ながいながい旅の終わるとき
…話をしよう。とある旧約聖書の偽典を下敷きにした某・国産神ゲーの、発売前後の公式発表情報のみから触発されたインスパイア二次創作シナリオ風小説だ。発売の半年も前からキャラ捏造妄想が炸裂したせいで、後になって見たらゲーム本編にはほとんど準拠していないとか…あいつは話を聞かないからな。え?私が誰かって?それは昨日言っただろう。ろっとぉ…これは君たちにとっては明日の出来事か。
まあ、思い当たる節がある人は公式サイトの方にも参拝しに行くといいんじゃないかな。私も嬉しいしね。> http://ow.ly/5ekDM
ゲーム「El Shaddai: Ascension of the Metatron」の発売前後から構想された妄想捏造二次創作シナリオ風小説です。
この原作に関しては製作サイドの中の人みずからインタビューとかで「二次創作歓迎です」と何度か仰っていたので、調子づいてピクシブで連載みたいにした後、自著の電子書籍公開後特典アップデート付録として全話収録したものです。→ http://p.booklog.jp/book/70410
ゲーム本編冒頭と資料集で軽く触れられただけの、主人公イーノックが堕天使達のタワーを探す「365年の旅」の、”その後”を妄想して描いているものです。(※書かれた時期は原作小説発売より前なので、エンディング等は全くの別設定になります)
物語内には主人公イーノックと大天使ルシフェル、あとは筆者オリジナル設定の神(自分的想像)と、関わりのある人物達が出てきます。
※※作品解説と注意
この作品はゲーム発売以前にイラストコミュニティサイトpixivで不定期連載された、ID:くろものエルシャダイ二次創作漫画の設定に準拠した二次創作シナリオ風小説です。
同シリーズを受けての事実上の最終話となりますので、公式とはやや異なる独自のキャラクター設定とストーリー理解のために、出来れば合わせて先に該当二次漫画をお読み頂くことをお薦め致します。こちらで無料公開してます(※別サイト)→ http://t.co/v0QhIxk6mo
前編
イーノックがタワーの内部での戦いを始めてしばらくのことだった。突然、神への報告(セーブ)を終えたばかりのルシフェルがイーノックに真面目な顔で声を掛けた。
ルシ「…それだよ。」
イノ「えっ?何のことだろうか?」
ルシ「だから、それ。今のお前が言った…”ありがとう”、というやつ。それは、私が認識している人間達の一般的な言語としてのそれとは何か別のものなのか?」
イノ「…?」
ルシ「わからないか?チッ、念話が出来ない相手というのもこういう時は実に面倒だな…つまり、だ」
苦笑しつつ、トン、とルシフェルが自分の胸に親指を当てて言う。
ルシ「お前がそれを私に言う時、決まってここら辺りに何だか変な感じがするんだ。…イーノック、お前の、その”ありがとう”には、何か特別な意味でもあるのか?」
唐突な質問の意味を測りかねるというように、きょとん、とルシフェルを見つめていたイーノックが、急に、ああ!という顔になって笑い出す。真面目な質問を笑われて、ルシフェルは面白くない顔。
ルシ「何だ?この私が真剣に訊いてやってるんだ、ちゃんと答えろ。わからんのなら別に…」
イノ「ごめん、そうじゃないんだ。ただ、あなたにそんな風に質問されるとは、あんまり意外だったので…笑ってしまってすまなかった。」
ルシ「謝らなくてもいいから、さっさと質問に答えろ。」
イノ「そうだな…これは私にとってだけのことかも知れないけれど、”ありがとう”という言葉には…”私はあなたの存在を喜ぶ”、という意味があるんじゃないかと私は思うんだ。」
今度はルシフェルがきょとんとする。そういう子どものような表情をする時のルシフェルもやっぱり美しいな、とイーノックはこっそり思う。
ルシ「…”存在を、喜ぶ”?」
イノ「ああ。もっと言えば、”あなたが私と共に此処にいてくれて嬉しい”とか、”出会えた運命に感謝している”とか…そういうことをひっくるめて、うんと短く、ひと言でいうと”ありがとう”になるんじゃないかと。」
ルシ「…相変わらず、よくわからんな。」
イノ「す、すまない。私はやっぱり口があまり上手なほうではないようだ…農夫は、畑や動物を相手にしていたほうが楽だよ。彼らには誠意さえあればちゃんと伝わるから…。」
ルシ「馬鹿。大天使の私だってお前の感情の動きくらいは読めているさ。それでも、お前がこの言葉をチョイスするタイミングの法則性とか、理由とか、それになんで私が…。」
珍しく、急に言い淀むルシフェル。”私はなんでコイツにこんなことを?これじゃまるで…”
イノ「あまり難しいことは私にはわからないが。実をいうと、この言葉を使う時にいつも私が心に思い浮かべてるのは、私の母のことなんだ。といっても、もう随分と遠い思い出だけどね。」
ルシ「お前の母…?ああ、お前が小さい頃に流行病で若くして亡くなった、あの女性か…。」
イノ「…そうだ。母が病の床にあった時に、私はまだ本当に小さくて…。」
イーノックの回想。
日干しレンガを積んで屋根を葺いただけの粗末な家の、簡素な寝台に横たわる女性。周りに沈痛な面持ちの家族や親族が集まっている。すでに泣いている者もいる。と、苦しそうだった病人がふいに大きく息をついて、場違いに晴れ晴れした笑い顔になりながら言う。
イノ母「ああ、楽しかった!みんな、本当に有り難う。私と一緒に生きてくれて…私、幸せだったわ」
それから女性は集まった一人一人に眼を合わせながら短く感謝の言葉と挨拶を交わすと、最後に一番近くにいて必死の形相で涙をこらえながら母の手を握りしめている息子にも、そっと優しく笑いかけた。
イノ「っ…母さん…(ぐす)。」
イノ母「…あなたも。有り難う!私のイーノック。母さんはこれからもずっとずっと、あなたのことが大好きよ。」
母の笑顔につられて、イーノックも思わず半べそながらも笑顔になる。それを見た母は安心したようにゆっくりと眼を閉じる…。
回想終わり。
イノ「…自分が苦しい病の床にあっても、母はあの笑顔と最後の言葉とによって、愛する人を失う哀しみに嘆き惑う私達家族の心を救ってくれたんだ。…だから、あの時から私は決めたんだよ。私も”母のように、全てを救える人間になろう!”と…。」
懐かしげにそう語るイーノックを、上の空でどこか不思議なものを見るように眺めているルシフェル。
ルシ「…全てを、救う…か。瞬く間の寿命しか持たない、人間風情がな…ふうん。」
ルシ(まるで、”彼”のような物言いじゃないか…?)
つと眼をそらしたが、不愉快げという訳でもなく。むしろ突然に眩しいものを見せられて戸惑ったような態度。そんなルシフェルをあまり見た覚えが無いので、イーノックはあれ?と思う。ふと、何かを思い出したような顔になって、生真面目な様子でルシフェルに向き直る。
イノ「そうだ。ルシフェル、塔を探して旅している間ずっと、あなたにお願いしたいことがあったんだ。」
ルシ「?なんだ、別に構わんぞ。遠慮しないで言ってみろ。」
イノ「うん…その…」
ちょっともぞもぞした後、意を決したように口を開くイーノック。
ルシ「…なあ、これは一体、どういう意味があるんだ…?」
心底意味が分からない、という顔で大真面目に問いかけるルシフェル。彼は、塔の通路から少し外れた物陰で休憩中のイーノックの膝の上に、抱きかかえられるように座る格好で身を預けている。
イノ「あなたがちゃんと認識してくれないと、私は触れることも出来ないから。」
ルシ「いや、そうじゃなくて…なんで、”抱っこ”されなきゃならないんだ?私は?」
眉をひそめるルシフェルに構わずにこにこしているイーノック。ふと、真剣な表情になって相手の薄赤い目を見つめ返す。
イノ「…あのね、ルシフェル。私は塔を探して365年の間、独り地上をさまよい続ける中で…気付いたことがあったんだ。」
ルシ「何だ?」
イノ「それは…ルシフェル、あなたの”寂しさ”に、だよ。」
ルシ「…!」
イ ノ「私が、”死ねない人間”という、人とも人でないともいずれとも言い切れないような身で、ただ目の前を移り変わって行く人の世を眺めていた気持ちは…言 葉にするのが難しいけれど、あれは”寂しい”ものだったよ。とても。それでも、私にはいつでも何処かで見てる筈のあなたがいてくれた。その事実にどれほど 癒されたことか…。」
ルシ「イーノック…。」
イノ「だから、いつかは私があなたにも何か同じようにしてやれないか、って思っていたんだ。癒すなどと、大それたことは出来るとも思えないが…でも、こうやって」
ルシフェルを抱いている(アストラル体なので、あくまでもルシフェルの側でそう認識を操作しているからだが)腕に力を込める。押し当てている胸から分厚い筋肉越しにイーノックの心臓の音が伝わって、ルシフェルは不思議とそれに安らぎを覚える。
イノ「…昔、私の子供が夜中に眠れなくて、ぐずった時なんかに、こうして抱いて心臓の音を聞かせてやると、安心してよく眠ったものだよ。」
ルシ「おいお前…この大天使の私を子ども扱いか?」
イノ「あ、いや…気に障ったのならあやまるが(汗)」
ルシ「…フン。まあいい、たまにはお前の意味のない道楽にでも付き合ってやるか…。」
イノ「有り難う、ルシフェル。」
二 人はそのままじっとしている。周囲にはイーノックが敵に見つけられずに休息できるよう、ルシフェルがいつも張っている結界があるので、外界の物音は聞こえ ない。呼吸、心音、生物としてのイーノックが立てる音だけの世界。ふいに、ルシフェルが独りごとのようにぽつりと呟く。
ルシ「…イーノック…」
イノ「うん?」
ルシ「恨まないのか?神を…お前を、こんなにも孤独にした。」
イノ「そんな…恨むだなんて。神が私を見出して下さったお陰で、私はあなたに会えたよ。」
ルシ「ふ…もう年を取らない身体になったと言うのに、旅を始めた頃より、お前は少しだけ老けたな…。人間の外見には内面の在り方が大きく作用するのだろう?」
イノ「ああ、そうかも知れないな…。あなたは、出会った頃から少しも変わらず美しいけれど。」
ルシフェルが顔を上げる。幼子を見守る父のように穏やかなイーノックの視線と出会うと、何かを口にしかけた言葉が消えてしまって、思わず同じような柔らかい微笑を浮かべている。
ルシ「…ちょっと目を閉じろ、イーノック。今日の戦いで出来た傷がまだ治っていないだろう?この私が手ずから祝福をしてやるよ。」
イノ「すまない。明日も厳しい戦いが続くだろうし、では遠慮なく受けさせて頂こう…。」
祈 りを捧げる時のように目を閉じて、頭を垂れるイーノックの身体中あちこちに出来た傷、その一つ一つに、ルシフェルがそっと唇を触れて祝福を落として行く と、海の泡が溶けるように大小の傷が消える。その時、ルシフェルは自分でも理解出来ないまま、何か温かいものが満ちる胸の内で呟いていた。
ルシ”…お前のことは、私が守ってやる。イーノック。だから私の手が届かないところへは決して行くな。いや、何にもお前を連れて行かせやしない。例え大天使の位を賭けてでも、絶対に…。”
イノ「本当に、有り難う。ルシフェル…。」
ルシ”…ああ、もっとお前の声をたくさん聞かせてくれ。それに此処は、お前の胸は、広くて温かくて心地が良い。お前と過ごすなら、永遠も、そう退屈ではないのかもな…。”
ルシ「なあ、イーノック。この旅が終わったら、一緒に…」
転換。
目の前を分厚いカーテンのように遮る、どしゃぶりの雨。崩壊したタワーの上層の開口部でイーノックが力なく座り込んでいる。押し潰されそうな豪雨にも全く構わずに、呆然と宙を見つめている。
ルシ「…お前はよく戦ったよ、イーノック。見事に生き残っていた堕天使共を全て倒した。しかし…。」
一旦言葉を区切って、ビニール傘の下から少しだけ痛ましげな目線を、蹲るイーノックに向ける。
ルシ「しかし厳密には、”神の計画”が止まることはない。あくまで”保留”していただけだ…。」
イノ「…あ…あぁ…。」
ようやくイーノックの唇から洩れたのは、言葉としての意味をなさない声の断片でしかないかった。その背中に追いうちを掛けるように冷たく言い放つルシフェ ル。眼下には見渡す限りの、荒々しく濁った海原が広がっている。その巨大な水盤をさらに溢れさせようとするかの如く、激しい雨は天高くから地上へと降り注ぎ、ゴオオオッというその音響で全ての感覚を塗り潰して行く。
ルシ「…お前がタワーの中で戦っている間も、ずっと大気はアラート(警告)に満ちていた。天上の神から発せられ続けていたそれを、”無視”したのは人間たち自身だ…。」
イノ「あああああああああああああ!!!!!!!!」
ついに濡れた地面に突っ伏し、悲痛に絶叫するイーノック。血が流れるのも構わずに拳を岩に何度も叩き付ける。それはまるで自分を責めるあまりに、壊してしまうのではないかとさえ思われた。
敵を全て倒しタワーを停止するという任務を果たしたが、それでも天界の洪水計画は止まらなかったのだ。イーノックは半狂乱になってルシフェルに縋りつこうとし、何度か手で空を切りながら叫んだ。
イノ「神が…慈悲深い神が、こんなことをなさるはずがない!頼むルシフェル!時を巻き戻してくれ!」
その必死の叫びに、しかしルシフェルは淡々と応じてゆっくりと首を振る。
ルシ「すまないな、イーノック。私が神から与えられている力では、それは無理なんだ…。」
それでもイーノックは諦めきれずに懇願する。
イノ「ならば私を!天上界へ…神の御許へと連れて行ってくれ!直々にお願いするから!こんなことが…絶対にあってはならないんだ!これでは、余りにも残酷すぎる…!」
一瞬、発言を咎めようとしたルシフェルだが、イーノックの必死さに負けてしぶしぶ承諾する。
ルシ「この運び方は、あまり見た目がよくないから滅多にしないんだが…」
忌々 しげにそう言うと、ルシフェルの背中に神々しい大きな白い翼が幾枚も現れる。そのまま軽々とイーノックを背後から抱え上げると、音もなく高速で舞い上がっ た。飛びながら、イーノックはぶつぶつと「これは夢だ、私はまだ夢を見ているんだ…」と痛々しい表情で呟き続けている。
ルシフェルは内心で”コイツ、大丈夫か…?保つかな精神が?”なとど考えていると、眼下を流れて行く果てしない水面に何かを見つけ、下方のイーノックへと声を掛ける。
ルシ「イーノック、残念だが夢ではないぞ。…その証拠に見ろ、あそこに”最後の人類”がいる。」
イノ「え…!?」
言われてイーノックが顔を向けると、そこには豪雨で霞む水景色の向こう、わずかに残った小高い丘のような地表に、明らかに人造と思われる四角い構造物があった。
ルシ「神のアラートを正しく認識した者達が生き延びるために作った、あれが”方舟”だよ。あの中には、水没した世界の再建のために必要な多くのものが、人間達の努力と長い年月を掛けて蓄えられているそうだ。」
イノ「…方舟…」
ルシ「ああ。そして、あの方舟に乗っているのは…他でもない。昔、お前が神に召されて天上へと昇る時に、その場に居合せて奇蹟を目撃した者達と…お前の数百年後の子孫の一族だよ…。」
イノ「…!!」
しばらく声も無くその武骨な方舟を見つめていたイーノックが、やがて震えながら絞り出すように声を発した。凍りつきかけていた神への感謝の言葉が漏れる。
イノ「神よ、感謝します…!良かった…まだ生きていてくれた者達がいた!!有り難う…有り難う!!!」
そう言って男泣きにボロボロと泣くイーノック。一方ルシフェルは、イーノックを見る目線はいたわりと同情を含んでいるが、事象そのものにはあくまで淡々とした態度でしかない。
ルシ「…しかし、それもここまでだな。見ろ。」
イノ「え…?」
ルシフェルに指し示されたそこには、残された地表を不気味なほどにゆっくりとした速度で舐めながら進み、方舟を飲みこもうとする、上空からでも明らかなほど巨大な大津波が迫っているのが見えた。
ルシ「この時代まだまだ船舶の設計思想は未熟だからな…あのレベルの大波に直撃されたら、方舟といえどひとたまりもないだろう。物理的な法則だから、これはどうしようもない。」
さほど惜しい風でもなく、あっさりとそう告げるルシフェルに血相を変えたイーノックが大声で叫ぶ。
イノ「ルシフェル!私をあそこへおろしてくれ!…あの方舟と、波とのあいだに!」
ルシ「…は?馬鹿だな、お前そんなことをしたところで…」
イノ「いいから!早く私を陸へ!」
まさか…コイツ自分が盾になって津波の直撃から方舟を守るつもりか?愚かな…と思うルシフェルだが、その時イーノックが全身で叫んだ言葉に瞬間、思考が奪われる。
「…アナタは私に言った!”常に人にとって最良の未来を思い自由に選択して行け”、と。今がその時だ!」
一瞬ためらったルシフェルの手を振りほどくと、そのまま腰から抜いたアーチを構えてゆっくりと方舟の方へ滑空しながら落ちて行くイーノック。しばし呆然として上空から見送るルシフェル。
”…私はあの時、この手をはなしたことを、永遠に後悔するだろう…。”
ルシフェルの胸の中のそんな声には、ルシフェル自身も気づいてはいない。
ちょっとした山のように巨大な方舟の中、迫りくる大津波に怯えていた人々が、何かに気づいて叫ぶ。
人々「おい見ろ、何だあの光は?!」
人々「神か?それとも天使…?」
白く輝くアーチを構えて空から降りて来たイーノック。そのまま波に対し真正面から立ち、方舟に背中を向ける。次の瞬間、イーノックの手からアーチが消え、代わりにベイルが現れる。同時に、ルシフェルが背後に瞬間移動で現れて、豪雨に負けない音量でイーノックに叫ぶ。
ルシ「ガーレの支配権をよこせ!…馬鹿め、お前一人で出来るとでも思ったのか!」
イノ「…有り難う、ルシフェル!」
刻々と目の前に迫る大津波に向けて神の武器ベイルを構え直すイーノック。まだかなり離れているにも関わらず、滝壺の近くにいるかのように水飛沫が突風となって吹きつけて来る。
攻撃姿勢でベイルを構えるイーノックの後ろに、同じく神の武器ガーレを攻撃姿勢で構えたルシフェルが、明らかに戦い慣れた様子でコンビネーションの態勢を取る。ついに波の直前、
ルシ「来るぞ!!」
イノ「うおおおおおおおおおお!!!!!!」
鬼のような形相になり、オーバーブースト最大出力で地面に神の武器ベイルを叩きつける。次の瞬間、二人分の神の武器最大出力の稲妻が炸裂し、目の前で太陽が爆発したような眩しい閃光と灼熱、轟音とともに大量の土煙と波飛沫が、巨大な柱となって天まで届くかと思われた。
その衝撃によって、長大な壁のように迫っていた大津波がまっぷたつに割れ、方舟の両側を激流となって大水が取り巻いた。ギギィ、と重たげな音がして、波頭の直撃を免れた方舟がゆっくりと水に浮かぶ。
恐怖で身を寄せ合っていた方舟の中の人々から、わあっ!と歓声が上がる。
人々「浮いたぞ!やはり神が御助け下さったのだ!!」
人々「そういえば、天から波の前に降り立った、あの光り輝く人影は何処に…?」
先刻まで方舟が置かれていた地面は既におおかた水の下になり、見渡す限りの海原と雲の垂れこめる空以外に視界に映るものは何もない。
転換。
少し離れた海面に突き出した、わずかな崖の上。荒れ狂う波の中から、鎧は剥げ全身ぼろぼろになったイーノックをを引き上げるルシフェルの姿。
ルシ「…よくやったなイーノック。お前のお陰で方舟は救われたぞ。…しかし、これはやはり無理だな…」
そう言いつつ見おろすと、まともに津波の水圧を喰らって全身の骨が砕け内臓破裂を起こし、虫の息のイーノック。潰れた喉からはひゅうひゅうとか細い息が漏れ、とても言葉にはならない。
ルシ「なあに、大丈夫だ。待ってろ。いま巻き戻してやるぞ…」
そう言って、ごく当たり前のようにいつもの時間操作をしようと指を合わせる。そのルシフェルの手をぶるぶる震えるイーノックの手が、掴むというにはあまりにも弱々しい力で、止めた。
ルシフェル「…?」
唇に耳を押し当てなければ聞き取れないほどの小さく掠れた声で、イーノックが必死に懇願する。
イノ「…ダメだ…ルシフェル。いま…戻しては、方舟まで…」
一瞬の沈黙の後、にっこり笑ってルシフェルが答える。瀕死のイーノックの眼に映るその笑顔たるや、まさに天上界一愛された天使にふさわしい、光輝くような魅力的な笑顔で。
ルシ「残念だが、いくらお前でもその頼みは聞けないなぁ。」
イーノックの願いなど気にする風もなく、ルシフェルの指が合わさって音を奏でるべく力を溜めて行く。
ルシ「安心しろイーノック。この次は、お前があの方舟を見つけないルートで飛ぶからな…。」
そのまま軽い動作でパチンと指を鳴らす。とっさに眉をひそめるルシフェル。違和感があった。
ルシ「…?」
目の前の地面にはボロボロのまま変化がないイーノック。バチン、バチン、と何度鳴らしても一向に時間は巻き戻らず、次第にいら立ちから焦りに変わっているルシフェル。
ルシ「くそっ、何故だ?!」
ふと何かを感じてギクリとして振り向くと、それを待っていたようにイーノックが切れ切れに声を掛ける。
イノ「…あ、りが、とう……ル、シフェ、ル……。」
とっくの昔に全てを満足して手放してしまったような、イーノックの澄み切った笑みに、胸を突かれる。
ルシ「おい、やめろ!こんなのは予定に無い、絶対に違う…違うんだ!」
それを口にしているルシフェル自身は気付かないまま、最後には縋るような必死の叫びになっている。
ルシ「駄目だ…一人にするな…!私を残して、死ぬな…イーノック…!!」
思わずルシフェルが掴もうとした手の中で、イーノックの指先からみるみる血の気と力が抜け、ぽとりと地面に落ちる。うっすら笑みを浮かべたままの、目を閉じた安らかな死に顔。
その場に一人残されたルシフェル。これまでにも飽きるほどに何度も目にしてきた筈の、しかし今度こそは、二度と動かないイーノックの体。
ルシフェルは、まるで生まれて初めて知る沈黙を噛み締めるような表情で、しばしの間そのまま海面に唯一残った小さな陸地に立ちつくして、呆然としていた。やがて不気味なほど静かな口調で、ぼそりと呟く。
ルシ「そんな…魂も見当たらないなんて。…ありえない…。」
次の瞬間、全身の動作で振り返ったルシフェルが、虚空に向かって腕を突き出す。鉤爪の形に開いた掌から強烈な光線が発して、矢のように駆け上がると、天空を覆う厚い雲にまっすぐ突き刺さる。
天上界。
美しく静謐な広大すぎる庭園の一角が、いきなり閃光と轟音に包まれて消滅する。
荘厳な宮殿がにわかに騒然となり、奥まった一室にいた大天使ミカエルの耳にも届く。扉を開けて翼を持つ天使の衛兵が掛け込んで来ると、あわただしく膝を付く。
衛兵「報告します!現在、宮殿西の一角に何者かの攻撃を受け、建造物は大破。…全軍の三分の一が、持って行かれました…!!!」
上級天使「何だと!?」
報告を聞きどこか悔しそうなミカエル、雲の切れ間から今は水没した地上を見やる。絞り出すような苦しげな声で、
ミカ「馬鹿な…何故気付かん?!ルシフェル…!!」
ミ カエルがさらに奥の扉へ目線を移す。閉ざされた扉の奥では、大きな天蓋つきの寝台に横たわる細身の人影と、心配そうに寄りそう美しい大人の女性。横になっ ていた人物がほっそりした手を伸ばして、不安がる子どものような表情を浮かべた女性の、白磁めいた滑らかな頬に触れる。
神「…心配しないでイゾメロン。大丈夫よ…」
苦しそうな息の下から小さく虚空へ呼びかける。様々な情感がないまぜになったような口調で。
神「…ルシフェル…。」
地上。
イーノックが横たわるのは大海に浮かぶ木の葉のような小さな陸地。ルシフェルの天に向けて光の矢を放った腕から、突如として勢いよく鮮血が噴き出すが、気にも止めず仁王立ちになったまま叫ぶ。
ルシ「そんなにこの”世界”とやらが大事か!!?」
ほとんど絶叫のように。ルシフェルの鬼気迫る声と波動が呼んだ強風に服はひらめき、いつもは丁寧に撫でつけている漆黒の髪も乱れている。倒れたイーノックを手で示しながら、天空に向かって叫ぶ。
ルシ「どうして、私にイーノックを助けさせなかった?!」
答えなど始めから求めていないかのように、血を吐く如き怒りをただ叫び続ける。
ルシ「君は、決して私だけのものになってくれないくせに…今度はイーノックまで、私から奪うつもりか!!!」
幾星霜もの鬱屈した感情を爆発させるように、再び鉤爪の形にして振り上げた腕へと光を集める。その動作の途中にも血が噴き出し続けている。まるで存在を内側から引き裂こうとするように。
(…堕天の構成要件は…”神を呪う”こと…コードは”実行”されて、初めて効力を持つ…)
ルシ「私は、君を、憎む!!!君が作り、守る、この”世界”の全てを!!呪ってやる!!!!」
完全に絶望しきった凄惨な笑みとともに、血の混じった涙を流しつつ、全身から噴水のように血を噴き出しながら。それでも、天空へ向けた攻撃を止めようとしないルシフェルの耳に、いつかの共寝の褥で聞いた愛しい神の声が蘇る。
(…世界の敵と認識されたのが”大天使級”なら…ただちに、”システム”によって排除される…)
ガ バァ!、と突如ルシフェルが立っていた地面の周囲が大きく割れ、巨大な岩盤が立ちあがると、牙をもつ獣の顎のようにルシフェルの体を今まさに飲みこもうと している。その中心にあって抵抗する様子も無く、ルシフェルがゆっくりと青ざめた顔を横に向ける。スローモーションのように。
わずかに離れた地面には、穏やかに眠るようなイーノックが横たわっている。ルシフェルはそちらへ向かって腕を伸ばす動作を見せる。波浪と暴風と土煙が荒れ狂う周囲にも何ら影響されない、静かな共感と、愛着に満ちた眼差しで。
ルシ「イーノック…。」
一 杯に伸ばしたルシフェルの手がイーノックに届くことはなく。直後にそのまま轟音とともに岩が閉じて、ルシフェルの体は地面に開いた大穴に飲まれて消えてし まう。そして大岩の顎が閉じふさがり、地鳴りが収まると、あたりにふたたび静寂が落ちる。岩に打ち寄せる小さな波の音だけが、いつまでも響いている。
幕間
(ただひたすら風と波の音が響いている。)
後編
かすかな風と波の音だけが響いていた空間。次第に宙空へ光が集まり、人影を形作り始める。
「…どうして洪水を起こす必要があったか、わかる…?」
ゆるやかに波打つ長い長い白金色の髪。一見するとたおやかな女性のような、どこか中性的な肢体。
倒れたイーノックのかたわら、わずかに見おろす高さに神が現れる。額で分けた髪の毛に隠された表情は窺い知れないまま、最高級の薄い磁器の鈴を鳴らすような、まろやかで美しい声。
「…それは私(神)が、死ぬからよ…。」
大洪水を起こす必要があった理由が神の口から語られる。
イーノックが神の武器を自在に操り、浄化を行い、物質操作の能力をも身に付けた。いわば「神の知恵」を完全に我がものにした者が人の中から現れたということは「神の交代の時期」が来たことを示す。
ルシフェルは唯一の、神が意図せずに生み出された大天使だったように。イーノックもまた神が意図せず、人類の中から生み出された「神の代行者」たりうる人間 で、その成就のためには一度死んで人の身を捨て、大天使として転生する必要がある。人の器に神の魂は収まりきらないから。
神「天使には寿命がないのに。不思議ね…神には、あるのよ…。」
それは永遠に近い時を最も間近で共に過ごしてきた大天使ルシフェルでさえ、かつて一度も見たことのない、寂しく弱々しげな神の微笑みであった。
「世 界の調和を守って来た要の存在、天界軍の最高司令官たる神が死に、さらにかつて異界を退けた”最強の黒い大天使”という力をも欠いた状態で―。必ずやその 不在の隙を突き異界の軍勢に攻め込まれることになる。それを防ぐためには事前に地底(異界の入り口)へ続く穴という穴、裂け目という裂け目を「神の力に満 ちた水」で塞いでおかなければならないのよ。哀しいけれど、何度計算しても、他に現実的な方法は無いの…。火も、氷も試したけど、それだと生物は、特に人 類はただの一人も生き残れないわ。」
そう語る神の口調には一切の迷いは無い。しかし、その姿からは徐々に発せられる光が弱まって行く。
「…私は何としてもこの世界を守らなければならない。それが私の”創造主”としての務めだから。世界そのものの基本構造を守るために、一度全てを犠牲にする必要があったということよ。ふたたび”新しい神”の秩序のもとに、この世界が存続し、生まれ変わるために…。」
誰の理解をも求めていない、ただ自らに言い聞かせるように淡々とそう語る神の、細く儚げで、孤独な姿。
神「さあ…目覚めなさい。私の”最後の大天使”メタトロンよ―。」
言い終るや、力尽きて崩れるように倒れ掛かる神。瞬間に、はるか天文学的に遠い昔を回想している。
神の回想。
「無」から「有」を生じさせた「あらゆる全なる父」と呼ばれる存在がいた。始まりからすでに死につつあった、その彼から発生した複数の兄弟(のようなもの?)の中にこの神も。一番ひ弱そうな見た目。
(ウ エーブのかかった白金色の髪は後よりもずっと短く、腰にかかるくらい。はっきりと見てわかる華奢で女性的な体型。額で分けられた髪の下、優美なカーブを描 く眉と長い睫毛の奥には、深遠な蒼とも碧ともつかない不思議な色合いの光彩を浮かべた神秘的なふたつの瞳が見える。)
「あらゆる全なる父」から離れ、それぞれの理想とする世界を創造するべく散って行く兄弟達をよそに、「彼女」(かつての神)だけは、いつまでも死にゆく父の傍らを離れようとしない。
父神「…皆はもう行ったよ。さあ、お前も早く行きなさい。これからは自分の”世界”を創るんだ。」
穏やかに諭すように言われるが、ゆっくり首を振る。父と娘はどことなく姿形、纏う雰囲気が似ている。
神「…いらないわ、”世界”なんて。だからお願い…私を、一人にしないで…。」
彼女のそんな儚い願いも虚しく、父神の姿は光の粒子が空中へ飛散するように消え、独り残される神。
世 界の創造にあたり、彼女は自らの世界を守護する存在として、自分の一部から「天使」を創造した。その時、自らが「神」となり純粋無垢な「神性」を保持する ために、排除した部分が無意識に集合され、外に出た(この時に外見上の性別も無くなった)のが「神の不要物の集積体」である「神の影=黒い天使ルシフェ ル」だった。
同じく「あらゆる全なる父」から生まれた「大いなる者」達の間でも、それぞれの特性に従って創造した世界の姿は大きく異なっていて、「巨大さこそが力」「混沌こそ無比」「たえまなき灼熱」「凍える闇」「姿なきこそ無限」「独立少 数の完成された個」など理想としたところは多種多様。それでも、長い長い時を経る間に、各々の世界の「豊かさ」には際立って違いが見えて来る。
意外にも、最も安定し多様で豊かな世界を作ったのは、あの非力そうな(元女性形の)神。彼(彼女?)が一番に重視したのは「調和」。そこでは神は支配や搾取よりも、世界全体のバランスを管理する者。
巨大さや欲望、力のみを重視しバランスを欠いた他の世界は、彼女の世界ほどの豊穣を得られず、次第に野心や嫉妬からその豊かな領域をかすめ取るべく狙われるようになる。こうして常に異界からの侵略にさらされるようになった世界を守るために、緊張にさらされ続ける神だった。
神の回想終わり。
神「…ねえ。私は…ちゃんとこの”世界”を、守れたのかな…?」
そこにはいない誰かに向けて囁き、崩れるようにイーノックの骸の上に倒れ込んだ神の輪郭が触れた途端、その姿が光と共に消滅する。同時に一陣の見えない突風のような波動がフワッと大きく広がり、そのパワーによって物理的に凪いだ海面に波紋を何キロにもおよんで刻んで行く。
七日七晩という長い静寂の間があった後で、ゆっくりとイーノックが目を開ける。視界はまばゆい光に包まれ、その中を一人の天使が進み出る。ルシフェルとそっくりな、でも髪と瞳の色と表情が違う、大天使ミカエルだった。
ミカ「お待ちしていた。…”最後の大天使”メタトロン。神御自身が選ばれた、”神の代理人”よ。」
そう告げる大天使ミカエルの表情は湖面のように静かに見え、感情らしきものは読みとれない。天上界の寝所から神の姿が消えた時、付き添っていた美しいイゾメロンも消えていた。彼女の行方はわからない。
ミカ”…それでも、私は神の左手たる大天使として務めを果たさなければ―。”
そう思って彼は目の前の、かつては人間だった存在へと従順にかしずくのだった。
緩 慢なほどにゆっくりとした動作で起き上がるイーノック…今は大天使メタトロンとなった存在が、海面に唯一残された地表に立ちあがる。その姿はいつの間に か、濃密な黄金色の髪の毛はうねるように長く伸び、砕けた鎧は消えて、簡素だが気品のあるシルエットのゆったりした白い長衣に変わっていた。
ふと、メタトロンが顔をあげる。碧の瞳は人間だった頃よりも、さらに深い色合いで輝きを増している。
ぽつりと呟くように、男らしい唇から言葉が漏れた。
メタ「…”彼”を、救わなければ…。」
転換。
荒涼として奇妙な形をした岩ばかりの地底の暗い世界。秩序ある地上を統べる神によって排除されてきた異界の一つを、黒い服に包まれた長身痩躯の人影が悠々と歩いて行く。
影の前に、この異界に棲みつく低級な醜い怪物が現れた。歩いて来る影の存在に気づいて怪訝そうな唸り声をあげる。相手が周囲の景色に対してあまりにも場違いな容姿だったから。
黒い服がところどころ裂け、あちこちから血を流しつつも内側から光り輝くように美しい造型、そして何処か、せいせいしたような顔つきで不敵に笑うルシファー…かつては、ルシフェルと呼ばれた男が呼ぶ。
ルシファー「…おい、そこの下郎。私をお前達の王のところへ案内しろ。」
そこで、ニタァと挑戦的な笑みを浮かべると、さらに傲岸不遜に言い放った。
ルシファー「…もっとも、私の前の王、ということになるがな。」
傷ついた黒衣の男から放たれる凄惨なオーラに気圧され、ちっぽけな怪物どもは震えあがった。
転換。
光にあふれた天上界。神が座する宮殿の玉座に腰掛けているのは、かつてイーノックと呼ばれた、今は最高位の大天使、”神の代理人”メタトロン。人間だった頃も立派な体躯だったが、さらに見上げるように大きい圧倒的なまでの存在感。
濃い金色の睫毛に縁取られた深い深い海原のような碧の眼に見つめられた者は、内面の奥底まで全てを見透かされるような畏れに打ち震え、思わず知らず膝をついているのだった。
大 洪水に洗われた地上からも長い時間を掛けて完全に水が引き、方舟によって生き延びた人間達の生産活動はようやく再び落ち着きを取り戻しつつあった。(神の 警告を受け取り、”方舟”的なもので生き延びた者達の存在は世界に一カ所というわけではなかった。そしてそれぞれの土地に「洪水伝説」が残ることにな る。)
ある時、”神の代理人”メタトロンの前に、一人の人間の少女が連れて来られる。
天 上界には場違いな、粗末な麻布の赤い服を身にまとい、一方の肩から青い布をケープのように掛けている。かつては”鎖”のように床まで届くほど長々とうねっ ていた髪の毛は、今は明るい色でふわふわと波打ち、肩のあたりで切りそろえてあった。物怖じしないその少女は居並ぶ高位の天使達に囲まれながら、きょろ きょろと周囲を見回している。そんな少女を迎えるメタトロンの眼差しはどこか懐かしげでもあり、慈愛に満ちた口調で言った。
メタ「…お帰りなさい。」
首をかしげた少女が不思議そうに、目の前にいる神の如く立派な風体の大きな男を見上げる。
少女「私、あなたに会うのは初めてだと思うけど?」
額で分けた髪の毛で隠れてその眼もとはよく見えない。愛らしいけれど随分と大人びた表情をしている。その答えにも、大天使メタトロンはただ優しく眼を細めた。
メタ「ああ、そうだったね。…こっちへ来てごらん。」
少女が、何かいいことがあるの?とばかりに嬉しそうに歩み寄る。
荘厳な玉座から立ち上がったメタトロンは華奢な少女の前に膝をつくと、大きな両手で何かをそっと包み込むような仕草を見せる。少女がそれを興味しんしんで覗きこむ。メタトロンの柔らかく、深みのある声が響く。
メタ「さあ、手を出して。…この子どもを君に預けるよ。いや、”返す”と言った方がいいか…」
そこで一旦言葉を区切ると、わずかに憂いを含んだ声で少女にこう呼びかけた。
メタ「…マリア。」
マリア、と呼ばれた少女の繊細な両腕に抱えられて、一人の赤ん坊がすやすやと眠っている。
少女「まあ…かわいい赤ちゃんね!」
メタ「その子と一緒に、君はこれから地上界へ行くんだよ。」
少女「本当?私、この子のこときっとすごくかわいがるわ!」
興奮ぎみで答える少女に笑いかけながら、メタトロンの厚みのある大きな手が、壊れそうに小さい赤ん坊の頭をそっとなでる。
メタ「…体は、人間だった頃の私の肉体を。でもこの髪の毛だけは、”彼”のものなんだよ。あらゆる時空を探して、彼が残した言霊のかけらを一つずつ拾い集めて…一万四千年も掛かってしまった。それでも、色が足りなくてね…」
赤ん坊の頭髪は、黒よりもやや明るいこげ茶色。ぱちりと眼をあけると、夜が明ける寸前の晴れ渡った空のような、深いながらも明るい青灰色の瞳が。
大天使メタトロンが立ち上がり、よく響く大きな声で呼ばわる。
メタ「これよりマリアが地上へ赴く。牢の者達を解放せよ。地上で彼女の周囲を守るように。」
それを聞いた天使の幾人かが不安そうに異議を唱える。
天使「しかし、”神の代理人”。あの者達はかつて天界に敵対したことも―…」
メタ「大丈夫。問題ないよ。地上を愛した者達の魂だし、それに今はもう、ただの風だ…」
ふわり、と広大な空間に一陣の爽やかな風が吹きこんで、赤ん坊を抱いた少女を守るように取り巻く。ゆるやかに波打つ髪が心地よさげに風に揺れる。赤ん坊はまたすやすやと眠りについている。
ふたたびメタトロンが少女に向き合う。
メタ「覚えておいて、マリア。地上に降りた後、その子どもは―…」
転換。
地底深く、暗い暗い、黒水晶の迷宮の様な場所に、冷たい静寂の空間が広がっている。
青年「…それで、私は地上で何をすればいいんだ?」
張りのある男性の声。短い黒髪を立てて、美しい顔に挑発的な笑みを浮かべた黒衣の青年が目の前の闇に語りかける。
奈落の底から響くような、魔王ルシファーの声が答える。
魔王「…お前のすべきことを、存分にするがいい。わかっているだろう?」
青年はフン、と鼻を鳴らすと手に持っていたビニール傘をステッキのようにくるりと回して見せた。
青年「この格好は気に入ったよ。あんたとは、こいつで話せばいいんだな?」
ひらりとかざした手には黒いスマートフォン。闇の中から声がまた言う。
魔王「お前は地上で、”新しい神”によって選ばれ愛された者達を、その饒舌な唇と悪戯な眼差しとで誘惑し、堕落させるんだ。お得意だろう?」
青年「神に選ばれたはずの御立派な人間の魂が、まかり間違って”こっち”へ堕ちてくる。そうすりゃあんたのメシウマってわけだ。」
魔王「まあ、そういうことだな。…見ての通り」
闇の中にうっすらと巨大な体が浮かび上がる。頭部には不気味なツノが、背には蝙蝠のような翼、異形の体の中で、しかし、顔立ちだけはかえって恐ろしいほどに 整って、かつて彼がルシフェルと呼ばれていた頃よりも、凄惨な美貌はいっそう鋭さを増している。血よりも赤い瞳を縁取る黒く長い睫毛の下、水滴模様の黒いあざが一筋、見えた。まるで涙のような形に。
魔王「…この体では、そうそう外に出て行くわけにもいかん。敵どもを片端から倒して取りこんだ結果がこれだ。」
青年「そうだね。あんたがその姿で地上に現れたら、そのまますぐにもハルマゲドンが始まってしまう。」
クスクスと面白そうに笑う黒衣の青年。ジーンズのポケットに手を突っ込んで伊達男めいたポーズを取る。それに答えるでもなく、闇の中の声が、どこか感慨深げにつぶやく。
魔王「…”前の神”は、大した奴だったさ。結局、私という存在によって橋頭保を得、この異界までも自らの支配領域に取りこんでしまうことで、新たに構成し直す世界の拡張性を手に入れた。」
そこで一旦言葉を切ると、いかにも皮肉だと言いたげにフッと笑う。
魔王「お陰で今では、この私が”新しい神の影”というわけだ。まったく、どこまでも狡猾な…いやな奴だよ…。」
青年「…会ったことはあるのか?新しい神とやらに?」
魔王「無い。しかし、どこのどいつだろうが認める訳に行くまいよ。私は”世界を呪う者”なのだから。」
青年「ふうん。…じゃあ私はそろそろ行くよ。そういえば名前はどうする?」
魔王「そうだな、メフィストフェレスとでも名乗るがいい。人間共はいずれその名を”悪魔”の別名と認識することになるだろう…さあ行け、私の分身。どこにでも密やかに滑り込む影よ。」
それを背中で聞きながら、青年は慣れた様子でスマホの画面をいじっている。
青年「…この待ち受け画面の美人は誰だい?ま、地上へ行けば会えないこともないかも知れないね。さっそく楽しみが一つ増えたかな…。」
闇の静寂の中、寒々しくも広大な空間に細身の青年がパチン、と指を鳴らす乾いた音が響き、誰も居なくなった。
転換。
天上界では、今まさに”神の代理人”メタトロンが玉座から地上へ、”聖なる少女”マリアと、”唯一の選ばれし者”である赤ん坊を送りだそうとしている。
メタ「気をつけて行くんだよ、マリア。祝福を…」
そういって大きな体を屈め、少女と腕の中の赤ん坊の額に、それぞれ丁寧に祝福を与える。眠る赤ん坊をじっと見つめる眼差しは、どこか遠くを見つめているようでもあり。そっと幼い二人を抱き寄せて言う。
メタ「…この子を通して、我々の浄化の光があまねく地上を照らし、いつの日か、地底の冷たい座にいる”彼”の元をも照らすように…その時を、共に待とう。」
その、まさに同じ頃。
異界にある地底の冷たい水晶の玉座に腰かけた魔王ルシファー…かつてルシフェルと呼ばれた大天使…も、メタトロンと全く同じように、此処ではないどこか遠くを見つめつつ、囁くように独り語る。
魔王「…例え永遠を幾千度、繰り返そうとも…」
メタ「いつの日か君を」
魔王「いつの日かお前を」
二人「…必ず、探し出そう。」
いつかの天上界。
初めてビニール傘を手に入れて来て、上機嫌でミカエルに見せびらかすルシフェルがいる。
ルシ「ほら、いいだろこれ。雨が降った時に、こうやってな…」
それには反応せず、微妙に目線をずらしたまま別の答えを返すミカエル。
ミカ「…神が。さっき自室で、つらそうだった。」
ルシ「!」
ミカ「早く行ってやれ。私では、駄目だ…。」
とっさに傘をそこらへ放り投げて、後も振り返らず駆け出すルシフェル。
ミカエルは落ちたビニ傘を拾い上げて、眺めつつ首をかしげる。
ミカ「これは…どう使うものだ?」
神のモニタールーム。
ルシフェルが部屋に足を踏み入れると、ボソボソとかすかに苛立ったような独り事が耳に入る。
神「ああ…ダメよ、そこに定住しちゃ。そこは東西を海と湖、南北を高い山脈に挟まれて、一定の条件がそろった時には必ず巨大な嵐が発生するって…何度も言ってるじゃない!」
両手で顔を覆った神の隣に腰かけ、いたわるように細い肩を抱き寄せながら声を掛けるルシフェル。
ルシ「…神。」
神「このあいだ壊滅する村を見せたのは、たった300年前よ?!どうして忘れてしまうの、みんな…」
ルシ「仕方ないよ。普通の人間は、100年も生きない。」
神「…わかってる。でも、哀しいわ。また大勢死ぬのよ…。」
ルシ「うん…。」
神「私には、どうすることも出来ない。神なのに…この”声”が届かないのなら…。」
ルシフェルは慰めるようにただ黙って寄りそう。そのまま無数の光るモニターを二人で眺めている。
その二人の背中を、部屋の入り口に立ちつくしてじっと見つめている、メタトロンの姿。
やがてゆっくりとモニタールームの景色が解像度が薄れるようにして消えて行き、後には何も無い虚ろな空間に、沈痛な表情のメタトロンだけが残った。その寂しげな背中を、ミカエルが黙って見守っている。
ミカ「…メタトロン。また此処へ来ていたのか?」
メタ「ああ。今行くよ、ミカエル…」
わずかに顔だけ振り向かせたメタトロンの眼に、光るものを見つける。
ミカ”…泣いていたのか?”
通り過ぎるメタトロンを見送ってミカエルは手の中の傘に眼を落とす。外へ出ると光に満ちた天空から、ぽつぽつと透明な水滴が、前の神が残した美しい庭園の上にまばらに降って来る。
…雲よりも尚高い天上界に降る雨は、神の涙…
ふと、傘のボタンに気づき開いてみる。透明なビニールの表面に水滴がつたい落ちる。涙のように。
ミカ(ああ、そうか。こうやって使うのか…だからといって、どうということもない。)
ミカエルはふっと息を吐いて、その傘を庭園のバラの木に挿し掛ける。
ミカ(…私は、そう認識するだけだ…。)
それは、語り継ぐことを許されなかった物語達―。
<ながいながい旅の終わるとき~完~>
ながいながい旅の終わるとき
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(※この物語はファンによる二次創作活動であり、ゲーム・周辺小説等の公式とは一切関係ありません。)