鑑賞記録-COMBO×COMBO単独公演「くろいの×しろいの」より


西荻窪にあるアトリエ・カノンにて鑑賞。ダンス公演。
ダンスというものは、ことごとく「視られる」に始まり終わる難しさがあると痛切に感ずる。基本的に踊りを表現の母体とすれば、当然のことながら観客は、言葉を持たない認識を強くする(もちろん例外はある。比重の問題である)。言葉は意味を有する。しかしながら具体行動の連続でしかない踊りには、意味よりも視覚的(あるいは肉体的)な体験が先行する。頭でっかちな理屈を脱却できたはいいものの、その桎梏が抽象に拍車をかけ、ゆえに漠然と、混沌としたまま幕を下ろすのでは非常にもったいない。理屈を封じたからこその「では何を観客に伝染させるか」を、言葉それ以上に具体的に表出し続けなければならない。
“ダンスとは、芸術とは解かりづらい崇高なもの”なんて印象を根本に据えてはならない。ダンスも演劇も美術も音楽も、方法はいうなれば「捉えどころのない感覚を如何にして共有するか」の媒体にすぎないのである。抽象が第一義でなく、抽象に向かわざるをえない「感覚の躍動」こそが重要であることを、いま一度肝に銘じなくてはならない。

鑑賞記録-COMBO×COMBO単独公演「くろいの×しろいの」より

鑑賞記録-COMBO×COMBO単独公演「くろいの×しろいの」より

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  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-12-09

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