大きな古民家の屋根裏の世界

大きな古民家の屋根裏の世界

鍛錬

古民家は寒い。おもしろいものなど何も無い。食事も決まって不味い。

それでも大人は、きっと子ども達にとって何か得るものがあるはずだ、成長して帰って来てくれるはずだと、寄ってたかって古民家での宿泊体験に参加申し込みをする。

送るだけ送って、親達は暖かい家に帰る。成長は子どもの仕事、大人はもう成長しなくていいんだよと言わんばかりに。

私は10歳の女子。これから多分15歳くらいまでこの『成長』や『体験』や『訓練』とかと称したツアーに参加させられ続ける事になる。親達は自分では子どもを成長させる自信が無いようだ。お金を払えば成長するというサービスがあると、本気で信じているバカに、確かに子どもを成長させる手腕は無いのだろうけど。

 古民家と言っても元は豪農の館だろう、横にだだっ広く、廊下がずっと続いており、妙な所であちこち増築したような規則性の無い建築様式。竹をナイフで削いで自分たちの箸を自分で作り、物のありがたみを知ろう。寒くてもこれ以上暖かい服を着てはいけない、昔の人の生活が、どれほど大変だったかを知ろう、昔に存在しなかった使い捨てカイロもダメ。それを学んでどうするのかさっぱりわからない。とにかく、ちっとも楽しくないし、帰りたくて仕方が無い。兄弟がいる子ども以外はみんな見知らぬ同士、そう簡単に友だちなんかできる訳が無い。そういう苦労を大人は見て見ぬ振りをする。結果友だちにはなるのだけど、結果だけをみて目を細めながら言うのだ

 「子どもはいいわね、誰とでもすぐ友だちになれて」

気色悪い張り付いたような笑顔が眼に浮かぶ。現に今誰も笑ってないじゃないか。兄弟もそれぞれの年齢にプライドがあるのか、横の繋がりを作ろうとほとんど互いに無視を決めている。このストレスを乗り越えて友だちを作っている。ストレスなど、大人の夢を壊すような事はあえて言わないけど。

夕食も終わり、やっと、やっと自由時間だ!これといってひとりぼっちではなくなったけど、それは集団遊びのルールに守られているという所もある。それでも、そのルールに添って殺されんばかりの悲鳴を上げながら、あっちでどどどどどど、こっちでバタバタバタと、歴史的重要文化財は只の変わった形の体育館と化していた。

いつもと同じ遊びでも、勝手を知らない建物の中でやるとワクワク度が倍増する。必死の中で人の顔もハッキリし着々と覚えていく。覚えればそれは知り合いになり、安心へと繋がる。子どもは実は誰よりも不安だから友だちになるのじゃないだろうか?

 子どもの自分にとってもちろんそんなことはどうでもいい、とにかく、このツアーの管理人は廊下で走る事を良しとしてくれている。こんな楽しい事は無い。逃げているうちに新しい部屋に繋がる廊下も見つける、私と違うグループが違う遊びをしており、それぞれ何かいいこと思いついたという顔をして新天地に足を踏み入れる。

 他のグループの1人が、何やら3次元で動き始めた。上にあがって行ったのだ。足場になってくれる四つん這いの友の協力を得て、何やら欄間の当たりにある横穴に入って行く。一応木の板で塞いであるようだけど、大人が通れない事を前提に大雑把に打ち付けてある。子どもは目線の低さから見つける事ができないとはなから決めつけて打ち付けた板は、子どもがその気になればくぐり抜けられるほどの広さを空けている。

 それはもちろん大発見中の大発見!違うグループが先に発見したヒミツなので無視されても仕方ない、が、試しに四つん這い係に頼み込んでみる。今まさに危機に直面しているという渾身のお願いを、ほんの少し年上の彼らは情で汲取ってくれ

「よし、登れ!」

と兄貴風を吹かせ、周りをキョロキョロ見回しながら特別に登らせてくれた。ギリギリの隙間、何カ所か頭を突っ込んで、行けそうな場所を決めると、覚悟を決めてグリグリと体をくぐらせる。足場係も立って肩車のようにして詰め込んでくれ、なんとか入った。

 3畳ほどの小さな空間だ。屋根が低く、子どもが座ってちょうど頭がすれすれくらい、大人ならかがまないとならない程の低さだ。これは大冒険だ。入口の横穴は、中から見ると窓の一つだった。しばらく、生まれて初めて見る屋根裏部屋と言う秘密基地を堪能する。今来た廊下を見下ろすと、足場係が『ここには何もありませんよ〜』とばかりに、不自然な自然感を装ってこの横穴を守っている。大抵の子どもは逃げるのに必死で一瞥もせず走り抜けて行く。そんな中、ろ過されて、選ばれし者だけが視線に気付き、ちょいちょいと登って来る。

同じ空間にいた女の子と友だちになった。何がそうさせたのかわからないけど、私たちはペアであることが当たり前になっていた。部屋の奥に襖がある。普通の襖を3分の1にした大きさだが、ミニチュアながら立派な作りだ。手をかけるとスッと開いて奥にまだまだ続いているような暗闇が見える。

 「開くよ」

そう友だちに言って私は、自分が引っ張る側である、というポジションに落ち着く。引っ張る側というのは一人で何でもできそうなものだけど、実は付いて来てくれる人がいるから前に進める。

屋根裏部屋の更に奥

 低い天井の為、ハイハイの仕草で移動を開始する。少し進むと、センサーで光が付いた。やっと周りが見えるようになったら、そこは立っても頭がぶつからないほどの天井の高さになっており、両サイドに何やら綺麗な粧飾がライトアップされている。遊園地のアトラクションの様に、前へ進むと明かりが付いて周りがあらわになり、通り過ぎた所はまた暗闇に戻るという仕組みになっている。女子2人はキラキラと光る飾りに見とれながら進んだ。突如、大きなコンサートホールのような所に出た。

 1階の入り組んだ建物のどこに当たるのかわからないけど、天井まで高いホールに、ケバケバしいお兄さんとお姉さん達が300人くらい寄せ集っていた。全員笑っている。とっても楽しそうに。全員が全員、一人残らず笑っている。若者というカテゴリーに入るような音楽が、これまた若者という古典的な重低音でドカドカと鳴り響いている。これを他人事のように見ているのは、やはり自分が子どもであり、若者ではないからだろう、正直どん引きしている。大人はよく若者の事がわからないと愚痴っているが、子どもだって若者の事はちょっと理解できない。

 『ここにいても特に楽しくは無さそうだ』

早々に見切りをつけて、皆同じように奇抜な格好をしたお姉さんとお兄さんを見上げながら、ど真ん中の廊下を素通りする。目を見開いた笑顔の人達の間を通り抜け、真顔の2人は更に奥へ進んだ。

入り組んだ廊下を曲がり曲がり進むと、その内周りの様子が普通の照明になっており、ごく普通の旅館の座敷のような所に出た。

 座敷には、今度はおじさんやおばさんが宴会用の長テーブルに縦一列になって正座している。それが何列か連なっていて、その中に母親の姿を見つける。テーブルには暖かい料理が並んでおり、少なくともさっきの若者のホールよりはマシだと、母の手招きに従い隣に座る。

古民家体験の夕食は、粗食と相場が決まっている。添加物を一切使用しない、ゲンナリするような自然食にしかありつけなかったので、何かおいしいもので口直しと思ったけのだけど、こちらはこちらで何やら後生大事に七輪で味噌を焼いている。高級で有名な料理らしいが、所詮は葉っぱで巻いた味噌じゃないか!

ハンバーグが食べたい、コーラが飲みたい、マヨネーズやケチャップがたっぷりかかった何かが食べたい。

手を付けたくなるような料理も無く、いかにもつまらなそうにしていると、突然母が命令口調でこんな事を言った

 「そこの人とお話ししなさい、いい出会いになるかもしれないし」

母の目線は私の斜め前の人を指している。スーツを着た、ベーシックに大人の男性というような人が座っていた。男子トイレと女子トイレを分けるマークのような、これ以上足しても引いてもダメなような、基本的な年齢の、基本的な容姿の男性だった。

気付くと私の身なりは、先ほど通過して来た若者のお兄さんお姉さん達より数歳年上の女性になっていた。

つまり、母が言う事は、この男性とお付き合いとか、結婚とか、そう言う事を指して言っているんだ。何故かメチャクチャ怖かった。男の人が、ほんの少しカッコ良かったので緊張したのもあるのだろうか。否、その大人の計算的な出会いとやらに嫌悪し、母の声が大きく、周りに聞こえた事も恥ずかしかったし、とにかくその見知らぬ男性と会話をするなぞ、ストレス以外の何物でもなかった。席を立って元の場所に戻る事にした。これ以上先に進んでも面白い所には出ないような気がしたのか、そろそろ、漠然とした友だち達が恋しくなったのか。

 脇目も振らず、まっすぐ元の3畳程の部屋に戻る。広間ではぐれてしまった友だちも、いつのまにかまた3畳の部屋で一緒になれた。10歳くらいの友だちが小さく見えないということは、つまり自分も同じ大きさに戻ったのだろう。

先ほどまで鬼ごっこをしていた廊下を見下ろすと、子ども達が眠そうな顔をしている。4、5人いる横穴の見張り番の内、2、3人はどよ〜んとした目をして、もうほとんど寝かかってる。

 『やばい、起きているうちに下ろさせてもらわないと。』

張られた板の間から顔を出してお願いしようとするのだけど、何やら3畳の部屋から顔や手を出すのに力がいる。まるで見えないスライムに囲まれたように、弾力性のある抵抗があってそれ以上外に出られない。

足場係の子どもが2人、3人と寝入るにつれ、その抵抗は大きくなり、3畳の部屋に押し戻される。残りの足場係も、もうヘトヘトで、今にも眠ってしまうという顔をしている。何となく、彼らが眠ったら出られない事がわかった。友だちもそれに気付いたようだ。

密室の閉塞

 友だちが慌て始めるのがわかる。私が奥の方まで探検に行ったから、戻るべき時間に戻れなかった。それに付いて来てしまった友だちはきっと心の中で私を責めているだろう。一見100%私が悪いような気がして、自分でもそれを負った。

 そう、何度かある。面白い事を思いついて、結果面白かった時は、付いて来た友だちも他の子に自慢げに聞かせるのだけど、いざ失敗すると、その責任は全部私の所にあり、泣いて抗議してくる。自分はリーダーになったつもりは全く無かったけど、面白そうな事を企んでいる空気は大抵ばれる。大人数になるとヒミツ感が減るので内々に実行されるのだけど、それだけに何かあったとき見当が付かず、警察に捜索願いを出す一歩手前まで行ってしまったり。

 とにかく、そういうことだ。何とかしなければ。3畳の部屋に登って来た窓の対面に先ほどの時間旅行の襖がある。こんな狭い所にいるよりかは、さっきの所に戻って色々探せば他に降りられる所があるかもしれない。そう思って襖を開けた。紙一重の奥行きも空けずに、違う模様の襖が出て来る。取っ手に手をかけて横にスライドさせる、違う模様の襖が現れる。速度を上げて次々に襖を空けて行くけど、実際の襖の5分の1程の薄さのミニチュア襖は紙芝居のように続く。心臓がバクバクする、開けても開けてもぴったりと重なり合った襖が出て来るだけ。何十枚もめくって、こちらの世界はもう閉じたのだとわかりかけた時、それを見ていた友だちがパニックに落ち入った。おかげで自分はパニックになりそびれた。

 「大丈夫だよ、こっちは直接外に繋がってる」

襖に向かって左側の壁にもう一つ窓がある。登って来た時の、欄間程の大きさの窓と同じような作りだ。外でも何でもいい、とにかく出られればと手を出してみる。登って来た窓よりスライムのような空気の抵抗は少ない。力一杯乗り出してみる。上半身までは外に出たけれど、そこで精一杯だった。ゴブリンの彫刻の様に壁から上半身を横に出した形で止まってしまう。視界の片隅で友だちが心の中で私を責めながらヤケになって騒いでいるのが見える。他に出口は無いか?試していない所は反対側の、窓の無い壁のみ。直に触りながら、構造的に開いたりする所は無いかイモリの様に張り付いて探す。

友だちの声が消える。

パニックになって、ずっと1人でボソボソと癇癪を起こしていたのに、その声が急にピタリと消えた。

 バッと振り返って姿を確認するが…

 部屋には私1人しか存在していない。

グルグルと出口を探して、視界から友だちの姿が消えたと同時に声が止まった。

目を離しちゃいけなかったんだ。視界から消したら消えちゃうんだ。そんな3畳の部屋の独特のルールを、事後報告で理解して行く。

急に、全ての不安が全部自分にのしかかって来る。自分を責めていてもいい、泣いてもいい、それでもいてくれるだけで自分はこんなに不安から守られていたんだ。

3畳の部屋が、みるみる狭く感じてくる。閉塞感がグッと増す。それは孤独になった事が拍車をかけたということもあるけど、実際に、私の体がみるみる大人の大きさになっており、その分狭い部屋は本当に更に狭くなったのだ。座っていれば良かった天井も、かがまないといられない程の低さになった。

急に、狭い隙間にしか過ぎないような空間に変わり、身動きも取れず、脱出もできず、友もいなくなった。

心理的に、物理的に閉塞感を覚え、強い恐怖が自分を襲った。当たり前のようにハンドバッグから精神安定剤を出す。

ハンドバッグ?

大人になった私は、自分の体の一部にハンドバッグがあるようだ。ハンドバッグを持っている私が、私の姿なのだ。例えば、突如事故で命を失ったとして、私の幽霊がさまよう事があれば、その幽霊はハンドバッグを持っているということだ。

ハンドバッグの中には薬、水、現金、ポイントカード、クレジットカード、免許証(身分証明書)、ティッシュ、化粧品、生理用品、エコバッグ、除菌ジェル、携帯電話、ボールペンとメモ用紙、部屋の鍵等々…。これだけのもが入っており、ずしりと重たい。家から出る時に必ず必要な物。何一つ忘れてはいけない。これら数々のカルマを、鎖につなぎ、ジャラジャラと引きずりながら家の外を生きている。

慣れた手つきで薬を一つ飲む。思い出して来た。私は大人になっていたんだ。それなりに意味を持って日々を送っていたつもりだけど、子どもの私から見たら、こんなにつまらない人生を送っていたのか。

安定剤を飲めば、かりそめの安定した心拍数を保つ事は知っている。そして、何となくだけど、足場係の子どもが目覚めれば、あの窓はまた外に通じ始めるという気がする。

3畳の部屋で体を曲げているのが窮屈で横になる。諦めて待って、通り過ぎるのを耐える事が、こんなに慣れっこになっていた。さっきまで笑ったり、必死になったり、ドン引きしたり、困ったり、退屈したり、ワクワクしたりした表情が全部消えて、全くの無表情になって横たわっていた。そう、さっきまで無かった表情、それがこの無表情だ。子どもの時に無かった無表情を、大人になって一気に使う約束でもしていたかのように、私は大人になってから、かなり長い時間を無表情で過ごした。

安定剤も効きだして、うとうとしたかと思うと、気付いたら朝が来ていた。照明器具の乏しい廊下に強い朝日が差して、小鳥の声が聞こえる。窓から下を見ると、子ども達が眠りから冷めて、スッキリとした表情でこちらを見ている。

子ども達が、そこには横穴があって、何人か登っていて、それをまだ全員下ろしてないから待たなきゃならない、という認識を無くした時、こちらの世界とあちらの世界は断絶されるのだろう。

みんな良く眠ったようで、元気な顔でこちらを見ている。

 私はホッとした。

『これで戻る事ができる。』

子ども達の元気のパワーが戻ったから、スライムのような壁はもう無くなっているということが、何故かわかる。

 私は横穴からすっと腕を出した。

大きな古民家の屋根裏の世界

ジャンルに『ホラー』を含めましたが、今回は誰かがハッキリと死ぬ訳でも、刃物がでてくるわけでもありません。個人的には、最後が一番ホラー要素があると思っています。というのも、窓から出した手が、子どもの手なのか、大人の手なのかの描写が無いんです。子どもの手なら、もちろん、足場係のお兄ちゃん達が引っ張りだしてくれるでしょう。不味い朝ご飯を食べて、大人の考えたつまらないリクリエーションに2、3参加すれば、親が迎えに来て、日常に戻る事ができます。帰りにファミレスで好きな物を食べさせてくれるというご褒美があるかもしれない。でも、もしそれが大人の姿のままだったら…。3畳の部屋が外に出る事を許すでしょうか?朝が来ても冷めない悪夢が、永遠に続くか、他に可能性があるとしたら、襖が開いて、おじさんおばさんの宴会場に居場所があるかもしれない。子どもの自分にとっての異次元空間で生きて行けるのかもしれない。10歳の心のまま、大人のふりをして、重たいハンドバッグを持ち歩きながら、大人の男の人と会話をする、周りを騙しながら。ストレス耐性が体の成長に比例していないので、とても辛い日々を送るでしょう。それが嫌なら、3畳部屋に永遠に閉じ込められて、ツアーにくる子ども達に助けを呼び続ける、横穴のお化けになるしかないですね。

大きな古民家の屋根裏の世界

親に連れられて、昔生活体験ツアーに参加する羽目になる10歳の女子。自由時間、連れられて来た古民家で鬼ごっこをして逃げ回っていると、廊下の壁にある横穴に逃げる仲間を見つける。なんとかお願いして中に入れてもらうと、そこからずっとずっと奥まで世界は広がっていた。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-12-17

Copyrighted
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  1. 鍛錬
  2. 屋根裏部屋の更に奥
  3. 密室の閉塞