これから。

感情のない「僕」と正反対の「彼女」の物語。

昔から僕には感情というものが抜け落ちていた。
何をされても怒るとか喜ぶとか悲しいとかそういったことが分からないのだ。
ただただ何にも興味を示さず、淡々と毎日を過ごしていくだけの日々。楽しいとも、つまらないとも思わない。
それが僕だった。

**

「でさー、俺言ったわけよ。それはおかしいんじゃねーの、って。そしたら彼女めっちゃ怒ってきて、んで別れた」
「そか」
隣で歩いている小学校からの幼馴染が延々と語るのを僕はただ聞くだけ。いつも通り。
「お前もうちょっと反応してくれよ……」
こんなふうに隣のこいつが苦笑いするのも、いつも通り。
「僕がこういうやつだってお前は分かってるだろ」
そりゃわかってるけどよー、っと隣の幼馴染、矢野和馬は不満そうに言う。
これも、いつも通りだ。
「んじゃ、僕は図書館に行くから」
「またかよ」
「うん」
そんないつも通りの会話をして和馬と別れ、図書館へと向かう。
学校から図書館までは歩いて20分。
近くはないが決して遠くはない。
本を読んでも僕は何も思わない。だが、感情がない僕には人の感情というものが分からないから人の感情というものを本から学ぶ。
だから本を読むことは苦にならない。
図書館につくと、僕はいつも心理学の本を探す。物語を読むときもあるが、基本的には僕は心理学を読むのだ。人間というものを理解するために。
心理学のコーナーから無作為に本をとり空いている席につく。
そして静かに1人で読書に入る。
僕が50ページ目を読み終えた頃だった。
隣にいた女子大生、だろうか。
急に号泣し始めた。
「ひっ、ぐすっ……うぅ……」
女子大生らしき彼女はズズッと鼻を鳴らしながら泣きじゃくっていた。
この場合普通の人ならどうするだろうか。
しばらく考えて、僕は彼女に声を掛ける。
「どうしたんですか」
えっ、と彼女はこちらを見た。
「あ、うん……えと、感動する本だったから、つい……ぐすっ」
彼女が持っている本は、犬と家族との絆を描いた物語だった。
「とりあえず、ここで泣くのもあれなんで一旦外にでましょう」
「うん……」
読書室を出て、飲食コーナーへと向かう。
「どれがいいですか」
自動販売機の前で、座っている彼女に尋ねると彼女は目を丸くしながら、えっいいよっと手を前に出して振る。
いちいち反応の大きい人だなあ、と思いながら彼女が飲みそうな飲み物を考えた。
彼女は、なんだかふわふわした感じの人だった。
肩までの茶色の髪はストレートだが全体的にふわっとしていて、服装も柔らかそうな生地のものを着ていたので、なんとなく、彼女にはココアが似合う気がした。
冷たいのとあったかいのはどちらがいいんだろう。
もう11月の半ばで少し肌寒いから、あったかいのでいいかな、そんなことを思いながら自動販売機のボタンを押す。
そのあとに自分のコーヒーを買い、彼女のもとへと戻った。
「どうぞ」
「……ありがとう」
彼女はふんわり笑ってココアを受け取り、口をつけた。
特に会話もなく、黙々と僕はコーヒーを、彼女はココアを飲んだ。
何か話した方がいいんだろうか。
「あ」
彼女が口を開く。
「お金……」
「あ、いいですよ別に」
「そんなわけにはいかないよ!払うよっ…………あ、お財布、忘れちゃった」
彼女がしょんぼりと鞄の中を見つめた。
「今度、払うね。……名前、聞いてもいいかな?」
「……立野豊、です」
「ゆたかくんっていうんだ!わたし、大井千穂!よろしくね」
「あ、はい」
彼女のテンションに圧倒されて、その後、メアド交換までしてしまった。
そして家に帰ると、彼女からメールがきて、明日5時に図書館で待ち合わせとなった。

**

「次数学かよー、寝るわ俺」
前の席から僕の机にふてぶてしく頭を置いてそう宣言する和馬。
「授業くらい起きておきなよ。また赤点とるよ」
「うっ。現実をつきつけないでくれ」
そう言って和馬は僕から目を逸らす。
「本当のことなんだから仕方ないだろ」
「豊冷たい」
「これが僕だって和馬は痛いほど分かってるだろ」
「だけどよー」
口を尖らせながら和馬は言う。
「表情に変化ないしよー、本ばっか読むし、なんかたまに怖いぜ、お前」
「なら僕とつるまなければいい。それだけだ」
僕はそう返す。
「いや、俺はお前のそういう白黒はっきりしたところが好きでつるんでるから別に構わないさ」
「そうかい……あ」
僕の携帯のバイブレーションが響いた。メールを受信したみたいだ。
差出人には、大井千穂。
内容は、居残りでレポートを書くことになったので少し遅れる、とのことだった。
分かりました、と返信をして携帯をポケットにしまう。
「誰?彼女?」
和馬がにやにやしながら聞いてきた。
「違うよ。そんな存在僕にはいないって和馬は分かってるだろ」
「まあそうか。……にしても初めて見たよ。お前の表情変化」
「え?」
「少しだけど眉をひそめてた」
「……そうか?」
「ああ。まあ、いいんじゃねーのっ?」
和馬は終始僕をにやにやしながら見つめていた。

**

「こんにちは!遅くなってごめんね」
午後6時前、飲食コーナーでコーヒーを飲みながらたそがれていると、彼女がやってきた。
「こんにちは」
「はいっ、昨日のココア代!」
「覚えてたんですか」
「当たり前でしょう?こう見えて、記憶力はいいんですー」
彼女はえへんと胸をそらしてそう言い、僕の隣に座った。
「今日は、何か読んだの?」
彼女が僕に尋ねる。
「心理学、読んでました」
「そうなんだ!昨日も心理学読んでたよね?……心理学、好きなの?」
好きなのか、と聞かれると返答に困る。
「好きというか……まあ、はい」
「そかそか。……じゃあ似てるかもね、わたしたち」
さっきまでとは違う落ち着いた声で悲しそうな目をして、彼女はそう言った。
「いやいや、僕と千穂さんが似てるなんてことはないですよ。僕は何かに興味を持つとかそういうのもなく、ずっと無表情で日々を過ごしていますから。……千穂さんは、感情豊かじゃないですか」
僕が言うと、彼女は困ったように微笑んだ。
「そう、かな……」
「あの、なんか、すみません」
僕が謝ると彼女は首を振り、うつむいた。
「ううん、いいの」
でもね、と彼女は真っ直ぐ僕を捉えて、言った。
「多分、ゆたかくんは今は昔のわたしに似てる。だからね、これから先、ゆたかくんは今のわたしみたいになったらダメだよ?」
ふふ、と彼女は微笑みそう言った。
「なんか今初めて千穂さんが年上に見えました」
「ひどーい!でも、あんまり意識したことなかったけど4つもわたしの方が上なんだね」
「ですよ」
「なんか変な感じ〜」
彼女は1人で笑い出した。
そして僕は、ただただそれを見つめ続けていた。

**

それから月日は経ち、冬がきた。
雪が積もっている道を和馬と歩く。
「お前、最近あんまり図書館行かないんだな」
「……うん」
あの日以来、彼女を図書館で見ることはなくった。時間が合わないのか、来ていないのか。メールも来ない。
ぴたりと、和馬が止まった。
「なんかお前、最近元気ないぜ」
「……そんなはず、ないだろ。だって僕には」
「感情がない、って?」
言おうとした言葉を先に言われて、僕は口を開けたまま止まった。
「お前いつもいつもそう言うけどよー、多分あるぜ?お前にも、感情ってやつ」
きっとさ、そう言って和馬は再び歩き出した。
「お前は閉じ込めてるんだよ。何でかは分からないけどよ」
そんな風に言われて僕は黙り込みただひたすら歩いた。和馬もそれからは何も言わずに僕の横を歩く。
「……あ」
しばらく歩いた後のことだった。目の前で、彼女が、ぽかんと口をあけて、立っていた。
「ゆたか……くん」
そこは大学の目の前で、彼女はその大学から出てきたところだった。
「……千穂さん」
掠れた声で僕は呟く。
「どうして、ここに……」
「……僕の家、もう少し先にあるので、ここの大学の前は通学路なんです」
もう1ヶ月ほど会っていなかった、彼女との最近の会話だった。
「俺、先に帰るな」
ぽん、と和馬が僕の肩を叩きながらそう言い、去って行った。
「……久し、ぶり」
困ったように微笑みながら彼女はそう言い僕に歩み寄ってきた。
「……話を、させてください」
僕はそれだけ言うのが精一杯だった。
「……うん。図書館、行こうか」

**

久しぶりにきた図書館は暖房が効いていて、暖かかった。
飲食コーナーに行き、僕はコーヒーを、……そして彼女もまた、コーヒーを買った。
「わたしね、本当はコーヒーのほうが好きなんだ」
甘いもの、あんまり好きじゃないの。と彼女は呟き僕の隣に腰をおろした。
「ゆたかくん……さ、感情、ないでしょう?……わたしも、一緒なんだ」
一瞬彼女が何を言っているのか理解出来なかった。
だって、あんなに泣いて、笑っていた彼女に、感情がないだなんて。
「だからね、わたしいっぱい勉強した。普通の人になるために。……でも、なれないね。普通の人のふりは出来るけど、普通の人には、なれないの」
そう言って彼女は俯いた。
「心理学の本をいつも無表情で読んでいるゆたかくんを見て、もしかして、って思った。だからあの日、隣に座って泣いたんだ。……そしたらゆたかくん、声かけてくれたよね。……無表情で」
最後の言葉には、力がこもっていた。
「ああ、同じだって思った。わたしと同じ人がいるんだ、って。だからね、心配だった。わたしみたいに、ふりだけ上手くなって、わたしみたいに普通の人になれない自分に嫌悪感を感じるんじゃないか、って」
彼女の声は震えていていた。
僕は何を彼女に言ってしまったのだろう。彼女に、感情が豊かだなんて言って。彼女の演技に、まんまと騙されていたなんて。彼女は僕が心配だったなんて言うけれど、本当は、数少ない同じ性質を持つ僕に、彼女は気づいて欲しかったんじゃないのだろうか。
彼女の演技に。
「……千穂さんは、千穂さんのことを好きですか」
「え?」
「千穂さんは、自分に嘘をついて笑ったり泣いたりする千穂さんを、好きですか」
僕の問いに彼女は
「……大嫌い」
と呟いた。
それに対して僕は堂々と、言った。
「僕は好きです。自分を変えようと頑張りすぎちゃうくらい頑張り屋の千穂さんが、僕は大好きです」
彼女に僕の閉じ込めていた感情を引き出された。そして和馬が、その感情に気付かせてくれた。
僕には感情が、ある。
だったら、僕とは正反対に見せかけて、本当は僕に似ている彼女はーーーー。
「僕には感情があります。僕は今、千穂さんを好きです。そういう感情が、僕にはあります。だから、千穂さんが僕と似ているのなら、千穂さんにもあるはずです」
「わたしにはそんな感情は……」
「いいや、千穂さんはそれを自分で閉じ込めているだけだ」
彼女に言いながら自分のことも分かってきた。
僕は多分、怖かったんだ。
感情を出して、それを否定されるのが。だから思いを隠して僕の中に閉じ込めた。僕は何も思わない。そう思いこんでいただけだったんだ。
「……しばらく、1人にして……?」
彼女はそれだけ言って、泣き始めた。

**

「ありがとう」
図書館から出ると、泣き腫らした目で彼女は微笑み、そう言った。
「何かに、気付けた気がする。……でもやっぱり、自然とこんな風に演技、しちゃうや」
「……そうですか」
「うん。……返事、した方がいい?」
「……え?」
そうだった。僕は言ってしまったんだった。
思い出して顔が熱くなる。
「聞いても、いいですか」
そして、怖いけど、聞くことにした。前に進むためにも。
「じゃあ、お返事、します」
彼女がぺこりと頭を下げた。
そして頭をあげてからーーーー
「……ごめんなさい」
「……はい」
だろうな、とも思ってはいたがやはり少し悲しくてそれしか言えなかった。
「気持ち、嬉しい。……でも、今はさ、まだゆたかくんも、わたしも、混乱しているから。これから先、わたしはもっと心理学を学んでいこうと思う。今までとは違う目的のために。そしてわたしは、ちゃんと大井千穂になりたい」
「……はい」
「だからさ!わたしが大井千穂になって、ゆたかくんがちゃんと立野豊になったら、また出会って、そしたら、始めよう?……立野豊と、大井千穂の関係を、始めから」
そう言って彼女は携帯から僕のアドレスを削除し、僕にもそうするように促した。僕も彼女のアドレスを彼女の目の前で削除した。
彼女はそれを見届けると、僕に背中を向けて行ってしまった。
「さようなら。そして、またね」

**

「そっかー、色々あったんだな。俺の知らないところで」
彼女との話を和馬に言うと、和馬はしみじみとしていた。
「にしても初恋17歳かよ、おっせぇーなあ」
「いいだろ別に」
「悔いは、ないか」
にやにやしながら僕の背中を叩いていた和馬が急に真剣な目をしてそう聞いてきた。
「……ないよ」
僕も真剣な目をして、そう返した。
彼女にふられることくらい、分かってはいたんだ。
でも、それで良かったんだ。
僕も彼女もまだ心の整理がついていない、未熟者だから。
だから僕はこれから立野豊になって、また彼女に出会うために、前に、進んでいく。
彼女が最後に言った、またね、を信じてーーーー。

これから。

これから。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-12-08

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