エデン追放夜話
舞台中央、仰向けに横たわる、局部をいちじくの葉で隠しただけの全裸の男女にスポットライト。
アダム「本当、ありえない。」
沈黙。
アダム「いい加減しつこいんじゃないのか。」
エバ「やだ、起きてたんだ。」
アダム「フン。」
エバ「何度思い返してもムカムカするのよ。」
アダム「ムカムカするようになったのも今日が生まれてはじめてのくせによく言うよ。」
エバ「うるさいわね。」
沈黙。
エバ「やっぱり腹が立つ。ああ、これを腹が立つって言うのね。寝れないのよ。あんたがあの方に私が唆したんですって言ったあの時のあの光景が、頭からね、もうこびりついて離れなくって、寝れないのよ。」
沈黙。
エバ「ああ、蛇の言うことなんて聞くんじゃなかったわ。ね。」
アダム「さあ。」
沈黙。
エバ「そういえばあの蛇どこに行ったのかしら。すっかり忘れてたけど、あいつも私たちと同じようにあそこを追い出されたんだった。」
沈黙。
エバ「ああ、星が綺麗。あそこにいた時は星を、いいえ、空を見上げるということすら思いつきもしなかった。」
エバ、両腕をうごめかせて、
エバ「よく見たら…、こうして私たちが今横たわっている大地に生えているふさふさの若草も、こんなにつやつやとしていて、でも触ると縁が少し鋭いだなんてね。気をつけないと身体を傷つけてしまいそうよ。」
エバ、仰向けに寝ていた身を勢いよく起こして、
エバ「アダム!土の匂いをあなた嗅いだことはあるかしら?今ね、試しに地面をほじって指で土をつまんでみたけど…、何故だか懐かしい匂いが、」
アダム「なぁ、君はいい加減黙っていられないのか?さっきからずっと喋りどおしだろう、寝かせてくれよ。」
沈黙。
沈黙。
エバ「ごめんなさい。」
エバ、ゆっくりとその身を横たえる。
沈黙。
エバ「でもね、喋らずにはいられなかったのよ。」
沈黙。
エバ「ああ、また喋っちゃった。でもね、私どうしても言いたいことがあるの。ね。私たち、同じようにあの方に作っていただいた仲じゃない。あともう少しだけ、私のお喋りに付き合ってくれないかしら。」
アダム、微動だにせず、大袈裟なため息をはく。
エバ「正直言って、私はまだ、アダム、あなたが私と一緒にいるっていうことにまだ慣れない。」
沈黙。
エバ「あなただってそうだと思うわ。私のことを受け容れられないはず。」
沈黙。
エバ「確かに、私たちははじめから二人だった。私はあなたから生まれた。それはそう。でも、私たちはお互いを見ることはなかった。」
沈黙。
エバ「私たちは、いえ、少なくとも私はよ、何か薄くて、どこかあたたかな膜の中に、この世のすべてにこの身を包まれていたような気分だったの。」
沈黙。
エバ「気持ちよくてね。何も知る必要はなかった。何ものをも知ろうともしなかった。だから私はあなたを知らなかったし、あなたも私を知らなかったんだわ。」
アダム、ゆっくりと双瞼を開く。
エバ「私はあなたから生まれたけれど、あなたはあの方から生まれた。この空も、大地も、若草も。すべてがあの方から生まれた。私、思うのよ。あの園にいた時の私たち、一つだったのよね。私たちっていうのは、私とあなた、それだけではなくて、空も、大地も、若草も、蛇も、あの方も、すべてが一つだったのよ。」
沈黙。
エバ「すべてが一つだったから、知る必要はなかったのね。知ってもらう必要もなかった。だって、すべてが私たちの中にあって、私たちはすべての中にあったんだもの。」
アダム「でもだからこそ、俺たちは『俺たち』になれなかったんだ。」
アダム、ゆっくりと半身を起こし、エバを見つめる。
アダム「お前がいなければ、『俺』は『俺』になりえなかった。」
エバ「そうね。」
エバ「そう。あなたがいなければ、多分。私は私のこと、気にかけなかったわ。」
アダム「うん。」
アダム、視線を客席へ。
エバも半身を起こし、客席を見つめる。
エバ「あなたがいなければ、こうやって話すこともない。話すことがなければ、考えることもない。考えることもなければ、私は、」
沈黙。
エバ「私は、…、何をしてたのかしらね。何を考えてたのかしらね。あなたがいなければ。」
沈黙。
アダム「まるで水面を見てるような。」
エバ「ええ、私たち。」
沈黙。
アダム「だから、難しい。」
エバ「意識しだすと、ね。」
アダム「得体が知れない。」
アダムとエバ、見つめ合う。
ゆっくりと、お互いの頬に手を伸ばしあう。
エバ「思ってしまったの。」
アダム「何を?」
エバ「蛇のこと。」
沈黙。
アダムとエバ、互いの頬から手を離し、膝にゆっくりと両手を載せる。視線は客席へ。
エバ「あの方はお怒りになったわ。蛇が私たちを唆したことにも、私たちが蛇に唆されたことにも。そうよね?」
アダム「ああ。」
エバ「そもそも、私たちはあの方から創られた一つの存在だったわね。ああもちろん、私たちっていうのはこの私の目に見えるすべてのもののことを言うわよ。」
アダム「うん。」
エバ「ねえ、それならなぜ、蛇は私たちを唆したのかしら?」
沈黙。
エバ、勢いよくアダムに半身を向けて、
エバ「そうよ!そうなのよ!あの方に間違いはなく、あの方は全能。ならばなぜ蛇は」
アダム「やめた方がいい」
エバ「やめないわよ!知りたいわよ!」
沈黙。
沈黙。
沈黙。
エバ、小さくため息をつく。
沈黙。
エバ「私たちがあの実を食べてしまったら、もう、考えることをやめられない。知ることをやめられない。どうしてかって?私が私になったからよ。すべてがすべてを包括していた一つの輪から、外れてしまったからよ。すべてを失ったからよ。」
沈黙。
エバ「全知全能であるというあの方が蛇を作って、その蛇が私たちを唆したのってどういうことなのかしら。」
アダム「考えちゃいけないことさ。」
エバ「ああ、大きくあたたかな腕に抱かれていたあの頃!あんなにも心地よかった。それなのにあの偉大なる御方をも、こうして疑わなくてはならなくなるのよ。ねえ、考えるのって、こんなにも大変なことなのね。私が私を知るのって、こんなにも辛いことなのね。」
アダム「あの方を愛していたから。」
エバ「そう。」
沈黙。
沈黙。
舞台に風が吹きわたる。
沈黙。
エバ「考えるようになってしまったし、あの園にも追い出されてしまったし。もう踏んだり蹴ったりね。とんでもない罰。ああ、これからのことを考えたら気が狂いそう。」
アダム「だから、考えちゃいけないことなんだって。」
沈黙。
アダム「ただ。」
沈黙
アダム「あの方は、この園から出て行くことを、働くことを罰だとおっしゃった。」
エバ「罰だと思うわ。ああ。」
アダム、身を乗り出してエバの方を向く。
アダム「本当にそうだろうか。」
エバ「えっ。」
アダム、立ち上がって動き回り、エバや観客に視線と身体を向けながら、
アダム「思ったんだ、今日一日のことを振り返って。俺たちはあの園を追い出され、園の外、俺たちにとっては未開の地をこうしてさまよい歩いている訳だ。園にいた時は簡単に飲むことができ、簡単に食べることができ、簡単に休むことができた。エバ、君も嫌ってくらい実感しただろうけど、飲むこと、食べること、休むことは本当に難しい。今だって、園にあったような木もなく、夜に活動する動物たちが草むらを掻きわける音もなく、隠れるところも何もあったもんじゃないようなところで休むしかないじゃないか。ああ、これを不安というのか?この場所にいて黙って何もしないでいると、俺はどうしたらいいのかわからなくなってしまう。寝て、どう名前をつけたらいいのかわからないこの胸くそ悪い感情を、身体の、もう奥も奥の方へと押しこんできっちり蓋をするしかないんだ。でもな、昼間に君とこの辺を動き回って、獣が襲ってきやしないかとびくびく怯えて、高い木の上になっている果実をとるのに身体中青あざをいっぱい作って、汚い泥水を二人して吐きそうになりながら啜って、こうしてやっとの思いで寝床を見つけて、それで気がついたんだ。昼間に大変な目に合ってる間は、この得体の知れない『不安』のことがすっかり頭の中から消えて無くなっていたって。簡単に生きていけないことが、生きていくことを少しは楽にしてくれるんだ。」
エバ「そう、かしらね。」
アダム「だからこうも考えられないか、エバ。俺たちは確かに素晴らしく居心地のいい園を追い出されてしまったけど、生きていくことをこうやって難しくしたのは、せめてもの、あの方からの愛情なんだって。働くことは一見すると罰だが、それをすることで何も考えないようにしてくれたのは、」
沈黙。
沈黙。
舞台に風が吹きわたり、フクロウの鳴く声がする。
沈黙。
沈黙。
暗転。
しばらくの沈黙ののち、暗闇に中で声のみ、
エバ「『愛』?ねえアダム、私たちがあの方のその『愛』とやらを受け続けるのにはやはり犠牲が伴うわ。これはただの鎖に繋がれた安楽でしかない。あの方へ永遠に頭を垂れ続ける運命を、私たちは背負ってしまったんじゃないのかしら?私たちは考えることでその鎖を断ち切り、正面きってあの方と対峙することできるんじゃないのかしら?そうすることが、結果として男と女として切り離され、世界とも切り離された私たちが私たちとして生きる、せめてもの矜恃ってものじゃないのかしら?」
沈黙。
沈黙。
沈黙。
エデン追放夜話