星を越えて

星を越えて

[星を越えて] ファンタジーストーリー

1.星の窓辺 La finestra della stella
2.夢の先で Con la punta di un sogno
3.秘密の月 Mese di segreto
4.陰の軌道 Orbita di ombra
5.ペガサスと白鳥 Swan e Pegasus


大河 星緒(たいが せお) 僕
黒木 透(くろき とおる) 星緒の友人
黒木 澪(くろき れい) 隠し名〈みお〉
黒木 宵(くろき しょう) 隠し名〈よい〉



1.星の窓辺

 サントブル学園の星空は寄宿舎からも存分に見える。素晴らしい。
 狩人だったかオリオン座。ゼウスが化けた牡牛座。天駈けるペガサス座。それらが僕らを心魅せる。
「星の唄うたおうよ」
 黒髪がそよそよとそよ風に吹かれて、微笑んで組んだ腕に頬を乗せた。
「いいよ」
 同じ部屋に入るクラスメートの黒木透(くろき とおる)は僕の口ずさんだメロディーに合わせて歌った。     
 僕、大河星緒(たいが せお)はサントブル学園の小学五年生で、幼稚舎を出るとすぐにパパとママの元を離れてこの場所に入った。両親が出張のために家を離れることもあったり、仕事の関係で忙しい場合はみんながここに入っている。
 カーテンが翻る窓から見える景色はいつでも違って見えた。夜になっても。雲の具合とか、星の明るさ、月の形や木々の陰の入り方、風の吹き方で変わる揺れる梢、夕方は空の色を毎日変えて、桜色だったり金色だったり、灰色、クリアな紺碧のときも、それに濃い紅のときもグラデーションのときもある。鳥が空を走ったり、動物が鳴いたり……。

 青い星はサファイアに似て
 梢は彼女の指に似て
 流れ星は瞳に 天の川は髪に似て
 そっと息吹は冷たくて
 そっと唇触れ合わせ

「透、お姉さんがこの学園の先生になるって本当?」
「うん」
 透のお姉さんは学園の付属大学まで出ると新任で新しく入ることになったと噂で聞いた。僕らは天体が好きで透のお姉さんが持っている大きな天体望遠鏡で観測することが大好きだった。国家試験が忙しくなってからはそれもなかったんだけど。
「中学校でね」
「美術の先生になるんだって思ってた。すっごく綺麗な絵をかくんだもん」
 神話をかたどった夜空に舞う銀の女神や聖獣たちのシリーズが大好きなのだ。藤色の彼女の部屋壁に飾られたそれらの群青と銀の絵はロマンティックで、初夏、薔薇の季節だったんだけれど一年を通した星座がぐるりと囲む。トレーに咲いた薔薇はそれらを彩っていた。いつも彼女が出してくれる薔薇ティーとチョコレートが忘れられない。
 どこか不思議な笑みをよこしてくる人で、美しい人だ。ぱつんと肩で縛った長い黒髪が細い背に流れ、ピアノを弾くことも似合う。それに歌も上手だった。芸術に強いひとで、僕や友達も憧れている。彼女が歌うイタリア語や話すスペイン語、それにオペラを口ずさむフレンチは耳慣れないのになぜか心に染み込む。
「もしかしたら薙刀の副顧問にもなるかもしれないんだけど、授業では現代文。国語のこと」
「本当に何でもできるんだね。武道もできるなんて初めて知った」
 透は頷いてから窓際に座る僕の横に来た。
「ねえ。僕は澪(れい)姉さんが不思議でならないんだ。いつでも思う」
 僕は彼を見て、まっすぐ見てきている目が真剣だった。
「どうしたの?」
 透は首を横に振り、また星を見上げた。小さく輝くあのプレイアデスの青白い星を。僕は彼がどこか、白牛のゼウスにさらわれてしまう感覚に陥って、すぐに言っていた。
「窓だけでも閉めよう。冬は寒いよ」
 夜風に透の体が連れ去られる前に。なぜだろう。また星の唄をうたい出した透の横顔はもう笑ってはいなかった。さっきみたいには。
 不思議な雰囲気。それは澪さんをことごとく包んで離さない、それは分かっていた……。


2.夢の先で

 僕はベッドで透の言葉を思い返していた。
 透のお姉さん、黒木澪(くろき れい)さんは時々星座をただただ無言に見つめることがあった。何の表情もない、でもどこか目元が鋭い横顔は紅い唇を結んでいる。しなやかな手と腕は湯気たつティーカップを持っていたり、望遠鏡を構えていたり、何かの花をもてあそんだりしている。でも考えていることは季節を愛でたり、星を観測する以上の何かhがあるみたいに思えた。
 考えすぎて眠くなったから、あたたかい枕に頬をうずめて眠りに入る。
 夢……夢の欠片がやってくる。きらきら光りながら、やってくる。僕は甘い香りにつつまれたままそれに包まれた。ママの膝に眠って音楽を聴いていても眠気に勝てずにうとうとしているあの状態は、毎日訪れる。それで夢の幕が頬をなでるんだ。
 しばらく暗闇と現を彷徨っていたけれど、深い森のなかだって気づいた。
「ここはどこの森だろう」
 あたりを見回すとまだ宵は深くなくて、青い空は薄暗い程度だった。いくつか金の星が梢の先に光る。
「綺麗な星」
 星を見上げていると、何かの音色に気づいた。柔らかい枯れ葉を踏みながら進んでいると、女の人がいて楽器を弾きながら歌っていた。
 女の人は僕に気づくと弦から指を離して微笑んだ。あの不思議な微笑みで。
「澪さん」
 僕は微笑んで小走りで近づいた。だけど、なぜか近づけない。どんどん鏡が重なっていって遮断される先に森が映って澪さんも微笑み映っているのに近づけずに走るごとにどんどん現れる姿鏡の扉を幾重にもくぐっていって、走る。
「澪さん、待って」
 めぐる鏡に現れた金のノブに手を掛けたら声が聞こえた。
「待っていなさい。あなたのこの星で、この音色がサインよ……星緒」
 森を乱反射に映す鏡の群れの先で微笑む澪さんが音色を響かせながら顔を戻してまた歌い始める。
「待って!」
 起き上がって瞬きした。透がびっくりして横のベッドで起き上がって僕を見た。
「……寝言?」
 しばらくきょとんとする僕にきょとんとする透が言った。
「夢見た。さっき、澪さんが出てきたんだ」
「え?」
 透が笑ってまた横になった。
「星見よう」
「いいよ」
 今度は僕が頷いて窓辺に走った。カーテンを開けて一気に窓を通して寒さが僕らを襲う。
「寒いね」
「もう12月だもの。雪が降るかもね」
 見あげる夜空はまだオリオン座が強く光って見えていて、学園にたくさん生えている木々が星座を抱いている。
「? あれ。さっき、星が落ちたよね」
 流れ星はよく見るけど、それとは何か違った。
「え……」
 それは下に落ちると強く光って、青白い色と銀のグラデーションに光り夜空を少し照らしたから驚いた。
 そして、僕は耳を澄ました。なぜなら聴こえたからだ。あの、微かな楽器の旋律が、夢が覚めたはずなのに。
 僕らは次第にぼうっとし始めていた。揺らめく銀と青白い光りと満天の星、それに美しいメロディーに……。


 3.秘密の月

 僕は透に起こされた。
 目を覚ますと霧に包まれていた。
「澪(みお)姉さんが」
「みお?」
 透には姉があと一人いて、高等学校にいる黒木宵(くろき しょう)さんで、『みお』という名前ではない。
「澪(みお)姉さんと宵(よい)姉さんが歌ってる。宇宙の唄を」
「待って。誰のこと?」
 透はあの時の目をしていた。僕に澪さんが不思議な存在だって言ったときの目の色。どこを見ていたのかまっすぐ僕を見ていたんじゃなくて、夢の先を見つめていたのではないだろうか。
「ペガススとシグナスを救い出さなければ」
 降ってきた静かな声に僕は霧を見上げた。すぐ近くにいる感覚。澪さんだ。うっすらと揺れる黒髪が見えて、僕は天の川のような艶めくその黒い河を見つめていた。はっとして顔を上げる。
「誰が星を浚えるの?」
 落ち着き払った澪さんの声が響く。
「上を見上げて。もっと上を……」
 霧の天を見上げた。それは遥か高いところにホールが空いていて、不規則な円形の夜空が見える。
「……ペガサス座が隠れてる」
 僕は立ち上がり透の腕を引っ張った。
「白鳥座もだよ。明るい月明かりで見えないのかな」
「月の女神……アルテミスが連れて行ったのよ」
 静かな声が呟くと、星明りに照らされて霧の先に澪さんが見えた。宵さんのコーラスが聴こえる。不思議と、どこにいるのか分からない声はこだましていて、透明な硝子の先にいるみたいに聴こえる。
「ここよ。宵はここよ。澪さん。透」
 霧に目をこらして夜空を見ると、驚いて瞬きした。宵(しょう)さんが硝子と鉄格子に閉じ込められて檻は鎖で星座と星座に掛けられていた。
「シグナスを助け出そうとしてここに閉じ込められたの」
 そして、また宇宙をかたどった様な不可思議なコーラスを続けた。星がどんどん流れていく。
「どうすればいいの? 宵(よい)姉さんが閉じ込められているよ、澪(みお)姉さん」
「着いていらっしゃい」
 澪さんが現れると、そこは湖畔だったのだ。水が水煙を生んでいたんだ。彼女は透明の水晶でできた様な小舟に乗っていた。
「小舟に乗って。二人とも」
 二人が乗り込むと、一気に湖畔を滑っていく。よく見ると少しの光源を持った水晶の舟は七色のパステルにさらさらとした光をめぐらせていて、ペールピンクやペールブルーに淡い。それが透明な雫を輝かせる水面を離れて宙に浮かんだ。
 透が驚いて言葉を失ってそれを見た。
「澪(みお)さんは何者なの?」
 透の他人めいた言葉に僕は彼の顔を見た。髪が冷たい風にあおられて白い額が見えている。いつも運動場で走ると見える全体の顔。今、澪さんのそろった前髪も風でなびいて顔全体が見えていた。それは、驚くほど似ていなかった。それに気づいた。まるで、血のつながりすら感じないほどに。
「どういうこと? 澪さんと透は姉弟なんでしょ?」
「いいえ」
 澪さんが断言し、透が僕を見た。満天の星を背景にして、少し悲しげに。
「僕と宵姉さんは、澪姉さんのお父様に孤児院から連れられたんだ。本当のパパとママは知らない。宵姉さんとも血がつながってないよ」
 圧巻させられるほどの月が背後に現れて、怖いほどに思えた。月に浚われた事や……不思議な姉。
 月は、どこか今宵怜悧な光を放って思えた。


 4.陰の軌道

 「陰のくぼみを追って行くのよ。ペガススとシグナスがいる場所は月の裏側」
 だんだんと近づく夜空を見ながら澪さんが言う。オールを漕ぐ彼女は白く薄手のヴェールを細い体にまとっていて風に波のようなゆらめきを受けていた。夜を透かして裾がたなびいている。
 強い光の月が薄い衣をしなやかに透かした。水晶の小舟のことも、それに先にある宵さんの閉じ込められた檻の鎖も照らす。
 彼女たちが『れいさん』なのか、『みおさん』なのか、『しょうさん』なのか、『よいさん』なのか今までのことが分からなくなってくる。
 水晶の小舟がこつんと宵さんの閉じ込められた硝子と鉄格子の檻の場所について、鍵を探したけれど金の錠がかかったままで見当たらない。
「あたしのことはアルテミスへの交渉のあとでいいの。ペガススとシグナスを先に」
 しばらく妹を見つめた澪さんが彼女を強く見たまま頷いた。
「二人とも。先を急ぐわ。宵ちゃん、待っていてね……ずっと監視していたのに、彼らを連れ去られてしまってごめんね」
 涼やかな声で宵さんが微笑んだ。
「いいのよ」
 肩越しに宵さんを見ながら小舟は進んで行く。
「宵姉さん!」
 僕は危ない透を必死に抑えて、どんどん星が流れて行った。この小舟の光りだったんだ。近づいてきたあの青白くて銀色っぽい光りは。透は心配げにずっと背後を見つめていた。ずっと一緒に院内でも連れ添っていたんだろうと思うと心がつらかった。
「澪姉さん。どうやってアルテミスを見つけるの?」
 月は不思議と出ているのに星が眩しく負けることなく光っている。ただ、ペガサス座と白鳥座は不在なままの夜空はオリオンと牡牛とアンドロメダが回転して追いかけっこしているかの様に見えてならなかった。弧を描いてぐるぐる回る三つの星座の様に……。
 高度があがると、凍てつく空は雪の結晶を舞わせ始めた。肌を凍てつかせるそれは結晶度が完璧で、目も閉じられないほどまぶたの存在を忘れさせるほど綺麗。
「このスノーフレークの嵐を超えたらしばらくして宇宙に出るわ。そこからはアルテミスには絶対に見えない場所があるの。彼らが浚われたのはアルテミスの懐だけれど、陰のくぼみの行き着いた場所は月の軌道の痕跡で、その先に光がさす事のない月の真逆の裏側、星の見えない場所があるの。その場所にアルテミスは光を与えたくて翼を持ったペガススとシグナスを誘導して飛んで行かせてそこに居つかせてしまったのよ。でも、そこはやはり光の届かない場所に変わりはない……。だから、懐に抱いて月の光を浴びさせて時々月の裏側に持って行って闇にやれさせることをしているわ」
 寒さもなんとも思わないのか、澪さんの声が震え始めることはなかった。
 いきなり肌の感覚がなくなって寒さを越えたんだと思った。透は体を抱えてじっとしている。目は閉じられることはなくずっと前を見ている。
 澪さんが先を振り仰ぐといきなりオールを薙刀のようにふうっと勢いよく振り風を切ったから驚いた。
「来たわ。アルテミスの意図に乗って愉しむつもりね」
 空から純白の牛が駈けてきて、咄嗟に僕は牡牛座を振り仰いだ。そこから来たんだ。純白の牛は堂々たる姿をして月明かりに照らされていた。毛艶も良くて、そして七人の綺麗な女の人たちの踊り子を遠巻きに引き連れていた。それは牛の心臓部分から七本の鎖が出ていて枷として女の人たちの手首や足首に繋がっている。ゼウスの白い牛と、それにプレイアデスの星たちだ。アルテミスはゼウスの娘だから、加勢しようとしているんだ。
 白い牛は角で煽って青い目を光らせていた。闘牛士がいるけど、恐ろしいほど僕は猛る牛の姿におののいて目を見開いていた。澪さんが器用に避けながら星座自体に繋がれた白い牛のゼウスは激しく笑い声を天に轟かせながら僕らを見送った。
 月を僕らは横切って行く。ようやく縮めていた肩を戻して銀色のたなびきに気づいて先を見た。
「アルテミス……」
 その先には、銀色の鋭い瞳と銀色の長い髪の女神が風に吹かれていた……。


 5.ペガサスと白鳥

 「来たわよ。天体監視役が」
 冷徹な声音の女神アルテミスが背後に下限の月の様な弓矢を担ぎ、白い衣を宇宙風になびかせていた。鏡のような銀の髪がさらついて、その先に銀の冷たい色味をする星たちを存分に従えて透かしている。星空の夜は黒くて、彼女の背後の星はやはり光が強いわけではない。彼女の背中をのぞけば、暗黒が狭い背の背後に広がっているのでは……と思わせるほど、アルテミスの表情は今恐かった。
「ヒヒインッ」
 馬のいななきが聴こえて、押さえ込まれたかの様に今度は低くいなないた。隠されているけど、どこかにいる。ペガサスが。
「思い出して。あなたには猛獣たちを追い込むのではなく、猛獣たちの生活を守る心で出来上がっているのだと。アルテミス」
「わたくしはペガススとシグナスをその心で守っているの。あなたがずっと視線で彼らを拘束し続けていたから、太陽の光りにばかり当てては眠れないでしょう……?」
 僕はアルテミスの向こう側に白鳥を見つけた。それに、真っ白いペガサスもいる。優美な白鳥と、猛る様にいななくペガサス。足元を見下ろした。水晶を透かして。青い星が眩しく輝いている。今はアルテミスの言う太陽は僕には見えない。そして驚いた。
「地球って、こんなに美しいんだね……」

「En la Tierra
 Hermoso a(')rbol de hoja perenne
 y de la vida de los animales
 y mantener en el oce(')ano azul de suelo」

 地球には
 美しい緑がたくさん溢れ
 動物たちがたくさん生き
 青い海が大地を抱いている

 遠く遥か下から宵さんの歌声が聞こえる。

「En un co(')smico
 Estrellas hermosas son tanto
 y una constelacio(')n de dibujo a un mito
 y los planetas es crecer」

 宇宙には
 綺麗な星が溢れに溢れ
 星座たちが神話を描き
 惑星たちは活きている

 澪さんもそれに重ねて歌った。

「At the Earth
 Beautiful evergreen
 And life of animals
And hold on blue ocean from ground
At a cosmic
Beautiful stars are so much
And a constellation drawing to a myth
And planets is grow up」

 美しいららららというコーラスが幻想的に入るから、僕は聴きほえてしまっていた。
 透がペガサスの激しいいななきに僕の腕を引いた。ペガサスが純白の姿を現したけっていて、そして白い毛並みに地球の青を一部移していた。いきなり優雅な目元で静かになって、脚をそろえて僕らを見たペガサスがしゃべった。
「アルテミスがそよ風に吹かれた様に安眠するには、私の羽根の送る微風が必要なのです。夢を紡いで扉を開かせますからね。そして……」
 ペガサスが白鳥を見ると陰の闇の間際で星を背にこちらを見つめてきた。
「かの方が目覚めるにはあたくしの柔らかな羽根の動きが必要なのです。そして頬を撫でてさしあげるのですから」
 月光が星座の星明りを受けているのか、澪さんが優しげな声の白鳥を光りで誘導した。アルテミスは今、地球と太陽の動きを見て軌道をはかり月は回転していた。
 白鳥がアルテミスの横を宇宙ではばたき、彼女は目を細めて澪さんを見た。透はお姉さんが何もされないように上目で強くアルテミスを見る。月光そのものの金色の髪をした女神はなめらかになびかせて、月光のヴェールを衣に僕らの前まですっとやってきた。
 僕らは女神が普通の人よりも大きくて驚いた。月を背後にして見上げるほど大きくて、ちょっと恐い。弓矢などは惑星自体を対象に撃てるほどの大きさに思える。
 自然や木々、様々なものには神が宿るけれど、やはり神というものは壮大であって、極小さくもあって、そして懐が深いものなのだろう。アルテミスにも自然界の巨大なものに神々しい神を感じる同じ感覚を持った。
 青の光を浴びるとペガサスは凶暴性を欠くみたい。落ち着き払っていて、彼は時間を駈けるのだとおもった。
「アルテミス座は聞かないけれど、時々天体から離れて星の旅行に行けばいいんだ」
 突拍子もないことを言い出したと思われたのか、透明な小舟で美しいアルテミスの周りを小鳥かの様に巡りながら、たなびく金髪が時々光沢を受ける。
「天体望遠鏡で見上げるとき、星をこの目で見上げるとき、僕らに手を振って合図してくれれば、僕だって心躍るんだ」
 アルテミスがおかしげに大きく笑い、その声で何かの透明な鎖がはじけたらしかった。
 白鳥とペガサスがどうやら自由を得てこちらに旋回して飛び立ってくる。
「意地悪をして少しは拘束してあげたけど、しばらくは安眠できたから開放してあげよう。坊やの言う通りたまにはオリオンと父ゼウスに月を監視に見張らせて宇宙を巡る旅をしてもいいでしょう」
 遥か向こうで、タウルスの星が瞬いた。
 アルテミスが流し目で微笑み身を返し、月光とともに戻って行った。それが金の月に、銀白のヴェールは月光に戻って行き、静かに地球に照らされるよりそう形となって静かに光り始めた。


 6.星の流れ

 僕らはすうっと目を開いた。
 透は寝ぼけて見回していて、おぼろげに窓を見た。
「あ!」
 僕も透の視線の先、星を見た。
「ペガサス座と白鳥座だ。アルテミスが本当に返してくれたんだ!」
 ちかちかと、星が見える夜は月が姿を現さないことが多いけれど、不思議な光を発する星を見つけた。
「金色と銀色に光る星、見て。初めて見た」
 それはじっとみてみると、ちかちか、ちかちか、と不規則に瞬いた。
「アルテミス座?」
 顔を見合わせ、また星を見るとそれは瞬くことなく光り、そしていきなり尾を引いていった。
「………」
 僕らはしばらく、その光の名残を見つめていた。
「旅立ったんだよ……宇宙に」
「きっとね」
 タウルスも、ペガサスも、シグナスも、オリオンも、真冬の星座は強い光を澄んだ高い高い空に細やかな星雲や星たちをまとっていた。
「眠くないから、外に出てみよう」
 二人で寄宿舎を出て夜空が見渡せる、植物に囲まれた場所までやってきた。白い石の地面には明るい星明りで草木の陰が映っている……。
 いつまでも見上げていた。星屑は迷路のように複雑で、あのなかに入れば迷うほどに……。

 翌日、中学部にきて顔を覗かせていた。今日から編入してくるという澪さん。
 校長室から出てきた澪さんが丁寧にお辞儀をして扉を閉ざした。僕がいることに気づいて、笑顔になった。
「あら。ごきげんよう、星緒ちゃん」
「こんにちは。先生になるんだね」
「まだ研修よ」
 彼女がここまで来ると、僕は言った。
「アルテミス座が旅立ったよ」
「え?」
 笑顔のまま澪さんが首をかしげて、僕も首をかしげた。あれ? 昨日のこと、澪さんは覚えてないのかな。宇宙に水晶の小舟で向かって、それで月の女神のアルテミスからペガサス座と白鳥座を取り戻したんだ。
「宵さんは解放されたの?」
「ふふ。おかしな子。透が何かあなたの夢まくらに悪戯を言ったのね」
 澪さんが美しくウインクして、タイトな黒カーディガンの狭い背にまとめた黒い髪をして歩いて行った。
 夢……だったのだろうか。
 でも、僕には分かっていた。なんとなくだけれど。
 今度行く澪さんの藤色の部屋には、きっとアルテミス座の美しい神話の絵画が加わっているのだということを……。

星を越えて

星を越えて

大河星緒(たいが せお)は友人である透とともに天体観測が好きだった。 透の美しく神秘的な姉、澪さんが森と不可思議な宇宙の夢に現れる。 「ペガススとシグナスを救って」と言って。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-12-20

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