繋がった根っこから離れると

孤独に悶え苦しむのは、根っこによって繋がっているから。

情報は増えれば増えるほど、社会の中に組み込まれ、人を繋ぐ根っこを伝って、どこに光が射し、どこに栄養があるのか、自分の所にはないのか、知る。

その根っこを自ら切り取って、独自で水を吸ってみる。

一旦離れてしまうと、私という物が浮き出て来て、他者を羨むも何も、他者にはなれる訳も無く、自分自身は自分自身以外ではあり得ないことが、こんなにもはっきりとわかる。

それには、どこかで孤独にいる存在との共有が少なからずある。

それは私が孤独である事を肯定してくれるもので、それは往々にして耳から世界を変えてくれる。

まるで先ほどと全く違った宇宙の一角に連れて来てもらったかのように、自分が自分である事以外のなにものでもない空間に来れる。脳の一角にあるのだろう。とても安らかな絶対の個人。

人を羨んだ事や、人を恨んだ事も、全部愚なものとなってしまう、それは死後の世界に近いのかと頭で考えるが、死んでいた記憶が無いのではっきりとは言えない。

生きているからこその 『存在』 であり、まぎれも無い個人である絶対的な己。

この静寂は人と繋がった瞬間に掻き消える。

いつまでもいつまでも浸っていたい美しい孤独。

根っこの繋がった厳し過ぎる孤独はもう嫌だ。

この宇宙のような自分を囲む空間でいることを肯定しよう。

そしてここに運んで来てくれたのはやはり人であり、なぜこの孤独が安寧をもたらすのかと言えば、それは人の孤独がここにあり、それはまぎれもなく人のたどり着く1カ所であろう事から、先代がそこを通った記憶があり、そこには今かすかに存在のような物を感じるから。

繋がった根っこから離れると

繋がった根っこから離れると

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-12-30

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