お気に召すままに。

お気に召すままに。

波紋を立てず穏やかに平静を均衡させる水面を撫でることができるか、という問は単純であるけれど、
実際のところ容易に解は一つに絞られることない。

世に存在する万物は他物との接触において抵抗を必然的に生じる性質を持ち、そんなことはありえないという考え。

対して、いつそんな性質が万物に対して証明が行われたのかと主張し、現在の我々の周囲にこそ未だ他物との干渉に
おいて抵抗を生じない物質は見つかっていないが、きっとそのような性質を持つ物体は存在して可能であるという考え。

どこかの哲学者の智慧を借り受ければ、万物流転諸行無常、物質が本質を持つなど幻想であり、
我々が本質だの性質だのと呼ぶそれらは、無自性の形ばかりの表出でしかない。
ゆえにもっと高次の議論から始めるべきだという考え。

大体こんな二束三文な議論は早々に店仕舞せよという考え。

解は諸々の考えとして発現し、その数は無限級数的に発散を続ける。

だけれども、エラトステネスがよろしく発散するそれらを篩にかけ、白紙の上に撒かれた解たちを、更に目の細かい篩にかけ、同様に白紙の上に選りすぐられた解たちを白紙に撒いて、2番目の篩よりも更に目の細かい篩にそれらの解を撒いて、という作業を繰り返してゆく。
そうすれば、いつか唯一絶対の解にたどり着くことができるのではないか、という考えもありうる。

無限に発散を続ける彼らをそもそも篩にかけることができるのか、対象が無限を語っている時点で各作業フェーズを終えることが出来るのかには懐疑の目が向けられる。

アルゴリズムそれ自身は無限の試行を重ねることができるが、それは特段際限なく出力される無限を対象として扱えることを直接に意味している訳ではない。
無限の出力に対して第1フェーズから第Nフェーズへと着実に駒を進めることのできる処理が可能であるアルゴリズムは残念ながら知られていない。

他者をその裡から理解しようと、その内面世界次元に足を踏入れ、そこから出力される喜怒哀楽やら理不尽やらを、己が心を篩のアルゴリズムとして幾重にも繋いで限界まで振動を続けそれらを選別し得たとしても、残留物はどうにも相手を理解するには余りに微細で運動が些か激しすぎ、ちょっとやそっと観察可能な物で無いことは、形而上学の領域にあれど想像に難くない。

しかしながら、濃紺の空に刹那瞬く流星や彗星の類は塵芥を核として一閃の尾を引き流浪する。
この世界に文明と呼ばれる根本的な形而下動力が誕生する以前から、煌たる煇(ひかり)は普遍の魅力を纏い、祈願のベールを献上されてきたのはご存知だろう。

精緻な観察手段を持たずとも、蒼い月の美しさと共に、残滓に煌きが観測されたなら、多様の解に溺れ間隙を彷徨する当初の問にもきっと意味はあっただろう。

お気に召すままに。

お気に召すままに。

  • 小説
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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-12-06

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