長靴は靴下の中

新芽

僕が生まれて初めて恋をした女性は少し不器用な人だった。


決して愛想が良いとは言えない。
女性らしいかと言われればそうでもない。
言い方がキツイ。だから誤解されやすい。



でも、強がりなだけで実際は繊細でとっても泣き虫。
それにとっても優しい。



本当は良い人なんだ。


でも、このことを知ってるのは僕だけで十分。
そう、僕だけで。





僕と彼女の出会いは11年前の肌寒い春の日だった。



生まれつき体の弱い僕は入退院を繰り返す生活を送っていた。
当然、幼稚園に友達はいない。
引っ込み思案な性格が災いして病院にも友達がいない。
いつもひとりぼっち。
強いて言うのなら、病院の看護師さんとお話しするくらい。
僕は毎日ただただ中庭のベンチで時間が過ぎるのを待っていた。



「あーっ!」
そう威勢の良い声が聞こえ、僕は振り返った。
そこには見覚えのない女の子がふくれっ面をして立っていた。



「そこ結衣の場所!!」
「え...」
「ここ結衣の場所なんだから取らないでよね!」
とその子は無理矢理僕の隣に座ってきた。


「で..でも...ここは皆の場所だよ!君だけの場所じゃないよ!」
「大っ嫌い!!!」
「へ?」
「結衣、あんたみたいな正義感が強い子大嫌い!!!
幼稚園の先生も同じようなこと言うの。
ブランコは皆のものだとか、砂場は皆で遊ぶ場所だとか。」
僕はそれに対し何も言い返せなかった。


「あんた名前は?」
「朝陽。椎名朝陽...」
「朝陽ね。なんか女の子の名前みたい!あんた友達いないでしょ?」
「えっ...」
「当たりなんだぁー!」
「そんなことないよ!!」
「別に嘘つかなくて良いんだよ!別に誰にも言わないし!
それに結衣だって友達いないもん!」
「え...」
「驚いた?ねぇ、いっこ提案があるんだけど!」
「なぁに?」
「結衣も朝陽の友達になるから朝陽も結衣の友達にならない?」
「うんっ!!」


僕は大きく頷いた。
僕にとって初めて友達が出来た瞬間だった。

うさぎとかめ


あれから11年。
僕と彼女は結局それきりで、彼女が今どこで何をしているのか僕は全く知らない。



ただひとつ言えること、それは
僕は今でも結衣ちゃんが好きだ。大好きだ。



「いやぁ~、受かると思わなかったよ。」
そう言うのは中学から一緒の真也だ。


僕も正直真也と同じ高校に進学するとは思わなかった。
真也は確かにスポーツは万能だが、勉強はイマイチだった。
だから、悪いけど真也はもう少し下の高校に行くと思っていた。



かたや僕は猛勉強した。
それで頑張って進学校に進学した。
やっぱり結衣ちゃんも他の女の子同様、勉強が出来る男の方が好きだと思ったから。
僕の中の結衣ちゃんは5歳の時から全く成長してないけど、
それでも僕には分かる気がする。


「お前ってよく分かんねぇよな。」
「何が?」
「卒業式でボタンが全部なくなるほどモテるのに何でいつも断るんだか。
まだ16年しか生きてないけど、まさか忘れられない人がいたりして~!」
「そんな人いるわけないだろ。」
「だよな。そんなの漫画の中だけの話だし。」
「そうだよ。」



そう、自分でもよく分かってる。
もう結衣ちゃんには会えない。
僕ももう高校生だから彼女を作らないといけないっていうのは。
分かってる。でも...



僕はわずかな望みにかけたかった。
周りに揶揄されようと僕らはきっとまた会えるはずだと。



僕を冷かすのは真也だけでなく、家族もだった。



「ねえ、母さん!
学歴と顔選ぶならどっちだと思う?」
そう言うのは大学2年生の姉である。



姉は今年20歳になるというのに今まで彼氏がいたことがない。
それもそのはず。今までずっと女子校だったから。
だからすぐ優しくされると好きになり、でもそれが自分の勘違いだと分かって泣く。
これの繰り返しである。


僕から言わせれば絶対姉のような彼女は欲しくない。


「何よー、晴子がそんなこと聞くってことは何かあったの?」
「ん、別に~」
「勿体ぶらないで教えてよ~お父さんには絶対に言わないから!」
「約束だよ?実はさ~」
と満更でもない様子でベラベラと話す。
僕はいつもこの会話を聞いてあほらしいと思うのである。



「ねえ、朝陽はどう思う?」
「え?僕?」
「母さんダメダメ!朝陽みたいなこの前まで中学生だったガキに大学生
の恋愛は理解出来ないわよ!ね、朝陽?」
この上から目線が妙に腹が立つ。


「そういえば、お母さん、朝陽には彼女がいないのかってずっと気になってたのよ。」
「え、いないでしょ?」
「そんなことないわよ。案外この子器量が良いし、頭も良いしなかなかだと思うのよ。」
「別に、いないけど。」
「ほらっ!」
姉はいちいち腹が立つ。



「母さん、それ親バカって言うんだよ?朝陽ってだいたい重そうなのよねー。
そういえば、あんたまだあのー何だっけ名前ー」
「結衣ちゃん。」
「そう!結衣ちゃん!その子のことまだ好きなの?」
「悪い?」
「え、まだ好きなの!?まじで言ってんの!」
「あら、素敵じゃない。」
「もうさ10年以上会ってないんでしょ。どこで何してるのかさえ分からないんじゃ
もう諦めた方が良いんじゃない?ほら、漫画とかでは何年越しに再会とかあるけど、
そんなおとぎ話みたいなことあるわけないんだからさ。」
「...。」


僕は何も言い返せなかった。


でも、そのまさかが起きたのだ。





入学式当日。


「遂に俺らも高校デビューってやつですか!」
と真也は張り切ってる。
どうせ可愛い女の子と付き合うのが目当てなんだろう、こいつの場合。



「どっかに可愛い子いねぇかな?やっぱサッカー部に入ろうかな?
うーん、軽音部も良いな!音楽をたしなむ男ってかっこよくない?
て、朝陽聞いてる?」
図星だった。



「あのさ、声デカイよ。もうお前と歩いてるとこっちまで恥ずかしくなってくるよ。」
「そんなこと言わずにさ~」
と真也は肩を組んできた。




「では、新入生代表の言葉を....」



退屈な先生の話が終わり、式も終盤に差し掛かった。
あくびをしたその瞬間、僕は目を疑った。



「では、藤崎結衣さん。」


ゆ、



結衣ちゃん??



え、結衣ちゃんだ!!!!!



彼女の声など頭の中に入ってこなかった。
それより大好きなずっと会いたかった結衣ちゃんに会えた感動の方が大きかった。
何度も目を擦って見たもののあれは絶対に間違いなく結衣ちゃんだ。



拍手の音と同時に僕は我に返った。



式が終わり、帰ろうとすると真也が出口のところで待っていた。




「おい、新入生代表の言葉の子くっそ可愛かったな!
あれで頭良いんだろ!最高だな!
この学校さ、可愛い子多いって評判だけど本当だったな!
勉強して良かったわ~」
「結局お前はそんな理由で高校決めたのか。」
僕はそう小声で言った。


そう、結衣ちゃんは確かに誰が見ても可愛い。でも真也には絶対渡さない。




よりによって結衣ちゃんとはクラスまで一緒だった。
結衣ちゃんと僕は特進、真也は別のクラスだった。
内心安心した。これで真也は結衣ちゃんに近づけない。



でも、恋愛経験0の僕がそんな自分から積極的に結衣ちゃんに話しかけられるはずもなかった。


たちまち結衣ちゃんはクラスの人気者になった。僕とは正反対で。
そりゃ、可愛くて頭が良ければ男は皆寄ってたかるに決まってる。


そんなある日。


「俺さ、藤崎さんみたいな子まじタイプだわ。てか、好きになっちゃった!」
「え...」



僕は今までナヨナヨしてるだとかヘタレだとか運動音痴だとか散々酷いことを言われ
傷付いてきたけど、何故だかこの真也の一言はこれまでの人生において最も
傷付いたことばだった。



「そこでお前に頼みがある!」
「何?」
「藤崎さんと俺のキューピットになってくれ!」
「は?何言ってるんだよ、お前。」
「いやー、そりゃ俺みたいなスポーツ万能、性格も良くてルックスも良い俺でも手の届かない
存在っていうのは重々分かってる。でも、お前のクラスの虫けらどもよりは俺の方が
何倍もかっこいい!よって藤崎さんが俺に振り向かないはずがない!」
「どこまで楽観的なんだよ。幸せ者だな。」
「ああ、それだけが取り柄だからな!」
と真也は白い歯を見せて笑った。
でも、僕は心の底から笑えなかった。
どうか真也の恋が実りませんようにと願った。



「わかったよ。」

わかめsoup




11年前のある日。
いつも強気な結衣ちゃんが泣いてる姿を僕は初めて見た。
僕にとって忘れられない日。



「結衣ちゃん?」
いつものように僕は結衣ちゃんを探しに中庭にやって来ると
彼女はベンチでひとりメソメソと泣いていた。



「どうしたの?」
「あのね、お母さんが昨日...しゅじゅちゅしたの。
ねえ、手術って死んじゃうからするんだね?結衣のお母さん、
もうすぐ死んじゃうの?」
当時5歳の僕はその返答に戸惑った。


結衣ちゃんのお母さんは病気らしい。
何の病気か走らない。結衣ちゃん自身も知らないらしい。
きっと重いのだろうと当時の僕でも分かった。


「そんなことないよ!結衣ちゃんのお母さん死んだりしない!」
「何でそんなこと言えるの?」
「手術は良くなるためにするんだよ!だから結衣ちゃんのお母さん、
病気が良くなったんだよ!」
「ほんと?」
「うん、ほんと!本当だよ!」
僕は無責任な発言をしたとこのとき自分でも思った。


しかし、涙で真っ赤になった目を擦って笑顔を取り戻した彼女を見たら
そんなことどうでも良くなった。



「結衣ちゃん、これあげる。」



僕は結衣ちゃんに四つ葉のクローバーをあげた。


「何これ?」
「前ね、看護師さんに四つ葉のクローバーを持ってると病気が良くなるって聞いたの。
だから結衣ちゃんのお母さんのために取ってきた!
これは結衣ちゃんのお母さんの病気が良くなりますようにってお守り。」
「ありがとう...」


こんな素直な彼女を僕は初めて見た。


「ねぇ、朝陽。」
「ん?」
「この先小学生になっても中学生になっても高校生になっても大人になっても
おばあちゃんおじいちゃんになってもずーーっと一緒にいようね!
これ結衣との約束!」
「うん!」
僕は大きく頷いた。

うそっぱちだ



今日も僕は遠くから結衣ちゃんのことを見つめていた。



彼女の周りには真也の言う通り虫けらどもが今日もたかっている。


「おーい、朝陽ー!」
聞き覚えのある声が廊下からした。
やはり真也だった。


「でさでさ~、藤崎さんの連絡先聞いてくれた?」


僕の表情を見て察したのか真也はちぇっと舌打ちをした。


「役に立たねぇな。」
「仕方ないだろ、あの様だぞ。真也の言う通り虫けらどもがたかってるから
なかなかそんなこと出来ないよ。」
「まあな。お前の言うこと一理あるな。」



真也は腕を組みながら結衣ちゃんを見つめていた。
その横顔はいつもの真也じゃない。真剣な眼差しだった。




そんなある日のこと。



「ごめん!椎名くん!掃除変わってくれない?」
と頼み込んできたのは話したこともないクラスの女の子だった。



「まあいいけど。」
「ほんと!?まじ助かる~ありがとう!!
急にバイトが入っちゃってさ!ほんとごめん!」
「良いよ、こんくらいで謝んなくて。」
「ありがとう!まあ、相手藤崎さんだから悪くないでしょ。
じゃあ、よろしくね!」



どうせ遊びにでも行くんだろう。
無責任な女だと思い、僕は掃除ロッカーからほうきを取り出し、教室を掃いた。



「えっと、椎名くんだよね?」
そう話し掛けてきたのは結衣ちゃんの方だった。



脈拍数は上がり、額からはじんわり汗が出てきた。
無駄に髪を触ることで動揺を何とか隠そうとした。


「そ、そ、そうですけど。」
「初めて話すよね。よろしく。」


決して愛想が良いとは言えない。
むしろ冷たく感じるかもしれない。
でも、僕はこのとき初めて口から心臓が飛び出るほどの緊張というもの
を味わった気がする。


「そ、そういえば藤崎さん、いつもお昼とか誰と一緒にいるの?」
「いないよ。」
「え?あ...あ、そういうことか。藤崎さん人気者だから毎日違う人と食べてるとか。」
「違う。いつも一人。」
「そ、そうなの?」
「別に一人って苦じゃない。小さい頃からずっと一人だし、もう慣れたの。
だいたいいつも誰かとベッタリって疲れない?」
「そうかも。」
「そういう椎名くんは?」
「僕?僕は隣のクラスの真也っていう中学から一緒のと仲良い。
このクラスの人、なんか僕とは合わない気がして。なんか皆真面目っていうか何て言うか。」
「あれが真面目?面白いこと言うね。」
「そ、そうかな?そういえばさ...!」
と僕が言うと僕に背を向けて黙々と黒板を拭いていた彼女が振り返った。
その姿はテレビの中のどの女優よりも美しかった。



「何?」
「その、今言った僕の友達の真也が君と友達になりたいって言ってて。」
「そう。」
「え、それだけ?」
「だって会ったことないから何とも言いようがないじゃない。」
「そ、そうだよね。」
「でも、このクラスなんか居心地良くないし明日その人に会ってみたい。」
「わかった。」


僕は何をしてるんだろう。
お人よしな恋のキューピットなんてやってる暇じゃない。



翌日その旨を真也に伝えると想像以上の喜びようだった。




「まじで!?うわーありがとう!!正直お前に期待なんてこれっぽっちも
してなかったから予想外だったわ!ほんとーにありがとう!!」
朝からテンションの高い奴だ。



「で、お目当ての藤崎さんは~?」
「あぁ、もうすぐ来るんじゃないの?」
と噂をしてると、結衣ちゃんは音楽を聴きながら黒くて長い髪をなびかせながら颯爽と教室に入ってきた。
その姿に僕だけでなく、きっとクラスの男子全員が見とれていたことであろう。


「おい、行くぞ朝陽。」
結衣ちゃんが教室に入るとすぐにクラスの男子数人が彼女の元へ行った。
真也はそれを強引にかき分け、彼女の目の前に立った。


「どうも!」
「どちらさま?」
「僕、村井真也って言います~。椎名朝陽の友達の。」
初対面にも関わらず、真也の口調は馴れ馴れしく、軽かった。



「あぁ、昨日椎名くんから話は聞いたわ。」
「なら話は早いな。僕と連絡先交換してくれない?」


あまりに唐突で僕は開いた口が塞がらなかった。


「おい、どういうことだよ。お前このクラスじゃないだろ。」
と男子生徒のひとりが言った。


「クラスの垣根を越えたらいけないんですか?そんな校則僕聞いたことないなぁ~。
まあ、良いや。藤崎さん。連絡先教えて!」
と大胆にも真也は結衣ちゃんの手を握った。



「ちょっとやめて!」
彼女はその手をすぐさま振り解いた。



「ごめん、機嫌悪くしちゃった?」
「別に。」
「良かった~藤崎さんに嫌われたら僕悲しくて生きていけない~。」
「...生きていけないとか軽々しく言わないで。」
「へ?なんて?」
「生きたくても...生きられない人たくさんいるんだよ...。
なのにそんなこと言わないでよ。」
「ご、ごめん。」


そういうと結衣ちゃんはポロポロと涙を流した。



「この際だから言う!もう皆うっとうしいの!
何でか知らないけど、皆あたしにチヤホヤしてきて、別にあたしはチヤホヤ
されるような人間じゃないし、そういうのが大嫌いなの!!
もう放っといてよ...お願いだから構わないで!!」



そう結衣ちゃんが言うと、教室は静まり返った。




「おーい、誰の声だ?教室まで聞こえてるぞ。」
とタイミング悪く、担任の松川が教室のドアをガラッと開けた。


「何だよ、朝から。空気重いぞ、この教室。」


相変わらず空気の読めないやつだ。


すると、結衣ちゃんは鞄を持って教室を飛び出した。



「おい、藤崎!どうした?お前もう早退!?」



誰も追いかける者はいなかった。
当然僕も追いかけなかった。


「どうしたんだろうな。お、おい、お前!別のクラスの奴だろ!
さっさと自分のクラス戻れ!もうホームルーム始まってるぞ!」


真也は松川を睨み、僕のところへやってきた。



「昼休み、屋上な。」


そういうと真也は教室を後にした。






「いやぁ~、完敗と言ったところですかね。」



お昼休み、真也と僕は立ち入り禁止の屋上で寝っ転がりながら雲一つない空を見上げた。



「仕方ないよ。」
「思った以上に気難しい子だな。まあ、頭良い子ってだいたいそんなもんか!
でも、つまりあれは俺フラれたってことなのかな?」
「良いんだよ。」
「何が?」
「無理しなくて良いんだよ。本当は悲しいんだろ。
別に僕の前で強がる必要ないじゃん。」
「は?何かっこつけてるんだよ!お前になんか頼れるか、バカ!」
「せっかく慰めてあげようと思ったのに!バカはないだろ、バカは。」
「うるせぇよ。細かいこと気にするな。」



「でもさ、あれどういう意味だったんだろ。生きたくても生きられない人はいるって。」
「さあ...」


僕はすぐに分かった。
きっとお母さんのことだ。
結衣ちゃんはいつもお母さんは元気だとか言っていたが、たぶん嘘。
本当は重い病気なはず。
結衣ちゃんもそれは分かっていたと思う。


「まああんま深入りしない方が良さそうだな。
でも、あんなこと言ったらもうクラスで誰も相手にしないだろ。
ま、俺はいつでも藤崎さんの味方だけどな。」
「あんなこと言われても?」
「あぁ、もちろん!そんなことでへこたれるような男じゃない、お前と違って!」
「一言余計なんだよ、お前は。」




それからしばらく結衣ちゃんは学校に来なくなった。


「藤崎なんだけど、もう1週間も学校を休んでる。誰か知ってるやついないか?」



以前ならきっと誰かが「じゃあ家まで行って様子見て来ます」とか言うはずだが、
あの事件以来皆手の平を返したかのように結衣ちゃんを除け者扱いする。



「そっか。皆知らないか。まあ、もうしばらく様子を見よう。」


なんて冷たい人たちなんだと僕はクラスメートを心から軽蔑した。




その僕は定期検診の為に病院を訪れた。
そう、僕と結衣ちゃんが出会ったあの病院に。



「朝陽くん、順調、順調!調子良いみたいだね。」
と言ったのは主治医の安藤先生。
香水の匂いが少しキツイ気もするが、親身で優しい人だ。



「良かったぁ~」
「なんか良いことでもあったの?」
「べ、別に!何にもないですよ!」
「あ、動揺してる~」
「だから何にもないですって!」


本当は言いたかった。
真也に結衣ちゃんが好きだなんて言えるはずがないから先生に相談したかった。
でも、お母さんに言われそうだったから僕は言わないでおいた。


「そうかー?でも、お母さんも心配してたよ。もう高校生なのに全く女っ気がないって。」
「お母さんが...。先生は学生の時どうだったんですか?その、彼女とか。」
「俺?そりゃあ、モテモテだったよ!」
「ふーん。」
「何だよ、その興味なさそうな顔は。」



先生はもっと根掘り葉掘り聞けよという顔をしていたが、
先生と僕じゃ基盤が違うし聞いても自信を喪失するだけだと思って止めといた。



「今日時間ないんで、またの機会に聞かせてください!」
「わかったよ。じゃあな。
あ、調子良いからってあまり無理するんじゃないぞ!」
「わかってますよ。」


そう言い僕は診察室を後にした。




彼氏はいたことがないが自分はモテると勘違いしている姉、
かたや結衣ちゃんを忘れられない僕。
あぁ、兄弟揃って恋愛沙汰にご縁がないだなんてお母さんとお父さんに申し訳ないな
と僕はひとりで考えていた。


すると、



「椎名...くん?」


聞き覚えのある声がし、僕は振り返った。
そこには結衣ちゃんがいた。



「ゆ、ふ...藤崎さん。」
と僕が言うと結衣ちゃんは少し安心したような柔らかい表情になった。


「どうしたの、こんなとこで。」
「ちょっと火傷しちゃって、それで診てもらってたんだ。」


僕はすぐに嘘だと分かった。
火傷の跡がない上に、結衣ちゃんは昔から嘘をつくのが苦手だ。
きっとお母さんのお見舞いだろう。


「そうなんだ、お大事に。」
「椎名くんは?風邪とか?」
「僕は定期検診。ほら、僕見た目通り昔から体が弱くて小さい頃はずっと入院してたんだ。
でも、もう大したことない。大丈夫!」
「そう。なら良かった。」


僕は辛かった。
結衣ちゃんは本当に僕のことなんてとっくに忘れてしまったのだろうか。


「学校の皆はどうしてる?やっぱあたしのこと怒ってる?」
「そんなことないよ!気にしないで大丈夫」
「本当?」
「うん、本当!」



本当のことは言えなかった。


「そう。」
「学校来ないの?」
「もうすぐ行くよ。」
「良かった~。授業も結構進んじゃったし、特に数学かな。僕のノート汚いけど
全然見せるし、なんかあったら言ってね!」
「ありがとう。椎名くんって優しいんだね。」
「そんなことないよ!こんくらい当たり前だよ。」
「ありがとう。じゃあ、あたしもう行くね。」
「うん。学校で待ってる!」



学校では見たことのない結衣ちゃんの笑顔を見れて僕は安心した。




しかし、それから1週間経っても結衣ちゃんは学校に来なかった。



「おい、藤崎のこと知ってるやついないか?そろそろ2週間経つ。誰か。」


そう担任の松川が呼び掛けても誰も反応しない。
それどころか「あいつ辞めるんじゃない」とか「もう来なくて良い」とあれだけ結衣ちゃんに
たかってた虫けらどもまで結衣ちゃんを悪く言うようになった。



「皆薄情だな。誰かいないのか。頼むよ。」



「ぼ、僕!僕、藤崎さんの様子見て来ます!」
と勇気を振り絞り僕がそう言うと、クラス全員の視線を集めた。


「お、椎名。良いのか?」
「もちろんです。僕行きます。」
「あ、ありがとな。」




放課後、僕は松川に教えられた結衣ちゃんの家に行った。
大きくて立派な家だったが、どこか寂しげだった。


ーピンポーンー


反応がない。


きっと今日もお母さんのお見舞いかと思い、僕は授業のノートのコピーをポストに入れて帰った。



その次の日も僕は結衣ちゃんの家に行った。
ノートのコピーを持って。
しかし、また留守だった。


その次の日は雨だったが、また結衣ちゃんの家に行った。
ノートのコピーが雨で少し滲んでしまった。
今日こそは会えると期待していたが、この日も会えなかった。


次の日も次の日も僕は通い続けた。
しかし、応答もなければ学校にも来ない。

今夜は餅つき




「お前、藤崎さんの家通ってるんだってな。」
「まあ。」


お昼休み、いつも僕の教室にやってくる真也は
レモンティーとすすりながらそう言ってきた。



「何だよ、俺も誘えって。」
「お前が来たらかえって学校来なくなっちゃうだろ。」
「とか言ってお前、本当は藤崎さんのこと好きなんじゃないよな?」


その言葉は僕の胸にグサッと突き刺さった。


「な、そんなわけないだろ。僕あそこまで気が強い人苦手だし。」
「だよな。お前、中学の時ダンス部の部長の前田さんめっちゃ怖がってたもんな!」
「彼女は皆怖がってたじゃん。」
「いや、お前だけだって!」



もし結衣ちゃんのことを好きだって打ち明けたら、
真也ともうこんな風に話すのもなくなってしまうのかと思ったらおぞましかった。




それから数日後。



「え...。」



学校に行くと衝撃の光景を目にした。



結衣ちゃんが学校に来てる!!


「18日ぶり!?」
僕は指折り結衣ちゃんが休んだ日数を数えた。



だが、当然のことながら以前のように話し掛ける者はいない。
あんだけたかっていた虫けらどもも何事もなかったかのように知らんぷり。
その代わりと言ったらなんだが、漫画やゲームに没頭し、
僕にとっては本来の姿を取り戻したような気がした。



「じゃあ、ホームルーム始めるぞ~!」
威勢よく担任の松川が教室に入ってきた。


「おぉ、藤崎!ようやく学校に来てくれたか!先生安心した。
皆も心配してたんだぞ!」
と松川が言うとクラスメートは失笑した。
なんて非情なやつらなんだ。



「じゃあ、今日は文化祭の実行委員を決める!」


皆口々にだるいとかめんどくさいだの文句を言った。
それに関しては僕も同感だ。


「1年生だからまだ何もわからないとは思うが、来年はお前たちが後輩に教える立場だ。
先生としては責任感が強いやつが立候補して欲しい。
誰かやりたい人はいないか?もしくは推薦でも構わない。」


そう松川が言うとクラス中がざわついた。




「責任感が強い人が良いんですよね?」
と言ったのはこの前僕が掃除を変わってあげた女子生徒だった。



「あぁ。船水お前やるのか?」
「んなわけないじゃん。」
「じゃあ、推薦か?」
「えぇ。あたし藤崎さんが良いと思いまーす。彼女学年トップですもん。
そりゃ責任感強いに決まってます。
それに文化祭って中間の直前ですよね?あたしたち勉強と部活を両立するのも難しいって
言うのにそこに文化祭まで加わっちゃったら赤点取っちゃいます。
でも、藤崎さん部活やってないみたいだし、勉強と両立できるんじゃないかしら?」
「確かにそうだな。」
何納得してるんだよ、松川。
これがいじめだった気付よ。
と僕はじわじわと苛立ちを覚えた。



「よし、もう時間もないから藤崎で良いか?」
「ちょっと待てよ!」


気付いたら、自然と口がそう言ってしまってた。




「そんなの明らか自分勝手だろ!誰もおかしいと思わないのかよ?」
「じゃあ、椎名くんやってくれるの?」
そう言ってきたのは船水さんだった。



「いや、別にそういうわけじゃないけど。」
「何が言いたいの?」
「もう良いです!あたしやります!」



と、結衣ちゃんは椅子から立ち上がった。


「船水さんの言う通り皆よりあたし暇してるから...やります。」
彼女がそう言うと「さすが学年トップ」だの「責任感強いな」だのクラスメートは冷かした。



「よし、じゃあ藤崎でいいな!」
「賛成でーす!」


僕ひとりだけが反対だった。




「それは災難だったな。」



早速放課後、僕は今朝の出来事を真也に話した。


「恥ずかしい思いしただけだったよ。」
「でもお前にしてはよくやったよ。
その後藤崎さんからなんか言われた?」
「引き留めてくれてありがとう。でもあたしは大丈夫だから気にしないで。って。
全然大丈夫じゃないって。」
「くぅ~クールだな!」
「感動してる場合じゃないって。」
「で、言い出したの誰だよ。藤崎を実行委員にしようとしたの。」
「船水が言いだしっぺ。でも、満場一致だった。」
「そうか。船水なー。」
「彼女どうかしたの?」
「ん?ダンス部の超可愛い子でしょ。」
「やっぱ真也は可愛い子しか眼中にないようだね。がっかりだよ。」
「何だよ、その言い方!やっぱお前はダンス部の女とは相性が悪いみたいだな。」
「そうみたい。」



それから月日は過ぎ、気付けば雨がじとじと降る梅雨になった。



あれから文化祭の話し合いは何度かあった。



しかし、皆は聞く耳を持たなかった。
それでも結衣ちゃんの強気なところは11年経っても変わらず必死に指揮を取ろうとしている。
その姿はどこか悲しげだった。見ていられなかった。
だが、僕にはどうすることも出来なかった。



そんなある日。
この日も文化祭の話し合いがあった。



バンッ。
突然、結衣ちゃんは教卓を叩いた。
ざわついていた教室が一瞬で静まり返った。



「何が不満なわけ?」



誰も答えない。




「あたしは周りに薄気味悪い笑顔振りまいて無理して仲良くするくらいなら
ひとりでいる方がよっぽどましなの。
別にこれっぽちもいじめられてるだなんて思ってないし、落ち込んでもない。
ただあんたたちを心から軽蔑してるだけ。
それに推薦したのはあんたたちなんだから責任持ちなさいよ。」



僕は圧倒された。


クラスメートの誰一人として言い返せなかった。
所詮、皆ひとりでは何も出来ない小心者だ。





それからというもの文化祭の話し合いは行われなくなった。


噂によるとあの出来事を誰かが松川に報告したらしい。
恐れた松川は文化祭というワードすらあまり出さなくなるほど、
文化祭に関して触れなくなった。
高校入って1年目の文化祭、僕のクラスは棄権というところだろうか...



「松川、案外小心者なんだな。」
「呆れたもんだよ。」
「だよな。しっかし、藤崎さんかっこいいな。」
「あぁ、僕もあれは感動したよ。彼女かっこいいよな。」
「好きになるんじゃねぇぞ。」
「わかってる。」


ごめん、真也。
僕もう彼女のことだいぶ好きみたい。





夏休みが刻々と近づくある日のこと。



僕は定期検診のため、また安藤先生の元を訪れた。



「あの...」
「どうした?」
「聞きたいことあるんですけど。」
「お、珍しいね。何だい?」
「僕のことじゃないですよ。僕の友達の話なんですけど、友達と同じ人好きに
なっちゃったみたいなんですよね。まぁ、よくある話ですけど。
先生ならどうします?}
「朝陽くんがそんな話してくるなんて初めてなんじゃない?」
「あくまで僕の友達の話ですから。」
「はいはい。うーん...それは難しいね。実は俺も昔同じような経験をしてよりによって親友の
好きな人を好きになっちゃったんだよ。親友だし、友情なんてそんな簡単に壊れないだろうと
おもって彼女に猛アタックした。そうしたら付き合うことにはなったんだけど、友達にはお前最低だ
って言われてそれ以来口聞いてもらえなくなったんだ。」
「え?ほんとですか?」
「ほんと。男の友情は一生もんだとかいうけど、案外簡単に壊れるもんだぜ。」
「そ...そうですか。」
「だから、友達には伝えといて。お勧めできないって。」
「...はい。」
「あ、それともうひとつその友達に伝えといて。
うちの病院の屋上、そういう複雑な気分の時に行くと元気になるって。」
「わかりました。ありがとうございます。」




僕は早速、屋上に行った。
正直先生が言うほど居心地の良い場所ではなかった。
ビルに囲まれてて息をするたびに肺に排気ガスが入ってくる気分。


「嘘つき...。」



そう言い、寝転がっていると足音が聞こえた。



「藤崎さん?」
そこにはきょとんとした顔の結衣ちゃんがいた。



「どうしたの、椎名くん。こんなとこで。」
「いや、藤崎さんこそ。」
「あたしよくここ来るの。
あんま居心地の良い屋上じゃないから人が来なくて落ち着くの。」
「そうなんだ。」


もうあのベンチには行かないんだと思うと少し寂しくなった。



「そういえば、うちんちにわざわざ来てノートのコピー、
ポストに入れておいてくれたの椎名くんでしょ。ありがとう。」
「あ、僕の字汚いからすぐわかっちゃった?」
「そんなことない。すっごく嬉しかった。」
「良かった。」



それからしばらく沈黙が続いた。



「ねぇ。」
その沈黙を破ったのは結衣ちゃんの方だった。



「あたしこの前3週間くらい学校休んだでしょ。
あれ別に学校行きたくなくなったとかいう理由じゃないの。
あたしのお母さん、あたしが小さい頃から病気がちでずっと入院してるんだけど、
この前いきなり容体が悪化して手術したの。
お父さんずっと海外で近くにいてあげられるのあたしくらいしかいないから
だから心配で3週間も学校休んじゃったの。
正直、学校行くの怖かったけど、椎名くんのノートのコピー見たらなんかそんなの
どうでも良くなっちゃって。自分情けないなって思った。」
「そんな情けなくないよ。藤崎さんたくましくて感心だよ。」
「あたしがたくましい?」
「う..うん...」
「あたし強くもないし、たくましくもない。」
そう言うと彼女の目はだんだん赤くなり、涙が一粒も二粒も零れ落ちた。
焦った僕はあたふたすることしか出来なかった。



「本当はそばに誰かにいて欲しいの。」
と言って彼女はポケットから何かを取り出した。



「これ....」
「そう。」



それは僕が小さい頃結衣ちゃんにお守り代わりにあげた四つ葉のクローバーだった。




「朝陽がくれた四つ葉のクローバー。
朝陽がお守りとかいうから捨てたら罰当たりそうでずっと持ってるの。
あたしね、11年間毎日欠かさず朝陽のこと考えてた。
友達にはバカにされたけど、ずっと会いたいなって思ってたの。
そしたら、偶然友達の友達が朝陽の友達でそこから教えてもらって、あたし勉強なんてしなくて頭悪かったけど、
朝陽と同じ高校行きたくて一生懸命勉強したの。そしたらまさかの首席合格。笑っちゃった。
で、ようやく朝陽に会えたは良いけど、11年前の弱くていつもあたしの後ろ歩いてた頃の朝陽とは大違いで
背も高くなってかっこよくなってて、あたしのことなんてどうせ覚えてないんだろうなって話し掛けられなかった。
だから掃除の時初めて話した時は本当に本当に嬉しかったの。
でもさ、あたし昔から愛想ってのがないから帰ってからあぁ朝陽に嫌われたなとか一人で落ち込んでたの。
つまりね、何が言いたいのかっていうと、
朝陽のことが大好きなの。」
「ありがとう。僕もずっと結衣ちゃんに会いたかった。大好きだよ。
僕の前ではもう強がんなくて良いんだよ。」


というと、結衣ちゃんは笑いながら僕の頬をつねってきた。




「女に先に告白させるとか最低!」
「ごめん...」





16年間の人生で僕にとってこの日は数学のテストで100点取った時よりも、10人しか当たらない懸賞に
当たった時よりも、阪神が優勝した時よりも嬉しかった。
人生で1番嬉しい日だった。

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それ以来、僕らは一言も会話していない。


学校で会っても知らんぷり。



一体、この前の"大好き"はなんだったんだろう。
友達としての大好き...なのかな。



そうネガティブに考え始めたらきりがなくなった。





「ねえ。」



そして今、よりによって姉に相談しようとしている僕がいる。




「何?」
姉はそうつっけんどんに返事をした。



「あのさ、大好きってどういう意味?」
「は?あんた、何言ってるの?」
「...ちゃんと答えてよ。」


そう考えると姉は黙り込んでしまった。




「え、怒っちゃった?」
「何で怒る必要があるのよ。真剣に考えてやってるの。」
「あ、ありがと。」


「うーん、一概には言えないけど、

長靴は靴下の中

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更新日
登録日
2013-12-27

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