輝かしい希望のように

 あの頃は自分のこと、醜いと思っていました。実際醜くかったのです。臭いだって、自分ではわかりませんでしたが、ひどいものだったでしょう。何せいつ服を洗濯したか、いつお風呂に入ったか、覚えてもいないくらいだったのです。わたしも弟も。
 わたしは七歳で、弟は五歳でした。醜さと汚さのせいで、わたしは学校でずいぶんいじめられたものですが、弟がそんな目にあわなかったことがせめてもの救いです。だってひどいものですよ、小さな子どもって。大人の目を盗んではおなかを蹴ったり、水をかけたり、ごみや虫の死体を投げつけたり。弟が、わたしの小さな弟が、もしそんな目にあっていたらと思うと、それだけで涙があふれそうになります。優しくて純粋な子でしたから。
 母は、美しい人でした。本当に美しい人でした。その美しさが普通でないことは、子どものわたしにさえわかりました。彼女には容姿のほかに美点もあったはずですが、その何もかもが見た目の美しさにかすんでしまったほどです。母がどのような人だったか、後年色々な人に尋ねてみたものですが、答えはみな同じでした。美しい人。ただそれだけ。
 小さな頃から可愛い可愛いと言われ育った母ですが、高慢でも意地悪でもなく、いつもほほえみをたたえている、おだやかでおとなしい人でした。それは周囲が彼女にそれを望んだからです。しかし、当たり前のことですが、心の内には容姿に対する並々ならぬ誇りがありました。取り立てて趣味や特技を持たなかった母にとって、その容姿こそがアイデンティティだったのです。彼女はその容姿を保つために、時間もお金も惜しまずあらゆる美容法を試しました。紫外線を恐れることは異常なほどで、十代の頃から黒いマントのような上着を愛用していたそうです。
 ですから、そんな彼女が結婚相手を容姿で選んだのも、当然のことかもしれません。母は自分の遺伝子を汚し、醜い子どもをなすことに耐えられなかったのです。産まないという選択肢もありませんでした。美しさを後世に伝えることを、自分の使命のように考えていたからです。
 大きな会社の受付嬢をしていたので、人と会う機会はたくさんありました。もちろん声をかけられることも。彼女はそれら候補者の中から、まるで神のように一番美しい男を選び、選ばれし者は有頂天になって彼女と結婚したというわけです。母がまだ二十三歳のときでした。もっと時間をかけて選んでもよかったはずですが、若いうちに出産したほうが身体へのダメージが少なくてすむ、と彼女は考えたようです。この結婚は親族に反対されましたが、母は生まれて初めて自分の意見を押し切りました。結果、母自ら連絡を絶った形で、親族とは疎遠になってしまいました。
 あれは、幼稚園の入園式の日です。わたしは真新しい紺のブレザーに身を包み、母に手をひかれながら、園内を歩いていました。誰もが振り返ってわたしたちを――いいえ、母を――見ました。白いスーツとフリルブラウスを身につけ、これも白の日傘を手に、やわらかな日差しの中を歩く母は、ほかの母親たちとはまったく別の人種でした。おかあさんは天使なんだ。わたしはそう思いました。汚い人間たちの中に凛として立っている、たったひとりの天使。
 父のことは、あまり覚えていないのです。お仕事だから帰れないの、という母の話を、わたしも弟も無邪気に信じ込んでいました。母を崇めるようにして結婚した父ですが、弟が生まれる頃には、浮気を繰り返すようになりました。母の容姿が衰えたわけではありません。父にとって母は、花や人形のようなものだったのです。美しいけれど、飾っている内に存在を忘れてしまう。
 その程度の男だったといえばそれまでですが、父の心情もわからないではありません。母は本当に人形のような女性でありました。人の目に美しく映る他は何も望んでいませんでしたし、父のことは愛してすらいなかったと思います。しかし、そうではあっても、母には父の態度を受け入れることができませんでした。男に愛されないということは、容姿に対する絶対の信頼を打ち砕かれることだったからです。
 小学校に入る頃には、家庭は壊滅的でした。毎夜毎夜狂ったように叫び続ける母、物を投げる父。やがて父は消え、母は動かなくなりました。一日中ベッドの中にいるようになったのです。水を飲んだりトイレに行ったり、そういったことはもちろんありましたが、ひどい時にはそれすらできず、一日中一歩も動かないこともありました。食べるものは時々わたしたちに買ってこさせましたが、菓子パンやインスタント食品ばかりでしたし、食べること自体ほとんど忘れていたようです。それで母は、今度は思いこみではなく、本当に美しさを失って行きました。そして、わたしたちきょうだいも。二人そろって見る見る内にやせこけ、汚れ、強烈なにおいを放つようになったのです。しかし不潔さなど、飢えに比べれば何ということもありません。わたしたちは子どもで、全身に栄養が必要でしたが、母から小銭をもらわねば何も買えませんし、その母はほとんどものを食べないのです。しかしわたしなどまだ良い方でした。学校に行けば「くさい」だの「便所」だのと言われますが、それでもお昼には給食が出るのです。わたしは臆面もなく何度もおかわりをし、クラスメイトの残したパンを袋に詰めて持ち帰りました。本当は禁止されていることですが、先生は黙認してくれました。
 学校の帰り道です。日は高く、せみがみんみん鳴いています。ランドセルの中では教科書と筆箱ががたがた音を立てており、手提げかばんの中ではパンが食べられるのを待っています。わたしはさっきあったことを思い出していました。帰りの会のあと、保健室に呼ばれたのです。
「おうちには誰かいる?」
担任の先生に連れられそこへ行くと、保健の先生のほか、知らない大人が数人立っていました。彼らはわたしの服を脱がせ、背骨やあばらを検分した後、いくつか質問をしました。
「おかあさんと弟」
「おとうさんは?」
「いない」
「どこにいるの?」
「知らない」
「おかあさんは何をしてるの?」
「何も」
「何もって?」
「ずっとベッドの中にいる」
 古い空き家が取り壊された後地があって、草がぼうぼう茂っています。わたしはそこに入って行きました。ひっぱると、ぷちんと音を立ててちぎれる草は、青臭くて食べられそうにありません。一度、散歩中の犬が食べているのを見たのですが。
もうすぐ夏休みです。夏休みの間は、給食がありません。そしてものを食べなければ、わたしは死んでしまうのです。弟も。ああ、弟と二人、草になれたらどんなに良いでしょう。草ならば、ものを食べなくても生きて行けるのに。
草は茂り、セミは鳴き、アリは這っています。燕だって飛んでいます。みんなああして生きているのに、どうしてわたしと弟が、死ななければならないのでしょう。
 
 五歳の弟を見捨てなかったことが、わたしの人生における最良の選択です。天使のような母に宝物のように抱かれ、七月の朝やってきた小さな生き物を、わたしは見捨てることなどできませんでした。弟はその頃にはもう「おかあさん」とは言わず、「あやちゃん」とわたしの名前ばかり呼んでいました。学校から解放され家へ着くと、ぱたぱた小さな足音とともに、弟が駆けて来るのです(弟は幼稚園には通えず、一日中家の中にいました)。薄汚れやせこけた、かわいそうな弟。わたしに残された最後の家族。わたしは弟とパンを分け合い、二人で空想の世界を築いて行きました。そこには食べても食べても減らないパンがあり、お金や宝石があり、ぬいぐるみの動物たちが――ウシのモウちゃんと、コアラのキングと、キリンのサバンナが――豊かな自然を育み、女王のわたしがいて、王の弟がいて、そして優しい父と母がいました。弟やぬいぐるみたちとその世界にいる間、わたしは心から満たされることができました。だから、あながち不幸でもなかったのです。わたしはわたしなりに、自分の状況というものを受け入れていました。弟もそうだったと思います。
 おなかがすいてどうしようもないときには、二人で甘い匂いのするスタンプをかぎました。ぶどうの匂いがするものと、メロンの匂いがするもの。それは非常食でした。匂いは食べられないかわりに、なくなることもありませんから。
 土曜日。雲ひとつない青空が広がっています。夏の始まり。わたしは弟と久方ぶりに洗濯をすることにしました。洗濯といっても洗濯機の使い方はわかりませんから、浴槽で石鹸水をつくり、服を投げ込んでこするだけです。生乾きだと却って臭くなりますから、晴天の土日にやる必要がありました。
 ベランダで衣類が風になびいているのを見ていると、わたしたちは何だか幸福な気持ちになりました。充実感、といいますか。やる気が出たわたしたちは、小さくなった石鹸で体と頭を洗い、歯をみがき、部屋中のごみをごみ袋に入れ、タオルを数枚犠牲にしてぞうきんがけをしました。それというのも前日、先生がおにぎりを持たせてくれたので、わたしたちはここ数カ月で初めて、おなかが満たされていたのです。
 さて、お昼になり、これも先生にもらった板チョコレートをかじっていると、玄関のチャイムが鳴りました。返事をしないでいると、数回続けて鳴りましたが、いつも通り無視を決め込みました。どうせ「新聞屋さん」か「宗教の人」に決まっています。わたしたちには遊びに来てくれる友達などいないのですから。
 返事がないとわかると、訪問者はドアをたたき始めました。
「森沢さあん、すいませえん、市の子育て支援担当の者ですがあ、いらっしゃいませんかあ」
もちろん返事はしませんでしたが、声はなかなかやみません。森沢さあん、森沢さあん。男の声はわたしたちを呼び続けます。わたしたちが中にいるのを知っているのです。
 ドアの外が騒がしくなってきました。訪問者は一人ではないようです。そこに、親切で節介焼きの隣人(五十代のおばさんです)の声が加わりました。それを機に、声の主は徐々に増えて行きます。だんだん怖くなってきました。あの人たちは、わたしたちがここにいるのを知っている。このまま出なかったらどうするだろう。ドアを破壊する?窓から侵入する?そして、わたしたちを見つけたら、一体。
「うるさいな」
その時、一週間ぶりに母が言葉を発しました。しかも「パンを買ってきて」とか「ラーメンを買ってきて」以外の言葉を口にしたのです。
 うるさいな、と母はもう一度言い、ベッドから下りました。脚はもう骨と皮ばかりです。こんな脚で歩けるのかしらと思いながら見ていると、母はよろよろしながら洗面所へ向かいました。さあさあ、という水の音。しゅっしゅっ、というヘアスプレーの音。トイレを使った後、母はクローゼットへ向かいました。そして現れた彼女は、まっしろなコットンワンピースに身を包んでいました。
 圧倒的な美しさでした。たった今までベッドに横たわっていた死体のような人間が、まるで魔法をかけたみたいに、美そのものに変身したのです。母はシンデレラなのだと思いました。きっとどこかに彼女を守護する妖精がいるのだと。
「おかあさん、きれい」
わたしは言いましたが、母は答えませんでした。そして、玄関に向かうのかと思いきや、ゆっくりと反対側に向かって歩き出しました。洗濯物をかきわけながら、最後の力をふりしぼり、彼女はベランダから飛び降りたのです。
 即死でした。部屋は七階でしたから。サイレンが鳴り、ドアが開き、人がなだれこんできて、わたしは知らない女の人に抱きしめられました。「かわいそうにかわいそうに」という声、涙。ああよかった、と思いました。ひとつの美が汚れて行くのを、もう見なくて済むのですから。

 お線香の匂い。すすり泣く声。本当かうそかわからないけれど、悲しそうな顔が、ここにも、あそこにも。
 パイプいすに座らされたわたしと弟は、さきほどから何度も知らない人たちに話しかけられていましたが、何を言われても黙っていました。何をどう答えたものかわからなかったし、何の感情も浮かんでこなかったからです。父とは連絡がとれなかったそうで、母の死後、わたしたちは祖父母の家に泊まっていたのですが、二人とも予想以上に年をとっていました。それまで知らなかったことですが、二人は四十のときに母を授かり、そのときには七十歳にもなっていたのです。何でも最初の結婚で子をなせなかった祖母を、縁遠くて未婚だった祖父がもらった、という話でした。
 隣に座った祖母の手を、わたしは何度も盗み見てしまいます。干からびた、しわしわの手。短い指と、しじみみたいな平たい爪。どうやってこの人から、すべすべした白い手の母が生まれたのかしら。
「みどちゃん?」
声がして顔を上げると、その人はそこに立っていました。「みどちゃん」というのは母のことです。「みどり」という名前でした。
「みどちゃん」
大きな目にみるみる涙がたまり、こぼれて行きます。装飾のない黒いワンピースを着た母の姉は、小さく細く、美しかった母とは全く違う地味な顔立ちでしたが、清潔で少女のような感じがしました。
 伯母はわたしと弟を見、無言で二人を抱きしめました。豊かな黒い髪が鼻をくすぐり、わたしはそれを森のような匂いだと思いました。その芳香に包まれながら、わたしはなぜ「みどちゃん」なのかしらと考えていました。わたしも弟も、母にはちっとも似ていませんでしたし、美しくさえなかったからです。
 伯母にわたしは右手を、弟は左手を引かれながら、母の棺を見送りました。人間の美しさなど、遅かれ早かれ、こんな風に失われてしまうのだと思いながら。

 じゃあ、行って来るからね。誰が来ても、絶対に、絶対に出ちゃだめよ。
 そう言って出て行く伯母を、わたしは勇ましい少女のようだと思います。伯母は本当は、わたしたちと同じ子どもなのに、体だけが大人になってしまったので、理不尽な外の世界へ毎日出て行かねばなりません。お金を稼いで、わたしと弟の食べるものや着るものを買うために。
 光あふれる七月の中に伯母は足を踏み出し、ドアは閉じられます。ぐぐ、がちゃり、という音とともに閉められる鍵(伯母は必ず自分で鍵をかけました)。わたしはほっと息を吐きます。朝は少し苦手です。起きてごはんを食べて、伯母が出勤するまでの時間。だって何だか、罪悪感がわいて来るんですもの。
「あやちゃん、お風呂見に行こう」
弟がTシャツのすそをひっぱり、わたしは現実に立ち返ります。わたしの弟は十歳になりましたが、今でも小さく細く、昔とちっとも変っていません。
「うん、行く」
 薄暗いお風呂場は、夜はただのお風呂場ですが、午前中は違います。窓から一筋の光が差し込んで、それが水色のタイルを一部だけ照らしているのです。窓が小さいため、光は一本の線のようで、そのささやかさがかえって、光の本当の力を示しているのでした。
「きれい?」
弟が、幸せそうに尋ねます。
「うん、きれい」
ありとあらゆるものに、わたしたちは二人で評価を下して行きます。きれいなもの、きたないもの。すきなもの、きらいなもの。やさしいもの、こわいもの。そうして良い評価を下したものはいつでも心を照らしてくれますし、悪い評価のものについては、どうしてだか、わたしたちを面白がらせてくれるのです。だからわたしたちはいつでも幸福でした。
 勉強しようか。わたしが言いますと、弟はかすかにうなずきます。光の線と、水色のタイルを眺めたまま。伯母がこの光景をともに味わえないことを、わたしは残念にも、気の毒にも感じています。
 さて。時間はたくさんありますが、全部を好きに使えるわけではありません。私たちは日あたりの良い居間に向かい、今日の勉強にとりかかります。缶ペンケースを開けると、背の順に並んだ五本のトンボえんぴつ。どれもどれもほどよくとがっています。弟はえんぴつをけずるのがとても上手です。袋から、今日の分のプリントを取り出しました。わら半紙の、ちょっと貧乏くさいけれど素朴な匂い。伯母は担任の先生に大きな封筒を何枚も渡していて、週に一度一週間分のプリントを受け取っているのです。そういうわけで、一週間遅れながら、同級生たちと同じ課題に加え、伯母の選んできたドリルを毎日やることになっていました。
 異なる
 異議
 異論
 異文化
 紙に漢字を書きつけながら、わたしは今日のお手伝いのことを考えています。今日は、ぞうきんがけだったかしら。お手伝いは一日に一つ。クイックルワイパーとか洗濯物の取り込みとか、簡単なことです。火を使うことは許されていません。わたしは一日ひとつと言わず、もっといろいろやりたいのですが、伯母には却下されました。
「あんたたちを奴隷扱いするわけにいかないもの。かといって何もさせないわけにもいかないし。学校ではみんなお掃除してるんだから」
とのことです。
 お手伝いはなべて楽しいものですが、わたしの気に入りは雨の日の洗濯です。雨の日は浴室の物干しざおに洗濯ものをつるし、除湿機をつけて乾かします。すると浴室の中は衣類用洗剤の良い匂いでいっぱいになるのです。暑いので、中に入ることはできませんが、脱衣所に座り戸を少しだけ開けて、ぬるく湿った空気とともに匂いを吸いこみます。花の匂い。蜜の匂い。風の匂い。草原の匂い。わたしと弟は匂いを形容する言葉を探しながら、まだ嗅いだことのない匂いに思いをはせつつ、いつまでもそこに座っているのでした。
 テーブルの向かいで、弟はかけざんに取り組んでいます。小さなアパートの、小さな居間。良く晴れた空。青色の古いせんぷうきが、のんびりと回っています。

 伯母の髪の匂い。
 ドライヤーを使わず生乾きのまま寝ると、髪にはシャンプーの匂いが強く残ります。伯母は植物油のシャンプーを使っていましたが、ドライヤーは嫌いでした。それで彼女の髪からは、森のような香りがしたのです。わたしもまねをしてみましたが、髪が細く毛量もないため、なかなか思うようにいきません。伯母の黒く太く豊かな髪には、どうしたってかなわないのでした。
 少女のようだと言いましたが、伯母はもう三十七歳です。三十七歳と言えば、少女三人分の年齢です。目もとには小さなしわが刻まれていますし、しみだってでき始めています。言うならば、少女が「娘」や「女性」を経ずに、少女のまま老けて行ったという感じでしょうか。わたしたちきょうだいを育てているのはそんな人です。
 母の死以来、学校には行っていません。「給食」という目的がなくなった今、学校はただ純粋な恐怖です。転校はしたものの、子どもたちの悪魔のような顔が目に浮かび、初日さえ登校することができませんでした。飢えという巨大なおもしがなくなって、いじめられた記憶が次々わきあがってきたのです。弟もそんなわたしの様子を目の当たりにし、外へ出たがらなくなりました。
「無理に行けとは言わないわ」
伯母はそう言ってくれました。
「学校がすべてじゃないんだから。でも、なまけたらだめよ」
そう言って伯母は、一人仕事へ出て行くのです。「税金」という言葉も「徴収」という言葉も正確には知りませんでしたが、悪人を懲らしめる仕事なのだと理解していました。だからというべきか、それなのにというべきか、彼女はほとんどすべての人間を嫌っています。悪質な滞納者への怒りはすさまじいもので、解決するまでは思い出したように「殺してやる」とつぶやく有様。
 人間だけではありません。伯母には嫌いなものがたくさんあります。たとえば、生の果物(果汁と甘みが気持ち悪いから)。スペイン(中南米の文明を滅ぼしたから)。水族館(魚と水が怖いから)。それに聖書です。「そんな(無慈悲な)ことは税金をとる役人にだってできることだ」という記述があるからです。
 でも、だから優しいのかもしれないな。
 ごはんをにぎっただけのおにぎりを、半分に切った板のりでつつみながら、わたしはそう考えます。
「あ、たまごやき」
弟が嬉しそうに言います。しょうゆだけで味付けしたたまごやきは、わたしたちの好物です。十二時二十分はお弁当の時間です。学校では今、子どもたちが給食の準備をしているでしょう。ナフキンを広げて、エプロンを着て。
「食べていい?」
「うん」
わたしが言うと、弟は律義に手のひらを合わせます。
「いただきます」
今日はささみのフライが入っていました。伯母自身はお肉を食べませんが、わたしたちには食べさせてくれます。料理の苦手な人なので、冷凍のものばかりですが。しかしやはり、伯母自身の手で料理された卵とかお米の方が、不思議においしく感じます。手の込んだものではないのに。
 たまごやきを食べながら、わたしはなおも考えます。だから、優しいのかもしれない。ほかの人たちに与える優しさを節約して、その分まで全部わたしたちに差しだしてくれているのかもしれない。
 電話が鳴ったのは三時五分でした。
 あやちゃん。なおくん。かおちゃんです。今日は遅くなります。ごはん食べておいてください。それじゃあね。誰が来ても、絶対に出ちゃだめよ。
 ゼッタイニデチャダメヨ。わたしはそのフレーズを、まるで呪文のようだと思います。少し緊張した伯母の声は、一句一句を丁寧に発音し、緊張したまま電話を切りました。留守電が苦手なのだと思います。でも仕方ありません。電話に出ることも禁止されているのですから。かおちゃんというのは伯母のことです。かほり、という名前でした。
「今日のゆうげはカレー?」
きりんのサバンナを持ったまま、弟が尋ねます。
「そうだね。カレー」
伯母が遅い時はカレーを解凍して食べることになっています。たとえ解凍だけでも自分たちで用意すると誇らしい気持ちになるので、わたしたちはそれを「晩ごはん」と区別し、「ゆうげ」と呼んでいました。小さな夫婦のように向かい合って、儀式のように頂くのです。もっとも伯母が早い時でも料理に大した違いはありませんが。料理が、というより家事全般が苦手な人で、米を炊き玉子を焼くのがやっとなのです。おかずは週に一度、冷凍のものが宅配されています。
 きりんのサバンナと、うしのモウちゃんと、コアラのキング。小さなアパートの小さな居間で、勉強を終えたわたしたちは、国づくりをしています。平日外に出ることは禁止されていましたし、出たいとも思いませんでしたので、余った時間はいつもこうしているのです。伯母が新たに買ってくれた人形たちのおかげで、今では国もずいぶんにぎわっていました。リカちゃん人形もあります。パパは「たかひろ」でママは「みどり」。わたしたちの両親の名前。簡単なことでした。この世界では何もかもが、わたしたちの思い通り。
「なおくんはだれ?」
わたしが尋ねると、弟はにっこり笑って答えました。
「王様」
「じゃあ、あやちゃんは?」
「女王様」
顔が近づいて、弟の小さな唇が、わたしのものと重なります。王様と、女王様だから。誰がどう言おうと、この世界では弟が一番の美男子で、わたしが一番の美女なのです。
 アヒルのがあ子ちゃんは、今眠っています。伯母がわたしたちの遊びに加わるようになったのは、いつの頃からだったでしょうか。わたしと弟はそれぞれ複数の人形を動かしていますが、伯母のは一体だけ。ピンクのぼうしとエプロンをつけた、小さなアヒルの人形です。アヒルは格好こそおばさんくさいものの妙に子どもっぽい顔をしていて、それは女にもならず結婚もせぬままわたしたちの親となった、伯母にぴったりの役なのでした。

「かおちゃんとみどちゃんは、二人で一つだったのよ」
いつだったか、伯母はそう言いました。
「違う人なのに?」
「今日はわたしがかおちゃんで、みどちゃんがみどちゃんだけど、明日はわたしがみどちゃんで、みどちゃんがかおちゃんになる。相手になったときのことは覚えてないけれど、きっとそうなるの。だから、相手をうらやましがらなくても良いのよ」
「今は?おかあさん、死んじゃったよ」
「今も同じよ。かおちゃんは明日みどちゃんになって死んでる。みどちゃんは、明日かおちゃんになるの」
わたしも弟も、この話をとても気に入りました。魂と肉体を共有すれば、この世にはうらやむことも恐れることも、何一つないのですから。

 じゃあ、行って来るからね。誰が来ても、絶対に、絶対に出ちゃだめよ。
 相変わらずそう言って出て行く伯母を、相変わらず勇ましい少女のようだとわたしは思います。今ではもう、わたしの方が大きいというのに。絶対に出ちゃだめなんて、よく考えたらおかしな言葉です。私はもう大人だし、買い物にだって行くのですから。
 しかしこの、罪悪感の正体は何なのでしょう。それは弟と寝るようになってから、ますます大きくなっています。
 若い木。弟の体はそれでした。みずみずしく、細く、すっくりと伸びた清潔な体。たとえばその長い指や、黒い髪や、うっすら筋肉のついた腕を見ていると、わたしの中の感情が、衝動が、行き場を求めて体中を駆け廻り、そのあまりの重さと大きさに、わたしはめまいを覚えることすらありました。そして、それは弟も同じだったのです。
 とても自然なことでした、彼と寝るのは。わたしたちは伯母と母と同じように、肉体と魂を共有しているのです。だからお互いの体を知る必要がありました。そこに何があるか確かめ、味わい、考える。そして軽くなる。一度体験してしまうと、逡巡したのがおかしいくらいでした。簡単なことなのです。失われることなど何一つありません。
 さて。洗濯機を回しましょう。それから、トイレとお風呂と洗面台をぴかぴかにしましょう。時間が余れば、アイロンがけもしようかな。罪悪感から逃れるため、わたしは家事に精を出します。苦にはなりません。動いている間は何も考えなくてすみますし、何よりそうじや料理や洗濯自体が、わたしの性に合っているのです。どうせまたやらなければいけないんですもの、気楽です。
 洗濯物を干し終わり居間に戻ると、弟は絵を描いていました。十七歳になった彼は、ひととおりの学習過程を終え、今では日がな一日絵を描いています。気楽なものだ、とわたしは思います。彼からは、罪悪感など感じられません。
「これは、尋常じゃないわね」
弟の絵を見て、伯母はそんな奇妙な言い方をしました。一度も訓練を受けていないのに、こんなものが描けるなんて尋常じゃない、という意味なのだとか。
 日を浴びながら、弟は山岸凉子の漫画をコピーしています。漫画のほかに水彩画や油彩画を描くこともありますが、描くものと言えばポートレイトばかり。それも母と伯母以外はモデルにしようとしません。不思議なもので、現実の容姿には大変な差があっても、絵にするとどちらも同じくらい美しいのです。絵は今や家中を埋めつくし、わたしたちはトイレでも脱衣所でも、様々な表情の母と伯母に見守られています。
「スーパーに行ってくるわ」
「うん」
弟は顔を上げずに答えました。
「後で国づくりしようね」
と付け足して。おかしいでしょうか。おかしいでしょうね。わたしたちは今でも、人形で遊んでいるのです。

 スーパーを出、公園の前を通りかかったところで、それはやってきました。まず、脚が震える。そして、動悸。わきから汗がにじみ出てくる。だって、だって、見ているもの。ほら、みんながわたしを見ている。いいえ、睨んでいる。
 不用意なことをしてしまいました。今日のような晴天がいちばん危ないのに。すべてがすみずみまで照らされているのですから。ああ、わたしはまだ、七歳の子どもなのだ。やせた、臭くて汚い、小さな子どもなのだ。ほら、子どもたちがやってくる。おなかをけりに。ごみを投げに。水をかけに。
 矢も楯もたまらず、わたしは家へ駆け出します。安全な、わたしたちの世界へ。何もかもが思い通りになる、真実の世界へ。
 バタン!とドアを閉め、光を追いだします。うす暗い、涼しい玄関です。暗さに慣らすため、わたしは目をぎゅっとつむります。帰って来られました。やっぱりここにしか、わたしの場所はありません。しゃりしゃり音を立てるビニール袋を、わたしはため息とともに床に下ろします。ため息。安堵のものでしょうか、それとも落胆のものでしょうか。
 明かりとり用の小さな窓から見える、小さな世界。ここにいる限り、外は輝かしい希望のように見えるのに。矛盾していることですが、わたしは誰かが外に連れ出してくれないものか、毎日夢想しているのです。誰か、というのは男の人のことです。そしてその人を頭に思い描こうとするのですが、なぜだか浮かぶのは弟の姿ばかりなのでした。

 幸福は、枷です。はっきり言いましょう、わたしは今やこの幸福から逃げたがっているのです。幸福であればあるほど、人はそれを失うことへの不安に押しつぶされて行きます。しかし不安から逃げるためには、幸福を捨てなければなりません。
 どうすればいいのだろう。逃げたい。でも、捨てられない。
 ごはんを食べにいきましょう。伯母が言ったのは、八月の雨の夜でした。珍しいことでした。何かの記念日であっても外食などしないのに、今日は記念日でさえありません。
「なおくんを呼んでくるわ」
わたしは言いましたが、伯母はくびを横に振りました。
「今日は二人で行きましょう」
「でも、なおくんはどうするの?」
「今製作中なのよ」
 近所の地中海料理の店に行き、わたしは短いパスタをトマトソースで煮込んだものを、伯母は真面目な顔でさんざん悩んだ末、クスクスのサラダをビールとともに注文しました。パンが出るからそれで足りるのだ、と言って。
 硬質な沈黙がおり、わたしたちは黙ったまま料理を待ち、黙ったまま料理を食べました。伯母が口を開いたのは、食事も終わりかけの頃でした。
「なおくん、十八歳になったでしょう」
「そうね」
「来月から漫画家のアシスタントをするの」
「え……」
伯母はある漫画家の名を口にしました。高校の同級生で、この近郊に住んでいるとのことです。
「わたし、知らなかったわ」
「それで、かおちゃんね、プロポーズされたの」
「だれに?」
「なおくんに」
衝撃を受けましたが、同時に喜びが、信じられないほどの喜びがあふれてきました。弟はわたしの心を、私自身よりわかってくれていたのです。
「結婚するの?」
「無理よ、甥と伯母だもの」
「じゃあ事実婚?」
伯母は驚いたようでした。わたしたちの関係を知っていたのかもしれません。
「今までと同じよ、一緒に暮らすだけ。そうじゃなくて、あの子なんでそんなこと言ったんだと思う?」
「二人であの家を守るっていう決意よ」
家といいましたが、世界のことです。弟はあの世界を守ろうとしてくれている。わたしが逃げ出しても、いつでも戻って来られるように。
 伯母はそれについて考えていましたが、ふいにこう言いました。
「あやちゃんは、やりたいことないの」
「わたし?」
「家にいたいなら構わないけど、せっかく二十歳になるんだし」
大学に行って一人暮らしがしたい。援助してもらえるなら。わたしは深く考えることもなくそう言いました。それしか思いつかなかったからです。
 三月。わたしは引っ越しの準備をしていました。ダンボールに服と本を詰めていると、後ろに弟が立ちました。
「あやちゃん。かおちゃんが、コンタクトレンズ買いに行こうって」
弟は言いました。
「コンタクトレンズ?」
「あやちゃん、気付いてないと思うけど、相当目が悪いから。僕の絵もすごく接近して見てるし。シャンプーとリンスの違いもわからないんでしょう?」
 外光の中、弟はいっぱしの男のように見えました。といってももう仕事をしているのですから、いっぱしの男には違いありません。人形遊びをしているときは、今でも小さな子どもなのに。小柄な伯母と並んでいると、夫婦のようにも見えます。これが寂しさなのかしら。わたしはそのざらざらした感情を、心臓のあたりで味わいました。
 メガネ屋は清潔で、白い床がぴかぴか光っています。世の中にこれほどのメガネがあるなんて、わたしはそれまで想像さえしませんでした。二つのレンズとフレーム、たったそれだけのものに、ここまで工夫をこらせるなんて。
 コンタクトレンズは思ったより小さく、思ったより簡単に入りました。目をあけるのが怖くて、わたしは両目を閉じました。若い女性店員の香水が鼻につきます。
「あやちゃん、目をあけて」
弟の声。私はうすめをあけました。
「どうかな……」
世界が、輪郭を持っている。わたしは言葉を失いました。目の前に、母と同じ顔をした、美しい男が立っていたからです。
「ちゃんと見える?」
これが、なおくん。わたしの、なおくん。わけもわからず、涙があふれそうになります。
「どう、あやちゃん。すごいでしょう」
そう言った伯母の上には、ともに過ごした十二年分の月日が流れていました。そして鏡の中には、母がいたのです。
「ね。きれいでしょう。尋常じゃないんだから」
わたしは理解しました。弟は母を描いていたのではありません。わたしを描いていたのです。外に出ると感じた視線は、私の顔、いいえ、私が受け継いだ母の顔への称賛なのでした。わたしたちは、きれいだった。母は自分の目的を果たしていたのです。
 その夜わたしと弟は、新たな気持ちでお互いを確かめ合いました。肌を、体を、魂を、わたしたちの共有する母の姿を。わたしたちはひとつになり、そしてふたつになり、小さくなって、大きくなりました。それはわたしの人生における、最も素晴らしい体験でありました。
 そのようにして、わたしはあの家を出たのです。

大学生は小学生とはずいぶん違う。それがわたしの最初の感想でした。彼らは、少なくとも外見においては、悪鬼などではありません。人間です。わたしの一見悲惨な過去――両親の消失、不登校、ひきこもり――にも嫌がらず耳を傾けてくれますし、大学に来たわたしの決意を喜んでくれますし、容姿をほめてくれますし、男の子ならデートにも誘ってくれます。感じの良い人たちとは実際出かけたりもしました。まあ、寝ることはあまりなかったですけれど。だって、弟と比べたら。
 それでも、感動に満ちた顔つきでわたしを抱きしめる、あの瞬間は良いと思いました。わたしの中で彼らがふくらんでいるように見えて、実際は、彼らの中でわたしがふくらんでいるのです。この人の中には、もうわたししかいない。彼らがおそるおそる、何かをこらえるように体に触れるのを、わたしは新鮮に感じました。弟は、もっと大胆でしたから。

 あたしフキきらーい。そう言ってりかこちゃんは、フォークで蕗をぐさりと刺します。長いつけまつげと、きらきら光るまぶた。どうしてこう内容のない話しかできないのかしら。好き嫌いの話と、アクセサリーの話と、肌荒れの話と、男の話ばかり。
 食べてあげようか。わたしは仕方なくそう言います。食べてーと言ってフォークを突き出してきたので、わたしはそれを口にいれました。蕗って何かの抜け殻みたい。しかしそんなことを言っても喜ばれないのは明らかなので、わたしは黙って咀嚼します。
 英文科ということになっていますが、わたしは一般教養の哲学が好きです。これまでわたしには時間がたくさんあったので、生きることや死ぬことをしょっちゅう考えていましたから。古代の哲学者たちは時空間を越えて、わたしの頭に新鮮な空気を吹き込んでくれます。りかこちゃんと敬一郎くんとはそこで出会いました。最初に話しかけてきたのは敬一郎くんで、その次がりかこちゃんです。
「あの人と付き合ってるの?」
それがりかこちゃんの第一声でした。いいえ、とわたしは答えました。嘘ではありません。少なくともわたしはそう思っていました。
「良かった。じゃあ、紹介してくれる?」
そのときの笑顔は、少し魅力的でした。作り物ではない、本物の表情。
「敬一郎くん、来ないねえ。約束してたのに」
わたしは退屈を感じて、食堂をぐるりと見回します。今日は食堂で落ちあい、空きの三限目を一緒に過ごす約束でした。仕方がない、とわたしは思います。彼は最近元気がないし、わたしはその理由を知っています。りかこちゃんを好きになれないのです。だから、りかこちゃんがこうしてわたしと仲良しのようにふるまうのは、一種の牽制なのでした。
 りかこちゃんはお母様のお弁当を食べていて、わたしはりんごをかじっています。果物を、食べるようになりました。伯母が嫌いだったので、あの家に暮らしていた頃はほとんど食べなかったのです。りんごが気に入っています。かじると少しすっぱくて、咀嚼するうちに果汁が広がる。みずみずしい果物を食べると、体までみずみずしくなるように思います。あるいはそうなのかもしれません。わたしの食べるものが、わたしの体をつくるのですから。
 しゃりり。しゃくしゃくしゃく。しゃりり。しゃくしゃくしゃく。かじって、かむことに集中します。今はそれしかやることがありません。退屈。わたしはこの年になって初めてそれを体験しました。伯母と弟が一緒の時は、退屈な時間などなかったというのに。面白いこともありますが、やはり外の世界というものは、輝かしい希望などではありません。ねじまがった、汚い場所です。卒業したら帰ろうと、わたしは決心しています。伯母と弟のための主婦になって、うまくいけば、在宅の仕事を見つけて。
 お弁当を食べ終わったりかこちゃんは、食堂全体を見るともなく見ています。敬一郎くんを探しているのでしょう。少し疲れた、少し寂しそうな顔。この表情もなかなか良いと思いながら、わたしは噛み砕いたりんごを、冷たい紅茶で流します。
 母が死んだあの夏から、十五年が経ちました。夏休みがまた近づいています。

 残酷なことをしてしまいました。でも、一体どうすれば良かったでしょう。敬一郎くんのことを、わたしは愛したことなどありません。そのことは最初に伝えました。生身の人間でわたしが愛しているのは、伯母と弟だけだと。
 それでも良いと言ったのは彼の方です。それでも良いから、一度試してみてほしい。他の男とはもう、誘われてもデートなんかしないでほしい。きっと幸せにするから、と。彼は、弟とはあらゆる面で違いました。真面目で誠実でしたが、自由ではありませんでした。わたしを自分のものにしたがったのです。馬鹿な人ですよね。わたしは誰のものでもないというのに。わたし自身のものですらないかもしれません。それなのに、自分だけを愛してほしいだなんて。
 でも、わたしも悪かったのです。そういうのも素敵かもしれないと思ってしまった。それで、しばらくは彼の言うとおりにしたのですが、彼を愛せそうもないことはすぐにわかりました。愛してる?愛してるって言って。彼は何度もそう言いましたが、かわいそうに、一度も満足の行く返答を得られませんでした。わたしはせめて、彼に対して正直でありたかったのです。
りかこちゃんと付き合ったらどう?わたしはそう言いました。冷たい雨が降っていて、講義室の前の廊下は薄暗く、あらゆるものが湿っていました。
「あの子はあなただけが好きなんだって。わたしは、あなただけを好きになんてなれないわ」
 うつむいていたので、彼の表情はわかりませんでした。それでも、彼はわたしの言うとおりにしたのです。わたしは再び自由になりました。それで、良かったと思ったのですが。
 文庫本の棚をうろうろしながら、わたしはあのときのことを考えています。他人に対する優しさというものに、わたしはきっと欠けているのでしょう。でも、それは責められるようなことでしょうか。最初に攻撃してきたのは彼らなのに。
 文庫本を二冊と、漫画の新刊を一冊。漫画の方は、弟が背景を描いたものです。弟とつながったような気がして、わたしの胸は少し温かくなりました。胸のあたりに本を抱えて、わたしは書店を出ます。実を取りて、胸にあつれば、新たなり、流離の憂い、と小さな声で歌いながら。携帯電話が鳴ったのはそのときでした。そのあとのことはもう……あまり覚えていないのです。

 母が死んだとき感じたのは、悲しみではなく安堵でした。母が死んで、わたしは生き始めたのです。でも、今度の場合は違いました。わたしの前には何もなかったのです。虚無と言うのは、きっとあのことを言うのでしょう。
 玄関先に出た弟の頭を割り、帰宅した伯母をも同じ方法で殺し、彼はその場で首をつりました。なぜ自分まで死んでしまったのか、はじめは理解ができませんでした。彼らがいなくなれば自分を愛してくれるはずだと、普通はそう思うのではないでしょうか。それなのに、自殺してしまうなんて。わたし一人を残して、復讐を果たそうとでもしたのでしょうか。
 そうではないことが、今ならばわかります。彼は、伯母や弟と同じになりたかったのです。伯母や弟や父や母、たくさんの人形たち、それらで構成された世界の一部に。そうしなければ、わたしに愛されないことを知っていたから。一緒に死ねば、自分の魂が彼らの魂と溶けあって、同じものになれると考えたのでしょう。
 ほら、見て。これがあのアヒルの人形。この子がそのまま伯母になりました。その首の、葉っぱのアクセサリーが弟です。そして、この一番小さい木製人形が、敬一郎くん。あの人は生きているときも、こんな風に無表情で寂しそうでしたから。許してあげることにしたのです。死んでまで愛されないなんて、かわいそうですものね。
 何も失われてなどいません。ここには弟がいる。伯母がいる。父もいる。母もいる。この世界ではすべてがわたしの思い通り。だから、悲しむことなんて何もないのです。何も。
 そう思うのに、何なのでしょう、この感覚は。虚無が、体の内部に広がって行くのです。それはどんどん大きくなり、わたしを今にものみこもうとしています。すべもなく、ただなされるがままのわたし。ああ、かおちゃんなら怒りでそれをやっつけてくれるのに。なおくんなら笑ってそれを消してくれるのに。そっと目を閉じると浮かんでくる、勇ましい少女のような伯母。そして、若々しい樹木のような、あの子の……。
 窓からは、昔と変わらず光が差し込んでいます。外の世界は空っぽでした。楽しいことも悲しいことも、あったようには思いますが、大切なものは一つとしてありません。それでも、窓の内側にいる限り、なぜでしょう、そこは今もなお、輝かしい希望のように見えるのです。

輝かしい希望のように

輝かしい希望のように

近親相姦の話ですが、官能小説ではありません。育児放棄や殺人の話がありますことをご了解のうえ、お目通し願います。

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  • 成人向け
  • 強い暴力的表現
  • 強い性的表現
更新日
登録日
2013-12-27

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