テクニック・リバイバル
スチームパンクかっこいいですねー
前篇
今から十五年ほど前、戦争があった。
地球上のすべての国々が戦場となったこの戦争では、各国が人工衛星から巨大な鉄の棒を発射するという、核兵器に変わる兵器「神の杖」を使用したために、大小さまざまな都市が巨大なクレーターと化した。
一部ではクレーターに海水が入り込み都市が丸ごと水没する事例も報告され、「平和憲法」大日本国憲法を擁する平和ボケの国、日本とて例外ではなく、首都は海中に没した。
二十年にもわたる熾烈な戦争の末、ついに各国は和平条約を結んだ。
しかしそれは平和を望んだものなどではなく、戦争によって二百年ほど後退した人類の文明を再興するためであった。
各国はそれぞれ「軍事」「農業」「工業」「社会制度」など再興する技術を分担し、各国旧G8が主体となって再興を進めていくこととなった。
当然各国で「どの分野を担うか」についての論争が巻き起こる。こと軍事の点においてそれは顕著であり、G8内でもどこが担うかで一大論争が巻き起こる。
「んで、結局『有史以来唯一の被爆国』で『戦時中軍と”杖”を防衛目的以外に一切使用しなかった』日本が選ばれたってわけだよって聞いてんのかお前」
俺はさっきから「人類史年表」という大判の本から全く顔を上げようとしない新人1名をひっぱたく。
ここは文科省から戦後分化した文明再興省、通称文興省。
俺は今年文興省軍事部に配属されてきた新人の研修を任されている軍事部の課長だ。
とはいえ、毎年比較的新人の数は少なく、今年は2人しかいない。まあ理由はほかにもあるのだが…
さっきから真面目にメモを取っていた新人の片方が寝ている方を真顔で見ている。
胸に下げた名札には、「文明再興省:軍事課 研修 竹崎秀美」。
その視線を感じてか、寝ている方がむくりと顔をあげた。
大体第二次世界大戦がはじまったあたりの時代にべったりとよだれの後をつけている。
名札には「文明再興省:軍事課 研修 萱野慎吾」の文字。
「ん…あ、ああ。聞いてましたよー先輩。えーっと、戦後、人々は神の杖開発者の住んでいる古城の周辺を中心とした半径10km以内に…」「いったい何を読んでたんだお前」
俺は息を吐きながら説明を続ける。
軍事技術を任された日本政府は、当時の文部科学省の関連組織として「文明再興省」を設置。衰退した軍事文明の再興のために動き出した。のだが…
技術というのは、一概に分けられるものではない。
たとえば、「自動車技術」を再興するとする。
まず、もちろんだが動力となる内輪機関。次に車のボディを作る金属加工技術。
しかしこれだけではない。
金属を採掘するための採鉱技術に銑鉄技術。場合によっては大量生産するための生産ラインの技術。挙句の果てにはガソリンを精製するための石油掘削技術。
もちろんこれらは戦車や戦闘機、重火器などにも使用されている技術で、ほかのさまざまな枠組みの生産物にまたがっている。
つまりは技術を「軍事」「農業」「工業」「社会制度」などと分けていくのは至難の業であり、一つの団体がそのうち一つを独立して再興するのは不可能に近いのだ。
これは各国が技術に関する知識者を戦後の混乱で見つけられず、なし崩し的に決まってしまったことが大きな原因だ。
しかし決定してしまった手前、変更は混乱を生む。
苦肉の策として各国は、各研究機関に独自の部署を設け、全く新しい枠組みを各自で作り始めた。
日本とて例外ではない。ただ軍事技術だけを研究するだけの機関は解体し、技術を研究する技術再興省とその技術を実用化する文明再興省、そしてそれを統括する文部科学省の3つに分けられた。
当時省内の人間は人類史に名を残すとまで言われた文明再興省も、規模、予算ともに半分となりさらにその下に軍事課や生産課、交通課などが存在している。
「かくしてすっかり規模の縮小してしまった我が軍事課だが、もちろん国家プロジェクトの名は伊達じゃないぞ!まだ他部署よりは予算も高いし…」
「でも技術再興省のほうが1.5倍は出てますよね、予算。」
竹崎がメガネを拭きつつ紐で束ねられた資料を見ている。
「うっ…」
文明とは、技術がないと成り立たない。政府は技術の再興を重視し予算もはるかに多い。
しかし個人的には、「技術の再興」よりもそれを「どう利用するか」を考えるこちらの省のほうが大切だと思っている。のだが…
「い、いや、まあそうだな…」
答える俺の歯切れは悪い。実際省内の意見は全体として政府寄りである。ここで上司が下手なことを言っては新人のやる気に響くだろう。
なんだか気まずい空気になってしまった。
俺は時計を確認すると、
「よし。これで研修は終了だ。3日間お疲れ様」
無理やり話をまとめておくことにした。
「明日から早速ウチの業務をやってもらう。よろしく!」
研修後は数日の休日を得られると思って唖然としている新人一同の思考がまとまる前にさっさと部屋を出る。
罵声が追いかけてきた。
俺は取り敢えずボードにかかっている自分の名の書かれた札を裏返すと、外に出た。
ここは静岡県静岡市葵区。戦時中は初期の衛星兵器「天の火」の攻撃を受けたため荒廃し、近隣の清水区、駿河区は3分の1が水没したが、15年たった今ではすっかり復興している。
俺はやってきた蒸気トラムに乗りこんだ。
車掌がドアを閉めてベルを鳴らすとけたたましい音を立ててトラムが走り出す。
この町は衛星兵器が落ちた時のクレーターの斜面に張り付くように作られている。話によると兵器は葵区と駿河区の大体境目に落ちたらしい。当時の役所はもう跡形もないが、しかし東京など海底に沈んだ都市に比べれば被害は圧倒的に少なく、公的機関の建物であればささやかながら電気も使える。でなければ文科省、経産省などの移転などかなわなかっただろう。このトラムはそんなクレーターの内部をぐるぐる回っている。
俺は吊革につかまりながら外を見た。ところどころ鉄板で目張りしてあるアスファルト道路の上を蒸気駆動のバスや自動車が白煙を上げて走っていく。ところどころ俺が子供の時に見た電気自動車も混じっているが、多分あれは政府が民間から押収し公用車とした
ものか、軍用車だろう。いまどき民間で過去の遺産を使えるものなどいない。
遠くに戦前に市内に建てられ現在は廃墟化している高層建築物の影が淀んだ空を背景にぼんやり見える。「耐久に問題あり」と診断されながらもこれを修理する技術も、解体する余力もない。
結果、現在は何者かが購入し蒸気機関を持ち込んだらしく、建築物の表面を蛇のように蒸気パイプが這い、そこら中から排煙が上がっている。
市内の高い建物は戦前に建てられたものだ。新しいビルを造るような建築技術などない。
蒸気トラムはけたたましい音を上げて走り続ける。その音に身を任せるように俺は目をつぶり、今日の新人達のことを考える。さっきはあんなことを言って脅したが、正直のところ技術再興省から新技術が上がってこない限りそれを使って過去の製品を実用化する我が省に仕事はない。
さらに軍事兵器の再興となると、さらに仕事は少ない。ここ3カ月ほど我が課は開店休業状態だ。
明日は仕事がないのを伝えて、1日省内でのんびりしていよう…
中篇
今日正式に文明再興省に配属されたは良いものの、どうして研修後に休暇の一つも入れないんだ…
「今日金曜日だぞ…1日くらい休日にしても…」
思わず気持が口をついて出てしまったが、蒸気トラムの騒音にかき消される。
省の建物に入り、口の中でもごもご愚痴を呟きながら昨日もらった真新しい「萱野慎吾」と書かれた札をボードにかける。
「軍事課」と書かれたドアを開けるとそこには「課長」というプレートが置いてある机に足を乗っけてぼんやりしている俺の上司がいた。
「お、来たな。おはよう。」
と言いつつも課長は慌てて机の上に乗せた足をおろし、腫れぼったい眼をこすって顔の体裁を整える。名札は付けていない。そういえば研修期間中もつけていなかった。
課長は少し気まり悪そうに
「えー、あーっと。入ってくるときはノックぐらいしたまえ。」
「おはようじゃないですよ…なんで研修後初日でいきなり実務なんですか…」
本当なら絶対に上司に言えないようなことだが、こんなことを気楽に言えるのも、この課の雰囲気の軽さ故である。しかも自分の上司より遅く来ているのにこの人は何も言わない。いや、あんなだらしない状態を見られた手前、言えないのかもしれない。
俺は上司としてはあまりに威厳のない上司にため息をついて、
「で、初日の仕事ってなんですか?」
と聞いてみると、課長はあくびをしながら
「実際ここ数カ月仕事がないんだよなー」
いったい俺は何のために朝に起きて出省してきたのかわからない。
課長はそんな俺の気持ちなどお構いなしに「まあ今日はこの課の今までの仕事の資料でも確認して雰囲気をつかめばいいからー」などと言っている。
俺は唖然としつつも、正直初日の業務に少しほっとしていた。
「さて…」
俺は課長の机にふんぞり返りながら
「俺はコーヒーでも淹れてくるから。」
資料をがさがさとかき回している萱野をしり目に俺は給湯室でコーヒーを淹れると机でゆったりとくつろぐ。普通に考えると萱野は立派な重役出勤だが、あれだけだらしのない状態を見られた手前、強くも言えない。
萱野が入ってきたときにはかなり慌ててだらだらした状態から元の体制に戻しながら顔を整えたが、おそらくもう俺の威厳は欠片もないだろう。初日でいきなり威厳を失うとは…
取り敢えず俺はため息をつきつつコーヒーをすする。どうやら今日も一日仕事をせずともよいようだ…
とそこへ、
「課長!」
俺よりもさらに早く出省していた竹崎が飛び込んできた。
彼女はにっこりすると、
「仕事、獲ってきました!」
一瞬何を言われたのかわからなかった俺は、思考がまとまると同時に、コーヒーを机に吹き出してしまった。
「全く漫画のキャラクターじゃないんですから…」
萱野がハンカチで机を拭いている。
「おお、申し訳ないなお前のハンカチでコーヒーなんて拭かせて…」
と、大田はハンカチをこちらに差し出して
「ありがとうございます。」
一瞬目が点になった俺は、ひとしきり奴を怒鳴り付けた後
「んで、その仕事っていうのは?」
隅の方でひっそりしている竹崎に声をかける。
竹崎は資料の束をを机に置く。資料にはインクで
「揮発油を用いた内輪機関技術について」
俺はぱらぱらと資料をめくると資料の見出しを見ていく。
「1709年米コークス炉使用式製鉄技術」
「1914年米T型フォード製造に見られる大量生産技術考察」
「交通信号付十字路での渋滞シミュレーション結果(H二十七年度)」
俺は資料の束を叩くと
「これは交通技術課の案件のはずだが?」
取り敢えず資料の上に置いた手が震えるのを止められない。
ほかの課から仕事をもらってきたということは…
「ええ、ほぼ無償でいただいてきました」
あああ…
あまりの脱力感に机に崩れ落ちる。交通課の連中はさぞお喜びだろう。タダ同然の予算をこちらに流すだけで仕事を投げられるのだ。また交通課長の高野に嫌味を言われそうだ。
しかし例え不本意でもこちらから頼んでしまった以上、投げ戻すことにはできない。俺はため息をつくと、言った。
「わかった。じゃあ、仕事を始めようか。」
ひとまず戦前の資料を資料庫から引きずり出し、それを専門技術者に渡せばいいだろう。
文明再興省の仕事というのは、どちらかというと資料集めが主になる。
その集めた当時の製品資料をもとに「政府お抱え」技術者が過去の技術を用いた製品を試作、政府が実験運用する。
そのあとにようやく国民に開示される。現在のところ実用化、国民への開示に至った技術は蒸気エンジンと初期の金属加工技術だけである。
13年もたって開示情報がこれしかないのは、ほかの理由もあるが日本の資源の乏しさにある。
戦後主流となった資源である石炭は中東地区など油田地帯の甚大な被害、また運搬のための船舶の建造技術の喪失により使用できるのが国内で自給できる資源のみとなった日本にとって頼みの綱だった。その石炭を使用することができる蒸気エンジンが最初に使用されるのはある意味当然でもある。実際、戦争直後の世界でも、基礎的な蒸気エンジンのノウハウを持った技術者は少なからず存在していた。
それから13年たった今となっては小型化、高馬力化、低燃費化が進み蒸気エンジンが世界で最初に使われていた産業革命時代の技術と比べれば大きく改善されている。しかしいまだに海を走る船舶は外輪船で、飛行機を飛ばすにはあまりにひ弱なエンジンのため航空機は飛行船に限られる。
ちなみに各国の使っている兵器については戦前に使用されていたものを修理してどうにか運用している状態で、ジェット燃料の手に入る国などでは「蒸気エンジン駆動でごてごてに大砲をくくりつけた飛行船」を「ジェットエンジンで誘導ミサイルを搭載したコンピュータ制御のUAV」が護衛するという滑稽な空軍も存在するらしい。
一度見てみたいものだが。
とにかく、俺はしばらく考えると、
「んじゃ、資料集め頼んだ。」
彼らに投げてみることにした。
彼らなら、「あれ」を作ることはないだろう。まだ新人だ。
文部科学省仮庁舎南棟地下2階、資料室。
真っ暗な部屋の明かりをつけると、そこには本棚が所狭しと並んでいた。
「えーっと、発動機…発動機…」
俺は上司に丸投げされた資料集めのために資料室に来ている。人類の50年分の進歩についての資料をそろえた資料室の数はこの階だけでもざっと50。それが地下5階、地上4階にわたって作られている。俺は資料のリストを南棟の無愛想な守衛からもらうと、文字のびっしり書かれたそれに四苦八苦しながらここまでたどり着いた。
「うーんと?工学技術の列の…内輪機関…えーっと、ガスじゃなくて揮発油だからー…ってお前も手伝ってくれよー…竹崎―…って何見てんだお前?」
小さな活字を凝視しすぎて少し涙ぐんでいる俺をしり目に竹崎は「交通機械」という分厚い本を開いている。これこそ俺の探していた本だ。俺は竹崎からそれをとると、彼女の恨めしげな視線から逃げながら軍事課に戻った。
「昼食をとってきます」という竹崎と別れた俺は軍事課のドアを開けると、そこに課長はいなかった。大方、またコーヒーでも淹れているのだろう。空のコップが置いてある。
俺はその資料を課長の机のに置くと、昼ご飯を食べに外に出た。
「…えっと、何か用がおありで…?」
俺は文明再興省大臣執務室で縮こまった。
いくら軍事課の課長とはいえ、大臣クラスの呼び出しは久しぶりだ。
新人どもを送りだした直後のことである。
「大臣直々の命令です」部屋に入ってきた名札を付けていないスーツ姿の男は言った。
この省内では今のところ名札を紛失し再発行してもらっているている俺以外に名札をつけていないのはほとんどいない。
俺は飲み終わったコーヒーを机に置くと、大いに緊張しながら最上階、大臣執務室に向かった。
大臣執務室に入ると、そこには革張りのいすに座った田代正治文明再興大臣が座っていた。
「よく来たね。まあ座ってくれ」と手前のソファを指し示しながら彼は反対のソファに腰掛けた。
俺は内心びくびくしながら、用を聞いた。
すると大臣はじっとこちらの顔を見つめて、呟いた。
「君、年はいくつだい?」
意外な質問に拍子抜けしながらも、「44です。」と答える。「では君は…」大臣は呟く。
「戦前の世界を知っているね?」
「はい。」
俺の脳裏に幼いころの記憶がよみがえる。空をいくつもの光が走っていく。轟音。
衛星兵器技術の米国からの流出を伝えるニュース番組。
そして東京からの避難。
今の時代では考えられないようなことが当たり前だった。
ネットの地図は毎年改訂され、その都度丸くえぐられた湾が世界中にできていった。
しばらくするとそのネットが使えなくなり、書店に人が殺到した。
「では、今君たちの取りかかっている技術の重要さも理解しているね?」
「はい。」
「内輪機関だ。しかも揮発油で動く。君ならこれで昔何があったかわかるね?」
俺は過去の記憶を掘り返すと、答えた。
「…戦車。」
「そうだ。」
そう。当時はもっと馬力のあるエンジンで光学兵器、電磁兵器などを搭載した無人戦車が存在した。
俺が赤ん坊のころは人を乗せていたらしいが、マイクロ波の軍事転用とともに衰退した。
「しかしほかにもあるだろう。まあ馬力が必要だがな。」
「しかし、わが国で石油が産出する地域など…」
「あるにはある。東北だ。」
「しかしそれでは国内需要を賄うのは不可能です。」
「誰が技術を開示するといった?」
「…」
そういうことか。
彼は内輪機関を秘密裏に改良して軍事転用する気なのだ。恐らく…
「いやあ、せっかく内輪機関の再興をそっちの課がやるんだ。ついでに初期型の戦車の再興も頼んだよ。」
こいつは技術をひたすら軍事に使う気だ。しかしここで盾ついても仕方ない。
われわれは軍事技術を司る役人だ。
しかしこれを再興させる事は…
「お言葉ですが」
国防のためにはならない。
「私は賛同しかねます。」
俺の反論に大臣は少し意外そうな顔をした。
「ほう。面白いな。意見を聞こうじゃないか」
「われわれは交通課からこの案件を預かりました。我が軍事課が勝手に別の技術の再興をするのははばかられます。」
「では、私に反対だと?」
「そういうわけではありません。」
俺は言葉に力を込めた。
「ちょうど今回の仕事は今年は言った新人に請け負わせました。彼らは戦車の存在を知りません。ここはひとつ、彼らがこれに気付くか懸けませんか。」
「ほう…」
面白い、といった風に大臣はソファに沈んだ。
「わかった。彼らにかけてみようか。」
俺は一礼すると、執務室を後にした。
部屋に戻ると、机の上に資料の束があった。多分新人たちが作ったのだろう。
どうして交通課からの資料を使わずに新しいのを作ったのかは知らないが、取り敢えず資料を手に取り、ページをめくる。幸い、戦車についての記述はない。取り敢えず一安心だ。
それにしても…
何故大臣はあのようなばかげた要求をのんだのだろう。
戦車の資料は今日彼らに取ってこさせた資料室とは全く違うところに保管されている。
よほどのことがない限り、彼らは戦車について気付くはずがない。
わざわざ要求に乗ったのに、大臣は新人たちに圧力をかけて戦車の復元を命令するような人間ではない。
とすると、他部署に任せるのだろうか…?
それとも戦車はそれほど重要な技術ではないのか?
まあいい。俺は彼らに懸けたのだ。
「承認」のハンコを押すと、俺はまどろみ始めた。
「これを完成させてくれ。頼んだ」
「わかった。しかし…これは何だ?」
「作ればわかるさ…これは俺の置き土産だ。…散々利用…」
「なんだ?一体何を言っている?」
俺は眠りの中に沈んでいく。
軍事課のある東棟、地下1階。
竹崎は資料室にいた。
自分の身長よりも高い書架の中を進んでいく。
ふと彼女は足を止め、黒い表紙に金文字で「戰車工學」と書かれている本を取り出した。
しばらく内容を確かめた後、少し軽い足取りで彼女は軍事課に戻っていく。
…課長……
…課長!…
なんだなんだなんなんだ一体…
「何寝てるんですか課長…」
「うむ?」
いつもの机だった。空っぽのコーヒーカップが置いてある。窓の外はもう夜だ。
資料を片手に菅野がこちらを見ている。
「何寝てるんですか課長…そんなことより!見てください!これ!竹崎が持ってきたんですが…軍事課にふさわしいものだと思いませんか?」
出されたのは「石油エンジンを応用した戦車技術」と書かれた資料。
「…何だこれは」
「竹崎が戦車についての記述を資料の中で見つけて二人で作ったんです。折角内輪機関の資料をそろえるんですから軍事課らしい仕事もやりましょうって竹崎が薦めてきて」
「竹崎…」
竹崎の机を見ると、彼女はもう帰っていた。
大方仕事を終えて帰ったのだろう。体よく萱野に仕事を押し付けた形だ。
彼女は見つけてしまったのだ。しかもたった一日で。
新人としてはかなり有能なのだろう。
「…お前は…いや、お前らは…」
「何ですか?課長」
「何をしたのか分かっているのか?」
言葉が口を衝いて出てくる。本当は大臣に言うべきだったのだろう。
「何を作ろうとしているのか…もとい、何がこれによって起こるのか…わかるか?」
「ええと…国防が強化されます」
その通り。戦前の平和な世界ならば満点の答えだ。
しかし、今は違う。
「今世界でこちらを攻められる国があるか?」
本当は大臣に言うべきだった事だ。
「…ありません」
「周りの国と戦争になるようなことは?」
「…ないです」
「ようやく大戦の後の世界になってひとまずは平和になった世の中で戦車を作って何になる?我が課はただ兵器を作る課になってはならない。技術をつかさどる仕事はそういう責任もあるんだ。」
本当は執務室で言うべきだったはずなのだ。俺は自分の不甲斐なさを呪った。
「…」
「…もう夜も遅い。今日はあがってかまわないぞ」
「…はい」
どうして俺はあの時言えなかったのだろう。大臣の前で何も言えなかったのだろう。
一体俺はどれだけ寝ていたのだろう…
ともかく。
戦車に彼らが気付いた以上、これを大臣に報告すべきなのだろう。が…
「ここは…立場を利用させてもらおうかな。」
要は俺が承認しなければいい話だ。大臣にこの資料は送らない。それだけだ。
新人にもこの仕事の大変さがわかっただろうし、今日は良しとしよう。
「はあ…」
課長があれだけ怒ったのを見たのは初めてだ。まあまだこの課に配属されて初日だが。
「初日から怒られた…」
精神的ショックは深い。
軍事技術を復興する。
言葉で言うのは簡単だが、それはつまりより戦争が悲惨なものになっていくということだ。
しかし何も作らないと他国から良い餌として見られてしまう。戦後のまだ各国に余力がない今のところはまだ大丈夫だが、あの戦争から13年もたった今、何時他国から「未知の技術」を持った軍隊が攻めてこないとも限らない。
「技術をつかさどる仕事はそういう責任もあるんだ。」
俺の頭に課長の言葉がこだました。
技術再興省に新人どもが配属されて今日で二日目だ。
軍事課のドアを開けると、どうやら昨日の資料制作の続きらしい。大量の資料と格闘している竹崎がいた。今日は休日だが、月曜が祝日な分、土曜日にある程度仕事を片付けねばならない。
ほかの課も同じなようで、休日とは思えぬ活気がそこらじゅうから漂っている。
俺が説教を垂れていたあの時、資料室で資料をとってきたのだろう、机上にコの字型資料の壁ができ、真中で作業をしている竹崎は背中しか見えない。
竹崎にも説教を垂れようかと思ったが、今日はやめておこう。
「飲み物を買ってきます」と出て行った彼女の眼は血走っていた。
今説教を垂れたところで半分も彼女の頭には入らないだろう。
それにしても…
この資料の量は何だ。
「…おい」
「……」
「…おーい!」
「……」
「…竹崎君!竹崎!」
「…!は、はい!」
これはもう末期だ。いったん仮眠でも取らせてあげよう。
「何だこの資料の壁は。交通課から流れてきた資料を軽くまとめるだけだろうと思ってたんだが」
「それが…」
彼女はバツが悪そうに、
「交通課からの資料が見当たらないんですよねー…」
「…」
「何か本棚の資料の配置がめちゃくちゃ変わってて…仕方がないので資料を作り直してます。」
仮眠をとらせてあげようと思ったのは撤回だ。
「よし。ここ一週間ずっとそれやってろ。家にも帰るな。これは命令だ。」
竹崎は後ずさりを初めた。ついでに説教もたれてやろうとしたその時、軍事課のドアが開いた。
「おはようございまーす!!」萱野だ。
びっくりした竹崎は後ずさりの体制のまま尻を机にぶつけてのけぞり、資料の壁にぶつかる。
ばらばらと竹崎の頭に降り注ぐ資料。あっという間に彼女の頭が見えなくなり、埋まった。
しばし呆然と立ち尽くす二人。
「えーっと…俺何か悪いことしましたか…?」菅野が聞いてきた。
「いや、君は悪くない。」
しばらくすると、資料の山のてっぺんがもぞもぞ動き、「あった!交通課の資料!」という声とともに、竹崎が飛び出してきた。
「なるほど…そういうことで資料がこんなに。」
萱野が納得しているのをしり目に、竹崎が床を埋め尽くす資料の津波を終息すべく、散らばった資料の整理を初めた。
「とはいってもですよ」萱野は続ける。
「あの交通課からの資料、いろいろ足りないんですよ。」
「え?」
「何というか…とってつけた感じなんです」
「というと?」
「いや、気にするほどのことじゃないんですが、なんか…実際に仕事として実行するには、資料が足りないので、全部の棟の資料室を回らなきゃいけなかったんです。戦車もその時知りました。」
おかしい。交通課の高野ならそんなことはしないはずだ。
あれは交通課の資料のはずだ。
考えてみれば交通課に任された仕事だということは、もともと開示する予定の技術だったはずだ。
「誰が国民に情報を開示するといった?」
大臣は確かにそう言っていた。
ならばなぜ交通課なのだろうか。我々ではなく。
…ようやく大戦の後の世界になってひとまずは平和になった世の中で戦車を作って何になる?
あの時言えずにいなかったことを悔んでいるこの意見…大臣もそれに気付かないほどの人間ではないはずだ。
もしも戦車が再興されたら国際問題に発展する。何としても隠ぺいする必要がある。
…ならば、内輪機関の再興の裏で戦車を製造すればよい。一番手っ取り早く生産できる。
国民に開示しないのならなおのことだ。
しばし俺は考えると、
「竹崎…」
「はい、何でしょうか?」
頭の上に開いた本を乗せたままで竹崎が津波から顔を出す。
「この仕事、交通課からとってきたんだよな…?」
「うーん…ああ!厳密には違いますよ?」
全身から血の気が失せていく。
「どう違うんだ」
「ええと…交通課の課長からだと言って、スーツ姿の人たちが。あ、名札は付けていなかったので誰かはわかりませんでした。」
…あの男は…
ドアがノックされる音がする。
「しまった…やられた!!」
バタンと扉が開かれた。
「大臣からの出頭命令です。」
…男は名札を付けていなかった。
「…なんでしょうか」
執務室に入った俺を大臣はニヤニヤしながら見つめた。
「私もなめられたものだ」
「なんのことでしょう?」
「あれだけ戦車の記述をしておいたのに、彼らが気付かぬはずがないだろう。」
「一体何の話をされているのか…」
俺は最低限の虚勢を張る。まだ資料はこちらの手の中だ。
「これのことだよ。君。」
机に資料を叩きつける。「石油エンジンを応用した戦車技術」。あの時彼らの作っていた資料。
そういえば竹崎が本棚の資料の配置が換わっていたと言っていた。
「さすがに資料の場所まで竹崎に教えて、気付かないはずがないだろう…」
大臣は笑った。
「…」
終わった。
止められなかった。
「いくらなんでも軍事課以外の課に戦車を任せるわけにはいかないし、秘密裏にやらなきゃいけない。」
何故…気付かなかったのだろう。
「ならば去年君以外の全員が定年退職した君たちの課なら名目もたつし、人数も少ないから秘密も守りやすい。」
あれだけ…あれだけの証拠がありながら。
「交通課の課長…何て言ったかな…彼は、予算をいくらか積んで北海道に出張中だ。さすがにばらされちゃ困るんでね。」
しかし…しかしここは…
「申し訳…ありませんでした…」
謝るしかないだろう。
大臣は得意げににやりと笑うと、
「まあ…軍事課もあれだけ人数が少ないし、ああいう職制だから、なかなか変えの人員って見つからないからなあ…」
「…」
「今回は許してあげよう。しかし次回やった時は……覚えておくんだね。」
「…どうしたんですか?」
軍事課に入ると、萱野と竹崎が心配そうな顔で寄ってきた。
「…いや、何でもない。資料の整理を続けてくれ。」
彼らは心配そうな顔で資料の山に戻っていく。
彼らは悪くない。大臣の差し金でこうなっただけだ。遅かれ早かれこうなっていただろう。
今日はこの散らばった資料を整理して終わりそうだ…
日曜は何事もなく過ぎ、今日は月曜日。しかし祝日である。
一般的に「復活の日」と呼ばれるこの日は、世界中が休みとなる。
今日からちょうど38年前。
世界中に隕石が降り注いだその日。
俺はまだ6歳だった。
しかしはっきりと覚えている。
たくさんの光の筋が通って行く。
地響き。
轟音。
幸い陸地にはほとんど落ちず、ほぼ海に落ちた。
しかし、各国は少なからずダメージを受け、とくに2010年ごろから経済危機に見舞われていたヨーロッパ諸国は絶望的状況に追い込まれた。
ヨーロッパの小国、スロベニア、ハンガリー、クロアチア、ルーマニアなどが統合され2016年に完成した、大国エストバキア連邦の被害は特に大きく、国内は首都近郊のカルーシュ地方を除きほぼすべてが壊滅した。
エストバキアから流出した大量の難民は、各国の経済を圧迫した。
ヨーロッパ国内はエストバキア難民と各国のレジスタンスのテロ行為により、混乱状態になった。
さらに、エストバキアで隕石の落ちたクレーターから新しい金属が発見される。
「テチストリウム」と呼ばれるその金属は、超電導金属と呼ばれ、電導性、耐熱性に優れ、加工もしやすいため、各国がこぞってとりあった。
ここにクレーターをめぐる戦争、一連の隕石衝突に端を発する動乱「隕石穴動乱」が始まる。
また、国内に8つのクレーターができたエストバキアでは臨時の軍事政権が擁立、一大軍事国家となった。
テチストリウムが大量に採取されたエストバキアでは、新しい兵器の開発を始める。
レールガン。
従来の金属では電導率が低く、また発射時のジュール熱で砲身が溶解するという欠点を抱えたため、論理段階で終わっていた兵器をエストバキアはテチストリウムによって実現した。
これによりヨーロッパ各国の軍事均衡は崩壊、レールガンの小型化とともにエストバキアは周辺国への侵攻を始めた。
2023年。ここにヨーロッパでエストバキア戦争が始まる。
最初、エストバキアの一方的な侵略だったが、アメリカの軍事介入により戦線はフランス国境でこう着。
アメリカは最新の衛星兵器、「天の火」を使用する。
周囲数キロを深さ140メートルのクレーターにするこの兵器の登場により、エストバキアは敗北。
レールガン兵器の技術はアメリカにわたった。
その後、しばらく平和な時が続いた。
2025年、エストバキアはドイツを独立させるかわりにドイツの南部を併合。
2029年には日本で憲法が改正され、国防軍を所持するようになる。
また、2038年にはテチストリウムの発見者である神楽坂博士がノーベル賞を受賞、その後日本のJAXAに呼び戻された。
俺が文科省に入ったのはこのころだ。
その最中。
「天の火」の技術情報が漏えいする。
米国は神楽坂博士を漏えい者とし、市民権をはく奪。
同盟国である日本も彼を国外追放する。
孤独となった彼は、2039年にエストバキアへ亡命し、消息を絶った。
その後、エストバキアが「天の火」を強化する「神の杖」計画資料を米国から奪取。世界は一気に緊張状態に入った。
そして2044年。
テチストリウム資源の枯渇により、エストバキアは世界へ宣戦布告。
エストバキアと同盟を結んだ各国も世界中で戦闘の火ぶたを切った。
エストバキアは当初、6年かけて開発したばかりの新兵器「神の杖」を使用し、短期で勝利する計画だった。
しかしアメリカも技術資料を入手しており、すでに各国合わせて20の「神の杖」の発射衛星が地球の周りをまわっていた。
ここに「神戦争」が勃発する。
その後は知っての通りだ。
世界は荒廃した。
今日はそんな世界崩壊のきっかけとなった隕石飛散の日であり、各国は復興の願いを込め、「復活の日」という祝日を設けた。
俺は祝日を祝う横断幕を掲げた飛行船が黒煙を上げて飛んで行くのを窓から眺めた。
空は、相変わらず黒くよどんでいる。
世界は平和だ。
少なくとも今は。
後篇
火曜日。
俺は大臣執務室にいた。
まだここにきて3日目の俺は当然だがここに来るのは初めてだ。
課長の話によると、単なる仕事を課すのに執務室に呼び出すのは異例だそうだ。
いつもは文明再興省の実務担当の文明再興部が各課に仕事を与える。どちらかというと大臣は「政治担当」だ。
相当重要な仕事なのだろう。それにしても…
「何で俺まで連れてったんですか!?」
隣で立っている課長に小声で抗議すると、
「すまんな…俺はこの部屋にはいい思い出がないんだ」
という課長の泣きそうな声。
なんて頼りない課長なんだ…
そんな俺たちの押し問答を気にも留めず、大臣は言った。
「さて…」
俺たちは固唾をのんで大臣の言葉を待つ。
「君たちに今回頼みたい仕事は、電子計算機の復興だ。」
電子計算機?聞きなれない単語に隣の課長を見、ぞっとした。
課長は見たことのないほどの恐ろしい顔をしていた。
「大臣…」おもむろに課長は呟く。
「何故ですか?まだ電子計算機を再興できるほどの技術を我々は持ち合わせていないでしょう?」
「君…」大臣は静かに笑うと、
「我々を見くびっては困る。考えてもみろ、10年以上だぞ?そんな時間をかけてその程度しか技術を再興していないとでも?まず先週君たちに頼んだ仕事も今『開示されている』技術ではできないことになっている。」
「まだ国民に開示していない技術がある…」
「その通りだ。電子計算機も開示する予定はない。まずもって、発電施設すら過去の遺物を使っている時点でまだ国民に開示するのは早すぎる」
「ではまず発電技術を開示するのが…」
「これ以上の議論は無意味だ。前回君の犯した過ちを見逃した。それを忘れたわけではないよな?」
「…」
課長は押し黙る。
「この仕事、受けてくれるね?いや、もともと君に拒否権はないけれども」
「大臣…あなたは…私が…あれを…知ってこの仕事を…」
課長の顔は蒼白で、声は消え入りそうだ。
「そんなものは知らないよ」
大臣は不敵に笑った。
俺と課長は大臣執務室を後にした。
「課長…」
「何だ」
「課長は…」
「いつか教える。今は言いたくない。」
課長はきっぱりと言った。その顔は苦しそうだった。
まさか俺にこんな仕事を任せてくるとは…
あの大臣も人が悪い。先週嵌められた仕事も恐らく俺が何らかの抵抗をして、それを彼が叩き潰すことまで計算ずくで任せたのだろう。
しかし…
一体この国の現在の技術力はどのくらいなのだろう。
電算機。
大臣は2010年型スーパーコンピュータと言っていた。
この前頼んだのは1800年代の内輪機関だったのに。
何かが変わろうとしている。
この平和な世界で。
………………
「…おい」
彼は慌てて呼びかけてきた。俺は廊下で止まり、振り返りながら、
「俺は…散々利用された。しかし…お前にはまだ希望を持っている。お前がいる限り、人類もまだまだ捨てたもんじゃないと思うんだ。」
「買いかぶりすぎだ。俺はそんな大層な人間じゃない。」
彼は戸惑いを顔に浮かべる。つくづく良いやつだ。
「まあ…何時かわかるさ。」
俺はにやりと笑った。
………………
軍事課に入ると、竹崎が不安そうにぱたぱたと寄ってきた。
「どんな仕事でしたか?」
俺は顔をしかめながら、
「電算機。つまりはコンピュータだ。」
と答える。
「わかりました。調べてきます。」
竹崎はいきなり飛び出していった。
「お、おい待ってくれ!」と萱野が追いかけていく。
俺も資料室に向かうことにした。
俺が調べるのは別のことだが。
文部科学省仮庁舎地下4階。
俺は技術史を調べに来た。
ここに来れば、どんな技術が、どこまで研究されたかについての資料を見ることができる。
まあ公開されている範囲ではあるが。
近場の資料をとる。
2010年のスーパーコンピューターについての技術をまとめろというのなら、半導体の生産技術やその分の莫大な送電施設、データの送信システムの基盤が整っているということなのだろう。
「ライフライン」の資料を開いた俺は愕然とした。
火力発電、原子力発電、クリーンエネルギーの技術はもちろん、「核融合発電」という項目まで存在する。
さすがにここには「研究中」とあったが、資料が集まればすぐにでもできてしまうだろう。
火力や原子力の技術は(資料上では)2000年代とあるが、核融合発電の研究が始まっているということは実際はもう2030年代レベルだろう。
さらにクリーンエネルギーに至っては、2040年型と最も進んでいる。
備考欄には「量産化には程遠い」
再興した技術も、量産化できなければ意味がない。国民に公開されていないのはこれが原因だろう。方便かもしれないが。
次に出したのは、「電子工学」。ここでも愕然とする。
もうすでにあらかた調べ終わっている。
しかし、ここまでの技術研究をしたのに、軍事課設立当時からの人間である俺が知らないのだろう。
噂程度ならば入ってきてもいいはずではないか。
「やはり君はここにいたか。」
ハッとして通路を見ると、そこには大臣がたっていた。
「どうせこれだけの技術をどうやって研究したんだとか思っているんだろう…。まあいい。もう終わった話だ。教えてやろう。これらはアメリカから渡ってきた研究資料だ。」
「アメリカ…?」
「アメリカは先の大戦での我が国の同盟国だ。例え戦争が終わり文明が衰退してもそれは変わらんよ。」
俺は納得しなかった。大臣の話には不自然なところがある。
「もう終わった話…というのは?」
「知りたいかな?」
大臣の笑顔がやんで、真顔になる。
「私は知らない方がいいと思うがなあ…」
この先に進んだら、戻れない。俺は即座にそう思った。
ならばいいだろう。
「いや、止めておきます」
こっちで調べるまでだ。俺は愛想笑いを浮かべた。
「よろしい。」
大臣は俺に背を向け歩き始めたが、ふと立ち止まり振り返ると、
「ちなみに、この資料室は知っての通り我が省が管理しているものだ。調べようとしても無駄だと思うよ?」
と言い残し、去って行った。
まあいい。
「やるだけやってみようか…」
俺は無謀な挑戦を始めることにした。
官公庁に努めてもう14年である。いくら出世コースから外れてここにいようと人脈はある。
まずは外務省の佐藤に当たってみよう。あいつは北米地域の担当のはずだ。
軍事課に戻ると、竹崎と萱野が机で資料とにらめっこしていた。
「こんなシロモノ初めて見ました…」
竹崎は困り顔だ。萱野は船を漕ぎ始めた。
当然だろう。この前調べた技術から軽く1世紀はたってからの技術資料なのだから。
「それにしてもいろんな資料に神楽坂って人が出てくるんですがこれって誰ですかね…?」
竹崎が首をかしげる。
「ほら。ここの量子コンピュータ技術の資料にも書いてありますし、人工衛星関連の資料にも出てます。NASAの人だったみたいですね…」
「神楽坂…」
思わずつぶやく。頭の中に言葉が反響した。「俺は…俺はどうすれば…」
「有名な研究者だよ。例の衛星兵器の開発者じゃないかと噂されてたんだ。」俺は平静を装ってつぶやく。
「噂…?」
「あの兵器の開発者は正確にはわからないんだ。気付いたら世界中に広まっていた。」
「その人は今どこに…」
「行方不明だよ。」
そう。神楽坂博士は行方不明になった。
確か、航時技術の実験だったはずだ。
あまりに多くの人に裏切られたからだろう。彼はいつしか人間不信になった。
天の火技術の漏えいで彼が世界から見放されたその日、彼はエストバキア首都郊外、カルーシュの古城にひきこもった。
どういう名前の古城なのかは分からない。
一時期どこかの企業が工場として使っていたため、地元住民からは廃工場とよばれている。
彼はその廃棄された機械を使って研究所を立ち上げた。
世界中から研究者が集まり、何時しか古城の周りには強固な壁が作られるようになった。
当時の噂では、壁内の技術は軽く三世紀は先を行っていた。
米国はこの事態に過剰に反応し、エストバキアに対して研究所の解放、技術開示を要求。
解放を求められた神楽坂博士は断り続けた。
米国はどうにか研究所内部の状況を知ろうとするがなかなかうまくいかない。
研究所内部に研究員として送られた工作員は行方知れず、航空写真はなぜか古城の部分だけぽっかりと黒い穴が開いていた。検証した研究者いわく、「光を曲げたようにしか見えない」のだそうだ。
しかし当の研究所からは何の音も聞こえず、周辺住民からの苦情などもない。歩いていけば城壁に触ることもできる。
スパイもことごとくはじかれ、衛星写真も封じられた米国は、ついに研究所に対して特殊部隊を送りこんだ。しかし特殊部隊からの無線や映像は(有線通信だったにもかかわらず)古城に突入したとたんに見えなくなった。
この特殊部隊は持っていた銃の弾丸を9割方撃ち尽くし命からがら脱出したが、彼らいわく「何もなかった」らしい。
入ってもただの古城だったが、進めば進むほどに気が遠くなり、体が重くなっていく感覚があったらしい。
かくして特殊部隊すら送り返された米国は徹底抗戦を宣言。「謎の兵器の製造と実験をしている」という大義名分の下、研究所に小型巡航ミサイルを発射。
しかし発射したミサイルはあらぬ方向へ飛んでいき、上空を偵察のため飛んでいた米軍の高高度偵察機を撃ち落とした。
挙句の果てに、米軍の放った「天の火」(神の杖はまだ実験段階だった)までもはじかれ、(発射した方向が電波障害で真逆だった)ついに米軍は撤退した。
その後エストバキアにカルーシュ地方への米軍の駐留を求め、米絵の関係は著しく悪くなった。
これがのちの戦争につながっていく。
…というようなことを竹崎に話した。
「そんな人が過去にいたんですか…でも何で行方不明に?」
「ああ、それはな…」
2045年、8月の夜。
カルーシュ地方…いや、エストバキア国民のほとんどがその音を聞いた。
轟音は国中に響き渡り、古城周辺の地震計では震度7を記録。最悪の災害であった。
そして明朝。
慌てて起きてきた住民は驚いた。
古城が消えている。
慌てて昼ごろに突入した米軍は驚いた。
壁の内部は古城はおろか、吹き飛んだ破片すらなかったのだ。
さらに周辺の都市は壊滅しているというのに、城壁には傷一つない。
古城は完全に消えていた。
彼がいったい何を研究していたのか。
それは、だれにもわからないだろう。
「…そんなことがあったんですか…」
「うむ。仕事に戻りたまえ」
竹崎は自分の机に戻っていく。
この前の内輪機関の仕事で彼らの能力が高いことは知っている。
俺がいなくても大丈夫だろう。
「部長、有給をとりたいのですが…」
俺は文明再興部部長、遠藤の机の前に立っている。
部長はお決まりの細い目で睨みつけた。
「有給…?こんな時期にか?
そちらの部署には大臣直々の仕事が下っているともっぱらの噂だが。」
話によると大臣の頭越しのやり方に遠藤部長はかなりご立腹らしい。まあ普通こちらに仕事をよこすのは部長、いわば実務担当だ。当然だろう。しかしここで引き下がるわけにはいかない。
「どうやらそういう噂が出回っているらしいですが…それは事実ではありません。」
「ふーん。んじゃなんで君らの課が仕事してるわけ?こちらから仕事を回した覚えはないんだけど。」
「それは…」
もうやけだ。俺は話をでっちあげることにした。
「交通課の…高野課長。今出張中じゃないですか。その間にこちらで仕事を受け持つことにしたんです。」
「そんなことが許されると思うのか?」
俺は底意地の悪い笑みを浮かべると、
「実は交通課の課長がこの前出張しましてね…実際は課長が出張している間は一定量以上の仕事を任せてはいけない規定があるですがご存知でした?」
「お、おう…その規定は知っているが…それがどうした」
「そうでしたか。ならば話が早い。交通課の友人に言われたんですよ。規定の2倍以上の仕事を任されて困っているってね」
「ぐ…」
部長は顔をゆがめると、
「ああそうだったのか!知らなかったよすまなかったな。ならば軍事課の彼らにだけ任せてもいいだろう。有給を受理しよう…」
俺は笑って
「それはよかったです。では失礼いたします。」
執務室から出た俺は息をなでおろした。
カマをかけるのは苦手だ…
資料を整理していると課長が入ってきた。
「すまないがしばらく有給をとる。仕事は君たちだけでできるだろう。頼んだ。」
俺は驚き、思わず叫んだ。
「有給制度なんてあったんですか!?」
課長はちょっと意外そうに
「ああ、あるよ。知らなかったかい?」
知らなかったかいじゃないだろう。
「だってここ公的機関ですよね?」
「ああ、そうだよ。公的機関が有給とっちゃいけなのか?」
まあいいや。俺も今度有給を活用して旅行にでも行ってやろう。
俺は仕事に戻ることにした。
何事もなく一日が過ぎ、定時で俺は帰った。竹崎がこちらを軽く睨んできたがその程度でひるむ俺ではない。
何故課長はこんな忙しい時に有給をとったのか、それが知りたかった。
次の朝。
出勤してきた竹崎は、萱野が机で資料を調べていることに驚いた。
「課長にとうとう怒られましたか?定時の出勤は失礼じゃないかって。」
と聞いてみると、
「失礼だなあ…俺は昨日の資料集めの続きをしているだけだよ」
少し苦笑いしながら萱野が振り返ってきた。
朝からいきなり定時出勤、定時帰宅への恨みごとを言われた萱野は、集めた資料を見直していた。
昨日、竹崎から「神楽坂」という言葉を聞いた時の課長の様子がおかしかったからだ。
資料の表紙を次々にめくっていく。
「スーパーコンピュータ「和」の整備・開発について 平成25年3月1日 理化学研究所 計算科学研究機構」
「光子コンピュータの問題点とその対応策(2037年神楽坂博士講演 東京大学)」
「アンドリュー・S・タンネンバウム著 ネットワークアーキテクチャー」
「次世代の電脳構築学の可能性についての報告 京橋・神楽坂氏共著(2038年)」
「電脳構築学論文 マサチューセッツ工科大学 佐々木博士(監修・神楽坂博士)」
「量子コンピュータ実験の調査報告」
「京橋…佐々木…」
この人達は誰だろう。
「なあ、竹崎。この人達って誰だかわかるか?」
竹崎は資料を見ると、
「さあ…見たことない人ですね…いや、待ってください。佐々木教授ならこっちの資料に書いてありますよ。ところで、課長はどこですか?」
「課長?確か課長は今日は有給じゃなかった?」
竹崎は合点が行った様子で自分の机についた。
俺はふと疑問に思って、聞いてみた。
「そういえばさ」
「はい?」
「課長って何て名前だっけ?」
「はい?」
「いや、俺たちはは毎回課長のことを『課長』って呼んでてさ、それで不自由ないから忘れてたけど、俺課長の本名知らないなーって」
「そういえば研修中も名札付けてなかったですしね。失くしたとか言って。でも自分の上司の名前を覚えてないってどうなんですか…?」
「じゃあ竹崎は課長の本名知ってるか?」
竹崎はあきれたように息をつくと、
「いえ、知りません。」
急に力が抜けた。俺は机に突っ伏してしまった。
切符を確認して席に座る。
車両には俺以外のっていなかった。
俺は今、静岡発京都行きの汽車に乗っている。
行く先は外務省、仮庁舎。
ここでまた、昔語りをさせていただく。
戦後、政府は水没した各主要都市を放棄、新しい首都を探していた。
しかし、そう簡単に各官公庁を集結させることができる都市は見つからなかった。
政府は一時的な策として、首都になりえる都市機能を持った都市を探し、それらに各官公庁を分散させた。
おかげで各省庁間のやり取りは電信や手紙、電話などが中心となり(しかもたまに電気不足で使用不能になる)利便性は落ちたが、先の大戦で東京が沈んだ時の政府の混乱ぶりを見て、ひとところに政府関係施設を集めるようなことはできなかったのだろう。
今回の目的地、京都は2度の世界大戦を無傷で潜り抜けた「奇跡の街」として発展、現在の暫定首都になっている。
京都にある政府関係施設は内閣府や各国大使館、総務省、内務省そして今回の目的地、外務省である。各省庁一応名目上は「仮庁舎」の形をとっているが、実質あの場所を動かないだろう。ちなみに国会議事堂があるのも(もちろん仮議事堂だが)京都である。
都市機能としては、電線がほぼ完璧な形で残っている事や、上下水道がいち早く復興した(戦後5年以内で復興したのはこの町のみだ)という点で、一番近代的な街だ。
京都市街を走っていた地下鉄線路は蒸気機関車が走ると煤による視界不良で運転不能になるため、放棄された。今ではスラム化しているらしい。
よって京都市街を走っているのは、電気駆動の路面電車だ。
俺は外を見る。
ぐぐもった汽車の音と一緒に、目の前を田んぼが流れていく。
戦後、主要都市周辺を除いて残った新幹線の線路を政府は買収。
一部リニア化していたため、ところどころ現代の線路も見えるが基本的には旧世界の線路だ。
いまだに老朽化した部品を取り換えて現役である。
俺は昨日、佐藤に電話をした時のことを思い出した。
「おお!久しぶりだな!いつ以来だ?お前と話したのは」
「確か…俺の前の職場で会ったきりだから、10年ぶりくらいか」
「10年…もうそんなに立つのか…あいつが行ったのもちょうどその時か?」
「ああそのくらいだ。ただもうその話はよそうぜ。最近調子はどうだ?北米、とくに対米担当になったと聞くが」
「あー…対米担当になったよ。最近はあちらさんも慌ててきてね…結構大変だよ」
なぜか佐藤の歯切れが急に悪くなった。
「どうした?何かあったのか?」
「いや、なんもないよ?そっちはどうだ?相変わらず万年課長か?」
「ああ。いつもの通り課長さ。新人からも課長って呼ばれてる。」
「ほう…お前も部下をね…」
「いや、これで何度目かわからないよ。ここに来た新人はいつもなぜか別部署への転属を求めるんだ。」
「いや、でもお前と最後に会ったのが文興省に行った時だからなあ…なんか感慨深いね」
「ずいぶん偉そうな物言いだな…全く変わってないな」
「それで」
「うん?」
「用件を聞こうか。何も昔語りをするために電気管制の合間を縫って電話してきたわけじゃあるまい?」
「そうだな。率直に聞こう。」
「米国との回線が途絶したね?」
息をのむ音が電話の向こうで聞こえた。
カマをかけたつもりだったが、どうやら図星のようだった。
一度ゆるんだ佐藤の口は、その後情報を垂れ流し続け、今日会う約束をしたのだった。
さすがに昨日の今日で、向こうから来るということはなかったが。
ともかく、米国との通信が途絶でもしない限りスパコンの開発なんて大それた仕事を省の課に頼むわけがない。
また軍事課は3人と少ないため機密性は極めて高い。
つまりは米国に頼めなくなったときに仕事を頼むことができるわけだ。
仕事が終わったら口止めするなり首にするなりできるし、もともと零細課だったために実害はない。
さらに俺には大臣に借がある。圧力でどうとでもなると考えたんだろう。
大きな間違いだ。
機関車は走っていく。
「間もなく京都…京都…」
蒸気機関車のぐぐもった音の間にかすかに聞こえるアナウンスで、俺は網棚からバックをとると肩に懸けた。
「おお!よく来たな!久しぶりだ…少し太ったんじゃないか?」
京都駅では佐藤が待っていた。
最後に見たときの佐藤は、すらっとしたルックスにメガネ、スーツ、どこからどう見ても「官僚」だったが、今では少し腹の出たお腹にシャツ、ジーパンというラフな格好だ。
「久しぶりだな…申し訳ないな。俺の勝手で休ませたりして。」
佐藤は少し悲しそうに笑うと
「いやあ…ここんところウチは仕事がなくてね。他部署から「昼行燈」なんて悪名をたまわったよ…何せ最後の通信衛星が寿命で流れてね…」
俺はうなずく。外務省官僚の言う「流れる」とは、「衛星軌道を外れて流れ星になる」の意味だ。
「復活の日」前に生まれた人たちは「衛星が落ちる」とは言わない。トラウマもあるのだろう。
「まあ詳しいことは家で話そう。」
佐藤はロータリーのタクシーに手を挙げた。
俺は黒ずんで見る影もない京都タワーを見上げながらタクシーに乗る。
佐藤の家は四条通りでタクシーを降り、西洞院通りを曲がってごちゃごちゃした住宅街を少し進んだところにあった。
「まあ狭いところだが、入ってくれ。」
「何を持ってこれを狭いというんだ」
佐藤の家は2階建てで、庭のついた一軒家だった。マンション住まいの俺とは段違いだ。
これで独り身だというからさらに信じられない。
「ともかく中に入ってくれよ。コーヒーでいいか?」
言いながら佐藤はキッチンでコーヒーを淹れ始めた。
「ありがとう。」
コーヒーメーカー持っていやがる…いいなあ。
萱野は資料室にいた。
「佐々木…京橋…」
ぺらぺらとページをめくる。
ふと佐々木はページをめくる手を止める。
佐々木教授についての記述のようだ。
「佐々木健介(1996年~2049年)東京生。マサチューセッツ工科大学で博士号を取得後、量子、光子コンピュータの開発に参画。神楽坂博士との共著、『電脳構築学論文』でノーベル賞受賞(神楽坂博士は出席せず)」
「これだけか…」
萱野はため息をつくとそれを書架に戻した。
人差し指を資料の背表紙にあてて確認していく。
「京橋」なる科学者は全くでてこない。
竹崎は軍事課にいた。
相変わらず大量の資料と格闘している。
資料をめくり、重要部分にしるしをつけてそれを書き出すだけの簡単な作業。
しかしそれを3時間もやっていれば…
竹崎は白目をむいて机に崩れ落ちた。
大きないびきをかきながら。
崩れた竹崎の頭に資料の山のてっぺんから大判の本が落ちてきた。
「ふごっ!?」
竹崎はむくりと起き上がると彼女の眠りを邪魔した資料を恨めしげに見つめる。
「ううう…」
竹崎は唸ると、バタンとその本を閉じた。机が大きく振動する。
衝撃で資料が崩れてくる。
竹崎は資料に埋まった。
「さて…何が聞きたい?」
淹れたてのコーヒーをすすりながら佐藤は切り出した。
「うあっつ」
俺はコーヒーのいいにおいに釣られて慌てて飲んでしまい、火傷した舌をどうにか引っ込めて
「率直に言おう。一体何が起きた?」
「簡単だ。とうとう最後の通信衛星が流れて使えなくなった。国内の基地局ももう動いてないし、修理も不可能。完全に八方ふさがりだよ。」
「やっぱりそうか…何時からだ?」
「確か半年前だ。」
「そんな前からか…」
『直接行けばいいじゃないか』という人もいるかもしれない。しかしいまのわが国に太平洋を渡る船は作れないし、それは東海岸、西海岸を歯形まみれにされたアメリカも同じだ。ドックのある町はことごとく沈んでいる。
「それで、日本政府は何を考えているんだ?」
俺は身を乗り出した。ここからが俺の知りたいところだ。
「何故か知らないが…」佐藤は不安そうに切り出す。
「どうやら政府はアメリカとの技術協力が切れたのがそこまでこたえてないみたいなんだ。」
「というと?」
「詳しいことはそっちも知ってるだろ?なぜかしらないがそっちでも全くばれてないほどに隠し通せてる。まあもちろんこのことを知ってるのが外務省の北米担当だけだから隠すのも楽だろうが、あまりに『隠し通せ過ぎ』てる。技術協定がなくなったということは国内の技術研究はほとんど進まなくなったも同然なのに。」
「そう言われてみれば…」
俺はようやくぬるくなり始めたコーヒーをすすった。
「にがっ!」
「はあ…」
萱野はため息をついた。
あの後佐々木についてさらに調べてみたのだ。
結局わかったのは、「1996年に生まれ、2014年問題についての論文で一躍脚光を浴び、2020年にノーベル賞受賞。24歳という史上最年少でのノーベル賞受賞は『全て神楽坂博士のおかげ』(本人談)だったそうだが、神楽坂博士は授賞式には出席せず、ノーベル賞の受賞も拒否した。2049年、53歳で死去。」
ということだった。
「京橋」という科学者については全く資料がなかった。
いったい誰なのか…
ため息をつきながら軍事課に入ると、資料の山があった。
中からいびきが聞こえる。
竹崎だ。
よくもまあここまで資料を集めて来たものだ…と感心していると、机の上に本が一冊のっていた。
どうやらこれを閉じたせいで資料がすべて机から落ちてしまったらしい。
「2037年度JAXA詳細報告」
手にとって開いてみる。
開き癖のあるページが開かれる。
JAXAの職員一覧のようだ。
萱野の眼が驚きで見開かれた。
JAXA職員一覧
・衛星担当部
主任 木原莞爾
副主任 梅原 明
・海外事業担当部
主任 戸田茂樹
副主任 多田良一
・プログラミング部
主任 京橋良二
副主任 神楽坂浩一
・
・
・
「京橋…良二…」
「それで…」俺はコーヒーのあまりの苦さにゆがんだ顔を引き締めると、
「日本はなにを企んでる?内の省の仕事がきな臭くてな…」
「俺にもわからん…どうやら米国以外の国とは通信できるみたいだが…」
「米国以外との通信はできるのか…」
「ああ。東洋、ヨーロッパ地域との通信は全く問題ない。あそこは海底ケーブルなのに…ずいぶん持ってると思うよ。衛星のほうがなんだか強そうなんだがな…」
「ふむ…」
どういうことなのだろう。
米国との通信が切れたところでこちらにデメリットこそあれ、メリットはないはずだ。
研究協定で主だって研究していたのは米国のはずだ。国内の研究は滞ってしまっただろう。
まだ情報が足りない。
「すまんが…外務省の資料室に入れるか?」
「は?」
「まだ政府が何を企んでいるのかわからん。正直どんな資料でもいい。何か情報が欲しい。だから外務省の資料室に入りたいんだ」
「いや…理由はもっともだけど…お前文興省の人間だろ?ロビーは抜けられても資料室は厳しいんじゃないか…?」
各省庁は少ない予算をめぐって対立しているので、それぞれの仲はすこぶる悪い。
他省の人間が資料室に入るなど、許されるわけがないだろう。
「厳しいことは承知の上だ。この通りだ…頼む。」
「ふーむ…」
佐藤はしばらく考えた後、にやりと笑って、
「わかった。引き受けよう。」
「おお!わかってくれたか!」
「ただし!」
佐藤は指を一本立てると、
「京都駅の近くにデカいデパートがある。そこの高級料理をおごってくれ」
「…ぐ…わかった…明後日にでもおごってやる…」
「よし!そうと決まれば話は早い。お前、ここに泊ってけよ。どうせその荷物の様子じゃ、着替えすら用意してないだろ」
「…わかった…お言葉に甘えさせていただこう…」
俺はただでさえ寒い懐が極寒の寒さになるのを感じて身震いした。
佐藤はにっこりと、会心の笑みを浮かべた。
俺はいったん佐藤の家を辞して、買い物に出かけた。
佐藤に書いてもらった下手糞な地図(昔から奴は図を描くのが大の苦手だ)を見ながら四苦八苦してようやく着いた時には日が傾きかけていた。
そこで適当な下着を購入し、また四苦八苦しながら佐藤の家に戻る。
家に着くと佐藤が料理を作っていた。
「お、帰ってきたか。取り敢えず風呂にでも入ってろよ」
俺は軽く笑うと
「もうすっかり独身貴族だな。」
というと、佐藤も軽く笑って
「うるせえお前もだろうが」
「彼女はいるのか?」
「いるわけないだろう」
「最後にいたのは何時だよ」
「1年前。なんか成り行きでわかれちまった。お前は?」
「1年と半年。もう結婚は無理かなあ…」
なんだか微妙な空気が流れる。
「ともかく、風呂入ってくるわ。ありがとうな」
俺は京橋良二について調べることにした。
真っ暗な自宅で、机のみに電気をつけている。
資料室で見つからないのも当然だ。
彼は科学者ではなかった。
プログラマーだ。
天才と呼ばれながら、一冊の本も出さず、資料作成者に助言を出しても、一切名前を載せることを許さなかった。
唯一、神楽坂博士とは親交が深く、たった一冊だけ、京橋博士が共著として出ている本があの資料だったのだ。
大学を卒業後、JAXAに入り、衛星関連のプログラミングでJAXAの技術水準は一時期NASAの10年先を言っていたといわれる。
いろいろな大学から教授として招待されたり講演依頼を受けたにもかかわらずその全てを断った。
等々さまざまな逸話が残っていた。
しかし遍歴はJAXAを辞して2038年に官公庁に異動したというところから一切ない。
「どうすりゃいいんだよ…」
俺は机に突っ伏して、そのまま寝てしまった。
次の朝。
俺は外務省仮庁舎ロビーにいた。
「大丈夫なのか…?この格好で…」
「そもそもスーツ一着持たずに押しかけておいてこんなことを言い出したのはおまえだろうが」
「し…失敗したらおごらないからな…」
俺はダボダボのシャツの裾を不自然にならない程度にズボンに押し込み、ベルトをきつく締めた。
「ちなみにお前、身長いくつだっけ?」
「184」
「いつの間にそんな高くなったんだ?昨日あったときにはそんなに高く感じなかったが…」
「そりゃ昨日は殆ど座ってたじゃないか」
「そりゃそうだが…」
「ともかくおしゃべりは辞めだ」
佐藤はエレベーターのボタンを押した。
ドアが開くとたくさんの人がどやどやと降りてきた。
その人たちにちにぶつからないように注意しながらエレベータに乗った。佐藤が地階2のボタンを押す。
乗り込んできた数名がこちらに不審の目を向けてくる。
俺は必死に笑顔を取り繕いながら
「こんにちは」
と挨拶する。彼らは相変わらず不審顔のまま地下1階で降りていった。
俺はぜいぜいと息をしながら床にくずおれた。
「おいまだ気を抜くな」
佐藤が厳しい顔で言った。
ドアが開く。
俺達はエレベータ降り、暗い廊下を進んでいく。
そこには守衛室となんだかよくわからない機械があった。
確か昔見たことがあるような気がする機械だ。
と、佐藤はおもむろに角のギザギザしたカードを取り出した。
あの機械はカードキーの読み取り機械だったようだ。
網膜スキャンやら声紋やらの生体認証は見た事があったが、これほど原始的なものも始めてみた。
恐らくカードの縁の凸凹で見分けるのだろう。よく考えたものだ。
などと感心している場合ではない。
俺はそんなもの持っているはずがない。
前の佐藤のスーツの裾を引っ張るが、佐藤は歩調を緩めない。
もう読み取り機の前に来てしまった。
と佐藤が、
「おっさん済まないな…今日はこのバカがカードなくしたみたいでな…」
守衛室から人の良さそうなおじさんが出てきた。
「なァにィ!?カード無くしたんか!?」
「は…はい…」
俺の顔を嫌な汗が流れる。
「お前…うーむ…しゃーねーな…今日だけだぞ」
守衛は無線で仲間に何やらいいながら機械を停止した。
「ありがとう」佐藤は片手をあげながら機械の前を通りすぎ、俺はおたおたとそのあとをついていく。
ずいぶんと綿密な手を考えてくれるじゃないか…
俺は心中で毒づいた。
次の朝。
俺は軍事課にいた。
寝不足の目をこすりながら資料を整理する。
確かに昨日の調査は空振りに終わったが、全く収穫がなかったわけではない。
資料には京橋は2038年に官公庁に移ったとある。
一体どこの施設に行ったのだろう。
プログラミング関連の研究施設に行ったのだろう。
人事部の資料が必要だ。
一体どこに行けば手に入るだろうか…
俺は頭を抱えた。
ともかく仕事を始めるとしよう…
外務省地下2階。
俺の身長よりも高い書架を見て俺は頭を抱えた。
「おい…」
「ん?」
「どこを探せばいいんだろう?」
「俺が知るか」
「そう冷たくしないでくれよ…」
「…まあ取り敢えず流れた通信衛星の資料でも見るか?」
「それ名案」
「こっちだ」
佐藤は書架の列の外周を壁伝いに進んでいき、5列目で止まった。
「それにしても随分と多い棚だな」
「だろう?おれもはしまでいった事がない…ええっと…あったぞ。こいつだ」
佐藤は木製の分厚いファイルを俺に寄越した。
現在地球の衛星軌道を回っている使用可能な衛星をまとめたものだ。
俺は各ページから突き出す付箋を頼りに通信衛星のページを出した。
「こいつだ。半年前に流れた奴は」
佐藤がページの一角を指さす。
「GPS内蔵通信衛星。2048年型光無線通信方式。イリジウム5号(米)」
そしてこの項目を大きく横切るように「使用不可」の長方形ハンコが押されている。
「これ、今地球上を回ってる衛生すべて網羅してんのか?」
俺は疑問に思って聞いてみる。
「いや、全部じゃない。天文台やらなんやらで血眼になって探した成果がそれさ。半月に一回更新されるよ」
だとしたら今発見されている全部の衛星がここに載っていることになる。
だとするとこのファイルは明らかに何かが抜けている。
「そうなのか…」
俺は付箋を順番に見ていく。
通信衛星、化学衛星、地球観測衛星、生物異性、航行衛星…
これには、明らかに足りない項目がある…、
と、そこへ、
「おお!こんな所にいたかあんたら!」
さっきの守衛のおっさんだ。
「いやあさっきあんた、カードキーなくしたっつってたろ?今回だけ特別に再発行してやるから、省員カードを見せてみな」
「え…?」
俺は固まる。考えても見なかった。
一応外務省の正面玄関は文科省の省員カードで通れたが、ここは訳が違う。
固まって脂汗を流す俺を前にして、
「お?どうした?流石に省員カードなしでは行ってきたわけじゃないだろ。ほれ早く…これは特別だからあんまり他所に知られたくないからな…」
また佐藤の悪い冗談ならいいと思い、すがる思いで佐藤を見ると、なんと静かに笑っている。
「どーすんだよ!!」
小声で佐藤に話しかけると、
「いいか、俺の言うとおりにするんだ」
なんと頼もしい。
「わかった」
「いいか?」
佐藤は不敵に笑う。
「正面玄関まで走れ」
私は走っていた。
正面玄関を抜ける。
1回の廊下を走り抜け、軍事化に入る。
「遅れましたッ!!」
叫びながら入ると、菅野が呆気にとられてこちらを見ている。
「どうした…?」
「へ?」
「今日は課長休みだから遅れても何も言われんぞ…というか10分前ってお前にとっちゃ遅れてるのか?」
「ええ遅れています。と言うかなんで今日は遅れてないんですか菅原さん」
何気に失礼なことを言われたが、気にしないことにする。
「…ともかく、遅刻するような時間じゃないから安心しろ。」
竹崎は自分の机の書類の整理を始めた。
「課長今日もお休みなんですか…」
「ああ。昨日だけだったはずなんだけど急遽今日も取ったらしい」
「ふーん…」
俺はふと思いついて
「おい竹崎、京橋良二っていう電子学者知ってるか?」
竹崎はしばらく考えた後、
「うーん…どこかで聞いたことはあります」
俺は机から身を乗り出し向かいの竹崎に顔を近づける。
「知ってるのか!?」
「いえ、知りません」
そうか…俺は席に沈みこんだ。
「でも…」竹崎は続ける。
「課長に聞いてみてはどうでしょう?」
その手があったか。
「ありがとう。聞いてみる」
課長の有給の期間は何時になるだろう。
1日だけのはずが2日に延長されたということは、明日も休みかもしれない。電話という手も考えたが、最近電話線の劣化が酷く、まともに通じないそうだ。
仕方ない。課長が来るのを待つことにしよう…
「はあ…はあ…」
俺と佐藤は外務省を抜けしばらく走った後、二条城に駆け込んだ。
外務省をはじめとする仮庁舎は京都市庁舎周辺の昔の大学キャンパスの校舎を使用している。
京都御所や、二条城などの集まるエリアだ。
政府関係者に交じって観光客や富裕層も多い。
特に二条城は紛れるのにうってつけなのだ。
「なぁーにが『俺の言うとおりにしろ』だぁ!ばああか!」
思わず佐藤を怒鳴りつける。
佐藤は申し訳なさそうに
「いやあ…すまんすまん謝るからさ…」
小声でつけ足す。
「さあレストランへ行…」
「いくわけなかろうがぁ!ばあああか!」
「何もそんなに言うことはないだろう!昨日の今日で押しかけてきたのはどこのどいつだ!」
「うっ…」
「そもそもあんなにうろたえて脂汗なんてながしやがって!あんなんじゃ普通に町歩いてても補導されるわ!」
「いや…そこは…」
「もういいから」
「はい…」
なんだか立場が逆になっている。俺はうなだれた。
「レストラン行くぞ」
「行くわけねえだろうがああ!」
そこだけは譲るわけがない。しかし腹が減った。
「…どっかの喫茶店かなんか知ってるか?」
佐藤はにんまりと笑った。
「あれだけ騒いでおいて…喫茶店くらいはおごってくれるよな?」
返す言葉もない。
「わかった…」
俺はスキップ気味の佐藤の後をうなだれてついていく。
「疲れました」
「疲れましたな」
「昼休みです」
「そうですな」
「どこか食べに行きますか」
「いいですな」
「…」
沈黙が流れる。
軍事課の部屋には疲労で軽く頬のこけたように見える竹崎と座りすぎで軽い腰痛を抱えている俺がいる。
なんだか喋り方もおかしくなっていた俺は軽く腕をまわしてストレッチをすると、
「ちょっと昼飯食べてくる」…竹崎の顔は恨めしげだ。
どこに行ったものか…
軽くぼんやりした頭で歩いていく。
適当な食べ物屋はないものか…
確か近場に蕎麦屋があったはずだ。今日はそこでいいか…
と思った矢先。
「どうした?覇気がないようだが」
面倒なのが来た。俺は内心舌打ちした。
野田だ。
俺と同期のくせにいきなり出世コースまっしぐら。我らが「本店」文部科学省の出世街道のスタートを切ったらしい。
噂だと、もうすでに4、5年先の先輩連中をごぼう抜きにしたとか。
科学技術、学術政策局局長補佐。聞こえはぱっとしないが、初等中等教育局の高官になるとのもっぱらの噂だ。
そして省内でも指折りの情報マニアでもある。
京橋良二のことも知っているかもしれない。
仕方ないとあきらめ俺は野田と蕎麦屋の暖簾をくぐった。
ふう…
俺は喫茶店の座席に腰掛けた。
ずいぶんと古風な喫茶店だ。
ぼんやりとした明かりで薄暗い店内の天井を錆びついたファンがぐるぐる回っている。
やってきたウエイトレスに佐藤はカレーと紅茶(何とこれだけで1200円だ)、帰りの切符の金が心配な俺はコーヒーを頼む。
「さて…」
俺はファイルの内容を思い出した。
「あのファイル…明らかに載っていない衛星があったよな」
佐藤は少しポカンとして、
「うん?何が足りていなかった?」
「軍事衛星さ」
戦時中、世界各国はこぞって軍事衛星を飛ばした。
GPS衛星を所有している各国が急遽それを独占して使用し始めたためだ。
また国家間での共有衛星(EU諸国は特に多かった)もほどなく撃墜され意味をなさなくなる。
かくして地球上空は人工衛星で埋め尽くされることとなった。もっともそのほぼすべてがまともになされていない軌道計算や周辺の衛星との衝突、さらに稚拙な技術によって終戦して半年後には半分になった。
「流石に一つも見つからないってことはないだろ」
「いや、いまだに一個も見つからないらしいよ」
「馬鹿な」
「第一望遠鏡で人工衛星を探すなんていくら打ち上げ情報から座標を逆算したからってそうそう見つけられるもんじゃない。15年もかかってファイル一つなんて笑わせるじゃないか」
佐藤は半ば投げやりに笑った。
「またあそこに入るのは無理だな…」
「まあそうだろうな。警備しばらく厳しくなるだろうし」
「なああのファイル、そっちで調べてくれないか?」
佐藤は一瞬固まり、
「おいおいよしてくれ。ただでさえ他省の人間を入れて置いて…」
「あのカード個人識別能力ないだろ」
「うっ…気付いていたか」
「内の省でも一度導入話が持ち上がったからな。結局頓挫したが」
佐藤はしばらく外の往来を眺めた後、
「わかった。ファイルが更新される都度に確認しておこう…」
「ありがとう」
「ただし!」
佐藤は指を一本立てて
「例の食事、奢れ」
「いや俺は帰りの切符が…」
「俺の知り合いに静岡に行くやつがいた。明後日だ。乗せてってもらえ」
「知らない人と車に乗るのか?それはちょっと厳しいな…」
「いや、大丈夫だ」
何故だ?首をかしげた俺に佐藤は
「まあ帰るときにわかる。明後日だ。今は奢れ。でないと仕事は受けん」
俺に選択の余地はなかった。
「キョウバシリョウジ?」
きつね蕎麦をすすりながら野田は聞いてきた。
「京都の京に、橋、あの木へんのほうのやつ。んで『良識』、そう。良いの良、漢数字の二だ」
「いや漢字のことを聞いたわけじゃないんだが。んでその京橋良二がどうしたのだ」
「いやなんとなく気になってな。何でも天才プログラマーだったらしいんだが…誰だか知ってるか?」
「知るわけないだろう」
「そりゃそうか…」
どうやら無駄足に終わったようだ。俺は軽くため息をついたが、
「まあ…折角聞いたんだし?俺もその京橋良二について調べてみるかね」
俺は喜んで顔を上げた。
「頼めるか?」
「うむ。こちらにも興味があるしな」
「ありがとう。なんかわかったら教えてくれ」
「それにしてもなんでそんなに興味を持ったんだ?」
「うーん…」
言われてみれば俺にも何故だかわからない。
「まあ、成り行きだな」
「有給…もう二日いただけませんか?緊急の用事が入ったもので…」
「なに?緊急の用事?まあわかったけど何それ」
「それがですね…あっ…」
電力・電波規制の時間だ。俺は喫茶店の公衆電話から出ると、
「有給は一応取ってきた」
「そうか」
「おかげで今年は休みが取りにくいよ」
俺は苦笑した。佐藤はおどけて
「こっちもだぞ」
「嘘つけ。そっちは仕事なくなっただろうが」
二人で軽く笑う。
佐藤は空っぽのさらにスプーンを置いて
「さてそろそろ行こうか」
「そうだな」
「まあ明日は京都を案内してやるよ。もう名所なんてほとんどないがな」
「楽しみにしておくよ」
「くそ…」
俺は電話を置いた。
「しまった規制の時間だった…」
電話をかけ、京都の友人の家につないでもらおうと交換手に頼むと、「御掛けになった地域は、現在電波電力規制を行っています。終了時刻を調べましょうか?」とぐぐもった声で言われた。
大都市特有のアレだ。
「しっかり発電所整備しろよ行政…」
それをつかさどる国家公務員である彼はため息をついた。
しばらくあきらめるしかなさそうだ。
次の日。俺と佐藤は京都観光に繰り出した。
もちろん金がないので外から見て回るだけだったが、それで充分だった。
国内に修復を請け負える職人はほとんどいなくなったため、各寺社はまともな修復を受けられず、「後世の技術に託す」という政府の旗印のもと、各建築物の設計図を子細に記録した「原典」が作られ各歴史建造物は見る影もなかった。
まあ俺も昔修学旅行で見た程度だったが、蒸気機関の排煙によって煤だらけになったそれを見たとき俺は少し悲しくなった。
一通り見て回り、佐藤の家に帰ってきたのは午後8時ごろだった。
取り敢えずここ2日間もいきなり泊めてもらった礼を言い、奢らされた恨みを言いながら軽く酒を飲んだ。
程よく酔ってきたところで近くの時計塔から9時の鐘が鳴ってきた。
この町では3時間ごとに鳴らされるこの鐘が時間を知らせる。
静岡にもあったがいかんせん人力なので音も小さくあまり聞こえない。
酒のせいか軽くけだるくなった空気の中、俺はバックからノートパソコンを取り出す。
佐藤はそれに気付くと
「お前まだやってたのか…それ」
俺の日課のようなものだ。なんだかよくわからないが延々ワープロソフトに文字を一定の規則でうちこみ続ける。それだけ。
成り行きで始めたものだったがなぜこれが日課になったのか、また何の意味があるかは俺にもわからない。すると周りは酔狂な奴だという。
まあそうなんだろう。
「そんなぼろぼろのノーパソでよくやるよな」
確かにキーは印字がかすれてほぼ見えなくなっているし、妙な音も鳴りだしているが、そのたびに裏で出回っている部品を購入して修理してきた。
キーもいくつか取り換えたので、黒いキーボードはピアノのようにいくつか白い。
「こんな奴だけどうちの省で使ってるやつよりスペックいいんだぜ」
佐藤は笑って
「そりゃそうだ。劣化防止加工、2050年代の液晶画面、象が踏んでも壊れない頑丈さ(確か当時は実際に像が踏んずけるCMがあったはずだ)しまいにゃ大容量バッテリー。当時から見ても数十万円単位のシロモノだからなこれは」
俺も苦笑すると、佐藤はおどけて
「普通なら国に接収されているところだぞ?いいのか公僕さんよ?」
などと言っている。酒の勢いもあるのだろう、二人で声をあげて笑った。
「ともかく明日でお別れだ。せいせいするよ!」
佐藤は新しい瓶を冷蔵庫から持ってきた。
「はいはい悪うございましたよ」
といいつつ二人で酒を飲み始めてしまっている。
2時間もすると佐藤の家はいびきしか聞こえなくなった。
「だあー疲れたーぁ!」
俺は布団に倒れこんだ。
結局昨日は資料を死ぬ思いで集めて終わった。
「調べてみるが、何にも後ろ暗いところのない個人を…しかもどこに行ったのかもわからないような個人を調べるのは至難の業だ。細かい生い立ちやらなんやらはそちらで調べて置いてはくれまいか」
などと野田が言っていたところを見ると、相当厳しそうだ。3か月…最悪半年は見ておこう。
まあ慌てて調べるものでもないし、仕事も目下資料の内容を砕いて一つの報告書にまとめるための資料集めの段階なのでいかんせんそちらに手を回す余裕などない。
かなり長くかかりそうだ。
俺はひとまず着替えてシャワーを軽く浴び、歯を磨いて寝た。
目覚ましをかけ忘れて。
うう…
ううう…
どこからともなく唸り声が聞こえる。
ううう…
うるさい。
うう…
目を開けるとそれが自分の口から出ていることに気が付き、次に自分が酷い二日酔い状態であることも確認した。
頭がぐらぐらする。一歩も動きたくない。頭が痛い。吐しゃ物が喉元までせりあがってくる感覚がある。気持ち悪い。
顔を上げると、ちょうどソファーの上の佐藤がもぞもぞしているところだった。
どうやら俺は机に突っ伏して寝ていたらしい。
かなり飲みすぎたようだ。
ともかく今日は佐藤の言う「知人」氏に乗せてもらって帰る日だ。
佐藤いわく、出発は12時だという。
時計は10時を指していた。まだ大丈夫そうだ。
ジリリリリン…
電話が鳴っている。
俺は布団から手を伸ばして外をまさぐった。
受話器を取る。
「はい?」
「はいじゃないですよ何やってるんですか」
竹崎の声だ。
「おお竹崎。おはよう。ずいぶんと早いな」
「もうおはようじゃなくてこんにちはの時間です」
俺は布団を跳ねのけて飛び起きた。
枕元の電話機が足元に垂れさがり、ベルが足に当たって軽く鳴った。
「今何時でしょうか竹崎さん?」
「はい。11時ですよ萱野さん」
「…すぐに行きます」
「はいよろしくお願いします」
ガチャっと一方的に電話は切られた。
俺はぼんやりとした頭で荷物をそろえると、京都駅から汽車に乗った。
行先は南京都。旧大阪府摂津市のあたりだ。線路は昔の名神高速道路の高架を使って通されていたが、大きな分岐(恐らくインターチェンジだったのだろう)を通り過ぎてからは地上を走り始め、次第に地面が荒れ始めた。
大阪府の梅田駅のあたりに落下した神の杖は、20kmのクレーターを作り海水が流入、とどめの2発目で完全に旧市街地は海底に没した。
爆風は周囲の山脈に当たり、琵琶湖方面に淀川をさかのぼって行き、京都の八幡市あたりまでの建物をすべて吹き飛ばした。
京都では全壊、半壊の家屋が数知れず文化財の多くが失われた。
大阪府は北は豊中市、南は堺市までが完全に水中に没し都市機能が失われたため、現在は京都府や周辺府県の管轄下にある。
旧摂津市は京都南にあるため南京都と改名、現在は東と九州へ通じる港町として栄えている…
という話を佐藤から聞いたのは南京都駅に重たいトランクをおろした時だった。
改札を出ると潮の香がした。海は近いようで、石造りの建物がちらほら建っている。静岡でも見かける洋館風の建物だが、塩で錆びるのかドアノブでさえ石でできている。
「ということは俺に船に乗れと?」
「ああ。知り合いの上司が出張予定だったからチケットを自前で撮ったらしいんだが、省のほうから公用機を出すといってな。不要になったからもらったというわけだ」
「ちなみに公用機というのは?」
「G900」
聞いたことのない飛行機だ。
「戦闘機かなんかか?」
「違うよ。お前なら聞いたことあるだろ。いわゆるガルフストリームってやつだ」
それなら聞いたことがある。セレブやら政治家やらが国を移動するときに使う個人所有もできるジェット機だったはずだ。
「どうしてそんなのを国が持ってんだ」
「そりゃ接収したからだろ」
そりゃそうか。
「さてそろそろ着くぞ」
そういったとき、石造りの街が突然開け、海が出てきた。
「これは…」
言葉を失う。
「驚いたろ?まだ一部しか復興してないんだ」
開けた海岸は、ちょうどCの字に湾ができており、俺たちは湾の入り口のちょうど反対側にいた。
俺たちの立っているところはきちんと舗装されているが左右の海岸は高層ビルの残骸だったり、崩れた高速道路であったり…が布に覆われてはいたが残っていた。
「日本中こんな感じさ。政府は昔の首都圏周辺を頑張って復興させているようだがね」
「政府主導の復興政策もこんなものか…」
「まあ仕方ないさ。むしろ関西と東海、関東を結ぶ航路を開いただけでもましかもしれない」
俺は海の上に目をやった。
クレーターに海水が流れ込んで作られた湾は端に行くほど浅くなっており、船を止めるには適さないため、長い桟橋がかけられている。
その桟橋の一番端に一隻の船が煙を吐いて停泊していた。
そのシルエットにデジャヴを覚える。
「おい」俺は佐藤の肩をたたく。
「ん?」
「あれ内輪蒸気船だよな?」
「そうだよ。結構最近の船なのに何で知ってんだ?」
「だってあの技術提供うちの省でやったんだから」
「そうだったのか。まあそっちもあながち遊んでるわけじゃないのか」
「担当が俺だった…かなり大変で半年くらいかかったから図面まで覚えてるよ…」
「すごいなそりゃ」
などと話しながら歩いていると船の全容が見えてきた。
見た目はただの船なのだが一番の特徴はやはり船の真中についている2個の円盤だろう。
中に巨大な車輪が入っており、外輪船と同じ機構で動く。
車輪は前と後ろにそれぞれ一つ、真中にもう一つ横向きで接岸用の車輪が付いているが外からは見えない。
「いやあでかいなあ」
「お前が作ったのに見たことないのか」
「そりゃ図面だけだからなあ」
まさかこんなにでかいものになるとは…
船尾に取り付けられた煙突から煙が噴きあがっている。
汽笛が鳴った。
出港時刻が近付いている。
「んじゃ、そろそろ乗るわ。時間もないしな」
「ん。わかったよ」
俺は佐藤に軽く手を振ると、タラップをトランクを引きずりながら登って行くと、そのまま船内に入った。
この船の船室は基本的に船の中に作られている。
船体を貫くように配置された巨大な車輪の周りを取り囲むように部屋と廊下が配されているのだ。
この船の設計図は死ぬほど見てきたし、配管まで技連の役員連中と会議をしたので大体わかっている。
チケットを見ながら船室を確認する。
「4等船室は…こっちか」
流石に俺も船室番号までは覚えていない。
4等船室は2等や3等とは少し離れたところにあるようだ。
3等船室に向かう人の波から外れ、俺は4等船室に向かう。
なぜか4等船室に向かう人は皆無だった。
----------------
デスクの上の電話が鳴った。
男は受話器を取る。
「はいはい…ああ、君か。ああ、チケットなら大丈夫だ。4等船室の費用なんてどうということはないよ」
…
「うん?ガルフストリームの乗り心地?そりゃあもう…流石は国費だね」
…
「うん。うん。それじゃあ」
男は秘書の方をむくと、
「4等船室は全部抑えたんだよね?」
うなずく秘書に彼…文明再興省大臣はにっこりと笑った。
「よろしい。後は海上で抑えるだけだね」
大臣は伸びをすると、呟く。
「さて京都で起こした騒ぎについて聞かせてもらおうかね」
----------------
部屋に荷物を置くと、船は汽笛を鳴らして出港した。
俺は慌てて甲板に上がる。佐藤が港で見送っているだろう。チケットをまだ手に持ったままだったが部屋に戻る暇はない。
ほかの乗客も甲板に上がり離れていく港を見送っている。
俺は港から見送る人たちを見ようとその人たちを押しのけた。
下には見送りの人が固まっており、佐藤はその中ほどできょろきょろしていたが、俺を見つけると手を振りながら口で何かを伝えようとしている。
「そ」
「の」
「へ」
「や」
「ま」
「と」
「も」
…後は船が桟橋から離れすぎてみることができなかった。
そのへやまとも…
一体何が言いたかったのだろうか。
甲板で考えながら部屋に戻ろうとすると、一人と肩がぶつかった。
「おっと、気をつけて歩いてくれ」
慌てて顔を上げると、ぼさぼさ髪で、リュックをしょった男がこちらを見ている。
「おっと気をつけてくれ」
俺は謝って通りぬけようとしたが、直後呼びとめられた。
「おい。チケット落としたぞ」
気が付くとさっき手元にあったはずのチケットがない。
ぶつかった拍子に落としたようだ。
俺は慌ててさっきのぼさぼさ髪に礼を言った。
彼はチケットを一瞥すると、
「おお!君も4等か!実は私もなんだ」
フレンドリーに近づいてきた。
背は俺より少し高い。180はあるだろうか。
「ええ。私も4等なんです」
「びっくりしたなあ!何せ4等船室の近辺誰もいないんだもんな」
「この船にはよく乗られるんですか?」
「いんや。今日が初めてだ」
と、男は少し体をかがめて、
「おい、4等ってそんなに不人気なのか?」
そんなことを言われてもわかるわけがない。
「わからないですね…」
「ふうん。まあいいや。昼飯でも食いに行こうぜ」
「はい」
思わず返したところで、はたと気づいた。
俺はこの男の名前すら聞いていないのに昼飯を食いに行く羽目になっている。
これはよくない。
「あの、まだ、名前を…」
そこで俺のお腹が鳴った。
「ハハハ!まあともかく食堂行こうや!な!」
俺は仕方なくついていくことにした。
「一応調べてみたぞ」
野田は手帳を取り出すと、それを開いて読み始める。
俺はこの手帳の中身を見たことがあるが、全く白紙であった。
時間は正午。件の蕎麦屋である。
一体何を呼んでいるのだろう。
「一応ウチの人事課に頼んで『京橋良二』なる人物を調べさせてもらった。結構大変だったんだぞ」
「すまんな」
「まあこっちも興味があるからいいけどな」
「んで?どうだった?」
「んーとな…まず京橋良二ってやつの生い立ちからだな…」
野田は話し始めた。
「まず、生れは東京だ。しばらく東京で暮らしていたらしいが、戦争の時出された東京疎開令の時に仙台に引っ越している。どうやらそこで両親は衛星兵器で殺されたらしい。街ごと吹き飛ばされたと」
野田はちょっと顔をしかめた。
開戦直後、中国軍は上陸のために北九州の佐世保に例の兵器を落とした。
しばらくして対馬沖にもう一発を落としたが、謝って中国軍上陸部隊を吹き飛ばしてしまったらしい。
慌てた中国軍は、次の年から次々と政令指定都市に攻撃を始める。
まず静岡。名古屋、広島、大阪、札幌、仙台、堺、神戸、福岡、熊本
そして大阪にもう2発、東京にもう3発。
中国軍が本格的な上陸を始めようとした時。
欧州大戦に便乗し東欧を併呑したロシアがが南下。中国は大混乱に陥る。
中国もロシアによって沿岸の経済特区もろとも吹き飛ばされ、再起不能に。
ロシアもウラジオストクに始まり、国籍不明の衛星攻撃によって大都市を攻撃され、戦争継続は不可能となった。
日本にしてみれば九死に一生を得たといったところだ。
野田は続ける。
「戦時中に大学を卒業して、JAXAに入ってるよ。衛星のプログラムを開発する部門だな」
そこまではわかっている。本当に知りたいのはその先だ。
「戦後に京橋は官公庁、神楽坂はNASAに入ってる」
「官公庁?」
「そこまではわかってないが、技術者が戦後集められた官公庁と言えば…」
「まさか」
「文明再興省だろう。かなりたってるから大臣クラスになっているんじゃないか?」
「いやあ、ここの食堂は広いなあ!」
「そうですかね?」
出港してからしばらくしてからの船内。
よくわからない男に食堂に引きずられ、券売所で食券を購入(なぜかおっさんは食券を見たこともないらしく、大興奮だった)し、今に至る。
昼飯時にはまだ早く、客はまばらだ。
食堂自体は比較的小さくまとまっており、「さっさと食べて外へ出る」ことができるように設計した…ような気がする。
流石に海軍ほど狭くはないが旅客船にしてはかなり小さいはずだ。
そんなことはどうでもよい。
誰なんだこいつは。
「ええと…んであなたは誰なんですか?」
「俺か?俺は…」
男は一瞬考えた後
「アメリカ人のスティーヴン ・バーカーだ。よろしくな!」
俺は彼の差し出してきた手と握り取り敢えず握手をした後、相手の言ったことを考え、驚いた。
「なんだって日本に?」
彼は肩をすくめて
「観光できてたんだが、フネがなくなっちまってな」
「フネ?」
「なんつーんだ?センパク?リョカクセン?自体がなくなってるみたいでな。いやまいった」
「どういう事です?日米間の定期船なら3か月に一回は出ているはずですが」
「俺もそう思ってコウベあたりまでいったんだが、ないって言われたんだ」
「ちなみに何時の事です?」
「ええと、半年前だ。確か。んで次のは来るんじゃねえかって思ってまた言ってみたらこのザマだ」
俺は何か引っかかりを感じた。
半年前…?
半年前、何かあった気がする。
「本国と連絡は?」
「それが外務省に聞けって言われたんだがタライマワシだ。使い方、あってるよな?そうか。よかった」
「外務省が国際電話を切っている…」
「まあそういうことだろう。『善処する』って言われてからもう5ヶ月たつがな…何でつながらないのやら。電波がストライキでも起こしたか?」
そう言ってスティーヴンはHAHAHAと笑っている。何が面白いのかさっぱりわからんが。
「電波がストライキね…」
そういえば、衛星が落ちたのも半年前ではなかったか。
『何せ最後の衛星が寿命で流れてね…』
俺ははっとした。
テクニック・リバイバル
後篇です
できたら完結させます