practice(30)


三十





 駱駝の音が聞こえたと,身振り手振りを交えられながら教わる。両の手を交互にかくように,動かされているその音はさっきの買い物終わりで通り過ぎた,子犬が見上げる店の前の通りを歩いているようだ。随分と低い位置で懸命に宙に表れて,でこぼこしている様まで見て取れる。上手にそれをしようとした訳ではないのは,たまに跳ねる足付で分かる。飛んで行きそうなぐらいのそれは,心から生じた驚きと気持ち。
 勿論,そんな訳がないと最初から思っているけれど緩やかにその長さを縮めている,上り坂の半ばから話を終えるのも勿体無い。提げる袋の口から見えるトウモロコシも横向きのままに,大小さまざま,色とりどりの他の野菜に牛乳や,チーズや卵の容器がした支えする慣れていない秩序の真上で,葉をつけたままに堂々としている,履き慣れたズボンのポケットでリラックスした片手が欠伸を隠す余裕も持って帰路に付いている。聞けることは一つじゃない。
 馬ではない,と言い切れるのはやはりあのシルエットと,のんびりとした尋ね事らしい。生憎,整備された街の中には水辺が見当たらないから外れの公園を教えたらしかった。そこは確かに綺麗に完備された噴水がありはする。常時に及んで水も絶えない,けれど駱駝が求めていたのはそれだったのかは考えどころだ,喉を潤す次いでに見て来たもの,知って来たものを話したかっただけかもしれない。あるいはコブを掴んで,乗ってもらってそれこそ散歩のようにそこらを闊歩したかったのかも,誰かが付けた手綱をぶら下げて,しかし従者のような人影も見当たらずに後悔の跡形も見渡せずに,乗り心地はなんて聞いてくる。あるいは,あるいは。闊歩闊歩。
 馬とは違って蹄はクッションのように柔らかいそうだから,石畳の通りであっても『カポカポ』なんて鳴らさないかもしれないけど,それなら静かにこちらから聞いてみたいのはお互いの第一印象,初めに眺めた遠くの姿。それでなんて言う?と急かされて,ラクダのようでしたと返すのは間違いでないけれども変だ,じっくりと踏みしめたことのない砂漠の何処かで細い脚の上にある起伏に出会えたならもっと気の利いたことを言えそうだ。それならここなら?また違って綺麗に完備された噴水がある公園なら?状況に大きく左右されない心情,なんて大仰な立て看板を施してしまいそうになるのはとても控えて行こう,設えられた窓硝子に写るのは目と目が合う自分たち,重なったりする鉢植えにお出迎えする忠実な置物だ。それぞれに物語を彩る,それぞれにある物語。
 よっこいしょ,と坂を上り終わっても風が吹かない,始まる下り坂は高さを特に見せる。細々に散りながら広範囲に及ぶ雲は終わりたがらない遊びにこだわって,夕方の陽射しに見守られている,空も青色をきちんとは捨てられていない。マーブル色は生まれていても。
 駱駝に乗って,歩かない,教え合う信条と第一印象。安心感でした,それも不思議な曲線に描かれたような。指でなぞってみたりせずに,目で追うことにとどめて。力強さなんて無かった,それでも大荷物を軽々として,誇示しない。水辺に座って,寛ぐのも似合いそうな,時間を長く食べているような,慌てることを沈めているような。揺らがないといえばそうで,立ち上がればサクッという音をさせそうな。
 それから水辺は見つかりましたかと尋ねる,今日の食事は野菜が中心と言ってから。
 いくら低いとはいえ,登るのは易いことじゃない。知り合いに送る写真に混ぜて,送ってしまおうと思っていたから家に着いても落ち着けずに,梯子を奥の物置から持ち出す。結構長いことを失念して壁のあちらこちらにぶつけながら外に運び出す,壁にかけてから安定するところを限界として階段に落ち着く。腰を捻って,もう一度安定感を確認してから首にかけて持参したカメラを手に持ってカヴァーを外し,レンズを向ける。それから脇を締めて,もう一度レンズを向ける。撮る。一枚,それからもう一枚。やっぱり光が焼き付いた,。瞑った先の暗さ中で,真っ向から形を取ってる。
 それは何と言えるか。そのまま耳を澄ませてみる。
 

practice(30)

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-12-18

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