彼岸花
秋の彼岸の頃には、誰が植えたわけでもないのに、野に咲く花が有ります。
名前が連想を誘うのでしょうか? 彼方に行ってしまった人を思い起こします。
彼岸花という花を目にすると、亡くなってしまった人の事を、思い出す事が多い。
咲く時期が秋の彼岸の頃だから、その名が付いた花なのだと言うが、墓参りの季節でもあり、また名前が仏教用語の死後を表す事もあり、そんな連想を誘うのだろう。
そして、この花で思い出す人は、古い友人が多い。野辺に咲く赤い花は、彼らの墓標のようにさえ思える事もある。
また群れて咲き誇るその花弁は、火の燃え盛る姿に似て、若き日に背伸びをして生き急いだ頃の姿を思い起こさせることさえもある。
戦争を知らない子供達と呼ばれ、もう戦後では無いという時代に育ち、周囲の大人達からは、「お前達は恵まれている。」という言葉をよく聞かされた。確かに、食料も無く、思想も統制され、戦争での生命の危険にさらされるような時代に比べれば、私達の育って来た時代は恵まれていただろう。
しかし、どんな恵まれた時代に生きようと、そこには喜びも苦悩もあり、生と死があった。
私が最初に死を意識したのは、大学時代の後輩の死に直面した時だった。彼女は教師志望で、卒業も就職先も決まった四年生の秋に病に倒れた。
私と同じ音楽サークルに所属していて、一緒にグループを組んでいた。一緒に飲んだり遊んだり、相談に乗ったり愚痴を聞いたりと、兄妹のような付き合いをしていた。もう社会人になっていた私は、彼女の病床にせっせと見舞いの本やカセットテープを運んだものだった。すでに結婚が決まっていた私に、式までには退院して、余興で、シュガーの「ウエディング・ベル」という曲を歌ってくれると、笑って約束してくれた。
だが彼女は、およそ一年ほどの闘病の末に、帰らぬ人となった。夏の終わり、ちょうど彼岸花の頃だったと思う。
結局、友人達の連絡の遅れもあり、彼女の葬儀には出席出来ず、実家まで出向き、花を供え線香を手向けただけで、それきりになってしまった。
それまでにも、祖父母や親戚などの死や葬儀には立ち会ってきたのだが、それは年を重ねてやがて行き着くゴールのようなイメージが大きかった。自分と同年代の者の死、まして親しい後輩の死は、私の生死観を大きく変化させた。
その後も、彼女の同期生が自ら死を選んだり、私の同期の友人が新婚間もなく交通事故で逝ったり、高校の同級生が過労死したりと、同世代の死に直面する事が幾度かあった。
その度に「まだ早い。なぜ逝った。」と涙しながらも、心のどこかでは「いずれ私も追いかけてそちらに行くから。」と再会を思うようになった。
昨年もまた大切な友人の訃報を受け取った。彼女の場合は結婚もして、子供も残しての死だったから、今までのケースとはちょっと違うが、もう一度会いたかった、話をしたかったという未練が残る事には変わりは無い。
薄情な様に思われるかも知れないが、彼らの墓に参った事は無い。遠くの地であるのも理由だが、墓の在り処を知らないのだ。また、その墓石に花を手向ける事が、彼らの供養になるとも思えない。
ただ、心の中で時折思い出し、彼岸での再会まで精一杯生きることの方が、早くに逝ってしまった者たちへの供養のような気がする。
彼岸花の燃えるような色の花弁は、彼らを荼毘に付す炎のようにも見えるし、彼らへの送り火のようにも思える。季節はまた繰返し、この花を目にするたびに、そんなことを思い出している。
彼岸花 群れて咲きたるその姿
刹那の時の 若き日の友
彼岸花
大学時代の友人、親しくしていた人が、二度と会えない彼岸に行ってしまう。
そんな人達を思い起こした、私なりのレクイエムです。
誰にもそんな思いが有ると思います。心静かに送って、彼岸での再会を願っていたいものです。