三月十二日

 まぶしい。外の景色が流れて行く。バスの車内にいるようだ。

隣には白いシャツを着た男。

近代的な建物の目の前でバスは停まり、白いシャツがバスから降りるのにつられてわたしもバスから降りる。

建物内では広々としたエントランスがわたしを迎える。

エントランスの無機質なよそよそしさの向こう側で、木で出来たドアが際立つ。

病院に行かなければいけなかったような気がしたが、ドアの向こうが見たくてノブを回した。

青々と緑の茂る湖畔が見える大きな窓と白いソファと汚らしいラジカセだけのある部屋だった。

白いシャツの男はどうしたのか。

ソファに座ってみるとずぶずぶとこしが埋もれていって、ラジカセからラジオが流れた。

夏の海で大音量で流れるポピュラーソングを思い出す

三月十三日

 ああ、起きなきゃいけない。もう十一時だ。

寝室は北側にあり、マンションの廊下に面していて朝でも強い日は差さない。

今日は曇っているのだろう

弱弱しくぼんやりと白い明かりだけが部屋に入る。

刷りガラスの向こうに黒い人影がゆらゆらとしているのが見える。

宅配便かもしれない

千葉のおじさんとおばさんからフルーツが届く季節だから。

インターホンが鳴るのを待っていたら、いつの間にか窓が開いていた。

宅急便の人がそこにいると思ったので体を起して廊下を見る。

髭を生やした男が銃を持っている

わたしを殺しにきたに違いない

息をひそめて窓のない部屋に移る。

がちゃりと音がして、玄関のドアが開いてしまった。

心臓が大きく脈をうつのが頭に響いてくる。

髭の男はわたしのことをすぐに見つけ出した

何も言わずに迫ってくる。

迫ってくる!

わたしは男の脇を走り抜け外へ出た

裸だったがそんなことはまったく気にせず大声を出して近所中に助けを求める

着ていたパジャマがどこへ行ってしまったのか見当もつかなかった。

螺旋状の外付け階段を駆け降りる。

足がもつれるんじゃないかと心配になったが面白いぐらい速く駆け降りることができた

わたしの家は六階のはずなのにいつまでもいつまでも階段を降り続けた

髭の男が家を荒らしているかもしれないと思ったが、そんなことはどうでもよかった。

五月十七日

 見慣れた水色のコンビニのポスターがずらりと並んだガラスをくぐる。

中では、感じたことがあるような感覚。

知った顔の彼が居る

黒のブーツの似合う、細身の、煙草を吸う。

一緒にここを出たい、と思った

自分からそんな感情が湧き出たのは意外だった

しかし、彼と目の合った瞬間からもうわたしたちは同じことを思っていた。

共にコンビニを出て、歩き始める。

彼はいつもは着ていないような白く長いシャツの羽織りを着ている

わたしがその顔を見ると笑う。

「ここに入ろう」

どちらともなくそう思って、入ったのはかわいらしい建物。

中の部屋もピンクと白とオレンジに埋め尽くされ

女の子らしい雑貨や服にあふれていた。

十月二十二日

 丘状の古い住宅街を登る。

家々は重なり、時より鉄筋コンクリートで形成された階段が家と家とを、屋根と屋根とを繋げている。

コンクリートからはみ出た鉄筋や曲がった手すりは皆赤黒く錆びていて、可愛くない雑草が至る所の隙間から生えている。

誰かと一緒に歩いてるような気もするし、一人で歩いてるような気もするし、どちらかわからない。

高く開けたところに出たとき、40歳くらいの細身の白い服を着た男が階段の上からこちらを見下ろしているのに気づいた。

少しこわくなって、来たところを戻り、降りて行く。

すると、その男が追ってきた

少しずつ降りるスピードを上げると、男もそれに合わせてスピードを上げて追ってくる

角では錆びた手すりを軸に使ってくるりと曲がり、速く速く下って行く。

そこで祖母の家に似ている家を見つけたので二階のベランダへコンクリート階段から飛び移り、ガラス戸を開け部屋の中に入り込んだ

大きなベッドが部屋を占め、壁には花の写真の古いカレンダーがたくさん貼ってある。

やはりそこは祖母の家だった。

緊張していたはずなのにぼんやりと考えていたら、男も部屋に入ってきた

わたしはベッドの上で後ずさるが逃げられはしない

もう、いい。そんな気がしてきた

男はわたしの足の間に割って入ってきて、もうそれを避けることはできない

男は白髪混じりで、痩せているため顔にはシワがあり、退廃的だが清潔感はある。

頭の中は残酷で不潔なのだろう。

でももう、受け入れるしかないと思ったからだろうか、愛しくも見えてきた

十二月十二日

 暗く、寒い

そばに居るのは父かと思う。

石かコンクリートかで出来たような広い空間だが、足元は狭いことがわかる。

水の跳ねるような、淀んだ音が足元の下の方でする。

遠くで誰かが下に落ちて行ったようだ

ぼちゃん、と汚らしい音がした

しかし知らない人だからか、または悪人だからか、胸は痛まなかった。

父が後ろ手にあった半畳ほどの小さな襖を開けて、そこに入る

中は押入れのようなところで天井は低く白い羽毛布団が置いてある。

小さな豆電球が一つぶら下がっていて、さっきいたところよりは明るい。

父に続き布団の上を這いながら進んでいく。

また小さな襖があり、それを開けるとホテルの部屋が広がっているのがわかった。

部屋に出て襖を閉めるとき、押入れの中で虫が飛んでいるのが見えた。

ホテルの部屋は洋風で大きな窓にレースのカーテンがなびき、白の大きなベッドが2つ並んでいた。

襖があることに違和感を覚えて後ろを振り返ると、もう襖はなくなっていた。

グレーの外の明かりがカーテンの全面から侵入してきて部屋を内包する。

日の出前のようにも、静かな日の入りのようにも感じられた。

外の景色を写真に撮ろうとベランダに出ると、前に見たシカゴの風景だった。

手前には古い道路と緑の茂る大きな公園が、奥には湖が広がる。

前に見た湖はエメラルドグリーン色の牛乳のようで湖面は穏やかだったが、今見ている湖は透明な青の波が岸に打ちつけ砕ける。

だんだん明るくなってきた

早朝だったらしい。

四月十日

 明治に建てられたような洋館に引っ越した。

エントランスのような大きな空間の両脇には焦げた茶色の木製階段があるが、登りきっても階段と同じ色の木枠の窓があるだけだ。

両脇の階段の向こうの壁は一面本棚で、わたしのものではない立派な装丁の古い本がずらりと並ぶ。

エントランスの中心には大きな桜の木が生えていて、ぽつぽつと咲きはじめていた。

木は植えられたというよりは元からそこに立っていて洋館がのちに包みこむように建ったようだった。

床板が根元のぎりぎりのところまで貼られていて、少し持ち上がっていた。

階段の中腹から、窓の外の晴天をバックに桜を写したらとてもいい写真が出来た

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-12-10

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  1. 三月十二日
  2. 三月十三日
  3. 五月十七日
  4. 十月二十二日
  5. 十二月十二日
  6. 四月十日