AMY

 

 AMYは砂場の砂をひとつかみ取り、さらさらと指の間から零す。慎重に丁寧に塵芥をふるう。何度か繰り返す。すると細かなガラスの欠片たちが僅かばかり、手のひらに残る。彼女はそれを『宝石』と呼んでいる。
「ねえ」
 私は、砂場をぐるりと囲む錆びた鉄製の枠に腰かけていた。
「風邪をひいて死んじゃうわ、あなたも私も。諦めて家で暖まるべきよ。なんでも努力すればいいってもんじゃない」
 震える両腕をこすりながら、つい諭してしまう。AMYはきょとんと眼を見張ったのち、弾けるように笑った。
「素敵な宝石がほしいの」
 私をこそ諭すように、彼女はゆっくり、ひとことずつ区切って発音した。
「クラスの皆が持っていないような、とても輝くのを」
 私は大きなため息をつく。吐きだされた心配が、白い湯気となって漂う。
 十二月を迎え、夜の公園はひどく冷え込んだ。明日の朝は霜が降りるに違いない。しかし十歳のAMYは、少しも気にしないのだった。真っ暗な砂場でニコニコ家族の帰宅を待った。深夜まで皿洗いをする、厳格なフィリピーナの母親を迎えるために。
「まりこ?」
 鈴のように陽気な声で、AMYは私の名を呼ぶ。
「どうしてそんなことを言うの? 努力するな、なんて?」
 南方の人特有のすべらかな肌が、月明かりに艶めいた。彼女の目は本当に澄んでいる。
 私は答えかけ、うまく言えず笑いで紛らせた。目の前の砂を、AMYの真似をして掬い上げた。10gほどのはずの白い砂は冷たく湿り、思いのほか持ち重りがした。かすかに左右に揺らすと、糸のように零れていくのが上から見えた。それは脳髄を麻痺させるエクスタシーで、私はしばし感触を楽しんだ。
「気持ちがいいのね」
 驚きを含んだ声で言うと、AMYは得意げに胸を張った。
「もちろんよ。エステみたいでしょ」
 私の横にちょこんと座り直し、彼女は再び砂をふるう作業に没頭する。
 指の先が凍りそうに冷える夜気だというのに、AMYは長袖のTシャツ一枚だった。十分丈のウェットパンツは薄いナイロン素材で、小麦色の裸足には安っぽいヒールサンダルが引っかかっていた。無造作に伸びたロングヘアはくるくる巻き、黒ずんで汚れた首筋に、ツタのように絡みついている。
 さっき口にしようとして、すぐに諦めてしまった言葉。
「あなたが好きだから、愛しいから、絶対に傷ついてほしくないから」
 とても言えなかった。私たちは血さえ繋がっていない、歳の離れた顔見知りに過ぎない。理解してもらえるはずもない気がした。

 バイトしていたスーパーからの帰り――まさにクビになった日だ――この公園で、はじめてAMYを見かけた。天啓のように「同じ生き物がいる」と思った。期待されないこと、興味を持たれないこと。それは取りも直さず、ほぼ生きていないということだ。
 例えば私。
 コミュニケーション能力がなく、社会のお荷物で、アルバイトさえ転々とするフリーター。親からも見放された愚図で下らない娘、同棲相手はゲーム廃人のろくでなし。恫喝され続け萎縮するばかりの人生だ。でも、それでかまわないと思っていた。もう何も望まないと小さい頃に決めていた。その代わり、私は誰からも努力を強いられない。私の持つ空白のような自由を、侵すことは誰にもできない。
 つめたい布団の中で、自分に毎夜、そう言い聞かせている。
 AMYに会うと、自分まで愛しくなった。
 褒めちぎりたくなり、続いて哀れに思い、最後に激しく憎らしくなった。「私のように育ってほしくない」と願い、一方で「私と同じ泥の中へ引きずり込みたい」という衝動に混乱させられた。誰だって独りは寂しい。けれど私にも矜持はある。人として外れたことはしたくない――出来損ないだからこそ、その思いは人一倍なのだ。
 もう会わなければいい。会うべきじゃない。
 そう思うのに、気づけば夜の公園に向かってしまうのだった。

 肩を叩かれハッと目を上げる。
「これあげる」
 AMYは目をほころばせ、私の左手を開かせて何かをぽとりと落とした。
 ごく小さな煌めきがあった。波で洗われ削られた、おそらくビール瓶の一部だった。海で生まれたものに違いない。三センチほどの大きさで、耳のかたちをしている。上品な薄茶色の、美しい擦りガラスだった。誰が拾って持ってきたのか、街中の砂場にあるはずもない物質だ。
 私は思わず感嘆してしまう。
「なんて綺麗なの」
 もらえないわと辞退したが、AMYは首をぶんぶん横に振った。
「これは、私が探している宝石ではなくて」
 人差し指を天に向け、太陽のようににっこり笑う。
「奇跡」
 中年女の割れるような呼び声が聞こえた。
 フィリピーナだ。酒に枯れた、怒りに満ちたその響き。ひゅっとAMYは肩を竦めた。あかるく優しい笑顔は引っ込められ、鼠のように卑屈な光が少女の瞳に宿った。私は強く耳をふさぎ、AMYはTシャツの袖を異常に強くつかむ。
 「AMY!」いつだってノロマなんだから、馬鹿じゃ世の中渡っていけないよ、頭が悪いんだからせめて気働きくらいしな、このままじゃお前ゴミクズになっちまうよ、「AMY!」……女は恐ろしいほどの声量で罵倒し続ける。貴い宝物を踏みにじられた気がして尋常じゃない怒りを覚える。しかし体は竦むばかりで、ふたりして強張っていることしかできない。いつもそうだ。私たちは果てしなく無力だ。
 それでも、彼女は果敢に言いつのる。
「探せばあるわ、何だって」
 私は掌のガラス質をそっと転がす。心地よい滑らかさと、細かなざらつきが皮膚に伝わる。
 AMYは少しずつ肩をもとに戻す。勇気をもって、拳の力を抜いていく。私はなおもガラスを味わう。ヒステリックな叫びは繰り返された、「AMY!」はやくでてきなさい、言うこと聞かなきゃ…… 少女は、今度は大きく笑ってみせる。気にしないふりをしてみせる。すこしだけ舌さえ出す。私は畏敬の念を抱く。その強さに、健全さに、まっすぐな心根に。おかえしに、おどけて肩をすくめた。笑いあった。羽のように軽やかな笑い声、胸に広がる安心感。ふたりだけが持つ、薄く繊細なぬくもり。
 あの声が止んだりはしない。いつまでも轟く。
 それでも、私たちは歩くのを止めたりはしない。決めているのだ。たとえ誰も、私たちの気配に気がつかないとしても。このガラスみたいに。
 AーーMYーー! 

AMY

AMY

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-12-02

Copyrighted
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