薄桜鬼(改想録≠メモワール) 藤堂平助編5
邂逅
俺たちが無事江戸に着いてから、五日くらい経った。
隊士の募集もそこそこ順調で、土方さんに配るよう言われていた触れ半紙は、意外にも大方配り終えてしまっていた。
ただ、これまでのところ応募してくる者達の腕はいまいちと思われた。
新選組が池田屋の件で有名になったものだから、野次馬根性だけで入隊を希望する奴が多かったのだ。腕がなく、実務で使えない隊士ばかり集めてもかえって足手まといだ。
そこで、俺は前から声をかけようかと思っていた人物に会いに行くことにした。
「まぁ…藤堂くんじゃないですか。
ずいぶんと久しいですねぇ…!!」
「どうも。」
再会を喜ぶように目を細めるその人は、伊東甲子太郎。
北辰一刀流、伊東道場の師範で、俺も、もともとはこの道場で剣術を学んでいた。
ようは同門の知り合いだ。
「たしか君は、京の新選組で活動しているのではなかったですか?
…なんでまた江戸に?」
「あー…実は、隊士が足りないんで、募集をかけに来たんすよ。」
「はぁ、そうでしたか。それはご苦労様ですねぇ。」
彼は、のんびりと感心するように答えた。
穏やかな表情だが、瞳に探るような気配が宿っている。
「それで…わたくしになんのご用でしょう?」
「伊東さんのところにも、他に優れた剣客がいれば、紹介してもらおうかと思って。」
彼は、どちらかというと、育ちが良い。
御取り潰しになったとはいえ、一応藩士の跡取り息子だった。
そして不遇の折りにも腐らずに、こうして道場主に見出だされ、相応の身分を与えられているところには、運だけではない彼の才覚が伺える。
「ほほ…師範のわたくしに向かって、他に優れた剣客がいるか、なんて…
藤堂くんも、ずいぶんと言うようになりましたねぇ。」
伊東さんは笑いながら冗談めかして言う。
少しばかり、気位が高い人だということを忘れていた。
俺は、慌てて付け加える。
「…あっ、いや、伊東先生が来てくれるんなら、そりゃ願ってもねーことだけど…
俺はあくまで新米の隊士を募集しにきただけっすから。」
「…ふふ、冗談ですよ。
ただ、上洛は昔からの夢でしてね。
まぁ、わたくしのような田舎者が京に参ってなにができるかはわかりませんが…」
彼は視線を外すと、どこか遠くを見るようにして、確かにそう呟いた。
「ねぇ、藤堂くん。
君は京でどんな風に日々を過ごされているのです?」
「…どんな風って…どういうことですか?」
「ああ、どのような志を持って、と言った方が正しいかしらね…」
と、前置きしながら、彼は静かに語り始めた。
「いまこの国が、これまでと違う大きな分岐点に置かれていることは、君もわかっていますね?」
「はぁ…まぁ外国からの圧力にどう対処するか…とかでもめてるからなぁ。幕府もはっきりしねーし。」
博識の彼の前で、自分の拙い考えを話すのは気が引けたけど、逆に良い機会だと思って、おずおずと話を合わせた。
「その通りです。
いまや百姓も町人も武士もありません、皆がそれについて議論しています。
…そういったなかで、国の行く末を導いていくのは、もはや徳川幕府ではありません。」
「……!」
200年以上もの長い間、揺らぐことなく強い権力を誇り続けてきたそれを、いきなり真っ向から否定する伊東さんに面食らう。
佐幕派の誰かに聞かれてやしないか、と自然、周囲に目を走らせてしまう。
それは、俺達が京で取り締まってる連中と違(たが)わぬ、過激な考えではと疑った次の瞬間…
「この国の行く末を決めるのは…わたくし達自身なのです。
これからは、誰かの決定に従うのではなく、わたくし達自身が己の頭で考え、行動することで国を動かすのです。」
急に、突拍子もない論理を説きだす彼に、俺は阿呆のように口を半開く
伊東さんはそんな俺の様子をちらりと見てから、膝元に出された湯飲みを引き寄せると、ゆったりと茶をすすった。
「…といっても、今はまだまだ徳川の世…
わたくしのような浪士が何人集ったところで、なにかできるわけでもなし。
世を変えるには、まず他の権力を借りて対抗するしかありません。」
彼の言わんとしていることがなんとなく解ってきたような気がする。
「…そしてその権力とは、京にあります。」
「京に…
まさか…天子様、ですか?」
彼は目を閉じてうなずく。
「わたくしは今、国を動かす糸口は京にあると考えています。
ですから、藤堂くんも、折角そういった場所に身を置いているのなら、自らの生き方についてよく考えるべきと思いますわ。
…ひょっとしたら君の行動のひとつが、国を左右するかもしれないのですから。」
「自分の生き方が…国を…変える…」
なにか、とんでもない理屈を呑まされたようで、しばし言葉が出ない。
国を動かすのが自分自身かもしれないなんて、今まで思ったこともなかった。
俺が、言われたことを咀嚼しきれず、黙りこくるのをよそに、彼はころりと声音を引っくり返して、
「…あら、わたくしったらつい、また自分のしようのない思想ばかり語ってしまいましたねぇ。」
はたと我に返ったようにそう言う伊東さんを見て、俺も自分がここに来た目的を思い出した。
「あっ…えーっと、それで伊東さん、誰か紹介してくれるっつー話は…」
「ええ、そうでしたね。とにかく君の事情はわかりました。
何人か、門弟達のなかで殊に優れた者に声をかけましょう。」
「あ、ありがとうございます!!」
俺は礼を言い、それじゃ、と席を立とうとする。
「あぁ…藤堂くん。」
「はい?」
「新選組の局長の…えー、名前、なんて言ったかしら。」
「近藤さん?」
「あぁ、そうそう。一度お会いしたいですねぇ。同じ江戸にいたのに、彼とは顔を会わせたことはないんですよ。」
「はぁ…
じゃあ、京に帰ったら近藤さんに伝えておきますよ。」
「…そうね。
でも、君が京に戻るまでまだ時間がありそうですから…
まずはわたくしから、愚弟達がお世話になる旨、手紙にしたためて送らせて頂こうと思いますが、構わないかしら。」
「あぁ、はい。平気じゃないっすかね。
そんじゃ俺も、江戸の到着報告も兼ねて、一筆紹介文でも書くとすっかなー。」
俺がそう言うと、伊東さんは満面の笑みを浮かべて、
「そうして頂けると助かります。」
と言った。
思えば、近藤さんのこと、名前も覚えていないのに、会いたいなんておかしいと、不審に思うべきだったんだろうけど、
そのときの俺は、彼の斬新な考えを聞かされたからか、まったく素直に言うことに従ってしまった。
きっと俺はこのとき、伊東さんの野望の一部に荷担してしまったんだろう。
しかしそれは、彼にとって幸でもあり不幸でもあったのだから、俺のしたことは正しかったのかどうかわからない。
結局、伊東さんは近藤さんに会うことになり、手紙を読んだ近藤さんは自ら江戸にやってきた。
近藤さんも、伊東さんの剣客としての評判は聞いていたらしく、会って話すうち、彼をいたく気に入ったようだ。
また、その剣の腕だけでなく、伊東さんの高い教養と巧みな弁舌にも大きな感銘を受け、むしろその力を新選組に生かしてくれないかと持ちかけた。
近藤さんは新選組の、腕は確かだが大した教養もない田舎侍連中、という世間の認識を、伊東さんの加入によって変えたかったのかもしれない。
このあたりから、組織に最初の綻びが生じ始めていたのように思うけれど、今振り返ってもそれを止める術を俺は知らない。
数えきれない「もしも」に埋(うず)もれて、人は後悔しながら生きていくものなのかもしれない。
薄桜鬼(改想録≠メモワール) 藤堂平助編5