風紀公安の解決作業日誌

 1
 学校という所は面倒臭すぎる!
 それが義務教育期間を終え、二年目に突入した俺――十六夜(いざよい)夜更(よふけ)のこれまでの経験に基づいた学校という教育機関に対する評価だ。
 普通の高校生ならば、面倒臭いという言葉に勉強や部活、人間関係といった事を思い浮かべるのだろうが、俺の場合はベクトルが違った。
 学校という所には学生、いわゆる知能がまだ若い人間が毎日のようにわんさか集まる場所であり、しかもその学校が毎年二千人もの入学者を集めるマンモス校――いや、マンモスという表現ではぬるいかもしれないが――だとしたらその高校で起きる問題の量は計り知れない。
 毎日どこからともなく湧き上がってくる問題を解決するために我が校には、学校運営に関する事を担当する『生徒会執行部』、生徒間などの細かいトラブルや、部活関連を担当する『風紀委員会』、そしてもう一つが設置されている。
 俺の属するもう一つの機関――『風紀公安委員会』は比較的仕事は少ないものの、嫌な事に前記した二つの問題に当てはまらない特異なものに対応するべく造られた機関であった。
 創設者である我が不肖の姉に俺は幾度も「なんでこんな機関作ったんだよ」と問いかけた。だが、返答は「面白そうだから」それのみである。そんなことで俺の人生変えるなよ……と言いたいところなのだが、姉に物を言えないのは万国共通であった。
 閑話休題。
聞くところによると「手伝おうか?」と、生徒会と風紀には一般生徒から手を差し伸べられることもあるらしいが、風紀公安ではそのような事が起きたことはない。
 代わりに唯一の部下である後輩からは「助けてくださぃ~」と泣きつかれる始末である。
 つやつやとした腰まである綺麗な黒髪、ころころ表情が変わる癖にどんな時でも温和な印象を与える綺麗な顔立ち。
 日盛(ひもり)黎明(れいめい)。たった二人の風紀公安の片割れなのにも関わらず、問題を運んでくる迷惑極まりない宅配業者だ。
 とてとて、と擬音が付きそうな足取りで俺が昼寝をしていた執務机に凭れかかってくる。
「事件です、夜更さぁ~ん。ぐすっ」
 いつもならば元気よく、うざったらしく「事件です!」と駆けこんでくる黎明にしては珍しく、半泣きであった。そんな様子に気を取られてついついつっこんで訊いてしまう。
「……なんだよ」
 嫌悪感九割、心配一割をブレンドしたため息をつき、黎明の顔を覗き込む。うわぁ、鼻水垂れてんじゃん……。
「あのですね、黎明、楽しみにしてたんですよ。研究終わったら食べようと思って。でも、終わって冷蔵庫を開けたら無いんですよ。ぐすん」
 お前はそれでも高校生か! と言いたくなる気持ちを抑え、愚後輩のちぐはぐな内容を整理する。
「要するに、研究終わりに食べようと思っていたものが無くなったと」
 コクコク、と頷く黎明。その目には涙が溢れているものの、「どうにかしてください!」と言わんばかりの他人に縋る気満々の熱の込められた視線が覗いている。
「……悪い、今俺のやる気は中南米辺りに旅行中だから自分で何とかしろ」
「中南米なら一分で帰ってこれます! 光の速さを超えれば!」
「いや、無理だから。というか遠まわしに関わりたくないってこと言ってるんだからな」
「またまた夜更さんったら。そんなこと言ってー。可愛い後輩のプリンの為なら汗水流してくれるのは分かってますよ?」
「どこに可愛い後輩がいるんだ。なんでプリンの為に汗水たらさにゃならないんだ」
 というかプリンぐらいだったら自販機に売ってるからまた買ってくればいいだろうが。
「というか、それのどこが事件なんだ。勝手に誰かが食べたに決まってるだろ……」
「そうです! 聞いてください。黎明だって自分の一つとられたぐらいだったら夜更けさんには相談しませんけど、一緒の冷蔵庫に入っていた会長のケーキも無くなってたんです」
「……………うわ」
 会長、という単語に俺が僅かながら反応してしまった俺を見て、黎明は、嬉々とした表情に変わった。
「夜更さん、会長も絡むという事はどうなるかお分かりですよね?」
「……ち」
 心底嫌ではあるが、あいつが絡むなら仕方ない。と、まだ寝ていたかった気持ちに鞭を打ち、腰を上げる。
「あ、夜更さん」黎明は俺の前に立ちふさがり「ネクタイ曲がってますよ」にこやかに頬笑み、俺が気恥ずかしく視線を黎明から逸らした間に整え終わらせ、部屋の扉を開けた。
 機嫌取りだとは分かっているのに気分が少々よくなってしまった自分に嫌気がさしつつ、重い足取りを引きずって生徒会室に向かった。

「おや、夜更じゃないですか。ご無沙汰ですね」
「……ご無沙汰じゃないだろうに、唯我(ゆいが)」
 丁寧な口調とは裏腹に人を見定めるようなイヤらしい目つき、しかしその目つきをも問題とさせないような端整な顔立ち、少し茶髪がかった肩までの艶やかな髪は内側に向かってくるんとカールさせている。我が校で絶対的な権力を持っている生徒会会長――一ツ橋(ひとつばし)唯我。昔からの馴染みだったりする奴。
 一見お淑やかそうに、近づくと偉そうにどっかり会長専用の座椅子に体をうずめていながら片手を俺と黎明に向けあげる。
 それを俺は無視しつつ、黎明は目礼で返しだだっぴろい生徒会室を進み、執務机まで向かう。
「一昨日会ったばっかりだろ」
「約四八時間も夜更と会っていなかったのだから、ご無沙汰で間違いはないと思うのだけれど違うかな?」
 めんどくせぇ、と隣にいる黎明に視線を投げかける。すると、夜更さんの意図は分かりました! と言わんばかりに自信満々な笑みを返してきた。
「会長、夜更さんは照れ屋なんですから皮肉交じりに言ってもダメだと思いますよ? ここは「なんでメールも電話も二日間もくれなかったの! 離婚してやる!」というのが妥当かと」
 何をどう受け取ったらそんな解釈になるんだよ!
「ふふ、結婚すらしていないのに離婚という単語を使う事によって否が応でも罪悪感を与えるっていうのはいい手だね」
「どうです、会長。黎明だって夜更さんの事を操れるようになってきましたよね!」
「前に比べれば、だけどね。でも詰が甘いかな。ここは「私気にしてないからね? 二日間もメールとか電話も寄越さなかった事に対してなんか気にしてないからね?」とヤンデレ気味にして、凄くいらつくけど言い返せない。という状況を作るのが正解だね」
「おおー! 御見それいたしました」
 黎明の、受け取って嬉しいのか? という賛辞にニヤリ、と唯我の艶めかしい唇の端が釣り上がる。こうなるから来たくないんだよ、ここは……。
「それで、二日間も浮気をしていた夜更はなんでここに来たのかな?」
 しかし、想定していた追撃には入らず話を進めてくる。
「あー、こいつから話聞いたんだけどさ」
 ちら、と俺と黎明の後ろにいる生徒会役員に目を向ける。すると唯我は黎明とは違い、ちゃんと意図を理解したようで「出でいけ」と目で合図する。
 パタン、と無機質な扉のしまる音がすると目の前にいるやつが口を開く。
「いやはや、こんな事に気なんて使わなくてよくないか、夜更? 別にアタシは聞かれてもいい話だと思うんだけどな」
 先ほどまでの丁寧で、好感のもてる口調から一変、唯我は砕けたというよりざっくばらんとした口調に変わり、ニヤニヤこちらを睨みつけてくる。
「……お前の丁寧な口調が苦手なだけだ」
 その視線から逃げるべく、不自然じゃないように窓へ行き、風を浴びる。あぁ、清々しい。
 現生徒会会長、一ツ橋唯我は人前で好感を持たれるような綺麗な口調と、それを裏切るような言葉と態度で不思議と人を寄せつけていると共に、自分の認めた一部の人間にのみ素をさらしている。本人に言わせてみれば「どっちもアタシなのには変わらないんだから素って言われても答えれない」と言う。
「丁寧な口調が苦手だなんて……そんなにアタシにディスられたいんだ」
「違ぇよ!」
「今のどこに否定する要素があるんだ? あぁん、夜更」
 すっと背後から唯我が立ちあがる気配がすると、いつの間にか俺の隣にぴっとりとくっついていた。耳に直接息を吹きかけながら猫なで声で喋る。
「第一、この程度の事に世界一後ろ向きなやる気しか持たない夜更が来るだなんてさ、アタシに会いに来たってことだろ?」
 ふわり、と年頃の少女独特のいい匂いが俺の鼻腔をくすぐる。
「目ぇ背けちゃって可愛いねぇ~」
 五月蠅い。大体ここに来たのは俺が見ぬふりをして、後々拗ねた唯我がもっと大きな面倒事を俺に投げかけないようにという予防線を張る為だ。
 くそ、黎明いい加減助けろよ。などと、そんな事を考えている間にも唯我の笑みの怪しさはどんどん増していく。そんな俺にとっては好ましくない状況を壊したのは、生徒会室のドアをバン、と勢いよく開いてきた存在だった。
「よっすよっすー。唯我、会いに来た……よ? ありゃ、夜更ちゃんといちゃこらしてた最中だったかー。って、生徒会長という立場の人間が生徒といちゃこらだなんてはしたない! ほら、夜更ちゃん! こっち来な! わたしといちゃこらしよう! なっ……! 風紀委員長のわたしといちゃこらだなんて夜更ちゃんやらしい! あ、黎明ちゃんやっほー」
 扉を開けると同時に、俺と唯我の事を見つけ勝手に勘違いした挙句、暴走しやがったのは、面倒事を頼んでもいないのに見つけてくる風紀委員会委員長、白井愉快だった。
 風紀委員長という役職にふさわしいとは言い難い小柄で、幼さが全面的に残る童顔、雑に束ねたツーテールも相まって「ちびっこ委員長」という印象しか抱かない。(抱けない)
「あー、そうそう。唯我が言ってた特待生と一般生との対立って噂は根も葉もない根拠だったよー」
「ん、そうか。まぁだろうとは思ったけどさー。どうせ頭の悪い教師共が勘違いしただけだったろ? 特待生と一般の対立なんてする訳ないのに。な、夜更」
「そーっすね」
 この学校には特待生という区分で生徒が毎年百人入学している。特待生は一芸に秀でた才能を持ち、その一芸を伸ばすためだけに学校に通っている。なので通常授業は免除。クラスにも配属していない。大体は研究室に籠ったり、運動に精を出しているからである。
 さっき、黎明が研究終わったら食べようとしていた、と話していたことから分かるように、黎明は特待生入学である。そして唯我、愉快も同じくあんな性格でも天才と言われる部類なのであった。というかこの場にいるいわゆる一般生は俺だけである。
「それよりも」愉快さんが唯我とは逆の俺の隣に来る。「なんで夜更ちゃんは珍しくここにいるの? もしかしてわたしがここに来るの予測して来てくれたの!?」なんでそうなる。思考回路が唯我と一緒ですか、アンタ。「違うぞ、愉快。夜更はアタシに会いに来たんだ」頼むからお前は口を開くな。「夜更ちゃん浮気!? これが世に聞く浮気なのね!?」浮気の意味を辞書で調べてからもう一回言え。「ちっちっち、浮気じゃないよなー。夜更は本妻の所に戻ってきただけだもんな」少し黙れよ。「多重婚!? 多重婚してたの、夜更ちゃん!? うぅ……あの夜に囁いてくれた愛の言葉は嘘だったのね」そんな事実はない。「凄いです夜更さん! 法律上できない多重婚をなさってるだなんて!」いきなり会話に入ってきてそれかよ。助けろよ!
「と言うより」
 黎明が大きく柏手を打ち、皆の意識を集める。
「皆さん――当の夜更さん含めここにいる目的を忘れてらっしゃいますよね?」
「「あ」」「?」
 完全に雑談目的で来たと思われる愉快さんは疑問符を頭の上に浮かべるが、俺と唯我は完全に忘れていた……とばかりの間抜け顔をしていただろう。
「ん? なになに? 二人とも同じ表情しちゃって。ペアルックならぬペアフェイス? 羨ましいなー、わたしもやりたいなー。一緒にしたいなー。あ、一緒って言ったら研究室にあったプリンとケーキ一緒に食べたんだー。凄い美味しい組み合わせだから皆も試した方がいいよー」
「「「………………………」」」
「ん? こんどは三人して黙りこくってなによー。わたしだけ除け者じゃない! ――え、あ、唯我? なんでそんな怖い顔して肩に腕回してくるの? ちょっと夜更ちゃん? 顔が無表情になってるよ? だからなんで肩に腕回してくるの? やーん、わたしモテモテー、とかじゃないよね? うん、ごめん。冗談言わないから黎明ちゃんニコニコしながらそんな威圧感放たないでね?」

 愉快さんもイマドキ女子なのだから女の子のスイーツに対する気持ちを分かった方がいいと思ったう出来事であった。あと、俺の貴重な時間返せ。
 こうして平凡なる珍しく平和な一日が過ぎていった。

 2
 毎年毎年同じ時期に同じピンク色の花びらをつける桜を見ると、よくもまぁそんなに勤労意欲がありますね、と思ってしまう。
 高校に入学して早一年。一年生という甘い立ち位置にいる事が出来なくなってしまった俺は、いつもとは少し違う春を迎えていた。
『みっなさぁああああああん!』
 ギィィイイン マイクのハウリングがその場にいる人の注意を根こそぎ奪う。
『入学おめでとうございまーす! はーい、そこの彼、わたしに見とれてるの? アハハー、残念。私は風紀委員長だから不純異性交遊はやっちゃいけないんだよねー』
「愉快さん、少しでいいんでテンションとボリューム下げてください……」
 二千人ってこんなに多かったっけ? と幾度もなく思った入学式の翌日。新入生を対象とした部活紹介なる行事を行っていた。現在は部活の前の前哨戦ということで設けられた委員会紹介の時間である。
 壇上では俺の忠告が聞こえるわけの無い愉快さんが、いつも通り無駄に元気に一人漫談を繰り広げていた。
「やー、凄いよな。いつもいつも言葉が尽きないって。アタシでもああはいかないな」
「……それ、本気で言ってねぇだろ」
 風紀公安委員長の俺と生徒会会長の唯我、生徒会副会長、監査委員長の四人は舞台袖で演説の順番待ちをしていた。
「唯我、君は次なんだから少しは緊張感を持ちなさい」
 副会長――園原(そのはら)護(まもり)さんは呆れ半分のゆっくりとした朗らかな口調で愚痴ともとれる言葉を漏らした。
 護さんは俺との関わり合いが多い委員会関連の人で唯一の男性である。百七十センチほどの小柄な体躯で、持ち前の落ち着いた雰囲気で生徒会を裏から動かしている苦労人だ。この人がいるだけで唯我と愉快さんが少しだけ大人しくなるので、とても頼りになる先輩として尊敬していない訳でも無い。
「という訳で僕の出番はもともとないのだから寝てていいかな」
「護さん……その癖いい加減治らないもんなんですか」
 護さんは、暇があったら寝る、というのび太君精神を持ち合わせた人なのであった。なので尊敬していない訳でもない、というのに留まっているのである。
「よふけ、にいさんにそんなこと言っても、無駄。昔から、こういう人、だから」
 会話に不自然な途切れがあり、ほにゃほにゃとした気の抜ける声を放ったのは監査委員長の園原看守(かんしゅ)さん。護さんの双子の妹で口調とは似つかわしい監査委員長を務めている謎の人物だ。愉快さんとどっこいどっこいの背で、滑らかな髪の毛を外に跳ねさせた可愛いという雰囲気を纏っている人だ。
「にいさん、せめて寝るならあっち、生徒から見えない、所で寝て」
「うーん、仕方ないなー。夜更君、僕を運んで行ってくれてもいいんだけど?」
「! よふけ! そういう、その、男同士の趣味は、ダメだからね! ――ほらにいさん行くよ」
 いきなり荒げた口調――言葉は溶けてしまいそうないつもの様子だったが――を上げたかと思うと半分寝ている護さんを看守さんはどこかへ連れて行く。
「あの兄妹って不思議だよな」
 二人を見送りながらぼそ、と呟く。
「あ? 夜更んとこ程じゃねぇだろ。学校を支配するような姉とやる気と自主性が全くない弟の姉弟なんてアタシは一組しか知らねえよ」
 カカッ、と盛大に笑い俺の頭を叩く。痛ぇよ。
「で、十六夜さんは元気……だろうけどなんか言ってたりする?」
「大学生活が思ったよりもつまらないとは言ってたな。あと、上手くやれよ、だと」
 十六夜さんらしい発破だ、と唯我が肩をすくめる。
 十六夜朱音(あかね)――前生徒会会長にして風紀公安委員会という面倒な組織をたった一人で創り、あまつさえ弟に押し付けた一生の俺の天敵にして実の姉。完璧にして誰もが手を伸ばしてその超人ぶりに屈服し、最終的には全校6000人から慕われた生きる伝説。研究者としても高校在学中から一流大学と共同研究をするほどの逸材。そして、唯我が可愛く見えるほどの極悪人。と、まぁ肩書を並べるだけで凄さというものが、実際に会った事無い人でもひしひしと感じられてしまうのが我が姉であった。今は卒業し華のJD生活なるものを送っているはずの人物である。
「新入生は十六夜さんの事知らないってのが少し可哀想に見えてくるねー」
 という唯我の発言から分かるように卒業した今でも絶大な存在感を保っている人間だ。
「逆にアレの毒牙にかかる心配の無い幸な生徒達だと思うんだが。――と、愉快さんが終わるみたいだな」
 話しこんでいる合間に講堂から二千人分の拍手が響いてきた。
「ひゃー、夜更ちゃん見てた? わたしこんなに拍手された事初めてだよー。次、唯我頑張ってねーん」
 達成感がにじみ出ている満面の笑みで愉快さんは舞台袖に帰ってきた。
「アタシを誰だと思ってる。――私の人心掌握術を見てた方がいいですよ、二人とも」
 そんな愉快に対して自信満々な笑みを返した唯我が壇上に上っていく。
『皆さんご入学おめでとうございます。これから貴方達と学校生活を共にさせていただく生徒会会長の一ツ橋唯我です。先ほどの風紀委員会の方より話の面白みは欠けますが、聞いていただけたら幸いです。では、まず生徒会という組織の事ですが――』
「唯我ってなんであんな性格なのに真面目な演説も出来るんだろーねー。不思議不思議、学校の七不思議だよ」
「ゆいがだけで、学校の七不思議、作れそう」
「あ、看守さん戻ってきてたんですか」
 俺の言葉に看守さんは首を小さく縦に振ることで返事をしてきた。
「ゆかい、新入生、どう?」
「例年通りって感じかなー。去年は夜更ちゃんっていう異端児がいたけど、そんな番狂わせな生徒は居なさそうだよー」
 軽く言い放つ愉快さんだが、この人の言った事を裏返すと、わずか十分の持ち時間で二千人いる新入生を一人一人みて、判別したということだ。
「何呆けてるの? あ、もしかしてわたしに惚れた? ねぇ、惚れたんでしょ!?」
「違うわ! やっぱ特待生なんだなーって柄もなく思っただけです」
 愉快さんは人を見るというのに特化した特待生であった。一見どうでもよさそうな力だが、管理職や研究職になると多大な力を与えるのであった。因みに愉快さん曰くマーク式のテストは制作者との心理戦らしい。
「ふっふー」
 鼻息をふん、と漏らし得意げに胸を張る愉快さん。張った所でなんにも変りませんね、なんて思ってても言わない。うん、出来てる後輩だな、俺。
「なんか失礼な思考が見えた気がしたなー」
「HAHAHA ナンノコトヤラ」
「よふけは、間違いなく、『はっ、愉快さんはぺったんこだなー。それに比べ看守さん! なんて魅力的な胸だ! 飛び付きたい!』って思ってた」
 愉快さんに関しては概ね当たりだけど看守さんの事に限ってそれはねぇよ! 第一、あなたも愉快さんと同じで(略)
「んにゃ! 変態! 夜更ちゃん変態だ! 唯我―、変態がいるよー」
 愉快さんが壇上ですました顔で話し続けている唯我に向け投げかける。
『――という事もあります。委員長というのはこの学校で非常に大きな力を持っており、怖がられているようですが実際、私以外の各委員長も今さっき聞こえたように変態ばかりですので――』
「さっきのロリっ子委員長も変態だったのか」「ロリと変態とか」「え、それって薄い本だろ? 現実じゃ無いだろ」「いや、でも確かに会長が……」
 ざわざわ
「……どーすんすか愉快さん」大きくなりつつある生徒の声を聞き、問いかける。「えー、わたしの責任なのー?」彼女はちらとそっぽを向いているもう一人を視界に入れる。「この場にいる、変態さんは、よふけだけだよね?」お前ら全員だろ!
『皆さん、静粛にお願いします。先ほど変態と称しましたが、それでも楽しい人材ばかりなので部活というものに縛られず、委員会活動に身をゆだねるという選択肢も心に入れておいてほしいです』
 ニコリ、と新入生に優しき鵜微笑みかける唯我。その笑顔に心を奪われる新入生だち。
 アイツに助けられたな……と、心の中で俺達は思う――筈はなく、「「「くっそぉおおおアイツ好感度上げやがったぁああああ!」」」と歯ぎしりしているのであった。
 愉快さんの演説よりも気持ちのいい拍手が会場を包み込んだ。そんなBGMを背に唯我は気分よさげに歩いてくる。
「どうでしたか、私のターンは。――ほら、次は看守だぞ、早く行け」
「むぅ……ゆいがの癖に」
 看守さんは、わたしの分の文句は託した、と俺の肩に手を置き演説に向かった。
「んで、文句があるなら聞いてやるけど?」
 お前らが騒いでたのを利用しただけだから文句は言えないだろ? とばかりにドヤ顔をしてくる。うぜぇ。
「……それよりも看守さんの方に集中しましょうよ」
 そんな視線から逃れるために俺と愉快さんは看守さんの方を向くと、唯我は何も言わずに同じ事をする。
『監査委員会、委員長、園原看守です。ええと、監査委員会というのは、すごい組織です。生徒会や、風紀委員会、風紀公安委員会と戦います。敵ばっかいます。毎日毎日大変です』
「言ってる事の意味伝わってんのかな、あれ」
 演説だというのにマイペースな喋り方を貫き通す看守さんだが、新入生たちは期待のまなざしに似た、輝いた視線を向けている。
「知ってるか、夜更。一番相手の心に入りやすい声と口調って看守みたいなやつなんだよ」
「へぇ」
「あ、分かるかも。わたしもなんでか看守ちゃんと言い争いになると毎回毎回負けるもん。なんか逆らっちゃいけない気がしてさー」
 そう思えば俺も心当たりがないわけでもない。看守って案外監査委員長という役職に向いているのかもしれない。まぁ、本人は気が付いていなさそうだけれども。
「あ、夜更ちゃん。演説で話す事決まったの?」
 身長的な問題で上目遣いで覗き込んでくる形で愉快さんが聞いてきた。
「そか、風紀公安って去年までなかったからベースとなる話がないから自分で決めなきゃダメったな。アタシに言ってくれれば手取り足取り他いろいろ取って教えてやったのに」
 なんで途中から目をギラつかせるんだよ。途中までだったら会長らしいのにさ。
「まぁ、なんとか決まってる……。二人の想像は外れる内容だろうけど」
「ふぅん」
 唇の端を釣り上げ、お前の考えはお見通しだと言いたげな眼差しを向けてくる。
「あ! なんか夜更ちゃんと唯我が目で会話してる! 恋人スキルだ! 凄い! じゃな
くてこんな状況でいちゃいちゃらびゅらびゅするだなんて破廉恥な!」
 いい加減その思考回路に自分で疑問を持ってほしいものですねぇ、と愉快さんに視線をぶつける。
「お! 唯我唯我、わたしも夜更ちゃんと目で会話してみるよ。ムムム……分かった! 『愉快さん、なんて麗しいお姿なんだ! あぁ、愉快さんを見るだけで僕の心はバクバクもといい、ムラムラしてくる!』……ってムラムラだなんてイヤらしい! で、でもまぁ夜更ちゃんも男の子だから……」
「……唯我」
「こいつに何を言っても無駄だろ。諦めろよ」
 そう言う唯我の表情も呆れていた。なんで委員長職にはまともな人材が誰一人いいのだろうか。俺は勿論除き。
「で、夜更ちゃん当たってた?」
 なんでわくわくした顔をするんだ。
「むぅ~、夜更ちゃんと心を通わせられた気がしたんだけどなー」
『――これで、終わります。本当に歓迎、だから、皆来てくださいね』
 馬鹿をやっている間に看守さんの番も終わり、薄い頬笑みと共に戻ってきた。
 その際何故か、じぃっと見つめられる。
「……よふけ」
「?」
 眉間に皺をよせ、軽く睨んでくる。いや、本当に意味が分からない。
「伝わった?」
 もしかしてこの人はさっきの俺達の会話を聞いていて、俺に思考を読んでもらおうとしているのだろうか。
「…………」
 透き通った綺麗な琥珀の瞳を覗く。――なんにも思いつかない。
「……よふけ? そんなにじっと見られると、その、恥ずかしい、から、あの」
「おい、そこ見つめ合ってンなよ。夜更の出番だろうが」
 背中をバン、と叩かれ看守さんとの視線が途切れる。後ろの方で「あぅ、唯我のケチ」なんて聞こえた気がした。
「夜更ちゃん頑張ってね~」
 いつまでも能天気な声を聞きながら演説台に向かう。
 マイクの高さを調整し、新入生が溢れる海原に目を向ける。
「うわ……」
 なんとも気の抜けた声が俺から意図せずに発せられた。数の多さは承知していたのだが、壇上から一斉に見降ろすとこんなに迫力があるのか。こんな中でよくあの三人はいつも通り出来るな、と関心をしていると、約四千の瞳が俺を見定めするかのようにこちらを向いていた。
 ごくっ、と唾を飲み、自らに気合を入れ向き直る。
『委員会のトリを務めさせていただきます風紀公安委員会委員長、十六夜夜更です』
 一度言葉を区切る。その一瞬気を許しただけで雰囲気に呑まれそうになる。
『風紀公安委員会についての説明ですが、』
 少々ざわついている群衆と舞台袖を認識しながら一言ずつ選んで喋る。
『公安風紀委員会は前の三つの組織とは違い、人員の募集はしない。言う事はそれ以外にありません。以上です』
 場の空気が一変し、場が静まり返った。あのお喋りな委員長三人の方からも何も聞こえない。
 面倒臭いのは、やらないに限る。それが俺のポリシーだ。それを昔からよく知ってた唯我はだから俺の言う事が予測できたのであろう。
 去年、この高校に入学して以来は自ら問題を見つけて問答無用に解決させる姉貴に構われてたせいか、ポリシーが疎かになりかけていた。だが、あの姉貴が今年はいない。姉貴に押し付けられたこの委員会、俺がどうしようと勝手なのである。
 だから俺は今年でこの委員会を無くそうと計画していたのだ。高校最後の年ぐらいゆっくりと、やることもなく過ごしたいものだ。
 そんな事を思いながら舞台袖に戻る俺に向けられる一つの視線にこの時は気がつかなかった。

 あれから部活説明会も終わり、放課後となった。風紀公安に来る際、生徒会室と風紀、監査の本部を覗いてきたが、どこも新入生がちらほら見受けられた。
 無駄に豪勢な扉を開け、ここ数カ月何もなくとも通い続けている部屋に入る。物音一つ帰ってこないのに一抹の寂しさを覚えながら執務机付属の椅子に腰を下ろす。
 風紀公安委員会の部屋の造りは、扉同様なぜか豪華なのである。教室を半分に割ったような縦長の部屋で、入ってすぐ右に校長室にあるような応接用のふかふかの三人掛けのソファーとそれに挟まれている長机。そして何故か窓際のソファーの隣には冷蔵庫が鎮座している。扉を開けて真っ正面にあるのが一人ようにしては大きい執務机と愛用している社長が座るような椅子だ。それ以外は壁に備品の棚があったり、東向きの窓があったりしている。
 学校という施設なのにこんなに豪華でいいのだろうか、と思っていた時期もあったが他の部屋も大体こんな感じなので今更疑問を覚えられなくなった。
 いつもと変わらない部屋を見渡す。
「まぁ、だろうとは思ってたけどさ」
 予測通り、風紀公安には誰も来ていなかった。来ていたとしても迷惑なのだが、今年も一人だと思うと少し、気が滅入る。
 今日はあの委員長共も動けないだろうから久々平和な放課後が過ごせるな……。
 ……なんて思ってしまうとそうはならないのが現実であった。
「夜更君、暇してる?」
 来訪者は護さんだった。頭は先ほどまで寝ていたせいかボサボサだ。
「何してるんですか……。副会長ともあろうお方が暇では無いでしょうに」
「あはは~、そんなことはないんだよねー。僕は唯我に追い出されたんだよ。『お前がいるとこっちまで眠くなる』って言われてさー」
 頭の後ろをかきつつ無遠慮に応接スペースのソファーに座る。この部屋に来るやつは大体無遠慮なので今更そんなことは気にしないが。
「で、なんでここに来たんですか」
「うん? これこれ」
 持っていた数十枚のプリントを机に置き、指を指す。
「追い出される際に押し付けられちゃってね。あと何週間かすれば新年度の本格始動だから暇な人がいたら手伝ってもらえ状態なんだ」
「そりゃ、まぁ。頑張ってください」
「手伝いましょうか、とは言わないんだね」
「俺が言うとでも?」
 俺がそう言うとクスッと護さんが笑った。
「どうせ俺には寝ないように見張りを頼みに来たってとこでしょう?」
 護さんの向かいのソファーに腰を下ろす。彼はこちらを見上げて正解、とばかりにウィンクする。いや、男のウィンクとかいらないんですけど……。
「それよりもさ」
 書類をチェックしながら護さんが訊いてくる。
「本当に新入生はいらない、なんて言ったんだ。このままじゃ運営大変なのに」
「そうは言われましてもね。もともとやる気なんてないのに引き受けさせられた組織ですから」
「お姉さんのせいにするのは良くないんじゃない? って言いたいところだけど十六夜さんだからね。なんとも言えないや」
 この人は去年唯我と共に副会長を務めていたので、姉貴の学校生活に関しては俺よりも身にしみている。だから強くは言えないのだろう。
「演説でさ、君はああは言ったらしいけどさ、人ってやるな、って言われるとやりたくなるものじゃない?」
 唐突な話の切り変わりに少し戸惑う。
「だから僕は案の定、風紀公安に入りたいって人が来てるものかと思ったんだけどなー」
「そんな現実は甘くありませんよ。ほら現に護さんがフラグを立てても来ないじゃないで」
 すか、と続けようとしたその刹那。扉がノックされた。
「…………」「夜更君? 誰か来たみたいだよ」
 軽く顔をひきつらせ扉を振り向く。心の中は「お約束とかいらねぇんだよ!」である。
「失礼します」という凛とした綺麗で幼い声が扉の向こうからし、開かれる。
 そこにいたのはこの時まだ入学したばかりで、あどけなさの残る――日盛黎明だった。
 初めて見たその瞬間、俺は彼女にまとわりつく雰囲気に息を呑んでしまった。
「ええと、ここは風紀公安委員会の本部でよろしいですよね?」
 俺と護さんを交互に見つめながら、おどおどと告げる。
「……いや、違う」
 やっとの事で出た言葉は真実とは正反対の事を示していた。
「えっ!? あ、すみませんでした! し、失礼しますっ」
 顔を朱に染め、いそいそと出て行く黎明。しかし閉められた扉の向こうから「あれ、でも看板が……」と聞こえると共に足音が遠ざかっていった。
「なんか馬鹿そうなのが来ましたね……」
「いや、僕は君のあの状況下で平気で嘘をつける君にびっくりしてるんだけど」
 なんて言ってると乱暴に扉が開かれ、黎明が再び入ってきた。
「って、ここでやっぱ合ってるじゃないですか! 通りかかった人に聞いたら「何この子はみれば分かる事を聞いてるんだろう」みたいな目で見られましたよ!?」
 前言撤回、こいつは紛れの無い馬鹿だ。
「いや、すみません。どなたか分かりませんがここは本当に風紀公安などでは無いんですけど」
 俺が真顔でそう説明すると小さく護さんが噴いているのが見えた。
「で、でも先ほどの方が……」
「先ほどの方から変な目でみられたそうですね? それってただ単にその方も嘘をついているのを隠してそういう表情になったのでは?」
「確かに……そんな表情にも見えましたね。それよりも凄いですね! 私の話だけでそんな事まで分かるだなんて!」
 キラキラとした目で駆け寄ってきて手を握ってきやがった。……うわー、どうでも良すぎる。
「はっ! 黎明とした事が我を失いかけてました。それでは失礼いたします」
 今度は丁寧に頭を下げ、出て行く。
「――って、やっぱりここ風紀公安委員会ですよね!? 先輩、さっき壇上に上がって自分で風紀公安の委員長だって言ってたじゃないですか!」
 バン、と閉められたはずの扉がそんな声と共にまた開く。働き者だな、扉さんよ。
「そうですよ、ここに来る前にちゃんと地図を何回も見ましたし、何人もの人に聞いたのに間違える訳ないじゃないですか! 黎明は記憶力に自信もありますし!」
 ぷくぅ、と頬を膨らませ俺達に抗議の視線を飛ばしてくる。
「……で、何の用だ」
 嫌な感じを前面に出しつつ一応訊く。
「この委員会に入りたくて来ました!」やっぱりか。
 護さんを見るとぐうぐうと気持ちよさそうに寝ていた。喋って無いなと思ったらこれかよ!
 助け舟を貰う事が不可能となってしまったので、仕方ないなと黎明に向き合う。
「三度も来ていながらまだ名前を名乗らないような奴を入れる気はない」
「申し訳ございません。れいめ――私は日盛黎明です。特待生なのでクラスには所属してませんが、第三研究室に身を寄せています」
 日盛、黎明ね。俺の全く逆の意の名前とは。何というか宿命を感じさせる名だな……。それにしても第三研究室ってよりによって唯我と愉快と同じ所かよ。
「お前、俺の演説聞いてたって言ったよな。ならなんで来たんだ。募集はしないと言ったはずだぞ」
「ええと、それは生徒会長さんに「君にぴったりな組織がある」と勧められまして。黎明自身も委員会に携わってみたいなと思っていたので丁度いいなー、と」
 唯我ァアアアアアアアア!
「見ます所に、風紀公安はお二人で運営なされているのですか?」
「僕は違うよー。僕はこれでも生徒会副会長をしているから。――ぐぅ」
 いきなり起きて説明したかと思うと、そのまま眠ってしまう。素晴らしい体質してますねぇ、本当に!
「じゃあ夜更さん? は、お一人で全部やってるんですか?」
 いきなりファーストネームを呼ばれ、ドキッとしてしまった。なんで知られてるんだ……あ、自己紹介してたなそういや。
「それなら部員増やした方がいいですよね?」
「……面倒だから話すけど、この組織は今年で潰れるぞ。だから入った所で無意味だ」
「何でですか!?」
「いや、面倒だから」
「そんな理由で!?」
 目を見開き、心底驚いた表情をしていた。
 ……なんかコロコロ表情が変わって面白い。
「まぁ、これも何かの縁だ。お前を入れてやるよ」
「本当ですか! やったぁ!」
 今度はもろ手を挙げて喜びを表現してくる。
「――なんて言う訳ないだろ。嘘だ嘘。帰れ」
「そんなぁ……ぐすっ」
 晴れのち雨、とのように悲しみをあらわにさせ明らかに落ち込んだ様子を見せる。
 やばい、楽しい。
 次はどうしようかと脳裏で考えていると護さんが起きた。
「はいはい、夜更君。からかうのもそれくらいにしようね? せっかく入ってくれるかも知れない子に嫌われるよ?」
「えっ、からかってたんですか!」
 目に皺をよせてむぅ、と唸ってくる。
「からかってないですよ。ただ新入生に世間の厳しさを教えてあげただけです」
「ひどいです! 黎明のガラスのハートがばらばらに砕け散りました!」
「んなもんゴミ箱に捨てやがれ」
「謝罪! 謝罪を要求します!」
「何に対してだよ」全く思いつかない。
「なんでそんなにきょとんとした顔してるんですか!?」俺にはお前が憤ってる理由が分からん。
「……結構息合ってるよね、二人って」
「「どこがですか!?」」
「ほら」
 見事にハモってしまったが、意見が被るぐらいで息合ってるなら全人類のどれぐらいと息合ってるってことになるんだよ。うん、そうだ。だから俺の思考回路とこんな馬鹿丸出しな奴の思考回路が同じなはず無い。
 その時、放課後の終了を告げる『蛍の光』がスピーカら流れ始めた。
「もうこんな時間になってたんだね。僕は生徒会室に戻るよ」
 護さんは書類を片付け――今までの会話の間に仕上げていた――椅子から立ち上がり、手を振りながら出て行った。
 その場に残される俺と黎明。さっきからこいつずっと俺の事睨んでやがる。面倒くさいなぁ、もう。
「おい、ここは閉めるぞ。早く出ていけ。あともう来るな」
 極力、黎明を見ずに冷たく言う。
「勿論ですぅ! もうこんな意地悪で性格が悪くて嘘つきで目が死んでで女癖悪そうで甲斐性がなさそうな人のいる所に何か頼まれても来ません!」
「てめぇ、それただの悪口じゃねぇか!」
 では、失礼しました! と、挨拶だけは丁寧に今世紀最大の嵐は去っていった。
「……疲れた」
 ふかふかのソファーに体を埋める。あーやわらかい。動きたくない。
 ふわり、と黎明が残した甘ったるい匂いが鼻をかすめる。
「全く、変な奴に会ってしまったもんだ」
 そう呟き重い腰を上げて戸締りをし、帰路へ着いた。その時の俺は何故か笑っていた。

「おはようございます! でも時間的にはこんにちはですね夜更さん」
 唖然とした。
 次の日、いつも通り放課後に風紀公安に向かった俺を待ち受けていたのは満面の笑みで出迎える黎明だった。
「……なんでいるんだよ」
「黎明の方は授業は無いので研究のノルマを終え次第来れるので、夜更さんより早くいるのは当たり前ですよ?」
「俺はそういう意味で言ってるんじゃねえ! 昨日お前は頼まれても来ないって言ったよな!?」
「ええ、そうですね」
 笑顔のまま認める。その表情に一切の歪みは無い。
 もしかしてこいつは日本語の意味を理解していないで自分で喋っているのだろうか。
「何か酷い事を考えましたよね!?」
「んなわけあるか。まだほとんど知らない人間に対して馬鹿にはしない位の分別は持ち合わせている」
「ダウトぉ! 今の表情昨日嘘をついたときとおなじ悪い顔でした!」
「ああ、嘘だけど?」
「開き直りましたね!? 最悪じゃないですか!」
 騒がしいな、と思いつつ、いちいちオーバーなリアクションをする黎明を通り過ぎて執務机の椅子に座る。するとちょこちょこと黎明が俺の隣に付いてきた。
「なんだよ」
「お気になさらず。夜更さんの仕事ぶりを間近で見ようかな、と」
 仕事ぶりって。する気ないんだけど。
 しかし、じぃっと見られるとこう、どうも落ち着かない。
 どうやって追い出そう。
「………………」
「(ワクワク)」
 何この拷問? 
 どうにかしたものか……、と考える。
「そうだ。いい機会だからお前に仕事を頼もう」
「本当ですかっ!?」
 目を輝かせ、目を覗いてくる。
「監査委員長に合いに行って来てくれ。そいつに俺の使いで来た、っていえば分かるから」
 勿論お使いなんてない。ただの厄介払いだ。しかし、黎明はそうとは知らずに「はい、お任せください!」と元気いっぱいに出て行った。
「……仕事もないし帰るか」
 部屋には黎明の道具が残っているが鍵を掛けてもいいだろう。どうせあいつが俺より先にいたってことは鍵を持ってるんだろうから。持っていなかったとしても関係のないことだし。

 そのまた翌日。
「夜更さん! 昨日黎明がどんな思いしたと思ってるんですか!?」
 これまた風紀公安には、さも当たり前のように黎明が仁王立ちで、腰に手を当てて怒ってますよアピールをしていた。
「園原看守さんに合いに行ったのはいいものの、夜更さんのお使いだと告げたらなんでか尋問室に連れて行かれたんですよ!? 「あなたが、夜更の、部下? 嘘はダメだよ」って言われて、嘘じゃない事を証明するべくここに来たら夜更さんいないし! 黎明は高校生活三日目にして監査委員長に目をつけられたんですよ!?」
「いい事じゃないか。委員長に目をつけられるだなんて」
「悪い意味で目をつけられたんですぅ!」
 知ってるよ。というか、そうなる事を予測して看守さんの所に向かわせたんだし。
「今日はちゃんとした仕事を与えるから」
「……本当ですか?」
「ああ。今日は風紀委員長の所に行ってもらいたい」
「了解しました! ……って! 昨日と同じパターンになるの見え見えですよね!?」
「いや、看守さんとお前は面識ないから問題が起きただけで、愉快さんとは顔見知りなはずだろ?」
「まぁ、そうですけど。でも大して話した事無いですし」
「入学したばかりの新入生が委員長と話せるなんてそうそうないんだぞ?」
 この学校は委員長職が大きな権力を持っている。生徒会長は言うまでもないが、学校の管理の大半を委員会で行っている為だ。
「黎明の上司は夜更さんですから、他の委員長の方と話さなくてもいいと黎明は思うのですが」
 いつ誰がお前を俺の部下と認めたんだよ。俺は断固委員会に入るのを拒否しているだろうが。
「この際お前が入った気でいるのは置いておくとしてさ……お前、ノリでこの組織に入ろうとしてないか?」
「なんでそう思われるんですか?」
 虚を突かれたように驚く黎明。
「確か一昨日に唯我に勧められたとかなんとか言ってたよな。で、委員会に携わりたいとも」
「ええ、それが何か」
「まず、お前はこの組織が何をするのか分かってるか」
「いえ、分かってません!」自信満々に答えるなよ。
「だからこんな訳のわからない組織に入るくらいなら、それこそ生徒会か風紀とか監査があるだろうが。一人ぐらいだったら口利きで入れてもらえるだろうし」
 気遣って言った――本当はこいつともう関わるのが面倒になってきたからだが――セリフを聞いた瞬間、黎明がこれまでとは違う、むっとした雰囲気を放つ。
「夜更さん、黎明は実は風紀公安に入りたいとは思ってないです」
 じゃあ来るなよ。と言おうとする暇を与えてくれず、黎明は続ける。
「黎明は夜更さんの部下になりたいんです」
「なんで」
「夜更さんにその……言いにくいのですが、一目惚れしてしまって」
「……はぁ?」
 すっとんきょんな声が俺の喉から発せられた。
 軽く動揺しつつも冷静に何を返そうか悩んでいたその隙に扉が勢いよく開かれた。
「夜更ちゃん!? 今なんか夜更ちゃんの貞操の危機を感じたんだけど大丈夫!? ん、あれ新入生じゃん。――ハッ! もしかして夜更ちゃん好みの子がいたからって風紀公安に連れ込んで何する気だったの!? うぅううううう夜更ちゃんがオオカミになった! 逮捕だ!」
 乱入者は愉快さんだった。彼女は黎明を見つけるとなにやら観察し始めた。
「えっ、えっ?」
 突然の愉快さんに驚き、俺に視線で助けを求めてくる。俺はというと、愉快さんのこの登場には慣れたもので事態を見守るべく、一歩下がった。
「確かあなたって主席入学の黎明ちゃんだっけ? 一緒の研究室だよね?」
「は、はい。不束者ですがよろしくお願いします」
「これは丁寧にありがとう。でも、今聞きたいのはそれじゃなくてさ、さっきの発言はそのままだと捉えていいのかな?」
「さっきの発言と言いますと、夜更さんに一目惚れしたという事ですか?」
 コク、と頷く愉快さん。その目は何故か真剣だった。
「ええ、黎明は夜更さんに一目惚れしました。でもそれは――」
「おおおおお! ついに夜更ちゃんにも春が! おっかさぁああん、赤飯用意して!」
 黎明がまだ言いかけているのを遮り愉快さんが大声を張り上げる。五月蠅いわ。扉開いてるんだから外に漏れるだろうが。
「それで、それで夜更ちゃんはなんて返すの? お母さんに教えてみ?」誰がお母さんだ。
「愉快さん、少し黙っててください。まだ話の途中でしたよ」
 苦笑いを浮かべている黎明を見て仕方なく愉快さんを抑える。
「ごめんごめん。それで、なんだっけ日盛ちゃん」
「ええと、一目惚れというのはですね、夜更さんがあまりにも、ジローに似ていてそれで心を奪われたんです」
「「ジロー?」」
「はい! この子です!」
 そう言って黎明はスマホを取り出し一枚の画像を見せてくる。
「「ってこれ犬じゃん!」」
 俺と愉快さん驚愕だった。なんだ俺は黎明にとって犬なのか!?
「実家で飼ってるんですけど最近会ってなくて……。そんな犬恋しいときに出会ったが夜更さんだったんです」
「確かにちょっとこの目つき悪い感じとか、やる気なさそうな表情とか、俺は悟ってますから的な雰囲気が似てるねー」「ですよね!」意気投合するなよ。
「ふーん、じゃあ夜更ちゃんに春が来るのは当分先かー」
 これまた嬉しそうにしている愉快さん。さっき春が来た! って喜んでいたのに訳が分からないな。いや、この人の嬉々としていない表情なんてめったに拝める物じゃないか。
「こいつは後々怒っておくとして「ひぃ。なんで怒られるんですか!」……愉快さんはなんで来たんですか?」
 腕を組んでニンマリしている彼女に訊く。今頃は風紀の新入部員をふるいに掛けるので忙しいはずなのにこの人は目の前にいるので疑問に思ったからである。
「夜更ちゃんが告白されてたから瞬時に」「どうやって風紀から瞬時に来れるんですか。階、違うでしょう」「白井さんって耳がいいんですね!」信じるな、そこ。「あぁ、わたしのことは愉快でいいよー」お前も否定なりしろや。
 不機嫌な様子を隠すことなく俺は愉快さんを見つめた。そんな視線にうっ、とつまりしぶしぶ話しだす。
「夜更ちゃん、昨日から研究者間で出回ってる噂知ってる?」
「……研究者じゃないのに、知ってるはずがないじゃないですか」
 黎明を見るがその表情では知らないようだった。
「その前に夜更ちゃんってオカルト関連は信じる人?」
「信じるもなにも、存在してないって思ってますけど」
「……夜更ちゃんってお化け屋敷とか「カップルがいちゃつく為の場所でしょう?」って思ってると思ったよ……」
 愉快さんはコホン、と咳払いを一回して仕切り直す。
「で、噂の内容なんだけど、どうにもこうにも赤ん坊の声がするんだって。昼夜関係無く」
「それはまた」
「あのう、それってもしかして風紀公安の仕事に関わる事なんですか?」
 少し怯えながらもうわついた声で黎明が訊く。
「おお、夜更ちゃんより勘いいね! そゆことだからお願いねーん」
「いや、ちょっと待ってくださいよ――ってもう居ないし」
 俺が手を伸ばそうとしても、対象となる人物はもう既に目の前には居なかった。
 代わりにあるのは初めて見る黎明のこれとないウキウキ顔だった。
「夜更さん、やりましょう! 黎明たちの手で噂を捜査しましょう」
「しない。噂は噂だ。誰かが聞き間違えたんだろ」
「それは職務放棄ですか!? 部下としてそれは見過ごせませんよ!」
「噂の調査は風紀公安の仕事じゃない。……あと、有耶無耶になってるようだけど、俺はお前を入れるなんて認めてないからな?」
「えぇ!? なんでですか! あんまりですよぅ!」
 本気でショックを受けたような顔をする黎明に重くため息をこぼしながら、こいつを風紀公安から引き離すのには相当な時間が必要だな、と頭を悩ませた。
 そんな騒がしい日が数週間過ぎた。

 この学校――御卸代(おみしろ)高等学園は全寮制の学校である。一口に全寮制と言っても珍しくはないのだろうが、とにかくこの学校の寮の数は多い。なにしろ6000人を収容するのだ。で、そんじゃそこらの寮じゃ足りない。そのため敷地外にぽつぽつと寮という名前だけ付いているマンションもある。
 学校の門から徒歩十分程のマンション――ノベール。研究者の為にとかのアルフレッド・ノーベルからとったものらしい――が現在俺が住んでいる所だった。マンションといってもここは三階建ての小ぢんまりとしたものだ。一階が共有スペースのリビングとなっており、二、三階の各五部屋が生徒にあてがわれている。
 二階の自室に行こうと一階を歩いていた時、不意に後ろから声が掛けられた。
「夜更ぇ、アタシに一週間も会いに来ないなんてダメじゃないか」
 うっわ、振り返りたくねぇ。一刻も早く自室に籠って寝たくなった。
 しかし声の主はいつの間にか俺の方に腕を回してキメていた。……うぐっ!
「くっ、苦しい! 苦しいから放せ唯我!」
 なんとか声を張り上げると唯我はパッっと腕を放した。
「そんなひ弱だと女に見捨てられるぞ?」
「……何が目的だ」
 後ろを振り返り睨みつけると「まぁ、座ろうよ」と俺を近くの椅子に促してくる。
 俺が座るのを見届けると自らも対面の椅子に座る。
「目的って言われてもねぇ、アタシは今週一週間ずっと生徒会で忙しかったんだよ? そんなアタシの息抜きぐらい付き合ってくれてもいいじゃないか。同じ寮生なんだし」
 なぜ俺と性別が違うこいつがこの寮に居るのかというと答えは簡単だ。同じ寮に暮らしているからにすぎない。しかし、同じ寮と言っても行動時間は全く違うので寮で会う方が珍しい為油断していた。
「で、今日はその溜まりに溜まったストレスを発散すべく全力で業務を終わらせて待ち受けていた訳だ」
 迷惑極まりない!
「だから遊ぼうぜぇ~。ここなら愉快も看守も居ないし、十六夜さんだってもういないから邪魔は入らないだろ?」
 ペロリ、と唇を艶めかしく濡らし囁いてくる唯我の表情は悪魔のように怪しく微笑んでいた。……気持ち悪い。お前それが通じるのはうぶな男子だけだぞ。
「……他の寮生に見られたら問題だろ。生徒会長のスキャンダルだって騒ぎ立てるぞ」
「この寮に居るのはアタシとお前だけだよ。三階に住んでた先輩方は皆卒業で居なくなったし、ここの寮に住もうとする研究者どもは研究室でピペットでもいじってるだろう」
 この寮は男女混合になっている唯一の寮なのにも限らず人気が低い。男子ならば飛び込んできそうなものだが、去年は姉貴、今年は唯我と近寄りがたい完璧な生徒会長の巣となれば遠慮がちになるというものだ。だからここに住んでいるものは研究で帰ってくる事があまりない生徒に限られる。
「で、一人暮らしは慣れたか? 十六夜さんがいなくて悲しいだろ」
「んな訳あるか!」
 なぜそんな寮に俺が住んでいるかというと去年姉貴に強制連行されたからに過ぎない。まぁ人が居ないから住み心地はいいんだけど。……唯我がいるという事さえ除けば。
「という訳でお話ししようぜ、お話」「お前と話す事なんてねぇよ」「つれないなー夜更は。今週一週間アタシと居なかった時の事を言ってくれるだけでいいんだよ?」「それは俺の一週間を丸ごと言えってか! プライバシーにどれだけ踏み込むつもりだ」「アタシと夜更の間にプライバシーなんてあって無いようなものじゃないか」「あるじゃねかよ!」「それにアタシは別に夜更に隠す事なんて無いんだぞ? なんなら隠す体もないってことにして風呂でも一緒に入るか」「断固拒否させてもらう」「そんな堅苦しい事言わずにな? 昔なんて十六夜さんと三人で入ってただろう」「十年以上前の話を持ち出すな!」
 息を上げて怒鳴ると唯我は楽しそうに笑った。そんな屈託のない表情に毒気が抜かれてしまう。
「やっぱいいよなー、こういうの。アタシの憧れてた生活だ」
 スラっと長く綺麗な足を唯我は見せつけるように組んではにかみながら言う。
「どうだ、夜更。アタシと一緒に生活しないか?」
「嫌だ。俺の身が持たない」真顔で返す。
「おいおい、そっけなくアタシのプロポーズを無視してくれるなよ」残念な口ぶりだが、実際俺の表情を見て楽しんでいやがる。
「……そうだ、唯我。そろそろ説明してもらいたい事があった」
 この流れを打ち切りたく思考を巡らした結果、最近纏わりついてていると言っても過言ではない自称部下の初対面のセリフを思い出した。
「日盛黎明の事だろ。説明もなにも無いよ、あの子に限っては」
「どういうことだ」こいつが親切心で何かをやるなんて考えられない。
「入学式前にちょっと話したんだけど、面白い性格してたから夜更と合わせたらどうなるかな~って思っただけだよ」
「完全な嫌がらせじゃねぇか!」
「愛情が含まれてる嫌がらせだから嬉しいだろ?」嫌がらせって認めやがったよこの女。
 なんだかバカバカしくなりこの場から立ち去ろうと腰を上げると同時に、それを見越したように唯我が話す。
「それよりも面白い話があるんだが聞くよな?」
「……聞くまで帰らせない気満々だろ、お前」
 唯我の言う面白い事とは唯我にとって面白い事であり、俺にとっては全くもって面白くない事は明白であった、が、そんな事など言わさず彼女は続けた。
「何日か前に愉快から聞いただろ? 赤ん坊の声がするって噂」
「そう言えばそんなのあったな」
 完全に忘れていた。そうだ、あいつが張りきってやろうとか言ってたな。
「で、その事なんだけどさ。アタシも今日聞いたんだよね。噂だと夜更と同じく思ってたさ。でも実際聞いたらあれは本当に生後一年経ってない子の泣き声だ。断言してやる」
 少し真剣な目つきになり迫ってくる。――嫌な予感がビンビンしてくる。
「生徒会長として風紀公安委員長に正式な依頼だ。鳴き声の正体を突き止めて、その赤ちゃんに関する事を解決しろ」
「俺には無理だ」「やれ」「…………」
 ですよねー、分かってましたよ途中から。
 しかし、断れないのも事実。正式な依頼となってはやらざるを得ないのだ。
「……報酬とか無いのかよ」
「アタシのちゅーでいいか?」
「ちっとも良くねぇよ!」
「じゃあ愉快のもつけてやる。それとも看守か?」
「そう言う問題じゃねぇ!」
 何かいちゃもんをつけようと考えている隙に唯我が立ちあがり、俺の後ろに来る。何をするかと思えば両腕を俺の頭に乗っけ、その上に自らの顎も乗せているようだ。
「……重いぞ」
「女の子は皆スイーツのように軽いんだ」
 脳みそだけだろ。
「アタシもさ、鬼じゃねぇんだ。だれも一人でしろとは言わない」
「もしかして、日盛黎明と一緒にやれってか」
「ご明察! 一時的な仮委員会メンバーとして一緒にやれ。その後お前が黎明ちゃんをどうしようとアタシは関わらないよ。――だから一回だけ一緒にやってみろ」
 頭の上の体重に気を取られながらここ数日の黎明を思い返す。――うわ、無理だろ。あんな奴なんにも役に立たなそう。
「上手くいった暁にはアタシがなんかくれてやる。どうにも良く無い匂いしかしないからこの噂に関しては」
「……分かったよ。あいつと一緒にやってやる」
「それでこそアタシの夜更だ」
 お前のじゃねぇよ。と、言い返した所で唯我は俺の方に手をポンと置いて自室に向かって行った。
「これまた面倒臭い事になったな」
 酷く重い足を地面に押し付けて立ち上がる。そして数カ月ぶりに『風紀公安委員長』と書かれた腕章を腕に通した。

「――という訳だ。三日の間には、いや今日中には解決させるぞ」
「おお! ついに黎明は夜更さんのカッコイイ姿を見れるのですね!」
 翌月曜日。俺は授業をさぼり午前中から風紀公安に居た。黎明は唯我に呼び出してもらったが、案の定速攻で駆けつけてきた。
「その前に、なんで唯我さんから連絡が来たんです? 夜更さんから直接くれればいいのに」
「お前の連絡先知らないし、知りたくもないからだ」
「知りたくもないって酷いです! 黎明だって女子高生なんですよ!? ぴっちぴちのなりたて女子高生なんですよ!? 夜更さんだって女子高生の電話番号が登録されてたら嬉しいですよね!」
「……決めつけるなよ」
「でもでも、唯我さんから正式に一緒にやれって言われましたから交換しないとあとあと不便ですよね!?」
「……はぁ」
 こうして俺の携帯には一生連絡をしないであろう連絡先が追加されてしまった。
 スマホを両手で胸に抱えて幸せそうな黎明が下から覗き込む。
「それで夜更さん、これからどうするんですか? 聞きこみをしようにも今は授業中の時間じゃなかったでしたっけ」
「噂の大部分は研究棟がメインだろ。なら授業中とか関係ない。むしろ一般生がいない時間にぱぱっと終わらせたい」
 昨日腕に付けた腕章を怨めしく眺めながら風紀公安を出る。それに従い黎明もひょこひょこ付いてくる。
 向かったのは風紀公安などの委員会が詰められている委員会棟から徒歩五分ほどの研究室だけで構成されている研究棟だ。
 この研究棟は造りは他の建物と一緒だが、中身がまるっきり違う。部屋が覚えきれないほど存在しているのだ。研究本部が造られては消え、また造られては消えを繰り返しているうちに部屋の統合、分裂も繰り返され正式な名称があるのは四階部分までの第一二研究室までだった。新入生が入ってくる前に唯我と共に確かめた時は百程の研究室が存在していたはずだった。だが、「黎明が説明を受けた時には八十弱の研究室があるって言ってました」との事らしく、正確な数は分からない。
「で、聞きこみをするんですか?」
「そんな面倒な事はしない。……大方の予想は付いてるからそっちを当たるぞ」
「予想って?」
「考えてもみろ。学校で赤ん坊の泣き声だ。なら特待生の誰かか先生が赤ん坊をベビーシッターのバイトとか受け負っていて、それを知らない奴が泣き声を聞いて噂が広まった、て所だろうな」
 黎明を見ずに淡々と説明する。さて、とりあえず泣き声を聞いたっていう五階から向かう「それは違うと思いますよ、夜更さん」なに?
 今までなら「凄いです! さすが夜更さん!」のような無駄に元気のいい賛同が来ると思っていた俺は黎明の発言を疑った。
「ええと、なんというかそれは絶対にあり得ないと思うんです」
「……なんで断言できる?」
 気付かず眉を潜め、黎明を見る。
「ひぃ! そんなに怖い表情しないでくださいよ!」
「ほっとけ、もとからこうなんだ。……で、なんでだ」
「それはですね」俺の方をちらちら見ながら言いだす。「黎明の記憶上、そんなことをしている生徒も先生も存在しないからです。もちろん、子供や妹弟を連れて来ている人もです」
「……スマン、理解が出来ない」
「それは黎明に説明を求めていると解釈していいんですね!」
 こいつは何を言っているんだ、という気持ちで返すと黎明は水を得た魚のようにニコニコ顔になる。うざい……。
「ええとですね。黎明は唯我さんに風紀公安を紹介された際に役に立つだろう、と言われてここの全生徒と先生方のプロフィールを見せてもらったんです。夜更さんはここの学校がアルバイトに関しては申請しないとやってはいけないという厳しい事はご存知ですよね?」
「あぁ、愉快さんの主な仕事の一つだからな。無断アルバイトの摘発は」
 摘発と言っても愉快さんが去年委員長に就任してからは「見つかったら殺される。マジで」という体験談が広まり今では誰も無断ではしなくなった。
「ですのでベビーシッターのバイトを無断している人は居ないと思うんです。で、先日見たプロフィールにも先生含め赤ちゃんを連れてくるようなバイトや事情を持ち合わせた人は絶対に居ないんですよ」
 真顔で言いきる黎明に俺は驚愕と違和感を覚えていた。
 こいつ、断言しやがった。絶対に居ないと。いつもと違うこの自信あふれる笑みはなんだ。
「そんなの、お前が覚え忘れてたり、穴があるかもしれないだろ。人間の記憶なんて当てにならないもんだ」
 からからに乾いた声を絞り出す。薄々は感づいている。この自信には心当たりがある……。
「いえ、それはありませんよ。だって黎明は完全なる記憶が出来るから特待生に選ばれたんですから」
 特待生。その言葉と能力をまじまじと見せさせられるとどうにも苦しくなる。
 いつだか唯我が愉快さんに調べさせていた一般生と特待生の対立。唯我はあり得ないと言っていたが俺はあり得る事だと思っている。同じ年、自分より年下が自分がどうしても、どう頑張っても出来ない事を平然とやってのける。そんなのを平然と目の前で見せられてただ単に『凄い』で済ませられる人間などごく少数なのだから。
 ……いや、今はそんなこと言ってる場合じゃ無いだろ。
「ふーん、そうなんだ」
 努めて平然に返す。しかしこのまま会話を終わらせるにはそれまでの空気が軽すぎる。
「じゃあお前って一月前の夕飯覚えてる?」
 適当に思い浮かんだ疑問をぶつけてみる。
「ええ、もちろん。一か月前でしたら家族と焼き肉行ってましたねー」
「一年前は?」
「お母さんと一緒に某有名ハンバーガーを作ってました」「は?」「いやー、あれは大変だったんですよ。味覚と記憶は繋がっているとはいえ、お母さんがいきなり「あんたの記憶能力は今の為にあるんでしょ! 私は今猛烈にあのハンバーガーが食べたいのよ!」とか言い出しまして。バンズはなんとかなったんですけど、パテがちょっと違う、ちょっと違うと言われまして。一日で凄く料理スキルが上がったんですよー」
「なんつー才能の無駄遣いだ! というかお前もお前ならお母さんもお母さんだな!」
「むっ、なんですかそれは! お母さんの事はともかく黎明を馬鹿にするとは!」
「だって馬鹿だもの。お前は馬鹿だもの!」
「うわー酷い! こんなに慕っている後輩に向けて馬鹿だなんて! お母さんを馬鹿にするならともかく!」
「お母さんの事下に見すぎだろ……。お前はお前のお母さんをどう思ってるんだ!」
「黎明に毎回無茶ぶりをしてくる人」
「それはまぁ……同情してやらんでも無い」
 一瞬姉貴と俺の関係に似てるな、と思ってしまった。似てるどころか同じなんだろうけど。
「夜更さん、話がそれましたけど夜更さんの予想通りじゃなくなってしまいましたけどこれからどうするんです?」
「もういっそ幽霊って事で解決してくれねえかな。霊媒師でも呼んで形だけでも整えてさ」
「それはダメです!。唯我さんに殺されちゃいますよ?」
「だよな……はぁ」
 こいつの記憶力を信じるとすると地味な聞き込みに頼るしかなくなる。それはとても避けたい事だ。研究者は特待生の中でも200人はいる。その全員に聞きこむだなんて面倒臭すぎる。と言ってもそれ以外出来ないのは変わらない。
 仕方ない、聞きこみでもやるかと言おうとした時目の前から二人の女性が歩いてきた。
「あら、黎明さん」
「こんにちは、室橋先生」
 歩いてきた女性――科学担当で研究室教授もやっている女教師、室橋先生は黎明を見つけると話しかけてきた。後ろにいる女性も先生と一緒で制服では無いという事は教師なのであろう。
「ええと、あなたは特待生じゃないですよね? 一般授業で見かけた事がある気がするのですが……。授業はどうしたのですか?」
 室橋先生が俺をまじまじと観察して訊いてくる。
「まぁ、いろいろとあるんですよ。授業には欠席の旨は伝えてあります」
 腕章を室橋先生に見せつけると納得したように頷いた。――因みに欠席の旨など伝えてはいない。ただのサボタージュである。
「ええと、室橋先生。そちらの方は?」
 黎明が俺と先生の会話が終わると見ると質問する。
「黎明の記憶にはないのでどこかの企業の方ですか?」
「あぁ、違うよ。彼女はこの学校に勤める事になった非常勤講師だ」
 室橋先生が紹介すると、もう一人の女性がこちらに目礼してくる。黎明と共に軽い会釈で返すと室橋先生ともう一人の女教師は「じゃあ行くから」と言ってこの場から立ち去った。
「それじゃ、夜更さん。黎明たちも行きましょうか」
 なんだこの違和感。違う。違和感じゃない。引っ掛かりだ。
「夜更さん? おーい、夜更さーん」
 さっきの会話の中におかしな所があったか? 
「無視ですか!? 黎明、夜更さんと出会って二週間ですけど記憶してる限り五十回は無視されてますよ!?」
「五月蠅い、考え事してるんだから黙ってろ。それに俺に無視された回数なんて覚えておくんじゃねぇ。……覚える。記憶? おい、お前」
「ひっ!? れ、黎明はまだ何にもしてませんよ……?」
「これから何か怒られる事する気だったのかよ!?」
「あまりにも無視するんで夜更さんの頭を叩こうかと」
「先輩に暴力振ろうとはどういうことだ! ……じゃなくて、さっきあの二人との会話をもう一度言ってみろ。お前が言った部分だ」
「へ? ええと、こんにちは室橋先生、ですか?」
「もっとその後だ」
「黎明の記憶には無いので企業の方ですか? ですか?」
「それだ」
 頭の中身がピシピシと結晶していくのが分かる。
「お前は唯我に全ての教師と生徒のプロフィールを見せられたって言ってたよな」
「はい」
「その中に非常勤講師は一人でもいたか?」
「非常勤講師ですか……? ええ、居ましたけど」
「その中に今年から勤務予定の奴はいたか?」
「今年から……いえ、そんな方は。あ、でもさっきの方」
「そう言う事だろうな。誰だかは分からないが非常勤講師が絡んでる事には間違いない」
 そうと決まれば後は簡単だ。
 携帯を取り出し、電話を掛ける。
「唯我か? 聞きたい事があるんだが。――五月蠅い黙れ。本題に入らせろ。――今年から入る事になった非常勤講師が何人で、今どうしてるかなんて分かるか? あぁ、今から行く。じゃ」
「夜更さん?」
 携帯をポケットに戻すと黎明が頭に疑問符を乗せたまま首をかしげていた。
「出来れば黎明にも教えてほしいのですが……。黎明はナンノコトヤラ状態なんですけど」「説明は生徒会室に行ってからしてやる」

 生徒会室で頼んでいたものを貰い、一件連絡をする。そして昼休み。俺と黎明は研究棟五階階段前に来ていた。
「そろそろ来るはずなんだが」
 腕時計を見ると昼休みになって十五分が立とうとしている。
「あっ、夜更さん来ましたよ!」
 カツカツと目の前の階段からハイヒールの音と共に一人の女性が上がってきた。
「どーも、矢次先生」
「こ、こんにちは」
 現れたのは俺達とさほど変わらない風貌の若い非常勤講師の矢次先生だった。
「何か用なのかな?」
 待ち伏せしていた俺達を見て戸惑った様子の矢次先生はしどろもどろ訊いてきた。
「初めまして、風紀公安の者です。用件は察していただけますよね?」
 矢次先生に手で道を示しつつ歩調を合わせる。歩き出したのを見て黎明は俺の斜め後ろを着いてくる。
「風紀公安委員会……。他の先生方から話には聞いていたのだけれど本当に仕事が早いのね。それで私はどういう罰を受けなければならないのかしら」
「罰って……。あの、先生は風紀公安の事をどう教えられたのですか?」
 ゆっくりと歩く矢次先生の横顔を見ながら尋ねる。
「目をつけられたら最後。人生が破綻するって教えられたわ」
「はぁ!?」
「夜更さん、去年何をしていたんですか……」
「なんもしてないから!」
「でも、私は教師を五人クビにさせて、数十人の生徒の弱みを握り、闇のカジノで巨万の富を得たと聞きました」
「最後のは違ぇよ!」
「「最後の以外は合ってるんですか!?」」
「………………」
 言いづらく押し黙ってしまう。言い訳させてもらうとね!? 全部姉貴が発端だから俺に責任は無いんだよ!
「コホン、それはともあれ」
 無駄に大きく咳払いをして話を切りかえる。
「それで先生。どこに自分の子供を隠していらっしゃるのでしょうか?」
 先生を見る目つきを少しだけ細め、声のトーンも少し落とす。
「……本当に分かっているのね」
 小さく愚痴のように漏らすと先生は歩みを止め、一つの扉に向かい合った。
「研究室の合併によって空いて、存在すら忘れ去られた教室ですか」
「そうみたいね」
 先生が扉を開けると、機械が散乱した小さな教室の一角に置いてあるゆりかごの中ですやすやと眠っている赤ん坊がいた。
 衰弱は――してない。よかった。
 先生は、すっとその子を優しく抱き上げ、慈愛の眼差しで見つめる。
 赤ん坊の声がするという噂の真相は単純明快。空き教室に赤ん坊がいたからである。基本、部屋は防音構造になっているのだが、研究では超音波を使った実験などをすることもあり、特定の周波数は防がないようになっている。その為、たまたま鳴き声が筒抜けになる周波数と一致していたために聞こえたのだろう。そして、その子を学校に連れて来ていたのは学生では無く、入学当日に先生として登録されていない人物――今年度になってからいきなり決まった非常勤講師に絞られた。
 この学校は生徒数が多いのに比例して教師の数も多い。だから誰かがいきなり何らかの理由で教師という職業が出来なくなり、非常勤講師がその穴埋めをするという事例は結構頻発する。
 と、ここまでで噂の真相は解明された訳だが、面倒臭い事に唯我からの依頼は終了してくれない。
「わぁ、可愛いですね夜更さん」
 暢気なことに、純粋に子供をきらきらした瞳で見つめる黎明を目の端で捉えながら先生を見据える。
「何かしら、その目は。……どうせまだこんな幼い子を放置するなんてとか思ってるんでしょう。でもね、保育園に入れてあげたくても満員で入れさせてもらえないし、働かないとこの子との生活費を得る事が出来ないのよ。だから――」
「先生、何をムキになってるんですか」
 次第に熱のこもる口調に変わってきた先生に割って入る。
「俺は何もこの事を学校に報告してクビにしてもらったりとか、これのネタに脅したりしませんよ」
「「(それは一般に脅してるっていうんですよ?)」」
「詳しい事情はお訊きしませんがお子さんは大切に、とだけ言っておきますよ」
 先生の表情が一瞬強張る。そしてすぐに俺への警戒心に変わった。
 無表情を保ちながら先生に歩み寄り、一枚の連絡先の書かれた紙を差し出す。
「……これは?」
「連絡してみるといいでしょう。きっと先生の味方に――その子の味方になってくれます」
 先生が紙を受け取るのを確認してから背を向ける。
 これで噂は無くなるだろうし、唯我からの依頼もこなせたはずだ。
 そう思い、先生を振り返らずに黎明と共に部屋を去った。背中からは元気な泣き声が聞こえてきた。

「なかなかつまらない事件だったじゃないか。夜更はどう思った?」
 研究室を出たその足で俺達は生徒会室に来ていた。現在は午後の授業中なので一般役員はおらず、唯我だけが執務机でニヤニヤと待ち受けていた。
「どうもこうも無い。こんな事で俺は動きたくなかった」
 結果的には噂が学校全体に広まる前に食い止められ、その上児童虐待にもなりかねない待遇を変える事が出来たのだろうが……。
「俺なんかより特待生の中にいるであろうカウンセラーとかの方が適任だったろ」
「そんな謙遜すんなって。第一、お前じゃなきゃ昨日の今日で解決出来なかっただろ?」
 さぁな、とだけ漏らして視線を唯我から外す。
「あのー、夜更さん。少しいいですか?」
 すると目がばっちり会ってしまった黎明が訊いてきた。
「黎明には矢次先生の赤ちゃんが噂の始まりという事以外何が何だかチンプンカンプンなんですけど」
 あー、そういえば生徒会行ったら説明してやるって言ったけど時間が無かったからしてなかったけ。
「それに、夜更さんが先生に最後に言った言葉の意味ってなんだったんです?」
「へー、矢次先生だったんだ。たしか条件に当てはまる非常勤講師は五人いたよな? アタシにもそこらへん説明してもらいたいのだけれど?」
 お前ら、少しぐらい自分で考えろよ……。と、出かけた言葉を喉で必死に止めて違う言葉を口に出す。
「……最初から説明するとなんで矢次先生だと思ったかだが、前提から間違ってる。俺は犯人が矢次先生だと直前まで知らなかった」
「「は?」」
 無責任に言い放つと二人は呆気にとられた表情になった。
「唯我の言う通り今年に入ってから急きょきまった非常勤講師は五人いた。ならその誰かが犯人ってことは間違いない。そして鳴き声は研究棟からという事だったが、おおよそ使われて無い部屋だと見当がついていた。だから全部使われている四階より上の階層だと思って五階で待っていたら矢次先生が来た。としか言いようがない」
「え? え?」
「つまりは来る犯人任せだった、ってことか夜更」
 まだ困惑している黎明をよそに唯我が言う。それに対して頷きで返す。
 今回、俺がやった事はただ犯人を待っているだけだった。どうやってカマを掛けようかと悩んでいたが、風紀公安の腕章が思いのほか言い働きをしてくれたので助かった。
 犯人があの時きた矢次先生でなくとも次に来るかもしれなかった先生でも変わらなかった。場所が六階でも七階でも五階は通らないといけないからそこで網を張っていた。これだけである。
 犯人なんて来る人間でいい。証拠なんて訊けばいい。場所なんて案内してもらえばいい。そんな事件解決のエキスパートの人たちが聞いたら怒鳴りそうなやり方で解決した。
「黎明ちゃん、夜更の最後の言葉が意味気になるって言ってたけどコイツはなんて言ってたんだい?」
「『詳しくは事情はお訊きませんがお子さんは大切に』です」
「ほう……」
 唯我は黎明の言葉だけで察しがついたとばかりに意地の悪い笑顔を浮かべた。
「夜更にもそんな優しい所があったんだねぇ~。アタシは嬉しいよ」
 執務机から立ち上がり俺の頭を小突いてきやがる。地味に痛いぞこの野郎。
「うぅ~。夜更さん! 黎明にも分かりやすく教えてくださいよぅ」
 こいつと出会って、重いため息をつく機会が倍増した気がする。
「お前は大切な人に会いに行く時ってどうなる?」
「どうなるって言われても黎明はそんな経験ないので分からないです……。あっ! 今絶対馬鹿にしましたよね!?」お前は俺の事をどう思ってるんだ。
「黎明ちゃん 、夜更は今『お前の大切な人になってやる』って言ったんだと思うよ?」
「なわけあるか!」
「よよよ夜更さん!? えっと、その嬉しいですけどまだ出会ってからそんなに経ってませんしその……いきなりすぎますよう」
「なんでそこ頬を染める! なんでお前は本気で考える!? オイコラ唯我! なんでお前はお前でムービーに撮ってんだよ!」
「ででででも夜更さんがそこまで本気なら……あの、考えさせてください」
「唯我の出まかせだこの馬鹿っ!」
「ええっ!? 嘘だったんですか!? うぅ、グスン」
「夜更ぇ~、なに純粋な少女の心を弄んでんだよ」
「誰のせいだ、誰の!」
 そこから黎明をあやすのに無駄な時間をたっぷりと使い本題に戻る。――唯我や愉快さんとは確信犯でああいう事を言ってるのだろうが、本気で捉える奴の事を少し考えてやれよ。
「……で、さっき質問した言葉の解答なんだけどさ」
「アタシが夜更にするように小走りになったり、もしくは気持ちが先行して自然と足が速くなる。って事だろ?」
「お前が俺にそんな事をした記憶はないが、まぁその通りだ。でも矢次先生は早く歩くどころかゆっくり歩いていた。だが、それよりも決定的だったのが時間だ。矢次先生は午前の最後の時間に授業が入っていなかったのにも限らず昼休みになってから少ししてから来た。これは教室棟と研究棟が離れていたとしてもあまりにも遅い」
「じゃ、じゃあもしかしてあの赤ちゃんは」
 そう。あの赤ん坊は人並みには愛されていなかったのである。一歩間違えれば死に至るという状況に毎日毎日置かれていた。
 だからこその『大切に』なのだ。
 と、ここで終わらせておけば俺の好感度も上がるというものだろうが、俺の本音は『死体がもしこの学校で上がったら一番面倒事を被るのは間違いなく俺になるだろうから、やらない訳にはいかなかった』というなんともボロクソ言われそうなものだった。
「そういえば夜更さん。最後に渡してた紙ってなんだったんですか?」
「あれは不思議と俺の事を何でも訊いてくれる生徒の連絡先だ。いやー持つべき者は幅広い弱み――じゃなくて知り合いだな」
 いつもの唯我のマネでニヤリと不敵な笑みを零す。
「「(こやつ……腹黒い)」」
「んじゃ、これで報告終わりだな唯我。満足したか?」
「これと無い程に。だから夜更にはご褒美としてお約束のプレゼントのちゅーをくれてやる」
「いらねぇ!」
「じゃあアタシにご褒美でちゅーしてくれるかい?」
「お前は何もしてないだろ!」
「夜更さん! 黎明も何かご褒美欲しいです!」
「あ? あぁ……まぁお前の記憶力のおかげで今日中に解決できたのは確かだけど……ご褒美なんて思いつかねーよ」
「思いつかなくてもいいので、黎明の事は『お前』とかじゃなくて名前で呼んでください!」
 そんなこと? と思ったが思えばこいつの事は一回も名前で呼んで無かった事に気がつく。
「……わかったよ。――黎明、風紀公安に帰るぞ」
 改まって言おうとすると何故か心なしか体温が上がる。
 俺の少し浮ついた声に黎明はたっぷりと間を空けて、
「はい!」
 笑顔で答えた。

「因みに黎明を正式な委員会メンバーとして認めた訳じゃないからな」
「えぇっ!? ここまできてそれですか!?」
「嘘だ。風紀公安に戻ったら腕章やるよ」
「やったぁ!」
 これが新年度の、黎明と解決した最初の事件だった。

風紀公安の解決作業日誌

風紀公安の解決作業日誌

面倒くさがりな風紀公安という組織の委員長、十六夜夜更とその部下の、日盛黎明がいろんな事件を解決する物語です。ミステリなのかは怪しいところ

  • 小説
  • 短編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-12-22

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