ララちゃんとぬれない水のおはなし

 ララちゃんの前には三歩ばかりの横断歩道があって、信号は青色に光っていました。
――おかあさんは?
ララちゃんは当たりをきょろきょろ見回しましたが、しかしおかあさんの姿はみえません。
――おかあさん、探さなくちゃ。
 ララちゃんは横断歩道をわたり、茶色っぽい道をまっすぐ歩いて行きました。空は桃色がかった灰色にくもっています。
 ララちゃんが立ち止まったところに、見覚えある引戸がありました。
――そうか、ここはおばあちゃんちだった。
 ララちゃんは玄関に入ると、左手の戸をあけました。よく覚えています。ここにはこたつがあって、テレビがあって、たんすもあります。
――おかあさんここかな。
 しかし入ってみると、部屋にいるのはおばあちゃんだけでした。おばあちゃんはこたつに入ってお茶を飲んでいます。
――おばあちゃん、おかあさんいないの?
――ララちゃん、おかあさんは二階にいるよ。
 ララちゃんは部屋を出て階段を探しました。でも、階段なんかありません。
――おばあちゃん、階段ないよ。
――あるじゃないか。そこに。
おばあちゃんが指差したのは赤茶色のたんすです。
――これで上まで行くの?
――ああ、そうだよ。
 ララちゃんは引き出しを開け、階段をつくり、一段一段上って行きました。
――のぼりにくいなあ。
でも、二階にはおかあさんがいるのです。

 ――……。
階段を上りきると、そこにはおもちゃやさんがありました。
――あ、お人形だ。
かざり窓の中は、大きいものから小さいものまで、お人形でいっぱいです。けれど良く見るとお人形はみんな同じ顔で、みんな同じ服を着ていました。
 ――このお人形、わたしのじゃなかったっけ。
そう、確かにそのお人形は、ララちゃんのと同じでした。お人形の着ている白いワンピースは、おかあさんが縫ってくれたものです。
 ――ララちゃん、いらっしゃい。
お店からひげをはやした知らないおじさんが出てきました。
――おじさん、このお人形、わたしのでしょ。
――そうだったかな。
――うん、わたしの。このワンピースだって、おかあさんが作ったんだよ。
――うん、そうだったかな。
おじさんはぼんやりしています。
 ふと思い出して、ララちゃんはおじさんに尋ねてみました。
――おじさん、おかあさんどこにいるか知ってる?
――いいや、しらないな。
――そっか。
――それで、ララちゃんはどのお人形がほしいの。
 ララちゃんはかざり窓を見上げ、いちばん小さなお人形を指差しました。
――これにする。
――これだね。はい。
それは小指ほどしかない、小さな小さなお人形でしたが、おじさんは両手で抱えるくらいの、大きな箱を選びました。
――持てるかな?
――うん、ありがとう。
ララちゃんはまたてくてく歩き出しました。

 ――おかあさん、どこ行ったのかな。
ぼんやり考えながら、ララちゃんは考えます。
――どこ行ったらいいのかな。あ、そうだ、お人形さんに聞こう。
 ララちゃんは急いで箱をあけました。が、中はからっぽ。お人形は影も形もありません。
――あーあ、逃げられた。
箱を逆さにしてみると、ワンピースのレースが一切れ、ひらひら落ちてきましたが、それだけです。
――困ったなあ。
ララちゃんはレースをにぎったまま、道のまんなかに立ち尽くしてしまいました。

 ――ララちゃん。
生垣の向こうに貧弱なお姫さまが立っていました。赤いドレスをきています。
――ララちゃん、そのレース、あたしにくれない?
――これ。うん、いいよ。
――ありがとう。じゃあ、こっちに入ってきて。
ララちゃんは生垣のすきまから、庭の中へ入りました。
 ――ねえ、お姫さま。
――なに。
――なんで、ここの木はみんな枯れてるの。
そう、生垣も、庭の木も、花も草もなにもかも、ララちゃんの目に入るものはすべて茶色だったのです。
――栄養がとられちゃったの。
――どうして。
――あれ、見て。
お姫さまが指差す方を見ると、そこには大きな四角いプールがありました。よく見ると、まんなかがきらきら光っています。
――あれなに。
――花よ。
 それはまっかで、大きくて、それはそれはきれいな花でした。花びらはいったい何枚あるのかわかりません。それがプールのまんなかに浮かんでいるのです。
――きれい。
――よかったら、ここで泳いでも良いのよ。
――ほんと。
――うん、この水はぬれない水だから。

 ララちゃんはプールにもぐると、上を向いて花をながめました。
――きれいだなあ。
花のまわりの水面には、赤い光が広がっています。それがゆらゆら揺れていて、ララちゃんはとても良い気持ちでした。
 ――このプール、深いな。
下のほうはまっくらで、どこまで続いているのかわかりません。
――行ってみよっと。
 もぐってみて、ララちゃんはぎょっとしました。そこには枯れた草木がいっぱいにたまっていたのです。
――栄養とられちゃったんだ。
ララちゃんは急いで水面へ泳ぎだしました。
――わたしの栄養もとられちゃうよ。
 ところが水面には、赤い花の根がびっしりはっていて、顔を出す場所もありません。
――どうしよう。だって……
ララちゃんのまわりで、泡がぶくぶく上がって行きます。
――ずっと水の中にいたら、死んじゃうんでしょ。
 ふと横を見ると、プールの壁に小さな窓があります。ララちゃんはちからいっぱいそれを開けました。

  ダダダダダダ
  ゴウゴウゴウゴウ

 ぐるぐると水のうずまきができて、ララちゃんを窓の外へ押し流します。

  ダダダダダだだだ
 ――あ、そうだ。
ゴゴゴゴウゴウごごごう
 ――お姫さまにさよならって言ってない……

 ララちゃんはいすの上にいました。ごはんのときにいつも座る、台所のいすの上です。窓の外はもう夕やけ。時計がかちこち鳴っています。
 そのとき、玄関の戸が開く元気な音がきこえました。
「ララちゃん、ただいまあ。おそくなってごめんね」
 おかあさんでした。
「おかあさんおかえりい」
ララちゃんは玄関の方へ、たかたか駆けて行きました。

ララちゃんとぬれない水のおはなし

ララちゃんとぬれない水のおはなし

諸星大二郎「栞と紙魚子」シリーズのような感じを目指しました。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-12-23

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