短編小説 『嘘の無い詐欺師』

いきなりだが、一つだけ質問させてもらう。

あなたはこの世に蔓延している「詐欺」をどう捉えるだろうか。
無論、ごく一般的な意見として詐欺はとても悪質な犯罪だと
答える人が大半を占めるだろう。

人を騙し、人を欺くその行為はまさに極悪非道だ。

しかし、俺の考えは違う。

詐欺グループのトップに立つ俺にとって詐欺とはまさに芸術!
人を華麗に騙しきるその技術は、鮮やかで美しいのだ!

そう、詐欺こそ俺の人生!
嘘こそ俺のアイデンティティ!

……。

………しかし、俺の人生であり生き甲斐である「嘘」は、ある些細な出来事で
あっけなく禁止されてしまうのである。

詐欺師にとって無くてはならない必要不可欠な「嘘」を……。

……

…。
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バンバン!

「主文。被告人、表桐裏一(ひょうどううらいち)を懲役2年4ヶ月に処する。
なお、この判決確定の日から、5年間、刑の執行を猶予する」

広い裁判所。
静かなこの空間に裁判官の声がこだました。

俺はその感情の篭っていない無慈悲な判決を、静かに被告人席から聞いている。

後ろから悲痛な叫びとも取れる大きな叫び声が
自分に向かって飛んでくるのが分かった。

「懲役2年!?たった2年だっていうの!?」

「こいつは死刑でも良いだろうが!散々悪事を働いてきたんだー!」

俺はそんな自らを刺し殺す勢いの罵声を、背中で受け止めた。
体を刃物で切り裂かれるような鋭い言葉の数々ではあったが、
心の中には安堵の気持ちが広がっている。

たった2年4ヶ月……?
それも執行猶予付き?

法律について詳しくは知らないが、執行猶予は知っている。

曖昧な記憶だが、猶予期間中に刑事事件を起こさなければ、
刑の言い渡し自体がなかったことになるとか……。
しかもその期間中、外で自由に生活することができたはずだ。

つまり、実質釈放と同じということか……?
ということは……。
俺の作戦が法律に勝ったということなのか?

「く、くくく……」

…………

……。


俺の名前は表桐裏一。

ヤクザグループで日々弱者からお金を貪り搾取している詐欺師だ。
相手の心に巧みに付け込み、ほんの少しの心の隙から相手を騙す、
その詐欺のテクニックは仲間たちからも賞賛を受けており、尊敬されていた。

しかし、そんな俺は先日、詐欺の容疑で拘置所に連行されてしまった。

理由はおとり捜査。

おとりで詐欺の電話にかかった警察と直接接触してしまい、
そのまま逮捕となった。
勿論、その話はヤクザ間で大きなニュースとなった。

「あいつが捕まっただって!?」

「あの表桐が!?」

そんな言葉が仲間内で飛び交っていたのだ。

そして、誰もが息を飲む判決の時。

それは今、まさに下されたのだった……。

…………

……。

「次に、判決の理由を述べます」

裁判官が喋る中、俺は心の中でニヤリと黒い微笑を浮かべた。
俺は勝った!
俺は人生最大の窮地を乗り越えたんだ。

俺は、自由なんだ!これからも!
刑務所なんて臭い場所にぶち込まれることも無い!
俺は法律に勝ったんだ……!

「被告人は今までたくさんの罪の無い人々を、詐欺の被害に遭わせています。
しかし、被害者に謝罪を行う、お詫びとして謝罪金とお詫びの手紙を送るなど、
その本人の行動に反省の余地が見られます。
よって、執行猶予付きの判決に決定いたしました」

「反省!?こいつがそんなことするわけないだろー!」

「そうよ!そんな心こんなやつにあるわけないわ!」

傍聴席では俺に騙された被害者たちが必死に刑の取り消しを叫ぶ。
もっと刑を重くしろ、刑務所にぶち込め、そんな声が聞こえてくる中、
俺は必死に笑いを堪えていた。

くくく、ほざいてろ!
もう判決は下されたんだよ!お前らは負けたんだ!

「しかし、ここであなたは気持ちを入れ替えなければなりません。
あなたはとても反省しているが、今回の事件では多数の人間が詐欺に遭い、
恐怖するという重大な結果が生じています。そのことを肝に銘じてしっかりと
自分の罪を償ってください。
なお、今回の執行猶予の内容は今までにない内容ですので。
説明を必ず聞いておくようにしてください。」

「は、はい……。この度は本当に申し訳ありませんでした……」

俺は裁判官の訓戒に対して、お辞儀をしながら気弱な声で謝罪をした。
しかし、心の中では、裁判官と後ろで喚く被害者たちを黒い微笑を浮かべながら
嘲笑っていたのだった。

馬鹿なやつらだ。この謝罪も俺の演技だというのに……。
必死に被害者たちに謝罪の気持ちを見せたのがここで効いてきたな。

まさに作戦勝ち!俺の勝利だ!!!

執行猶予の内容が少々気になるがまぁ、心配はいらないだろう。

どうせこの裁判が終われば俺は自由なんだからな!

「それでは閉会します。」

バンッ!

木槌が裁判終了の鐘を鳴らした。

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少しして。

俺は拘置所の中で、裁判所から届いた文書を封筒で受け取った。
封筒には執行猶予のルールについて、と書いてあった。

あぁ、何事かと思ったら執行猶予についての説明か。
裁判官が執行猶予の内容が、今までと少し異なるとか言ってたもんな。
きっとそれを説明する文書だろう。

俺はその封筒を開けて、二つ折で入っていた一枚の紙を開いた。


  ”表桐裏一様。あなたに下された執行猶予は今までのものとは多少異なる
  内容となっています。この文書をしっかりと読んで理解してください”


ふーん、そうなんだ。
俺はまるで他人事のようにその文書を見つめる。
どうせ、たいしたこと書いてないんだろ?分かってるって。


  ”まず、あなたが守らなければならない事は人を騙さないということです。
  詐欺は犯罪です。また詐欺を起こすようであればあなたはまた
  此処へ戻ってくることになるでしょう”


ふん、やっぱりただ詐欺をするなと促す簡単な注意文か。
この類のものは見飽きたっつーの。
散々人を騙してきたこの俺がそんなことを守るとでも思ってるのかねぇ……。


  ”そこで、あなたには執行猶予期間中にあることを禁止する
  処置を行うことに致しました”


「……?」

禁止?何を禁止するって言うんだろう。
俺は恐る恐る文章の続きを読んだ。


  ”それは嘘をつくことです”


「……はぁ?」

俺は思わず苦笑いをしてしまった。

この文書は俺に一体何を伝えたいんだ?
小学生に当てた文書じゃあるまいし、嘘を禁止するなんて……。

無理に決まってんだろ。

どうやって監視するんだ?
まさか、俺に対して監視人が24時間付くとか。
いや、そんな事例聞いたことがないぞ。


  ”なお、この執行猶予を行う準備段階として一つ、
  あなたには従ってもらいたいことがあります。
  封筒にカプセル状の薬が封入されています。
  それを水と一緒に飲んでください。
  執行猶予の条件はそれだけです。
  では、ご健闘をお祈りいたします”


俺は文書を地面に投げ捨てて、封筒を思い切り振り回した。
すると中から小さなカプセル状の薬が飛び出てきた。

「これか……」

俺はその薬を、いぶかしげに見つめる。
紫色の毒々しいカプセルだった。

毒……なわけないよな。
実は執行猶予に見せかけた毒殺、つまり死刑とか……。

いやいや、まさかそんなはずはないだろう……。

確かに俺は詐欺でたくさんの人を騙してきた。
貧乏な老人も、馬鹿な若い連中もお構い無しにだ。

だけどまさか詐欺罪だけで死刑になんて……。

ごくっ……。

俺は息を飲んだ。
これを飲むべきか、飲まないべきか。
今自分は究極の選択に迫られているような気がする……。

執行猶予の条件はこの薬を飲むことだ。
この怪しい薬を飲まなければ自由になることは無いだろう……。
だけどもし本当にこれが毒だったとしたら……。

自由とは程遠い悲惨な結果を招きかねない……。

「チッ……」

だけど、自由のためには飲むしかない……!
くそっ!
どのみち刑務所にぶち込まれるぐらいなら、死んでやる!

俺はやけくそで、口の中に薬を放り投げた。
そして口元を両手で押さえて、薬を吐き出さないように我慢した。

飲め!飲み込むんだ!
拒絶する体に鞭を打って、薬を喉の奥に無理やり流し込む。

ゴクッ…………。

そして、俺は薬をやっとのことで喉元に流し込んだ。

「はぁ、はぁ……」

……

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釈放の日。

俺は拘置所から抜け出せるという事実から、気持ちが舞い上がっていた。

ついに待ち望んだこの日がやってきたんだ!
暗い暗い拘置所からの奇跡的な生還!

青い空も、明るい太陽も、まるで灰色の檻に捕らわれていた俺を
歓迎しているようじゃないか!

「はははっ!」

俺は拘置所を笑いながら飛び出した。

ふふふ、俺を見送る警察の顔が背中越しでも容易に想像できる……。
きっと悔しそうな顔をしているんだろうなぁ……。

「くくくっ……!」

まぁ、そんなことはもうどうでも良いんだ!
とにかく捕まっていたことはもう忘れよう。

今大事なのは、これから何処に行くのかということ。
とりあえず、皆が待っている俺のアジトにでも行くとするか。

あいつら俺を見て驚くだろうな……。
反応が楽しみだぜ!

そうやって目的地へ足を運ぼうとした、その時だった。

俺はふと、足元の水たまりに映る自分の姿を見て、
自分の顔にある不思議な違和感に気がついた。

「ん……?」

俺は顔に手を当てる。
何だろう、顔に黒いアザが出来ている……?

俺は自分の顔を再度確認する為、近くの公園に駆け寄った。
そして公衆トイレの鏡で先程見えたアザが本当にあるかどうかを確認する。

「えーと……ん?」

すると、先程見たアザが顔の近くにあるのが分かった。

なんだろう、これは。
俺は首を傾げる。

特に大きくはないが、小さくもない。
黒くて見たこともないようなアザだ。

今までこんなアザ、顔には無かったのに……。

「ストレスが原因か……?」

俺は頭を掻きながら考えた。

まさか、あの薬の副作用とか……。

じゃないよな……?

……

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あれから数分後。

俺は我が家である’アジト’へと到着していた。

街の外れ、5階建ての古びたオフィスビルが俺のアジトだ。

「よっす」

俺はアジトの扉を開けて、軽く挨拶をした。

中に居た柄の悪い不良たちは、誰だ!と言わんばかりの勢いで
こちらへ振り向く。

しかし、不良たちの俺に向けられた鋭い眼光は、一瞬で仲間を見るような
柔らかい目つきへと変わったのである。

「あっ!裏一先輩だ!」

「おお!裏一さん!」

そんな声とともに中に居た不良たちは俺の元へ駆け寄ってきた。

「先輩!帰ってきたんすね!」

「あぁ、拘置所は中々に窮屈な場所だったぜ?」

俺は笑顔で、駆け寄ってきた不良たちの肩を叩く。

実は、この不良どもの巣窟、俺の所属している
詐欺グループのアジトなのである。

警察に捕まる前、俺はここで多くの人間を詐欺で騙してきた。
その騙した件数はグループでダントツ一位。

だからこのグループで俺を知らない者はいない。
だから皆、俺に対してここまで友好的なのである。

ちなみに今俺のことを先輩と呼んだのは俺にピッタリと
くっ付いて離れない、可愛い部下の銭馬小助(せんばこすけ)。

簡単に特徴を言うならば、馬鹿で阿呆なのだが、
可哀想なので天然という特徴も付け足しておこう。

とにかく詐欺に向かない性格で、詐欺電話中にうっかり
本当のことを言ってしまうドジなやつだ。

「先輩!今回はさすがにヤバいと思ったんスけど、だいじょぶだったんスね!」

「ふん、俺にかかれば警察だって楽勝よ。なんてことないね」

「うわああ!やっぱ先輩、最高っス!」

小助はニコリと笑いながら飛び跳ねた。

相変わらずこいつは行動が馬鹿というか……。
まぁ、そこが何だか憎めないんだが。

「あれぇ?そういえば先輩。顔に新しいホクロできてますけど、どうしたんスか?」

えっ?ホクロ?
あぁ、アザのことか。

「気付いたらできてたんだよ。ってかお前、よく気付いたな。結構小さいのに」

「そりゃあもう俺、昔から先輩のことずっと見てましたから!」

「気味悪いからやめろよ……」

「それにしてもそのホクロ……何か不思議な形っすねぇ」

「ん?そうか?」

「そうすっよ。何かぁ……数字に見えるようなぁ……」

数字?そんなアザ聞いたことないけどな。

「お前の見間違いだろ」

「うーん、そうすっかねぇ……ジーッ」

「うっ……お前はな!俺の顔を凝視するのをやめろ!気味悪いだろ!」

「ふえーい。やめるっす」

ったく……。
何処までも馬鹿なやつなんだから……。

…………。

……でも、アザが数字に見えるなんて、やっぱりこれはただのアザじゃないのだろうか……。
やっぱりあの薬を飲んだ影響で……。

「……いやいや。そんなわけないだろう」

そんなわけ……。

……。

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その日の夜。

俺は自宅に帰り、シャワーを浴びていた。
久しぶりの自宅での風呂はやはり気持ちがいいな……。

心が安らぐというか、落ち着くというか……。

やはり自宅での生活と拘置所での生活は違う。

そんな自宅でのお風呂に幸せを感じていた俺は、ふと
自分の体の変な違和感に気が付いた。

「ん?これは……?」

足の指に見える微かなアザのようなもの。
それは顔にあるアザと同じように見えた。

それも一つではない。
五本の指それぞれに一つずつアザができているのだ。

俺はシャワーを止めて、足の指を見るべく屈んだ。

ふぅむ、形は多少違うがやはり顔にあるアザと同じものだ。
黒くて不思議な形をしている。

そうだなぁ、形を例えるとしたら……やはり数字……。

「あっ……」

俺はその時、アジトでの小助の言葉を思い出した。

そういえばあいつも俺のアザを数字だと言っていたよな。
じゃあやっぱりこのアザは……。

「数字……。」

うーん、イマイチ理解しがたいがアザを数字とするならば
左足の小指のアザは「6」と捉えることができる。

それに続いて薬指は「7」、中指は「8」といった感じか。

一体何を意味しているものなのだろう。
いや、単なるアザに意味を求めるのもおかしな話か。

とりあえず、体にこれだけ無数のアザが出来るのは
正常ではないという証拠だな……。

でも悪いものを食べた記憶は無いし、こんなアザができる
病気も聞いたことがないぞ……?

じゃあ何でこんなもの……。

…………

……まさか……。

…………

「…………薬……?」

おいおい……。

まさか拘置所で飲んだあの薬……。

本当に毒だったなんて……こと……ないよな?

頭の中に拘置所で飲んだ薬のことがよぎった瞬間、
俺は今までの人生で感じたことも無かった酷い悪寒を背筋に感じていた。

ど、毒だとしたら……?

お、俺はどうなる……?

し、死ぬ?

い、いやいや!そんなのはごめんだ!

は、早く病院に行って手当しないと……!?

「くそっ!し、死んでたまるか!!!」

俺は慌てて風呂を飛び出し、恐怖で震える手で衣類を身にまとった。

そして病院へと駆け込むのだった。

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病院ロビー。

俺は病院の受付へ駈け込んで、近くのナースを呼んだ。

「あの、体の調子が……その……悪いんですけど……検査って今
受けることできますか?」

「申し訳ありません。ただいま混み合っておりますので、順番が回ってくるまで
少々お待ちください」

くそっ、夜の救急病院は空いているというイメージだったがそうでもなかったか……!
こちらは毒で死ぬかもしれないという、人生最大の緊急事態だというのに……!

「…………」

ま、まぁ良い。
ここは軽い嘘でもついて、何とか早く診察してもらえるよう仕向けるか。

「ぐぁっ……!!!」

俺はそんな呻き声と共にその場に崩れ落ちた。
勿論、これは俺の演技だ。

「……ど、どうしましたか……?」

目の前のナースが何事かと駆け寄ってくる。

「ぐっ!……実はですね!私!先程間違って毒薬を飲んでしまったんですよ!
もうお腹が痛くて痛くて……!あー!い、意識が……!」

「えっ!?あの!大丈夫ですか!?大変!先生を呼ばないと……!」

ナースは医師を探すように、辺りを見回していた。
慌てぶりを見る限り、俺の演技に気付いていないようだ。

ふっ、ちょろいちょろい。

こんな演技に引っかかるとは、あんたもまだまだだな!
俺の心の中で何とも言えない愉快な気持ちに浸っていた。

やはり人を嘘で騙すのは気持ちが良い!
こんな危険な状況だっていうのに気持ちが高ぶってくる!

俺は込み上げる笑いを堪えながら、ナースを馬鹿にするように指さした。

…………

……。

しかし、その時。

俺はナースに差した自分の人差し指に、ある違和感を感じた。

「ん?あれ……?」

俺って人差し指であのナースを指さしたよな?

なのにあれ?

……人差し指が俺の視界に入っていない。

……。

おかしいな。

目の前のナースに向かって綺麗に人差し指を伸ばしているはずだ。
だから俺の視界に人差し指がしっかりと入るはずなんだ。

なのに指が見えない。

俺はゆっくり瞬きをした後、恐る恐る自分の手に視線を移した。
そこにはいつもの俺の腕が見える。

しかし、何だかおかしい。

何かがおかしい……。

あら?あらら?

「指が……一、二、三……」

四……。

……四?

「あ、え?ええ……?」

俺はその場によろよろと立ち上がった。

隣で慌てふためいていたナースが立ち上がる俺の方へ
心配そうに駆け寄ってくる。

「あ、あの大丈夫ですか……?」

「へっ……?あ、ええ?」

「ど、どうか……いたしましたか……?」

「い、いや……?な、なんでも……ないんですよ?ははは?」

サアァァ。

その時、俺の手の位置から妙な音が聞こえてきた。
砂が地面へと落ちるような音だ。

俺は顔を引きつらせながら自分の手を恐る恐る見つめる。
それと同時に目の前に立っていたナースも俺の手の方へ視線を移した。

サアァァ。

………………。

俺とナースは手を見つめながら固まる。
その間にも床に砂が落ち続けていた。

「は、はははははは……」

「……え、えぇ?こ、こ、こ、これはどういう……ことです……か……?」

ナースが口元を震わせながら俺の目を見つめた。
俺もその場で口元を吊り上げて笑う。

ナースの顔色は先程の血色の良い赤とは真逆の青色。
まるで宇宙人を見たかのような驚きようだった。

人の顔を見てそんな顔をするのは非常に失礼だと感じたが、
正直俺の顔も今のナースと同じように真っ青だと思う。

何故なら、俺とナースは親指が砂に変わっていく異様な光景を目撃してしまったのだから……!

「わっ……!わっわ!!!」

俺は指が無くなった驚きで体が震えていた。
大きな声を出したつもりだったが、あまりの驚きに声が詰まる。

「わっ、わー!!!」

やっとのことで喉から乾いた叫びが出たかと思うと、
俺は無意識に外へと飛び出していた。

訳も分からず、暗闇を闇雲に頭を抱えながら走り続ける。

い、一体どうなってるんだ……!?

指が!指が消えたぞ……!
砂になって、跡形もなく消えてしまった!

何故!?何故いきなり!

まさか、あの薬のせいなのか!?
これがあの薬の作用だっていうのか!?

じゃあ俺はこのまま……。

全身砂になって消える……?

「う、うわあああああー!」

俺は叫び声を上げた。
周囲を歩いていた通行人は何事かとこちらへ振り向く。

しかし、俺はそんなことなどお構いなしに声を上げ続けた。
こんな状態なんだ!周りの目なんて気にしてられるか!

ドドドドド!

とにかく俺は走った。
指が無くなったという現実から逃げるように。

そして、気付けばアジトへと逃げ込んでいたのだった。

バンッ!

俺はアジトの扉を勢いよく開ける。
中に居た不良たちが何事かとこちらへ振り向いた。

「ど、どうしたんスか!?そんな慌てて……」

小助が神妙な顔をして俺の肩を撫でる。

「ちょ、お前!気持ち悪いからやめてくれ……!」

「いやぁ、先輩が何か大変そうなんでぇ…………大変なんスか?」

「馬鹿!俺は別に何ともない!だから離れろ!」

サアアァ……。

「ん?先輩、何か砂が落ちてるっスよ?」

「え?」

俺は足元を見つめた。
すると、そこには確かに砂が落ちていた。
……丁度左手の高さのような……。

俺は恐る恐る自分の左手に視線を移す。

すると、そこには親指、人差し指、中指が無くなった異様な形の俺の
左手が恐怖に震えていた。

「ちょ、ちょちょちょ!!!ちょっとぉー!」

俺はその場で飛び上がり、アジトの奥へと走り去った。
奥の小部屋へと滑り込むように入った俺は扉の鍵を閉めてから、
部屋の周りをぐるぐると回って気持ちを落ち着かせようとする。

「お、落ち着けー……落ち着くんだ俺!」

この訳の分からない事態に俺の頭は爆発寸前。
訳が分からな過ぎて、もうどうにでもなってくれ!
という気持ちになってくる。

怖い、一体どうなってるんだ!
指が砂になって消える……!?
そんなの毒にしたって病気にしたって、聞いたこともない!

「くそっ!くそっ!何でこんな!」

俺は目に涙を浮かべながらその場にへ垂れ込んだ。
このまま全身が砂になって俺は死ぬのだろうか……。
指の次は腕、足、そして顔のパーツ……。

徐々に徐々に体が砂になって消えるのか……。

恐怖で体が動かなかった。
病院にもう一度行かなければいけない。
体を入念に検査しなければいけない。

そんなことは頭の中では分かっている。
行動しなければいけないのは分かっている。

しかし、体が砂になっていくという恐怖で足が竦んで動けない。

俺はどうすればいい!
この非常事態に対して俺はどんな行動を取るのが正解なんだ!?

「くそっ……!」

俺は改めて自分の左手を見つめた。
今まで見てきた光景が夢であったこと、嘘であったことを祈った。

しかし、無残にもその祈りは砕け散る。

俺の左手の指は確かに消えていたのだ。
小指と薬指だけは残っているが、それ以外の指はない。

傷口もない、痛みもないその俺の左手はまるで、消失マジックにでも
かけられているかのようだった。

「はぁ……」

俺は静かに重い溜息をついた。
何だろう、突然のことにまだ頭が混乱しているのか、妙に心が落ち着いてきた。

いや、もしかしてもうこれは自分が死ぬ前兆なのだろうか……。
とにかく先程までの焦りと恐怖はどことなく吹っ飛んでいた。

何だか疲れた。体が重くて眠い……。
このまま寝たらもう二度と起きれないような気がする。

でも、瞼が徐々に重くなっていく。耐えられない……。

あぁ、もう……。

…………。

……。

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「ハッ!」

俺はふと目を覚ました。
辺りを見回して、自分がアジトの小部屋で寝ていたことを再確認する。

「生きてるのか……?」

俺はその場で勢いよく立ち上がり、体がまた砂になっていないかを慌てて確認した。

足、腕、顔のパーツ……まだ残っている!

「よ、良かった……」

俺は自分が生きているという安心感で脱力し、その場に静かに座り込んだ。

「…………」

しかし、ふと自分の左手を見て、やはり昨日のことは夢ではないと改めて実感した。

指が無い……消えている。
左手の残った指が何だか寂しそうに感じた。

「ふぅ……」

だが、よくよく冷静に考えてみれば不思議な話だ。

昨日の出来事から推測すると、俺は確実に毒を飲まされている。
そしてその毒のせいで自分の左手の指が砂に変わった……のはまだ分かる。

しかし、普通に考えれば、もう全身が砂に変わってもおかしくないのではないだろうか。
あの薬を飲んでから大分時間が経過しているからである。

今、俺の体に異変はない。
それは何故なんだろう……。

俺の体にたまたま毒の免疫があった……とか?
もしくは左手の指だけ砂に変わるという毒だった……とか?

……いや、どちらの考えも可能性は低い……。

うーん、どうなってるんだ一体……。

俺は頭の中に何とも言えないもやもやとした疑問を残しつつ、
小部屋から出ることにした。

小部屋から出ると不良たちがこちらへと振り向いてきた。

そしてそれと同時に、小助が心配そうな顔をしながらこちらへ素早く
駆け寄ってきたのだった。

「だ、大丈夫っスか!?先輩!」

小助は汗を垂らしながら俺の肩を両手で掴んでくる。

「ちょ、だから体をベタベタ触るのをやめろって!何回言ったと思ってんだ!
そろそろ覚えろ!」

「ご、ごめんなさいっス……。ついつい先輩が心配で……。
だって昨日の先輩……凄かったスから……いろいろと。」

「……まぁ、その……。俺も言い過ぎた、悪い。
とりあえず他のやつに無暗に触ると嫌われるから気を付けろよ。」

「は、はいっス!先輩!」

ふぅ、一緒にいると疲れるやつなのだが、やはり憎めないやつだ……。

「ところで先輩!やっとのことでここへ帰ってきたことだし!
早速先輩の力を若手に見せてやってくださいよ!」

「ん?どういうことだ?」

「何言ってるんスかぁ!もう!詐欺電話のことっスよー!」

あぁ、そのことか。

あんな出来事があったから、なんとも詐欺なんてする気持ちにはなれないが……。
ここは気晴らしに一つ、稼ぐとするか。

「そうだな、やってやるか」

俺の腕にかかればどんなやつだって騙される。
騙した時の快感を味わって気分の入れ替えだ!

俺は小助が案内する席へと座り、そこに置いてあった受話器と名簿を手に取った。
しかし、左手に持った名簿が何故か手からすり抜けたように地面に落ちた。

あ、あれ……名簿が落ち……。

その時、小助が俺の左手を手に取って、目を大きく見開いた。

「あ、あれぇ!?先輩の指が綺麗になくなってるっス!これは新しいマジックっスか!?」

「えっ?」

俺は小助が見つめる自分の左手を見て思わず動揺してしまった。

あ!ま、まずい!見られた!
というか自分の指が無くなっていることを忘れていた!

「ち、違う!マジックじゃない!」

「じゃあこれ何で無くなってるんスか!?」

「えっ!?あー、その!……実はこれな、新しいマジックなんだ!」

これでこいつは誤魔化せるか?

しかしその時、俺と小助の目の前で、自分の目を
疑いたくなるような事態が発生した。

サアァァァ。

なんと!自分の左手の人差し指が砂に変わったのである!

「うわぁ!先輩凄いっス!こんなマジックできるなんて!
タネ教えてほしいっス!俺もやりたいっス!」

「ち、違う!だからマジックじゃない!じゃなくて、これは、その……マジックだ!」

サアァァァ。

「ぶっ!」

俺は目の前の光景に思わず吹き出してしまった。

なんと次は、自分の左手の親指が砂になってしまったのである!
なんということだ!ついに左手の指が全て砂に変わってしまったぞ!!!

残ったのは見るからに異様な形をした指の無い、肉団子のような左手。

「ど、どうしよう……どうしよう!また砂化が始まった……!」

「せ、先輩?どうしたんスか……?」

錯乱する俺に小助が駆け寄ってくる。
そして、小助が俺の肩に手をかけたその時だった。

俺の頭にある考えが閃いた。

…………待てよ……。

よくよく考えてみれば、指が消えるタイミングは、いつも俺が心の中で
悪の心を働かせる時のような気がする……。

俺は、いつも頭の中で悪巧みや詐欺の新しい手口などを考え付いた時に、
心の底から何とも言えない真っ黒でドロドロとした物が湧いて出てくるような
感覚に陥る。

それはまるで悪を具現化しているかのような存在で、嘘をつく時なんかは
必ずと言っていいほどその感覚を体感する。

昨日、病院で指が消えた時もそうだった。

ナースを騙して心の中でそいつを嘲笑っていた時、確かに俺の心の底から
あの黒いものが溢れ出ていた。

さっきもそうだ。
小助についた些細な嘘でも同じ感覚が俺を襲った。

あの黒くて溢れ出てくる物の中に、悪の心が滲み出ているとでも言うのだろうか。
とにかく、昨日も今も、同じ感覚の時に指が消えたんだ……。

そこに何か指が消えた原因があるのか……?

「…………」

俺はその場で指が砂に変わる原因を必死に考えた。

「んんん……」

ナースを……騙した…よな。
まず腹を抑えて具合が悪い振りをした。

そして左手の小指が消えた……。
その後はナースとの会話のさなかに俺が
何でもないと言って、指が砂に……。

指が消えて混乱した俺はアジトへ向かい……。
アジトの中でさらに中指が消えた……。

そして今に至り、小助に指が消えたのはマジックだと告げた時に
薬指が消えた。


な、何か……何か関連性は無いのか……!
毒である可能性が低い以上、無理にでも考えないと答えに
辿り着かない気がする……。


ナース……アジト……マジック……。

指が消える………タイミング………

…言葉……嘘…

………

……

「ん……」

……

…………待てよ。

腹が痛い振り……何でもない……マジック……。

指が消えたタイミング。
それは、俺が言葉を発した時だったよな。

ということは、もしかして……。

もしかすると……。



「………………嘘か?」



俺はその場で顔を思い切り天井の方へ吊り上げ、目を見開いた。

そうだ!もしかしたら”嘘”が指を砂に変えた原因なのかもしれないっ!
何故なら、指が砂に変わった直前に、俺は必ず嘘をついていたのだから!

「小助!」

「へっ!?……は、はいっス!」

「俺は、実は女だあああああ!」

「ええええええええええ!?」

サアアアアァ。

その瞬間、俺の左手が手首にかけて全て砂に変わったのである!
俺はその光景を見て口を大きく開いて雄叫びを上げた。

やはり!俺の指が消えたのは、嘘のせいだったんだあああああ!!!

嘘が!俺の嘘が指を砂にしていたのか!
俺の嘘をつく時に感じる何とも言えない優越感や快感。
あの自分の中に流れる黒い物体がここで役に立つなんて!

やった!やっと謎が解明されたぞおおおお!

「せ、先輩……!先輩が女だったなんて!……これで告白ができっ!」

「って!ちょっと待てえええ!?」

俺は隣に立っていた小助の声を吹き飛ばし、さらに大きく声を上げた。
そして頭の中に散らばった情報を頼りに、ある一つの結論を導き出した。

嘘が、指を砂にするんだよな……。
つまり、俺が嘘をつく度に体が砂になってしまう……と。

ってことは……?



「俺、嘘……つけないよね?」



俺は体を震わせてその場にしゃがみこんだ。

くそっ!なんてことだ!
体が砂に変わる謎は分かった!

だけど、それが嘘と結びついているなんて……!
これでは詐欺で相手を騙す度に体の一部が消えてしまうではないか……!

今、やっと、自分に課せられた刑の重さを身を持って思い知らされた。

あの薬はこの為に……。
この執行猶予の本当の理由はここにあったんだ……。

詐欺師から嘘を奪う……。
詐欺師の魂でもあり、命でもある嘘を奪う……。

なんて、重くて辛い刑なんだ……。

これがあと5年続く?
想像も出来ない……。

…………

……。

「…………ん?そういえば……」

その時、俺の頭の中にふと、ある疑問が浮かび上がった。

「俺はあと何回嘘をつけるんだろう……?」

体が少しずつ砂に変わっていくということは、いずれは全身が
砂に変わり俺は死ぬ……よな。

じゃあ、俺はあと何回嘘をつけば死ぬんだ?
というか、俺は死ぬのか?

全身が砂になって、跡形もなく消えてしまうのか?

「もう、訳わかんねぇよ……」

何だか頭の中がおかしくなりそうだった。

体が砂に変わる、嘘をついたら自分は死に近づいていく。
そんな自分に突如押し寄せたプレッシャーで心が、頭が
潰されていくような感じがした。

今更ながら気付く。



”俺は今、死と隣り合わせ”……だということを。



くそっ、自分の体を失うなら、刑務所に入っていた方がマシだったかもしれない……。

……。

「……しかし、俺はあと何回嘘をつけるのだろうか……」

混乱する中、やはりそれだけが気掛かりだった。
嘘をつける回数と、次に消える体の箇所さえ分かれば……。

その時、たまたま俺の後ろへと回った小助が俺の首を触った。

「うわっ!何すんだ!びっくりしたじゃないか!って、また触ったな!?」

「ご、ごめんなさいっス!先輩の首にあるアザを見つけてつい触っちゃったス……」

「人のアザを好んで触りたがる奴が何処にいるんだよ……ましてや男が男の……」

「す、すまねっス……。」

「ったく…………って……待てよ……?」

今、小助は俺の首にアザがあると言ったか?

あの薬を飲む前は首にアザなんて無かったぞ……。

「おい小助。鏡か、鏡の代わりになるものはあるか?」

「あるっス。手鏡っス。」

小助は懐から小さな赤い手鏡を取り出した。

「え?その手鏡お前のか?」

「そうっス!最近町に買い物に行った時に買ったんス!
中々使い勝手がいいんスよ!」

「女じゃあるまいし、お前が何に使うんだよ……」

「背後を確認してー……痴漢や不審者を常に確認しているっス!」

「お前の体系じゃ痴漢も不審者も寄り付かないだろ……」

「前電車で痴漢されたっスよ」

まじかよ……。

「ま、まぁいいや。それちょっと貸してくれるか」

俺は小助から手鏡を借りた。
そしてその手鏡を使って自分の首にあるというアザを確認した。

すると、確かにそこには小さな黒いアザができていた。

小助が言っていたことは本当だったのか……。
だけど、これは一体何で……。

薬の副作用と考えれば納得できるが……。
これにも何か意味があるんじゃないだろうか……。

しかし、アザに意味があるとは……。

…………

……。

「あ」

……もしかして!

俺はある可能性を見出した。

小助の昨日の言葉だ!

「おい小助!お前、昨日俺の顔のアザを見て数字に見えるって言ったよな!?」

「え?あぁ、そんなこと言ったような言わなかったような……」

「確かに言ったんだ!で、もしかしたらそれが……それが回数と関係が……。
……よし!小助!俺の首のアザ!何か数字に見えたりしないか!?」

「うーん?数字っスか?……あー、よーく見れば確かに数字に見えなくも……」

「数字の何に見える!?」

「そうスっねぇ……しいて言うならぁ……30っすかねぇ……」

三十!!!

三十……三十……。

うん?三十か……。

俺は、アザがついている体の箇所と体が砂になって消える順番が
それぞれ対応しているのではないかと考えていた。

だから、俺の考えで計算すればアザの数字が「30」だと仮定した場合、首が砂に変わるのは嘘を
最初についてから丁度「30」回目ということになる……。

現在、体が砂に変わった回数は「5」回だから……。
首が砂に変わるのは嘘を「25」回ついた後……ということになる。

だ、だけどこの考えが合っているとは考えにくい……。
アザが数字に見える?
それは ”たまたま” そう見えるだけかもしれないのだから……。

確か、左足の小指のアザが「6」に見えたよな……。

今嘘をついて左足の小指が砂になれば俺の考えは正しい……ということになる。
確認する為に自分の体を犠牲にするか……?

いや、早まるな。
次、誤って嘘をついた時に確認すればいいんだよ……。

今は体のことを考えてなるべく嘘はつかないようにしなければ!

「あっ!そういえば先輩!明日、うちのトップが先輩が出所した記念とかなんかで
先輩に会う為アジトに来るみたいっス」

「お前、凄い話が唐突だったな……」

「えへへ、ごめんっス。昨日電話で来るって聞いていたんスけど、
先輩引きこもっちゃったから」

「あぁ、そういうことか。まあ大丈夫だ。で、何だ?明日は盛大に飲みにでも行くのか?」

「いや、確か先輩の腕を久々に見たいとか言ってたっス。
先輩お得意のオレオレ詐欺が見たいとか」

「うぇっ!?それ本当なのか!?」

「そう言っていたっス」

ちょ、な、なんてタイミングで来るんだよ!
この状況でオレオレ詐欺電話なんてできるわけないだろうが!!!

「お、おい……電話で明日は丁度詐欺を休業していますって言ってくれ」

「えっ!?何でっスか!?俺も先輩の詐欺テクニック久々に見たいっス!」

「だ、駄目なもんは駄目だ!」

「何か都合の悪いことでもあるんスか?あっ!体調が悪いとか!」

「あぁ、そうだな実は体調が悪く……じゃなくて!こっちの都合とかがあんの!」

「都合?もしかして友達と出かけてくるとか!」

「えぇ?あー……その何だ…………つ、都合があるというか、無いというか……」

ちくしょう!いつもなら小助なんて俺の華麗な嘘で一瞬で言い包めることができるのに……!

「と、とにかくお前には関係ないの!」

俺はこれ以上人と話すと嘘をついてしまいそうだったので、奥の部屋に行くことにした。
昨日寝ていた部屋に再度入り、鍵をかけてそのまま黙って座り込んでいた。

残された小助はというと、唖然とした表情で俺の入った部屋の扉を見つめているのだった。

「何だか今日の先輩は変だったっス。それにしてもあの手が砂に変わるマジック、どうやってるんスかねぇ。
うーん、いくら考えても分からないっス。えーと、今日は他に何かすること……あっ!トップに電話!
…………って、それは……いいっスね。だって、先輩今日おかしかったっスから。
さて、何か食べようーっス……」

………………

…………

……。

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「ハッ!」

俺は窓から差し込む朝日で目を覚ました。

日付は……もう進んでいるな……。

もう次の日の朝になっていたのか……。
何だか昨日と同じ気分だ。

まるで昨日が繰り返し始まったみたい。
デジャヴってやつか。

「起きる言葉が昨日とまったく同じだったしな……」

ふぅ、まぁそれは置いておいて。
とりあえず昨日分かったことを整理しよう。

実は昨日の夜、体をくまなくチェックした。

昨日の俺の考えが合っているとすれば体のアザは
数字になっていて、消える部位の部分だけあるはずだと考えたからだ。

この考えが確かではないとしても調べる価値はある。
そう思った俺は早速行動したのである。

そしてその結果、アザは全部で「30」個あったのだ。
それも全て数字の形をしていた。

つまり、首が「30」で最後。
左足の小指が「6」で次に消えるということになる。

「俺に残された嘘はあと25回か……」

きっと、首が砂になれば俺は死んでしまうのだろう。
頭が取れるのと一緒だもんな……。

ま、嘘をつかなければいい話だ。
慎重にあとの5年間を過ごせばいい……。

辛いが、それしか俺に道はない……。

ガチャッ。

俺はため息をつきながら自分の部屋の扉を開けた。

「あ、先輩!」

扉を開けて、部屋から出ると小助が慌てた様子でこちらを見つめていた。

「どうしたんだ?」

「ト、トップが……親分が来たっス!」

「へ?…………あれ?」

親分?トップ?

…………

……。

あ……。

「ああああああああああああああああ!」

忘れてた!今日トップが来るって話だった!!!

「おいっ!?お前昨日電話しなかったのか!?」

「えっ?し、してないッス!だって先輩何だかおかしかったから……!」

「俺は何もおかしくなかっただろ!」

サアァァ。

ハッ!?

足元で嫌な音がっ!?

「先輩!とりあえず親分を待たせるわけにはいかないッス!
迎えにいってくるッス!?」

小助は慌ててアジトの入り口の方へ走って行ってしまった。

俺は小助が出ていったことを確認して、恐る恐る足元を見つめた。

「やっぱり……6のアザがあった左足の小指が砂になってる……」

俺の考えは正しかったってことか……。

その時、アジトの入り口が開くとともに、そこから大柄の男が葉巻を咥えて入ってきた。
堂々とした歩き方、存在感、鋭い目つき。

あれは間違いない!
うちの詐欺グループのトップにして親分!

岩窟(がんくつ)親分だ!

「小助。案内ご苦労だった」

「は、ははー!」

アジトの中に居た不良たちが一斉に立ち上がり、背筋を伸ばしてこれまた一斉にお辞儀をした。
俺もそれに合わせてお辞儀をする。

「おおー、お前は表桐だな。よく帰ってきた」

岩窟親分はその肩についている大きな手で俺の頭を豪快に撫でた。
俺は今の体制のままで大きな声を出して挨拶をする。

「うむ結構、頭を上げてくれ。いきなり訪問して申し訳ないが、
今日は何の用でここに来たか、分かってるか?」

「は、はい……かしこまっております……」

「うむ、それならいい。思う存分お前の力を見せてくれ。
お前の詐欺技術をな」

「はい……」

親分は俺の右手を掴み、期待しているぞと言わんばかりの満面の笑みで
俺を見つめていた。

俺はその親分の顔を見て何だか心が苦しくなった。

ど、どうしよう……。
親分は俺に期待をしている。
俺の技術を見たいと思っている。

なのに、今俺はまともに嘘をつくことができない……。

こんな状態で俺はどうすればいいんだよ!

親分は近くに置いてあった椅子に座り、再度俺を見つめてきた。
やはり、俺を見つめる親分の目は期待に満ち溢れている。

親分は本当に良い人だ……。
身寄りのない俺を拾ってくれて……。

大事に育ててくれたんだ……。
感謝をしてもしきれない……。

なのに期待に応えることが……今の俺には難しすぎる……。

俺の視線の先にはいつも自分が座って詐欺を行っている席があった。

あそこで俺はこれから詐欺を行う……行わなければならない……。

だけど、俺はあの席に座りたくない……。
座りたいけど、座りたくない……。

気持ちがふらついていた。

あの席に座ったら俺は親分の期待に応えることができる。
しかしその代わりに自分の体を捨てなければならない。

ぐう、どうすれば……。

いっその事、嘘をついたら俺は砂になって消えてしまうということを話してしまうか?
いや、そんなことはできない……。

このグループにそんなことを知られてしまったら俺の居場所は完璧に無くなってしまうだろう。
もうここしか居場所がない俺にとっては致命的すぎる……。

だが……このままあの席に座ってしまえば俺は嘘をつかざるを得なくなってしまう……。

地位と居場所、今まで必死にここで築き上げた詐欺の天才という称号を捨てて、一人で消えるか。

嘘をつき、地位を手にしたまま生涯を終えるか……。

俺は今、人生最大の選択に立たされている。

…………どうする……。

…………

……どうする……!

…………

……。


「ん?表桐君、どうしたんだ?立ち尽くして。」

「俺……親分……」

「ん?」

「俺、力の限りやります!」

「お、やる気満々だな!よろしく頼むぞ!」

親分は先程見せた笑顔をよりさらに明るい笑顔を見せた。

俺は静かに頷いていつも詐欺をしている席へと座る。
目の前にはいつも使っている馴染みの電話。

俺はその受話器を力強く手に取った。

俺は決めた……。

ここで居場所を失い五年間を孤独で過ごすより……。

この場所で人生の一部、体の一部である嘘と共に死ぬ方がマシだ!

俺は覚悟を決めたぞ!

「やるぞ。俺は孤独で生きるより、ここでの死を選ぶ!」

そう言い切って、俺は力強く電話のボタンを押した。
しかし、その時、足に妙な違和感を感じ取った。

「…………?」

俺は目の前の電話を見つめたまま固まる。
汗が額から滲み出てくるのが分かった。

周りで俺の様子を見ていた不良たちは俺の異変に
徐々にそわそわし始める。

あ、あれ……?
今、俺の足元で何かが……。

俺は恐る恐る足元を見つめた。
すると、俺の視線の先、靴の傍には砂が落ちていたのだ。

信じられなかった。
い、今俺の放った言葉で足が砂に変わったのか……?

あ、あれ?おかしいな……。

俺はぎこちない動きで後ろへと振り返り、引きつった笑顔で周りの
不良たちと小助、親分を見つめた。

お、俺はここに居たいんだ……ずっと。
し、死ぬまで俺の居場所はここなんだよ……。

ここを離れるぐらいだったら……し、死んだ方がマシ……なんだ。

な、なぁ……”俺”。

そうだろ……?

「お、俺、表桐裏一はここを出て、一人になるより……。
砂になってこの場所で死んだ方が……ま、ましだ!」

サアァァ。

「!!!」

俺は頭を抱えた。
な、何で足が砂に変わる……!
俺の本心は口から放たれた言葉で合っているハズだ!

「せ、先輩?どうしたっス……?」

周りの不良たちが心配そうに俺を見つめている。
小助も、俺の様子を見て眉をしかめていた。

しかし、そんな周りなんて関係なしに俺は自問自答を続けていた。

「お、俺はここに居たいんだ!だからその為にここで嘘をつくんだ!
ここで俺は屍を晒すんだ!」

しかし、俺の気持ちとは裏腹に体はどんどん砂に変わっていく。

何で……俺は心を決めたんだよ!
一人になるより砂に変わって死んだ方がマシなんだよ!

「何でだよ、お前は一体何なんだよ!」

俺は頭を抱えながらアジトを飛び出した。
この時点で、左足の指、右手の指など体のほとんどの箇所が
砂に変わっていた。

それもこれもアジトでの自問自答の連続のせいだ。
あと嘘をつけるのはたった「1」度切り……。
もうそろそろ、本当に取り返しのつかないことになってしまう……。

俺は懸命に外を走るが、足の指がないせいで、とても走りづらかった。
その走り方はまるでゾンビのよう。

くそっ、何なんだよ!
俺は嘘なんかついていない!
俺は自分の気持ちをそのまま言葉に出して言っているだけだ!

まさか本心は違うだなんて……そんなことあり得ない!

これは理不尽だ!薬の効果がおかしいんだ!

俺は錯乱状態の中、一昨日まで入っていた拘置所を目指していた。

理由はこの忌々しい薬の特効薬を貰うためだ……。

もう我慢できない!
人として嘘をつかないなんてできるわけがないだろう!

例え俺が真っ当な人間であっても、この状況は耐えられないはずだ!

人が嘘をついてはいけない?

それは至極当然の意見だ。

だけど、そんなことは絶対に守ることなんてできない!

嘘は人にとって生きていく中で捨てきれない友のような存在なのだから!

嘘が無い人間なんていない!
絶対にいない!

俺は頭を抱えて走り続ける。
しかし、足の指が消えて走りづらい為、かなりフラついていた。

案の定、目の前に立っていた運送業者の人間に思い切りぶつかってしまった……。

ドンッ!

「うわっ!いてて!」

お互いに激しく転倒した。

「だ、大丈夫かい?怪我はない?」

業者の人は俺から突撃したにも関わらず、
優しく俺に言葉をかけてくれた。

あの人は優しい、俺は心の中ではそう思っていた。
だがしかし、俺は嘘をつくことができない。

”大丈夫です、ありがとう”

この人に、そんな些細な優しい嘘をつくこともできない。

何故なら、心の中では少なからず、

”こんなところに立っているんじゃねぇ!邪魔だ!”

……という気持ちが存在しているからである……。

「む、無理だ……」

「はい?」

「す、すいません……」

俺は小さな声でそう言って、指がない腕を使い何とか立ち上がった。
そしてそのまま運送業者の人を置いて、走り出したのだった。

ここにきて些細な嘘がつけないのも辛いということを思い知る。
嘘は思った以上に人の中に浸透しているものだ……。

そんなことを改めて思い知らされる……。

気付けば口から嘘が零れ落ちてしまいそうだ……。

「ぐっ……」

俺はただただ自分の嘘の為、未来の為に走った。
ただひたすらに走り続けた。

走る中で、いろんな人とすれ違う、そして様々な言葉が耳に入ってくる。

その言葉たちは本当の言葉から、まるっきり嘘と分かる言葉まで、多種多彩。

意識すれば分かってくる……。
男女問わず、いろんな年齢の人が嘘をつき、相手を騙している……。

それは無意識に行っていて、悪気が無い純粋な嘘もあるだろう……。
だけど、結論としてやっぱり嘘をつかない人間になるなんて無理だ……。
悪気のある嘘を禁止したとしても……無理だ……。

「……」

そんなことを考えているうちに気づけば俺は、
拘置所の正門前に到着していた。

やっと着いた……。
薬の特効薬を貰うんだ、絶対に。

だが、薬の特効薬を貰ったところで俺は刑務所に入れられてしまうだろう。

何故なら、執行猶予の条件を破ってしまうことになるのだから……。

だけど、俺はそれでも良かった。

ただ……俺の中に嘘が戻ってくるのなら……。

俺は拘置所の扉を指のない腕で必死に叩いた。

「頼む!ここを開けてくれ!俺を助けてくれ!」

腕から血が出ようとも、腕が痛くてもげそうでも、関係なかった。

俺はとにかく必死だった。
早く助かりたくてもがいていた。

……しかし、錯乱状態の中、俺の中に残っていた”嘘”という言葉は
皮肉にもこんな状況でも俺の体を見事に乗っ取っていたのである……。

「お願いです!俺は一生……!一生嘘なんてつきませんから!」

俺の発した言葉はそれで最後だった……。
その瞬間、俺は体に今まで感じたこともなかった違和感を覚えた。

体が硬直し、まったく言うことを聞かなかった。

あ、あれ……?
体が動かないぞ……?

お、おかしいな……。
こんなこと……今まで……。

サアアァ。

俺は膝をつき、その場に倒れ込んだ。

霞む視界の中で腕が、肩が、目が砂に変わっていくのが分かった。

その時、初めて俺が嘘をついてしまったのだと理解した。

薄れゆく意識の中、俺は心の中で微かに笑った。

それは自分に呆れた、という感情で笑っていたのだ。
最後の嘘、それは未来を見通す力がないと分からない嘘だ……。

だけど俺の体はこの通り砂に変わっていく……。

つまり、俺は今後一生、「嘘をつかない」という言葉を守れないということなんだ……。

ははは……最後まで俺から嘘が抜けきることはなかったか……。

そんなことを考える中で、俺の意識はさらに薄くなっていく。
目の前が砂に変わっていく……。

それは痛みもなく、不思議な感覚だったけど、頭の中ではしっかりと
死ぬということが分かっていた。

そんな中で、俺はさらに不敵に笑った。

…………

ははっ……。

今思えば不思議な話だった……。

アジトで言った俺の言葉、あれは確かに俺の本心だったんだ……。
俺は孤独で生きるより、死を選びたかった……。

あれは本当に自分で望む結末だったんだよ……。

だけど、結局今はそんなことないんだ……。

死が怖くてたまらない……。
やっぱり孤独でも良いから生きていればよかった……。

しっかり刑期を全うして、騙した人に謝って罪を償えばよかった。

そんなことを心の中で少なからず思っているんだ……。

結局はあの言葉も俺の嘘になってしまった……。

正確には、最初から嘘だったのかもしれないけど……。

……。

嘘……お前は結局最後まで俺を離してくれなかったな……。

いや、俺だけじゃないか……。

お前は他の人間もしっかり掴んで離さないんだろ?この先もずっと永遠に……。

分かってるよ……俺には……。

人は生きているだけで詐欺師だ……。

嘘が俺らを離してくれない限り……。

全員、詐欺師なんだ……。

「嘘……俺は最後まで……お前のことが……好きだった……ぜ……」

俺は最後の力を振り絞ってこの言葉を残した。

この言葉は俺にとっての本心でもあり、そして……。

嘘の言葉であったのかもしれない……。

その真実は、嘘を抱いた一人の詐欺師と共に……。

砂になって消えた……。

………………

…………

……。



~嘘のない詐欺師~ 終わり 執筆 2014年 2月20日

短編小説 『嘘の無い詐欺師』

短編小説 『嘘の無い詐欺師』

嘘と詐欺師。離しても離しきれないこの二つが離れた時、一体彼らはどうなるのだろう。 突如釈放された、極悪非道な詐欺師の波乱万丈な数日を描いた、ちょっとSFチックな物語です。

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-12-14

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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