dream soldier
・・dream soldier・・ 1
俺が夢を見ているらしい事に気付いたのは、ふとした事からだった。
いつも俺の傍に居る筈のサラの姿が無かったからだ。
俺の手は空で、ただパンツポケットの中に仕舞われている。
この匂いは何と説明すればいいのやら、何か昔から知った煙草の物の気がする。
JPS、そうだ。
親父の吸っていた奴の匂いだ。
耳障りでも無い鈍い音が鳴り響いている。俺の住むボロアパートのあの騒がしさとは全く別物だ。
自分が今、何処にいるのかも、いつから夢を見ているのかも分かりはしない。
ダルい感じだけが身を浸蝕しきり歩いている。
俺自身がまるで煙にでもなっちまった感覚。それだ。その感覚だ。
よく覚えておこう。よく分からんが、俺は身に染みるこの感覚を、この身にしっかり叩き付ける。
手に何かを持っているわけじゃねえ。
それに、ぼやけた暗闇の中を漂うかの様に深海魚めいて進んでいて、いやそうじゃ無い。鬱蒼とする灰色の闇に覆われたジャングルの夜を練り歩く獣の様に。
だが軽快に歩く。泡みてえに無気力の中。
全く先行きの事が掴めない。
サラがいない事での不安が第一に大きい。
あいつはまだガキで、あいつの母親はろくでもねえ糞最低な女だ。だから最近さらって来た。
それからはずっと俺の傍から離れる事なんか有りはしなかった。
あの女は俺の娘にむごい事しやがって、許せる範囲なんて当に越えていた。
目覚めなけりゃ、サラがさらわれちまうんだ。
俺の手は辺りを掴もうとしている。的確に真っ直ぐ掴み、力をつけ歩き進んだ。颯爽とか。
地に足がそれでも、しっかり着いていない妙な感覚で夢の中を歩いている。
強制的に目覚める方法も全く思いつかないまま、つまらん夢を見ている。しばらく続くだろう予感だけはある。
続いてもらっては困る。
灰色の濃い街並みに、緩く吐き出されたかの様に出て、赤信号が灯り、昼のくせにブレーキランプの列が数台分、自棄に濃い。
俺はどうやら毛嫌いする煙草を口にくわえている。医者にいい加減止められていると、身体は知っている。
俺はそんな事は気にもとめていないのか、気持ち良さ気に吸っている。空の汚染物質を。
横断歩道の白が自棄に、輝く程白く見え、そして建物の窓一つ一つが暗い。
車の中から誰かが俺を呼び止めるが、俺はシカトでもしているのか、全くぼやけた視線と聴覚が身体の中で繋がって無いんだか、そのまま歩き続けた。
車の中の男には見覚えは無い。そいつは舌打ちして車を走らせて行く。
青信号に俺は飲み込まれる様に進んで行く。
何だこの感覚は。別に酔っているわけでも無ければ、薬がキマッてるわけでも無い。
そうだ。これは、元がこういう感覚の人間、屑の部類の人間の頭の中だ。
そういう類の人間を身近で一人知っている。
JPSの匂い。俺の親父だ。
・・dream soldier・・ 2
妙な夢だ。
俺が15の時に殴り殺しちまった親父の頭の中にでも入り込んだ夢を見ている。
そこまで俺は親父を分かっていて、親父の記憶がこの脳味噌に根付いていただろうか。
ただ、黒のパッケージと、印字と同じ金色のウィスキーと、暴力的な目と無口な所しか知らない。
親父は声を完全に潰されている。その肉声なんて潰される前に数回聞いた程度のものだ。
とにかく、俺は親父が大嫌いで親父の全てを否定したくて仕方が無かった。
親父の吸う煙草の匂いだけは嫌いじゃ無かった。
元からおふくろは親父をシカトして何もしなかった。メシさえ手前で作らせていた。
夫婦の間は夫婦というより「契約上」の三文字が浮かんでいる様に見えた。
それが一体何なのかは分からなかったが、紙切れ一枚で決まるも同然の結婚っていう定義とは大差無いと、それだけ思って両親を見ていた。
毎日親父が何を思い過ごしていたかも何も知らなかった。
まるで見てはいけない獰猛な鮫のようだった。
顔だけは良くて二枚目の親父だった。
やくざ関係の人間だったらしく自棄にアパートに来る仲間ってのは嫌な感じのする奴等ばかりで、お袋は迷惑して過ごしていた。
何か話すわけでも無い親父を相手に、勝手に武勇伝やら何やらの近状を話してマージャンやっていた。
何時でも親父は何も聞いちゃいなかったんだか、無関心な顔して口の端に加える煙草の先の牌を器用に操っていた。
仲間の語る無価値な話に適当に相槌打ってるだけだった。
親と俺が住んでいたガキ時代の四畳半のアパートは、下っ端のペーペー共の溜まり場だった。
俺にとって親父という存在は不可解で、不愉快にしか映らなかった。
細い造りだが頑丈な四肢で、あばらが浮いているくせに腹が割れていた。
どこにでも見るような二重の整面のちんぴらだった。
別に俺に暴力的だったわけでも無ければ、肩で風切って生きて来たわけでも無い。
まるで親父自体が大した自意識も持たない煙の様な物だった。
俺だって別段、ガキ時代から親父にふざけてでも殴りに掛かろうとか、蹴りに掛かろうとした事なんかありはしなかった。
いつもお袋と親父の中間でボールをミットにシュートさせるのを続けていた。
そんな親父の事を何故殺しちまったのか。別に、やはり同じく何かが起きたわけじゃ無かった。
大嫌いだったが、否定したい存在でもあったが、訳分からん親父が俺には情けなく見えて仕方なかった。
親父の、俺に与える印象、雰囲気全てが不気味に恐くて仕方無かった。
=男=として生きて行っていいのか、存在していいのか、余りに哀しくなって来たからだ。親父が哀れな存在にしか、息子の俺には映らなくなっていたからだ。
親父を、ふいに殺そうと思った時の俺は泣いていた。情けなくもべそかいていた。
・・dream soldier・・ 3
初めて、親父がその年、ふと顔を上げて俺を見上げた時だった。
晩飯も終っていつもの指定の窓際で親父は細長い片足を立てJPSを吸い、ウィスキーをグラスに注いで点滅する外の夜の下の風景を見るでも無くぼうっとしていた。
もし何か考えてたとしたら、わけわからん事だったのかもしれない。
夜は狭く、薄汚れた界隈の下方は派手さの無いネオンが、踏み切りの赤と共に灯っていた。緩い風だった。
その時期の蜻蛉が薄い羽根で若緑色で行き過ぎた。
電話でまた奴等が来るってよ。今日はあんたにいい酒持ってくって。そうお袋が言って親父は聞く気も無いんだか、何の表情も変えずに吐き出す煙の先の街を見ていた。
いきなり立ち上がった、しかもべそかき始めた俺を見上げた親父の顔は、何を考えているのか全く読めなかった。
俺は何時の間にか持っていた鉄バットで親父の横っ面を一殴りしていた。同時に薄い窓カラスも共に割れて激しい音と鈍い音が響いた。
殴られる瞬間の親父の目は、瞬時に見開いた。何でだ、そういう目だった。
同時に、そうか……。という目の様にも感じた。
血が流れてそのまま何回も殴っていた。俺の顔は涙と鼻水で歪んでいた。振り上げるバッドは鈍い音を立て続け血が雫みたいに舞った。
お袋は茫然とゆっくり立ち上がり、空虚の目でただ涙流して俺達を見下ろしていた。
親父が動かなくなってても殴り続けていた。飛び散る以外に余り血は流れずに、俺の蒸せた熱気の匂いだけが鼻をつき続けた。
武流さん!!!
入って来た親父の仲間共が俺をぶん殴り止め、親父を見下ろした。割れた大吟醸の瓶が駆け込んだ男達の革靴に跳ね返り、透明な液体は流れ始めた赤とマーブルみたいに混ざった。
ぐったりして親父は死んでいた。
騒ぎを聞きつけたアパートの住人は警察に通報したんだろう、すぐさまお巡りが来て俺は連行された。
少年鑑別所に、親父がいただかっていう所のカシラが出向いて来て、俺の目を見据えて来た。
俺に一言言った。タケの奴と全く同じ目していやがる。だが、てめえは馬鹿な野郎だ。
重そうな身を返してそれだけ言って帰って行った。
その後、お袋も姿を全く見せる事も無く俺は一人取り残された。
その時代、少年法だかってのが充分に適応されはしたが、出て来た俺はその身一つでそのまま他の街に行った。
何軒も店回って職を探しては、住み込みで働いた。
あのカシラの言葉と、俺を見上げ、殴られる刹那の親父の顔だけが何時までも俺の頭の中から消える事が無かった。
それが、俺の親父に対しての全ての記憶だ。
俺はまるで親父の視線で灰色の街中を歩き続けている。
172の俺とは違って、187でヒョロリと背の高い親父の視線は俺には新鮮で、その分、今の感覚上不安定でもあった。
一体俺は何処に行こうというんだか、今まで何をして来ていたんだか分からないまま、早く目覚めろ、そう思ってはサラの安全を確かめる事だけを念じている。
それでも全くもって夢は揺るが無いと来る。
足にガキが当たって泣かせても歩き続けている。非難を言うババア共の言葉も全く耳に入っちゃいない。
通る毎に目を反らされて逃げられても全くそのままだ。
要するに、感覚は何も見ちゃいない。ただ足だけがインプットされた場にでも向かう感じだ。
体中のタガが緩くセットされていて潤滑に動き歩いている。
その遠くから見た事ある顔が近づいてくる。
親父の所に来ていた中の一人で、その頃より若い。常のヒゲなんか全く無く、目の輝きの怪しさもまだ弱い。
俺が産まれる前の事だ。
そういう事だ。ここまで来ると流石に妙だ。
そのまま俺はそいつと歩き出した。親父は元から無口だったようで、男の言葉に軽く受け応えするだけだ。
聞いた事のある親父の声より、随分若い気がする。
その連れの男が、他の若い男にぶつかるとドス効かせた声で馬鹿みてえに喚き散らして胸倉を掴み掛かるが、俺はそのまま何も変らず歩き続けている。
連れの男は、待てよ、こらおい!!そう言い若い男に唾を吐き着けてから俺の後ろを追って来た。
まだニ、三若い男の悪態を付いていて、その連れに若い親父の声は溜息をついただけだった。
そして一言、頭の面に泥塗るなよ。くだらねえ自尊心なんざ所詮その程度だ。そう言ってまた口を噤み歩き続けた。
男は何か言おうとして大きく腕を広げたが、開いた口を閉じ、肩をすくめ黙った。
そしてすぐに雑居ビルの間の暗い路地に入って行った。
そうだ。この闇だ。
さっきのぼやけた暗闇は……。
・・dream soldier・・ 4
半端にぼやけた薄暗い路地を歩いて行き、しばらくして上から陽の弱い光が差して来ると、唯一在る突き当たりのパブに入って行った。
黒の看板に白で=蝶=とだけ書かれた看板だ。
昼だが通路が暗い分、早くも黒のプラスティックの中から弱い光が灯っていた。
中は青紫の染み入る照明で、木製のカウンターは黒く、他のボックス席はどれもいかつい革。
カウンターで一人の男が赤ワインを飲んでいるが、それがすごく浸蝕する鮮やかさに思えた。
女達は、どいつも一級品ばかりが3人揃っている。
一人は艶の在る黒髪を細かくパーマ掛け、シルバーのスパンコールは大振のひし形として裸体を包んでいる。その一繋がりに、黒の鋭いハイヒール。黒の唇と爪で、シルバーのブレスレットチェーンが眩しく輝く。ヨーロッパとの混血顔だ。
二人目の女は白人で、淡いブロンドヘアはエレガントにパーマが掛けられ、鮮やかな青のロングドレスで、足の付け根までスリットが入る。色っぽい足を覗かせ。ダイヤの巨大なイヤリングとネックレスが、ピンクの厚唇を引き立てる女は明らかに格が上だ。
三人目の女のスキンヘッドには、黒の墨で=蝶=と入っている。黒の馬毛ビキニと皮ショートパンツに鋭いロングブーツ。俺にはそのスキンヘッド美人が一番魅力的に思えた。
どの女も色っぽく、気だるいまつげの中の瞳で俺達を見ると、中央に囲う男に続くように二人の客に笑い掛けた。
やはり、艶っぽい。
俺はその場の空気を窺う様に、視線を一度ゆっくり巡らせようとするが、親父の身体はそれさえもしなかった。勝手知った場か。
青の女が煙管を置き立ち上がると、相手をしていた男にキスをしゆっくりカウンターへ入って行く。
シルバーブラックの女が、男の葉巻に火を灯し艶の唇でマッチを吹き消した。
俺達は青の女に視線でカウンター席に促され座るが、俺だけがボックス席の男に呼ばれた。今日の事を話せと言って来た。
成功しました。
それだけ言って口を綴じた。それだけで男は満足そうに頷いてみせる。
男が指をパチンと鳴らした音がシンッと耳に響いた。
そうするとカウンタ内の青の女が、上等そうな酒を俺達に振舞った。
俺は一度軽く頭を下げて喉を焼いた。熱が食道を通って胃で乱暴に踊り、首筋が一瞬熱くなり引いた。
男が中に引っ込んでろと俺達に言う。
ヌッと立ち上がって肩を伸ばし奥へと歩いて行く。
耳に着く高いトランペットを拭い去った闇は、目を一瞬綴じた事から来る一瞬の事だけで、再び耳からなだれ込む。
闇と青に充たされる中、連れの男の白目もそれに染まり横目で一瞥してから共に細い通路をしばらく歩くと、スティールドアが出て来て開けた先の階段を降りた。
事務所だ。そういう奴等がその中で思い思いにくつろいでいた。
入って来た俺達に、おう、と低く声を掛け、俺は幾つもあるドアの中の一つに入って行った。
・・dream soldier・・ 5
腰から銃を抜き、分解して掃除を済ませては素早く組み立て直す。
弾を詰め再び腰に戻した。
二丁目の胸元の奴も同様に、そちらはテーブルに放った。その横のガラス灰皿に吸い尽くした煙草をねじり、JPSの渋い匂いがすうっと消え去った。
新しい奴に火を着け、入って来たさっきの連れが、俺等は今から一仕事だ。出るぜ。それだけ言いドアを閉め出て行った。
その時の白の光が尋常でない程眩しくて仕方が無かった。
そうだ。
ここは暗闇だった事に初めて気付いた。
電気なんか全く着けちゃ居なく、窓もなければドアの隙間さえ一筋の光も通さない。
そんな中の慣れ込んだ感覚だ。自由気ままにしていたらしいが、はっきりと暗闇の中の部屋内部が余りに鮮明に目の前に広がっているわけだ。
己の目が完全に開いている事に気付く。半開きでも無く、そして目が安心している。
さっきまでは視野が狭かった。
まるで野生動物そのものの目だ。
夢の中の俺の目か?
それが親父の目?
おぼろげに、下らん事を考えている。声音も無い心の声。そうだ。心の声には音が無いのだ。だから無意識下に考え続ける事が人は出来るわけだ。
白く柔らかい豆腐は一丁、二丁と数えるが、黒く硬い銃も三丁、四丁と数える。俺はその溜めに何を思ったか、さっきの考えの結果、拳銃を噛んでみていた。
豆腐の様に噛み食えるわけも無く、銃口は口の中に入ったまま……。
ソファーに転がった天井を見上げたその先を開いた目は見続けていた。
何の考えも巡っては居ない。無感情のまま、何かだけが動いているかの様に。その床を這いまわる煙の様に。
死ぬ事を、選ばずに腰に戻した。
そのまま夢の中の俺は、眠りに就いたらしい。真昼間からだ。
・・dream soldier・・ 6
アタシは迂闊に目覚めてしまった。今日は昼の1時まで眠る計画だったってのに。
ガンガン痛む頭はこれがもし氷ならぐだぐだに割れていた事だろう。
高校も終業式。ばっくれるつもりで起き上がると、適当に顔洗って、目の際をぐるりと漆黒のアイラインで囲ってグレーで眉を鋭くぼかした。舌にシルバーピアス通して黒のピアス填めた。
今日はクラブイベントだ。こんな時間に起きてるなんて、馬鹿みたいだ。
制服着てブルーブラックのストレートを引っ張り溶かすと肩にかばん担ぎ食卓でブラック飲んで出た。
父親がいつも怒って来る。そのまま歩いた。
黒メタルのモバイルを出し、連れに連絡取る。落ち合う事にして、銀の朝陽が嫌いになりそうだ。
武流が背後から、姉貴、と言い走って来た。
ダルそうな顔が元々の武流相手にまたアタシは悪夢の愚痴を零した。
今日もまたモグラだ、ムササビだ、猫だ、チーターだ、そういうのになった夢を見てしかも最悪の夢の消え方をした所だ。アタシを溶かそうとでもする純白の溶岩の如く、光が目に突き刺さった。
武流はのん気にも、大変なもんだな。俺はナマケモノになる夢の中で一生怠けていたいね。と言う。
あんたじゃあ無理さ。どうせ夜にもなれば起き出して抜け出すんだ。
昔から一体何処行って帰って来るやら、知らないが朝にはハウスしている。
今から学校蹴って新宿向かうんだけど。何か奢るよ。あんたどうせギター屋に入りびたるつもりでしょ。
その言葉に背を丸め、ニッと笑って高い背を伸ばした武流は、普段は無愛想な何も考えてない様な顔してるが、笑えばどんな男も敵わないわけだ。寡黙な奴だが、女にも人気があった。
いつもぼーっとして何考えてんだか不明だが、哲学的な事でも考えあぐねていそうな気配は、微妙な所を行っている。いわゆる、感情が漂ってでもいるんだろう。
ジャンクフード店横のギターショップにあいつは入って行き、アタシは3人の連れと落ち合った。適当に腹をそれで満たし、ポテトと烏龍茶の袋を持って行った。
闇の中を歩き、自ら木を彫り込んで作ってまでいる弟の前に来て袋を置いた。
何も見え無いってのに、鉋なんか構えてんだから不用意に袋なんか置けば、たちまちギターの中にポテトが取り込まれ奇天烈化する事だろう。
アタシは美樹達の所に戻り、サンキュ、と言ってガサガサ音がした。
家は姉貴が継ぐ。母親はパティシエで、父親は店の店長だ。
姉貴が今、母親が若い頃世話になったっていうベルギーとフランスでチョコラティエの修行に向かっているが、アタシは夢など無い。武流はギタリストが夢だ。
美樹はブランドコスメブースのコスメティックアーティストになるらしい。里香は彫り師になる為に1年前に既に退学して修行している。雅巳は彼氏の地下クラブでダークな女ディスクジョッキー。
夢など無いが、どうせ、そこらへんのパンクショップの店員にでも適当に収まるんだろう。
今日、Kojieが回すんだって。行くんでしょ?
一気に気分落ちる。奴の顔も見たくは無い。狙っていたが、とんだ腰抜けの女恐怖症だった。それを読み取ったらしい。
じゃーさ、BrieDeathならいいでしょ。
流石よくこの気持ちを分かっている。こういう浮かない日はとことん沈むに限る。
日の目を浴びる内は何もかも面倒だ。夜の事すら考えるのは勘弁したい。代々木に向かって、北島がいた。
奴は既に夏休みな頭だ。シルバーアクセを作って売れもしないってのに路上で売っている。また女客を掴み損ね黒のバンダナの下のギョロつく目で悪態付くが、それでも美味しそうに女のケツ睨んでいた。
アタシ等が声掛けると、客じゃねえならさっさと去れと、唯一の客に対して言って来たがそれでも嬉しそうにでかい口叩いて来る。この笑顔に負けてつい買ってしまうって寸法だ。
小さい袋にアクセを詰めながら北島がぼそっと言った。タケの奴、今日もまた来るのか?
は?何の事?
北島が頭を上げてアタシを見上げた。
あいつ、まだキックボクシング続けてやがる。止めてやってくれよ。言うのも渋ったんだが、姉貴のお前が言えば一番だと思ってな。
アタシの顔が凍りついた。もうやらないって決まりだ。中学時代にジュニア予選で相手を殺した反則時、誰の目からももう駄目だって分かってんのに何かが乗り移ったかの様に殴り続けていた。
父親がリングから弟を引っ張り落とした顔は真っ青で、父親は気が違えたんじゃ無いかって程強く武流の頭を叩いては痛めた手を擦った。ただただ、息を切らして自分の息子を見下ろし真っ白になっていた。
母親は気絶だ。姉貴は元から来て無かった。アタシはただただ目の前の光景を観客席から流れ込むままにしていたのだ。
母親が稼いだ金で莫大な慰謝料相手側に払った時、父親は心中を頭に掠めさせた顔をした。
ストレートを翻し、アタシは走った。あいつはたまに、盲目にでもなったかの様になる。ガキ時代からそうだ。
アタシは出会い頭に跳ね返った。外人2人を見上げ、心の中で悪態を付いた。ものの見事に、建物の間に引き込まれた。口を押さえ込まれ、気が遠のいた。
・・dream soldier・・ 7
俺は親父の視野の夢からようやく目覚めると、まだあの暗闇だという事に気付かされた。
肩の力を落とす。
今頃、俺が眠りこける間にサラがいなくなっていると思うと気が気じゃ無い。
ようやく体中の痣も消えうせ、やっとの事笑うようになったってものを。
あのかつての妻は、小さいサラを縛ってメシも大してやらずに泣けば蹴って来たんだと聞いた。
元からガキ嫌いだったものを、あいつは何を思ったんだか離婚後サラを引き取ると言った。
その時はあいつも普通の女だった。俺の二歳年下でコンサルタントの仕事をしていて、金も俺より入って来るし大した美人だった。
それが、いきなりサラは俺に電話をよこして来た。震えていた。助けてパパママに殺される!
俺は即効サラをさらって来た。
あいつは仕事なんぞ辞めていた。他の男が入り浸り、細く白い指に違うリング填めていた。
酒で酔って眠る素っ裸の二人を蹴り起こしたい気分だったが、そのままに気付かれぬ内にサラを抱き上げ出て行った。
即刻住所も変え、県も変えた。それから半年間、ずっと俺達は静かに暮らして来た。
その間中俺は夢なんか見なかったし、常に浅い眠りだった。
俺は眠り込むという事が元々出来なかった。その事は俺を不安にさせるからだ。
=父親殺しあんたが父親なんかになれると思ってるの?=
いきなり俺の頭に飛び込む様に浮かんだ言葉だった。誰の声だ。
一体誰の。
ぼやけた暗闇の中、空気が散乱している気配。あの夢の中のまま。まだ。
これは……、親父自身が思い出した記憶なのか?自分で無い物の記憶など、夢で見られよう筈も無いという物を。
分からない。
違う。俺の方だ。しかも記憶なんかじゃ無い。
実際言われて、いる。
俺は強制的に目覚めさせられた。
目の前に、ニ年前離婚したままのあの綺麗な化粧面があり、その背後にサラが涙ボロボロこぼしていた。
俺の顔にメントールのきつい煙を思い切り吹きかけ、狂ったメス猫の様に高く笑ってから、一瞬で切れた顔になって俺の頬に女の膝が飛び、歯が舌でなぞると五本はぐらつくだろうか。分からない。
女の今の男がサラの横に突っ立って、嫌がってるってのに煙草の先近づけたりしていた。
俺は叫びたくても全く声が出なかった。動きたくても動けんのだ。自分の血だろう、目が染みる。
男の手には割れた瓶が握られ、それで俺を殴り倒して来たようだ。まだ中に残るビールを破片毎口に流し込み、口から血が出ていようがお構い無しな目をしていた。薬をしこたまキメているらしい。
不覚だ。こいつに気絶させられた内にサラを奪われちまった。
サラが奴等の手の中に入れられちまう。
細い針金が身に食い込み、全く身体が動かない。
搾り出す声が、遠くに聞こえる……。
まるで、俺の声じゃ無いみたいだ。
違うこれは……、
親父のうなり声だ
ガッ
やめて武流!!!
武流はいきなり父親に殴りかかった。
ごろつき共に犯されたアタシを父親が罵ったからだ。
そんな自堕落な格好しているからだろう!!!アタシは父親にビンタされ赤くなった頬に、床を睨み涙が流れた所だった。
武流が鋭い目で来て父親を殴ろうと、階段の手すりパイプをガリッと剥ぎ取り父親の顔の真横の壁を激しく打ちつけたのだ。
母親はその瞬間凄い声で叫んで気絶した。
武流の長い腕から乱暴にパイプをもぎ取り、必死に下がらせた。
まるで動物になってしまったかの様で、父親を見下ろす目はヒトからかけ離れて見えたのが恐かった。
=チーター=だとか、夢の中の=野生動物の様な男=が重なる。
その事で身体が震えた。シンクロしただけだ。
夢の中の男はやくざだ。そこで殺し専門の仕事任され金を得ているという、頭お抱えの幹部だった。
シンクロしただけだ。
武流は初めて痰を吐き捨て家から出て行った。
アタシは必死に追いかけたのを、武流は振り向いて立ち止まった。
何も言わなかった。
こいつは無口だが、馬鹿なんかじゃ決して無い。アタシより冷静で、許せない物は許せない事で自我を持ってる奴だ。
アタシの後ろから父親がよろついて出てくると、一見幸せその物の我が家をアタシは振り返った。
綺麗な洋風の家、アイアンの優雅な門、暖色の玄関の明るい照明、アタシが嫌った家の風景。これほど、他人の家に思えたこと等無い。その間口によろめき立つ年の老いた男も。
武流は闇を背後に歩いて行ってしまった。
幾ら待つように言おうが止まらない。追いかけようとしたアタシを、背後から必死に止めてくる。さっき浴びせ掛けた冷淡な言葉も無かったか様な素振りで宥め通す。
離せよ!! 武流が!!!
アタシは武流と叫び、涙で黒のアイラインが頬を汚した。
腕を払えずに父親が必死に止めた。声が震えていた。
あいつは、お前の本当の弟じゃ無いんだ
一瞬、頭の中が白くなった。
この言葉に遠くの武流は、目を大きく見開き振り向いた。そのまま、凄い勢いで走って行ってしまったのだ。
武流と何度も叫び、夜の深まった闇があいつをどんどん飲み込んで行った。
アタシは激しく泣き叫び崩れた。そのままあいつが堕して行ってしまうんじゃないかと。
救急車やサイレンが鳴る毎に不安になったのは事実だ。あいつが、誰かを何かしてしまったんじゃないかと。
そのまま、帰って来てくれなくなってしまったのだ……。姿を消し。
・・dream soldier・・ 8
俺が我に返ると、女は倒れていた。
それを見て男は俺に殴りかかって来る。
サラがわんわん泣き叫ぶ。
俺の足は男の足をからめ取り、バランスを失わせその腹に何発も蹴りをくらわせた。元からラリっている男は伸び、女の上に倒れ込んだ。
小さなサラが駆け寄ってきては、男を必死で避けながら母親の身体をまたぎ俺の所まで来る。
サラが無傷なのを見て一先ず安心した。
目覚めない内に早く抜け出さなけりゃならない。
ペンチを棚から持って来させ、小さな手でサラは針金を切ろうとするが力が弱く、なかなか切れない。
サラは顔を真赤に歪め力を入れる。流れる涙が力入れすぎて白くなる小さな手に落ちて行く。
ようやく切れ、俺はサラをきつく抱きしめ二つの身体をまたいで走り出した。
ボロアパートから遠のいて、ようやくサラは大声で泣き出した。
俺達は黄色い月の元、何処までも逃げて行った。
そして俺は考え続けた。何でだ。何であの場所がバレたんだ。それに、何故俺の過去を知っているんだ。
あの男は誰なんだ……。夢の中の男は本当に親父の過去なのか、何も、分からない……。
しばらくすると、サラは俺の肩にしがみついて、そのまま、眠り始めた。
そのボブの髪を撫で、落ちない様にしっかり抱き寄せ直した。
「………。」
俺は、ハッとした。
想い出した……事が在る……。
・・dream soldier・・ 9
ビジネスホテルに入り、俺はホテルマンに金を余分に払い部屋に入る。
こんなに早く奴等が追って来るとは考えられねえが、一応の事だ。
とにかく今は、この体を休ませたかった。
そのままサラをベッドに寝かしつけ、俺は床に座りベッドに寄りかかっては、深い眠りに就いた。
目を覚ますと、病院の通路だった。
固いソファーに腰掛け、薄暗い白の壁を、通路を挟み見つめていた。
既に、俺自身のいつもの目じゃ無い事に気付いていた。親父の視野だ。
左側にあるでかいドアを見ては、また目を戻す。放り出された長いキリンみたいな細い足。包むストライプ柄のイージーパンツの柄さえ、ぼやけていた。
いきなり光りが広がり、俺はその光の射す方向を見た。実際、光りが射したわけでは無かった。
いきなり赤ん坊の激しい泣き声が、そう=見え=たのだ。俺はゆっくり立ち上がった。
しばらくして白衣の眩しい女が出て来て、 男の子ですよ そう言った。
俺の足は自然にその中に入って行って、若く化粧気の無いお袋を見て、そして、一人の猿みたいなやつを見下ろした。
俺の顔が、笑ってる事に、気付いた。細くて長い指でその赤ん坊の小さな手を一撫でして、微笑んだ。
俺は、サラの声で目を覚ました。俺がベッドから転がり落ちたと思って起こしたのだと言う。
サラを抱きかかえてベッドの上に乗せ、布団を掛けそのあ頭を撫でた。
父親殺したあんたが父親なんかになれると思ってるの?
俺の目から涙が流れた事に驚いたサラが起き上がった。
俺は、想い出した。
大嫌いで殺した親父との忘れていた記憶だ。
サラと同じ、三、四歳位だったか、俺は夜の中、あの親父に片腕で抱きかかえられて家路についていた。眠りそうだが眠らない夢うつつの俺の鼻を、何時までもJPSの匂いがくすぐっていた。
俺は親父の首にしっかり掴まって眠らんようにしていた。親父の歌ってくれていた子守唄を、聞き逃さない様に夢うつつの中眠らないように努力していた。
俺の視界には、浴衣姿の親父の背中と、見え隠れする下駄を履いたかかとと、それに、帯にささるうちわに、親父の頭の後ろの白狐のお面、その釣り上がった黄色の目と、くるんと上向きに回る三本のひげが見え隠れしていた。
眠らねえのか?
俺は頷いた。
ハハ、俺の唄はヘタクソで眠れねえか
俺は眠そうに首を振り、夏の祭りの音が既に遠のいた暗闇の中の路、徐々に眠りに就いて行くのが分かっていた。
親父のとんでもなく遅い、だが深く脈打つ心音と、その唄声をずっと聞いていたく、夢うつつの中を、深く眠りに落ちて行くと感じながらも耳だけそばだてていた。
涙流し始めた俺を見て、サラが抱き着いて来た。
「どうしたのパパ。」
俺もしっかり抱き寄せた。
「何でも無い。眠ろう。まだ夜中の三時だ。」
サラは頷くと、しばらくして再び眠りに就いた。俺は今度は、浅い眠りに入った。
朝日がカーテンの隙間から緩く射し始めた。冷たい色味だ。白く、それでも確固とした陽を伸ばす。
俺はしばらくしてからサラを起こし、顔と歯を洗わせてからトイレに行かせ、その内にTVを付けた。
天気予報じゃあ、今日は一日中晴れなんだそうだ。スポーツ情報は昨日の阪神戦を取り上げていた。芸能ニュースに突入し、チャンネルを変えた。政治の論議が朝から行なわれ、新代表が決定するのも間近だそうだ。何気なしにチャンネルを一定に留め、CMが終わったその次のニュースだった。
「昨夜未明……」
俺は何度も唾を飲み込んだ。元妻の名をアナウンサーが読んでいる。耳に流れ込んで来た。それがぐるぐる脳みその中を回った。
サニタリーの袋詰めのくしでボブをとかしながら出て来たサラが、TVを見て「パパ」と言い俺の横に来ては手をきつく握った。握り返す。
あの女は死んでいた。首の骨折が致命傷だった。男の方も肋骨の骨折で搬送されたらしい。男の証言から、元夫である俺の名が報道された。
いきなり電話が鳴り響き飛び驚き、背後のルームテレフォンを睨み見た。サラもきゃっと短く叫んだ。
震える手で受話器を取る。フロントからだった。通報したんだろう。その瞬間ドアが開けられ、どやどやと三人の男達が入って来ては俺とサラを引き放した。
サラは泣き叫び、一人の男が俺を取り押さえ、もう一人の男が俺の目の前に紙を広げる。
「眞鍋照秋、大平さえこ殺害容疑で逮捕する。」
目の前が真っ暗になった。
サラ泣き声は俺を呼び続け、そして遠のいて行った。そうしても追いかけたいが、二人の男に取り押さえられ、俺のサラを呼ぶ声が響くだけだった。
サラが見えなくなるまで、俺はずっとそれを見つづけた。見えなくなっても。
「あの子は児童施設に預ける事になる。娘の事は心配するな。」
真っ暗になっていく感覚の中、それだけが頭にこだました。
俺は頭をうな垂れて、もう上げる気も起きないまま、パトカーに乗せられた。
カシラの言葉と、親父の最期の顔と、親父の唄声と、サラの笑った顔と、最後の泣き声が、ずっと俺の頭の中からはなれなかった。
そして最後に、お袋の俺を恨むあの涙の空虚の目だけが刑務所の暗い壁に広がった……。
=了=
dream soldier