ピアノレッスンの帰り道
せまくて暗い階段をとんとんと降りて地面に降りる。次のレッスンまでにはあと数分あるのでピアノの音は聞こえない。教室にやってくるときは逆で、レッスンの十分ほど前には到着するようにというのが心構えとして言われているので階段を上っていくと前の回のレッスンの曲が響いている。だいたいそれはいつも同じ曲で、というのはひとつの曲を暗譜まで終わらせて仕上げるのにそれなりの時間をかける教室だったからだ。基礎をやり、それから練習曲をやり、余裕があればもしくは発表会が近ければ練習曲よりも鑑賞に堪えうる生徒のレベルにあった課題曲を一曲やる。レッスンではだいたいその順に曲をさらうので階段を上ってくる時に耳にするのはいつも最後の曲だ。それが変わるとああ前の曲に花丸をふたつもらって次の曲に移ったんだなと思う。楽譜を見て弾く仕上げにひとつ、その次に丸々一曲を暗譜で弾くのにひとつ。
階段で人にすれ違うことはほとんどない。教室はビルの二階だったか三階だったかにあり、あまり天井の高くないそのビルには少なくとも三つのフロアがあったはずだ。ただふだんそのビルの階段を上り下りするのは教室の生徒のみであり、レッスン終わりの生徒とすれ違って階段を上っていくようなのは遅刻ぎりぎりの生徒だけだ。
教室はどこにでもあるような大きなアーケードをもつ商店街の雑居ビルと言っても許されるような古いビルで、ビルの二階天井に当たるあたりから上は半透明のアーケードによって覆い隠されていて見えない。市内には商店街すべてが連なったひとつのビルになっていることで有名な場所もあったがここは駅前に昔からあった通りの上ににアーケードを掛けただけの、それぞれは独立した小さなビルが集まる商店街だった。階段を降りて地面に降りる。一階は手芸店で、この教室に移る前に母親と買い物に来たことがあった。目の前には大きなスーパーがある。左に曲がって三分ほど歩くとJRの駅で、ただここは終点から一個手前の単線駅なので電車はそう頻繁に来るわけではない。右に曲がると五分ほど歩いてアーケードの外に出る。そこから道を渡るとバスのロータリーがあり、彼女が向かうのはそちらの方向だ。
JRが国鉄と呼ばれなくなってからもう随分経っていた。昔はJRが「国営企業」だったというのは話には聞いていたが国営というのがどういうことなのかはよく分からなかった。分かるのはJRと京急というふたつの電車があって、京急は速くてたくさん電車が来るのにJRはゆっくりで一本電車を逃すと次までに十五分も待たなくてはいけないときもあるということだった。しかも京急は「中央」に停まるのにJRは中央に駅がない。学校が休みの土曜日は中央の図書館まで行って本を五冊借りてくる。だから中央に行くことができないJRにはあまり用がなかった。とは言っても家から京急の駅に行くのもかなり不便だったから、彼女はバスに乗って中央まで行っていた。
バスのロータリーの方に向かう。商店街は賑わっていたと言って良い。そのころ自転車で買い物に来た人が自転車を道ばたに停めてしまうのはまだ割と普通の話だったし、スーパーは路上に大きなワゴンをいくつも出して特売品を売っていた。彼女が背中を向けたJRの駅側に少し歩くと角には声の大きなおじさんが何人もいるにぎやかな魚屋があって、教会の人たちによるとそこは「大変良い」店だった。何が「大変良い」のかはわからなかったがたしかに魚屋は売っている人も買っている人も元気で楽しそうだと彼女は思った。楽しいことで良くないことはあまり思い付かない。
ピアノは八年近く習い、その教室には最後の二年間ほど通った。ピアノのレッスンの時間は学年や前後の生徒の都合によって数回変更されたがそのころは夕方の四時から四時半までだった。ちょうど夕飯の買い物のピークの時間で、彼女は自分に向かって走ってくる自転車たちに対してかなり神経を使って対応しなければならなかった。前から自転車が来る、よける、するとよけた方の後方からまた別の自転車が走ってくる。小走りになってせまいところをすり抜ける、と脇道があるので突っ込んでくる自転車はないか確認する。子どもにしては歩くのが速いほうで、自転車に煩わされるのが腹立たしいのでせかせかと歩いた。この商店街は自転車が多くて危ない、と彼女は考えた。自分が通るのが一番自転車の多い時間帯だったわけだがスーパーに買い物に行くのに時間帯が関係あるということはまだ知らない。それにすべての人がスーパーに行くわけでもなさそうに見えた。商店街に来るために来ているようなおばあちゃんたちが多いような気がした。毎日商店街に来ているんだろうかと彼女は思う。毎日そんな買うものがあってお店を見て回らなきゃいけないんだろうか。
数分歩いてから道の右側に寄る。おもちゃの王様があるからだ。おもちゃの王様はうなぎの寝床のような店舗に川の字に棚を設置して店の前の路上にもワゴンをいくつか出していた。左側の壁に沿って一列、店の中央に一列出して両側に陳列するのでそこで二列、右側の壁に沿って一列。奥にはレジカウンターがあってそれを取り囲むようにして棚が置かれていた。正面から向かって右二列が男の子のおもちゃ。低学年のときに同じクラスにけいすけという男の子がいて、彼がレゴブロックを集めていたのでレゴがおもしろそうだと思っていた。けいすけにはお母さんがいなくてお父さんしかいなかったけれど、お父さんは頻繁に五百円とか七百円とかのレゴを買ってくれていた。レゴを買うときに一緒におもちゃ屋さんに連れて行ってもらったことがある。そのときはけいすけは七百円のレゴをふたつも買ってもらっていた。レゴはおもしろそうだけど、いっぱい買っていないとおもしろくないだろう。馬に乗った騎士一セットでもわくわくするけれど、それにお城が付いてた方がもっとおもしろい。だからレゴはいっぱい買ってくれるお父さんやお母さんがいるような子ども向けのおもちゃだ。
左側二列は女の子のおもちゃだった。当時はぽぽちゃんという人形のシリーズが出始めで、色んな服を着たぽぽちゃんやベビーカーに乗ったぽぽちゃんがいた。最初におもちゃの王様に来るようになった頃には棚になかったのだがいつの間にか陳列されるようになったのだった。大きい人形だと思った。リカちゃんと比べるとずっと大きい。そしてリカちゃんは大人だけどぽぽちゃんは赤ちゃんだ。顔がぬいぐるみの動物みたいでかわいいと思った。子どもなのでこれは売れるとは思わない。でもこれはみんな好きだろうと思った。もうぽぽちゃんみたいな大きいお人形で遊ぶ年ではないけれど、もっと小さい子どもだったらとってもとっても欲しかっただろう。この人形は好きだ、と思った。
もちろんリカちゃんも好きなのだった。リカちゃんは顔が気に入らないのだけど、たくさんきれいなお洋服を持っていて日常的にドレスを着ていても誰も何も言わないのがうらやましかった。むしろきれいな洋服を着て着飾っているときれいなリカちゃんだと言って誉めてくれるのだった。靴だって脱ぎ履きできてたくさん持っているし、ブレスレットやペンダントにピアスまでしているのだ。少し前に教会の人が自分のうちにあったリカちゃんとジェニーちゃんをすべて彼女にくれた。余裕のある家庭だったのでその家から着たリカちゃんとジェニーちゃんたちは彼女のリカちゃんの持っているのの何倍も物持ちだった。でもうちにはブーツはない、と彼女は思った。リカちゃんの靴セットという、ハイヒールやらブーツやらスニーカーやらサンダルやらが入ったセットが千いくらで売られていた。お小遣いを貯めたら買えるだろうか、でももう少しほしいものは他にもある。
一番好きなのはシルバニアだった。図書館で借りたルーマー・ゴッデンの『人形の家』の世界を敬愛していて、図書館で人形の家、つまりドールハウスに関する大人の本を調べてイギリスのドールハウスは12分の1サイズが基本だということを学んでいた。日本で売っているお人形で12分の1に一番近いのはシルバニアだ。そしてシルバニアは全部プラスチックだけど、調度品がきちんと揃っているのが良い。調度品もあまり現代的でなく「アーミッシュ」みたいだと思っていた。アーミッシュについては図書館の本で読んでいて、要するに『大きな森の小さな家』に出てくるローラみたいな暮らしなんだと理解していた。畑で食べ物を育てるのも大変良いし狩りに出かけて鹿を取ってくるのも、少々かわいそうだけれども良いことだと思った。栃木で昔食べた鹿のお肉はおいしかったもの。それに挿絵を見る限り彼らは赤毛のアンみたいに袖の膨らんだワンピースを着て白いエプロンを着けていて、自分もそんな格好がしたいと思った。リカちゃんならもっとシャカシャカキラキラした素材の豪華なドレスが似合うけれどもシルバニアの着ている服はまるでローラたちの服みたいだ。「シルバニア友の会」にも入っていたからシルバニア村がどこかの森の奥で自然に囲まれたところにあることも知っていた。シルバニアの陳列棚を見る。会報を見ているからどれが新製品で、この店にはどれが置いていないのかも知っている。お小遣いを貯めたらリカちゃんよりもシルバニアだなと思う。五百円なら貯められるだろうか。頑張って千円にしようか。次のクリスマスは何をサンタさんにお願いしようか。誕生日には親に何を買ってもらおうか。二千円なら買ってくれるかもしれないけど、三千円は無理かもしれない。高いものはサンタさんにお願いしなきゃ。
シルバニアはある年クリスマスボックスに入って到着した。東京の教会が関係者にクリスマスボックスを送っていて、詰められているプレゼントの中は新品もあればお古もあった。日用品もあれば洋服もあり子どものおもちゃもあった。ある年のアドベントにはひときわ大きな箱が到着し、シルバニアの古い家が出てきたのだった。一世代前のモデルの熊の一家、もう販売していないねずみの女の子にいくつかの家具が付いていた。そしてそれとは別にマジックペンで色が塗られた二頭のプラスチックの馬もいた。ちょっとデフォルメされた形の、でも大変馬らしい馬で首が動いて草を食べるようなポーズを取ることができた。12分の1より小さいけどそれに近いサイズの馬だ。どういう種類のおもちゃか分からないけれど素晴らしい馬だと思った。あまり趣味に合わないものが送られてくることもあって母親はクリスマスボックスをあまり喜ばなかったが、彼女はクリスマスボックスとそれにシルバニアと馬を入れてくれた人、そして主に心の底から感謝したのだった。
何も手に取らないままレジのある店の奥まで進む。レジの脇にマグネットが何種類か貼られている。動物のぬいぐるみのマグネットがまだ売られていることを確認する。何度も見ている値札をもう一度見て、母の日までにその金額を貯める算段が間違っていないか頭の中で計算する。羊が良いか。熊が良いか。兎にするか。でもなぜかその中では豚が一番愛らしいような気がするのだった。どれにしようかはまた考えれば良いと思う。まだ母の日までには時間があるのだから。レジの脇には駄菓子が売られている。フェリクスガムが十円。どんぐりガムも十円。大きいキャンデーも十円だ。まだ消費税は外税だったが三パーセントだったから、十円のものをふたつ買っても三つ買っても課税するような小売業者はいなかった。いつもここで二十円か三十円使うことにしていた。どんぐりガムはだいたい定番で、あともう一つは何にしようか。あわ玉はどんぐりガムとかぶるけれども捨てがたい。もしくは二つともガムにしてしまおうか。駄菓子を選ぶ前に少し考える。今日も歩いて帰ろう。だからお金を使っても大丈夫だ。
ピアノ教室から自宅までは子どもの足で三十分といったところだった。商店街を出たところにあるロータリーからは自宅の近くを通るバスが出ていた。片道百五十円で子ども料金は八十円。レッスンの行きは「遅れないように」バスに乗って通っていたが、帰り道はだいたい歩いた。歩いたらバス料金は自分のお小遣いにして良いことになっていた。彼女はほとんどいつも歩いて帰ることを選択し、八十円の中からちょっとだけ駄菓子を買って残りのお金を貯金した。
おもちゃの王様を出てあわ玉を口に放り込みながら歩く。当たりが出ているかどうかチェックするがあまり出たことはない。どんぐりガムは中にガムが入っているので後から食べる。ガムを家に着いてから吐き出せば帰り道ずっとお菓子を楽しんでいられるからだ。どんなに長居してもおもちゃの王様にいられるのは十分程度だ。あまり遅くなると叱られる。ちゃんと店の時計を見ながら行動する。
文房具屋の前を通り過ぎる。路上に出してある開店する陳列ハンガーにシルバニアを模した植毛された動物の人形とその人形のための道具が入ったセットが売られている。人形はシルバニアよりも少し大きく、値段はシルバニアよりも安い。真似っこだ、と思って心の中で憤る。シルバニアの会社に言ってあげなくちゃいけないかもしれない。真似っこしてお金儲けしようなんてずるい。その先に最近できたコロッケ屋がある。店はいつも繁盛していて、揚げる前のコロッケを買う人もいるし揚げてあるコロッケを買う人もいる。なぜ大人がそんなにたくさんコロッケを揚げてもらって買うのか良く分からなかった。たこ焼きみたいにおやつにするんだろうか。いろいろな事情が重なって母親は出来合いのお総菜をほとんど買わなかったから、お総菜を買ってきて夕ご飯のおかずにするという文化を彼女はあまりよく知らなかった。そういうことは特別なとき、たとえばクリスマスとか誕生日とかあとはお母さんが具合が悪いときとか、そういうときに起こりうることで日常の食卓にコロッケ屋のコロッケが上るとは考えも付かなかった。
コロッケ屋の先に左に曲がる道があり、曲がらずにまっすぐ行くと道が細くなった。右側は高い石垣が迫り、石垣の上をJRが走っている。店があるのは左側だけになり、少し行くと商店街が終わりになる。この場所はアーケードも両側の建物で支えるのではなくて右側は支柱になっている。そこから「ガレリア」という文字の付いたフラッグが垂れ下がっている。ガレリアというのがこの商店街の愛称で、彼女が商店街に通うようになるほんの少し前にアーケードや街灯がリニューアルしてそのような名前が付いたのだった。曲がり角のところには新しくファンシーショップができた。全体的に何を売っているのか良く分からない類いの若い女性向けの雑貨屋だった。店頭には籠が出してあり、あるときここにお手玉のような蛍光色の小さな熊が売られていた。一ヶ月ほど逡巡し、彼女は黄緑色の熊を購入して連れ帰った。
商店街の終わり近くに大判焼きを売る店がある。母親と買い物に来るとよくここで大判焼きを買った。両親は白あんが好きで、大判焼きもだいたい白あんを選んだ。白あんの大判焼きが買えるのはここのほかはあまりないのだった。彼女は子どもだからこしあんもカスタードクリームも、いやむしろカスタードクリームが最も好きだったが、なんとなく流されて白あんを買うことが多かった。たまにふと思い至ってカスタードクリームを買うこともあったが、「白あんが一番良い」という説教じみたものが彼女を待っていた。彼女がピアノ教室に通った最後の頃その店の近くにたこ焼き屋ができ、大判焼きも売るようになったがそこには白あんの大判焼きは売られていなかった。
数年後彼女は中学生になった。部活の用具を売る店が商店街の近くにあったので商店街にまたよく通うようになった。チームメイトとたこ焼きを買い、ファンシーショップで通学用の鞄を買い、大きなスーパーの地下に新しくできた百円ショップで化粧品の試供をしてヘアアクセサリーを買った。「うち、ここでピアノ習っていたんだ」百円ショップの外で彼女は言った。「あっそう」チームメイトは軽く目をやった。「あの店何?」チームメイトは手芸店に袋の口が空いたスナック菓子を手に持ったまま入店し、同じようにした彼女と共に店員に小言を言われた。
ピアノレッスンの帰り道、彼女はいくつかの飴玉以外に買い食いをしなかった。買い食いするお金を持っていたこともあったが、買い食いすると夕飯が食べられなくなって叱られた。叱られるのは中学生になってからも同じだったが、ピアノレッスン帰りの彼女にはそれに抗する手段がまだなかった。商店街を出て右に歩く。左手は大きな十字路があり、十字路を越えてまっすぐ行くと中央に着き、海に出る。十字路を左手に曲がると商店街に沿った車道を行くことになり、JRの駅がある。さらにまっすぐ行くと有料道路のインターチェンジがあり、そのあたりで海沿いへ出る道と隣の別荘町へ行く道に分かれる交差点があった。そちらとは反対方向に十字路を曲がると京急の方の駅へ着く。そして彼女の家の方に行くと市の西部へ向かい、そこから隣の市へ向かう道路に出る。西部から中央へ向かう唯一の幹線道路がこの道で、だから朝や夕方はいつも道路は大混雑していた。ある雨の日、中央の図書館へ向かうためにバスに乗った。乗車拒否も停留所無視もよくあることで、ようやく乗れたバスは濡れた傘を持った人で満員だった。そのときは中央に到着するのに一時間近く要した。普段は三十分だったが、ある晴れた土曜日、図書館からの帰り道にバスに十五分しか乗らずに帰宅したこともあった。
そんなだったから平日の夕方はロータリーも大混雑だった。ロータリーといっても二車線道路の片側に車寄せが作られた程度の停車場だった。反対車線のバスは別に停留所があったが、ロータリー止まりのバスの多くはロータリーに入らなければならなかった。バスの駐車場はロータリーの隣にあったがロータリーから直接入庫できなかった。だから反対車線のバスは大きく右折してロータリーに入り、その後一度車道に出てまた左折して駐車場に入らなければならないのだった。そんなだったから車道はバスによってより渋滞していたし、バスを待つ人もだいたいロータリーから溢れていた。そして渋滞のせいでいつ来るか分からないバスを待つ人たちはだいたい立ち尽くしながら苛立っていた。何しろそこから混み合ったバスに乗ってまた三十分以上我慢しなければならない人も多かったのだ。そんなだったから彼女はあまりロータリーの雰囲気を好まなかった。左右を確認しながら入庫してくるバスをよけるために駆け足で通り過ぎた。
春先の夕方はようやく空気が緩んできたがまだ日が落ちるのが早く、レッスンが終わった頃にはまだ明るかった空ももう青ずみ始めている。ロータリーの向かいには整体院があり、体の不調が骨から来ていることを示す骸骨の図が書かれている。薄暗い中に白のペンキが塗られた看板がほんのりと浮かび上がってきて薄気味が悪かった。その先には小さな派出所があった(この頃はまだ派出所が正式名称で交番は通称だった)。彼女はあるとき家の近くで五百円玉を拾いこの派出所に届け出たが、呼んでも呼んでも人が出てこなかった。どういう理由でか無人になっていたのだ。だからこの派出所はないも同然だった。なにか起こっても助けてくれる警察官は出かけている。 道は曲がりくねりながら緩やかに下り坂になる。少し行くと両側が斜面になるが、最近片側に小さめなマンションが建った。その頃から斜面に建つ小規模マンションを見かけるようになった。マンションとアパートの違いは良く分からなかったが、少し大きいのがマンションなんだろうと思った。これはアパートとマンションのどっちなんだろう。
その先に小さな信号がある。このあたりでだいたいいつも最初のあわ玉が溶けきるか噛んでしまってなくなるかするので、次にどんぐりガムの封を切る。どんぐりガムも当たっていたことはほとんどない。シュワシュワと泡を出してキャンディー部分が溶け始める。信号の先には桶屋があって、年老いた主人がひとりで黙々と作業していた。彼女が帰りに通り過ぎる頃にはもう店は閉まっていた。最近テレビに出た人、と思う。テレビに出たら有名になったりするんだろうか。なんか今にもなくなっちゃいそうな店だけど儲かったりするんだろうか。
学習机を買った家具店を左手に見ながら歩き続ける。車道の先の右手は窪地になっている。その先には山公園があって、だいたいみんな一年生の遠足でその山に上るのだ。学校から山公園を上る道に向かうとき自宅の前を通った。ここで待ってた方が早かったのにー、と彼女は言い、クラスメイトは遠いところから来ているねと言った。彼女の家から少し行くと学区の境界になる。いま彼女は隣の学区から自分の学区に向かって道を辿っているのだ。
敵の領分、と思う。『ツバメ号とアマゾン号』みたいに、気をつけていないと敵に捕まるかも。暴力を振るうような粗野なものではなくて、もっと気の利いた方法で相手の鼻を明かすような縄張り争い。別に勝ったからと言って相手をいじめたいんじゃなくて。あたりを見回す。スパイは特にいないようだけれども十分注意しなくては。
少し足を速める。山公園には桜がたくさん植わっているのでお花見に行く人もいるらしい。お花見に行く人もいるし行かない人もいる。うちは行かない人だけどクラスメイトには行く人もいる。でもみんなが行かないときに山には行く。不動井戸の様子も見に行くし、城趾にも行く。みんなは山公園が城趾だと思っているけど本との城趾はちょっと離れたところにある。ひとりで歩き回るのは楽しい。どんぐりガムのキャンディーがぱりっと音を立てて壊れる。ここをいかに薄くまで持ちこたえられるかが毎回の挑戦なのだが最近はかなり薄くすることができるようになってきた。
トンネルの多いあたりにさしかかる。街灯が少なくなって周りがあまり見えないが車通りは多いままだ。左手に曲がるとトンネルがあって、その先はもう一つ別の学区のほうへ行く。こっちの方がおもしろい公園が多い。トンネルの下にあって小人の人形がいる公園も良いし、その近くから山の斜面を階段で上っていく道も良い。小さな空き地があって日が差し込んでいて、プーさんの森にもこういう場所があったはずだ。そこからちょっと階段を上るとトンネルの真上に当たるところにもうひとつ別の公園があって、そこにはターザンの遊具がある。その公園からさらに奥に進むと斜面に抱かれるようにしてまた公園があって、そこには動物の遊具がたくさんいる。明るいときは静まりかえっているけど、『魔法の城』の石像みたいに夜は動き出すかもしれない。もしかしたらどこか別の場所に出かけた痕跡をつけたまま固くなっているかもしれない。今度ちゃんと確認しに行かなくては。敵の領分だから何かあったらすぐに逃げられるようにしよう。
やはり馬が必要だ、と思う。馬は特別な生き物だ、と色んな本に書いてある。『ケニーのまど』だってケニーが欲しかったのは馬だし、『グリーン・ノウ』の木馬もすごく良いけれどフェストみたいな本物の馬には勝てないだろう。犬も忠実だけど馬も忠実だ。犬も賢いけれど馬も賢い。クリスマスボックスに入っていたおもちゃの馬も良いけれど一緒に冒険に出かけられる本物の馬はより良い。
当面は自転車が相棒なのだ。自転車がわたしの馬なのだから十分にめんどう見てやらなくてはならない。危急の際には一緒に逃げなくてはいけないのだから。トンネルの手前の一番暗いあたりにさしかかる。いきなり、という風情でケーキ屋があらわれる。両親はここがいちばんおいしいという。彼女もおいしいケーキだと思うのだが夕方になると色んなケーキが売り切れてしまっているので食べたいものが見当たらないこともある。
トンネルを通る。トンネルは車の音も歩く人の音も大きくなって響くのでいつもの音ではないような感じがする。わんわん響く、この中にもしかしたら車でも人でもない音が混じっているかも。バイクがスピードを建てて車の間をすり抜けていく。空気が震えたような気がする。トンネルの壁に書かれたグラフィティがまじないのように見える。オレンジ色の蛍光灯が乱反射する。対向車線のヘッドライトが目に飛び込んでくる。バイクの音が震え続ける中にまた新しいバイクがトンネルに侵入してくる。
トンネルを抜ける頃に防災無線から埴生の宿が流れてくる。五時の合図だ。四月になれば防災無線は六時になる。今日は少し遅くなってしまった。自動車の整備工場を抜ける。クレオソートの匂いが鼻を突き抜ける。満載の人を乗せたバスが横を通り過ぎる。米屋を過ぎる。車屋を過ぎる。立体交差の十字路が近い。立体交差の大きな車道の手前に住民のために細い歩車道がY字の坂道になっている。ふたつの坂道が下っていて、下りきったところで合わさって歩道になる。家はY字の下の棒のさらに下の方にあるのでふたつある坂道のうちどちらかを下れば良い。Y字の下の棒の一番下に当たるところに車進入防止の杭が打ってあって、そこまで来ればもうこちらの領地だ。Y字の坂はどちらを選んでも良い。坂を駆け下る。足音がコンクリートの壁に響く。杭を通り過ぎる。こちらの領地だ。もう一つ坂道を下ればもう我が家だ。今日はクリームシチューがいいな、と思う。馬を宿につないで宿の主人がふすまを用意してくれている間に熱々のシチューをふたつ隣のなんたら亭でいただくのだ。冒険の終わりの夕方にふさわしい夕食だ。でも本当はなんでもいいのだ、もうおなかはぺこぺこなのだから。
ピアノレッスンの帰り道