バルセロナの夜
ここバルセロナに住んでから、まもなく50年を迎える。私もずいぶん歳を重ね、だいぶ老いてきたのだが、それとは反対に、この国はどんどん発展し、若々しい立ち振舞いに姿を変えてきた。周りにはオフィスビル群が建ち並び、何千人も収容可能なサッカー場、賑やかな街並み、あちこちから車が忙しそうに行ったり来たり。でも私は、このバルセロナに息苦しさを感じるようになった。かつてあんなに優しかったバルセロナ市民の目は、今はとても冷たく感じる。端末にひたすら目を向けては、どこか難しい顔をしたり、或いはほくそ笑んでみたり。中傷的な暴言にまみれ、金に溺れ、排ガスを浴び、すっかりからっぽになってしまった人々の心。私はひどく残念でたまらない。そうしていつも、上を見上げるのだ。巨大な大聖堂、神聖な彫刻、不規則に伸びる塔。私はこのサクラダファミリアを見ていると、心が慰められる。
私がサクラダファミリアに出会ったのは、ウィーン大学在学中にスペインを訪れた時。資料としてガウディの設計図は見たことがあったのだが、実物はそんなものが想像できないほど何だかよくわからない、そう形容するほど何を作っているのかわからなかった。でも不思議なことに、私には確かにサクラダファミリアが見えたのだ。直感的に私はこの工事に関わりたいと思った。いや、そうじゃない。これこそが私の宿命なのだ。そう確信した。それから大学に戻ると必死にスペイン語を学び、全く疎かった建築学を学び、27歳にしてようやくサクラダファミリア建設工事に加わることができた。
それから、私はサクラダファミリアと共に生きた。完成に向けて生涯を捧げる覚悟もあったから、結婚もしようとは思わなかった。だけど、ちっとも寂しくない。サクラダファミリアが私を見守ってくれている。完成した頃に表すであろう姿を考えると、私の心は踊った。毎日充実していた。
だが、私は早くに生まれすぎたのかもしれない。どうやら完成年度はまだまだ先で、どうにもその歳まで生きていられそうにない。建築家として生きてきたが、作品という完成系は一度も残していない。そう、私は建築家としては未完の器で終わってしまう。でもそれ以上に、このサクラダファミリアをサクラダファミリアとして見ることなしに、私はこの世を去らなければならない。ガウディや先代の建築家たちも同じような気持ちがしたのだろうか。建築物は半永久的に残すことができるが、人間には必ず死が訪れる。残念だが、これもきっと宿命なのだろう。
未来を生きる青年たちよ。このサクラダファミリアを完成させることができるのは君たちしかいない。私はもう、このサクラダファミリアを見ることも愛することも感じることもできないだろう。だが、このサクラダファミリアの建築に携わったのは紛れもない事実だ。私はこの建築に関われたことを誇りに思っている。どうか、ガウディの、先代の建築家たちの、そして私の志を受け継いで、人類の叡智の結集として最高の作品を完成させてくれ。我が子をよろしく頼みます…
この文章を書いた10日後、彼はこの世を去った。今夜もバルセロナの月光りが大聖堂を柔らかく照らしていた。
バルセロナの夜