はじまりの恋
人生はとてもとても短い。
宇宙が誕生して137億年と言われているが、
そんな果てしない時の中、この瞬間同時に存在していること。
そのことこそ奇跡としか言い様がない。
二度と目覚めることはない永遠の眠りがやってきた。
名前も告げられなかった私を、
生まれ変わったら再び愛してくれると言った。
気休めだったとしてもそれが最後の良い思い出になった。
心残りがあるとすれば……貴方は誰なの?
いつものようになんとなく街へとふらり出かける。
忙しそうに行き交う人々の中を逆走するかのように向かう先。
そこは若者の溜まる場所。
何気なく誘われるままにフラフラとナンパしてきた男に着いてく。
それが楽しいわけではない。
なぜしているかと聞かれれば答えには困っていつも、
暇だから。なんて答えていた。
そんな程度の毎日。
現実が嫌で逃げてきたわりには目的もなくさまよっている。
一人で生活するということは思っていたよりも大変だった。
その日も同じように誰からか声をかけられるのを待つ。
別に誰でも良いとは言わない。
男どもに選ぶ権利があるように女にも選ぶ権利はある。
私が選ぶ時に見ている場所と言えば顔。
ナンパなんだからそれは必須条件。
プラスして言うならお金のありそうな人なら文句はない。
そんなものは格好を見ればわかってしまう。
それくらいにここへは入り浸っている。
早くやりたいことを見つけて、
時間なんて気にしないくらいに生活をしたい。
その為の行動と思えばそれほど苦にもならなかった。
今日もそんなのりでよさげな遊び相手を見つけると、
カラオケへと向かう。
只で歌えて御飯も食べられるのだから、
女というのは楽なものだ。
そう思わないと続けられないことも事実だった。
2時間程度相手に合わせて機嫌を損ねないように接していれば、
時間も潰せてある程度楽しくいられた。
しかし同じ人とは決して二度目はない。
仲良くなんてしたくない。
更には本当の名前も忘れてしまうくらいに、
本名を使わず偽名にして毎日毎日別の名を名乗っていた。
どこの誰だかわからない相手に、
本名で呼ばれると思うと鳥肌が立った。
友達とか親とか学校とか。
その他もろもろが面倒だった。
変に気を遣うし喧嘩になっても毎日顔を合わせる。
そんな毎日が嫌で家を飛び出し、同時に自分を捨てた。
捨ててやった。
何もかもゼロにしてもう一度自分を作ろう。
そう決めた。
間違っていると思われていることは知っている。
それでも正解なんて人に決められてたまるかという気持ち。
他人がどう思おうと関係ないと思えるようになれば良い。
その日暮らしであっても以前よりずっと生きている実感があった。
暗くなり始めると人も増え嫌な空気が漂ってくる。
夜はしょうに合わない。
時計台を後にしようとすると、
細い腕をガバッと掴まれハッとした。
「あれ帰っちゃうの?
せっかくおじさんがお小遣いあげようと思ったのに。」
ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべ汚らしい手で掴んでいる。
こういう奴は一番嫌いだ。
表裏があることを否定はしないまでも、
立場が弱そうだと思うとガンガン来るタイプは、
人間としてクズだろう。
そんな奴にしか見えない存在の相手が今目の前にいる。
同じ人だと思うだけで自分までも嫌になる。
利害関係が一致してこそというものを、
明らかに上からものを言ってくる。
そんな環境も嫌いで飛び出したというのに、
ここに来てまでそんなことを言われる筋合いはない。
掴まれた手を振りほどいて無視して離れようとするが、
しつこく着いてくる。
「嫌だって言ってるだろ!」
できる限りの強い口調で、
思い切り腕を振りほどいて走ろうとしたが、
急に力が抜けていく。
同時に頭痛。
酷く気持ち悪くなってその場に倒れた。
驚いた男は一旦は近づいてきたが立ち止まった。
「お、おい君!?
俺は知らないぞ。
俺は何もしてないからな?」
男が殴りかかってきたのかすら分からなかったが、
男はびびって遠ざかっていく。
ここは人を買っても人を助ける人なんていない孤独な街。
地面の冷たさと人の冷たさがひしひしと伝わってくる。
それだけが今の彼女にとってのリアルだった。
もうこのまま死んでしまうんだ。
悔いはないなんて言える人なんていない。
あれもしたかったし欲しいものだってあった。
やり残したことはありすぎて思い出せない。
頭の痛みがますます酷くなる。
倒れた時の衝撃もあるのか寒いはずなのに頭は熱い。
熱いものが頬を伝わって流れてくる。
冷たい空気の中に嫌な思い出しかない生温かい鉄の匂い。
真っ赤に流れる血が思考停止から我に返してくれた。
それでも身動きが取れないことに変わりはない。
誰でも良い。
助けて。
助けて下さい、お願いします。
目をつむりドクンと心臓が鼓動する音だけが聴こえる。
そのたびに甘く苦い思い出が蘇る。
ドクン。
小さな頃。
皆笑顔で誕生日をお祝いしてくれた。
純粋無垢で作った顔をしている人なんていない。
多分そんな人はいなかったはずの記憶。
ドクン。
初めて学校へ行った時のこと。
緊張していた。
ちゃんと友達ができるか心配。
だけどそれは皆も同じ。
すぐに見せかけの友達ができて話せるようになった。
ドクン。
何もしていないのにはぶかれた時。
一気に何かが切れていくのを感じた。
人との繋がりや感情の糸。
一度切れたそれは二度と再生されることはなかった。
ドクン。
学校をサボるようになると比例して親への反抗も悪化。
自分のせいだと知っていたのに親のせいにした。
けど何も聞いてくれない親。
やっぱり今でも嫌い。
嫌い。
嫌い……大嫌い。
ドクン。
家を飛び出した。
何もかも捨てて生まれ変わった。
誰も知らないところで一人で生きる。
やっと自分を見つけられる。
そう思った。
そんな途中だった。
散々自分勝手に生きたツケがもう回ってきたのだろうか。
諦めかけていると不意に地面の冷たさから開放された。
そしてふわりと自分の体が浮くのを感じた。
ついに死んだ。
そう感じたのも無理はない。
それほどまでに自然に無理なく彼女を持ち上げたのは、
とても大きく暖かな手だった。
どこか懐かしい感じがする温もりは、
遠く失われた記憶の片隅にあったものに近いかもしれない。
そんな過去も彼女にはあった。
確かにあったのだ。
「平気か?
すぐ病院連れて行くからな。」
はっきりと聞こえたのはそこまでだった。
あとは何を言っていたのかよく聞き取れない。
ただ必死に病院まで私を抱えたまま走っていた。
朦朧とする意識の中私はこんなことを言った気がする。
「つまらない人生だった。」
それは生まれてきたことを否定したかったから。
何もかも無かったことにして終わりにする。
誰にも知られずにいなくなれば、
元からその場には存在すらしなかったのと同じで、
いてもいなくても同じだったことになる。
そうすれば哀しくなんかない。
皆忘れてしまえば良い。
「そんなことあるかいっ。」
反論も同意もできない。
もはやそれが彼の声なのか、
自分で作り上げた妄想なのかも定かではない。
ただ揺れる体と温もりだけが伝わってくる。
もう助からないと分かっているはずなのに、
諦めようとしないのはなぜなのか判断が着くはずもない。
できることならどんな人なのか一目見たかった。
温もりすらわからなくなって生きているのかさえ危うい。
もう既にこの世ではない気もする中、
確かに静まり返った場所で息を切らせながら声が聞こえてきた。
「また71億分の1の確率で出会えたら、
そん時また好きになってやんよ。
今度は絶対離したりしない。
だから寂しそうな顔なんかすんな。
もう独りになんかさせやしない。」
ギュッと握られた手。
優しい温もりに見守られながら、
彼女は微笑みを浮かべこの世を去った。
はじまりの恋