アイノカタチ
「あ、にきび。」朝、顔を洗って鏡を見た時、鼻のてっぺんにニキビができていることに気がついた。まじまじと眺め、憂鬱になる。「どうして、よりにもよって鼻の上なのよ。」一人ため息をついた。それに、気になることはたくさんある。昨日夜更かしをしたせいか、心なし顔が腫れているような気がする。それに、体型。お風呂上がりに体重計に乗ったら2キロ増えていたからだ。最近だらだらした生活しかしていなかったからだろうか。運動部でもない私は、食べたものを消費できずにいる。それなのに、部活の休憩中にはお菓子ばっかり、少し節制しないとな、と思った。
「お母さん、おはよう。」台所で朝の支度をしているお母さんに声を掛ける。「ミサ、おはよう。今日は早いじゃない。」「今日は0限目がある日だから。」私の行く高校には、0限目というものがある。特進クラスで、進学を考えているクラスだから、週に2回0限目を設けて学力アップを図っている。普通科と同じような授業では、到底進学など無理だからだ。「卵焼いてるから、食パンに挟んで食べたら?」そうする、と言いかけて「今日は朝ごはんいいや。」「どうして?朝食べないと勉強に集中できないよ。」「ダイエットしようと思って。最近食べ過ぎてる気がするからさ。」「ダイエットなんてしなくてもいいのに。」「お母さんは細いから気にならないんだよ。」そう。私の母は痩せ型で、食べても食べても太らない体質。対して私は、食べたらすぐに反映されてしまう体型のお父さんに似てしまったから、食べれば食べるほど体重は増える。だから、ダイエットをすることにした。これが、始まり。
自転車を漕いで、高校の門をくぐる。朝練をしている野球部の野太い声が聞こえてくる。私の高校は学力レベルが低い。だけど、部活動ではかなり有名だ。野球部は甲子園出場常連校、アメフトも全国大会進出。そして、私の所属する吹奏楽部も関西大会出場歴がある。バカだけど真面目。それが、この高校にはピッタリの言葉だと思う。
教室を開ける。何人かはすでに来ているけど、みんな大体ギリギリにやってくる。朝も早いし仕方ないと思う。自分の席について、授業の用意をする。というか、先週出された宿題をまだやっていないから、今からやるだけ。「ミサおはよう!」元気良く声をかけてきたのは千春だった。高校で一番の友達。もちろん、部活も一緒。「千春、おはよう。朝から元気だね。」「うん!朝ごはんいっぱい食べてきたから元気モリモリ!」そう言う千春の手には袋菓子。「はい、新商品のクッキー。好きなだけどうぞ。」千春が袋をこちらに向ける。手を伸ばしかけて、やめた。「ダメ、今日からダイエットするの。」「えー、どうして?別に太ってないじゃん。」「それが、太ってたのよ。悲鳴もんだよ。」「そんな数キロ太ったくらいじゃ変わらないって。気にしない方が人生幸せだよ。」そう言って千春は笑い、クッキーを頬張る。「何事もチャレンジ。痩せたら褒めてね。」私は千春に言った。
昼休み。お弁当の時間。中身を開けると、揚げ物がたくさん入っていた。普段は全く気にならないのに、ダイエットを始めた途端食べるものが気になり始める。お母さんは弟のお弁当も一緒に作るから、必然的に揚げ物系が多くなってしまうのだ。いつもなら、喜んで唐揚げも食べる。けれど、今日は食べる気にならない。揚げ物をよけて、卵焼きとポテトサラダを食べる。唐揚げは、千春にあげた。千春はラッキーと叫んで食べていた。「ミサのおばちゃんの料理美味しいから残すのもったいないよ。」棚ぼた棚ぼた、と千春は繰り返していた。そんな千春を横目で見ながら、ご飯も少し残した。
部活を終えて、家に帰る。「ただいまー。今日の晩ご飯は何?」私はいつも、帰って一番に献立を聞く。もともと食べることが大好きだから。いつもの習慣で聞くと、何時もの調子でお母さんが言った。「今日は、鳥の甘酢あんかけと。パスタだよ。」「高カロリーじゃん!私は少なめでいいや。」とお母さんに告げる。「分かった。」としぶしぶお母さんは言う。晩ご飯の時間になり席に着く。私の家は、家族みんなで揃って食べる。横ではお父さんがビールを開けながら、ナポリタンパスタにさらにケチャップをかけて粉チーズを振っていた。「そんなめちゃくちゃな食べ方をしてるから、お父さんはどんどん太るんだよ。」そう言って軽蔑の目を向ける。「ミサは今日食べる量少ないじゃないか。」お父さんは私のお皿を見る。私のお皿には、半人前分くらいのナポリタンと、鳥の甘酢あんかけが少し。白ご飯は今日は我慢。「ダイエット始めたの。」「そんなことしなくても…。」とボヤくお父さんをよそ目にさっさと食べて席を立ち話を切り上げた。
その夜、ものすごくお腹が空いた。そりゃそうだと思う。普段に比べたら全く食べていない。間食も今日はしていない。お腹空いたと口にしたらなんだか負けたような気がするから、絶対に口にはしない。お風呂上がりに体重計に乗った。体重を見てびっくりした。減っている。食べなかったらこんなに落ちるのか、と衝撃を受けた。満足感と達成感で、いつの間にか、空腹感は消えていた。
次の日からも、朝ごはんは食べない。お弁当の中身で高カロリーなものは避ける、間食はしない、晩御飯も減らす、というような生活を続けた。すると、みるみる体重が落ちて行き、2キロ増えた体重が5キロ減った。ダイエットは成功だった。そこで、満足して終わればいいものを、完璧主義な私はさらに厳しいダイエットをしようと決意した。それまで以上に食べる量を減らし、運動をした。半身浴を長時間して汗を流しランニングもする。21時以降は何も食べない。そうしたら、体重はさらに減った。ある日、お母さんが私を見て、「痩せすぎじゃない?」と言った。「そんなことない!」と私は声を荒げた。まだまだ私は太っている。もっと痩せないといけない。そんな考えで頭がいっぱいになっていた。クラスでも千春が「ミサすごく痩せたね。でも、それ以上痩せるのは良くないよ。」と心配をする。けれど、私は「そうだね、そろそろやめて普通の食生活に戻すよ。」と言うだけ言って、変わらない制限生活を続けた。その頃、体重はいつの間にか、10キロも落ちていた。周りの私を見る目も変わる。「痩せたね。」から、「ガリガリじゃん。」に変わった。もっと食べなさいと周りが私を食べさせようとする。それが、すごくイライラした。お母さんも、「痩せすぎだからもう少し食べなさい。」と言うようになった。「お弁当の揚げ物とかちゃんと食べているの?」と聞くから、「千春が私の代わりに全部食べてくれてるの。私は、カロリーが少ない物しか食べたくない。」そう言った。すると、お母さんは「そこまでしてどうしたいの?もう知らない。勝手にしなさい。」と怒った。「お母さんは私のことなんにもわかってくれていない!」私は怒鳴って自分の部屋へ戻った。痩せて満足しているはずなのに物足りない。なんだかイライラする。焦るし不安だし、食べ物を勧めてくるみんなが鬱陶しくて仕方が無い。気付けば、私は家に帰ると自分の部屋に閉じこもるようになった。お母さんや、家族との会話も必然的に減った。
それでも、毎朝お母さんはお弁当を用意していた。そして、私もお弁当は文句も言わずに持っていく。購買で買ったらお金がかかるし、食べたくないものは残して千春にあげているし。お弁当を持って行くことは当然だと考えていた。
そんなある日、昼休みに机を囲んでお弁当を食べていたら、千春が言った。「最近、ミサのお弁当揚げ物入ってないね。健康的なものしか入ってない。だから、ミサ全部食べるんだね。揚げ物入ってないから私食べれるものがないじゃん。」そう言えば、最近千春にお弁当をあげた覚えがない。全部食べ切っているような気がする。よくよくお弁当を見たら、揚げ物や高カロリーなものは一切なく、野菜中心でヘルシーなものしか入っていなかった。その時、何だか違和感がした。弟が嫌いなものばかり入っていたからだ。私の弟は、好き嫌いが多くて野菜はほぼ食べない。だから、こんなメニューを弟が食べるはずがない。
次の日の朝、お母さんと顔を合わせる。最近は「おはよう」の挨拶もしていない。お母さんも私のことを気にせず朝ごはんの用意をしている。用意を終えたお母さんが、弟を起こしに2階へと上がって行った。用意された自分のお弁当を見た。揚げ物は入っていない。健康的な料理が何品も入っている。なんとなく。本当になんとなく、弟のお弁当箱を開けて見た。「あ。」弟のお弁当には、揚げ物やカロリーが高いものばっかり入っていて、私のお弁当に入っている料理は一切入っていなかった。そのまま、お弁当箱を閉じて冷蔵庫を開ける。中には、私のお弁当の残り物がタッパーに入って詰め込まれていた。わざわざ、弟と別メニューを作っていたのか。何かで頭を殴られたような気がした。申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいになった。そして、正気に戻った。確かに、ダイエットをして体重は減った。だけど、物足りなさでいっぱいで満たされたことなんてなかった。お母さんが2階からおりてきた。そして、久しぶりにお母さんに声を掛ける。「お母さん、私、ダイエットやめるよ。」お母さんは「そう。」と言って微かに笑った。ありがとうね、と言ったら、何のこと?と返されてしまった。「ねえ、今日唐揚げが食べたい。」とお母さんにリクエストした。すると、お母さんは今度ははっきりと嬉しそうに笑った。
愛情は、目には見えない。だから、一方通行だったり、すれ違ってしまうような気になる。形ではないものだから、見えにくいのは仕方が無い。けれど、私のお弁当箱からは、確かな愛情が見えた気がした。
アイノカタチ