鑑賞記録-映画「奇跡の海」より


1996年、ラース・フォン・トリアー監督。
鑑賞後、時折どう頭を抱えたところで意見を記しづらい作品に出会うことが多々ある。私の場合、それらに共通するのは、観念的な事象を超越して人間そのものの息吹をべちゃりと画板に叩きつけたような、生々しく純粋な体験ばかりだ。人間存在そのものが、そもそも混沌として、理路整然と語らせぬを前提としているばかりか、語ることが余計に訳わからなくさせる節をもつ。観念は結論を導きだすが、「生きる」とは総じて結末に向かうことでなく、ただただ具体的に動いて相応に感じる、過程にすぎない。主人公ベスを演ずるエミリー・ワトソンが、手持ちカメラの画面越しに情緒を爆発させる純朴な息遣いを感じられただけで、本作は「愛と信仰に対する献身さ」を象る役割を十分に果たしているのだろう。それで満足ではないか。
トリアー作品を数本観てきたが、彼の作品からは哀しいほどに、結局は自らの出自に誠実に向き合わねば衝動を形作ることはできない、という強いメッセージを感じてしまう。一般の目でみてもオリジナルが混迷を極めるなかで、せめて自分がしかと納得できるだけの“新しさ”は見失わないでいたいものである。

鑑賞記録-映画「奇跡の海」より

鑑賞記録-映画「奇跡の海」より

「1996年、ラース・フォン・トリアー監督。鑑賞後、時折どう頭を抱えたところで意見を ……」

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-11-29

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