ニーチェも実存主義の哲学者とは言われていますけど、
ニーチェは、まるで、漱石のあとに続く、自我意識を問題にした人でもあったと考えますけど、
ニーチェは、見事に、『自我なんて、実はただの思いこみでしかない』とか、
『すでにある、既成の真理といわれている論理や観念、それらはイデアとも呼ばれますが、
要するに現在ある、すべての既成の価値観などで、世の中を見わたすと、何事においても、
いつまでも自分の人生を肯定できないし、
満たされた人生を送ることができない』と言っているんです。
わたしは、ニーチェのこの考え方に大賛成なんです。人は何で、誰か、人間が作ったのに、
決まっているような思想や宗教によって、争いごとをおこすのでしょうか?
わたしにはまったく理解できないし、不条理なこと、つまり、筋が通らないこと、
道理が立たないことにしか思えません。不条理って、
わたしの好きな作家のカミュによって用いられた実存主義の用語で、
人生の非合理で、無意味な状況を示す言葉なんですよ。なんか、カッコいいと思いませんか?
高校生のみなさん!」

 美樹が、最前列の女子高生と男子高校生たちに話かける。

「カッコいいでーす!」と高校生たちは叫ぶように元気に答える。
会場からは拍手と歓声が沸き起こる。

「ご声援、ありがとうございます。ニーチェの言っていることって、
簡単して言っちゃいますと、こういうことなんだと思います。
『結局、既成の価値観とかの、不条理を背負っている限りは、
自分の人生を謳歌すること、つまり素直に歓ぶことはできない』と
ニーチェは、確信をもって言い切っているんですよね。
ニーチェって、既成の価値観に反抗するあたりは、現代の若者気質のようで、
ロック的といいますか、ロックンロール的ですよね。
わたしなんか、カッコいいなぁって思うんですけど、ニーチェの写真を見ると、
なぜか、がっかりしちゃうんです。ニーチェさん、ごめんなさい!」

 会場からは、また明るいわらい声。

「世の中に絶対的な真理なんてないとか、自我なんて、自分で考えている世界なんて、
ただの思いこみに過ぎないなんて思うということは、すべては無価値であるなんてことにも、
つながりかねないことなんですよね。ですから、よく、人は、
ニーチェのことをニヒリズムの元祖、虚無主義者と、カン違いしているようです。
でも実際は、大違いですよね。そのニヒリズムを乗り越えて、力強く、誇り高く、
プライドを持って生きよう!って言っているわけです。そのツァラトゥストラとかの著作では。
あと、ニーチェは、こんなことも言ってます、『意欲は解放しよう!と言うことは、
意欲は創造であるからだ。わたしはそう教える。そうであるからして、
創造のためのみに、君たちは学ぶべきだ』と・・・。
さて、そろそろ、わたしの未熟なこのお話しの最期になります。
ニーチェは、この世界のありさまを、あらゆる事物の内に宿る『力の意志』のせめぎ合い、
であるととらえています。つまり、すべての存在は、『生きること』の充実を求めて、
より強く、大きく、高く成長しようとしていると言うのです。古い価値観や、
道徳に縛られて生きることは、自分の生そのものを否定することであると言うのです。
人は誰でも自分を信じて、性欲などの欲望も、すべて力の意志なのだから肯定的にとらえて、
ゆったりと悠然と生きていればいいと言うのです。
ニーチェの哲学の重要なキーワードのこの『力への意志』は、生命の根源的な力を信じる
純粋な明るさに満ちていると言われます。力への意志は、生成し終えることはなく、
ゴールはなく、無限大に大きくなろうとすると言うのです。見わたす風景、日々のニュース、
自分の身体(からだ)、何もかもが生きている。それこそが生きていることの本質であって、
そこには力の意志があるというのが、ニーチェの考えだそうです。
そして、力への意志を、身をもって実現することができる人間を『超人』と呼んでいます。
最期に、わたしの胸に響く、ニーチェの言葉を、簡単して、まとめさせていただきます。
『しょせん、人間は自分の視点からしか、物事を見ることはできない。したがって、
誰もが正しいと認めることなんて、ひとつもない。人生を全部受入れよう。そして強く生きよう。
自分の欲望を認めよう。それは自分のありのままを1番大切にすること。
自分が尊いことを認めること。超人とは、前例にとらわれず、変化を受け入れる、
創造的な人間である。ささいなことでも、まわりの人たちが明るくなるほど歓(よろこ)ぼう。
大切なことは、いつも歓びを抱くことであり、自分の人生に満足していれば、
他人への憎しみも薄らぐのだから…』
これらの言葉に触れていると、わたしも元気が出て、音楽をやっていこうという気になるのです。
まとまりがありませんでしたけど、これで私の授業を終わりにしたいと思います。
ニーチェについての出典は、別冊宝島の『マンガと図解でわかるニーチェ』なんです。
『幸せになるための哲学』っていう表紙のキャッチコピーと
かわいらしい女の子のイラストに魅せられて、
コンビニでつい買っちゃいましたけど、とても、いい本でした!
ご清聴、ありがとうございました!」

 そういって、軽く頭を下げる美樹に、会場からの温かい拍手は鳴りやまなかった。

≪つづく≫ --- 59章 おわり ーーー

60章 G ‐ ガールズ、全国放送に出演!

60章 G ‐ ガールズ、全国放送に初出演!

 11月3日。午前11時。秋らしい澄み切った青空の文化の日である。

 JR渋谷駅のハチ公改札を出て30秒ほど歩く、渋谷駅前交番に、
カラフルな秋のファッションを上手に着こなすグレイス・ガールズのメンバー全員と、
ジャケットとストレート・デニムの岡昇が集まっている。

 交番の中にいる警察官や、行き交(か)う人たちは、G ‐ ガールズのことを
知っているらしい。彼女たちを、ちょっと覗(のぞ)くように見たり、
ちょっと立ち止まったりしては、笑顔で何か言葉を交わし合ったりする。

 G ‐ ガールズと岡昇は、この渋谷駅前交番から、歩いて12分くらいの距離にある、
NHKi (エヌ・エイチ・ケイ)放送センターで、午後1時5分から始まる生放送の番組、
『スタジオパークからです!こんにちは!』に出演するところである。

 清原美樹や大沢詩織たち、みんなは、日本で唯一の公共放送のNHKi
(日本放送協力会)の初出演に、すこし興奮している様子でありながら、
いつもの明るい晴れやかな表情である。

 みんなは、歩いて行こうか、バスにしようかと、ちょっと迷うが、
11時48分発の放送センターへの直行バスに乗り込んだ。
直行バスは、渋谷マークシティ前、2番乗り場から、1時間に4、5本出ている。

 バスが放送センター西口に到着して、真っ先に降りたったのは、大沢詩織だった。

「わたし、この放送センターに大好きなんだぁ。渋谷だなぁて、感じがして!」

 大沢詩織が、放送センターの大きな建物を眺めながら、そういう。

「あっはは。おれも、渋谷に遊びに来ると、用事もないのに、このNHKi のまわりを
歩いたりするんですよ。それだけ、この放送センターは、渋谷のシンボル的な名所
なんでしょうかね?」

 G ‐ ガールズの演奏の中で、パーカッションをしている岡昇は、そういって、
詩織を見る。

「それにしてもさぁ。渋谷の街って、どうして、こんなに坂道が多いんだろうね」

 そういったのは、リードギターの水島麻衣だった。

「下北だって、坂道は多いしね。おれ、坂道が多いの、不思議に思って、
ネットで調べたらさぁ、2万年くらい前の大昔には、東京都の23区の
かなりな部分は、海の中だったていう話が書いてあったよ。なんでも、
東京湾の海水面は現在よりも100メートル以上も高かったんだってさ!」

 と、岡昇が、少し得意げに、みんなにそう語る。

「なーるほど、岡先生、それで、坂も多いってわけですね!」

 清原美樹が岡にそういうと、岡は少年のように照れて、頭をかく。
みんなは、声を出してわらった。

 みんなも、気分は高揚して、幸福なハイ・テンションなのである。

 午後1時5分。生放送は開始された。

 NHKi 放送センターのスタジオパークには、子どもたちからオトナまで、
たくさんの人たちが詰めかけている。番組のテーマソングが流れる中を、
みんなの拍手がわく。

「スタジオパークからです!」と、アナウンサーの井藤雅彦がいうと、
そのうしろに詰めかけているみんが、
「こんにちは!」と元気な大きな声で合唱する。

「やあ、今日も元気に、みなさん、ありがとうございます!」

 ラフなジャケットに、ポロシャツ姿の井藤が、周囲のみんなに一礼する。

「そして、きょうの司会は和服姿のきりっとお似合い、女優の竹下圭子さんです!
そして、今日のゲストは、いまや、若い中高生!特に女の子にすごい人気の、
グレイス・ガールズと岡昇のみなさんでございます!」

 両手を揉(も)むようにさすりながら、井藤はそういって、手を差し出す。

  テレビの画面には、G ‐ ガールズのライヴの映像が20秒ほど放送される。

「ようこそおいでくださいましたぁー!まず、みなさん、おひとりずつ、ひとことずつ、
自己紹介をお願いします!」

 「はーい」といって、清原美樹が最初に自己紹介をすると、G ‐ ガールズのみんな、
そして岡昇が最高の笑顔で挨拶をする。挨拶のたびに拍手がわく。

 みんなは、あらためて、テーブルに着席する。

 まるいガラス製のテーブルには、ストローのついたグラスの飲み物。
姿勢もよく、みんなが座るその背後には、色とりどりの花束も飾られてある。

「あらためまして、グレイス・ガールズのみなさんと、岡昇さんです!」

 井藤がそういうと、「よろしくお願いしまーす!」と、みんなの声も揃(そろ)う。

「いま、清原美樹さんが、緊張してますっておっしゃってましたけど、
スタジオパーク、初出演、みなさん!
でも、でも、生(なま)トーク番組というのは、みなさん!?」と司会の井藤はいう。

「なかなか無いですね。生番組で、こうやって、おしゃべりすることは。
ラジオとかですと、あったりするんですけど。
ライヴとかの、ステージとはまた違う、緊張感が・・・」

 リーダーの美樹が、詩織たちと目を合わせながら、笑顔でそういう。

「グレイス・ガールズさんたち、岡昇さんは、大学生ですもので。
緊張するのも、よくわかる気がします。そう言えば、
ちょっと前に、この番組には、E ‐ ガールズのみなさんが、
出演なさってくださったんですよ。
E ‐ ガールズさんは、総勢27名の女性・ダンス・ヴォーカル・ユニットですから、
とても全員はゲストにお呼びできなかったんですけどね。あっはっは」

「あ、それ、録画して見ました!おれ、E ‐ ガールズの大ファンなんです!」

 岡昇がそういうと、美樹や詩織や水島麻衣、
ドラムスの菊山香織、ベース・ギターの平沢奈美たち、
グレイス・ガールズの全員が、E ‐ ガールズの大ファンで、
「あんなふうに、ダンスができるのが羨(うらや)ましいです」とか、口々にいう。

「そういえば、グレイス・ガールズさんたちも、G ‐ ガールズって呼ばれてますよね。
ぼくなんかも、短い呼び方のほうに、ついなっちゃうんですけど。あっはは。
これって、偶然なんでしょうかね?」

「そうですよね。E ‐ ガールズさんたちは、確か2012年にはデヴューなさっていましたから、
わたしたちの、2年くらい先輩って感じなんですよ。
わたしたちのデヴューは、2013年10月でしたから。
でも、マネして、G ‐ ガールズになったわけではないんです。
グレイス・ガールズという正式名は、ちょっと長かったんですよね。
それで、いつしか、G ‐ ガールズって、みなさんに呼ばれるようになっちゃったんです。
みなさん、やっぱり短いのがお好きなようですよね。
そういえば、同じ事務所の先輩の、クラッシュ・ビートなんですけど、
いつのまにか、クラビって、短くして呼ばれているんです」

 美樹が、アナウンサーの井藤にそういって、微笑む。

「G ‐ ガールズさんと同じように、大人気のクラビさんたちも、同じ事務所だったですよね。
そう言えば、G ‐ ガールズさんは、学生さん。岡昇さんも学生さん。
クラビも、みなさん、会社のお勤め。言ってみれば、それは、2つの仕事といいますか、
生業(なりわい)といいますか、2つの職業を持つような、二足のわらじのようなものかと思いますが、
それって、大変ではないのでしょうか?僕なんか、NHKi のアナウンサーだけで、大変なんですよ。
あっはは」

「それについては、大学の先輩でもあるクラビさんたちとも、話し合ったことあるんですよ、
音楽とかの芸能界のお仕事って、個人の才能で成り立つも所もありますよね。
それって、自分の才能に賭けたりするわけで、すごく不安定なんですよね。
突き詰めて言えば、ミュージシャンも芸能人も、人気商売みたいなものだと思いますから、
みんなで、話し合ったときは、安定した定職を持っているのも、
選択肢としては、いいんじゃないかってことに、話は落ち着いたんです。
そんなわけですから、わたしも、たぶん、学校卒業後は、定職に就くつもりです。
わたしって、ギャンブルみたいな、一攫千金を狙(ねら)う生き方とか、
賭け事とか、どうしても好きになれないんです。父や姉が弁護士をしているんですけど、
その仕事のお手伝いもすることがあって、株式投資や賭け事で、破産したとか、
破産寸前で困っているとかいう人たちのことを、たくさん見ているものですから・・・」

 そんなことを語る、美樹であった。

「なるほど、なるほど。リーダーの美樹さんはマジメなんですね。僕も、この頃の世の中、
世界中が、カジノみたいなギャンブル場になっている気はしているんですよ。
それだから、すべて、お金まみれで、効率や利益の追求ばかりに追われて、
個人の考え方といいますか、思考自体も、どこかおかしくなっている気がします。
その結果とでもいいますか、個人の尊厳も軽くなって、収入の格差は広がっているような、
そんな気もしてきます。まあ、僕が考えるほど、単純じゃないわけでしょうけどね。あっはは。
そういえば、ネットで、先日の美樹先生の下北音楽学校の授業、拝聴させていただきました。
夏目漱石も、ニーチェも、僕も好きなほうなんですよ。さっそく僕も、あの宝島の本、
『まんがと図解でわかるニーチェ』を買っちゃいました。確かにニーチェの言うように、
『物の見え方は、その人の欲望で変わる』とか、
『世界には、事実というものはあるにしても、客観という立場自体が存在しないわけで、
それゆえに客観的な真実などというものはなく、
すべてには人それぞれの解釈があるだけ、世界はその解釈でできている』
・・・なんていうニーチェの言葉って、妙に心に沁みますよね、美樹さん」

「はい。わたし、夏目漱石も、ニーチェも、よく知らないんです。ただ、夏目漱石もニーチェの言葉も、
詩のようで詩心があると思います。それって、アフォリズムとでも言うのでしょうか、
簡潔な表現のなかに、人生や社会などの機微をうまく言い表した言葉ですから、
とても詩的な深さもあって、心地よかったり、よく理解できる気がしたりして、わたしは好きなんです。
ニーチェって人は、あらゆる価値観に疑いの目を向けながらも、生きることを肯定的に、
強く、楽しく、明るく、自由に生きようって言っているようで、好きなんです。
お昼の憩いの生放送で、こんなお話ししていて、いいんですかぁ?
でも、ニーチェの考え方って、現代の問題を考える上でも役立つ気がするんです。
『人が人生に意味を求めるのは、楽になりたいからである』とか、『人生のその無意味さの
苦痛に耐えるところから、今を生きるしかない』とか、『超人とは、別に、スーパーマンとか、
英雄のことではなくて、自分で価値を創造して生きることができる人物像の総称なんだ』
ということとか・・・。わたしは、好きなんですよね。いい詩を味わうような感じですよね、井藤さん!」

「あっはは。確かに、そうですよね。美樹さんの言うとおり、ニーチェって、詩人的ですよね!
人を元気にしてくれる言葉は、いいものです。僕も今を生きることに、
よく考えて行動すること、そんなベストを尽くすことにこそ、幸福の基本がある気がしますよ。
さて、いつも前向き、明るく元気な、G ‐ ガールズのみなさんなんですから、
今年の暮れは、E ‐ ガールズのように、NHKi の紅白歌合戦に初登場なんていう、
大きなニュースがあるかも知れませんよね!?」

「ええ!?本当ですか!井藤さん!紅白の出場が決まったら、どうしましょう!みんな!」

 美樹は、そういって、G ‐ ガールズのみんなと岡昇を見る。

「紅白出場って、うれしいし、憧れの夢の舞台ような気もしますけど、
おれって、なまけものだから、
大晦日(おおみそか)は、のんびり過ごしたいとも思ったりもするんですよね。
シニカルになって、斜に構えるわけじゃないんですけどね!
あっはは。すみません、こんなわがままを言って、井藤さん」

 岡昇が遠慮もなくそういうと、みんなも、「うんうん」とかいって頷(うなず)いたり、
「うれしいような、大変なような、複雑な心境ってところかしら」とかいいながら、わらった。

「なるほど、現代の若者気質って、紅白出場だからって、うれしいばかりじゃないって、
わけですね。あっはは。それも、素直で正直で、若者らしくって、いいと思いますよ!
しかし、みなさんには、ぜひ、紅白に出てもらいたいな!僕個人としても。あっはは!」

 アナウンサーの井藤雅彦は頭をかきながら、そういってわらった。

 スタジオの中は、明るい笑いに包まれた。

≪つづく≫ ------

61章 美しさや愛を大切にする生き方

61章 美しさや愛を大切にする生き方

 11月22日、北北西からの冷たい風が吹いているが、
昼間の気温は18度以上と、暖かなよく晴れた土曜日。

 川口信也と新井竜太郎たち、9人は、JR 新宿駅 東口から徒歩で15分、
1.2キロメートルほどの、池林坊(ちりんぼう)に向かって歩いている。

 その9人は、新井竜太郎、川口信也と妹の美結(みゆ)と、
美結の彼氏の沢口涼太(りょうた)、
清原美樹と美樹の親友の小川真央、真央の彼氏の野口翼(つばさ)、
美樹の彼氏の松下陽斗(はると)、信也の彼女の大沢詩織だった。

 池林坊は、裸電球に照らされた、レトロ調の屋台が立ち並ぶ、
独特な雰囲気の店で、その創業36年の店には、それに魅せられて通う、
有名人や文化人たちも多い。信也と竜太郎も、よく行っては歓談する居酒屋である。

 店のオープンは4時30分で、クローズは翌朝5時という店である。

 信也たちは、5時に店内に入って、予約していたテーブルに落ち着いた。

 「美結ちゃん、真央ちゃん、涼太さんの主演の、エタナールのCMは、
毎回、その続きを見るのが楽しみだって人が多くて、大評判なんですよ。
おかげで、エタナールのイメージや知名度のアップがすごいんです。
エタナール全店の売り上げの倍増が続いているんですよ。あっははは」

 竜太郎がそういって、わらう。

「そうなんですかぁ!うれしいわ!」と、川口美結は魅力あふれる満面の笑み。

「それはおれもうれしいです」と、美結の隣の席の沢口涼太が、はにかむようにわらった。

「わたしもエタナールさんのお仕事に出られて、
そのおかげで、最近お仕事が増えているんです!」といって微笑む、小川真央だった。

 エタナールのCMに出演中の3人のうち、沢口涼太と川口美結は、
エタナールの芸能事務所のクリエーションに所属している。
エタナールの副社長の竜太郎が恋心を抱いている小川真央は、
川口信也や清原美樹と同じ事務所のモリカワ・ミュージックに所属している。

「いつも思うんですけど、竜太郎さんと信也さんって、本当に仲がいいんですね!
このお店も、やっぱりお二人でよく来るんですかぁ?」

 グラスに入った生レモンハイをおいしそうに飲みながら、清原美樹がそういった。

「はい、はい。美樹ちゃん、よく聞いてくれました。しん(信)ちゃんは、ミュージシャンという、
芸術家でしょう、おれは実業家ってところで、芸術家にはなれない男だから、
ちょっとその点は悔しいんですけどね!あっはっは。
でも、美樹ちゃん。おれのやっている事業にも、芸術の創造に不可欠な、
ブレイク・スルー思考が大切なんですよ。ブレイク・スルーって、前例のないことや、
誰もやらないことをやるくらいの、常識にとらわれない心や、開拓精神や、
難関や障害を突破する力のことを意味するんでしょうけど、それがおれの事業にも必要なんですよ。
しんちゃんと付き合っているとね、毎日を新しい気分にさせてくれる感じで、
新鮮さや独創性に向かって、ブレイク・スルー思考が実現できて、バリバリと仕事に励めるんですよ。
それで、マンネリズムも防げるんです。行き詰まりの状態も打開できてしまうんですよね。
しんちゃんとは、酒飲んで楽しみながら、いいビジネスもできるという、
いいことばかりなんですよ。欠点といえば、たまに二日酔いもあったりすることです。あっはっはは」

 竜太郎がそういってわらうと、みんなは、声を出してわらった。

「美樹ちゃん、この店は閉店が朝の5時だから、ゆっくりできるしね。秘密の隠れ家かな。あっはは」

 川口信也がそういって、美樹を見つめながら、爽やかにわらった。

・・・いつ見ても、美樹ちゃんは、ほんとにかわいいなぁ、詩織ちゃんも美樹ちゃんに負けないくらい、
かわいいけれど。そういえば、この前、朝方に見た夢に美樹ちゃんが出ていたっけ。
おれと美樹ちゃん、恋人みたいに仲よかったっけ。詩織ちゃんはその夢にはいなかったっけ。
おれの深層心理ってものなのかな?美樹ちゃんも、おれの夢とか見てくれているのかな?
そりゃぁないか、美樹ちゃん、いま隣に座る陽斗くん、一筋って感じだもんなぁ・・・

 そんなことを信也は生ビールを飲みながら思っていると、竜太郎が話しかけてきた。

「高倉健さんが亡くなったね。亡くなってから、健さんって、すごい、いい俳優だったんだなって、
思い直したんだよ」

「竜さん、おれも同じですよ。健さんって、独特の美意識とでもいうのかな、持っているでしょう。
根っからの芸術家とでも言ってもいいのだと思いますけど、
特別な存在感のある、カッコいい男だなぁって、おれはいつも思っていましたけど。
こんなに早く亡くなってしまうと、おれなんかには、重いくらいの喪失感がありますよね。
でも、喪失感と同時に、健さんから教わったこともある気がしています。
おれがいつも考えている、美しいことや愛についてですけどね。健さんのおかげで、
美しいことや愛の大切さを改めて確信できたような気がしているんですよ。
まあ、健さんは、おれから見ても、男の中の男で、日本は大切な人を失ったような気がします」

 信也は、左隣の席の竜太郎と時おり目を合わせながら、そう語る。

「しんちゃんも、健さんに負けないくらいカッコいいんだから、健さんの遺志を継いで、
ここで、俳優として、デビューするのもいいと思うんだけど?」

「あっはっは。またまた、竜さんは人を乗せるのがうまいんだから。
おれなんか、無理ですよ。おれは、生涯、ロックンローラーでいいんです。あっはは」

「しんちゃん、そうですよね。しんちゃんがそう言うと、高倉健の魅力の謎が、
僕にも理解できたような気がしてきます。美意識なんでしょうかね、健さんの魅力って。
健さんなりに、一生懸命に、美しさについて考え抜いて生きたから、
ああして、男らしくって人間らしくって、カッコいいのかも知れませんよね!」

 松下陽斗(はると)が生ビールをおいしそうに飲みながら、信也にそういった。

「はる(陽)くん、わたし、先日にあったクローズアップ現代の健さんの特集を見たのよ。
その中で、健さんはこんなこと言っていたのよ!
『人を想うってことが、いかに美しいかってことでしょう?!
人間が、人間のことを想うという、これ以上に美しいものはないよね!』って。
健さんのあの言葉を聞いてたら、わたし、感動しちゃって、自然と涙があふれ出ちゃったんですもん!」

 牛肉のトマトの煮込みを食べながら、美樹がそういって、微笑む。

「そうですよね。高倉健さんの生き方には、教えられますよね。
確かに、みんなが、美しいものや、美意識とかを、何よりも1番に大切にして生きることができたなら、
世界中で問題の、宗教による戦争も、貧困の生まれる格差社会も無くなるかも知れませんよね!」

 小川真央の彼氏の野口翼(つばさ)が、隣の真央と目を合わせながら、笑顔でそういった。

「翼さん、いいこと言うなぁ。そうなんだよね。宗教で戦争や争いを起こすなんていうのは、
本当の宗教じゃないと、おれは思うよ。人を幸せにすることこそが、本来の宗教のはずだからね。
そんなんだったら、そんな観念や価値観なんか捨ててしまったほうが、幸福になれると思うよ。
そんな固定観念のような、妄想のようなものとは、さっさと、さよならをして、
芸術を愛したり、人を愛したりして、美しいことや愛についてを真剣に考えたほうがいいんだよ。
まあ、それだから、おれは、ビジネスで、人を愛すること、美しいことを愛することとかを、
世の中に広めようって、思っているんだけどね。そこにビジネス・チャンスもあるわけで。あっはっは」

 竜太郎がそういってわらうと、「竜さん、ステキ!」といったりしながら、みんなは拍手をする。

・・・竜さんの志は、確かにスケールが大きくて、すごいよ。大した男だと尊敬するよ。
ただ、女性関係には、少年みたいなところがあるんだよな。
真央ちゃんのことは、諦められないようだし。でも、真央ちゃんには、翼くんがいるから、
彼女を口説き落とせなかったりしているけど。この点は、おれも人のことあまりいえないけど。
やっぱり、竜さんとおれって、どこか似ているんだろうな!
おれも美樹ちゃんのことが、心の中にあるわけだしね。
それにしても、竜さんの女性遍歴には、華麗というか、週刊誌がいつも追いかけるくらい、
華やかなものがあるよな。おれもちょっと、マネできないくらいだしな。
けれど、それも独身の自由って範囲なのだから、別にいいことなんだなしなぁ・・・。
一種の男の憧れを、実践しているようなところがあるよな。うっふふ。
派手に女性と付き合っているのに、竜さんを恨んだりする女性もいなくて、
こうやって、みんなで飲もうと声をかければ、みんなも集まる、そんな人気もあるんだからな。
竜さんって、どこか、不思議な魅力のある男だ。・・・

 心の恋人の小川真央を目の前にして、機嫌のいい竜太郎を見ながら、信也はそんなことを思う。

「そうだよ。竜さんの言うとおりだよ!みんながみんな、美しいものを追いかけて、
愛を大切にして、生きれば、恐いものはないし、何も心配いらないんだよ!」

 信也が、微笑みながら、みんなを見わたして、自信を持ってそういいきる。

「しんちゃんの、そういう確信のあるところ、わたし大好きだわ!」

 信也の右隣の席の大沢詩織が、そういって、信也と目を合わせる。

「じゃあ、ここにいる、みなさんや、世界中のみんなが、これから先の未来に向かって、
美しさや愛することを、大切にしていく生きたをしてゆけることを、願いまして、乾杯といたしましょう!」

 生ビールでほろ酔い気分の信也は、「乾杯!」と竜太郎やみんなとグラスを合わせる。

 みんなも、陽気に「乾杯!」といって、グラスを合わせた。

≪つづく≫ --- 61章 おわり ---

62章 信也の妹の利奈も、東京にやって来る?!

62章 信也の妹の利奈も、東京にやって来る?!

 11月29日。よく晴れわたった、日差しの暖かい土曜日である。

 下北沢の川口信也のマンションには、両親と末っ子の利奈が来ている。

 3人は、約2時間、父のクルマで、山梨から中央高速道路を走らせてきた。

「信也、じゃぁ、利奈をよろしく頼むよ。この信也のマンションから、
大学に通うということならば、おれもママも安心だから。ねえ、ママ!?」

 信也の父、裕也は笑顔でそういった。

「ええ、そうですよね。利奈が、ここで暮らすんだったら、きっと、安心できるわ」

 信也の母、広美もそういう。

「大学受験、がんばりますから、お兄ちゃん、お姉ちゃん、よろしくお願いします!」

 父の裕也と母の広美の真ん中にいる末っ子の利奈は、そういって、
テーブルの向かいに座っている、信也と美結のふたりに微笑んだ。

「利奈ちゃんは、いつも勉強も熱心だから、大学受験なんて、きっと大丈夫よ。
3人で仲良く暮らしましょう!楽しみにしているわ!ねえ、しんちゃん」

 美結はそういって、利奈と両親、そして信也に微笑んだ。

「うん、おれも、利奈と暮らすのを、楽しみにしているよ。美結ちゃんと利奈ちゃんのベッドは、
2段ベッドにするけど、それでいいのかな?」

「うん、しんちゃん、わたし、2段ベッドで大丈夫よ。美結ちゃんと、同じベッドなんて、
幸せよ!うっふふ」

 そういって、利奈は心から嬉しそうに、声を出してわらった。

「わたしも利奈と同じベッドなんて、幸せよ。小さいころはおたがいに、
よくつまらないことでケンカしたけれど、もうオトナ同士なんだから、
仲よくやってゆけるわよ!しんちゃんと3人で楽しく暮らしましょ!」

 美結は、そういいながら、両親の茶碗(ちゃわん)に、
急須(きゅう す)で日本茶を注(そそ)いだ。

「しかし、利奈まで、東京に出ることになるなんて、
お父さん、お母さん、ちょっと寂(さび)しくなるね」と信也がいう。

「あっはっは。それは、しようがないよね。子どもたちの進みたい道まで、
親としては、とやかく言えないわけで」といって、父の裕也は頭をかいた。 

・・・おれのオヤジは、息子のおれから見ても、まったく、いいオヤジだぜ。
おれが、大学を卒業して、山梨に帰った後も、『親の七光りとか、イヤだから、
お父さんの会社には入りたくないんだ』と言った時にも、
『お前がそう思うのなら、それもいいだろう』って言って、
おれは父の経営している会社には、あえて入社しなかったことを、許してくれたしな。
そして、それからすぐ、親友の純が山梨に来たりして、東京で働くことになっても、
わらって、『それなら、自分の思うようにやってみなさい』と言ってくれた、オヤジ。・・・

 信也は、いつも頼もしく男らしい容姿の、父の裕也をそう思いながら、ぼんやりと見る。 

 川口裕也は、韮崎市内で、従業員数、約80名という会社を経営している。
精密加工を主とする会社で、順調に業績を伸ばしていた。
しかし、長男の信也は、社長が父であるその会社に入社することを、
親の七光りとかで見られることをイヤがって、
大学卒業後、山梨に帰ると、実家から近い、別の会社に入社したのである。
そんな信也のわがままにも、『進路は自分で選べばいい』と寛容な父であった。

「信也さん、このマンションはなかなか、いい所だわね。下北沢の駅までも、
8分くらいなんでしょう?」

 広美がそういって、信也と美結に、母親らしく微笑んだ。

「ここは便利なマンションで、ほかへ引っ越す気がしないんですよ。あっはは
下北までは8分くらい、池の上駅(いけのうええき)だと、
歩いて5分ですからね!あっはは」

「ここの家賃が13万円というのは、山梨に比べると、高い気もするけど、
3人で仲よく暮らせば、シェアハウスより、快適で、しかも家賃も安いのかな?」

 父の裕也がそういって、お茶を飲む。みんなは、明るくわらった。

 信也のマンションには、6.5畳の洋間が2つある。
1つは信也の部屋、もう1つは美結の部屋であった。

 2つの洋間の南側には、掃出しの窓がある。
その外はベランダで、洗濯ものも干(ほ)せる。

 いま、家族が楽しく語り合っている、9.5畳のリビングは、
冬は暖かで、夏は涼しい、ウールのカーペットが敷(し)いてある。
テーブルは、寝転がれる床座(とこざ)で、

 ひのきのローリビングテーブル(座卓)であった。
高さ25センチのTVボードの上には、40型のテレビがある。

 システム・キッチンは、リビングの北側の引き戸(ひきど)越(ご)しにあり、
リビングの西側には、洗面所とバスルームが独立してあった。

≪つづく≫ --- 62章おわり ---

63章 第2回 モリカワ・ミュージック 忘年会 (1)

63章 第2回 モリカワ・ミュージック 忘年会 (1)

 12月6日、北風が冷たいけれど、澄んだ青空の土曜日。

 正午から、下北沢駅から歩いて3分の、ライブ・レストラン・ビートでは、
『第2回 モリカワ・ミュージック 忘年会』が盛大に始まっている。

 招待客には、レコード会社やテレビ局、ラジオ局や劇団の人びと、
演出家、脚本家、プロデューサーたちが数多く出席している。

 1階と2階を合わせた、280席は満席であった。

このモリカワ所有のライブハウスは、赤レンガ造りの外装や、
高さ8メートルの吹き抜けのホールなどが、
現代的で洗練されていると、好評だった。

 グループで楽しめる1階のフロアの席、
ステージを見おろせる、二人のための席1階フロアの後方には、
ひとりで楽しめるバー・カウンターがある。

 舗道から10段ほどの階段を上がったエントランス(上がり口)には、
高さ2mはありそうな、クリスマス・ツリーが早くも飾られてあった。

 間口が約14メートルのステージでは、森川誠社長の挨拶が始まっていた。

「みなさま、この1年は、本当にお疲れさまでした。
モリカワも、外食産業と芸能プロダクションのモリカワ・ミュージック、両社の業績は、
今年も順調に推移し、昨年を上回る大躍進を達成できました。
これも、本当にみなさまからの、
日ごろからの多大なご尽力(じんりょく)の賜物(たまもの)であります。
『失敗は成功の母である』とは、よく聞く言葉でしょうけど、
実際と言いますか、現実的には、仕事の現場では、失敗に対して、
厳しいと言いますか、寛大ではないという、世間一般の傾向があるように思うんです。
わたしの母のことをちょとお話しします。
母はひとりで、この下北沢の商店街で、小さな喫茶店していたんです。
おれは、その喫茶店で売っているケーキとかの洋菓子が好きだったんです。
商品のケーキをつまみ食いしては、「誠!また、ケーキ食べたわね!」
と母に、よく怒(おこ)られたもんです。あっははは。
まあ、わたしは、ケーキが大好きで、高校を卒業すると、洋菓子の店に修行に行ったんです。
その3年後には、母の店を継(つ)がせてもらいました。
店は改装して、洋菓子と喫茶の店を始めたんです。
その母は、なぜか、あの幕末を生きた坂本龍馬が大好きでして、
いつのまにいか、わたしも、龍馬のファンになってしまったのです。
龍馬の実家も商人ですから、それで、時代のニーズとでも言いますか、
その時代に必要なことをとらえる眼力が、人の何倍もあったのだろうと考えています。
つまり、龍馬の場合は、よっとくらいの失敗も失敗と思わないで、次の成功へと結びつけるような、
柔軟な発想力や想像力の持ち主だったのだろうと思うのです。
人は、無意識のうちに、面子(めんつ)だとか、名誉だとか、権力欲だとか、固定観念だとか、
まあ、何でもいいのですが、いろんなものにしがみついてしまうものですよね。しかし、
そんな何かのために、本当のものが見えなかったり、
本当の自分の力が出せなかったりすこともよくあることだと思います。
失敗の話から、少々脱線してしまいました。あっはっはは。
まあ、失敗を恐れて、挑戦をしなくなったら、
個人も企業も、成長はそれで止まってしまうと、わたしは信じておるわけです。
厳(きび)しい、この現代のビジネス社会においては、まずは行動力が大切なのだと思います。
ですから、厳しい現実を避けて、失敗を恐がったりするよりも、
坂本龍馬のように、成功の可能性をシュミレーションしながら、
挑戦する姿勢を大切にしてゆきたいと思っています。
失敗は成功の母です!そして、ピンチはチャンスという、
そんなメンタリティ、精神のもち方が大切です!
みなさん、どうか、ごいっしょに、来年も自信を持って、大きく羽ばたいてゆきましょう!
それでは、きょうは、この1年のご苦労やご尽力を心から感謝しながら、思いっきり、楽しみましょう!
それでは、みなさま、グラスをお持ちください。 ・・・それでは、乾杯!!・・・ありがとうございました!」

 森川誠が、ところどころで、会場のみんなをわらわせながら、そんな挨拶と乾杯の音頭をとった。
森川は、8月5日で60歳。目元がやさしく、
白いものが混(ま)じる髭(ひげ)のよく似合う芸術家風な男で、
社内のみんなに慕われている社長である。

 会場は、森川の挨拶と乾杯の音頭による、熱い余韻に、しばらく包まれた。

「社長って、なかなか挨拶の名人だよね。ちょっと胸にジーンと来るもんがあったよ。あっはは」

 そういって、わらいながら、生ビールをゴクリと飲む、川口信也だった。

「森川社長って、ものの考え方がアーティストですよね。しんちゃん」

 信也の右隣にいる水谷友巳(ともみ)がそういって、微笑んだ。

「森川社長には、パッションがあるんだわ。その情熱が芸術家っぽいのよね!」

 信也の左隣の大沢詩織がそういって、色っぽい眼差しで、信也と知巳を見る。

 信也は24歳。詩織と友巳は、同じ1994年生まれの20歳(はたち)である。

 詩織は料理をつまみながら赤ワインを、友巳は生ビール飲んでいる。

「人間、誰もが、夢や希望や憧(あこが)れとかの、何か目標を持ち続けようってことかな?!」

 信也がそういった。

≪つづく≫ --- 63章 (2)へつづく ---

63章 第2回 モリカワ・ミュージック 忘年会 (2)

63章 第2回 モリカワ・ミュージック 忘年会 (2)

 ステージでは、オープニングとして、
沢秀人(さわひでと)の指揮で、総勢30名以上のビッグ・バンド、
ニュー・ドリーム・オーケストラによる、ヨハン・シュトラウス2世が1986年に作曲のワルツ、
『美しく青きドナウ』と『芸術家の生活』が演奏されている。

 沢は、レコード大賞の作品賞の受賞や、テレビドラマの音楽を制作などで、
売れっ子のユニークな音楽家で、事務所はモリカワ・ミュージックに所属している。

 1973年8月生まれ、41歳の沢は、1013年の春までは、このライブハウスの経営者でもあった。

「Jポップもいいけれど、こんなクラシックも、ステキだわ。特に、わたしはこんなワルツは大好きなのよ!身体(からだ)が自然に動いて、踊りたくなっちゃうわ!」

 優美に流れる、3拍子の舞曲に、清原美樹は右隣の席の姉の美咲にそういい微笑(ほほえ)む。

「みんなで、踊っちゃおうかぁ!?」と、ワインにほろ酔いで、いい気分の美咲。

「でも、おれ、ワルツとかって、ぜんぜん踊れないんだ!今度習っておこうかな!あっはっは」

 そういって、美樹の左隣にいる、美樹の彼氏の松下陽斗(はると)はわらった。

「日本は、まだまだ、ダンスカルチャーの後進国かも知れないのよね。ねえ、岩田さん」

 そういって美咲は、左隣の席の、美咲と交際している岩田圭吾(けいご)に微笑む。
美咲と岩田は、美咲の父の清原法律事務所で弁護士をしている。

「日本では、いまだに、60年以上も前の、1948年に作られた風俗営業法をもとに、
ペアダンスとかを、厳しき規制しているのが現状なんですよ。
取り締まっている警察では、規制の理由を、『男女の享楽的雰囲気が過度にわたるとか、
風俗や環境を害するとか、少年の健全な育成に障害を及ぼすおそれがある』とか、
いっているんですけけどね」

 岩田は、落ち着いた声で、優しく目を輝かせて、みんなを見ながら、
ちょっと困ったような顔で、そう語った。

「ヨーロッパやアメリカとか、外国では、ペアダンスは文化なのにね!
外国人からのお客さんたちは、日本でダンスが禁止されていることには、
びっくりするんだって、六本木のクラブのオーナーもおっしゃっていたわ」

 そういって、岩田と目を合わせる美咲。

「ダンスカルチャーを守ろうってことでは、呼びかけ人として、音楽家の坂本龍一さんや、
作詞家の湯川れいこさんとかも、活動しているそうですよね」

 美樹や美咲たちのテーブルの向かいの席にいる川口信也がそういった。

「わたしも、坂本龍一さんたちがやっている、Let’s DANCE署名推進委員会には、
共感しちゃうわ。Let’s DANCEのホームページには、『憲法が保障する、
表現の自由、芸術・文化を守ってください』ってあるけれど、
ダンスを踊る自由って、いまの日本には、無いようなものですものね!」

 美樹はテーブルの向かいの信也と、ちょっとのあいだ、見つめ合った。

「60年前に作られた風俗営業法も、いろんな犯罪の防止のために作られたらしいけどね、
なんていったらいいのだろうね、自由や芸術や文化を守ってゆくためには、
いろいろな悪と戦うことも必要なのかなって、思っちゃうよね。あっはっは」

 持ち前の楽天さで、信也はそういって明るくわらった。

「でも、しんちゃん、なんで、世の中には、悪いことをする人と、正しく生きようとする人と、
戦い合っていかなければ、いけないんでしょうね!これじゃまるで、
勧善懲悪のバトルの、エンドレスのような映画の連続だわよね。
そんなことを考えていると、わたしって、すごく悲しくなっちゃうんだけど」

 信也の左隣の大沢詩織が、信也を見つめながらそういった。

「だいじょうぶよ。詩織ちゃん、あなたには、正義のヒーロー、しんちゃんがいるじゃないの!」

 テーブルの向かいの美咲がそういって、詩織に微笑んだ。

 「そうよ。詩織ちゃん、みんなで、いっしょに、がんばりましょう!」

 美樹がそういいながら、明るくわらった。

 「おれが、正義のヒーローですかあ。まあ、いいや、
まあ、コツコツと無理はしないで、楽しく、みんなで、
力を合わせて、がんばっていかなくっちゃ。あっはははは!」

 信也がそういって、またわらった。みんなも声を出してわらった。

 忘年会の中盤からは、モリカワ・ミュージックのミュージシャンたちのオン・ステージもあった。

 後半は、大抽選大会が行われた。1等の5万円が3本、2等の3万円が4本、
3等の2万円が5本、4等の1万円が7本、5等の5千円が10本というもので、
当選者の発表されるたびに、明るい歓声やわらい声が上がった。

≪つづく≫ --- 63章 おわり ---

64章 信也と美結たちの正月

64章 信也と美結たちの正月

 2015年、1月3日の正月、午前8時ころ。東京の下北沢。

 早朝は、曇り空もあったが、青空が広がっている。

 信也がパソコンを眺めている部屋には、
信也の妹の美結が淹(い)れている、コーヒーの甘い香りが漂ってくる。

「しん(信)ちゃん、コーヒー入れたわよ。
きょうもいいお天気よね。ちょっと寒いけど。うふふ」

 信也の部屋をのぞいて、美結はそういって、微笑む。

「外の最高気温が、10度くらいだろうからね。こんな冬の寒さをよろこぶのは、
動物園の北極グマくらいかな?あっはっは」

 そういって、信也は美結を見て、声を出してわらった。

 信也の部屋の、南のベランダの窓ガラスからは、朝の光が静かに差し込んでいる。

 この頃、信也は、ドイツの哲学者、ニーチェの芸術論が気になっている。

 そのきっかけは、去年の10月に、信也たちのモリカワと竜太郎たちのエタナールの
共同で運営を開始している、バーチャルなインターネット上の下北音楽学校の、
第2回の公開授業で、清原美樹が講師となって、夏目漱石とニーチェについて、
信也にとっても興味深い話をしたからだった。

 信也は、その後、夏目漱石のことやニーチェのことが気になって、いろいろ調べたのだった。

「美樹ちゃんの漱石とニーチェの講演、すごくおもしろかったよ」

「ありがとう、しんちゃん」

 去年のモリカワ・ミュージックの忘年会で、信也と美樹は、そんな会話をした。

「おれさ、ニーチェにあまり関心なかったもんだから、ニーチェについて調べたんだよ、美樹ちゃん。
彼の芸術論って、特にいいよね。ヤフーの知恵袋なんかに、いいこと書いてあってさ。
ニーチェは、力強く生きるためというか、魅力ある人生というか、幸せな人生のためには、
理性よりも芸術のほうに価値があるとか、真理よりも美のほうに価値があるという考え方を、
提唱したらしいんだよね。おれもそれには、共感するし大賛成なんですよ。あっはっは」

「わたしも、音楽をやる意味を、ニーチェにあらためて教わったような気がしているのよ、しんちゃん。」

「ニーチェって人は、それまでのプラトンたちのヨーロッパ哲学や合理主義に、
異議を提唱して、それまでの価値観を転倒して、常識とかも否定して、考え方を根底から、
ひっくりかえしてしまったんだから、すごいよね。ニーチェ以前のヨーロッパ哲学では、
芸術よりも理性に価値があるとか、美よりも真理に価値があるとかだったらしいからね。
そういえば、おれちょっと気がついたんだけどさ、美樹ちゃん。
夏目漱石とニーチェは、ほとんど同じ時代に生きていたのは確かだけど、
夏目漱石は、ニーチェよりも20年くらいあとに生まれて、
ニーチェよりも16年くらい長生きしているんだよね」

「あら、いやだぁ。わたし、すっかり勘違いしていたみたい。
ニーチェって、漱石のあとに生まれた人とばかり思っていたわ。
だって、ニーチェの哲学って、現代人にもすごく役立って、現代的なんですもん!」

 ちょっと恥ずかしそうに、美樹は信也に、そういって微笑む。

「ははは。全然、気にすることなんてないよ。しかし、美樹ちゃんの言うとおりだよね。
確かに、ニーチェの哲学って、現代的だし、いまだに最先端な気がするもんね」

 信也と美樹は、モリカワ・ミュージックの忘年会で、そんな歓談をした。

 夏目漱石とニーチェはほぼ同じ時代に生きていたが、
漱石は1867年生まれの1916年の死去で、
ニーチェは1844年生まれの1900年の死去で、
漱石はニーチェより20歳以上若く、ニーチェよりも長生きしている。

 信也のマンションのリビングの、40型のテレビでは、録画の紅白歌合戦をやっている。
ちょうど、サザンオールスターズの桑田佳祐たちが登場している。

「利奈ちゃん、大学入試のお勉強、がんばっているらしいわ」

 美結は、テーブルで向き合う、信也にそういって、微笑む。

 暖(あたた)かくしてあるウールのカーペットで、ひのきのローリビングテーブル(座卓)では、
寝転がってくつろげる。

 妹のことを想う姉らしい優しさが、最近の美結の表情にはあって、そのオトナの女性らしさが、
美結の美しさを、兄の信也でも心を奪われるくらいにしている。

「1月は、センター試験だもなあ。利奈ちゃんもちょっと大変な時期だよね。
でも、利奈ちゃんなら、だいじょうぶだよ」

「そうよ、利奈ちゃんなら、だいじょうぶよ、しんちゃん」といって、美結も明るく微笑んだ。

 元旦の朝には、信也の彼女の詩織と、美結の彼氏の沢口涼太の4人で、
下北沢駅北口から歩いて6分ほどにある下北沢神社に、初詣(はつもうで)に行った。

 信也は、この正月に、まだ未完成らしいが、1つ、ロック調の歌を作った。

ニーチェさんに捧(ささ)げる歌  作詞作曲 川口信也

あなたは すごい人ですね 自分を信じて
その時代の 価値観を転倒したんでしょう!
あなたの 身になって 想像してみれば
おれなんかには できることじゃありません!

あなたは たぶん 無欲な 心優しい人だったんですね
世間の 無理解や中傷にも 負けないで
信念 感性 考えたこと 感じたこと 曲(ま)げないで
わが道を 歩くことを 全(まっと)うしたのだから

ニーチェさんの キーワード たくさんあるよね
超人 ツァラトゥストラ ルサンチマン ニヒリズム
でも オレの大好きなのは あなたの芸術論!

力強い人生の 幸せのための その高揚のためには
理性よりも 芸術ほうが 価値があるっていったこと
真理よりも 美のほうが 価値があるっていったこと
もっと 歓(よろこ)ぼう 楽しもう 幸せになろう っていってくれたこと

≪つづく≫ --- 64章 おわり ---

65章 クラッシュ・ビートに、美女が参加する!

65章 クラッシュ・ビートに、美女が参加する!

 2015年、1月11日、日曜日、午後の2時。よく晴れた青空で、
南東からの風が吹いているが、最高気温は10度と、肌寒い。

 川口信也たち、クラッシュ・ビートのメンバー4人は、セカンド・アルバムの制作のために、
レコーディング・スタジオ・レオのコントロール・ルームに集まっている。

 スタジオは、下北沢駅南口の、南口商店街を歩いて3分くらいの、島津ビルの 7階にある。

 ビルは、1962年に創業(そうぎょう)の、屈指(くっし)の島津楽器店の本店で、地下は駐車場、
1階から6階までのフロアは、楽器、楽譜、音楽・映像ソフト(CD・DVD)が揃(そろ)っている。

 モリカワ・ミュージックは、同じ下北沢のにある、土日もオープンしている、
スタジオ・レオを常時利用していた。

 今回のクラッシュ・ビートのレコーディングには、女性のキーボード奏者が参加していた。

 その女性は、美形の才女としてテレビやラジオの出演も多く、
ポップスやクラシック好きの人びと以外にも広く知られている、
キーボーディストであり、ピアニストの、落合裕子である。

 川口信也が作ったばかりの、最新の『 FOR SONG 』という歌は、信也が敬愛する、
アルゼンチンの作曲家で、バンドネオン奏者の、アストル・ピアソラの作くる『リベルタンゴ』に、
深く影響を受け、そのインスピレーションから生まれた作品であった。

 そんな信也の思いもあって、ピアソラのリベルタンゴで演奏されているバンドネオンに似た音色を、
落合裕子のキーボードにお願いしようということになったのである。

 信也と裕子は、昨年の暮れに、音楽雑誌が主催のパーティーで知り合ったのであった。

 お互いに、タンゴに革命を起こしたといわれる、アストル・ピアソラを敬愛していたということで、
そのパーティーの店のカウンターで、偶然となりあわせとなったのだった。カクテルを楽しみながら、
信也と裕子は、タンゴやピアソラの話題で、いつのまにか、すっかり意気投合したのであった。

「しんちゃん、この『 FOR SONG 』は、タンゴみたいに、あのリベルタンゴみたいに、
情熱的で、なかなかの名曲だよ。あっはっは。1小節、4つ打ちのリズムだけど、
メロディの合間を縫って、16分音符が入って来るんだもんなぁ。
結局、これは16ビートのロックンロールなんだよな。あっはは」

 クラッシュ・ビートのドラマーの森川純が、ソファーでくつろぎながら、そういった。

「純ちゃん、それがまた、いいんじゃない。純ちゃんのドラムの腕の見せ所じゃない!
あっはは。純ちゃんのドラムのいつも正確なリズムがあるから、
おれたち、いつも安心して、カッコよく、音楽やっていられるんだから。あっはは」

 川口信也は、コントロール・ルームの、3mある天井をちょっと見上げたりして、そういった。

「わたしも、この曲は、なかなかの名曲だと思うわ。16分音符が、ちょうどいい装飾音になっていて、
リズムを1音符ずつ短く切って、スタッカートな演奏になってあるから、
まるであの、リベルタンゴのように、華麗な曲になっているんだわ。
タンゴの魅力って、情熱的なリズムの刻(きざみ)みにあるんですもの!ね、しんちゃん!」

  そういって、みんなを見わたす、知性的でもあり女性らしくもある、そんな美しい容姿の、
落合裕子に、信也もみんなも、気持ちがおだやかになって、自然と笑顔になる。

 そうやって、みんなは、ソファでくつろぎながら、コーヒーやお茶やジュースなどを飲んだり、
サンドウィッチなどを食べながら、のんびりと、雑談やレコーディングの話をした。

「しかし、しんちゃん、『FOR SONG』は、なんで、英語ばかりにしちゃったの?」

 ベースギターの高田翔太(しょうた)がそういった。

「あっはは。なんとなく、そうなっちゃったんだよ。おれでも歌える英語しか使ってないけどね!
あっはっは」

 信也はそういって、高らかにわらった。隣の落合裕子もわらった。みんなもわらった。
落合裕子は、1993年生まれの21歳であった。

「じゃあ、そろそろ、おれたちも表現の自由を守るためにも、最高の演奏を始めましょうか?」

 リード・ギターの岡林明(あきら)が、そういいながら、約50帖(じょう)の広(ひろ)さの、
コントロール・ルームのソファを立って、気持ちよさそうなストレッチをする。

「まったく、岡ちゃん、フランスとかの襲撃テロとかって、他人事じゃないよね。
こんな世の中、どうしたらいいのかって、たまに思っちゃうよ。
それじゃあ、おれたちは、元気よく、楽しく、レコーディング始めましょう!」

 森川純がそういうと、みんなはソファを立ちあがって、コントロール・ルームを出て
ロビー(lobby)から、メイン・スタジオへ入った。

 コントロール・ルームの中では、スタジオ・レオの代表取締役、オーディオ・エンジニアの、
31歳の島津悠太(しまづゆうた)、スタジオ・エンジニアの山口裕也、
スタジオ・マネージャーの沢木綾香(あやか)の3人が、
慣れた手つきで、デジタルの最新機器を操作して、録音の準備を開始した。

 『 FOR SONG 』は、切れのいい、信也のギター・カッティングのイントロで始まった。

FOR SONG 作詞作曲 川口信也

song is harmony. harmony is song.
song is soul. soul is song.
song is peace. peace is song.
song is friend. friend is song.

It's impossible, my life without the song, it's impossible.
It's impossible, my life without you, it's impossible.
song is your love. your love is song.
song is your love. your love is song.

song is dream. dream is song.
song is beauty. beauty is song.
song is hope. hope is song.
song is feeling. feeling is song.

It's impossible, my life without the song, it's impossible.
It's impossible, my life without you, it's impossible.
song is your love. your love is song.
song is your love. your love is song.

≪つづく≫_--- 65章おわり ---

66章 信也と竜太郎と美結と裕子の4人で食事

66章 信也と竜太郎と美結と裕子の4人で食事

 1月17日の土曜日。曇り空の、午後の5時過ぎ。

 川口信也と新井竜太郎と、信也の妹の美結、落合裕子の4人は、
JR渋谷駅、ハチ公口からスクランブル交差点を渡ってすぐの、
レストラン・デリシャスのテーブルで、くつろいでいる。

 デリシャスは、竜太郎の会社、エターナルが全国に展開している、
世界各国の美味しい料理やドリンクを提供する多国籍料理のレストランであった。

「じゃあ、乾杯しましょう」

 竜太郎は、淡いピンク色のワインカクテルのグラスを手に持って、笑顔でそういった。

「美結ちゃんと裕子ちゃんも、この頃、本当に、女性らしい美しさで輝いているよね!」

 竜太郎は、テーブルの向かいの美結と裕子を見て、満足そうに微笑む。

「あら、竜さんったら、お上手なんですから。わたしなんか、まだまだ新人のモデルと女優で、
未熟なことばかりで、得意なことは料理くらいのことで、美しさとか、優雅さとは、かけ離れていますから」

「そんなことないわよ。料理上手ってすばらしいことよ。わたしにはできないもの。
それに、美結ちゃんには、持って生まれた天性の美貌があると思うわ。
だから、美結ちゃんはもっと自信を持っていいのよ。天性のアーティストなんですからね。
お兄さまのしんちゃんと同じような、天才的な才能を感じているわ、美結ちゃんには!」

「まあ、ありがとうございます!裕子ちゃん。あなたこそ、その若さで、
ピアノとキーボードの女神(めがみ)といわれているんですから、わたし、尊敬してしまうわ!」

「ありがとう。美結ちゃん」と、裕子はやさしい眼差しで、隣の席の美結にいう。

 川口美結は、2014年の5月に、エタナール傘下の芸能事務所のクリエーションで、
アーティスト活動を始めている。

 落合裕子は、クリエーションの新人オーディションに、最高得点で合格した才女である。

 美結と裕子は、1993年生まれの21歳で、同世代ということもあるせいか、
いまでは、おたがいに、無二の親友となっている。

「裕子さん、先日の『 FOR SONG 』のレコーディングでは、ありがとうございました。
おかげさまで、クラッシュ・ビートの中でも、ベストな名曲が誕生したと思ってます」

 信也がテーブルの向かいの裕子にそういった。

「あら、よかったわ。わたしなんかでよかったら、いつでも、また、参加させてください!
わたし、信也さんの作る音楽って、ロックって、大好きなんですよ。
そうそう、わたし、竜さんと信也さんが、ユニオン・ロックという若い人向け慈善事業をしていることにも、
とても、感動しているんです。竜さん、しんさん、おふたりを、尊敬してしまいます!」

 ピンク色のワインカクテルに酔いながら、魅力的な笑みで、落合裕子がそういう。

「ありがとう、裕子ちゃん、こちらこそ、また、よろしくお願いします!」
 
 ほろ酔いの信也は、照れながらそういった。

 信也は、裕子の色っぽい笑みと、大きな胸のふくらみを見ながら、
・・・ひょっとしたら、うまい酒飲んで、美女を前にして、これ以上の男の幸せはないのかも?・・・
などと、ぼんやりと思う。

「いやいや、おれたちのやっていることは、すべてビジネスにつなげているわけで、そんなに、
偉いわけじゃないんですよ。ただ、おれは、お金持ちがするような、道楽ごとが嫌いなだけです。
絵画の収集をするとか、何か高いものを買っては、パティーを開催して、それを自慢したりする、
そんな見栄や権威を振りかざすことが、好きじゃないと言いますか、バカバカしだけなんですよ。
あっはっは」

 竜太郎は、そういって、わらった。

「そんな竜さんだから、おれなんかと、仲よくしてくれるってわけですね。あっはっは」

 信也はそういって、わらうと、竜太郎も大笑いをして、美結も裕子も、声を出してわらった。

「竜さん、しん(信)ちゃん、それでも、若い人を援助してあげる、
ユニオン・ロックは、素晴らしいことだと思うわ。ギターとかピアノとかドラムとか、
好きだけど、お金がなくてできない若い人を応援してあげるんですもの!感動的な事業ですわ!」

「ありがとう、若い人には夢を持ってもらいたい気持ちもあるけど、
そんな若い人たちの才能を開花させて、それをビジネスにつなげて、お金を稼ごういうわけだから、
決して、偉いことしているわけじゃないんだよね。あっははは」

「でも、竜さん、お金なしじゃ、今の世の中、何もできないんだから、お金儲けを考えるのは、
正解だよ。お金がなければ、正義も貫けないよね。それにしても、竜さん、
ここのお店の料理おいしいですよね。今度から、ここで飲みましょう、竜さん、あっはは」

「ほんと、竜さん、ここの、お料理、おいしいわ!ね、裕子さん」

「うん、ホント、おいしいわ!ワインもおいしいし。また、連れてきてください!竜さん、しんちゃん!」

 そういって、信也は、きれいな心が、素直にあらわれている、裕子の美しい笑顔を見ながら、
・・・裕子ちゃんに、恋するようなことになれば、ヤバいよな、それだけは・・・とか思うのだった。

≪つづく≫ --- 66章 おわり ---

67章 竜太郎の新しい恋人に、奈緒美!?

67章 竜太郎の新しい恋人に、奈緒美!?

 1月25日、おだやかな青空が広がる、正午(しょうご)を過ぎたころ。

 川口信也や新井竜太郎や竜太郎の弟の幸平たちが、
カフェ・ド・フローラ(Cafe de Flora)で、ゆったりと昼食でもとろうとしている。

 カフェ・ド・フローラは、新宿駅東口から、歩いて3分という交通の便の良さもあってか、
川口信也や早瀬田(わせだ)大学のミュージック・ファン・クラブの学生たちとか、
音楽仲間がいつも寄り集まる溜(たま)り場になっている。

 その店は、総席数170席のカフェ・バーで、モリカワの経営である。

 フローラには、春の女神(めがみ)という意味もあり、
明るい華(はな)やかさと清潔感、居心地(いごこち)の良い店内で、
女性には特に人気があった。
料理店と喫茶店とバーを複合させた、リーズナブルな総合飲食店で、
2013年には、新宿西口店もオープンしている。

「竜さん、おれたちはビールでも飲みますか?」

 信也は、テーブルの向かいの席の、新井竜太郎にそういった。

「そうしようか、信(しん)ちゃん。奈緒美(なおみ)ちゃん、幸(こう)ちゃんは、どうする?」

 竜太郎はそういって、右隣の席にいる野中奈緒美と、その右隣にいる弟の幸平を見る。

「昼間(ひるま)っからビールですかぁ?それも楽しいっすよね、竜さん。あっはは」

 幸平はそういってわらった。

「竜太郎さんや幸平さんたちは、お酒が強いからいいですよね。
いくら飲んでも、ふだんと変わらないんですもん。
わたしは、すぐに顔が紅くなっちゃうから。きょうは、わたしはオレンジジュースにしようかしら」

 竜太郎の右隣の野中奈緒美は、そういって、微笑む。

 野中奈緒美は、テレビに出演もするなどで、人気上昇中のモデル、タレント、女優である。
新井竜太郎が副社長をつとめるエタナールの、芸能プロダクションのクリエーションに所属している。
クリエーションでは、子どもから大人までの幅広い年齢層の、
モデルやタレントの育成やマネージメントをしていた。

 野中奈緒美は、1993年3月3日生まれの21歳、身長は165センチ、可憐な美少女である。

 テーブルの向かいの席にいる、竜太郎と野中奈緒美を眺めながら、
・・・どうやら、竜さんは、奈緒美ちゃんに、夢中のようだぜ。
相変わらず、美女がすきなんだからなぁ、竜さんは。うふふ・・・。それにしても、
真央ちゃんのこともあきらめきれないで、いまも好きなんだからなぁ・・・、
男ってそんなものかもしれないけどね、誰に迷惑になることでもないんだし、
そんな範囲では、男って、程度の差こそはあっても、誰もが、
美しさや美女を追い求めるドンファンなのかもしれないよね。
いつの夜だったか、ふたりで、バーのカウンターで、
ジョニー・デップが演じる、2003年ころの映画、愛する心の探究者のような、
伝説の伊達男、ドンファンを名乗る男の恋愛遍歴を描いた『ドンファン』について、
竜さんと、<あれは、男のロマンが感じられて、いい映画だよね>と語り合ったけど、
竜さん、生き方が、どこかあのドンファンに近いかもなぁ、
それも男の夢のひとつってところだろうけど・・・、・・・と信也は思うのであった。

「わたしも、きょうは、オレンジジュースにしようかしら?」

 ぼんやりとしている信也を見つめるようして、その右隣の席にいる、
ピンクのニットを着ている大沢詩織が、微笑みながらそういった。

「詩織ちゃんも、奈緒美ちゃんも、ちょっとくらい、おれたちと一緒に飲みませんか。
せっかくの機会なんですから。ははは。
このお店の赤ワインは、女性に人気があって、おいしいですからね。
詩織ちゃんも、奈緒美ちゃんも、美結ちゃんも、美樹ちゃんも、裕子ちゃんも、
わかってもらえるだろうけど、おれや信ちゃんや幸ちゃんや陽斗さんもだろうけど、男って、
頭の中をフル回転させることが多くってね、そんな脳の疲れを取るのには、
お酒が1番ってことらしいんですよ。
それにしても、おれたちはちょっと飲みすぎかも知れないけどね。あっはっは」

 声を出してわらう竜太郎だった。そんな竜太郎を見ながら、同じテーブルの席にいる、
詩織、奈緒美と、信也の妹の美結や清原美樹の、4人の女性たちは、
おたがいに目を合わせて微笑んだ。

「竜太郎さんと信ちゃんは、ほんとうに仲がいいんですね。なんか、いつ見ても一緒にいて、
お酒を飲んで楽しんでいるみたいなんですもの!ねえ、陽(はる)くん?」

 清原美樹がそういって微笑む。美樹の右隣には、美樹の彼氏の松下陽斗(はると)がいる。

「うん、ほんと、竜さんと信ちゃんって、仲いいよね」といって、陽斗はみんなを見わたしてわらう。

「陽さんから見ても、仲良く見えますかぁ。お互いに、遠慮なく、言いたいこと言うから、
よくケンカもしてるんですけどね!あっはっはは。でもまあ、
おれと信ちゃんは、仲のいい酒飲み友だちなんでしょうね。でもよかったですよ。
オレと信ちゃんが、同じ会社の人間でなかったことが。これが同じ会社に勤めていたりしたら、
いろいろと問題ですからね。会社って組織は、特定の人間と、特別に仲良くなったりすると、
いろいろと問題が発生するところなんですから。組織って、いろいろと窮屈ですよね。あっはっは」

 そういって、わらいながら、頭をちょっとかく、竜太郎である。

「わたしも、お兄ちゃんと竜太郎さんって、どうしてそんなに仲がいいんだろって、
ふと思うことあるんです」

 竜太郎の左隣にいる信也の妹の美結がそういった。

「おれには、信ちゃんみたいな、音楽を作れる想像力がないのだけれど、
会社の副社長をやらせてもらっていますから、会社を成長や発展させてゆくための、
ロマンやビジョンを持たなければ、リーダーとして失格だと思うんですよ。
言い換えれば、構想力を持たないと、ダメなんですよね。
構想力っていうのは、芸術家が作品を作るときの想像力と同じようなものなんですよ。
だから、おれと信ちゃんは、共通の価値観も多くって、仲がいいんですよね。きっと。あっはは」

「まったく、そのとおりですよね。竜さん!あっはは」といって、信也はわらった。

 信也、竜太郎、幸平、陽斗、そして、詩織、奈緒美、美結や美樹たちの、
8人は、同じテーブルで、わらい声の絶えない、楽しいひとときを過ごした。

≪つづく≫ --- 67章おわり ---

68章 奈緒美、竜太郎の家に招かれる

68章 奈緒美、竜太郎の家に招かれる

 2月1日の日曜日。青空がひろがっているが、北風が冷たい。

 新井竜太郎の家は、世田谷区の成城二丁目にある。
小田急線の成城学園前駅南口から歩いて3分であった。

 東証1部上場の、外食産業を中心に躍進している会社、
エターナル(eternal)の社長の家にふさわしい、南欧風の2階建ての豪邸である。

 リビングのソファには、家族4人の、竜太郎と弟の幸平、父の俊平と母の麻美がそろっている。
そして、竜太郎の目下の恋人であるらしい、野中奈緒美もいた。

 つい先ほど、竜太郎は、彼女をクルマで迎えに行って、家に連れてきたのであった。

「奈緒美さんは、いよいよ今年は、1月から、NHKiの連続ドラマのヒロインとして出演されているのに、
そのいそがしい中を、よく、わがままな竜太郎の言うことを聞いて、うちに来てくれました」

 見るからに人のよさそうな眼差しで、しかも、眼光は鋭く、
計り知れない奥深さを宿しているような瞳の持ち主で、
いかにも大会社の社長にふさわしい風格の、新井俊平は、
人なつっこそうな笑みを表情にたたえながら、奈緒美にゆっくりとそういった。

「新井社長、きょうは、ご自宅に、わたしなんかを、お招きいただけることが、夢のようで、
もう、さっきから、感動しっぱなしで、心臓の鼓動は、高鳴りっぱなしなんです!
ほんとうに、きょうは、ありがとうございます!
それに、わたしのことを、さんづけでお呼びになるのなんて、もったないといいますか、
光栄しすぎて、わたし、困ってしまいます。どうか、お願いですから、わたしのことは、
呼び捨てで、奈緒美とかぁ、奈緒美ちゃんとか、奈緒ちゃんとかぁ、
それかぁ、奈緒!って読んでいただけないでしょうか?!お願します、社長!」

 そういって、奈緒美は、肩にかかる美しい長い黒髪を揺らして、深々と頭を下げた。

 そんな奈緒美に、みんなからは、思わず、わらい声ももれた。

「それじゃぁ、ぼくは、奈緒ちゃんと呼ばせてもらいましょう。そのかわり、ぼくのことは、
社長ではなくて、俊(しゅん)ちゃんって、呼んでください。あっはっはは」

「社長のことを、俊ちゃんですか?いくらなんでも、それはちょっと・・・」

「いいんですよ。ぼくがそうしてくださいって、言っているのですから。俊ちゃんと呼んでください」

「わかりました、社長。あっ、俊ちゃん」

 そういって、少女のように澄んだ瞳をきらめかせて、奈緒美は微笑んだ。

「奈緒美ちゃん、うちのオヤジは、ちょっと変わっているんですよ。自分の気に入った人には、
俊ちゃんとか、ちゃんづけでよばせているんですから。
まあ、おれもオヤジのマネしてますけど。あっはっはは」

 竜太郎がそういってわらった。

「おれもそうなんだよね。仲のいい奴には、幸ちゃんって呼んでくれって言っているんだよ。
これって、よく考えれば、オヤジの影響だったんだよね。あっはっは」

 竜太郎の隣で、熱いコーヒーをおいしそうに飲みながら、弟の幸平がそういってわらった。

「奈緒ちゃんなら、すぐにわかってもらえると思うんだけど、企業が成長できるか、
業績を順調に伸ばしてゆけるか、どうかの、もっとも重要なキー ポイントって、
いかに人を育てるのかってことなんですよね。いわゆる人材育成です。
経営学の父といわれる、アメリカのドラッカーも、会社にとって、人は最大の資産といっています。
そのせいかどうかは、わかりませんけど、ぼくの見てきたアメリカ人たちは、
おたがいに年齢の差や社会的な地位とかは気にしないし、そんなの関係なしで、
おたがいに、トムとかミッシェルとか、敬称などなしで、
呼び合ってますからね。でも、そんな社会の慣習の根本には、
アメリカって、多くの民族による移民で生まれた国ということもあって、
みんな、おたがいに、友だちじゃないかという、フレンドリーな意識が働いているんだと思うんですよ。
そんな友好的な意識が共有されているんでしょうね。
まあ、ぼくも、たまたま、そんな善良な人たちとしか、出会ってないし、見てこなかったとも、
言えるんですけどね。あっはは。まあ、そんなことも考えたりして、ぼくも会社の社長であっても、
社長とか呼ばれたくないし、会社でも、課長や係長とかの役職名では呼び合わないようにって、
言っているんです。人を育てるということを第一に考えた場合、
そういった垣根は全く不要ですからね。権威や肩書にふんぞりかえっているなんていうのは、
ほとんど会社員失格、人間失格なんですよ。奈緒ちゃんなら、わかってもらえますよね。
奈緒ちゃんをみていると、自分の才能を伸ばすことに一生懸命なのがよくわかるんです。あっははは」

「そんな、お褒めの言葉をいただけるなんて。ありがとうございます!俊ちゃんのおっしゃることって、
そのとおりだと、わたしも思います。」

 ソファーにもたれながら、時々笑みを浮かべながら語りかける、エタナールの社長の俊平に、
奈緒美は、きらりと輝く澄んだ瞳で微笑んで、軽く頭をさげる。

「個性を育てたり、才能などの人の強みを最大限に生かしたりすることっていうは、
確かに、簡単にできることではないでしょうけどね。しかし、その人の、ほんとうの強みというものは、
その人らしさ、自分らしさの中にあるものなんですよ。あっははは」

「そうですよね、わたしも、そのとおりだと思います」といって、奈緒美は、うなずく。

「ありがとう、奈緒美ちゃん、でも、ぼくの言ってることは、実は、ドラッカーの言葉なんですよ。
どうも、競争ばかりに明け暮れる、今の資本主義の社会には、
人間らしさを失わせるものがあって、いけませんよね。その点、ドラッカーの言葉には、
現代社会に対する警鐘もあったりするようで、ぼくの愛読書なんです。あっはっはは。
・・・それにしても、竜ちゃんが、女性を、我が家に、招待するのも、
めったにないことなんですけど・・・」

「あなた、そんなことは、聞かなくっても、わかっていることだわ。野暮ってものよ。うふふ」

 俊平の隣に座っている、俊平よりも3つ年下の麻美は、母親らしい優しい笑顔でそういった。 

「竜さんは、わたしにとっては、白馬の騎士のようで、ほんとうに、すてきな人なんです!
わたし、小学生のころから、芸能界に興味を持っていまして、タレントさんになるのが夢だったんです。
夢見る少女なんでしょうけど。でも、自分なりに、ダンス・スクールに通ったりして、
チャンスを待っていたんです。
そしたら、エタナールさんの芸能プロダクションのクリエーションが、
新人オーディションのことを知りまして。それで、勇気を出して、応募してみたんです。
そうしたら、オーディションに合格させていただいたり、お仕事は来るようになったりで、
ほんと、竜さんや、事務所のみなさんも、わたしには、ほんと、よくしてくれていまして・・・」

「いやいや、そうやって、いつも夢を追いかける奈緒美ちゃんの才能が、
その毎日の努力が実(みの)って、きれいな花を咲かせて、
それを世の中も認めてくれているってことですよ!あっはっはは」

 声をつまらせて、目に涙を浮かべそうになる奈緒美に、竜太郎はそういって、微笑んだ。

≪つづく≫ --- 68章 おわり ---

69章 信也の妹の利奈、早瀬田大学に合格する

69章 信也の妹の利奈、早瀬田大学に合格する

 2月7日の土曜日の昼下がり。外は最高気温で10度ほどの、曇り空である。

 川口信也と大沢詩織のふたりは、去年の12月に、新しく借りたマンションの、
あたたかいリビングのベッドの布団の中で、 心地もよく、眠っている。

 そのマンション、ハイム代沢(だいざわ)は、1つの部屋とキッチンと、
バスルームに洗面所、南側にはベランダの、1Kの間取りである。

 駐車場はないが、現在も信也と妹の美結とで暮らしているマンションの、レスト下北沢から、
歩いて2分という距離にあるマンションなので、駐車場は新たに必要ではなかった。

 信也が、いまも美結と住んでいるレスト下北沢のほかに、
もう1つのこのマンション、ハイム代沢(だいざわ)を借りているのには理由があった。
 
 去年の11月29日、山梨から、信也の両親や末っ子の利奈が、信也に相談があって、
やって来たのであった。

 その相談とは、利奈が、信也の母校でもある早瀬田大学を受験するという話であった。

 利奈は、健康栄養学部・管理栄養学科を勉強したいという。
信也の両親は、利奈が早瀬田大学の入試試験に合格した際には、
信也のマンションから、利奈を通学させてやって欲しいというのであった。

 もちろん、信也や美結は、利奈と一緒に、3人で暮らす生活には、大歓迎であった。

 しかし、また、ある意味では、信也と詩織にとっては、なにかと不便なわけでもある。

 去年の4月も終わるころ、信也のマンションに、妹の美結が山梨からやって来てからは、
信也と詩織は、ホテルで、ふたりだけの時間を楽しんだりしていた。

 しかし、そんなホテルなどでのデートには、信也も詩織も、飽きてきていた。
 
 ふと思い立った信也は、去年の12月ころの、利奈の受験の合否も決まらないうちから、
詩織との、ふたりのための、マンションを探し始めたのである。

 今年の1月の初めころ、いま住んでいるマンションから歩いて2分という近い場所に、
1Kという間取りの、生活には、ちょっと狭いが、
ふたりの愛のくらしには十分というマンション、ハイム代沢(だいざわ)が見つかったのであった。

 ハイム代沢のマンションは、日当たりのいい2階の角の部屋で、下北沢駅まで歩いて6分であった。
信也が借りている、ハイム代沢とレスト下北沢は、どちらも、閑静な住宅も並ぶ、代沢2丁目にある。

 信也と詩織は、ベッドの中で手をつなぎながら、さっきまでの、熱いふれあいの、
その高揚や陶酔から自然とわきおこる、至福のような浅い眠りにひたっている。

 枕元にある、信也のスマホの着信音が鳴った。その電話は、妹の利奈からであった。

「しんちゃん、わたし、大学入試に合格しちゃったわよ!」

 ちょっと、ふるえる声の、しかし、元気な利奈の声であった。

「そうか、利奈ちゃん!おめでとう!利奈ちゃんなら、合格すると思ってたから、
おれは何も心配してなかったけれど。そうかぁ、いやぁ、よかった、よかった、
おめでとう!」

 何かの夢の中にいた信也は、これって現実なのかと、ふと思ったけど、
利奈の受験の合格の知らせを、自分のことのように歓んだ。

「詩織ちゃん、利奈が、おれたちの早瀬田に、無事に受かったんだってさ!よかったよ!」

「そうなんだ。よかったわよね。わたしも、すごっく、うれしいわ!しんちゃん、おめでとう!」

 すやすやと気持ちよさそうに眠っていた詩織は、目覚めると、そういって、信也の胸に顔をうずめた。

≪つづく≫ --- 69章 おわり ---

70章 TRUE LOVE ( ほんとうの愛 ) 

70章 TRUE LOVE ( ほんとうの愛 ) 

2月14日、土曜日の昼下がり。北風が吹いているが、よく晴れている。

 クラッシュ・ビートのセカンド・アルバムの制作が、
下北沢駅 南口から歩いて3分の、レコーディング・スタジオ・レオで行われている。

 アルバムの制作には、キーボディストとして、落合裕子が参加している。
裕子は、1993年3月生まれの21歳である。
人の心を魅了する女性らしく可愛(かわい)い容姿や、さわやかな明るい性格で、
すっかりと、バンドのメンバーたちの中にとけこんでいた。

 バンドのみんなと、スタジオ・レオの代表取締役で31歳の島津悠太とスタッフたちは、
快適なミーティング・ロビーで、打ち合わせをしたりしながら、
コーヒーやお茶を飲んだり、落合裕子が家で作ってきた、
バレンタインのチョコのクッキーを食べたりして、くつろいだ。

 1時30分をまわったころ、バンドのみんなは、
コントロール・ルームからガラス越(ご)しに見える、
50帖(じょう)の広さのメイン・スタジオに入った。

「しんちゃん、わたしは、こんな感じのレゲエ風のバッキングでいいのかしら?」

 シンセサイザーを前にして座っている裕子がそういって、信也に微笑みかける。

「裕子ちゃんの演奏、すばらしいよ。しっかりと、リズムはキープしているしね、さすがですよ!」

 信也は笑顔で、ギターのカッティングの手を止めて、裕子にそういった。

「しんちゃんは、よく、こんな歌詞とメロディを作れるわ!わたし、この歌も、大好き!」

「ありがとう。この歌詞はね、日ごろ、感じていることを、言葉にするだけで、
わりと短時間、30分くらいでできちゃったんだけどね。
自分じゃ、作品の出来ってよくわからないから、ほめてもらえると、うれしいよ。あっはっは。
曲のほうは、けっこう、あ-でもない、こーでもないって、まる1日くらいかかって、
苦労しているんだよ。あっはは」

「そうなんだぁ」といって、譜面をあらためて見つめる裕子。

「しんちゃんには、ちょっと、変わった、おれらには無いような才能があるからなあ。
あっはっは。それで、このバンドも、オリジナルが作れて、助かっているわけだよなぁ、
なぁ、翔(しょう)ちゃん、岡)(おか)ちゃん」

 そういって、バンドのリーダーで、ドラムの、森川純が、ベースギターの高田翔太と、
リードギターの岡林明を見た。

「ほんと、しんちゃんや、純ちゃんのオリジナルがあるから、プロとして、
セカンド・アルバムをつくれるんだしな。あっはは」

 そういって、ドラムの前に座る高田翔太は、持っているスティックを宙で回転させる。

「おれも、オリジナル作りには、挑戦しているけどね。これが、なかなか、難しくって」

 岡林明がそういって、ちょっと、頭をかく。

「曲つくりは、続けていれば、できるようになるからね、岡ちゃん。継続が力だから。
あっはは」

 といって、陽気にわらう、森川純。

「じゃぁ、始めましょうか」と、高田翔太はいった。

 全員が、リラックスした表情で、演奏の準備に入った。
 
 ノリのいい、1音符ずつ短く切ったスタッカートな、レゲイ・バッキングの、
裕子のキーボードで、『TRUE LOVE』は始まった。

TRUE LOVE ( ほんとうの愛 )   作詞・作曲 川口信也

前の戦争が 終われば また新たな戦争!
なんで 平和にならないの この世界!?

それは 天使のような心と 悪魔のような心
どちらも 人間の中にある 心だから!?

それは それとしても・・・ だったなら
どう解決すればいいのさ この問題!?

その答えは 風に 吹かれているって
ボブ・ディランも 歌っていたよね

ほんとうの愛は 無傷のまま 風のように 
ぼくたちの 目の前を 去ってゆく

ほんとうの愛は やさしい 風のように
少年や少女を 守っているはず

True love is beyond human wisdom.
( ほんとうの愛は 人の英知を 超越している )
True love is really beautiful thing.
( ほんとうの愛は ほんとうに美しいもの )

ほんとうの愛は 人の英知を越えて
最強で 永遠なのだと ぼくは思う

人は ほんとうの愛のために
ここまで やって来れたんだろう

人は ほんとうの愛があるから
これからも やってゆけるのだろう

そんな ほんとうの愛があるから
人だって 歌だって 存在しているんだろう

そんな ほんとうの愛があるから
みんな 生きる希望だって 持てるのさ

そんな ほんとうの愛を 信じて
旅するのが 人生かもしれないよね

True love is beyond human wisdom.
( ほんとうの愛は 人の英知を 超越している )
True love is really beautiful thing.
( ほんとうの愛は ほんとうに美しいもの )

≪つづく≫ --- 70章 おわり ---

71章 グレン・グールドに傾倒する松下陽斗

71章 グレン・グールドに傾倒する松下陽斗 

 2月22日、日曜日。冷たい小雨(こさめ)がぱらつく、曇り空である。

 清原美樹と松下陽斗(はると)は、小田急線、下北沢駅北口から歩いて5分の、
世田谷区北沢2丁目にあるマンションで、暮らし始めている。

 二人は、去年の夏の終わりころから、防音設備の整ったマンションを探していた。

 二人とも実家が、美樹は世田谷区北沢1丁目、陽斗は世田谷区代田6丁目と、
下北沢駅から近いこともあるから、二人で暮らすマンションは、
下北沢近くの物件をと、のんびり探していたのであった。 

 去年の11月に、24時間、楽器の演奏も可能な、ファミリータイプの2LDKの、
床、壁、扉や天井に吸音施工がしてあり、サッシの窓や換気扇も防音完備の、
いわゆる音楽マンションが見つかったのであった。

 二人は去年の12月から、そのマンションで暮らし始めた。

 二人は、まだ大学生ではあるが、経済的には自立する収入もあるせいか、
お互いの両親には、あっさりと理解してもらえた。

 美樹は1992年生まれ、22歳、早瀬田大学教育学部の4年生。身長158センチ。
陽斗は、1993年生まれ、22歳、東京芸術大学の音楽学部、ピアノ専攻の4年生。身長175センチ。
ふたりとも、この3月に大学の卒業である。

 マンションは、洋室8帖が2部屋、LDK(リビング・ダイニング・キッチン)が10帖で、
部屋にはグランドピアノが置いてあり、もうひと部屋はベッドルームにしてある。
月の賃料は14万円、管理費は5千円であった。

「ねえ、はる(陽)くん、このごろのニュースって、なんで、こんなに、殺伐としているのかしら!?
戦争のこともだけど、日本の中でも、恐(おそ)ろしい事件ばかりがあるんだもの」

 肩にかかるほどにのびた髪がセクシーな美樹は、そういって、陽斗を見て微笑んだ。

「人の命を、軽く考えているのかな!?他人の命のことも、自分の命のことでも、
軽く考えているというのかね。
人の心から、何かが欠落してるともいえるかもね。それは、生きる目的のようなものかもしれないし」

 陽斗は、少年のように澄んだ眼差しで、美樹を見るて、そういう。

「そうよね、はるくん。生きる目的って、なかなか、学校の授業とかで、
教えてもらえるものでもないですもんね」

「そうかもね、美樹ちゃん。生きる目的とかって、生きがいとかって、自分で見つけるしかないのかもね」

「幸(さいわ)い、わたしたちには・・・、音楽があるってことかしら。はるくん」

「まあね、そういうことかな。あっはっは」

「そうよね!いつまでも、仲よく、音楽やってゆこうね、はるくん。うっふふふ」

「そうだね、美樹ちゃん」

 リビングのテーブルで、美樹と陽斗は、あたたかい緑茶を飲みながら、
目を見合わせて、幸福そうにわらった。

・・・はるくんの指って、ごつごつして男らしいのに、なぜか、ピアニストらしくって、
わたしの指より、繊細な感じなんだから。また、そこがセクシーで、わたし好きなのだけど・・・

 美樹は、そう思いながら、テーブルに置かれた、陽斗の手を、一瞬見つめた。

 このごろ、20世紀最高の天才ピアニストとして名高い、グレン・グールドに心酔している。

 1932年9月25日、カナダのトロントに生れた、グレン・グールドは、23歳の時に、
ニューヨークで録音した初のデビューアルバムの、バッハの 『 ゴールドベルク変奏曲 』 が
1956年に発表されると、ルイ・アームストロングの新譜をおさえて、チャート1位を獲得したである。

 このアルバムは、ハロルド・C・ショーンバーグなどの著名な批評家からも絶賛されて、
ザ・ニューヨーカー誌といった一流雑誌も、次々と賞賛した。

 マス・メディアは、アイドルのように、グールドを喧伝(けんでん)し、彼は時の人となった。

 日本でも、グールドの革新性を、最も早く見抜いた、音楽評論家、吉田秀和は、
グールドこのデヴューアルバムについて、こんなことを語っている。

「こんなに詩的で、ポエティックな演奏で・・・、しかも、バッハのあの曲は、ほんとうに、
冴え冴え(さえざえ)とした、鮮明な、ぼんやりとしたところのない音楽、
それなのに、こんなにほかにないような、魅力のある、
聴いている人をね、ほんとうに引き付ける力が強い、そういう音楽にぶつかったという、
そういう意味ですね、びっくりしたのは。だから、かつて聴いたことのないようなものでした。
で、ぼくたちが、経験してきたバッハは、重々しくて、厳粛で、言ってみれば、バロックどころか、
その前のゴシックの音楽みたいな、石でつくられた立派な大伽藍(だいがらん)のような、
そういう音楽でしたからねぇ。そうじゃなくて、春の風が吹いているみたいなところがあったり、
まあ、言葉でいうと、そんなあれだけども、鳥が鳴いているようなところがあったり、
そんな愉快なものを持っているような、バッハですからね。」

 つまり、グールドは、そんなふうな瑞々(みずみず)しい、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ像を、
現代人の前に蘇(よみがえ)らせたのである。

 天才バッハを、蘇(よみがえ)らせた、天才とピアニストとでもいうのであろうか。

 グールドは、その圧倒的なスピード感と、抒情性のあるピアノ演奏で、重々しく、親しみにくいような、
バッハのイメージを一変させたといえるかもしれない。

 18世紀なかばに、バッハによって作られた、その『ゴールドベルク変奏曲』は、
全曲を弾くと、1時間を超えるという大曲である。

 この曲は、もともと、チェンバロのための練習曲 (BWV 988)で、
ピアノには向かないとされていて、繰り返しも多く、単調で、
ピアニストも好(この)んで弾かないといわれていた。

 グールドは、そんな既成の価値観を打ち破って、
デヴューアルバムでは、楽譜の繰り返し記号を無視して、
全曲を、30分台で弾ききったのである。

 そしてグールドは、アメリカでのデヴューばかりではなく、
ピアニストとして不動の地位を獲得したのであった。

「美樹ちゃん、グレン・グールドはね、50歳という短い人生だったんだけど、
芸術について、こんな、いい言葉を残しているんだよ。確かこんな言葉なんだけどね。
芸術の目的は・・・、アドレナリンやドーパミンのような脳内の快楽物質を分泌させて、
刹那的な快楽ばかりを追うのじゃなくて、感覚を研ぎ澄ますことによって、
新鮮な驚きや喜びに出会ったり、体験したり、心の平安の状態保ったりして、
生涯をかけて、ゆっくりと、人間らしさとでもいうのかな、そんな楽しく自由な人間性を、
構築してゆくところにあるっていってるんだよね。
これって、すごく、現代人の参考になる言葉だと思うんだよ、美樹ちゃん」

「そうね、さすが天才ね、いい言葉を残してくれているのね」

 美樹と陽斗は、笑顔で、一瞬、見つめ合った。

≪つづく≫ --- 71章 終わり ---

72章 信也の妹、利奈の卒業式

72章 信也の妹、利奈の卒業式

 3月1日の日曜日。早朝から、ぱらぱらと冷たい雨が降っている。

 山梨県、韮崎市にある、県立韮咲(にらさき)高校では、講堂を兼(か)ねた体育館の中で、
第56回卒業式が行われている。

 みんなが注目する壇上には、色とりどりの美しい花が、咲き誇るように飾られてある。

東京の早瀬田大学の健康栄養学部・管理栄養学科に進学が決まっている、
川口利奈の心の中は、複雑であった。

 そのわけには、中学校の同級生で、同じ韮咲(にらさき)高校生の、
二人(ふたり)の仲のいい同性の友だちが、東京の国公立の大学を受験していて、
その結果がまだ出ていなくて、その二人は、不安をかかえたまま、
卒業式を迎えていることもあった。その二人の入試の結果は、3月6日には、はっきりする。

 また、そのほかにも、利奈のクラスの、いつもユーモラスなことをいって、
みんなを笑(わら)わしくれる明るい性格の男子の学級委員長も、
進学が決まっていなかったり、そのほかにも、
同じクラスの利奈の友だちとかが、希望校に合格できなかったり、
受験を落ちまくってしまっている友だちもいたりしている。

 世間では、『受験の合格発表は、悲喜交交(ひきこもごも)、
悲しみと喜びが入り交(ま)じっているものだ。』というが、
その言葉通りの現実が繰りひろがっていることが、利奈の心に暗い影をつくっていた。

・・・なんで、この世の中って、こうやって、大学の受験にも、競争があるのかしら?
世の中って、楽しいことよりも、辛(つら)いことのほうが多いんだもの、
ついつい、わたしだって、哀(かな)しくなる!・・・

 そんなことを思う、利奈であった。

 セレモニー(式典)は、開式の辞、国歌斉唱、卒業証書授与、賞状授与、
校長式辞、来賓祝辞、在校生代表送辞と続いて、
卒業生代表答辞と続いた。

 卒業生代表の女子学生は、ふるえる心や、あふれそうな涙に、
言葉を詰(つ)まらせながら、楽しかったこの3年間の高校生活を、
これからの人生の糧にしてゆくことを誓(ちか)いますと、
この韮咲高校で学べたことを誇りに思いますと、
先生やみんなに、感謝の言葉を述べた。
 
 その卒業生代表答辞のあいだは、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの『管弦楽組曲第3番』、
BWV1068の第2楽章『アリア』、いわゆる、G線上のアリアが流れていた。

・・・G線上のアリアって、こんなときに、ぴったりだわ。バッハの中でも、
この曲が、1番、わたし好きだわ、美しいんだもの。
・・・わたしも、東京へ行ったら、音楽やろうかしら?
お兄ちゃんみたいに。だって、音楽って、元気をくれるんだもん・・・

 G線上のアリアが流れる中の、女子学生の澄んだ声の、答辞の言葉を、
利奈は、ひとつひとつ忘れないように、真剣に聞こうと努(つと)めた。

 その答辞の言葉に、利奈の胸が、感動に震えた。
利奈の澄んだ瞳には、ありのままの、自然な、熱い涙が光(ひか)った。

≪つづく≫

73章 利奈の進学祝いのパーティー

73章 利奈の進学祝いのパーティー

「川口利奈さん、早瀬田(わせだ)大学のご入学、おめでとうございます!
それでは、みなさま、かんぱーい(乾杯)!」

 和(なご)やかな雰囲気の中、ワイングラスを持つ新井竜太郎が、テーブルに座ったままで、
乾杯の音頭をとった。

 オーダーした飲み物やフランス料理が並ぶテーブルには、
川口信也と妹の美結と利奈、
新井竜太郎と、竜太郎のお気に入りの野中奈緒美の、5人が、席についている。

 野中奈緒美は、竜太郎が副社長のエタナールの、芸能プロダクションのクリエーションに所属する、
人気上昇中のモデル、タレント、女優で、身長は165センチ、21歳の可憐な美少女である。

 5人は、フルーリ、渋谷店に来ている。

 フルーリは、渋谷駅のハチ公改札口から、スクランブル交差点を渡って3分、
大型複合ビルの最上階の、エタナールが経営する、リーズナブルなフランス料理店である。

 フルーリとは、フランス語のフルール(花)から来た言葉で、フルーリは、
「花が咲いている、花がひらいた」の意味である。

「この店の1号店は、湘南(しょうなん)の茅ヶ崎(ちがさき)にあるんですよ。
ここは今年の1月に、オープンしたばかりの、第3号店なんです」

 そういって、新井竜太郎は、川口信也の右隣の、妹の利奈に微笑(ほほえ)む。

「竜さん、きょうは、こんなにステキなお店に、招待してくださって、ありがとうございます。
そうなんですか、1号店は、湘南にあるんですか。
わたし、湘南って、憧(あこが)れてしまいます。湘南といえば、サザンの桑田佳祐さんや、
湘南の風さんの出身地なんですよね」

「利奈ちゃんは、湘南の風がお好きなんですか」

 前髪が、瞳を隠すほどに伸びているヘアカットの竜太郎は、やさしい眼差しで、
テーブルの向かいに座る、利奈にそういう。

「ええ、好きです。純恋歌なんか、大好きなんです!」という、利奈の瞳は楽しそうに輝いた。

「純恋歌ですかぁ。いい歌ですよね。あの歌は確かぁ、2006年のヒット曲でしたよね」

「すごーい。竜さん!よく覚えていらっしゃいますよね。そうなんですよ、2006年なんです。
わたしの誕生日が3月21日で、湘南の風の純恋歌は、3月6日のリリース(発売)だったんです!
あの時は、とても、純恋歌のリリースの日が待ち遠しかったでした。
わたし、まだ、小学3年生だったんですけど」

「あっはは。利奈さんは、小学3年生だったんですかぁ。
それで、湘南の風の純恋歌がお好きだったとは、利奈さんもなかなかのものですよね。
やっぱり、お兄さんのしん(信)ちゃんに似て、きっと、音楽の才能が豊かなんですよ。あっはっは」
 
「わたしが音楽の好きは、きっと、しんちゃんや美結ちゃんの影響が大きいんですよ。
家(うち)の中はいつも、音楽であふれていたような感じなんですもん。うふふ。
わたし、早瀬田(わせだ)大学のサークルにも参加させていただこうと思っているんです。
しん(信)ちゃんも入っていた、ミュージック・ファン・クラブ(MFC)に入れてもらおうかなって、
思っているんです。うっふふ」

 利奈はそういいながら、右隣にいる兄の信也と、左隣にいる美結と、目を合わせる。

「利奈ちゃんも、おれと似ていて、歌をうたうのが好きだからね。あのサークルはいいと思うよ。
おれからも、MFCのみんなには、よろしくって言っておくから」

 信也は利奈にそういって、頼りになる兄らしく、微笑む。

「利奈ちゃんは、しんちゃんと同じで、小学生のころから、歌が大好きだったからね。
いい趣味だと思うわ。、利奈ちゃんには、学生生活をたくさん楽んで、充実させてほしいわ」

 利奈の左隣の席の美結が、利奈にそういった。

「おれの感なんですけど。利奈ちゃんには、お姉さんの美結ちゃんのようなタレント性とか、
しんちゃんにあるような、ゆたかな音楽性とかがあるような気もしているんですよ。
ですから、勉学と同時に、歌のほうも、がんばってみてほしいです。
おれも、いつでも、応援させていただきますから」

「竜さん、ありがとうございます。わたしの音楽の趣味は、やっぱり、ただの趣味なんです。
音楽は、楽しめればそれでいいんです。わたしには、音楽の才能なんてないと思いますから」  

「利奈ちゃん、才能ってものは、不思議なもので、がんばって続けていれば、突然、
空から舞い降りてくるようなものなんだよ。インスピレーションとか、霊感に近いようなもので」

「芸術には、創造のためのヒントやひらめきが大切ですもんね。
しんちゃん、それって、よくわかるような気もします。やっぱり、わたしには無理だわ。うっふふ」

「でも、利奈ちゃんは、声もとてもステキなんですもの。それに、ルックスもいいんですもの。
きっと、芸能界に入っても、成功できると、わたしは思うわ。ねえ、竜さん」

 利奈にそういって微笑むと、野中奈緒美は、隣の席にいる竜太郎と目を合わせた。

「奈緒美さん、お褒めの言葉まで、どうもありがとうございます。
わたしって、たぶん、みなさんと同じように、音楽とかの、美しいものが大好きなんです。
世の中って、いろいろと、ひどい出来事ばかりがあるじゃないですか。
わたしには、気持ちが落ち込むことばかりなんです。
そんな時には、美しい自然の景色を楽しんだり、きれいな音楽を聴いたりするんですけど。
いい映画を観たり、詩を読んだりして、いろんなジャンルの芸術を楽しむようにしているんです。
特に、音楽って、いつも、身近にいて、元気にしてくれる、親友のような気がしているんです」

「そうですよね、まったく、同感です。利奈ちゃんのおっしゃるとおりです。
それでは、みなさまの、これからの毎日が、
楽しい日々でありますように、お願いして、また乾杯しましょう!」

 ワインに酔って、上機嫌の竜太郎がそういって、みんなはまた笑顔で、乾杯をした。

 3月21日に、18歳になる利奈は、上質なハチミツと、みずみずしいレモンの酸っぱさが、
スイートで飲みやすい、おいしいレモネードの入った、かわいいグラスで、みんなと乾杯をした。  

≪つづく≫ --- 73章 おわり ---   

 

74章 TRUE LOVE ( ほんとうの愛 ) PART 2

74章 TRUE LOVE ( ほんとうの愛 ) PART 2

 3月15日、日曜日。一日中、春を感じられる、おだやかな晴天であった。

「しん(信)ちゃん、きょうのお昼は、利奈(りな)ちゃんが、はりきって、
なすとベーコンのトマトパスタを作ってくれたのよ」

 リビングに入った信也に、美結が笑顔でそういった。

「それは、それは。利奈ちゃんも、美結ちゃんも、料理が上手だから、
おいらは幸せですよ。あっははは」

 そういって、信也が、檜(ひのき)のローリビングテーブル(座卓)に落ち着いた。

「わたしが来たために、しんちゃんは、このマンションにいられなくなってしまって、
なんか、申しわけない感じがするんだけど、わたし」

 キッチンで料理をつくっている利奈が、そういって、信也を見た。

「そんなことないって。おれは新しいマンション、気に入っているんだし。
利奈ちゃんは、ここで、美結ちゃんと仲よく暮らせば、おれもうれしいんだから。あっはっは」

「ありがとう、しんちゃん」と、利奈は微笑んだ。 

 川口信也が、今まで暮らしていたこのマンション、レスト下北沢では、
二人の妹の、美結と利奈の二人の生活が始まっていた。

 信也は、結局、このレスト下北沢から、歩いて2分という近さにあるマンション、
ハイム代沢(だいざわ)で、ひとり暮らしを始めている。
それは、大沢詩織との生活のためにのと、去年の12月に、新しく借りたマンションでもあった。

 ハイム代沢(だいざわ)は、防音設備のある音楽マンションで、信也も気に入っている。
1つの部屋とキッチンと、バスルームに洗面所、南側には洗濯物も干せるベランダがある、
1Kの間取りであった。駐車場はないが、このレスト下北沢から、歩いて2分なので、
駐車場は新たに必要ではなかった。

「あとで、できたばかりの歌を、聴いてもらいたいんだけど、聴いてくれるかな」

「しんちゃん、すごい。また歌ができたんだ。聴かせて!」

 そういって、利奈が、素直な瞳を輝かせた。

「クラッシュ・ビートのセカンド・アルバムのタイトルは、
しんちゃんの作った歌の『TRUE LOVE』なんでしょう?」

 信也のテーブルの向かいの美結の隣に座る、利奈がそういった。

「うん、きょう作った歌は、その『TRUE LOVE PART 2』なんですよ」

「わたしも、しんちゃんみたいに、歌が作れるようになれたらいいなぁ」

「だいじょうぶよ。利奈ちゃんは、小学校ではピアノが1番上手だったんだし、
その素質は、十分あるはずよ。きっと、しんちゃんみたいな、ミュージシャンになるのも、
夢じゃないわよ。だから、あきらめないでね!うっふふ」

 美結はそういって、姉らしくやさしく、利奈に微笑んだ。

「ありがとう。美結ちゃん。お姉ちゃんは、いつも、やさしいから、わたし、大好きよ!うふふ」

 兄妹(きょうだい)三人は、そんな会話をしながら、なすとベーコンのトマトパスタを楽しく食べた。

 「それでは、聴いてみてください」といって、ちょっと照れながら信也は、
アコースティックギターを手にした。

 『TRUE LOVE PART 2』は、ゆったりしたテンポの、メロディが美しいバラードであった。

 最初に作った『TRUE LOVE 』が、スタッカートな、レゲイ調で、ノリのいいのに比べると、
『TRUE LOVE PART 2』には、その旋律に、心に沁みる、洗練された美しさがあった。


 TRUE LOVE ( ほんとうの愛 ) PART 2 作詞作曲 川口信也

愛について 考えたり 話したりって
とても 日常の会話とかには できないこと
それなのに 元気に生きているうちに
ほんとうに 知りたいことっていえば
やっぱり 愛についてって ことになる

だから ぼくは 愛についての本を 読んだりもする
ぼくって カトリックの 信者じゃないけどさ
修道女の マザー・テレサの言葉に 感動もする!
「地球で もっとも 偉大な力 それは 魂の音楽」
「愛して 愛される 時間を 持ちなさい」・・・とか

でも別に 愛って 宗教の 専売特許じゃないわけで
ぼくたちは 誰かを 好きになったりすることで
愛に出会ったり 愛について 学んだりする
愛の すばらしさや パワーを感じたりする
「愛こそすべて」なんていう 歌も生まれたり!

あああ もしも 世界に 愛がなかったとしたら
どんなに 無情と殺伐の 世界になるんだろうか!?
マザー・テレサが こんなことを 語っているそうだ
「愛の欠如こそ いまの世界の 最悪の病です」と
愛のない人で  あふれている この世界なのか? 

あああ それにしても 不思議に思うのだけど
愛って どこから生まれてくるのだろうか!?
愛という概念(がいねん)も 神という概念に似て
それを 信じられるか 信じられないかで
その人の 幸福や 不幸が決まる気もするけど・・・

やっぱり この人生は 愛に出会うための
長い旅のような 気がする ぼくなんです・・・
ふり返れば ぼくにも 愛のない時期があったんだよ
いまは その愛の存在を 信じられるんですよ
だから ぼくは これからも 愛の歌をうたうのさ!

True love is beyond human wisdom.
( ほんとうの愛は 人の英知を 超越している )
True love is really beautiful thing.
( ほんとうの愛は ほんとうに美しいもの )


≪つづく≫ --- 74章 おわり ---

75章 バッハの話に熱中の信也と詩織

75章  バッハの話に熱中の信也と詩織

 3月22日、日曜日。春らしい、おだやかな風の吹く、青空である。

川口信也と大沢詩織は、行きつけの、下北沢西口から歩いて1分の、ケーキと喫茶の店、
TiSSUE(ティッシュ)で、チーズケーキや、かぼちゃのケーキを食べながら、くつろいでいる。

 TiSSUEは、信也の2つのマンションからも近い、明るい店内には、
本がならんだ棚(たな)もあって、家庭的で可愛(かわい)い内装だった。

「しんちゃん、できたばかりの、『TRUE LOVE 、PART 2』、聴かせていただいたけど、
よかったわよ。感動しちゃったわ。うっふふ。さすが、しんちゃんって感じ・・・」

「あ、あれね。ありがとう。詩織(しおり)ちゃんにそういってもらえると、うれしいよ。あっはは。
でもね、あの歌はね、うちの美結(みゆ)ちゃん、利奈(りな)ちゃんに聴いてもらったんだけどさぁ、
歌詞に、マザー・テレサという、カトリック教会のシスター(修道女)を書いたものだから、
ポップミュージックとしてとか、商業的にはとか、ふさわしくないんじゃないかとか、
二人には、けっこう言われちゃったんだよ。あっはっは」

「そうなの。でも、きっと、お兄ちゃんのことが心配で、好意的にいろいろ言ってくれたのよ。
美結ちゃんも、利奈ちゃんも、とても気持ちのやさしい人たちですもの。
マザー・テレサさんって、やっぱり心のやさしい人で、
長い間、献身的なお仕事を続けていらして、ノーベル平和賞を受賞したんでしょう。
インターネットで調べてみたの」

そういって、詩織は、育ちのいいお嬢さまといった、どこかいつも上品な瞳を細めて、
信也に微笑んだ。

 ・・・詩織のミディアムヘア、長すぎず、短すぎず、かわいい・・・、と信也は、ふと思う。

「おれてってさ、バッハのことが気になってね。バッハって、あの、G線上のアリアとかで、
有名な、ヨハン・ゼバスティアン・バッハなんだけどね。
彼は、18世紀のドイツで活躍した人で、65歳の人生だったんだけど、
それまでの音楽を集大成したりして、西洋音楽というか、現代音楽というか、
現在ある音楽への道を拓(ひら)いた天才だったんだもんね。
ベートーヴェンは、バッハの芸術のことを、大海のように、果てしなく、広く、深いと言っているけどね。
しかしまた、バッハのまだ生きていた時には、いまほど評価はされていなくって、
作曲家というよりも、宮廷や教会のオルガンの演奏家だったり、聖歌隊の指導者だったらしいけどね。
おれが、不思議に思うことというのが、なぜ、バッハがあのような偉大な芸術家になれたのか?
現代人が聴いても、感動的な作品を創造できたのか?というようなことなんですよ。
そんなことを考えていたら、バッハは、やはり、神への信仰が深かったわけでしょうから、
おれも、ふと、神さまっているのかな?とか考えをめぐらしてしまうわけですよ。あっはは。
そんなわけで、つい、歌詞に、マザー・テレサとか書いちゃったんだろうね」

 そういって、やさしい眼差しで語りかける、信也の表情を、うっとりと眺(なが)める詩織である。

・・・しんちゃんって、ロックミュージシャンなのに、知性的な容姿なんだから。
それなのに、野生さもあるんだから。いまに、芸能界で大ブレイクしちゃったり、
・・・と詩織は、信也に見とれながら、ぼんやりと思う。

「・・・そうなんだぁ。確かに、バッハの、G線上のアリアとかって、そのモチーフ(主題)は、
神さまやキリストのような感じですものね。
しんちゃんも、そのうち、神さまを信じるようになったりしちゃったり。うっふふ」

「そうだよね。バッハみたいに、美しくって、人々に愛され続ける、
永遠に残るような作品を創造できるのなら、神さまを信じるかもね。あっはは」

「うっそー!しんちゃん」

「な、わけないって、詩織ちゃん。あっはは。
おれって、なかなか、神さままでは信じられないよ。実際に見たりしない限りね。あっはは」

「よかった。それで安心。わたしも、信仰心って、希薄なのよ。うっふふ」

「まあ、おれも、一生、信仰心は薄いんだろうね。詩織ちゃんと同じさ。それでもいいじゃん。あはは。
でもね、バッハのことを調べているうちに、わかったこともあるんですよ。
やっぱり、バッハという人の中には、いわゆる『愛』っていうものが、
それこそ、ベートーヴェンが言うように、
果てしなくて、広くて、深いものとして、あったんだんだろうってことを思うんですよ。
そんな大きな『愛』が、バッハの芸術を、大海のように、美しい、生命力のある、
いつまでも人に感動を与える、すばらしいものにしているんだろうってことですよね」

「そうよね。しんちゃんの言うとおりね。愛の力よね。愛の力って、偉大よね。
それに、バッハの曲を聴くことって、歌の創作には、とてもいいことだと思うわ。
だって、たとえば、ハードロックのディープ・パープルのギターリストのリッチー・ブラックモアだって、
バッハやクラシック音楽から強い影響を受けていて、バッハの曲のコード進行を、
ハイウェイ・スターとかに使っているらしいもん」

「そうだね。バッハって、ロックに通じる人なんだよね。ロック魂の元祖かもしれないなぁ。あっはは。
なぜならね。バッハの生きていた時代には、マルティン・ルターという、偉大な宗教改革者がいたんだよね。ルターは、当時の腐敗の進行するカトリック教会と対決し、宗教改革の立ち向かい、
聖書のドイツ語訳を完成させたりしたんだよね。そのルターの魂を受け継いだ一人が、
バッハだったというわけなんだよね。脳科学者の茂木健一郎さんも、
そんなことを『音楽の捧げもの』っていう本に書いているんですよ」

「わたしも、その本は持っているわ。茂木さんって好きだな。やさしくって、愛のある人よね。
茂木さんって、音楽好きよね。やっぱり、クラシックが1番好きなのかしら!?
私たちの音楽も、好きになってくれると、うれしいわよね、しんちゃん」

「うん、そうだね」

 信也と詩織は、目を合わせて、楽しそうにわらった。

≪つづく≫ --- 75章おわり ---

76章 モリカワのお花見の会

76章  モリカワのお花見の会

 3月28日、土曜日。うららかな春の日差しが暖かい、青空の正午ころ。

 下北沢駅南口から、歩いて3分の、ライブ・レストラン・ビートでは、
モリカワが主催の、お花見の会が始まっている。

 ライブ・レストラン・ビートの日当たりのよい南側には、雨除けの屋根のある
オープン・テラス・カフェがある。4人がけの丸いテーブルが15卓(たく)あった。

 モリカワの社員や招待の客で、すべてのテーブルは満席である。

 カフェの芝の庭には、ソメイヨシノ(染井吉野)や、
山桜、雛菊桜、豆桜、大島桜、河津桜などの桜が植わっている。

 ほぼ満開のソメイヨシノの近くのテーブルには、
川口信也と清原美樹と小川真央と松下陽斗(はると)の4人がいる。

 青空の中、淡いピンクに染まるソメイヨシノの、神秘的な美しさに、心も弾む、美樹であった。

・・・お父さんと、森川社長は、いつも仲がいい。幼なじみなんだから、自然なんだろうけど・・・

 そんなことを思いながら、隣のテーブルで、愉快そうに声高らかにわらっている、
美樹の父の清原和幸と森川誠を、美樹は見る。

「美樹ちゃん、真央ちゃん、入社、おめでとうございます!
陽(はる)ちゃんは、いよいよ、大学も卒業で、
本格的にピアニストとして活動できるわけですよね。おめでとうございます!」

 川口信也が、清原美樹と小川真央の二人に、目元のやさしい笑顔でそういった。

 美樹と真央は、早瀬田大学を卒業して、外食産業のモリカワに就職が決まったのだった。
東京芸術大学を卒業した松下陽斗は、プロのミュージシャンとしてやってゆく。

「ありがとう、しんちゃん。わたしも、モリカワさんに就職できて、よかったわ。ねっ、真央ちゃん」

「ええ、わたしも、モリカワさんで、よかった。モリカワさんの社員本位の経営理念って、
徹底しているですもの。わたしたちみたいに、芸能活動もしながらでも、
モリカワさんでは、それを応援してくれるんですもん。最高にいい環境の会社です。ねっ、美樹ちゃん」

「うん。モリカワさんは、人間本位で、働きやすそうで、理想的な会社だと思います」

 美樹もそういって、はちみつサワーに、口をつけた。

 テーブルには、枝豆、焼き鳥、から揚げ、卵焼きなどのお花見料理の定番がそろっている。

「モリカワは、派遣やアルバイトの人にも、福利厚生を重視していますからね。
ぼくも、感心することばかりですよ。森川社長は、会社経営を芸術活動のように、
人に感動を与えるもんじゃないといけないと、考えていますからね。すごい人ですよ。あっはっは」

 そういって、わらって、スーパードライの生ビールを飲む、信也だった。

「おれも、モリカワ・ミュージックに入れさせてもらっていて思いますけど、印税とかの面でも、
他者と比べても、よくしていただいてますよ。まったく、悪徳業者や、ブラック企業、
自分だけ良けれいいという不心得者ばかりのような世の中に、
心の洗濯をさせていただけるような、ホワイト企業ですよ、モリカワさんは!あっはは」

 そういって、美樹の彼氏の陽斗がわらった。

 ヨハン・ゼバスティアン・バッハの話で、意気投合して、話に熱くなっている、信也と陽斗であった。

「バッハの音楽は、キリスト教的でありながら、
キリスト教を越えた普遍性を持っていると、ぼくも思うんですよ。
だから、無信仰の人にでも、いまも感動を与えるんだと思うんです」

 生ビールでいい気分の、陽斗が信也にそう語った。

「そんなんですよね。はる(陽)ちゃん。バッハの音楽は、崇高さというか、
壮大なスケールの美しさと同時に、
人間らしさというか親しみやすさの、聖と俗とでもいうような、両面をもっていて、
芸術性としては、最高峰なんだと思いますよね。
それは、まるで、詩人で童話作家の宮沢賢治を思わせるような、感じもするんです。
賢治も、仏教の法華経(ほけきょう)を信仰していたようですからね」

「何かを信仰するかどうかは、ともかくとして、ぼくは、愛する力とでもいうのか、
そんな、愛ということを、大切にしていく考えが、必要な気がするんです。
ねえ、美樹ちゃん」

「うん、そうよね。はる(陽)くん。ニーチェも、こんなこと言っているわ。
『人を愛することを忘れる。そうすると次には、自分の中にも愛する価値があることすら、
忘れてしまい、自分すら愛さなくなる。こうして、人間であることを終わってしまう』とか、
『誰かを愛するようになる。すると、よい人間へと成長しようとするから、
まるで、神に似た完全性に近づくような人間へと成長していくこともできるのだ』とか・・・」

「おおお、さすが、ニーチェですね。いいことを言っているよね。美樹ちゃん。
ぼくは、最近、脳科学者の茂木健一郎さんの本を読みふけっていてね。
茂木さんは、『物質であるはずの脳が、なぜ、意識を持つのか?』
という不思議としか説明のしようのない難問を真面目に研究している人で、
そのことだけで、ぼくなんか、尊敬しているんだけど、その茂木さんは、
『意識の素(もと)と言ってもいい、クオリア(質感)と呼ばれる神経細胞による脳内現象の、
起源が、もし解明されれば、アインシュタインの相対性理論以来の、
最大の科学革命になるだろう』って言っているんだよね。
あっはは。むずかしい話をして、ごめんね。
ぼくが言いたいことを、簡単にいえば、茂木さんは、『物質である脳が、意識を持つこと自体が、
不思議な奇跡である』って言っているんですよ。
ぼくはその言葉に、素直に感動しちゃうんですよ。そして、つい、ぼくは思っちゃうんです。
愛の正体って、これなんだ!ってね。物質である脳が、意識を持つということが、
愛による奇跡であって、愛の力の偉大さの証明だってね!
でも、ぼくはホント、そう思うんですよ。これが愛の正体であり、愛の力なんだってね。
あっはは。酔っぱらいの、バカげた話っぽいかな。あっはは」

「そんなことないわ。しんちゃんの考え方、わたしも、わかる気がするもん」

 と、美樹がそういって、信也に微笑む。真央も陽斗も、「わかる、わかる」といって、うなずいた。

「私たちが生きてゆけるのって、愛の力があるからだと思うわ!」

 美樹がそういった。みんなは明るくわらった。

≪つづく≫ --- 76章おわり ---

77章 川口利奈、大学の音楽サークルに入る

77章 川口利奈、大学の音楽サークルに入る

 川口利奈(りな)は、入学したばかりの早瀬田(わせだ)大学の、
健康栄養学部・管理栄養学科で、仲よくなった木村奏咲(そら)と、
サークル活動の学生が集まる学生会館に向かって、楽しそうに話をしながら歩いている。

「戸山(とやま)キャンパスって、樹の緑もたくさんあって、芝生もきれいで、気持ちいいよね」

 利奈は、奏咲(そら)にそういって、ほほえんだ。

「うん、そうよね。わたし、この大学を選んでよかった。イケメンの男子も多いんじゃないかしら?」

「そうかしら?」

 利奈と奏咲(そら)は、目を合わせて、声を出してわらった。

 春の陽ざしが静かにそそぐ、キャンパスの風景に、ふたりの胸もはずんだ。

 二人が向かう学生会館は、東棟(ひがしとう)が11階で、
西棟(にしとう)が6階という、大きな建物である。

 西棟(にしとう)の2階にある、春の陽ざしも入る大ラウンジでは、
ミュージック・ファン・クラブ(MFC)の部員たちが、ソファやテーブルのイスでくつろいでいる。

 大ラウンジには、セブンイレブンもある。食品、雑誌、文房具、生活用品、
ATMも完備している。予約の弁当の受付、配達もおこなっている。
3階には、ファーストフードのモス・バーガーもある。

 ミュージック・ファン・クラブ(MFC)は、大学公認のサークル活動で、
ポップ・ミュージックやロックやブルースなど、いろいろな幅広いジャンルの音楽を気軽に楽しんでいる。

 毎回のライブごとに、気の合う人と、バンドを組んだり、
あらたなメンバーを集めたりする、フリーバンド制で、
音楽を楽しむことを大切にするサークルであった。

 部員数は、男子32人、女子37人で、69人だった。

「よく来てくれましたぁ。サークルのみんな、大歓迎なんです。はははは」

 遠慮がちに、そーっと、大ラウンジに入ってきた、利奈と奏咲(そら)に、
谷村将也(しょうや)はそういうと、ちょっと頭をかいて、照れながらわらった。

 大学4年になった谷村将也(しょうや)は、MFCの幹事長になった。
これまで、幹事長だった矢野拓海(たくみ)は、大学を卒業した。
これまで、会計を担当していた岡昇は、3年生になって、
いまは副幹事長をしている。

「みなさーん、今度、サークルに入ってくれることになりました、川口利奈さんと、
木村奏咲(そら)さんです。利奈さんのお兄さんは、大先輩の、
クラッシュ・ビートの川口信也さんです。ご兄妹(きょうだい)で、
ミュージック・ファン・クラブに入っていただけるということで、大変にうれしいことですよね」

 みんなの歓迎の拍手が、大ラウンジに鳴り響いた。

 「みなさん、よろしくお願いします」

 利奈と奏咲(そら)は、さわやかな笑顔で、みんなにむかって挨拶をした。

「利奈ちゃん、奏咲ちゃん。おれ、岡昇です。わからないことがあったら、
なんでも、おれに聞いてくださいね。信也さんには、いつもお世話になっているんですよ」

 岡昇が、利奈と奏咲にそういった。

「利奈ちゃん、奏咲ちゃん、よろしくね。これから音楽を楽しくやりましょう!」

 そういって、利奈と奏咲に握手を求めたのは、ロックバンド、グレイス・ガールズの、
ギターリストでヴォーカリストの大沢詩織である。詩織は、この4月から、3年生だった。

「詩織さん、こちらこそ、よろしくお願いします」

 利奈は、信也の彼女である詩織とは、すでに親しい仲だった。

「わたしたちの、グレイス・ガールズは、リーダーの美樹ちゃんが卒業しちゃったから、
ちょっとさびしかったのよ。美樹ちゃんは、いまだって、グレイス・ガールズのリーダーですけどね。
でも、利奈ちゃん、奏咲(そら)ちゃんが入ってくれたのは、すごく、うれしいわ!ねえ、みんな!」

 グレイス・ガールズのドラムスの菊山香織は、そういって、微笑んだ。

「うん。利奈ちゃん、奏咲(そら)ちゃん、大歓迎よ!」

「利奈ちゃん、奏咲(そら)ちゃん、これから、よろしくね」

 グレイス・ガールズの、ベースギター担当の平沢奈美と、
リードギターの水島麻衣は、心の底から、うれしいといった笑顔でそういった。

 この4月から、平沢奈美は大学3年生になり、菊山香織は4年生、
リードギターの水島麻衣は4年生になった。

「わたしたち、グレイス・ガールズさんの歌が好きなんです。すごく、憧れてもいるんです。
そんなわけですから、憧れのみなさんと、音楽活動ができるなんて、夢のようにうれしいんです。
それに・・・、わたしたちも、オリジナルの歌を作れるように、がんばれたらいいなと思っています。
ね、奏咲(そら)ちゃん。目標は高くもって、グレイス・ガールズさんたちのようになれたら、
うれしいなと思っていいます。ね、奏咲(そら)ちゃん。
でも、きっと現実はきびしいですよね。でも、いつまでも叶(かな)わなくても、
そんな夢を追うのもいいのかなって思ったりもします。
でも、歌うことは、わたしも、奏咲(そら)ちゃんも大好きなんです。これから、よろしくお願いします!」

 兄の信也に、容姿や性格とかが、どことなく似ている利奈が、
思うままに素直に、そんなことをいうものだから、みんなの明るいわらい声が、大ラウンジに響いた。

≪つづく≫ --- 77章 おわり ---

78章 岡と利奈、テイラー・スウィフトを語る

78章 岡と利奈、テイラー・スウィフトを語る

 4月10日、金曜日の午後の3時を過ぎたころ。曇り空であった。

東京都新宿区の戸山にある、早瀬田(わせだ)大学の戸山キャンパスの、
学生会館・西棟(にしとう)の2階の大ラウンジには、ミュージック・ファン・クラブ(MFC)の部員が集まっている。

 大ラウンジの大きな1枚ガラスからは、新緑の樹木や学生が行きかうキャンパス(校庭)が見える。

 ソフトドリンクを飲みながら、川口利奈と岡昇が、テーブルで雑談している。

「わたしの好きなミュージシャンですかぁ。女性ではやっぱり、テイラー・スウィフトかしら?
フジテレビで、テラスハウスやっていたじゃないですかぁ」

「あの番組は、ぼくも大好きで見てましたよ。俳優志望の菅谷哲也さんが、
なんとなく、ぼくに似てるかなって思ったりして。あっはは」

「あ、そういえば、てっちゃんと、岡さんって、どこかにてますよ。
性格のいいところとか、あっはは。てっちゃんと、同じ年くらいなんですか?」

「調べたんですけど、てっちゃんは、今年で22歳、ぼくは21歳で、ぼくのほうが、
1歳くらい年下なんですよ。あっはは」

「そうなんですか。てっちゃんって、テラスハウスの癒(いや)しキャラだったじゃないですか、
わたし、岡さんと話ししていても、癒される気がします。やっぱり、てっちゃんと、どこか似てますよ。
うっふふ」

「そうですか。てっちゃんも、おれも、料理を作るのが好きだったりして、似ているんですよ。あっはは」

 そういって、岡は、わらいながら頭をかく。

「岡さんも、てっちゃんみたいに、きっと、家庭的なんでしょうね。きっと、。いいお父さんになれますよ」

「あっはは。ありがとう、利奈ちゃん」といって、また、岡は、洗ったばかりのようなふさふさの髪をかいた。

「テラスハウスの主題歌って、テイラー・スウィフトの大ヒット曲だし、名曲ですよね、岡さん」

「そうですよね。でも、なんていう歌でしたっけ?」

「やだあ、岡さん。あれは、We Are Never Ever Getting Back Together、
私たちは絶対に絶対にヨリを戻したりしない、ですよ。長いタイトルですよね」

「長いし、覚えにくいし、よく考えれば、恐(こわ)い内容のタイトルですよね。あっはは」

「なんでも、テイラーちゃんが、大失恋のときに、できた歌らしいです。彼女はスゴイですよね。
失恋でも何でも、歌にできちゃうんですから」

「まったくだよね。自分の恋愛体験から、人に元気や勇気や癒しとなる歌を作れるんだから、
天才的ですよね。ぼくたちも、見習うべきなところ、たくさんありますよね。利奈ちゃん」

 テイラー・スウィフトは、2006年、15歳で、第1作のアルバムの
『テイラー・スウィフト』を発表、全米カントリー・チャートで1位となる。
2010年には、ビヨンセやレディー・ガガという、スーパースターを退(しりぞ)け、
史上最年少、20歳で第52回グラミー賞を受賞している。

「ちょっと前ですけど、SONGSに、テイラーさんが出ていたんですよ。岡さんは、見ましたか?」

「あれは、ぼくも見ました。ちゃんと録画してありますよ」

「わたしも、録画しました。テイラーさんの素顔がわかる貴重な番組だったですよね」

「うん、We Are Never・・・なんとかも、歌ってくれたしね」

「テイラーさんは、毎日どんな時でも、曲のインスピレーションが生まれるって言ってましたよね。
自分でも予想がつかないくらいに、真夜中にでも、アイデアが浮かぶことも多いとか、言ってましたよね。
やっぱり、才能のある人は、違うんだなぁって、凡人のわたしは、羨ましいと思っちゃいました。あっはは」

「才能のある人って、きっと、24時間、好きなことばかり考えてられるんですよ。
才能のある人は、人一倍努力の人でもあるってことですよね。
テイラーちゃんは、メロディーを忘れないように、携帯に録音しておくっていってましたよね」

「そうですよね、岡さん。確かに、好きなことに努力できる人が、才能のある人なのかもしれませよね。
仲里依紗(なかりいさ)さんが、テイラーさんに質問していましたよね。
『テイラーさんとって、歌ってなんなんですか?』って。テイラーさんの答(こた)えた言葉が、
すばらしくって、わたし、心に刻んで、よく覚えているんです」

「あ、確か、いいこと言っていたよね。なんて言ってたっけ。利奈ちゃん」

「テイラーさん、こんなことを言っていたんですよ。
歌って、どんな問題も解決してくれるものなのって。それが気休めだとしてもねって、
付け加えてましたけど。うふふ、かわいい人ですよね。
あと、彼女は、歌は自分の人生のサウンド・トラックねって言ってましたよね。
それは、どういう意味かというと、街を歩くときとか、
ヘッドフォンから音楽が流れてきたら、周(まわ)りの光景とかが、
すべて違って見えてくるじゃないですか、そんなことを意味して、
テイラーさんは、歌は自分の人生のサウンド・トラックって言っているんですよね。
わたし、それを聞いて、テイラーさんって、考え方がしっかりしているんだなぁって、
つくづく感心したり、尊敬しちゃいました。
あと、テイラーさんは、音楽のおかげで、思い出もよみがえってくるとか、
世界で1番大切なものだわって、言っていましたよね。
歌に関して、まるで、わたしの言いたいことをすべて、代弁してくれているようで、
テイラーさんは、いまのわたしの、もっとも、尊敬しているミュージシャンのひとりです」

「ぼくも、テイラーちゃんは、尊敬するし、憧(あこが)れちゃいますよ。あっはは。
あの、SONGSでは、彼女は、農園で育ったから、自由に走り回って、
想像の翼を広げることができたんだって、言っていたじゃないですか。
それって、すごく大事なことなんだろうなって、ぼくは感じたんですよ。
つまり、人間って、自然に接しながら、のびのびと育って、生きることから、
想像力や、創造性も、身についたり、育ったりするんだろうなって、あらためて感じたんです。
自然と、どのように、交感したりし、つきあって生きるかって、とても大切なんだと思ったんです」

「そのとおりだと思います、岡さん。、彼女のご両親は、アメリカのペンシルバニア州に、
住んでいらっしゃって、林業を営んでいて、クリスマス・ツリー用の数千本もの、
モミの木の農園をしているそうですよね。
そんな自然に恵まれた環境で、彼女は育ったということですものね」

「そうだよね。大自然の環境の中から、テイラーちゃんは、人間味豊かに、
感性も豊かに、育っていったってことだよね。自然って、大事だよね、利奈ちゃん。あっはは」

 いつのまにか、利奈と岡は、信頼しあえる、友だちになっていた。

≪つづく≫ --- 78章 おわり ---

79章 利奈の夢の中の、ロバート・ジョンソン

79章 利奈の夢の中の、ロバート・ジョンソン

 4月19日、日曜日。くもり空であるが、南からの風が吹いている。

 朝、ベッドで微睡(まどろ)む川口利奈は、夢を見ていた。

 目覚めた利奈は、楽しかったその夢を、忘れないように、ベッドの中で思い出している。

 夢の中では、早瀬田大学で知りあったばかりの1年生の菊田晴樹(はるき)と、
その菊田が敬愛しているという、伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソンが、
利奈に会いに来ていた。

 場所は、どこであったか、よくわからなかったが、利奈は気持ちが晴々としていて、楽しかった。

「Nice to meet you!(はじめまして!)」

 ロバート・ジョンソンは、利奈に、英語でそういった。

 利奈も同じように、英語で、「Nice to meet you!(はじめまして!)」といって、笑顔で挨拶をした。

「晴(はる)ちゃんからは、利奈ちゃんのことを、話してもらっているんですよ。あっはは。
利奈ちゃんは、歌が大変に上手で、それに、かわいいお嬢さんで、
今度、ミュージック・ファン・クラブ(MFC)で、ギターを教えてあげることになったんだって、
ぼくに自慢するんです。あっはっは。
それで、ぜひ、ぼくも利奈さんにお会いしたですって言ったら、
じゃあ、今から会いに行こうって、はるくんが言って、こうしてやって来たんですよ。
きょうは、お天気でよかったです。ぼくは、ほんとうに、利奈さんにお会いできて、誠に光栄です!」

 ロバート・ジョンソンは、利奈に、日本語でそういったのだった。

・・・ああ、ロバート・ジョンソンが、日本語で話してくれて、よかったわ。英語じゃあ、
きっと、わからなかったもん・・・

 利奈は、そう思って、ほっとした。実際に会ってみると、ロバート・ジョンソンは、黒人なのに、
それほど、黒っぽくなくて、写真で知っている彼は、なんとなく恐そうなイメージがあったが、
やさしい目元の紳士である。

 利奈の166センチの身長よりも、ロバート・ジョンソンも、菊田晴樹(はるき)も、背は高かった。
二人とも、177センチくらいで、同じくらいの背丈であった。

「わたしも、ロバートさんにお会いできるなんて、夢のようですわ!
たくさんのブルースマンがいるのに、あなたは、その中でも、天才中の天才なんですもの。
晴(はる)ちゃんと同じように、わたしも、あなたのことを尊敬しています!」

「ありがとうございます。歌も音楽も、楽しみながら続ける、自分の魂の表現ですからね。
それが、なんとかして、成功すれば、自分以外の人の魂にも、届くかのなって思って、
ぼくは、ブルースを歌い続けているんです。
少しでもぼくの音楽で楽しんでもらえたら、ぼくも幸せです。あっはは
利奈さんにも、はる(晴)くんにも、これからも、音楽、楽しんでもらいたいです!」

「ロバートさんに、こんなふうに、応援してもらえるなんて、ぼくたちも、幸福ですよね。
ぼくたちの目指している、音楽スタイルというか、演奏方法は、
ロバートさんと同じような、弾き語りだからね。利奈ちゃん、音楽がんばろうね!
利奈ちゃんは、ピアノは上手なんだし、歌もうまいし、音楽のセンスはいいんだから、
ギターの弾き語りだって、すぐできるようになるよ、だいじょうぶ、だいじょうぶ!」

 先日、岡昇から、ギターのインストラクター役(やく)として紹介してもらった、
早瀬田大学1年生の菊田晴樹(はるき)が、夢の中でそういって、利奈に微笑んだ。

 菊田晴樹(はるき)が、敬愛している、ロバート・ジョンソンは、1911年から1938年の、
28歳という短い生涯であった。彼は、アコースティック・ギター、1本で、ブルースを弾き語りして、
アメリカ大陸中を渡り歩いた。その音楽は、現在もロックやポップスに多大な影響を与え続けている。
最高のブルースであるばかりではなく、
音楽とは何かを、誰にでも考えさせずにはおかない、といわれている。

≪つづく≫ --- 79章 ---

80章 マイケル・ジャクソンを絶賛する、川口信也

80章 マイケル・ジャクソンを絶賛する、川口信也

 ゴールデンウィークの5月3日。
南からの風が吹く、暑いくらいの晴れた日曜日の正午ころ。

 下北沢駅南口から歩いて5分の、ライブハウス EASY(イージー)のテーブルには、
川口信也と、クラッシュビートのリーダでもある森川純(じゅん)と、
信也の妹の利奈と信也の彼女の大沢詩織の、4人がくつろいでいる。

 4人がけの四角いテーブルに、純と詩織、信也と利奈と、座っている。

「利奈ちゃん、いつでも、この店で、歌うたって、ライヴやっていただいて、いいんですから!」

 森川純が、人なつっこそうな笑顔で、信也の横の利奈に、そういった。

 利奈には、紳士で男らしさのある森川純が、兄の親友であることが嬉(うれ)しかった。

 ライブハウス、EASYは、着席で60人、スタンディングで90人の、モリカワの直営店である。
内装には自然の木を豊富に使い、椅子やテーブルやカウンターは、木目も美しい。

「ありがとうございます。純さん。でも、わたし、ギターの弾き語りも、習い始めたばかりなんです。
ですから、、ライヴなんて、まだまだ無理ですよぉ。歌うのは大好きなんですけどね。うふふ」

「あっはっは。大丈夫ですよ、利奈ちゃん。
あなたには、お兄さんと同じ才能があるはずなんですから。なぁ、しんちゃん、あっはっは」

「利奈は、おれに似て、歌うのは大好きで、確かに歌はうまいと思うよ。
魅力的なヴォーカルと、技術的にうまいヴォーカルとは違うわけでね。
内面的にいいものを持ってるんじゃないかなぁ、あっはは。
身内で、自画自賛して、兄妹して、ばかみたいだけど。あっはは」

「それでいいんですよ。自賛しなければ、何も始められないんだから、本当は。
ばかでも何でもないですよ。最近の日本人は、どうも、始める前に諦(あきら)めてますよね。
なんでも、チャレンジすることに、第1に価値があるんですから。失敗したっていいんですよ。
失敗を恐(おそ)れたり、諦(あきら)めることのほうが、大きな間違いであって、損失ですよ」

「さすが、純ちゃん、森川誠社長と同じことを考えているんですね。あっはは」

「いやーあ、いつも、オヤジに言われていることが、頭の中にインプットされてしまって!
しんちゃんも、会社で聞き飽きていることだよね。あっはは」

「社長のチャレンジ精神の勧めは、おれも大賛成だから、純ちゃん。
チャレンジ精神が無くなったら、会社も、個人も、世の中も、
よい方向に発展するわけがないから絶対に」

「わたしも、日々の、チャレンジが大切だと思うわ、しんちゃん。・・・ね!利奈ちゃん!」

 そういって、やさしく微笑む、森川純の隣の、詩織である。

「わたしも、そう思います!詩織さん!」

 詩織の向かいに座る利奈が、そういって、無邪気な子どものようにわらう。

「詩織さん、わたし、ギターを練習しているんですけど、弦を押さえる指先が、
いつまでも痛くって、実は困っているんです。そのうち、痛くなくなるのかなって、
思っているんですけど。痛くなくなる、いい方法って、何かあるんでしょうか?」

 利奈は、いつも清らかで、すっきりしている詩織の容姿に、好感を持っている。

「まぁ、利奈ちゃん、それは、それは。わたしもギターを始めたころは、指先が痛くってね。
誰でもみんな同じなんですよ。そのうち、指先の皮膚がそれになれて、固くなったりして、
痛くなくなるんだけど。もうひとつの方法としては、やわらかい弦にするとか、
思いきって、アコースティックギターから、エレキギターに換えちゃったら、どうかしら。
ね、しんちゃん!?」

「そうだよね。利奈ちゃん、エレキの、テレキャスターとかに換(か)えてみようか?!
おれ、利奈の音楽のためにプレゼントさせてもらうから。ね、利奈ちゃん!
あっ、おれ、気前よくなって、すっかり、このビールで酔ってるわ。あっはは」

「ありがとう!お兄ちゃん!」

 信也と利奈の、そんな会話に、みんなも、声を出してわらった。

  利奈にとって、7つ違いの信也は、利奈も思わず吹き出して、わらってしまうくらいに、
子どもっぽい性格の一面もあるが、いつも頼りになる、しっかりした兄である。

「ところで、利奈ちゃんさぁ」

「なぁに? しんちゃん」

「利奈ちゃんが、この前、ロバート・ジョンソンの夢を見たっていうのには、
笑っちゃったんだけどさ。あはは。でもね、利奈ちゃんのギターの師匠が・・・、
1年の菊田晴樹(はるき)って言ったっけ、彼は、なかなかの音楽センスのある男だと思うけど、
利奈には、ロバート・ジョンソンは、ちょっと、どうかなって、おれは思っているんですよ。
つまり、おれの言いたいことは、ミュージシャンとしての目標としての、
ロバート・ジョンソンは、ちょっと無いんじゃないかなって、ことでさぁ。あっはは」

「わたしだって、女なんだし、ロバート・ジョンソンみたいになりたいなんて、思ってないもん!」

「そうよ、しんちゃん、利奈ちゃんは、ちゃんと、先のことは考えているのよ。
ロバート・ジョンソンのようなギターのテクニックを身につけるってことよね、利奈ちゃん」

「そうなんですよぉ、詩織さん。せっかく、晴樹くんのような、ギターの上手な師匠がいるんですから。
わたしって、知らず知らずのうちに、音楽に関しては、お兄ちゃんからの影響があるって、
よく思うんですけど。でも、よく考えてみたら、
しんちゃんって、どんなミュージシャンを目標としているかって、よくわからないんですよね。
ある時は、セックス・ピストルズなんていうイギリスのパンク・ロックだったり、ビートルズだったりって。
しんちゃんの、いま1番に、目標の、尊敬しているミュージシャンって誰なのかしらぁ?」

「ええっ、目標っすかぁ。そう言われても。おれは、基本的には、いわゆる、白人音楽のカントリーと、
黒人音楽のR&B( リズム・アンド・ブルース)が融合して生まれた、
ロックン・ロールが好きなわけでさぁ。あらたまって、誰が好きかって言われてもね。あっはは」

「まぁ、エルビス・プレスリーってあたりかな。しんちゃんの1番は。あっはは」と、わらう、純。

「プレスリーも、天才的な人で、プレスリーが存在しなかったら、
今のロックン・ロールはなかったと思うけどね。純ちゃん。
でも今のおれの、尊敬するというか、目標とするミュージシャンはですね、
ひとりだけ上げろと言えば、そのひとりは、たぶん、マイケル・ジャクソンなんですよ!」

「あぁ、しんちゃんもそうなんだぁ、うふふ、やっぱり、マイケルなのね。キング・オブ・ポップだし、
かっこいいし、かわいいし、いまも、マイケルが亡くなって、
この世界に存在しないってことが、わたし、信じられないくらいなのよ。
マイケルは、人類史上最も成功したエンターテイナーという、ギネス世界記録も持っているわよね」

「あっはは。詩織ちゃんの心の中では、マイケルは、いまも、いつでも生きているんだよ!
詩織ちゃんはマイケルの大ファンで、CDからDVDから本まで何でも持っているもんね。
おれって、そんな、詩織ちゃんの影響で、マイケルの大ファンになっちゃったんだよ。あっはは」

「そうかしら?でもうれしいわ。しんちゃんも、マイケルのファンなんて。
マイケルって、曲作りも天才的だけど、
ダンスをポップスに取り込んだり、ポップスを、普遍的な芸術にまで高めた、天才だと思うわ。
マイケルがいなかったら、EXILE(エグザイル)も生まれなかったのかしれね、しんちゃん」

「うん、マイケルのダンスとかは、いま見ても、しびれるよね。ねえ、純ちゃん、利奈ちゃん」

「まったくだね。確かに、かれは、キング・オブ・ポップだよ。おれたちクラッシュ・ビートも、
ダンスをやらないといけないかもね、しんちゃん。あっはは」

「まぁ、純ちゃん、おれたちも、ダンスしたくなるような歌をいっぱい作ってゆきたいよね。あっはは」

「わたしも、マイケル・ジャクソンは、大好きよ。そうか、しんちゃんって、マイケルなのかぁ。
わたしも、きっと、マイケルが、目標になりそうだわ。わたしも、ダンスやりたいな!」

「よーし、今度、ダンス教室にでも通おうか?利奈ちゃん。おれも、ダンスは習いたいんだ。あっはは。
まぁ、なんて言うのかな、おれたちの好きな音楽って、運動会でやる、
あのリレーみたいなものじゃないのかな。
そんな意味では、マイケルからのバトンを引き継ぐようなものじゃないのかな。
だから、おれたちも、楽しみながら、新しい音楽つくりとかを目指して、やってゆきたいよね!」

「そうよね」

「そうだよね!」

「そうそう!」

 4人は、顔を見合わせて、明るく、わらった。
 
≪つづく≫ --- 80章おわり ---

81章 20世紀少年と、T・レックス

<章=81章  20世紀少年と、T・レックス >

 5月16日、朝から曇り空の土曜日。

 川口信也に、正午ころ、新井竜太郎から、
「また、一杯どうですか?あっはは」と、電話があった。

 そして、午後の4時過ぎたころ。
信也と竜太郎たは、レストラン・デリシャスで寛(くつろ)いでいる。
信也の妹の美結と利奈もいた。信也の恋人の大沢詩織もいる。
信也に密(ひそ)かな思いを寄せているらしい落合裕子や、
竜太郎の恋人の野中奈緒美もいた。

 信也のクラッシュビートのアルバム制作にも参加している、
キーボーディストの落合裕子と、川口美結は、1993年生まれで誕生日も近く、
22に歳の同じ歳である。二人とも、竜太郎が副社長をしているエタナールの、
芸能事務所、クリエーションで、アーティストやタレント活動をしている。
二人は、無二の親友のように、仲もよい。

 そんな7人が集まっている、デリシャスは、竜太郎のエターナルが、
全国に展開している、世界各国の美味しい料理やドリンクを提供するレストランである。
JR渋谷駅のハチ公口から、スクランブル交差点を渡って、1分の場所にあった。

「しんちゃん、わたしも、T・レックス は好きなのよ」と、微笑みながら落合裕子はいった。

「そうなんですか。マーク・ボランの残した音楽・・・、ボラン・ブギといわれてますけど、
いまでも全然古く感じられないし、その反対に新鮮なんですから、不思議ですよね」

 信也は、生ビールを飲みながら、そういって、裕子に微笑んだ。

・・・裕子ちゃんは、どうも、おれに気があるらしいけど、詩織ちゃんに気づかれないようにしないと、
ヤバいことになりそうだよ。おれも、裕子ちゃんといると、楽しいし、
裕子ちゃんのことはキライじゃないんだし・・・

 一瞬、そんなことが、ほろ酔いの頭に過(よぎ)る、信也であった。

 生ビールを楽しんでいるのは、信也と竜太郎と、その恋人の野中奈緒美との、3人だけだった。
ほかのみんなは、オレンジジュースやソフトドリンクだった。

「そうなんですよ!T・レックスの音楽って、古さを感じないんです!その反対に、
いつ聴いても、メタル・グゥルー(metal guru)とか、ゲット・イット・オン(get it on)とか、
新鮮なんですよね!これって、いったい何なのかしら?音楽って、不思議だわよね!
いつだったかしら、5年くらい前になるかしら?、
『20世紀少年』ていう映画の全3章を、金曜ロードショウで、3週連続でやったですよね。
あれをテレビで見たとき、あらためて、T・レックスが好きになったんです!」

 裕子はそういって、信也に微笑んだ。

「あぁ、あれね。おれも夢中で観た映画ですよ、裕子ちゃん。あっはは。
へヴィ・メタルで、ノイジー(noisy)な、ギターのリフで始まる、
T・レックスの『20th Century Boy』を使っていて、
ちょっと、おれも、あれは新鮮な驚きでした。あっはは。
それに、『20世紀少年』って、『20th Century Boy』の直訳、そのままですよね、あっはは。
あのマンガを描(か)いた浦沢直樹(うらさわなおき)さんも、
絶対、T・レックスが好きなんですよね。ね、竜さん!あっはは」

 そういって、わらって、話を竜太郎にふる、信也である。

「まったく、『20世紀少年』には、T・レックスのあの重厚なギターのリフが、ぴったりだったよ、
しんちゃん。あの映画のために、作られたオリジナルなロックかと思うくらいにね!あっはは」

 そういって、わらう、竜太郎だった。

「わたしも、『20世紀少年』も、T・レックスも大好きです。T・レックスは、
お兄ちゃんが、いつも部屋で聴いていたから、好きになっちゃいました!」

 大学1年の利奈が、無邪気な笑顔でそういった。
 
「そうなの、利奈ちゃんも、T・レックス好きなんだぁ。『20世紀少年』にしても、
T・レックスの音楽にしても、何か、共感するものがある気がするのよね。
なんて表現したらいいのかしら?作者の伝えたいメッセージとでもいうのかしら?」

 詩織は、みんなを見ながら、そういった。

「メーセージね、そうだわねぇ。T・レックスのマーク・ボランは、30歳の若さで、
交通事故で死んじゃったけど、彼の音楽を聴いていると、
決して、商業主義とかから、売れるために作ってはいなかったような気がしてくるの。
彼は、やっぱり、人間を粗末に扱うような資本主義のシステムとかに抵抗しながら、
子どものような、少年のような、純真さを大切にしたかったんだろうなって、
わたしは感じるんですけどね。ちょっと、深読みのし過ぎかしら。あっはは」

 そういって、オレンジジュースを飲みながら、美結はわらった。

「そうよ、きっと、美結ちゃん!わたしたちは、みんな、いくつになっても、
少年や少女の頃の気持ちや心を大切にしたほうがいいんだ!ってことを、
マーク・ボランもいいたかったのよね!?ねえ、しんちゃん」

 カルピスソーダを飲みながら、詩織はそういった。

「そうだよね、詩織ちゃん。きっと、そうなんだよ。たぶん、マーク・ボランも、
少年や少女の頃の心や気持ちを、大切にしたかったんだろうね。
芸術家って、たいがいが、少年少女のころからの夢を追う人たちだからね。
感受性の豊かなころの、心や気持ちを失いたくないと思うことって、
誰にでもあるわけじゃないですか!?
だから、『20世紀少年』のマンガを描(か)いた、浦沢直樹(うらさわなおき)さんも、
T・レックスの音楽に、『なんだ、この不思議な音楽は!?』
と言いながら、深く共感したんだと思うよ」

 そういって、信也は、みんなを見ながら、微笑んだ。

≪つづく≫ --- 81章 おわり ---

82章 信也と裕子、二人だけでお茶をする

82章 信也と裕子、二人だけでお茶をする

 2015年、5月23日、土曜日。よく晴れて、暑いくらいの、午後の2時ころ。

 下北沢駅西口の改札口の付近で、川口信也と落合裕子が、偶然に会った。

 裕子は、白いブラウスとスカイブルーのフレアスカート、ブラックのパンプスというファッションで、
信也は、プリントのTシャツに、ネイビーのパンツとブルーのスニーカーである。

「しんちゃん、もし、よろしかったら、お茶でもしませんか?」

 信也と目を合わせたまま、微笑みながら、落合裕子はそういった。

「そうですね。おれも時間ありますから、ちょっとそのへんのお店に寄りましょうか?」

「はい。うれしいわ。しんちゃんと、二人でお茶するなんて。うふふ」

 二人は、人が行きかう中を、西口商店街に向かって歩く。

「裕子さんも、クラッシュ・ビートには、なくてはならない、メンバーになっちゃいましちゃよね」

「そういっていただけると、わたしも、とてもうれしいです!」

「おれたちも、とてもうれしいんですよ。裕子さんに、キーボードをやっていただけることが。
おれたちのやりたい音楽を考えいきますと、ギターだけには、限界を感ていたんです、以前から。
裕子さんのキーボードの参加で、ジャズからポップスまで、
ほとんんど、全ジャンルの演奏に対応できるんですからね。理想的なんですよ!」

 そういって、信也は、裕子に、涼しげな澄んだ眼差しで、微笑む。

 落合裕子は、1993年3月7日生まれの22歳。身長は167センチ。
今年の裕子の誕生日には、信也たち、クラッシュ・ビートの全員も集まって、
パーティーが開かれた。

 落合裕子は、信也の友達の新井竜太郎の会社でもある芸能事務所、クリエーションの、
新人オーディションに、最高得点で合格した才女で、ピアニストだった。

 今では、裕子は、テレビやラジオの出演も多く、ポップスやクラシック好きの人びとなどにも、
広く知られている。同じクリエーションに所属する、信也の妹の美結とは、同じ22歳でもあり、
おたがいに、何でも話し合える、無二の親友であった。

「セカンド・アルバムも、順調に売れているようなんです。これも、裕子さんの参加のおかげかな!」

「そうですか、よかったわ!でも、わたしの力なんて、微々(びび)たるものですから。
しんちゃんの作る歌は、歌詞もメロディは、抜群なんですよ。センスいいんですもの!
絶対に売れるだろうって、わたしは信じているんです!」

「あっはは。裕子さんに、そんなふうに褒(ほ)めてもらえると、光栄ですよ。あっはは」

「今度のアルバムのタイトルも、すばらしいと思うわ!TRUE LOVE ( ほんとうの愛 )なんて!
わたしたち、女性は、本当の愛とかに、憧れながら生きているんですもの!あっはは」

 裕子はそういって、明るく笑うと、信也と目を合わせた。信也は、身長、175センチである。

「TRUE LOVE、かぁ。本当の愛って、簡単なことなのか?難しいことなのか?ねぇ、裕子さん。
裕子さんには・・・、もちろん、彼氏はいるんですよね?」

「えっ!?彼氏ですかぁ。わたしなんかに、いると思いますか?しんちゃん!」

「ええ、もちろんです。裕子さんのように、眩(まぶ)しいくらいに、魅力的な女性って、
おれだって、知らぬ間に、好きになっちゃいそうですからね。あっはは!」

「わぁー、しんちゃん、ありがとうございます。しんちゃんが彼氏なら、
わたしも幸せですから。あっはっは。・・・わたしって、たぶん理想が高いんですよね。
男友だちなら、けっこういますけど、彼氏にまでなる人って、見つからないいんですよ!
しんちゃんみたいに、T・レックスのマーク・ボランの良さが、本当にわかってくれる男性って、
なかなかいないように、なんですけどね! 」

「あっはは。マーク・ボランの良さね。天才がわかるのは、天才だとか言うこともありますけれど、
おれも、ひょっとして、天才を目指すくらいに、目標を高く設定して、
音楽をやるべきなんでしょうかね?裕子さん。あっはは」

「そうですよ!しんちゃん。しんちゃんは才能あると思います。わたしも応援しますから!」

「ありがとう、裕子さん。あなたは、本当に、心優しくって、ステキな女性ですよ!
おれこそ、裕子さんを応援させていただきますから、いつまでも、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします。わたし、いつまでも、しんちゃんと音楽をやってゆきたいです!」

 そういって、信也と裕子は、微笑み合う。

 二人は、西口から歩いて4分、代田5丁目、客席20席の、完全禁煙、
こだわりの焼きたてパンケーキが人気でもある、カフェ、MOGMOG(モグモグ)に入った。

≪つづく≫ --- 82章 おわり ---

83章 恋のシチュエーション

83章 恋のシチュエーション (Situation of love)

 5月29日、金曜日。東京の渋谷は、北風の吹く、曇り空である。

 2015年5月9日に発売された、グレイス・ガールズ(G ‐ ガールズ )の
セカンド・アルバム『恋のシチュエーション』は、
ビルボード、オリコン、有線などで、ヒット・チャート入りを果(は)たした。
それは、デヴュー・アルバムの 『Runaway girl (逃亡する少女)』に続く、快挙であった。

 シングル・カットされた、『恋のシチュエーション (Situation of love)』も、ヒット・チャート入りである。

 そんな、人気も上々の、G ‐ ガールズと、パーカッションで参加している岡昇は、
渋谷駅から徒歩で12分くらいの、NHKi (エヌ・エイチ・ケイ)放送センターの、
公開・生放送の番組の、『スタジオパークからです!こんにちは!』に出演するところだった。

 2014年の11月3日にも、この番組に出演していて、
これで2回目になる、清原美樹や大沢詩織たちであった。
日本で唯一の、公共放送のNHKi(日本放送協力会)の出演とあって、
今回もまた、すこし緊張の様子ではあるが、
みんなは、いつもの明るい元気な笑顔にあふれている。

 番組は、午後1時5分から始まった。

午後1時5分。生放送は開始された。

 スタジオパークに、G ‐ ガールズに会いたい、見たいと、
詰(つ)めかけている、子どもたちやオトナたちの拍手がわく。

 番組のテーマソングが流れる。

「スタジオパークからです!」と、アナウンサーの井藤雅彦がいうと、
そのうしろにいる、みんなは、
「こんにちは!」と、明るい大きな声で、合唱する。

「やあ、今日も元気ですね!みなさん、ありがとうございます!」

アイボリーな色のラフなジャケットに、ポロシャツ姿の井藤が、周囲に、一礼をする。

「そして、きょうの司会(MC)は、女優の竹下圭子さんです!
そして、今日のゲストは、中高生!特に女の子に、絶大の人気がある、
グレイス・ガールズと、岡昇のみなさんでございます!」

 テレビの画面には、G ‐ ガールズのライヴの映像が20秒ほど放送された。

「ようこそ、おいでくださいましたぁー!これで、この番組のご出演も、2回目ですよね。
そして、発売されたばかりの、セカンド・アルバムやシングル曲が、
またまた、大ヒット中なんですから、ぼくとしても、うれし涙が出てきそうですよ。あっはは。

まず、みなさん、おひとりずつ、ひとことずつ、
自己紹介をお願いします!」

 「はーい、キーボードとヴォーカルをやってます、清原美樹です。
よく、わたしは、リーダーですかって、言われますけど、
うちのバンドには、正式に決まったリーダーはいないんですよ。ぁははは。」

 そういって、清原美樹が最初に自己紹介をすると、G ‐ ガールズの、
ギターとヴォーカルの大沢詩織、リードギターの水島麻衣や、
ドラムの菊山香織、ベース・ギターの平沢奈美、パーカッションの岡昇が、
満面の笑みで挨拶をした。挨拶のたびに拍手がわいた。

 そして、みんな、テーブルに着席した。

 まるいガラス製のテーブルに、ストローつきのグラスの飲み物がある。
みんなの背後には、色とりどりの花束も飾られてあった。

「あらためまして、グレイス・ガールズのみなさんと、岡昇さんです!」

 井藤がそういうと、「よろしくお願いしまーす!」と、みんなの声が揃(そ)ろった。

「みなさん、スタジオパークも、これで、2回目の出演ですよね。
もう、すっかり、全国的な有名人になっちゃいましたよね!?
どうですか、美樹さん?」と、司会の井藤はいった。

「わたし個人としては、あまり世の中に注目されることは、歓迎してないんですよ。
プライバシーの、私生活とか、秘密とかが、守られなくなるような気がするんです。
ごく普通に、暮らしたいんです。ねぇ、みんな、みんなも同じような考えなのよね!」

 清原美樹は、笑顔で、メンバーたちと、目を合わせながら、そういう。

「ああ、それは、ぼくにも、よくわかります。有名人になると、チヤホヤされたり、
特別の目で見られたりって、勘弁(かんべん)と言いますか、
物事の区別をして、わきまえてほしいですよね。あっはっは」

 そういって、司会の井藤はわらった。

「ファンのみなさんには、音楽を聴いていただいたりしていて、プライバシーとかいうのも、
わがままなのもわかるんですけどね」

 美樹は、そういって、ちょっと頭を下げた。

「美樹さん、プライバシーは大切ですから、やっぱり守られなければいけませんよ。
クラッシュ・ビートの川口信也さんも、この前、この番組出演されたときに、
『矛盾(むじゅん)してること言いますけど、おれって、有名人には絶対なりたくないんですよ。
普通に生きる権利のようなもの、プライバシーを守りたいですからね!』って、
言って、笑ってましたもの。あっはは」

「あっ、あの時の放送、おれも見てました。しっかり、録画しました。
クラッシュ・ビートの、歴史的な、NHKi (エヌ・エイチ・ケイ)初出演ですもんね!あっはは」

 岡昇がそういってわらった。

「ファンのみなさんや、マスコミの方々が、日常生活の中では、
あまり騒(さわ)がないようにすればいいんですよ。音楽や芸術のお仕事だって、
仕事は仕事、私生活は私生活ですからね。
そういう、けじめを守るのが、オトナの社会ってもので、文化的な生活や社会ってものですから。
テレビをご覧のみなさま、その点、よろしくお願いします!」

「いいこと言いますね!井藤って。大好きですよ!井原さんみたいな、すてきな人!ぅふふふっ」

 大沢詩織がそういって、わらった。

 「そうそう、井原さんのそういう、正しい考えを、ずばり言うところって、すてきです!」
とかいって、みんなも、わらった。

 「あっはは、ありがとうございます、みなさん。ぼくも、みなさんことは、大好きなんです。
ぼくは、G ‐ ガールズ の大ファンなんですから!
・・・そんな、みなさんとお会できて、お話させていただいていると、
思わず、ぼくも、興奮しているようです。あっはは。
ええと、それでは、ここで、シングル・カットされて、
大ヒット中の『恋のシチュエーション (Situation of love)』を、
みなさんに、ライブ映像で、ちょっと聴いていただきましょう!」

ーーーーーー

恋のシチュエーション (Situation of love)   作詞作曲 清原美樹

「ねぇ チケットあるんだけど
いっしょに 映画に行ってほしいんだけど」

あなたは そう言って わたしを デートに誘う
恋の シチュエーション ときめく シチュエーション

恋に オトナの 駆け引きなんて いらない
いつまでも 優しい あなたで いてほしい

この広い 世の中で 出会えたことって
偶然 必然 運命 奇跡 どれなのかしら?
 
ねぇ 楽しいお話 聞かせてよ
笑わせてくれたら あなたとは 
きっと もっと 仲良くなれるから

ねぇ 幸せな生き方 教えてよ
教えてくれたら あなたとは 
きっと もっと 仲良くなれるから


あなたの望むこと 私の望むこと
二人の望みが どうか 叶(かな)いますように!

頬も 紅くなる 二人 まだ 若いんだもの
恋の シチュエーション ときめく シチュエーション

恋に オトナの 駆け引きなんて いらない
いつも 二人で 愛を 大切にして 生きたいの

この時の 流れの中で 出会えたことって
偶然 必然 運命 奇跡 どれなのかしら?
 
ねぇ 楽しいお話 聞かせてよ
笑わせてくれたら あなたとは 
きっと もっと 仲良くなれるから

ねぇ 幸せな生き方 教えてよ
教えてくれたら あなたとは 
きっと もっと 仲良くなれるから

≪つづく≫ --- 83章 おわり ---

84章 利奈と誠二たち、バンドを結成する

84章 利奈と誠二たち、バンドを結成する

 6月14日の日曜の午後の2時ころ。明けがたまで小雨(こさめ)がぱらついた、
晴れ間もちょっとだけという、曇り空の1日である。

 川口信也のマンションは、下北沢駅からは歩いて8分、池の上駅からは5分である。

 利奈が、代沢(だいざわ)公園のそばにある、そのマンションに引っ越してきたのは、
今年(2015年)の3月6日の金曜日であった。

 その代沢公園は、利奈も大好きである。利奈のやって来たこの春には、桜も咲いた。
花壇は、地域の人たちによって、四季折々の花々が楽しめるように、
苗などの植え付けや、除草などの管理がこまめにされている。

・・・わたしも、しんちゃんも、美結姉(みゆねえ)も、草や木や田んぼとかがいっぱいの、
自然の中で育ってきたから、東京で暮らすと言っても、このへんがちょうどいいのかもしれない。
この公園はすてきだし、河も近いし、山も近いし、緑は多くて、空気もきれいなほうだし。・・・

 公園のベンチに座って、利奈は、そんなことを、ぼんやりと考えていたら、
同じ早瀬田大学の1年で、同じ音楽サークルの、ミュージック・ファン・クラブで知り合った、
沢田誠二がやって来た。

「やあ、利奈ちゃん、元気?きょうは、雨じゃなくってよかったよ」

 誠二は、いつもの爽(さわ)やかな笑顔でそういた。

「わたしはいつも元気よ。せいちゃんも元気そうね。ほんと、雨じゃなくてよかったわ!」

 そういって、利奈も明るく微笑んだ。

「この公園に、おれ来たの、初めてだけど、花もきれいで、すてきな公園だよね!」

「すてきでしょう!わたしのお気に入りなんだ!うふふ」

 誠二は、利奈の横にすわった。

 利奈と誠二は、好きなミュージシャンも、大原 櫻子(おおはらさくらこ)や、
バックナンバー(back number)とかで、気持ちがぴったりと合って、意気投合して、
いっしょに、バンドでも結成して、楽しくやりたいね!ということになったのだった。

 誠二は、ギターもまあまあで、ヴォーカルもうまかった。利奈のヴォーカルを誠二は褒めた。
バンドやるために、ドラムスとベースを、二人は探しているところであった。

 10分間ほど、二人が世間話をしていると、誠二の、ガラケー(従来型携帯電話)が鳴る。

「はい、誠二ですけどぉ。・・・そおっすかぁ。・・・だいじょうぶっすよ。あっはは。
おれも、利奈ちゃんも、初心者って感じですから。あっはっは。
いっしょに、楽しくバンドやってゆきましょうよ!
そうですよ!大学生活に、最高の思い出を作るなら、バンドしかないですよ!あっはは。
じゃぁ、わかりました!こちらこそ、よろしくですー!じゃあ、またぁ!」

 そんなことを話して、誠二は、ガラケーを切った。

「利奈ちゃん、よかったですよ!浦和くんが、ドラム、吉田くんがベースで、
うちらのバンドのメンバーになってくれるって、言ってくれましたよ!あっはは」

「ほんと!よかったわ!うれしいわ!最高!」

 そういって、利奈も満面の笑みで、バンドのメンバーが揃ったことに、歓んだ。

≪つづく≫--- 84章おわり ---

85章 利奈たちのバンド名、ハッピー・クインテット

85章 利奈たちのバンド名、ハッピー・クインテット

 曇り空の6月19日、金曜日。午後の3時を過ぎたころ。

 東京の新宿区、早瀬田(わせだ)大学、戸山(とやま)キャンパスにある、
学生会館には、サークル活動をする学生たちで賑(にぎわ)っている。

 その学生会館の西棟(にしとう)の2階の、大ラウンジでは、
ミュージック・ファン・クラブ(MFC)の部員が集まっている。

 大ラウンジの大きな1枚ガラスからは、緑の樹木や、ひろいキャンパス(校庭)も見える。
その西棟には、コンビニエンス・ストアのセブンイレブンや、
ファーストフードのモスバーガーもあり、ラウンジは、学生たちの憩いのスペースである。

 川口利奈(りな)と、木村奏咲(そら)、沢田誠二と、浦和良樹、吉田健太の5人が、
結成が決まったばかりの、バンドの名前を何にしようかと、
テーブルを囲(かこ)んで、話し合っている。5人はみんな、早瀬田大学の1年生だった。

「ええとぉ、まずは、おれらのバンドのイメージは、どんな感じなんですかね。
そのへんから、バンド名のコンセプションというか、考えは、決まると思うんですよね。
あっはっは」

 そういって、頭をちょっとかいて、話を切り出す、リーダーに決まった、沢田誠二である。
沢田は、謙遜(けんそん)はしているが、ジャズ・ギターの腕前は、
ミュージック・ファン・クラブの中でも、注目でダントツのナンバーワンであった。
沢田は、19世紀初期の天才ジャズ・ギターリストの、チャーリー・クリスチャンや、
ジャンゴ・ラインハルトを尊敬していて、その二人に憧れて、ギターを練習してきたという。

「男子が3人で、女子が2人だから、『男女で2、3』なんてどうかしら?ぅっふふ」

 そういって、わらったのは、急遽(きゅうきょ)、キーボード奏者に決まった、
木村奏咲(そら)だった。木村奏咲と川口利奈(りな)は、
健康栄養学部・管理栄養学科で、仲もいい。利奈の推薦もあって、バンドのメンバーに決まった。

「それも、いいね、奏咲(そら)ちゃん。おれも考えてきたのがあるんですよ。
ハッピー・クインテット(Happy quintet)っていうんだけど。
直訳すれば、幸せな五重奏者ってとこです。あっはっは」

 そういって、沢田誠二は、みんなを見ながらわらった。

「ハッピー・クインテット、それ、ステキじゃないですか!それにしましょうよ!」

 利奈がそういった。

 みんなも、大賛成で、バンド名は、ハッピー・クインテット(Happy quintet)に決まった。

 利奈たちが楽しそうに話しているのを、菊田晴樹(はるき)は、隣のテーブルで、時々見ていた。

 そんな、どこか、さびしそうにしている晴樹に、利奈は話しかけた。

「晴(はる)くん、わたし、バンドに入れてもらうことになっちゃったの!
晴(はる)くんにも、これからも、ギターを教えてもらえたら、うれしいんですけど」

「すてきなバンドの仲間ができたみたいで、よかったですよね、利奈ちゃん!
おれは、利奈ちゃんさえよければ、ギターのことなら、教えてあげたいですよ。
利奈ちゃんのお役にたてるのなら、いつでも、よろこんで!」

 菊田晴樹(はるき)は、そういって、爽やかな笑顔で、利奈を見た。

 菊田晴樹と、利奈の隣に座っている沢田誠二は、笑顔で、軽く、挨拶しあった。

 ふたりとも、同じ1年生でありながら、菊田晴樹は、ブルース・ギターがうまく、
沢田誠二は、ジャズ・ギターの名手であった。

 ふたりとも、お互いを意識していたが、これまで、親しく、話したことはない。

≪つづく≫ --- 85章 おわり ---

86章 ギリシャ哲学から、2000年が過ぎたけど

86章 ギリシャ哲学から、2000年が過ぎたけど

 6月28日の日曜日。上空はよく晴れていた。29度の暑さだが、心地よい風が吹いている。

 川口信也たち、7人が、渋谷駅前の忠犬ハチ公の銅像がある広場に集まっていた。

 信也と、信也の彼女の大沢詩織、信也の飲み友だちの新井竜太郎、
竜太郎の彼女の野中奈緒美、信也の妹の美結と利奈、
美結の彼氏の沢口涼太の、7人である。

 午後の4時の待ち合わせだった。

 みんなで、スクランブル交差点を渡ってすぐの、レストラン・デリシャスに行くところである。

 デリシャスは、世界各国の美味しい料理やドリンクを提供する多国籍料理のレストランで、
竜太郎が副社長をしている、エターナルの経営であった。

 渋谷駅の近くでは、集団的自衛権反対の集会が行われている。

「わたしたちの~、大切なぁ~、この国~、日本を~!戦争をする国に~、するなぁ~!!」

 そんなスローガンのシュプレヒコールを、大声で叫びながら、若い男女から年配者までの、
一般の人びとが行進してゆく。

「今度、わたしにも選挙権があるのかしら?美結ちゃん!
だったら、わたしも、政治に関心持(も)たないと!」

 そういって無邪気にわらって、隣(となり)を歩く、美結を見る、利奈だった。

 利奈は、1997年の3月21日生まれ、18歳の、早瀬田大学1年である。

「そうね、利奈ちゃん。選挙権が、18歳以上になるっていうからね。うふふ」

「お姉ちゃん、集団的自衛権って、どんなことなの?」

「そんな難しいこと、わたしに聞かないでよ、ぁっはっは。
涼(りょう)くん、助けて!集団的自衛権について、利奈に説明してあげてよ!」

 身長171センチの美結と、身長184センチの沢口涼太は、仲のいい似合いのカップルであるが、
新井竜太郎の会社、エターナルの傘下の芸能事務所のクリエーションに所属する、
人気も上昇中のタレント、俳優であった。

「集団的自衛権ですかぁ!?おれだって、よくわかんないっすよ。あっはは」

 涼太は、照れながら、わらった。

「集団的自衛権っていうのはね。たとえ、日本が攻撃されなくても、
同盟国とかの、密接な関係にある国、アメリカとかが攻撃されたときには、
いっしょに防衛するために、戦うという権利のことかな!」

 前を歩く、利奈たちに、そう話した、信也だった。

「なるほどね!さすが!しんちゃんだわ!」

 美結がふり返って、そういった。みんなで、明るくっわらった。

 みんなは、レストラン・デリシャスのテーブルにつくと、好きな飲み物や料理を、
ウエイトレスや、ウエイターに注文した。

 そうやって、くつろぎながらも、集団的自衛権の話題で、しばらく、盛りあがった。

「まあ、なんというか、言葉って、その使い方が、非常に大切なんだよね。
いい加減な言葉の使い方を知っていれば、自然と、信頼関係も薄れていくんですよ。
薄っれるどころか、こわれてしまうんですよ、人間関係が。
それって、会社のような組織では致命的です。社員のやる気もモラルっていうか、
道徳や倫理も低下して、会社はつぶれる方向へ悪循環になるでしょうね。
おれって、以前は、そんなことには、無神経だったんだけど、しんちゃんや、
しんちゃんの会社の森川社長とかから、勉強させてもらったんですよ。あっはっは」

 豪快にわらって、そう語るのは、エターナルの副社長の竜太郎だった。

「竜さん、おれのほうこそ、竜さんからは、いろいろと、勉強させてもらってますよ。あっはっは」

 信也も、いつものように、爽(さわ)やかにわらった。

「言葉を大切にする人って、わたし、大好きっだし、尊敬しちゃいます!うっふふ!」

 信也の隣の詩織が、そういって、わらった。

「よく、基本に戻(もど)れとか、会社の社訓にもあるけれど、あの基本って、まずは、
言葉に対する信頼とか、、真実の言葉を使うとか、ウソや濁りのない言葉を使うことから、
始めないとダメじゃないいかと、おれなんかは思うんですよ」

 そういって、生ビールを楽しむ信也だった。

「そのとおりですよ。しんちゃん。だから、最近のおれは、
言葉に対して、いい加減な社員たちに、よく注意するんですよ。
まあ、私的な感情を入れないで、思いやりをこめて、優しく、注意するんですけどね。
公の場所で、言葉を使用するときは、できるだけ無私でなければ、
言葉は、いい加減になりますし、正しく使えないですからね。あっはは」

 竜太郎がそういって、わらった。

「そういう、竜さんって、ステキだと思います。うふふ。
なんて言ったらいいのかしら?人の命や、人の価値が、軽くなっているような現代ですよね。
それと同じようにして、言葉も本来持っている価値や命が、軽くなっているような気がするんだけど」

 そういって、微笑むのは、竜太郎の恋人の、野中奈緒美だった。

 奈緒美は、1993年3月3日生まれの22歳、身長は165センチ、
竜太郎たちの芸能プロダクションのクリエーションに所属している。
美少女で、茶の間の人気も上昇中であった。

「そのとおりですよ、奈緒美さん。おれたち、人間って生きものは、原始の時代に、
火や言葉を、発見して、道具として活用してきて、今のような文明を築いたのでしょうけど、
言葉を粗末にしていれば、火と同じで、大変に危険なわけで、
身を滅ぼすことになるんだと思います。
ロックバンド、SEKAINO OWARI(せかいのおわり)は好きですけど、
人類が、本当に世界の終りってことでは、情けないですよ。
じゃあ、どうしたらいいのかって、おれたちにできることは、
言葉とか、音楽とかを大切にして、美しいことは何かとか考えながら、
芸術的なことを楽しんでいくしかないような気もしますけど。あっははは」

「そうよね。しんちゃん。言葉とか、音楽とか、何でもいいから、
何か美しいことを目標や楽しみにして、自然を大切にして、自然に生きていくのが、
わたしも、ベストな生き方な気がする!」

 利奈がそういった。

「そうよ、利奈ちゃん。でもそれが、なかなか、出来ないのが人間なのよね。
美しいことや、魂とか、友情とか、愛だとかを大切なことだと、
ギリシャの哲学者プラトンとかが、考えたりしてから、
2000年が過ぎ去っちゃったんですからね!人間って、ホント、進歩がないと思うわ!
頭がいいぶん、人間って、自分勝手な、悪知恵や、欲望がふくらんじゃうのよね、きっと。
でも、わたしたちは、その基本にもどって、カンバりましょう!
でも、なかなか、欲を捨てた、無我の境地になんて、
なれないでしょうけどね!きゃぁっははは」

 美結が、そういって、わらうと、みんなも、「うんうん、カンバろう!」とか、
「そのとおり!」とかいって、明るくわらった。

「美結ちゃんは、男っぽいとか言って、プラトン哲学が好きだからな。
以前、おれは、その男っぽさに興味がわいて、美結ちゃんからプラトンの本借りて、
夢中で読んだんですよ。あっはは。
プラトンが生きていた2000年前も、今と同じで戦争とかが絶えなくて、
政治は混とんとしていたんだよね。まったく、現代と似ているんだよね。
それでも、プラトンは、幸福な生き方とは何か?とか、よりよい社会の実現には、
どうすればいいのか?とかを小説みたいな設定で、師匠のソクラテスを主人公にして、
対話形式とかで、徹底的に思索した人なんだよね。
言葉に対して、それは人間に対してということにもなるんでしょうけど、
真摯な人だったと思いますよ。
それでも、やっぱり、人間だから、完璧なものは書けないとでも言うのか、
その思索には欠陥もあるんだろうけど。
おれも、好きというか、共感するんですよね、プラトンには。
彼は、詩人でもあって、小説家的でもあって、
言葉や人間を大切にする人だったんだろうね。あっはっは」

 信也は、そういって、わらうと、生ビールを飲み、
店の名物のダチョウの刺身料理をつまんだ。

≪つづく≫ --- 86章 おわり ---

87章 イノセント・ガール (innocent girl)

87章 イノセント・ガール (innocent girl)

 7月12日、日曜日。青空の、昼には31度の猛暑である。

 午後の3時過ぎ。渋谷駅近くのカフェに、結成したばかりの、
ハッピー・クインテットのメンバーが集まっている。

 リーダーでギターの沢田誠二、ヴォーカルの川口利奈、キーボードの木村奏咲(そら)、
ドラムの浦和良樹、ベースの吉田健太の5人である。

「誠(せい)ちゃんは、中学生のころから、ずーっと、ジャズギターに熱中していたんでしょう。
早瀬田(わせだ)のミュージック・ファン・クラブ(MFC)に入って、
よし、バンンド結成して、ポップスをやろう!って思ったのは、なぜなのかしら?うふふっ」

 利奈は、誠二の鼻筋の通った端正な顔をぼんやりと見ながら、そういいながら、微笑む。

「あっはは。利奈ちゃんの質問は鋭いですね。
うーん。やっぱり、最近は、オリジナルかなあ。オリジナル以外のことをしても、
おもしろくない気がするんだよね。
ジャズって、ジャムセッションとかで、誰もが知っているような、
『A列車で行こう』とかのスタンダードな曲を、集まったみんなで演奏するんだけどね。
そこで、各自のアドリブの演奏が、ジャズの醍醐味(だいごみ)だったりするんだけどね。
白熱のおれのギターソロとかでね!あっはは。
まあ、そんなジャズを継続して、オリジナルをやっていくのも、おれの理想なんだけど。
ロックやポップスで、オリジナルやるほうが、楽しいだろうって、思ったんですよ、最近・・・」

「そうなんだ。わたしも、やっぱり、オリジナルがやりたいわ!」

 利奈はそういった。

「おれも、オリジナルがいいと思うよ。楽しく青春を燃焼させたいじゃん。あっはは」

 ドラムの浦和良樹はそういうと、わらった。

「おれも、バンドやって、熱中っできるって言ったら、オリジナル以外は、考えられないな」

 ベースの吉田健太がそういった。

「ええと、まあ、オリジナルでやって行こうってことで、おれは、曲を作って来たんですよ。
あっはは」

 沢田誠二はそういって、みんなに、歌詞と楽譜がコピーされたA4の紙を配(くば)った。

「おしゃれな、アート性の高い音楽を目指す、バンドにふさわしい歌にしなければと、
おれはけっこう苦心したんだけど、どうかなぁ、みなさん。あっはは」

 そういって、わらって、誠二はちょっと頭をかいた。

 メンバーのみんなは、「最高にいいじゃないいですか!」
「バンドにぴったりですよ!」とかいって、誠二の歌を絶賛しいた。

「誠二さん、ひょっとしたら、この歌詞の中の女の子が、
ジャズからロックに転向するきっかけになっていいるんじゃないですか?!
ちょっと、せつなそうな、恋のようですけど・・・」

 キーボードの木村奏咲(そら)がそういって、誠二に、いたずらっぽい優しい目をして、微笑んだ。

「あっはは。奏咲ちゃんも、鋭いじゃん。確かに、せつない恋だよね、これって。
でも、奏咲ちゃんの想像どおりかな、正直に言うと。あっはは」

 そういって、誠二は、わらいながら、ちょっと顔を紅(あか)らめた。

 みんなの、明るいわらい声が、カフェの店内に響(ひび)いた。

ーーーーーー

イノセント・ガール (innocent girl) 作詞作曲  沢田誠二

ロックのスピリット 漂(ただよ)う おしゃれな バーで
今夜も ひとりで オンザロックの バーボンを 飲む
ここで きみと 出会って 夜更けまで 音楽を 語り合ったね
最近の 世の中は ひどいニュースに 溢れてるけど

渓谷(けいこく)の 夏の日を浴びた 川の流れのように
ぼくらの 恋の物語は 眩(まぶ)しく  輝(かがや)いてたよね
時は流れて 季節も変わって きみに会うこともなくなったけれど
きみの 幸せを いつも 願っている ぼくは あの頃のままさ 

人が生きる そのわけは ときには 複雑 奇抜 イノセント(無垢)
そうだね ぼくらは いつまでも 強く 楽しく 生きていこうね!
いつまでも きみが 無垢な 少女のようで ありますように!
As you are as well innocent girl forever !

人は 美しいものばかりに 生きているわけじゃないけど
人は 愛のためばかりに 生きているわけじゃないけど
人は 快楽のためばかりに 生きているわけじゃないけど
人は 欲望のためばかりに 生きているわけじゃないけど

ぼくたち もう二度と 会うことはないのかも知れないけど
けど また 偶然に どこかで 出会うのかも知れないよね
いつも 夢や 理想を 子どものように 追いかけていた
そんな君が いまも大好きだから ぼくも がんばれるのさ!

人が生きる そのわけは ときには 複雑 奇抜 イノセント(無垢)
そうだね ぼくらは いつまでも 強く 楽しく 生きていこうね!
いつまでも きみが 無垢な 少女のようで ありますように!
As you are as well innocent girl forever !

≪つづく≫ --- 87章 おわり ---

88章 信也たち、又吉直樹の芥川賞で、盛りあがる

88章 信也たち、又吉直樹の芥川賞で、盛りあがる

 7月17日。金曜日。上空は灰色に曇(くも)っている。

 川口信也と森川純、清原美樹と小川真央の4人は、仕事の帰りに、
会社の近くにある、行き付けのカフェで、お茶をした。

「本当によかったよね。美樹ちゃんも真央ちゃんも。
永田(ながた)さんが海外事業部に異動になってさあ。
ここだけの話だけど。永田さんは、英語が得意だから、ちょうど良かったんだよ。あっはは」

 川口信也は、テーブルの向かいの、美樹と真央にそういって、わらった。

「よかったわー!これで、精神的なストレスから解放されて、
お仕事も元気にがんばれます!」と、美樹。

「ほんと!うれしいよね、美樹ちゃん。永田さんとお仕事していると、
いろいろと、つまらないことで、話しかけてくるから、本当に集中力は、
しょっちゅう、中断するし、辛(つら)かったんです」と、真央。

 ふたりは、テーブルの向かいの信也と純に、幸せそうに微笑(ほほえ)む。

 いつも仲のいい、同じ22歳の、清原美樹と小川真央は、早瀬田大学を卒業して、
モリカワの下北沢の本社に入社したのであった。

 モリカワは、レストラン経営などの食文化事業を、国内や海外で展開して、順調に業績も伸びている。

 美樹と真央は、下北沢にある本社の所属で、経営企画室が職場である。
ふたりの直属の上司が、課長の永田勇斗(ゆうと)、27歳であった。

 きょうの美樹は、シンプルなTシャツにショートパンツ、小川真央は涼しげなワンピース。

「美樹ちゃん、真央ちゃんが、よろこんでくれて、おれもうれしいっすよ。あっはは。
永田さんは、おれらの2つ上の先輩だし、頭の回転が速くて、
仕事の面では、鋭いというのか、徹底的なところもあって、優秀な面もあるんですけどね。
ただ、視野が狭いとでもいうのか、人間らしさとでもいうのか、
思いやりに欠(か)けるところがあって、社内のみんなに評判が悪いんですよ。あっはは」

 26歳の純がそういって、わらいながら、ちょっと、困ったような表情をする。

「まったくだね。永田さんは、ひと言(こと)でいったら、思いやりがない人ですよ。
最近の世の中の人を、象徴しているのかもしれないよね。確かに、頭の中は切れて、
試験問題とかやらせれば、合格点を取れるのかもしれないけれど、人に対する思いやりとかの、
人の痛みを、自分のことのようにして、感じられるかどうかの、想像力が欠如しているんだよね。
永田さんには。はっきりいって、優しさの根源となるような、
他人への想像力は貧(まず)しいとしか言いようがないよね。
これも、今の文部省とかの学校教育の問題なのかもしれないけどね。
大切な青春の日々を。試験ばかりで、子どもたちを育ててきた、
学校教育のありかたが、今あらためて問われるような。あっはは」

 そういって、わらうのは、25歳の信也だった。

「美樹ちゃんと真央ちゃんの訴(うった)えは、誰が聞いても正当なものですからね。
おれも、ずーっと、永田さんを、どうにかできないものかと思っていたんですよ。あっはは。
おれから、森川社長に話をしたのですけどね。まあ、うちのオヤジもね。
経営の哲学として、真心のない指導とかは、絶対に許せない人ですからね。
自然の調和や、みんなとの調和のないところに、会社の成長も繁栄もないって、考える人ですから。
そんなわけで、今回の永田さんの、海外事業部への異動は、当然だったんですよ。
はっきり言って、おれも、永田さんが、経営企画室にいることには、
不愉快な思いばかりしていたんです。ああいう人がいるだけで、
職場の雰囲気がダメになるんですよ。ね、しんちゃん」

「そのとおりだよね、純ちゃん。最近の世の中、人が傷つくこととかに無関心の人間が多すぎるよね。
ひとことで言ったら、想像力の欠如(けつじょ)ってことなのかね。
それだけ、殺伐としているというか、心が荒廃するほどに、生きていくことが、
難しく、険しくなっている世の中なんでしょうかね。
自分以外の人のことなど考えている時間もないのかも知れないけどね。恐(こわ)い話だけど。
暗くなっちゃうから、ちょっと、話題を変えましょうか!あっはは。
ピースの又吉直樹(またよしなおき)さんが、芥川賞になったじゃないですかぁ。
よかったですよね」

「しんちゃんも、又吉さん、好きみたいね。わたしも『火花』読んでみたいなって、思っているの!」

 そういって、美樹は、信也と純に微笑んだ。

「又吉さんって、この下北沢が大好きで、よく来ることがあるらしいわ!
1度も出会ったことないんだけど。ぁははは」

 そういって、真央は、天真爛漫な笑顔でわらった。

「又吉さんって、自分のやりたいことをやり続けていくのが、信条らしいけど、
お金も無くって、貧乏で大変な時もあったあそうですよね。
それでも、人を楽しませたいとか、笑わせたいとかの、気持ちを持ち続けるって、
すばらしいことですよね。ねえ、しんちゃん。おれたちが、音楽をやる気持ちと、
共通のものがあるよね」

「そうだよね、純ちゃん。この前、『情熱大陸』で、又吉さんが、
樹木希林(きききりん)さんと対談していたんだけどね。
希林さんが、『そりゃ、世間は、こうしろ、ああしろって言うかもしれないけど。
<評する者があれば、我のみ>で、それはあったでしょう?』と、又吉さんに聞いたら、
『それはありますよね。それが1番大事ですよね』と言って、うれしそうに、
希林さんを見て、うなずいていたよ。わが道をゆくって強い気持ちが、
芥川賞になったんだろうかね!
世間じゃ、又吉さんに芥川賞は無いだろうとか、きつい意見もあるようだけど、
なにしろ、新人賞なんだから、励(はげ)ましの意味で、あげて、正解だといますよ」

 信也がそういうと、美樹も真央も純も、「そうよ」「そのとおり」とかいって、うなずいた。

「又吉さんは、こんなことも言っていて、おれたちの音楽つくりで、考えることと、
共通しているんだぁって、感心したんですよ。
又吉さんは、『ぼく、ものを作るときに気をつけっていることがあるんです。
いまぼくが、完全にプロットを立てて、コントとか小説を考えちゃうと、
ぼくが持っている知識の範疇(はんちゅう)に収まってしまうと思うんです。』って言っているんです。
『それって、きっと、ぼくが作れるようなことでしかないんですよね。』だって。
『いかに、自分の才能を超えるか?ということ。それじゃどうすればいいのかというと、
何かに対する反応だと思うんです。』と言っているんです。
『自分が書いた言葉に、自分で驚きながら、書いていけば、外に出れるはずなんです。
そう思って、いつもやっているんです。』
そんなふうに言ってましたよ、テレビの番組で」

 信也がそんな話をすると、みんなも、又吉直樹のコントや小説への、
その真摯(しんし)な創作の姿勢に、感心した。

「やっぱり、なんでもいいから、又吉さんみたいに、コントでも小説でも、
音楽でもドラマでも、なんでもいいから、創造的なこととか、芸術的なこととかを、
楽しんだり、熱中したりしていくことは、他人への想像力を鍛えることになるでしょう!?
だから、そんなことが、世の中が良い方向にゆく道なんですよね、きっと。
たとえ、楽観的すぎるといわれても、そんな道のことしか、わたしには考えられないわ!」

 美樹が、ふと、心の中を整理するように、そういった。

≪つづく≫ --- 88章 おわり ---

89章 きっと それは 快感 (Surely it is a pleasure)  

89章 きっと それは 快感 (Surely it is a pleasure)

7月25日の土曜日。よく晴れた日で、気温は30度をこえた。

 渋谷駅から3分の、タワービルの2階にある、イエスタデイでは、午後1時から、
川口信也たちのクラッシュ・ビートと、南野美菜がメイン・ヴォーカルのドン・マイの、
コラボ(共演)ライヴが始まっていた。

 イエスタデイのホールは、100席、すべて満席である。
株式会社モリカワが経営する、ライヴハウスであった。

 午後4時を過ぎたころ。
 
 2つのバンドのすべてのプログラムも終了して、
メンバーたちは、テーブルを囲んで、会話を楽しんでいた。

「ドント・マインド(don`t mind)って、バンドの名前もいいし、
やっている音楽も、おれ好きですよ」

 川口信也は、テーブルの向かいの南野美菜や、
ドンマイのリーダーの草口翔に、そういった。

「そうですか。しんちゃんに、そう言ってもらえると、すごくうれしいです」

 南野美菜は、そういって、信也とその隣にいる落合裕子に、微笑んだ。 

「しんちゃんに、そう言ってもらえると、光栄ですよ。あっはは。ありがとうございます!」

 草口翔もそういって、微笑んだ。草口翔は、ベースギターをやっている。

「ぼくは、しんちゃんの作った、『きっと それは 快感』が、特に、好きなんですよ。
きょう、聴かせていただけて、最高でした!」

 パーカッションで、ドンマイの演奏に参加していた岡昇が、満面の笑みで、信也にそういった。
岡昇は、南野美菜の彼氏である。

「あっはは。『きっと それは 快感』は、バンドのみんなが苦労した作品なんですよ。
16分音符の、16ビートの、ダンスミュージックに仕上がってますからね。
ドラムも、16分シンコーぺーションで、アース・ウィンド&ファイアーの、
宇宙のファンタジーみたいな感じで、この曲では、勉強させてもらいましたよ。あはは。
ねえ、裕子ちゃん、裕子ちゃんも、この曲のキーボードは、難しかったよね!あっはは」

 クラッシュ・ビートのリーダーで、ドラムの、森川純が、そういってわらった。

「ええ、大変でしたわ。純ちゃん。正確なリズムをキープしなくちゃって、
からだ全体で、リズムとっていましたもの。でも、達成感もありましたわ。うふふ」

 落合裕子は、澄んだ瞳を輝かせながら、微笑んだ。

「裕子ちゃんも、お疲れ様でした。でも、この『きっと それは 快感』って、
詩の内容は重い感じなんだけど、軽快で最高なダンスミュージックに仕上がって、
きっと、ヒットも間違いなしだよね。あっはは。
おれのギターや、翔ちゃんのベースは、乾いたサウンドのカッティングとかで、
リズムをクリアにするので、苦労したんだけどさ。ねっ、翔ちゃん」

 そういったのは、ギターの岡林明であった。

「まあ、苦労したぶん、よく仕上がった作品だと思うよ。あっはは」

 ベースの高田翔太も、そういって、豪快にわらった。

ーーーーー

きっと それは 快感  (Surely it is a pleasure) 作詞作曲 川口信也

鳥たちが 風にのって 空飛ぶ
動物たちは 野や山で 遊ぶ
草や樹が 大地に すくすく 育つ
魚たちも 海や川を すいすい 泳ぐ

Ah ah (ぁぁぁ) どんなときにも 大切にしたいこと
きっと それは 快感  Surely it is a pleasure

人間だって 快感こそは 人生の活力源だよね?
どんなに 仕事で 忙(いそが)しいときにだって
愛し合う 二人で 週末に ワインを楽しむときも
平凡だけど 楽しい 生活を過ごすときだって  

Ah ah (ぁぁぁ) どんなときにも 大切にしたいこと
きっと それは 快感  Surely it is a pleasure

8月15日 戦後70年の 節目だというけれど
たくさんの 尊(とうと)い 命が散った 悲惨な 戦争
二度と起こしてならないと 反省して 誓った 平和憲法
この憲法を 守るのが ぼくらの使命のはずだと思う

Ah ah (ぁぁぁ) どんなときにも 大切にしたいこと
きっと それは 快感  Surely it is a pleasure

世界に 愚(おろ)かな 犯罪や 戦争は 絶(た)えることがない!
それは 人びとは 快感や 幸福を求めて 生きているはずで  
そんな他者を 自分のことのように 思いやることもできずに
他者への想像力や愛が 欠如(けつじょ)しているからなんだろう!

Ah ah (ぁぁぁ) どんなときにも 大切にしたいこと
きっと それは 快感  Surely it is a pleasure

長いような 短いような 時間が流れる この人生
おれたちにできる 悔いのない 生き方って言えば 
この世の中や 人間が 良くなることを願いながら
おれたちなりの ベストで 楽しく歌うことくらいなのさ

Ah ah (ぁぁぁ) どんなときにも 大切にしたいこと
きっと それは 快感  Surely it is a pleasure


≪つづく≫ --- 89章 おわり --- 

90章 美樹や信也、陽斗のライブへ行く

90章 美樹や信也、陽斗のライブへ行く

 8月7日、金曜日。天気は快晴で、気温は35度をこえた。

 午後7時から、松下陽斗(はると)たち、松下カルテットのライヴが、
下北沢のライブ・レストラン・ビートで始まる。

 松下カルテットは、陽斗のピアノに、ギターとベースとドラムという、
4人編成のジャズバンドである。
去年の春、結成したときには、ドラムのない3人編成のトリオである。

 陽斗や他のメンバーも、さっぱりした気性の好男子であることもあって、
優雅さや熱気に満ちて、ときにはスリリングな演奏は、若い女性に人気が高かった。

 開演まで、まだ1時間はあったが、ライブ・レストラン・ビートの、
1階、2階のフロア、280席は、すでに満席に近かい。

「それにしても、美樹ちゃん、はる(陽)くんたちは、女の子に人気があるよね」

 川口信也が、テーブルの向かいに座(すわ)る、清原美樹にそういった。

「はるくんは、ジャズは格好(かっこう)よくやらないとダメだって、口癖のように、
いつも考えているから、そんなところが、女の子たちに受(う)けているのよ、きっと。
ぁっははは」

「そうかぁ。音楽ももちろん大切なんだけど、ビジュアル的な快感も、
大切にしているんだろうね、松下カルテットのみんな。あっはは」

 信也はそういって、わらった。

「しん(信)ちゃんの、『きっとそれは快感 (Surely it is a pleasure)』で言っていること、
おれも共感するよ。
人は快感を求めて、快感を生きがいにして、やっていくことがベストだと思うよ。あっはは」

 新井竜太郎が、信也にそういって、わらった。

「わたしも、快感、大好き!」

 竜太郎の彼女の、野中奈緒美が、隣(となり)で、そういった。

「この世の中で、何が信じられるのかっていえば、快感くらいしかないような、
そんな気がして、あの歌は作ったんですよ、実は。あっはは。
人や何かの思想とかを信じても、結果的には、裏切られてしまうって、
よくあるじゃないのかって、思ったりして。あっはっは」

 信也はそういった。

「わたしも、音楽なら、信じられるわ!音楽のない人生は考えられないわ、
音楽って、不思議なものよね、しんちゃん!」

 大沢詩織が、隣の信也をちょっと見つめて、そういって微笑む。

「そうよ、詩織ちゃん、音楽は、わたしたちを裏切らないわ!元気の素(もと)よ!
わたしたちも、グレイス・ガールズを、楽しみましょう!
『きっとそれは快感』は、しんちゃんらしい歌詞と曲の、ダンス・ミュージックで、
わたしも大好き!ねっ、真央ちゃんも好きよね!」

 そういって、美樹は、微笑む。

「うん、わたしも、大好き!気持ちを明るくしてくれるし!」

 美樹の隣の真央もそういった。

「あっはは。美樹ちゃん、真央ちゃん、ありがとう!」

 信也は、テーブルの向かいの美樹と真央に、そういって、わらった。

・・・あれから、もう、2年が過ぎるのか・・・。
おれの目の前で、可愛(かわい)く微笑(ほほえ)む美樹ちゃんだけど。
おれは、美樹ちゃんに、失恋したという苦(にが)い経緯があるわけだけだ。
でもさあ、男女の仲の不思議さというのかな、
男には、おれのように、心の中に、マドンナというのか、
女神のような、運命的な女性が、いつまでもいるってことが、あるものなんだろうか?
たぶん、おれは、美樹ちゃんがいたから、おれは山梨から東京に出てきたって、言えるわけで・・・。
美樹ちゃんがいなかったら、おれの生き方は、まったく違う生き方だったと言えるわけで。
やっぱり、考えてみると、美樹ちゃんは、おれにとって、特別な女性なんだよなぁ。
いまでも、きっと、いつまでも・・・。
お互いに、いつまでも、仲よく、いい音楽活動をやって行きたいよね・・・

 信也は、冷たい生ビールを飲みながら、そんなことを、ふと思っていた。

 1階から2階まで、高さ8メートルの吹き抜けの会場は、一瞬、静まった。

 32歳になる、店長の佐野幸夫が、ライトアップされた、ステージに立った。

「みなさま、こんばんは。ライブ・レストラン・ビートに、お越しいただきまして、
誠に、ありがとうございます。
今夜のライヴは、本格的で、洗練されたジャズで、わたしたちを楽しませてくれる、
松下カルテットのみなさんです!」

 佐野幸夫がそういうと、広いフロアは、拍手と歓声に包まれる。

 佐野幸夫の彼女の、27歳の真野美果も、ステージ直近の、
信也たちと同じテーブルの席にいて、幸夫の司会を、やさしい眼差しで見つめている。

≪つづく≫ --- 90章 おわり ---

91章 モーツァルトを師匠と感じる信也

91章 モーツァルトを師匠と感じる信也

 9月6日、日曜日、午後3時ころ。午後からは雨のぱらつく曇り空である。

 川口信也のマンションでは、信也と美結と利奈が、リビングで寛(くつろ)いでいる。

 信也は、ここから歩いて2分の近くに、もう1つマンションを借りていて、そこで寝起きをしている。

「きょうみたいな雨じゃなくて、良かったよね、しん(信)ちゃん」

「えっ、なんのこと?利奈ちゃん」

「この前の世田谷の花火大会のことよ!」

 そう言って、わけもなく利奈は明るく笑う。
利奈は、1997年3月21日生まれの18歳、早瀬田(わせだ)大学1年。

「やっぱり、東京の花火大会よね。スケールも大きいし、どこか洗練されているわ!」

 そう言うのは、美結だった。美結は、1993年4月16日生まれ、22歳。
芸能事務所のクリエーションで、タレントとして順調に仕事をしている。
去年の夏の、ファースト写真集も、ファンには人気であった。
クリエーションは、信也と仲のいい新井竜太郎が副社長を務めるエターナルの子会社である。

「わたしは、山梨の韮崎(にらさき)や、石和(いさわ)の花火も好きなんだけどね」

 利奈がそう言った。

「利奈ちゃんたら、もう、ホームシックなんじゃないの?」と言う美結。

「違うわよ、そんなんじゃなくって、どこの花火も、花火はみんな、きれいってことよ!」

 利奈が、心外ぎみに、ちょっと、ふくれる。
ひのきのローリビングテーブル(座卓)を囲(かこ)んで、3人は笑った。
 
 信也は、モーツァルトの文庫本を読んでいる。

 信也は、1990年、2月23日生まれ、25歳。
早瀬田大学を卒業後、山梨県の実家の近くの会社に就職する。
しかし、親友の森川純に呼ばれ、現在は、東京・下北沢のモリカワで、課長をしている。
モリカワ傘下のモリカワ・ミュージックに所属の、
ロックバンド、クラッシュビートのメンバーとして、作詞作曲もする、活躍している。

・・・モーツァルトって、おれにとっては、師匠(ししょう)のような芸術家だと思うよ。
この人って、知れば知るほど、人に愛される音楽を作り続けたという意味でも、
ポップス作りの天才といえるわけで・・・

・・・おれに、1791年、35歳の短い生涯、626曲を作曲した、
モーツァルトとの出会いを作ってくれたのは、いま思えば、美樹ちゃんなんだよなぁ・・・

・・・美樹ちゃんが、「しんちゃんは、高い声が出るんだもの!
ミュージック・ファン・クラブの、早瀬田合唱サークルで、テノールが不足しているんだって。
しんちゃん、応援に、ちょっと参加してくれると、わたし、うれしいんだけど。
わたしも、友だちに誘われて、ちょっと応援で、参加しているのよ。一緒にやろうよ。
わたしの大好きな、モーツァルトの歌とかも多くて、とても楽しいのよ」
とか、おれに言うもんだから、美樹ちゃんに惚(ほ)れているわけで、
合唱サークルに入ったんだよね・・・

・・・歌の指導の先生が、本格的で勉強になったし、美樹ちゃんのそばにいられるだけで、
正直、おれは幸せだったし。あっはは。バカだよな、おれって、いつも・・・

・・・それにしても、合唱サークルで、モーツァルトの未完の大作の『レクイエム』を歌ったのだけど、
自分で歌ってみて、この歌って、ロックだよ!って、おれはつくづく感じたんだよなぁ。
モーツァルトって、ロックンローラー、そのものじゃないいか!ってね!
だから、それ以来、モーツァルトは、おれの師匠なのさ。あっはは・・・

≪死の床にあって、ショパンはこういったという、
「わたしが死んだならば、本当の音楽を鳴らしてほしい。
モーツァルトの『レクイエム』のような!」と。≫

≪「音楽はどんな恐るべきことを語るにしても、耳を満足させ、
どこまでも音楽でなければならないのですから」。
(中略)
このモーツァルトの手紙の一節には重要なことが語られています。
つまり、「音楽は美しくなければならない」という信条を、モーツァルトは告白した。≫

 信也が読む、講談社学術文庫の吉田秀和著作『モーツァルト』には、
73ページや200ページには、そう書かれてある。

・・・そうかぁ。おれが感じるようなことを、『ピアノの詩人」と呼ばれる、
ショパンも感じていたのかぁ・・・

「お兄ちゃん、ビールのつまみにもなる、クラムチャウダーができたわ!」

「おっ、うまそう!ありがとうね、利奈ちゃん!」

 姉妹には、ときには子供っぽいとかも言われる信也だが、
優しく頼りがいのある兄貴らしく、美結と利奈に微笑(ほほえ)んだ。

≪つづく≫ --- 91章 おわり ---

92章 落合裕子と妹、幸来(さら)との団欒(だんらん)

92章 落合裕子と妹、幸来(さら)との団欒(だんらん)

 9月20日の日曜日の午前9時を過ぎたころ。外は青空の広がる秋晴れである。

 落合裕子の家は、小田急電鉄、代々木上原駅から歩いて3分の、
閑静な住宅街にある。敷地面積は、ほぼ60坪であった。
二階建ての家の前の駐車場には、車を3台置けた。

 今年の1月から、裕子は、信也たちのロックバンド、クラッシュ・ビートで、
キーボードを担当するようになっている。

 裕子は、その美しい容姿と、ピアニストとしての才能で、
テレビやラジオの出演も数多くあり、人びとにも広く知られていた。

 父親の裕也と母親の心奏(ここな)は、二人とも、俳優や声優をする芸能人である。

 裕也の父親の裕太郎も俳優や声優をしていたが、
現在は芸能プロダクション・トップの代表取締役をしている。

 裕子も、妹の幸来(さら)も、両親も、裕太郎の芸能プロダクション・トップに所属していた。

 裕子は、1993年3月7日生まれ、22歳。
幸来(さら)は、1994年7月14日生まれ、21歳。

「裕(ゆう)ちゃん、その後、信(しん)ちゃんとは、どんな感じなの?」

 妹の幸来(さら)が、裕子に、リビングでお茶をしながら、そう聞いた。
肩にかかる長い髪の幸来(さら)の笑顔には、大人っぽい落ち着いたお色気もあった。

「全然(ぜんぜん)!」

「全然って?全然うまくいってないの?それとも、全然うまくいっているの?どっち?!」

「ぁはは。全然、うまくいってないほうなのよ。ぁはは!」

「そうなの、裕(ゆう)ちゃん、可哀想(かわいそう)。
こんなに、しんちゃんのこと想っているのにね」

「しょうがないわよね。しんちゃには、
大沢詩織ちゃんという素敵(すてき)な女性がいるんですもの」

「彼女がいる人を好きになるのって、辛(つら)いよね。片思いなんだもん。
わたしも経験あるけれど。わたしの場合、そんな辛い片思いしてからは、
決して、自分から安易(あんい)に、男に惚(ほ)れるなんてことは、
しなくなってしまったわ。そしたらね、なぜか、あの手この手を使って、
男の方から近づいてくるんだもの!近ごろでは、モテ過ぎて、困っているのよ、お姉さん!」

「あらあら、それはそれは、幸来(さら)ちゃん。ごちそうさま。ぁっははは。
でも、そんなものよね。わたしだって、しんちゃんに夢中になってしまったものだから、
他の男性には目もくれず状態なんだけど、そしたら、急に、以前にも増(ま)して、
裕ちゃん、裕ちゃんって、あのさ、今度食事い行こうよなんて言って、
男の人が近づいてくるんだから!幸来(さら)ちゃん!」

「それだったら、お姉ちゃん、辛い片思いなんか、止(や)めにして、
新しい恋愛を楽しむことも考えたほうがいいのかもしれないわよ、きゃぁはは」

「そうかもね、幸来(さら)ちゃん。そのへんは、わたしも、適当にやってゆくわ。
確かに、一度惚れちゃうと、惚れちゃったほうは、
弱みを握られたことに等しいのかもしれないわよね。
それに、相手から、つきあって欲しいとか言われて、告白されたとしても、
それが自分に心の底から惚れて、言っていると限らないんじゃないかしら?
難しいところだわね、幸来(さら)ちゃん。
かと言って、そんなどこまでも計算しつくしたような恋愛って、
恋愛っぽく感じられなくって、つまらない気もしてくるわよね。ぁっはは」

「ぁっはは、さすが、お姉さま。実は、わたしも、そんなことを、いろいろと、
恋愛については考えてしまうことがあるの。
いろいろと、計算ばかりしている恋愛も、熱くなれなくって、つまらないんだよね」

「恋にしても、人生にしても、前向きに、楽しんだりして、
何かの目標に向かって成長してゆけることが大切なんじゃないかしら!?幸来(さら)ちゃん」

「そうよね、さすが、お姉ちゃん!
そう言えば、大沢詩織のお家(うち)は、
代々木上原駅南口方面にある大沢工務店なんでしょう?」

「そうよ。あそこの、お嬢さまよ。こういうのも、何かの縁(えん)って言うのかしらね」

「そうかもね、裕ちゃん。うふふ」

 姉妹は、明るい澄みきった瞳で、見つ合って、微笑(ほほえ)んだ。

≪つづく≫ --- 92章 おわり ---

(改訂版) 93章 信也と美結と利奈たち、太宰治とかを語る

93章 信也と美結と利奈たち、太宰治とかを語る

 10月3日の土曜日の午前8時ころ。晴天で、夏日のような暑さになるそうだ。

 川口信也もその姉妹の美結と利奈も、2DK(部屋が2つ、リビングとキッチン)の、
マンション(レスト下北沢)のリビングにいる。

 信也は、このマンションから歩いて2分のところに、マンション(ハイム代沢)を
借りている。1つの部屋とキッチンと、バスルームに洗面所、南側にはベランダの、
1Kの間取りである。駐車場はないが、去年の12月に借りた。

 朝や夕の食事など、美結と利奈の住むこのマンションに、やって来る信也であった。

「おれ、明けがただろうけど、空を飛ぶ夢を見ちゃってさ。
なんか、宇宙人みたいなのを相手に、大きなレーザー銃(じゅう)みたいのを持って、
戦ってんだよ。おれって、けっこう、勇敢(ゆうかん)なんだよね。あっはは」

「へーえ、楽しそうな夢ね!しんちゃん。わたしは、そういうの、恐そうでイヤだけど。ぁっはは」

 ひのきのローリビングテーブル(座卓)の向かいに座る利奈は、そう言って笑う。

「おれって、地球を守ろうと、必死で、スーパーマンみたいに、空飛んでたから。
それでさ、その宇宙人みたいのとの戦いなんだけど、
おれの仲間って、なぜか、女の子ばっかなんだよね。あっはは」

「あら、まあ、しんちゃん、女の子に囲まれてたの!
それは、それは、楽しい夢だったんでしょうね!」

 キッチンで、珈琲(コーヒー)を淹(い)れている美結が、そう言った。
コーヒーの甘い香りが漂(ただよ)う。

「ところで、空飛ぶ夢って、夢占いじゃ、どういう願望とか、見る理由とかが、
説明できるんだろうね。なんか、欲求不満がたまっていると、
空飛ぶ夢って見るって、どこかで聞いた気がするんだけどさ。あっはは」
  
「わたし、空飛ぶ夢は、詳(くわ)しく知ってるんだ。しんちゃんの夢の場合は、
欲求不満とかじゃないから、安心して、大丈夫(だいじょうぶ)だよ!」

「そうなんだ。おれ、仕事も忙(いそが)しくって、これはストレスかなって、心配しちゃったよ」

「あ、でも、ちょっとストレスも関係しているかな、大空を飛ぶ夢はね、お兄ちゃん。
空を飛ぶ夢は、窮屈(きゅうくつ)な現実の壁(かべ)や束縛(こうそく)を、
突き破ろうとする思いから、足が地を離れて、大空のような空想世界に、
羽ばたくようなことなんですって!
だから、しんちゃんのように、元気いっぱいに空飛べるなんて、
積極的に行動することで、何事もよい方向に進むっていう、運気も上昇の知らせよ、きっと。
しんちゃのその夢は、チャンスの到来の兆(きざ)しってことよね!」

 利奈は、まるで占いの専門家のような確信をこめて、信也にそう言った。

「ただね、わたしは、しんちゃんの夢の、宇宙人との戦闘状態のようなのが、
ちょっと気になるんだけど。苦労が始まる兆しとか、何かのトラブルに巻き込まるとかね!」

 心配そうな表情で、そう言うのは、利奈のとなりに座った美結である。

「あ、そのバトルなら、おれたちのほうが断然に勝っていたんだよ。
おれなんか、余裕で、女の子の仲間と、いちゃついていたくらいだから。
それが、知っている女の子のような、ぜんぜん知らない子のような、
でも可愛(かわい)い子たちで。美結ちゃん、、利奈ちゃん。あっははは」

「まあ!しんちゃんたら!でも、楽しい夢でよかったわね!わたしも楽しい夢なら、見るの大好きよ!」

 そう言いながら、テーブルの向かいの信也に、美結はなぜか恥(は)ずかしそうに笑う。

「やっぱり、兄妹(きょうだい)ね!わたしも、夢見るの大好き!楽しいんだもん!
そうそう、しんちゃんが見たいって言っていたビデオを撮(と)っておいたよ」

 利奈は、信也にそう言いながら、カフェオレ(ミルク入りコーヒー)を飲む。 

「あ、そう。ありがとう。あの番組って、最終回で、
又吉直樹(またよしなおき)さんがゲストに出てるっていってたからね」

 その番組とは、NHK・Eテレの
『100分で名著・太宰治(だざいおさむ)・斜陽(しゃよう)』のことであった。

「うん。又吉さんが出ていたわよ。太宰治って、わたし、あまり興味ないというか、
よくわからないんだけど、『女生徒』は読んだんだ。よくこんなに女の子の気持ちがわかるな!
って感心しちゃった。ぁっはは。
『人間失格』という本は、友だちに薦(すす)められたんけど、内容が暗すぎて、
ついてゆけなくって、途中で読むの止(や)めちゃったの!」

「あっはは、利奈ちゃん。『人間失格』という小説は、利奈にも、難(むずか)しいと思うよ。
又吉さんは、太宰治押(お)しで、『人間失格』は100回くらい読んだっていうけどね。
又吉さんは、ユーチューブの動画で、『人間失格』は、
<人間がそれぞれに持っている痛みについて書かれているんではないかと、 
何回も読んでいると、そういう別のテーマが浮かび上がってくるというか、わかってくる>
って言っていたけど、まあ、そのとおりなんだろうね。
太宰治って、確か、1909年生まれの、38歳の生涯(しょうがい)で、
その青春は、太平洋戦争とかで、ひどい社会情勢の中にあったからね。
人間が人間らしい扱(あつか)いをされていなかったんだから。
女性の地位なんて、想像できないくらい低かったしね。
だから、心の優しい、感受性豊かな人たちとかって、とても生きづらいし、苦しかったと思うよ。
心中(しんじゅう)とか自殺とかは、おれは理解できないところだけど、
太宰治は、ひと言でいえば、小説という芸術で、
真実やその美しさを表現しようとした人なんだろうね。
そんな太宰の小説は優れていると思うし、その日本語力も相当すごくて、勉強にもなるよね。
今なんか、インターネットの青空文庫とかで、太宰の作品は、いくらでも読めるしね」

「高橋源一郎さんも、あのEテレのの最終回で、
<太宰治は、古文や漢文とか、あらゆるタイプの日本語を使って、あらゆる書き方をしていて、
あの日本語力はすごいね!>って言ってたわ。ね、利奈ちゃん」

「うん。だから、又吉さんとかに、いまも、みんなに読まれて、太宰は人気もあるのね」

「おれも、太宰の小説を、インターネットの青空文庫や
太宰ミュージアムで見たりするんだけど。今は、無料で読めるからね。
太宰って、モーツァルトの音楽が好きだったらしいんだ。
<軽くて、清潔な詩、たとえば、モーツァルトの音楽みたいに、
軽快で、そうして気高く、澄んでいる芸術を、僕たちは、いま求めているんです。>とか
言っていたらしいんだ。それを知って、なんか、心安らぐんだよね。
太宰治にも、そんな気持ちがあったことを知って、おれの心も安らかになるんですよ」

「そうなんだ、しんちゃんの気持ちわかるわ!太宰って、破壊的だったり、退廃的だったり、
破滅的だたりで、絶望的なイメージが、わたしにはあるんだけど、
モーツァルトが好きだったなんて聞くと、太宰にも、前向きな、明るいイメージがわいてきて、
なんとなく、わたしも嬉しくなっちゃうわ!」

そう言って、美結が信也に、優しく微笑(ほほえ)む。

「わかる、わかる。モーツァルトはいいもんね!子どものように天真爛漫(てんしんらんまん)で。
しんちゃん、美結ちゃん」

 利奈も、信也と美結を見て、明るく微笑んだ。

「そうなんだよね。モーツァルトは、どんなつらいことがあっても、子どものような純真さで、
元気に明るく生きていた気がするんだよね。大好きな音楽を作りながら。
それも、独創的で、聴く人、みんなに、元気をくれるような、美しい音楽を。
そんな生き方が、ロック的だと思うし、おれは尊敬してしまうんですよ。あっはは」

 信也は、そういって笑った。

≪つづく≫ --- 93章おわり ---

94章 信也たち、<ゲスの極み乙女。>で盛り上がる

94章 信也たち、<ゲスの極み乙女。>で盛り上がる

 10月11日、日曜日。曇り空の、午後の5時を過ぎたころ。

 川口信也と新井竜太郎と水谷友巳と、付き合っている彼女たち、
大沢詩織と野中奈緒美と木村結愛(ゆうあ)の6人は、『佐五右衛門(さうえもん)』に入った。

 道玄坂センタービルの4階にある『佐五右衛門』は、串焼専門店で、
渋谷駅から歩いておよそ3分だった。

 6人は、扉のついた個室のテーブル席の、ふかふかなソファーに落ち着いた。

「最近は、<ゲスの極み乙女。>が、いいなぁって、思っているんですよ」

 水谷友巳が、ぽつりと、そう言って、レッド・アイの細長いグラスに口をつける。
レッド・アイは、ビールに、トマト・ジュースを加えた、赤色のカクテル。

 水谷友巳は、あの尾崎豊がしていたような、リーゼントはやめて、
いまは、無造作なショットカットの刈り上げのヘアスタイルだった。

「あっ、昨夜のNHKのSONGS、見たわ!<ゲスの極み乙女。>
『ロマンスがありあまる』とか、『キラーボール』とか、『私以外私じゃないの』とか、
この10月に発表されたばかりの『オトナチック』も演奏してくれてわよね!
どの歌も、自然と口ずさみたくなるような、キャッチーなサビのメロディーなのよね!
わたし、感動しながら見ちゃった!ぅっふふ」

 竜太郎の隣の、野中奈緒美(なおみ)は、そういって、微笑んだ。

 野中奈緒美は、1993年3月3日生まれの22歳、身長は165センチ、
可憐な美少女で、人気のある、モデル、タレント、女優である。
竜太郎と交際中で、竜太郎が副社長のエタナール傘下(さんか)の、
芸能プロダクションのクリエーションに所属している。

「そうなんですよ。ゲス極(きわ)の川谷絵音(かわたにえのん)さんの作る楽曲は、
小学生の子どもたちからも支持されてるんですから、おれ、尊敬しちゃいますよ」

 水谷友巳は、みんなを見て、そう言って微笑(ほほえ)んだ。

「川谷絵音さんて、確かに、いい歌を作るよね。
『私以外私じゃないの』なんていうフレーズは、ほんと(本当)、キャッチーだし、
あのフレーズは、おれも思いつかなかったですよ。あっはは」

 信也は、テーブルの向かいの、水谷友巳やみんなを見ながら、そう言った。

「子どもたちの心に響く歌を作れることって、すごいし、すばらしいと思うわ!
『オトナチック』では、大人になりきれない葛藤(かっとう)を越えて、
前に進んで行こうというメッセージが込められているんですって」

  信也のテーブルの向かいにいる、信也の彼女の大沢詩織はそう言って、
明るく微笑(ほほえ)んだ。

「音楽とかをやる、その目的って、いつまでも子どものようでもいいから、
みんなで、毎日を楽しく過ごして、平和な世界を築(きず)いて行こうってことだと思うからね。
絵音(えのん)さん、確か、いまは26歳かな。おれより、1歳くらい年上なんだけど、
尊敬しちゃうし、共感しちゃいますよ。
大人(おとな)になるとかって、なんか、幻想のような気がしているんだ、
おれの場合、いつまでたっても、たぶん子どものままだろうから。あっはは」

 信也はそう言って、笑って、サッポロ黒ラベルのビールをうまそうに飲む。

 みんなも、明るい声を出して笑った。 

「ちょっと、みなさんに、質問があるんですけど。<ゲスの極み乙女。>のさあ、
『キラーボール』って、どういう意味なのかな?ミラーボールなら、
クラブとかの天井(てんじょう)で、回(まわ)っている、ミラーボールのことだよね。
あっはは」

 竜太郎が、ビールを飲みながら、みんなを見ながら、上機嫌でそう言った。

「はい、竜さん。わたしにご説明させてください!」

 高校2年の木村結愛(ゆうあ)が、社会人のOLのようにそう言ったので、みんなは笑った。
1999年3月4日生まれ16歳の結愛は、1994年7月11日生まれ21歳の
水谷友巳と付き合っている。

「えーと、『キラーボール』は、ユーチューブで、
『ゲスの極み乙女。』がブレイクされるきっかけになった曲でした。
『キラーボール』というのは、絵音(えのん)さんが作った、
オリジナルな造語です。
この情報はネットで調べたことなんです。『西日本新聞』さんというところが、
絵音(えのん)さんと対談して、ご本人がそう語ったらしいんです。
絵音(えのん)さんは、<ゲスの極み乙女。>で、自分は何をすべきか!?って、
かなり考えていた時期があったそうです。
そんなときに、心の中に溜(た)まっていく、毒みたいなものを吐(は)き出そうとして、
書いた楽曲らしいんです。
『キラーボール』の歌詞には、それで、<踊らされる架空の毎日>とか、
<キラーボールと一緒に回るよ>とかの歌詞が出てくるんです。
でも、絵音(えのん)さんは、歌詞に、あまり、意味づけしたり、理屈っぽくすることが、
お嫌(きら)いだそうです。
『いろんな受け取り方があっていいと思う』とか
『歌詞って、一つの意味だと面白くない』とか、語っています。
わたしも、音楽の創造って、そんな感じの、みんなが、自分なりの想像力をふくらませて、
楽しむものだと思います!」

 結愛(ゆうあ)は、そう言い終ると、満足げに、みんなに微笑みながら、オレンジジュースを飲む。

「なるほど、そのとおりだよね。結愛(ゆうあ)ちゃんの考えかた、しっかりしているよ!
絵音(えのん)さんも、しっかりと、自分の考えを持っているんだよね。
いい話を聞かせてもらいました。今夜は、みんなで楽しくやりましょう!
それにしても、絵音さんは、歌つくりの才能もセンスも抜群だけど、
マーケット、市場で、どうやったらやっていけるかという、
そんな戦略を考えるセンスというか判断力も抜群だと感じますよ。
『キラーボール』って、何なのだろうとか、興味を持たせますからね。あっはは」

 竜太郎は、そう言って、みんなに笑った。

≪つづく≫ ーーー 94章 おわり ーーー

95章 詩織の信也への一途な思い 

95章 詩織の信也への一途(いちず)な思い 

 10月18日、日曜日。午後の3時を過ぎたころ。
晴れわたる青空で、夏のような陽ざしである。

 信也の運転する、トヨタのスポーツタイプ、ホワイトパールのハリアーが、
助手席には詩織を乗せて、大沢工務店の駐車場に止まる。

 駐車場には、詩織の姉の彩香(さやか)が、笑顔で出迎(でむか)えた。

「お二人(ふたり)は、ほんとに、美男美女で、ほんとにお似合いだわ!」

 ハリアーから降りたった信也と詩織の、お似合いの姿(すがた)に、
心を奪われて、うっとりしながら、彩香が微笑(ほほえ)んだ。

 ジーパンにTシャツの、信也は身長175センチ。
フレアスカートとカットソープルオーバーの、詩織は身長163センチ。
ベーシックワンピースの、彩香は身長164センチ。

「やあだぁ!お姉さんたら。身内で褒めてくれても、何も出ないわよ。ぁっはは」

「彩香(さやか)さんこそ、いつもお美しいから、ぼくなんか、胸がドキドキしますよ。あっはは」

 信也が、マジで、照れながら、そう言って笑った。

 詩織の姉の彩香(さやか)は、大沢工務店のCS課(顧客担当)課長で、
一級建築士でもあり、代表取締役の父からの信頼も厚い。
1989年4月5日生まれの26歳で、妹の詩織とは、とても仲がよかった。

「きょうは、しんちゃんに、ぜひ1度、うちのショールームを見ていただきたいと思って!」

 大沢家の住まいと、大沢工務店社屋(しゃおく)の隣には、
リビングやキッチンや浴室などの実物展示のショールームが、2010年からオープンしていた。

「あっはは。おれが、マイホームを持てるなんて、ちょっと考えられないっすけどね」

「大丈夫よ。しんちゃんは、堅実で、収入だって、すごいんですから。豪邸も夢じゃないわ。
ねえ、詩織ちゃん!詩織ちゃんも、大学生なのに、グレイスガールで、がんばっているんだし。
マイホームの夢なんて、あなたたち二人なら、実現はすぐそこよぉ!」

「まあ、まあ、お姉さん、でもやっぱり、そんなマイホームなんて、
遠い夢のような気がするけれど。実現したときには、どうぞ、よろしくね!
彩香(さやか)ちゃん。うっふふ」

・・・わたしと、しんちゃんは、それは今は、誰もが羨(うらや)むほど、
いつも、熱(あつ)くって、超(ちょう)仲いいわ。毎日が幸せ感じる日々だわよ。
でもね、お姉さん、それだからこそ、ふっと、今が幸せすぎるから・・・、
ふっと、不安がよぎることもあるのよ。
幸せって、壊(こわ)れやすいものっていう気が、ふと沸き起こるのよ。
お姉さんだって、これまで楽しく付き合っていた彼氏と、
最近はうまくいってないのよって言っているじゃない。
だから、やっぱりね、世の中で、幸せのままであり続けるって、きっと難(むずか)しいのよ。
だから、ふっと、今は最高に幸せなんだけど、不安な気持ちがよぎるの。
でもね、でもね、わたし、しんちゃんの優しさには、不安も何もかも、忘れられるの!
だから、今は、しんちゃんが、わたしのすべてなの!・・・

 そんな思いに、そっと胸を熱くして、澄(す)んだ眼差(まなざ)しで、少しうつむくと、
21歳、早瀬田大学3年の詩織は、ショートボブの髪と首筋を、指先で触れた。

 ショールームのエントランスの前で、詩織は、ちょっと信也の横顔を見た。
詩織のやわらかな小さい手が、信也のがっちりとした大きい手を、強く握りしめた。

≪つづく≫ --- 95章 おわり ---

96章 信也と利奈、セカオワや ニーチェを語る

96章  信也と利奈、セカオワや ニーチェを語る

 11月1日、日曜日。朝から晴れているが、気温は14度ほどである。

「じゃあ、行ってきまーす!」

 兄妹(きょうだい)三人で、朝食も済(す)ませた、団欒(だんらん)のあと、
信也と利奈に、美結(みゆ)は、愛くるしい笑顔で、
軽く手を振って、そう言って、マンションの玄関を出て行く。

 ストライプ柄のワンピースが優雅に揺(ゆ)れる、171cmと長身の美結。

 美結は、兄の信也の飲み友達の竜太郎が副社長をしているエターナルの子会社の、
芸能事務所のクリエーションで、タレントやモデルの仕事をしている。

 美結は、きょうは午後から、東京の港区の赤坂にある民放の、
バラエティ番組に出演する仕事が入っていた。

「美結(みゆ)ちゃんって、いつも綺麗で、絵になるんだから。わたし、羨(うらや)ましいわ!」

 妹の利奈は、座卓のロー・テーブルで、日本茶を飲みながら、
寛(くつろ)いでいる信也にそう言って、微笑(ほほえ)む。

「だいじょうぶ!利奈だって、充分、色っぽいよ。まだまだ、これからじゃない、綺麗になるのは。
美結ちゃんは、綺麗にしていることが仕事だし、そのため努力しているんだしね。あっはは」

「そうよね。モデルが、お仕事ですものね!」

 利奈は、早瀬田大学に入学したばかりの、管理栄養学科の1年生。
利奈の身長は、166cm。兄の信也は175cm。

「しんちゃん、最近、わたし、SEKAI NO OWARI (せかいのおわり)が好きになっちゃったの!」

「ああ、セカオワね。紅白にも出たしね。
今、人気あるよね。あの子(こ)なんて言ったけ、あの可愛(かわい)い子、おれ、好きだな!」

「Saori(彩織)ちゃんね!すてきな人よね!才女で!
TOKYO FMの番組で、Saoriちゃんは、
Perfume(パフューム)みなさんから『女優さんくらい綺麗(きれい)」って言われたんですって」

「Saoriちゃんは、作詞の才能があるよ。『マーメイド・ラプソディー』だっけ、それとか、
『RPG』のサビの歌詞とか、すごいと思うよ」

「『RPG』のサビの『怖いものなんてない もう僕らは一人(ひとり)じゃない』って、
すてきな言葉だわ。胸にジーンときて、励(はげ)まされる感じ!
人ってみんな、孤独なことが多いけど、でも、ひとりじゃないってことよね!お兄ちゃん」

「いまの世の中って、ニュースとか聞いていても、殺伐(さつばつ)として、暗いことが多いもんね。
インターネットとかで、どんどん、グローバル化が進んで、
そのぶん、企業でも、個人でも、競争が激しくなって、賃金の格差とか、
いろいろな弊害(へいがい)が起きているんじゃないかな?
確か『サンデーモーニング』だったかな?
『暮らしをよくするためのシステム(制度や仕組み)が、
逆に、生活を不自由にしている』とか、番組で誰かが言っていたけど、おれもそんな気がするよ。
フォルクスワーゲン(VW)が、違法ソフトウエアによって、
排ガス規制を不正に逃れていた問題とか、
旭化成建材が、基礎工事の際の、地盤調査のデータを偽装して、
欠陥マンションを施工(せこう)していたとかね。
世の中の、人や企業とかの組織も、みんな、なんだか、おかしいよね。利奈ちゃん」

「うん、そんな感じがする。そんな、夢や希望の持てないような世の中のせいもあるかしら。
『 SEKAI NO OWARI 』 の歌って、心に響いてきちゃうのよね。子どもたちにも、すごい人気よね!」

「今年の7月だったっけ、日産スタジアムで、2日間で、14万人動員のライブをやって、
チケットが即日、SOLD OUTだったって言うじゃない。すご過ぎだよ。利奈ちゃん!」 

「みんなまだ若いのにね。しっかりとした、世界観を持っているんだもん!
『進撃の巨人』の主題歌の『SOS』って、
すべて英語の歌詞なんだけど、哲学的で、すごっく深いの!
歌詞には、<助けを求めている人たちの叫びは、毎日のようにあるけれど、
その音が続くと、どんどん聞こえなくなって、無感覚になっていく。>とか、
<そんな『SOS』に答えることは、『何のために生きているのか?』という疑問に、
答えることなんだ。>とか、
<そんな『SOS』に答えることは、『自分自身を大切にするためには?』という疑問に、
答えることなんだ。>とかが、表現されているんですって!」

「利奈ちゃんが持っている、別冊カドカワ、見たけど、fukase(深瀬)さんの、
ある密(ひそ)かな行いに感銘して、Saori(彩織)ちゃんは、
英語で、あの『SOS』の詩を作ったらしいよね。
おれも、お金に余裕があったら、fukase(深瀬)さんみたいに、人知れず、援助しようかと思うよ。
『SOS』は、歌詞も、曲も、fukase(深瀬)さんのファルセットの歌声も、美しいよ。利奈ちゃん」

「うん、セカオワ、いいよね。でも、しんちゃんの歌声も、歌詞や歌も、最高だわよ」

「あっはは。ありがとう、利奈ちゃん。おれ、最近、読んだ本で、改めて思ったことがあるんだよ。
人は美しいものを求めて生きるべきだってね。美しいものを見ると、人は元気になれるんだって、
その本では言っているんだよ。当たり前のことのようだけどね。
でもその本では、人が、美というものに、完全に閉じたような生き方をしているというんだ。
美術や音楽に限らず、美的なもの全般を、自分の生活圏に置いていない人もずいぶんいる。
って書いてあるんだよ。おれ、それ読んで、なるほどなぁって、共感しちゃったよ。あっはは」

「そうよね。わたしも、みんなが、美しいものや、芸術とかを、真剣に愛したり、
気軽でもいいから、楽しんだりすれば、世界は平和になっていく気がする!お兄ちゃん。
その本って何(なん)なの?今度わたしに貸してほしいわ!」

「今度持ってくるよ。斎藤孝さんの『座右のニーチェ』っていう光文社の新書だよ」

「あああ、ニーチェね!しんちゃんや、清原美樹さんが大好きな、ニーチェね!わたしも好きよ」

 そういって、どこか悪戯(いたずら)っぽく微笑(ほほえ)む利奈。
テーブルの向かいに座る、そんな利奈を見ながら、
信也は清原美樹の笑顔を思い浮かべていた。

「そうなんだ。二ーチェは、美樹ちゃんも好きなんだよね。
ニーチェは、まるで、現代をいかに生きるべきか?を予見したように、
『美しいものや、音楽や芸術こそが、人生を可能にする』って言っているからね。
『ツァラトゥストラ』では、『子どもの頃の明るい笑い声を取り戻(もど)そう』とか、
『君たちは君たちの感覚でつかんだものを、究極まで考え抜くべきだ』とか言って、 
感動できるやわらかな心と、困難をも反転させるユーモアでもって、
粘り強く、クリエイティブな人生を歩こう!って言ってるからね。
まさに、おれたちの先生って感じだよね。利奈ちゃん」

「うん。ニーチェって、わたしたちの先生って感じ!」

 利奈は、天真爛漫な笑顔で、そう言った。
                                                          
≪つづく≫ --- 96章 おわり ---

97章 信也たち、ジャニス・ジョップリンとかを語(かた)る

97章 信也たち、ジャニス・ジョップリンとかを語(かた)る

 11月8日、土曜日。午後の2時を過ぎたころ。
気温は15度ほど。一日中、小雨(こさめ)。

 渋谷のイエスタデイに、早瀬田(わせだ)大学、公認サークルの、
ミュージック・ファン・クラブの学生や、
その卒業生である川口信也や清原美樹たちが集まっている。

 音楽が大好きな仲間たちで、ホールのキャパシティの100席は満席。

 イエスタデイは、川口信也や清原美樹が勤めているモリカワが、
2012年の9月にオープンした、ライヴとダイニング(食事)のクラブスタイルの店で、
渋谷駅・ハチ公口から、スクランブル交差点を渡って3分、タワービルの2階にある。

「昨日(きのう)の、BS日テレの『地球劇場』は、感動しました。
谷村新司さんも渡辺美里さんも、ジャニス・ジョップリンが大好きと言ってました!」

 南野美菜(みなみのみな)は、川口信也に、愛くるしく微笑(ほほえ)んで、そう言った。
美菜は、きれいな高音とボリュームのある歌唱力や明るいキャラで、
じわじわと人気も上がっている。モリカワ・ミュージックからの、メジャー・デヴューした、
ロックバンド、ドント・マインド(don`t mind)、通称、ドンマイのヴォーカルである。

「あの番組、おれも見てたよ。あっはは。
ジャニス・ジョップリンの伝記映画の『THE ROZE(ローズ)』を歌ったね。
谷村さんと美里さんで、すばらしいデュエット(二重唱)だったよね!」

信也は、南野美菜に、笑顔でそう言うと、スマートなグラスに入った山崎ハイボールを飲む。

「ジャニスって、歌手を目指す人なら、絶対に彼女の歌を聴いたほうがいいと思うんです。
『ジャニス・ジョップリンからの手紙』というジャニスの妹さんが書いた本の中には、
<ジャニスが見つけた真実は音楽にあった>とか、
<彼女は、歌っているときにこそ、ほんとうの自分があるということをみつけた>とか、
<そして、うまくその状態に持って行けたときには、彼女の歌を聴(き)いている人々に、
たくさんの愛を与えた>とか書かれているんです。
あと、<ファンとの接触によって、ジャニスは、愛とは、
ほかの人から何かを得ることではことを知った>とか、
<楽しくて幸せな気持ちとは、与えること、愛を与えることから生まれえるのだった。
ジャニスは、それを実践しようとした>とか書かれているんです。
その本とか、ジャニスの本は、わたしのバイブルなんですよ。しん(信)ちゃん!うっふふ」

「あっはは。美菜(みな)ちゃんも、よく、本の中の言葉を覚えているよね。
いまの言葉は、ジャニスの、本心なんだと思うよ。
ジャニス・ジョップリンの伝記映画の主題歌の『THE ROZE(ローズ)』の歌詞も、
いま美菜ちゃんが教えてくれた、ジャニスの心情のような歌詞だもんね。
I say love it is a flower.
And you it's only seed.
わたしは、愛とは花だと思う。そして、あなたは、その愛の花の種ですよ。ってね。
愛って、人から人に伝えて、育てるしか方法はないのかもしれないよね。
そして、そんな愛を育てるためには、音楽とかの芸術って、人間には大切なんだろうね」

「そうよね。しんちゃん。愛は花のようなものかもしれないわ。大切にしないと、育たないし、
すぐに枯(か)れちゃうものだもんね。わたしもジャニスは、好きだわ」

 清原美樹が、テーブルの向かいの席の、信也と美菜にそう言て、話しかけた。

「愛と言えば、信也さん、ニーチェは、どんなことを言っているんでしょうかね」

 美樹の隣の松下陽斗(はると)がそう言って、カクテルのカシスオレンジを飲む。

「ニーチェは、自分と同じように他人を愛せよという、美しい物語のような、
キリスト教などが説(と)く『隣人愛』が、人間の生を否定してきたと考えたようですよね。
人間は、自己の強力な欲望を捨ててまでして、他者を愛することはできないと考えたらしいのです。
つまり、簡単にいえば、自分を愛せない人間に他者を愛することはできないってことを、
ニーチェは言っているんですよね。
また、言い換えれば、自分自身の価値を信じたり、誇り高く生きていられるからこそ、そのように生きようとする他者の価値を信じられるし、相手の価値も認めることもできるってことですよね。
愛するとは、自分とまったく正反対に生きる者を、その状態のままに、喜ぶことだ、とか、
自分とは逆の感性を持っている人をも、その感性のまま喜ぶことだとも言っているんです。
あと、ニーチェは、こんなことも言ってます。<人を愛することを忘れる。そうすると、次には、
自分の中にも愛する価値があることを忘れてしまい、自分すら、愛さなくなる。
こうして、人間であることを終えてしまう>ってね。
愛って、心の中に咲く、花のようなもので、大切にしないと、
すぐに枯れて、無くなっちゃうようなものかもしれないですよね。あっはは」

 信也は、そう言って笑うと、隣の席の大沢詩織と、目を合わせた。

「人間って、なぜだかよくわからないけど、自分ひとりでは、愛という花を育てられないのだろうし、
だから、友だちや、誰かから、愛という花を、受け取ったり、教えてもらう必要があるんだろうね。
いつ、誰から、愛の花という花束を受け取るのかって、人それぞれなんでしょうけどね。
そうそう、おれって、ジャニス・ジョップリンのアルバムや、
あの『THE ROZE』の映画音楽の総指揮をとった音楽プロデューサーの、
ポール・ロスチャイルドっていう紳士を尊敬しているんですよ。
1995年に他界したんですけどね。彼かも、愛の花束を受け取ったという気がしているんですよ。
あっはは」

「あっ、知ってます。そのポールさんのことは、
『ジャニス・ジョップリンからの手紙』にも書かれています。ポールさんは、
楽しいことが大好きな、ユーモアのある人で、プロデューサー仕事は、
ミュージシャンたちが、ベスト(最善)を発揮できるように、
快適な環境をつくることにあると信じていた、誠実な紳士で、
ジャニスも、ポールさんを頼りにして、たくさん教えてもらうこともあったそうですよね」

 南野美菜がそう言った。美菜は170センチ、すらりとした美しい女性だ。

「しんちゃん、まさか、そのポールさんにお会いしたことがあるとか?」

 美菜の隣の、美菜の彼氏の岡昇(おかのぼる)がそう言いながら、
身を乗り出して、信也の顔を見た。岡は173センチ、美菜とは、お似合いのカップルである。

「まさかでしょう?おれが5歳の時に、ポールさんは天国へ旅立たれているのですから。
ただ、いろいろ調べていて、ポールさんは、学歴は高卒くらいなのに、
独学で音楽を勉強して、1970年のジャニスの代表作のアルバム『パール』や、
ひとつの時代を築いたドアーズやニールヤングとかのプロデュースもしたりしていて、
音楽的なセンスも抜群だった人だし、いろんな意味で尊敬しているんですよ。あっはは」

 そう言って笑うと、信也は、「まあ、まあ、きょうは楽しくやりましょう!」と言って、
テーブルのみんなと、元気に明るく、乾杯をした。

≪つづく≫ --- 97章 おわり ---

98章 新人マンガ家の青木心菜(ここな)

98章 新人マンガ家の青木心菜(ここな)

 11月26日の土曜日の正午。最高気温は16度ほど。曇り空。

 昼の12時。JR渋谷駅、こんもりした緑が生い茂る、忠犬ハチ公の像の広場に、
川口信也たち5人が集まっている。

 信也の彼女の大沢詩織と、信也の飲み友達で、エタナールの副社長の新井竜太郎、
竜太郎の今(いま)の彼女の野中奈緒美、そして、青木心菜(ここな)の5人。

 1992年3月1日生まれ、23歳の心菜(ここな)は、慈善事業・ユニオン・ロックで、
マンガやイラストを学んで、インターネットで公開している作品が人気上昇中の、
新人女性マンガだった。

 慈善事業・ユニオン・ロックは、1014年9月ころに、外食産業最大手、エターナルと、
同じく外食産業のモリカワが、共同出資で立ち上げた慈善事業であった。

 ユニオン・ロックでは、音楽でもマンガでも、芸術的なこと全般において、
関心の高い子どもたちや、夢を追う若者たちを対象にして、
主に、インターネットを活用しながら、全国的な規模で、
音楽や芸能やアートやマンガなどを自由に学べる『場』の提供や、
その経済的な援助から、その道のプロの育成までと、長期的展望の幅広い事業を展開している。

 青木心菜(ここな)は、そんなユニオン・ロックで、大切にされている新人マンガ家だった。 

 集まった5人は、人で込(こ)み合うハチ公広場から、
歩いて3分の、みんなでよく利用する、個室居酒屋『けむり』に向かった。

 『けむり』は、12時の開店と同時にほぼ満席。
5人は、和室風でモダンな落ちつける個室に入った。

「わたし、マンガ描(か)くのが、忙(いそが)しくって、最近、腱鞘炎(けんしょうえん)なんですよ!
痛みとかは全然ないんですけど、2週間前には指が思うように動かなくって、あせっちゃいました!
ぅっふふ」

「えっ、それって、大変なことじゃないですか!?腱鞘炎って、指先が、しびれたりするんですよね。
それで、ペンを持って、マンガが描けなくなったら、大ピンチですよね!
大丈夫なんですか、心菜(ここな)ちゃん!」

 マンガ家の青木心菜(ここな)の腱鞘炎の話に、信也は、びっくりして、そう言った。

「わたしも、腱鞘炎って、なったことないわ。早く治るといいね!心菜(ここな)ちゃん!」

 竜太郎の彼女の野中奈緒美が、心配そうな表情をして、そう言った。

「腱鞘炎って、パソコンのキーボード打っていてもなるっていいますよね。
病気や故障って、突然になるから、怖いわよね。
わたしたちもだけど、心菜ちゃんも、体(からだ)を第一に大切にしてね!」

「心配してくれて、ありがとうございます。みなさん!
いまも、若干(じゃっかん)、しびれとかあるんですけど。軽症ですんだみたいなんです。
まるで、長く正座したときの、足のしびれとかに似ているんです、このしびれは。
でも、だんだん良くなってますから、安心しています。
マンガ描きながらも、合間に、ストレッチしたり、休憩入れたりしてます。
ペンを強めに握らないようにしたら、繊細なペンタッチになって、
そんなマンガが、けっこう好評なんで、嬉(うれ)しかったりしているんです。ぅっふふ」

「あっはは。それは良かった。心菜(ここな)ちゃんのマンガは、芸術的な繊細さが評判ですからね。
それにしても、おれも、心菜ちゃんから、腱鞘炎の話を聞いたときは、びっくりしましたよ。
マンガって、手間(てま)がかかる重労働なんですよね。描きかたにもよるんでしょうけど。
だから、それで、おれは、心菜ちゃんに、アシスタント(助手)をつけてあげるよって、
言っているんですけどね。でも、心菜ちゃん、今はまだ、ひとりでがんばりますって、
言っているんですよ」

 グラスのプレミアムモルツを飲みながら、竜太郎は信也にそう言った。

「そうなんだ。まあ、心菜ちゃん、まずは健康が第一なんだから、無理は絶対しないようにしてね。
おれたちだって、酒が好きな、おれと、竜ちゃんだけど、必ず、休肝日っていって、
体(からだ)をいたわる酒を飲まない日を、1週間に、3日は作っているんだから。
ねえ、竜ちゃん!」

「あっはは。そうだよね。これは、男同士の約束だもんな。
おれたちって、いつも、ご気楽に酒飲んでるように見られるけど、
気持ちは、なんて言ったらいいのか、あの幕末の志士なんですよ。
あっはは、なあ、しんちゃん」

「あっはは。まあ、竜ちゃん、乾杯しましょう!みんなも、乾杯しましょう!あっはは」

 そう言いながら、信也は、竜太郎や信也の隣にいる大沢詩織や、
竜太郎の隣の野中奈緒美や、青木心菜(ここな)と、次々に、乾杯をする。

「ほんとに、しんちゃんと、竜さんって、仲がいいんですもん。ぅっふふ
でも、幕末の志士なんていう言葉が出ると、そんな感じがしないでもないわ!
しんちゃんが、坂本竜馬って感じもするし、
竜さんは、高杉晋作っていう感じもしてくるわ!ぅっふふ」

 大沢詩織は、そう言いながら、信也と竜太郎に愛らしく微笑(ほほえ)む。

「詩織ちゃん、ありがとう!おれが高杉晋作かあ!いいなあ!あっはは。
おれも、しんちゃんも、志は、幕末の志士に負けないような感じで、
世の中を良くしていきたいって気持ちで、仕事とか芸術とかやっているんですよ、
実は。酔っているから、こんな恥ずかしくなるような理想を言えるんですけどね!
おれが、ユニオン・ロックを去年立ち上げたのは、
前々から思っていたんですけど、インターネットとかデジタル化の普及は、
生活を便利にしたり、世界の誰とでも交信を可能にしたりと、グローバル化を加速させたけど、
人の心は、それに反して、寂(さび)しいというか、感受性とか衰退している気がしているんですよ。
そこで、芸術的なことを、世の中に広めて、人の心に、豊かにしたりして、
みんなが元気で明るく暮らせる世の中にできたらいいなあと思ったんですよ。あっはは」

「竜さん、その考え方には、おれは、やっぱり共感しますよ。
本来、人間は、みんな、誰もが、芸術家や詩人であるべきなんですよ。
たぶん、大昔は、人は、そんなふうに、感性が豊かで、心もおおらかだったんですよ。
世の中って、実は、美しいものや詩的なもので、あふれているわけですよ。
それが、現代人は、お金や、物欲ばかりに、夢中で、心を貧しくしているんです。きっと。
お金や、物の、魅力や誘惑も、確かにありますから、わかるんですけどね。あっはは」

 信也が、そう言って、子供のように笑った。
 
 5人は、和気あいあいと、好(この)みの飲み物と、炭火で焼き上げた焼き鳥や、
新鮮な魚や貝の料理を味わった。

≪つづく≫ --- 98章 おわり ---

100章 ボブ・ディラン と オクタビオ・パス

100章 ボブ・ディラン と オクタビオ・パス

 年の暮(く)れも迫(せま)る、12月19日の土曜日。
気温は16度ほどで、青空が広がっている。

 ユニオン・ロックが主催する、下北(しもきた)芸術学校の、
第2回の年忘れ・下北芸術学校・音楽祭りが、ライブ・レストラン・ビートで、
午後2時から開かれるところである。

 ライブ・レストラン・ビートは、下北沢駅、南口から、歩いて3分。
モリカワの経営するライブハウスである。

 1階フロア、2階フロア、その280席は、マスコミの人たちや、音楽や芸術好きの人たちで、
すでに満席で、これから始まる楽しいひと時への期待に、フロアは熱気に包まれている。

 ユニオン・ロックとは、外食産業のモリカワと、外食産業最大手のエターナルが、
共同出資で、1014年9月に始めたばかりの慈善事業である。

 そのユニオン・ロックのHPにあるインターネット上の学校が、
下北(しもきた)芸術学校であった。始めたころは、下北音楽学校という名称だった。

 子どもから若者や大人までを対象として、
音楽に限らずに、マンガなど芸術的なジャンルならば、
幅広く、学べる環境(かんきょう)の提供や支援できるシステムにしていこうと、
学校の運営の基本的な考えを広げたために、下北芸術学校に変更したのである。

「みなさま。よーこそ、お越しくださいました!わたくし、佐野幸夫と申します。
ライブ・レストラン・ビートの店長をさせていただいております。
みなさまと、こうして、楽しいひと時を過ごせることは、本当に、うれしいことです。
精(せい)いっぱい、がんばって、司会を務めさせていただきます。
まあ、みなさまとご一緒に、飲んだり食べたり、歌ったりもさせていただきたいのですが。
そうそう、クリスマスも近いので、クリスマスソングもたくさんやりますからね。
ささやかですけど、抽選による、クリスマスプレゼントも、ご用意してあります!
わたくしも、このように、抽選券を、ゲットしてまーす!あっははは。
ではでは、とにかく、みなさま、すばらしい楽曲の数々と、おいしい食事やお飲物、
そして、ご歓談などで、楽しい、ひと時にしてまいりましょう!よろしくお願いしまーす!」
 
 そう言って、お辞儀をする、身長179センチの佐野幸夫、
1982年生まれ、9月16日生まれ、33歳。その笑いを誘うキャラクターで人気もある。
大きな拍手や、「佐野ちゃーん!すてきぃー!」とか言う女性の歓声や、笑い声が沸(わ)いた。

「いやー、どーも、どなたか、女性から、ステキだなんて、
お褒(ほ)めの言葉をいただいちゃいまして、身に余(あま)る光栄です。あっはは。
さて、それでは、第2回の年忘れ・下北芸術学校・音楽祭り!
オープニングは、『3070人に聞いた、いま好きな曲ベスト5、』の発表と、
そのライヴから、行っちゃいますよ!そして、プログラムの後半は、
『クラッシュビートの好きな曲ベスト5、グレイスガールズの好きな曲ベスト5』
の発表とライヴがあります!
では、『3070人に聞いた、いま好きな曲ベスト5、』の発表です。
いきなり、1位から発表しちゃいますからね!あっはは。
では、1位は、バック・ナンバー(back numbr)の『高嶺(たかね)の花子さん』でした。
この歌は、2013年のリリースでして、手の届かない女の子に片思いして、
妄想をふくらます男子というシチュエーション(状況)の、バック・ナンバーの代表曲です!
カヴァーして演奏してくれるのは、クラッシュビートのみなさんです。
ではクラッシュビートのみなさん、どうぞ!」

「みなさん、こんにちは。森川純です。1位は、3ピース、バンドの、
バック・ナンバー(back numbr)でしたね。おれたちは、5ピースになるわけですけど。あっはは。
えーと、バック・ナンバーは、心に響く、8ビートやメロディや詞で、
おれたち、メンバーのみんなも大好きです。『高嶺の花子さん』は、
「会いたいんだ、いますぐ、そのかどから、飛び出してくれないか?!」なんて、
誰にでもありそうな思いを歌っていて、男子も女子も共感しちゃいますよね。あははは。
まあ、そんな簡潔明瞭(かんけつめいりょう)な歌作りは、
歌の原点でもあるような気がして、大変に勉強になってます。あっはは。
それでは、『高嶺の花子さん』をやります。お聴きください!」

 そう言って、ドラムで、リーダーの森川純が、メンバーと目を合わせると、
落合裕子のキーボードと、岡林明のギターによる、
静かでメロディアスなイントロが、フロアに流れて、クラッシュ・ビートの演奏が始まる。

 メイン・ヴォ-カルは川口信也である。

 川口信也、ヴォ-カル、ギター、1990年2月23日生まれ、25歳。
森川純、ドラム、リーダー、1989年4月3日生まれ、26歳。
高田翔太、ベースギター、1989年12月6日生まれ、26歳。
岡林明、リード・ギター、1989年4月4日生まれ、26歳。
落合裕子、キーボード、1993年3月7日生まれ、22歳。

 この下北芸術学校から巣立った、新人マンガ家の、青木心菜(あおきここな)が、
1階フロアのステージから見て左側にあるカウンターの席で、
くつろぎながら、川口信也の歌声に聞き入っている。

「やっぱり、しんちゃんは、上手だわ。『高嶺の花子さん』もすてき・・・」

 そう思いながら、1か月かかって、やっと完治した
腱鞘炎(けんしょうえん)だった右手の指先をさする。

 「マンガ界の新星!マンガ界のルノワール」などと、
雑誌や新聞のマスコミでも騒(さわ)がれ始めているは、
実際に、小学生のころから、ルノワールの描く、可憐な女優の肖像画、
永遠の微笑みを浮かべる『ジャンヌ・サマリー』とかに、魅了され続けているのであった。

 そんなルノワールの描くような、詩情あふれる、暮らしくなるような世界や、
会いたくなるような人物を描くことが、漫画家、青木心菜の願いだった。
西洋絵画の巨匠ルノワールの描く世界観は、青木心菜の憧れのお手本であった。
青木心菜(ここな)、1992年3月1日生まれ、23歳。

 半年も前のこと、下北芸術学校の関係で、心菜は、川口信也と出会う。
わずか数十分間の二人の会話であったが、心菜は、信也との初対面に、
不思議な特別なものを感じる。そして、恋に落ちている自分に気づくのであった。
クラッシュビートのことも知らなかった心菜は、信也の作る歌のことなどを知れば知るほど、
胸はときめいて、幸福な気分にもなったりするのであった。
信也への、キュンする想いが、本気モードであると認めるより他(ほか)はないのであった。

・・・信也さんって、まるで、ルノワールの絵の世界に出てくるような感じの、
わたしが子どものころから、理想としている、憧れの男の人みたいなんだから・・・

「信也さんは、『高嶺の花子さん』を歌っても、やっぱりカッコいいわね!心菜ちゃん」

 カウンターで、心菜(ここな)の隣にいる水沢由紀が、そう言って微笑(ほほえ)む。
水沢由紀は、心菜の高校の同級生で親友だった。
現在、由紀は、心菜のマンガ制作のアシスタントをしている。

「うん、信也さんは、いつもカッコいい。信也さんの作るメロディや詩もすてきだし。
わたしの師匠は、ルノワールと信也さんかな!うふふ」

 心菜は、そう言って、ちょっと潤(うる)んだような澄(す)んだ瞳で、由紀に微笑む。

 由紀は、そんな心菜の恋心を察(さっ)して、
カウンターの上の、細い心菜の手を、優しく握りしめる。

 プログラムの後半では、『クラッシュビートの好きな曲ベスト5』の発表とライヴがあった。

 そのベスト5には、セカンド・アルバム『TRUE LOVE』の収録曲で、
心菜が、特にお気に入りの、軽快に疾走するような、8ビートのロックンロール、
『ボブ・ディラン と オクタビオ・パス』が入っていた。
その心地よさにあふれる演奏や信也の歌声に、心菜も由紀も、胸を熱くした。会場も盛り上がった。

ーーーーーー
ボブ・ディラン と オクタビオ・パス    作詞・作曲  川口信也

本も読んでも 考え込んでも 答えの出ない人生の問題もある
その答えがわからないことには 生きていることも実感できない 問題
こんなとき ボブ・ディランの 『風に吹かれて』の 歌詞は 心にしみる
この歌を ジョーン・バエズは 「社会的良心を 象徴する歌」 と言う

ディラン自身 この歌について こんな イカした コメントしている
「答えは 紙切れみたいに 風の中で 吹かれているってことさ
答えは 地上に降りてきても 誰にも見られず 理解されず
また 飛んでいっちまう 誰も拾って読もうとしないから・・・」

なんて カッコいい 歌をうたってるんだ!ボブ・ディラン!
ノーベル文学賞 最有力候補も 当然の ボブ・ディラン!
ボブ・ディランの あの声は 「どーもね」 という人も いるけれど
彼の人生には 人を勇気づける 達成や 創造があると思うよ

それにしても 若いころの あなたときたら なんてカッコいいんだ
正真正銘 ロックンロール 世界最強の ロックンローラー
「金は 決して 何かを作る 動機に いならない」 と語る ディラン!
「そこから 抜け出すには 何かを 夢見るしかない」 と言ってる ディラン!

「ある朝 起きると ぼくは すぐ 旅立った 吹雪(ふびき)の中
ぼくは 世界の 慈悲(じひ)を 信じて ハイウェイに 立ち 東に向かった
持っていたもの と言えば ギターと スーツケース だけ
それだけだ・・・」 と カッコいい 若いころを 語る ボブ・ディラン!

いつも 本当の 吟遊詩人のような 生き方だね!ボブ・ディラン!
いつも 子供の 遊びのように ものを作っているね!ボブ・ディラン!
いつまでも 若々しい 自然を愛する 自然を信じる ボブ・ディラン!
自然に反する戦争を 悪と言ってる 人生の挑戦者のボブ・ディラン!
「詩を書かなくたって 本物の詩人はいる」 そう語る ボブ・ディラン!


どうしたら こんな混沌の 混迷の 世の中は 良くなっていくんだろう?
その答えの1つは 子どものころのような 気持に戻るしかなような気もする
その理由(わけ)は 子どものころには 美しいものを 美しいと 感じる
素直(すなお)な 澄(す)んだ 心や感性が あったと ぼくは思うから 

ノーベル文学賞受賞の メキシコの詩人 オクタビオ・パスも語っているよ!
「真実の 恋におちいり 瞬間が永遠に感じた あの日
人は 人を愛したり 恋におちることによって 一切の対立は 消滅し
自分の中の他者や 他者の中の自分を 取り戻(もど)すことができる」 って

「そんな 他者との体験 それこそが 日々の《生》  本当の《生》 なのである
他者や 自然との 繋(つな)がりに 本当の詩や《生》 がある
詩は 優れて 人間的な 能力である 想像力から 生まれてきた
人間が 詩を忘れるということは 自分を忘れるということに ほかならない」 って

「人生から ポエジー(詩情、詩的な味わい)を引き出すより
人生を ポエジーに 変えるほうが よいのではないだろうか?
詩なしでも ポエジーは存在する 風景 人物 事実などは
しばしば 詩的であり それらは 詩であることなく ポエジーでありうる」 って

美しいものを 美しいものと感じる その心や感性は
ものや他者を 思ったり 感じたりする 《ときめき》 となって
脳内の 神経細胞も働いて クオリア(質感)が生じて
ぼくらの意識となって 想像力となって 育ってゆくんだろうね

「詩とは 愛のようなものです」 と語っている オクタビオ・パス!
詩なしでも 風景や人物に ポエジー(詩情、詩的な味わい)はあると言う オクタビオ・パス!
《詩的想像力》 を 滅びない 永続する《芽》 と言って 詩を擁護する オクタビオ・パス!
「詩は 存在の 原始の水への 没入である」と語る オクタビオ・パス!
ぼくも 人生が 辛(つら)いものだとしても いつも 詩的であることを願うよ! オクタビオ・パス!

≪つづく≫ ーーー 100章 おわり ーーー

雲は遠くて(パート2)

雲は遠くて(パート2)

愛と 自由と 音楽と 共に 成長していく、現代と 同時 進行の、若者たちの 物語。 <詩と散文と音楽の広場> http://otoguroippei.g1.xrea.com/

  • 小説
  • 長編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-01-05

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  1. 26章 TOP 5入り・祝賀パーティー (6)
  2. 26章 TOP 5入り・祝賀パーティー (7)
  3. 27章 モリカワの 新春 パーティー (1)
  4. 27章 モリカワの 新春 パーティー (2)
  5. 28章 モリカワに、M&A(合併、買収)の危機!(1)
  6. 28章 モリカワに、M&A(合併、買収)の危機!(2)
  7. 28章 モリカワに、M&A(合併、買収)の危機!(3)
  8. 29章 清原美咲 と 新井幸平 の デート (1)
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  11. 30章 エタナールの兄弟、竜太郎と幸平 (1)
  12. 30章 エタナールの兄弟、竜太郎と幸平 (2)
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  14. 31章 美女 と 野獣 (1)
  15. 31章 美女 と 野獣 (2)
  16. 31章 美女 と 野獣 (3)
  17. 32章 美樹と真央、恋愛を語りあう (1)
  18. 32章 美樹と真央、恋愛を語りあう (2)
  19. 33章 新井幸平の誕生パ-ティー (1)
  20. 33章 新井幸平の誕生パ-ティー (2)
  21. 33章 新井幸平の誕生パ-ティー (3)
  22. 34章 神か悪魔か、新井竜太郎の野心 (1)
  23. 34章 神か悪魔か、新井竜太郎の野心 (2)
  24. 34章 神か悪魔か、新井竜太郎の野心 (3)
  25. 35章 竜太郎、竹下通りで、デートとスカウト (1)
  26. 35章 竜太郎、竹下通りで、デートとスカウト (2)
  27. 36章 信也と竜太郎たち、バー(bar)で飲む (1)
  28. 36章  信也と竜太郎たち、バー(bar)で飲む (2)
  29. 36章 信也と竜太郎たち、バー(bar)で飲む (3)
  30. 37章  川口信也の妹の美結(みゆ)、やって来る (1)
  31. 37章  川口信也の妹の美結(みゆ)、やって来る (2)
  32. 37章  川口信也の妹の美結(みゆ)、やって来る (3)
  33. 37章  川口信也の妹の美結(みゆ)、やって来る (4)
  34. 38章  信也と美結、いっしょに暮らし始める (1)
  35. 38章  信也と美結、いっしょに暮らし始める (2)
  36. 39章 女性に人気の松下トリオ (1)
  37. 39章 女性に人気の松下トリオ (2)
  38. 40章 As The Same Life (同じ生命として) (1)
  39. 40章 As The Same Life (同じ生命として) (2)
  40. 41章  イエスタデイを羽(は)ばたいて
  41. 42章 信也の妹、美結に恋人できる
  42. 43章 短くても美しく燃えること
  43. 44章  愛と酒と歌の日々
  44. 45章 尾崎豊を彷彿とさせる水谷友巳
  45. 46章 Love is harmony(ラヴ・イズ・ハーモニー)
  46. 47章 目標は、ラルク・アン・シエル!?
  47. 48章 バンドの名前は、ドルチェ! 
  48. 49章 きみなしではいられない
  49. 50章 美結と真央と涼太、CMに出演
  50. 51章 2014年、たまがわ花火大会
  51. 52章 南野美菜、ドン・マイに、加入か?!
  52. 53章 竜太郎と真央、恋の行方は?
  53. 54章 歳をとることの楽しみ、きっとある!
  54. 55章 マイ・シンプル・ラバー
  55. 56章 芸術の目的は人間を幸せにすることにある
  56. 57章 竜太郎、若い人向け慈善事業を始める
  57. 58章 信也、バーチャルな下北音楽学校の講師をする
  58. 59章 音楽をする理由について、清原美樹は語る
  59. 60章 G ‐ ガールズ、全国放送に出演!
  60. 61章 美しさや愛を大切にする生き方
  61. 62章 信也の妹の利奈も、東京にやって来る?!
  62. 63章 第2回 モリカワ・ミュージック 忘年会 (1)
  63. 63章 第2回 モリカワ・ミュージック 忘年会 (2)
  64. 64章 信也と美結たちの正月
  65. 65章 クラッシュ・ビートに、美女が参加する!
  66. 66章 信也と竜太郎と美結と裕子の4人で食事
  67. 67章 竜太郎の新しい恋人に、奈緒美!?
  68. 68章 奈緒美、竜太郎の家に招かれる
  69. 69章 信也の妹の利奈、早瀬田大学に合格する
  70. 70章 TRUE LOVE ( ほんとうの愛 ) 
  71. 71章 グレン・グールドに傾倒する松下陽斗
  72. 72章 信也の妹、利奈の卒業式
  73. 73章 利奈の進学祝いのパーティー
  74. 74章 TRUE LOVE ( ほんとうの愛 ) PART 2
  75. 75章 バッハの話に熱中の信也と詩織
  76. 76章 モリカワのお花見の会
  77. 77章 川口利奈、大学の音楽サークルに入る
  78. 78章 岡と利奈、テイラー・スウィフトを語る
  79. 79章 利奈の夢の中の、ロバート・ジョンソン
  80. 80章 マイケル・ジャクソンを絶賛する、川口信也
  81. 81章 20世紀少年と、T・レックス
  82. 82章 信也と裕子、二人だけでお茶をする
  83. 83章 恋のシチュエーション
  84. 84章 利奈と誠二たち、バンドを結成する
  85. 85章 利奈たちのバンド名、ハッピー・クインテット
  86. 86章 ギリシャ哲学から、2000年が過ぎたけど
  87. 87章 イノセント・ガール (innocent girl)
  88. 88章 信也たち、又吉直樹の芥川賞で、盛りあがる
  89. 89章 きっと それは 快感 (Surely it is a pleasure)  
  90. 90章 美樹や信也、陽斗のライブへ行く
  91. 91章 モーツァルトを師匠と感じる信也
  92. 92章 落合裕子と妹、幸来(さら)との団欒(だんらん)
  93. (改訂版) 93章 信也と美結と利奈たち、太宰治とかを語る
  94. 94章 信也たち、<ゲスの極み乙女。>で盛り上がる
  95. 95章 詩織の信也への一途な思い 
  96. 96章 信也と利奈、セカオワや ニーチェを語る
  97. 97章 信也たち、ジャニス・ジョップリンとかを語(かた)る
  98. 98章 新人マンガ家の青木心菜(ここな)
  99. 100章 ボブ・ディラン と オクタビオ・パス