practice(29)




二十九






 薬缶に手を伸ばし,容れられた水を沸かすためにつまみを掴んで「開く」に動かす。必要な熱と,生じた明かりが暗がりのキッチンの冷えた手触りを伝えて来て,暖まり切れない朝を寝ぼけ眼な全身に残して身を引き締める。心から起きて来るのは,時間がもう少し掛かる,羽織ったもののボタンを留めることからも始まる,朴訥に仕事をする机上の番兵の置物が今も見守っている平面にはそれ以外に写真立てとカップしかない,縦に長い長方形二つと,それからずんぐりとした丸が一つ。
 合うような合わないような組み合わせに,慣れたものを扱えるのが鈍色の小匙だと思う,見よう見まねで見つけた味は経験則にただ任せにして,写真立て二対ともぼんやりと見れば装飾品としての赤い実の愛想がいい,取り付けられた上部から落ちそうにもない。その一方に収まっている写真の中の飛び立つような初動を残している一羽はまたこれを狙っているかのようで,黒々と見つめる眼は判然としない暗がりで余計に野性を仄めかす。そこがこの一枚の魅力という,譲り手は今日あたりにもう一方の写真立ての中を占める不在を埋めるための一枚を送ってくれると,手紙で報せて来た。そう上手いこといくかは分からない,けれど届けばと思ってる。
 青みがかった,部屋の影の中で動いているものに名前を付ける遊びは今も出来る。教えてくれたのは父か母か,はっきりとはしない,けれど二人とも影絵を上手く作る家具職人だったからこのままでいい。いまも所有する一脚は,付けた傷を重ねて出来上がったようなロッキングチェアのようなものでなく,輪郭を浮かべる意思を持った形跡としてある。工房を見せて貰えたことは多くなかったけれど,普段はよく話す両親が多くを語らないで見せてくれた姿勢がそこにあった。受けた影響は大きい,ミニチュアを作る生業の中でも家具を作る機会に初めて恵まれたときには思い出した力強い彫り,細かい削り,丁寧に磨いて組み立てていく工程に灯される光が二人を遅くまで影にした。懇切丁寧な教えなんてない,見守られることには想像力が豊富に含まれるものだ,自覚することにも鍛えられる。工程の合間にも見つけられる。ピーターラビットと,名付けた形が始まりだ。辺りを見回して,跳ねたりもする。スタンドライトは消しても,そのままで過ごすことはしない。
 だから 「閉める」。ライトはそれから点けて,見た。
 終えた作業と即席で淹れて飲むのは新鮮な空気を吸う前のひと息,カップとともに部屋に戻って,開けたカーテンと交換したのが入り込む陽射しと細い口の水差し,また戻るキッチンで容れる水はやっぱり冷たかった。しかし心から起きることには着々と成功している,床一面に形を表す椅子も平面を見守る,机上の番兵もそうで,写真立てだけ動じてない。狙いを収めた一枚は落ちて来ない赤い実に向かう野性味を見せて,また向かった出窓に置く植木鉢に水を差した。
 白い花が影と揺れた。光から満足気に,細かく割れた。
 





 電話口で伝えられた写真ののんびりとした旅程に,無条件に付けられたリクエストが隠れた。生い茂る自然の中で,それでも元気良く耳から飛び出して来てくれるから嬉しい。





 

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-12-15

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