practice(27)


二十七




 白い食器を持つ叔母はよく飴玉をくれた。深皿にひとつ,ソーサーにいっぱいと,その日によって異なる個数を本来の用途でない使い方と乗せて,叔母はそうして僕と挨拶を交わした。着色はされていない,透明であったのに飴は固めたときの濁りを残したような見た目で,らしく甘く,貰える理由がないために後ろめたさを感じるぐらいに成長していた僕は,昼食後の後片付けなどを持ち出しては母に窘められることをいつも避けようとした。それに気付く叔母は建物が密集しているにも関わらず陽当たりが良いリビングの椅子にかけて,入り込む光を背負ってから影にも負けずに笑んで言った。
「気が済むならそれでもいいさ,割らないように,怪我もしないようにしておくれよ。」
 叔母の小指は曲がっている。両手とも,怪我をして折った時に未熟な治療を自分で施してそのままにしてしまったがために,そのままにくっ付いてしまったことが原因だった。医者にかからなかった理由を,叔母は緊急事態で仕方なかったとしか言ってくれず,ただ折った時期は両手で別になるんだよということは教えてくれた。痛かったと聞けば,痛かったとも言い,気にならないかと聞けば,何のことをかと聞き返す。見た目,と躊躇いつつも答えれば,それに気持ち良く笑って,そんなことはないと言う。
「うちの旦那はそこに惚れたんだと言うよ。そう言ってくれる旦那に私も惚れたんだから,構いやしないのさ。」
 その指で約束もする叔母は,約束を破ったことがないとも言う。
 電車を降りて,人通りの多い駅前を叔母と歩く時に僕はいつもより大人のつもりになった。気持ちとともに前を向き,厳しくもない叔母におねだり出来そうな機会を横目にして,手だけ時々繋いでいたのは叔母がそうしろと言って聞かないのが事実だった。迷子になんてならないし,はぐれたらはぐれたで一人でも自分の家には帰れたのに,人混みが酷くなると叔母は必ず手を引いて,一歩二歩と,自らが率先して通れる道に生み出しては,僕を歩かせて進む。つんのめることが無いのは僕も急いでそこを歩いていたからで,叔母の歩く速度は早かった。思い出しても長身で,男物の細身のズボンがよく似合い,外を出歩くときにポケットに入れている手を出すのはよっぽどの知り合いに会った時か,僕の手を引く時。それから僕と別れる時。忙しい母に,不在が多い父親のことを気遣って,短く切った髪を短く跳ねさせて帰る叔母の背中はしゃんとして,いつも真っ直ぐだった。また明日ねと言えば手を振る。泊まっていけばと言えば手を振る。叔父ちゃんによろしくと言えば,やっぱり手を振った。
 実は童話を好んだ叔母は,僕に少しでも聞かせた話を覚えておいて欲しかったみたいで,僕によく話を聞かせてくれたけれど,生憎僕が今も覚えているのは『雨で遊ぶ貴婦人の話』だけだった。叔母が言うにはここら辺りは雨がよく降った。それは空の真裏に舟を浮かべて住む数名の貴婦人が気ままに降らせるためで,それが気まぐれすぎて農作物も上手く育たなかった。困りごとは早く無くそうと,黒々と浮かんだ雨雲を低いところから捕まえて,上空に向かうものもあったけれど,客の応対に長けていた貴婦人たちは事を上手くはぐらかして,そこを訪れたものを悉く取り込んだ。帰って来ない人が多くなっていった。これではいけないと事態を危ぶんだ人たちは,貴婦人たちの中からこの地へと住まうことを提案した。貴婦人たちが気ままに雨を降らせていたのも,浮かぶ舟の上から降らせる雨で,生まれる波紋に,この地が綺麗に見えて仕方無かったからだと聞いていたから,それならとばかり,この地に住んでもらうことが何よりと人々は考えたのだった。しかし貴婦人たちは首を縦に振らない。夢は夢で,済ませたいというのが貴婦人たちの気持ちだった。残念とばかり,そこに住まったままの同胞も残して人々の代表として訪れた者が帰路に着こうとしたときに,最も幼い貴婦人が共に行くと徐に言い出した。当然に他の貴婦人たちはそれを止める。まだ幼いだとか,夢のままの大事さだとかを理由としていたそうだった。しかし最も幼いその貴婦人の決意は硬く頑として耳を貸さない。もう決めたことだからと言って舟から立ち上がり,前を向いて人の隣に並んだ。そこで振り返りながら他の貴婦人たちに報せを送るからと約束をし,人とともにこの地へ降り立っていった。そういう話だった。
 叔母が話すこの話に,教訓めいたところがないばかりか,話としてのオチが無いことを気にした僕は,いつも叔母に貴婦人のその後を聞いた。その疑問に,叔母はいつも元気に暮らしているとしか言わなかった。それでは話として詰まらないと返せば,事実なんだから仕方ないとも言う。僕は叔母は続きの話を忘れてしまったか,叔母の作り話だと訝っていた。意地悪くもそれを確かめるために,僕は叔母に貴婦人は今でも報せを上に送っているのかと質問をしてみた。考える素振りを見せたり,出てきた答えに少しでも拙いところが見られれば,そこをついて叔母に真実を話して貰おうと考えたのだ。僕は叔母をよく見てた。大きな目に,少ない瞬きを重ねる叔母の意思が強い印象が揺らぐのを見つけようとした。
「今も送ってるさ,約束だからね。日々のことに思うことを,丹誠に込めているよ。」
「どうやって?」
「そりゃ袋に詰めたり,器に乗せたり。」
「お手紙なのに,なんでそんなことするのさ。可笑しいよ。」
 僕はこうして突っ込んだ質問で,叔母は全てを語ってくれると思った。しかし叔母は何も変わらずに,あっけらかんと答えを返した。
「報せが手紙と,誰が言ったんだい?報せの形は何でもいいのさ。丸くて甘くて,溶けるものでも。」
 叔母はそうして,その日二度目の飴を白いティーカップに乗せて二個,くれたのだった。
 正直に言って,僕は未だに訝っている。『アメ』という音に繋げられた話と話が容易く繋がっているようにも思えて止まないし,僕に会う度に,大事な報せをくれる理由が納得いくように組み立てられないからだ。けれど叔母が亡くなったその日,叔父を手伝って母とともに礼拝堂を後にしたところで「ほれ,」と言って叔父が渡してくれた袋には詰まる程に飴が入れられていて,開いているのが自然な状態の口には綺麗な白色のリボンが結ばれていた。僕に遺された食器は後で送るからと付け加えて,叔父は悲しげにも優しさを残した声で不思議なことを口にした。
「今頃は傘でも差して,ゆっくり一息ついてるところだろうよ。」
「それって,」
 と「まさか。」に挟まれて,上手いこと言葉を尋ねることに使えない僕に叔父はニヤリとした。
「無くすなよ,特別製だそうだから。あと,すぐにバレるぞ。」
 それで叔父は晴れ間の中を帰って行ったのだった。
 特別製,と叔父が言っていたのは嘘偽りなく,僕が叔母に貰った最後の飴には色が付いているものが混ざっていた。正確に数えたわけではなかったから,これはただの,飴を食べた後の感想になってしまうのだけれども,袋に詰まっていたものの七割が青色のもので,あとの三割がいつも通りの濁りを残した透明のままであった。うち一個だけ,今から降る雨雲のような濃淡を見せて変化するものは叔母から貰った一番小さい小皿に乗せて,僕の部屋の中で一番陽が当たる窓辺のところに,落ちたりしないように置いている。割ったりしたらバレるんだろうし,叔母に怒られたことは思い出しても一度もなかったのだから,気を付けないことに越したことはない。
 時々夢に見る貴婦人たちは特に雨で遊ぶわけでもなく,たまにこっちに気付かないし,話に聞いていたような懇切丁寧な応対を受けたりすることもない。気ままに降らせる雨よりも,話に夢中になっている。僕はそれを,残念がる年頃ではもう無い。けれど傘から窺える限りでとても幼く見える貴婦人の一人には,是非に聞いてみたいことがあった。それは新しい疑問。例えば飴が溶けない理由。浮かぶ舟に近付いて,僕の影をそこにかけてから忘れない挨拶を交わして,声をかけて,少し待つ。
 短い髪が揺れて,傘が閉じられれば。



 








 

practice(27)

practice(27)

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-12-08

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted