挑戦者 計画
スーパーコンピュターを作り、使った人々を主人公にしたドラマ的な物を書いてみました。技術用語が出てきますが、飾りです。
挿絵の代わりに音楽を飾ってみました。本文中にURLが書いて有ります。聞いてみてください。
文才はないし、選んだ曲も少しずれていますが、小説と音楽のコラボのような新しいスタイルを提案したいです。皆さんの参考になれば幸いです。
発案
フルーブ - 巡り来る季節 http://www.youtube.com/watch?v=qaVaMaVZ88U
海岸にほど近い大学のキャンパスにて、学生たちが講義を終えて、校舎から校門へ向かって歩いている。
ベンチでコーヒーを飲んでいた永田はサーフボードを抱えて校門から入ってきた堀口に声をかけた。「今日は上りかい?」「今日は波が悪いからね。卒論は進んでいるかい?」「いいや。早々に片づけて就活でもしたかったんだけどね~」「来年はさすがに俺もやらないとな~。まぁ頑張って」留年なんかしやがって。永田は悪態をつくと席を立ち、研究室へ向かった。情報科学研究室のゼミ仲間は各自行う明日の週間報告の準備をしていた。
一番進んでいるのは宮橋の[超7次元接続型並列CPUにおける…(もう解らない)…の改善]具体的な内容で着実に進んでいた。永田はテーマさえ決めかねていた。教授の示すテーマに興味が無く、理解が出来なく、何か自分に解る物はないかな~とぼんやり思うのみで時間が過ぎてしまって、さすがに明日は「これをやります」と言わはなくてはならなかった。考えたが、答えは見つからない。窓からは夕日が見えたが、夕日に答えが書いて有る訳もなく、溜め息をついた。
「計算回路は次々に計算指示を受ける事が出来るから、複数のCPUで共有が出来るんだよ」成績の良い宮橋が訳知り顔に話しているのをぼんやり聞いていた永田は、何かむしょうに逆の事を言ってみたくなった。「共有なんかしないで、逆に複数の計算回路を持つ方が計算が早くなるんじゃないかなぁ」。宮橋は怪訝な顔をして「どんなふうに動作するんだい」と質問してきた。しまった、何も考えてい無い。しかし、また言い負かされてしまうのは悔しい。「だから…」困った。「確かに、複数の計算をして一つの答えが出るからなぁ」研究室に入ってきた堀口が助け船を出してくれた。「この複数の計算を同時に複数の計算回路で実行すれば早く答えが出るじゃないか」永田はすかさず、口から出まかせ状態で切り返した。「そうかもしれないね~」宮橋が納得したのをみて、永田の方が驚いてしまった。何か嬉しくなった永田は調子に乗って、卒論のテーマはこれにすることにした。
「だから…いろんな計算が有るだろ!どうやって対応するんだ?何も考えていないのか!」週間報告会の席上、教授にドヤされた永田は「来週までに考えます」と答えるのが精一杯だった。「お前は何時もその調子だ!でも、面白いアイディアだ。やってみたまえ」教授はそう言うと、次の研究生の報告を促した。5分の報告だったけれど、長い長い5分が終わった。どっと疲れた永田はテーブルに突っ伏した所、「他の研究生の報告を聞け!」また教授にドヤされてしまった。
「第一歩は資料調査だョ」研究室の助手さんに言われて、資料調査を始めた永田は資料が見つからない事に悩み始めた。「何で無いんだろう…超7次元はいっぱいあるのに…」就活の面接でも「卒論に付いて説明をして下さい」と言われると永田はうまく説明できずにいた。「そうゆう時は範囲を広げて類似例を探せば良いんだ」助手さんにアドバイスをもらって探すと数件見つかった。少しずつ卒論が進み始めた。
提出期日ギリギリでやっと卒論がまとまった研究生に教授が最後の課題を出す。「毎年恒例、卒論を5分で説明する発表ビデオを撮るから、各自は発表練習をする様に」永田は未だ内定をもらえていないので溜め息をついた。思えばため息ばかりの一年間だった。発表ビデオを大学のサーバーにupして、研究室のOB達に[見て下さい]メールを出すと、卒論が終わった。研究生は就職準備へ、教授と助手は来年度の研究生の受け入れ準備を始めた。
ひと気の無くなった研究室に電話がかかってきた。発表ビデオを見た先輩からだった。「先生、ご無沙汰してます。高崎です。発表ビデオを見たのですが」「オー、高崎か。元気だったかい? 発表って超7次元のやつかい?」「いや、複数の計算回路のやつです」「あれか~。アイデアばかりで内容の無いものだったなぁ」「実は、面白いアイディアなので、今度のプロジェクトの中で使いたいのです。良いですか?それから永田君はどうしていますか?」「あんなので良ければどうぞ。彼も喜ぶだろう。まだ内定をもらえない、成績が良くなかったからな」「先ずはありがとうございます。私でもインターンぐらいの口なら紹介できますよ」電話は切れ、研究室は静かになった。
Sum 41 - In Too Deep http://www.youtube.com/watch?v=rz3RcmBWVmM
企画
高崎は科学技術財団で企画部の中堅になっていた。コンピュータに関する企画を提案しようと思ったのだが、核となる技術を見つけられず、棚上げにしていた。
彼は来たメールをチェックしていた。その中に毎年恒例、研究室の卒論発表ビデオの公開を知らせるメールが入っていた。「小手先改善の提案でもするか…」とつぶやきながら研究室の卒論発表ビデオを見ていたのだった。そんな折、気になったのが[複数の計算回路]だった。「計算速度を大幅に向上させられるカモシレナイです」か、大学の卒論なんて、自分も適当だったなぁ…でも出来るといいな…マァ出来るカモシレナイ…いや、本当に出来るかも知れない!。漠然とした思いが確信に変わった。[これだ]という感覚が有る。これはきっと上手くいく。彼は企画書を書くとコンピュータメーカの技術者を呼び、実現性検討を始めた。
Journey - Be Good To Yourself http://www.youtube.com/watch?v=Kao8H6bpAHw
次世代スーパーコンピュータのプロジェクトは先行している計画が有った。日本の威信と未来をかけ、世界一を奪還するヘビーな計画だ。それと同じ企画を行っても予算は通らない。でも、違うものを目指した。「性能が世界一なら、費用も世界一の今の計画。お金がかかるので、出来る事が判っている案件にしか適用はできない。そうじゃないんだ、出来るかどうか判らない事に挑戦するんだ。その為には安くなければならない。題して挑戦者計画、ご協力をお願いします」彼は関係者に熱っぽく語り、少しずつ支持者が増えていった。それにつれ「企画自体が出来るかどうか判らない」と揶揄する者も増えていった。検討項目は100を超え、その1/3に実現困難の文字が並ぶ。一社では無理だと判断した高崎は5社の共同プロジェクトの形にした。それで、初期検討の予算が付いた。「これは無理なんじゃないですか?」とこぼす技術者達の対応も予算が付くと変わってきた。検討協力から本体の受注活動に切り替わったからだ。そんな事を気にせず、高崎は実現性検討を進めていった。難しい物は継続検討。出来る物から一つ、また一つと[実現困難]を[可能]に変えていき、最後に残った問題は[熱]だった。コンピュータは半導体で作られる。半導体は熱を出す、そして熱に弱い。出た熱を取り除く強力な放熱機構が必要だった。「イャァ~これは水冷でしょう」異口同音に反対される中、彼はコストが断然に安い空冷にこだわった。「出来ない理由を全部あげてみよう」高崎は技術者達を促した。20項目が上がったが、一つ一つ対策案を検討して、残った問題は熱の流れだった。チップはケースに入り、ケースは放熱板に接触している、放熱板から空気に熱を逃がすのが空冷だがケースによる温度差が生じて流れる熱の量に限界が生じる。定期ミーティングが始まった。「だから水冷に…」「待て待て、温度差が少ない方法が有ればいいんだ」「そんなこと言ったって…ケースが有るんだから…」「ケースを無くそう!」「オイオイ取り付けられないョ」「取り付けられる方法はないかな~」「高崎さんも粘りますね~」「粘る所だけが取柄でね」「チップを放熱板に直接取り付ければ?ケース不要だョ」「ん~どれどれ~概算すると~あと一声だなーまだチップ温度が15℃高い」「全体を冷やしたら?15℃冷やせば良いよ」「激しいな~周囲温度は20-15=5℃だよ~」「出来るじゃないか」「…」「出来はするけど、これは辛いな~」「出来るなら解決!」「…良いのかナ~これで…」「まァやって見るさ」「ではミーティング終了、解散」。細部の詰めは皆無だが大きな問題は道筋が出来た。高崎はとにかく道筋が出来た事が嬉しかった。
冷蔵庫入りのコンピュータと揶揄される事になったが、計画は実際に実施出来る事になった。
高崎は仕事を割り振るのに、設計コンペをする事にした。プロセッサ、筐体システム、データー格納装置、プロセッサを直接制御するコアOS、システム全体を制御するシステムOS、計算を分散する分配ソフト、ユーザーからの計算プログラムを受け取る用途別のシミュレータ…。テーマを決め、コンペの審査を繰り返す忙しい日々が続いていた。
プロセッサは各社がやりたがった。既存チップを流用する安価な提案、高性能だが難易度の高い提案、定石的だが実現性の高い提案、一部は既存で半分近くを新規に開発する提案、色々な提案が上がった。そんな中で、シンプルな構成と効率の良いコード体系を備えた提案に決定された。決定書を受け取った宮内は、高崎に「ありがとうございます」と言うと、小さなため息をつきながら帰って行った。
設計
Enya - Book Of Days http://www.youtube.com/watch?v=LPa9r9gkBAE
コンペに選ばれて担当が決まった部分から設計が始まっていく。プロセッサを担当する事になった宮内は秀才だった。コンペを勝ち取った提案のほとんどを彼が考えたのだ。しかし問題は山積みだった。やろうと思っても一人で出来る物ではない。「メンバーが多いと大変なんだよなぁ~」ため息が出る。安く作れるとは言え空冷方式は非力だ。プロセッサが使える電力は制限がきつい。「空冷かぁ~」ため息が出る。先ずは演算部。複数の演算部が大量の電力を使い熱を出す。これを少しでも少なくする事は必須だった。しかし、速度の速いデバイスは熱が多い、熱の少ないデバイスは遅い。「デバイスか~」またため息が出る。彼にはそれに付いて知見が無く無力だった。「あぁ~」ため息にしかならない。しかし、これは得意な人に頼む事が出来た。次はCPU部だ。プログラムを処理するCPU部は速度が速く消費電力の少ないRISC型の採用。これは定石だが、少ない予算で規模の大きなCPU設計を行わなくてはならない。計画管理の判断ミスは結果として、日程と経費と発熱に反映してくる。どれかでカバー出来る、そんな仕事ではなかった。うまくやらなければならない。自分だけでなくチーム全員がうまくやらなければならない。モチベーションを上げ最良の結果を出す方法は?常に悩む問題だが、常に難しい。「プロジェクト・リーダかぁ~」溜め息の連続だった。
しかし、面白そうな仕事は人を呼ぶ、設計メンバーには恵まれた。この利点を生かすため、宮内はあまり使わない方法を取る事にした。ブロックを細かく分割し、一つの基本設計を数人で競うのだ。最良の設計者がそのブロックを分担して詳細設計を行う。選考に漏れた人は別ブロックの基本設計を始める。各自が立候補して、自分の得意なブロックの獲得を目指す。自信満々で始めたが次点で落選する事も有り、何となく着手した物が当選する事も有った。人員は直ぐに全員が揃う訳ではない。各自、前の仕事が終わるのはバラバラで、少しずつ集まってくる。そこで、小さめにブロック分割を行い、一月程度で設計できる分量にした。そして、仕事は山ほど有った。後から参加しても、落選しても、当選しても直ぐにその作業は終了し、次の課題に取り掛かる。当選しても次は異なる、落選しても直ぐにリベンジが始まる。腕に自信のあるメンバー達にはこの感覚を面白がった。しかし、リーダーは大変だった。てんでバラバラに進んでしまう進捗、担当者は経験が有るが自分は経験の無い手法、次々に行わなくてはならない担当者の選択。「面白い仕事とはいえ疲れるなぁ~」ため息が続く生活だった。
そんな所に、一人の基板設計者が電話をかけて来た。「お願いしているLSIピン配置と入出力バッファの種類、それとチップの大きさ、決まりましたか?」宮内はため息をついて回答した「申し訳ない川村君、直ぐに回答ます」。「何回同じことを言っているのですか?いい加減に回答を頂けないと作業が停滞します。残っているのはこの部分だけなんですから!!」川村は電話をガチャンと切った。宮内はまたため息をついた。
起動
Asia - Don't Cry http://www.youtube.com/watch?v=YwFbNlQMGQM
プロセッサ・チップを実装した試作基板を実験卓に置き、電源装置を接続した。そして、電源をONした川村は実験卓の前で頭を抱えてしまった。動作がおかしい、それは良くある。そうじゃなくて、試作基板が全く動かないのだ。「何を間違えたんだろう…」鼻声で呟くと、何度も電源スイッチをON-OFFして、試作基板上のLEDを見る。10個ある内の2個が点灯するはずなのだが、1個も点灯しない。川村は再度チェックを行ったが設計ミスを見つけられなかった。そこへ設計部長が一人のベテラン技術者を連れてきた。半年前に定年になった上山だった。進捗を心配した部長が応援を頼んだのだった。「君が川村君だね、どんな様子だい?」上山は楽しそうに質問した。「全然、動かないのです」「完全に”全然”かい?」「いえ、一瞬は動作するのですが直ぐに停止してしまうんです」それを聞いた上山は部長に「状況は解りましたよ」と言うと部長は「よろしくお願いします」といって自席に戻っていった。
上山は傍らの椅子に座ると質問を始めた。「停止する原因は?」「良く判りません」「では、停止する順序は?」「確認していません…」「では確認しよう」「エ~っと、何を見ればよいでしょうか?」「先ずは電源回路だな。電源回路が異常を検出した事を示す信号は?」「2か所あります」「では入力電源と、その2か所をオシロスコープに接続しよう」程なくして川村が「接続できました」と答える。「では電源ON」川村が電源をONするとオシロスコープのスクリーンにに電源電圧と異常検出信号の波形が現れる。2か所のうち1か所がHiになっていた「先ずはココだな。この信号は回路図上の何処だい?」「この電源制御ICの3番ピンです」「ココがHiになる条件は?」「エ~っと、異常過大電圧と異常低電圧と異常過大電流です」「どれか判るか?」「判りません」「では一つ一つ行こう。先ずは異常電圧からだ」「こんな事で判るのですか?」「判るかどうかは、現状の動作を理解してから言う事だ。出力電圧をオシロスコープに接続しよう」程なくして「接続したのでONします。出力電圧は正常ですが停止します」オシロスコープのスクリーンを見ながら川村が答える。「一つ判ったね、異常電圧ではない。では異常過大電流を確認しよう。回路図上のココとココとココの3つの部品を外して、無負荷で動作させよう」「この小さなやつを外すのですか…」「最近の部品はちいさいな~。まぁ頑張って」「この調子で何時までやれば良いのでしょう…」「答えが出るまでだ」程なくして「部品を外したのでONします。出力電圧は正常です。…停止しません」川村が驚いて答える。「一つ判ったね。外した部品の一つを戻してやって見よう」「部品を1つ戻したのでONします。出力電圧は正常です。…停止しません」「では次」「部品2つ目を戻したのでONします。出力電圧は正常です。…停止しません」「では次」「部品3つ目を戻したのでONします。出力電圧は正常です。…停止しません…元に戻ったのに何で??」「ん~何だ~ではもう一度OFFしてON」「今度は停止します。エェ~判らなくなりました」「一つ判っただろう、無負荷だと動作する。さて、次は困ったネ。こういう時は電源回路を単体で動作させよう。旧棟の回路実験室に可変抵抗が有ったはずだ。それを借りてプロセッサの代わりに接続しよう」「それで判るのですか?」「ま~わかる場合が有るって事かな」2人は旧棟から埃を被った可変抵抗を借りてくると接続した。「電源をONすると停止します。同じです」「ま、焦らない事だ。電流を最小に設定して」「設定しました。では、電源ON。…?停止しません」「一つ判ったネ。出力電流を少しずつ大きくしてみよう」「定格電流の1/10で停止します」「オーずいぶん判ったじゃないか。それで、停止する原因は?」「判りません」「では、一つ一つ行こう。過大電流を検出している場所は?」「出力トランジスタに付いているこの検出回路です」「ではそこの電流を調べよう」「やった事が無いのです。どうやって調べるのですか?」「先ず検出回路のパターンを切る。次に電流プローブを接続する」「疲れてきました」「もう少しだ。さァやって」程なくして「接続しました。ONします」「待て待て。先ずは動作する状態、電流を最小に設定しよう」「設定しました。ONします。えーっと、トランジスタの電流は1アンペアです」「次は停止する直前に設定しよう」「トランジスタの電流は5アンペアです」「ここが異常検出する電流は?」「エ~っと…、5アンペアです」「ココだ!判っちゃったネ」「ハイ!…でもどうしたら良いのでしょう」「トランジスタの電流は、コイルの値が小さい場合と入力電圧が高い場合に大きくなるんだが…先ずは疑わしいコイルの値だ。どうやって決めたんだい?」「電源ICの仕様書に設計例が有って、その値にしました」「自分で計算したんじゃないんだ」「…実は計算方法が判らなくて…でも専門家が検討した値なので正しいはずです」「…ヤレヤレ。次は疑わしい入力電圧だ。どうやって決めたんだい?」「設計仕様です。この電圧でやれって言われていますので変更できません」「…ヤレヤレ。……ちなみに…設計例の入力電圧は幾らだい?」「資料を確認します…5ボルトです」「で?変更できない設計仕様は?」「24ボルトです」「ダメじゃん!!」川村はさんざん説教をされた後に、問題のコイルを交換すると電源をONした。LEDが2個点灯した。川村は「やったー」と声を上げた。
川村の声を聞きつけた制御OSチームの竹中が近寄ってきた「ネェネェ、動いたの?」「ハイ何とか」「起動した?」「エ~っと、いいえ」「あれ、ROMを書き込んだ?」「?いいえ」「じゃぁROMを書き込もう」竹中が溝口に声をかけた「おーい溝口君、ROMを書き込んでくれ~」溝口はノートパソコンと治具を持て来ると接続して書き込みを行った。「ONしてくれ」川村が電源をONすると、2個のLEDが光った。次に8個のLEDが点滅を始めた。それを見た竹中と溝口は声を上げた「オォー起動している!」制御OSチームの全員が一斉に席を立って見に来た。「あ!止まった」「何回点滅した?」「5回だ」「あ~俺の所で止まってる~」「ログだ!ログを見よう」制御OSチームのメンバーが実験卓を取り囲んでしまい、川村は押しのけられてしまった。
ZZ top - Stages http://www.youtube.com/watch?v=nfG5s7Bavtw
うつ
宇田川は性能シミュレーション・ソフトの表示画面を見ていた。きゃしゃで小柄な体に似合わずパワフルなプログラム・コードを書く持ち味から抜擢されたのだが、シミュレーション結果はあんまりパワフルな数字を示していなかった。プロセッサ・チップは未だバグが残り、基板も制御OSが起動するようになったばかりの段階での実機は動作できず、計算処理の分配ソフトの動作確認は仮想のシステムを用いたシミュレーションに頼る他なかった。この頼みの綱も「予算が無かったから簡易的な治具ソフトを作ったんだ、動作する/しない位の確認になら使えると思う」と釘を刺されたうえで溝口からもらって来た治具用ソフトだった。「これの結果は何処まで信用できるのかな…高崎さんがちゃんと計画に入れてくれたらよかったのに…いっそ自分で作るか?その時間はないか…」と宇田川は愚痴をこぼすと、コードを表示させてチェックを始めた。
コードを書き始めてから3カ月、ようやく一応の動作をするようになり、次の課題として性能を目標にコードの見直しを行う日々が始まってもう3カ月がたった。「作るのと同じ時間が経っているのに未だチューニングが終わらないんですか?」定例ミーティングでそう言われると思うと憂鬱だった。その定例ミーティングで、宇田川はいくつかの補正機能の進捗を報告しただけで、性能向上の進捗は触れなかった。他のメンバーから特には質問もなかった。
書いたときは、こんな物かな、と思ったコードでも見直してみるとあちらこちらに改善点が有るものだ。小さな改善効果でしかない箇所が大半だったが、どうしてこれで動いているのか首を傾げる部分もあった。小さな所は自らの不明を恥じる事としてあえて修正せず、やっぱりマズイなと思う所だけを修正するのだが、それだけで結構時間が掛かっていた。そんな改善箇所を小修整したつもりでの変更が新たなバグを作ってしまい、バグ対策に時間が掛かる事も有った。結局、性能向上は進まず、補正機能の進捗も遅れがちになった。
次の定例ミーティングの前日、性能向上の進捗が無い事を言われるのではないかと思った宇田川は、集中的に性能向上検討を行った。結果はかえって性能が悪くなってしまった。時間をそっちに使ったので、補正機能の作成はさらに遅れてしまった。定例ミーティングにて、補正機能の進捗が少し遅れている事を報告した宇田川は、終始うつむいていた。席上、性能向上がうまく行っていない事を報告しようと思ったが言い出せなかった。
スパコンがスパコンである為にはシステム性能がスーパーでなくてはならない。そのシステム性能を左右する計算分配ソフトの分配性能はとても重要な項目だ。そう思うと辛かった。「こういう時には基本に立ち返ろう」決意した宇田川は近道的な処理を全て消して、正攻法だが遠回り的な処理に書き直した。性能は下がるが補正機能で挽回しようという作戦だった。しかし、予想以上に低下したシミュレーション結果を見て、ガックリきた。補正機能で対処できる性能低下量ではなかった。バックアップしておいたコードに戻すと、宇田川は補正機能の作成の続きを始めた。性能向上検討で時間を使ってしまい、さらに遅れていた。定例ミーティングにて、補正機能の進捗の遅れが大きくなった事を報告した宇田川は、終始うつむいていた。遅れの挽回策を求められ、「集中的に作業します」とだけ答えた。席上、性能向上に触れる事はなかった。
補正機能の作成は集中的に作業した結果、遅れをかなり挽回できた。しかし、性能向上検討は完全に行き詰まっていた。「この性能シミュレーション・ソフトの結果は何処まで信用できるのだろう…」そう思うと、行き場のない苛立ちと怒りがこみあげてくるようになった。定例ミーティングにて、補正機能の進捗の遅れをかなり取り返したと報告をした宇田川は、良い報告なのに元気がなかった。席上、性能向上に触れる事はなかった。
寝る前に、布団の中で一日の出来事を振り返るのが日課だった。あの処理をどうやって実現しようか…と考えていると楽しく、良いアイディアが浮かんだものだった。しかし、性能向上検討に付いて考えているとなかなか眠れない。あのやり方は効果なかった。このやり方は逆効果だった。これとあれの組み合わせは?効果が有るとは思えない。「ダメだ良い方法が見つからない」呟くと寝返りを打つ。だいたい、あの性能シミュレーション結果は信用できるのだろうか?そう思うと、行き場のない苛立ちと怒りで興奮してしまい、眠れない。気が付くと明け方になっている。そんな毎日が続く様になった。眠いような眠くないような感じが常に付きまとう。宇田川は不眠症になっていた。定例ミーティングにて、補正機能の進捗の遅れが完全に挽回できた事を力なく報告すると、会議中に居眠りをした。
その日の晩も、布団の中であれこれ思っていて朝になってしまった。あと2時間ある、少しでも寝なきゃ。そう思った宇田川は目を閉じた。次に気が付いた時は11時になっていた。しまったと思ったが起きる気がしなかった。会社に風邪で休みますと電話をすると、布団に戻った。一日中布団の中で過ごしておなかが減ったが、何も食べる気がしなかった。布団の中で色々な事を思い出していた。珍しく100点を取った事、嬉しかったはずだが嬉しい感じを思い出せなかった。林間学校で友達とふざけていたら小川に落ちた事、二人で大笑いしたが一瞬の嫌そうな表情を思い出すとすごく申し訳ない気がした。片思いの子が異性の級友と楽しそうに話していた事、どうしようもない絶望感がしばらく続いた。自分は何をしているのだろう、行き場のない苛立ちで頭がいっぱいになった。そして朝になり、目覚まし時計が鳴ったが起きる気がしなかった。
宇田川は3日間布団の中にいた。そして心療内科に行く事になった。起きると熱が無いのに寒気がする。歩こうとすると足に力が入らない。ヨタヨタしながら医者に診てもらうと「うつ病ですね。軽い方なので直ぐに元気になりますよ」と言われ、しばらく会社を休む事になった。
向日葵 - リトルサイン http://www.youtube.com/watch?v=oi8Bj7iBbRs
落成
Libera - Far away http://www.youtube.com/watch?v=TNgd-kue_Fc
装置のデバックも大詰めに入った。何人もの技術者が夜遅くまで残ってテストをしていた。時々NGが出た事を大声で話す声が聞こえる。もう夜明けが近い。最後の技術者が帰ると、しばらくして、誰もいなくなったプロセッサ室の窓から、夜明けの光が差してくる。プロセッサの数多く並ぶラックが光を浴びて、たたずんでいた。
朝8:30きっかりにミーティングが始まる。結局、落成式の日には間に合わなかった。チームリーダー達からの報告を総合して推測すると、残作業に必要な時間はあと1か月ほど。本日の作業担当と装置の時間割り当てを決めて、解散。ミーティング室に残った高崎は、溜め息をつき、天井を見上げた。そうなるだろうと思っていたので、驚きはしなかったが、マスコミに発表する内容を考えていた。仕方ない、試運転を始める事にするか…発表内容を決めると席を立った。
落成式が始まった。演説の文面は考えて有る。「私たちは自分たちが使えるスパコンを手に入れる事が出来ました。安く、速く、正確にシミュレーションを行います。だから、出来るかどうかわからない問題、やって見なければどんな答えが出るか判らない問題に挑戦する事が出来ます。そこで、このスーパーコンピュータを挑戦者と名付けました。この挑戦が未来を切り開くものと信じています。このスパコンが作り出す計算結果が、日本のいや人類への一筋の光となる事を期待します」お歴方がテープカットをすると、高崎はオペレータに合図をした。オペレータがコマンドを打つと、スクリーンに水の流れをシミュレーションする映像が出る。それを見て来客たちは拍手を行った。「ちょっと地味だったかな…」高崎は呟くのだった。
気象シミュレーション
クンタの集落はアフリカのサバンナに有った。雨が少なくなり作物が作れなくなってきたので、ここでは暮らしていく事が出来ず、集落全員が出ていくことにしたのだ。先祖から受け継いだ畑を捨て、家を捨て、ここで育った思い出を捨て、歩いて行った。行く当てはなかった。南の方では雨が降るという話を信じて、ひたすら南の方へ歩いて行った。何日間、歩いただろう、子供が歩けなくなった。大人が交代でおぶって歩き続けた。また何日かして、老人が歩けなくなった。小さな泉を見つけると、老人たちは此処に留まると言い出した。「お前たちは先へ行け。新しい場所を見つけるのだ」大人たちは年老いた親をそこに残し、子供をおぶって、泣きながら歩き出した。そして、何日かして赤子が息絶えた。ガリガリに痩せた体を引きずるように、また何日も歩き続け、川に出た。人数は集落を出た時の半分になっていた。川にほど近い広場に有った難民キャンプへ援助を求めた彼らは受け入れてもらう事が出来た。
クンタは難民キャンプの学校で勉強をする事が出来た。数学に秀でた才能が有り、数年の後、アメリカに留学する事になった。子供のいない夫婦に養子として迎えてもらい、大学へ進学する事が出来た。不自由のない生活だったが、時々アフリカを思い出す。泉に残った優しかったおじいさん、息絶えた妹、難民キャンプに残した両親。そんな時、彼は一晩中泣き続けるのだった。養父母は優しく慰めた後、諭した。「泣くだけ泣いたら、自分に出来る事を探しなさい。そして始めなさい」。クンタは大学で気象学を専攻し、地球温暖化対策に従事する事を目指した。
大学院に進んだクンタはスパコンを使いたかったが、なかなか使えない事に悩んでいた。アメリカには歴代の最速を誇るスパコンが何台も有ったが、それ以上に検討テーマも多く、割り当ててもらえないのだ。夏の強い日差しを浴びると、アフリカを思い出し、成果の無い自分を振り返り、とてもつらい気持ちになった。そんな時に日本での共同研究の誘いが彼の元に来た。インド人とオーストラリア人の経済学者と気象学者クンタの3人のチームで、世界経済の動向を推定し、その時の地球温暖化の様子を予想するテーマだった。クンタは自分を愛してくれた養父母に許しをもらうと、日本のスパコン計算センターへやって来た。
計算センターでの3人は激論の毎日だった。先ず経済動向を巡って経済学者2人が議論する。そこへ温暖化を防止する観点からクンタが割り込む。その結果、経済予測は収束せず、エネルギー需要予測も纏まらず、温暖化予測は計算を始められず、時間が過ぎてしまった。ふと我に返った3人は、収束しない議論を止め、複数の経済動向を予測する事にしたが、作業量は10倍になってしまった。作業を3人で分担していたが、それでも連日の疲れが目立ってきた。
経済学者が経済予測を立て、それに沿った世界のエネルギー需要を予測する。クンタはエネルギー需要予測から二酸化炭素の増加量を計算し、気象シミュレーションに代入する。そして、時間とともに増加する二酸化炭素量を設定してはスパコンでシミュレーションを繰り返していく。
クンタはスパコンの制御コンソール画面で計算の実行を指示すると、計算が終了するまで暇になった。計算のモニターポイントとして、アフリカのサバンナに有った集落の緯度と経度の座標を入力して天候の変化を見ているうちに居眠りを始めた。
初音ミク - 荒野と森と魔法の歌 http://www.youtube.com/watch?v=yL3_SwZ02mU
終了
Van Halen - Dreams http://www.youtube.com/watch?v=FVWSfUXqKhM
スパコン[挑戦者]が稼働を始めて7年が過ぎた。多くの人が訪れた見学者通路はすでに訪れる人はなく、放置された段ボール箱が積まれた物置状態となっていた。中央制御室の表示スクリーンの幾つかは故障して何も表示をしていなかった。チップを直接放熱板に取り付けたプロセッサ基板は再度の生産が出来ず、故障すると予備の基板に交換する外なかったが、その予備基板も底をついてしまった。一度エラーが出て取外したが、エラーが再発しなくて状態の良い基板を予備基板として使用する様態が続いていた。それでも保守技術者の頑張りで挑戦者は稼働を続けていた。
安価な予算で使えるスパコンとして、一定の需要が有り、終夜運転を続けて来たのだった。
しかし、その日はやって来た。稼働終了の予定日だった。高崎は最後に残った保守員たちに定例ミーティングをやりましょうと声をかけた。会議室に集まったみんなを前にして高崎は話し始めた。「挑戦者計画、それは私にとって夢でした。その夢は実現し、多くの成果を上げました。多くの優秀な人がスパコンセンターに集い、活発な議論を行いました。出来るかどうかわからない問題の答えが出ました。やって見なければどんな答えが出るか判らない問題も答えが出ました。その答えが、人類の未来への指標となった事を実感しています。これは私一人ではとても実現できませんでした。多くの、実に多くの協力者に感謝しています。システムを運営してきた皆さん、ありがとうございました。ここに挑戦者計画の終了を宣言します。定刻になったらシャットダウンを実行してください」みんなは「ありがとうございました」と声をそろえると解散した。
定刻の5時になったが、未だ計算は継続していた。オペレータと高崎は顔を見合わせると「少し待ちますか」と言って、計算の終了を待つことにした。30分ほど待つと、計算は終了し、計算データが転送されたことを表示スクリーンが表示した。オペレータと高崎は顔を見合わせると「やりますか」と言って、シャットダウンコマンドを入力した。外部回線がOFFとなり、プロセッサシステムがメモリーシステムから切り離される。プロセッサ・ラックに有る沢山のLEDが一斉に消える。そして、シャットダウンの文字がスクリーンに表示された。オペレータが「シャットダウン処理が終了しました。電源を落とします?」と聞いたので、高崎は「そうだね、落とそうか」と答えて、分電盤のドアを開けた。一番上のスイッチをOFFにすると、遠くで「カコン」と音がして、あたりが急に静かになった。空冷装置が停止したのだった。そして、二人は中央制御室の電灯を消すと、部屋を出て行った。
挑戦者 計画