こどもの、あめ。

こどもの、あめ。

 ――便利な時代になったものだ。
 ハルは苦笑まじりに思いながら、携帯の画面を見つめた。
 画面には先ほど駅口まで見送った彼女が自分にメッセージを送っている。
「電車乗ったよ。今日はありがと」
 そんなこと、別段知らせる必要もない。冷たい言い方をすれば、ハルと別れた時点でそれ以降の報告はいらない。家に帰ったときだけでいいのに。いや、むしろ、それすらもいらない気もした。
 それでもハルは携帯を指でいじり「そっか、お疲れさん」とだけ彼女に返した。そのまま携帯をポケットにしまい、腕にかけたままだったビニール傘を掴み、開いた。
 空を見れば真っ暗で、鼻頭にはポツポツと雨粒が落ちてくる。
 こんな日には、明るめの曲を聞くべきだ。
 思い、ハルは先ほど携帯をしまったポケットとは逆のそれを探り、アイポットを掴んだ。巻きつけたイヤホンを解き、耳にかける。 騒がしいくらいの音楽がハルの世界を彩った。
 そのとき。
「見て、おかあさん雨がふってるよ!」
 騒々しい音楽に彩られたハルの耳に、幼い声が届いた。
 振り返れば、小さな子供が黄色い雨合羽を来て駆けてくる。後ろには母親だろう女性。うっすらと化粧をしたその顔が、困ったような微笑みを作る。
「もー、はる! そんなに急ぐと、お母さん迷子になっちゃうじゃない」
 一瞬ドキリとした。
 まったくと同じ名前に、ハルはその場に立ちすくんだ。
「ごめんなさーい」
 駅の中から出てきた二人は、お互いに顔を見合わせると手を繋いだ。小さな手が母親の手の中に収まり、きゅっと握られた。
「あ、ちょっと待って。お母さん傘さすから」
「かさ?」
 手を繋いだまま、少年は母親を見上げた。
「そう。お母さんははると違ってカッパさん着てないから、傘をさすの」
「傘って、トトロの?」
「違う違う。お母さんが指すのは普通のヤツ」
 言って、彼女は大きめのカバンから一本の折りたたみ傘を取り出した。白いレースの付いた、レモンイエローの傘が、てきぱきと広げられていく。
「わぁ! はるもやるっ!」
「今日はだーめ、お父さん早く帰ってくるんだから。ほら、はるもお母さんと一緒に早く帰ろ」
 子供のダダを笑って諌めながら、彼女はパンッと乾いた音をさせて小さな折りたたみ傘を開いた。
 曇天の空の下に、二つの黄色い花が咲いた。
「お待たせ! さぁ、帰ろっか!」
「うん!」
 手放していた少年の手を掴み、母親はポツリポツリと落ちてくる雨粒の中に歩み出た。二人はハルの横を通り過ぎ、パタパタと雨が傘を叩く音を奏でながら、まっすぐに歩いていく。
「はるね! 雨すきなの」
「そうなの?」
「うん! 音がね、いっぱいするでしょ」
 パタパタ、ザンザン、バッシャバシャ、って!
 体をめいっぱい使って説明するはるは、母親と繋がった手を大きく振りながら、楽しそうに歩いていく。やがて二人はハルの知っている歌を歌い始めた。
 あーめあーめふーれふーれ かあさんがー
 遠ざかっていく二人の歌声が、ハルの耳のスグ傍で鳴っているそれよりも、大きく聞こえた。
 やがて、黄色い二つの影が見えなると、ようやくハルは動き始めた。
 少しばかり周りを見渡せば、同じように黄色い親子に気を取られていた人々が、ゆっくりと動き出していた。
 ハルは、耳にかけていたイヤホンを抜いた。
 ポケットにしまっていた時と同じよう、イヤホンをグルグルと巻き、しまう。
 降り出した雨は先ほどよりも酷く、肩を濡らすのは明白だったがそれでも先ほど感じていた鬱屈さは微塵もない。

 こんな日だからこそ、世界を感じるべきだ。と。
 歩き出したハルの耳には、幼い同名の子に教えられた通り、様々な音が届いた。
 その中に一つ、電子音が混じる。ポケットからの振動に、ハルは傘を持たない手で携帯を握った。
「今、なにしてる?」
 見れば、電車内で退屈しているだろう彼女からの、なんでもないメッセージ。
 ハルは少しだけ迷ったが、足を止めて返事を打った。

「雨の中を、歩いてるよ」

こどもの、あめ。

こどもの、あめ。

掌編 子供と大人の世界の違い。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-12-05

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