夕食
「南園の杏仁豆腐はまあまあね」
札幌駅の西側北口で待ち合わせて、助手席にすべり込んこんできた亜希子。
「同僚の男性の分も食べちゃった・・・」
さっきまで、君が座っていた黒のレザーシートから、亜希子の華やいだ声が聞こえてくる。
PTA役員との懇親パーティだった。
北へ向かう幹線の国道は午後9時過ぎ、
前を走るクルマ達のテールランプが幾重にも重なり、
ぼくは、ふとあの小さなペンダントの輝きを思い出していた。
あの小さな強い輝きはひかえめで、でもしっかりしていて君に似合っていたよ。
大人になりかけの君、ぼくとはふた回りも違う。
君はデパートのエスカレータで決してぼくの前に立とうとはしなかった。
歩くときも前は歩かない。
スタイルを気にしているのだろうか?
そんなことしたってぼくは君のシャワー姿を知っているし、
優しさとか、慈しみとか、淑やかさとか、温もりだとか、穏やかさだとか、
そんな気配を感じながら君とひとつになったんだよ。
もっとスリムになりたいのかな?
そんなことないのにね。ぼくはいまのままの君が好きだよ。
そんなことではない、
君はこんな年上のぼくと寄り添って歩けなかったに違いない。
ましてや街中の混雑した往来だ。知ってる人に見られるかもしれないのだ。
「校長はわたしが小学のころ教員住宅のお隣に住んでいた人なのよ」
「だから、いまでも亜希子ちゃんって呼ぶんです」
「それはないよね」
パーティの余韻なのか、ちょっと饒舌な亜希子。
ほんの数時間前まで君と過ごした時間が、もう遥か彼方に遠ざかっていく。
デパートを歩く楽しげな君。
ぼくがペンダントのプレゼントを選んでいるとき、
ふと振り返ると君がいない。
君は何知らぬ顔で遠くの売り場で時間を潰している。
リボンを解くときのトキメキが好きなんだろう。
劇場の下のカフェで濃い雲南珈琲を飲んだ。
スタンドで洗車してもらったとき、
お店の中で待っている君はみんなの視線を浴びて、
ぼくはちょっといい気分。
石狩の海が見えるペリーゴールで
スパークリングワインと、
君のお土産のブルサン・アーユとポワブルを食べた。
緩やかで柔らかな時間に、君はほんとに綺麗だった。
天使だった。
帰りにROYCEのショップでマロングラッセと
ミルクチョコにグランマニエをブレンドした
華やかな甘さのオレンジブランデーを買った。
すべて君とのさわやかなシーン。
市内への帰り道の3車線道路の信号で停車したとき、
たまたま先頭になり、
信号が青になると同時に右に並んでいたS2000が飛び出した。
意識したのかな?
S2000はとても加速がすばらしい。
こちらも最初からフルスロットルじゃないと敵いません。
水平対抗6気筒3.3リッターツインカムエンジンを心臓に持つ、
このスポーツタイプクーペも、こんなときはあまりに鈍重だ。
信号で一旦回転数が落ちたエンジンは回復するのに時間がかかる。
S2000はそういえば何度かレーシングしながら回転数を高く保っていたようだ。
数100m走ってやっとこちらが時速150kmを超え加速体制に入ったところで、
なんと信号が赤になってしまったがS2000はすでに振り切っていた。
こんなスピードにも君は楽しげだった。
「夕食は食べたの?」
「うん、コンビニ弁当で済ませたよ・・・」
「帰ったら何か作ろうか?」
「いや、もう遅いしだいじょうぶだよ」
きっとこの時間、君はぼくの知らない君の時間を過ごしている。
それは理解している筈だし、それでいいのだと思う。
逢えた時だけ幸せならそれで充分なのだ。
でも、逢った後はどうしてこんなに不安なのだろう。
----君はローレライ。
右折をするとまもなく我が家が近づいてきた。
まもなく明日の光が輝くね。
君は君のやり方でこれからのいのちを生きていく。
ぼくはぼくのやりかたで・・・。
愛したい気持ちと愛されたい気持ち、
虚構のバランスとアンバランスに彷徨っているぼく。
また、逢おうね。
夕食