便利屋BIG-GUN3 腹に水銀

便利屋BIG-GUN3 腹に水銀

 プロローグ

トライを開始してからもう1ヵ月。俺の精神力も限界に達しようとしていた。
 期待と緊張感、そして半ばの諦めを交えつつスイッチを押す。数秒のラグの後コンピューターは8時間という数字を表示した。
 こ、これは?!
 来たか、来たのか?!
 七色に輝くモニター。それが消えるとコンピューターは和風な美女を映し出した。
「キター!」
 俺は思わず立ち上がり拳を天に突き上げた。人気のブラウザーゲームきってのレアアイテムゲットの瞬間だった。
「私が来たのがそんなに嬉しいんですか?」
 店の入り口から俺の感動に水を差す声がした。この声は・・・。
「予想はしていましたがそれほど歓迎していただけると私も嬉しいです、センパイ」
 そこに立っていたのはやや背の低い女子中学生。茶髪というより赤毛に近い長い髪を三つ編みにしたそばかすがある女だった。
「ご無沙汰してます、暇そうですねセンパイ」
 失礼なことを言いながらにっこり笑った女。
こいつは森野。下の名は知らない。先月訳あって入学していたピース学園の生徒だ。もっとも俺が入学したのは高等部でこいつは中等部2年だ。新聞部のやり手記者でもあり得意分野はスキャンダルだ。
「そうか、よく来たな」
 俺もニッコリ微笑んでパソコンデスクの横に手を伸ばした。
「センパイ、何防犯ボールに手を伸ばしてるんですか?!」
 一歩引いてクレームをつける森野に俺はさらりと答える。
「ん? 店に来たらぶつける約束だったじゃないか」
 こいつには少々おちょくられた恨みがある。
「そんな約束してませんよ! 入っていいですか」
 少し焦った様だったが冷静さを取り戻しやがった。なかなか腰のある奴。
「ここは遊び場じゃない。学校へ行け」
 露骨に面倒くさそうに言ったのに森野はまともに受け取らず涼しげな表情のままだった。
「やだなぁ、まだ夏休みですよ」
 そういえば今日の森野はセーラー服はセーラー服でもピンク色のこじゃれたシャツをお召しだ。全国的に学生さんは夏休み真っ只中だ。
ぬう…俺はほとんど無休で働いているのに・・・。俺の恨めしそうな顔を見て森野はうんうんと頷いた。
「やっぱり暇そうじゃないですか。入りますよ」
 森野はズカズカと店内に侵入してきた。毎度のことながら女という生き物は俺の言うことを無視する。
 ここは俺の店、便利屋BIG・GUNだ。ここC市の中央よりやや北、田舎町のさらに田舎に位置する鉄筋3階建て地下1階の自社ビルである。
 れっきとした会社であり俺が社長で正社員が2名。3人とも2階と3階の寮に住み込んでいる。まぁ職場であり我が家でもあるわけだ。
 一階のここ事務所は広いスペースがあり入り口にカウンター、その向こうにデスクが4つ向き合い、その横に5人がけの応接ソファ。で、奥にはドアもついている商談室がある。
 森野はソファまで突き進み棚に飾ってあった写真に気づいた。
「あ、これローランドさんですね、写真飾ってるなんてやっぱり本命なんですね!」
 いやそれ確かにジュンが真ん中に写ってるけど俺達BIG・GUN全員写ってるから…。
 春に撮った写真で真ん中に依頼人を置いてBIG・GUN全員が周りを囲んでいる和やかな写真だ。
 俺達が全員写っている写真は実はこれしかない。しかも内1名はもういない。だから記念写真としてそこに飾ってあるのだ。
 森野の言ったローランド、セーノ・ジュン・ローランドはピース学園中等部1年生の女子である。つまり森野の後輩というわけだ。以前ボディガードを依頼されたことがあり、それ以来の付き合いだ。スキャンダル好きの森野としては色恋沙汰にして記事にしたいようだ。と、突然森野の表情が豹変した。
「て、ああっこれ三郎さんも写ってるじゃないですか! その他男前がいっぱい」
 ああ、俺も写っているぞ。
「これください!」
 言いながらスタンドごとバックに入れやがった。
「やるもんか、返せ」
 俺は立ち上がってバカ女から写真を取り返した。しかしなお森野は抵抗する。
「いいじゃないですかー、データだけでもくださいよ」
「断る」
「交換にローランドさんの写真あげますから」
 なんでお前がジュンの写真持っているんだ。
俺の疑問を読み取ったか森野は自慢げに語りだした。えっへんと胸を張ったが…無い。
「新聞部の後輩が隠し撮りしたんです。美術の時間に彼女モデルやったんで」
「なんであいつがモデル?」
「可愛いからに決まってるじゃないですか」
 納得。
 森野の言うとおりジュンは金髪エメラルドアイを持つ美少女だ。
「買いませんか、安くしときますよ」
 関西商人のように揉み手しながらぬかしやがった。
「いらん」
「ヌードデッサンですよ?」
「買おう」
 すると森野はため息をつきやがった。
「嘘に決まってるじゃないですか。どこの学校が授業で女子中学生ひん剥くんですか」
 貴様! 純真な若者の心をもてあそんで何が楽しい!
「ええい、帰れ。俺は忙しいんだ」
 やっとゲットしたあいつのレベリングをやらねばならんのだ。俺は森野の首根っこ掴んで文字通りつまみ出しにかかった。森野はジタバタ抵抗して喚いた。
「仕事の依頼に来たんですよぉ」
「うるさい、うちは高いんだ。子供に雇えるか!」
「物で払いますぅ」
 森野はバッグから皮のケースを取り出した。何だこれは爆弾ではあるまいな。俺は森野からケースを受け取ると開封してみた。
 こ、これは?!
 出てきたのはレトロなデザインのカメラだった。しかも赤いマーク!
「ライカだ! ライカM9! レンズは35mmズミルックスか!」
「さすがセンパイくわしいですね」
 ライカとは言わずと知れた高級カメラだ。はき出す写真の素晴らしさもさることながら機械としての精密さ美しさも他に類が無くプロからアマチュアまで幅広く支持されている。しかし所持している人間は中々いない。高価なのだ。
 森野は自分が持ってきたカメラをしげしげと眺めた。
「それ買うお金で家が建つらしいですねぇ」
「それは戦前の話だ」
 とはいえ今だって無茶苦茶高いことに変わりは無い。自動車くらいは買えてしまう金額だ。
「どこから盗んできた! 盗品で仕事するわけにはいかないぞ」
「意外と真面目なんですねぇ。大丈夫、親のですよ」
 意外ととは何だ。俺より真面目なやつがこの街にいるか!
「親のを盗んできたのか!」
「親も承知です。とりあえず現金が無いのでそれは質ということで…」
 森野の表情は割りと真剣だった。遊びに来たわけでは無さそうだ。
 ふむう・・・。
 しげしげとライカを見る。ライカはコレクターも多い。買って使いもせず大切にガラスケースの中にしまいこむ連中だ。まぁライカは美術工芸品という見方も出来るのでそれを否定する気は無いが…。このカメラの主はそうでは無いようだ。角が使い込まれて磨り減っていて金属のメカ特有の味をかもし出している。しかもキチンと整備されていてピカピカだ。森野の親にとってこのカメラは単に高価な貴重品である以上に大切な相棒であるのだろう。
「親御さんはこれを大切にしているだろう」
 俺が突然シリアスなしゃべり方をしたので森野も付き合ってしんみり返した。
「ええ、まあ」
「同じカメラ好きとしてこれを取り上げるわけにはいかん。とりあえずこれは返す。話は聞こう」
 森野は俺からライカを受け取ると大事に皮ケースにしまってから話し始めた。
「あの…大変申し上げにくいのですが・・・」
「ふむ…秘密は守る。話せ」
 森野は大きく息をすった。
「話は三郎さんに聞いて欲しいのですが?」
 えーい、やっぱり帰れ!
 北下三郎、俺の相棒だ。あらゆることを手際よくこなす天才肌の男で相棒としてはこいつ以上に頼りになる奴はいない。反面俺よりちーと甘いマスクで周りには常に女が付きまとう。友人としてはこいつ以上にむかつく奴はいないだろう。先日FMラジオで恋愛相談なんてやったもんだから市内で名が売れてこいつ目当ての客が後を絶たない。いいかげん対応にうんざりしているところなのだ。
 再度森野をつまみ出そうとすると電話が鳴った。固定ではなく俺のスマホだ。耐水対衝撃のタフな奴だ。森野は放置して直ちに受ける。
「風見君か? すまんが今すぐに会いたい。会社にいるかね?」
 なんと鍵さんだった。この街の名士中の名士。駅前などに多くの不動産を所有し、それを財源に多くの商取引を行う会社「鍵エンタープライズ」の社長だ。ちょっとした縁で知り合って以来何かと目をかけてもらい世話になっている。鍵さんが用があるというなら会わないわけにはいかない。
「いますが御用なら出向きます。会社ですか?」
「ああそうだ。すまないね」
 いつもは自信に満ち溢れ頼もしい人なんだが様子がおかしい。何か不安げで落ち着かないようだ。ただ事ではあるまい。
 俺は至急向かう旨を伝え森野に外出を伝える。
「えー、話聞いてくださいよ、おねーちゃんが大変なんです」
 こちらも表情にあわて感が出ている。仕方ない。俺はさっきの写真を出し背の高いゲルマン人を指差した。
「この男は俺達の中で一番温和で誠実な男だ。三郎は外出中だがこの男なら話を聞ける。どうだ?」
 どうだも何も聞く必要は無かった。森野の瞳は既にハートマークになっている。
「シンクロ率85%は越えてますよ!」
「それはよかった。今呼ぶ」
 俺のシンクロ率が何%かはあえて聞かずジムをインターホンで呼んだ。
 ジェームズ・ロダンは俺より2歳年上の18歳。身長190もある見事な逆三角形の肉体を持つ男だ。体だけ見ればアメフトの選手のようであり実際運動神経も抜群だが何故かインドアな仕事を好む。夢は銃の加工や製作をするガンスミスだそうだ。先ほども言ったが性格は温和にして誠実。やや面長な顔には常に優しい笑顔が湛えられている。年齢以上に俺達より大人であり三郎でさえ一目置いている頼りになる男だ。
 地下のガレージで車の整備をしていたのだが来客と俺の外出を聞くとすぐに上がってきてくれた。
「ジェームズ・ロダンです。ジムと呼んでください」
 森野はそう微笑まれると一発で舞い上がってはわはわと話し始めた。
「わわわわたし森野めぐみです。風見センパイとは学校で知り合って…」
 どうやら俺の事は眼中から消えたようなのでその隙に俺は愛車プジョー106が待つガレージに下りた。
 拳銃ベレッタM84。携帯、スマホなどを確認し白いデニムの活動服を羽織る。
 準備よし。俺はインディゴブルーに輝く小さなフレンチカーに飛び乗り地下ガレージの坂を駆け上がって外へ出た。
 俺の名は風見健。この街のゴタゴタを解決する便利屋BIG-GUNの社長だ。というと偉そうに聞こえるが16歳のガキで、ただの悪党だ。
 さて、今日はどんな事件が待っているのやら。

ACT.1 行動開始

 店を出てラギエン通りを南下。松森中学を過ぎると1国にぶつかる。これを右折してしばらく走ると駅前通りの十字路だ。左へ曲がると、どんづきが駅。そのちょっと手前に我らがDクマがある。Dクマとはこの街最大のディスカウント・ストアで市民の憩いの場である。多くの市民が愛する場所である。余談だが少なからぬ市民がDクマをこの国最大のデパートと勘違いしているらしい。困ったものだ。
 Dクマの向かいはフードコートになっておりここに鍵さんが経営する鍵エンタープライズの事務所がある。ちなみに鍵さんの自宅はさらにそのむこう。駅前だというのに和風な豪邸がどんと鎮座している。便利だけど街の発展のために引っ越そうかと時々こぼしている。
 会社の駐車場にプジョーを停め中に入る。建物は鉄筋3階建て。会社の規模の割りに質素な建物だ。しっかりした造りだが無駄な装飾品はあまり無かった。玄関にトラでもドンと飾ってありそうだが…。事務員のおねーさんが応対してくれ応接間に通された。応接間のソファーセットはふかふかではなく食事にも使えそうな実用的なものだった。質実剛健な鍵さんらしいチョイスだ。3分と待たず鍵さんは現れた。瞬間違和感を覚えた。何か足りない。
「よく来てくれた。突然すまなかったね」
 堀が深く日に焼けた顔。長身でがっちりとした体を高価そうな和服が包んでいる。
 もう孫がいていい年齢のはずだが、精悍で若々しいいつもの鍵さんだ。
 だがいつもより目力が弱く感じる。風邪でもひいているのか?
「挨拶は抜きにして本題に入らせてもらおう」
 地に根を生やしたような人なのだが今日は何か落ち着かない様子だ…。一言で言うと焦り?
「今朝これが私の机に置いてあった」 
 白い封筒だった。封筒には毛筆で「退職届」とあった。達筆だ。
 受け取って差出人を見ると驚いた。
 黒沢 玲司。鍵さんの側近で凄腕のボディガードだ。
 年齢は30前後だったか、ストイックを絵に描いたような男だ。仕事は実直、無言実行の人だ。背が高くオールバックの下に輝く鋭い瞳はヤクザでも震え上がらせる。格闘技の達人で鍵さんに危害を加えようとする者には容赦はしない。
 そして何と言っても素晴らしいのは忠誠心だ。
 まるで主に従う武士。単に雇われているだけでは決して無い忠義をもって鍵さんを警護していた。
 その男が突然退職届とは解せない。
 中身はシンプル。
 一身上の都合で退職いたします。数々のご厚情に報いる事もできずお詫びのしようもありません。
「連絡は当然つかないんですね?」
 俺の質問に鍵さんは目を伏せて頷いた。
「電話は繋がらないし自宅も空だった」
「前日まで変わった様子は?」
 これには首を振った。
「全く気がつかなかった。9時に自宅に来るとまで向こうの方から言ってきたくらいだ」
 なるほど…鍵さんが不安げなのも俺が何か足りないと思ったのもこれが原因か。黒澤さんは常に影のように鍵さんに付き添っていた。
「警察には?」
「話しちゃいないさ。これは事件じゃないからね」
 確かに大の大人が突然会社辞めたくらいで警察は動かないだろう。しかし辞めたのが黒沢さんとなると俺や鍵さんには大事件だ。
「この字は黒沢さんの物ですか」
 退職届を返しながらの質問に鍵さんは頷いた。
「私が見る限りは。習字は得意だった」
「朝置いてあったと言う事は、昨日の夜から朝にかけてここに黒沢さんが来たということですね? 確認は取れましたか」
 鍵さんはしっかりと頷いた。
「朝7時くらいに出社して私の執務室に入ったらしい。早朝出社した者が見ている。様子は変わらなかったそうだ」
「まあ、いつも無口で無表情ですからね」
 ふうむ…。そのへんにいる無責任なガキならともかく黒沢さんが突然仕事を投げ出すはずは無い。よほどの厄介が発生したと考えるべきだろう。
「黒沢さんの情報を可能な限りください。当たってみます」
 鍵さんはほっとしたように微笑んだ。
「やってくれるか。データはもう用意してある。よろしく頼む」
 鍵さんは俺の手を両手で握ってくれた。鍵さんは俺を高く買ってくれている。ちょっと買いかぶりすぎなほどに。しかしそれにしても少し感情が高ぶりすぎではなかろうか。それほど黒沢さんがいなくなった事が心配なのだろう。
 鍵さんの期待に応えなければなるまい。それに黒沢さんは俺にとっても尊敬できるかっこいい大人なのだ。
 黒沢さんの履歴などのデータを書類とパソコンのデータで受け取ると俺は駆け足で鍵邸を辞し街一番の情報屋へ足を向けた。ここからなら駅を突っ切ればすぐそこだ。歩きながら情報屋と電話でアポを取っているとメールが入った。入金報告、鍵さんからだ。そういえば料金の打ち合わせを忘れた。鍵さんには世話になっている。このくらいただで動いてもバチは当たらないのだが。
 金額を見て驚いた。桁を間違えたんじゃないかと。
 7桁の入金があった。
 いくらなんでも入れすぎだ。返さなきゃならんかと思ったがもらったものを返すのも失礼なのかな…。
 Dクマの前を過ぎ駅前通りを右折して駅へ向かう。駅前ロータリーはすぐそこだ。
 駅前は少し様子が変わっていた。駅の向かって左側、東の方で建設が開始されていた。
 市長が再選し様々なプロジェクトが始動している。駅前再開発もその一つだ。
 この街の駅は少々特殊で駅そのものが街を南北に分断してしまっている。
 田舎町の駅のくせに2本の路線が乗り込んでいるせいでホームは4本あり意外と幅がある。入ってくる電車の数もそれなりに増える。だから駅そばの踏み切りは「開かずの踏切」となる。しかもその踏切が駅から数百m離れているとなると普通の人はよほどの用事が無い限り南北を横断しようとは考えない。北側には市民の心のふるさとDクマがあるから人は集まるが南は当然人が減ってしまう。これは市の経済の損失、ということで駅舎をビル化、ついでに渡り廊下を作る。
 これが駅前再開発のメインプロジェクトだ。
 行きつけの喫茶店「早い! 安い! だけ」の前を通り過ぎ、駅で入場券を購入し駅に入る。これで遠い踏切まで行かずに南口に行けるわけだ。おかげでこの駅は全国有数の入場券販売実績を誇っている。その記録も駅前開発が進むと無くなるわけか。入場券買う出費とわずらわしさは無くなるが何故か寂しい気もする。
 連絡橋を渡り南口から出ると北口より明らかに寂れた南口駅前ロータリーがある。その脇、駅から出てすぐ左側に目的地のラーメン屋がある。
 狭いが有名なラーメン屋「ちゅーりっぷ」だ。
 別に腹が減ったわけではない。この店は副業で情報屋をやっている。しかも街一番と名高い。
 店に向かうと俺は異変に気づいた。
 店の前に巨大な置物がある。よく店先に置いてある狸に似ている。しかしあんな所に置いておいたら通行の邪魔じゃないか。いやそもそも店の前に置いたら中に入れない。なんだってこんなところにあんな物が。
「いらっしゃーい、風見ちゃん」
 置物が動いた。一歩飛びのく。
「そろそろ来る頃だと思って待ってたのよー」
 置物はにんまりと笑った。
 なんだおばちゃんか。
 ちゅーりっぷは老夫婦で経営されている。ご主人のおじさんはいい人で小柄な方なのだが、奥さんの方はごらんの通りご主人の生気を吸い取ったかのごとくデカイ。主に横方向にデカイ。最近さらにグレードアップしたんじゃないか?
 おばちゃんも凄腕の情報屋なのだがよくこの巨体で情報収集できるものだ。目立ってしようがないじゃないか。
「さあ入って入って客なんかいないから」
 おばちゃんは丸太のような腕で俺を店内に押し込んだ。その時携帯がブルンと震えた。俺の携帯はいつもマナーモードだ。
 なんだジュンか。あとでいいや。通話不能を通知する。
「いらっしゃい、今日はなんにする」
 カウンターの向こうから小さなおじさんが微笑んだ。こう見るとごく普通のラーメン屋の店主にしか見えない。しかし裏に回るとこの街のいろんなヤバイことに精通したおっかない人でもある。VIP達の公表されたくない情報を握っているので逆に誰も手を出さない。裏社会のバランスなのだ。
「駅から歩いてきたって事は北口で何かあったね? 警察か鍵さんあたりかな」
 おばちゃんがビールの銘柄が書かれたタンブラーで水をくれた。この季節ではありがたい。一気に飲み干す。その横顔をおばちゃんムフフと笑って見つめてきやがった。怖い。このおばちゃん時々俺のストーカーもやるからさらに怖い。そんな心を表には出さず回答する。
「鋭いね、鍵さんとこの黒沢さんに関する情報が欲しい。ただし履歴書レベルは既に入手済みだ」
 カウンターの中で小さな親父さんが頷いた。
「あいよ風見君はゴールド会員だからね、そのくらいは定額料金内だ」
 最近この情報屋は会員制になった。
 ゴールド、シルバー、ブロンズのランクがあって月定額取られる。そのかわりたいていの情報は無料で得られる。
 おじさんがパソコンで情報検索しているうちに俺も鍵さんにもらったデータを読んでおく。当然会社には事情と情報は転送済みだ。
 黒沢さんについて俺は何も知らなかったといっていい。下の名前さえさっき知ったくらいだ。
 黒沢 玲司、27歳。思ったより若かった。
 この街出身で両親は既に他界。父親が鍵エンタープライズに入社していた縁で鍵さんに援助をもらい大学卒業。うお横国だ。頭いいんだ黒沢さん。その後鍵エンタープライズ入社、すぐに頭角を現し鍵さんの側近兼ボディガードを勤めている。家は近いな、歩いていける。家族は妹が一人。黒沢 瞳、15歳。一回り離れているのか。ピース学園中等部3年、寮住まい。ジュン達の先輩か。
 にしても。
「暑いなぁ、この店。エアコンくらいつけようよ」
 俺は暑さには強いほうだが、さすがにこの真夏にラーメンの釜ガンガン炊きながら冷房装置が扇風機だけでは堪える。だから客いないんだよ、この店。
 おばちゃんは風見ちゃんが儲けさせてくれればつくよぉとかぬかした。
 何言ってんだ。結構稼がせてるぜ俺。なにせゴールド会員だ。 
「黒沢さん本人は何も変わった事は無いねぇ。ただ妹さんに捜索願が出てるねぇ」
 世間話のような口調で親父さんがしゃべり始めた。
「いつ?」
「一週間前だよ」
 夏休みだ。中学生が一週間くらいいなくなったって別段珍しい事じゃ無い。まぁ兄貴としては慌てるだろうが。ただ変なのは鍵さんが俺に何も言わなかったことだ。知っていれば話してくれただろう。黒沢さんの性格からして私事で社長に心配かけたくないと話さなかったんだろう。公私混同は絶対しなさそうな人だった。
 なんにせよ今のところこれくらいしか手がかりが無い。当たって見るか。
「瞳さんの情報をあるだけくれ」
「さすがに女子中学生の情報はないよ。至急仕入れてその都度送る。ただ急ぐなら裏は取れない。いつもの信憑性は無いよ?」
 おじさんらしい責任感ある言葉だ。
「それでいい。頼む」
 コーラを一本もらってから店を出ると電話が鳴った。またジュンだ。今度は出る。
「なんですぐ出ないのよ!」
 いきなり怒鳴りやがった。
 こういう電話の仕方をするヤツは意外と多い。携帯電話といえど出られない時は出られない。かける時は相手の都合も考えてかけよう。小学校でそう習っているはずなのだが。
「最近女の子狙った犯罪増えてるんだから。なんかあったらどうすんのよ」
 お前の安否を何故俺が保障しなきゃならんのだ。説教をかましてやろうとしたが、なんだかんだとまくし立てるのでめんどくさくなった。
「だー、忙しいんだ。何の用だ」
「さっき早安の前通ったでしょ」
 お前までストーカーなのか。
「早安でバイトしてるのよ、夏休みだから」
 なるほどここにも等しく夏休みが訪れている。中学生のバイトを禁止しているバカな学校は多いがピース学園はキリスト教がベースで社会奉仕はメインテーマと言ってもいい物。バイトはむしろ推奨されているらしい。うちも雇おうかな、可愛い女の子限定で。
「で、なんだ暇なのか」
「バイト中に暇も無いでしょ。ちょっと顔出して店に貢献しなさいよ」
 そういえばこいつピース学園中等部だ。ジュンの話を聞くのも悪くないか。わかったよと返答して俺はまた北口に足を向けた。ち、また入場券か。入場券の定期は無いんだろうか。
 移動中警察の知り合いに電話する。警察署長とも結構マブだがその秘書の方が通りはいいだろう。
「アリス、黒沢瞳って子の捜索願出てないか?」
 暇と巨乳で知られる署長秘書はすぐにでて即答した。
「でてるわよ、見つけたの?」
「いや探すから捜査の進行状況と情報をくれ」
「そんな情報教えられるわけ無いでしょ」
 声が少し慌てた感じだった。解りやすい奴め。未成年の行方不明なんて隠し事することじゃ無い。大いに情報を公開して探してもらうのが普通だ。それを鍵さんすら知らなかったというと警察は内密に捜しているということになる。内密にするという事は警察内部の不祥事か未成年犯罪という事になるだろう。だから俺は「捜査」という単語を使った。
 さてアリスの口を割らせるなんて簡単だ。
「黒沢瞳のお兄さんは27歳でY国大出身。鍵エンタープライズの社長側近にして武道の達人。めっぽう渋くていい男だ。助けてあげたいと思わないか」
「独身?」
 声の真剣度が瞬時に変わった。
「独身」
「じゃあ仕方ないわね」
 その通りだとも。
「単なる家出じゃ無い感じね。犯罪に巻き込まれている、あるいは関わっているかも。一緒に行動しているところを目撃された少年も行方不明ね」
「名前は?」
「そこまでは職業倫理上ちょっと」
 あんたに一番遠い言葉だがな。
「そいつに補導暦は?」
「ないわ。捜索願も出てる」
 なんらかの少年犯罪が発生して少年Aが重要参考人。黒沢瞳はその被害者あるいは協力者という事か。
「成功の暁にはお兄さんと会食を」
 トーンが下がっている。すっかり女スパイ気取りだ。
「約束しよう。職業倫理にかけて」
 この情報をラーメン屋と会社に流し俺は「喫茶・早い! 安い! だけ」に到着した。
 駅から歩いて1分という地の利とその名の通り早くて安いを武器に今まで生き残っている老舗喫茶店だ。店の規模は5人がけのカウンターとボックス席が2組。広くは無い。マスター一人できりもりしていたが今はジュンがバイトしているはずだ。
 チリンチリンと呼び鈴が鳴る古風なドアを開けると冷たすぎる冷房の風と共に
「おかえいなさいませー!」
 とハートマークつきの声で黒服のメイドさんが迎えてくれた。
「ごめん店間違えた」
 180度ターンを決める俺。消防団員なので回れ右は得意だ。1で右足を引き両かかとを支点に2,3と回る。その俺の首根っこをメイドさんはむんずと掴んだ。
「間違えてないよ」
 じゃあ間違っているのは店の方だ。
 身長150に満たない金髪緑眼の中学生バイトは黒服白エプロンという正統派メイドスタイルで俺を出迎えていた。
「何やってんだよ、お前?!」
 俺の真っ当な質問にジュンはまあるい瞳で睨みつけてきやがった。
「ウエイトレスのバイトよ、見れば解るでしょ」
 いや…よくわからないぞ。
「マスター、何事だこれは?!」
 カウンターの中で上機嫌なマスターに呼びかける。マスター・ジャック・マクソン氏は60近いおじさんなのだが…。
「新しいバイトさんを雇ったんだよ。それは昔からあるうちの制服。このところバイトを雇っていなかったんで使われていなかっただけさ」
 嘘をつけ。
「メイドさんがおかえりなさいませーと迎えてくれるのがこの店のスタイルだというのか」
 マスターはその通りと胸を張った。
「この店の伝統的スタイルだ」
「その伝統的挨拶、こいつ今かみやがったぞ」
「そこがいいんじゃないか!」
 店中の客が立ち上がった。わ、混んでる。ボックス席まで埋まっている。いつもガラガラなのに。まずいから。客層は言うまでも無く20代から40代までの女に縁の無さそうな奴らばかりだ。
「こんな素晴らしいメイドさんに何けちつけてるんだ君は!」
「ぼくなんか今の台詞録音してPCの起動音にするよ!」
 なんというキモブタの群れ。この街にもいるんだな、こういう連中。アキバに行ってやってくれよ。
 俺は首を振ってカウンターにもたれた。
「ちょっと冷房効きすぎじゃ無い?」
 マスターは頷いた。
「しかしジュンちゃんがあんな暑苦しい格好で頑張ってくれているんだ。我々が我慢するしかないだろう」
 なるほどジュンのメイド服は長袖でロングスカート、その上にエプロンだ。色も黒いし確かに暑そうだ。
 そのジュンとにこやかに談笑したり写真取ったりしている奴らはTシャツから出した二の腕いっぱいに鳥肌を立てている。根性はあるようだ。
「ジュン一人のおかげで繁盛しているじゃないか」
 俺はこの店で出る一番おいしいメニュー「水」を頼んでから嫌味ったらしく言ってやった。
 しかしマスターは表情を曇らせた。
「そうでもない。客は多いけど長居されるから儲からない」
 その上バイト雇ってるから赤字だな。バイトくびにすればいいじゃねーか。
「アイデアを提供してやるからアイスコーヒーおごれ」
「アイデアしだいだな」
 俺は水をいっぱい飲んでからアイデアを披露した。
「ジュンのいる間は1ドリンク30分制にしろ。それと写真も一枚撮るごとに500円。ついでにコーヒーのオプションでラテアートをジュンに書かせろ。これも500円だ」
 マスターは胡散臭い口ひげをいじりながら首をひねった。
「そんなに払うかね」
「払う」
 マスターは客たちをスナイパーの表情で見つめてから頷いた。
「払うね」
「それとこの冷房対策だが…」
 俺はもう一度アイスコーヒーを要求した。マスターは素直に従った。
「ジュンの服を半袖、もしくはノースリーブにしろ。スカートもミニだ。ただし全体は変えずにエプロンメイドのままだ」
 マスターは神の啓示を受けたように言葉を無くした。
 代りに近くにいた客が叫んだ。
「それだよ! なんだ君わかってるじゃないか!」
…ありがとよ。
「風見君、こうして文化は進化していくんだね!」
 マスターは感動に声を震わせた。
 さて…とっとと退散するか。
 コーヒーを急いで飲み干した後、カウンターを立つとメイドさんがまた俺を捕まえた。
「何よ、もう帰る気? 何しに来たのよ」
 おめーが呼んだんだろーが! 
「ちょっとは店に貢献していきなさいよ」
 お前の知らないうちにすげー貢献したんだよ俺は。
「私バイト1時までだし昼ごはんまだでしょ、それまで付き合いなさいよ」
 どうしてこの可愛い顔は俺を睨むばかりなのだろうか。
 俺忙しいんだけど…。しかしこのブタの群れの中にジュンを置いていくわけにもいかんか。
 ラーメン屋の情報が集まるまでここで待機するか…。
 はぁぁぁ。
 
 ジュンのバイト時間が過ぎ俺はやっと店から出られた。
 この間にラーメン屋から追加データが来た。瞳と行動していたという少年Aについてだ。
 名はリック・ディモンド。
 市内出身のラテン系。14歳、松森中2年。写真もついていた。赤毛の天然パーマ。身長は160ちょい、体重50キロそこそこ。どう見てもスポーツマンタイプには見えない。スナップ写真から見ると明るい表情ではない。インドア派の大人しそうな子だ。住所もわかっている。ああ、うちからそんなに遠くない。こいつも行方不明で警察が捜している。こいつにも会わなきゃいかんかもな。
 本題に話を戻して、黒沢さんが何故消えたかだ。
 妹、瞳の失踪と無関係ではあるまい。その件については鍵さんにも連絡して瞳の交友関係や行きそうな場所もわかる範囲で聞き込んである。鍵さんは黒沢兄弟の保護者同然だが何分にも忙しいし中学生の女の子の私生活までは把握していなかった。しかし人物像なんかは聞くことが出来た。瞳は真面目で正義感の強い娘だったらしい。兄妹だ、似てやがる。
 しかし黒沢さんが妹が失踪したため探している。それだけで会社を辞めるだろうか。
 どうも腑に落ちない。普通の人間なら十分な理由になるが…。あの忠誠心と責任感の塊のような男がそんな個人的な理由で鍵さんの下を離れるだろうか。
 蒸し暑い駅前ロータリーで俺は頭をひねった。陽炎の向こうでは炎天下の中、駅前開発の工事が進んでいた。暑いのにご苦労さん。
 俺は一つ可能性を思いついてラーメン屋に電話を入れた。
「おまたせー」
 用事を済ませたところでジュンがさっぱりした顔で出てきた。
 先ほどまでの黒メイド服と打って変わって水色のタンクトップに白いミニスカート、足はナイキのスポーツサンダルという涼しげなスタイルだ。
 ジュンは背が低い上、丸顔で童顔なため一見小学生に見えたりする。まぁ数ヶ月前まではそうだったんだけど。が、薄着になるとアングロサクソンらしい発育のよさを見せ付けられる。すらりと長い手足も細く華奢な体も女性らしい曲線を整えつつある。店内の豚さんたちは知っているのだろうか。知らなくても感じてはいるのだろう。いやらしさではなくふわりとしたセクシーさを漂わせる娘。それがジュンだ。
「お前シャワー浴びたの? 中で」
 俺の不満げな声にも全く悪びれずこいつは頷いた。
「うん、汗かいちゃったし」
 あいかわらず人を待たせてマイペースなヤツだ。
「危険を感じなかったか」
「鍵ならかかるよ?」
 隠しカメラの可能性は考慮しないんだろうか。マスターにまた一つ提案事項ができたな。
 悪知恵を働かせながら足を北に向ける。ジュンもパタパタとついてきた。
「どこ行くの? 私お昼まだ」
 狭い街だ。商店街は駅横から伸びるやつだけ。この先にはDクマこそあるものの店はすぐ途絶える。
「なんで店でまかない食べてこないんだよ。俺は急いでるんだ」
 ま、俺でもこの店のまかないは食べないな。まずいから。いやまて、こいつ味覚おんちだから平気じゃないのか?
 ジュンは黙ってこっちを睨んだ。却って不気味。仕方ないので次善の策を提案する。
「通りがけにみこしやがある。たこ焼きか、たい焼きを買え」
 みこしやの名は偉大だ。とたんジュンは機嫌を直した。
「おごりよね?」
 みこしやはDクマの1階東にある持ち帰り専門のフードスタンドだ。Dクマの帰りにはここに立ち寄りたこ焼やたい焼きを買っていくのがこの街の定番だ。ジュンも相当気に入ったらしい。確かにここのたこ焼きはうまい。たい焼きもうまい。
それはともかくなんで俺が奢らなきゃならんのだろうか。
 ジュンはたこ焼1人前とたい焼きを2枚購入。たい焼き1枚は俺にくれた。たこ焼きは全部自分が食べる気らしい。すぐ向かいに鍵エンタープライズ経営のフードコートがあるので通常ならそこのベンチで食べていくのだが、仕事中にんなことやってたら鍵さんになんて思われるかわからん。俺は歩きながら食えと命じDクマ前を真東に移動し始めた。この先の住宅街に黒沢さんのマンションがある。たこ焼を平らげて落ち着いたのかジュンが柔らかい声で呼びかけてきた。
「ねぇねぇ」
 振り返ると天使の笑顔があった。
「待っててくれてありがとね、さすがにあれだけの男の人たちの中に一人だとしんどくて」
 三郎ならこんな時なんと返事するんだろうか。
 俺は一瞬後に「ああ」と答えて歩き出すしか出来なかった。
 しばらく前進し線路に当たる前、割と有名なこじゃれたビアレストラン「モチキ」辺りに黒沢さんのマンションがあった。もちろん鍵エンタープライズの所有だ。何の変哲も無い4階建ての古びたマンションだ。賃貸じゃ無さそうだ社宅扱いなのかな。
 3階の隅の部屋のようだ。合鍵は借りてきている。いくら社長の許可ありとはいえ勝手に人の家に入っていいのか。道義的責任を感じるが仕事だ、まあいいだろう。
 鍵を開けてエレベーターホールへ。エレベーターに乗り3階に向かう。この間ジュンは俺が今どんな仕事をしているのか全く質問してこなかった。その辺は賢い女だ。バイトに友達誘おうかなーなどとぼやいている。嫌ならやめちゃえばと言ったところ「でも喜んでもらえてるしー」と返してきた。ふむ…ただのわがままお嬢様ではないのだな。
 エレベーターから廊下に出ると奥の方の部屋の前に女の子が立っていた。瞳では無い。あれは…。
「森野?」
 呼びかけると驚いて振り返った。違った。似てるが別人だ。少し大人びた顔と表情。怯えているようにも見えた。
「失礼、人違いです」
 俺が謝ると少女は会釈して足早に俺達の横をすり抜けてエレベーターに消えていった。
「驚かせちゃったか」
 ジュンが小首をかしげた。
「森野さんって新聞部の?」
 ふんふんと頷いて確かに似てるね、と呟いた。そういえばこいつも面識あったな。
「ああ、今朝も店に押しかけてきてな…」
 あ。
エレベーターに駆け寄ったが遅かった。もう1階まで降りている。廊下から外を見下ろすとさっきの少女が駅の方に歩いていく。
「おーい。君、森野めぐみのお姉さん?」
 少女は見上げたが無視してそのまま走り去っていった。
「女の子にいきなり大声で呼びかけたら逃げるでしょ」
 ジュンは呆れ顔だった。確かに…。三郎ならそんなミスはしないだろう。
 俺は森野に電話してみた。番号はこの間の事件でゲット済み。
「今お前のお姉さんらしき人に会ったぞ」
「どこですか?!」
 あいかわらずの甲高い声で返してきた。
「駅からガミ線に向かった辺りモチキの前のマンションだ。似てると思っただけだ。逃げられた」
「何やってるんですかー!」
 耳が痛い。
「本人と決まったわけじゃ無い。写真もってたら送れ。スマホの方に」
「わかりました、でも多分本人です」
「なんで」
「モチキの前のマンションの3階ですよね? お姉ちゃんの友達の家です」
「友達の名前は?」
「えーと確か黒沢さんです。黒沢瞳さん」
 なんだと。
 彼女が立っていた部屋の前に移動する。確かに黒沢さんの部屋だ。
「とにかく写真をくれ、話は後で聞く」
「だから朝話を聞いてくれればー」
 確かにその通りだ。
くだらないと思ったことでも情報は貪欲に吸収しろ。
師匠の教えだった。ドジった。
俺は電話を切り、とりあえず部屋を探ることにした。
おじゃましまーす。やはり帰っていない。
ムッとした熱気が充満している。朝から換気も冷房もされていないのは明白だ。
3LDK、一人暮らしにしては広い。キチンと整頓掃除されている。黒沢さんの性格そのものの部屋だ。一つ鍵のかかった部屋があった。合鍵は無い。一人暮らしの家で部屋に鍵? 怪しい。
「妹さんの部屋じゃ無いの?」
 扉にタックルをかまそうと仕掛けた時、背後からジュンが可能性を提示した。
 ああなるほど、今は寮住まいとはいえ実家はここなわけだ。今は夏休みだし学期中も週末には帰ってくるのかもしれない。危なく女の子の部屋のドアぶち破るところだった。
「なんで妹さんがいると?」
 知ってるんだ? この女。電話の会話を聞いたのか? まさか貴様も読唇術を?!
「黒沢さんに聞いたよ、初めて会ったとき」
 そういえば面識があるんだったな。どうも今日は冴えない。
 瞳の部屋はあきらめ室内を探索する。居間、寝室、台所。天井にサーフボードがぶら下がっている以外生活感すら希薄な部屋だ。女の匂いすらしない。黒沢さんもてるだろうに。
 ジュンは後ろで「黒澤さんサーフィンやるんだ、かっこいー」などと俺に聞こえるようにつぶやいていやがった。
 この街は確かにサーフィンのメッカで老若男女問わずサーフィンしている人は多い。
 そして黒澤さんもかっこいい人だが、だからといってサーフィンしていない俺がかっこ悪いわけではない。
 と、思わんか? と振り返ったらジュンは大きな瞳をさらにまあるくして「何言ってんの」と首をかしげた。
 視線を仕事に戻すと今度は「私もやろうかなー、サーフィン」などといい始めた。
 サーフボードを抱えた水着姿のジュンを想像して一瞬鼻の下が伸びたが内緒である。
 で、結局何の情報を得られぬまま俺達は部屋を出た。森野から写真が送られている。確かにさっきの子だ。簡単なプロフィールも添えられている。
 森野さち。松森中3年。妹より少し品がある顔をしている。姉はピース学園じゃなく公立校か。あ、そうだ。
「お前黒沢瞳さんって知ってる? ピンフの3年生何だが」
「ピンフ言うな」
 ピンフとはジュン達の学校私立ピース学園の蔑称、いや別称だ。ジュンは一瞬眦を少し吊り上げたが答えてくれた。
「私も6月に入学したばかりだし、よほど有名な人じゃ無いと知らないよ。学校裏サイトでも聞いたこと無い名前だよ」
 教育上よくないサイト見てるなぁ。そのサイトお前の名前はよく出てるんだろうな。美人ランキング上位らしい。森野が前に言ってた。
 さて黒沢さん本人の情報が無いとなると瞳の方を探すしかないな。
 黒沢さんが突然会社を辞めるとなると事件性ありと見るべきだ。時を同じくして妹瞳も失踪している。彼女に何かあった。それを探している…。が今立てられる有力な仮説だろう。さらに森野の姉さちも絡んでいるようだ。
 この二人から追ってみるか。情報屋に連絡してから俺はエンタープライズに戻り現状を鍵さんに報告した。瞳の失踪を鍵さんはやはり知らなかった。がっくりと肩を落とし自分を責めているようだった。側近の妹の事でそこまで? 疑問に思ったが俺は調査を続行することにした。
プジョーに乗り込み来た道を戻る。学校に行っても今は夏休みだ。生徒も教師もいない可能性が高い。ならばもう一つの手がかりリック・ディモンドだ。自宅はわかっている。ラギエン通りのイタ飯屋さんだ。
1国を走ってラギエン通りを右折。波乗り踏み切りを越えてしばらくするとその店「ディアス」はあった。ラギエン通りは狭目の道で駐車場が無いところも多いが幸いここは二つだけとめられるようになっていた。オイル仕上げの木張りの壁を持つ古風な感じの小さな店だ。
「へー、この街らしい店ね」
 ミニスカートをなびかせながらジュンはストンとプジョーを降りた。小型車だが首を傾げなくても降りられるところも我が愛車の美点だ。モワッとする熱気から逃げるように俺達は店に小走りで入った。
「いらっしゃいませ」
 涼しげな風が吹いた。
 クーラーの風ではない。それに匹敵する爽やかな女性の声が俺を迎えてくれた。
 さっきの黒メイドさんとは格が違う。
「あ、どうも」
 俺はつい愛想笑いをしながら頭をかいてしまった。
 赤毛ロングヘアーの白人。瞳が大きく細面な天使がそこにいた。化粧気の無い白いTシャツにスリムなブルージーンズ、その上に水色のエプロンというややボーイッシュな服装だが背が高く見事なプロポーションなため逆に女らしさを強調して見えた。
 歳は俺より上、20歳のはず。自然な笑みを湛えて俺を見つめていた。
「お好きな席へどうぞ」
 一瞬立ち尽くしていた俺に彼女は優しく微笑んだ。
 俺の取れる行動はたった一つ。
「ああ、はい」
 と笑ってテーブルに着くことだけだった。
 店内はやはり狭い。テーブルが3つ置いてあるだけだ。中も木張りでアンティークな家具やアイテムで飾られている。
「いやあ、いい店だねぇ」
 誰に言うわけでもなくつぶやいたらジュンが小声で突っ込んできた。
「ちょっと! 座ってどうすんのよ。調査にきたんでしょ」
 そういえばそうだった。
「まぁいいじゃないか、軽食くらい」
 何故か笑顔になっている俺であった。
「さっきたこ焼食べたばっかり。それと何よそよそしいしゃべり方に切り替えてんのよ」
 ジュンの視線にやや軽蔑が混じってきた。
 そうですか? 僕はいつも紳士的に話してますよ?
「ケンちゃんってロングのストレートに弱いわよね」
 む…確かに。ロングのストレートはリーサルウェポンと言えるだろう。しかしそれだけが全てではない。最近流行のツインテールは強力だしポニーテールも捨てがたい。逆にボーイッシュなショートもぐっと来るものがある。
「なんでもいいんじゃない」
 また人の思考を読みやがって。読唇術どころかテレパスなのか?!
「…ウェーブのロングとかブロンドもいいと思いますよ?」
「そりゃどうも」
 やや波打つ豊かな金髪をふわりと背中に払ってジュンは冷ややかに返した。
 こう言っちゃ何ですがね、ロングのストレートは誰だって好きだ。男に質問して回れば人気上位は確実。特に黒髪の場合は決定的だ。嫌いという男は絶対にいないだろう。だが何故か女はパーマをかけてみたり茶色に染めてみたり劣化を図ろうとする。一体誰のためにやっているのだろう。
「お決まりですか?」
 そこへ赤毛の天使が俺達の席にやってきて俺を現実に引き戻した。
「レモンティーを下さい」
 ジュンは即答した。こいつメニューも開かず…。俺も慌てて品を決める。
「じゃあアイスコーヒーとナポリタンを」
 するとおねーさんは苦笑した。
「ごめんなさい、うちナポリタンはやっていないんです」
「イタリア料理屋なのに?」
 素朴な疑問に彼女はちらりとカウンターの向こうの厨房を見て答えた。
「ナポリタンはイタリア料理じゃ無いと、シェフが」
 シェフというのは彼女の父親のはずだ。仕事中は切り替えてシェフと呼ぶのだろう。好感が持てる。
 俺は慌ててメニューを開き直し無様に「えーと…じゃあ何にしよう」などと醜態を晒した。
 泣けるぜ。
いつもミートソースの方が好きでナポリタンなんか頼まないのだが何故今日に限ってこんな失態を。マジで少しブルーになる俺だった
 すると赤毛のおねーさんは優しく声をかけてくれた。
「レモンカレーを是非お試しください」
 あ、じゃあそれで。と、応える俺には目の前の美しい人がマジ天使に見えた。
 お待ちください、と優雅にターンを決める天使様をうっとりと見送る俺にジュンは冷淡に声をかけた。
「仕事しなさいよ」
 えーい、部外者に言われる筋合いは無い。
「ところでナポリタンがイタリア料理じゃ無いってどういうこと?」
 丸い瞳をさらに大きくして聞いてきた。意外だな、よく知っているかと思った。
「ナポリタンは昔ナポリターナっていうスパゲティをこの国で手に入りにくい食材を省いて作られたという説があるのさ。実際にイタリアでナポリタンは作られていない」
「肉じゃがみたいに和製洋食ってわけね」
 まぁそんなところだ。ちなみに天津飯も和製中華だ。
 料理は意外と早く届き軽く平らげる。む、うまい。こだわっているだけの事はある。
 もう少しせっせと働くおねーさんを眺めていたいところだがそろそろ仕事に入ろうか。目の前の小娘もうるさいし。
 俺は少し余所行きの声に切り替えて話しかけた。
「あの、リック君のお姉さんですよね? 彼家にいますか?」
 ぴくっと表情が止まった。弟の名前を聞いた姉の顔じゃ無い。怯え、恐れか?
 彼女が何か言う前に俺は続けた。緊張を解くためハードルを下げる。
「彼と知り合いってほどでは無いんですけど以前友達と一緒に会って。その子と連絡が取れなくなっちゃったんで彼なら何か知ってるかなと」
 あくまで善良な少年の顔、声、仕草。今のところ完璧。彼女は振り返ってくれた。俺と同じく自然を装って。
「そうなんですか、でもあの子も何日か前から帰ってこなくて」
 硬い声だった。しかし弟を心配する姉の思いも確かに混じってはいた。嘘では無いだろう。俺は柔らかく笑って続けた。
「まあ、彼中学生でしたっけ? その頃には僕も友達と夜通し遊んでましたよ。でも彼は夜遊びしてお姉さんに心配かけるようなタイプには見えなかったな」
 少し彼女の表情が溶けた。
「ええ、大人しい子で外出もあんまりしなかったんですが。あの…お友達もいなくなったって…。その子と一緒に何かあったんでしょうか?」
 俺は頭をかく。
「これは…変な事聞かせちゃいましたね。心配事増やしちゃいましたか。黒沢って子なんですがあの子も真面目な子なんで変な事にはなってないと思いますよ」
 彼女は「ああ、あの娘」と頷いていた。瞳を知っているのか。情報は正しかったようだ。
「よし、リック君も一緒に探してみますよ。友達をつないでいけば見つかるでしょう。多分誰かの家に入り浸っているんだと思いますよ。連絡先はここでいいですか?」
 俺はテーブルに置いてあった店の名刺をつまんだ。お姉さんは首を振ってエプロンからスマホを取り出した。
「いえ、連絡は私に。アリア・ディモンドと申します」
 俺も頷いて携帯を取り出す。
「じゃあ、彼が帰ってきたら僕の方にも連絡お願いします」

 店を出て車に乗るとジュンが口を開いた。
「やるわねケンちゃん」
「何が」
 ジュンはふふっと笑って語りだした。
「あの人リックって名前聞いた途端表情が変わったわ。普通なら弟の友達が来たら愛想笑いくらいするものじゃない? リックって子は何かして何人も聞き込みに来られたのよ。先生とか最悪警察、マスコミも」
 相変わらず頭のいいやつだ。
「そのまま話したら貝になってたかもしれない。そこをいいひと気取って会話を続けさせて、なんにもしてないのに恩まで着せて情報口を一つ確保した。んでついでに美人の携帯番号もゲットした」
 全部読んでやがったか。侮れない、いやおっかない。
「ワルだねぇ」
 何か楽しそうだ。くすくす笑ってやがる。
「前から言ってるだろ、俺はただの悪党だ」
 お前には何も悪さしてないがな。
「でも情報は大して手に入らなかったね」
 だがリックは自宅と言う隠れ場所を一つ失った。帰ればお姉さんは俺に電話してくれるからだ。礼まで言って。
「お姉さんの情報は既に持っている。アリア・ディモンド20歳、松森中から鶴美高、湘女短大卒。実家にお住まい。家族は他に父」
 あと推定Dカップ。
「たいした情報じゃないじゃない」
「まあ情報屋と言ったって前科者ならともかく善良な一市民の情報なんて持ってないよ」
 一番重要な情報は手に入らなかった。「彼氏になりたきゃどういうの?」だ…。
「んでこれからどうするの」
「会社帰って森野の話聞いてみるかな」
 森野はもう帰っただろうがジムが話を聞いているはずだ。
「私も行くー」
 俺は車を発進させた。そこですぐに確認した。
「やっぱりお前は帰らないか?」
「なんでよ?!」
 ジュンは反射的に怒鳴ったが、俺の表情を見てすぐに押し黙った。
 つけられている。さっき黒沢さんのマンションを出てからずっとだ。同じ車が同じタイミングで発車してきやがった。
 だんだんきな臭くなってきやがったな…。

 車は銀のブルーバード。何の変哲も無い小型のセダンだ。乗っているのはいかにもチンピラ風の男たち。後ろにもいるから3人のようだ。尾行のためにおとなしめの車に乗ってきたのだろうか? しかし以前のブルーバードならともかく現行のこの型は主に高年齢者が使う。それに髪を染めた若いのが乗っているから却って目立った。
 俺はラギエン通りを北上、ドンつきを左折、路地を右折、通りをまた右折。要するに大回りして不自然な道を走った。しかしブルーバードはついてくる。これは確定だろう。
 会社はすぐそこなんだが俺はわざと遠ざかり裏山に上った。舗装もされていない路地へ車を突っ込ませ突如加速する。ブルーバードもあわててついてきたが狭い路地だ、小さなプジョー106の方に分がある。運転技術も俺の方が格段に上のようだ。右へ左へ突っ走ると奴らは見えなくなった。
 道端に雑草が背の高さまで伸びている所で停車、奴らを待つ。ジュンはこの隙に雑草の中に隠れさせた。
 ほどなくブルーバードは現れた。
 止まっていたプジョーと車を降りて自分達を待っていた俺の姿に奴らは驚いたが、少し顔を見合わせた後全員降りてきた。
 全員リーゼントにサングラスだと? いつの時代のチンピラなんだ。
「何か用ですか、お兄さん方」
 挑発ぎみに話しかける。奴らはまた躊躇したが兄貴分と思しき奴が首を傾げて接近してきた。
だからー、いつの時代の人なの。その車タイムマシン?
「俺達はある人に世話になっている者だ」
 やくざの決まり文句である。所謂一般社会の「世話になる」という意味ではなくこの場合恐喝なんかを依頼されたという意味だ。もちろん謝礼ももらっているだろう。
「黒澤瞳の事を嗅ぎ回るのはやめろ」
 ほお、黒澤さんじゃなく妹の方での絡みか。
「ふむ…」
 俺は少し勿体つけてから答えた。
「断る」
「なにぃ!」
 予想通りの台詞を吐きながら予想通りに踏み込んできた。
3対1、道幅は狭い。速攻に限る。
 俺は素早く踏み込んで先頭にいたヤツに左ハイキックを叩き込んだ。見えなかったんだろう。もろにこめかみに入った。一発でKOだ。崩れ落ちる三下。俺はそれを飛び越え手前のヤツの腹にストレートをぶち込んだ。そいつは堪える事もできずバランスを崩して後ろの兄貴分もろとも転倒した。
 物腰で解る。子供の頃から弱い奴を脅して自分は強いと勘違いして来た奴らだ。真剣に体や技を鍛えたことなんか無いだろう。物心つく前から色々と鍛えられ今も毎朝晩トレーニングを積んでいる俺とは性能に差がありすぎる。
 俺は流れるように懐からベレッタを取り出し兄貴分に突きつけた。
「どこの組の者だ」
 若い方は口をつぐみ兄貴分は面子があるのだろう。ほえた。
「てめぇ、どうなるかわかってるんだろうな!」
 俺は冷淡に返す。
「3対1でヤクザに絡まれたんだ。撃ち殺しても正当防衛が成立する」
 一瞬の間。もう一度同じ質問をする。
「どこの組の者だ」
 二人は青ざめた。しかしまだ口は割らない。
「そうか…、しかたねぇ。誰から死ぬ? とりあえず今あいつには口がねぇな」
 俺は銃口を気絶している男に向けた。
「ま、待て」
 兄貴が慌てて口を開いた。弟分がかわいいという人間味は残っているようだ。俺は男が口を開く前に言った。
「大道組…。そうだな?」
 男は何故? と言う顔をしたが頷いた。
「俺が探しているのは黒沢瞳じゃ無い。兄貴の方だ。これ以上関わらなけりゃお前らには何もしない」
 今のところは、な。
「お前らの親分の息子はどこにいる」
 また口をつぐむ。
「お前が話したとは絶対にいわねーよ。それとも」
 銃を舎弟の方に戻す。
「この二人がいないほうが話しやすいか?」
「やめてくれ!」
 兄貴は怯える舎弟の頭を抱えた。
「ぼっちゃんは寺で勉強している。西方寺だ」
 西方寺? うちの近所だ。ヤクザのボンボンが夏休みに寺で勉強か。かくまわれている。が正しかろう。
「わかった。俺には巻かれた事にしろ。それでも指つめなんかにはならないように親分には話しといてやる。今日はこのまま帰れ」
「お、親分に?」
 まさか親分なんて単語が出てくるとは思わなかったんだろう。ヤクザどもは露骨に動揺した。
「直接知ってるわけじゃ無いが知り合いがいる。心配するな」
 俺は舎弟に目を移した。
「いい兄貴で助かったな。いつもなら三人とも撃ち殺している」
 若いヤクザは怯えながらも頷き返した。
 早く行けと促すと二人がかりで倒れた男を車に引き釣りこみながら兄貴が聞いてきた。
「あんたいったい何者なんだ」
 そんな事も知らないで尾行してきたのか。
 俺が口を開く前に男は続けた。
「すまん、俺から名乗るのが礼儀だ。大道組若頭の藤崎って者だ。君は? 只者じゃないんだろ?」
 俺はつい微笑んでしまった。時代遅れの仁義あるヤクザか。嫌いじゃ無い。
 俺は素直に名乗った。
「便利屋BIG・GUNの風見健」 
 そしていつものように付け加えた。
「ただの悪党だ」

ACT.2 合流

 西方寺は我が家BIG・GUNと同じ地区にある寺だ。
 裏山のふもとに建つお堂はまだ新しく歴史など感じさせないが火事で何度か消失したせいで、お寺自体は数百年前からここにあるそうだ。
 古くから寺は地域社会の中心になる事が多く、ここも自治会の夏祭りの会場になるなど地域住民には親しみ深い所である。
 さらにここの住職は消防団の先輩であり個人的に親交がある。俺は電話でアポを取り即座に駆けつけた。
 ジュンには帰るか会社で待っていろと言ったのだがついてきた。普通の女の子なら目の前でヤクザと殴り合いなんかやったら真っ青になって逃げていくだろう。その辺はまぁ肝が据わっているというかなんというか…。まぁ考えてみればこいつと出会った日にも銃撃戦を何度かやったし今日なんか銃声の一つもしなかったからヤツにしてみれば穏やかな日常だったのだろう…。いや、んなわけないか。
「なんでヤクザの坊ちゃんに会いに行くの?」
 まるで質問してこなかったジュンだがさすがに好奇心に負けたか聞いてきた。
「情報屋の話じゃ、坊ちゃんロイってんだがリックによく絡んでいたらしい。夏休みに入っても特に最近よく呼び出していたという事だ。何か知っているかもしれない」
「ふうん?」
 納得していない顔だ。それだけじゃないでしょ? と言いたいのを堪えたようだ。
お気遣い感謝します。企業秘密もあるし知らない方がお前の身の安全にも繋がる事もある。こいつはその辺わかっているのだ。
 もちろんそれだけでやっては来ないのだがまだ確証は無い。
「やあ風見君、急になんだい」
 住職はいつもどおりの笑顔で迎えてくれた。まだ30そこそこの若さだ。
 髪を剃っているからまず解らないがクォーターらしい。ウィリアムというミドルネームを持っている。
 俺が答える前に後ろにいたジュンが挨拶したものだから住職の視線は自然そっちに行った。
「自慢の彼女だね? 噂以上にかわいいね」
 本人を前にしてストレートな表現がいやらしく感じないのは聖職者の重みなんだろうか。
 言われたジュンの方は柔らかく笑っているだけに違いない。照れはしていないだろう。「かわいい」なんて言われ慣れてるだろうからな。俺は苦笑いしつつ返す。
「奥さんには負けますが」
 住職の奥さんは地元で評判の美人だ。どうやってだまし…もとい連れて来たのかは今も地域の議論の的だ。
 さて、仕事。
「人を探しているんですよ。こちらにきたんじゃないかと思いまして」
 黒沢兄妹の写真を見せる。
 住職は四角い顔の真ん中にあるやや小さな瞳でじっと写真を見て答えた。
「あ、この子リック君といた子だ」
 ビンゴだ。リックと繋がった。
「ラギエン通りのイタリアレストランの息子さんですよね? ご存知なんですか?」
「ええ、うちに勉強に来てる子の友達で。ちょうど今来てるんじゃないかな?」
 ラッキーだ。動き出してきた。
 本堂で勉強しているというロイとリックの案内してもらった。独断と偏見だが勉強なんかしているわけは無い。リックはともかくロイの方はヤクザのボンボンにふさわしいバカ息子らしい。ここに隠しているはずなのにすんなり存在を認めたと言う事は住職は事情を聞いていないのだろう。本気で勉強に来ていると思っているのだろう。
 真夏にしては御堂はひんやりとしているような気がした。天井が高いのとイメージではなかろうか。だだっ広い板の間の真ん中に茣蓙を引き折りたたみのテーブルを置いてラテン系と黒人の中学生は座っていた。
 驚かさないように住職から入っていってもらったのだが俺達に気づくと二人はビクリと肩を動かした。住職にはせいぜいサボっているのがばれたくらいに思えただろう。
 住職には席を外してもらって俺は二人に声をかけた。
「俺は便利屋BIG・GUNって者だ。人を探してるんだ。話を聞かせてくれないか」
 二人は明らかに困惑していた。俺は構わず続ける。
「知っているだろ? 黒沢瞳」
 その名を聞いた途端ラテンのほう、リックは外に飛び出した。俺もすかさず追う。
 本堂にいたからリックは裸足だ。裸足で逃げ出すとは正にこのこと。案の定庭の石を踏み痛くて走れないようだった。もとより俺の方が速そうだし捕まえるのは時間の問題だった。
 しかしそこに邪魔が入った。
 黒いバイクがリックの前に立ちはだかった。
 リックがつんのめるように立ちすくむとバイクの男はヘルメットを取った。
「リック・ディモンドだな? やはりここに現れたか」
 驚いた。
バイクの男は今回のターゲットそのもの。
黒沢玲司その人だった。
 夏だと言うのに全身黒のスーツに身を包んだ長身のボディーガードは固まった赤毛の少年を切れ長の冷たい瞳で見据えた。
「俺と来てもらおう。黒沢瞳について聞かせてもらう」
 ここでも瞳の名はスイッチになった。リックはビクンと跳ねて、また逃げ出した。
 黒沢さんは予想していたのだろう。全く動じず次の動きに入った。
 すらりと懐から銃を取り出した。ワルサーP38、こらまた渋い。
 止める間もなく引き金が引かれた。リックの足元に着弾しヤツをまた立ち止まらせた。
「次は当てる。口さえ聞ければ手足は必要ない」
 威嚇…なのだろうがこの人の冷たい声で言われれば本気に聞こえる。
 俺は一瞬だけ黒沢さんの横顔を確認する。
 いつものように無表情。しかし何か感じる。2発目は確実に当てる。
「まて、撃つな」
 叫んだのはリックではなく俺だった。
 ダッシュして二人の間に入る。黒沢さんは初めて俺に気づいたようだ。
「風見君か。君には関係ない。どいてくれ」
 銃はまだ構えられたままだ。つまりリックと、俺に向いている。
「ある。鍵さんからアンタを探すように依頼されている。犯罪者になられたら連れて帰れない」
 鍵さんの名に少しだけ感情が流れた。
「俺はもう社長とは縁のない男だ。放って置いてもらおう」
アンタと鍵さんの縁がそんなに簡単に切れるのか。
「それに俺を連れて帰れるか? いかに君と言えど」
 長い足を振り回し力強い動きで彼はバイクを降りた。俺より10cmは背がある。手足も長い。スーツ越しでも鍛え抜かれた肉体がわかる。
「邪魔するなら排除する」
 言葉とは裏腹に銃をしまった。素手でやろうってことか。緊張が全身に走った。
「ケンちゃん」
 後方からパタパタと言う足音がしてジュンが現れた。心配で飛び出してきたか。
「よく裸足で痛くないわね」
 こいつ…この状況で。
「俺はそういう訓練もしているんだよ」
「いろんな変な事勉強してるのねぇ」
 お前をとっちめる方法を学ばなかったことは残念だ。
「履く?」
 一瞬だけ振り返るとジュンは両手に靴をぶら下げていた。気の利くやつ、靴を持ってきてくれた。リックの分も。
 黒沢さんに視線を戻す。この緊張感のない会話にも動じず俺を注視している。ものすごい集中力だ。
「アンタが手荒な真似するなら止める。力づくで」
「よかろう」
 一歩近づく。すり足だ。武道の動き。
「待て、女の子が持って来てくれたんだ。靴はく時間ぐらいくれるだろうな」
 動きが止まった。
「いいだろう。君とは一度全力でやりあってみたかった」
 俺は勘弁して欲しいがな。
 正々堂々か。俺の辞書には無い言葉だ。俺なら勝つためには少しでも有利な状況に持っていく。黒沢さんと俺の職業の差だろう。
 ジュンから受け取って靴を履く。リックは腰を抜かしたのか履こうとしない。世話の焼けるヤツだ。ここでもジュンが動いてくれた。リックの足元に靴を置いて顔を覗き込んだ。
「履ける?」
「だ、大丈夫です」
リックはあわてて履きだした。ちょっと赤くなっていた。
命拾いしたな、もし履かせてもらったら俺がぶん殴るところだった。
 ゆっくり腕を振りながら黒沢さんに視線を戻す。
「素手でアンタに勝てるかな」
「俺はこの距離なら素手の方が得意なだけだ。君は銃を使ってもいいぞ」
 俺は苦笑した。いくら凄腕とはいえ素手の相手に? お寺の中で?
 ちらりとジュンを視界に入れた。
 女の前で?
「そうもいかんでしょ」
 俺は構えた。空手で言うところの猫足立ち。片足つま先で立ち俊敏性を確保する。
 黒沢さんも構えた。変わった構えだ。
 右利きのはずだが右側が前。両腕は垂直に顔の前、これは普通だが両手とも甲の方をこちらに向けている。一番特異なのは下半身。俺と同じく猫足だが内股でクリクリと振るようにリズムを取っている。足の運びはすり足。こいつは。
 拳が飛んできた。俺の左側から視界の外を通るように鋭いフック。いや手首を外側に曲げ付け根の硬い部分での攻撃。考える前に左手で受けると間髪入れず右から来た。これも受ける。 鬼のような連打が来た。左右交互の攻撃ではない。右が連打されたり左だったり、時にはローキックも来る。
 一打一打が重くは無い。ペチペチと当ててくる。しかしダメージが蓄積してくる。両腕やすねが確実に重くなってくる。
 BIG・GUNの活動服は内側に樹脂製のプロテクターが仕込まれている。その上から打ち込んでなお俺にダメージを与えてくる。
 こいつはまずい。
 俺は無様だが後方に飛びのいて一端間合いをあけた。黒沢さんは詰めてこなかった。いつでも攻撃できる自信があるのだろう。
「骨法か」
 戦国時代、素手で鎧武者を倒すために編み出された技。
 右前なのは心臓を守るため。内股なのは股間を守るためだ。
 かぶとの視界の外から鋭い攻撃を繰り出し鎧の上からダメージを与える。
「スポーツ」でも「武道」でも無い。完全な実戦の格闘技。
 人を殺すための「武術」だ。
「一発も入らなかった。さすがだな」
 構えを解かず全く表情を崩さず感情も入れずにそう言った。俺への賞賛でなく俺の技量を値踏みしただけだ。
 形勢悪い。ここは一応説得を試みよう。
「手荒な真似をしないなら俺はアンタの敵じゃ無い。こいつから情報を聞いて妹さんを探すのを手伝ってもいい。だから一度鍵さんの所へ帰ってくれ」
 黒沢さんの表情がまた変わった。自信に満ちていた顔に翳り。
「それはできん」
「何故だ。妹さんの他に帰れない理由があるのか」
「だまれ」
 明らかに狼狽していた。こういう無骨な男は自分の事では嘘も隠し事も下手だ。
 やはり…なにかある。
 攻撃が再開された。またフックが連打される。
 しかし感情の乱れは技に出る。ごくわずかな劣化だが俺だって「プロ」だ。
 やや雑になったフックの帰り際にあわせ踏み込む。前蹴りが来た。予想通り。俺はそれを右足で蹴る。技の出はじめを止められるとどんな達人も若干の隙が出来る。当たったすねを軸に体を360度回転、後ろに回りこみ背中合わせになる。重心を落とし体を密着させ相手のバランスを崩しつつ全体重を乗せて背中から体当たりした。
「うお」
 呻き声を上げ黒沢さんの体は前方に3mは吹っ飛んだ。
「八極拳?」
 回転して受身を取り立ち上がったが少し足に来ているようだ。
「…の真似だ」
 八極拳とは中国拳法の一つで基本は接近寸打。要するに密着して一撃必殺の技を叩き込むタイプの拳法だ。達人なら掌ていによる一撃で相手の肺をつぶし数mぶっ飛ばすといわれている。発勁という技だ。
 西洋の人間はオカルトだと長く決め付けていたが、完璧にコピーしたモーションでサンドバックを打ったところボクサーの倍の破壊力があったそうだ。
 俺のは完全な八極拳ではなく多くの格闘技をマスターした俺の師匠に教え込まれたアレンジバージョンだ。
「さすがに…な、ただの子供では無いな」
 黒沢さんはなお構えた。表情は一格闘家になっていた。構えに一分の隙も無い。
 かっこのいい人だ。思わず見とれてしまう。
 三郎は女にもてるが、この人には男を魅了する力がある。
 俺も構えなおしたところ突然サイレンが聞こえてきた。警察だ。このあたりは田んぼばかりで見晴らしがいい。農道を突き進んでくるパトカーが見えた。
 リックが逃げ出した。そういえば警察にも追われてたんだっけ。
 黒沢さんは舌打ちするとバイクにまたがった。追うのかと思ったらアクセルターンをかけ反対を向いた。
「風見君、勝負とそいつは預けた。警察に渡すな」
 あいよ。俺もそのつもりだ。
 俺はジュンにBIG・GUNに行く様指示しリックを追った。

 赤毛の少年は田んぼのあぜ道を走り裏山に向かっていた。俺はわざと追いつかず山に入るのを待つ。どうせ警察からは逃げなきゃならんのだ。
山に入り小さいが森に入ったので下界から視線が切れると俺は声をかけた。
「もう大丈夫だ。ちょっと待て」
 リックは怯えた顔で振り返ったが足を止めなかった。しかし体力がそんなにあるわけではない。ここまで走ってきたこと、山の斜面がきつくなってきたことで歩くより遅いスピードとなっていた。俺はというと毎日朝10kmを30分で走破している。こんなスピードなら1日だって走り続けられる。
「今は休め、見ただろ。俺はとりあえず味方だ」
 味方という言葉に反応したのだろう。リックは足を止めた。
 追われる身には一番欲している言葉だからだ。
 うなだれて振り返り息を切らせて腰を落とした。俺は木に寄りかかって立ったまま。
「俺は風見健、さっきも言ったが便利屋で警察じゃ無い。何があったんだ。話してみろ」
 リックは黙ったままだ。
「俺はお前の事件には直接関係ない。さっきのおっかないお兄さんを元の会社に連れ帰りたいだけだ。そのためにこの事件を解決する必要がある。このまま逃げたっていつか捕まって拷問されて口を割らされるだけだ。俺に話したほうがナンボかましだと思うぞ」
 リックは怯えてちらちらと俺を見上げることしか出来ない。めんどくせぇなぁ。
「それよりお前携帯持ってないか?」
 リックは、え? という顔をしたが持っていると小さく言った。
「すぐに電源を切れ。警察から逃げてんだろ。携帯の電源入れてたら発信機持ち歩いてるのと同じだぞ」
 やつは慌てて取り出し携帯のスイッチを押し出した。
 警察がやけに早く来た。おそらくリックの携帯を探知して近くを探していたんだろう。そこにきて銃声だ。駆けつけてきて当然だろう。俺の携帯も一応切っておく。連絡が入らなくなるのは痛いが今は仕方ない。
「さて…話せよ。お前と黒沢瞳に何があった」
 赤毛の坊やはまだ話さない。
「言っておくがさっきの人に手荒なことをするなと言ったのは、あの人を犯罪者にしたくなかったからだ。俺がお前を締め上げるのは全く問題は無い。優しく言っているうちに話したほうがいいぞ。俺はお前に付き合って携帯を切っている。こうしているうちにもデートのお誘いが来るかもしれない。お前がもたもたしているうちにチャンスを逸したら責任を取ってもらうぞ」
 リックははじめてクスリと笑った。なんと失礼な。俺はもう一度促した。
「話せ、俺が味方のうちにな」
 リックはついに細い肩を震わせて弱々しく頷いた。
「実は僕のお父さん…。殺されたんです」
 リックの父親アーノルド・ディモンドはさっきの店のマスターのはずだ。しかし言われてみれば俺はマスターの顔は見ていない。料理を作っていたのは他の誰かだったのか。
「父は駅前の地主なんです。駅前の開発でその土地が引っかかって建設会社に売ってくれと持ちかけられました。しかし父は売り渋ったんです。そうしたらヤクザが嫌がらせをするようになり…」
「殺されたって言うのか」
 殺人事件なら新聞に載るだろう。ラーメン屋の情報にもそれは無かった。
「自殺したことになってました。首を吊った状態で見つかりましたから」
 リックは顔を膝にうずめた。
「父は一人で出かけました。そして父の乗っていた車が高速道路の路肩に駐車しっぱなしになっているのが見つかりました。しばらくして高速脇の林の中で針金で首を吊っている父が発見されたんです」
 今時自殺なんて珍しくは無い。ニュースにはならなかっただろう。ラーメン屋もまだそこまで情報が集まっていなかったか。
「その状況だと確かに事件性があるかもしれん。しかし確定も出来ないな。それに瞳さんとどう関係がある」
 リックはそのままの姿勢で続けた。
「瞳さんは以前うちが近かったんで知り合いだったんです。お兄さんが不動産会社に勤めてたんで土地の売買の件で偶然再会して。父とお兄さんが揉めているのを気にすることは無いと慰めてくれました」
 優しい子なんだな。相当お兄さんに可愛がられて育ったんだろう。
 それはともかく黒沢さんがリックの親父さんと揉めていたのか。黒沢さんは正確には不動産屋じゃないがリックには区別がつかなかったんだろう。鍵エンタープライズが駅前開発に絡んでいたか。いや当たり前のことだ。意外でもなんでもない。
 リックは続けた。
「父は一人で車で出かけて自殺したことになっているんですが瞳さんは父の車にヤクザが乗り込むところを目撃したらしいんです」
「ヤクザが一緒に乗っていたんなら自殺の線は消えるな」
 リックは顔を上げて頷いた。
「瞳さんはその事を警察に言いに行こうとしてくれたんですが、そのまま行方がわからなくなって…。それで僕心配になって…」
「怪しいのはヤクザ。ロイがそのヤクザの組長のせがれって知ってたのか」
 リックはまた顔を伏せた。
「同じ学校でよく脅かされて金取られてましたから」
 親父が親父ならガキもガキか。まぁ俺も人のことは言えないか。
「そんな相手に瞳さんのことを聴きに行ったのか」
 リックはますます声を小さくして言った。つぶやいたといってもいい。
「あいつなら…知っているかもしれないと思って…」
「勇敢じゃないか」
 俺はリックの細い肩を叩いた。
「それほど助けたいか」
 リックは一瞬俺の目を見たが恥ずかしそうに反らしてから小さく頷いた。
「警察は瞳さん失踪の重要参考人としてお前を追っている。警察に追われてヤクザに睨まれてでも助けたいか」
 今度は力強く頷いた。
「よし、なら力を貸してやる。立て。ついてこい」
 赤毛の少年は弱々しくだが立ち上がった。
「ところでお前武器持ってるか?」
リックはまた「え?」と言った。
「お前が武器も持たずにヤクザの息子に会いに行くとは思えない」
 リックは少し躊躇したが懐から小さな銃のようなものを取り出した。
「スタンガンです」
 珍しいガンタイプのスタンガンだった。通常の電気ショック型のスタンガンは直接相手に押し付けて高電圧で相手を気絶させるのだが、こいつはばねの力で2mほど帯電した弾を発射できる。通常の物の方が確実だが相手に接近しなくていいというのは護身用としては捨てがたい魅力だ。
 俺は懐からスパッと銃を抜いた。狙いはリックの胸。予想外の行動にヤツは思わず飛びのいた。俺は冷たい声で言う。
「そいつをよこせ」
「な、なんですか! 今助けてくれるって」
 当然の反応だが俺は冷淡この上ない口調で言った。
「俺は銃を持った他人と一緒に行動できるほど自信家じゃ無い。それは俺が預かる」
「これはスタンガンですよ?」
 小さな銃を軽く両手を上げながら示した。俺はそれに頷き返す。
「一発で相手を沈黙化できる。ある意味拳銃より危険な武器だ。よこせ、お前の身は俺が守る」
 本物の拳銃を突きつけられたことなどないのだろう。リックは怯えて俺にスタンガンを渡した。それをポケットにしまうと俺は森を歩き出した。
「来い、ひとまず落ち着けるところに行く」
 森を登りきると小さな外人墓地がある。これを右に曲がるとゴルフ場が広がっている。これを迂回しながら進めば人目につかず移動する事が可能だ。
 山を歩き出してまだ10分ほどだがリックのヤツは、はぁはぁいいだしていた。
「体力ないなぁ」
 声をかけると赤毛の坊やは唾を飲み込んで顔をあげた。
「すみません。運動は昔からからっきしで・・・」
 まぁそんな感じの風貌だ。瞳と再会できたとしてこれでハートを射止められるだろうか。なにしろお兄さんがあれだ。強い男は見慣れているはずだ。
「あなたは変わった人ですね」
 今度はリックの方から話しかけてきた。
「なんでだ」
 振り返らなかったからリックの表情はわからない。
「さっきの瞳さんのお兄さん? との格闘見ただけでものすごく強いのがわかります。なのに何故僕なんか警戒するんです?」
 責めているようではない。単なる好奇心のようだ。
 俺は少しため息をついてから応えた。
「悪いな。初対面の人間にはついな。それにお前がどんなに弱くても銃を持っていれば俺を殺す事はできるぜ」
 リックはそんな事はしませんが…と呟いた後、続けた。
「身体検査したわけじゃ無い。まだ隠し持っているかもしれませんよ」
「お前の服装じゃもう隠しようがない。せいぜいポケットナイフくらいだろう。今俺とお前は2mちょい離れている。武器がナイフなら十分対処できる」
「後ろも見ないでよく解りますね?!」
「足音、息遣い、雰囲気。全部注意しながら歩いている。変な気起こすなよ」
 俺の冷徹な声に今度はリックがため息をついた。
「友達にはなれそうもありませんね」
 俺はさすがに苦笑した。
「すまんな…人見知りは俺の欠点だ」
 リックは、いえ…と言った後またしゃべらなくなり息を切らせ始めた。
 雰囲気が暗い。少しは打ち解けたほうが後々話が聞きやすいか。 
 森の中はもちろんのこと、今歩いている道も舗装などされていない。あいつの話題で和ませるか。
「ジュンが靴持ってきてくれて助かったな」
「さっきの女の子ですか? 彼女ですか?」
 リックの返事が少し明るくなった。よかった、こいつも一応男らしい。
「ちゃうけど」
「でも仲良かったですよ?」
 たこ焼き一個もらえない程度の仲だがな。リックは俺の返事を待たず続けた。
「可愛い人ですね。気も利くし」
「ああパー子さんにはまだ負けるがな」
「パー子さん? 3号のほうですか?」
 俺の投げやりな返事にヤツはトーンを上げた。
「当たり前だろ。ここでピンクのおばさんを引き合いに出してどうする。パー子さんはしずちゃんと並んで藤子ヒロインの双璧だぞ」
 呆れて口をつぐむかと思ったが、奴は深く頷き「たしかに」とつぶやきやがった。そしてやや熱くこう語った。
「でもみきおとミキオのマリコさんも捨てがたいです」
 こ、こいつ!
 俺は思わず振り返った。
 わかってやがる!
 それにしても。
「女の事になったら饒舌になったな」
「そ、そんなことは」
 ヤツは目を反らした。俺は笑って顔を前に戻した。
「まぁ、いいんじゃないか」
「どこに向かってるんですか」
 話を変えやがった。Y談駄目なタイプか。
「市民の村だ」
 この山の中にある公園で森の中に簡単なアスレチックがある。最近は人も少なくなっていて一時隠れるのには都合がいい。
 田舎のさらに田舎道。他所の人では解らない山の斜面に市民の村はある。駐車場も無料。遊具も入場料も無料。要するに街中にある公園と扱いはほぼ変わらない。平日とはいえ夏休みだからそれなりに人がいるかと思ったが俺達意外には誰もいなかった。助かる。入り口付近のトイレ脇で水分補給し、へたりこむリックを無視して会社に電話した。公衆電話がここにはまだある。すばやくジムが出た。
「ジュンちゃんから話は聞いた。まだリックと一緒なのか?」
「ああ、警察は俺を追っているか?」
「いや、リックは探しているがお前と一緒とは知らないようだ。ここにも連絡はきてない」
 ふむ…。俺はパトカーを見たがパトカーから俺の姿は確認できなかったというわけか。なら携帯オン。ウィリアムさんは警察に質問くらいされただろうが隠してくれたのか。さすが出来た人だ。足向けて寝られんな。いやそうすると北枕になるな。
 俺は現在得ている情報をジムに告げた。
「黒沢さんと組んでその子に話をさせればよかったんじゃないか?」
「そうすると黒沢さんが犯罪者になりかねない勢いだったんでな。それじゃ契約違反になっちまう」
 ジムの苦笑が聞こえた。
「あいかわらず義理堅いヤツだな」
 さすがジム、三郎なら「めんどくさいヤツ」と言うに違いない。
「森野はどうした?」
「お姉さんを探してくれとの事だったから引き受けた。黒沢さんと関わっていたとはな。こっちも急ぎ見つけないとやばいと思うぞ」
 結局引き受けることになったか。まかせとけ森野。ただし友達料金にはならないからな。
「警察が俺を捜してないなら迎えに来てくれ。今市民の村にいる」
「わかった。それと森野さちさんの方でもう一つ情報がある。西方寺にいたもう一人の子何だが」
 ああヤクザのガキのロイか。
「三郎が捕まえて色々質問した」
 ああ、かわいそうに。
「大体リックの情報と同じだが追加でもう一つある。瞳さんは事件の真相に友達の写真で気づいたらしい。ヤクザどもはその証拠写真を抑えるために瞳さんとその友達を追っているようだ」
 友達と言うのは多分。
「容姿の特徴からして、さちさんで間違いない」
 やれやれ仕事が増えてきた。
 さちさんはまだ写真を持っているのだろうか? どこかに隠したかもしれない。
「風見さん」
 リックに呼ばれて振り返った。
「携帯使えるなら貸してもらえませんか? 姉に連絡しておきたいんです」
 真摯な表情だった。確かにアリアさんも心配しているだろう。
「いいだろう、無事って事と俺と一緒だって事だけ伝えろ。余計な事を話すとお姉さんまで巻き込まれるぞ」
 携帯を渡すと頷いてボタンを押し始めた。アリアさんに俺に助けられた事を言い忘れるなよ。重要なところだからな!
 ジムとの会話に戻る。
「森野は心当たりは何か言ってなかったか? さちさんの居場所でも写真のことでも」
「詳しい事は何も知らないようだ。いなくなる直前友達が行方不明だから探してくると言っていたらしい」
「新聞記者みたいなことを」
「その通り、さちさんも新聞部員だ」
 やれやれ。
「それ以前何をしていたかはわからないか?」
「特に変わった事はなかったらしい。友達に彼氏ができたらしいから証拠写真を撮るとか言ってたそうだ」
 それが普通の会話なのか。妹と変わらん。
 救出するテンションが下がっていくのを堪え、俺は電話を切った。リックも電話を終えたところのようだ。姉貴に甘ったれていたところを他人に見せるのは恥ずかしかったのかちょっと離れたところで電話していた。
 迎えが来るまで公園内で待つことにした。
 駐車場はアスファルトがしかれ炎天下では突っ立っているだけでもしんどい。公園はここからちょっと歩いた山の上にあり森の中なので幾分涼しい。人目も遮る事が出来る。
 園内には簡単なアスレチック施設とツリーハウスがある。
 ツリーハウスを知らない? 木の上に作った家のことだ。これを見てキタローと言うかハックルベリーと言うかで年代が解る。
・・・いや、どっちも古いか。
 施設は山の起伏をそのまま利用しているため平坦では無い。U字型に高いところがあり真ん中はかなりくぼんでいる。駐車場から上がってくるとUの先端辺りの高いところに出てくる。反対側の先端にツリーハウスがある。アスレチックやベンチなどはその他の場所にてんでんと設置されている。森のため日差しはほとんど照りつけてはいなかった。助かる。 
 俺達はせっかくなのでツリーハウスに登って一息ついた。
 森の中な上、2mほど高い所にあるため風通しがよく気持ちがいい。中は2畳位しかないが二人が足を伸ばすには十分だった。
 歩いてしんどいのか、こいつも人見知りなのか、また押し黙ったリックに俺は話しかけた。今は情報が欲しい。
「瞳さんだが、居場所に心当たりは無いのか?」
 リックは力なく首を振った。
「そんなに付き合いがあったわけじゃ無いので。実は今の自宅も知らないんです」
 ふむふむ片思いのおねーさんということですか。
「今は寮住まいだ。自宅にはさっきの怖いおにーさんがいる。近づかないことだな」
「自宅知ってるんですか?」
 また食いついてきた。女の事だと食いつくなぁ。俺も人のことは言えんが・・・。まぁ健康なことで。
「さっき行ってみたがいなかった」
 リックは引かなかった。
「僕も直接行ってみたいです。場所を教えてください」
 切羽詰った感じだ。そんなに惚れてるんだろうか。しかし・・・待て。
 俺がリックに質問しようとした時、下の駐車場の方からエンジン音がした。ジムだろうか。
 窓から窺うと・・・違う。銃を持った男達が4人稜線を越えてきた。一人はマシンガンまで持ち出している。
「おりろ、敵だ」
 俺は極めて冷静な声で告げツリーハウスから飛び降りた。大した高さじゃ無いし下は土だ。3点着地で華麗に降りる。リックはさすがに無理ではしごで降りてきた。
 ヤクザ共が気づく前に身を隠せる場所に移動する必要がある。さもないとマシンガンの斉射であっという間に蜂の巣だ。幸いここは起伏のある地形な上、アスレチックの器具やら大木やらがある。逃げ道も山に入ればいくらでも存在する。
「風見さん銃を返してください」
リックが後ろから話しかけてきた。焦った声だった。
「駄目だ」
 俺は振り返りもせず答えた。マシンガン相手にスタンガンが役に立つか。
 ヤクザたちがU字を歩いてきた。俺は素早く草むらに伏せる。
 しかしリックはもたついた。バカ。
 手を伸ばして伏せさせたが遅かった。先頭にいたやつがこっちを指さしてなにやら怒鳴った。
 威嚇のつもりか一発撃ちやがった。そしてそのままこっちに走ってくる。俺も一発足元に威嚇射撃した。男は一瞬飛びのいたがまだ突っ込んでくる。猪か。
 今度は足に撃ち込んでやった。もんどりうって転倒する。猪男を止めるだけでなくあとから来た奴らも足止めすることが出来た。3人とも俺達と同じように草むらに伏せた。
 苦し紛れかマシンガンの男が弾丸をばら撒いた。弾は俺達の頭上はるか上を通過していった。
「殺す気か」
 リックが震えながらうめいた。
 まぁでもなきゃマシンガンなんか持ってこないな。
 こっちが隠れている草むらとあっちの草むらまで50mくらいか。俺のベレッタは中型拳銃だ。火力的にやや不利な距離だ。後ろに下がって逃げるのもやや危険が伴う。俺一人ならいけると思うがリックまでいるとなるとやばいか。
 ところで奴らの狙いは?
 さっきのヤクザみたいにこの事件から手を引かせることか。ぼっちゃん取り押さえて口を割らせたことに対する復讐か。
 もうひとつ。何故ここが? 俺の電話を傍受でもしたというのか。
 考えていたら突然ヤクザが一人痺れを切らせて立ち上がり拳銃を乱射した。
 俺の方もちょっと驚いたが体は反射的に反応し1発でそいつを撃ち殺した。
 ど素人か、こいつら。この街のヤクザも質が落ちたものだ。
 一人失いやつらは草むらから全く動かなくなった。何しにきたんだ。俺達を殺しにきたんじゃ無いのか…。
 さて…素人のやー公相手にもたもたしているわけにいかんな。まずはマシンガンのヤツを始末しねーとな…。
 リックに地面に顔擦り付けているように指示し俺は匍匐のまま後退する。奴らに気づかれないよう狙撃できる位置に移動しなければ。数m下がってヤクザと完全に視線が切れた。というかヤクザどもから俺の位置が見えていたか怪しい。山の高低を利用して身を隠しながら奴らの横へ移動しよう。
 と、そこで電話が震えた。こいつは…。
「てこずっている様だな。援護はいるか」
 援軍だった。ジムが来るかと思ったが三郎のほうだった。ヤクザの皆さん、お気の毒。
 状況を把握しているという事は恐らく駐車場から上がってきた辺りにいるのだろう。つまりやつらの後ろにいるという事だ。おいしいところは持っていかれそうだ。
「てこずっちゃいないが面倒くさい。片付けろ」
 俺の指示にヤツの方が面倒くさそうに返事した。
「全部殺していいのか」
「この街に必要な奴らか?」
 俺の冷たい声にヤツは冷めた声で返した。
「知るか、まぁ俺には必要ない奴らだな」
 ならいいんじゃね。と、指示を出した瞬間銃声は轟いた。ヤクザどもの動揺がこちらにも聞いて取れた。
 即座に銃を出して俺も射撃に入ろうとした。だが遅かった。俺の瞳に後ろを振り返っている男たちの姿が映った時、間をおかない連射によって奴らは簡単に始末されていた。
 相変わらずものすげー射撃能力だ。技術だけなら練習で身につくが的は一応生きた人間だ。躊躇無く撃つのは抵抗があるものなんだが。
 ま、相手はヤクザだ。子ども相手にマシンガン持ち出すような奴らに遠慮は要らないってことか。
 俺は間違って撃たれないよう大声で合図してから三郎と合流した。
 間違った振りして撃たれたら洒落にならんからな。

ACT.3 展開

 俺達は一端会社BIG・GUNに戻って状況を整理する事にした。
 リックの野郎は今しがたの銃撃戦で肝がつぶれたか押し黙ったままだ。
 会社のロビーに着くとジムとジュンが出迎えてくれた。ジュンのやつはいつまでいる気だ?危ないからとっとと帰って欲しいんだが。
 リックは車から降りるのもふらついていたがジュンが近づいて声をかけると幾分しゃんとしてソファーまで移動した。本当にこの野郎は見た目より女好きと見える。まぁこいつの歳では仕方ないか。
 おっと、俺だって歳は変わらない。
 はー、疲れた、仕事した。とソファに埋もれたらジュンちゃんが声をかけてくれた。
「何わざとらしい事言ってんのよ」
 冷たい。見ず知らずの男には優しい言葉をかけるのに何故俺には氷属性なのだろう。
「さて、話をまとめてみようか」
 ジムが全員分のコーヒーをいれながら切り出してくれた。部屋を包み込む香しい香りのように感じのいい男。それがジムだ。
 事件1、鍵さんの側近黒沢さんが突然退職、姿を消した。このため鍵さんは俺達に捜索を依頼して来た。失踪の原因は黒沢さんの妹、瞳のこれまた失踪が考えられる。
 瞳は何故失踪したか。これはリックの父親の死と関係がありそうだ。リックの父アーノルドは駅前の地主だった。その土地が都市開発計画に引っかかり売買でヤクザ・大道組とトラブルが発生した。アーノルドはヤクザに自殺に見せかけて殺害されたようだ。自殺に向かっているはずの車にヤクザも同乗していたところを瞳が目撃した。瞳は口封じのためヤクザに追われている。そのために姿を隠した…あるいは既に…。黒沢さんは妹の身を案じ探しているという事だ。
 事件2、森野めぐみの姉さちの失踪。全く関係ないと思っていたこの事件だが、さちが瞳の友人であったことから絡んでいるようだ。瞳は直接ヤクザと接触しただけでなく証拠となる写真も持っていたようだ。考えてみれば証拠がなければヤクザも子供なんか相手にしないだろう。
 写真を撮ったのはさち。新聞部の記者だからカメラを持ち歩いていても不思議ではない。瞳の彼氏の写真を撮るとか言っていたらしいから偶然瞳とあった人間の写真も取ってしまったのだろう。それが殺人犯のヤクザとは…。好奇心は猫を殺すとはよく言ったものだ。
「さちとはどこで会ったんだっけ」
 三郎が問いかけてきた。ジムの淹れてくれたコーヒーに口をつけるどころかソファにも座らず壁にもたれていた。リックがいるせいだろう。こいつは俺より人見知りだ。俺並にY談と藤子先生の話題を駆使できれば友達も増えるだろうに。今度エスパー魔美貸してやろうか?
 それはさておき。
「黒沢さんのマンションだ。瞳さんに会いに来たんだろう」
「何故そう思った」
「黒沢さんの部屋の前にいたし、めぐみが友達だったと言ってたんでな」
 ん?
「おかしいじゃないか」
 三郎の野郎は気がついていたようだ。確かにおかしい。
「さちはどうやってそこにいた?」
 さちは黒沢さんの部屋の前にいた。俺達もそこに行けたわけだが、それは鍵さんから合鍵を借りていたからだ。あのマンションはセキュリティがしっかりしている。鍵がなければロビーにも入れないし、そこには管理人もいた。となると、さちは鍵を持っていたことになる。いくら友達とはいえ合鍵まで持っているとは考えにくい。一人暮らしならともかく兄貴まで一緒に住んでいるんだ。
「よほどの事があって瞳から託されたんだな」
 ジムがまとめた。そう考えるべきだろう。ではなぜ鍵を渡したか。部屋に代りに行かせたか。
「例の写真が部屋にある?」
 俺が仮説を述べるとリックが立ち上がった。
「行きましょう」
 いてもたってもいられないという表情だ。
「瞳さんの手がかりがあるかもしれません。急ぎましょう」
 坊やはもう外に駆け出そうとしてやがる。俺はそれをまぁまぁと止める。
「気持ちはわかるがお前が行ったって仕方ないだろ。俺達が見てくる。お前はここにいろ」
 だがリックは引かなかった。
「嫌です。僕も行きます。どこなんです、瞳さんの家は」
 やれやれ面倒くさいな。
「三郎来てくれ。ジムとジュンはここで連絡待ち。しかたねぇリックも来い」
 三郎は無表情で頷きリックは笑顔で部屋を飛び出した。
 ガレージに向かうため一階まで降りてくると店に一人の女性が入ってきた。リックの姉、アリア・ディモンドさんだった。さっきリックが連絡したから駆けつけたんだろう。
 服装は店にいた時と同じまま、エプロンを外しただけだった。血相を変えるとはこういう事を言うのだろう。先ほどの落ち着いた感じはなく青ざめた顔で店内をキョロキョロと見回していた。
「姉さん」
 俺のすぐ後ろにいたリックが声をかけるとハッと振り返って弟に駆け寄ってきた。
「リック! 怪我は? 大丈夫なの?」
 隣にいる俺にはさっぱり気づいていないようだった。リックはさすがに一歩引いて姉をなだめた。
「大丈夫だよ姉さん。風見さんが助けてくれたんだよ」
 その言葉でアリアさんは理性を取り戻した。やっと俺の存在を知ったようだ。
「あ…風見さん。弟がお世話になりました」
 取り乱して気恥ずかしかったのか、ちと不自然な硬い挨拶を彼女はした。
 俺の「いえいえ」という社交辞令を聞くとアリアさんはまた弟に向き直った。
「さあリック。うちに帰りましょう」
 いや、そうはいかんだろ。リックも慌てて首を振った。
「駄目だよ姉さん。警察に捕まっちゃう。僕はまだやる事があるんだ」
 アリアさんは事態をつかめていない感じだったので俺が代わって掻い摘み状況を説明した。
 反論するかと思ったがアリアさんは納得してくれた。
「わかりました、弟をお願いします」
 キチンと俺に頭を下げてくれた。そしてリックに鞄を渡した。
「お金と着替えが入ってるわ。気をつけて」
 リックはただ「ありがとう」と言って受け取るだけだった。連れ帰るつもりだった割には準備がいい。こうなることを察していたのだろうか。何しろ肉親だ。そのくらいの事は簡単にわかるのかもしれない。 
  
 プジョー106の足取りは重かった。調子が悪いわけではない。先日オイル交換したばかりだ。しかもMOTUL300V、リッター3000円以上する高級オイルだ。
 にもかかわらず遅い原因はたった一つ。4人も乗っているからだ。
 1600しかない我がマシンは荷物積んだり人が乗ったりすると、てき面に運動性能に現れる。
 おかしい。3人で来るはずだったのに…。
「重い」
 ストレートに口にすると後部シートから苦情が来た。
「なによ、だったらもっと大きな車で来ればよかったじゃ無い」
 無理やり乗り込んできて何を抜かすこの女。
「うちにはあとはランクルとエルカミーノしかねーんだ。駅前の駐車場にあんなデカイ車置けるか」
 何故か我がマシンに留守番担当のジュンが潜り込んでいた。106は車格の割りには中は広いほうだがやはり4人乗りは辛い。
「駅の側なんですか? ならそんなに遠くないし、いいじゃないですか」
 後部シートからリックが言った。深刻な事態のはずだがさっきよりちょっと声が明るい気がする。隣にジュンが座っているからだろうか。まぁジュンが狭い車内で横にいれば大概の男は多少は機嫌がよくなるだろう。
 リーンリーン。
 俺の携帯が呼ばれている。常にマナーモードにしてあるから今のはイメージだ。
 相手を確認してから耳に差してあるマイクのスイッチを入れる。
「私の妹に随分冷たい仕打ちしてくれるじゃない」
 電話の声は怒っていた。怒られる覚えは無い。
この妹とは瞳でもめぐみでもないのは明白だ。声の主は知っている。ジュンなんか比較にならない美女だ。
「妹がいたとは初耳だ」
「最近出来たのよ」
 まさか…いかに俺が悪党とはいえ赤ん坊に悪さしたことは無い。
「妹というのは…」
 心当たりがあった。その名を口に出そうと思ったがやめた。すぐそこにジュンがいる。こいつに気なんか使わなくてもいいんだが。
「瀬里奈ちゃん慣れない家に一人でいて寂しいのよ。気を紛らわせようとして勉強したり体鍛えたり。で、夜になると携帯見つめてため息ついてるわ」
 ここで電話の声もため息をついた。
「そんな姿見てると涙出てくるわ」
 瀬里奈、松岡瀬里奈とは俺の幼馴染だ。長い事会ってなかったんだが最近再会した。ある事件で天涯孤独となってしまったため俺の実家に引き取られている。あいつの親父さんと俺の父親は親友だったのだ。
 で、電話の主はジェニー・フラント。俺の兄貴の彼女…というか婚約者だ。長身の金髪美人の上、格闘、射撃等の護身術も超一流。知性も抜群で気配りも出来るスーパーレディーだ。
「俺はあいつに何もしてないぞ。苦情を言われる覚えは無い」
「何にもしないのが問題なんじゃない!」
 ジェニーさん、イヤホンで聞いているので大声は勘弁してください。
「電話の一本くらい入れなさいよ! たまにもててるからっていい気にならない事ね」
 いやべつにそんな気は毛頭。
「クナイトなんて日に最低2回は連絡してくるわ。仕事はあなたの倍は忙しいわよ」
 この人は性能的には非の打ち所がないが、二言目にはのろけ話になるのが玉に瑕だ。
「それはケンちゃんが悪いわ」
 耳元で突然声がした。うわ、緑色の大きな瞳が俺のすぐ横に接近していた。
「ああ最低だな」
 隣の席から相棒まで相槌を打った。
「何で聞こえてんだよ!」
「それだけ大きな声で話してれば聞こえるわよ。狭い車内何だから」
 ふむむ、ごもっともで。
「別に瀬里奈は彼女でもねーし、文句言われる立場じゃ無い。しらねーよ」
 言われて電話するってのもなんかな。
「ひどい、そのうち世界最高の殺し屋に狙われるわよ」
 ジェニーはわざとらしい嘘泣きをして見せた。その殺し屋ってのは、あんたの男の事だろ。
 俺はとてつもなく取り込んでいる事と近日中に連絡する旨を伝えると電話を切った。
 切り際にジェニーは兄貴からの伝言で大道組と話はついたことと奴らに関する情報を教えてくれた。元々そっちが本題だったのだろう。面倒くさいな女ってのは。
「風見さん、他にも彼女いるんですか?」
 リックが後ろから話しかけてきた。本当に女の話だけは食いつくな。
 返事はジュンがした。
「いるのよ、高校生のものすごい美人が。ほっとくなんて何様のつもりかしらねー」
 お前、なんか棘があるな。お前に実害のある話じゃ無いだろ。
「二股はよくないですよ」
 リックの野郎、真に受けて詰め寄るように言いやがった。
 二股なんかかけてねぇ! あ、隣で三郎がウンウン頷いてやがる。お前にだけは言われたくないぞ。俺が二股ならお前は何股なんだ。イカの足でも足りねーだろ。
 どうでもいい会話をしていたらプジョーはモチキ側のマンションに到着した。駅の近くだからコインパーキングは側にある。とっとと行こう。駐車料金がかさむ。
 鍵は借りっぱなしになっているので中には簡単に入れる。ゾロゾロ見知らぬ人間が入ってきたのでさすがに管理人がギョッとした顔をしたので「鍵社長に調査を依頼された者です」と名乗った。話は通っていたようで、すんなり通してくれた。朝来た時にちゃんと挨拶しとけばよかった。ふむ、ついでだ。
「我々の他に見かけない人は入ってきませんでしたか?」
 返答はイエスだった。しかもまだ出てきていない。
 即座に三郎はエレベーターに乗った。俺は、しょーがねー階段を駆け上がる。すれ違うわけに行かないからな。ジュン達には管理人室で待つように言ったのだがリックはついてきやがった。まぁ予想の範囲内。
 エレベーターより1秒速く3階に到着した。ふ、勝った。
 ここからは足音を消し声も立てずに進む。ドアの前に立ち、二人を待たせ音も無く鍵を開ける。懐からベレッタを引き抜き後ろの相棒に目配せしてから俺は部屋に進入した。
 息を殺し中へ進む。
 いる。気配がある。なによりわかりやすいのは部屋が涼しい。さっき来たときは蒸し風呂だった。今室内は涼しい。あの後誰か来て冷房を使った証拠だ。目をやるとエアコンは動いていない。冷気は別の部屋から漏れているのか。黒沢さんが帰ってきている? そんなはずはない。黒沢さんなら侵入者に気づかないはずは無いし、自宅への侵入者に対し息を殺して隠れていることは無いだろう。
 キッチン、リビング、ユニットバスにはいない。となると…さっき開かなかった瞳の部屋か。ノブに手をかけると鍵はまだかかっていた。中からかけてあるのだろう。こんな鍵あけるのはわけない。キーホルダーにつけてあるキーピックを取り出そうとすると三郎がすでに自前のツールを取り出していて俺を押しのけた。ち、譲ってやらあ。
 2秒で鍵は開いた。
 三郎は愛用のS&Wを抜いてからドアをそっと開けた。
 いた。
 部屋は女の子っぽい明るい壁やカーテンで彩られた六畳間だった。ベッドとパソコンデスクがあるため中はけして広くない。そのベッドとデスクの間に小さくなって震えている者がいた。
 大人じゃ無い。枕を抱きしめてうずくまっているから顔は見えないが女の子だろう。
「瞳さんか?」
 俺の前では絶対発しない優しい声で三郎が問いかけた。
「違う」
 背後から声がした。リックだ。
俺もなんとなくわかっていた。髪の色が違う。瞳は黒髪のはずだが、この子の髪の色は少し赤っぽかった。女の子は震えながら顔をあげた。会った事のある顔。実際に一度会っているが、それ以上に知っている印象がある。彼女に似ているヤツを知っているからだ。
「森野さち…さんだね?」
 三郎はS&Wをしまいながら言った。さちは三郎を見上げた。その瞳が大きく広がっていった。
「心配ない。俺達は味方だ」
 三郎は手を差し出した。さちは一瞬の間のあと、2回頷いてその手を取った。
 立てるか? と声をかけながらゆっくりと立ち上がらせる。
「妹さんに頼まれて助けに来た。もう大丈夫だ」
 その言葉を聴くとさちは安心したのか大声で泣き出し三郎の方に頭を埋めた。
 無理も無い。恐らくおっかないヤクザが現れると思っていたのだろう。そこに三郎みたいな男前が現れて優しくされれば、どんな子だってこうなる。
 それにしても…女の子の肩はこうやって抱くものなのか。毎回参考になるなぁ。
 落ち着いたら話を聞くか…などと考えていたら俺の電話が鳴った。

 部屋を出るとおっかない顔をしたお兄さんたちが隣の部屋に入るところだった。足音からして靴を脱いでいるとは思えなかった。3人いたが二人が入り一人は残って門番のようにドアの前に立った。
 驚く俺の顔を見ると男はジロリと睨みつけ「とっとと行け」とばかりに顎をしゃくった。怖いねぇ。
 俺は「どうもどうも」と愛想笑いしながら小さくなりながら足早に男の前を通り過ぎた。
 振りをして俺は振り返らずに拳を振るった。
 裏拳は距離感ぴったり男のこめかみに叩き込まれ瞬時に昏倒させた。
 男が倒れるのを捕まえて音を立てないようにする。
 三郎が音も無く部屋から出てきた。風のように俺と倒れた男の脇をすり抜け男達が入った部屋に入っていく。2対1。加勢はいるまい。
 怒号と暴れる物音がしばし聞こえ静かになった。
 そして三郎は息も切らさず部屋から顔を出し「済んだ」と告げ中に入るよう促した。
 俺は通路に倒れた男の首根っこを掴み男達が入っていった「黒沢さんの部屋」に入った。
 さっきの電話はジュンからだった。怖そうな人たちが管理人を脅して入っていったとの通報だった。
 怪しい奴らがまた追ってきているのは気づいていた。ジュンを管理人室に残したのはそのためだ。見張り兼単純に避難だ。
 俺達は通報を受けたまたま留守だった隣の部屋に隠れた。鍵はまた三郎が瞬時に開けた。
 三郎を連れてきてよかった。仕事が楽になる。
 俺達は男らを並べて尋問を開始した。
「大道組の連中だな」
 質問は無視された。が、構うことは無い。続ける。
「藤崎って人の命令か?」
 これに若い奴が首を振った。
「違う藤崎さんは関係ない」
 こいつも藤崎に世話になった事があるのだろう。嘘はついていなさそうだ。しかしこれでこいつらが大道組の者と確認できた。間抜けな奴だ。
「単刀直入に聞こう。アーノルド・ディモンド、ラギエン通りのイタ飯屋で駅前の地主を殺したのは誰だ」
 男達は顔を見合わせて「知らない」と言い出した。
 ふうむ。
 相棒の顔を見る。
「意見を聞こう」
 俺の質問に三郎は面倒くさそうに答えた。
「二人殺せば残った奴がしゃべるんじゃないか?」
 三人の血の気が引いた。俺は「なるほど」とベレッタを引き抜いて男達に向けた。
 男達は悲鳴を上げて「本当に知らない」と喚きだした。
 床のほうから何か音がして悪臭がしだした。
 あ、この野郎もらしやがった。黒沢さんの部屋で。
「知らないようだな。信じよう。だが何故俺達を追ってこの部屋まで来た。襲うつもりなら外でよかったはず。探し物か?」
 男らは今度は頷いた。
「女が持っている写真を奪えと言われている。それだけだ! 人をばらしたなんて話は聞いてない!」
 三下が情報持っていないなんて当たり前か。ならもっと上を当たるか。
「お前らに指示を出したのは誰だ。藤崎さんじゃなきゃ、親分か?」
 また男達は顔を伏せた。面倒くせぇなぁ。
「お前らが話さないんなら親分とっ捕まえて聞くからいいんだぜ? まさか…俺達に出来ないとでも思ってるのか」
 俺の凄んだ声に合わせて三郎が男達を冷ややかに見た。たった今瞬時に叩きのめされたのだ。俺達を化け物くらいに思っているだろう。奴らは本当に怯えていた。
「違う、やめてくれ。坊ちゃんだ、坊ちゃんに頼まれた」
「坊ちゃん? ロイか」
 意外な名前だった。男達は三人とも頷いている。出任せで親分の息子を売れば誰か咎めそうだ。だが三人は真顔だった。
「坊ちゃんにまずい写真を撮られたから取替えしてくれと言われただけだ。子供のトラブルなんだよ、命取るとかそういうんじゃないんだ!」
 男はさらに「信じてくれ」と叫んだ。ふーむ…。
 三郎の顔を見ると「本当のようだな」って顔してやがった。そうなるとロイが犯人なのか? 奴をとっちめれば瞳さんの居場所もわかるのか?



 
 

 

便利屋BIG-GUN3 腹に水銀

便利屋BIG-GUN3 腹に水銀

まだ未完です。随時更新します。 街の名士 鍵敬三のボディガード黒沢が失踪した。捜索を依頼され行動を開始する健らBIG-GUNだったが・・。 という話になる・・はず。 コメディタッチ・ハードボイルドアクション第3弾 この物語はフィクションです。登場する人物、場所、団体は似ていても他人の空似です。 が、今回一部内密に許可いただきました。感謝

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • アクション
  • コメディ
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-12-11

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