practice(32)



三十二





 
 重厚さは取り付け金具が立てる音より軽かったのだ,ストッパーもなく,厚い絨毯に内開きも結局そのまま,双子みたいなドアノブの装具が離れた。
 入れ替わる空気もありながら,広く高い間取りを取った空間に,付き添うように備え付けられた窓硝子は膨大な光に押し潰されて,保つために,木の枠は陰ながらに機能している。その均衡は床にもふかふかな影,一室の中央には届かない結果として入り口から真っ直ぐに生じている。そこから無理なく転じて,天井のあちこちを見える限りで探してみれば,灯りを発するものがそこに見当たらない。この階に来るまでにエレベーターを一度使ったから,この施設自体に電気が通っていないはずはない,だからこれは意図するところなのだろう,もっと暗いはずのもっと奥で,カタンと置いてスタスタと歩く音はする。しかしそれが人とは限らない。そうでなくても不思議に思わない。
 初めから手探りになることは仕方が無い,司書が働いてはいけないここでも重々しい構えを設えられた黒い机に真っ白な紙が発明途中のトランプゲームのように並べられている,それが複雑なのか,単純なのか分からない。無邪気な兎が跳ねたような所々の抜け穴に,埋められていない不在は遊べる余裕を生み出して誘っていた,ただ借りに来た僕は勿論それをお断りするのだけれど,そうでないものも居るだろう。ひっくり返った黒い椅子は踏ん反り返って,行儀の悪さを分かりやすい痕跡で残していた,『椅子の座り方』なんて,タイトルとして意味有り気に取り上げたら逃げて行きそうだ。受け付ける側に回って,机上の様子も眺めながら椅子を直す。投擲のためにわざわざ月の石を取りに行った人ぐらいなら在るのだろうか,用があるから座り,その後は一体どうしたのだろう。基本を忘れてはいけない,というのは数少ない教えだ。そこで立ち上がることに,無理やりの意味は要らない。
 室内に滞在する灯りが仄かさと,無闇に歩いて回ってみてる。
 ここには,持ち出すことが出来るものも少なくない,貸し出しが禁止されたものも見掛けた事が無いから,無いんだろう。閲覧希望に求められている合図だって,随分と形式的なものだ。それを律儀に守る理由だってそう,ここまで肩に担いで来た楽器ケースの位置を直して深い絨毯を踏み込んで沈める,踏み込んで沈めるを繰り返して行く。『育ての親』に関して,ここで探したりしないのは大事にしたい事実だから,タタタッと掛ける指で分冊の窪みにつんのめっても止まらない。離して浮かんで,また元に戻る柔らかい地に足を乗せて行く,育てることから名前を付けることに変わっていく分類に流れはあった,ただ灯りが少なくなって,暗がりも姿を見せない。けれど貸出カードは取り出せる,それがここの意図するところ。
 カタンという音は聞こえた。何か,という違いにも気付いていく。触れた指で止まった,次の分冊の前。そこにある一冊を取るには窮屈さを除けなければいけなかった,けれど重くはない。片手で持てる,軽々と形容して構わない範囲。それからまた指を掛けて,今度は自ら止まる。それから聞こえたカタンとは時間と距離が開いた,しかしまた取り出して,片手で持つ。それから指を掛ける。それから拾ったカタン,タタタッと,また離れるために掛ける指。館内の道が棚の終わりだから,端を訪れれば隅を照らすことを求められている窓があって,やはり光に潰されそうになっていた。おかげで手に持った二冊を確かめられるのは仕様が無い,頁を捲って,内容を確かめた。一冊は植物の生育過程を収めた写真,もう一冊は曲名の由来。今抱いている興味の俎上に乗るものだった。
 だから「良かった。」と言えた。
 それから見通す棚の向こう側の端っこには,館内だというのに犬を側に連れ立ったような人影があって,帽子要らずの,遠くからでも分かる会釈とともにそれから入り口へと去って行った,不思議に胸が擽ったくなって貸出カードは,ここで胸ポケットから取り出した。ここに借りに来た僕も入り口に近い,司書が不在と分かっているところに向かわなければいけない。きっと追い付けるものにはならないと知っているから,ゆっくりと踏みしめて,沈める。離れた絨毯はきっと少し浮いて,元に戻る。
 閲覧に必要な合図はしないで,カードみたいに真っ白な紙が並ぶ黒い机の上に置いた貸出カードに借りて行く二冊の名前と,今日の日付を書く。その時に間違えた表題の書き間違いにはボールペンで斜線をきちんと引いた。それから自分の名前を見る,何も言わない言葉が続いた。肩に担いでいる楽器ケースは二冊とともに,歩きながら持ち直した。
 返却予定日と向かった先の入り口はストッパーもなく,厚い絨毯に内開きで開いたままにしていたドアの一方は重厚さと閉じて出口然としていた,双子みたいな装具を施したドアノブをこちらに見せていた。思えば,カチャンという音は聞いていない,けれどその重々しさは取り付け金具が立てる音より軽かったのだ,だから不思議はない,代わりに理由を付けるならシンプルに夢中になったとでも言おう。真鍮製の冷たさに,どこか覚めた気持ちを抱いて。
 外開きに出て行く。カタンと鳴らして。
 

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-12-23

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