揺れ動く心~half sapphist~
恋というもの。
抱えて来た心の揺らぎが、今に確固としたものになって行く……かもしれない。
恋という力が。
時期に寄ったら揺れる緑がまた素晴らしい場所。鳥は春には何種類も声を囀らせるが、冬場はカラスや鳶が薄い色の空を翔ける。常陽樹はこのあたりでは針葉樹でもあり、明るい色を初夏に見える広葉樹は今の時期落葉している。
美しく繊細な梢(葉の落ちた木枝)を見ていると、カラスが誰かに合図を送っている。そちらを見るとはるか高いモミかプラタナスの木の天辺に停まるカラスは寒空に飛び立った。
冬の息は凍て付く。
心は少し、寒かった。恋する人は去っていき。
「………」
ここが今のあたしの住処。
・マイノリティ・
別に悪意はないのだ。その呼称に対する住民達の批判があることは確かであり、認められたい言葉に選ばれた名称すらもやはり島民たちから否定されるのであれば、やはり古き言葉を使い不確かながらも現す言葉の方がいいのではないか。
レズビアン、レスボス、サフィズム、ビアン、レスボ……それらはいずれも女同性愛者に向けられる言葉でもあるが、レスボス、レズビアンに関してはレスボス島民の呼称でもあるという。同性愛者への目はやはりどこか冷たいものがあるのか、女同性愛者をレスボス、レズビアンと呼ぶことを快く思わないというがそれも確かに仕方が無い。
それでも、愛を認められたい心に偽りもなければ悪意など全くビアン達には無い。むしろ、レズビアンという言葉に救いを求めている人も多いだろう。その呼称あってこそ世界にサッフォーが情熱を表した素晴らしい愛情を、優しく受け止めてもらいたいという願いも。
愛情は愛情であるのに差別的な目を向けられることは無い。アメリカでは女性、男性問わずゲイで締めくくる呼称がある。
ゲイパレードは同性愛の表現の自由と認められたい心が生んだパレードだが、それでも彼等ゲイとレズビアンですらバイセクシャルに対しては冷たい意見があるものだ。
それは世間がしていることと同じなのではないだろうか? 女しか、男しか恋愛がどうしても出来ない心を自分たちは認められたがっている心を、どうしても男にも、女にも心が苦しくなってしまう程に好きになってしまう、その心は男と男、女と女、女と男か女の関係でも純粋な愛の心に変わりは無い。
愛の間に裏切りがあるとすればそれは不誠実な形がとられた時だけで、愛に一途な真実があればそれは同じく大切に育みたい心だ。
・性の不確かさ・
「女性や女の子にも好意を向ける」
その言い方を以前友人にした事があった。
それは事実幼少の時代から始まったことで、小さい頃の初恋が実は性別が女性だったとか、僅か小学1年生の運動会でボーイッシュな6年生の女生徒に性的興奮を持ったとか、中学で親友に恋をして危うくキスをしたけたとか、職場で何度か女性を好きになって仕方なかったことはあって。
中学時代からは自分の性別に激しい疑問を持ち続け実は医学的には男の体や遺伝子が含まれているのではと悩み抜いたことも、パンツスタイルでなければ嫌だったり、女らしさに拒絶を覚えたりという部分もあったのだが、それでも自分がビアン寄りかもしれない事も思う事もなかったしましてや男の子も好きになっていたし彼氏もいたから同性愛者では無い、もしかしたらバイだろうかと思いもした。
それでも中学時代から男が嫌いな面もあり彼氏から甘えられると寒気がして男っぽい自己の細い体格がコンプレックスで裸を男女に見られる事も苦痛で女性風呂に自分も裸で入ることが中学から出来なくなった。美しい女性が好きでもありボーイッシュな女の子に恋ばかりするものだから、最近はほとほと自分を否定する事を諦めてみることにした。
自分を否定することは妥協であるから楽でもあって自分を嫌いになるのは疲れることでもある。怒りが凄いパワーを使っていてへとへとになる事と同じで。自分を認める力もまた心がギクギクすると共になんとも言えないものを感じる。
自分がバイセクシャルか、ビアン寄り?
ただ、以前初めて自分の性癖が不安で顔の見え無いPC上で相談をした所、あたしの男との恋愛は「彼氏に父性を求めているだけであって、それを彼氏に求める物では無い。話を伺うかぎりでは、あなたはどうやらビアン寄り」との回答があった。
「ビアン寄り」
薄々どちらかと思っていたものの、他から改めて断言的にいわれたその言葉が不確かさに揺れつづけたあたしに巨大な衝撃を伴ったものだった。
共に、心が幾分救われはしたことも事実であり……。
・孤独の心・
若い頃に幾度もはまり込んだ意味不明の孤独の闇底は実に冷たい川に足を浸している感覚で、自由を羨望し、強さを羨望し、崖の上にいる孤高の狼を見上げては心は涙を流して羨望したものだ。しなやかに強くなりたくて仕方が無かった。
その心と孤独と自己への性の不確かさはあたしの心を雁字搦めにして自由を叫びたくてひっそり膝を抱えて嘆いた。
怒りとは体の毒であって持ちたくも無いものを不条理に無情に全く門外の他から及ぼされる。
心が疲れて支えがいないときには恋人を作らないことにしていた。それでも恋だけはしていた。恋が心の支えになっていたから。ご先祖様や天へ行ってしまった人たちを心におく事も、感謝の気持ちと美しいことも心の支えになってくれている。諦めないっていう気持ちに。
だから、以前の学生時代の様にずっと沈み込むことも無く、仕事で体を極限まで動かすことで心はリフレッシュされ、そしてその仕事自体が生甲斐になって頑張れるから素晴らしい。
幾つも隕石の如く心に衝突してくる言葉や態度やいろいろな関係に傷ついても諦めない。
今でこそ孤独を感じることは無くなった。何年間もはまり込んでいた内に体調も崩してあらぬべき事も考え人生を諦めていたが今ではそれも昔の事になってくれた。
あたしは少しずつ心が成長するごとに、心の≪彼=孤高の狼≫に支えられてきた。心の奥からあたしに助言をしてくれたり、悩みを心に投げかけると励ましてくれてまったくあたしとは違った解釈と方向から光を見出してくれることもあり安眠できたりもした。その心の奥にいる人が発狂しかけたあたしを表に出て助けてくれたこともあった。
心に居てくれていて、あたしは同様にしなやかに強く、凛となれることを望みつづけた。
見守っていてねと心に伝えて。心をきよらかにいることも。
最近は≪声≫を聴けなかった。だから、最近は忙しさとストレスで余裕がどんなに無かったのかが分かる。
それまでは大切に育んできたから、大切にしよう。
あたしが全てに関して一人立ちできるように。
・無心と我武者羅・
職場で何に対しても一所懸命に取り組んできた。とっても不器用なやり方でもあったが誠意を込めて。
それを否定されつづけたが笑って返して来た。部屋で悔しくて泣いて来たが翌日にはまた頑張った。
それは自分には大きな夢があるからで、それを果たすためだ。ご先祖様にも誓ったことがあたしにはある。
我武者羅になっている時は無心だ。掃除をする毎に心も綺麗になって行く。そして自然界を見ると笑顔が溢れる。
・恋・
確かに一人身の自分に、しかもこんなあたしなのに声を掛けてくれる男性はいるが、警戒しか出来ないし好意ももてずに男というと夢を実現する時の体力的な補佐でしか考えられずに要る。
第一、あたしには職場に好きな女性がいた。アプローチできなかった理由はその彼女には彼氏がいたからだ。浮気が大嫌いなあたしは一途にしかなれないし相手がいる方には絶対手出しなどしたくはない。相手の彼女か彼氏を悲しませる事が自分的に許せないからだ。
あたしは不純なものが大嫌いだ。
そして今まで好きになった女性に告白できなかったのは一重に自分にそこはかとなく自信が無いからなのもあった。
それに、女性が女性を好きになって心焦がれて夢にまで目まぐるしく見ては想い患い、彼女の笑顔を見れば至高の幸せが体を駆け巡り……それらの心を受け入れてもらえる筈がないと思っていたからだ。
それでも、恋をしていた親友についてあたしは心なしか彼女もビアン系かもしれないと淡い期待を持ち続けていた。時々声を翔けてくれて遊ぶ間柄は何年来も続いて来たことで、彼女に彼氏の話をしたこともあったし恋の話もしてきた。
初めて「実は女性も好きになる」ことを言った時、驚きながらも認めてくれた。告白ではなかったけど、恋していた子にカミングアウトしたことで真っ赤になった。でも、同時に彼女がビアンではなかったこともどこかしら悟ってしまった。
恋愛の話を彼女から聴いた事がなかったから謎な部分だったけど、恋愛ベタな彼女が本気である男性に恋をした話を聞いた。
誰からも認められる形で進む彼女の恋愛を心から応援してあげたい。
あたしの大切な親友だから……。
・これから誰にときめくだろう・
あたしが将来、誰を好きになるかなど本気で分からない。
確かに今まで彼氏から様々を得させてもらった。結局彼等を嫌いになってしまったけれど。こんなどうしようもない自分を受け止めてきてくれた彼等は今どうしてるか分からないけど、彼等はあたしという存在を忘れてくれている事だろう。
なんて考えるのは彼等に失礼で勝手なことかもしれないけれど。
恋は不可抗力だ。
それは確かだけど、いけない人に恋をしてしまったらあたしは対処を置く。目を見ないし、それらしい態度を絶対に見せない。
目を見ると心が苦しくなると同時にその相手の後ろにいる大切な人の怒りや悲しみの姿が浮んで耐えらなくなる。
確かに、恋はどこも不確かなんかにしてくれなく、ただ激しい情念に焼かれそうになることもある。
ジェンダーの方向性がこんなに不確かなのに。
もしも今度好きになった人がフリーなら、自信が無くても告白してみよう……。
恋とは星屑みたいなものだ。恋する人の周りはきらめいていて、自己の心もキラキラする。
恋とは素敵なものでもあって、なのに心の違う人からは迷惑がられてしまう難しいものだ。
恋にも自己の定めた掟やルールは必要で、それさえ投げ打ってでも好きになってしまう心が苦しい。
真っ直ぐに「好き」といえる心を育むって素晴らしいことだ。
揺れ動く心~half sapphist~