おおかみ青年の天気予報

気象庁の予報官である大神は、職場で、息子が消しゴムで自作したサイコロを転がしていた。

「はい、パパ。これあげる」
 朝、翼がくれたのは、晴れ、曇り、雨、の文字が書かれた六角形の消しゴムだった。
 試験の選択問題の時に転がして使う、運を天に任せるアイテムを改造した物らしい。大神(おおかみ)も中学生の時に使った覚えがあった。
「お、これで天気を決めろっていうのか?」
 幼稚園に通う息子も、父親が天気を予想する仕事をしている事は分かっている。
 大神は苦笑しながら、「ありがとう」と翼の頭を撫でた。
 さっそく机の上で転がしてみると、”雨”が上を向いた。
「明日は雨が降るらしいぞ」大神がそう言うと、「ボクもやるぅ」と翼も負けじと消しゴムを投げた。
 何度もやったら、その内全部の目が出てしまって収拾がつかなくなると思ったが、結果はやはり”雨”。
「パパとおんなじだね」翼が笑って、大神の手にそれを握らせる。
「ちゃんと使ってね。友達とおまじないを掛けといたからきっと当たると思うよ」
 そんなのが流行っているのか? ちょうど部屋に入って来た妻に目を向けると、はやり苦笑いしながらそっとテレビを指差した。
 どうやらアニメか何かで、そんなのをやっているらしい。
「そうだな、早速今日から使ってみるかな」
 大神はそのままいつも使っている鞄の中へ消しゴムを入れた。
 頭にはまったく別の使い道を思い浮かべながら……。

 ***

 気象庁の気象予報官。それが大神の役職だ。
 昔は、コンピューターが弾き出す何通りかのデータを、数名の予報官の経験と過去の似た天気図などを照らし合わせて修正していくのが普通だったが、しかし今は違う。
 予報官は何人もいるが、実際の予報は日ごとの持ち回りで、担当になった日はすべてを一人でこなしている。なぜなら仕事量が大幅に減ったからだ。
 そして今日は大神がその担当だった。

 さて。まずは机の上の小さな地図にダーツの矢を投げる。
 ……南関東ときたか。気象予報は日本全国を幾つかのブロックに分けて、さらに主要都市の天気情報を流している。
 大神は息子に貰った例の消しゴムを取り出すと、机の上にそっと投げ出した。
 コロコロと転がったそれは、三たび、”雨”と出た。ここまでくるとすごい偶然だ。
 天気図とコンピューターが弾き出したデータを眺め、”適切”に予想するのが大神の腕の見せ所。
 データから、明日は昼過ぎまでは晴れだが、北東の風が入り込む夕方からは雨になる予想だ。
 やっぱり夕方の雨を弄るのがいいかな? それが一番簡単だしな。 
 大神は何か問題がないか再度確認してから、発表する為の気象情報を修正していった。
 つまり、雨は降りそうだが、降りはしないと……。
 
 ***
 
 翌日の夕方。
 東京にある気象庁のビルは、もちろん南関東にある。
 大神はリアルタイムで送られてくる各種データを確認した後、立ち上がって窓から空を見上げた。
 十五時くらいまでは薄日も射していたが、今は空を厚い雲が覆って暗くなった所と、輝くように白い薄い部分とがまだらになっている。

 現在の数値モデルは多くの研究者によって改良が加えられ、日本独自の計算方法として確立されている。
 さらに衛星による海洋や大気の下層、中層、高層の観測の高度化と、陸海での観測点を増やした事に加え、高性能なスーパーコンピューターが膨大なデータを処理出来るようになったお蔭で、的中率は飛躍的に向上した。
 その確率は99%。自然相手だから決してそれ以上になる事はない。つまりこれが最高点だった。
 通信やインターネットの発達した現在では、携帯や情報端末にリアルタイムで、現在いる場所の天気を伝える事が出来る。
 落雷や突風などの危険を事前に知らせて注意を促す事も可能だ。

 しかしそれでは味気ない。
 時候の句は挨拶の始まり。
「いいお天気ですね」「暑くてイヤですね」「雨が続きますね」
 人が出会えば、口を突いて出るのはまずお天気だ。
 もちろん危険は警告しなければならないが、まったく外れない天気予報を人は望んでいるだろうか?
「傘を持って来なかったよ」「洗濯物干しっぱなしなのに」「何だよ、天気予報嘘ばっかりじゃねぇか」
 本当は皆言いたいのだ。当たらない天気予報にグチを零したいはずなのだ。
 それが会話を繋げ、共有感を持たせる事になる。
「一緒に傘に入って行きなよ」なんて新たな出逢いが始まるきっかけになるかもしれない。
 雨宿りに入った軒先で、空を見上げながら、ハンカチを貸し借りするようなロマンチックを消してしまうのを、大神は忍びなく思った。
「雨に降られて嬉しいはずないでしょ」と妻は言うが、そもそもふたりの出逢いがそんな物だった事を忘れてしまったんだろうか?
 生活は現実。まあ、家事に、子育てに追われる今の妻には、そんな余裕はないという事か。
 たまには濡れたっていいじゃないか。
 ずぶ濡れになった経験もしないで大人になるのは、ちょっと寂しい。
 大神はそんな風に思いながらデータを書き換えていた。
 
 気象庁は確実に予想出来るようになった事を発表していない。もちろん政府は知っているが、ここでその事実を知っているのは、自分を含め極僅かな限られた人間だけだった。
 的中率が90%を超えると、気象予報士は事実上廃業状態になった。予報会社もニッチなニーズを求めて生き残れるよう知恵を絞っている。
 気象庁が発表する内容が当たるのなら、別に独自の予報を立てる必要がないからだ。

「お、データ通りだな」
 ぽつりぽつりと雨粒が落ち始めた。窓ガラスにも水滴が付着していく。
 地上に目をやると、蜘蛛の子を散らすように、頭を押さえた人々が屋根を求めて走って行くのが見えた。
 別に優越感に浸るつもりはないが、ちょっと上から目線であるのは確かだった。

 コンピューターのデータは当たり。発表した物は外れる。
 その”はずれ率”は、自分達が調整している。
 天気というのは本来予想する物だが、ここまで来ると初めから決まっているのと同じような物だ。
 大神達がしている事は、本来の仕事からすれば本末転倒な内容だが、これは別にふざけてやっているのではない。
 天気の情報は国としても非常に重要なので、敢えて隠してあるのだ。
 もし不測の事態が起きれば、天候の良し悪しはより一層重要性を増す。他国に危険を知らせてあげれば、何かのカードにもなる。
 それを知っているのが自分達だけなら、色々と選択肢も増えるという訳だ。

「終了、終了。さて、引き継ぎをして帰ろうか……」
 雨を見届けた大神は、翼に、「消しゴムの通り雨が降ったな」と言ってやりたくてうずうずしていた。
 翼はなんて言うかな?
 傘の花が咲き始めた外の様子から目を離し、大神は足早に自分の机へと戻って行った。

 なぜかその後も当たり続ける事になる、不思議な消しゴムだとは知らないまま……。

おおかみ青年の天気予報

おおかみ青年の天気予報

気象庁の予報官である大神は、職場で、息子が消しゴムで自作したサイコロを転がしていた。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-12-18

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