御伽集

これはひとつの、御伽噺。


第弌話 御伽集 炎

其ノ弌

「よお、九十九」
「あ?誰だっけお前」
「相変わらずひでえな、お前の記憶力」
「そりゃ光栄だな」
「褒めてねえよ」
放課後の、夕日が射す教室。僕、九十九錦のことを呼んだのは……。
「はて、名前なんだっけ……」
叩かれた。
「田中だよ!!」
「うわっすげえ普通な名前だな!」
また叩かれた。
「ひどい……おれ、中学の頃からお前とクラス同じだったのに……。今は違うけど」
泣くふりをする田中。僕はまるで覚えがないんだが。
というか、中学の記憶すらあまりない。
「その田中が、何の用?」
僕は問う。
すると泣くふりをやめて、ああ、と思い出したように言う。
「突然だけど、うちのクラスの御巫って奴知ってるか?」
御巫ーーー。
「……知ってる」
「あれ、知ってるんだ。驚き慄きスイカの木~」
「スイカは木にならねえぞ。お前は僕のこと何だと思ってるんだ?」
「え、他人に興味がない人?」
即答だった。
「まあ、確かに他人にもお前にも別に興味はないが。あいつ……御巫は、目立つからな」
「何気に酷いことを言ったが、そこはまあおれの寛大な精神によってスルーしてあげるとして、確かにあいつは目立つんだよな」
繰り返すが、御巫。御巫彩砂(みかなぎさいさ)
彼女を校内で見かけた際に驚いたのは、まず見た目だ。
彼女は髪の色が実に日本離れしている、青色なのだ。いや、外国でもあるのかないのか、そんな色だ。どうも染めているわけではなさそうなのだが、あれはあまりにも目立ちすぎだろう。
それだけではない。
容姿端麗、才色兼備といったような四字熟語がいかにもピッタリとはまる。しかし大抵は一人でいるようで、いくら美人とはいえ、男子、ましてや女子なども気安く話しかけられるような雰囲気でもなし、話しかけようものなら毒舌が心に刺さるらしいのだ。かなりグッサリと。
「で、その御巫がどうしたんだ?」
「で、その私がどうかしたのかしら?」
沈黙。
誰かとセリフが被ったようだ。
ちらりと横を見ると、そこには。
「?何よ、続きは?」
「……み、御巫」
御巫だった。噂をすれば影が差す。
どうやら、僕らの会話を聞いていたらしい。にしても、気配なさすぎだろ。
「……じゃ、またなー九十九」
「逃げる気かお前!」
田中はBダッシュで逃げて行ったのだった。僕と御巫を、二人きり教室に残して。
「…………」
「あら、行ってしまったわね、九十九神」
「は?」
「あなたの名字、九十九っていう字はね、付喪神の本来の字なのよ。付喪神っていうのは、長年使われたものや何かに魂などが宿ったもの、なんだけれど。ふっ、あなたには似合わない名前ね」
なんか、知識を披露されたあとにさらりと暴言を吐かれたぞ?
これが噂の毒舌攻撃か。
「……僕は神様じゃないし」
「あら、そういうのは信じないタチ?」
「信じるも何も、目に見えないものを信じるのは、僕には無理だな。ところで、御巫……さんは何でここに?」
話したこともない人をいきなり呼び捨てにするのはいかがなものかと思ったので、無理やりさん付けにしてみた。
「さんは要らないわ、様よ」
「初対面なのに上から目線だ!?」
「何でここにいるか、ですって?」
「あ、ああ……」
何だろう、この人……。すげえ話しづらい。
「それはあなたに用があるからよ、つ・く・も・君」
ふうっと息をかけられたので、寒気がした。
何だろうこの人……!
すげえ関わりたくない!!
「……僕、用があるから帰る。それじゃあまたな」
そそくさと逃げ帰ろうとする僕の首を掴んで、彼女は言う。
「用があるのは私であなたは用がないでしょう。座りなさい」
何とも言えぬ威圧感で、僕は帰るという選択肢を止めざるを得なかった。
つーか、上から目線すぎる……。
「用とは何でしょうか……御巫さん」
「様」
「はい?」
「御巫『様』」
ええ……何で僕、しつこいようだけど初対面の女子に様付けしなきゃいけないんだ……?しかも、用があるのは僕じゃなくて御巫の方なのに。
「御巫様……用とはどういう……」
嫌々ながら、言わないと帰してもらえそうにないので言った僕。
「単刀直入に言わせてもらうわ。九十九君。私の下僕になりなさい」
「本当に単刀直入だ!というより突飛だ!?」
「あら、私の下僕が嫌だと言うの?そうね……では九十九君、私の下僕(恋人)になりなさい」
「絶対に恋人要素はゼロだ!」
「何が不満だというの!!」
逆ギレだー!!
「ていうか、おまけだろ!恋人っていうポジションが!90%下僕で10%が恋人だろそれ!」
「何を言っているの九十九君」
御巫は静かに言った。
「下僕99.999%、恋人0.001%よ」
下僕でしかない!
関わりたくないというか、出会いたくなかった人種だ!
「何で初対面の人の下僕にならなきゃいけないんだ……」
僕は肩を落とす。
そんなのが用なら、無理にでも帰れば良かった。絶対に選択を間違えた。
「初対面でなかったら承諾すると言うの?」
「しねえよ。そんなポジション要るか」
恋人が99.999%だったら考えていたが。それはともかく。
「大体、そんなの僕じゃなくていいだろ。僕は忙しいんだ」
「暇そうに見えたからあなたにしたのよ。言い方を変えればいいのかしら?下僕もとい、執事……いえ、犬になりなさい」
「執事のがマシだよ!?」
何故最終的に犬で落ち着いたんだ。
「……せめて訳を言えよ。僕ら、お互いの自己紹介さえしてないんだぜ?」
そんな人に普通、下僕とか頼むかよ。そう言うと、御巫は少し考える素ぶりをする。訳も話さず言うことを聞けなんて、そんな都合の良い人じゃないぞ僕は。
「例えば」
御巫は口を開いた。
「……例えば私が、この世界の住人では無いとしたら、あなたはどう思う?」
「は?」
そりゃまた、意味不明な話だな。
この世界の住人では無いとしたら?
「どう思うかってそりゃあ、何処の奴だって思うな。当たり前だけど」
「ふうん。成る程ね。教えてほしい?」
「……冗談じゃないのか?」
そう訊いた時、教室のドアが開いた。
「あ、いた。九十九君」
「おっ……と、朱雀」
朱雀はこのクラスの委員長で、真面目。成績は常に学年主席で、満点の答案は数知れず。僕とは似ても似つかぬ人物だ。
そんな彼女と僕がどのような関係で知り合ったのかというと……。
「九十九君、今日は図書室で勉強って言ったのに。いくら待ってても来ないから、探しちゃったよ、もう」
「あ」
そういえばそんな約束してた……。
そう、僕は成績が底辺レベルなのだ。それでも特に気にもしていなかったのだが、お人好し、真面目なこの委員長は、底辺な僕の更正プロジェクトを開始してしまったのだ。
それ以来、一週間に何度か、僕は朱雀に勉強を見てもらっているのだが……。
「ていうか、御巫さん?もしかして二人って……」
朱雀が心なしか頬を赤く染めたような気がする。
「いやいやいやいや、朱雀?愉快な勘違いはしなくていいからさ。それより、約束すっぽかして悪かったよ。今度、埋め合わせしてもらえるか?」
慌てて僕は否定した。
「うん、九十九君の成績が上がるなら、私でよければいつでも付き合うよ。じゃあ今日は、ばいばいかな?」
「ああ、とりあえずそういうことで」
「うん。じゃあ、ばいばい九十九君、それに御巫さんも」
朱雀は笑顔で手を振る。
「おう、じゃあな」
「さようなら、朱雀さん」
あれ、御巫って朱雀と知り合いなのか?
朱雀が去ってから、少しの間静寂が残る。
「で、本題に戻るのだけれど」
「あ、ああ。何だっけ?」
御巫は冷たい目で僕を見る。いや、哀れむような目と言った方が正しいかもしれない。
「あなたのそのお粗末な記憶力、本当に可哀想だわ。本当に可哀想。私がこの世界の住人では無かったら何処の世界の住人なの、それを教えてほしいの、っていう話だったわよ」
可哀想って二回も言われた……。でも反論出来ないのが悔しい……。
「知りたいって言ったら、教えてくれるのかよ」
「さあて、どうしましょうかね。私の犬になると言うのなら、教えてあげてもいいけれど」
「せめて犬とかいうのはやめろよ!」
気分が悪いよ!
「まあ、良い言い方をするのなら手伝って欲しいということなの」
「うわあ、すげえ優しい感じがする!」
日本語ってすげー!
じゃなくて。
「……何を?」
「ここでは少し言いづらいわ。それに、私は時間がないの。今日のところは帰るわ」
「あ、ああ……そうか」
なんかすごい自分勝手なやつだな……。唯我独尊だ。
御巫は挨拶もせず席を立ち、教室から出て行った。
僕は一人、教室に残される。
ふと、時計を見ると五時四十分あたり。外は少しずつ暗くなってきている。
「僕も帰ろう」
呟いて席を立った時、僕の携帯が鳴った。
画面を見ると、朱雀からの着信だった。僕は応答する。
「……もしもし」
『あ、九十九君?私だよ、朱雀だよー』
「知ってるよ……。何の用?」
『うん。えーっと、うん。』
何だ?えらく吃るな。
「何だよ」
『いやあ、まさか御巫さんと付き合ってたなんて知らなかったな、私。もしまた、あんな風に会ったりするつもりなら勉強会は少なくした方がいいよね?その方が九十九君と御巫さんのためになるもんね、うんうん。』
おい、愉快な勘違いをするなと言ったのに!しかもすごく長い!
「誤解だぞ朱雀、僕と御巫は今日初対面だ!付き合ったりはしないし、したくない!」
叫んでしまった。
『え、そうなの?私てっきり……。でも九十九君、付き合ったりしたくないって、すごーく女子に失礼だよ?』
「う」
『御巫さんの前でそんなこと言ったらダメだからね』
「はい……」
『で、そうそう』
若干話が長くなりそうなので、僕は歩きながら話すことにする。
『本当はあんなに早く帰らなくても良かったのだけれど……。ごめんって、一言言っておこうと思って』
「何だ、そんなことか。気にするなよ、世話になってるのは僕なんだし」
そう言いながら、昇降口に向かう。
『そんなことって……九十九君、このままだと留年しちゃうじゃない。そんな軽くていいの?……まあ気にしてないなら、良いけれど。明日にでも必ず埋め合わせはするから』
「留年か……それは勘弁だな。まあ、よろしく頼むよ」
留年などしたら、親に何と言われることか。
『うん。九十九君なら頑張れば次のテストで中の上あたりはいけるよ。頑張ろうね』
そこまでいけるかは、甚だ疑問だが。まあ努力次第ってとこか。
「用はそんだけか?」
『うん、それだけだよ。じゃあ、また明日』
「おう、じゃあな」
電話を切る。
いつのまにか校門だった。やはり、それなりな長さだったな。
それにしても、御巫彩砂ーーー。
明日は、散々な日になりそうだ。

其ノ弐
翌日は早く目が覚め、家でダラダラするのも憚られたので、登校はかなり早い時間になってしまった。
僕は歩きで高校に通っている。所要時間は大体30分くらいなので遠くはない。
僕の通う高校、私立海神高校は、私立とだけあってかなり広い。入学時はこの記憶力のせいでかなり迷ったものだ。一応目的があって入ったのだが、まあ結局、その目的は達成していない。
「もう忘れそうになってたな……僕の目的」
あくびをしながら、校門をくぐる。昇降口まで歩いたところで、足を止めた。否、足を止めざるを得なかった。
ーーー上空、屋上のあたり。
「……え?」
人が浮いている。
ちょっと待ってくれ、人って浮いたっけ。いや、頑張れば浮くかも。
もう一度見上げる。
「……いやいや」
髪が青い。ということは。
ーーー御巫彩砂。
と、目が合う。僕は反射的に昇降口に(田中のごとく)Bダッシュで入った。
「え、ええ!?浮いてたぞ!?人は頑張っても浮くわけないだろ!誰だそんなこと言った奴は!」
そんなこと言った奴は僕だ。
落ち着け僕。深呼吸、深呼吸。
「つっくーもくーん」
似合いもしない口調の棒読みで、僕に話しかけてきたのはやはり御巫だった。
「………ああ、ほら、御巫。知ってるか?」
僕は引きつった笑顔で振り返った。
御巫は僕のことを見下した顔で見ている。
「何かしら、九十九君」
「某マンガでは戦う以外に手段があるんだぜ」
「へえ、それは知らなかったわ」
「逃げ……」
と、走ったところで。否、走ろうとしたところで。
「……え?」
目の前に、御巫が立っていた。
あれ、いま後ろに立ってたよな?
何で前に……?
「逃げる、なんてそんな。高2にもなって九十九君は、中2の男子なのかしら?そんなジョジ◯ネタをやりたがるなんて」
「お前の行動がわからねえよ!」
「私の行動ははっきりしてるじゃないの。九十九君に嫌がらせする、という」
御巫は嗤う。まるで悪役の様だ。
「それはぜひやめてほしい限りだな!」
僕が言いたいのはそういうことではなくて、お前が浮いてたりとか浮いてたりとか浮いてたりとか!
そういえばよく考えたら屋上のあたりにいた御巫が後ろから来るのもおかしい!そして一瞬で前にいるのもまたおかしい!
「お前……さては宇宙人だな!?」
「九十九君の頭の悪さは面白いほどに殺したくなるわ」
言っておこう。
僕は気が動転していたのだ。
「何を見たか言ってもらえるかしら?」
「何も見ていません」
「……嘘をつかれてしまうと、こちらとしても罰に困るのだけれど」
「罰!?本当に何も、何か青色の風船が飛んでたなー、みたいな!」
顔に風が当たる。壁に御巫の足がめり込んでいる。いやいや、怖いですって!
「私のこの抜群のスタイルを、風船、ですって?」
そこに怒ってるのかー!
「いや、御巫!いやいや、御巫様!!そんなことは微塵も思ってません!本当に御巫様は美しいなあ!」
「わかってるじゃないの」
すげえ満足そうだ……。
と言うか、僕何やってるんだろう。
「……そろそろ人が登校してくる時間帯ね。今のところはこれくらいにしてあげる」
「い、今のところ…………?」
そう言って、御巫は足を壁から外し、振り向かずに去って行った。
僕はその場に崩れる。
壁にひびが入っているけれど、これ、請求されたりしないのだろうか。
「怖すぎだろ」
残念ながら、笑えないほどに本音だった。
「おはよう、九十九君。すごい顔色悪いけど、保健室行く?」
と、登校してきた朱雀が僕に言う。
「……おう朱雀。保健室は行かない」
僕は立ち上がりながら、答える。
「そう?大丈夫?」
「ああ、全くもって大丈夫だ。いたって健全であるぞ」
「ふざけられる余裕があるようで結構。なんちゃって、へへ」
壁のひびのことを訊かれたけれど、僕の命の危険があるので事実は言わず、来たらなっていた、と言ったら、すんなりと朱雀は信じたようだ。
御巫のことを言ったら、御巫に殺されるだろうな……。
「あのさぁ、朱雀」
僕が歩き出すと、朱雀も歩き出した。共に教室へ向かう。
僕らのクラス、二年一組は、二階だ。
「何かな、九十九君」
「御巫……御巫彩砂ってどんな奴?」
訊くと、朱雀は驚いた顔をする、
こいつも僕が他人に興味がないと思ってたクチかよ。
「ええっと、御巫さん?珍しいね、他人のこと訊くなんて。九十九君らしくない……ううん、何でもないのだけれど。そうだなぁ……冷静沈着、曖昧模糊、空前絶後、我田引水、容姿端麗って感じかな?」
「四字熟語多いよ!逆に分かりづらいよ!」
「因みに、曖昧模糊ははっきりとしない様、空前絶後は非常に珍しい様、我田引水は自分の都合の良いように物事を進める様、みたいな感じかな」
「全部当たってるところがさらにむかつく!」
曖昧模糊は、あいつの行動ははっきりしないし(嫌がらせなのか?)。空前絶後は非常に珍しい人種……否、髪の色だし。我田引水なんかぴったりすぎるだろ。
御巫のためにあるような言葉だろ。
ーーー閑話休題。
「そうじゃなくてさ……中学の時とか、どんな感じだったかとか。髪の色は何なのかとかさ」
「ああ、なるほどね。中学の時はさすがに知らないかな。髪の色も、地毛じゃない?そもそも同じ中学の人がいるっていうの、聞いたことないよ。一年生の時、同じクラスだったけれど……一人でいるのが好きみたい。友達になろうと思ったけど、壁作られちゃった」
まあ確かに、そういう関係は拒絶しそうだ。………下僕ならまだしも。
「でもそんな御巫さんも、九十九君には自ら話しかけていたから、驚いたよ」
「あれは……何つーか、我田引水に当てはまるものがあるな。上手く物事を進めるために、言うこと聞いてくれる奴が必要なんだろ」
朱雀は首を傾げる。
「そうなの?」
「そうだよ。手伝って欲しいことがあるんだと。内容は知らないが」
ふうん、と頷いて、朱雀は笑った。
やばい、この笑顔は……!
「手伝ってあげればいいじゃない、九十九君」
やっぱりだー!
絶対言うと思ったぜ。朱雀はお人よしだからな、言わないはずかない!そして僕は朱雀に逆らえず、結局手伝うことになるのだ!!ははは、傑作だぜ。
「え、えっと……僕、御巫のことがさ」
苦手なんだよ、と言おうとしたが、朱雀によって遮られた。
「ん?困ってる人が助けを求めてきたのに、九十九君は助けないのかな?それじゃあ私がSOSを出しても助けてくれないってことだ。九十九君そんな人だったんだ。うーん、そうだね。御巫さんの言葉を借りるなら……」
朱雀は考えている。そんな御巫の言葉とか借りなくていいから……。
あ、と思いついたらしい声をあげる。そして笑顔で、
「『困っている私に従わないなんて人類最低、いえ、銀河系最低ね』みたいな感じかな?」
「うわあ、御巫に言われるとそれほど傷つかないだろうけどお前に言われるとかなり傷つく、死にたくなってきた!」
地味に御巫が言いそうな言葉だったのもまた傷つく。
「あはは、似てるわけないじゃないこんなの。ほら、教室入るよ」
精神的にやられた僕は、俯きながら教室に入ったのだった。

放課後。
僕は朱雀と勉強をしていた。まあ、ほぼ教わっているのだが。昨日の埋め合わせは本当に今日になった。
夕日によって朱く染まる教室に二人きり、なんて青春的シチュエーションだが、やっていることは単なる勉強なので、そういう雰囲気があるわけはない。
憧れるけれどさ。
「あれ、朱雀。ここの漢字何だっけ」
「うん?『驚嘆』ね。驚くに嘆くだよ」
「……えっと」
「ヒントを出したから、考えてね」
「……はい」
と、こんな感じで、僕がわからないところを朱雀に訊いて、朱雀がヒントを出す。ほぼ答えをもらっているようなものなのだが、僕の頭の悪さを舐めたらダメだ。わかることの方が少ない。
今現在は漢字の勉強だ。僕は記憶力が人並みにはないので、一番嫌いなもの。
しかし、おどろく……に、なげく……。
驚くはわかる。……なげく?
「……朱雀様」
「口に漢字の漢の右側」
「おお……なるほど」
驚嘆。
我ながら馬鹿だな、僕。
「朱雀の秀才ぶりに僕は驚嘆した」
などと言葉遊びも混ぜつつ。
「九十九君の記憶力の無さに私は悲哀の感情を覚えた」
硬直。
この声、御巫さんでは?
恐る恐る視線を上げると、やはり。
「御巫さん、どうもー」
「どうも、朱雀さん」
「う」
うわあああああああああああああああ!!!!!!!
心の声だが、叫びたい。声に出して叫びたい。
「朱雀さん、勉強中悪いのだけれど、九十九君に大事な用があるの。とっても大事な。借りてもいいかしら」
「うん、もう大分やったし。いいよ」
ヨクナイヨクナイヨクナイヨクナイ。
嫌です、殺されます!
「じゃ、お邪魔になるといけないし、私は帰るね、九十九君。次は……来週あたりかな?またねー」
朱雀帰らないでくれ!
なんて心で思っても、届くはずない。朱雀はさっさと教室から出て行ってしまった。
御巫の視線がこっちへ来る。
「さて、ポチ」
「犬じゃねえよ」
「じゃあハチ?」
「忠犬じゃねえから!そうだとしてもお前の帰りは絶対に待たない!」
ふう、と御巫はため息をつく。
「二十四時間息を止めてくれるかしら。酸素が勿体無いじゃない」
「僕に死ねと!?」
「生きたいのなら、そうね。二酸化炭素を吸って酸素を吐き出すくらいのことをして頂戴」
「僕は植物じゃない!」
御巫は呆れたようにため息をついて、
「わかったわかった。わかりました。じゃあ少し黙っててくれるかしら。あなたのそのつまらないツッコミのせいで話が進まないじゃない」
「ぐ……」
僕の唯一の取り柄を否定したな……!しかし話が進まないのは確かなので、僕は悔しさを押し込めて黙った。
「用というのは、やはり昨日のことなんだけれど」
「あれ」
てっきり朝のことかと思った。
「朝のことは、もういいわ。だって九十九君が私の下僕になればそのうち知ることになったわけなんだもの」
あれ?
「理由を説明しておきたかったのよ。あなたが納得いかないと思って」
あれあれ?
ーーー下僕確定?
「誰にも聞かれたくないから、手短に説明するわ」
「……学校だと聞かれるのでは。それに何故僕は手伝うことになっているのでしょう」
ドアも窓も締め切っていても、それなりに声は漏れると思う。
「何?九十九君は困っている私を助けないというの?がっかりだわ。そんな男だったなんて」
昨日の今日の付き合いだというのに、僕の男レベルが格段に下がっている!
「困っている私に従わないなんて、人類最低、いえ、銀河系最低ね」
「あれえ、デジャヴだ!何処かの委員長にその言葉言われた気がする!!」
朱雀の予想的中なのか、朝の会話を聞いていたのか。どちらにせよ、朱雀に言われるよりは傷つかないが。
「それに聞かれる心配は無いわ。結界を張っているからね。外には情報は漏らさない」
「結界……?」
「つまり私にどんなことをされても、外に助けを求めたとして、誰も助けてはくれないのよ」
それは嫌すぎる。本気で。
「さて、本題」
御巫はその辺にあった机に座り、足を組む。
「私はこの世界の住人ではない」
「……は?」
何をいきなり。
よっぽど僕は怪訝な表情をしていたらしく、御巫は言う。
「いい?今から言うことは全て本当。信じるか信じないかはあなた次第、じゃないわよ。あなたには信じる以外の選択肢はないの」
都市伝説じゃ、ないだろう。
僕は肩を竦める。
「お前が珍しく真剣な表情だから、信じてやるよ。僕は優しいからな」
と言っても、こいつポーカーフェイスだから、大して表情は無いのだけれど。声の表情はいつにもまして、真面目だったのだ。
あらそう、と御巫は言った。
「で、この世界の住人ではないって?」
改めて、僕は御巫に問いかけた。
「知らないと思うけれど、この世界には裏世界というものがあるのよ。ここは表世界。私は裏世界の住人なの」
表世界と、裏世界。
「何が違うんだ?」
「ほとんど違わないわ。人もこちらの人と同じだもの」
「同じって……同一人物がお前のいた世界にもいたってことか?」
御巫は頷く。
「名前も姿も、年齢も同じ。例外はいるけれど、表と裏も、生活はほぼ一緒よ。朝起きて学校に行って、授業を受けて、帰る……」
「へえ、年齢も姿もってことは、場所もだろ?でも御巫彩砂なんて奴はいないぞ」
「例外はいるけれど、と言ったわ」
「お前か……」
「私に限らない。例えばそう、あなたもよ、九十九君」
え?僕も?
「私の世界に九十九錦なんて人はいなかったわ」
それは、良いのか悪いのか。
僕には判断できないことだが。
「それに……朱雀さんも」
「え、朱雀?」
「同姓はいるけれど、名前が違うから、例外だと思うわ」
へえ。となると、僕の周りは例外が多いのか。
もしかして例外だから僕に頼んだのか、と考えるのは図々しいかもしれないが。
「で、何を手伝えと?」
「あら、手伝ってくれるの?」
「あのなぁ、そんな世界の裏側やら秘密事項みたいなの聞かされて、しかもそれを誰にも知られたくないなんてこと言われて、断るわけないだろ」
「そうかしら」
「そうだよ」
「そうね。手伝ってほしいことは、『神剣』集めよ」
「…………」
「少し事情があって、こちらの世界に流出してしまったのよね。それはもう九十九君の覚えたことがどんどん頭から出て行くが如く……」
「待て待て待て御巫、かなり酷い例えをされたのだがそれ以前に『神剣』って何だ」
御巫は僕を見下した目で見た。
えー……。
だって知らないんだもん。
僕、神様とかそういうの信じないタチだし。
「神の剣。神が依りついている、神聖な剣よ」
「なんか……めちゃくちゃ神なんだな」
我ながら、馬鹿なことを言った気がする。
「馬鹿なの?阿保なの?死になさい」
「某ゆっくりみたいなセリフで貶された上に、最後は死ねって言われた!」
「死ねじゃないわ、死になさいよ」
「変わらねえ!」
「話を進めてもいいかしら」
「あ、はい」
どうぞどうぞ、と促す。
僕、下手に出過ぎな気がする。
「その神剣は七本。うち一本は私が持っているこれ」
そう言うと、御巫の目の前にいきなり剣が現れた。
「神剣水祀(すいし)」
「水祀……」
水祀と呼ばれた神剣は、青色の光の粒を放っている。何故だろう、教室の空気が変わった気がする。
息をするのさえ、躊躇われる。
「あと六本、集めなくてはならないわ」
御巫の声で、僕は我に返る。
いつの間にか御巫は神剣をしまっている。
「何よ、九十九君。随分ボケた顔をしているじゃない」
「いや、なんか……すごいな、神剣」
「神様だもの」
えらくあっさりと、御巫は神の存在を肯定する。そういえば僕のことを九十九神と言ったり、神剣にしても、神が依りついている、とか言ってたな。
「御巫は、神様って信じてるのか?」
「私が信じなくて誰が信じるのよ」
「……よくわからないのだが」
「言わなかったかしら、私、巫女なのよ」
「巫女って……」
「私は神に一番近いわ」
お前が神だったら世界は終末だな。
良かった、近いだけで。
「自分で言うのもあれなのだけれど、私ってかなり優秀なのよ」
「お前に謙遜とかそういう気持ちがあって僕は安心したよ」
「私ってかなり優秀なのよ」
「一番の謙遜部分を消しやがった!」
自分で言うのも、が唯一の救いだったのに!
「……もう六時ね、帰りましょう」
「ん、そうだな」
いつの間にか、教室も暗くなってきている。
「九十九君のせいで話が進まなかったわ」
「……悪かったな」
「いえ、別に。私の犬になってくれるみたいだから少しくらい我慢してあげる」
「…………」
僕は手伝うだけであって、御巫の犬になるつもりはさらさらないのだが。言うと怒られそうなので、やめておいた。

其ノ弎

御巫と校門を出た時、朱雀から電話がかかって来た。
またも歩きながら電話。
「ごめん、御巫。ちょっと。……もしもし」
『あ、もしもし、朱雀だよー』
「わかってるよ、何の用だ?」
何だか、昨日もこんな会話をしたような。
『御巫さんのこと、ちゃんと手伝うことにした?』
「そのことか………まあな。お前の真似した御巫のセリフ、本当に言われたぞ」
銀河系一最低と。どんな規模だよ。
『あはは、きっと御巫さん聞いてたんじゃない?まあ、やるからには頑張ってね、九十九君。九十九君が困ったら、私が助けるよ』
「おう、僕はやる時はやる男だ」
『それは頼もしい。それで、えーっと、御巫さんに代わってもらえる?』
「え?御巫?わかった」
朱雀から、と言って御巫に携帯を渡す。
あれ、僕、朱雀に御巫がいるって言ってなくない?
さっき一緒にいたから、一緒に帰ってると思ったのか?
朱雀の予想、当たりすぎだろ。
怖いぜ朱雀!
僕は、会話を盗み聞きするのはあまり良くないと思ったので、御巫から距離を取る。
「代わりました、御巫です」
『どうも、朱雀だよ。九十九君が手伝ってくれるみたいだけど』
「ええ、まあ」
『九十九君、優しいからきっと何でも聞いてくれると思うけれど、程々にしてね』
「……どういう意味かしら」
『そのままの意味だよ、御巫さん』
何だろう、会話はよく聞こえないけれど、御巫から黒いオーラが見える……。朱雀、何を言っているんだ?
「…………どうもあなたとは相性が合わないみたい」
『そう?私達仲良くなれると思うけれど』
「お断りだわ、朱雀さん。まあ、あなたの言ったことも今日くらいは覚えておいてあげるわ」
『そう。それじゃあ、毎日言ったら毎日忘れないよね』
「……あのね、朱雀さん。私、ふざけてる場合じゃないの」
朱雀、程々にしてくれ……。明らかに御巫がイラついている……。
『あれ、私もふざけてるつもりはないんだけどね?』
「はぁ……わかった、わかりました。九十九君を過度に働かせなければいいんでしょう。それであなたは文句はないのでしょう?」
え、何だそれ、過度に働かせなければいいってどういうことだよ。
朱雀の話がなければ過度に働かされたのか、僕。
『そうそう、わかってくれたら私はいいんだよ。じゃあ、よろしくね。さようならー』
御巫と朱雀の恐ろしい通話は終了したようで、明らかに不機嫌な御巫は僕の携帯を投げて返してきた。
「……何言われたんだ」
御巫のそばに戻って、一応訊いてみる。
「別に、九十九君をこき使ってあげてねって言われただけよ」
いや、それは絶対に嘘だ!
…………嘘だろうな?
それから少し歩き、バス停で御巫が止まる。僕は、バスに乗るほど家が離れていないので、
「じゃあ御巫、気をつけて帰れよ」
と言ったのだが。
「何言ってるの九十九君、あなたは私の家に来るのよ」
……はい?
すみません、もう一度お願いします。
「まだ説明が足りないでしょう。私の家で説明するわ」
「え、えーっと」
「バスが来たわよ」
僕は有無を言わさずバスに乗せられたのだった。
そしてSuicaをタッチさせられ、まだ中身が残っていることを確認した。うん、まあいいや……。
「ってちょっと待て、御巫」
二人掛けの席に座り、僕は御巫に確認する。
「お前、家に帰るとか言ってるけどさあ。例外なんだろ?表にお前……御巫彩砂はいないんだろ?だったら家なんてあるのかよ」
いきなり裏拳が飛んできた。
「いっ……てぇ、何すんだよ!」
僕は小声で叫ぶ。あくまでも、小声で。
しかし僕は気づくべきだ。
その前に重要機密を、それなりな声の大きさで言ってしまっていることを。
「あら、いたのね九十九君。あまりに存在感、いいえ、生気が感じられないものだから、いないと思っていたわ」
御巫も小声で言う。
小声でも、刺さるものは刺さるんだよ?
どこに?
心にだよ、諸君。
「秘密……と、言う暗黙の了解だったはずなのだけれど」
「…………あ」
ここに至って、やっと気づいた。
「ごめん」
今更ながら、本当に今更だが、僕は謝った。今回は完全に、僕が悪い。
「まあ、九十九君の記憶力のなさを考慮しなかった私のせいでは……ないのだけれど。こうなってしまったからには、しょうがないわ」
そう言って御巫は、深く息を吐いた。
「…………何?」
何か意味のある行動に見えたのだが、特に何もなかった。
僕の問いに御巫は、さらに声を潜めて言った。
「記憶を消したのよ、九十九君以外の」
「……は?」
何それ。
何それ、何それ。
超能力って奴?御巫さん、何を持っていらっしゃるのですか?
不思議系少女、御巫彩砂。
それ以上の説明は、御巫はしなかったので、僕がどれだけ疑問に思っても、先ほどのような失態を繰り返す訳にはいかない。
それから御巫の家がある(らしい)近くのバス停まで、約二十分。僕らは無言だった。

下車。そこから徒歩十分程のところに、御巫の家があるらしい。
「と言っても、私の家は裏世界にしかないから、あなたには裏世界に来てもらうしかないのだけれど」
と、御巫は道中で言った。人通りがかなり少ないので、そういう話も大丈夫らしい。
やっぱりそうなんだ……。
「ていうか、そんなんで平気なのか?事情を少し知っているとはいえ、表の奴が裏に行くって。そもそも、僕、行けるのか?」
「大丈夫。私がいるから」
ふうん。
いや、もう、ふうん。としか反応できない。
何というか、どこまで踏み込んでいいのかわからない。
「ん?どうやって裏世界に行くんだ、御巫」
「うるさいわね。黙って頂戴」
えー……。
何かさぁ、扱いが酷いんだけれど、僕傷ついたりするんだよ?凹んだりするよ?限界来ちゃうよ?
ガラスのハートが、割れちゃうよ。
そして、カップラーメンができた。
いや、三分程経った、という例えであって、実際にカップラーメンができた訳ではないのだが。
「こっち」
唐突に御巫は歩き出す。
今の若干の間は何なんだよ。
「ここよ」
御巫が立ち止まった先に、なんだかお洒落な字体で、MIKANAGIと表札がある。
御巫の家は、馬鹿みたいに広かった。
「…………って待てよ?御巫の家って裏世界にしかないんじゃ?」
「馬鹿なの?阿呆……以下略。ここは裏世界よ」
「え」
いつ、来たんだ?
「はあ……。本当に九十九君で良かったのかしら。私って人を見る目がないから……」
露骨にため息をつく御巫。
「勝手にがっかりしてんじゃねえよ……」
「いえ、九十九君、確かに私はあなたのその記憶力にはがっかりしているけれど、今言っているのは完璧なつもりの私が唯一の欠点を暴露して、恥を晒しているのだから、そんなことはないよ、と頼り甲斐のある男な感じで慰めるべきでしょう」
「んなこと知るかー!」
そんなフリを僕に振られても、人付き合いスキルの低い僕が見抜けるわけがない!
さらっと、友達いない発言。
慰めてくれ。
誰かー、慰めてー!
「さて、茶番はもういいわ。入っていいわよ」
玄関の前あたりにある門を開く。
御巫は中へ促し、そして玄関を開けた。
しかし、本当に広いな。金持ちだったのか、こいつ。
僕の家の二倍近くはあるだろう、よく手入れされた庭を見ながら、御巫に続いて家に入ろうとする。
バタン。
僕の前で扉は閉まった。
ガチャン。
ーーー鍵閉めてません?
「…………」
思わず沈黙する僕。
「ごめんなさい、九十九君がいることを忘れていたわ」
言いながら扉を開ける御巫。
「わざとだろ!」
そんなツッコミをしつつ、今度こそ御巫の家にお邪魔する。
「お邪魔しまーす」
中は、天井が高く、絢爛豪華で、無駄に広い。何のためのスペースなの?という感じだ。庶民には到底理解できまい。
「邪魔するなら帰ってほしいわ」
「そういう意味じゃねえだろ……」
そうかしら、と御巫は言って、僕を客間(らしい)ところに通し、適当に座るよう指示してから何処かに行った。
ここの部屋まで来るのに二分くらいはかかっただろう。客間とだけあって高級そうな家具と、絨毯とというような風で、僕みたいな小心者は落ち着かないし、第一……。
「……座るって言っても」
この高級そうなソファに座れと?
ちょっと、抵抗が……むしろ抵抗しかない。
勇気を出して座ろうとしたが、やはりなんだか申し訳なくなったので、僕はソファの端に少しだけ腰掛けた。
それにしても、僕はいつの間に裏世界に来たのだろうか。御巫の超能力(?)が発動でもしたのか?
僕がいた世界とまったく変わらない。景色は、この御巫家がある以外に、違いはないのであろう。
「何その座り方」
部屋に入ってきた御巫は、アンティークのようなティーカップとポットを乗せたティートレイを持っていた。
「あ、えっと、何か抵抗が」
「別にそのソファは高くないわよ。気にすることじゃない」
御巫は手際良く、ソファの前のテーブルにカップなどを乗せていく。
因みにお値段。
■■万円。
高えよ!
かなりおずおずと、僕はソファにちゃんと座り直す。
うん、ふかふか。もうベッドみたい。
「紅茶飲める?」
「ああ、うん。別に好き嫌いはないからな」
「毒入りだけれど」
「それは飲めない!」
「好き嫌いはないのでしょう」
「そういう問題じゃねえよ!」
「まあ私の家に毒なんてあったら、警察沙汰になってしまうけれど」
嘘じゃなかったらおかしいから。
「さて、本題」
御巫は紅茶に角砂糖、ミルクを入れながら言う。
「むかーしむかし裏世界と表世界には、世界を区切る結界があった。」
何だその話し方……。
「ところがどっこい、二千十三年三月二十日!!」
「最近じゃねえかよ」
ていうか、ところがどっこいって。
キャラがわからねえ。
「……その結界は壊れてしまったのです。そのせいで、裏世界の人間は、表世界と自由に行き来出来るようになりました。しかししかし、そんなことはこの私が許しません」
言ってから、御巫は紅茶を一口含む。
「…………甘っ」
「角砂糖四つも入れてたらそりゃ甘いよ」
「………普段は五つよ」
「多いな!」
それはもう、紅茶味の角砂糖では。
「煩い。ツッコミ禁止令だすわよ」
「ぐ」
そうすると僕の存在意義がなくなってしまう!断固反対だ!
「で、その結界、表裏結線と呼んでいるのだけれど、そこは普通の人には通れない、巫女だけが通れる結界を張ったのね。しかしまあ、何ということでしょう」
神剣が表世界に行ってしまったの。
と、御巫は淡々と、淡白に言ったけれど。
それはかなり大変な騒ぎだろう。
御巫が言った通り、僕が感じた通り、神剣は、『神』なのだから。
彼女らの世界で信仰が深いなら、僕が思うよりずっと、大事で重要で、必要なのだから。
「手元にあった、水祀は無事だったのだけれど。他の神剣は、表に流れて行ったわ。既に表の人に危害を加えている可能性も、無きにしも非ず」
「危害を?神なのにか?」
「九十九君は鈍いから、鈍感だから気付かなかったかもしれないけれど、普通、表の人が裏に来たら気分が悪くなるのよ」
「どういう意味だよ」
ツッコミは自重。
「裏世界は、負の感情が多いのよ。だから自然と、空気が淀む。暗くなる、つまりネガティブ」
裏がネガティブなら表はポジティブね、と付け加える。
「でも、表にだって、負の感情……嫌いとか、憎悪とか、嫉妬とか、そういうのあるぞ?」
「表の比じゃないのよ。それでもここに慣れていると、平気なのだけれど。でもやっぱり溜まる。一定のネガティブさが上限を越すと、その人が妖怪になったりならなかったり」
「妖怪?」
「それを私が始末……もとい、昇華、浄化するのよ」
「妖怪?」
「そのために神剣があるのだけど。もうひとつの神剣の役目は」
「妖怪?」
「煩い」
しょぼん。
だって、妖怪って……すげえ非現実。
「言ったでしょう。あなたに選択権は無いんだって。信じるか信じないかではなく、信じるしかないんだって」
「でもさあ、いきなり妖怪だなんだって言われて……」
「信じられない?知らないわ、そんなの。私がこの局面で嘘をつく?」
「……昨日今日の付き合いだから、お前の性格とか性質はよく知らん」
知らんが、しかし。
「ついてないだろ、嘘は」
「そうよね」
それでもまあ、妖怪というものについての説明は欲しいが。
「で、話は戻るけれど。神剣の役割、その一。妖怪、または負の気を浄化。その二。表裏結線の結界」
「結界?」
そう、と御巫は頷く。
「表世界と裏世界の入り口を守る、極めて重要な役割よ」
そんな重要な神剣は、いまや表世界、僕の住む世界に流れ出てしまった。
「……何を手伝えばいいんだ?」
「意外と乗り気なのね」
「乗り気とは言えないさ。残念だがな。でもそんな、妖怪とか負の気とか、危なっかしそうなものが僕の住む世界に流れ出てしまったり……するだろ?」
御巫は静かに頷いた。
だったら、と僕は、
「ーーーだったら、手伝うしかない。僕の世界の均衡を保つためにも、こちらの世界を救うためにも」
なんて、大仰なことを言ったのだった。


其ノ肆

あの後僕は、御巫に元の世界(いったい何処に表裏結線が。いや、神剣がないから、表裏結線もないのか?)に戻してもらった。
裏世界と時間や天気や、様々なことを共有しているため、裏世界同様、外はもう日が落ちて暗くなってきていた。
さて、僕の残念な記憶力で整理しよう。今日の非現実な出来事。
まず世界には表世界と裏世界があり、先ほども言ったように時間、天気、場所、さらには人も共有している。しかしそれには、僕や御巫、それに朱雀といった、例外もあるらしい。どちらか片方の世界にしか存在しない。
そして表と裏の境界、通称『表裏結線』は、今はもうほとんどその機能を果たしていないらしい。だからと言って、僕のような一般人が簡単に裏世界に行けるかといったら、そうでもない。巫女、という肩書きが必要だそうだ。つまりは神に仕える者。
『神剣』は、文字通り、神の剣、神の力が依り付いた剣。負の気(憎しみ、悲しみ、嫉妬といった暗い感情)が限界を超えたりなどによって変化した妖怪、または負の気そのものを浄化、消し去ることができる。
御巫に聞いた話、神剣は全部で七本。
まず御巫の持っている、水祀。
炎尾(えんび)。
緑狩(りょっか)。
光冥(こうみょう)。
闇冥(あんみょう)。
槌鋸(つちのこ)。
そしてーーー御伽(おとぎ)。
僕がこんな小難しい名前を全部覚えられるはずがないので、もちろんメモした。
僕の役目は明日以降話すらしいので、それはまだわからない。
ここまで覚えられたのも奇跡と言えよう。
無駄なことは覚えられる……のだ。
…………虚しいな。
今日は家に帰って、早く寝よう。頭が痛くなりそうだ。そして明日、この重要なことを忘れていたら御巫に殺されるだろう。
なかったことに、なるかもしれない。
記憶を消される。
生前までの。
なんていう不安を覚えながら、歩く。バス代はあるにはあるのだが、ゆっくり歩きたい気分だった。
御巫の家から僕の家まで一時間近くかかるだろうけれど、良いだろう。
それが裏目に出るなんて、思いもしなかったけれど。
「すいません」
と、声をかけられたのは、あと二十分ほどで家に着くであろう、そんな時だった。辺りはすっかり暗く、街灯がかろうじて道を明るくしていた。
「はい?」
振り向くとそこには、なんとも可愛らしいロリ……いや、幼女が、街灯に照らされて不安気に立っていた。
「えーと、その……」
子供らしい赤のシンプルなワンピースに、黒く長い髪を後ろで束ねている。目は少しつり目で、可愛らしい。
発育途中の胸とか、小さめの身長とか、子供特有の丸っこさ、その他いろいろの可愛い要素を兼ね備えたロリは、少し迷いつつ。
ーーー僕はロリコンではないことを、先に言っておく。
「九十九さん、ですよね」
「ん?いかにも僕は九十九さんだが、ロリな少女は僕に何の用だい?」
僕はロリコンではない。
断じてな。
しかし僕は、ロリコンではないにせよ気づくべきだ。
僕に友達がいない、否、ロリな友達がいないことを。
名前を知っている不自然さを。
「九十九さん……九十九……錦さん」
ぶつぶつと呟き、そして弾かれたように幼女は叫んだ。
「お命頂戴!」
「え!?」
何で僕、いきなり命の危険に晒されている!?
飛びかかってきた幼女は、手にナイフを持っている。
僕は突然のことに全く動けない。ただ困惑するばかりである。
「つっくーもくん、あっそびましょー」
と、軽い口調で僕と、幼女の前に立ちはだかったのは御巫だった。
幼女は御巫の蹴りであえなく跳ね返され、地面に尻餅をつく。
痛そう……。そういえば、御巫の脚力はどのくらいあるのだろう。壁にめり込んでいたけれど。
「あらあら、九十九君、何を呆けているのかしら。何よ、何かいるの?例えばナイフなんていうチャチなものを持った幼女とか」
具体的すぎるから。
「み、巫女……」
幼女は震えながら呟いた。
そして、
「くそ!覚えてろー!!」
と、悪者が言うような捨て台詞を吐き捨て、幼女は何処かに消え去った。
「な、何だったんだ、今の……」
「あれが妖怪よ、九十九君」
あれが?
幼女が!?
何それパラダイス!!
天国!ヘブンだ!幼女、幼女!!
「ロリコンだったのね……九十九ゴミ……いえ、九十九紙」
「ゴミ扱いされた上に、訂正しても薄っぺらい!」
とんだ扱いの酷さである。
しかし認めよう。
ーーー僕はロリコンである。
だが、敢えて付け加えよう!
かわいい女の子なら誰でもいいと!
「うわあ、すごいわね。最低最悪の屑ね。最低最悪という四字熟語は、正に九十九君のためにあるとみたわ」
「美少女のためならその汚名は喜んで受けよう!!」
「尊敬スルワー」
超棒読みされた。
「御巫も美少女だからな!」
めげずに言った。
何を隠そう、美少女設定である。
「あら、それは嬉しい。いいわね九十九君、あなた最高よ。史上最高という四字熟語はあなたのためにあると言っても過言ではないわ」
すげえ、態度180度ひっくり返った!
過言すぎる。
びっくりだ。
「っていうか、何で僕はお命頂戴されるところだったんだ?」
御巫は、さあ、と首をかしげた。
「九十九君で遊ぼうと思ったら、お命頂戴されてるんだもの。仕方が無いから助けてあげたわ。だって私のものなんだもの」
助けてもらってありがたいが、僕で遊ぼうとするな。お命頂戴もされていない。そして僕は御巫のものではない、おそらくな。
「まあ……諸々スルーして、ありがとな御巫。危うく幼女に殺されるところだったぜ」
「あら、本望でしょう?」
…………うーん。
幼女は好きだし、大好きだし、むしろ愛しているが、命と引き換えにと言われたら……。
ーーー本望だっ!!
「無事で良かったわ」
「ん?何か言ったか?」
「いいえ、何も。じゃあ私、帰るわね。また明日」
「おー、また明日な」
と、僕らは挨拶を交わし、別方向に歩いた。
そして僕の家の数歩前。
ちら、とこちらを見る小さな影。
「…………うお」
あれって、やっぱ……さっきの幼女?
またお命もらわれちゃうか?
またって、まだもらわれてないけどさ。
「おい九十九」
「呼び捨てっ!?」
「下の名前は何ぞ」
「幼女に呼び捨てされるって、嫌じゃないぞ!やべえ、テンション上がるぜ!やっふーー!!」
「下の名前!を訊いとる!」
幼女にはたかれた。ご褒美か。
「……錦だよ。九十九錦」
僕が落ち着き、そう答える。
幼女はもう僕に危害を加える気はないらしく(僕が喜ぶことに気がついてしまったのかもしれない)、僕のことを睨むだけだった。
「で、幼女。僕に何の用だ?」
「幼女じゃない。燕弧じゃ」
「えん……こ?名前か?」
「燕という字に弓に瓜。燕弧」
どうやら名前らしい。妖怪にも、人間と同じように名前があるのか。
しかし馬鹿なので、燕という字は思い出せなかった。あとで携帯で調べよう。
「で、燕弧ちゃん。もう一度訊くけれど、僕に何の用?」
燕弧は、僕を少し訝しむような風に見てから、口を開いた。
「何故、巫女は主の味方をしておる」
巫女……というのはやはり、御巫のことだろう。
「味方というか……僕が御巫の手伝いをしているんだよ。だから、僕を手放すと、困るのはたぶんーーーたぶん御巫だし。助けてくれたのはきっとそういうことだろうと思うけれど」
神剣のことは、妖怪、裏世界の住人にも話さない方がいいのかわからないから、とりあえず伏せておいた。
「ふむ。ということは、巫女にとって、お主は必要な存在であるようじゃの……」
随分と、古風な喋り方をする奴だ。
「必要なのかは知らない……」
「いや、守るというなら必要とされとるのじゃろうーーー普段の彼奴なら、見殺しじゃわい」
「怖いなあいつ!」
良かった、見殺しにされなくて。
燕弧は、考えるように腕を組んで唸った。
そして、ふむ、ともう一度頷いてから、
「仕方ない。お命頂戴するつもりであったが、巫女の下僕であるなら、お主を殺すと私もまた、殺されるのであろう。それは遠慮したいところじゃ」
「…………あのさ、何で僕を狙うんだ?」
「ぬ?それはーーーお主自身が気づいても良さそうじゃが。裏に表の者がおったら、不審じゃし……私にとって、表のエネルギーは美味い飯なのじゃよ」
と、妖艶に笑う。幼女とは思えない、妖しい笑い方だった。
そういうギャップっていうの?アリだと思うよ、僕。
「妖怪ってのは、そうなのか?表のエネルギーが主食なのか」
「主食というより、おやつじゃな。ん?何故私が妖怪だと知っておる」
不思議そうに首を傾げる。
「御巫から聞いた」
嘘をつく必要は無いので、素直に答えると、得心いったというように、彼女は頷いた。
「そうかそうか、つまり巫女はそういう奴なのじゃな」
「エーミール!」
本当にこいつ妖怪!?
御巫にヤママユガ壊されちゃったか?
「くくく、まあ、九十九神よ。そのうちもう一度会うじゃろうよ、私とお主と、巫女でな。今日のところはこれでさらばじゃ」
そう言って、僕が何かを言う前に燕弧は消えた。消えたというより、帰った、のほうが正しいのだろうけれど。
ーーー僕も帰ろう。
家は目の前。


其ノ伍

突然だけれど、自己紹介をしようと思う。何を今更、というのはあるけれど、色々、誤解されていることも多いと思うのだ。
名前、九十九錦。
身長、169。おそらくもう伸びないだろう。約二年間このままだからな。
体重は……別に知りたくないだろうが、55kg。痩せすぎだとよく言われるが、そんなことはまるでない。
年齢、17。高校二年生。私立海神高校2-1組。
好きなタイプ、可愛い女の子。
そう、この辺りで勘違いすると思うのだ。僕は幼女は好きだ。大好きだ。ロリコンと言われてもしょうがない。だが、幼女に彼女になって欲しいかと言われたら断固拒否だ。
幼女は鑑賞物だ!
ーーー鑑賞者と言ったほうがいいか?
まあ、付き合うかと言ったら付き合わない。命はあげてもいいけれど。
そうだな、僕は最低でも一つ下くらいの年が良い。理想は同い年だ。ほら、普通だろ?変態じゃないだろ?
高々これを証明するだけに自己紹介をしたのか、というと、半分はまあ、そういうことなのだけれど。
後の半分は、よくわからない。
ああ、そうだ。家族構成は、母と、双子の妹がいること。父親は知らない。
おそらく離婚でもしたのだろう。
母はそういうこと、あまり言いたがらないから詳しくは知らないのだけれど。
「錦ちゃーん!起きてーっ!!」
「んー……」
「錦ちゃーん!お客さんだよっ!!」
「…………」
「起きろっつーの」
ぐふっ。
蹴られた。妹に蹴られた!
「何すんだよ!痛ぇじゃねえか!」
蹴ったのは、双子の上、天津(あまつ)。
「錦ちゃんが起きないからだよ」
「お前は僕の上に乗るんじゃない!重い!」
と、僕の上に乗っかっているのは、双子の下、炫(てらす)。
こいつら、何を思われたか日本神話の神から名前をとっているらしい。
九十九天津と、九十九炫。
二人揃って天炫、とどうでもいいコンビ名があったりする。
天津の方は、天津甕星(あまつみかぼし)から。
炫の方は、漢字が違うが天照大神から。
何だよ、その仰々しい名前は。お前ら、神には程遠いぞ。
母は何を考えたのだ。いや、名付けは父なのか?わからない。
そういえばお客さんが来てると言ったか。
「おい炫。客って?」
「んーっと。名前聞いたんだけどなー、忘れちったぁ、てへへ」
「僕並みの記憶力で可哀相だな、同情してやる」
僕は炫を除けて、着替えながら言う。
あ、と天津が声を上げる。
「思い出した、御巫だ、御巫。錦ちゃん、知り合いか?友達なのか?数少ない友達か?」
「うるさいぞ天!僕にだってなあ、友達くらいいるんだぞ!」
僕は、天津のことは天と呼ぶことが多い。
家族の話はまあ、追い追い。
御巫が僕の家に?
うーん、意図が読めない。
「九十九君遅いわよ」
突然部屋に御巫が入ってきた。着替えが終わっていたから良かったものの。
「ノックくらいしろよ……」
あら失礼、と言いつつも、ずかずかと部屋に入って来る御巫。
「初めまして、かしら?天津ちゃんと炫ちゃん」
「初めましてっ天津だよーん」
「初めましてっ炫だよーん」
「何で名前を知られてるかに驚けお前ら!」
何で知ってるんだよ!
「え、錦ちゃんが言ったのかと」
「うん、錦ちゃんが言ったんだよねぇ?」
「言ってないよ!僕はシスコンじゃないからな、お前らのことなんか話したくもないんだぜ」
「そんなことより九十九君……いえ、錦君と言った方がいいのかしら?九十九が三人もいるからね」
う……何だか、こいつに名前呼びされると……くすぐったい。気持ち悪い。
「一緒に学校に行きましょうよ」
「え」
一緒に?学校に行く?
「ええっ!?みかちゃん!錦ちゃんなんかと学校に行っても楽しくないよ!?」
「そーだよみかちゃん!錦ちゃんと学校に行っても暗い気持ちになるだけだよ!?」
何気に酷いことを言う妹達だった。
そして御巫に、みかちゃんとかいう変なニックネームを付けている。恐ろしい奴らだぜ、全く。
というか、これ、双子の妹共が、どっちがどっちのセリフを喋っているのかわからないだろうな……。
「ところで炫」
「何だい天津」
「みかちゃんと錦ちゃんのお邪魔になってるから、退散だ」
「そうかい退散かい?」
「あたしの役目はここまで!」
「私の役目もここまでだよ!」
ちなみに、あたしは天津、私は炫である。
一応、一人称を分けているらしい。
「「それでは皆さんごっきげんよー!!」」
二人同時にそう言ってから、騒がしい妹達は去って行った。
……朝から疲れるなあ。
「騒がしい妹達ね、九十九君」
「全くだな、迷惑この上ないよ」
ため息をつきつつ、僕は朝の支度を済ませた。
んー、朝ごはんを食べていないけれど、いいか別に。
「朝ごはんは食べないの?」
「うん、まあ。御巫もいるし。そこまで腹も空いてないからな」
「別に、待っていられるわよ?」
「大丈夫だよ。行こうぜ」
ちょっと、と御巫は僕を止める。
「何だよ」
「歯磨きとか、それくらいしなさい。待ってるわ」
「おう……それはそうだな」
お言葉に甘えて、僕はそれなりの準備をして来た。
部屋に戻る前に妹達に蹴られたけれど(何故?)。御巫を呼んで、家を出る。
「昨日の、燕弧はまた九十九君に会っていたでしょう」
家から出るなり、御巫は言った。
「ああ、うん……って、名前知ってたのか」
「あんなに周りを嗅ぎ回られたら、接触もするし、挨拶されたし、挨拶代わりに浄化しようと思ったわ」
うわあ……危ねえ、燕弧。良かったな、消されなくて。
ん?別に味方ではないのか。
「あの子……おそらく狐よ」
「狐?」
「ええ。燕弧ーーーつまり炎孤。炎の狐」
「ロリで狐……萌えるな」
炎だけに。
寒いか。
「?何か言ったかしら?」
いや、別に何も……。
それにしても、炎孤ね……。捻りがあるのか無いのか、わからないな。
「燕弧は、負の気が限界を突破して妖怪に?」
「さあ……実は、負の気で妖怪になるのもいるけれど、生まれた時から妖怪っていうのもいるのよね。たぶんあの子は後者でしょう」
「ということは、別に人間だったわけではないのか……」
ふむ。こちらの世界にいる以上、浄化、もしくは裏に返さなくてはならないと思うのだが。それには御巫の力が必要だ。僕ではどうしようもない。
「御巫……」
「ふう、九十九君。私、先に行くわね」
「え、何だよ、いきなり」
「あなたと一緒に学校に着いたら、見られた生徒にカップルだと思われてしまうわ」
思われないと思うが……。いや、そういう意味のない噂が好きな人たちもいるから、可能性はあるか……。
僕なんかと恋人同士って思われるのは、そりゃあ嫌だよな。
「ーーー九十九君、ありがとう」
「え?」
「何でもないわ。じゃあ、放課後……あなたのクラスに行くわね」
それだけ言って、御巫は先に行った。
今、あいつ、若干のデレだったような気がするな。
ーーー気のせいか。
僕も御巫に遅れて、学校の敷地内に入った。
私立海神高校はかなり広く、北校舎、西校舎、室内プールに体育館、食堂といった感じに分かれている。食堂は北校舎から繋がっており、ニ、三年生は北校舎、一年生は西校舎という教室分け。食堂がまあお洒落な喫茶店という感じを醸し出していて入りづらく、僕は一度も入ったことがない。メニューは結構、豪華らしいけれど。
設備が結構整っていて、廊下でも冷房、暖房が効くし、教室などに欠陥もほぼ無いので、かなり綺麗だ。さすが私立、と言うべきかな。
僕が何故この学校に来たのかというと、正直くだらない理由、目的しかないのだが。
簡単に言うと、父親の手がかり探しである。
今現在僕の父親は行方知れずで、母親も僕ら子供達も放ったらかし。だが、今も生きていることは確からしい。
父親はここの卒業生だということが、母親から聞いた唯一の父親情報である。
別段、僕は会いたいわけではないのだがーーー大分前だったか、炫は呟いていたのだ。
「お父さん、何処にいるんだろうね」
と。強がりな天津でさえも、
「会えるもんなら、会いたいよ」
「「錦ちゃんは、どう思う?」」
そんなことを言われた。
先ほども言ったとおり、僕はそんなことを彼女達に言われるまで、気にしたこともなかった。
ーーー否、ただ目を逸らしていただけかもしれないけれど。
兎にも角にも、僕は父親の手がかりを求め、ここに進学したのだ。
意外に古いらしいから、父親が在学していた時の教師もいるだろうし、父親と友人で、南星の教師になった人もいるかもしれないからな。
ーーー今のところ見つけていないけれど。
無駄足だったかもしれないなー、と思いながら教室の扉を開ける。
時計を見ると、遅刻ギリギリだったことに気づく。
「おお、ギリセーフ」
小さく呟いて席に座ると、朱雀が手を振った。僕も振り返すと、チャイムが鳴る。
さて、今日も退屈な授業の始まりだ。

其ノ淕

「はあ、やっと終わったーっ」
放課後の喧騒の中、僕は伸びをする。
「九十九君」
呼ばれて顔を上げると、朱雀が立っていた。
「今日の勉強、どうする?御巫さん、今日も来るでしょ」
「ん?何で知ってるんだ?」
「御巫さんに移動教室の時、言われたの。すごく自慢気に」
何故自慢気に言ったんだ……よくわからない。いや、あいつの行動は、いつもわからないけれど。
「今週はもう二回やったから、やめとく?」
「ああ、そうだな。朱雀の負担になっても悪いし」
「負担にはならないけれど。わかった、今日はなしね」
じゃあ、と足早に教室から出ようとする朱雀を僕は呼び止めた。
「今週の勉強は、もういいかな。御巫の手伝いで……あまり時間がない」
「……そっか。お邪魔になっちゃうものね。じゃあ、御巫さんのお手伝い頑張って、九十九君。ばいばい」
邪魔なことはないのだが、燕弧の件に巻き込んでも悪い。
しかし朱雀、心なしか元気がなかったみたいだけれど、大丈夫だろうか。
朱雀と入れ替わりで、御巫が教室に入ってくる。しかし教室内にはまだ大半の生徒が残っているので、この場では話せないだろう。
「九十九君、帰りましょう」
「お、おう……」
下校も一緒か……。若干、周囲がざわつく。それもそうか、僕なんかがあの御巫に話しかけられている。しかも下校の誘い。
そんなことは意に介さず、御巫は僕の近くにやってくる。
「何よ」
「いや、別に……」
改めて見ると、本当にこいつ、美人なんだよな。
これまで何度か質問には答えてもらっているけれど、髪とか超能力みたいな力のことも、訊いたら答えてくれるのだろうか。そんなことを考えながら、御巫と共に教室を出る。
学校を出るまでは大した会話もなかったが、校内にいる生徒達は、僕らを見て驚いていた様子。
「御巫、何処で話すんだ?」
学校の敷地内を出て少し経った後、僕は御巫に話しかける。
「九十九君の家」
「え」
「双子ちゃん達、いる?」
「……学校だからいない。あいつら、部活してるからな」
二人とも、何を考えたのか吹奏楽部である。明らかに文化系ではないのに。二人に言わせれば、吹奏楽部は『運動部みたいなもの』らしいが。
「親は?」
「仕事」
「じゃあ決まり」
うーん、まあいいか……。どうせ、朝入られているからな。今更うだうだ言っても仕方ない。
「案内……と言っても、お前今日来たもんな。いらないか」
「いえ、学校からの道のりはよくわからないわ」
そうか……。でも、御巫の自宅からはわかるの?
住所とか、教えてないよ?
本当に恐ろしい奴だ。僕、ストーカーされているのかもしれない。
そこから二十分弱歩いて、僕の家に着く。やはり誰も帰っていないので、鍵を開けて(ふと、御巫は僕の家の合鍵を持っていてもおかしくない、と考えた。)から、御巫に僕の部屋にいるように伝えた。
僕の部屋は二階で、隣に双子の妹達の部屋がある。
互いにシスコンな彼女達は、一人部屋を持とうという考えはないらしい。部屋は余っているのだけれど。
僕は何か、お菓子などがあった方がいいかと気を利かせて、緑茶と、煎餅などをお茶請けに持って自分の部屋に向かった。
部屋の入り口に立つと思いっきり御巫はくつろいでいるのが見えた。ベッドに寝っ転がっている。
こいつ遠慮とかねえの?
「九十九君、入っていいわよ」
「いや、僕の部屋なんだけどね!」
男のベッドに寝るとか抵抗はないのかな。
ある意味信用されているのか?
「御巫、緑茶とか飲めるのか?この前お前の家では紅茶だったけれど」
一旦お茶などを床に置き、小さいテーブル(折りたたみ式)を出す。その上に置いた。
「飲めるわ。ただ、九十九君が淹れたのは、ちょっと抵抗が……」
「そこで抵抗されるのは何か傷つく!」
「遠慮しておくわ」
「ここでの遠慮もいらない!」
まあ、飲めるということはわかったので良かったが。
「九十九君は結構、和風が好きなの?」
「いや、日本といえば緑茶だろ」
「……つまり、和風が好きなの?」
「日本だから緑茶」
「…………」
僕が断言すると、御巫は、
「イギリスとかだったら?」
「その場にあるもの」
「なるほどなるほど。つまりあなたは、郷に入っては郷に従え精神なわけね」
「言うならそうだな。まあ別に、紅茶やコーヒーが嫌いな訳ではないけれど。一種のこだわりかな」
ふうん、と御巫は言う。
天津達はこれを馬鹿にするけれど、御巫はしなかった。珍しく毒舌もなく。
「じゃあそんな九十九君のこだわりは、昨日私が壊したわね……うちはいつも紅茶」
「出されたものには文句は言わないよ、僕も。御巫には御巫の家のこだわりがあるだろ」
別にあれで壊されたと思っていない。
「そうね。文句を言われていたら淹れたての紅茶をかけていたわ」
「熱々だな!」
火傷するだろ、それ。
「さてさて、九十九君への嫌がらせはこのくらいで我慢しておいて」
「いっそ全部我慢しろ……」
「そうすると唯一の取り柄のツッコミができないでしょ。燕弧のことなんだけれど」
唯一って言われた。自他共に認める取り柄がツッコミ……悲しいものがあるぜ。
「燕弧?ああ、萌えっ子のことか」
危うく忘れるところだったが、ロリ狐ってところで思い出した。
「萌えね……確かに九十九君はロリと狐という萌え要素が集まって次にあの子に出会った時は萌え死んでしまう、いえ、萌え死んでしまえ」
「それは嫌だ!僕は死ぬなら燕弧に殺されたい!」
「大丈夫、九十九君が殺されそうになったら私が命を賭けて守ってあげる」
「くそ、そんな時だけ優しさをくれなくていい!」
「で、燕弧のこと、どうする?」
ああ、しまった。せっかく前の章の冒頭で、僕が変態ではないことを証明したはずなのに、また変態扱いされてしまうきっかけを自ら作ってしまった。もう諦めよう。
さて、真面目な話に移ろう。
既に時間は五時前。早くしないと煩い妹達が帰宅してしまう。
「うん」
「もしかすると神剣を持っているかもしれないわ」
「え、まじかよ」
「まじだよ」
御巫のこういうノリは、どうもキャラにはまってないような気がするんだけれど……。まあ、キャラという小さな枠で区切られるような奴ではないから、アリなのかな。
「どうしてわかるんだ?」
「なんとなく……そんな気がするわ。それに話としてここまで進んで、一本も神剣が手に入らないなんてそんなの」
「お前は何を知っているんだー!!」
やめろ!そんな世界観壊す発言!
「嘘よ。なんとなくではないけれど、確証はないし。確信はあるけれど」
「じゃあその確信っていうのを教えてくれよ」
そうね、と御巫は緑茶を飲み干す。
続いて煎餅の袋を開け、バリバリと食べる。
本当に遠慮がない。
食べてもいい?とか、訊かないんだ。いや、出してあるからそりゃあ食べてもいいんだけれど。
すぐ食べ終わり、やっとのことで御巫は口を開いた。
「うん、私、煎餅は濃い醤油味が一番美味しいと思うわ」
「それは大いに同意だが、確信を教えてくれよ!」
「べ、別に九十九君の好みを理解したくなんてないんだからね!」
「唐突なツンデレはいいから!早くしないと天津とかが帰ってきちまうんだよ!」
ああ、とやっと僕の焦りをわかってくれたようで、御巫は頷いた。
「そうか、遊んでいる時間は本当にないのよね。確信は、燕弧がそこまで強い妖怪ではないのに、表世界に来ていることよ」
「んー……もう少し詳しく」
さすがに今の説明だとよくわからない。僕はまるっきりの素人だからな。
「弱い妖怪なら、私が水祀で張った結界に跳ね返されるはずなのよ。一本で張った結界だから、効果はそれほど強くないのだけれど……それでも低級妖怪ならこっちには通ってこれないわ」
「なのに、燕弧がこっちに来てる?」
ええ、と御巫は頷く。
神剣の力を借りている、ということなのだろうか。
「じゃあ……取り返すにはどうすれば?浄化しかないのか?」
「そういう訳ではないのだけれど……説得するか、蹴るか」
蹴る!?物理攻撃アリなの!?
それ、浄化とあまり変わらないような……変わるのか?
「僕さ、燕弧のこと気に入ってるんだ……だからあまり痛めつけたくないというか」
「ロリコン」
そうだけどさ。
でも可愛いんだもん。
「大丈夫、浄化と言っても消さないこともできる。極限までエネルギーを吸って、裏に帰せばいいわ」
「おお、そんな高度な技術が!」
「別に高度な技術ではないけれど。加減は確かに難しいわね、うっかり消してしまったらごめんなさいね。ふふ」
御巫は楽しそうに笑う。
消しそうで怖い!
やめてくれよ、本当に。燕弧が消えたら僕は生きていけないかもしれない!そんなに話したことはないけれど、この気持ちはなんだろう。
ロリ魂か。
「んじゃあ、燕弧を見つけて、今言った方法で裏に帰す……が作戦か」
「そうね」
随分簡単に言ってくれるけれど、とため息をつく。
うん、確かにやるのは僕ではないのだから簡単にこういうことを言ったらダメなのかもしれない。
ただ、自分的にまとめておかないと、忘れそうなんだよ。
「たっだいまー!!」
「ただいまぴょーんっ!」
下の階から、ドタバタと足音が聞こえる。煩い奴らのお帰りだ。
「帰ってきたか……」
ふざけていると時間が経つのが早い。真面目な話も大分したけれども。
ただいまの時刻は午後六時過ぎ。彼女達の帰宅はほぼいつも通りだから、文句は言えない。バス通学なんだよな、あいつら。贅沢め。
「じゃ、私は帰るわ。どうせもう話すことは少ないし」
「あ、一つ質問」
帰ろうと立ち上がった御巫を止める。前々から訊こうと思っていたことだ。
「髪が青いのって、何で?」
瞬間、しん、と静まり返る。
さっきまで当たり前にあった気にも留めなかった雑音や、下では騒いでいるはずの妹達の声が一気に引けて、急に緊張する。僕は、訊いたのを少し後悔した。
時計の秒針だけ、部屋に響く。
ほんの数秒のことだったろうけれど、永遠に続くような静寂だった。
やがて御巫は口を開く。
「九十九君、私はね」
御巫は妖艶に笑った。
「半分妖怪なのよ」
まるで、妖怪のような笑みだった。


其ノ質

その夜中、僕は考えていた。
何を、というと、御巫の言ったこと。
ーーー私はね、半分妖怪なのよ。
「えっと……つまり、人間だけれど、半分は妖怪……」
呟いてみたものの、そのままの意味であることは理解していた。
髪が青いのも、超能力も。
全部、きっと妖怪の力。
御巫のことを完全に人だと思っているからこそ、思っていたからこそ、あいつの使う不思議な力を僕は超能力だと解釈したけれど、半分妖怪、ましてや御巫となるとかなり強そうだから、記憶操作だったり空中浮遊だったりはお手の物なのかもしれない。
「寝れねえよ」
眠ろうと思っても眠れない。夜は更けるばかりであった。
妹達の寝込みを襲うか、暇だから。いや、そんなことをしたら僕が終わる。この物語が強制終了してしまう。
と、その時、窓ガラスをコツン、と何かが叩いた。
深夜、しかも二階の僕の部屋の窓を叩けるのなんて不可能に近いので僕は一瞬、幽霊的なものかと思って、恐々と、ゆっくりと、窓の方を見てしまった。
そこには。
「ーーーなんだ」
そこには燕弧が、僕の部屋を覗いていた。
幽霊かと思ってびっくりしちゃったぜ。
窓の鍵を開けると、燕弧は僕の許可も取らず部屋に入った。
「ふむ」
と、僕の部屋を見回す彼女は、この前とは違い、和風な格好をしていた。浴衣、というのかわからないけれど。そんな感じ。
月の光に反射して、髪は銀色に輝いている。前は黒髪だったような気がするけれど。本当は銀髪なのだろうか。ーーーそんなことより。
耳生えてる。
尻尾生えてる!
もふもふだ!
感情に任せ、僕は思いっきり尻尾をもふもふした。
「ぎゃー!!やめろ!やめんか!」
「もふもふだー!!もふもふもふもふもふっ」
「変態が!」
幼女に蹴られた。
あえなく尻尾から離れる。が、
「ふっ、こんな蹴り、痛くも痒くもないぜ。むしろご褒美だ」
格好良くもないセリフを格好つけて言った。
「ぐぬぬ、私としたことが忘れておった。此奴、ロリコンじゃった」
と、燕弧は悔しそうに唸る。
狐の幼女にロリコンって言われた。
気にしないぜ、そんなこと。僕のガラスのハートは今や、皮肉にも御巫のおかげでダイヤモンドのハートくらいに成長しているのだ。
「お前など交通事故にあって死んでしまえば良いわ」
「ごめんなさい!!」
はい、折れました。粉砕しました。
どこがダイヤモンドのハートだよ。
「って、あんまり煩くすると家族が起きる。で、何の用だ?」
あん?と不思議そうに燕弧は首を傾げる。
「何の用だって、お主が私を探しておったからの。わざわざ来てやったというのに」
「え?そうだったか?」
燕弧のことを探していたっけ……。ああ、探さなきゃいけないな、と思っていたんだった。
「馬鹿なやつよのう……自分のこともわからんのか」
「いいや、思い出したぞ。そうだ、僕はお前に用があるんだ」
「ほう」
「神剣持ってるか?」
単刀直入に訊く。
回りくどいことをしていると、無駄な会話でおさらばしそうな気がしたからだ。
燕弧はにやりと嗤った。
「持っていたら、何じゃ」
「率直に言う、返して欲しい」
「嫌じゃ」
即答、か。
「燕弧ちゃんには必要ないだろう」
「お主にこそ必要のないものだろう?」
「僕じゃない。御巫に必要なんだ」
「あの巫女の頼みを聞く義理はお主には無いだろうに。何故そこまでする?」
「それはーーー」
確かに僕には御巫の言うことを聞く義理なんて無い。最近知り合ったばかりの同学年の生徒。
それでもあいつのすることを手伝いたいと、やり遂げたいと思う。
それはきっと。
「僕の使命なんだ」
ふん、と燕弧は嘲笑する。
彼女の銀髪が月光で煌めいた。
「くだらん。もう少し面白い奴だと思っていた。使命だなんだと、そんなものは自分を納得させるための言い訳じゃろうが」
「そうかもしれないけれど。僕はそれで納得してる。納得出来る。それだけで十分だよ」
「そうじゃろう、お主はそうじゃろう。だがな、九十九神、否。人間よ。巫女に聞いとらんかもしれんが、神剣をそちらに渡すということは私は消えるぞ」
「え?」
ーーー消える?
「聞いとらん、か。まあその程度の関係ということじゃな。私が表に来れるほどの強さじゃないとは、聞いとらんか?」
「それは……聞いた。だけど」
「神剣のおかげでこちらに来れている。神剣から力を得ている。表の人間が裏の空気を苦手とするように、私も表の空気は苦手じゃ。まして、私は低級、とても耐えられんわ。神剣を手放したら、こちらでは生きて行けぬわい。戻る術も無い」
「え、でも。御巫はーーー」
僕の思いは、知っているはず。
燕弧を消したくないこと。神剣も取り戻したいこと。
燕弧は僕の気持ちを見透かしたかのように、言葉を続ける。
「巫女が、あの巫女が、お主の思いを理解していたとしてもその通りにするとは限らんじゃろう。むしろ裏切るかもしれん」
「そんなこと!」
僕の否定の言葉さえ遮り、呟くように、嘆くように言う。
「人間は」
ーーー人間など、そんなものじゃ。
燕弧は悲し気にそう言った。
何故悲しそうに言ったのかはわからなかった。
僕は言いそびれた否定の言葉を、再び紡ぐ。
「……御巫は、僕を裏切ったりしないよ」
「どうだか」
先ほどまでの様子とはうって変わり、鼻先で笑う。
「付き合いは浅いけれど、それでも誠実だよ。裏切ったりする時はよっぽどのことがあった時だ」
「そこまで信用するとは、人間と私の視点から見た彼奴は別人なのじゃないかと思うよ」
本当のところ、僕も御巫を信用しすぎな気もしないでもないけれど。
でも、本当のことだから。
「もう夜が明ける。失礼したな、人間」
そう言って、入って来た時同様、彼女は窓から出て行った。声をかける暇もなく。
時刻は午前四時。
交渉には失敗したけれど、神剣を取り戻すことは諦めていない。
だけれど、胸の内にモヤモヤとしたものが残った。
御巫は裏切らない、そう思う。けれど、これは僕の勝手な理想を押し付けているだけなのかもしれない。
僕はどこまで、根拠もなく御巫を信じていいのだろう。


「錦ちゃん、おはよー」
「おはよ、あれ、天は?」
午前五時頃、双子の下の、炫が起きてきた。
「まだ寝てるよ。なーんか寝付き悪かったみたいだよーん。私はすぐ寝たけどねえ」
「そうか。ところで炫」
「なんだい錦ちゃん」
「お前が一番信用している奴って誰?」
なに、いきなり、と怪訝そうにしながらも、うーんと考える。
「天津かな」
予想通りの答えだった。
「根拠は?」
「え?ないよそんなの」
けろっと言う。彼女にとってはそれが当たり前のようだ。
「ま、あえていうならだけれど。双子だっていうのもあるし、それに私、天津のことを大好きだもん。優しいし、責任感あるし、だから信用してるよ」
「ふうん。もし裏切られたらどうする?」
僕の質問に、炫は眉をひそめる。
普段はこんなこと訊かないから、怪しんでいるみたいだ。それでも真面目に答えてくれるあたり、意外と優しいのだけれど。
「天津は裏切らないよ」
断言した。
「天津は、裏切らない。もし裏切られたらーーー天津を殺して私も死ぬよ」
「怖いなお前」
「本気だもん」
真顔だった。愛が重いな。
「錦ちゃん」
「何だよ」
「錦ちゃんのことも、天津と同じくらい信じてるよ。私、シスコンでブラコンなの」
「そうかよ」
「そうだよ。だから、錦ちゃんが私を裏切ったら、天津と同様」
言って、彼女は微笑んだ。
ブラコンなのは初耳だった。
それでも、と彼女は。
「それでも私のこと、裏切る可能性ある?」
その問いに、僕は答える。
自信を持って。確信を持って。
「裏切らねえよ」
そう答えた。


其ノ捌

炫と少しばかり真面目な会話をした後、天津が起きてきた。
寝付きが悪かったのかと訊くと、何だか煩くて、と言われた。完全に僕のせいだったと思う。正確には僕と燕弧のせいか。
そして炫と同じ質問を繰り返すと、彼女は言った。
「んー?あたしは、そうだな。仲良い子は皆信じてるぞ。理由なんて無い。裏切られても、気にしないさ。何でか?あたし馬鹿だから考えたことないな。まあほら、気にしたってしょうがないし」
一番信じてるのは炫と錦ちゃんだよ、と最後に付け加えた。
何だか前向きな妹だった。
まあ、妹達の意見というか考えを聞いて、僕は何を思ったかと言うと、純粋に理由もなく、人を信じるというのは別におかしいことでは無いのだ、ということ。
馬鹿な妹達だが、胸のモヤモヤは取れた。
ゆっくりと朝食を食べて、学校に行く支度をして、眠い目をこすりながら家を出る。
そういえば、人間なんて、と悲し気に言っていたように見えた彼女は、過去に何かあったとしか思えない。
見えただけだから、違うかもしれないけれど。
恨みを晴らすために燕弧が動いたら、もしそれで人が死んだら、裏世界のその人も死ぬのだろうか。
寸分違えず。
ーーーそれは嫌だな。
そんな嫌な連動システムいらない。
表の人にとって、燕弧に殺されるのは不条理だ。
こっちの世界には元々、妖怪なんていなかった、いたとしても見えていないのだから、危害を加えられることは無いのだ。
いつだったか、僕の世界を守るためにもと大仰なことを言ったが、あながち間違いではなかったようだ。
こんなことを考えながら、学校へ向かっていたのだけれど正直、この時の僕は本当に何かが起こるなんて微塵も考えていなかったと思う。
心の何処かで、信じ切れていなかったんだと思う。神剣のこと、妖怪のこと。
少なくとも。
燕弧が妖怪だとわかった上で、神剣を所持しているとわかった上で放っておいたのだから、日常に戻っていたのだから、愚かだったと思う。
僕はその時が来るまで、気づかなかった。
この御伽噺のような、非現実な、夢のような物語は紛れもなく本当で、真実で。
ーーー現実なのだと。
学校を欠席していた御巫から電話が来たのは、昼休みだった。
それも、昼休みが始まる時間ぴったりだった。
その時教室にいた僕は、どこで電話番号を知ったのかと思いつつ、電話に出る。
「もしもしー?」
『九十九君今どこ』
「今?学校だけれど」
『こっちに来て』
そう言う御巫は、心なしか焦っているように聞こえた。
「こっちって……」
どこだよ、と言おうとした時。
『早くしないと燕弧が……あ』
燕弧が?
何かしたのかと思ったが、僕は気づいた。
クラスメイトや朱雀も、皆が窓の外を見ている。
窓から見えた、炎。
「ーーー火事だ」
クラスメイトの誰かが呟いた。
彼らには普通の火事にしか見えないだろう。けれど、僕には。
「え、九十九君!?」
朱雀に呼ばれたけれど、僕は振り返りもせずに走る。
昇降口で、靴を変える間も惜しみ、僕は火事の現場に向かって駆け出した。
あの炎はーーー燕弧だ。
燕弧の奴がやったことだ。
炎の狐。炎狐。
おそらく、彼女は元からそういう力はあるのだろう、炎を操る力が。
しかし今、神剣のおかげでと言うべきか、きっといくらか……否、格段に力は上がっているだろう。
「くそっ……何やってんだ僕は……!」
こんなんじゃ御巫の助けにもなってない。ただの役立たずだ。
僕はあまり走りに自信はなかったが、しかし全力で事件が起きている現場に向かって走ることしかできることはなかった。
そして僕がそこに着いた時、少し遅れて消防車のけたたましいサイレンが鳴り響いた。
まだ家は、轟々と燃えている。
「早かったわね、九十九君」
後ろから、御巫の声がする。
「いえ、現状としては、随分と遅いわね。間に合っていないわ。誰よ、こっちの世界を守るとか言っていたのは」
「……ごめん」
御巫はため息をつく。
「一応消防車を呼んでしまったけれど、別にいらなかったわね。水祀で消せるわ」
「そう、なのか?」
その時、消防車が現場に到着した。
すぐに消防隊員が車から降りてくる。御巫はそれを少しだけ見やってから、
「ええ、まあね。というか、どうしたの九十九君、元気がないわね」
「走ってきたからな」
ふうん?と首を傾げる。
やばい、罪悪感しかない。
「ところで、燕弧はどこに?」
僕が訊くと、御巫はさあ、と言った。
「探さなきゃな……」
「そうね。当てはあるけれど」
「本当か?じゃあ、早く……」
「待って」
そう言って御巫は、消防隊員の方へ行き、何やら話している。
少しした後、消防隊員達は消火を開始した。
御巫が僕に手招きしたので、僕は御巫のそばに行く。
「燕弧を探すわ。二手に分かれる。当てがある、と言ったけれど。そっちには私が行く。九十九君はこの住宅地周辺」
「ああ」
「もし見つけたら携帯に着信を入れて。さっきかけたから、九十九君も私の電話番号はわかっているでしょう?ワン切りでいいから」
「わかった」
「じゃあ、また後で」
御巫は走って行った。
僕が探して見つけられるものなのか、わからないけれど。
当てがあると言っていたし、僕の方で見つかる可能性はかなり低いだろう。
それでも。
「やるか」
僕の使命を果たさなければ。
僕は走り出した。



其ノ玖

「よお九十九神」
五分ほど走り回って、意外にこの住宅街は広いな、と感じ始めた頃。
唐突に彼女ーーー燕弧は現れた。
「燕弧……どうして」
ふん、とため息をつく。
「お主が私を探していたからじゃ」
「昨日……いや、今日も聞いたな。そのセリフは」
「本当のことじゃ」
僕は携帯を持っていた手を後ろに回し、御巫に電話をかける。
念のため、すぐに電話をかけられるように、その画面にしておいた。まさか本当に、見つけられると思わなかったけれど。さすがに後ろ手で電話は切れないけれど、別にいいだろう。
「お主が探していると、うっかり出会ってしまうようじゃなあ。九十九神よ」
「その呼び方、気に入らないな。人間でいいだろ、人間なんだから」
「ふむ。まあ何だってよいじゃろう?で?何じゃ」
「何故あんなことをしたんだ」
「あんなこと?」
「とぼけるんじゃねえよ。ーーー何で家に火をつけた」
ああ、と実に関係なさそうに、乾いた笑いを漏らす。
「私はな……あそこに住んでいるある人間に裏切られたんじゃよ。人間がうっかり裏に迷いこんだ時、色々と道案内や、表裏結線の場所も教えて元の世界に戻る方法も教えてやった」
それなのに、と呟く。
彼女が人間を嫌っているのだろうか。そうだとしたら、僕とはこんなに話すはずもない……だろう。
「それなのに、私のことを……最後には遠ざけた。なんだったかのう……もう、覚えとらんわい」
覚えていたくもない。
そう言った。
「なのに何で、僕には……」
「あらあら、九十九君から電話がきているけれど、面倒だから切っちゃおーっと」
「巫女、か」
後ろを見ると、御巫が青色の携帯をパタンと閉じるところだった。
「あらあら、狐ちゃん。随分と大層な剣を持っているのね、凄いわ。羨ましい、私に貸して」
「貸すわけないということは、わかっておるだろう」
「ふうん、交渉決裂」
と、御巫は言った。
たぶん、ここから僕にできることは何も無い。
元より、僕にできることなどツッコミくらいだし。
「じゃあーーー強制しかないわね」
言って、どこからか御巫は神剣水祀を取り出した。前の時同様、水色の淡い光を放ち、一瞬にして周りの空気を神聖にする。
僕はやはり、息を飲むことさえ出来ない。呼吸することも憚られる。
「ふん。やはり、言ったであろう、九十九神よ。巫女は私を消すつもりじゃ」
燕弧は、この場面で、自分が危機的な状況のこの場面で言った。
まるで余裕、という態度だが、僕には強がりにしか見えなかった。
「人間なんてこんなものなんじゃよ。わかったか?」
「み、御巫……」
僕は御巫を呼んだけれど、そんなのは聞こえないとばかりに、御巫はこちらを向かない。
いや、でも。
「人間は大変じゃのう、裏切って裏切られて。実に面倒じゃ。信じた分だけ、裏切られた時の惨めさと言ったら無いだろうな」
「さっきから何を言っているのかしら。よく、わからないわね」
御巫は首を傾げる。
「信じるとか信じないとか、裏切るとか裏切らないとか。九十九君が私をそんな風に思っているなんて、思わないけれど。でも私、手伝ってくれている彼に対して、嘘はつかないと決めてるの」
「それ自体、嘘だったりな」
「もうやめろ燕弧!」
僕は声を上げる。
燕弧は怪訝そうにこちらを見やる。
「御巫は嘘なんてつかない。冗談は言うけれど、肝心なところで嘘なんてつかない。ーーー僕は御巫を信じてるんだ」
「ーーーわからんな。何故だ?根拠がわからぬ」
御巫は少しだけ、僕の方を向いた。
「根拠なんて要らない。理由がなくちゃ、人のことを信用しちゃいけないなんて決まり、ないんだよ」
「よくわからぬ」
僕は何かを言いかけたけれど、御巫が遮った。
「私もよくわからないわ。九十九君、あなたはそう言っているけれど、私がうっかり、わざと、燕弧を消してしまうかもしれないわよ?だって、表の世界に、妖怪など必要ないもの」
それはある意味、僕の思いを全部拒否しているようにも聞こえた。
燕弧の存在を否定しているようにも聞こえた。
「本当は、それが正しいんだろう、御巫」
「まあね」
僕の問いに御巫は答える。
「だったら、しょうがないよ。僕は専門じゃないし、それにーーーこれからも神剣を集めなくちゃならないんだから。燕弧、僕はお前が大好きだけれど、それもまあ運命だよな」
「……やはり人間は、裏切るんじゃな。最後の最後に、異形の者の味方はしない」
燕弧の笑顔には、もはや人間に対する恨みの念しか感じられなかった。
それでも、僕の覚悟は揺るがない。
ーーー僕は確信していた。
「あまり長々と話したくないわ」
言って、鞘を抜く。
「…………」
燕弧には、闘う気力はないように見えた。が、しかし。
「失せろ!」
叫んで、燕弧が手のひらをかざすとそこから勢いよく炎が出た。
御巫に向けて放った炎だが、僕の方まで火の粉がかかる。
やはり神剣の力で強化されているのだろう、かなりの威力だった。
一瞬で視界は赤に変わった。炎が辺りを包む。
「御巫!」
僕が声をあげた時、炎の隙間から、御巫が神剣を振るのが見えた。
途端に、炎は消える。
熱気も一気に引き、逆に涼しい風が当たった。
「残念だわ。全然使えてないじゃない」
呆れ顔で彼女はゆっくりと、燕弧に近づく。
「ーーーう」
燕弧が何かを言う前に、御巫は神剣を振り上げた。
そして何も言わず剣を振り下ろす。
僕は目を逸らすことが出来なかったーーーけれど。
斬ってしまうのかと思ったが、御巫は、柄で燕弧の頭を思いっきり打っただけだった。
しかしかなりの強さだったようで、燕弧はその場に倒れる。
「み、御巫?え?」
少し拍子抜けしてしまった僕は、変な声を出してしまった。
「だって、九十九君が燕弧に告白するから」
「あれは告白じゃねえけど!」
「ふうん。ロリコン」
「悪かったな!」
「誰も悪いなんて言ってないわ、変態だと言っているのよ」
「より酷い!」
さて、と御巫はしゃがんで燕弧に手をかざす。すると燕弧から、神剣が現れた。
「やっぱり」
僕は御巫に近づく。
神剣からも少し、熱気が感じられる気がした。
「これは?」
「神剣炎尾、ね。まあ炎ってところで大体わかってたわ」
「炎尾……か」
炎尾は、水祀とは違い、オレンジ色の光を放っている。それはまるで、夕焼けの空のようだった。
「水祀は青空で炎尾は夕焼けって感じだな」
「何を言っているの九十九君、ロマンチストみたいな男は主に私に嫌われるわよ」
「え!?」
「むしろ嫌い」
「既に!?」
「それより、とりあえず」
と、御巫は立ち上がり、神剣を何処かにしまった。
こいつ、何も無い空間から神剣を出したりしまったりするから、何処かにしまったとしか言いようがない。
「一件落着」
御巫は笑って、そう言った。


其ノ終

後日談。
僕らはあの後、僕が燕弧を担ぎ、御巫に案内してもらって裏世界に返した。返したというか、表裏結線の中に放り込んだ。
ちょっと乱暴だったから、罪悪感があったけれど。あいつのやったことを思えば、まあいいか、という感じ。
そうだ、燃えた家屋はと言うと。
あの御巫の一振りが、あそこの家まで届いたらしくーーー。
「突然鎮火した」
と、消防隊員の一人の証言。
使い方によっては、本当に強いみたいだった。
そこの住人は、皆が皆家を空けていたようで、怪我人は出なかった。
自然発火、ということで片が付いたらしい。それ以外に説明のしようがないからしょうがない。
結局住人が燕弧に何をしたのかは、わからないまま。
僕が知っても、どうしようもない。
そして、そんなことを終えてから僕らは一応、学校に行った。
そういえば上履きだったから、土をそれなりに落としてから校舎内に入る羽目になった。
教室に向かうところで、先生に捕まって二人で怒られ、授業に行けと言われたので教室に行くと、授業後、朱雀に物凄く怒られた。
「九十九君は学校抜け出すし、御巫さんは午後から登校しているし、呆れるよ、もう。御巫さんの手伝い?」
「う、うん……」
「御巫さん、九十九君留年しちゃうよ。程々にしてあげて、お願いだから」
朱雀がそう言うと、御巫はきょとんとした。一瞬の後、
「留年?九十九君が?」
「そうだよ、単位危ないんだから」
「す、朱雀……もうやめ」
「あははははっ九十九君……留年って……!どれだけ頭悪いの……っ!」
御巫が笑った。
これには僕も朱雀もびっくりだった。
「はー……もう、ごめんなさいね九十九君。今年は留年を覚悟して」
「え、何で!?そこは御巫が僕の手伝う頻度を減らすんじゃねえの!?」
朱雀も、少し笑いを堪えていた。
「わかった、御巫さん、お勉強は私が……ふふっ」
「朱雀まで笑ってんじゃねえ!」
こいつら、頭がいいからって僕を馬鹿にしやがって!
僕が留年したら大変なことになる、いろんな意味で!
「大丈夫よ九十九君、留年したら、私達先輩が見守ってあげるから」
「それだけはやめてくれ……!」
一番危惧する問題だった。
朱雀は我慢するが、御巫に見下ろされるのは嫌だ、本気で。馬鹿にしかされない。
散々馬鹿にされたあと、朱雀のことを少し嫌ってたはずの御巫は自ら、朱雀と僕を誘って、一緒に下校した。
「いや、本当ごめんなさいね朱雀さん。私、あなたのこと少し苦手だったけれど、さっき見直したわ」
「それはどうも。私、御巫さんとお友達になりたかったんだよー」
こいつら、呑気だな……。
ん?これ、僕ハーレム状態じゃね?
両手に花とはこのことか!
「それにしても九十九君が留年するほど馬鹿だったとはね」
「うーん、五教科100点いくかいかないかだからね……」
間違えた。
両手に蜂かもしれない。
朱雀は途中で別れ、僕と御巫、二人で下校する。
「九十九君、ありがとう」
「礼を言われるようなこと、何もしてないけれど」
「いえ、一人だったらもっと大変だったと思うわ」
そうかな、と僕は言う。
正直、僕は甘く見ていた。
心の端で、怪我人は出ないだろうとか、非現実なことを信じていなかった。
「もう本当、御伽噺みたいだよな」
言うと、御巫は、
「あなたにとってはね。私にとっては日常なんだけれど」
と言った。確かにそうかもしれない。
ーーー神剣はあと五本。
全部を集めきって、初めてこの非現実な御伽噺は幕を閉じるのだろう。
だとすると、神剣集めは、御伽噺の欠片を集めるのだ。
今回は、そして次回もそんな欠片を取り戻す話。
そんな僕らの物語に名前をつけよう。
「んー、そうだな……」
「何?」
「この物語に、名前をつけるんだよ」
「ふうん。九十九君のセンスが問われるわね」
僕は少し考える。
そして、言った。
この物語の名前はーーー。
「御伽集」



御伽集 炎 終幕

これはひとつの、御伽噺。


第弐話 御伽集 冥

其ノ弌

この世にはどうも、不思議なことがあるらしい。
幽霊だの、化物だの、妖怪だの色々。
しかしながらこのあたし、九十九天津(つくもあまつ)はそんなものは信じていないのだ。
実際に目に見えないから、信じようが無い。いやいや、本当に。
ただ、たまに、ごくたまに双子の片割れ、炫(てらす)は見えるらしいのだけれど。
九十九天津。
双子の上。市立南埜(みなみの)中学三年五組。髪型はショート 。名前は天津甕星(あまつみかぼし)から頂いたらしい。あたしはこれ、よくわからないけれど、名前は気に入ってる。星ってことで、星のピンを着けている。
九十九炫。
双子の妹。同じく市立南埜中学三年二組。髪型は一緒。前髪の分け方があたしと反対。名前は天照大神から頂いたらしい。天照大神は、太陽神だそうで、赤の丸のピンを着けている。
二人合わせて天炫。このコンビ名は炫が考えた。これ、ほぼ炫だよね?

「あ、こんにちは」
と、突然炫が挨拶をした。
あたし達は今、家の自分達の部屋にいる。もちろん二人で。
朝起きたわけでもない。だって今、夕方だし。
なのに、あたしに挨拶をするはずがない。こういう時は大抵、幽霊とかと話しているんだよね。
「あ、へえ。交通事故。そりゃあ大変だー」
……あたしは慣れたけれど、これ、他人から見るとかなり薄気味悪いと思う。あたしも最初、え?ってなったもん。
何言ってるのって、その場で百回言ったのを覚えている。
「えー?ねえ天津、どう思う?」
「わかんね……」
嘘、慣れてない。
最近たまに、あたしの方に話題を振ってくるんだ。見えないっての。
あんまり、幽霊とかそーゆう類、得意じゃないんだ。真面目に。
本怖とか見れない。
幸い、炫は『嘘くさい』って、見ないから救われる。まあ、本当に見えている(らしい)炫にはそう思える番組なのだろう。あたしは単に怖……いや、怖くないよ?
全然平気!
「御巫、菓子が何故か雛あられしかないんだが……」
「雛あられ?随分と季節外れ。もうすぐ夏だけれど」
部屋の外から、兄の錦ちゃんと、数少ない錦ちゃんの友達、御巫彩砂(みかなぎさいさ)さん、通称みかちゃんの声がする。
「てらちょー、錦ちゃんの邪魔しようぜ」
「あまちょー、ちょい待ってちょー」
そう言って、あたしは炫が幽霊さんとの会話を終えるのを待った。
「よーし、れっつらごーっ!」
部屋を出て、錦ちゃんの部屋に入る。
「「みかちゃーん、元気ーっ?」」
同時に言うのは、双子だからと言うのもあるのかも。打ち合わせは別にしてないんだけれど。思考回路が似てるのかな。
「嫌な奴らが……」
錦ちゃんはため息をつく。
みかちゃんこと御巫さんは別に嫌そうでは無いけれど。
「元気よ、まあ最近は、期末テストの勉強で忙しいのだけれど」
「ほーう、期末テストですか。それは大変だね!」
あたしが言う。
「私達、面倒だからテスト勉強しないんだー」
炫が言う。
「いや、しろよ。お前ら中三じゃねえか」
錦ちゃんのツッコミ。
相も変わらず、ツッコミしか出来ない、呆れた兄ちゃんである。
「えー、実は見えないところでしてたり。ね、炫」
「そうそう、ねえ天津」
まあ、人並みにしてる。
お母さんに、塾に行かせてもらってるし。
あたし達は錦ちゃんの行っている海神高校に行くつもりはない。
というか、あたしと炫で、同じ高校に行くのかも決めていない。
ーーーそこのとこ、詳しく話し合わないといけないかな。
「ねえ、天津ちゃんと炫ちゃんは、海神に来るの?」
みかちゃんは訊く。
「んー、どうだろ。天津が海神行くなら私も行くけれど」
「へえ。天津ちゃんは?」
「あたし?あたしは海神は行かないかな。成績届かないし。あと、流石に皆が私立に行くお金もないしね。高校行ったらバイトでもするんだー」
何を隠そう母子家庭で、母は女手一つであたし達三人を育ててくれた。少しでも恩返しができればと思う。
なのに錦ちゃんは、バイトもしないし、部活は帰宅部……これは良いのか。部費がかからないもんね。
バイトすればいいのに。
っていうか、錦ちゃんはこの美人のみかちゃん、どこで捕まえてきたんだろ。
ーーーまさか、無理やり襲って手篭めに……!?
何でことしやがるんだ、錦ちゃん。
「みかちゃんとー、錦ちゃんはどうやって知り合ったの?」
炫が質問する。
「ま、待っ!炫それ聞いちゃあかーん!!」
あたしは手を伸ばして阻止すると、炫は不思議そうな顔をする。
「へ?」
「どうって……まあ、私があることのお手伝いを九十九君に……錦ちゃんに頼んだからだけれど」
「…………」
とんだ勘違いだった。
恥ずかしいぜ、全く。錦ちゃんごめんよっ。
「へえー。役立たずな錦ちゃんに頼み事なんて、変わってるねみかちゃん」
「大丈夫、役立たずな錦ちゃんでも出来る事たくさんあるのよ。例えば囮とか餌とかパシリとかね」
「待て待て待て御巫!出来る事が全て奴隷的、ドM的なそれだし、何より錦ちゃんって呼ぶのやめてくれ、気持ちが悪い!」
みかちゃんの言うことも大概酷いけれど、錦ちゃんは錦ちゃんで、楽しそうだ。
ツッコミが生き生きしてるもん。
「あら、しょうがないじゃない。九十九が三人いたら呼び分けないと。錦ちゃん錦ちゃん錦ちゃん、錦ちゃん」
「気持ち悪いっ!!」
うん、楽しそう。
本当に。
あたしの交友関係は広く深くがモットーなんだけれど、結局深く関わるのって難しくって、広く浅くの付き合いになってしまっている。
だからそれほど仲のいい子はいないんだけれど、グループ的に一緒の子はいる。
錦ちゃんを見習って狭く深くにしてみようか。
ーーー錦ちゃんは友達が少ないけれど。
「天津ー、炫ー」
「あ、母上が呼んでおる」
「読んでおりますな」
「漢字違うぞ炫。それが素だったらマジでお前はやばい」
わざとだよ、錦ちゃん。察してあげて。ーーーたぶん、わざとだと思うんだけど。
あたしと炫は立ち上がって決めポーズ(ご想像にお任せ)。
「「それでは皆さん、ごっきげんよー!!」」
錦ちゃんの部屋を去ったのだった。


其ノ弐

どうも皆さん、こにゃにゃちわ。
先ほどまでは天津が色々語っていたけれど、今度は私、九十九炫が語っちゃいます。
ただ、私は馬鹿なので、馬鹿の中の馬鹿なので語彙が少ないのです。
だからこの賞だけね、この賞だけ。え?漢字間違ってる?気にしない気にしない。
そうそう、さっき、お母さんに呼ばれた私達は、下の階のリビングにいます。
「暇か?」
単直投入に訊いてきたお母さん。
あ、間違えちゃった。リテイク。
単刀直入、だっけ?
うーん、錦ちゃんのが正直語るのには向いていると思うな。
「暇じゃなーい」
天津は言います。
天津が言うなら私も言います。
「忙しいよーん。なぜなら、私のない頭を絞って語っているので」
「嘘つけ。お使い行ってこいや!」
と、半ば強引に買い物メモとお金を渡されました。
仕方がないので、私達はお買い物に行きます。ということでお着替え。
私達の通っている南埜中学校は、休みの日などの外出で、制服の着用を義務付けているのです。
逆に危ないと思う。
何を隠そうセーラー服。スカーフじゃなくてリボンなんだけれど、変態さんに襲われる危険性が高いよ。
ストーカーされたことある。
内一回は錦ちゃんだった。おっと、身内の恥さらし。
「いってきまーす」
「いってきまんもすー」
「いってらっせーい」
お母さんのお見送りの声を聞きながら、私達は近くのスーパーにお使いに行きました。
行きの道中、別段特別なことはなかったので、省略していいですか?
ーーーいいよねっ。
問題は帰り道に起こったのです。怒ったのです?うん、起こったのです。
「あ、炫!あれ!」
天津が指差す先には、みかちゃんと錦ちゃんの姿が。
「あれは一大事だよ天津!」
「事件だ大事件だ!」
私達はお互いを見あって、そして頷きました。
「「尾行じゃー!」」
小声で叫んで(?)尾行開始!

ごめんなさい、やっぱり私、語り部向いてないや。断念していいかな。
え?せめてこの賞……いやいや、章だけ?うー、しょうがないなあ。

「どこ行くんだろう」
天津が呟きました。
「みかちゃんのお家行くのかなー実は恋人同士なのかもしれない……」
「お、おっそろしいこと言うなよ炫!!」
「しーっしーっ」
突然叫ぶので、私は人差し指を口の前に持ってきて静かに、と言いました。
危うく錦ちゃんに気づかれるところだった。
「最近たまに帰りが遅いと思ったら……まさかね」
「えー、でも本当にそうだったらどうしよう……物好きとしか」
「言えないねえ」
二人で頭を抱える。
みかちゃんと錦ちゃんが付き合うとか……ないない、あり得ない。
大体お友達なこと自体あり得ないのに、そーゆうのだったら私はどうすれば。
「はっ。炫、見失った!」
「はっ。本当だ天津!」
しかし、目の前にあるのは一本道。
いえ、正確には一本道ではないのですが、錦ちゃん達が通って行った道は、目の前にある一本の道。
なので錦ちゃん達が行った方向は一目瞭然です。
「行こう!」
私達は立ち上がったのでした。

其ノ弎

其ノ弐が短い?何のことやら。
視点がころころ変わって申し訳ない。今はあたし、天津。
錦ちゃん達の尾行をしている。
「ん、何だ?」
あたしは違和感を感じた。
「どしたの天津」
「んー、何ていうか……空気が重くなったというか」
ずっしり来る。
暗い雰囲気だ。もやもやする感じ。
「そう?」
「うん。世界が一気にネガティブになったって感じ……」
こんな空気だと、いくらポジティブ、前向きが売りのあたしだって暗くなってしまう。いきなり、何なんだろう。
「……ね、戻ろう。炫」
ええ、と不服そうな顔をする炫。
「だってお使いの途中だしさ。また尾行する機会、あるって」
「むう……わかったよ、帰ろ」
炫が素直に従ってくれたので、あたしは少し安堵した。
それでも何だか、不安は拭えなかった。
それから一時間。
「ねえ天津……道間違えた?」
炫が訊いてきた。
「間違えてないと……思うんだけど」
さっきから同じところばかり進んでいる気がしてならないのは、炫も同じなようだ。
「あ、ねえ。この表札、家の左隣の人のお家じゃない?」
そこにかかっている表札は『白木』。確かに、あたし達のお隣さんだ。たまに作りすぎた煮物とかをくれるおばちゃんがいる。
「なーんだ、何で見落としてたんだろ」
途端に気分が明るくなったが、それも束の間だった。
何故ならーーー隣は、九十九家ではなかったからだ。
「あ、あれ?」
「どーゆうこと?」
混乱するあたし達。
だって、白木さんの家の隣は、九十九家なはずで……。その隣が確か。
「夕凪さん」
どういうことだろう。白木さんの家の隣は、夕凪さんだった。
九十九家だけ、消えているーーー?
「な、なんで?ねえなんで?」
炫があたしに問いかける。声には若干の焦りが見える。
当然、だと思う。あたしだって、焦っている。
「何でよ、天津!」
「わかんないよ!!」
しん、と静まり返る。
不安だけが、辺りに溜まる。
どさっと買い物袋が落ちた。そんなのに構ってられない。
そもそも、家がないのであれば買い物など必要ない。
「ねえ……そんな、一時間二時間で、お家がなくなるわけないよね?」
「……うん」
「お母さん、そのつもりで私達のこと追い出したわけじゃないよね?買い物っていう口実で」
「……う、うん」
「錦ちゃんも家から出てたし、まさか、ね?」
「…………うん」
正直、自信がなかった。
もちろんそんなことはないだろう、けれど。錦ちゃんもみかちゃんとどこかに行っているし、本当に追い出されたのか、可能性は無くもない。
「ふむ?これはこれは、九十九神かと思ったら」
声がしてあたし達は振り向いた。
そこには、狐みたいな幼女がいた。
銀髪で、小さい。
「き、狐?」
あたしがうろたえると、狐は頷いた。
待って待って。どういうこと?
コスプレ?狐のコスプレなの?
「如何にも狐じゃが。九十九神に似とるのう。もしや、『家族』とやらか」
如何にもって言われた。じゃあ何?コスプレでいいのかな?本物の狐だったら、喋らないよね。うん。
「え、ええっと、確かに私達は九十九っていう名字だけれど。神様ではないかなーって」
「ふむ。やはり否定の仕方も似ておるな。錦、はお主らの『家族』か?」
錦。九十九錦。
「うん、お兄ちゃんだよ」
あたしが答えた。
得心いった、というふうに頷く狐。
「そうか、私は燕弧。お主ら、ここで何をしておる?」
「えーっと、なんて言えばいいのかなあ、天津」
「う。正直に言うしか……錦ちゃんと、みかちゃん……御巫さんが一緒にいたから、ちょっと後をつけていたんだけれど。そしたら何か、雰囲気変わって……怖くなったから、あたし達、家に帰ろうとしたんだけれど」
「九十九家がなくなっちゃってたの!」
ふむふむ、と興味深げにする、燕弧……ちゃん、でいいかな。
「聞くところによると……と、いうか、お主らは表から来たのじゃろう?」
「はい?」
「表世界から来たのじゃろう」
「???」
表世界?何じゃあそりゃ。
「知らんのか?まあ良い。そうじゃのう……別に助けてやる義理もないが……ここはお主らがいた世界と同じ様で違う世界じゃ」
二人で首を傾げる。
意味がわからん。同じ様で違う?違う様で同じ?あうう、混乱してきたっ。
「否、しかし……住んでいる人間などは同じはず……?うん?」
途中から燕弧ちゃんまでも首を傾げ始めた。
「ま、まあ。ここにお主ら家がないというのであれば、違うのじゃよ。別世界じゃ別世界!」
「お、おう……」
無理やりな感じが否めない……。
「なるほどぉ!」
何でか炫は納得してるし。今の説明、すごく適当だったじゃん……。
何故怪しまないのか。甚だ疑問だね。
「でも、だったらどうやって元の世界に帰るの?」
う、と燕弧ちゃんは困った顔をする。
「…………うう」
しどろもどろになっているのが、少し可愛いけれど、そんなこと今関係ない。
あたし達の一大事であるので。
「どうすればいいの?」
「……えと、そ、そうじゃのう」
あたしは少し考える。
元の世界、ということは、入ってきたと思われるあたりをもう一度通ればいいのではないのか。
と、燕弧ちゃんは閃いたようで、声を上げる。
「そうそう!巫女と九十九神を探せばいいと思うんじゃよ!巫女なら絶対に出口を知っておる!!」
「巫女?九十九神?」
「巫女……御巫、じゃったか。九十九神は、錦のことじゃよ」
どうしてそうなったのか、全くわからないけれど。あだ名なんて思いつきだから、あえて触れないでおこう。
あたし達もたまに変なあだ名なつけるし。
にょんにょんとか(友達)。
「巫女と、錦を探せばいい。私にできる助言はここまでじゃ。私も懲りないのう……人助けか」
「そっか……錦ちゃんとみかちゃんはたぶん一緒にいるからね。青い髪を探せばいいね!!」
さっきと違い、炫がハイテンションだ。
「ありがとう狐さん!」
炫……名前覚えるの苦手なんだよね。
燕弧ちゃんだよ炫。
「ありがとう燕弧ちゃん!」
言うと、燕弧は少し照れたのか、赤くなった。
かわいいって。やばいって。
こんな事態じゃなきゃ尻尾もふもふしてるって!
それはさておき。
あたし達は家探しから錦ちゃん探しに移行した。
「……人助けも悪くないのう」
呟いた燕弧ちゃんの声は聞こえなかった。


其ノ肆

錦ちゃん達探しーーーとはいえ、あたりは既に暗くなろうとしていた。
買い物に出かけたのが夕方、四時頃だったから、今は六時くらいだろうか、所々に暗がりが出来ていた。
「早くしないと錦ちゃん帰っちゃうんじゃないの……?」
炫が心配そうに言う。
「そうだね。早くしないと。とりあえず、入ってきただろうあたりまで、戻ろ」
そう言って、あたし達は戻る。
ぽつぽつと街灯が点き始め、多少なりとも頼りない感じは拭えた。
一応買い物袋は持っているけれど、少し重かったので、炫と交代で持った。
元の場所に戻って来た時には、もう辺りは真っ暗だった。
「天津、どうしよう。ここ、めっちゃいる」
「は、はあ?何が?」
ゆう、と言ったのであたしは察し、遮った。
「やめよやめよ!そんな話!怖くないけどさ、今すべき話は、そう、錦ちゃんがどこにいるかだよ!」
「そ、そうだね……?」
多少の理不尽さを感じながらも、炫は同意してくれた。
うん、いないっていうのはわかってるけれど、なんとなくね。
「みかちゃんのお家行ったとかかなあ……」
あたしは呟く。
それくらいしか思いつかない。
「あー、そっか。そういう考えもできるね」
「だよね。じゃあ、みかちゃんのお家……探す?」
うーん、と炫は。
「天津、私疲れたよー」
そりゃあ、あたしだって疲れてるけれど。そんなこと言ってたら帰れないじゃん。
「もうちょっと頑張ろうよ」
「……うん」
渋々と同意して、あたしは買い物袋を持った。
そして、暗い道を歩き出した。
どのくらい時間が経ったのだろうか。あたし達は結局、元の場所に戻って来ていた。
視界が悪い上に、この住宅街、広い。
「もしかしたらもう、帰っちゃったかも……」
「…………今何時かな」
駄目元で携帯を見る。意外にも機能を果たしていて、今が午後六時過ぎだとわかった。
「野宿……?」
「うーん……でも入れ違いというか、そんな感じのなっちゃったかもね……」
野宿とか、嫌だなあ。あたし虫によく刺されるから。ってそういう問題じゃないか。
一応財布を持ってるから、千円くらいあるけれど……。
「お困りのようじゃの!!」
後ろから聞き覚えのある声。振り向くとそこには、得意げに立っている燕弧ちゃんがいた。
「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん!」
「じゃ、が一個多いよ!」
ツッコミをしてしまった。
さすが錦ちゃんの妹。血は繋がってるってか。
そんなふざけた血筋嫌だな。
「お困りのようじゃの、九十九神(笑)よ」
「なんだよ(笑)って!そんなのつけるくらいなら普通に名前で呼んでよ!」
「名前教えてもらってないもん!」
「あ、そっか。天津だよ!」
「炫だよーん!」
何故か二人揃って、
「「二人合わせて天炫です!」」
うっかりだよ。癖なんだよ。
うっかりミス。いや、ミスってないけれども。自己紹介の仕方はおかしいよね。
「なっ……お主ら、太陽神の名を語るとは……っ。中々やるのう」
意味わからないよ!?
どこがどういう感じで『中々やる』だったの!?
「さすがは九十九神の妹共じゃ」
ちょっと待って!なんで話を進めるの!
「そうでしょ、そうでしょー?」
「炫も何でノリノリなんだよ!突っ込もうよ!」
あたしが突っ込む。
「え、だって褒められたから」
「どこを褒められてるかわからないのに喜べないよー!!」
ーーーため息。
ねえねえ、錦ちゃん。今あたし、あなたの苦労がわかったよ。
今までツッコミしか能のないとか言っちゃってごめんね。
ツッコミが出来ること、すごいわ。尊敬する。
「というか、最初からツッコミ所は満載だった……」
呼んでないし、じゃじゃじゃじゃーんだし、狐のコスプレだし。
ふむ、と得意げに頷く燕弧ちゃんだったが、何を得意げとしているのか、さっぱりだった。
ちょっとシリアスになりかけてた(と思う)のに、雰囲気が壊れたよ。
音を立てて崩れていったよ。
「困っておるようじゃなあ、太陽神々」
「もうあだ名が意味不明だし……」
元気良くツッコミをする気は失せました。
双子だからって複数形にしなくてもいいじゃん。名前教えたんだから、名前で呼べばいいじゃん。
「実は、お主らがいた世界とここは、そこまで変わらんのじゃ」
「ふむふむ」
炫は興味深々と言った感じで相槌をうっている。
「つまりだな太陽神々よ」
ちなみに、たいようしんしん、と言っている。しんしんって…。パンダみたい。
「つまりつまり?」
「お金が一緒!!!」
「「まじでー!!?」」
「まじじゃ!」
「じゃあコンビニで肉まんを買うことも!」
「レストランでドリンクバーを頼むことも!」
「ホテルに泊まることも可能じゃ!」
「まじでまじで!」
ーーーいや、さすがにホテルは無理だけれど。
つい、はしゃいでしまった。でもご飯が買えるっていうのはありがたい。
「さすがにホテルは無理だから。千円しかないってば」
「んじゃ、寝床は公園でいいじゃろ!」
「うんうん!ご飯があればいいよ!」
「ていうか、何で錦ちゃんが帰った前提で話を進めてるの!」
「え、あ。そっか。そうだそうだ、錦ちゃんまだ帰ってないかもしれないしね」
炫は現実に戻ってきたようだ。
ボケが二人もいられると、ツッコミ代役が大変なんだよ、察してください。本当に。
しかし、あたしはどこかで錦ちゃんはまだここにいると思っていたけれど。
その希望は燕弧ちゃんによって崩れた。
「いや、残念じゃが太陽神々よ。ーーー錦なら帰った。私は目撃した」
どうやら本当に、野宿するしかなさそうだった。


其ノ伍

「ーーーもしもし?」
『一大事だ御巫!妹共が帰ってこねえ!迷子か?迷子なのか?それともかわいいから攫われたのか!?』
「うるさいわねえ……そんなんだから全世界であなたはハエって呼ばれているのよ」
『呼ばれてねえ!!』
「大人しくハエ取りにでも捕まってなさい」
『僕以上にうるさい奴らもいるから!例えばうちの妹共とか!』
「……それもそうね。それで、何?妹さん達が帰ってこない?電話した?」
『否定してやってくれよ。母は明日まで仕事で帰ってこねえし、書き置きでお使いに行ってるって書いてあったんだけど。どうも出発したのは四時頃だろ?今六時半過ぎじゃねえか。電話しても出ねえ』
「寄り道してるんじゃない?」
『ありそうだがな!でも頼まれごとをしてる時にそういうことする奴らじゃないんだよ。主に天津は』
「そうかしら……」
『ん?』
「いえ、何でも?じゃあ十時くらいになったらもう一度電話してくれる?帰ってきたとしても、帰ってこなかったとしても」
『ああ……わかった。心配すぎて飯が食えねえ』
「単に食材がないだけじゃないの?」
『何故うちの冷蔵庫事情を知ってるんだ!?』
「私だから。じゃあさよなら」
『悪いな御巫。ーーーじゃ、後で』

「錦ちゃん、出た?」
「いや」
携帯で、錦ちゃんに電話を試みたあたし達だったが、繋がらなかった。時計は見れても、電話やメールは出来ないのかもしれない。
ただ、充電が危ないので、無理かもしれないことをやるのはちょっと、という感じだ。
着信経歴に錦ちゃんのはあったものの、今通じないのは、どうしてだろう。向こうからは通じるのだろうか。それとも、こっちの世界でかけたのだろうか。
「炫、携帯は?」
「私?お家にあるよー。天津が持ってればいいと思ってさ」
何その任せっきり。
あたし達は、燕弧ちゃんの助言通り公園で寝ることにした。その前にコンビニで、おにぎりと飲み物を買った。本当にお金が使えたから驚きだったけれど。
「もうすっかり暗いね」
言われて周りを見ると、じきに夏になるとは言え、確かに暗かった。
「あのさ、炫」
「んー?」
「いい機会だし、二人きりだから。進路のこと話そうよ」
いい加減、二人でセットはやめた方がいいと思う。
「進路?天津が行くところだって、言ったでしょ?」
「だから、そういうんじゃないって。炫は行きたい高校ないの?」
炫は首を傾げる。
「んー、特にない。ずっと天津と同じところ行こうと思ってたから」
全く自分のことを考えてはいないようだった。
ーーーこれじゃあ駄目だ。
「じゃあさ、今晩考えなよ。ね」
あたしが言うと、渋々と頷いた。
それからはご飯を食べて、無駄に公園で遊んで、勉強も出来ないので、あたし達は寝ることにした。
「おやすみ」
「おやすみー」
今日一日で、あたしは何だか、炫に何度もいらついた気がする。
いくら双子で、あたしが双子の上だからって、同い年。
あたしにだってわからないことはあるし、出来ないことはたくさんある。馬鹿だから、考えても答えは出てこなかったりする。
なのに炫は、あたしに頼り切っている。
言うならばーーー依存している。
あたしも炫のことを抜きにして考えられないあたり、依存しているのだろうけれど。
でもやっぱり、このままじゃ駄目だと思う。
一卵性の双子で、よくセリフも同時に言って、気が合って、お互いをわかりあっていて、お互いに依存していても。
人生が同じな訳、ないもん。
今だって、身長とか、委員会とか、細かいところが違うのに。
ずっと同じ、ずっと一緒だなんて無理だ。
細かくても、集まれば、積もれば。
塵も積もれば山となる。
確実に違う人生となるのに。
炫はあたしと同じ道を歩むと信じている。
盲信している。
「大体……炫の方が頭いいじゃん……」
ため息をつく。
あたしより、炫の方が成績はいい。
炫なら文句無しで海神高校にも入れるだろうし、そうでなくても、公立ならもう少し上も行けるはず。
それに、将来やりたいこともあるらしい。
なら、あたしに合わせないで、それを目指せばいいのに。
あたしはそんなことを考えて、眠りについた。
翌日。
「天津ー、起きて」
「んー……」
炫に起こされ、身を起こす。けれど。
「体いてぇ……!」
公園の意味わからない、ドーム型っぽい遊具で座って寝ていたので、体が固まっている。
我ながら、よく座って寝れたものだ。
「ちょっと……準備運動してくる」
あたしは言った。
「おー。私はその間ブランコにでも乗ってる」
ブランコ……。そのうち飽きそうだけれど。まあいいか。
あたしは体を伸ばしながら立ち上がる。制服の汚れをそれなりに払い、炫に行ってきます、と言ってから公園を出た。
炫は既にブランコに乗って、はしゃいでいた。
「……あれ楽しいのかな」
あたし、ブランコに乗ると酔うからなあ……楽しさがわからない。
準備運動は、言ってしまえばマラソンみたいなものだ。
公園の近くを走る。
特に何も考えずに走る。
あたしはどっちかと言うと体育会系なのだ。
だから運動は好き。
公園に戻ってきた時には、炫はブランコですごいことをしていた。
すごいことになっていた。
勢いつきすぎて一回転してるんだけど。
ちょっ、スカートの中見えてるって!
ちなみに中は水色でした。え?いらない情報?
馬鹿なの?あの子馬鹿なの!?
「あ、おかえり天津ー」
ぐるぐる回りながら言われてもね!
「とりあえず止まろう炫!!」
言うと、少し経ってから止まった。
「ふー、楽しかった」
「もう意味がわからないよ……」
走っている時にコンビニがあったので、そこで菓子パンを買った。それが朝食だ。あたしはあんぱん。炫はフレンチトースト。それぞれの好みである。
「で、どうしよっか。この後」
「んー、みかちゃんを探す?ていうか、天津、携帯持ってってなかったでしょ」
「走るのに?」
「そ。錦ちゃんから、すごい着信入ってたよ」
「げ。まじで」
そっか、一日帰ってないもんね。
今日は……昨日が土曜日だったから、日曜日。の、はず。
「あ、また電話きてるよ」
炫に言われ、あたしの後ろにあった自分の携帯を見て、錦ちゃんからなのを確認してから電話に出た。
「もしも……」
『うわああ!繋がった!!繋がったあああああ!!!』
うるせえ……誰だこいつ……。
「どちら様ですか」
こんなうるさい九十九錦は知らない。
『なに!?まさかお前、天じゃない?誰だお前!!』
「九十九天津ですけど何か」
『ああ……よかった、間違い電話してなかった。そんなことより!お前今どこにいるんだよ!』
どこって……まあ。
「公園」
『はあ?』
「なんか名前忘れたけれど、公園」
ちょっと貸して、と炫があたしの携帯を取る。
「もしもーし、錦ちゃん?」
『おお、炫か……公園って何だよ』
「えっとーかくかくしかじかでー。今なんか、私達がいた世界のようで違う世界にいるんだー。出口が見当たらなくてさ」
因みにかくかくしかじかは、何かを説明していたわけではなく、普通にかくかくしかじかだった。
まあ尾行してたなんて言ったら、怒られるし。
『え……お前らそれって』
「何?錦ちゃん。どうしたの?えっと……まあ、天津に代わるね」
そう言って、あたしに携帯を渡す。
「錦ちゃん、どした?」
『いや……そうか。うん、なるほどな……』
何だか、声が緊張しているような感じだ。何かまずいことでも言っただろうか。
『とにかくお前ら、そっから表裏……いや、えーっと、その……九十九家がなかっただろ?』
「ああ、うん。何で知ってるの?」
『僕は何でも知ってるんだよ。物知りだからな。その、九十九家があった場所に戻れ。迎えに行ってやる』
物知りなのかはさておき、迎えに来てくれると言うのはありがたかった。さすが兄というべきか。
「わかった」
『じゃあ、道に迷うなよ』
「うん、ばいばい」
電話を切った。
「何だって?」
「とりあえず、九十九家があったところまで行ってってさ。迎え来てくれるって」
「本当!?わーい、帰れるー!」
あたしも安堵のため息を漏らす。
本当に良かった。
何事もなく、無事に帰れそうだ。

其ノ淕

どうしてこんなことになったのだろう。
「…………」
『あたし』は今、九十九家があったところにいた。
あたしは。
「あ、天津!」
「……錦ちゃん」
振り向くと、錦ちゃんが、みかちゃんとあたしの方に向かって来た。
「なんでみかちゃん?」
「御巫がいねえと僕もこっちに入れないし出れもしないんだよ」
「ふーん……」
「で、お前。炫は?」
あたしは、沈黙する。
「まさかはぐれたとか言わないよな?」
「……はぐれたわけじゃ、ないよ」
「じゃあ何だよ」
やや怒り口調の、錦ちゃんだ。それも当たり前。
錦ちゃんは心配しているのだ。あたしと、炫を。
「ちょっと九十九君、シスコンなのはわかるけれど、もう少し口調を優しくできないの?」
「無理だ御巫」
「ちょっと」
「違う!みかちゃん、違うの。あたしがいけないの。錦ちゃんが怒るのは当たり前だから」
そう言うと、錦ちゃんはため息をついた。
「とにかく、何があったか話してみろよ」
「……うん」

ついさっきのことだ。
「炫、昨日言ったの、ちゃんと考えた?」
「え?ああ、進路のこと?考えたよ、もちろん」
道中、そんな会話をしたのだ。
「それで?」
「うん、やっぱ私は、天津と同じところ行く」
「……ねえ、炫」
あたしは立ち止まった。炫も止まる。
「何?」
「あたし達、双子だけれど。何も同じところに行く必要、ないんじゃない?」
「そうかな?天炫コンビとしては必要だよ」
「だったらコンビ解散しようよ」
「え、何で?」
「炫には将来の夢、あるんでしょ?あたしに合わせないで、その夢に近づける高校選びなよ」
言うと、うーんと考える炫。
「いや、いいよ。私は……」
「そうやってさあ、馬鹿なあたしに合わせることないでしょ」
「だって……」
「コンビがどうとか、いつも一緒だったからって言うので、あたしと同じところ来ないでよ」
「……天津?」
「あたし、炫のそういうところ嫌い」
あたしは何を言っているんだろう。でも。
全部、本当のこと。
「何でも人に任せっきりでさ、自分で行動する時なんて、あんまりないじゃん。自分の意思とかないわけ?」
「それは、そう……だね」
「ずっとあたしについて来たらさ、叶うものも叶わなくなるよ。それであたしのせいになんかされたら、たまらないよ」
「そんなことしないよ!」
「するかもしれないじゃん!」
炫は少し、体が震えていた。
あたしが炫に怒鳴ることは、ほとんどない。
「今回のことにしたって、あたしばっかり考えてさ。炫はあたしについてくるだけで、何もしてないじゃん!ちょっとは自分で行動したら?」
「それは……」
「できないでしょ?いつまでもあたしに甘えないで」
あたしは、炫に背中を向けて走った。炫はついて来なかった。
よく見えなかったけれど、泣いていたと思う。

「なるほどな。つまりお前らは人生初の喧嘩をしたわけか」
「人生初?」
みかちゃんが錦ちゃんに尋ねる。
「ああ、僕の知る限り、こいつと炫は一回も喧嘩してない。四六時中ベタベタベタベタと……近親相姦はやめてくれと言いたかったんだがな」
そうだったっけ。
あたしは全然覚えてない。
「まあいい経験じゃねえの?ここでやられたのは最悪だけどな」
最後に嫌味を一つ言って、錦ちゃんは肩を竦める。
「とりあえず、炫を探すぞ。えーと、天。お前、携帯の充電は?」
「22%」
「微妙だな……まあ、それだけあれば大丈夫だろ。炫を見つけたら電話しろ」
「私も探すわ。ついでだし」
「悪いな御巫。さっと帰したかったんだがな」
「ごめんなさい、みかちゃん」
「大丈夫よ。物探し……いえ、人探しは十八番なの」
今、物って言ったよね?
ーーーみかちゃん、恐ろしい。
とにかく、炫を探し始めたあたし達だった。

何分か経った時、あたしの携帯が鳴った。
錦ちゃんだ。
あたしは急いで電話に出る。
「もしもし!」
『天津、今どこにいる』
「今?えっと、朝の公園の近く!」
『わかった。ちょっと待ってろ、炫を見つけた。御巫にこっち連れてきてもらえ』
「え、でも……」
『いいから。だけど、いいか?これから起きることに疑念を抱くな。それだけだ』
「え?どういうこと……って切られたし!」
「天津ちゃん」
いきなり声がして、驚いて振り向くと、そこにはみかちゃんがいた。
あれ?今、迎えに行くって言われたばかりなのに。
「いい?今から手品を見せるわ」
「え、ええ?何?この状況で?手品って」
「問答無用!レッツゴー!」
何でそんなハイテンションなの!?
みかちゃんのキャラがわからないよ!
瞬間、何故か目眩がした。
世界が一周したような、そんな感じ。
「あ、大丈夫?」
気がついた時には、目の前にみかちゃんと、錦ちゃんがいた。
ーーーえ?
「なになに?何が起こったの?」
「疑念を抱くなと言っただろうが」
ぺしっと、頭をはたかれて、あたしの頭では整理できないので、言う通りに何も思わないようにした。
「それで、炫ちゃんは?九十九君。合流した瞬間に天津ちゃんを迎えに行けって言ったから、場所がわからないのだけれど」
「そこにいるが……」
「そこって……あらまあ」
言われて、あたしも錦ちゃん達が見た方を見る。
「……炫?」
そこにいたのは炫、のはずなんだけれど。
道の端に座って涙をこぼしている炫には、黒い、禍々しい翼が生えている。
ーーーまるで、鴉だ。
「妖怪化しちゃったわね」
呟くみかちゃん。
「やっぱそうなのかーーー考えたくなかったけれど」
あたしにはさっぱり、二人の会話の意味がわからなかったけれど、それでも。
あたしのせいなのは、わかった。
「天津ちゃんと喧嘩して、負の気が溜まったのね。浄化するしかないか」
「浄化したら、消えるのか?」
「いえ、人から妖怪になっているし、時間も経っていないから消えないと思うわ」
「ね、ねえ!どういうこと!?」
あたしは焦りながら、問う。
消えるとか消えないとか、何のことなのか。
「後で説明してやるから。今は炫のが先だ」
「いえ、九十九君。少し天津ちゃんに説明させて」
みかちゃんが言って、あたしを見る。
「いい?一度しか言わない。ここは、裏世界と言って、私が住んでいるところなの」
「うん……」
「裏世界にはマイナスの感情が多くて、人のマイナスの感情が限界を超えると炫ちゃんみたいに妖怪化してしまう。実際に目の前でなっているから、信じることはできるでしょう。助けるためには浄化しなくちゃ駄目。そのために」
みかちゃんの前に、どこからか、日本刀のような物が現れた。
神々しい、という言葉がすんなりと当てはまるそれは、淡い朱色の光を放つ。
「これがあるのよ。天津ちゃん」
みかちゃんは真剣な表情で、あたしにその刀を渡す。
「助けたいと、心から願うならーーー神剣は力を貸してくれる。きっとね」
「あたしが……やるの?」
「あなたがやったことでしょう?自分で始末しなさい」
そうだ。
これは、あたしがやったこと。
あたしは神剣と呼ばれたこの刀を、握りしめた。
「どうすればいいの?」
「まず鞘を抜いて、それから……助けたいと、神様に願って、願いながら、斬る」
「斬る?怪我はする?」
「いいえ。妖怪の部分を切り離すだけだから、痛いかもしれないけれど、怪我はしないわ」
あたしは頷いた。
そして、炫を正面から睨む。
「絶対助ける……!」
ーーー覚悟して、あたしは鞘を抜いた。


其ノ質

炫はこちらを向く。
「あれ……あまつ、なに?なにしてるの?」
「助けに来たよ」
呂律が回らないのか、うまく喋れていない。
「よく、わからにゃー……」
「猫かあんたは。今は鴉だろーが」
黒い翼。黒い瞳。
不吉で、禍々しい。
「からすにみえましかー?カー……なんちて」
炫はゆらゆらと立ち上がる。足もおぼつかない。
「わたしね。ひっさつわざ、あるんだー」
「そっか。あたしも必殺技、あるんだ」
炫は、そっか、おそろい。と、はにかんだ。
「いつまでもおそろいは、だめだよねー。あまつだって、いってたしー」
「そうだよ。お揃いはもうやめようか」
「そうだね……」
炫は、人間ではあり得ない速度であたしに迫った。気がついた時には、あたしは追い詰められていた。
黒い翼をはためかせる。
「おい御巫……助けなくていいのか?」
「いいのよ。黙って見てなさい」
錦ちゃん達が助けてくれないことは、わかっていた。否、みかちゃんが、と言うべきか。
「わたしのつばさね、よくきれるんだ」
「そっか……良かったね!」
あたしは勢いよく、炫を蹴り飛ばす。
「うにゃあ!」
後ろに飛ばされた炫は受け身もとらず、道に転がる。
ーーー今しかない。
そう判断して神剣を振り上げる。
けれど。
「…………」
振り下ろせない。
さっきはできると言ったけれど、やっぱり怖い。
「天津!」
錦ちゃんが叫ぶのと同時に、あたしは宙に浮いた。炫の攻撃で飛ばされたと理解するには、地面に叩きつけられた時だった。
「ひどいな、あまつは。いもうとのこと、けっちゃだめでしょー……」
あんたは姉を蹴り飛ばしてるよ、炫。
「できるって言ったじゃない」
みかちゃんが、地面に転がるあたしに言った。
「うん、できるって言った……」
でも怖くなった。
「しょうがないわね。長引くと逃げられそうだし……」
「待て御巫。お前がやるなら僕がやるぞ」
あたしは起き上がる。
「錦ちゃん……あたしが、やる」
「お前、出来ないだろうが」
「出来るもん」
立ち上がって、炫を見る。
炫は、虚ろな瞳でこちらを見て、嗤っている。
「やらなきゃ、駄目だもん」
あたしは言って、炫に向かって走る。
「天津!」
錦ちゃんが呼ぶけど、構わない。
「しつこい!」
炫は叫んで、あたしが神剣を持っている手を蹴った。痛みで神剣を放してしまう。
「 」
炫は声にならない悲鳴をあげた。
「……錦……ちゃん」
「妹のやったことは兄の僕の責任でもある、だろ」
錦ちゃんは、あたしの放してしまった神剣を受け取り、炫を斬ったのだ。いつの間にあたしの後ろにいたのか、気づかなかった。
炫から、黒い煙が立ち上り、翼が消えた。炫はその場に崩れる。
「錦ちゃん、ごめんなさい……」
錦ちゃんは、ため息をついた。
「謝るのは僕じゃなくて、炫にだろうが」
「そうだね。炫、ごめんね」
気を失っているのか、返事はないけれど。
みかちゃんもこちらに来て、錦ちゃんから神剣を受け取る。
「まあ、結果よければ全て良し?珍しく九十九君が格好良く見えたわ」
「マジでか。これから僕も闘おうかな」
「気のせいだったわ」
「何!?」
すっかり元の調子に戻っている二人に少し笑って、炫をおぶろうと、炫に触れた時。
ーーー暗転。
「えっ、天!?」
「天津ちゃん?」
二人の驚く声を最後に、あたしの意識は遠のいた。


其ノ捌

「うん?」
目が覚める(目が覚める?)と、そこは、暗闇だった。
「あ、天津だー!起きた?」
「え……炫」
目の前には、炫がいる。
寝ていたあたしは、体を起こし、周りを見る。
「暗いね。ここ、どこ?」
「わかんない……でも、さっきから、声が聞こえるの」
「声?」
炫は頷く。
とりあえず立ち上がり、ふと疑問に思った。
こんなに塗りつぶしたような暗闇なのに、あたしと炫の姿は見える。
『……見つけて』
「え?炫、何か言った?」
「ううん。天津にも聞こえるんだ。さっきから、ずっと見つけてって、言ってるんだけれど……何のことなのか、わからないの」
じゃあ、今の声は、炫がずっと聞こえるって言ってた声なのだろうか。
「見つけてって、何のことだろう」
「わかんない……けれど、たぶん、あっち」
炫は、あたしたちから見て、後ろの方を指差した。
そういえば、炫には霊感があるんだった。声の正体が、霊なのかはわからないけれど。
「あ、炫……さっきは、ごめんね」
謝ると、炫は笑った。
「気にしないで。私も悪かったもん。ごめんね」
あたしも、笑った。これで、仲直りだよね。
とりあえず、あたし達は炫があっち、と言った方に歩いてみた。しかし、何しろ景色も何もないので、ちゃんと進んでいたのかはわからないけれど。
「あれ、うーん?」
「どうしたの?」
炫は急に立ち止まった。
「わかんなくなっちゃった……えーっと……」
『こっち』
「「え?」」
二人同時に振り向くと、後ろに淡い光が見えた。
『見えるでしょう?こっち。早く、見つけて』
「向こう、みたいだね」
「うん」
淡い光を目指して、あたし達は歩く。
近づくに連れて、なんだか空気が澄んでくるような気がした。
「この感じ……何か、神剣みたい」
「神剣?」
「うん……みかちゃんが持ってた刀みたいな物なんだけれど。そんな感じに似てる」
段々、光は近づいて来た。
「ここ、だね。光の中心」
「うん。でも、どうすればいいんだろう」
と、唐突に光は増し、あたしは眩しくて目を瞑った。
「天津!」
呼ばれて目を開くと、あたしの前に、一本の刀ーーーおそらく、神剣だろう。光を放ちながら、浮いていた。
「綺麗……」
「うん……」
『見つけてくれて、ありがとう。天津』
「え、あたしの名前、知ってるの?」
『隣の、炫が呼んでいたから』
「そっか、そうだったね」
神剣と会話、というのも変だけれど。
『手にとって』
神剣に言われて、あたしは神剣を持つ。
神剣は一瞬、煌めいて、先ほどまでの強い光ではなく淡い光に変わった。
「ねえこれ、夢じゃないよね?」
「たぶん」
目が覚めた、というか、気がついた時には夢なんじゃないかと思ったけれど。
「あ、また話してる」
炫が言った。けれど、あたしには声が聞こえない。
「えっと……対になる神剣が、あるって」
「対になる?」
「うん。この暗闇を払えばいいんじゃないかな、と思うんだけれど」
「暗闇を払う、か」
あたしは神剣を抜いてみた。
試しに振ってみたけれど、何も起こらなかった。
「うーん……」
手がかりもなく、このままだと正に暗中模索である。
「周りは暗闇だから、ここから動く必要もあんまりないよね」
「そうだね。ここで、なんとかしないと……一生この暗闇で過ごすことに……」
「や、やめてよ天津。暗いの怖いよ!」
「冗談だよ、たぶん」
それにしても、本当にわからないな。
ーーー神様に願って。
みかちゃんの声が頭に響いた。
「……あ、そっか」
呟くと、炫は首を傾げた。
「ん?」
「神様にお願いしなきゃ、いけないんだよ。みかちゃんが言ってた」
「神様に?」
あたしは頷いた。
神剣って、たぶん神様そのもの。信仰して、願いを託して。
それできっと、神剣は意味を為すのだろう。
暗闇を払いたい。
そう願うことで、きっと。
あたしは神剣をもう一度振った。
「……あれ?」
無反応だった。
「あれー?」
何か、格好つけてやった割に無反応だと、超絶恥ずかしい。
恥ずかしすぎるよ!
「お願いした?」
「したよ!したけれども!」
「んー、何だろう?」
赤面ものだよ……。
「あ、私もお願いしようかな」
「な、なるほど……ちゃんとやってね炫」
「うん、任せてー!」
と、いうことで。
もう一度やってみた。
今度こそ、暗闇を払って下さい。本当に。
「てーいっ!!」
思いっきり振った。と、同時に。
暗闇に亀裂が入り、その隙間から光が差した。
「眩しい……」
「あ。あれ、神剣?」
炫が指を指した方を見ると、闇色の神剣が見えた。炫はそれに駆け寄り、手に取った。
すると暗闇は音を立てて崩れ、辺りは一瞬にして綺麗な草原へと変わる。
「暗闇が崩れるっていうのも、変な表現だな……」
呟く。でも、亀裂から崩れたのだから、その表現しかできまい。
炫は神剣を手に持って、こちらに戻ってきた。
「何か、景色が変わったね」
「うん。風が強い」
短い髪がかなりなびいている。
あたしと炫が持っている、二対の神剣を見て、あたしは微笑んだ。
「あたしと、炫みたいだね。双子でさ」
「うん、私も思ってた」
「やっぱり?」
炫も微笑む。
少しの間、風に揺れる草と、流れる雲を見て何とも言えない気分になっていると、炫が口を開いた。
「ねえ、あそこに扉があるよ」
「……本当だ。たぶん、出口だよね」
あたし達は扉に近づいた。
そして、二人で扉を開けた。

「天津、炫。起きたか」
目を開けると、錦ちゃんが心配そうに覗き込んでいた。
「おおう……帰ってきた」
「はあ?」
「おはよう錦ちゃん。ただいま」
「何だお前ら、同時に起きたと思ったら寝ぼけてんのか?」
あたしと炫は起き上がり、互いに目を見合わせた。
「ねえ、天津ちゃん、炫ちゃん。それ、見せてくれる?」
「それ?」
みかちゃんに言われて、手元を見る。
「ってお前らよく見たら神剣持ってんじゃねえか……何でだよ」
「「夢だけど、夢じゃなかったー!!」」
「トトロか!?」
錦ちゃんの的確なツッコミ。見習っておこう。
とにかく、神剣を二対、みかちゃんに渡した。
「光冥と闇冥、ね。まったく、私が見つけられない物をことごとく見つけてくれるわね、九十九兄妹」
みかちゃんは呆れたように、それでも安心したように笑ったのだった。

其ノ終

後日談。
あれから、あたし達はみかちゃんともとの世界に戻り、買い物袋を裏世界に忘れてきてしまったことを思い出した。
結局、お金を落としたということちして、お母さんに報告すると、げんこつを一人五回ほどくらって、
「反省しやがれ」
と、邪悪オーラを出されて怒られた。
まあ、まさか裏世界というところで非現実体験してきた、などと言う訳にもいかないので、仕方が無いと言えよう。
みかちゃんに、嫌々ながらも裏世界の説明と、神剣を集めていることなどを話してもらい、それを錦ちゃんが手伝っていることも聞いたあたし達は、みかちゃんと錦ちゃんが付き合っていると勘違いしたことをみかちゃんに告白した。
「みかちゃんと錦ちゃんが付き合ってるんだと思ってたよー。びっくりした、そういうことだったのかあ」
「どうして私があんな人間界の底辺みたいな男と付き合わなくてはならないのかしらね」
「わー、みかちゃん怖ーい!」
「まあ、それなりに役に立つから。それと双子達、色々な事情をあなた達に教えたけれど、決して首を突っ込むなんてこと、しないで頂戴。面倒だから」
「「はーい」」
みかちゃんの口の悪さも知ることになったのだった。
錦ちゃんにも、怒られたけれど。
あたしと炫の二人で抱きついたら、石になったのでその隙に逃げた。
さすがシスコン。
そして現在、もとの世界に戻ってきた夜。
布団に寝っ転がっている炫が突然言った。
「そういえば、さっき思ったんだけれど、裏世界にいた時、どうして錦ちゃんから電話はかけれて、しかも繋がったのに私達の方からはかけられなかったのかなあ」
「ああ、それね。あたしもさっき気がついたんだけれど。あたしが錦ちゃんに電話かけた時あったじゃない?」
「うん」
「あの時、錦ちゃんも電話かけてたみたい。互いに電話中で、かからなかっただけ」
えー、と炫は寝返りを打つ。
「じゃあ、諦めずにかけていたら、裏世界からもかけられるってこと?」
あたしはおかしくて、少し笑った。
「そういうこと。着信経歴見たら、100件越えで錦ちゃんからかかってきてた」
「うわー、シスコン」
「本当だよね」
あたし達は暫く爆笑していた。
落ち着いた時、炫が深呼吸をして言った。
「私ね、海神行く」
「え、高校?」
あたしは思わず起き上がった。
あれだけあたしと同じところ行くって言っていたのに。
「うん。海神って、調理科っていうのあるんだって」
「へえ」
「そんで、調理師専門みたいな学校行けるんだって」
「調理師?なるの?」
「あくまでも目標だけどね。天津が言ったんでしょ、夢があるならそっち優先しろって」
「ふうん、そっか」
炫の夢は調理師だったのか。初耳だ。
「なんか、いざ離れちゃうんだなって思うとあたしが寂しくなっちゃうや」
「ふふ、どっちもどっちだね、天津」
再び寝っ転がり、窓から見える月を見つめた。
あたしや炫はこうやって、別々の道を歩むことになるのだけれど。だからと言って、それでいつか疎遠になったりはしない。
家族だし、双子だしーーー何より天炫は、片方だけでは成り立たないのだ。
「天炫コンビもあと一年だね」
炫が言った。
「そうだねー。でもまあ、一緒にいる時間が少なくなっても、天炫は永遠に不滅ってことで」
「おー。私達の愛は永遠に不滅!」
「近親相姦になっちゃうよ」
「家族としての愛だから、セーフ!」
「じゃあセーフで!」
あたしと炫の、短いようで長いような、御伽噺の断片はこれにて。



御伽集 冥 終幕


これはひとつの、御伽噺。

第弎話 御伽集 緑

其ノ弌

朱雀炯(すざくひかる)。
女。
高校二年、帰宅部。
成績最良、学年首席二年間キープ。
学級委員長。
通知表、オール五。
前髪はいわゆる『パッツン』で、もちろん黒髪、少し長い髪を一本に結わいている。
スカートは、女子が教師に怒られないギリギリまでの長さにしたがる傾向があるけれど、彼女は膝下丈である。
こんな風に、いわば教師のお気に入りというやつだ。本人にそんな自覚はないのだろうが。
とある高校二年の春、僕は彼女に出会い、成績が底辺レベルの僕を何とかそれなりなレベルにしようと目論みている彼女。
今回は、そんな彼女の物語。
真面目でお人好し、優等生を絵に描いたようなそんな最優秀な彼女は。
彼女は、どうしようもなく。
ーーー最悪だったのだ。

「九十九君。期末テスト、どうだった?」
と、全教科の期末テストが帰ってきた今日、詳しく言えば放課後の教室で、朱雀は僕に言った。
それはもう絶望としか言えないのだけれど、彼女はおそらく、僕の成績はそれなりに上がったものだと思っているだろう。
いや、まあ。確かにそれなりに上がったのだけれど。
朱雀の『それなり』と、僕の『それなり』の差異が酷いのだ。
「ああ……まあ、上がったよ。全体的にな」
「そっか。なら良かったよ。うん、五教科で350点は越えたよね?」
「…………」
ほら見ろ。
何でこの前まで五教科100点越えなかった野郎が、いきなり350点を超えるんだよ。
しかもそれを当然のことのように言ってくるぜ。
「ああ、えっと……うん、超えた超えた。五教科で600点だった」
「へえ、私より高いね、すごいねー」
「そうだろ?すごいだろ?讃えてくれてもいいんだぜ」
「すごいすごい」
かなりの棒読みで、満面の笑みで、拍手を送られた。
「で、本当は?」
「何ぃ!?嘘だとバレるとは、中々やるな、朱雀!」
「バレバレだから。五教科で満点は500点だから」
「くそぉっ!しくじった!」
「早く教えてくれるかなあ?じゃないと、九十九君……私、もう勉強教えてあげないよ?」
それは困る。
僕が留年すると、それはもう、妹共に馬鹿にされる。
「国語」
「45点」
「数学」
「91点」
「理科」
「66点」
「社会」
「20点」
「英語」
「15点」
とんだ恥晒しだ。
ふむ、と朱雀は頷いた。
「237点……まあ、いいでしょう」
計算早いなこの野郎。
「やっほーつくもん!テストどうだったーっ?」
勢い良く教室に入って来たのは、御巫だった。
もう、キャラがぶれぶれだ。
わざとかもしれない。
「ま、御巫よりは上だよ」
「ふざけたこと言ってんじゃないわよ。窓から突き落とすわよ」
「いつもの御巫だ!」
「あはは、九十九君は五教科で237点だったよ」
「やはり底辺だったわね。ちなみに朱雀さんは?」
僕の点数ばらされた……。プライバシー……。
「私?私はあまり変わらないかな。499点」
意味わからねえ。なんだその点数。
神かお前は。
「あら、何を間違えてしまったの?」
「漢字で一本、線忘れちゃって。二点問題が三角で、一点になっちゃったの」
「まあドントマイケルって感じだわね」
「御巫……ネタが古い」
「黙れ底辺」
はい、すいません。僕は底辺です。
「御巫さんは?」
「私?私は500点だったわ」
「わ、すごーい!」
「あり得ねえ……お前ら頭おかしいぞ……」
本当に。
底辺と天辺だ。月とスッポン。
「まあ、九教科となると、朱雀さんには負けると思うのだけれど」
「そうだね。今回も首席だったみたいだから、一応御巫さんより高いのかな?」
「もうやめようぜ、テストの話とかさあ。暗くなるだけだぜ?主に僕が」
何で僕、こんな悲しくなってるんだろう。物語の冒頭で、僕の頭の悪さを披露しなくてはならないのだろう。
「ふうん、仕方が無いわね。私の天使のような心の広さと優しさでここでテストの話は打ち切りにしましょうか。ついでに物語も打ち切りにする?」
「やめろ、不吉なことを言うんじゃない!」
御巫は長い青色の髪をなびかせて、振り向いた。
「帰りましょう。朱雀さんも」
前までは朱雀のことは苦手だったらしいが、今ではこの通り、かなり親し気である。いいことなんだろうけれど、しかし朱雀も交えて僕を虐めるのは如何なものか。如何なものかではない、やめてほしい。
切実な願いだ。
「ああ、ごめんね。御巫さん。今日はちょっと、担任の先生に呼ばれているの」
彼女は申し訳なさそうに、顔の前で手を合わせて言う。
「あら、じゃあ私が代わりに九十九君をいじめておくわ」
「目的が酷いぞ!」
「うん、よろしくね御巫さん」
「よろしくするな!」
かくして。
ほぼいつも通りに、御巫と僕は下校したのだ。
ただ一つを除けば。
「今集まった神剣は……えーと」
「炎尾、光冥、闇冥」
「もう三つか……あと何本だ?」
「あと三本ね。水祀はもう私のところにあるから」
そうか、そうだった。
本当に僕の記憶力には呆れるぜ。
「この前の妹さん達には一応感謝しておくわ」
そう御巫が言って、僕らは、曲がり角を曲がる。
本来なら、ここからバス停まで行き、御巫とはさようならなのだが。
僕らは足を止めた。否、止めざるを得なかった。
そこに見えたのは。
「ーーー朱雀?」
彼女であって彼女でない。
だって僕らが見たその彼女は。
スカートが短かったのだ。

其ノ弐

いやいや、スカートが短いから朱雀じゃないというのは、いささか疑問を覚えるような決めつけではあるが、僕らの知る朱雀は決してスカートを短くする生徒などではなく、さらには髪型も何というか、だらしないという印象しか与えない、寝癖をそのままに外に出てきたような感じだった。
それに、学校にまだ残っているはずの朱雀が先回りしているはずもない。
そんな偽朱雀、と呼んでいいのかはわからないが。
僕らは彼女を視認したように。
彼女も僕らを、視認した。
「え、あれ?朱雀なのか?」
僕は小声で、御巫に訊いた。
「……御巫?」
「いえ……あれは」
御巫の目つきは厳しいものだった。
「ーーー朱雀蘿(すざくかげる)」
「蘿?」
蘿と呼ばれた彼女は、僕らに近づき、 御巫を舐めるように見た。
「おや?あんたは、そう。御巫……御巫じゃんか。青い髪で分かったぜ、どうしてここにいる?」
「それはこっちのセリフよ、蘿」
どうやら、知り合いのようだ。
「あん?どうしてここにいるかって、そりゃあ、あんたが守ってるはずの表裏結線が崩壊したっていうから、面白いもの見たさに、その日からこっちにいるのさ。幸い、私の能力のおかげで衣食住、困ってないけどなあ」
きゃはは、と楽しそうに笑う彼女に、僕は少し寒気がした。
「んで?こっちは、彼氏か?御巫よぉ」
「あ、いや。僕はまあ、友達だよ。えっと……蘿、さん」
蘿は、僕を値踏みするように見る。この目つき、朱雀にはない。
「蘿でいいよ。あんた、名前は?」
「九十九錦」
「へえ……ふうん。九十九。九十九神ねえ、きゃはは。もしかして、神剣探し、手伝ってるのかな?」
「えっと……」
戸惑う僕に、御巫は。
「いえいえ、何のことかしら。それより蘿、早く帰りなさい」
ーーー帰らないと、蹴るわよ。
御巫は決して脅しでも何でもなく、冷たく平坦に、彼女、朱雀蘿に言ったのだった。
しかしそれにも動じず、朱雀蘿は薄気味悪く笑った。
「きゃは。あんたのそうゆうところが私は大好きなんだぜ。ぞくぞくするね。あんたの脚力は、私も勿論知っているから、あまり蹴って欲しくはないけれど。また会うかもね?きゃははっ。んじゃあぐっばい」
彼女を目で追いながら、僕は背中に冷や汗が伝うのがわかった。
彼女が走って行った方向を見つめていると。
「ーーー朱雀さん」
僕らがよく知る、朱雀が歩いていた。
蘿と朱雀はすれ違いざま、お互い目があったようで、だからと言って二人は、特に気にもとめずすれ違うだけだった。
「二人とも、帰ってなかったの?もしかして、私のこと待ってたの?」
「いえ、その……」
僕は御巫を遮って言う。
「そうなんだよ。御巫の奴、朱雀とどうしても帰りたいらしくてな」
もちろん、嘘だが。
御巫は別段、文句も言わないので、判断は間違っていないと言えよう。
まあ朱雀に用事がなければ一緒に帰っていたのだから、別にいいだろう。
「そっか、なんだか悪いことしちゃったね。お待たせ」
朱雀は笑う。
僕は、それに重ねて蘿の笑顔を思い出してしまった。
ーーー似ている。
不覚にもそう思ってしまった。
「ん?」
首を傾げる彼女は、雰囲気も格好も似ては似つかないのだけれど。
「帰りましょうか」
御巫が言って、僕と朱雀は頷いた。
それからは他愛もない会話で御巫とバス停で別れ、僕と朱雀で帰る。実は家が近かったりする。これは一緒に帰り始めてから知ったことだ。
そんな朱雀とも別れ、僕は無言で自宅に向かう。
あと一歩で敷地内。
僕は歩みを止めた。
「あら、バレていたの?」
御巫は驚いたような声をあげる。バス停で別れたはずの彼女は、僕の前から、つまりは僕の家の敷地から顔を出した。
彼女のこの超能力まがいなものは、彼女の中に流れている妖怪の血のせいらしい。瞬間移動も出来ちゃうらしいが、攻撃的な能力はないらしい。全て防御、もしくは支援能力。
「バイキルト」
「いやいや、それ言っちゃ駄目!」
「ホイ……」
「それも駄目だ!せめて伏せてくれれ!」
「ベホ○イミ」
「意味ねえ!!」
前作の出番の少なさを今作でカバーせんというツッコミの多さだ。ふざけるな。
給料がほしいくらいだ。
「で、お前は飛んできたのか?それとも時空を飛んできたのか?」
「時空は飛ばないけれど。瞬間的に飛んできたわ」
「ああ、そうか。まあ、今更驚きはしないがな。で、朱雀蘿のことだろ?」
御巫は頷いた。
朱雀蘿ーーー。怪しくて妖しい彼女。
「前に言ったことがあるけれどーーーこっちの朱雀さんと裏の朱雀さんは、名前が違う。つまり、あれが……蘿が朱雀さんと同一人物なのか、わからないのよね」
「同一人物であってほしくないんだけれど」
これは本音。心の底からの本音だ。
「私も、思うわ。でも……」
珍しく、御巫は言うのをためらった。目を伏せている。
「中、入るか」
僕は御巫を、中に促した。
僕の部屋に行き、ドアに鍵をかけた。まだ妹達は帰ってきていないし、あいつらももう事情をわかっているのだから、こそこそする必要は皆無なのだが、それでも大事な話をしているということだけはわかっておいてもらいたいので、念のため、気分だけといった感じだ。
御巫には悪いが緑茶もお茶受けもなし。
「で、蘿が何だよ」
ここに来てもまだ、迷いを隠せていない御巫。これだけ迷っているのは初めてかもしれない。
「……九十九君。私、どうすればいいかしら」
やっと口を開いた御巫は、そう言った。やけに不安そうに。
「どうすればって……言われてもな」
「そうよね。九十九君は何も知らないんだもの。蘿は……燕弧とは違って、普通に、普通の人間なのよ」
「妖怪じゃないってことか?でも、それで何かあるのか?」
「あるから困ってるんじゃない……はーーーーあ。もーやめてほしーわーー」
「伸ばし棒多すぎる!真面目に話そうぜ!」
雰囲気が緩んじまったじゃねえかよ。
「真面目よ……。私、師匠に約束しちゃったのよ」
「師匠?それは、えーと」
「巫女としてのイロハみたいなものを教えてくれた人。神剣の使い方とか」
へえ。御巫にもそんな人がいるんだ。
ということは、その師匠との約束を破ったから困っているのか?
「その約束って?」
「裏の人間を表に入れない」
「うわあ……」
思いっきり破ってるよ。
「表の人間に協力を求めない。あまり表の人間と関わらない。私が半妖だということを教えない。神剣のことを他人に話してはいけない。巫女としての力を人に見られてはいけない」
御巫は指折り数えて、ため息をついた。
「おいおいおい!ちょっと待て、ほぼ全部破ってんじゃねえかよ!」
守る努力してねえだろ、お前。
「約束は破るものよ」
「違うだろ!守るためだろ!」
「人を束縛して何が楽しいのかしら……」
「楽しいからってとりつけるものでもねえ!」
御巫と約束は出来ないな。
全て守ってもらえない。
「ちなみに、参考までに聞きたいんだけれど、師匠っていうのはどんな奴なんだ?」
「え?ああ……十六歳の……笑顔で嫌味を言ってくる人よ」
「笑顔で嫌味……」
さぞかしいい笑顔なんだろう。というか、年下?
いや、まさかね。御巫が年下に従う訳がない。ーーーまさかね。
「ああそうだ。さっき玄関前で言ってたよな。朱雀と同一じゃなければいいのだけれど、でも……みたいな」
「似もしない真似をしないで頂戴。確かに言ったけれど」
「でもってことはーーー」
御巫は視線を僕から逸らす。都合の悪いことは、見ないふり、か?
僕は御巫を見つめる。
地味に圧力をかけているつもりなのだが、さすがは僕、視線が色々なところに。
御巫、まつ毛長いなー、とか。
首から肩にかけてのラインが素晴らしく綺麗だなー、とか。
髪綺麗だなー、触りたいなー、とか。
御巫って何カップなのかなー、とか。
僕の理想的にはDくらいが良いのだけれど。やっぱ平均より少し大きいくらいが良いよな、夢が詰まってそうだぜ。谷間とかは別にいらないけれど、あってもいい。逆にAとかでも有りだぜ?美人な顔して貧乳とか、萌える。燃える。燕弧のようにな。
もう支離滅裂だ。
「九十九君?どこみてるの?顔がいやらしいわよ、まったくこのゴミは」
「いや、決して僕は御巫のバストサイズを考えてなんかいないし、ゴミでもない」
「へえ、残念ね」
「ああ、残念だな。お前のサイズはCだ」
「あらあら、どうも当ててくれてありがとう。このゴミ屑(^_^)」
「顔文字!?しかもそんな顔文字では絶対ない!しかもさりげなくゴミからより酷い感じにしている!!」
どっちかっていうと( ° 皿 ° )って感じだ。
いや、意味がわからないけれど。
そして似ていないけれど。
御巫、Cなんだ。うーん、惜しい。
閑話休題。話を戻そう。
「で、話が大幅に逸れたぞ」
「そうね」
「そろそろ教えてくれよ」
「そうね」
「…………」
「ごめんなさい、実はあまりわからないの。でも、表に来ている以上放っておく訳にはいかない……疎さんに怒られる……」
「それは、そうだな。早く帰ってもらわないと、僕は安心して眠れないよ」
「大丈夫、次眠る時は永眠よ」
「それは殺されるのか!?誰にだ、誰に!」
どうせお前にだろ!
別にいいじゃないか、ちょっと胸の話したくらいで何だよ。
「もう、散々だわ。九十九君に会ってから私の人生は混沌と化したわ」
「僕のせいかよ……。どっちかと言うと僕の生活の方が混沌と化したがな」
御巫は何度目かのため息をついて、立ち上がった。そして窓の方まで歩いて行き、鍵を開ける。
「私、帰るわね。蘿のことはそれとなく調べておくから、九十九君は朱雀さんとなるべく一緒にいてくれるかしら」
「承知した」
そう言うと、御巫はベランダに出る。いつの間にか靴も履いているし。
何でもありだな、こういう超能力使えると。
作者が色々忘れた時も超能力で対応できる。いや、作者って何だ。
「じゃあ、さようなら」
「さようなら」
御巫はひらりとベランダから飛び降り……まあ、たぶん瞬間移動だろう。人の目を気にしてほしい。
まあこの辺り、人通りがかなり少ないのだけれど。それでも僕の家から人が飛び降りてしかも消えたとか、噂になったらどうするんだか。
僕は窓を閉めて、部屋の鍵を開けた。
「お茶飲もう……」
序盤からツッコミすぎてる気がする。アクセル全開だ。
一階に降りようとした、その時だった。
ピンポーン。
「ん?誰だ?」
家のチャイムが鳴ったので、僕は階段を駆け下り、待たせるのも悪い気がしたのでそのまま玄関の扉を開けた。
「えっと」
そこにいたのは女子高生のはず、なのだけれど。
「こんにちは、九十九錦先輩」
彼女は、僕の名前を言って、いい笑顔で笑った。


其ノ弎

「えっと?」
「ああ、これはこれは。彩砂先輩から聞いてないんですか。それとも九十九先輩が聞き逃しているだけなのか……私としては後者だと思うんだけれど、どうでしょう?」
ーーーうん?
さらっと、実にさらっと、僕を馬鹿にしていないだろうか。
しかもこの笑顔。
「わかったぞ、お前、御巫の師匠って奴だな」
彼女は驚いたように、目を丸めた。
「おお、さすがは九十九先輩!聞いていないようで聞いていない、そんな先輩が私のことをわかるなんて、光栄だぞ!」
「人の話はそれなりに聞いてるよ!」
「えっ」
「えっ……じゃねえよ!」
すげえ驚いた顔をされた。
失礼なやつだな!初対面なのに!
「これは失礼した。私は、燈梨疎(あかりなしうとい)というのだ」
「僕は……って別に必要ないのか。お前は僕のこと知っているみたいだし」
「いやいや、九十九先輩、わかっていませんね。こういうのはテンプレ的な自己紹介ではないですか。いいですか?テンプレです、テンプレ。展覧会プレートですよ」
「つまり自己紹介をしろってことか?九十九錦だ。あと言っておくがテンプレはテンプレートの略であって展覧会プレートの略ではない、意味がわからない」
「うん、物分りのいい、まるでよくしつけられた犬のようだな!よろしく先輩!」
「例えがおかしい!僕は犬じゃない!」
「おお、キレのあるツッコミ。愚の骨頂に値するな!」
「褒めてねえ!!」
くそ、こいつの容姿を説明する暇もなく会話が進む!
今説明しておこう!
燈梨疎と言った彼女は、見た目普通の女子高生といった感じだ。
ん?いや、間違えた。
見た目が普通ではない。御巫ほど目立たないにしろ、目が青い。
髪は黒だけれど、黒髪ロング。
巫女気質は体の何処かが青いのだろうか。まあ、憶測に過ぎないけれど。
「いやはや九十九先輩、私は感嘆しているのだぞ。感心したが、嘆きのが大きい」
「何だそれは……」
「九十九先輩のツッコミは余りにもくだらなすぎて、嘆きの方が勝ってしまう」
「燈梨……さん」
「燈梨でいいぞ?」
笑顔は可愛いのだけれど。
「燈梨……あのさ」
「疎でいいぞ?」
「……………………」
この三点リーダーの多さは僕の困惑度を示していると言っても過言ではない。
それでも気にせず、燈梨は言う。
「疎でいいぞ?」
「いや、その……僕は、女子を名前で、その、呼ぶのって……苦手で」
「何故だ」
「いや、だって。馴れ馴れしいだろ、そんな。僕は本来女子と関わるとかできる立場じゃ、なくてだな?」
もうしどろもどろだ。
「ふうん、まあ疎でいい。いや、もう疎としか呼ばせない。そうだ、私は九十九先輩に用があったのだ」
無理やり決められたうえに、用事があるらしい。
本当に名前で呼ばなきゃ駄目なの?本気?
「彩砂先輩は、どこにいる?」
「彩砂……?」
燈梨は首を傾げた。
「御巫先輩と言った方がいいか?」
「ああ、そういえばそんな名前だったな、あいつ。御巫は……」
ーーー待てよ?これ、言っていいのか?
あいつ、師匠に怒られるとか、言ってたっけ。
忘れた。でもまあ、庇うわけではないけれど、言わなくてもいいか。
「知らない」
僕は嘘をついた。
「何と!知らない!知らないとくるか……無知蒙昧とは九十九先輩のことを言うのだな」
「いや、どうしてそうなる。僕は確かに学問は浅いしつまりはただの馬鹿だが、今の話とその話は全然繋がっていない!」
「浅学非才なのだな」
「お前、悪口言いたいだけだろ!」
「いえ、四字熟語を使いたいだけです!覚えた言葉を連呼する中学生さながら!浅学非才!孤立無援!うんらかんたら!」
「最悪だ、特に最後!うんたらかんたらって四字熟語じゃねえ!」
お前が浅学非才なんじゃねえのか。
というか、僕は浅学ではあるかもしれないが非才ではない。
ツッコミにおいて。
気が済んだのか、燈梨は、
「疎でいいぞ?」
いや、何で語りのところに突っ込むの?
「疎しか認めないぞ?」
「……か」
「ん?」
「語りぐらい好きにやらせてくれよ!!」
「断る」
僕の願いは聞き入れられなかった。ていうか、何?語りの文見えてるの?御巫とかにもずっと見えてたの?それともこいつだけなの?
「さあ……それは知らないけれど。私には見えるし聞こえるし触れるぞ!」
「触るな!触れたとしても絶対に触るんじゃない!」
「えー」
本当に話が進まない。
無駄な話しかしていない気がする。僕はツッコミしかしていない気がする。
語りが読めるからか、あか……疎は頷いて、腕を組んだ。
「まあ、知らないと言うならば仕方が無い。無知は罪ですけれど、法律にそんなものを裁く法は載っていないですからね」
「載ってたら裁かれてたの、僕!」
「無期懲役ものです」
「罪が重い!」
「悪ふざけはここら辺までにしましょう九十九先輩、読者が飽きて、データを消されます」
「読者いたの!?」
「いません」
「いないのかよ!」
「では私はこれで失礼」
「あ、待てあか……」
「あか?」
「ーーー疎」
かなりの抵抗があったのだが、疎、と呼ぶと嬉しそうだった。嫌がらせに成功して喜んでいるだけかもしれないけれど。
「何だ?九十九先輩」
「御巫は……家に帰った」
さっきは言わなかった。けれど、これから起こるであろう事件に、裏の、さらには御巫の師匠という彼女は必要だと思った。
キーパーソン。
「そうか」
ありがとうございます、と言って、疎は去って行った。走って行った。
振り向かず。
「ーーーやっと行ったわね」
「え!?」
驚いて振り向くと、何故か御巫がいた。
いやいや、意味わからねえ。お前帰ったんじゃねえの?
「いえ、咄嗟に疎の気配を察知したから、九十九君の家の裏側に潜んでいただけよ」
帰ったって言っちゃったよ……。
なんだかちょっぴり罪悪感。
「それにしてもツッコミまくりだったわね……」
軽蔑するような目で僕を見る。
「良かったわねぇ、かわいい、かわいいかわいい女の子と仲良くできて。しかも名前呼びだなんて馴れ馴れしく」
軽蔑するようじゃなくて、軽蔑されていた。
妙にかわいさを強調していたのは、どんな意味があるのだろうか。
「私はね、心配なのよ」
「何がだよ」
「何って……九十九君が私の後輩であり師匠である疎にセクハラ行為をしないかとか、あろうことか朱雀さんにまで手を出したりするんじゃないかとか、シスコンな九十九君のことだから妹にまで手をつけちゃうんじゃないか、とか?」
「信用がまったくねえな……」
あろうことか朱雀に変態行為はしないし、必要がなければ妹にまで手を出したりはしない。
え?意義あり?
ごめん、受け付けてないからさ。
仕方ないじゃん。人間の三大欲求は、性欲、スーパー性欲、食欲だぜ。
え?違うって?
だから、受け付けてないんだってば。
「別に私でよければ変態行為は付き合うけれど」
おや意外。
じゃなくてさ。
「体を売るな、僕はそんなに変態じゃない」
既に何度か変態ぶりを晒していることは言うまでもない。
人類は皆変態だ。
エロエロだ。
「周りが目立ってエロ行為に衝動的に走らないから僕が目立って変態に見えるだけだぞ御巫」
「意味がわからないわ……」
「つまりだ。僕は自分の本能に忠実に生きているから御巫の胸をガン見したり朱雀の匂い良い匂いだなあとか、そんなことを思ったりするわけだが、実際には全人類心の底で似たようなことを考えているわけだ。だから」
「いやいや、それについての意見とか聞きたくないわよ。九十九君が目立って変態をしているってことがわかればいいわよ別に」
僕の意見、言い訳とも言うが、それは完全に打ち切られた。
回を追うごとに僕の変態ぶりは酷くなっている気がするけれど、おそらく慣れというやつだ。
もとからこういう感じだしー。
「というか九十九君、あなたのせいで家に帰れないじゃない」
「あ」
しまった。
でも仕方ないじゃん。お前帰ったと思ってたんだもん。
「お前、本当に……う、疎に会いたくないんだな」
若干名前呼びに抵抗がある僕だった。
「それ」
「え?」
「疎は名前で呼ぶのね」
「聞いてたんじゃねえのかよ。強制されたんだよ……」
「ふーーーーん」
何その訝しむような目と口調。
「……な、何だよ」
御巫はいきなり僕に近づいてきた。
近い近い。顔がすごく近い。
唇が触れそうな位置まで近づいてくる御巫。
「近い近い近い!何だよ!」
「話しているのはあまり聞こえなかった。私のことも名前で呼んでもいいのよ?」
「…………」
僕は一歩後ろに下がる。
あの距離は無理だって。
「えっと……僕は名前呼びが、苦手でだな?」
言うと、御巫は僕から距離を取る。
何だったんだよ、怖いよ……。
「ねえ、錦君」
「え!?何それ何プレイ!?」
そんな僕を無視し、御巫は。
「泊めてくれない?」
唐突なお願いに、僕は固まった。
思考停止。
「ごめん、何言ってるんだ?」
僕の耳が正しければ、僕の家に『泊まらせて』と言ったような気がするんだが。
「泊まらせて」
「な、な、ななな何でだよ」
「だって。疎に会うの嫌」
「そんなこと言われても!」
しかし御巫は断固として折れなかった。
どれだけ疎に会いたくないんだよ……。何かちょっとかわいそうだぞ。
「駄目?」
「……し、仕方ない。僕のこの寛大な心に感謝してくれるなら泊まらせてやろうではないか」
かなりの動揺があったが、承諾した僕だった。
「ありがとう、錦君。後で嫌がらせで返してあげるわ」
「それは要らない!」
かくして。
ーーー御巫が僕の家に泊まることになった。

其ノ肆

「錦君、これ誰の?」
その夜。
風呂に入った後、出しておいた寝間着を着ている御巫が、僕の部屋に入ってきた。
「ん?ああ、それは天津のだけど」
「意外にかわいらしいのを持っているのね……」
裾にレースがついていて、緑のパステルカラーのワンピースのような寝間着、実に女子らしい服だった。
「まあそれは炫とお揃いだし。炫がほとんど選んでるし」
「ああ、なるほど」
「炫はチビだから、御巫はたぶん着れないだろ」
「そうね」
炫は天津と十センチくらい身長差がある。おそらくもう伸びない。ざまあみろだぜ。
そんなことより。
「名前で呼ぶのやめてくれないか……」
「何で?」
御巫は僕のベッドに腰掛ける。
「なんか……名前あんまり好きじゃねえもん」
「親に失礼ね……」
「名付け親がどっちかわかんねえけどな……」
母は父が付けたと言い張ってるが。
「まあ、本当に嫌がる九十九君を見てしまってはやめるしかないわ」
「本当に嫌がるって何だよ」
「まあ、いつもはそんなに嫌そうじゃないからいじめているけれど」
「それなりには嫌そうだろうが!」
僕はマゾじゃないぞ!
「本当に疎にばれていないかしら……」
「どんだけ嫌いなんだよ……ちょっと不憫だぞ」
「私にさえ嫌味を言うのよ……許せないわ」
「勇者だなあいつ」
「私が弟子だと下手に出ていれば調子に乗りやがって。嫌味家事雑用好き放題……挙げ句の果てにファーストキスを奪われたわ」
「はぁ!?」
「何よ、キスという言葉にすら、言葉のみにすら欲情するの?九十九君は」
「違えよ、何で女子同士でキスとかするんだよ!勇者どころじゃねえよ!」
「私は望んでなかったわよ!」
まあそうでしょうとも。
奪われたって非常に悔しそうにしていたからな……。屈辱というのは、ああいうことを言うのだろうな。
「ちょっと嫌がらせで迫ったら……」
「お前から迫ったのかよ!」
それは責任転嫁というやつでは。どちらにせよ御巫が悪いだろそれ。
「疎が変態だということを考慮しなかったから……迂闊だった」
恨みすぎだと思うなあ。
ノーカンでいいじゃん、女子とのキスくらい。
一回と言わず百回くらいしててもいいよもう。
「ふざけてやるならまだ許容範囲よ。問題はあの子が本気だったってところよ」
「本気は駄目だな!」
「薄い本が出来てしまう……」
「心配するところが違うと思う!」
その後の展開の方を心配しようぜ。同性愛に発展してしまう。
それだけで一話書かれたらどうするんだ。
あ、フラグじゃないですから。
そんな話、R-18になっちゃうよ。
今回エロ多くないか?大丈夫?
「ねえ九十九君」
御巫が僕の方に近寄ってくる。床に座っている僕より、ベッドに座っている御巫の方が自然と上から目線になるんだけれど。
「せっかくお泊りしてるから、何かしましょうよ」
「何かってなんだよ……」
「あ、九十九君へんたーい」
「何故!?」
いや、ちょっと期待したけどね!
「そうね……キスする?」
「お前のが変態なんじゃねえのか……?」
「あらぬ疑いをかけないでくれるかしら」
いきなりそんなことを言ったらそういう疑いもかかるって。
「疎との口直しということで、どう?」
「どう?じゃねえよ。何か口直しで男と軽くキスするのはどうかと思うぞ……恋人同士じゃあるまいし」
「ふうん。それもそうね」
ぱたん、と寝っ転がる御巫。眠いのか疲れたのか、今にも寝そうだ。
ていうか、御巫どこで寝させよう。
「ああ、余ってるか」
「……え?何か言った?」
「ん、御巫。寝るなら余ってるベッドあるからさ、そこ使えよ」
空いているベッドがあるのだ。
ーーー父親の。
「わかったわ」
「ほとんど使ってないからさ。ほとんどっていうか、全然だけれど」
全然。全く。
でも母はいつも、父のベッドのシーツやら布団やら、洗濯する。
そういうのを見ると、少し虚しくなるけれど。
「えっと、部屋は」
「「みかちゃん!!錦ちゃんに変態されてないか!」」
勢い良く扉を開け、失礼なことを叫んだのは言わずもがな、妹達だった。
「うおおう!ベッドに横たわっている!」
それは寝ているだけだ。
「本当だ!シーツにしわが!」
それは御巫がベッドの上で動いただけだ。
「しかも若干疲れている!」
「つまりは錦ちゃん!」
「「変態したな!!」」
「冤罪だ!!」
恐ろしい勘違いをする奴らだ。
前回で喧嘩をしたりしたこいつら、成長したかと思ったらそんなことはあまり無いようだ。
僕の見えないところで成長したのかもしれないけれど。
見えるところで成長してほしいものだ。
ていうか、今どちらかというと僕が変態されていた。
「……ってみかちゃん寝てるー」
「本当だー」
言われて御巫の方を見ると、確かに寝ていた。もうぐっすりだった。
「ほら、お前らも寝ろよ。それか自分らの部屋で勉強しやがれ、受験落ちるぞ。特に炫」
「ええええっ!不吉なこと言わないでよ!」
「あたしは平気なのか……?」
「二人とも平気じゃねえよ。御巫の安眠妨害をするでない、出て行け」
「「へいへーい」」
二人とも、少し不服そうに出て行った。御巫と遊ぶつもりだったのだろうけれど。
「もう十一時か……」
御巫が寝るのも、無理はないような時間だった。
それよりも、僕の部屋のベッドで寝てしまっている。
身長があまり変わらないので、僕が御巫を抱える……いわゆるお姫様抱っこは少し無理がある。
仕方ないから、僕が向こうのベッドで寝よう。
御巫が結構端の方で寝ていたので、起きないようにそっと真ん中の方に動かし、布団を掛けた。
「触ったわね」
「うおおお!!」
マジビビりした。
「た、狸寝入りかよ……!」
「いえ、さっきまで寝ていたのだけれど、九十九君に触られたから起きちゃったのよ。あー眠い」
「それは悪かったな……」
「ていうか、私は九十九君のベッドで寝ていいわけ?」
「お前がいいならな……僕はさっき言った余ったベッドで寝るし」
「一緒に寝る?」
「それは駄目だろ!」
「うわー九十九君へんたーい」
「だから何故そうなる!」
「……おやすみなさい」
やはり相当眠いのか、そう言ってすぐ眠ってしまった。
「おやすみ」
少し笑って僕は言う。
僕はゆっくり立ち上がり、電気を消す。
部屋から出ようと、扉を開けると。
「やあ」
バタン。ガチャ。
うん、わかりやすい擬音だと思わないかな。
扉を一瞬で閉めて、鍵を閉めた。
「あれ?閉められたなあ……」
扉の向こうから声がする。
いやいや、怖い怖い。ていうか、このままだと……。
「ん、まあ。いいか」
「………………?」
何がいいんだよ?
と、そう思った時。
ガチャリ。
「やあ九十九先輩!」
「う」
疎……だった。
「彩砂先輩もいるじゃないか。うん、九十九先輩、嘘をつくのはよくない」
「ついたつもりは、ないんだけれど。御巫が僕の家の裏に隠れていたらしくて」
「そうか。なら仕方が無いな」
てっきり制裁をうけるかと思ったけれど、そんなことはなかった。
僕、最近いじめられすぎて、何かするたびに反撃がくるんじゃないかと思ってしまっているらしい。
「ん?九十九先輩、私が鍵を開けたことに対してはあまり驚いていないな」
「ああ、それは……まあ。御巫と同じで超能力……みたいなのが使えるんじゃないかとは思ってたからな」
「ああ、なるほどな。話は聞かないが察しはいいんですね?もういっそのこと何の情報も与えず察しだけで生きていけばいいのではないか?」
「お前っていちいち悪口入れるよな!無理やりにでも入れるよな!って静かにしないと」
御巫が寝ているんだった。
確認すると、起きてはいないようだ。
「違う部屋行こうぜ……」
僕はそっと、物音を立てないように部屋から出た。
特に異存もないようで、疎も部屋から出る。
父親の部屋……つまり使われていない部屋に入った。
使われていないと言っても、綺麗なんだけれど。
掃除はしっかりしてある。
「おお、書斎という感じだな。私は好きだぞ、こういう感じ」
「父親の部屋だよ」
「九十九先輩の父親は何をしている人なんだ?学者か?」
父親の部屋は、ほぼ本棚で、本に囲まれている。ベッドさえも、本で囲まれている。
よく落ち着いて過ごせるな、こんなところで、と、いつも思う。
「さあな、知らない。生きてるらしいけど、本当のところはどうだかな。今は使われてないよ、全然」
「ああ……だから」
ーーーだから?
「だから、こんなにこの部屋は、生きている感じがしないのだな」
と、疎は言った。
寂しそうに。
僕は、よくわからなかったけれど、でも、寂しいという感じはなんとなくわかった。
使われない部屋。綺麗なままで、保たれた部屋。
「要するに、九十九先輩の父親は行方不明なのだろう?」
「ああ、そういうこと」
「この部屋も寂しいだろう、使われないだなんて」
疎は、その辺にあった本を手に取り、ページを適当にめくる。
「空虚だな」
そう呟いた。
「で、何の用なんだよ」
埒が明かないと思ったので、僕から言った。
疎は本を置いて、笑う。
「それはまあ、言ってしまえば一つしか無いよ、九十九先輩」
彼女は、嗤う。
「用は一つーーー朱雀達のことさ」

其ノ伍

「朱雀、達」
「そう。あなたの知っている朱雀ーーー朱雀炯と、もう一人」
朱雀蘿。
彼女達の話だ。
疎は言った。
「わかるかな、彼女達はさ。正反対のようで、そうでも無いんだよ、九十九先輩」
「正反対……確かにあいつらは、正反対だよ。でも、そうでもないって……?」
「よくある話だろう?正反対だけれど、酷似している、共通点がある」
ーーー実によくある話だ。
ーーーありふれている。何の御伽噺でもない、ただのお話。
彼女は続ける。
「それでも異常なのは、炯先輩だよ。彼女は異常だ」
「朱雀が?」
僕は戸惑いを隠せなかった。
だって、この内容だと。この説明だと。
「この説明だと、ですか。もう心の底の底ではわかりきっていたこと、じゃないんですか?九十九先輩」
「…………」
「炯先輩と蘿さんは同一人物だということを、気づいていたのではないんですか?」
わかりきっていた。わかっていた。
でも目を逸らした。
あれは違う、例外だと。
僕らの知る朱雀と、あの恐ろしい、気味の悪い笑みの蘿は、別物だと。
「しかし彼女達が同一だと言っても、異常なのはそこじゃない。むしろ、そこは普通だ。至極当然のことだ。表世界と裏世界には、同じ人物がいて当然なのだから」
僕は黙って聞いているだけだ。
反応なんてしないし、できない。
ツッコミなんて以ての外。
だからここから先は、疎の説明だ。

「むしろその点において異常なのは、私や九十九先輩や、九十九先輩のご家族や、彩砂先輩といった面々だ。
「私や彩砂先輩が例外なのは言うまでもないが、九十九先輩が例外なのは、少し疑問ではあるかな、うん。少しと言わず、甚だ、と言い換えても私は過言とは思わないけれど。
「しかしそれは今回、棚上げにしておこう。今回の話は、あくまでも朱雀と朱雀なのだから。
「ああ、九十九先輩、先に言っておくと全てをネタバレするのは、やめておく。まだまだ、この話は続かなければならないからね。
「何の話か?ん、気にしなくていいですよ、そこは。
「朱雀炯と朱雀蘿。私はこの二人の名前を並べてしまうと、どうしても違う文字に置き換えたくなるんだな。
「光と影、そんな風に。
「しかし、私は思う。炯さんは光と置き換えたけれど、実際の彼女は光かな?
「性格で言えば、まあそれはもう聖母の如く、女神の如く後光でも放っているんだろうけれども。良いんでしょう?性格。
「ああ、確認を、同意を求めてみたけれど私は会ってしまっているんだよね。だから彼女の性格はわかった。わかりすぎるほどにわかった。
「見知らぬ私でも、声をかけたら優しく、不思議に思わず、対応してくれた。
「まあ、最終的には彩砂先輩の知り合いだと言ったけれども。
「いつ会ったのか?それは、九十九先輩に追い出された後に、ばったりね。
「塾に行く途中だったらしい。ーーーっと、話が逸れてしまったじゃないか、九十九先輩。
「何でしたっけ?ーーーそうそう、彼女の性格でしたっけ。
「そりゃあもう、さっき同意を求めた通り、神様みたいでしたね。
「寒気がするくらい。
「格が違う、とも言えるけれど。それとは少し違うかな。
「ああ、結論から言ってしまえば。
「『人間らしさ』が欠けている、と思う。だから神様に見える。
「全知全能とは言わない。でも、聖か邪かと言ったら圧倒的に聖だ。
「蘿さんは邪だね。暗いし、煩いし、性格も最悪だからさ。
「『人間らしさ』?そこに九十九先輩は食いつくのだな。良いと思うぞ。私も今説明しようと思ったのだ。
「『人間らしさ』と言うのは、感情だな。感情は感情でも、負の感情だが。
「嫉妬、嫌悪、怒り、悲しみ、寂しさ、なんていうそういう類。
「九十九先輩にも勿論あるだろう?いや、なかったら私は今すぐ九十九先輩の首を切る。
「ーーー冗談だぞ?身構えるな身構えるな。
「ま、そのくらい私は気持ち悪いよ。
「だって、生きているのに、人間なのにそんな感情が無いなんて。
「本当に人間か?
「私の方の世界に炯先輩がいたら、確実に浮くだろうね。アウェイだよ。
「妖怪として退治されてるかも、なんてね。はは。
「というか、彼女に光という言葉は、全くといって当てはめたくない。
「何故か?うん、それは頭の出来が残念な九十九先輩に考えろと言っても酷だったか。
「怒らないでくださいよ。本当のことでしょう。
「だって先輩、光というのは影あって浮き立つものでしょう。
「影がなければ、それはただの白です。光とは言えないと思いませんか?
「それは蘿さんにも同じことが言える。光がないと、そもそも影は出来ないですけれどね。正確には光と光を遮るものですか?まあ、何でもいいですけれど。
「正反対で、同一です。
「彼女達は、人間と、人間らしくないのに分かれている。きっちりと、裏と表に分かれている。
「私は、申し訳ないけれど、炯先輩か蘿さん、どちらかと付き合えと言われたら蘿さんを選ぶ。
「え、付き合うな?もう、九十九先輩、冗談ですよ。
「ああ、彩砂先輩とキスしたことを聞いたんですか。まったく、そんなことを言うだなんて。よっぽど私達のラブラブ具合を言いたかったのかな。なんて。
「嫌がってた?嫌がっているからこそやったんですよ。というか、彩砂先輩から迫ってきたんですけどね。
「おっと、また逸れてしまった。どうも九十九先輩と話すと無駄話が増えてしまう。悪口じゃないぞ、楽しい、という意味だ。
「蘿さんは、悪の塊という感じだが、あれは彼女のせいではないよ。本当に可哀想だ。
「だってあれは、炯先輩のせいなんだから。
「炯先輩が人間らしい感情を持っていれば、蘿さんはあんなことにならなかったんじゃないかな。
「九十九先輩はあり得ないと言うだろうけれど。こんなことを言って、蘿さんを可哀想だなんて、思えないだろう?むしろ、炯先輩をよく知る九十九先輩は、怖いとさえ感じたんじゃないかな。
「ビンゴですか?まあ、炯先輩と仲がいいのだったら、蘿さんは少し気味が悪く感じるのも無理は無い。それでも心の底で同一人物だとわかっていたから、怖かったんだろうけれどね。
「あまりに違いすぎてさ。
「長くなってしまったけれど、最後に一つ。いや、二つかな。
「これは定かではないけれど、元々私達の裏世界に、『朱雀蘿』は存在しなかった。
「どういう意味かわかるかな?まあそこは自分で考えてくださいよ、足りないおつむで。ふふ、全部ネタバレはしないと言ったでしょう?
「もう一つ。これは重要、最も重要。
「いいですか?一度しか言いません。
「朱雀炯か朱雀蘿。
「どちらかがーーー神剣を持っています」

其ノ淕

一通り話終えた頃には、時刻は十二時を廻っていた。
疎はそのあと、いつもの笑顔で笑ってからすぐ帰っていった。窓から。
それにしたって、重要なことをかなりペラペラと、スラスラと話すだけ話して帰っていきやがった。
整理しないと忘れる……。
まず、朱雀と、蘿は同一人物。認めたくないけれど。
定かではないにしろ、朱雀蘿は存在しなかった。
そのことは後で考える。足りないおつむでな。少し根に持ってやる。
そして、双方のどちらかが神剣を持っている。
重要なところだけまとめるとこんなもん、か?意外と短い。
朱雀の『人間らしい』感情が抜けている、というのは指摘されて、ああ確かにそうかも、くらいのものだ。
けれどこれが鍵になっているような気もする。
「……明日御巫に相談してみるか?」
とりあえず、考えるのは考える。
あと情報は伝える。
というか、さすが御巫の師匠。情報が早い。あの分だとほとんどわかっていそうな気がする。
全部ネタバレする気はない、か。
僕は、ベッドに潜り込んだ。どうせここで寝るつもりだったからちょうどよかった。
そして考えよう。朱雀蘿と、朱雀炯のことを。

「おはよう九十九君」
「…………う?」
御巫の声がする気がする。
あれ?何で御巫?
「起きろ」
「ぐふぅっ」
蹴られた!?
がっつり鳩尾なんだけど……息できねえし。
「み、御巫?何で?」
「はあ?頭大丈夫……あ、大丈夫じゃないわよね、ごめんなさいね」
「あ、思い出した!」
昨日泊めたんだ。疎が嫌だということで。
結局来たんだけどな……。
「ねえ九十九君」
「何だよ……」
僕は起き上がりながら言う。
「鳩尾をつくときってね、鳩尾目掛けてやるんじゃなくて、その先をつくようにやると良いらしいわ」
「そんな豆知識いらない!」
どこ情報だよそれ。
もしかして今実践されたのか?
「それより、朝ごはんですって」
「ああ、もうそんな時間か……」
そんな時間か、と言っても時計を確認すると、まだ六時のようだ。
いつもは七時くらいに起きても間に合うのだが。
御巫と共に一階に降りる。
そういえば、寝起きと言っても御巫は、寝癖なんて無いし、服が違うだけであまり学校で見るのと変わらなかった。少し残念だ。結構残念だ。
「あ、おはよ!錦ちゃん!みかちゃん!」
「天津、みかちゃんにはさっき言ったよ。おはよう錦ちゃん」
「おはよ」
全く朝からうるさい妹共だぜ。
ダイニングテーブルの前にある椅子に座って、僕は尋ねた。
「咲埜(さきの)さんは?」
「「仕事!」」
口を揃えて言う彼女達。
ちなみに咲埜さんとは、僕の母親だ。名前で呼ぶのは変だと言われるが、子供の頃から……今も子供だけれど、そう呼んでいたのが抜けない。外ではちゃんと母と言っているけれど。
今更呼び方を変えるのも、どうかと思うし。
「ふむ、九十九咲埜さんと言うのね。どちらが名字なんだか」
御巫も椅子に座って言った。
「そう言われると確かに」
九十九咲埜も咲埜九十九も、あまり変わらないような気がする。
というか、朝ごはんだと言われて起きてきたのに、ダイニングテーブルには何もない。正確に言うと、フォークがある。
少しすると、天津と炫が料理を運んできた。
「あ?何だよ、いつもはパンだけなのに。気取ってんのか」
「酷いなあ錦ちゃんは、違うよ、気取ってないよ」
「そうだよ錦ちゃん。私の料理をみかちゃんに食べさせてあげたかったんだよ」
お皿には、モーニングプレートさながら、目玉焼きとウインナー、そしてデニッシュパンが乗っている。
後からスープも出てきた。
思いっきり気取ってんじゃねえかよ……。
ていうか、これ料理なのか?いや、まあ料理なんだろうけどさ。僕でも作れるって。
全員分の料理を並べ終わって、天津と炫が手を合わせた。
「「いただきます」」
一応僕らも言ったけれど。
味はまあ、普通だった。妹相手にお世辞を使う必要はないからな。普通だったと言っておく。
「そういえば九十九君は、変な……いえ、何だかこだわりを持っていたような気がするけれど」
「ん?ああ、日本だから緑茶ってやつか。何だっけ……郷に入っては郷に従え精神……って言ったっけお前」
我ながらよく覚えていたものだ。
「そうそう。朝食はいいの?」
「うち……朝はパンしか認められていないんだ……」
ご飯がいいって、何度言ったことが。
自分の分だけ炊こうとすると、咲埜さんに電気代の無駄って言われて怒られるし。
「ふうん」
「みかちゃんのお家は?ご飯?パン?」
炫が訊いた。
「うーん、そうね。うちは大体和食かしらね。典型的な日本食というか」
「へえー」
「羨ましい……」
でも、お茶は紅茶なんだな。不思議なものだ。
「まあ、お昼と夜は、洋食だけれどね」
「なんかおもしろーい。不思議だね」
などという他愛もない会話をしつつ、僕らは朝食と、学校へ行く支度も済ませた。しかし早起きしたためか、少し時間が余った。二十分ほど。
本当なら、早く家を出ても問題はないのだが。
昨夜の疎とのこともあり、僕と御巫は今、僕の部屋にいた。
「御巫、あのさ……昨日、疎が来たんだけれど」
言うと、御巫は青ざめた。
そこまでの反応とは。予想外。
「う、疎が?私に何かしてた?」
「どうしてそういうところを心配するのか、甚だ疑問だよ……何もしてないぞ」
そう、と安堵したように息を吐いた。こいつと疎はどんな関係なんだか。
「そ、それで?疎が何?」
「んーと、話をしたんだよ。朱雀と、蘿のこと」
「…………それで?」
急に御巫は、真面目な表情になり、部屋の空気もそれなりに緊張する。
「あいつらはやっぱり、同一人物だって。正反対で同一……そう言ってた」
「そう」
返事はあくまで素っ気なかったけれど、不安な感じは拭えない。
まだ情報はある。
「あと、神剣を、どちらかが持っているらしい」
「え、そうなの?疎……どっから情報を……」
「本当だよな。一つ訊きたい、御巫。朱雀蘿は、元々存在しなかった……っていうのは本当か?」
御巫は驚いたような顔をして、首を傾げた。
「そう……だったかしら」
「知らないのか?」
「ええ。気のせい……なわけないわよね、疎の情報だし」
何だかんだ言っても、意外と信頼しているようだ。
ああ、でも。
「定かではないって言ってたような気がする……」
「ふうん。でも、気にかかる話ね」
「そうだな……。僕が考えるのは、こうなんだけれど」
蘿は元々いなかった。これは事実。
そして朱雀は例外なのも事実。
つまりは、朱雀が意識的にしても、無意識的にしても、負の感情を切り離すようになってから、朱雀蘿は生まれた。
「とか」
「悪くない発想だとは思うのだけれど……何かが違う気がするのよね……」
「うーん……」
謎は深まるばかりだった。
まあ、僕のような浅はかな知識の人間がそう簡単に思いついたら怖い。
結局、それからは特に話さず、僕らは学校へと向かい、授業が終わるまでは、(クラスが違うので当たり前だが)一切話すことはなかった。
そして放課後。
朱雀はまた、職員室。僕は一人、御巫を教室で待っていた。中に残っている生徒はもういない。
四時過ぎごろに、御巫は教室に入ってきた。
顔を出すと、朱雀がいないことに少し安堵か何からか、ため息を漏らした。
「朱雀さんは?」
「職員室」
こちらへ来ながら尋ねる御巫に、僕は答える。
「ふうん」
「朱雀、待つか?」
「別に……いいんじゃない?」
今朝話したこともあるせいか、あまり朱雀と一緒に帰る気にはならないようだった。まあ、僕だってそう思う。一緒にいたら嫌でも考えてしまう。
「じゃあ帰るか」
言って、立ち上がった僕に。
「ねえ九十九君」
「ん?」
御巫は唐突に言ったのだ。
僕が思いもしないことを。表情一つ変えずに。
ーーー教室の扉の後ろに見えたのは。今入ってこようとしているのは。
朱雀。朱雀炯。
御巫はそれに気づかず、一言。
「私の嫁になりなさい」

其ノ質

「ーーーえ?」
驚いて御巫を見る。
今なんて言った?
「私の嫁になりなさい九十九君」
繰り返す御巫。
「えっと……」
それはどういう意味だろう。
僕は男だから嫁に行くことは出来ないんだけ……。
「……!?」
「理解が遅いわ」
「は、はあ!?ちょっと待てよ、待て待て。お前頭大丈夫か!狂ったのか!」
「失礼ね、九十九君よりは狂ってないわよ」
「酷い!」
「私としてはすぐ返事が欲しいところだけれど、仕方が無いから三日待ってあげる。執行猶予をあげる」
何を執行されるんだろう。死刑かな。
破裂しそうな心臓を何とか整えて、扉の方を見ると、朱雀はもういなかった。
ーーー聞かれた?
「帰りましょうか」
「え、ええ?この衝撃を与えられた後に一緒に下校するの?何それ拷問?極刑?」
完全に動揺している。
いや、だって、こ、告白されたの初めてなんだよ?
ていうか、なんで僕?
他にいるだろ、天津とか炫とか。あ、女だったわあいつら。
「何よ、九十九君は一緒に帰ってくれないの?」
「…………」
「この照れ屋さんでピュアな私が一緒に帰りたいと頼んでいるのよ」
「お前に果たしてピュアな心があるのかどうかは不明だけれど……まあ、うん。挙動不審になるかもしれないが、帰るか」
表情変えずに告白するやつが照れ屋なのか、そこも不明だった。
朱雀のことが気になるけれど……。
改めて、帰ろうと教室を出ようとしたその時。
「よお、よおよおよお」
いきなり声がしたので、僕らは振り向く。
「なんだなんだぁ?てめぇら、そういう仲だったんかよ」
窓から入ってきたのかよくわからないが(窓枠に座っていたので、おそらくそうだろう)、案の定蘿だった。
「まだそんな仲じゃないわ」
「あぁ?まだ、ね。どうせくっつくんだろうが。イチャイチャイチャイチャよぉ」
くく、とやはり気味の悪い笑いをする。彼女が朱雀と同一だなんて……本当に信じられない。
「まるでヒロインだなぁ御巫」
「何よ、あなたは脇役でしょ?」
その言葉に蘿は少しピクリと肩を揺らした。
「言ってくれるねえ」
「言っておくけれど、そんな裏の人格に頼って、頼り切って悪口や嫌味を言ってくるあなたにとやかく言われる筋合いないわよ」
「御巫……程々にしろよ」
僕は少し注意をする。
御巫は僕を一瞥しただけで、特に反応しなかった。
「裏の人格に頼る?意味がわからねえな。私は私だし、あいつはあいつ、御巫は御巫だろ?」
「あいつ、というのは朱雀さんのことかしら?」
「ったりめーだ。全く、私にはあいつが見えてるっつーのになあ」
「ーーー?」
今、何と言った?
『私にはあいつが見えてるっつーのになあ』、だって?
私に『は』?
「おい蘿」
呼ぶと、こちらを見下すように見る彼女。
「あ?お前には私が見えてるのか?」
「まあなーーー今の、どういう意味だよ」
「今のって?」
「私にはあいつが見えてる、そう言っただろうが」
「……はーん、そういうことね」
はっ、と彼女は鼻で笑う。
毒づくように。
「そうだよ、あんたの思ってる通りさ。あいつには私が見えていないーーー。そういやあ、疎の野郎は見えてたし、話していたな。あいつには私だけが見えていない」
「それは……」
それはまるで。
自分の感情から目を逸らしている行為に等しいではないか。
自分の悪い感情は、無意識に消去している。
「九十九君……私、帰るわ」
「何だよ御巫」
「気分が悪い」
「は?」
「気分が悪いわ。私蘿が大っ嫌いなの。このままだと神剣で刺してしまいそう」
「それは大変だな……いいよ、帰って」
さすがにそれは、犯罪だ。
「ありがとう。そういう理解の速いところ、大好きよ九十九君。返事、考えておいてね」
そう言って、御巫は消えた。否、帰った。
僕と蘿が教室に残る。
少しだけ重苦しい雰囲気が流れ、息をのむ僕。数秒の均衡を破ったのは蘿だった。
「あんたは御巫の何だ?」
そんな質問。
僕は少し考えてから、それでも答えは見つからなかったけれど、答えた。
「友達……いや、協力者かな」
さすがに告白されて、友達というとふったも同然になってしまったので撤回した。もちろんのこと、返事など決まっていない。
「協力者……ああ、神のことか」
『神』、と彼女は直接的な表現をした。
確かに神剣は、神そのものと呼んでも過言ではない。むしろぴったりだと思う。
「ということは、神剣を探してるのか。ふーーん」
「疎から聞いたんだけれど……その、神剣をさ」
「私達のどちらかが持っている、だろうが?」
疎が言っていた、と彼女は笑った。
おい疎……!それ言っていい情報だったのか?
いや、まあ僕と言わないという約束をしたわけではないから、とやかく言うつもりはないけれど。
「どっちが持って……」
「言うわけないだろ、ばーか」
くそ、むかつく。こいつ本当に朱雀にと同一なのか?認めたくないぞ。
「あいつが持っているかもしれないし、私が持っているかもしれない。私が持っていないと言ったらあいつが持っていることになるだろうが。不利益なことは言わねーよ」
「不利益って……元々御巫のだろうが」
「はあ?何言ってんだお前。何も知らねえんだな」
何も知らねえ、と嫌らしく繰り返し、僕を、軽蔑をあらわにした目で見やる。
「御巫のじゃなかったら、誰のだよ」
「世界だよ」
世界とはーーーまたえらく規模がでかいじゃないか。
「神剣が、人間なんていうくっだらない生き物のために作られる訳ねえだろうがよ」
それは自虐のようにも聞こえたし、僕を責めているようにも聞こえた。
「人間なんてのはくだらない。利己的で我が侭で、傲慢でーーー自分の都合ばっかり、押し付けて」
彼女は少し俯く。
その口調は。その表情は。
「私が何も感じないと思ってるの?」
「ーーー朱雀」
「そんな、目の前で告白しなくてもいいじゃない。仲良くしないでよ。見せつけてるの?」
やはり、見られていたのか。
「どうして御巫さんとばっかり帰るの。私、私だって」
「朱雀?」
「わ、私だっててめえのことが好きなんだよこの野郎!!」
教室に、声が反響した。震える声で、彼女は言った。
朱雀と同じ声、同じ顔。しかし言葉は蘿だ。
「九十九君の、馬鹿!!」
「おい朱雀!」
朱雀は教室から勢いよく出て行った。僕の静止も聞かず。
僕はいつの間にか、蘿のことを朱雀と呼んでしまっていた。しかし。
しかしもう、区別をつける必要なんてーーーないだろう。
あれは朱雀炯以外の何物でもなかったのだから。
始めからずっと。今までずっと。

其ノ捌

帰り道、予期せず一人になって、一人で帰っていた僕に、予想はしていた来訪者が現れた。
「や、九十九先輩!一人ぼっちとは、可哀想だな!」
長い黒髪を揺らして自転車に乗っている彼女が僕の前で止まった。
「可哀想とか言うんじゃねえよ、僕はどっちかっていうと一人の方が好きだったりするんだぜ?」
「ああ、孤高主義ですか?かっこつけですねえ」
「お前は気持ちがいいほどに嫌味を言うなあ!」
嫌味というか、嫌がらせだ。
しかし疎は今回嫌がらせもそこそこに、本題にはいるらしかった。
「蘿に会ったでしょう」
「ああ、まあな」
「何か言われましたか?」
こいつは、見透かしているような気がする。さっきの会話全部を聞かれていたような感じだ。
「言われたでしょ?」
「例えば?」
こいつがどんな風に、どこまで事態を把握しているのか。
「うん?どんな風にって、私の能力でね、どこまでも事態は把握できるんだよ、九十九先輩」
彼女は笑った。
「告白されただろう?」
「う」
直球だった。
デッドボールかもしれない。衝撃だ。
「お、お前の能力ってなんだよ」
僕は慌てて、話題を変えた。が、それは許されないらしい。
疎はまだこの話題を続けようとする。
「目を逸らすな九十九先輩。これから君は戦わなくちゃあいけないんだぜ。女との勝負は怖いね、女同士の勝負はもっと怖いけれどね」
「た、戦うって……」
「目を逸らすのは朱雀先輩だけで勘弁願いたいな」
「……そう、だな」
あいつは今も目を逸らし続けている。自分の感情から、性格から、闇から。
「んーで、能力だっけ?九十九先輩」
「あ?ああ、そう」
教えてくれるとは意外な。
「まあ、一応……一応先輩だからな、敬意を払って」
「一応って二回も言うな」
「私の能力は、一言で言えば千里眼。ほら、モンハンなどでよくある千里眼の薬を飲んだ時と同じだよ。もっとも、ボスの位置はわからないけど」
「例えが危ないぞ?著作権法に引っかかりそうだぞ?」
例えただの自作小説だとしてもさ。
「でも僕らの場所を見つけたくらいで会話はわからないだろ」
「うむ。もっともだ。しかしな九十九先輩」
「あん?」
「私は扉の外で聞いていた!」
「盗み聞きかよ!!」
威張ることじゃねえよ。恥を知れよ。
警察呼ぶぞ。
「九十九先輩はさてはて、どちらを選ぶのかな?」
「選ぶ、ねえ。僕としてはもう答えは決まっているんだけれどね」
疎に会う前に、とっくのとうに考えて、答えを出した。
「ふむ。それは私もさすがに聞かないけれど。朱雀先輩、もうそろそろ限界かな」
「限界って」
「あの人は全く。負の感情に慣れていないんだから……呆れてしまうね、どれだけ自分を押し殺してきたのだろうな」
押し殺して。
押し殺して押し殺して押し殺して押し殺して押し殺して。
利己的で我が侭で、傲慢でーーー自分の都合ばっかり押し付けて。
あれが朱雀の本音なのだろう。
押し殺してきた、本音。
「あるいは目を逸らすだけなのだから、楽ではあるのか」
なんてね、と彼女は笑った。
「楽ではなかった……と思うけれど」
「それは本人にしかわからない、ですね」
そう。本人にしかわからない。こっちは意図的に都合を押し付けたりはしているつもりは無い。
ああ、そうだ、と疎は言った。
「足りないおつむで考えましたか?あの答え」
「ん?ああ。まあ、考えたけれど……」
元々朱雀蘿はいなかったという、例の問題だ。出した答えが合っているとは思えない。
「聞かせてくれますか?」
僕は首肯した。
「僕の考えでは、例外の朱雀が負の感情を切り離すようになってから蘿が生まれたと考えたのだけれど、合ってるか?」
「……うん、九十九先輩にしては惜しいな」
「一言余計だ」
「はは、正解を言うと、こうだ。朱雀蘿は、『朱雀炯』だった」
「どういう意味だ?」
「そのまんまの意味さ。朱雀先輩、即ち朱雀炯は例外なんかじゃなかった。そこらの一般人と同じで、表にも裏にもいる人物だった。しかし」
しかし、と少し間を開ける彼女。
「違う意味で例外だった、と言うべきかな?表の炯は、負の感情を切り捨てた。切り離した。目を逸らした。そして、どうなると思う?」
「どう、って……」
「切り離した負の感情はどこにいったと思いますか?」
ーーーそういう、ことか。
ようやく僕は得心いった。
「蘿にーーー裏の朱雀に流れた」
疎はにやりと笑った。
「そうだ。当たりだ、九十九先輩。そして裏の朱雀炯は、朱雀蘿へと変化した。悪の塊だ。おかげで朱雀炯先輩は聖母のように、神のようになった」
人間から昇格した。
疎は呟いた。
「定かではないって言ってなかったか?」
「この前確証を手に入れたのさ。確信ではなく、確証をね」
「確証を、か」
「聞きたいかい?九十九先輩」
「聞かせてくれるならな」
「いいでしょう。見た人がいたんですよ、変化した瞬間をね」
「変化した、瞬間」
目撃者がいるのか。それは、目撃者は驚いただろうな。
「突然発狂したそうだ。いや、叫び声をあげたらしい。朱雀先輩は……もちろん裏の朱雀先輩だが、その場に崩れて、すぐ起き上がった。しかし先ほどまで姿勢良く歩いていたというのに、項垂れたようにして、力なく歩いていったらしい。だから目撃者は話しかけた」
ーーー大丈夫ですか、具合が悪いんですか。
「彼女はこう言った」
ーーーうるせえ。構うんじゃねえよ、死んじまえ。
「…………」
沈黙。
さすがに、沈黙だった。
まさか朱雀が、死んじまえなんて言うと思わなかったし、あいつがそれだけ無理をしていたのだったら。無意識にでも負担をかけていたのなら。
「最悪だな、僕は」
そんなことにも気づけなかったなんて。
「いいえ、九十九先輩。あなたは最悪などではありません。むしろ最良ですよ、最高でなく、優秀ではないですけれどね」
「最良って……」
「最高に優しい、ですよ」
……照れるじゃないか。
照れ屋ではないけれど、疎に褒められるとは。うん、素直に嬉しい。
「ちなみに僕は今日、二回も告白されたわけだがお前は僕のこと好きか?」
動揺していた僕とは思えない言葉だった。
「気になります?」
「気になる気になる」
「嫌いです」
「あー、聞こえなかった。どうしよう耳鼻科に行った方がいいかもしれないな」
「嫌いです」
きっぱりだった。
ええ……まさか嫌われているとは思わなかった。久々に凹む。
べっこべこだよ全く。
「そんなことより九十九先輩」
「僕の好悪がそんなことよりな訳がないが僕の宇宙のような心でスルーしてやる。何だよ疎」
「スルー出来てないぞ?私は能力で朱雀先輩がいる場所がわかる」
「あ?おお、うん」
疎は不敵な笑みを浮かべながら言った。
「戦いに行くか?」
僕は。
「行くに決まってんだろ」
即答した。
助けない。助けない、朱雀なんて。僕は戦いに行くんだ。
「では、今回は彩砂先輩は巻き込まない。恐れ多いからな」
「お前、師匠だろ?」
「いいえ?同期です」
「は!?師匠っていうの嘘かよ!」
「いえ、嘘じゃないです」
「どっちだよ!」
「師匠で同期ですよ、九十九先輩。年上だから、敬意を払っているんです」
「僕にも払え……」
一応僕も年上だからな?
ていうか師匠で同期って何だよ。まあいいか。
そこで僕は、はたと思う。
「僕一人か?」
御巫が行かない、連れて行かないってことは……そういうことだよな?
「いいえ。私が着いて行きます」
「お前が?」
「ええ。私だってそれなりに役に立ちます」
「わかった。ありがたい」
「感謝してくださいな」
「はいはい」
これじゃあどちらが年上か、わからないな。
僕は止めていた足を前に出す。とりあえず、家に帰らないと。
疎も自転車から降りて、歩いた。
「じゃあ、夜中。正確には夜の二時。丑三つ時ですね、家の外に出てきてください」
「二時、ね。わかった」
それを言うためだったらしい、再び自転車に跨った。
「それでは、九十九先輩」
「ああ、じゃあな」
「…………」
疎は僕を見る。
「?」
「嫌よ嫌よも好きの内、ですよ」
それだけ言って、彼女は今度こそ自転車で、僕の家と反対方向に去って行った。
「……まったく」
ツンデレかよ、まったく。
僕は家路を急いだ。
朱雀、僕はお前とーーー戦う。

其ノ玖

夜中の二時。俗に言う丑三つ時に、僕は起床した。起床といっても、夜中だから周りは真っ暗だけれど。
僕は静かにベッドから出て、寝間着から動きやすそうな服に着替えた。
そして携帯と家の鍵のみを持って、外に出た。
家の敷地内から出たところに疎は待っていた。
「お待たせ」
声をかけると、疎はこちらを向いた。
「お待たされ。さて、九十九先輩」
壁にもたれかかっていた疎は、壁から背中を離す。
「念のために確認しておこう。彩砂先輩に何も言っていないな?」
「言ってない」
「よし、いいだろう」
そう言って疎は笑った。
「で、朱雀はどこにいるんだ?あいつの家とかだったら僕、侵入はできないぞ」
「その程度ですか」
「……いや、侵入する」
「ふふ、まあご心配なく。朱雀先輩は事前に確認したところ、家にはいませんから」
「そうか……良かった。どこにいるんだ?」
「ちょっと待ってください。移動してたらかないませんから、もう一度確認します」
言って、疎は意識を集中させた。
オリオンブルーに近い瞳が、少し光ったような気がした。気のせいだろうか。
「ああ、移動していませんでした。学校の屋上にいますよ」
「屋上か。普段は立ち入り禁止のはずだけれど……というか、侵入しても警報鳴らない……よな?」
「大丈夫ですよ、ちょちょいのちょいです」
本当かよ……怪しいぞ、その言い方だと。
「さてさて、学校へ行きましょうか。さあ、お乗りください!」
疎の目の前には自転車が置いてあった。……二人乗りしろってことか?
「じゃあ僕が運転……」
「いやいや九十九先輩に運転してもらうだなんて恐れ多い!私が運転しよう!」
「…………」
嫌だなあ。すっげえ嫌だなあ。僕が運転したいなあ。
「いや、後輩にこがせるなんて僕も申し訳ないからさ、後ろ乗れよ」
「まあそう言わずに!私運転したいですから!」
「僕も運転したいんだよ。後輩だろ?後ろの輩だろ?な?」
「いいですか、九十九先輩。刻一刻と、時間は押してきているんです。こんなところで言い争っている場合ではない」
「そうだなあ疎。じゃあ後ろ……」
「自転車の持ち主は誰です?」
う。そう来たか……。
僕は断念して、疎に続いて後ろに乗った。
「しゅっぱーつ」
一言言って、疎は走り出す。
後ろ怖い、怖いって。何この前が見えない恐怖感。落ちそうだって。何これ何これ!
「九十九先輩、抱きついてくれ」
「は!?この状況でなんだよ!」
「違う違う。まったく九十九先輩は考えることがエロばっかりだ。安定しないから私に捕まってくれ、ということですよ」
「え……いや、その」
女子に抱きつくとか……。拷問ですか?
「早く!」
「は、はい!」
ほとんど衝動的に疎に抱きついた。
僕、ただの変態みたいだ。
「むふっ」
「お前がただの変態だ!」
気持ち悪い笑いを漏らすんじゃねえよ。
「変態は褒め言葉だ!」
「面倒くせぇ!!」
そんな会話をしつつ。
僕らは無事に学校に辿り着いた。
「さーて、目の前の校門はー?」
「さーて、来週のサザエさんはー?みたいに言うな」
「ははははは」
「何にツボってるのかさっぱりわからないぞ?」
「やっぱり閉まってるな。鍵」
校門を開けようとして、動かなかったので、そう判断したようだ。
「ていうか、逆に閉まってなかったらセキュリティがなってないだろ」
「それもそうだ」
こんな夜中に校門が空いてたら逆に入らない。
「まあちょちょいのちょいだよ九十九先輩」
そう言った瞬間、ガチャリ、と音がした。
「便利だよな、本当」
「そうでもないですよ?まあ私は彩砂先輩と違って攻撃もできますけど」
「まじで!?最強じゃねえか!」
僕らは何食わぬ顔で校門を開け、中に入る。警報は鳴らないようだ。少し安心した。
「彩砂先輩もやろうと思えば出来ますよ。ただ、あの人はやろうとしないだけです」
「そうなのか?てっきり出来ないんだと思ってた」
「自分の特異な能力で人を傷つけることは絶対にしない、やるなら常人の、高校生の女子の実力で傷つける」
「あ?」
僕が首を傾げると、疎は、
「彩砂先輩の言ったことです。あの人らしいでしょう?」
「あー……言われてみればそうかもな。本当に嫌がることはしないとも言ってたし」
「優しいんですよね」
根は、と付け加えた。確かに根は優しい。
そんな話をしている間に、昇降口(もちろん鍵がかかっていたので疎が開けた)を抜け、屋上へと通じる廊下を歩いた。
「なあ、疎。戦うって言ってもさ、どうやって?」
「それはご心配なく。屋上への入り口に着いたら教えましょう」
ふうん、と相槌を打ちつつ、僕らは階段を上る。夜中の学校というのは嫌に雰囲気が出ていて、不気味だ。おまけに電気をつけるわけにもいかず、周りは真っ暗。懐中電灯でも持ってくれば良かったか、と少し後悔し始めた頃、屋上への扉に辿り着く。
立ち入り禁止と書かれた札は、一部の生徒にはもう意味がなくなっている。実際屋上へ出ても、先生に怒られることは稀だ。高校生だし、危険なことはすまい、という考えらしい。だったら立ち入り禁止にしなくても、と思うが。
「で、戦法は?」
僕は小声で言った。
「ええ、こうです」
疎は何もないところから、剣を二振り取り出す。いや、取り出したのかは不明だけれど。
「神剣……じゃないな」
雰囲気からしてそうだった。
「ええ、ただの剣、というより刀です。即興で作りました」
「作ったのか……」
こいつや御巫の超能力は限度が知れない。
「ま、神剣のレプリカも作れるっちゃあ、作れるんですけど。神に偽の神で対抗しても負けるからな」
「普通の刀でもそうなんじゃないか?」
「神は偽の神には怒りますよ、九十九先輩。ほら、神様は一般人に怒ることなんてそうそうないでしょう?」
「んー……よくわからないな。まあ、いいけれど」
疎は、はい、と片方の刀を僕に差し出した。僕は受け取って、何回か振ってみる。
なんとなく感覚を覚えて、僕と疎は無言で頷く。
扉のノブを回すと、鍵は開いているようだった。
ゆっくりと扉を開けると、
屋上の真ん中あたり、
彼女は気づいた。
僕らに。
「ーーー九十九、君」
朱雀はこちらを向いて、首を傾げる。
「どうしたの?こんな夜中に。夜更かしは駄目だよ?あ、もしかして」
告白の返事?
彼女は言った。
「朱雀。朱雀炯。初めに言っておこう」
「うん?何かな」
僕は息を吸って、落ち着いて言った。
「僕はお前と戦いに来た」
「…………」
「お前は神剣でいい。僕はこの刀だ」
「…………」
「…………」
「告白の、お返事聞きたいな」
「告白?」
僕は言った。
「僕はお前に告白なんてされてねえよ」
僕が告白されたのは、あくまで蘿だ。朱雀炯の言葉じゃない。
「……意味、わかんない」
朱雀は僕を睨む。その手にはいつの間にか、神剣が握られている。
緑の光を放つ神剣。
緑狩。
「九十九君、九十九錦君」
「なんだよ」
「ーーー死んでください」
同時に朱雀は僕に飛びかかってきた。
僕は間一髪、その攻撃を避ける。
しかし休む暇などありはしない、朱雀は女と思えないほどの速さで剣を振るう。
「くっ……」
僕は避けるだけで精一杯だ。
なんとか攻撃しないと、勝てるわけがない。
「先輩すまん!」
疎が動いた。
朱雀への謝罪。しかし疎が切ったのは朱雀の髪のみだ。
朱雀の注意は一瞬だけ疎に移る。
僕はその隙に、朱雀への距離を縮め、攻撃を仕掛けた。
「……!」
朱雀は気づいて、ぎりぎりの所で僕の攻撃を防いだ。
僕の刀と朱雀の神剣が交差する。
「九十九君、どうして?」
「意味がわからねえよ」
「どうしてこんなことするの?どうして告白のこと忘れちゃったの?」
「忘れてなんかーーーねえよ!」
僕は刀を振った。
さすがに腕の力がそこまで強いわけではなく、神剣は弾かれ、宙に舞い、地面に落ちる。
朱雀はその場に崩れ落ちた。
疎が神剣を拾いあげることを確認し、僕は朱雀に向き直った。
「朱雀。お前の今の感情は何だ」
「……知らない」
「知らない、か」
「知らないよ、こんな感情。知りたくないし」
朱雀は俯いている。
「辛いだけじゃない」
「そうだな。辛いだけだ。でも朱雀、それじゃ駄目だろ」
これまでと同じだ。負の感情を切り離すのなんて、これまでと同じ。
「お前は最悪だよ、この世界で一番」
「意味わかんない」
「僕は、お前のことを最優秀で、最良だと思っていた。でもその反対だ」
お前は最悪だと、もう一度言う。
「負の感情を切り離すのは、逃げだろ。皆暗い、黒い気持ちと戦ってんだ。そうやって生きてんだよ。なのに何でお前だけ逃げてんだよ。不公平だろうが」
「逃げ……」
「逃げるな向き合え、目を逸らすな。自分の気持ちに嘘ついてんじゃねえよ。別にいいだろうが。嫉妬したって嫌いになったって、怒ったって別にいいだろ」
朱雀は、顔を上げた。
僕は言う。
「蘿のせいにしてんじゃねえよ。全部お前だ。朱雀炯だろ」
「全部、私」
「そうだよ」
「…………そう、だね」
いつの間にか近くにいた疎は、言った。
「取り込むなら、神剣でやらないと」
「だってさ、朱雀」
「うん。疎さん」
「ん?」
「お手数おかけして、すみません。よろしく、お願いします」
疎は笑って頷いた。
神剣に光が集まる。眩しいくらいの光に包まれ、暫くして、消えた。
「終わり?」
僕が疎に訊くと、はい、と言った。
朱雀を見ると、朱雀は。
「九十九君、ごめんなさい」
「…………」
「うん。私は逃げていただけだった。本当に」
「……辛くても、僕が愚痴とか聞いてやるよ」
「それは、どういう意味かな?」
「そのままの意味だ」
ふうん、と朱雀は笑った。
「九十九君、好きです」
「うん」
「愛してます。私の彼氏になってください」
「ありがとう」
僕は少し間をおいて、言う。
「でも、ごめん。僕、好きな人いるんだ」
「……そっか。知ってた」
「……うん」
朱雀はそれから、ずっと泣いていた。声をあげて、ずっと。
僕は泣き止むまで側にいた。
陽が登る頃にはさすがに僕らは学校を出て、朱雀を家まで送り、僕は家に帰った。何故か疎は父親の部屋で寝ることになった。
明日、僕は彼女の家に行こうと、考えた。


其ノ終

後日談。
目を覚ましたのは朝の十時。眠ったのは朝方の四時ごろなので、まあまあ眠ったという感じだ。
布団から出て、普段着に着替え、朝食もそこそこに朝の支度を済ませる。
よく考えれば、今日は土曜日で学校は休みだった。もう少し寝ていても良かったかと思ったけれど、どちらにせよ行かなければならないところがあるので、いいか、という感じだ。
疎を起こしに行くと、ベッドはもぬけの殻で、家の中に気配はしないため、いないようだと判断した。帰ったのだろうか、それにしても、礼も言わないとは、やはり僕は敬われていないらしかった。
うるさい妹達は、早くも高校見学に勤しんでいるようで、今日は家にいなかった。どこの学校を見学しているのかは知らないが、迷惑などをかけていなければどこでもいい。
「ーーーよし」
メールを送信したのを確認し、携帯を閉じる。
僕は自転車にまたがり、敷地内を出ようとした時。
「やあ九十九先輩!」
と、元気よく挨拶された。
相手はもちろん疎である。
「おっと、おはよう」
「おはよう。昨晩はありがとう、だな。よく眠れたぞ」
「そうか、なら良かった」
うむ、と頷いて笑う。
「ああ、そうだ。神剣は彩砂先輩に渡しておいたぞ」
「そうか」
「家に押しかけたら、めちゃくちゃ嫌そうな顔をされたぞ!」
「それ嬉しいのか……?」
何故満面の笑みで言うのだろう。
「ついでに怒っておいた。約束を破りまくりだからな、あの人」
ああ、そういえばそうだった。まあ約束は守ってほしいので、文句はない。
「お仕置きとして胸を二、三回揉んでおいた」
「羨まし……じゃなくてそれはいらなかったんじゃないかなあ!」
危ない、つい本音が。
「ふふふ、羨ましいと?九十九先輩も揉んでこい」
「いや、嫌われるからやめておく」
「そうか?意外に喜ぶかもしれないぞ?」
「ねえよ。僕が殺されるわ」
「殺されてこい。そうそう、九十九先輩」
酷いことを言った後、彼女は思い出したように言った。
「どうせ暇だから、私が先輩の父親の情報を集めてあげよう」
「え?でもさ……」
「あの部屋に面白い日記があったのだ。借りた」
こいつはまた勝手に……。僕らがやらないことを遠慮もせずやりやがって。
「内容はまだ教えられないがな……」
「んー、まあ……無理はしなくていいけど、頼んどく。僕、神剣探しで忙しいからな」
願わくば見つかって、妹達に会わせてやりたいものだ。
疎は笑顔で了承した。
「っと、どこかへ行くのだろう?拘束してしまって悪かったな」
「ああ、いや、別に」
「では九十九先輩。あと二話後に会おう」
「わざわざ伏線を張るな!」
露骨すぎるから!
「またな!」
「ああ……じゃあな」
僕は自転車のペダルに足を乗せ、漕ぎ始めた。
「それにしても、神剣はもう四本集めたのか…あと、二本」
この分だと、もしかすると今年中には集まるのかもしれない。
そうすると、どうなるんだろう。
その後はどうなるんだろうか。
想像はつかないことだったけれど、それはもう少し、終わりに近くなったら考えた方がいいのかもしれない。
表裏結線、つまりは御巫の家の近くあたりの公園の前に自転車を止め、公園内に入る。
ブランコあたりに僕が呼んだ人ーーー御巫はいた。
「やっほー九十九君。おはよんぬ」
「無表情で言うな……おはよ」
「さてと、今回は私抜きで色々やってくれたらしいわねえ、九十九君」
何で若干怒り口調なんだろう。
楽出来ていいじゃん?
「私ヒロインなのに、最後の最後で出番がなかったわ」
「ヒロインとか自分で言うな。最後の最後は今だから、出てるぞ」
あらそう、と素っ気なく言った。
「山場で出番が無いなんて……」
「諦めろよ……」
「私諦めが悪いの」
「そうかよ」
僕と御巫は、公園のベンチに腰掛けた。
「で?用は何?」
「ああ、うん」
僕は言った。
「好きです」
ありきたりな告白だけれど。
これが僕の気持ちだから。
嫉妬もするし怒ったりもするだろう。だけど。
嫌いになんて絶対ならないからさ。
約束。
「ーーー私もよ」
御巫は笑った。
「これからもよろしくね、九十九君」


御伽集 緑 終幕


これはひとつの、御伽噺。

第肆話 御伽集 槌

其ノ弌

夏。
僕は夏ははっきり言って嫌いだ。
暑いし、何をするのも億劫になる。 できることなら学校にも行きたくはないし外に出たくない。家でクーラーをつけてだらけていたいような季節なのだが、今回はそうもいかなかった。
今回も、というか。
夏休みくらい家にいさせてほしい。
去年の夏は妹達に家から引っ張り出されて海やらに連れて行かれたような気がする。そんな記憶はほぼ薄れているけれど。
うだるような暑さの中、僕は今歩いている。
現在八月上旬。つまりは夏休み。
アスファルトから照り返す熱で陽炎ができるような気温の日、僕は御巫に呼び出され、のっそりと腰を上げたわけだ。
御巫といえば。
何を隠そう僕と御巫は恋仲になったのだ。
つい二ヶ月ほど前の話。今に至るまでの間に何かがあったのかというと。
何もない。
いや、まあ。一緒にお昼ご飯食べたりはするけれど、朱雀も一緒だから何かあったというほどではないだろう。
ちなみに朱雀までもが僕を好いてくれているという驚愕の事実だ。何ということだろう。
朱雀からの告白は、本当に申し訳ないけれどお断りした。
僕が好きなのは御巫であって御巫以外ではないのだ。もちろん、likeの対象はたくさんある。loveなのは御巫だけ。
英語で説明すると途端にダサくなだてしまうのは何故なのだろうか。
閑話休題。
何のために僕が呼び出されたのかと言えば、僕は知らないのである。
とにかく御巫の家近く、表裏結線あたりまで来いとのご所望だった。
「あっちぃ」
声に出しても暑さは和らぐことなく。
「何なんだよこれ……地獄かっつーの。地獄ってのは地球の下じゃねーのかよ。地球温暖化のせいで地球が地獄になったのか?地獄が地球なのか?」
我ながら意味不明である。
アスファルトと頭上の太陽に身を焼かれる思いをしながら、表裏結線前に着く。といっても、表裏結線自体は見えないのだけれど。
「あー、早く来ないかなあ御巫」
彼女はまだ着いておらず、この炎天下、僕は待つ羽目になった。
「こういう時に幼女とか幼女とかと遊べたら僕はもうここが地獄でも天国だと思えるな。幼女いれば全て良し、みたいな?」
「あのー……」
「例えばこの時期だと幼女は私服だし、スカートを履いてるかもしれない」
「あの……」
「そう、目の前にいる幼女のように……ってんん!?」
幼女がいる!
知らない幼女がいる!!
ここはもしや、天国なのか!?
「あの……」
「心配するなお嬢ちゃん、僕は紳士だから、変態なんてしないよ。例えばスカートをめくったりとか」
と言いつつスカートをめくる。
「きゃぁぁあああああ!!!変態さんでしたぁあ!」
「惜しいっ!」
あと少しで見えていたのに!
「惜しいっ!じゃないですよ!変態野郎め!」
「僕は変態じゃない!紳士だ!」
「変態紳士ですね!わかります!」
わかられていた。
「ふっ……ばれていたら仕方が無いな。そうだ、僕は変態紳士だ。何か文句はあるかな?」
「うわっそこまで自信たっぷりに言われると文句はないです!」
勝った。
ーーーじゃねえよ僕。
何初対面の幼女にセクハラしてんだよ。セクシーハラスメントだよ。
「違います、セクシャルハラスメントです」
「はあ?どっちでもいいだろ?セクシーの方がエロいだろうが、アホめ」
「アホ!?私はアホなんかじゃありませんよ!ていうか!道を聞きたいのですが!」
と、話題を変えてきた。
この幼女、中々やるぜ。
「道、だと?じゃあ名前を教えてくれるかな」
「何がじゃあなんですか!鈴河隠(すずかわかくれ)です!」
「へえ。可愛いな、鈴河」
何が、と言いながら教えてくれる鈴河隠はやはりアホだと思う。
「いきなり呼び捨てなんて図々しいです!」
知らねーよそんなこと。幼女なんだからいいだろ。
「道を教えてくださいよ!」
「わーかったわかった。携帯とか持ってる?」
は?と首を傾げる鈴河。
「持ってますけど……」
と、すごすごと携帯電話を取り出す。
僕は光の速さでそれをうばっ……もらった。
「何するつもりですかー!」
携帯を取り返そうとするも、まだ僕の方が身長が高いので届かない。
僕はロックのかかっていない不用心な鈴河のメールアドレスを僕の携帯電話に赤外線で送る。
「ほい返す」
と、僕は鈴河に携帯電話を渡した。
「何したんです!?」
「なぁに、ちょっとした礼だよ」
「意味わかりません」
「道教えてやる代金だと思え」
「ぐ……くぅ……仕方ありません……ってあなたの連絡先が……!?九十九錦というのですか」
「いかにも僕は九十九錦だが?」
「ふうん、へー。まあどうでもいいですけどねっ。一度きりの出会いですから」
「おいおい悲しいこと言うなよ、僕は一度会った幼女とは運命と称してストーカー行為に及ぶさ」
「それは運命じゃありません!」
僕の仕事が鈴河にいってるな。ツッコミ引退かもしれない。
これからはツッコミは鈴河隠にやってもらおう。
「ていうか、それは犯罪なのでは……?」
「ん?ツッコミを任せることが?」
「違います!ストーカー行為に及ぶことです!ツッコミも任せないでください!」
怖い怖い。
そんなに怒らなくてもいいじゃん。
「あ、そうだ。道だっけ?」
思い出したように、鈴河は頷いた。
こいつも忘れてるし。
「どこ?」
「向こうです」
「ああ、向こうね。それはーーーってわかるわけねえだろ!」
指差すならまだしもそれもねえ!
九十九錦、人生初のノリツッコミ。
「駄目駄目ですねぇ、九十九さん」
幼女に鼻で笑われた。屈辱だ。
「本当はどこなんだよ。僕はそういえば一応待ち合わせしてるんだよ」
「海神高校といえばわかりますか?」
海神高校?何か聞いたことあるような……。
そんな学校この街にあったかな。
「…………ああ!」
思い出した。
「何ですか?まさかわからないとでも?」
訝しむような目で僕を見上げる鈴河に、僕は笑顔で答えた。
「いや、思い出したんだよ」
海神高校といえば僕が通っている学校じゃないか。まったく、忘れてたぜ。
「では早く教えてくださいよ。私だって急いでるんですから」
「はいはい」
僕は鈴河に優しく、優しく道を教えてあげた。
別れ際に鈴河は振り向いて、
「無理やりな運命作らないでくださいよ」
と言ったのだった。
「ーーーそれにしても御巫遅いな」
幼女とどうやら四十分近く話していたようだが、御巫の姿は見えない。
「つっくーも君」
後ろから声を掛けられ、振り向くと御巫だった。
「おお御巫。何だこのタイミング」
まるで幼女との会話が終わるのを待っていたようなタイミングだった。
ていうか、御巫私服じゃん!
かわいい!かっわいいーっ!!
白の膝上くらいの丈のワンピースに、デニム生地のボレロ……というのかはわからないが、半袖のアウターを羽織っている。
後は長く、深海のような深い青の髪を白いリボンでポニーテールに結いている。
ーーーん?
「御巫ってそんな髪の色だったか?」
もう少し薄い青だったような気がする。
「え?ああ……何だか最近濃くなってきてるのよね。何でかしら」
「さあ?夏の日差しのせいとか」
「だったら毎年なってるわよ」
「それもそうだな。んー……何でだろうな」
僕らは首を傾げる。
「まあいいわ、そんなこと。九十九君、暑いでしょ?私の家に行きましょう」
果たして『そんなこと』で済ませていいのかはわからないが、本人が言うならいいのだろう。
「おう、わかった」
僕達は表裏結線を通って、御巫の家に向かった。
夏のとある出来事。
迷子の鈴河隠。
夏休みは、平凡には終わらない。

其ノ弐

御巫の家に着いた僕らは、クーラーによって冷えていた部屋にいた。
御巫の家では紅茶が主流なので、紅茶に氷を二、三入れたアイスティーを飲む。
「はあー……まじ夏とか滅びればいいのに」
「私は結構好きだけどね、夏」
御巫はクーラーの温度を少し上げた。
「怠いじゃん?蝉も煩いし、暑いし、その割りには外に出る機会は多いし」
補習とか。
「まあ、そうかもね。私は夏休みって外に一切出なかったりするからあまりわからないけれど。しかもクーラーかかっているし」
「なんと……それは羨ましいぜ」
僕もできれば外に出たくないんだけどなあ。今日のは例外として。
恋人の呼び出しを暑いからって断る彼氏いねえよ。
「そういえば九十九君」
突然、御巫の目が冷たくなった。
「幼女と遊んで、さぞかし楽しかったでしょうね」
「………………」
「良かったわね。『生きてる幼女』と知り合えて」
「…………御巫」
「ああ、別に嫉妬しているわけではないのよ?九十九君が私のことを愛してくれているのは充分承知しているし、でも九十九君ってば優しいから、困っている人やかわいい女の子を放っておけないのでしょう?ただ」
と、御巫は僕と唇が触れそうな位置にまで迫る。
「あんまり浮気するようだったら……相手を殺すかも、ね」
思いっきり嫉妬してるじゃねえかよ!
ていうか近い!
「わ、わかった。浮気とか絶対しないからさ。離れてくれない?落ち着かない」
「え?私としてはこのまま九十九君のファーストキスを奪ってもいいのだけれど。ファーストキッスを」
「わざわざ言い直さなくていい!何か僕が女子みたいだからやめろ!」
「ちっ」
舌打ちされた……。
御巫は元の位置に戻り、僕の方の紅茶を飲み干した。
「間接キスで誤魔化してんじゃねえよ……」
「あらやだー、九十九君ったら、私が九十九君とちゅーできないからって気分が落ち込んで、とりあえず間接キスで我慢しておこうかなみたいな言い草して。まったく変態紳士なんだから」
「まさにその通りだろ!?何も間違ってないじゃん!」
こいつも回を追うごとに変態度が増しているような気がする。気のせいかな。
「っていうか、何のために呼び出したんだ?神剣?」
そろそろ本題に入らなければならないような気がしたので、僕から切り出した。
「いえ。今回は神剣とか、そういうのじゃないのだけれど。その前に九十九君」
「あ?」
御巫は、彼女のコップを手に取る。そして僕に突きつけた。
「……何?」
「べ、別に、お互いに間接キスしようなんて、言ってないんだからね」
唐突なツンデレだな……。
ちょっと目を伏せて言う御巫、かわいい。でも間接キスを強要されてる。
ある意味セクハラだ。
「言ってないんだったら飲まないけどな?」
言うと、見下したような目で見る。
「は?今のは『萌えー』とか言ってそこらへんの豚みたいに紅茶を飲むべきだと思うわ。それとも九十九君はツンデレが好みではないの?私の渾身のツンデレだったのに」
「豚は酷いだろ!ていうか……別にツンデレが嫌いなわけではないけれど」
「一生見られないわよ」
「え!?それは貴重だ!」
結局飲んだ。
でも別に何も感じないんだけれどな。ちょっと残念だった。
「……やだ、照れる」
「照れるじゃねえよ、御巫がやれって言ったんだろうが」
「照れてもいいでしょう。えーと、何の話だったかしら」
頬を少し赤くして照れてる御巫。かわいい。あれ、かわいい。どうしたらいいんだ?
「えっと……そう、何のために呼び出したんだって話」
ああ、と思い出したように、御巫は少し笑って言った。
「九十九君、私達付き合って二ヶ月も経つのに、まだ恋人らしいこと何にもしてないじゃない?」
「そうだな、うん」
「ーーー恋人同士、することと言えば?」
「間接キスか」
「神剣刺そうかしら」
「ご遠慮します!」
「I kill you」
「殺すな!」
「デートでしょ、九十九君」
「…………なるほど」
そういえばそんなものがあった。
僕は彼女ができたのはもちろん初めてなので、よくわからない。
そういえば初めの頃は御巫は、話しかけたら毒舌攻撃、誰とも話さない、みたいな噂があったような。えーっと……何とかが言ってたんだっけ。名前を忘れたけれど。
だったら御巫も初めてなのかもしれない。
「ほら、私は九十九君みたいに少女漫画で勉強してるから」
「今僕みたいにって言ったか?なあ、言ったのか!?」
僕は少女漫画なんて読まないぞ。
どちらかというとせいね……少年漫画しか読まない。
そういえばジョ○ョはまだ三部の途中までしか読んでいなかった。伏字にしてもバレバレな気がする。
「煩いわね。とにかくデートよ、デート。どこに行きたい?海?海?」
「デートに行くのは構わないが、何故か選択肢が一つしかないような気がするぜ」
「あなたには選択肢も決定権もないのよ」
「決定権くらいくれよ!」
それじゃあ何もかもが御巫の思い通りになるじゃん。
あれ、今のところほぼ思い通りじゃね?
「そうね、私は海がいいわ」
「だろうな……」
そのつもりならどこに行きたい?とか訊かなくてよかっただろ。
「海でいいの?」
「まあ……別に。御巫が行きたいなら」
「やった」
そう言って微笑んだ御巫は、普通の高校生らしかった。
僕らは、普通の高校生ではないのは当然。御巫なんかは、特に。
人にはない力。
周りから浮いた青髪。
閉ざしかけた人間関係、知らない表世界。
聞けば御巫は、高校に入ってからと言うものの、ほぼ誰とも口を聞いていなかったらしい。
一人席で佇んで。
そんな彼女と、無理やりにでも知り合えたことは幸運だ。
こんなにも僕に心を開くとは思わなかったけれど。
「じゃあ、いつにしようか」
僕は訊いた。
「うん、そうね……」
僕らは明後日の金曜日の夜、海神駅で待ち合わせした。

僕はその後、御巫の家で遊んで、家へ帰った。
その途中でのこと。
見たことのある、人影。
肩にかかるか、かからないかのボブの髪。小さな身体。
あいつは。
「ーーーーーーダッシュ!!」
掛け声とともに僕は彼女に向かって突進した。
頭から背中に突っ込む。
「ぎゃあああああ!!!!」
「やあ!運命だな!鈴河隠!!これは無理やりじゃなくマジで運命!」
「離して下さい!触らないでください!気持ち悪いです!死んでくださいっ!」
思いっきり蹴られたので、仕方が無いから離れた。
もう少し触らせてくれてもいいのに。ケチな奴だぜ。
「こんな運命いりませんでした……」
落胆した様子の鈴河。
そこに少しの違和感を感じた。
「あれ?鈴河、お前なんか……」
変、と言おうとしたところで、鈴河は僕から少し離れた。
「な、何ですか!近づかないでくださいよっ、この変態紳士!」
「くっ……随分な言い草だぜ。だってお前本当にさ」
「あれ?そこにいるのは九十九先輩じゃないか!」
と、後ろから懐かしい声がしたので振り向くと、そこには御巫の師匠、燈梨疎がいた。
「やー、奇遇だな。実は私、たまにこちらに来て妖怪がいないかどうか確認しているんだ」
「へえ。そりゃ偉いっつーか……ご苦労だな」
「あなたに上から目線とかされたくないですけどね。ところで九十九先輩は、何を?」
ーーーん?
また疑問に思うことが。
何をしてるって、見ればわかるだろうに。
後ろにいる鈴河をチラ見すると、上目遣いで心配そうにこちらを伺っていた。
「えっと……御巫のところに行って、帰ってきたところ、だけど」
「ふうん。じゃあ先ほどのは独り言か?」
疎のその言葉を聞いて、僕の心臓は高鳴った。
「……まあ、九十九先輩のことだからそんなこともあるのだろうが。おっと、いけない。私はそろそろ帰らないと」
僕の心臓は、どんどん鼓動が早くなる。音が大きい。疎の声も聞こえないほどに。
「そう、か」
一言答えるのが精一杯だった。
「それじゃあな、九十九先輩。逢魔が刻だからと言って、幽霊に会うなんてことはないだろうが、気をつけろよー!」
そう言って、疎は僕の横を通り過ぎて、走って行った。
それでも尚、僕の心臓は早まったままだった。
恐る恐る、しかし表情や仕草には出さずに僕は鈴河を見た。
「九十九……さん」
細い声で、彼女は呟いた。
「鈴河、話したくなかったら、言わなくていい。訊きたいことがある」
僕の声も、心なしか震えていたように思う。
僕の言葉に鈴河は頷きもせず、否定もしなかった。ただ怯えているように見えた。
僕はなるたけ、落ち着きながら言った。
「ーーーお前、生きてるんだよな?」
鈴河の身体が、表情が揺れる。
「な、何を……言っているんですか。九十九さん」
「お前は、御巫に……僕の知り合いに、『生きてる幼女』と言った。少なくとも朝は、お前は……」
そこまで言うと、彼女は自分で、ぽつりと言った。辛うじて聞き取れるくらいの大きさで。
「そうです」
「…………」
「私は、つい先ほどーーー死にました」
僕は。
何と声をかければよかったのだろう。

其ノ参

「つい、先ほどって」
僕は動揺を隠せなかった。
僕は苦しくないはずなのに、胸が痛い。何となく、嫌な予感はしていたのに。
「正確には……いえ、正確にはわからないんですけど。目が覚めた……意識を取り戻した時には、昼頃だったかと思います。日差しが強くて、立ち上がったら朦朧としてーーーそれでも、私、歩いたんです。海神高校に向かって」
あれから、僕に会ってから二時間も彷徨っていたのか。方向音痴なのだろうか。
僕は静かに聞いていた。
「それで、ええと……そうです、やっぱり道がわからなくって、人に尋ねようって思って、通りかかった人達に話しかけました。たくさんたくさん、話しかけました」
でも、と彼女は。
ーーーでも、誰も私に気づかないんです。
「可笑しいじゃないですか。たくさん話しかけているなら、どなたかは心優しく答えてくれるって、九十九さんがそうしてくれたように、道を教えてくれるって。淡い期待と、濃くなる恐怖に耐えて……やっと、自力で海神に着いた時に、私、気づいたんです」
気づいた。
そこに至ってやっと。
ーーー自分が死んでいることに。
「誰も私を見ませんでした。視界に入れませんでした。目が合うことさえありませんでした。当たり前です。私は幽霊だったんですから、当たり前です」
「でも、でも僕は」
僕には見えている。触れている。
「九十九さん、霊感とか、あります?」
「ねえよ。全く。そういうのだったら、疎や御巫の方が……持ってる可能性は高い、だろ」
「じゃあ、何故……でしょう?疎さんと仰るその人も、私のこと、見えていませんでしたが」
「何でだろう……」
僕らは首を傾げた。
僕は霊感なんていうものはない。
強いて言うなら、炫が持っていたような、ないような。
そこではた、と思い至った。
「なあ、鈴河。うちに来てくれ」
「はあ!?九十九さん、いくら私が幽霊だからと言って、家に連れ込んでどうするつもりですか!えっちぃことするつもりですね!いやらしいですっ!!」
「何でシリアスムードを壊す……」
今まで何度もシリアスムードは台無しにされてきたような気がする。
シリアスムードブレイカー御伽集。
嫌な題名である。
「じゃなくて、僕の妹に霊感あるらしい奴いるんだよ。そいつなら見えると思って」
「ああ……成る程。そういうことでしたら、着いて行きます」
意外にもすんなりと納得してくれた。
そういうわけで、僕と鈴河は、九十九家に向かった。妹が帰っていることを信じて。
家の鍵を開け、中に入るとすぐに炫がいた。
「あ、お兄ちゃんおかえりなさーい」
「ただいま……っていうか、お兄ちゃん?」
「ああ、いつまでも錦ちゃんじゃ駄目かなって」
「いや、お兄ちゃんとかやめろ。気持ち悪いぞ」
「えー……残念」
「残念がるな」
ため息をつき、靴を揃える。
一応、鈴河も同じようにした。
「あれ?錦ちゃん、その子……」
「……やっぱ見える?」
尋ねると、炫は頷いた。
鈴河に近寄って、ぺたぺたと触り始める。
「おおぉ、すっごい!触れるよ!すごぉぉおい!」
「え、えっと……あのう……」
困ったように苦笑いをしている。しかし炫はお構いなしに鈴河に触る。
「お名前はあるのっ?」
「あ、ええ……鈴河隠です」
「隠ちゃん!かっわいいー!」
「ど、どうも」
確実に戸惑っている……。
僕は炫を引き剥がす。
「錦ちゃん、何をするのよー」
「鈴河が困ってるだろうが。やっぱ、幽霊……なんだよな」
「え、うん。ていうか錦ちゃん霊感あったっけ」
「わからん。鈴河は見える。そんだけ。鈴河、ちょっと来い」
言うと、鈴河は僕についてくる。
僕はそのまま、自分の部屋に行き、鈴河を部屋に入れて鍵を閉めた。
「何なんですかあの……妹さん?あれ妹さんですか?」
「うん」
「めちゃくちゃ触られたんですが……ぞわぞわします……」
そこまでかよ。
どんだけ触ってたんだろう僕の妹……。
「まあ、座れよ」
「はあ……」
鈴河は床にちょこんと座った。
「お前、海神に行こうとしてたんだよな」
「はい」
「何しに?」
「えっと……」
「あ、いや、言いたくなかったらいいけれど。嘘をつくのはだめだが黙秘権はある」
「自慢気に知識を披露しないでください。それ、中三の勉強です」
ちっ……ばれたか。
あれ?こいつ小学生だよな?
「じゃあ、黙秘権を行使します!」
と、胸を張って言う彼女。
残念なことにあまり胸はなかった。
「えっと、じゃあ、何で死んだのか……とか」
「それは、ええと。思い出せません」
「さっきも言ってたもんな」
「他に何か……」
僕は腕を組んで考える。
他、他に……。
「お前、死んだ場所は?」
「わかりません。でも、目が覚めた場所なら……ってたどり着けませんよぅ」
あうー、と困り顔だった。そういや方向音痴なんだっけ。
僕も別に、ここらの地理に詳しい訳ではないので、地名や住所、周りにある目印などを聞いてもわからないとは思うが……。
「目印とか、なかったか?」
「目印ですか……」
鈴河は首を傾げながら、うーんと唸る。やがて、頭を垂らして、
「覚えてないです……」
と言った。
「そうか……今日、死んだんだよな。それは間違いないよな」
「はい」
「じゃあ死体はあるわけだ、どこかに」
「たぶん」
「今は夕方か……死んだのは、午前?」
「……おそらく」
「車に轢かれたとか」
「……わかりません」
「通り魔じゃないよな」
「……わかりません」
「バストは何センチだ?」
「ええと、A……じゃないですよ!何で話を逸らすんですか!」
鈴河、どうやらAカップらしい。
とりあえず、情報整理だ。
鈴河隠、Aカップ。
「要らない情報整理いりません!!」
「あ?必要だろうが。……っていうか、お前何才なんだ?」
「え?12です。小学六年生です」
「ふうん……小六ね」
改めて。
鈴河隠、小学六年生、12歳。
今日、午前未明死亡。死因不明。
場所も不明。
現在幽霊として、僕の部屋にいる。
海神高校に行く途中に何かしらあったと思われる。
Aカップ。
ーーー確認すると、不明な点が多すぎる。
でも無理やりに訊くのは、あんまり……やりたくないな。
「あの、九十九さん?」
「ん?」
「何かするつもりでしたら、私は別に……」
おずおずと、彼女は言った。
「今日会っただけのあなたに、そこまでしていただくなんて、そんな申し訳ないこと出来ません。どうせそのうち……警察なりなんなりが、調べるんですから」
「鈴河!」
僕が叫ぶと、鈴河はびくっと、体をすくめる。
「今日あった『だけ』だなんて言うな。警察が動く。そりゃそうだ。僕なんかが何かしなくたっていつか解決する。でも」
それでも、僕が。
「僕がお前のために何かしたいんだよ」
「…………九十九さん」
鈴河は少しうつむいて、それから僕を見る。
「私を探してください」
「鈴河……」
「私の名前と、同じです。これは隠れんぼです」
鈴河は、子供とは思えずに強かに笑った。
「見つけてください。もう、いいかい?」

其ノ肆

「炫。僕は出かけてくる」
「え?」
リビングでくつろいでいた炫に声をかけ、返事は待たずに外に出た。
そこまで広くはないとは言え、歩きで、しかも暗中模索の中探すのはいくらなんでも時間がかかりすぎる。
僕は自転車に跨る。
「鈴河、乗れよ」
黙ってついてきていた鈴河は顔を上げた。
「えー、嫌ですよ。変態紳士九十九レンジャー、九十九レッドの後ろに乗るなんて」
「意味わからん戦隊ものを作るな!」
「何されるかわかりませんし」
「信用されてねえな!」
さっきまで何となく頼られてたのに!
はっ。さては……。
「これが本当のツンデレというやつか……!ちくしょう、こんな萌えポイントにも僕はすぐに気づかないなんて!」
「いや、全くもって違いますし!そんなんだから後ろに乗りたくないんですよ!」
いや、でもまさか……ツンデレにも種類があるなんてな。
「いや、でもまさか……ツンデレにも種類があるなんてな」
「語りがダダ漏れですが!?」
「おっと、いけないいけない。でもほら、鈴河、口に出すからこその語りだろ?」
「意味わかりませんよ!頭かち割りますよ!」
「幼女にやられたらそれはご褒美なんだ」
「気持ち悪ぅっ!」
と、本気で気持ち悪がられたところで。
結局鈴河は僕の自転車の荷台にちょこんと座った。
あまり重みは感じなかったので、二人乗りに不慣れな僕でもそれなりな運転ができそうだった。
「ん、じゃあ適当に走らすからさ。見たことある風景だったら言ってくれ」
「……わかりまひ……わかりました」
「噛んだ?」
「うるさい!早く出発しろ!」
命令された。
噛むくらいいいじゃん。認めろよ。
僕はゆっくりと自転車を走らせた。
手がかりがないとはいえ、やはり考えなしに走らせていても絶対に見つからないだろうから、一応、表裏結線まで行き、それから海神高校への最短ルート、もしくは遠回りルートを辿ることにしていた。
「なあ、鈴河」
「何ですか?」
「やっぱどうしてと聞きたくてさ。何で海神高校に行こうとしたんだ?」
鈴河は少し間を開けて、答えた。
「姉に会いに行ったんです」
「姉?」
「はい。両親が離婚してしまったので、名字は違いますが……もう姉の記憶は私の中にほとんど残っていません。だけど、一度会ってみたくて」
叶いませんでしたけど、とかろうじて聞こえる声で彼女は呟いた。
「名前は知っているのか?」
「ええ、まあ。名字が変わっていると思うので、旧姓しか知りませんが……鈴河疎と、いう名前で」
僕は急ブレーキをかけた。
「きゃあっ何ですかいきなりっ!」
ーーー今、何て言った?
疎と言ったか?
「今の名字は、まさか、燈梨じゃないか?」
「は?いえ、そこまでは……知りませんけど」
「……そうか」
呟いて僕は、もう一度自転車を走らせる。
疎なんて名前はそうそうある名前じゃない。確証はないけれど、たぶん、鈴河は疎の妹なんだろう。
よく考えたら、見た目も少し似ている。目は青くないけれど。
「あの!」
「何だよ」
「今の口ぶりだと、私の姉を知っているみたいですけど、知ってるんですか?」
「…………名前が同じやつなら」
「そうですか……どこにいるんでしょうね」
少しだけしょげた声で、鈴河は言った。できることなら疎に会わせてやりたい、けれども。
あいつは鈴河のこと、見えていなかったような気がする。
だとしたら、引き合わせても鈴河が虚しい思いになるだけだ。それは嫌だ。
表裏結線近くまで来た時。
「あの!」
と、もう一度鈴河が声をかけてきた。
「な、なんだか、後ろからすごい勢いで近づいてくるんですけど」
「何がだよ」
「よく見えません……でも、何でしょう……ええと」
少し狼狽えている様子の鈴河に、僕は自転車を止め、振り返る。
が、すぐに発進した。
「ちょっ!?いきなり!」
「うるせえ、捕まってろ!」
あれはやばいって。
少し見ただけで悟った。あれは駄目だ。
「あれ、何なんですか!」
「妖怪だよこの野郎!」
「妖怪ぃ!?」
今まで見てきた妖怪と違いすぎる。百鬼絵巻に出てきそうな、禍々しい妖怪達だった。
表裏結線まであと少し……。三メートルもない。
と考えて、ふと思った。
「僕だけじゃ越えられないじゃん!」
叫んだが、急には止まれない。僕は表裏結線(と言っても、何もないけれど)を飛び越えた。正確には飛び越えたのかはわからない。
ブレーキをかけたにも関わらず、勢い良く僕と鈴河は自転車から放り出された。
「いて……」
すぐに地面から立ち上がって、鈴河に近寄る。
「大丈夫か」
「うう……何とか」
怪我も幸い、していないようだった。
僕らは生い茂った草むらに身を潜ませる。すると、勢い良く妖怪が飛び出し、僕の自転車を飲み込んだ。が、僕らには気づかないようだった。
「ここはどっちだ……?っても、僕だけじゃ通れないんだから、表か……」
妖怪達が通り過ぎ、暫くして僕は呟いた。
「よくわからないんですが……」
「僕にもよくわからん」
「そうですよね。ていうか、妖怪?確かにいかにも妖しい物の怪でしたけど」
「そうだな……僕が見たことある妖怪は鴉と狐くらいのもんだが、あれはちょっとな……」
妖怪らしすぎるというか。
とにかく、こうなってしまっては、御巫に協力ないし応援を頼むしかなさそうだった。
僕は携帯電話を取り出し、御巫に電話をかける。すぐに応答された。
「御巫か」
少しだけ、声を潜めて言う。
『そうだけど。何かあった?』
「うん、まあね」
相変わらず勘の鋭い奴だと思いながら、僕は頷いた。
『今どこ?』
「表裏結線近くの草むら」
『近いじゃない。ちょっと待ってて』
それだけ言って、通話は切れた。
何も説明してないのだけれど……まあ、いいか。
「え、あれ?九十九君こっちにいたの?」
と、頭上から声がする。
「こっち?」
「な、な、何でいきなり!上に!人がっ!」
鈴河は動揺している。
毎度おなじみ、御巫の超能力だった。
「てっきり、表にいると思ってたんだけれど。どうやって裏に?」
「え?今僕ら、裏世界にいるのか?」
「ええ、そうよ。驚いたわ。でもその様子だと、今の今まで気づいてなかったみたいね」
その通りだった。
じゃあ僕は、表裏結線を抜けられたのか。
「あ、なあ御巫……僕の隣にいるやつ、見えるか?」
「え?」
怪訝そうな顔をしながらも、僕の隣を見つめる。眉間にしわを寄せながらも、彼女はこう言った。
「かなり目を凝らせば、何だかぼんやり……輪郭が見えるのだけれど」
「そうか……実は、隣にいるのは朝の幼女なんだ」
「え、でもあの子は」
と、言いかけて御巫は事情を察したようで、口を噤んだ。
「そういうことなら、ちゃんと見えるようにしたのに」
御巫は神剣水祀を取り出し、何やら呟いた。
「……うん、見える」
何をしたのかはよくわからないけれど、神剣の力を借りたのだということだけわかった。
聞いたところで僕が同じことをできるわけではないし、特に聞かなかった。
「えっと、名前は?」
御巫は鈴河に訊いた。
「鈴河隠です」
「鈴河隠……?あなた、もしかして疎の妹?」
「う、うーんと……」
「やっぱり、疎の妹なのか?」
戸惑う鈴河と御巫との会話に入る僕。すると御巫は頷いた。
「昔、疎の名字が鈴河だったからきっと」
「あの、疎……さんという方に会えないでしょうか」
おずおずと、鈴河は言った。
もう既に会っていることは、僕は言わなかった。
「会わせるのは簡単だけれど……疎は名前の通り、幽霊とか、そういう類には『疎い』のよね」
「笑えないです」
「ものすごく同意」
御巫は僕の鳩尾を的確に突いた。
僕は呻き声もあげられない。そういえば随分と前に、御巫は鳩尾の突きかたを意気揚々(?)と語っていたような。
「本当に疎いのよ。妖怪も見えない。だから神剣の所有権とかは私に来てる」
「そ、それ……巫女として駄目だろ……」
「本当よね。見える時もあるらしいのだけれど、よくわからないわ、あの子」
「私が話についていけないんですが……」
「ああ、こっちの話だから気にしなくていいわよ」
御巫は鈴河に対して少し冷たい。あくまでも僕からの電話で来ただけであって、鈴河に事情を話す気はないようだった。
ところで、と御巫。
「九十九君は、私の愛する九十九君は何をしているの?まさか幼女虐待?」
「ちげえよ!ていうか、人前で恥ずかしいこと言うな……」
後ろで鈴河が、そういう関係なんですか……とか呟いたじゃねえか。
僕は御巫に、今やろうとしていること、妖怪が大量に追ってきたことなどを話した。
話し終えると、御巫は頷き、そして、
「おもしろい」
と笑う。
「私も手伝ってあげる」
彼女はそう言った。

其ノ伍

「え……本当か?」
驚いて訊き返すと、御巫は頷いた。
「妖怪が絡むなら尚更。そんなに大量にいるなら、消さなくちゃいけないわね」
「あの……えっと、みか、なぎさん?」
「何?」
「あの妖怪を……消せるのですか?」
「ええ。疲れるけれど」
鈴河は感心したように目を輝かせて、へえ、と言った。
「まったく……最近妖怪が増えてきたと思わない?九十九君」
「……そうか?僕はよくわからないけれど」
「何だか妖怪が出没する間隔が短くなっているし……種類も消さなくちゃいけないものが多くなってる気がするわ」
実を言うと、この物語になっていない時にも、神剣を探してみたり、妖怪を退治してみたりと、意外とやっているのだ。
そういうわけで、御巫がそう言うなら、きっと多くなっているんだろうけれど。
「まあ、御巫が手伝ってくれるって言うならありがたいよ。僕だけじゃ無理があったと思うし」
「じゃあ……さっそく探しましょう。とりあえず表に出ないと」
僕は頷いた。
鈴河は僕らの後について、少し距離を取りつつ歩いていた。
表世界に出て、ーーーそういえば僕の自転車は跡形もなく、なくなっていたんだけれどーーー僕らは徒歩で、海神高校を目指した。
「どうだ、鈴河。何か見たことある景色あるか?」
後ろにいる鈴河に僕は問いかけた。
きょろきょろと周りを見回していた鈴河は、やがて首を傾げて、
「わかりません。ここら辺は見たことがないような……気がします」
「そうか……」
と、いうことは、鈴河はかなり遠回りをして海神高校に行ったんじゃないかと思った。
とりあえずは、この一番近いルートを通って海神高校に行って、それからまた戻って……。
「九十九君」
ふいに、御巫が止まる。
「え?」
「下がって」
御巫の声は少し硬い。
どうした、と僕が訊く前に、何があったか理解した。
妖怪がいる。
目の前に、しかも二、三体じゃない。
「鈴河」
僕は鈴河を連れて、近くの電柱の影に隠れた。隠れた、と言っても全部は隠れられないけれど。
いつのまにか御巫は神剣を取り出している。
あの神剣はおそらく緑狩だろう。緑色の光を放っている。
対して妖怪は、神剣の出す空気に怯むことなく、速度も落とさず接近してくる。角の生えたものから翼の生えたものまで、様々な姿をしている。
御巫は神剣を振り上げ、素早く振り下ろした。
すると神剣から緑色に光る真空波のような、大気を揺るがすようなものが出、そしてそれは妖怪達を切り裂いた。
妖怪達は口ぐちに悲鳴のような声をあげ、消え去った。
御巫は神剣をしまい、僕らの方に向かって言う。
「もういいわよ」
僕らは電柱から出て、安堵のため息を漏らした。
「すごいな、お前」
改めて思った。あれだけの妖怪達を一瞬、しかも一撃で祓うなど、並大抵の巫女には出来ないことだろう。
「当たり前」
と、彼女はいつものように言う。
「御巫さん……!すごいです!尊敬ですっ!どーなってるんですかっ」
「どうって……別に」
素っ気なく御巫は答える。
「とにかく、早く行くわよ。夜になったら見えにくいし」
空を見上げると、もう日は落ちかけている。夏だからそこまで暗くはないが、じきに暗くなるだろう。
僕ら三人は、この後何事もなく海神高校には辿り着いたが、鈴河が見覚えがある、という道は見当たらなかった。
「ていうことは、ここから遠回りの道を通って帰ればいいかな……」
遠回りする道を含めても、海神高校への道はそれほどないが、迷いながら行ったと言うなら……警察の方が先に見つけてしまうかもしれない。
何故か僕は、それは嫌だった。
「あの……ここまでしてもらっておいて、申し訳ないのですが。もういいですよ。たぶん、見つからないと思いますし……何やら妖怪という不可解なものも彷徨っているようですから」
「嫌だ」
僕は即答した。
「ですが、九十九さんや……御巫さんに、そんなに迷惑をかけるわけにはいきません……!」
「僕は迷惑だと思ってない」
「でも、御巫さんは」
「迷惑だと思っているなら、御巫は帰ってもいい。ここまでついてきてくれてありがとう」
あのですね、と怒りかけた鈴河を、御巫が制した。
「九十九君」
彼女はため息をつく。
「あなたは馬鹿なの?」
「な、何だよいきなり……」
「それとも死にたいのかしら」
冷たい、凍るような目で僕を見る御巫。この目は、出会ってすぐ以来な気がして、少し身が竦む。
「死にたいなら私が殺してあげる」
「意味わかんねえよ……!」
「隠ちゃんも言ってるじゃない。妖怪が出るって、彷徨ってる……っていうのは違うけれど」
そんなことは分かっている。
でも、彷徨っているは……違う?
じゃあどういうことなのか。
「簡単でしょう。あなたか隠ちゃんを狙ってるのよ」
「え?」
これには僕も鈴河も、驚いていた。御巫は妖怪のように、妖しく笑う。
「それ以外に考えられない。表裏結線の前でも現れたのなら、尚更」
「そんな……」
「あなたには手に負えないわ、九十九君。あなた達凡人にも、神剣で斬る投げるくらいのことはできる。だけど、さっき私がやったように、一瞬で奴らを消すことができる?無理よね……あなた達は巫女でも何でもないんだから。私のようにやらなかったらあなた達はーーー喰われるわよ」
何しろ数が多いんだから、と彼女は言った。
「確かにそうかもしれないけれど。でも、僕は鈴河を見つけたい」
見つけてあげたい。
こんな幼いままに死んでしまった、彼女の体を。
「無理かもしれない。僕より先に見つける人がいるかもしれない。それは分かってる。承知の上だ。だけど、だからって見つかるまで、僕は放っておきたくない」
僕は、冷たい御巫の目を正面から睨んだ。
僕の気持ちが伝わるように。
「ーーー帰るなら、神剣を貸してくれないか、御巫」
「嫌」
「御巫、頼むから」
「嫌よ」
後ろで戸惑っている鈴河の気配がする。
「御巫!」
「落ち着いて九十九君」
「僕は十分落ち着いてーーー」
ピタリ、と、彼女の脚が僕の胴に当たっている。
蹴るつもりだったんだろう、たぶん。
「落ち着いて。蹴るわよ」
言われて、僕は深呼吸をした。
脅しじゃないことは知っているし、御巫の脚力は計り知れなかったからだ。
「私が嫌だと言った訳は二つ」
脚を下ろして、御巫は言った。
「ひとつ。神剣を他の人に持っていて欲しくない。例え九十九君であってもね」
「…………そう、だろうな」
「もうひとつーーー私は別に、手伝わないと言っていない」
「御巫……」
御巫はちょっとだけ、微笑んだ。
「別に、九十九君が心配なんじゃないんだからね」
「ツンデレめ」
「御巫さんはツンデレでしたか」
僕も鈴河も、少し微笑った。
そして鈴河は頭を下げる。
「すいません。よろしくお願いします」
「任せとけ」
僕らはまた、歩き出した。

其ノ淕

気がつけば夜も更け、空を見れば雨が降りそうだった。
僕らは歩き回って、大分疲れてきていた。
「ここら辺は見覚えあるか?」
「うーんと……あ、あの電柱の広告見たことあるような」
御巫の能力によって照らされた道の先に、電柱がある。それを鈴河が指差した。
「広告?」
「ええ。少し衝撃的でしたので。『黒闇陽殺戮衆。呪い、まじない、殺人、お受けいたします』」
「怖えよ、何だよその組織……住所とか書いてんじゃねえよ……」
「あら、私も九十九君退治を頼もうかしら」
「やめろ御巫。たぶん狂った奴がまじで僕を殺しに来るから」
『頃して殺して差し上げるでし!きゃは!』みたいな感じで。
幼女だと嬉しい。
いやいや、殺されたくないし。
「って、見かけたってことはここの道通ったってことじゃん!」
「今更気づいたんですか?ていうか気付いてなかったんですか?まったく、呆れますよ九十九さん」
だってお前ここ何時間か、知らないしか言ってないじゃん。期待してなかったんだよ、正直。
「じゃあこの辺りからどこ通ったか覚えてるか?」
「んー……と」
と、周りを見回す鈴河。
御巫がため息をついた。
「隠ちゃん、ちょっとごめんなさいね」
「え?」
疑問そうに振り向いた鈴河の額に、御巫は触れた。
「え?え?何ですか?」
三秒くらい経って、御巫は離れた。
「真っ直ぐ進んだ。合ってる?」
「それは、わかりませんが……たぶん真っ直ぐ行ったと」
そう、と御巫は頷く。
「今の、何だ?」
僕は訊く。すると御巫はまたため息をついた。
「まあいつもの超能力だと考えてくれていいわよ。ちょっと記憶覗いただけ」
記憶覗いたって……。そんなことができるのか。
「それができるなら初めからやってほしかったけどな……」
言うと、御巫は少し機嫌が悪いようで、僕を蹴った。
「疲れるのよ。ただでさえ妖怪もいるっていうのに」
「蹴らなくてもよかっただろ!?」
そんなに強く蹴られてないのに結構痛いんだけど!
言っておくけれど、僕はマゾじゃない。
……本当だよ?
「ていうか、疲れてるなら尚更蹴ることないだろ……」
「いえ、九十九君を蹴ることで元気が出ると思って」
「出るわけないから!」
「仲良いんですねぇ……」
しみじみと鈴河に言われた。
あれ?こいつ、僕が御巫と付き合ってるって知ってるんだっけ?
まあ、いいか。
「お二人は恋仲ですか」
「何を言っているの隠ちゃん、こんな犬と付き合う趣味の悪い女がいるわけないでしょ?」
「そっちから告白したくせに!!」
「はぁ?何言ってるの、犬」
「犬じゃない!」
「ほら、わんって言ってくださいよ九十九さん」
「わ……じゃねえよ言わねえよ!」
「言いかけたわね」
「言いかけましたね」
「お前ら僕をいじめて遊ぶな!」
何なんだよ。
夜中なのに騒いじゃったじゃんか。近所迷惑九十九錦と呼ばれたらお前らのせいにするからな。
そういえば御巫と初めて話した時、恋人(0.001%)くらいになれとか言われてたような……。もしかしてあれ、今実現されてるの?
嫌だなあ。
「ほら、3回回ってわん」
「言わないっつーの!」
ため息をひとつつき、僕は空を見上げた。雲に覆われていて、月は見えない。月明かりがないため、道が心なしか暗く感じる。それでも御巫のおかげでそこそこ明るいのだけれど、やはり照らしきれていない先の方は暗かった。
「あ、ここ」
先ほどの道をしばらく真っ直ぐ進んだのちに現れたY字路の道を、鈴河は示した。
「覚えてます。確かここを左に行きました」
「左ってお前……そっちだと海神中に行くんじゃないか?」
「ええっ!?中学!?」
「うん。中高一貫ではないけれど、確か同じ人が建てた中学あるはずなんだよな。校舎同士が離れてるから、あんまり同じ名前って感じしないけれど」
私立海神中学校というのがあったはずだ。�と天津が受験して落ちていたところ。ざまあみろだぜ。
まあ何かしら事件もあったらしいし、行かなくて正解だったと思うが。
「海神中学校って確か、春くらいに……つまり、高2の私と九十九君が出会うか出会わないくらいの頃に殺人事件やら何やらあったらしいわね。新聞に載っていたような気がするわ」
「そうだったっけ。まあ関係ないけれど」
「怖いですよそんな中学校……」
鈴河が嫌そうに言った。
とりあえず、鈴河が通ったらしい道に進む。
これだけ探しても見つからないのだから、茂みとか、そこらへんにいるのではと思って細かく探していたのだが。やはり見つからなかった。
「んー、道は合ってるんだろうけどな……どっかでこけたとかないのか?」
「転ぶのは道中五回ほどでしたけど」
「転んだのかよ」
「少ない方です。いつもなら十回は転んでますから!」
「得意気に言うことじゃねえよ」
じゃあやっぱり足を滑らせて……っていうのはあり得るかもしれない。
そんな風に考えていると、御巫が唐突に神剣水祀を取り出し、構えた。
「ーーー妖怪?」
「そうみたいね」
「じゃあさっきみたいに」
隠れるか、と言おうとした時、妖怪が目の前に現れる。
「うわっ!」
「九十九君!」
さすがの御巫も対応が遅れた。が、神剣に切り裂かれ、妖怪は消えた。
「気配を消されると困るわね……」
「びっくりしたぜ……」
心臓止まるって。こっちは人間なんだぞこの野郎。
「あー、もう。一日に何回もやりたくないのに……」
言って、御巫は神剣を一文字に振る。
すると、辺りの空気が神聖になる。
まわりの妖怪が全て消えたかどうかはわからないが、目前に迫っていた妖怪達は消え去った。
「ったく、何なんだよ今日は……」
「いつにもまして多いわね。むかつくわ」
「おい、大丈夫か鈴河ーーー」
鈴河の無事を確認するために後ろを振り向く。
けれど。
「鈴河?」
僕の後ろには、誰もいなかった。

其ノ質

「ーーー拐われたかもね」
御巫が呟いた。
僕はその言葉を聞いて、冷や汗が出る。
拐われた……としたら。
「九十九君、どこ行くの?」
「鈴河を探すんだよ!決まってんだろ!」
何でそんな平然としていられるんだ。
彼女は無力な、小学生だというのに。
「ーーー九十九君。あの子を探すのを手伝うのは構わない。九十九君のことだから隠ちゃんを助けてあげたいのは分かる。私はそういう他人のためにも死ぬ気で頑張る九十九君が好きだし、大好きなのだけれど」
御巫は目を伏せて言った。
僕が彼女に言わせるべきではないことを。
「あの子はもう、死んでしまっているんだからね」
「ーーーわかってるよ!」
本当はわかってなどいなかったのだけれど。
彼女の身体を探しているうちに、霊体の彼女と接しているうちに、僕は鈴河のがもう死んでしまっていることを忘れていた。
「……探そう、御巫」
「ええ」
僕らは今いる場所の周辺を探し回った。
茂みなどの中もくまなく探したが、鈴河は見つからなかった。
「どこに連れて行かれたんだろう……」
「たぶん、この先には行ってないと思うのだけれど……。一応ここに結界を張って、ここから先に行けないようにしておくわ」
「わかった。じゃあ今来た道を戻って行けばいいかな」
「そうね。目立たないところを念入りに。妖怪は暗いところが好きらしいから」
「そうなのか……」
裏世界は色んな意味で暗いからね、と冗談っぽく御巫は言ったが、笑えなかった。
道を引き返しつつ、僕は思考する。
何故今日に限って妖怪が、しかも僕らの前に幾度も現れるのか。
御巫がいなくても妖怪は来たのだから、御巫を狙っているわけではない……と思う。
だとしたら、僕か鈴河と考えるのが妥当なのだろうけれど。
しかし僕も鈴河も、妖怪なんていう表世界に住まう僕らにとって関係ないと言ってしまっても過言ではないような存在に狙われるような覚えはあるはずがないのだ。
ーーーいや、僕は実際裏世界の事情に踏み込んでしまっているから、関係ないと割り切れないのか。
では、狙いは僕?
「……わかんねえな」
「何?」
御巫が怪訝そうにこちらを見る。
「いや、何も」
僕が狙いと仮定しても、鈴河を拐った理由がわからない。
そもそも妖怪の行動に理由なんてないのかもしれないけれど。
「この辺りにもいないわね」
「なあ、御巫」
「何よ」
「妖怪ってどんなのがいるんだ?」
「どんなって……」
首を傾げる御巫。
「そうね、九十九君になら話してもいいかしらね。これまで詳しく話していなかったし」
「そうしてくれるとありがたいな」
「妖怪っていうのは二種類いるの」
「二種類?」
そう、と彼女は頷いた。
「まずひとつは、さっき私達が出会ったような妖怪。自然に、もしくは負の感情を溜めすぎた人から発生したもの。もうひとつは、特殊でーーー人や何かに『遣われて』いるもの」
「遣われて?」
それは、どういう意味なのだろうか。
「通称『式』とか『式神』とか呼ばれるけれど……まあ、何者かに命じられた指令に従う妖怪だと思えばいいわ」
「そんなのもいるのか?御巫は持ってたりとか……」
御巫は首を横に振る。
「持っていないわ。要らないから。手順が面倒だし、邪魔だし。第一神に仕える巫女が妖怪を遣うって、気が引けるわよ」
「疎は?」
「知らない。持っていないんじゃないかしら」
その式神とやらがいるなら、そいつにも鈴河探しを手伝わせることも出来るんじゃないかと思ったが、持っていないなら仕方が無い。
「僕らを襲ったあの妖怪達は、前者なんだよな?」
「……おそらく、ね。でも妖怪って、あまり人を襲ったりはしないのだけれど」
「え?嘘だろ?だって」
「そうね。今回は明らかに九十九君か隠ちゃんを狙ってる」
妖怪についての情報を得たのはいいが、さらにわからなくなってしまった。
「もしかしたら、わかりにくいだけで式なのかも……しれないわね」
その可能性は、確かにある。
僕がまた考えこもうとした時、上から冷たい雫が落ちてきた。
「ーーー雨か」
「急いだ方がいいかもしれない」
徐々に強くなる雨に打たれながら、僕らは辺りを探し回る。
もうほとんど道を戻りかけた時。
「冷たいな、もう。どうすんだよこれ……」
こんな夜中に、前から黒髪の少年が歩いてきていた。
彼は僕に気づく。
「………………」
目があってしまった。
彼の目は、赤い。
「…………あの?」
「あ、えっと……」
怪訝そうな表情で僕を見上げる彼。
「こんな夜中に、何してるのかなって思って」
僕は適当に言った。
ていうか、僕らもこんな時間に何してんだよって話になるじゃん、これ。
「……あなたには、関係ありませんけど……」
「…………」
やばい、超気まずい。
しかし彼は特に何も言わず、僕の横を通り過ぎようとした、が。
「あの」
「え?え、何?」
不意に声をかけられて、僕は慌てた。
「あなたの探し物……いえ、探し者ですか?まあ、どちらでもいいんですけど……。この近くにはないですから。だから、その……」
僕の心臓が鳴る。
「いえ、だからそんな感じです。じゃ」
ーーー何でこいつ、僕らが人を探してるってわかってるんだ?
僕はほぼ無意識に、彼の腕を掴んだ。
「……離してくださいよ」
「お前、何者だよ」
「諸行雫(しょぎょうれい)ですけど」
「違う。何で……」
困ったように、諸行と名乗った彼は言う。
「そういう、奴なんですよぼくは。何でも知ってるし、見えるんです。仕方ないじゃないですか」
「……知ってるならあいつがどこにいるか教えてくれよ」
「………………もう死んでるのに?」
「わかってるよ」
諸行はため息をひとつついて、掴んでいた僕の腕を払った。
「神社ですよ、神社。伊楼羽(いろは)神社」
「本当か!ーーーありがとう」
いえ、別に。と素っ気なく言ってから、諸行はどこかに行った。
僕は御巫を呼ぶ。
「御巫、鈴河は伊楼羽神社にいるらしい」
「さっきの子に聞いたの?」
「……ああ」
ふうん、と御巫は言ったが、それだけだった。
「じゃあ早く行きましょう」
「そうだな。急ごう」


其ノ捌

山の上の方にあるらしい伊楼羽神社を目指し、僕らは山を登っていた。
神社ということで、道のりは舗装されていたりするのかと密かに期待していたが、そんなことはなく、ただの斜面と言っても良かった。
雨のせいもあり、ぬかるんだ土はかなり滑りやすく、倍疲れたような気がする。
「御巫、まだか?」
僕の前を歩いている御巫に僕は尋ねた。
「もう少しのはずよ。何?疲れたの?情けないわね」
「う、うるせーよ」
僕は軟弱なんだ。
そこから五分ほどまた山を登ったところで、やっと境内らしきものが見えた。
「……随分酷いわね」
その神社はーーー神社と呼べるのかは甚だ疑問だがーーーすっかり荒廃していた。
枯れ草は茂り、雨に打たれ。
枯葉が境内を埋めている。
肝心の社も木が腐り、ぼろぼろだった。
「こんなところに、鈴河がいるのか?」
本殿だろうか、ツタの葉が絡まり、もう壁すら見ることが出来なかった。
「探しましょう」
御巫に言われ、僕は頷いた。
妖怪がいると危ないから、という理由で、僕と御巫は一緒に鈴河を探した。
本当ならば、手分けして探した方が早いのだろうけれど。僕が妖怪に襲われたら、元も子もない。
「鈴河、いたら返事しろー!」
叫んでも、返事は返ってこない。
やはり、諸行雫は嘘をついたのだろうか。今思えば、結構嘘くさい。
そんな疑問を抱きながら、境内を中心に歩き回る。
意外と広く、一周するにもかなりの時間がかかった。
「ーーー九十九君っ!後ろ!」
叫んだ御巫の声に、後ろを振り返ると。
「ーーーあ」
妖怪。
紅い身体の、鬼のような。
「九十九君!」
御巫の声は遠のいた。

「……う」
気がつくと、全身泥まみれだった。
あの妖怪に押されたのか何なのか、斜面を滑り落ちたようだった。幸い、軽傷だ。
僕は立ち上がり、周りを見回す。
「思ったより落ちたな……」
境内らしき場所は見えない。
「あーーあ。お兄さん、馬鹿?」
聞き覚えのある声に、僕は首を傾げた。
いつの間にか、目の前には。
「……諸行雫」
「ぼく、別に助けるつもりなかったし、ここに来るつもりも毛頭なかったんだけどね?でもさ、見えちゃうんだもん。仕方ないよね……」
「よく、わかんねえな」
「言ったでしょ。何でも見えるんだって。お兄さん、こっち」
諸行雫は歩き出す。
とりあえず僕は、ついていった。
濡れた木の枝を掻き分け、奥へ進む。
「ーーーここだよ」
彼に指差された先には。
「……っ鈴河!」
ーーー鈴河が倒れていた。
僕は彼女に駆け寄った。そして気づく。
「鈴河?」
冷たい身体。閉じた眼。
「あー、言っとくね。お兄さん」
「……何だよ」
「隠れんぼ、でしょ?もーいーいかーい」
僕は、唇を噛み締めた。
この身体は、鈴河の。
「……もういいよ」
鈴河隠、見つけた。
雨はもう上がっていた。

「…………じゃあ、あとは頑張って。はっきり言って、ぼくチートだからさ、あんま出しゃばれないんだよね」
じゃ、と去ろうとする諸行を僕は呼び止めた。
「諸行……ありがとな」
諸行は振り向かずに、「どういたしまして」と言って、どこかへ去って行った。
「…………はあ」
ひとつため息をついて、僕は、もう息をすることのない彼女を背負った。
何でこんなところに、いたのかはわからないけれど。
とにかく、幽霊のほうの鈴河も探さないと、いけないな。
「ーーーん?」
斜面を登っていた時、ふと立ち止まる。
何かいる?
「いや、違うな……。光?」
ちらっと、光が視界を遮ったような気がしたのだけれど。気のせいなのだろうか。
進もうと思ったが、なんだか気にかかるので、鈴河を降ろし、辺りを探った。
「あんまり遠くに行くのも……な。やっぱ気のせいか?」
その後も少し探したけれど、結局気のせいだったことにして、帰ろうとする。
と、今度ははっきりと光が見えた。
振り返ると、近くの地面が光っている。
「何だ、あれ」
近くに寄って、掘り返してみる。
雨のせいで土が柔らかかったため、すぐに深くの方まで掘ることができた。
掘っていくと、指先が硬いものに当たる。
「ーーー何だろう」
呟いて、また掘っていく。
全貌が露わになった時、僕の心臓は高鳴った。
「これ……神剣か?」
泥が付着しているが、見える装飾は御巫の持っている神剣達と酷似していた。
鈍い紋章の入った黄金色の鞘。
わからないが、きっと神剣だろうと思い、僕はそれを持った。そして鈴河のところに戻る。
鈴河をおぶり、何分か経ったのち、無事に境内に出ることができた。
「あ、九十九さん!」
聞き慣れた彼女の声がする。
「大丈夫?」
御巫の声も。
御巫が、僕が妖怪に襲われた後鈴河を見つけたのだろうか。何にせよ見つかってよかった。
「よお、僕は無事だぜ」
「九十九君は後で覚えてなさい」
「え、何が!?」
「いやあ、お久しぶりな気がしますね……」
そう言った鈴河は、僕の後ろにいる『彼女』に気がついた。
「あ、九十九さん……もしかして……」
「ーーー見つけたよ」
僕は鈴河隠を降ろす。
「そうですか……」
言って、自分を、自分だった人を見下ろす鈴河。
彼女は何も言わなかったし、僕らも何も言わなかった。
しばらくして、鈴河は口を開いた。
「ありがとうございました」
その言葉に、僕は胸が潰れた。
「九十九さんがいなかったら私はーーーって何ですか!」
僕は鈴河を強く抱きしめる。
こんな廃れた神社の奥の、泥だらけの場所に彼女をおいて。
死んでもなお、妖怪に拐われて。
「……九十九さん」
「………………」
「私、きっと妖怪に襲われたんですね。それで、たぶん、死んでしまったんです。そういえば、そんなこともあったような気がします」
「…………そうか」
僕は鈴河を抱きしめたまま、呟いた。
妖怪に襲われたのなら。
僕に関わらなければ今、彼女は、鈴河隠は生きていて、姉である疎に会うことが出来たのかもしれない。
全ては僕のせいか。
彼女の体を見つけたくらいで、罪滅ぼしにもならない。
「……九十九さんのせいなんかじゃないです。こうして、見つけてもらえただけで……いいんですよ」
「ごめんな」
「九十九さんのせいじゃ、ないです」
「ごめん」
「……はい」
僕はただ、鈴河に謝った。
「ひとつだけ。九十九さんのせいじゃないですけど、ひとつだけ言わせて下さい」
鈴河は、ぽつりと言った。
「私、もっと生きていたかった……です……」
涙を零して。
彼女は言った。

其ノ玖

「九十九さん、最後にお願いしたいことがあるんですけれど」
と、鈴河は言った。
「できることなら。いや、できないことでも、やるけど。何だ?」
泣きたい気持ちを抑えて、訊いた。
「姉に……会いたいんです」
「疎に?」
「……隠ちゃん、念のために言っておくけれど、疎はあなたのこと……」
見えない、と言おうとしたのだろうが、それは鈴河に遮られた。
「いいんです、それでも。私が、姉の顔を覚えておきたいだけなんです」
「……そう。じゃあ電話したらどう?疎に。九十九君」
「もちろんそのつもりだったけれど」
言いつつ、僕は携帯を取り出そうとする。が、手が泥だらけのことに気づく。
シャツで泥を拭っていると、御巫は首を傾げた。
「そういえば、さっきから持っているそれ、何なの?」
「ーーーえ?ああ、これか」
片手に持っていた、この刀。
「鈴河を背負って、斜面を登っていた時に見つけたんだ。たぶん、神剣だと思う」
「嘘」
驚いて、刀を手に取り、御巫は土を払いながら鞘の模様などを見ていた。
「土のせいで分かりづらいけど……そうかもしれないわ。よく、見つけられたわね、九十九君」
「光が見えたんだよ。それで」
「……水祀で洗ってみる」
御巫は神剣水祀を取り出し、水祀の力なのだろう、何もないところから水が溢れて、刀の土を洗い流した。
「すごいですね……」
鈴河が呟く。
「綺麗です」
確かに水祀から現れた水は透明で綺麗だった。
「やっぱり、神剣だわ。神剣ーーー槌鋸」
「こんなところにあるなんてな……」
思いもしなかった。本当に神剣だったなんて。
「まあ、この話は後にしましょう。とりあえず疎をここに呼びましょうよ九十九君」
「ああ、わかった」
今度こそ携帯電話を取り出し、いつだったかに交換した疎の電話番号にかける。
『ーーーもしもし』
「あ、疎?」
『いかにも私は燈梨疎だが、九十九先輩、私は今忙しいから、急用でなければ後程にして欲しい限りなんだが。むしろ後程にしてほしいんだが』
「急用なんだな、これが。何してるんだ?疎は」
疎は少し迷ったようで、しかし少し間を開けて言った。
『……実は、妹を探している。遊びに来るということで、昨夜にはうちに着くはずだったんだが。もちろん表世界だ。そういえば方向音痴だというのを聞いたんだが、どうにも来なくてな。何かあったのでは、と思って探しているんだ』
「…………」
疎。
昨日、疎とすれ違った時にはもう、鈴河は。
『九十九先輩?』
「……その、妹のことだ」
『……?どういうことだ?』
「とにかく、伊楼羽神社に来てくれないか。詳しくは後で」
『…………わかった、行こう』
そう言って、疎は電話を切った。
たぶん、来るのにそんなに時間はかからないと思う。
「……九十九先輩!」
と、本当に時間をかけず、疎は伊楼羽神社に来た。瞬間移動でもしたのだろうか。
「疎」
「えっと……その、妹のことというのは?」
僕は、隠さないで言った。
「鈴河……隠だよな?妹」
「そうだが……何故知って……」
瞬間、疎の顔が動揺した。
僕の後ろを見て。
「鈴河は……もう」
「何も言うな、九十九先輩。……そうか、こんなところに、いたのか」
幽霊の鈴河は、悲しい表情を浮かべている。
自分のことが見えない悲しみだろうか。
生きて姉に会えなかった悲しみだろうか。
それは僕にはーーーわからない。
「お姉ちゃん」
鈴河は言った。
「お姉ちゃん。お姉ちゃん……」
「……隠、痛かったろうな。怪我してる」
「こっち見てよお姉ちゃん!」
鈴河の叫びは、疎には届かない。
「ーーーああ、もういらいらする」
唐突に御巫がそう呟いた。本当に怒りを含む声音で。
疎がきょとんとした顔で御巫を見上げた。
「御巫先輩?」
「いいこと教えてあげるわ。疎。師匠のあんたより私の方が優れてるのよ」
言って、御巫は神剣槌鋸の鞘を抜いた。
「み、御巫!何を」
「ーーー蘇魂(そうこん)」
途端、辺りに光が満ちて、眩しさに目を閉じる。
光が収まって、目を開くと。
「……え」
「鈴……河?」
「……隠?」
死んだはずの鈴河が、生き返った?
「あくまで一時的。十分も持たないわよ」
「御巫先輩……」
「私は感動の再会とか、本当は興味ないけどね。まあ、たまには……ね」
「……ありがとう」
疎は礼を言って、それから鈴河に向き合った。鈴河はまだ戸惑っているようで、困ったような顔をしている。
「隠、私は姉の疎だが、覚えては……いないよな。会ったのは、大分昔だし」
「あ、はい……すみません……その」
「謝ることじゃない。ーーー私が会いに行けば良かったものを……悪かったな」
疎は少し俯いたけれど、すぐに顔を上げた。
「遅くなったけれど、会えてよかった、隠」
言って、疎は笑った。いつもよりずっと、優しい笑顔で。
鈴河は涙を目に溜めながら、疎に抱きついた。
「お姉ちゃん」
「うん」
「お姉ちゃんーーー私」
鈴河は涙を零して言った。
「ちゃんと、生きて、お姉ちゃんに会いたかった」
「……うん」
「お姉ちゃんと、たくさんお話ししたかった」
「私もだよ」
「う……うぅ」
鈴河は嗚咽を漏らしながら、泣いた。疎はその間、鈴河の頭を撫でていた。
「ーーーごめんな、隠」
疎はそれだけ、呟いた。

少し経ってから、鈴河は泣き止んだようで、顔を上げた。
「お姉ちゃん、ありがとう……」
「私は、何も」
疎は首を振った。
鈴河は、僕に向き直った。
「九十九さん、お姉ちゃんに会わせてくれて、ありがとうございました」
「いや、僕は……」
本当に、何もしていないのに。
礼を言われるようなことは何も。むしろ、怒られても、責められてもおかしくないようなことしかしていない。
「九十九さんは、優しいので自分のせいだと考えているかもしれないですが、そんなことはありません。声をかけたのは……私なんですから」
「……そう、だったかもしれないけれど」
「気にしないでくれた方が、私は嬉しいです。成仏できます」
「そこまで言われると、気にする方が難しいな……」
ですよね、と鈴河は笑った。
「御巫さん」
鈴河は次に、御巫の方を向いた。
「私を、お姉ちゃんに会わせてくれて、ありがとうございました」
「どういたしまして」
御巫は僕のように弱気にはならずに、堂々と言った。
「御巫さん」
「……何?」
「九十九さんとお幸せに」
「は!?」
「え!?」
僕と御巫は叫んだ。
「いやあ、あんなに仲良さげにしていたらそりゃわかりますよ」
「な、なんと……」
僕は狼狽える。
そんな仲良くしてたかな……。
「……まあ、ありがとうと言っておくわ」
御巫は少し照れているのか、顔を赤らめながら言った。
「そろそろ、効果が……切れるわね」
「そうみたいですね」
鈴河は言って、僕ら三人を見た。
「……お姉ちゃんや、九十九さんや、御巫さんに、会えてよかったです」
鈴河の体から、白い、綺麗な光が現れる。
たぶん、時間切れの意味なんだろう。
鈴河は最後に、最期に笑って、言った。
「さようなら」

其ノ始

僕らは今、鈴河の墓参りに来ている。僕らは、と言うと、御巫と僕だ。
あの別れの後のことは、僕は詳しく語らないことにする。僕の精神的にもきついし。
それから、言っておくと御巫との初デートは延期になった。まあ、あまり要らない情報だが。
「空の上で、見てるのかな」
僕が呟くと、御巫は少し笑った。
「そうかもね。案外、すぐ成仏していると思うけれど」
「だと嬉しいな」
本当のところ言うと、あの時言われた『気にしないで』という言葉通りに、気にしないで生きて行くことは難しいから。
「あった、ここか」
疎に、鈴河の墓の場所を予め聞いておいたので迷うことはなかった。
迷うと言えば、鈴河は海神に行くのに迷子になったんだっけ。
あいつと過ごしたのは、ほんの一日くらいだけれど、たくさんのことがあったような気がする。
もう、一ヶ月程前の話。
彼女の眠る場所には、花がたくさん添えてあった。
彼女が好きだったらしい、ネリネの花。
僕らも買ってきた花を供え、流石に子供だけなので火を使うことはあまり気が進まず、線香はやめておいた。
僕らは手を合わす。
彼女と過ごした時を思い出しながら。
「ねえ、九十九君」
「ん?」
少しして、御巫は言った。
「ネリネの花言葉、知ってる?」
「いや、それは知らない」
僕は花や花言葉と言った女子っぽいものには……いや、普通の勉強もだけれど、疎い。
「忍耐」
「……ふーん、まあ、確かに忍耐力はあったのか?あいつ」
「さあね。あともうひとつ」
「ーーーまた会う日を楽しみに」
僕はそれを聞いて、笑った。
「そりゃあ、僕も楽しみだ」
生まれ変わって、会えますように。

そんな日から、約二ヶ月が過ぎた。
「ねえ、九十九君……あと神剣、最後の一つなんだけれど、全然見当たらないし、情報も来ないのよね」
寒くなってきた学校の帰り道、御巫は言った。今日は朱雀は一緒に帰れない、とかなり残念そうに言っていたので、御巫と二人だった。
「そういやそうだな……今までは大体テンポ良く、というか結構なスピードで集まってたような気がするよな」
「気がするじゃなくて、そうだったのよ。最後の一つだけこんなに時間がかかるなんて……面倒な」
面倒とか言っていいのかは果たしてわからないが。
それでも僕が情報を集めたり、ということは出来ないので何とも言えない。
情報源がないので、集めようもないのだけれど。
「……まあ、また何かあったら連絡するわ」
「おう。あ、御巫」
バス停で立ち止まる御巫に、僕は話しかけた。
「デートしてないな」
「そうね。残念なことに」
「いつ行くか」
「今でしょ」
「違う!」
流行りに乗るな……。
「でも、もう少し落ち着いてからの方がありがたいわ」
「それも、そうだな」
「神剣を集め終わったらか……もしくは、冬休みか」
「それがいいかな」
御巫も頷いた。
「実を言うと、妖怪の発生の多さも調べなくちゃいけないから、色々大変なのよね」
「そんなことも調べてたのか」
それは初耳だった。何だか、僕は協力を頼まれたとはいえ、ほとんど何もしていないように思えて申し訳ない。
「ま、それも何かわかったら報告するから、九十九君は安心していいわよ」
「僕も何か出来ることがあったら、言ってくれよ?」
「ええ、もちろん」
と、御巫は笑った。
僕らはそれで別れて、僕は家に向かって歩いた。
その途中。
ポケットに入っていた携帯電話が震えた。
「ん?」
表示を見ると、疎だった。
なんだろうと疑問に思いながら、応答ボタンを押す。
「もしもし」
『あ、九十九先輩か?燈梨疎だ。霊感はない』
「要らない情報ありがとう」
ていうか、霊感ないのに巫女って出来るんだな。
「で、何だ?いきなり」
『いや、実は……』
深刻な声音からすると、何やら大事なことのようだ。
「……何だよ」
少し間を開けて、疎は決心したように言った。
『今から言うことは、御巫先輩にも言うな』
「ーーー御巫にも?」
『そうだ。いいですね?』
「お前が言うなら……そうするしかないよな」
そうか、と疎は言った。
彼女は言った。何の前触れもなく、唐突に。単刀直入に。
『ーーー九十九先輩の父親の情報を手に入れた』
「え?」
これがこの御伽噺の最後の欠片なのだと、僕は知る由もなかった。
そうしてこの物語は終わり、
そして、始まる。


御伽集 槌 終幕


※一部、友人のキャラクターを使わせていただきました。了承を得て使わせていただいています。ありがとうございました。

御伽


これはひとつの、御伽噺。

第終話 御伽集 御伽

其ノ弌

あの電話を受けてから僕は一旦家に帰った。
それにしても、僕の父親の情報が入ったって、どういうことなのだろう。
僕の父親は生きている、ということは知っている。行方不明だということも。
だとすると、行方が分かったということなのか?
考えていても、僕には全くわからなかった。
この後、疎が来てくれることになっている。その時に事情を説明してもらえばいいだけだ。
「にしても、落ち着かねえ……」
何なんだか。
最後の神剣も見つからないし、妖怪の出処も不明だし、挙げ句の果てに、父親のこと。
「天と�には言えねえな……」
元々巻き込むつもりはないけれど。でも、父親のことも言うことはできないだろう。
「まだかな……」
言った時、携帯電話が鳴った。
「もしもし?」
疎だろうと思って、すぐに電話に出た。
『九十九先輩!今すぐ彩砂先輩の家に来い!』
「え?」
『彩砂先輩が倒れた!だから、早く』
疎が言い終わる前に、僕は電話を切って家から飛び出した。
新しい自転車にまたがり、ペダルを漕ぐ。
「何だよ……」
倒れたって何だよ。
何なんだ今日は。
嫌な予感しかしない。冷や汗が背中を伝う。
数十分で御巫の家に着いた。
鍵はかかっているだろうと思ったのでインターホンを鳴らす。するとすぐ疎が出てきた。
「九十九先輩、こっちだ」
「ああ」
促されて、疎と共に御巫の部屋に入った。
中には、ベッドで眠っている御巫がいた。疎は少し落ち着いて、僕に言う。
「さっきは慌てて言ってしまったが、たぶん疲れのせいだと思う。そこまで大事ではない……だろう」
「……そうか。なら、いいんだけれど」
御巫が倒れるなんて、思いもしなかった。
僕は安堵のため息を漏らす。
「……あれ?」
疎がふと、疑問そうな声を上げる。
「九十九先輩、どうやって来た?」
「あ?」
「ここに来るのに」
僕はその質問に、内心首を傾げながら答える。
「自転車だけれど」
「いや、そういう意味ではない。……一人、だよな?」
「そりゃ、まあ……」
誰かを呼ぶ暇と余裕が全くと言っていいほどなかったから、当たり前だ。
「表裏結線を超えたのか?」
「…………」
僕は沈黙する。
そういえば、表裏結線は僕一人では越えられるはずがない……のだ。なら、どうして僕は御巫の家に来れたのだろう。
「でもこの前……鈴河の時も、越えられたような」
「最近の九十九先輩は記憶力がいいのか?」
馬鹿にされてる!
僕は無駄なことは覚えていられるんだ!つまり勉強は覚えられない!
「自信満々に言うことでもない」
「口に出してない!」
「そんなことはどうでもいいのだ。ついでだ。先ほど電話で言ったことを話そう。実は、私は彩砂先輩には違う話をしに来たんだが……」
「違う話?」
「そう。これは九十九先輩には関係のない……いや、関係あるのか。神剣の行方の話や、歴史的な話だ」
「歴史的……絶対覚えられねえぞ」
「では関係がないな」
「いや、聞かせてくれてもいいけどな?」
疎が悪そうに笑う。久しぶりに見る笑顔だった。
「金を払えば話してやらんこともないですよ?」
「じゃあいい」
「ノリが悪いなあ、九十九先輩は」
覚えられない話を金で買うとか、無理だ。
もったいない。
「じゃあ仕方ない。それは後で話してやろう。とりあえずはあなたの父親のことだ」
「……おう」
少し覚悟ができていなかったのだが、ここまで来たら仕方が無い。覚悟を決めよう。
「あなたの父親はーーー裏世界にいる」
「……は?」
何だって?
裏世界にいる?
「あくまでも、予想、だが」
「じゃあ、違う可能性もあるんだな?」
「だが、その可能性が一番高いんだ」
「何を根拠に……」
疎は近くにあった鞄から、一冊のノートを取り出した。
「ええと?」
「さすがに覚えてないか。九十九先輩の父親の日記。借りたんだよ、いつだかに」
そうだったっけ?……覚えてないな。
「この中には、表世界ではあり得ない、存在しないものの物質名、場所が書かれていた。しかも、後の方のページにはこう書いてあった」
疎は至って真面目な顔つきで言った。
「『私は彼女達を置いて、裏側に行く』と」
「嘘……だろ」
「見てみるがいい」
手渡されたノートをぱらぱらとめくると、一箇所だけ、この古ぼけたノートに真新しい付箋が貼ってある。
そのページを読むと、比較的綺麗な字でこう書いてあった。
『十二月二十日。私の妻と、三人の子供の安否に気が引けて、これまで裏側に行かないようにしていた。だが、錦はもうすぐ六歳になる。天津と炫は四歳だ。私の血が濃いあの子達なら、もう大丈夫だろう。妻には迷惑をかけるが、それも仕方の無いことだと自分に言い聞かせる。私は彼女達を置いて、裏側に行く。時期を見て、結線を超えよう。』
僕の名前、天津と炫の名前がそれぞれ入っているということは、やはり父親のノート、日記なのだ。
僕は当然、六歳前後の記憶をはっきりと覚えているわけがない。てっきり、もっと前にいなくなっていたと思っていた。
「結線、というのは、表裏結線だろうと思う」
と、疎は言った。
「そうだろうな……。じゃあ、やっぱり裏世界にいるのか?」
言いつつ僕はページをめくる。
「その可能性が高いだろう。日記は、十二月の最後あたりで終わっているはずだ」
最後に書いてあった日記は、疎の言うとおりだった。十二月三十日。
「今日……結線を超える」
僕は印象的なその一文を読み上げた。
『十二月三十日。今日、結線を超える。私の愛する家族が、幸せに健康に過ごせるように、いつまでも願おう。』
次の一文に僕は、驚きの声を漏らした。
「どうした?」
疎もそこまで詳しくは読んでいなかったのだろう、僕が驚いたところがわからなかったようだ。
僕は読み上げた。
「『例えいつか、自分の子供と敵対することになろうとも。』……って、最後に」
「それって……」
僕にはわけがわからなかった。
何故父親は裏世界に行ったのか。しかも、行く寸前に書いた日記には、子供と敵対することになるなどと嫌な予想までしている。
「……悪い、九十九先輩」
「え?」
「今から最低で最悪の、私の予想を言う。覚悟しろ」
「…………」
返事はしなかった。
最低で最悪の予想だなんて、言われたら。息を飲んで待つしかない。
「あなたの父親はーーー妖怪じゃないのか?」
僕は、その言葉に笑ってしまう。
本当に。
最悪じゃねえか。


其ノ弍

「……あくまでも予想だし、私個人の意見だ。あまり、気にすることではないのだが……」
「……そう、なのかな」
果たして。
疎の言うことが真実なのかどうのかはわからないが、何故だか合っている気がしてならない。
「九十九先輩の父親が妖怪だとすると、九十九先輩が一人で表裏結線を超えることも可能のような気がするんだ」
「僕も……そう思うよ」
「すると九十九先輩は、彩砂先輩のように半妖ということになるな」
そういうことだな、と僕は言った。
「天津ちゃんも炫ちゃんも、神剣を上手く使えることも頷ける」
「……上手く?」
疎は頷く。
「彩砂先輩に聞いたのだが、九十九先輩の妹君が神剣光冥と闇冥を取ったのだろう?取る時に、まず光冥を見つけ、闇を払ったと聞いた」
「そんなことしてたのか、あいつら」
それは初耳だった。御巫には話していたのだろうか。
「斬るくらいなら意外に誰にでも出来る。だが、闇を払うなど巫女の域に達するだろう」
「じゃあ、やっぱり疎の言ったその可能性が高い……な」
信じたくはないけれど。
「ただ、信じられないのはどこにも体に妖怪らしい目印がないことだ……」
「目印っていうと御巫みたいな青の髪とかそういう?」
「そうだ。だが九十九先輩は普通の人間らしい見た目だ」
「なあ、僕の父が限りなく人間に近い見た目、もしくは人間と同じ見た目っていうのはあり得ないのか?」
疎は考えるように腕を組み、やがて口を開いた。
「あり得ないとは、言い切れない。だがそんな例証があるかと言ったら心当たりがない」
「そうか……」
「いや、もしかしたら見つかっていないだけかもしれない。人間と同じ見た目なら、ばれにくい」
疎は御巫を見やる。
御巫は相変わらず眠っていた。
「彩砂先輩がいつ目覚めるかわからないしな……本来なら、九十九先輩のことだし、あまり彩砂先輩に協力を求めるべきではないのだが……」
「そういえば、どうしてそんなことを言ったんだ?」
裏世界のことだとしたら、御巫に訊いた方が早いだろうと思う。
「おいおい、九十九先輩。彩砂先輩は神剣探しに妖怪の発生源を調べに歩き回ったりしているんだぞ?そこにあなたの父親捜しをさせる気か?」
「……そういうことか」
僕もなかなか、気遣いが足りないようだった。御巫の恋人だというのに、情けない。
「しかし、今日はもうお開きか?一応九十九先輩への用は済んだからな……」
「だけど、御巫は?」
「それについては心配いらない。私が見ている」
「だったら僕も」
「九十九先輩は帰った方がいい」
疎は残ろうとする僕を制止した。
「でも……」
それでも僕は残りたかったのだが、疎は断固として首を縦に振らなかった。
「ご家族が心配するだろう、あなたの家は」
「……それは、そうだけれど」
「だから帰った方がいい」
「…………わかった。でも何かあったら、連絡しろよ。夜中でも来てやる」
「ありがとう、九十九先輩」
疎は笑顔で返し、僕は渋々御巫の家を出た。
それにしても、まさか僕の父親の妖怪疑惑がかかるなんて。
「でもなあ……」
父親は、表裏結線を越えることができたみたいだし、その挙句僕も一人で越えられるのだから、間違っていないような気がする。
自転車を走らせ、表裏結線を問題なく越える。
「……普通に越えられるんだよな」
今までは御巫と一緒じゃないと越えられないと思っていたが。
僕は一度、今通ってきた見えない表裏結線を一瞥し、家に向かった。
「……あ、朱雀」
途中で、朱雀が歩いているのを見つけた。
「あ、九十九くん。やっほー」
笑顔でひらひらと手を振る朱雀の横に、自転車で止まった。
「どこ行ってたの?御巫さんのお家?」
「……まあな。朱雀は家に帰ってる途中か?」
「んーん。これから塾」
「塾か……大変だな。頑張れよ」
あはは、と朱雀はいつも通り笑う。
「そんなに大変じゃないけどね。まあ九十九君が言うなら頑張ろっかな。……はあ」
「何?」
「いや、まだまだ割り込みできる隙がないなーって思ってさ」
朱雀は残念そうに肩をすくめた。
……あー、そういう意味か……。
「まあ諦めないけどね?覚悟しとけよー、九十九君」
あの朱雀蘿の騒動から、朱雀は大分人間らしくなった。いや、元から人間なんだけれど。
そんな彼女が、僕が半人半妖だということを知ってもなお、僕のことを好きでい続けてくれるだろうか。
「九十九君?何かあった?」
相変わらず、勘も鋭いし。
「なあ、朱雀……」
「ん?」
「僕がさ……半分妖怪だったとしたら、どうする?」
「…………」
朱雀は僕の言葉を聞いて、うーんと考えた。
しばらくすると、朱雀は口を開いた。
「どうもしないよ」
「どうも……?」
「うん。きっとそうだったとしても、私は九十九君が好きだよ。ていうか、そうだったら、九十九君のお父さんかお母さんが妖怪ってことでしょ?」
「……そうだな」
「だったら結婚できるじゃない」
その言葉に、僕は不覚にも笑ってしまった。
「そうだな」
「結婚する?」
「いや、しないけど」
ダメかー、と朱雀は笑った。どさくさに紛れてプロポーズしやがったぜ。
「突然、そういう真実でも伝えられたの?」
勘の鋭い彼女はそう訊いてきた。
僕は一瞬、言うべきか戸惑ったが、ここまで言っておいて答えないのもなんなので答えることにした。
「まだ、確定はしてないけれど。そうかもしれないって……だけで」
「そっか……でも、九十九君は九十九君だよ」
「え?」
「今言ったことが本当だったとしても、これまで生きてきた九十九錦っていうことは変わらないよ」
「……それもそうだ」
なんだか、どうでもよくなってきたな。
妖怪とか人間とか、どうでもいいか。
僕は僕だ。
「朱雀、ありがとな」
「どういたしまして。お礼にキスしてくれてもいいよ?」
「それは遠慮しとく」
蘿と人格が混ざってから、積極的すぎないか、朱雀?
まあ……本来はこの性格なんだろう。
そう思っておこう。
「じゃあね、九十九君」
「おう。またな」
言って、僕はペダルを漕いだ。

其ノ参

家に帰ると、僕は真っ先に父親の部屋に向かった。
扉を開けると、本だらけの、人がいない空虚な空間に出る。
「……暗いな」
冬ということもあって日が落ちるのが早く、部屋の中はもう暗い。僕は電気をつけて、本棚を漁った。
僕は疎に貸していた日記(ついさっきまで忘れていたのだけれど)を見て、まだあるんじゃないかと思った。だから、普段近づかないこの部屋に入ったのだ。
もしまだあるとしたら、中には僕のことや、妹達のことも書いてあるかもしれない。
そう期待を込めながら。
「……ったく、疎はどの棚から取ったんだ?」
この部屋にある本棚はザッと数えただけでも六個以上ある。本棚自体も段が付いているし、その段の中に本はぎっしりと詰まっているのだから、これは予想以上の時間がかかりそうだ。
僕は嘆息しつつ、とりあえず本の背表紙を見ながら探していくことにした。
「ーーーん?」
しばらくして、僕は一冊、背表紙じゃない方向に入れてある本を見つけた。
僕は不審に思って、それを取り出す。
「……ダイアリー」
そう書かれた表紙を見て、ため息をつく。
「これか」
呟き、ページをめくる。
「……錦?」
と、突然母の声がして、僕は咄嗟に後ろに日記を隠した。
「な、何?」
「やっぱり錦か。明かりが漏れていたから、誰かと思って」
……ばれてはいないみたいだ。内心安堵しつつ、僕は謝る。
「ごめん、ちょっと用があってさ」
「調べ物?」
そんな感じ、とはぐらかす。
「…………錦」
それまで苦笑していた母の顔が固く変わる。
「何か、気づいたの?」
慎重に言葉を選ぶように発されたその声は、僕の心臓を高鳴らせるのに十分だった。
母は僕に近づいてくる。
「何かって、なんだよ」
自分の声が震えていないか不安だったが、そうでなくても、彼女はこちらに近づいていただろう。
「……見せなさい」
僕の後ろに隠していた日記を、母は取り上げた。
ばれていたようだ。僕は息を飲む。
「これ、桐羽(きりは)の……日記?」
「桐羽……?」
「お父さんの名前だよ」
僕の父親の名前……。
母は、咲埜さんは知っているのだろうか。僕の知りたいこと……重要なこと。
「咲埜……さん。訊いてもいいかな」
母は少し困ったような笑みを見せたが、やがて頷いた。
「父さん……桐羽さんは、人間だった?」
「ーーーいいえ」
僕は、言葉を失う。
しかし彼女は続けた。
「人間ではなかった。けれど、限りなく人間に近かった」
「……それはどういう意味?」
「見た目が人間だった……」
鼓動が早くなる。意識しなくても音が聞こえるくらいに、緊張していた。
「そうよね。もう、錦には言ってもいい時期か……。そのうち話すつもりだったよ、そのうちね」
母は言って、父親のだったはずのベッドに腰掛けた。
「錦も座れば?」と、手招きをされ、床に座っていた僕も彼女の隣に腰掛ける。
「どこの誰から聞いたのかは知らないけれど、桐羽は人間じゃない……俗に言う、妖怪みたいなものだった」
「妖怪……」
「信じられるかはわからないけれど」
僕は何も言わなかったが、既に妖怪に何度か関わっているので、信じられないわけはなかった。
「でもね、悪い妖怪じゃなかったよ。優しかった……とても」
「……咲埜さん、僕は本当にあなたと、桐羽さんの子供なのか?」
「そうよ。それは断言できる。天津も炫も、そう」
少しだけ僕は安心する。
実は母の子供ではないのではないかと思ったりもしたけれど、そんなことはないようだった。
「行方不明って言ったけど……本当は場所知ってるの。彼がいる場所」
「えっ?」
予想外のことに、僕は驚きを隠せない。
「これも信じられないと思う。裏世界というところがあってね。そこにいる」
「……今も?」
僕の問いに母は静かに頷いた。
「そうか……」
「錦は……」
母は言う。
「錦は、何を知ってるの?」
それは、僕が答えにくい質問だった。
どこからどこまで言っていいのだろうか、そもそも、言ってもいいのだろうか。
僕が迷っていると、彼女が少しため息をついた。
「表裏結線、知ってる?」
「……うん」
「裏世界があるというのは?」
「……知ってる」
そっか、と頷いた。
「驚かないわけだ」
「別に隠してたわけじゃ、ない」
「うん。えーと、はい」
母は僕に日記を差し出した。
「読んでもいいのか?」
頷く彼女を見て、僕は日記を受け取った。
「……ありがとう」
「ひとつだけ約束して」
きつい口調で、彼女は言った。
「命だけは大切に」
「……わかった」
答えると、母は微笑んで、部屋から出て行った。
僕は日記を開く。
内容的には、疎が持っていたものより前の日付のようだった。
ぱらぱらとめくり、一ページだけ目立つところがあった。
「なんだ、このページ」
字が赤で書いてある。
ペンが赤しかなかったのか、それとも違う理由なのか。
僕は内容を読む。
『十月九日。十二月には家を出よう。家族というものが暖かすぎて、つい長く居てしまったが、もう限界だ。私は元々、善良な妖怪ではない……禍々しい、不吉な鴉なのだから。ここに居てはいけない。』
「鴉……」
大分前に、炫は妖怪化しなかっただろうか。その時に、鴉のようではなかっただろうか。確かではないけれど、そうだった気がする。
僕はまたページをめくった。
『十月十二日。御巫鳴波(みかなぎ なるは)がしつこくも表まで追ってきた。神剣というものは厄介すぎる。どうにかして奪えないだろうか。』
僕はそれを読んで、息を飲む。
御巫鳴波というのは、御巫の親族だろう……おそらくは巫女だ。
僕は緊張で疲れてきていたが、それでも読み進めることしか、できなかった。
『十一月一日。神剣について分かったことがある。それは神剣が主と認めたものの力を増幅するということだ。ということは、私が主と認められれば、絶対に私は妖怪の中で頂点に立つことが可能だろう。ここまで生きてきて、今更そんな夢ができるとは思わなかった。神剣を奪えるのはきっと、巫女の代が変わる時だろう……鳴波も若くはない、辛抱強く待てば機は訪れる。』
「……っ!」
僕は日記を床に落とした。
ーーーまさか。
「まさか、神剣を表世界に流したのは、父親なのか……?」
……信じたくない。
信じたくないが、日記からすると、そんな気がしてしまう。
でも今は父親は裏世界にいるはずだ。表世界に流す意味はないだろう。
それに父親の手の中に神剣があったとしたら、今まで見つかったのはおかしい。
僕は真実を確かめるために、日記を拾い上げ、次のページを開いた。
「……あれ?」
ページが破れている。それも一ページどころではない。
残されたページには、こう書いてある。
『錦へ。』
「……僕?」
僕の名前が、書いてある。続きを読んだ。
『お前はいつか、御巫鳴波の娘にでも会って、関わることになるだろう。そして私の情報や何やら知ることになるだろう。その時にこの日記を見つけ、読むんじゃないか?今これを見ていたら、当たりだな。錦、お前は特別だ。特異的存在だ。決して普通の人間だなんて思うんじゃない。
もしも何か手がかりをと思ってこの日記を探し当てたなら、残念だったな。お前のことも、他のことも、最重要なことは教える気はない。精々裏世界にでも来て、頑張って探すんだな。』
僕は呆然とする。
予想されていた?このことを?
僕が御巫と出会ったこと……否、御巫が僕に助けを求めたこと、僕が父親の行方を捜すこと、何もかもが予想されていたというのだろうか。
僕が混乱してきた時、携帯電話の音が鳴り響き、びくっと体が反応する。
「……御巫?」
携帯電話の画面に表示された文字は、御巫と書いてあった。


其ノ肆

『やっほー九十九君。元気ー?』
「いや、むしろお前が元気なのか?」
『え?あー、まあまあ。元気は元気でもげんって感じ』
それは、全快ではないという意味でいいのだろうか……。
「で、どうした?」
『やあねー、九十九君、急かさないでよ。せっかく恋人から甘いモーニングコールがきたというのに』
「今は朝じゃないぞ……」
どちらかというと夜だ。
じゃあイブニングコール?
『まあまあ、甘いというより嫌がらせコールなのだけれどね』
「そんなの恋人からの電話じゃねえ!」
悪魔の囁きだっつーの。呪われるのか、僕は。
御巫は電話の向こうで笑っている。
『九十九君の誕生を祝う代わりに呪うってのもありかもね』
「ありじゃないし!僕の誕生日はもう過ぎてるから!」
『それもそうね……ねえ、今からうちに来れない?疎は帰っちゃったし。つまらないのよ』
「いや……休んどけよ……!」
また倒れられても困るって。
『……寂しいなー。寂しくて死んじゃうかも』
「兎か!」
『ぴょんぴょーん、寂しいぴょーん』
「確実に鳴き声じゃねえからそれ」
あー、もう、楽しいぜまったく。
父親の正体とかもうどうでも良くない?
目的とかもはっきりしないけど、僕一人で考えなくてもいいじゃん、別に。
『で、来てくれるでしょ?』
「ーーー当たり前」
僕はノートを片手に立ち上がって、とりあえずはコートを羽織り、外に出た。
『きゃー、九十九君やっさしい。惚れちゃう』
「棒読みなのは気のせいか……?」
ていうか御巫は僕に惚れてるんじゃないの?まさか違うのか?それは酷い。
「じゃあ急いで行くから待ってろよ」
『一秒で来てね』
「いや、それ人間業じゃない……」
お前か疎じゃないと無理だ。
『僕つくもん。今お前の後ろにいるぜ、ふへへへくらい言いなさいよ』
「御巫、それただの変態だからな?」
御巫の中の僕のイメージがこんなだったら泣ける。しかもつくもんって。名前が可愛らしすぎだから。
『じゃ、待ってる』
「おう、後でな」
そして通話は切れる。
僕は携帯をポケットに入れ、自転車に乗って御巫の家に向かった。暗くなった道を自転車のライトが照らす。
彼女の家に着いた頃には時間は七時をまわっていた。
僕は優しいので、着いた時にメールで『今お前の家の前にいるぜうへへへ』と送っといてやった。
「すぐに返信来たけどな……」
呟いて、文を思い出す。
『私はあなたの後ろにいるわ。ほら、今も……』という文面で、少し後ろを振り向いたのは内緒。
僕はため息をひとつついて、御巫の家のインターホンを押した。
「へーいっ」
「うお!?」
後ろから攻撃された!
驚いて振り向くと御巫が立っていた。
本当に後ろにいたのかよ!怖いよ!
「親がいます」
「唐突に何!?」
「プロポーズしてもいいのよ?」
「この状況でか!」
「ほら、ダイヤの指輪とかくれていいのよ」
「バイトもしてない僕に何を求めるっ!」
「はいはい、ちょっといいかな?」
と、聞きなれない声がする。声の方を向くとそこには笑顔の女性が立っていた。
「お母さん」
御巫が言う。
まじで……?若くないですか?
「えーと、九十九……錦君だよね。どうも」
「あ、どうも。初めまして」
御巫の母は、黒髪で背は少し高め。疎と同じで瞳が青かった。
「御巫鳴波です」
「……あ」
そうか。彼女は、僕の父親と会ったことがあるのだ。日記にはもう若くないと書かれていたが、見た目は十分若い。
「どうかした?」
「あ、いえ何でも」
そう、と鳴波さんは頷いて、僕と御巫を中に促した。
御巫の部屋に入り、鳴波さんがお茶を持ってくると言って別れた。
「で、何かあったのか?御巫」
「何かないと九十九君に会っちゃいけないのかしら」
「そういうことじゃないけど。お前親がいる時に僕のこと呼び出すことないだろ」
四月からの付き合いで、僕は今の今まで御巫の母親に会ったことはないのだった。
「……お母さんが九十九君を呼んで欲しいって言ったのよ」
「え、あの人が?」
御巫は頷く。
「二人で話したいんだって。大事なこと言わなくちゃいけないって。ねえ、九十九君は何なの?」
「何って……」
「疎から聞いたの。九十九君一人でも表裏結線越えられるんでしょ?ていうか、現に超えてきたものね」
御巫は訝しげに僕を見る。
僕は少し迷ってから、心を決めて真実を伝えた。
「父親が妖怪らしい」
御巫は声こそ出さなかったが、驚いた様子だった。
「しかも神剣のことも知ってるし、もしかしたら……」
神剣を表世界に流したのも、父親かもしれないと言おうとした時、鳴波さんが部屋に入ってきた。
「そのことで九十九君とお話ししたいのだけれど」
「あ」
「え?」
僕らは驚いた。
その話なのか……。
たぶん、彼女は真実を知っているのだろう。当事者なのだから。
「彩砂、ちょっと出ててくれる?」
御巫は嫌そうな顔をしたが、何も言わずに部屋から出て行った。仮にも今日倒れた人を部屋から追い出す(しかも御巫の部屋)のは気が引けたけれど、鳴波さんは部屋を変える気はないようだった。
「えー……っと、どこまで知ってる?」
鳴波さんは言った。
「父親が妖怪らしい……ってことと、神剣に関係があること、あと、今裏世界にいるということ、ですかね」
「思ったより知ってるね」
と、鳴波さんは頷いた。
「ま、妖怪らしいじゃなくて、妖怪だし……。真実かどうかわからないからこういう言い方なのかな、九十九君」
「そう……です。信じたくないというのもありますけど、少し」
「そうだよね。神剣に関係がある……っていうのはどのくらい知ってるの?」
「ええ、と……」
僕は日記の内容を頑張って思い出そうとするけれど、そういえば鞄に日記が入っていたことに気づいて、鞄から日記を取り出した。
「ここに書いてあること、だけです」
鳴波さんは日記を受け取って、中をぱらぱらとめくる。
「…………ふむ。この赤で書いてあるページ以外は読んだ?」
「いえ……。赤のページだけが目に着いたので、そこしか」
「そう。だったら今日にでも全部読め」
「え?」
いきなり命令された!
「赤だけが大事だと思えない。それに……あれだ、気を逸らすには十分だし」
「気を逸らす……?」
「んーと……最初から全部読もうとする人ももちろんいるだろうけど。九十九君が急いでいて、且つ情報が欲しいなら全部は読まないと踏んだんじゃない?めくって、目立つところだけ読むと思ったのかもしれないね。まあ、当たってるみたいだけれど」
と、鳴波さんはくすっと笑った。
「だから普通のペンで書いてあるところに大事なことが書いてあったりするかも……ね」
なるほど、そういうことか……。
だとすると、やっぱり僕が見ること前提で日記をつけていたのか?
「わかりました。後で、読んでみます」
「うん。あ、彩砂ー」
と、呼びかけると、御巫がすぐに部屋に入ってきた。
「何よ」
心なしか表情がむすっとしている。
「謝らないの?」
「何が?」
鳴波さんはにっこりと笑った。
「怒るわよ?」
僕に向けて言っているわけではないけれど、何故か寒気がした。鳴波さん怖い……。
「……盗み聞きしてごめんなさい?」
「疑問形なの?」
「…………ごめんなさい」
「はい」
盗み聞きしてたのか御巫。いつもほぼ謝らない御巫が素直(?)に謝るとは。鳴波さん恐るべし。
さて、と鳴波さんは僕の方を向く。
「九十九君、神剣探しを手伝ってくれてるのよね」
「あ、ええ。特に何もできていませんけど……」
「そんなことないわ」
と、御巫は言った。
「そうね。そんなこと、ない……彩砂とは違う意味で」
……それはどういう意味なのだろう?
「……また何かあったら、言ってね。出来ることは協力するわ。特に、あなたのお父さんのことは」
「ありがとうございます」
鳴波さんは笑って立ち上がり、部屋の入り口に向かう。
「じゃ、後は彩砂にバトンタッチ。ラブラブを邪魔するなんてことしないので、安心してね」
言って、ひらひらと手を振り彼女は部屋から出て行った。
「……知られてたのか」
「言っちゃった」
「言ったのかよ!」
「九十九君に会った日に」
「早すぎる!」
何?出会った瞬間に付き合うとか思ってたの?予知ですか?
「嘘よ」
「……まあそうだよな」
本当だったら驚きだよ。
「ていうか、御巫は何で僕を呼んだんだ?」
まさか本当に寂しいからとかいう理由ではあるまい。
御巫はため息をついて、腕を組んだ。そして、真剣な口調でこう言った。
「ーーー最後の神剣のことよ」

其ノ伍

「最後の神剣……っていうと」
「御伽、ね。そういえば私、九十九君にあまり神剣のことについて詳しく話したことがなかったわね……」
「名前と……神剣の色くらいしか聞いてないな」
今更だが、名前と見た目の色を聞いただけで、よく協力してこれたな。協力と言っても、僕はほぼ何もしてないけれど。
「あまり話したくなかったのよね……九十九君信用ならないから」
「信用してくれよ!」
まさかまだ信用されていないなんてことは……ないよな?それとも今の話なのか?
そうだったら悲しすぎる。拗ねるぞ。
「神剣っていうのは、一本一本に役割があってね」
「話してくれるんだ……」
「まあ、害があるようなら記憶消すから。生前まで」
「生前まで!?」
「むしろ前世まで消してあげる」
「僕の前世が何なのかわからないのに!」
何か、ツッコミするのも久しぶりだなあ。たぶん久しぶり。最近シリアスな雰囲気しかなかったからな。
「で、水祀は水の神様。主に防衛。炎尾は炎。主に攻撃。光冥は光、闇冥は闇。こちらは難しくて……まあ明るさ調整だと思って頂戴」
「神様に向かって、明るさ調整って……!」
なんかチープな表現だな。
「緑狩は木とか……ポケモンで言う草タイプね。補助系」
「確かになんだか分かり易いが、ポケモンでわざわざ言わなくていい!」
御巫はため息をついた。
「ちょっと黙っててくれるかしら。九十九君のツッコミのせいで話が進まないじゃない」
「…………」
「どうしてもツッコミをしたいというのなら、そうね、二酸化炭素を吸って酸素を出すくらいのことはしてちょうだい」
「なんかデジャヴ!」
昔こんなこと言われたような……。
僕は植物じゃないっての。
「御伽は……全て」
御巫が静かに言った。
僕はその言葉に首を傾げる。
「全て?」
「ええ。御伽なくして他の神剣はない。つまり御伽は全ての神剣の母というか……その一本で他の神剣の代わりが出来ちゃうくらいの代物なのよね」
「それって……それがまだないってことは」
「かなり危ないわね……」
「やっぱり?」
そういえば、御巫に父親のこと言わないといけない。可能なら、協力してもらわないと僕だけではきっと見つけられないだろう。
「あのさ、御巫……僕の父親がさ」
「妖怪なんでしょう?」
「まあそれはそうなんだけど……何て言ったらいいのかな。神剣に関与しているというか……」
「どういうこと?」
御巫は眉間にしわを寄せて、僕を見た。
僕は、日記に書いてあったことを思い出しながら話す。
「まず神剣は主と認めた人の力を増幅したり……とかするか?」
「するわね。神剣に認められれば、持ってるだけで私の……九十九君でいう超能力かしら。それの使える範囲、強さとか、増すから
。……って、こんなこと九十九君に言ってないわよね?」
僕は頷く。
「父親の……この日記に書いてあったんだ」
父親の日記を御巫に見せると、御巫は手にとって中を見る。
「父親は御巫の母親も知っているみたいだ。あと……神剣を手に入れようとしている。だからもしかしたら御伽を持っているかもしれない」
「このページね」
御巫は僕が言ったことが書いてあるページを読む。
「……お母さんから私に代わった時……今年の春ね。ということは、大分前からの計画だったのかしら」
「たぶんな……。それ、僕が六歳だか七歳だかの時の日記だし」
「ふうん……ほとんどの神剣は見つかっているのに御伽だけ見つからない。つまりあなたの父親が持っている可能性は……まあ高いわね」
「だよな……」
もう父親が何もしていないという希望を持つのはやめたほうがいいのだろうか。
身内である以上、あまり疑いたくはないのだけれど。
「私のお父さんなら何か知っているかしら……」
「御巫の……お父さん?」
「ええ。私も半妖だし、お母さんは人間。だとすると、お父さんは妖怪でしょ。もしかすると妖怪の、九十九君のお父さん……お名前は?」
「母は、桐羽って言ってたな」
「桐羽さんのこと、知っているかもしれないわ」
「そうかな」
「妖怪仲間かもしれないし」
言って、御巫は立ち上がった。僕も来いと言うので、僕も立ち上がり、一緒に部屋を出る。
相変わらず御巫の家は広く、豪邸と言っていいような大きさだった。僕は何回も御巫の家に来ているが、客間と御巫の部屋くらいしか入ったことがない。
御巫の部屋より奥に進むと、御巫はある部屋のドアをノックした。
「…………お父さん?」と、彼女が呼びかけるが、返事はない。
御巫がちっ、と舌打ちをして呟く。
「たぶん書斎ね……」
「書斎もあるのかよ……」
どんな広さだ。
「こっちよ」
御巫は下の階に降りる(彼女の部屋は二階にある)。
少し進むと、御巫は扉を開けた。
「お父さん」
中には、細身の男性がいた。
御巫の声に振り向いたその人は、髪と瞳が綺麗な青で、切れ長の眼をしている。
「ねえお父さん、桐羽さんっていう妖怪知らない?」
「何だいきなり」
御巫の父親は首を傾げる。
「……桐羽は知り合いだけれど……、その人は?」
彼は僕を不思議そうに見た。
「初めまして……九十九錦です」
桐羽の子供です、と言おうとしたが、御巫の父親に遮られた。
「ああ、桐羽の……。じゃあ、桐羽を捜してたりするのかな?」
彼は優しく笑った。
「ええ、まあ。会いたいんです……それと、神剣のことを確認したくて」
「神剣のこと……」
不思議そうに首を傾げたが、御巫がそれを補足した。
「御伽を、九十九君の父親が持っているかもしれないのよ。だから、返してもらわないといけないの」
御巫の父親は少し考えるようにしたが、やがて口を開いた。
「悪いけれど、最近のことについては全く。昔のことならわかるけど……ごめんね、錦君」
「いえ……」
申し訳ない、と頭を下げる御巫の父親に、僕は首を振った。
「ただ……ひとつだけ、いいかな」
御巫の父親は頭を上げると、真剣な表情で僕に言った。
「たぶん、桐羽は神剣を持っていない」
「ーーーえ?」
それはどういうことだ?
「お父さん、何を言っているの?」
御巫も怪訝そうに尋ねた。
「ここ最近になって、御伽の情報も気配も全くないのよ。他の真剣は見つかってるのに。しかも桐羽さんが、神剣を集めようとしてるっていうのも彼の日記に書いてあった。それなのに……」
「桐羽が神剣を手に入れているなら、妖怪達の中でも色々変化がある。なのに、今はそれがない」
「でも!夏頃から妖怪が多いわ。しかも悪質な奴らよ」
僕も、御巫に同意する。
「確かに多いです。夏に、僕は実際に体験しました」
御巫の父親は腕を組む。
「それは……俺にはわからないけれど。でも、神剣が妖怪の、しかも桐羽の手に渡っているなら裏世界や、表世界にも影響が出ているはずだ。だから少なくとも今は……彼の手中にはあるはずがないんだ」
御巫はまだ不服そうだったが、ため息をついて、
「……わかったわよ」
と言った。そして僕の方を向いて、肩を竦める。
「ということらしいわよ九十九君。どうする?」
「どうするって言われてもな……」
一番のアテがなくなってしまったわけで、これからどうすると言われても、思いつかない。
「とりあえず、部屋に戻りましょう。邪魔してごめんなさいね、お父さん」
「嫌味っぽい口調で言われても謝られている感じがしないな……」
御巫はそんな言葉に振り向きもせず、部屋から出て行った。
僕も一礼をして、部屋を出ようとする。
「錦君」
「はい?」
不意に呼び止められ、僕は足を止める。
「……君は自覚があるのかい?」
「自覚?」
どういう意味だ?
少しの間の沈黙の後、御巫の父親は横に首を振った。
「いや、分からないならいい。あまり役に立てなくて悪かったね」
「いえ……ありがとうございました」
今度こそ僕は、書斎を後にした。
「…………自覚なし、か」
彼のそんな呟きは、僕には聞こえなかった。

其ノ淕

御巫と一緒に御巫の部屋に戻ると、紅茶が置いてあった。恐らくは御巫の母親だろう。そういえば、さっきはお茶を入れると言っていたのに持っていなかったな。
「さて、本当にどうしましょうか」
紅茶を啜りながら、御巫は言った。
「とりあえずは、日記を読もう。黒の鉛筆で書かれているところ」
言って、僕は日記をめくる。
最初の方は、特にとりとめもないことだった。
「……本当に重要なことなんて書いてあるのかしら」
「わかんねえけど……暗中模索な今、手がかりがあるかないかはともかくとして、これしか可能性のあるものないだろ」
「それはそうだけれど」
肩を竦める彼女を無視し、僕は読み進める。
それから一ページずつしっかりと読んだが、どれも重要とは言えない文ばかりだった。
「もうすぐ赤のペンで書いてあるページだな……」
ここに何もなかったら本当に手がかりがなくなる……。
「赤のページの手前で何か書いてあったりするのかしら」
「わかんねえ……」
少しの期待を込めてページをめくる。
「…………御巫、これ!」
「何?」
御巫は僕が示したページを見る。
『伊楼羽神社は、かなりいい場所だ。裏世界の妖怪の集会場のようになっている。神社として機能もしておらず、強力な妖怪でもいられる。巫女は神社には妖怪は入れないという先入観を持っている。しばらくはここに』
「……途中で途切れてるし日付もない。けれど、これだと裏世界の伊楼羽神社にいる可能性は高いわね」
「そうだな……最後の最後に重要な情報があってよかった」
いや、よかったと言っていいのかわからないけれど。
「……とりあえず、私はお風呂入ってくるわ」
「え、じゃあ僕帰るよ」
「嫌だ」
ええ?嫌だって言われた。
「泊まればいいじゃない」
「いいじゃないって言われても……連絡もしてないし、いきなりだし」
「問答無用。手足を縛ってでもここに残らせるわよ」
「……わかったよ、お世話になりますよ。とりあえず着替えとか持ってこないとな」
僕が立ち上がろうとすると、御巫が僕をベッドに蹴り飛ばした。
「…………」
しばし沈黙。いや、何が起こったのかわからなかったのだ。
「……………ふぅ」
「……ふぅじゃねえよ!びっくりしたよ!ベッドじゃなかったら確実に怪我してたよ!何なんだよ!」
「まあ落ち着きなさいな九十九塵」
「塵と書いてゴミと読む!それが僕九十九塵だ……じゃねえよ!」
「素晴らしいノリツッコミをありがとう。あとでお礼に床に蹴り飛ばしてあげるわ」
「そんなお礼いらねえよ!」
「着替えはお父さんの貸してあげる。貸付利子付きでね」
「なら貸さなくていい……帰る」
「えっ!?ご、ごめんなさいごめんなさい!マジでごめんってば!帰らないで!貸付利子は取らないから!」
「仕方ない、そこまで言うならいてやろう」
ふっ、勝ったね。
初勝利だぜ。
「大体何で今日はこんなに粘るんだよ」
言うと、御巫は寂しそうな顔をする。
「みかな……」
「九十九君、私裏世界に住んでいるのよ」
「……知ってるけれど」
今裏世界にいるし。それがどうしたっていうんだ?
「そう。じゃ、私お風呂入ってくる」
御巫は言って、部屋から出て行った。
僕にはさっきの言葉の意味がわからず、内心首を傾げていた。
しばらくしてから、御巫が戻ってきて、御巫の母親の許可を得たらしい。父親の許可は、と尋ねると「あんな男の許可なんていらないわよ」とのこと。あんな男って酷いぞ。次に僕もお風呂に入らせてもらって、着替えは無利子で御巫の父親のものを貸してもらった。無利子で。
僕の記念すべき初勝利の無利子で(しつこい)。
そして再び御巫の部屋。
「さて、明日はどうする?九十九君」
「どうするって言われてもな……学校あるし」
「学校とお父さん、どっちが大事なの!」
「ええ…………っと、学校?」
蹴られた。
「お前の蹴り軽くでも痛いんだからやめろよ……」
「知らないわよ。お父さんに決まってるでしょう」
決めつけられた。
だって忘れてるかもしれないけれど、僕頭悪いんだよ?進級できなくなったらどうするんだよ。
「大丈夫よ、九十九君が進級できなかったら、私が先輩として勉強教えてあげるから」
「なんか嫌だ……」
まだ朱雀に勉強は教えてもらってるけれど、時々朱雀からのアピールが来てきつい。
九十九君はどんな髪型が好きなの?とか。
九十九君って結婚するなら何歳がいい?とか。
ウェディングドレス着たいなあ、九十九君の横で。とか。
「……一番きつかったのはあれか……」
御巫さんとキスはしたの?デートしたの?え、まだ?じゃあ私が奪っちゃおうかな。ファーストキス。ほら九十九君、目閉じて。ちょ、逃げないでよ!もー、照れ屋さんなんだから!
みたいな。
すっげえ恥ずかしい。思い出すだけで恥ずかしい。あの後追いかけ回された気がする。
「とりあえず伊楼羽神社に……って九十九君聞いてる?」
「ん、ああ。聞いてる聞いてる」
少し適当な返事に御巫は怪訝そうに眉をひそめるけれど、続けた。
「とりあえず裏の伊楼羽神社に行って探しましょう。いなかったら仕方ないからーーー」
「その必要はない」
聞きなれない声が窓の方からして、僕らはハッとそちらを見る。
そこには。
黒い羽を広げて、窓枠に立ち、僕らを見下ろしているーーー鴉のような。
禍々しく、不吉な、鴉のような。
「ーーーよう、久しぶりだな……錦」
「…………桐……羽さん?」
彼の名前は九十九桐羽。
正真正銘、疑いようのない、

僕の父親だった。

其ノ質

「あ?名前知ってるのか」
「ええっと……咲埜さんに聞いたので」
不思議そうに言った桐羽さんに僕は答える。
「ふうん。ま、いいけどよ」
こうして見ると、彼は随分と妹達に似ている。というか、妹達が彼に似ているのだろう。
「初めまして、九十九君のお父さん。私、九十九君の嫁の御巫彩砂っていうの」
「嫁?」
「嫁!?」
いつ決定した!?聞いてないぞそんなこと!
何気にプロポーズなの?それともただ言ってみただけなの?
「御巫……御巫か。じゃあ、鳴波の娘だな?」
「そうよ」
「今いくつだよ、錦」
桐羽さんは僕の方を見て笑う。
「十七歳……ですけど」
「でかくなったなー。敬語要らないし」
仮にも父親なんだけど、と彼は言う。
なんだか親しみやすい感じだけれど、僕はそこまで馬鹿じゃない。
彼が神剣を狙っているんじゃないかと思うと、僕はあまり警戒心を解くことはできない。
「何の用ですか、突然」
敬語をやめずに、僕は訊いた。
「まあそう急ぐなよ、久しぶりなんだし」
「急ぐ必要はないのかしら。さすが妖怪ね、寿命が長い。余裕綽々でむかつくわ」
御巫は嫌味っぽく言う。
「でもね、生憎私は人間なのよ。早くしてくれないと死んでしまうわ。九十九君もね」
「それはどういう意味かな、鳴波の娘」
「そのままの意味よ。私が死んだらあなたを倒す人がいないじゃない」
「だとよ、錦」
何故ここで僕に振るのだろう。
「あなたが……神剣を使ってよからぬことを企んでいることは知っています」
言うと、桐羽さんは頷いた。羽ねをはためかせながら、彼は言う。
「やっぱ日記読んだのか。日記というより、ヒントかな」
「ヒント?」
「満載だっただろう」
妖しい笑みを浮かべながら、馬鹿にしたように僕や、御巫を見る。
「そうね、満載だったわ。伊楼羽神社に行く手間も省けた。どうもありがとう。それで、早く要件を言って欲しいのだけれど?」
「鳴波みたいだな、お前は。せっかちだ。仕方ない、言ってやろう」
僕は息を飲む。
ここで御伽以外の神剣を奪われたらたまったもんじゃない、そう思いながら、拳を握った。
「錦、お前は自覚したか?」
「え?」
それは……さっきも、御巫の父親に言われた言葉だ。
「何の……」
「日記にも書いただろ?お前は普通じゃない……特異的なんだって」
「何?それ」
御巫が怪訝そうに僕を見る。
御巫も日記には目を通したはずだ。なら読んだはず……。
「錦以外には見えないようにしてあったんだよ、鳴波の娘」
「九十九君、何が書いてあったの?」
「えっと、それは……」
思い出しつつ言おうとする僕を遮って、桐羽さんは言った。
「錦は普通の人間じゃないって書いてあったんだよ」
「そうなの?」
どうも御巫は彼を信用していないようだ。
「あ、ああ……」
「普通じゃないってどういうことよ」
厳しい口調で、桐羽さんに問い詰める。
「言っていいのか?」
「言いなさいよ、ねえ九十九君?」
「……気になるけれど」
聞くのも怖い。
僕は正直、あまり聞きたくない。だって聞いたらーーー。
「まあ、私の目的でもあるから。言わない訳にはいかないな」
「焦らすわね。早く言いなさい」
「………………」
聞いてしまったら。
僕が僕じゃなくなってしまいそうで。
「錦はなーーー人間じゃない」
「……どういう」
「やめろ!」
僕は叫ぶ。
「九十九君?」
「やっと自覚したか?都合のいい記憶力だな……自分が何なのか忘れるなんて」
「……うるさい」
自覚という意味が、やっとわかった。わかってしまった。
「何なの、九十九君……」
「僕は……」
その後の言葉が紡がれない。
言ってしまったら、今までの自分がなくなりそうだった。だから嫌だった。
「錦はなーーー神剣なんだよ」
桐羽さんは笑いながら、御巫に言った。
御巫は目を丸くして僕を見る。
「……本当?」
「……そう、だよ。僕は神剣だ。ずっと、忘れていたけれど」
ずっと忘れていたかったけれど。
「じゃあ……九十九君が、神剣御伽……?」
僕が返事をする前に、僕は宙を舞って、壁に叩きつけられた。
「……っ」
痛みに悶えながら、桐羽さんの方を見ると、彼は手に持っていた。
「私の目的はこれだけだ」
「ーーー返せ」
彼は御伽を手に持っている。
僕と一体であり、僕と異なる存在であり、守ってきた御伽は。
こうも容易く奪われてしまうのか。
「……じゃあな、錦」
「返せ!」
叫んだ僕の声は、桐羽さんのいなくなった窓の外に、虚しく吸い込まれていった。
「九十九君、待って!」
部屋を出て行こうとした僕を御巫は呼び止める。
「お願い、待って。話がわからない。落ち着いて話して」
「でも、御伽が」
「御伽は必ず取り返すわ。でも今はその時じゃない。こちらも万全な状態で挑まないといけない。もともと勝ち目のなかったこちらが、さらに勝ち目がなくなった今……返り討ちになるだけ」
御巫は珍しく落ち着いていなかった。
僕は今すぐにでも取り返したかったけれど、一度深呼吸して、落ち着いた。
「……わかった」
そう返事をして、部屋の扉から離れた。
「九十九君は……神剣なの?それとも、神剣の守護者なの?」
御巫は、静かに僕に問いかけた。
「どちらかと言えば……守護者、かな。でも神剣と一体だったのは、確かだ」
「そう……」
「……僕も、今さっきまで忘れてた。いや、忘れられてたというべきか」
「九十九神と呼んだのはあながち間違っていなかったのかもね」
「……付喪神、の本来の字が僕の名字だったな。僕の場合だと……どっちがどっちに憑いているのかわからねえけど」
「そうね……」
僕は俯く。
僕は確か、最初からこうじゃなかったはずだ。いつからか、御伽を守っていた。
僕はいつから、九十九錦だったのだろう。いつから、御伽として生きていたのだろう。
今も、九十九錦なのだろうか。
『九十九錦』として、存在しているのだろうか。

其ノ捌

「九十九君は……いつから御伽を守ってるの?」
御巫が僕に言ったが、僕は首を横に振る。
「わからない。ずっとな気もするし……つい最近のような気もする」
「本当に十七歳?」
「それは……」
本当だと言おうと思ったのだが、自信がなくなってしまう。でも、咲埜さんは、僕は彼女の子供だと言っていたし。それに、
「桐羽さんも……そうだって言っていたから、たぶん間違いない」
「ふうん……ねえ」
「ん?」
「あんな奴に、さん付けしなくていいわよ」
「あんな奴って……」
仮にも父親なのに。
でもあの人も少し嫌がっていたような。
「……ってそんな話している場合じゃない」
「明日か、明後日にしましょう。御伽を取り返すのは」
「明日はわかるけれど、明後日は遅くないか?」
御巫はため息をついた。
「私が今から呼び出す人達の都合によるわ。早ければ明日だし、遅ければ明後日」
それ以降もあり得るけれど、と言う。
僕は一刻も早く御伽を取り返したいのに。
「今行っても無駄。急いてはことを仕損じるって言うでしょう」
「……そうだな」
僕はなんとか自分を納得させて、深くため息をつく。
とりあえず今日は寝ようという話になり、僕は空いている客室のような部屋に寝ることになった。
その部屋にいると、突然、ノックの音がする。
「失礼するよ。ごめんね、寝る前に」
扉の向こうから顔を覗かせたのは、御巫の父親だった。
「いえ……あの、自覚っていうのが、何かわかりました」
彼は部屋に入り、扉を閉める。僕の言葉に振り向いて、優しく微笑んだ。
「そっか。でも遅かったね、少し」
その言葉には、何も言えなかった。
確かに気づくのは遅かった。自分の記憶力にも呆れる。元々記憶力はないけれど。
「君は、十七歳で彩砂と同い年だよね」
「あ……はい、たぶん」
これについては、先ほど同様自信がないのだけれど。
「たぶん?」
「いつから御伽を守っていたのか……わからなくて。だから本当に十七年前に生まれたのかも、定かではないっていうか……」
曖昧な説明をしつつ、俯きがちになってしまう。そんな僕にくすっと御巫の父親は笑い、静かに言った。
「これはあるおとぎ話なんだけれどね」
「え?」
驚いて、彼を見る。
「昔むかし、あるところにひとりの男の子がいました。その子は、大事な大事な、一振りの剣を持っていた」
僕は、静かに聞く。
「ある時その子は死んだ。けれど何年か後に、別に……その子とは何の関係もない子だ。そんな子が生まれた。しかしその子は、同じ剣を一振り持っていた」
そこで、彼は話を止め、僕を見る。
「どうしてだと思う?」
「……それは、偶然じゃないですか。もしかしたら、前の持ち主のものが、偶然、その次の持ち主のところにあったとか……」
僕の答えに、頷きはしたものの、彼はこう言った。
「でもその次も、その次の次も……だとしたら?それはただの偶然かな?」
「…………それは」
偶然?
いや、むしろ必然かもしれない。
「こうは思わないかなーーー最初の男の子の生まれ変わりだと」
「生まれ変わり……」
「男の子は元々、剣を持っている運命で、宿命だったんだ。だから生まれ変わって……転生輪廻してもその剣を持っている」
「なるほど……そういう考えもあるんですね」
「ま、考えは人それぞれだ。これは俺の考え。そして意見」
「意見……」
「君は鈍いから直接言った方がいいかな?」
「にぶ……っ!……いえ、大丈夫です」
鈍いとか初めて言われた……。
さすがに僕もわかった。御巫の父親の言いたいこと。
「つまりいつからか僕は神剣御伽を守りながら、輪廻転生とやらをしている、ということですよね?」
「うん。そういうこと。推測だし、意見だけれどね。答えはないと思うけれど」
「ありがとうございます」
僕は苦笑しながら、礼を言った。少しだけど、今いる僕はちゃんと九十九錦として生まれたんじゃないかと思えた。
「役に立てたなら光栄だよ。じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
そう挨拶を交わして、彼は部屋から出て行った。
僕はベッドに体を沈め、目を閉じた。
疲れていたのか、何かを考える間もなく眠りについた。
翌朝、御巫に起こされ、僕は朝食やその他いろいろ頂いてしまった。前に御巫が行っていたように、朝食は和食でおいしかった。
そして顔を洗ったりさせてもらい、今現在は御巫の部屋にいる。
「昨日の夜、疎と……天津と炫ちゃんに連絡したわ」
「え?天津と炫?」
「素質はあるわよ。少なくとも光冥と闇冥は使えると思う」
「あいつらがか?」
御巫は頷いたからできるのだろうけれど僕はそうは思えなかった。
「今は……九時ね。もうすぐ来ると思う」
言った瞬間、扉が唐突に開いた。
「「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃーんっ!!」」
うるさい妹達のお着きだった。
「いらっしゃい」
「おー、錦ちゃんもいるじゃんか!」
「お泊りしてたの?エロいねー、エロエロだねっ!」
「いや、意味がわからねえよ!」
エロエロな展開は待っていないし、そんな空気じゃなかった!今この瞬間まではな!
「いやあ、なんだか久しぶりだなあ」
「そだねぇ。それで、みかちゃん何の用?」
どうやら用件は説明していないようだった。身を乗り出して、天津と炫は御巫に問いかける。
「あなた達前に光冥と闇冥の声を聞いたんだっけ?」
「あー、そんなこともあったか?炫」
「うん。まあ、たぶん光冥の声だけだと思うけれど……」
そう、と御巫は頷いた。
「実はね、あなた達のお父さんが見つかったのよ」
「「えぇっ!?」」
二人は目を丸くして驚く。
そんな二人に御巫は簡潔に、昨夜の出来事を話した。しかし、僕が神剣を持っていたということは伏せて。
話を聞き終えた二人は、難しい顔をして腕を組んでいる。
「それで、お父さんから御伽を取り返すのに、あなた達に手伝ってもらいたいのだけれど」
「うーーーーーん」
「むーーーーーん」
「別に殺せなんて言ってないのよ。いえ、ころ……消しても構わないのだけれど、それじゃあ九十九一家も悲しむだろうし」
御巫がこんなに(空前絶後と言っても過言ではない)頼んでいるのに、二人は考え込んだままだった。
「……人出が必要なのよ。九十九君を助けると思って」
僕の名前が出ると、ぴくりと二人が反応した。
「錦ちゃん、困ってるのか?」
「え」
「お困りなの?」
答えに戸惑っていると、御巫が威圧的な視線を送ってきた。かなり怖い……。
「こ、困ってる……めちゃくちゃ困ってる。人生一番の困難だ、お前らが手伝ってくれたら解決するかもしれないなあ」
若干棒読みだった。けれど、天津と炫の二人は目を輝かせ、握り拳を天井に突き上げた。
「錦ちゃんがお困りならば!」
「天下のブラコン天炫が!」
「「錦ちゃんのためにお手伝いさせていただこうじゃないですか!!」」
「ありがとう」
燃えている二人をよそに、素っ気なく礼を言う御巫。
天下のブラコンって何だよ……。あんまりかっこ良くないぞ?あんまりっていうか、全然かっこ良くない。
「遅れてすまない!」
またも扉が唐突に開き、そこには疎が立っていた。
「いやはや、途中で捕まってしまってな」
彼女は言って、後ろに視線を送る。
「やっほー、皆」
疎の後ろには、朱雀が笑顔で立っていた。
「朱雀?何で……」
「ん?何か役立つことあると思って。それに、仲間外れは嫌だよ、九十九君」
少しだけ寂しそうに肩を竦める彼女は疎と共に部屋に入り、床に腰を下ろした。
「まあ……今回はいいわ。人出が多い方が私も九十九君も助かるから」
「よかった。ありがとう御巫さん」
「よし、じゃあ作戦会議か。だいたい事情は把握している。朱雀先輩にも言ってあるぞ」
「「よっしゃー、頑張るぞー!」」
「初めましょうか」
御巫は静かに笑って言った。

其ノ玖

「基本、一人一本神剣を持ってもらうのだけれど」
言って、御巫は朱雀を見る。
「朱雀さんは……神剣を使えるかしら」
「うーん……私は、わからないなあ。使えないと思うけれど……」
「…………」
御巫は何のために来たの、と呟いたが、朱雀は特に気にしていないようだった。
「……まあ、配分としてはこうね」
水祀、槌鋸は御巫。
炎尾は疎。
光冥は天津。
闇冥は炫。
そして何故か緑狩が僕だった。
「僕も持つの?僕戦えないぞ……」
「何を言ってるのよ。守護者のくせに」
「ええ……」
そんな無茶な。守ってただけだっていうのに。
「御伽を守ってたっていうことは、御伽に認められていたと同義よーーーだから他の神剣だって認めてくれるわよ」
御巫は小声で僕に囁いた。
確かに御伽は七本の中で他の神剣をまとめたりとかしていたみたいだけれど……だからと言って僕なんかが他の神剣を扱えるのか?
「基本は私と九十九君と疎でやるけれど」
「何故主要メンバーに僕が!」
初めてなのに!絶対無理だって!
「九十九先輩、人生とはそんなもんだ」
「何だよその諭し方は!」
「「天炫隊はどうすればいいの?」」
「二人は危なくなったら……というか、たぶん雑魚妖怪を扱ってくると思うから、それの掃討かしらね」
「りょーかいっ!」
「前みたいな感じでやればいいのかな?」
「そうね。必死になれば応えてくれるわよ、きっと。たぶん」
たぶんかよ……。妹達が死んだら僕も死ぬぞ。身投げするぞ。
「私は……どうしよう」
朱雀が困ったように眉を寄せる。今のところ言っては悪いが朱雀が何もしていない。
「じゃあ天津ちゃんと炫ちゃんのサポートはどうだ?」
「そうね……よろしく」
「……うん!」
疎と御巫の言葉に、嬉しそうに朱雀は頷いた。
「いい?危険だと思ったら神剣に守ってくれるようにお願いするなり、逃げるなりしてちょうだい。逃げる時は間違っても神剣を捨てちゃだめよ。取られちゃうから」
一同は頷いた。
「おそらく伊楼羽神社にいるはず。行きましょう」
皆立ち上がって、御巫の家を出た。
外は少し曇っていて、冬らしくかなり寒かった。冷たい風が木々を揺らす。
御巫の家から伊楼羽神社までは、そう遠くない。
僕らは少し緊張しながら歩いた。
「あれ?」
伊楼羽神社に通じる石段がある場所まで辿り着いたのだが、そこには何もなかった。
あるはずの石段はなく、ただの獣道。しかも枯れ木や枯れ草が茂っていて登れそうもない。
「ここ……だったよな?」
疎が不思議そうに首を傾げる。御巫も辺りを見回すが、やがてため息をついた。
「道は間違っていないはずだけれど?」
「どうゆうことなのー!」
「おーのーっ!」
こんな時にも妹達はうるさいだけだった。
僕も疑問に思い、周りを見る。そこで、何か考えている様子の朱雀が目に入った。
「朱雀?どうした?」
「ん?うーん……ちょっと待ってね」
よくわからなかったが、朱雀の言葉通り少し待った。
他の皆も朱雀に注目している。
「あ、わかった」
やがて、晴れやかな表情で朱雀は言った。
「ズレてるんだよ。表世界と裏世界は」
「はぁ?」
「んーと、御巫さんの家基準なのかな……基準がどこかはわからないけれど、どこからか少しずつ座標がズレてるの」
朱雀の言葉に、僕らは首を傾げたが、疎が声を上げた。
「ああ、なるほど。つまり表世界と同じ場所にあるとは言っても、ズレているから裏世界の伊楼羽神社は場所が違うのだな」
「そうそう。それに周りの景色も少し違うから……」
そんなことを言った時、唐突に地面が揺れた。
「何だ?」
「「地震っ!?」」
地震かと思われる揺れと同時に辺りがいきなり暗くなった。黒い雲に覆われている。
僕は嫌な予感がした。
それは御巫も同様のようで、彼女は叫んだ。
「朱雀さん!神社の場所はわかる!?」
「……うん!こっち!」
朱雀は来る時にずっと考えていたのだろうか。朱雀が僕らの前を走る。
やがて地震はおさまったが、太陽が隠されたせいで道がかなり暗くなってしまった。きっと、桐羽さんのせいだろう。そうとしか考えられない。
「ここだっ」
朱雀が止まったところには見覚えのある石段があった。
「早く行きましょう」
御巫が登ろうとした時、不意に後ろにいた天津が叫んだ。
「みかちゃん!妖怪がぁぁっ!」
「後ろから来てるよぉっ!」
炫も叫んでいる。
「神剣を抜いて戦いなさい!」
御巫が言うと、慌てながらも神剣を抜く妹達。その先に妖怪が見える。
「朱雀さん……頼んだわよ」
言って、御巫は朱雀に槌鋸を渡した。
その行動に朱雀は驚いている。
「えっ……でも!」
「大丈夫。きっと協力してくれるわ。出来なくても斬るくらいなら出来るから……」
困ったように朱雀は御巫を見上げたけれど、覚悟を決めたように神剣を受け取った。
それに御巫は少しだけ微笑んで、僕を呼ぶ。
「私と九十九君と疎は神社に行くわよ。あの子達には雑魚の掃討。早く!」
僕は正直、妹達と朱雀が心配だったが、そんなこと言っている暇もなかった。
僕ら三人は石段を駆け上がる。
息を切らして境内に入ると、そこには漆黒の翼を広げている、僕の父親がいた。
御伽を持って、嘲笑いながら、僕らを待っていた。
「錦、鳴波の娘……それにお前は?」
「燈梨疎という。巫女だ」
ふうん、と興味なさげに彼は疎を一瞥した。
一筋の風も吹かない気持ちの悪い境内で、僕の父親はーーー九十九桐羽は、御伽の鞘を抜いた。
「私がお前達に勝ったら、裏世界も表世界も、私の思い通りだな」
そんなことを言いながら。
「負けるわけないじゃない」
「そうだぞ。正義は勝つからな」
御巫も疎も、神剣の鞘を抜く。
「ーーー僕も、負けない」
呟いて、緑狩に願った。
ゆっくりと、鞘を抜く。
これが、最後の御伽噺。負けるわけにはいかないんだ。

其ノ拾

「とぉっ!」
一方、天津や炫は石段の下で妖怪を斬り払っていた。
「キリがないなぁ、もう」
「みかちゃんだったらばーっとやるんだろうけど……」
息をつく暇もなく、妖怪は現れる。天津と炫、そして朱雀だけでは少しだけきつい状況だった。
「ばーっと?」
朱雀が訊くと、天津と炫は頷く。
「なんていうか、こう……」
「こんな感じでっ!」
炫が御巫の真似をしながら神剣を縦に振ると、神剣から光の鎌鼬のようなものが出て、目の前にいた妖怪を切り裂き、消し去った。
それに呆然とする。
一時の間の後、炫は驚きのあまり大声を出す。
「え、えぇぇっ!?何か出たぁっ!」
「炫すげぇ!」
「え、えーっと、こういうことかな?」
朱雀が槌鋸を振ってみると、若干弱いが同じようなものが出る。
「私にも出来る……」
「……何か、一大事だからって。光冥が言ってるよ」
炫の言葉に天津も闇冥を振り下ろしてみる。
「出ないっ!」
「信仰心が足りないんだよぉ、天津は」
「んなわけないよっ!」
言いながら横に斬る。
「えぇー?出ないよ出ないよー!」
そんなことを言っている間に妖怪は現れる。
「ていっ!!」
光冥から出た鎌鼬は妖怪を斬る。
幾分楽になった戦いで、少しだけ安心できた。
「うー、何であたしだけ……」
「んー、何でだろうね」
朱雀も炫も首を傾げる。
その後も妖怪が現れるたびに神剣を振り、消す。その繰り返しだった。
「天津ちゃん、ちょっと貸してもらっていい?」
「え?うん、いいよ」
朱雀に闇冥を渡し、槌鋸を受け取る天津。
朱雀が横に振っても縦に振っても鎌鼬は出ない。
「ん……人のせいじゃないね、やっぱり」
「何でだろー」
「じゃあ……こうかな」
朱雀が暫く静止していると、闇冥の周りに闇色の光が集まる。
「ええっ!?」
それを見て朱雀が闇冥を振るとその光は前に飛んだ。
「なるほど。やっぱりねー」
「わ、わかってたの?」
「わかってたっていうか、天津ちゃんが静止している時にちょっとだけ陽炎みたいのが見えたんだよ。でも、天津ちゃんすぐ動くから、見間違いだと思ったんだけどね」
と、朱雀は笑う。
闇冥を再び手に取り、天津も試すと、朱雀と同じことが出来た。
「やったー!出来たーっ!!」
「よし、このままがんばろう」
「「うん!」」
三人は神剣を構えた。

「九十九君、父親だからって、神剣を使うのを渋っちゃ駄目だからね」
御巫が真剣な口調でそう言った。
「わかってる……」
不穏な暗闇に覆われた境内で、僕、御巫、疎は僕の父親と対峙していた。
緊張の糸が張り詰め、まだどちらも攻撃に出ずに均衡の状態が続いている。だけれど、いつこの均衡が崩れてもおかしくない。
「……そっちからかかってくればいい」
桐羽さんは言った。
「それはどうも」
御巫も疎も動かない。
どれくらいの時間が流れたのかはわからないが、桐羽さんが先に動いた。
彼は御伽を勢いよく振り下ろす。そこからは衝撃波のようなものが現れ、御巫の方に向かっていた。
「くっ……」
御巫は神剣の力でバリアを張り、なんとか防いだ。その瞬間に疎が駆け出す。
「無駄だ」
彼は低く呟く。御伽と炎尾は交わるが、炎尾を持った疎があえなく弾かれた。
「さすが、と言うべきかな……」
「でも負けるわけにはいかないのよ、疎」
「そうだな。九十九先輩……」
「……わかってるよ。でも、やっぱり」
怖いものは、怖い。
御伽を取り戻すためだとはわかってる。だけれど、実の父親を攻撃することに躊躇う。
「九十九君!」
御巫の声に我に返ると、目の前に桐羽さんがいた。間一髪、僕は神剣で防御する。
「錦、お前は私がこの世界を支配してもいいというのか?」
「……っよくない」
「だろうな」
意地悪く彼は笑って、僕を弾き飛ばした。
「先輩、平気か?」
危ういところを疎が受け止めてくれたので、傷は負わなかった。
「平気だよ……ごめん」
「謝ることはない。私も父親を斬れと言われたら、躊躇うからな。無理なら緑狩を貸せ」
「でも」
「せっかくの神剣が台無しだ」
彼女はふっと笑って、僕の手から緑狩を取った。
「御巫先輩、本気を出すか」
「そうね」
二人は頷いて、桐羽さんに向かって駆け出した。
攻撃や防御により出る神剣の光が、暗闇に包まれた境内を舞う。
激しい攻防が繰り返される中、僕は何も出来なかった。
「錦ちゃーん!」
不意に名前を呼ばれ、振り向くと、妹達と朱雀が駆け寄ってきていた。
「あれ、みかちゃん達……?」
炫は御巫達の方を見て言う。
「ああ……」
三人は少し疲れの見える顔をしていた。妖怪と戦っていたのだろう。……何もしていないのは、何も出来ていないのは、僕だけだ。
僕は、覚悟を決めた。
桐羽さん……いや、桐羽は、父親じゃない。敵だ。僕らの住む表世界と、御巫達の住む裏世界を支配して、めちゃくちゃにしようとしている、どうしようもない敵だ。
御伽を取り戻さなければなければ。
「朱雀」
「何?」
「神剣を貸してくれ」
「え……でも、九十九君」
動揺する朱雀に、僕は言う。
「この状況は僕のせいでもある。僕がやらなくちゃいけないんだ、だから」
「…………わかったよ。私は何も言わない。たぶん、今ここで私は役に立たないね」
寂しそうに笑って、朱雀は槌鋸を僕に渡した。
「ありがとう」
僕も笑って、鞘を抜きつつ御巫達の方へ向かう。
「御巫先輩!危なーーー」
「……っ九十九君?」
僕は桐羽と御巫の間に入り、攻撃を防ぐ。
「ごめん御巫」
言って、桐羽の攻撃を弾き返した。
「もう、躊躇わないよ」
「九十九君……」
「錦も本気を出すってことか。面白い」
桐羽は僕を見てにやりと嗤った。
「……九十九先輩、頼んだぞ」
「任せろ。あいつのことを父親なんてもう思わない」
「そうか」
「いくぞ」
桐羽は小さく呟いて、こちらに向かって飛ぶ。
僕は神剣の能力で、防御した。
同時に攻撃しても、避けられてしまう。三人でやっても同じだった。飛べないこちらに対して、向こうが上空に避けられると追撃が出来ない。
鎌鼬を出しても、弾かれて終わりだった。
「くそ……」
「錦ちゃぁぁん!達!目閉じてっ!」
炫の声がして、僕は咄嗟に目を閉じた。
目を閉じていても眩しくなったのがわかる。
「くっ……」
桐羽が呻く声がして、目を開けると、暗闇が晴れ、光が瞬いている。光冥の力だろう。
「今だぁ!錦ちゃんやっちまえっ!」
天津が叫んだ。
まだ少し光に慣れていないが、見えないと言うほどではない。僕は走り、桐羽に斬りかかる。
「ーーーごめん、桐羽さん」
呟いて、境内の地面に、光冥の光によって落とされた桐羽さんの背中に槌鋸を突き立てた。
「……まさか負けるとはな」
生粋の妖怪だ、神剣に斬られて平気な訳はないのだが、彼は笑う。
「妖怪が持つべきじゃないんですよ、特に御伽は」
僕は言う。
「他の神剣の親みたいなもんなんですから。どっちが悪かなんて、分からないはずがない」
「結局認められてなかったと言いたいのか?」
「認められる訳がない」
僕だって認めない。
桐羽さんの身体から、煙がもうもうと上がる。神剣によって浄化されているのだ。
「九十九君、ちょっといいかしら」
御巫が僕のそばに来る。
「やっぱり巫女じゃないと、浄化の能力は低いみたいね。守護者とはいえ」
彼女は、槌鋸に手を触れ、目を閉じた。すると先ほどよりも浄化の進みが早い。
「錦ちゃん……」
振り向くと、後ろに炫や天津がいる。
「お父さん……」
「消えてほしくないよ、錦ちゃん」
悲しげに言う二人に御巫は言った。
「それは無理なお願いだわ。浄化を途中でやめるわけにはいかないの」
「そんな……」
「天津と炫か。でかくなったな」
横目で妹達を見ながら、桐羽さんは呟いた。
「錦、天津、炫。咲埜にはこのこと言うなよ?」
「何で今そんなこと……」
僕は訊く。
「咲埜が悲しむだろ」
「……そうだな。わかった、言わないよ、桐羽さん」
もう彼が消えてしまうことには変わりないのだ。なら、彼の言うことを聞いてもいいだろう。僕としても、咲埜さんを悲しませたくはない。
「ありがとな」
桐羽さんは言った後微笑んで、それから一分も経たずに、浄化された。
「御巫……」
御巫は、地面に刺さった槌鋸を引き抜いて、御伽を拾い上げる。
天津と炫は静かに涙をこぼしていた。
「ありがとう九十九君。おかげで全部集まったわ」
御巫は何故か寂しそうに笑った。
そして彼女は泣いていた炫から光冥を受け取った。光冥は境内しか照らしていなかったため、御巫は暗闇に覆われた空を元に戻すのだろう。
光冥の光は暗闇を突き破り、辺りを明るくした。
昼の光が、閑散とした境内に差し込んだ。


其ノ終

あの後一度、僕らは御巫の家に帰った。天津と炫が泣き止んだ後に妹達と朱雀を疎が表世界に送っていくと言って、今は僕と御巫だけが、御巫の部屋にいる。
「……終わったわね」
「そうだな」
長いようで、短かったと思う。
「御伽は九十九君に返した方がいいのかしら」
「ん?いや……元々、御巫に預けるつもりだったから、いいよ」
御巫なら信用できるし。問題はない。
御伽も認めるだろう。
「そう……ねえ、九十九君」
「何だ?」
「言ってないことが……あるのよね」
少しだけ御巫は、言いたくなさそうな顔で僕を見た。
「……お前が寂しそうにしてるのはそれか?」
御巫は頷く。
「私……ほら、元々裏世界に住んでいるでしょう?表世界にいたのも、その……神剣を探すためだし、表裏結線を元に戻すためだし」
彼女はしばし躊躇った後、覚悟を決めたように、真正面から僕を見つめた。
「ーーー私、九十九君ともう会えないかもしれない」
「え?」
僕は驚きを隠せなかった。
何でそんな……。
「神剣の守護者だったとはいえ、今はもう違うし、それに……今までは表裏結線が弱かったの。だから九十九君も通れたんだと思う。だけれど、七本で今度は結線を張る……つまり、強力になるのよ……表と裏の境界が」
「それで……僕は越えられないって?」
「ええ、まあ……」
「でも、会えない……のか?御巫は超えられるだろ?」
「……超えられるけれど。でも、無理よ」
「何でだよ」
「両親が許してくれないわ。元々……表世界に行くのは駄目だったんだもの」
「……駄目って?」
御巫はため息をついた。
「裏世界の人間が……表世界に介入するのはあまり良くないのよ。妖怪がそっちに流れる恐れもあるし。巫女として仕事があるし」
「どうしても駄目なのか?」
「何よ九十九君、寂しいの?」
「当たり前……っ……だろ」
言ってて途中で恥ずかしくなってしまった。普段こんなこと言わないのに。
「一応、僕はお前のこと好きなんだぞ?」
「一応?」
「……お前のことが好きなんだぞ」
御巫は嬉しそうに笑う。絶対僕をからかって遊んでるだろ。
「私も九十九君が好きよ」
「ぐっ……」
この上なく恥ずかしい……。照れるというか、何というか。
「遠距離恋愛どころじゃねえだろ……表世界と裏世界って」
異次元恋愛?
いやいや、ジャンルとしてあり得ねえ。
「別れたくないわね……」
そう呟く御巫に僕は真剣に言う。
「もとより別れるつもりもねえけどな」
「きゃー九十九君かっこいい。惚れ直しちゃう」
「棒読みだ!」
「きゃー九十九先輩かっこいい。惚れちゃう」
「う、疎……!」
声がして慌てて扉の方を見ると、疎が笑顔で立っていた。完全に僕で遊ぼうとしている顔だ。
「で、何の話だ?正直私には九十九先輩がかっこよくは見えないのだが」
「直球だなあ、ストレートだけどデッドボールだぜ!」
「あまり上手くないな」
くっ……ちょっと自信があったのに!
「確かに疎、九十九君はあまりかっこよくはないけれど、ツッコミは一流なのよ」
「御巫まで!この野郎!」
「ツッコミだけか。まあ立派な取り柄だな、褒めてやろう」
「上から目線!」
こんなギャグっぽい雰囲気じゃなかったはずなのに……!
「……ってそうだ、御巫。疎に頼めばいいんじゃないか?」
「何を?」
「話が見えないぞ九十九先輩」
首を傾げる御巫と疎。
僕はふと思いついたことを説明する。
「巫女仕事というか……そういうのは疎に任せて表に来るとか」
「利己主義ね」
「自己中心的思考だな」
「う……言われればそれまでだがな……」
駄目かな、やっぱり……。少しだけ期待してしまった。
「ああ……なるほどな。御巫先輩が目的は達成したが、その後は、という話をしていたのだな」
疎は得心いったというふうに一人頷いた。
「そうよ、疎。それにしたって九十九君の考え方は……」
「ああいうのがのちにファシズムなんていう独裁者になるのだ、御巫先輩。今のうちに諦めた方がいいのでは?」
「お前ら最近空気が張り詰めてたからって、僕を傷つけていいかと言ったらそうじゃないんだぞ?」
わざとか?わざとなのか?
それとも疎はヤキモチを焼いているのか?僕と御巫の相思相愛具合に。
「九十九先輩黙れ。心の中が煩い」
「精神の自由奪われた!?」
「生命の自由も奪われればいいのよ」
「御巫、遠回しに僕を殺そうとするな!」
「いっそ全ての自由と平等を奪われればよいのだ」
「日本国憲法台無しだー!!」
日本国憲法(九十九錦を除く)みたいなもんだ。いじめだろ、これ。
「でも疎。九十九君のあの利己的発想を飲んでくれたりは……しないわよね」
「…………」
疎は僕と御巫を見て、肩を竦める。
「……ここで駄目だと言ったら、色々な人に文句を言われるのだろうな。全く、世の中というのは本当に不平等だ」
「じゃあ……」
「いいだろう。引き受けよう」
疎は優しく笑った。しかしすぐに真顔になって、僕を指差した。
「ただし九十九先輩!御巫先輩に手を出したらどうなるか分かっているな?」
「手なんか出さねえよ。お前じゃあるまいし」
「それは心外だ。前言撤回しようか?」
「いえ、嘘です疎様。あなたは素晴らしいです、はい」
「疎……ありがとう」
「何てことはない。先輩のためならそれなりに何かするさ」
それなりなんだ……。
とにかく、僕らは引き離されずに済むようだった。
「ネックは両親が許すかどうかなのよね……」
「あ」
すっかり忘れていた。疎が許しても御巫の親が許可出さなきゃ駄目じゃん……。
「そういえば九十九先輩、先輩の母親がひどく心配していたぞ」
「え、本当か?」
「せっかくなので家まで送ったのだ。そうしたら、錦はまだなの?と言っていた」
「妹達が僕らの件に絡んでることバレてる……?」
もしかして妹達が言っちゃったのか?馬鹿なのか?……言ってないことを願おう。
「だったら九十九君、一旦帰った方がいいわ」
「え、でも」
「こちらのことは私と疎がやっておくから」
「そうだぞ。任せるがよい」
二人がそう言ったので、僕は少しだけ不服だったが、家に帰ることにした。
もういない父親の日記が入った鞄を持って、御巫の家を出、表裏結線を問題なく超えた。
もうここを通るのは最後になるのかもしれないと思いながら、僕は家に着く。
「錦」
「……咲埜さん」
自転車を停めていると、咲埜さんが庭に出てきていた。心配そうに、だけど安堵したように僕を見ている。
「ただいま」
「……おかえり」
彼女は笑った。
咲埜さんは僕に何も聞かなかったし、僕も特に彼女に話さなかった。
ただ、夜ご飯を食べた後に、天津や炫がいないところで僕だけに問いかけた。
「お父さんはいた?」
随分と答えにくい質問をされたものだ。だけれど、僕は、
「見つからなかったよ」
とだけ言った。
それからは何を言われるでもなく、僕は父親の部屋に入る。
日記を元の場所……は覚えてなかったので、適当な場所にいれた。ふと思ったのだが、父親が海神の卒業生というのは、やはり嘘なのだろうか。学校に行っていそうではないが。
僕らに彼が妖怪だと思われないための、嘘か。
まあ今となってはーーーどうでもいいのだけれど。
僕は自分の部屋に戻り、かなり疲れていたのですぐに寝た。御巫のことに不安を感じながら。
「錦ちゃーん!!起きろ!」
「起きやがれー!」
なんだか久々に妹達の声で起こされたような気がする。
「起きろや」
「ぐふっ」
炫に鳩尾を蹴られて飛び起きる。
「お前なあ、何なんだよ、御巫か?お前は御巫なのか?」
「中々起きないからだよぉ。朝ごはん食べちゃうぞ!じゃない、冷めちゃうぞ!」
「何気に僕のを食べようとするなよ」
言いながら一階に下り、朝食もそこそこに、僕は再び部屋に戻って制服に着替えた。よく考えたら今日は学校なのだ。いつが終業式だったか、忘れたが。
その他諸々した後、家を出た。
「きゃー九十九君だわー。逃げろー」
相変わらずの棒読みで、しかも逃げなかった彼女。
「御巫」
海神の制服を着た彼女。御巫彩砂はそこにいた。
「許可出たわよ」
御巫は微笑んでそう言った。
「本当か!?」
僕の言葉に、御巫は頷く。
「ええ。まあ、一人暮らしをする羽目になったのだけれどね」
「そうか、気をつけろよ。僕のような輩がストーカーするかもしれないぞ」
「というか、それは九十九君じゃないの?」
「何を言うか。僕は変態じゃないぞ」
「……ふーん」
訝しげな視線を僕に寄越したが、僕はスルーしておいた。
いや、でも嬉しいのは本当だ。ストーカーはともかく。
「表裏結線はもう張ったのか?」
「ええ。疎がね。私はもう巫女じゃないというか……ね。力は使えるけれど、半妖なのは変わらないから」
「もしかして僕ら、疎に会えないのか?」
今更気づく。疎はたぶん、表世界には来ないだろうし。
「基本は会えないわね。会おうと思えば、私と九十九君が裏世界に行けばいいんじゃないかしら。それなら、きっと大丈夫」
「そっか」
僕一人では表裏結線はもう越えられないだろうしな。少しだけ安心した。あれだけ関わった人に会えないというのは、結構寂しいものだ。
「九十九君」
「ん?」
「これからもよろしくね」
「ーーーこちらこそ」
御巫と一緒に笑って、僕らは学校に向かう。
「とりあえずはデートね」
「先延ばしになってたからな」
なんてことを話しながら。
僕がこの一年間で体験したことは、実に荒唐無稽で、夢のようで、御伽噺のようで。今振り返るとあり得ないようなことばかりだったけれど。
それでもそれが、単なる御伽噺で終わらないように願おう。神様にでも願っておこう。

これはひとつの、僕らの物語。


御伽集 御伽 終幕

御伽集 完

御伽集

最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます。
長いような短いような、この御伽集という作品。
去年のいつだかに考えたネタでして、何回か書き直し、やっとこさ書き終わりました。完結しました。私にとって九十九くんや御巫さん、朱雀さんなどなどのキャラクターはとても愛着があります。ひとりでも好きになっていただけたら嬉しいです。
この小説は、小説家になろうというサイトにも掲載しております。

御伽集

高校二年生の九十九錦は、御巫彩砂に出会い、『神剣探し』を手伝わされることになり———。妖怪に出会ったり、別れたり、告白したりされたり。 彼らのおとぎ話の欠片。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-01-04

Copyrighted
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  1. 御伽