あたまにネコをのせた女の子のトルソ
おひさまからとどく光が透けて、茂った葉の緑がとてもきれいなので、仰向けになって寝そべっていたら、天から、ベージュっぽい手のひらくらいの粒が5粒くらい、ぱらぱらとかわいらしくふってきて、わたしのすぐそばに、順番に着地した。
すずめだ。5、6羽、ちゅんちゅんと、小さく飛び跳ねながら、階段のアスファルトの上をつついてまわっている。
すずめたちは、ぴょんぴょん好き勝手な方へはねてみたり、1羽が気まぐれに羽ばたいて、飛んでいってしまったと思ったらぐるっと回って戻ってきたりして、みなで遊んでるみたいにかまびすしく動くので、つい目で追ってしまって目が離せなくなる。
今日みたいな日、いろんなことに飽きてしまった日、食べて寝て、起きて電車にゆられて、たわいないおしゃべりをする日常にも、電源をいれたら電子の光の中に現れる活字や映像の世界にも、飽きてしまったとき、清らかに洗われたような早朝の空の下、こうやって寝そべる日には、たいていすずめが空から降ってきて楽しませてくれる。
人間、ひとりぼっちが幸せ、なのが一番だ。そんなとき、ネコは良い相棒になる。
「心配なんかいらないよ」と相棒があくびしながら気持ち良さそうに胴体を伸ばしている。
ネコは言葉をつかわない。たいていは、まったりとわたしにくっついて、わたしと同じ方を見ている。ゆらゆらと、ふさふさの白い尻尾を揺らしながら目を細めていたり、ぴったりと視点を定めて何かを見つめていたり、面白いものをみつけて好奇心いっぱいに目を見開いているときなどは、ネコの興奮がわたしの胸の内に反響してお互いのわくわく感も倍増する。
今日は良い天気だ。雲がないし、空は澄んだ水色だし、ネコも今日という日を気に入っている。
と満足に浸っていると
"本日は晴天なり"という古びたラジオの声が聞こえた。音響がアンティークだ。もう時代が違っている。不思議に思って頭を起こし、緩やかに下る足元の向こうの景色の中に音の主を探していると、くすくすという笑い声が頭上から聞こえてきた。
「いいでしょ」
もじゃもじゃとした、というか、ふさふさとした、というか、その髪が丸いめがねの上に少しかかって、子供みたいなふっくらとした頬をした、きれいな歯並びで幼さを残す顔立ちの若い男が、古時計のような物を膝の上に載せて微笑みかけてきた。身なりはいい。パリッとした白い襟に紺色のベスト、白い袖にはカフスボタンのキャッツアイが鋭く光を放つ。
わたしは腹ばいになってその男の子を見上げた。日の光が彼の顔を照らし、めがねの向こうの目とわたしの目があっているのかどうか、わかりづらい。
「ラジオ?」
「そう。うちの爺さんが拾ってきたラジオ。」
「まだ動くの?」
「動く?いや、これはただの飾り。インテリア。」
「でもいまさっき・・」
「"本日は晴天なり"」古めかしい肩肘張った口調でラジオがしゃべった。
「それはなに?」
「爺さんの声の録音。もと地方局のアナウンサーでね。思い出に声を録音したものをここに収録したんだ。こんなのもある。」
「"新発売。淑女の身だしなみ。○印香水、すずらんの香りをひとふき。今年20歳の彼氏はあなたを振り返る。今年30歳の旦那様は奥様にくらくらとして浮気無し。今年定年の紳士は若き日のあの女性(ひと)を思い出す。その女性(ひと)はあなたかもしれない。"」
ネコがゆったりと尻尾を揺らした。
「ここには良くくるの?」と彼はこっちをみている。呼吸をすると、清々しい少しヒンヤリとした空気が肺を満たした。
「・・ええまあ」この人はどこの人だろう、いくつくらいだろうと思っていると
「僕もときどきくるんだけど、はじめて会うね」
「そうですね。・・・ここにこうしていて人と出会うのは初めてです。」
わたしは、腹ばいの不自然な姿勢がしんどくなって、くるっと向き直って空を見上げた。
頭の上でも、どさっと音がして「あーー」など緊張の抜けたような、ちょっとふざけた調子のため息が聞こえた。ちらりと、首をひねって見上げると、大きな靴の裏がふたつこちらを向いている。
視線を感じたようで、男の子も頭をあげてこっちに目を向ける。男の子は、ところどころ地を覆う木々の影の中ににすっぽりと入っている。眼鏡越しに目が合って、どきっとさせられる。素直なやさしい目をしていた。
この世は不思議がいっぱいだとネコが瞳を大きくする。
素直な優しい目をした男の子と一緒に草むらに寝そべっている。ドームのような青い天を見ている。さっきまで漠と無限大にひろがっていた時間が、綿菓子みたいにからめとられるような不自由を感じながら。
気分はいい。シチュエーションも悪くない。
けれど、出会いは突然やってきて、別れは唐突に訪れる。頭上で携帯が鳴った。
「はいはい。・・ええ。いま綺麗な空気を吸ってます。ひとりですよ・・・わかりました。戻りましょう。」
そういって、ひとつ息をついて、彼はぱっと立ち上がった。想定外なことに、こちらに歩み寄ると真上から私を見おろした。
「じゃあ、」と、しゃがみこんでわたしの前髪をさっとやさしく撫でると、「また来る」といって立ち上がり、坂をあがって行ってしまった。
からめとられた時間が緩やかにほどけてゆく。やがて、世界は余韻をただよわせつつ、無限を取り戻した。ネコはのんびりとして、目を細め彼方を見つめている。
わたしはネコになる。ネコになって待っている。夕暮れの空が金色になる幸福なひと時を。
終わりを知らせる光に覆われた道の途中で、人はようやく安堵をおぼえる。安堵がこぼれる柔らかい笑顔がいくつも交わり、つながり、ひろがってゆく様を、わたしはいつも、わたしのネコを抱いて眺めていた。
あたまにネコをのせた女の子のトルソ